2018年5月31日木曜日

日本の四番と涙のサヨナラ男





 今日はブログ書く気なかったけど、ニュース見て一気にやる気出ました。

DeNA・山下 劇打に涙「去年、すごくつらかったので…」

 今日横浜×楽天戦を見に行っていた人は正直うらやましいです。息詰まる投手戦の終盤、1点差でリードした楽天の岸投手が9回2アウトまできて完封まであと一人のところ、「日本の四番」こと筒香選手が値千金の同点ホームランを放ち試合を振り出しに戻すと、延長十回で途中出場の横浜の山下選手がサヨナラヒットで劇的な勝利をものにしました。
 動画を見てもらえば早いですが、今日1軍に上がってきたばかりだったとのことで積もるものもあったのかサヨナラを決めた山下選手は大泣きで、ネットのコメント見てると「こっちも泣けてくるわ( ;∀;)」という声が多く挙げられています。

 采配をズバリ的中させたラミレス監督もさることながら、本当に欲しいところでホームランを出す筒香選手には舌を巻くばかりです。実際、上の動画ですら、結果が分かっているからかもしれませんが打席に立つ筒香選手が恐ろしいことといったらなく、この土壇場だからこそ打ってしまいそうな迫力はまさに日本の四番に相応しいです。
 そしてその次の山下選手に関しても、あまり経歴は知らないのですがこの涙だけでどれだけ苦しい思いをしてきたのか人目でわかります。しょっちゅう泣いてばかりでもはや「泣き芸」の域に達している織田信成氏の涙には「また泣きやがって( ・´ー・`)」って感じで受け取ってしまいますが、この山下選手の涙にはやはり胸に来るものがあります。

 にしても去年といい、横浜はいい試合を作るなとつくづく思います。負けた楽天の側を慮ると申し訳ないですが、こういう試合を見せられると応援したくなるのが性というものです。

2018年5月30日水曜日

土地放棄に関する私見

 先日、実に3年ぶりに健康診断行ったら血糖値と悪玉コレステロールの値が基準値オーバーで注意されました。原因ははっきりわかっててコーラの飲み過ぎで、普通に2リットルペットボトルを二日に一本のペースで飲み続けていたせいな気がするのでこのところコーラ断ちしているのですが禁断症状やばいです(/・ω・)/
 なお今日、「たまにはいっか(´・ω・`)」と思ってまた砂糖たっぷりの清涼飲料水を飲んだ直後から頭痛起こして、やっぱやめないとと自覚しなおしました。ちなみにほかの値だと内臓年齢は18歳、体脂肪率は11.7%とか叩き出し、「マラソンでもやってるのですか?」と管理栄養士の人に言われました。でもって「たまに自転車で100キロ走る」と言ったら引かれました。

土地を放棄できる制度、政府が検討 要件・引受先議論へ(朝日新聞)

 個人的にこのところ一番目を引いたニュースというのが上の記事です。内容を簡単に書くと、すでに半分放棄しているような土地について地権者が望むのならばペナルティなしで放棄を認めっ区有地として収用することを検討しているそうです。現状の民法上でも「所有者のいない土地は国有地として収用できる」とは書いているものの、手続きなどについては一切全く整えられていないため今後法整備を行う必要があるとのことです。

 この方針については私も大賛成なのですが、恐らく実施するとなると必ず躓くことになると予想します。というのも地権者が放棄したくなる土地というのは往々にして、アパートなどと一建物こと上物があるからです。この上物処理についても同時に定めない限り、放棄要件が定まったとしても使われずに終わるでしょう。

 一部で既に報じられていますが、例えば都会に住んでいるのに父母が死んだあとの相続に困る田舎の実家と土地とか、親戚(相続者)は既に誰もおらず、本人も病院に移っているのに残っている家、あと建てたはいいけど誰も入居しなくなったアパートなどはどれも、不動産税だけが毎年かかりながら一切のキャッシュインフローを生まない負動産です。しかもこれらの負動産は売却しようにも買手が現れないことから売却もできないという、ドラクエ的に言えば「ふこうのかぶと」のような外すことすらできない呪いの武具みたいなもんです。

