2018年8月31日金曜日

日本スポーツ・芸能大賞

スルガ銀行株で資産が倍に? この銘柄を握っておくだけで含み益がすごいことに!新着急騰1銘柄を無料配信

 この前Web広告で上のテキストが表示されたのですが、さすがに見ていて、「てめぇ何かあったら補償すんだよな?」と言いたくなるような文言です。っていうかただ単に検索回数が多いから表示されたんだろうけど、スルガ銀を推すあたりこの会社がまともな能力がないということはよくわかります。

 さて話は本題ですが、見出しに掲げた「日本スポーツ・芸能大賞」とは何かというと、「国民栄誉賞」の蔑称です。ただ蔑称とはいえ、本質をついているのでもうこの際看板をこっちに付け替えた方がいいのではとも思います。
 元々、国民栄誉賞とは王貞治氏の世界ホームラン記録を表彰するために創設された賞で、受賞基準としては暗に「王クラス」の記録というものがありました。しかし時代を経るごとにこの基準は徐々に曖昧となり、特に槍玉に挙げて申し訳ないですが、高橋尚子氏はマラソン女子で初の金メダルという、だったらこれから最初の金メダル取った人はみんな国民栄誉賞なのかという論争を巻き起こしました。また本人にとっても不幸でしたが、受賞以降に成績が落ちてしまったことからなおさらでした。

 最近の受賞を見ても羽生善治氏や羽生結弦氏などはその圧倒的な記録から十分に「王クラス」と言えますが、松井秀喜氏と長嶋茂雄氏に関しては人気こそ高かったものの実は記録面では特筆するようなものはなく、やはり疑問に感じる受賞でした。もしこれが通るなら、人気が高ければ受賞してしまうのかということになるだけに、厳しい見方で言えばやはり見送るべきだったと私は考えます。この二人が受賞するくらいであれば、阪神の金本監督の方が衣笠祥雄の例もあるだけにより相応しいでしょう。

 概して国民栄誉賞はその場のノリというか雰囲気で受賞が決定してしまうところがあり、ひいては時の政権の人気取りに使われてしまっています。また受賞対象者がスポーツや芸能関係者に実質的に限ら得ていることから賞としての権威も付きづらく、もうそれだったらはっきりとスポーツ、芸能関係者限定の賞としてしまって「日本スポーツ・芸能大賞」と割り切って名前変えた方がかえっていいんじゃないかとすら私にも思います。

 なおこのほか過去の受賞者との比較から本来ならとっくに受賞すべきだと思う面々を挙げていくと以下の通りです。

・白鵬
・さくらももこ
・鳥山明
・宮崎駿
・北野武
・明石家さんま
・加藤一二三
・黒田博樹(日米無援護記録で?)
(敬称省略)

2018年8月29日水曜日

見る気にさせるコメント


 そんな毎回あるわけでもないので折角だからキャプチャ画像を取っておきました。シリーズ物の記事はこういう風に回が進むごとに前回記事のアクセスも付随して上がるから、アクセス獲得面では非常に有用であるということはこのブログで把握しており、内容的にも勝算高かったからこの結果もそれほど驚きはありませんが。

なぜ一向一揆は信長にケンカを売ったのか(JBpress)

 今日出したのは上の記事ですが、内容的には一番肝なところで来週の3回目は京都人からしたら「そないなことも知らへんかったの?」とリアルで冷笑される程度の薄い内容です。まぁ他の地方の人は意外と知らない内容だし、一応一区切りをつけるには最後まで気斬らなきゃならないから書きましたが。
 今日の記事についてはそんなわけで特に解説とかもする気なかったのですが、ヤフコメの中で一つ気になる内容が書かれていました。

「記者の人、タイミング的にアニメの信長の忍び見てるだろ?」

 このコメント主のご期待に沿えず申し訳ないのですが、「信長の忍び」は見ておらず、というよりタイトル自体初めて知りました。なお最近見たアニメは「黄昏乙女アムネジア」で、この世にはこんなえろいアニメが存在するのかと変に感心しながら見てました。

 話を戻しますがちょっと気になったの調べてみましたが戦国系ギャグマンガとのことで、上記の通りアニメ化も果たしてて今三期が放映中のようです。個人的に着目したのは、アイマス声優のたかはし智秋氏が声優として出演しており、これ見て俄然興味が湧いたので今度見てみようかと考えてます。っていうか今も普通にたかはし氏の歌聞きながらこれ書いてます。

 ちなみに大分前ですが後輩に「あの声優が出ているから今度この作品見てみようと思う」と言ったら、「声優で決めるんですか?」と怪訝な顔されました(´;ω;`)ウッ…
 なおその時に挙げた声優は確か「鉄道放送の女王」こと大原さやか氏で、Wikiから引用すると採用例は以下の通りです。

・京王電鉄 2002年1月25日の調布駅より2012年現在は全線全駅
・京浜急行電鉄 2001年3月に全線全駅で旧式アンプで採用、2002年3月末に北品川~大森町間の8駅でMP3化。2007年現在品川のみ下り、それ以外の上り全線72駅。遠隔放送(管理駅から子駅に対し一斉に放送)、啓蒙放送は全駅
・小田急電鉄(下り線アナウンス)2001.9.28に登戸を皮切りに 、新宿・小田原・唐木田・藤沢・片瀬江ノ島を除く全駅。2004に順次終了
・西武鉄道 西武多摩川線全駅、西武球場前、遊園地西、下落合
・東武鉄道 東上線全線、亀戸、杉戸高野台、幸手、新鹿沼、江曽島、東小泉、北大宮、大宮公園、八木崎、南桜井、初石、六実、新鎌ケ谷、馬込沢、塚田
・東京急行電鉄 渋谷駅の終電前5本分の深夜放送、東横線渋谷駅のドア閉め放送、及び全日禁煙・携帯啓蒙放送。案内放送は自由が丘、武蔵小杉、あざみ野、緑が丘、九品仏、尾山台に拡大
・京成電鉄 海神、お花茶屋、国府台、検見川、西登戸、大和田、青砥、大神宮下、大佐倉、新千葉、京成金町、柴又、特急清掃案内は京成上野、京成成田
・相模鉄道 全駅
・江ノ島電鉄藤沢、鎌倉

 「うみねこ」での一人四役をはじめ声質よりもその演技力が素直に凄いと思うので、割と贔屓にして出演作を見たりしてます。ちなみに購入前は出演していることを知りませんでしたが、今遊んでいる「ルートダブル」というゲームにも出ています。このゲームですが割とシリアスな内容なのにいかにも美少女ゲームっぽいキャラデザインしていて違和感半端ないです。徹底的に硬派な構成にしておけば文句なしにお勧めできますが、あのキャラデザインのせいでプッシュしづらいです。
 内容は一言で言えば、「メルトダウンから始まるラブストーリー」になるのかな?誇張ではなく冒頭で原発がメルトダウン起こし放射能渦巻く施設に閉じ込められる中で脱出を目指すというものです。

 殺人鬼から逃げ回るというアドベンチャーゲームはよくあり私も遊んだことありますが、放射能という目に見えない脅威から逃げるという展開は割といい着眼点だったと思います。でもある女の子キャラが室内でもずっと帽子被り続けてるのには遊んでて違和感半端ないです。

2018年8月27日月曜日

さくらももこ死去の中国の反応

动画片《樱桃小丸子》的作者樱桃子因乳腺癌去世 终年53岁(News速递)
《樱桃小丸子》作者去世,谢谢你给我们一个美好的童年(虎嗅网)

 すでに速報を皆さんも見ていると思いますが、「ちびまる子ちゃん」の作者であるさくらももこ氏が亡くなられていたとのことです。今日はブログ書く気ありませんでしたが中国の反応は同かなと思って調べてみたところ思ってた通り反応は大きく、日本でも報道が出たばかりというのに中国でも各所で大きく報じられています。
 っていうか中国の報道見て、本名が三浦美紀ということを初めて知りました。

 知ってる人には早いですが中国でも「ちびまる子ちゃん」は現在進行形で大人気作品です。やはり家族物というのと生活風景が近いことから中国人も身近に感じていたようで、中国でちびまる子ちゃんの悪口は一度も聞いたことがありません。
 ただ改めて思うにつれて、この作品が日中双方で高く評価されたのはやはり作者の力量に負うところが大きいと思います。一言で言って才能の塊と言ってもよく、漫画だけでなくエッセイや作詞でも非常にセンスのある方で、サザエさんもそうですが同一作品でこれほど長く広い年代に支持される作品を作ったというのは紛れもない偉人でしょう。ましてや、国境や文化の壁を越えて評価されたというのですから。

 自分も小学生の頃はこの作品の漫画やアニメを見ていましたが、中学生から高校生にかけていったん離れた後、成人になってから見返すと改めてよくできた作品だと気づかされました。自分が文化芸術というものはどれだけ幅広い層を取り込めるかが重要なポイントだと考えていましたが、間口の広さで言えば圧倒的と言っていい作品で、この作者と同時代を過ごせたというのは将来自慢になるかもしれません。
 なおかつてこのブログで「ちびまる子ちゃん」に言及した記事として、この記事があります。今読み返してみましたが、他の話を差し置いて何故この「ローラースルーゴーゴー」の話が記憶に強く刻まれているのか不思議だと思う一方、「いや、多分他の人も同じだろう」という妙な自信を覚えました。

2018年8月26日日曜日

漫画レビュー「レッド 最終章 あさま山荘の10日間」

 相変わらずDMMで電子書籍のセールが続いているのでこれを機にやたら買いまくっており、「死人の声をきくがよい」という漫画も全巻買いそろえてしまいました。幼馴染、同級生、クラブの部長、アイドル、コンビニ店員た多方面から女の子に囲まれるハーレム系主人公ですが、ほぼ毎回殴られたり蹴られたりするのは当たり前で、頻繁に切られたり刺されたり突き落とされたりしながらも生き続けるという、「ベルセルク」のガッツもびっくりなタフネスぶりには毎回笑わさせてもらってます。あと幼馴染が第一話で腐乱死体ってのも、作者はすごいセンスしてる気がする。

 話は本題に移りますがこのセール中である8月23日に、これまで私が購読してきた山本直樹氏の「レッド」の最終巻に当たる、「レッド 最終章 あさま山荘の10日」が発売されました。サイト上で発売情報を知った際に一瞬買うかどうか何故か迷ったのですが、マウスを持つ手はすでに動いており、やはり買うべきかと思ってそのまま購入に至りました。

レッド (山本直樹)(Wikipedia)

 この本はこのブログでも何度も取り上げてきましたが、あさま山荘事件とそこへ至るまでの山岳ベース事件、さらにそれ以前の連合赤軍結成までの過程を描いたノンフィクション漫画です。連載期間は非常に長く2006年の連載開始から足掛け12年を経ての簡潔で、これまではややもすると進行ペースの遅かった連載から一転し、あさま山荘事件を一冊にまとめ書き切ってあります。
 巻末には作中登場人物である岩木のモデルである植垣康博氏がコメントを寄せており、「創作が一切ない」として、事実に対して忠実に描かれていることを称賛しています。この点については以前、植垣氏に直接会った際にも同じことを口にしており、当事者である側からすれば余計な編集や演出のないこうした表現形式を歓迎しているようでした。

 もっとも、私からすれば初めから徹頭徹尾ノンフィクションに徹するつもりであれば、作中の人物名を仮名とせず、中心人物だけでも本人の実名をそのまま使うべきであったのではと思うところがあります。登場人物をあらかじめ把握出来ない人からしたらこの名前の違いに苦しむと思われるし、実際私からしてもややこしいことこの上ありません。
 既に事件から40~50年経っており、内容的には「犯罪事件」というより「歴史事件」と言ってもいいものなので、余計な気遣いは最初からするべきではなかったでしょう。確か4巻か5巻くらいで行われた作中人物との架空会談も、その会話内容以前に設定の馬鹿々々しさに呆れました。

 とはいうものの、実名で描いていたら2006年当時に存命していた永田洋子がどう反応してたか。この点は確かに怖いので、仮名とすることに全く理解できないわけでもありません。

 最終巻の話に戻りますが、この巻ではあさま山荘へ逃げ込み、立て籠もりから捕縛までの過程を非常に細かく描いてあります。冒頭では警察の包囲から脱出するために冬山を縦走して突破する過程が描かれ(植垣氏曰く、「自分がいたから山を越えられたんだ」)、そして買い出しに待ち得降りたメンバーが捕まり、別荘地に逃げ込むという流れとなっています。
 この買い出しメンバーの捕縛場面で谷川(死刑囚の坂口弘)と並ぶ本作品の主人公である岩木の回想シーンがあるのですが、それは別荘地の湖の上で総括で死んだ彼の恋人とボートに乗りながらこの後の世界はどうなるのかと話し合い、岩木が「この後なんかない。戦って死ぬだけだ」というのに対し恋人が「本当にそうかしら」と疑問を投げかけます。

 場面が切り替わると、「もし街に降りなければ、ここで捕まっていなければ」という岩木の独白とともに警察官に取り押さえられるのですが、この過程に関してははっきりと強いデジャブを覚えました。何故かというと、同じ作者の山本直樹氏が以前に発表した「ビリーバーズ」という漫画のラストシーンにそっくりだったからです。
 似てるも何も、そもそもこの「ビリーバーズ」自体がオウム真理教事件や、連合赤軍事件を下地にして作られたとしており、実質的に「レッド」の準パイロット版ともいうべき内容だからです。「ビリーバーズ」の段階で連合赤軍の総括に言及しており、組織内部の内ゲバというような構造に注目していたようで、私は「レッド」の後で「ビリーバーズ」を読みましたが、ああやはりこういうのが描きたかったんだろうなという風にストンと落ちました。

 よくわからないレビューとなりましたが、2013年に初めて手に取ったこの作品がようやく終わったのだなという感覚とともに、もしかしたらこれで自分の極左団体に対する係わりが完全に断たれるのかなという予兆を感じました。こう言っては何ですがこの漫画を読んで自分の性質が本質的にテロリストに近いのだということを初めて自覚し、読み進めるうちに「他者への共感の強いものほど強烈な暴力性を持つに至る」という結論に至りました。真面目な話、自分を大事にする人間の暴力なんてたかが知れています。
 そういう意味では最初に舞台設定の点でミスがあると指摘はしましたが、情感的には強い影響を受けた作品であることに間違いはありません。別にこの作品を読んだからと言って現代のテロリストへの理解が広がるとかいうことは全くなく、学生団体、ひいては現在の極左団体が近くなることはまず間違いなくありませんが、時代背景とカルトとは異なる明確な倫理目標に立った内ゲバがどうして起こるのかは見える可能性があるのではないかと思います。

2018年8月24日金曜日

書評「しんがり 山一證券 最後の12人」

 日本最後の内戦とくれば今年の大河ドラマでも恐らくやるであろう西南戦争ですが、最後の反乱となるとその直前の佐賀の乱なのかと考えていたら、直近でもう一つ、「清武の乱」があったということを思い出しました。これも絶対的権力者に単身反乱を起こしたって意味ではある意味歴史的事件かもしれませんが、そういえばこの乱の主役である清武英利氏の本で読みたいものがあったことも思い出し、この前買って読んでみました。



 その本というのも「しんがり 山一證券 最後の12人」で、テレビドラマの原作としても使われた本なので知っている方も多いのではないかと思います。なんでこの本を手に取ろうかと思ったのかというと、反乱の後で落飾し、一介のジャーナリストに戻った清武氏がこのところ面白い取材本を出しているということを以前聞いていたのが大きな理由です。
 なお自分の元上司は読売新聞社内で一度清武氏と仕事したことがあって、清武氏については細目に連絡を出すなど非常に卒がなく仕事のできる人だったという印象を持ったと話していました。

 話は戻りますが、清武氏自身への興味もさることながら改めて山一證券の破綻について調べてみたいというのもあって買いました。内容はどちらかというと山一證券破綻の真相に迫る部分もないわけじゃないですが、それよりも破綻調査に関わった面々の苦しい状況を中心に描かれており、経済ルポというよりかは名もなき社員らの奮闘劇という面の方が強いです。読み応えは悪くはないのですが、会計方面の経済ルポを期待するとがっかりする点はあるかと思います。

 2008年のリーマンショックは世界証券大手のリーマンブラザーズの破綻をきっかけにして起きていますが、やはり改めて歴史を追うと日本の「失われた十年」も、バブル崩壊もさることながら、本格的にその色を深めたのはこの山一證券が破綻した97年からだったのではないかと思います。その点について少しこの本でも触れられており、まだ97年は平成不況の初頭であったことから山一証券の元社員の再就職は全体としてはつつがなく行われたと触れられています。もっともそれ以降から不況が増したことによって、一旦別の証券会社に転職しながらもすぐリストラに遭う人もいたと触れられてました。

 債務飛ばしの方法に関しては割と古典的な海外法人を絡めた債務の移し替えで、読んでて感じたのはオリンパスの時の手法と似ており、単純だけどやっぱり見つかり辛いもんだなという気がします。また現在もそうですが、こうした会計不正事件の責任者に対する処罰が日本では生温いとこの山一証券の事件でも覚え、恐らくこのような刑罰基準が続く限りは今後もこうした事件が続くでしょう。
 なおはみ出した内容を触れると、西田について中の社員たちは「こんな大変なこと引き起こしたくせに自分はのうのうと死にやがって」と言っているそうで、既に亡くなっているとはいえこうした批判は彼については寄せられても仕方ないだろうと私も思います。

 最後にもう一つ読んでて思ったこととして、この本の主題は山一證券の破綻過程、原因を探るために起ち上げられた社内調査委員会メンバーの奮闘ですが、こうした調査委員会自体がちょうど今問われている時期なのではないかと思います。例えば日大のアメフト事件でもすったもんだ挙句に弁護士をはじめとした調査員会が立ち上げられて、その報告内容などについて大きな注目が集まりました。同じスポーツ関連だとこのところ不祥事のラッシュで、女子柔道のパワハラ問題などでもパワハラはなかったとする協会の主張を鎧袖一触して「あり過ぎ」と調査委員会が断じた上で、その実態についても細かに報告されました。
 一方で森友学園の問題は結局トカゲのしっぽ切りで終わってしまうなど、不完全燃焼で終わる不祥事もまだ少なくありません。また独立した弁護士による調査委員会と言っておきながら、企業・団体側の息のかかった弁護士によって構成されて虫のいい報告が挙がってくる例も少なくなく、法整備まで行くとやり過ぎかとは思うものの、「何をもって独立した調査委員会と報告というのか?」という点についてもっと社会で議論すべきじゃないかと思います。

 同時に、そうした「独立した」価値観や視点を持つ人間を今後、企業がどれだけ抱え、この山一証券の例のように外部調査に頼らず社内調査によってきっちり自分のケツを拭けるかというのが、コンプライアンスとして問われてくるかと思います。基本的に企業というのは会社に忠実、言い換えれば不正に目を瞑る人間を採用したがりますが、その結果が上記の山一証券や東芝の末路であり、そのようなリスクに対して事前に対処できるか、対応できる人材がいるか、そうした社風があるか、こうした方面に力を入れる企業をきちんと評価できる社会があって成り立つところもあるでしょう。

2018年8月22日水曜日

カウントダウン

極貧寺の蓮如、圧倒的「子だくさん力」でカリスマに(JBpress)

 今日出た私の記事ですが、書き上げて提出したのは6月のことで、時間が経っているせいか他の記事と比べると( ・´ー・`)って顔にはあんまなりません。ただ今年年初に年間目標として歴史記事を強化しようと決め、具体的には一向一揆で何か記事を出そうと白鳥座に誓っていたので、とりあえず目標達成的な安堵感は覚えます。
 記事はこの後2回続いて計3回の連載となります。内容について強いて言えば、「ビッグダディも驚くほどに蓮如が子沢山だったという点が大きいでしょう。」という個所は編集段階で削除されるだろうと思っていたのですが何故かそのまま通って掲載されたのが意外でした。まぁわかりやすい比喩表現だと思うけどさ。

 話は本題に入りますが、いちいちリンクは貼らないものの本日スルガ銀行がストップ安を記録しました。後輩からも「花園さんの大好きなスルガ銀行」とまで揶揄されるほどこのブログで取り上げていますが、今年3月の段階で「足利銀行以来かも……」と、はっきり言えば近く破綻するだろうと予言していますが、この言葉を本気で信じた人はいたのか、そしてこの段階で私と同じ見解を持っていた人はいたのだろうかというのは未知数ですが、現時点においては私と同じ見解を持つ仲間たちはたくさんいるでしょう。私はもう、独りぼっちじゃないんだ( ゚Д゚)

 今日のストップ安の原因は日経の報道からです。その内容というのも、スルガ銀行の総融資額約3兆円のうち不動産投資融資は約2兆円で、このうち半分の約1兆円が適正な審査を経ずに融資された、いうなれば不良債権リスクの高い融資だとのことです。シェアハウス問題が本格化した後にスルガ銀行が積みました貸倒引当金は約150億円でしたが、大抵こういうのは実態よりも大幅に低い金額しか積まれず、現実には十倍の1500億円、少なく見積もっても1000億円は損金が出るだろうと見越していましたが、今回の報道が事実だとしたら私の想像を大きく超える額に膨らみそうです。