 こうした土地や建物は放棄年数が長ければ長いほどどんどん価値を落とし、事によっては火災や崩落すら起こして周辺建物にも損害を与える可能性すらあります。また犯罪の温床というか勝手に入り込む輩も現れることもあるだけに、所有者に放棄の意思があるならどんどん国や地方が収用して再活用するなりした方が絶対的にベターです。
 どうでもいいですが「ストップひばりくん」という漫画で「モアベター」というセリフを見てからこの「ベター」という表現を多用するようになりました。現代日本でこれほど使っているのは私くらいなものでしょう。

 話は戻りますがそういう意味で今回の政府の動きは歓迎したいところですが、内容をさっと見る限りだと収用するのは土地に限られているのではと読み取れます。つまり上物がある場合、上物を処分としなければ放棄要件を満たさない可能性があり、もしそのような要件としたら必ず失敗すると予言します。
 先にも書いた通りに負動産というのは基本、上物がある物件です。しかも所有者は放棄しようにも上物の処分費用すら払えない状態というのも少なくなく、この点を解決しない限りは土地だけ収用なんておいしい話が成立するわけありません。

 ではどうするべきか。私個人の意見で言えばどんだけ金かかってもいいからこの際、上物の処分費用を国が負担してでも土地収用を進めるべきでしょう。放棄者は処分費用の問題が解決されれば安心して負動産から解放されることになり、また収容した土地も、今後金になるかは別として二次災害などは確実に防げます。
 ただこの上でさらに提案をすると、上記のような上物処分費用の国負担は時限立法とするべきだと考えます。具体的には政策公布から2年程度を申請受付期間とし、この間に放棄申請した土地建物に限り処分費用を国負担とするというやり方です。

 何故こうするのかというと、人間の欲望かららすると、最初こそ放棄しようとは考えるものの「この土地は今は価値ないけど将来もしかしたら価値が上がるかもしれない」等と考えて実際申請するまでには躊躇し、下手すりゃ死ぬまで放棄しない可能性も否めません。こうした決断しきれない所有者たちのケツを叩くためにも、二年間だけ無料で建物を処分する申請を受け付け、それ以降は土地はともかく建物に関しては所有者負担で処分することを放棄の要件とすれば、応募する人も出てくると思います。
 場合によっては悪徳業者みたいですが受付開始から二年後に、「ご好評につきもう一年延長!」というのもアリです。要は収用できればそれでいいのだし、第一金払うのは国の側なんだからこれくらいはありでしょう。

 最後ちょっと気が早いですが、収容した土地はどこが持つのかについてですが、これはこの際地方に持たせた方がいいと考えています。費用は国持ちなのでやや不公平に感じるところもありますが、そもそも大半の税金を国が持ってくのだし、あと収容した土地の再活用も全部国が決めるというのも、恐らく収容する土地の規模はどれも広くなく点在していることを考えたら非現実的です。
 はっきり言って日本の地方自治体がこうしたチャンスをうまく活用できる能力があるとは思っていませんが、それでも一回くらいはボール投げてみて、やれるかどうか任せてみた方がいい気がします。ある意味それで地方を試せるところもありますし。

2018年5月29日火曜日

日大アメフト部の声明文について

 人知れず「五等分の花嫁」という現代のおそ松くんみたいなラブコメ漫画にはまっています。まぁおそ松くんというよりかは「七人のナナ」のが近いかもしれませんが、ダブルヒロイン作品は数あれどファイブヒロイン作品というのはまた凄いものを作者は作ってきたと思います。ちなみに自分は四葉推しです。

日大アメフト部が声明文 仲間救えず「私たちの責任はとても重い」「指示に盲目的に従って…」(スポニチ)