 今回出てきたこの1兆円という数字ですが、これはあくまで「リスクのある融資残高」で、この金額が丸ごと損金になるわけではないでしょう。ただシェアハウス問題でも明らかになったように、実際には返済能力や担保能力のない債務者へスルガ銀行は多額のローンを組んでおり、また将来の返済計画も杜撰であったことから、損切り覚悟の債権回収を行ったところでどれだけ回収できるかは未知数というか無謀もいいところでしょう。
 私個人が楽観的に見積もったとして、この半分の5000憶円は回収不能となるのではないかと思います。では現実的な見積りをした場合はどうなるかというと、8000憶円くらいに上るのではと見ています。なお山一證券は簿外債務とはいえ2600憶円で飛びました。たとえがあるとやっぱわかりやすい(´・ω・`)

 この見積金額の根拠はやはりシェアハウス問題の時の報道です。融資額に対して本来担保となるべき物件価値は十分の一くらいしかなく、債務者から身ぐるみ引っぺがしたとしても奪えるのは十分の一が関の山ではないかということから回収率は20%と読み、そこからさらに大甘な勘定を入れたとしても半分回収できるか否か、また今これだけの問題となっているにもかかわらず一向に対応が進んでおらずプレスリリースも相変わらず上から目線で一部怪しい表現も見られるため改善は期待できないことから、どれだけ楽観視しても50%が限度じゃないかと考えました。
 ましてや来年か再来年かには不動産価格は都心中心部を除いて全国で一斉に値下がりすると私は予想しており、となるとますます損失は膨らむでしょう。現状、スルガ銀にとって追い風となる条件はなく、また債務者も社会の反応を見て強気な態度で交渉に臨むと思われ、スルガ銀に全債務を押し付ける可能性もありますしまた金のにおいがする弁護士団がつくかもしれません。そう考えると、5000億っていう数字も私の中では現実味を感じさせてくれます。

 問題はもはやこの後、国がどう処理するかでしょう。破綻するか否かはもはや問題ではないでしょう。私は最初、足利銀行以来かもと考えていましたが、案外そうはならないかもしれません。その上で今日株式がストップ安になったのを見て、未だに株を持っていた人間がいたのかと呆れました。

2018年8月21日火曜日

購入オプション付き賃貸住宅

 経営者や設備管理者じゃないとなじみが薄いかもしれませんが、設備リースには俗に言う「購入オプション」というものが付けられることが多く、リース期間が終了した設備や物件を、追加料金を支払うことで貸主から借主が購入する(所有権が移る)ことが出来ます。
 具体例を出すと、毎月1万円、リース期間が2年のリース料でパソコンをリースし、満2年経過時点でプラス1万円を支払うことで、パソコンを貸主に返却する必要なくそのまま借主が自分のものにする権利のことを、こうした購入オプションと言います。

 この購入オプションは構造的には、借金して設備とかを購入するのと実質そう変わりがありません。100万円のフォークリフトを購入するのに銀行から2年定期で100万円(返済時の総支払金利は10万円)借りるのと、リース期間2年で合計支払リース料が100万円(購入オプション料金は10万円)では、条件的には全く同じと言っていいでしょう。
 だったら銀行からお金を借りればいいのにどうしてこんなリースという形式を取る人がいるのかって話になりますが、リース形式をわざわざとる理由としてはいくつかあり、

1、財務バランス上のメリット(借入金を負債計上しなくてよい)
2、中途解約可能であれば突然の設備更新において有利
3、費用の期間分割

 などなどありますが、これら以上に地味に一番大きいのは金融機関でなくても金利売買取引が可能になる点でしょう。リース業者側にしてもリースする側にとっても、余計な仲介者(銀行)を挟まずに金利取引を活発に行うことができるため、リース会社に必要な設備を買わせて、それを実際に使う企業が後々の購入オプション付きでリースする(ファイナンス・リース)というのも一般的です。っていうかむしろこれこそがリースの真骨頂だし。

 自分の知識整理も含めてまとめましたがそろそろ本題に移ると、住宅の賃貸も一種のリースに含まれますが、真面目にそろそろ購入オプション付き賃貸ってのも始めた方がいいのではないかと思います。もしかしたらもうあるのかもしれませんが、ネットで検索する限りそうしたサービスが見つからなかったので今書いています。

 この購入オプション付き賃貸というのはそのままに、住宅を一定期間借り続けた場合、期間満了時にオプション料金を支払うことでそのまま住宅を購入できるという賃貸契約を指します。
 具体例を挙げると、時価1200万円の住宅を家賃60万円/年(5万/月)を20年借り続けた場合、プラス100万円でその住宅を購入できるというようなのを想定しています。これによってどんなメリットがあるかというと、貸主は時価以上の金額(1200万>1300万)で住宅を販売でき、貸主は賃貸期間に支払った家賃がそのまま住宅購入資金に成り代わるという点が挙げられます。

 賃貸でよく言われるのは、「借りている間に支払ったお金は一切自分の資産形成に寄与しない」という点で、「それならば借金してでも早く家を買った方がいい」という意見が良く出されます。しかしそうして勢い住宅を買ったところ金利や返済に悩まされたり、あまりよろしくない隣人が来てしまったり、最悪なのは災害によって住宅が損壊を受けるというリスクはどうしても付きまといます。
 逆にこうしたリスクに対して強いのが賃貸で、厄介な隣人が出来たり、災害でダメージを受けたりしたら引っ越すだけで逃れます。このようにリスクを入れて考えると、賃貸もデメリットばかりというわけではありません。

 そこでこの購入オプションですが、これだったら気に入った賃貸住宅であれば長く住み続けることで購入、そして資産形成につながるので、多少家賃が高くても購入オプションなしよりは借主は夢が持てます。大家こと貸主にとっても、オプションを付けることでプレミアムがつき、家賃額を引き上げる根拠にできるほか、借主の転居動機を引き下げ賃貸契約関係の維持にもつながります。また償却期間が過ぎ、価値も下がって売却処分のしづらくなった住宅がこの購入オプションによって済み続けた人の手に渡ることで、空き家の低減につながるのではという期待というか狙いが私にはあります。
 同時に、この購入オプション付き賃貸住宅の普及の狙いとしては、日本の住宅相場の健全化です。仮にこの購入オプションが普及したら、間違いなく日本の新築住宅の値段は下がり、中古住宅や賃貸家賃は上がる(オプションなしを除く)でしょう。日本の住宅価格は新築が極端に高いにもかかわらず、一旦購入した後は極端に寝下がる傾向があり、それによってローン破産も誘発しているように見えます。私の狙いとしては新築住宅価格が下がる代わりに中古住宅価格を高め、もっと住宅取引の流動性を高め市場を健全化させたいという狙いがあり、その一手としてこの購入オプションは手段になりえないかと考えたわけです。

 また先ほども言及しましたが日本の空き家問題は非常に根深く、この空き家を減らすとともに不要な住宅を減らす努力も必要です。長く借り続けることで自分のものになる住宅が増えることによって住宅へのケアも高まり、尚且つ余計な住宅は淘汰されるのではという期待もありますが、どこかこういう購入オプションを手広くやってくれないかな。

2018年8月20日月曜日

江戸時代の終了時点はどこか

 私がまだ「バロック~歪んだ妄想」というゲームを遊んでいた頃(他にも遊んだ人っているのかな?)、鎌倉幕府の成立年代はまだ1192年でした。これは源頼朝が征夷大将軍に任命された年ですが、近年は平家を追討した段階で支配体制が固まったと判断されたことから壇ノ浦の戦いがあった1185年に改められたそうです。
 このように、具体的な事件とかならともかく支配体制というか時代の区分については各時代の判断によるというか、何をもってどう判断するかで一方的に決まるためやや曖昧さを持っています。江戸時代に関しても同様で、現在ではまだ徳川家康の征夷大将軍就任のあった1603年を開始年とする声が強いように見えますが、もうしばらくしたら関ヶ原の合戦のあった1600年に改められるかもしれません。どちらにしろ、江戸時代の開始年はこのどちらかであることには間違いないでしょう。

 一方、江戸時代の終了年はいつになるのかについては現在においてもやや曖昧なまま棚上げされています。候補をいくつか書き出すと、

・1867年 大政奉還
・1868年 江戸城無血開城、徳川家追放
・1869年 函館開城(戊辰戦争終結)
・1871年 廃藩置県

 最後の廃藩置県はちょっとおふざけで自分が入れたものですが、幕藩体制の完全なる崩壊と武家社会の終結という意味ではあながち暴論というわけではないと考えています。まぁ候補としては弱いですが。
 以上の候補のうち最も有力且つ一般的なのは2番目の1868年です。西郷、勝会談によって徳川宗家の政権からの追放と江戸城無血開城がなった年で、旧勢力の棟梁たる徳川家が降りたことから徳川時代の終了という意味では確かに最も適切と言えるでしょう。

 しかし、敢えて私がこの中で「江戸時代の終わった年」として推したいのは、既に元号も改められ明治二年となった1869年の函館戦争終了時点です。何故この年にしたいのかというと、この戦争に参加していた新選組副局長であった土方歳三が五稜郭陥落の直前にて戦死しており、彼の死をもって江戸時代が終わったことにしたいからです

 別に私自身は新選組フリークというわけではないのですが、この土方の死については時代を重ねていろいろ思うところがあります。平民の出で武士に憧れ、恐らく日本史上最強の人斬り集団を率い、念願かなって武士になったのは武士の時代が終わろうとする時だったというこの皮肉な時代のめぐりが、新選組というより土方歳三を大きく彩っているように考えています。また皮肉なことに彼自身も武士の時代が終わるということを自覚していたのか新選組内でも西洋式調練に積極的であったとされ、他のものに先駆けて洋装を始めたとも伝えられます。
 そうでありながら、戊辰戦争において彼が指揮した戦闘は武士そのものな斬りかかり戦法だったとされ、実際に斬り合いになると土方の部隊は非常に強かったと言われており、皮肉を通り越したようなそのアンバランスさ、まさに濁ったような時代の分かれ目を象徴しているかにも見えます。そして彼の死を待っていたかのように五稜郭は陥落しており、土方の生き方と死に方がまさに江戸時代が終わるということを体現している気がします。

 勝海舟だったかちょっと忘れましたがこの函館戦争で五稜郭川の主将であった榎本武明について、「もし函館で戦死、自刃していたら日本において古今無双の殉死者として扱われただろう」と評されていましたが、あながちこの評価は間違いではないでしょう。それだけになおさらこの戦争で死んだ土方については、、やはりもっと象徴的に扱うべきではないかと思うわけです。また家族に自分の写真を託したという死の直前のエピソードからも、土方の場合は初めから死ぬ覚悟が強かったこともうかがわれ、彼自身の江戸幕府への忠誠心がどこまであったかははっきりしないどころかやや怪しいですが、武士という概念を粉々にするまで体当たりでぶつかってきたのは私が知る限り彼以上の者はいません。