 話は本題に入りますが、一連の日大アメフト部の問題についてこれまでこのブログでは一切言及してきませんでした。理由は何故かというと世間の注目も高く議論される内容はほぼどこかしらで既に議論されており、自分にしか書けないと思うような内容もなければそういった必要性も感じず、ホットな話題だからと言って無理して追従する必要はないなと判断したためでした。
 なのに何故ここで取り上げようとしたのかというと、今日出た日大アメフト部員らによる本事件に対する声明文に強い違和感を覚えたとともに、元ブンヤ、と言っても今は自分の本業が分からない立場なのですが、報道関係者としての観点から見て多分自分にしか書けない内容がここにはあると感じたからです。結論から書く……と、ここで何故か例の「失敗した失敗した……」を急に思い出す自分の発想力にワオって感じします。

 仕切り直して結論から書くと、今回の声明文の致命的な部分は「今後どうするか」が何も書かれていない点です。「宮川君を守れなかった」と言っておきながら守るために今後どうするか何も書かれておらず、このまま放置するとしか読み取れないこんな声明文をよくも出せたものだと呆れるとともに、むしろこんな内容ならいっそ出さなかった方がよかったとすら思います。

 詳しく書いていくと、全体としてまず例の殺人タックルについて反省し、原因の一端が部員全体で監督やコーチを盲信し過ぎたと書いて社会に詫びています。その上で、

「今回の件が起こってから、私たちは、どうしてこのようなことになってしまったのか皆で悩みながら何度も話し合ってきましたが、まだ明確な答えが見つけられたわけではなく、これからも話し合いは続けていきたいと思います。」
「今後、具体的に何をしていかなければならないかについては、これから選手一同とことん話し合って決めていきたいと思います。」

 と書いてありますが、一言で言えば「馬鹿じゃねぇのかお前ら」と言いたくなるような言い方です。仮にこの声明文が殺人タックル事件が起きて数日以内に出されたというのであれば初期対応としての謝罪文ということで何も問題ないと思いますが、実際には現時点で既に何週間も経過しています。そもそもこういった事後対策なんてメーカーの生産ラインの不良対策じゃないんだし時間かけたからって内容がよくなるものでもなく、長く見積もっても一週間くらいかければ方向性を出す上では十分でしょう。本音では二、三日で十分だと考えますが。
 然るにこの声明文では、事件発生から何週間も経過しているにもかかわらず今後の具体的な対策や行動は何も書かれていません。二、三日もあれば今後の対策を作るなんて十分だというのに、これほど時間が経過しながら方向性すら出せないというのは、はっきり言えば対策や対応を考えて作ることが出来ない人間たちなんだなと私は判断します。言い返せは、自浄能力はないと言っているようにしか見えず、もはや自浄を期待することもできないでしょう。最初声明文を出すと聞いてまだ学生はまだまともなのかと当初思いましたが、こんなくだらない内容を平気で発表してのける辺り、早く廃部にしてしまった方が後々のためにもいいだろうとすら思います。

 また前述の通り、「宮川君を守れなかった」と言っておきながら今後彼を守るためにどうするかについても一切触れられておらず、事実上、「このまま彼を放置します」と言っているとしか受け取れない内容です。むしろ今回の事件の被害者である関学側の方が、加害選手に対する温情嘆願書を会見で呼び掛けたり、被害選手自身が「またアメフトをやろう」と伝えたりするなど、彼を守ろうとする姿勢も行動もしっかり備わっています。日大アメフト部も、「彼の嘆願書署名にご協力を」などといった一言でもこの声明文に入れればいいというのに、それすら入れないとは正直神経を疑います。

 このほか、以下の文章も目につきました。

「ただし、絶対に必要だと今思っていることは、対戦相手やアメリカンフットボールに関わる全ての人々に対する尊敬の念を忘れないこと、真の意味でのスポーツマンシップを理解して実践すること、グラウンドではもちろんのこと、日常生活の中でも恥ずかしくない責任ある行動を心がけるなど常にフェアプレイ精神を持ち続けることを全員が徹底することです。そのために何をしていく必要があるのか、皆様にご指導頂きながら、選手一人ひとりが自分自身に向き合って考え抜くとともに、チーム全体でよく話し合っていきたいと思います。」

 具体的には下線部のところですが、フェアプレイ精神なんて初めから持ってて当たり前で、改めて徹底するようなものではないと私には思います。というよりも現時点でも持ってないのであれば危ないからこういうスポーツをやるべきではないでしょう。
 百歩譲って今回の反則行為をやらかすなどこうしたフェアプレイ精神が乏しいと自覚したというのであれば、それを高めるために何をするかくらい書くべきです。手段なんていくらでもあるし、「話し合って」決めるようなレベルじゃありません。

 それこそ具体的に言えば、数ヶ月間奉仕活動に従事するとか、外部の倫理講習を受けるとか、過去に監督の指示のままに反則行為を行っていた選手には自主的に引退してもらうとか、今後どういう処分が科されるにしても最低一年間は絶対に対外試合を行わないとか、パワハラ相談窓口を設ける(あっても多分機能しないだろうが)とか、意識改革のため外部有識者を招くとか、話し合って決める時間はこれまでに十分あったはずでしょうに。
 中学生や高校生くらいならこう言った声明文でもまぁ仕方ないと私も思いますが、大学生がこんな低レベルな内容をオープンに出してしまうあたり、日大アメフト部の次元の低さを改めて見せられている気すらします。加害生徒を慮るなど関学側の対応は非常にしっかりしているだけに、好対照ぶりがはっきり見えるだけになおさらです。

 そもそも反省というのは言葉ではなく行動です。口先だけの反省には何も意味はないものの、日本は伝統的にその口先だけの反省で加害側も被害側も形式的に済ませようとしてしまう文化が根強いですが、行動が伴っていない反省など無に等しいです。
 今回の日大アメフト部のこの声明文では、実際に監督やコーチから反則の指示があったのかについて注目が集まっていましたが、私はそれ以上にこの期に及んで口先だけで反省を口にするこの態度に呆れました。これならもっと時間をかけてでもやること決めてからきちんと声明を出せばいいというのに、「とりあえず反省したと言っておこう。宮川君については同情するが放置だ」とわざわざ発表するなんて……この際自分の言葉で言えばこいつらに自我があるとは思えないし、だから反則指示だって何も考えずに実行するし、今後も何も考えず周りに言われるまま適当な対策やったふりして何も変わらないだろうという結末すら覚えます。

 日大アメフト部員についてはこれまでやや同情的にも見ていましたが、この声明文で一気に見る目が変わりました。もう絶対こういう危険なスポーツはやるべきではないだろうし、彼らの意向に関わらず何が何でも早く廃部させるべきでしょう。

2018年5月27日日曜日

でかすぎ(´・ω・`)

左から「J-20」、「J-31」、「タイフーン」、「MiG-29」、「F-16」 
(全長:20.3m、16.8m、15.9m、17.3m、15.0m)

 前に書いた「でかっ」って記事で、中国の自称ステルス戦闘機J-20がやたらでかいということを、他の機種のプラモと比較して紹介しました。上の写真は今月、新たに我が家で生産した「J-31」をさらに加えた物です。
 それにしても改めて見るとタイフーンのがMiG-29より短いんだね。前のJBpressの記事に「ミグみたいなちっさい飛行機をJ-20との大きさ比較に使うのは不適当だ」とか抜かす奴いたけど、タイフーンより長いし、あと世界のベストセラー機はさらにちっさいF-16であることを考慮すると、決して不適当とは思わないというか、基準のはっきりしない批判だなと思います。

 J-20については上の写真からも見てわかる通りに、世界の主要機種と比べてもその大きさはやはり群を抜いています。ただ、ベースというかコピー元のF-22の全長も19.6mと大きく、J-20がでかいというよりかはF-22がでかかったせいと考えるべきです。