2018年8月19日日曜日

The man with the Goza

 昨日の記事でベルトの切れた安楽椅子をニトリで買ったスーツケース用のベルトで突貫修理をしたことを紹介しましたが、この修理に使ったベルトとともに、「これを買ったらもう後に戻れないかも」と約1時間悩みつつ、最終的にあるインテリア商品を買ってしまいました。


 見ての通り、買ってきたのは折り畳みできるござ布団でした。なお値段はシーズン末ということもあってかセールで140元(約2380円)でした。

 なんでこんなの買ったかっていうと一言では語れませんが、敢えて言うなら地べたで寝たかったからです。自宅にはやたらでかいダブルベッドがありますがもともと日本でも畳を敷いて、夏に至っては敷き布団すら敷かずに寝ており、ベッドのスプリングはどちらかといえばない方がうれし買ったりします。また夏場はダニに苦しめられており、布団、ベッド、もしくは両方に潜んでいるのかなかなか退治しきれず、安楽椅子に座っている最中も「この際こっちで寝た方がいいのでは?」とか、会社の昼休みに昼寝している時も、「こっちの方が良く熟睡できているような?」とか思ってたりしてました。
 そんな矢先にこんなの見つけちゃったもんだから、さすがに500元(約8500円)とかだと失敗したらハートに来る(ルー語)もんですが、140元ならあかんくってもまだあきらめがつくと思い、使用法とかも煮詰めないまま思い切って、と言っても1時間悩んだ末に買いました。

 設置場所はこれまで安楽椅子のあった場所で、安楽椅子自体は折りたたんで窓際に立てかけることでスペースを確保しました。その上でこの窓際の一角の細長いスペースに敷いたところ、サイズ的にはぴったり収まりました。
 写真はないですがこのござ布団は4ブロックに分かれており、場合によっては二つ折り、また一つ折状態で牢名主みたいな座布団としても使うことも考慮しましたが、幅が60センチしかないことから座りに使うとやや落ち着かない幅でした。二つ折りならまだ活用の方法ありますが。

 となるとどうすべきか。やはり本来の購入目的同様に敷布団として使おうと考え、昨夜早速これで寝てみました。ぶっちゃけ寝てみた感じ、日本の家屋と違って窓や家具が高い位置にあってやはり地べたに体を置くスタイルだとやや目線が狭くなります。まぁすぐ寝るなら問題ないけど。
 寝てみた感じではやはり幅が狭いのと、すぐ隣にごついコンクリの壁があるため寝返りは全く打てませんでしたが、ベッドとは違ってスプリングがないため背中が平面となり、朝起きた時は背中側の肩甲骨が伸び広がったような感覚があり悪くありませんでした。睡眠自体も、4時くらいに暑さで一瞬目覚めた以外はしっかり眠れ、質的にも悪くありませんでした。後地味に安楽椅子なくなり、部屋の空間が広がった感じもします。

 このござ布団の購入は来客時の簡易ベッドとしての役割も期待したものでしたが、今回寝てみた感じとしては十分に機能することが確認出来ました。また冬場はともかくとして夏場ならベッドよりもやはりこっちの方が寝やすく、やはり硬めの敷布団の方が健康にもいいというので、今後こっちをメインで寝ていくつもりです。
 問題は冬場で、今のところ活用方法が浮かびません。この際安楽椅子を友人に押し付けるなど処分し、別にもっと広いござとか買った上で座椅子を買うというのも選択肢に入れています。っていうか、ベッドがでかすぎて邪魔過ぎて、これさえなければいろいろ弄れるのにという気もしないでもないですが。

 日本に住んでた頃はパソコンもこたつの上で打つほどの地べた生活だったこともあり、やはりそっちの方が体に合っている気がします。日本に帰るかわからないけど、もし帰ることがあったら忍者屋敷風のデコレートしたFoot on the groundなインテリアを実現させたいです。っていうか外国人向けに忍者屋敷風アパートとか経営したら儲かるかも。住人の誰もが知る秘密の出口とか作ったりして。

 最後に、中国でもこうしたござというかい草を使った敷物や敷布団の類は以前から存在しており、スーパーなどに行くと見つけられます。ただどちらかというとい草よりも竹を使った敷物の方が多く、夏場はベッドの上に敷いて使うことが多いそうですが、自分は一回それやって、それが原因かはわかりませんがめっさダニの襲撃受けたのですぐやめました。今回のござ布団は昨夜に限ってはまだ襲撃受けてないので、このまま頑張ってほしいです。

2018年8月18日土曜日

The man with the chair

金足農・中泉監督 無死満塁でスクイズ決断の理由「チャンスは本当に来るんだな」(スポニチ)

 正直、甲子園は高校生の健康面や過剰な運動面で親戚が理事してたにも関わらず批判的に見ていて今でも廃止すべきだと考えていますが、この試合においてはすごいというより他ありません。サヨナラツーランスクイズなんて人生で今後二度と見れるかどうか。

下のコードは掃除機

 話は本題に入りますが、上の写真は自宅の安楽椅子です。先日、この安楽椅子に座ってゲームして、「よっしゃー、見たかアリども!(地球防衛軍)」と言った瞬間、ガクンと椅子が揺れ、何事かと思ったら向かって右側のベルトが切れていました。
 なおこの椅子が壊れた直後、友人から「座りすぎると寿命が短くなる」というニュースのリンクとともに、「花園同志は座りすぎてない?」とか聞いてきたのでマジムカつきました。っていうかタイミング良すぎる。

 この安楽椅子はこれまで2年以上も使っていたし、尚且つ変則ベッドにもしたりしたので、ベルトが切れたことについては耐久的にも仕方ないと思え、不満とか怒りの類は湧いてきませんでした。ただその代わりに頭をもたげたのは今後、この椅子をどうするかで、片方のベルトの切れた状態でも使えなくもないもののやはり傾くし、もう片方のベルトの負担も大きすぎるし、かといって座らなかったら邪魔だし、いっそ捨てた方がいいのかなとも思いました。

 しかしベルトが切れたくらいですぐ捨てるなんて勿体ないことこの上ないし、何かで修理できないかとしばらく考えました。要はベルトの代わりに何かでフック同士を結べばいいと思いつき、差し当たって浮かんできたのはビニールロープでした。さすがにそんな怪しいもん、自宅にあるわけではないので手っ取り早く他に代替できるものを探したところ締めなくなった革ベルトが出てきました。
 革ベルトなら素材的にも申し分ないのでさっそく試してみたところ、わかる人には早いですが、自分のウエストは極端に細く、スーツ新調するたびに「一番細い奴で!( ゚Д゚)」といえば大体フィットするくらいなモデル体型をしています。そんな私のベルトではやはりというか長さが足りませんでした。

 ただ、長さ的にはほんのちょっと足りないくらいだったので、これなら長さ調節できるようなベルトを買ってくれば十分つなぎ合わせられるだろうという確信が持てました。とはいっても、最有力候補は依然とビニールロープです。

 そんな考えを持ちつつ今日昼食後、ニトリまで行ってきました。ニトリにビニールロープがあるかどうか、っていうか多分ないけど他にも代替材料があればいいなというくらいの期待感で赴きましたが、薄い期待に反してそれはありました。
 それは何かというと、スーツケースを外側から締めるためのベルトです。素材的にも用途的にも近く、これならいけるだろうという確信と、9.9元(約160円)という安さから買うことを即決しましたが、別の商品を買うか買わないかで結局1時間近く悩みました。

下の白いのは床を傷つけないため巻いたティッシュ

 帰宅後、さっそく金具のフックに結びつけたのが上の写真です。長さがどんだけ調整してもほんの数センチほど買ってきたベルトの方が長く最初はいまいちテンションが弱かったのですが、上段フック側をよく見ればわかる通り、一か所だけ結び目を作ることでちょうどいい長さに変えられ、事なきを得ました。
 なおフックを通す際、ベルト側のプラスチック製接手がやや大きくて通しづらく非常にてこずり、「ええいああおもいやりちくしょうっ!」という、若い子には通じないだろうよくわからない言葉で声を挙げたりしてました。

 修理後の座り心地としては申し分なく、以前の通りです。廃棄する可能性もあった椅子でしたが我ながらうまいこと、有り合わせの材料で修理できたと思います。
 ただそんなええいああ思いやりをしながら、現在この安楽椅子は畳んで置いています。もともとこの椅子は夏場以外はあまり使わず、というのも真冬になると知ってる人には早いですが私は一切部屋で暖房を使わずに寒さを我慢するものの、さすがに椅子に座ったままだと寒すぎて仕方なくゲームとかする際は布団の中に潜り込んでやってます。なので使用シーズンが短く、なおかつ場所も取るのでどうしようかと考えており、とはいえ夏場はやっぱりゲームするのにちょうどよく使ってて再評価していたところでした。

 そうした思惑もありますが、ちょっと部屋の模様替えで思うところがあり今畳んであります。詳細はまた明日にでも。

2018年8月16日木曜日

自動車統計記事の裏側 葛藤編

中国でいま最も売れている自動車メーカーはどこか(JBpress)

 昨日に引き続き自分の記事への解説ですが、この記事は実は書くに当たって非常に葛藤がありました。結論から言うと、なぜ自分がこんな記事を書かなくてはならないのかという葛藤です。

 今回この記事で提示した中国自動車市場のデータは決して価値がないわけではなく、むしろ一部サプライヤーにとっては日本国内の販売台数以上に業績に直結してくるデータです。なのですが、上半期全体の販売台数を報じるニュースこそあったものの、メーカー別に整理したり、また日系自動車会社をひとまとめに紹介する記事はなく、こうした現状を見て自分が書くしかないと思って書きました。
 これまで私は中国市場の新エネ車や高級車については何度か書いてきたものの、全体の販売台数についてはJBpressで記事を書くことはありませんでした。何故かというと、どうせ自分が書かずとも大手メディアが報じているだろうと考えていたためでしたが、実際はさにあらず、自分が思っていた以上にこうしたデータは日本に出回っていませんでした。

 そうした予兆というものは感じており、以前にも新エネ車の世界販売台数がリアルに日系メディアで一つたりとも報じられてなかったり、前にどうせ受けないだろうと思って書いた中国自動車市場の提携関係という初歩的な記事がやたら反響大きかったりして、自分が思っている以上に世界最大の自動車市場である中国の情報は日本に伝わっていないのかもという気はしてました。
 ちなみにこうした経済統計ものの報道は中国の方が進んでおり、最近は日本語メディアより中国メディアで世界統計とか見るようにしています。中国語が使える私からすれば中国国内のデータは簡単に手に入りますが、中国語が分からないとこっちでは当たり前に報じられているデータすら入手できないのかもと考えたことも、こうした記事を書く理由になっています。