J-20とJ-31の比較 

改めてJ-31 

 言っては何ですが作っててJ-31は割かし楽しかったです。如何にもというべきオーソドックスな形していて、バランスの良さを感じます。ちなみにウエポンラックは機体本体の腹の中に収納されており、このトランペッターのキットでは収納部も再現されてて、開いた状態にすることも可能です(J-20も同じ構造だが再現はされてない)。まぁ開いたまんまだと内臓飛び出ているような感じするので、私は接着剤で固めて閉じちゃいましたが。
 なおキットの良さで言えばJ-20に軍配を挙げます。作っている最中はその構造に終始驚かされましたが、出来上がってみると初めから真っ黒ボディで見栄えが良く、また尻尾の先のエンジンノズル用に銀色したデカール(シール)が付けられてて、これだけでも見栄えがかなり変わります。

 と、期待の新星J-31についてつらつら語ってきましたが、今日の主役はこいつじゃありません。


 上の写真は2週間前に作ったSu-34ことフルバックです。名称こそ違えど、ロシアが誇るSu-27ことフランカーの姉妹機の一つで、細部に違いこそあれど基本設計や大きさは同じで、シートが複座になってるところが異なっていますが、普通にこっちもフランカーと呼んでも差し支えないと思います。
 このフランカーについても以前、同時期に開発されたMiG-29とのあまりの待遇の差、具体的にはMiG-29がフランカーに比べダメな子扱いされた経緯を書いた上でこいつのことをでかいのに機敏に飛ぶことから「動けるジャイアン」と書き、ミグをいじめる悪者のように紹介しました。

 しかしあの記事書いた後、その最大の特徴ともいえるコックピット周辺の盛り上がったくびれなどが段々格好良く思えてき、なんかミグに浮気している気もしましたが結局こっちも買って作ってみました。結論から言うと、買ってよかったです。いろいろ気づけたし……。


 改めて、最初の比較写真にフランカーを追加したのがこちらの画像です。見て分かる通り、でかいでかい言ってきたJ-20よりもさらに二周りくらい行くでかさです。スペック表によるとこのSu-34の全長は23.4mで、大本のSu-27は21.9mなのでベースからはややでかくなったという計算になりますが、これは後部のスラスターの間にある謎の尻尾こと後方レーダーが延長したためで、機体本体自体はさほど変わってないと考えられます。
 なおコックピット周辺のくびれともども、この長く伸びた尻尾もフランカーシリーズの代表的特徴です。艦載機のSu-33ことシーフランカーは搭載スペースのためか、ハムスターみたくちっちゃくなってますが。

 MiG-29、Su-34、J-20の比較

手前が MiG-29、奥がSu-34 (なんか遠近おかしい)

上の構図を正面から撮ったもの 

 写真を見ればわかる通り、フランカーはめちゃくちゃでかいです。機体全体はもとよりノーズ、翼、武装のどれもが他の戦闘機を凌駕しており、でかすぎるせいかカメラのフレームにうまく収まらず、写真撮るのに結構苦労しました。

手前がF-16、奥がSu-34(これも遠近おかしい)

 仮に自分がF-16とかミグに乗ってフランカーと空で遭遇した場合、まず相手に強い恐怖を感じ、逃げ出したくなると思います。そう思うくらい機体のサイズでフランカーは他を大きく突き放しており、それでいて機動性に関してはミグ以上、っていうか現時点でも世界トップというくらい機敏に飛び回れると言われ、反則としか思えない機体です。