 繰り返し書くように、私はこれまでこの記事で取り上げたデータは日本でもきちんと日系メディアが報じていると信じていました。しかし、kロ絵ほど重要な市場データすら日本には出回っておらず、なんで大手メディアは中国各地に支局を置きながらこうしたまとめ記事の一つも出せないのかと、憤懣を覚えながら記事を書いていました。
 昨日にも書いた通りこの記事は情報収集、グラフ作成、執筆脱稿まで2日、それも2日目は普通に勤務終えてから夜の時間帯だけで私は書き切っています。自分のような副業ライターにこんな記事出されて、しかも簡単確実にアクセス稼げるというのに、大手メディアの連中は悔しくないのかと、複雑な思いを抱えながら書きました。

 自動車業界の人間からしたら販売台数データは将来予測において最重要データと言っても間違いありません。実際にグローバルサプライヤー企業に勤める知人は毎月、各メーカーの販売台数を自分で調べ統計取っていますが、そうした人たちにとって自分のようにメーカー別に順位付けして整理されたデータは非常に助かると思います。何故そうしたデータを、人手も時間もある大手メディアがやらないのか、正直理解に苦しみます。
 もっともそう言いながらも、私自身が新聞記者だったころにいた編集部もこうした記事は出しませんでした。当時の元同僚に対して、「この記事はあの編集部へのアンチテーゼだよ」と連絡しましたが、1社ごとに速報性を求めバラバラに報じるよりも、こうして整理してまとめて出すことに案外意義を見出していないのかもしれません。

 改めて述べると、今回のような記事は自分のような副業ライターが書くような記事ではないというのが本音ですが、日本の報道状況を鑑みるにつけ自分が報じなかったらかなりまずいという判断から書きましたし、今後は四半期ごとにこうした記事を出さざるを得ないでしょう。本音を言えば自分としてはもっとニッチな市場を独自の視点で追いたいところですが、今の日本の報道状況からするとこうしたメジャーな内容すらもカバーせざるを得ません。

 本気でショックだったのは、日産のシルフィが中国で馬鹿売れしていることや、SUVブームが息切れしてきているという事実について完全に全く報じられていなかったという点です。ほんまこれでいいのか日本の経済報道って感じです。

2018年8月15日水曜日

自動車統計記事の裏側 テクニック編

 先ほどネットバンキングで友人の日本の口座に送金しようとしたらいきなり口座がアカウントロックされました。過去にも全く同じことが起きており、その際には向こうの話によるとこっちに一切不手際はなかったとのことですが、少額の送金でまた同じことされて憤懣やるかたありません。昔ならキーボードの一つや二つはこの時点で壊していますが、そういう風なことしない辺り自分も老いたという実感があります。
 っていうか日本の携帯や銀行は海外居住者差別を止めてほしい。どちらも膨大な費用や手続きを負わせているにもかかわらず今回のような不始末が非常に多いです。

中国でいま最も売れている自動車メーカーはどこか(JBpress)

 本題に移りますが上の記事は自分史上最多のグラフ8枚を投入した中国の自動車統計記事です。この記事は情報収集、グラフ作成、執筆、脱稿まで2日かけましたが、グラフ作るためリアルに1日中パソコンの前で作業してました。何気にこの手の作業は嫌いじゃなく作ってる時も楽しかったですが、その一方でひたすらにパワプロがしたくてたまらず、書き上げた後はパワプロで遊びまくり、何故かオリックスで優勝、日本シリーズ制覇して見せました。

 この記事に関しては書くことに関しては上にも書いた通り2日でちゃっちゃと済ませられ、グラフ作成こそ時間がかかったものの自分としては書くのに苦労はしていない記事です。そもそもグラフさえ作ってしまえばあとはその説明だけでテキスト埋まりますし。ただいくつか言いたいことはあり、今回は記事をさらに踏み込んだ内容と使用したテクニックについて書きます。

 まず第一のポイントですが、3ページ目の第二段落冒頭の「続いて、車形(種類)別販売台数データを見ていきましょう。」というテキストです。見ただけでわかる人もいるかもしれませんが、ここで私は「車形(種類)」という言葉を使っているものの、厳密にはこんな言葉はなく私の造語だったりします。何故造語を使ったのかというと、この言葉が表す意味に対し適切な用語がリアルに存在しないからです。

車の種類(ニコニコ大百科)

 意味としては上記リンク先のようにセダンやコンパクトカー、SUVの分類を指す用語として使っています。ニコニコ大百科では「車の種類」としていますが、これだと広すぎるきらいがあり、それこそショベルカーやダンプカーも含まれてきそうで、一般乗用車の販売台数の違いを説明する上ではやや大きすぎます。
 なおこのほか車の種類というか分類を指す言葉をまとめると、以下のようになります。

・車種、モデル(例:カローラ、フィット、インプレッサ、ランサーエボリューション)
・グレード:同一車種の装備、オプションの異なるバージョン
・クラス:顧客ターゲット層の違いによる分類(例:高級車、中高級車、普通車、スポーツカー)
・セグメント:ヨーロッパで使われるサイズによる分類(例:Aセグメント、Cセグメントなど)

 このようにいろいろあるものの、先ほどにも書いたようにセダンやコンパクトカーを区別する分類を表す言葉は多分存在しません。はっきり言えばこれは自動車業界、メディア業界の怠慢もいいところで、区別が曖昧なのにかこつけ「RV車」とか「クロスオーバーSUV」などと妙な差別化を図ってわけわかんない造語を作っては分類をややこしくしていました。
 こうした状況に対し、やはり分類全体を言い表す言葉が必要だと考え、漢字で表記するならばと「車形」という言葉を作って今回使いました。編集部には「存在しない言葉だがもし問題だと思うなら『種類』に変えて」と連絡したところ併記という形に落ち着きました。自分の功名心とかそういうものは全くなく、なにも「車形」じゃなくてもいいのでこの分類を表す言葉を定着させてもらいたいです。

 次に第二のポイントですが4ページ第2段落末尾で、SUVの販売が息切れしていると触れた上で、「中国メーカーも日本メーカーも、今後もSUVへの依存が強いメーカーほどラインナップの底力が試されることとなるでしょう。」と書いてあります。この最初の「中国メーカーも日本メーカーも」という言葉は編集部でつけられたもので私が書いたものではないのですが、何故こう書かれたのかというと提出時の原稿へのメモで、「暗にホンダを指している」と書いていたからでしょう。
 中国市場でホンダは昨年、SUVモデルを多く投入して大きく販売台数を伸ばしたのですが、今年上半期は-6.4%と減少していたりします。車種別販売台数へのチェックまではしてはいないのですが、日系ブランドの中ではSUVへの依存が強いだけに、SUVブームの息切れが影響したのではとうかがわせるデータであり、またそうでなくても今後はSUVが厳しくなることが予想され、好調な日産とトヨタに食いついていけるか試されるでしょう。

 逆にあの記述だけで、「あ、これホンダだな」と考えた人は、自分とのシンクロ率が相当程度高い人物でしょう。

 最後のテクニカルポイントとしては、上にも挙げたSUVの成長鈍化です。恐らく日系メディアでは中国市場のSUV販売台数の成長が鈍化してるとはっきり指摘したのは自分が最初ではないかと思います。あらかじめ他のメディアの記事もみましたが、こうもはっきりとSUVの成長が鈍化しているデータが出ているにもかかわらず何故だか指摘する人はおらず、6月単月ではマイナスにも入ったのだから書いても何も齟齬はないとはっきり書きました。
 この点、次回の「葛藤編」にも続きますが、誰も指摘していないことを不思議に思いながら書いていました。なお体感での話もすると、やはり街中でもSUVの車は減ってきているように感じ、その分、セダンへの回帰が起こっているのではないかとデータ上からも読み取れます。

 なお中国市場を知っている人間じゃないと実感ないでしょうが、日産の「シルフィ」がセダン販売台数で上半期2位、6月単月で1位を取っているのはとんでもない偉業です。圧倒的にドイツ車のブランドが強い中国でさりげなくカローラも3位に入ってたりと、日本本国では全く人気のないセダンですが、中国において驚くような進化を遂げてたりします。ちなみに「シルフィ」がなぜ売れているのかですが、ぱっと見で「トランスフォーマー」っぽいフロントマスクが受けたんじゃないのかと密かに見ています。

2018年8月14日火曜日

人手不足ではない事態について

 地味に昨日まで軽い風邪だったのか昨夜にリンパ腺が腫れてめちゃ痛い中「地球防衛軍ポータブル3」を遊んでいましたが、昨夜は久々に虫にも悩まされずぐっすり眠れた甲斐もあって今はやや気分がいいです。その状態で今日の結論を言うと、地味に今の日本の人材不足は看過できないと前から思っています。

 現在日本では少子高齢化による人手不足が問題視されていますが、はっきり言ってこうした労働量不足などよりも中・高度な人材の不足の方が進行ではないかと思います。政治家一つとっても20年前と比べるとどれも非常に小粒となっておりまともな政策案すら持っていない人も珍しくありません。財界においても同様で、未だ現役の孫正義氏はともかくとして他にはこれと思うほど面白い人はおらず、トヨタの社長もやはりかつての奥田碩氏と比べると物足りなさを覚えます。
 なお奥田氏については以前後輩に、「今からでも遅くないから奥田に関する本は読んでおけ。今のトヨタは実質彼一人がひっくり返して作ったような会社だ」と紹介したことがあります。まぁそれを言ったら同時代の中村邦夫氏も同様ですが。

 こうした政財界のトップはもとより、一般社会のあちこちを見ていても日本の人材不足は深刻だと思います。日大やボクシング協会の問題をはじめ明らかに問題のある人物が組織のトップに就いていることはまだしも、三越の岡田茂やフジサンケイグループの鹿内家追放など、以前と違って組織内部の自浄作用が動かない点の方を私は重視しています。まぁボクシング協会は今回動いただけまだマシですが。
 この点はトップに限らず中堅クラスでも人材が不足しているのではないかと示唆され、実際に私も社外とかで会う人物などを見ていると十年くらい前と比べると小粒感を覚えることが多く、また同年代においても自分が感じるプレッシャーとしては学生時代の友人を超える者は未だ現れません。

 各企業の不祥事などを見ても明らかにリスクに会わない金額を横領して捕まる人物が出たり、また不祥事に対する会見も出したらヤバイ奴を何故か出して炎上させるなど、判断力がないというかそういうレベルじゃない企業統治ぶりがいくらか見えます。官界においても先の財務省の決裁書改竄問題といい、従来では考えられない問題が起きるなど、モラルが低いことはかねてからとはいえそのレベルの低下ぶりには閉口します。

 またこれは明日以降に詳しく語ることとなりますが、報道業界も果たしてどうなのかとこのところ思います。トチ狂った質問してどや顔浮かべる中日新聞の記者といい、普段のニュース原稿などを見ていてもそのニュースの視点が明らかにここ数年だけでも浅くなってきています。読者に合わせた、と言われたら私も何も言えないのですが。
 その上で結論を戻すと、今の日本に起きているのは人手不足ではなく人材不足で、なぜ起きているのかというと前から主張しているように昇進プロセスがおかしく、無責任でやばい人間ほど昇進しやすく、逆に責任感のある人物ほど下に落ちるシステムが日本には多いからだと睨んでいます。こうした風潮は何も今に始まるわけじゃないですが、認識してるか否かの問題を今主張しているのであって、この記事も無駄かと思いつつも2年後の予言の一環として敢えて書き記しておくことにしました。

2018年8月13日月曜日

第一でないと

外資系は社員ファースト キャリアも働き方も自分次第(日経スタイル)

 上の記事を見て皆さんはどう思うでしょうか。記事のコメントを見ると、「そのかわり外資系はいらないと判断されたらすぐ切られるのでどっちもどっち」などと書かれてあり、実際に私も「もうお前明日から来なくていいよ」と言われるのを見たことがあります。
 けどそんなことぶっちゃけどうでもいいです。私が一番気に入らなくて腹立つのは「○○ファースト」って言葉を使ってるです。てめぇそれでいいのか日経よ、って具合でマジ思います。

 多分自分以外で意識している人はまずいないでしょうが、この「○○ファースト」は小池百合子都知事が就任前後から使い始めた「都民ファースト」に端を発しているように気がします。なお小池都知事の最初期の指導者である小沢一郎は「国民の生活が第一」を政党名に使っており、何かしらこの時期からも連携あったのかなとも少し見ています。なおこの政党名は「俺の生活が第一」と揶揄されましたがまさにその通りでしょう。
 話は戻りますが小池都知事が「都民ファースト」という言葉を使っていこう、やたらとあちこちで「学生ファースト」、「選手ファースト」、「地方ファースト」などと流用されており、心なしか問題興した団体ほど使っているような気もしますが、密かに流行語と化しています。池上彰氏も、「自分ファースト」という言葉を使っていますし。

 この言葉の何が気に入らないのかというと、そもそも日本語に同じ意味を示す「○○第一」という言葉があるからです。「安全第一」はもとより「経済第一」、「売上第一」、「競技第一」などと昔から優先対象を言い表す際に何度も使われてきた言葉です。にもかかわらず「○○ファースト」という中途半端な外来語の使い方で、「トゥギャザーする」みたいなルー語のような軽快感もなく、こうも簡単に「第一」を「ファースト」に置き換えていいのか、やはり第一が第一でないとと強く主張したいです。
 そもそも「○○ファースト」といったら私の中では「ソルジャー・ファースト」という綴りしかなく、優先対象を引き合いに出す言葉にするのは納得がいきません。何でもかんでも外来語を否定するつもりはなく私自身も崩した言葉を使いますが、この「〇〇ファースト」だけは先ほども言ったように日大をはじめ問題を起こした団体ほど繰り返して使う傾向があり、尚且つ文字の並びからしてぎこちなく、この言葉を使う連中は何か真意を隠して使うような気配すら覚えます。

 そのように見れば最初の記事も、外資系社員のいい面だけ取り上げて悪い面については一切目を瞑るような記事です。外資系には退職金もなければ社員旅行もなく、何より新卒育成なんか全くしない点もあり、必ずしも社員ファーストとは言い切れない点も多く、私に言わせれば普通の日本人は日系企業の方が多分幸せでしょう。逆に日系企業が肌に合わないっていう人には外資系の方が絶対的にいいと言い切れますが。

 ちなみに外資系の職場見ていて思うこととしては、怒鳴り声を一度も聞いたことがありません。個人的には怒号鳴り響く職場ほど日本語で言えば「アットホームな職場」とされるだけに、やっぱ外資系はこの点で違うなとか思います。

2018年8月12日日曜日

スミスキー


 先週末、友人とお好み焼き屋に行った後に立ち寄ったショッピングモール内の地下にて、上の怪しく光る影ことスミスキーを見つけました。

スミスキー公式サイト

 上の公式サイトを見てもらえばわかりますが、このスミスキーというのは日本の会社が売っている玩具の一種です。すみっこにいるのが大好きというキャラ付けをされているのですがその特徴は何といっても暗闇で光るという点で、上記の私の写真のようにはっきりとスマホのカメラでも捉えられるくらい光ります。


 こちらが明かりのある状態で撮った写真です。構図や撮影位置など弄っていませんが、如何に真っ暗闇で他の物が映らない中でどれだけ光るかがわかるかと思います。
 このスミスキーが何故か上海市内のシティスーパーで売っていたので、「隅っこで光る!」という特徴が何故かやたら私の胸を打ち、66元(約1120円)にも関わらずその場で衝動買いしました。なおレジに持って行ったところ店員が隣の同僚に、「またこれ売れたよ」と耳打ちしてました。


 なおスミスキーの周りを映したのが上の写真です。何故かユーロファイターもすぐ近くにいます。

2018年8月11日土曜日

東京医科大の受験料返還範囲について

東京医大の差別減点、受験料6万円を女子は取り返せる?弁護士にきいてみた(女子SPA)

 日大に続き一躍ニュースの顔となっている東京医科大ですが、上記の受験料返還に関する報道を見て私は違和感を覚えました。結論からいうと、「男子については?」という点にあまり言及されておらず、女性差別問題とはいえこれはこれでまたどうなのと思います。

 概要については省略しますが、今回発覚した東京医科大の不正入試問題は主に女性受験生が原典対象となっていることは事実であるものの、女性受験生だけでなく多浪した受験生も含まれています。またそもそも、一部の縁故者に対して加点も行われており、私からすれば入試そのものが不公平であったという点からみて、メインターゲットの女性に限らず多浪受験生も受験料の返還対象に加えるべきではないかと思います。にもかかわらず今回デモした団体は女性のみを返還対象として叫んでおり、女性団体だからという言い訳をされるかもしれませんが、私に言わせれば女性団体だからこそ公平に、試験の不公平性に対して正当な要求を行うべき、つまり不公平対象となった女性、多浪受験生両方の受験料返還を求めるべきではないかと覚えました。

 と、以上までも一つの考えですが、実際には違います。
 仮に受験前にこうした不公平な入試システムが行われると公表されていた場合、果たして受験生が東京医科大を受験したのかというと、恐らく男性を含め大半の受験生が受験しなかった可能性があります。そのように考えるなら、不正が行われていたと立証できる期間内において、合格した受験生を含めた全受験生に受験料を返還するべきなのが筋なのではないかと考えます。なんかこうした結論出す人が少なくて、私にとっては逆に意外でした。

 最後に、裏口入学したとされる逮捕された文化省幹部の息子についてですが、東京医科大側は「加点しなくてもギリギリ合格圏内だった」と庇っていますが、問題はそこではないでしょう。ではどこにあるのかですが、本人が認識してたか否かで、本当に知らず親が勝手に行った始末であったのであればまだ同情の余地がありますが、自分に加点されるということを知った上で受験して入学していたのであれば、今ここで社会的制裁を受けなければ非常に問題があると感じます。
 一部報道では、受験前のSNSでの発言や、浪人生でありながら東京医科大にしか受験していない点などから本人も不正を認識していたという節が報じられています。実際はどうなのかわかりませんし立証などもやや難しいでしょうが、合格得点とか持ち出す一方でこの不正の認識について少なくとも自分が見る限り誰も指摘していないのが逆に不気味です。その上で言えば、これらの点については自分の判断基準の方が理に適っているという自信があります。

信長の野望風プロフィール

 昨日の記事について当事者である友人から、「信長の野望は?」と言われたので掲載します。

花園祐(198X~???)
代々メディア業に携わる家に生まれ、長じてメディア業界を目指すも果たせず、各地を転戦する。流れ着いた上海市にて仕官し、日々業務の傍ら社会批評を行った。せんべいを好む。

 知ってる人には早いですが、これは信長の野望というゲームの中にある武将紹介文のパロディです。学生時代にこの手の歴史シミュレーションゲームで友人の名前使った武将作るたびにこういうの作ってて、割と得意です。例えば岐阜県出身のある友人なんか、

???
美濃出身の国人。甲子園の強い県を優遇する差別政策をとり、冷蔵庫が買えなかった。アムロを尊敬している。

 この友人は実際のこの紹介の通り、無駄に優秀で甲子園の都道府県別勝率とかも暗記しており、でもって初対面の相手の出身地の勝率が高ければやたらテンションを挙げ、低ければなんか露骨に冷たい態度取る奴でした。あと学生時代に冷蔵庫を持たず、ガンダムはファーストしか認めない原理主義者です。

 こうした信長の野望風紹介文を書くコツとしては、末尾にワンポイント知識みたいなのを入れるのと、やはり五・七・五調の中膨れ三段で書くのがいいでしょう。地味に日本語の形としては理想的な形なので、文章の練習とかでこうしたパロディやるのはありかもしれません。

 なお最後に私の経歴についてですが、書いてある通りに代々のメディア一家ですが、どっちかっていうと営業畑であり、実際に記事書いたりしたのは突然変異の私だけで、メディアの家系であってもライターの家系ではありません。自分の場合は本当に腕一本でここまでのし上がったところがあり、我ながら幸運に恵まれたという気はします。

2018年8月10日金曜日

おれはももんじゃ

 従来バージョンを切るということからスカイプを新バージョンに更新しましたが、通知音がダサくなったり、UI画面が悪くなったりとファッキンな改悪になりすこぶる不満です。ただ唯一良くなったという点として、その場の状況や近況を書くプロフィールの一言欄が前より編集しやすくなり、その時の気分に応じてこのところ、

どすこい

Wasshoi

マヌーサ

さまようよろい

ももんじゃ

 という風に頻繁に変えています。そしたらこれを見た友人が、

「折角だからJBpressのプロフィール欄も変えたら?(;・∀・)」
「えっ、JBpressのプロフィール欄を『ももんじゃ』に?(;゚Д゚)」

花園祐(JBpress)

 上のリンクが件の私のプロフィール欄ですが、現在の表示はこうなっています。

花園 祐
(はなぞの・ゆう)中国・上海在住のブロガー。かつては通信社の記者。好きな食べ物はせんべい、カレー、サンドイッチ。

 なお当初私が出したテキストは、「上海在住のブロガー。好きな食べ物はせんべい」だけで、「これじゃ短すぎる」と言われたので「カレー、サンドイッチ」を付け足しました。「かつては通信社の記者」は編集の方で追加してくれたテキストです。
 他のコラムニストは立派な経歴とかみんな書いているのに、何故か自分だけ好きな食べ物アピールしかしておらず、自分で言うのもなんですがやばい奴にしか見えないプロフィールです。これを仮に友人のアドバイスに従うとしたら、