 先ほどにも挙げたコックピット周辺のくびれについてよくネット上でフランカーは「エロい」と表現されており、なんとなく言いたいこともわかるし自分もそれにつられてプラモ組んでみたところがあります。しかし写真で見るのと実際作るのでは違うというかやっとわかったというか、そのあまりのでかさから作る前に持っていたワクワク感というかカッコよさを追い求める心は組み上がった後には一気に吹っ飛び、「なんなのこのでかさ……(;´Д`)」という、恐怖心のような距離感を覚えました。
 敢えて女性に例えるとしたら、MiG-29は「如何にも普通っぽくありながらきちんと自立した個性もあるかわいらしい女の子」だと感じるのに対しフランカーの方は、「美人でグラマーなんだけど体のあちこちでかすぎて逆に引いてしまう金髪の欧米人」のようなイメージを持ちます。

 一応言っておくと、現代戦闘機のサイズとしてはやはりタイフーンとかMiG-29くらいのサイズが一番多く、これらを中型機として取り扱うのが適切だと私は考えます。その点からすればJ-20はやはり大きなサイズの機体だと言えますが、フランカーシリーズに関してはどれももはや規格外と言いたくなるサイズで、大型機に含むかどうかじゃなく別枠としてみるべきというか次元の違う存在のようにすら感じます。っていうかでかすぎてプラモの置き場所にも困るくらいだし。冷蔵庫の上ももう満杯だよ( ゚Д゚)

 作る前まではそのフォルムの美しさから浮気しかけましたが、やっぱり自分にとってのベスト戦闘機はMiG-29であることが再確認出来ました。やはり写真とかスペック表だけだと全然イメージできませんが、プラモで作ってみるとこの辺の大きさの感覚は非常につかみやすく、いろいろ作ってみてよかったと思います。

 前に書いたJBpressの記事にも今日写真に出したプラモとか出していますが、内心この記事は軍事評論記事において結構革命的だったんじゃないかと後から思えてきました。模型とはいえ、異なる戦闘機の機種を同じフレームに並べで表示(現実にはまず不可能)することでその違いを比較しやすく、また構図も自由に選べるだけに、実機の画像ではできない解説や紹介もできるようになると思えます。CGとかでもできなくはないですが、それよりもやはり模型の方がメリットが多いでしょう。
 なるべくミリタリーに興味を持っていない層向けとしてこうした試みというか暴挙をやらかしましたが、ライト層への解説という意味では模型の使用は悪くない手段だと思います。おかげというかアクセスは割と好調なようで、個人的にも自信を取り戻すいいきっかけになりました。

 ある程度現代で主要な機種は今回のSu-34の生産でカバーできたため、プラモづくりは新たな連休が来るまでは一旦ストップする予定です。まだ情熱が残っていたら、今度作るとしたら単発クローズデルタという割と変わった造形しているJ-10辺りを考えてますが。

2018年5月26日土曜日

彼が心理学部を志望した理由

 先日の日本帰国中、何度かこのブログでも紹介している世話している中国人と会ってきました。彼は二年半の日本での語学留学を経て、今年四月から関西の某私大の心理系学部への進学を果たしており、関西によることもあって現状確認も兼ね、あと集合場所近くに住んでいる後輩とも会うため大阪へ行ってきました。

 私と中国人と後輩の三人で一緒に夕食を食べましたが、中国人と後輩が会うのはこれが初めてでした。初対面ということもあって後輩は中国人にいろいろ質問しており、「一体なんで心理学部を選んだの?」と志望理由も尋ねたのですが、

「これまで何人も女性から振られて、傷ついた自分の心を癒したかったから( ・ω・) 」
「自分の心を癒すためかよっΣ(゚д゚;)」
「ついでにほかの人の心も癒そうと思っています( ・ω・) 」
「ほかの人はついでかよっΣ(゚д゚;)」

 という、衝撃的な志望理由が明かされました。っていうか俺も知らんかったし。
 ただ心理系学部の学生とはこれまで何人も会ってきましたが、大抵は「人間の心理メカニズムに興味があるため」とか、「相手の心理を読んでより理解できるようになるため」などと如何にも教科書っぽい志望理由しか聞いたことがなく、まさか「自らを癒すため」、しかもその原因が「女に振られ続けてきたから」という志望理由は私にとっても結構衝撃でした。