花園 祐
(はなぞの・ゆう)ももんじゃ。

 ぶっちゃけ悪くない気がします。
 なお友人曰く、なにもももんじゃに変えろっていうわけじゃなく、このところしょっちゅうスカイプのこの表示欄を弄っているから、変身願望でもあるんじゃないかと思ってテキストを変えてみたらと薦めたそうです。

「つまり、俺はももんじゃに今なりたいと考えているのか……( ゚Д゚)」

 と言ったらそれも違うと否定されましたが、私自身としては内心、そうなのかもしれないと深く納得しています。なれるものなら一回くらいはももんじゃになってみたいです。
 ちなみにそのひとつ前の「さまようよろい」については、自分の人生がリアルにさまようよろいっぽいので、今更改めてなるまでもないかなと思い、ももんじゃほどの変身欲求は感じません。

2018年8月8日水曜日

自分の理解者

 高校生くらいの頃、流れ星が見えたわけじゃないですが星空に向かって、「理解者が欲しい」とリアルで祈ったことがあります。それくらい当時、自分は自分の理解者を強く求めていました。

 現在振り返ってみても、やはり当時の自分の周りには親兄弟を含め理解者は誰もいないと言ってもいい状態でした。中学、高校時代に私の周りにいた人は私の言動を見て「おかしな奴」というくらいの評価しかせず、実際に後年になって「変な人としか思わなかった。当時からそれだけ勉強していたとは知らなかった」と言われたこともありました。
 親兄弟もほぼそんな状態で、中でも今でも忘れないのが学生時代にうちのおふくろが、「(姉が)早くあんたも公務員目指せばいいのにって言ってたよ」と言ってきたことです。この言葉の背景にはおふくろ自身もそう思っているという意味が込められていますが、このブログを見ていればわかる通り、自分以上に反権力志向を持った人間なんてほぼいないくらいなテロリスト気質な自分に向かって言うセリフではなく、実際に当時から(今でも)公務員のことは「公僕」と呼んでいます。そんな自分に公務員を目指せなんて言うこと自体おかしく、作っているわけではなく、上記のセリフを言われた時は唖然として言葉が出ず、「ああ俺のことを何も理解してくれていないんだな」とはっきり悟りました。

 ただ、大学に入ってからは理解者に恵まれました。具体的には友人たちですが、ある日うそぶいて「世が世なら自分はとっくにどこかの知事をやってるだろう」と言ったら、「急拡大するか破滅するかのどっちかやな」とすぐにツッコミを入れてくれました。
 少し解説をすると、自分はそうでもないと思うのですがどうも周りからはおとなしそうな外見しているようで、親兄弟に限らず「如何にも公務員になりそうな顔やな」とか結構あちこちから言われてました。しかし実際の性格はむしろ真逆で、特にハイリスク・ハイリターンを好む山っ気が強いことが特徴であり、この点がよく真逆に現在進行形で誤解され続けています。上記のセリフを言った友人はまさにこの点を理解してくれていたからこそ「急拡大か破滅か」と評し、また進路についても、「君は絶対に公務員にはなってはならない。雇う側にも、君にとっても不幸な結果にしかならない」とまで言ってきました。

 この友人とはまた別の友人ですが、そちらも私のことをよく理解してくれていました。特に今でも忘れられないのが、「君の言うことや考えは正しいが世間はそれを理解しない。能力は高いのだからほんの少し君が妥協するだけで楽になるのだし、もっと抑えた方がいい」と、念仏の如く一時期言われ続けました。またそのほか、「僕自身は君のことを理解しているつもりだ。僕という理解者がいるだけではまだ満足できないのか?」と、20代後半で突っ張ってた時期にこうやって言葉をかけてくれました。
 正直に言って、この友人らは自分の親兄弟よりも自分のことをよく理解してくれていたと思います。同時に、最初に星空に願った自分の祈りは無事成就したのだと思え、上の友人のセリフを受けてからは、これ以上の理解者を求めるのは確かに贅沢だと思え、誤解する人に無理して理解してもらう必要はないという割り切りを持つに至りました。多分昔のままなら、自分の記事に就くヤフコメに対して一つ一つコメントを返して反論していたでしょう。

 なによりこの二人の友人はともに、「もっと自分の幸せを考えろ」と、自分に対してよく言ってきていました。この辺、当初私自身もピンとこなかったのですが、やはり今この段階で考えてみても自分のホスピタリティは異常者レベルと言っていいほど高く、どこか自分を投げ捨ててまで周囲に捧げようとするところがあります。
 その精神自体は崇高ではあるがやはり危険だと何度も友人から警告を受けながら現在に至っても直っていないのですが、大学在学中というかなり早い段階でこの点に気付いて私に警告してきたという点は最も早期に自分を理解してくれていたという証左でもあると考えています。だったら言われた通りにすりゃいいんですが。

  おまけ
 友人と共通の後輩の進路についてある日友人と話していたところ、友人がおもむろに、「彼は君に似て、生き方が不器用だからね」と口にしたことがありました。これ聞いた時最初、「こいつ、俺のことそんな風に思ってやがったのか……(゚Д゚;)」と思いましたが、すぐ「けど反論できない」ということに気が付き特に言い返したりしませんでしたが、ちょっとその夜は寂しさを感じました。

2018年8月7日火曜日

セールがやばい(;´・ω・)

 最近、中継ぎだった頃の藤川球児投手みたいに働き過ぎじゃんじゃないかと思います。普通に平日の仕事が忙しく先週はほぼずっと残業して土曜も出勤し、日曜は日曜で一日中グラフを書いて、昨日と今日は帰宅後に黙々と記事書いていました。その甲斐あってさっき出来上がった統計ものの記事は内容的にはかなり恐ろしいものに仕上がっています。

 仕事自体はやりがいもあるしストレスではないのですが、やはりこうやってバリバリ仕事しているとなんだか無性にお金使いたくなってきます。しかもJBpressの仕事は原稿一本ごとに原稿料が得られる(源泉徴収されるが)仕組みなので、記事を一つ書きあげたら「どうせお小遣いはいるんだし……」と思って、無駄にネットでゲームとか電子書籍を大してほしくもないのに買ってしまいます。
 とはいえ、最近はパワプロ2016で何故かオリックスの金子投手とマブダチになる(マイライフモード)など、娯楽がないわけじゃないから無駄遣いせずともと抑止力が働いていたのですが、何故かここにきて、やたらオンラインショップで安売り攻勢がかけられて欲望を刺激されています。

 プレイステーションネットワークでは夏休みということからVita用のゲームでセールが行われている真っ最中です。みると「閃乱カグラ」ってゲームが数百円で買えるので、今まで全く興味なかったけど、声優の原由実氏も出てるしこのままいくと来週あたり買ってそうです。
 またKindleから切り替えたDMMの電子書籍も、今月は半額分のポイントがつく、実質的に半額セールが展開されており、既にこのビッグウェーブに乗っかって「神々の山嶺」の漫画版を一気にそろえてしまいました。谷口ジローの漫画は「坊ちゃんの時代」や「孤独のグルメ」を過去に買っていたものの、こちらの「神々の山嶺」も非常に面白かったです。

 今バーッと見てますけど、前からちょこっと買っていた「へうげもの」を全巻揃えてしまいそうで怖いです。って、今みたら「サタノファニ」の6巻が昨日発売したのでさっそく購入することにします。
 なんかこう言うの書いているとさも上海で遊び歩いているように見えますが、ちゃんと普段は真面目に仕事していますし、こうやってブログもきちんと書いています。というよりも今ふと気が付きましたが、このところ毎日10時間以上はキーボード叩き続けています。前世はキーボードの妖精だったのかもしれません。いやでも昔から10時間以上は常に叩いているか。

2018年8月5日日曜日

統計に関する考え


 今日自宅で仕事(頼まれてもいない自動車統計記事執筆)しながら上のアイドルマスターの「待ち受けプリンス」聞いていたら、テンション上がり過ぎたのか猛烈な頭痛きてダウンしました。なおこの曲聞いて声優の原由実氏(四条貴音役)が好きになりました。

 話は本題に入って統計についてですが、ライターとしてみた場合、私はかなり統計データの処理に長けたライターに入ると思います。自分でも意識的に統計関連記事を書いていますが、やはりこれまでの同僚の中にはデータの収集や編集が苦手なことからあからさまにこうした記事を避ける傾向があり、どちらかと言えば経済記事でもインタビューを重視する記者の方が多かったです。
 私が何故統計に強くなったのかと言えば、一つはExcelの処理に長けていたことからそれほど苦手意識を持たなかったことと、学部生時代にこうした統計処理について専門ソフトを使った講義を受けるなどして訓練(と言っても初歩的)を受けていたからだと考えています。

 なお一部で、「統計学こそ最強の学問」と主張する人がいますが、統計学は手段であって学問としての目的や思想が全くないことからむしろ低い部類だと私は考えています。従って、最強はやはり社会学……とか言いたいですが、内心すげぇなと思うのはやっぱ天文学です。

 話は戻りますが中国だと統計をベースにした記事が非常に多く出るため、最近世界統計データを得ようとする場合は日本語よりも中国語で検索することが多いです。例えば新エネ車の世界販売台数なんて日本語じゃ全くヒットしませんが、中国語だったらすぐに整理されたデータを手に入れウェヒヒヒできます。これが何を意味するかというと、どうも統計方面の人材や考え方でもこのところ、中国に日本は抜かれつつあるのではないかとまたいつものジャパンバッシングになりそうなのでこの辺でやめておきます。

 ただ経済記事に限れば、先ほどにも述べた理由からか明らかに日系メディアは弱いと思うところがあります。だから私みたいなのが適当な統計出すだけで成立する記事を出せるのでありがたいっちゃありがたいのですが、この辺の教育とか最近はどうなってんのかなと思うところもあります。私に関しては一応統計処理について簡単に大学で学びましたが、その後の実際のExcel処理から分析、収集などはほぼ我流で磨けたものの、きちんとそういうのを教えられる人材が自分意外にいるのかとか気になります。特にメディアの中で。
 先ほどにも書いた通り、どうも日系経済メディアの記者たちは重要人物らへのインタビューを重視するような傾向があり、データ方面への意識が低いです。財務諸表すらきちんと読み取れない人も珍しくなく、メディア講座とかで教育機関がこの辺教えてあげるべきとも考えています。なお財務諸表の読み取りに関しては、自分はライターとしてはトップクラスです。

 もっとも、こう言いながらもこれまた先に述べた通り統計というのは手段であり、その統計からどんな結論や知見を見出せるかが一番重要なので、ただ統計処理ができる、グラフを作れる程度ではなんも意味がなく無価値もいいところです。分析が如何にできるかが重要で、地味に全く意味のないデータを無価値だと見抜く力なんか誰も言いませんが実は最も重要だと思います。真面目にそういう意味ないデータって少なくないし。
 繰り返しますが統計はあくまで手段であり目的でも思想でもありません。使いようによっては大きな武器になるのでできるに越したことはありませんが、「統計こそ最強」みたいに過大に強く見せようとする考えや動きには賛同できず、分をわきまえるべきでしょう。その上でこの統計の活用法なり処理方法、特に一般の方についてはその「読み取り方」についてもっと啓もうしてく必要があるのではというのが私の見方です。

炎天下のワーカー向けボランティア支援


 今日友人と上海市内を歩いていたところ、ショッピングモールなどの入口にコンビニなどでアイスを入れるような箱型の冷蔵庫があちこちに置かれてあるのを見かけました。中にはスポーツドリンクなどの飲料水が入っているのですがなんとこれ、友人によるとこれはボランティア団体が置いたもので、野外で警備、清掃、交通整理などを行う人たち(警官を含む)向けに無料で冷えた飲料水を提供しているとのことでした。

 冷蔵庫内の飲料水は上に挙げたワーカーであれば遠慮することなく無料で持って行けるそうです。また中の飲料水はボランティア団体が入れるほか、一般人も自分が購入したものをワーカーへの差し入れとして入れることが可能らしいです。
 この取り組みについて友人は、「多分、上海以外なら中の飲料水はすぐ持ち逃げされるし、下手すりゃ冷蔵庫ごと盗まれるけど、上海だったらさすがにそういうことは起こらない」と踏まえた上で、変わった取り組みだが世間、特に暑い中で作業する人たち向けの施策としてはいい内容なんじゃないかと話してました。私自身も同感で、ちょいちょい電気代とか気になってしまいますが、実際に炎天下で作業する人への支援としては面白いと思います。

 この会話の後に代わりとばかりに私が友人に話したのは、このところ日本で取り上げられる消防車や救急車へのクレームです。知ってる人には早いですが、このところ消防や救急隊員がコンビニなどに立ち寄ったところ、「業務中にサボっている」などと市役所などへクレームをつける輩が実際にいるそうです。
 こうした声に対して消防署などは、炎天下であり尚且つ食事をとる暇もないほど忙しいこともあるので、健康上の必要性からも上記車両で一般店舗に寄ることもあるが大目に見てほしいとわざわざ声明を出すことにもなったのですが、そもそも言いがかりとしか言いようのないクレームが出てくること自体おかしいことこの上ありません。むしろはっきり言えば、何故こんな気違いがえらそうに口聞いて、社会のために奮起している各隊員にケチ付けやがるんだとすら思います。しかもこう言うクレームをつける奴というのは、一人じゃなく全国で複数確認されているというのだから、一体いま日本で何が起きているのかとすら内心思えてもきます。


 上記サイトは友人が昨日教えてくれたサイトですが、なんとなくこういうのいるなぁというか、わざわざ気にしなくてもいいような粗を探して揚げ足をとろうっていう人間がこのところ日本で増えてきていると思います。それは匿名性の強いネットが発達したからだと言い切ることもできますが、なんとなく上記のクレームの件を見ていると、本当に原因はそれだけなのかと少し疑問に思え、言い換えれば、何か日本の社会で今変なことが起きているのではと疑っています。はっきり言えば、淘汰がないのではと見ています。

 もちろん中国にも気違いみたいな連中はいくらでもいますし真面目にこの未開部族どもめと田舎出身と思しき素行の悪い連中見て心の中で悪態つくこともないわけじゃないですが、なんとなく社会の世論や意見などを見ていて、このところの日本でびっくりするような声が耳に入ることが増えています。例の日大関係者やアマチュアボクシング関係者など、何故こうした人間がこれまで淘汰されてこなかったのか、何故変なことを言う人間がもうそんなことをわざわざ口に出そうと思わない蔵過去に痛い目に遭ってないのか、謎は深まるばかりです。

2018年8月1日水曜日

ジョーカー切り

 先日、購読している「かぐや様は告らせたい」という漫画の10巻が発売されてさっそく買って読んだところ、この巻から四条真紀というキャラクターが登場してきました。このキャラはそれまでも、セリフこそないものの背景にいるモブキャラとしてはずっと出てきており、いつか本編にも出てくるだろうと言われていたところ今回満を持して出てきたわけですが、やはり長らく温存されていただけあって非常に面白いキャラでした。このキャラが出てきたのを見て私は、「ああ、この作者はとうとうジョーカー(切り札)を切ったんだな」と思うと同時に、「俺もそろそろ切るか」と考えました。

かつて真夏の上海で日本軍と中国軍が突入した市街戦(JBpress)

 こうして出来上がったのが上の記事です。決して冗談ではなく「かぐや様」読んだから上の記事を出そうと決めました。

 内容はこのブログでも以前に取り上げた、第二次上海事変の解説です。何故この記事が私にとって切り札だったのかというと、

・前にブログで書いたから初めから知識があり、執筆準備が不要
・上海市内にいる日本人だったら確実に興味を持つ内容
・日本国内で取り上げられることが少なく知っている人が少ない

 上記の理由から、いつでも書けてそこそこ内容があるためネタ切れで苦しい時用に取っておきました。どうでもいいですがさっきから文字変換がおかしく、「こうして」と入れたら「孔子て」、「よんだ」といれたら「四だ」とか表示されてマジむかつきます。
 それで今回かぐや様に触発されて出したわけですが、今日のJBpressアクセスランキング上ではあんまり上の方に来ていません。っていうか、今日配信された記事多くね?

 そうした愚痴は置いといてこの記事について少し掘り下げると、そもそも何故この第二次上海事変が日本だとあまり取り上げられないのかという点について、敢えて記事内でははっきりとした言及を避けています。実際にJBpressの鶴岡編集長もこれまで知らなかったと話していたのですが、その返信として私はこう書きました。

「この第二次上海事変に続く南京攻略戦で南京大虐殺が発生しているため、意識的に第二次上海事変も話題に挙がるのを避けようとする傾向が強い」

 あまり取り上げられない理由は間違いなくこれだと私は考えています。そもそもその南京攻略戦ですが、上海防衛のために派遣した軍隊をそのまま大した準備なしに南京へ強行軍で進軍させており、そのため日本軍は食料にすら事欠く有様だったそうです。この辺りの過程を見ても、「命令違反であっても、功績を挙げればお咎めなし」という当時の軍部の気風が見て取れますが、そうした補給の追い付かない状況で兵や士官らが苛立っていたことも大虐殺の要因とする声もあります。
 とはいえ、私の友人のように地元上海人からすれば現地で市街戦を起こされたわけであり、片方の当事者である日本人が認知していないというのは確かに面白くないでしょう。極端な話、沖縄戦について米国人が「何も知らない」と言ってくるような感情じゃないかと思います。

 話は変わって毎度おなじみのヤフコメについてですが、内容が内容だけに予想していた通りあれこれ反発して私の人格批判も毎度ながらガンガンやられています。とはいえあまり胸に来るようなのは少なく、もっと面白いこと言ってほしいなと思う感情のが強いのですが、そうした記事内容への批判として、「中国軍」なのか「国民党軍」なのか、この表記について言及するコメントが多く来ています。
 実際に記事内には「中国軍」と「国民党軍」という二つの言葉が使われているのですが、これを見て、意図的か、意図的でないかをまず疑ったのかどうか、ここがポイントでしょう。無論言うまでもなく、これは意図的な記述で、次に何故この二つの言葉を混在させたのかという理由まで推察していたらパーフェクトだったでしょう。

 日本と戦った軍隊をどう呼ぶか、これを書くとき実はすごい悩みました。主に戦ったのは蒋介石率いる国民党の軍ですが、国民党の軍がすべて蒋介石傘下となるかとなると微妙で、また国民党以外の部隊も参加している可能性も高く、実際にドイツ軍関係者も蒋介石側についています。
 また歴史に詳しい人間ならともかく、そうでない読者からすると「国民党軍」が何を指すのかわからない恐れがあり、下手すれば中国の軍隊ですらないと考える可能性も懸念しました。そこで敢えて「国民党軍」という言葉を先に一回見せた上で、「中国軍」というレンジが広く連想しやすい言葉を使うことにしました。

 中には「この時代に中国は存在しない」等という輩もいましたが、既に蒋介石の北伐が済んでいたのと、そもそも「中華民国」自体はこれ以前に成立していたのと、国民党は孫文らの系譜を確実に引いていること、あと蒋介石ら国民党がこの前後の段階で中国の国権を代表して欧米各国と交渉しており、その後も中国を代表して日本軍と戦ったことを踏まえると、「中国軍」という表記も可能だろうという風に判断しました。
 またそうした時代背景以上に、現在の中国政府がこの第二次上海事変について「中国対日本の戦争の一つ」とはっきり捉えており、「国民党と日本の私闘」とみなしていない点も考慮しました。中国側はこの第二次上海事変を国と国との戦争と捉え、また日本側も当時において中国との戦争という風にはっきり認識しており、それが「中華民国」なのか「中華人民共和国」だろうがどちらも同じ「中国」、そして「China」と表記できることをもってしても、大きく事実関係から外れることはないという風に考え、敢えて二つの軍隊名を混在させたわけです。ここまで踏まえた上で自分を批判したのかどうか、要はそこだなと見ています。

 それと最初の話に戻りますが、やはりヤフコメを見ていると第二次上海事変の「前」に言及する人間が多く、やれ「通州事件について何故触れない」とかいう人がやたら多いですが、「後」に言及する人はやっぱりほとんどいません。理由は最初に述べた通りで、南京大虐殺の話に絡んでくるからでしょう。
 ただやっぱり目の肥えた読者もおり、やはりこの第二次上海事変で「終わりの見えない泥沼に入り込んだのは日本の失敗だった」という内容を述べる人が見受けられます。私自身も同感で、泥沼化の大きな一歩がこの第二次上海事変だと考えており、もしここで踏みとどまっていれば無用な戦争に巻き込まれずに済んだという見方をしているだけに、同じ意見が見られてほっとしました。

 このほか親類がまさにこの時の上海に従軍していたというコメントもあって、こうしたコメントが見られただけでもこの記事は出した甲斐があったでしょう。とはいえやはり近代戦争物を書くと感情論の言い合いが始まるのはあまり喜ばしくなく、この辺を今後どう封殺するか、何かいい手を考える必要もあるかもしれません。