 基本、志望理由とか動機の類はストレートであればあるほど私は評価します。仕事を選ぶ理由も金のためとか楽な仕事だからとか、そういった理由をオープンに語る人ほど信用できるし頼りがいもあり、逆にまどろっこしい理由を挙げる人に限ってあまり期待できないという傾向があるとすら考えています。まぁ実際に志望理由を「生活する金のため」と書いたら私の場合は落とされましたが。

 そういう意味で上記の中国人の回答は面白いと思うし、見所あるなとすら思っています。後輩もこの一言を評価しており、「それ絶対、就職の面接とかでアピールした方がいい。マジ面白い(゜∀゜)」と勧めていました。
 なおこの会合の後、中国人はそのままアルバイト先へ直行し、私はというと後輩の案内する銭湯でひとっ風呂浴びてから漫画喫茶で一泊しました。その後輩からは別れ際、「花園さん、荷物それだけっすか?」と、ナップザック一つで約一週間の日本滞在にやってきた私の姿を指摘してきました。後輩曰く、「東京出張でもあり得ない軽装ですよそれ」だそうです。

2018年5月25日金曜日

眠たくならない車を作るには

 前にネットで、大学の授業中に居眠りする学生が多いので室内の空気を測定すると、ちょうどいい感じにCO2が居眠りを誘うくらいの濃度になっていることが分かり、授業中の換気の必要性に触れた話を見かけました。私自身もすごく納得するというか、閉じた空間に集団が入るとその吐息からCO2濃度が上がって眠たくなるのはどこでもよくあり、冬場は多少寒くてもたまに空気を入れ替えないとオフィスとかでも眠くなり効率が落ちる要因になると思います。
 ただこうした現象は学校やオフィス以上に、一番短だと言える現場はやはり車の中だと思います。エアコンなどで換気は行われているものの、それでもCO2が溜まってしまうがゆえに運転中などはどうしても眠気を誘われることになってしまいがちです。ある意味、「運転してても眠たくならない車」を作れたら、それだけでもアピールポイントになるのではないかと思え、先日うちの名古屋に左遷され会社員生活を終えた親父とともにどんなプランがあるか話し合いました。

1、酸素インフレーターを搭載
 最も現実的な方法としてはやはりこれで、酸素を発生もしくは合成する装置を車載装置として取り付け、社内の空気のO2濃度を高めるというやり方です。現在でも携帯用酸素など眠気防止用として売られており、適度な濃度の酸素の吸入は脳を覚醒させる上では非常に効果的であるということは、元ガス屋の立場からも断言できます。どうでもいいですが高圧ガス主任者一級の資格持ってるけどどう使えばいいかいまだにわかりません。

2、運転中にドキッとさせる
 うとうとしている時になにかドキッとすれば意外と一瞬で覚醒するのではと考え、そこに一体どんな方法があるのかとしばし考えたところ、「ドアミラーやバックミラーに、たまに幽霊とか妖怪が映り込むってのはどうだろうか?」と私が提案しました。具体的には血まみれの女性とか口だけのよくわからない化物とか、そういうのが一定時間ごとにヒュっとミラーに映るような仕組みです。まぁ驚かし過ぎて、事故誘発させるかもしれませんが。

3、窓を開ける
 っていうか普通に窓開けて換気すればいいんじゃねっていう結論です。これを言ったら元も子もないのですが。

 ちなみに2番絡みの話ですが、日本滞在中に「コープスパーティ ブラッドドライブ」というゲームを空き時間に少し遊びました。これより前の「コープスパーティ ブラッドカバーリピティッドフィアー」というゲームは既に遊んでおり、その続編に阿当たる「ブックオブシャドウズ」とともに「ブラッドドライブ」が以前安売りされていたので買っておいたのですが、いかんせん技術力のない開発メーカーなだけにローディングは多いわバグは多いわで、内心あまり評価していません。声優にミンゴスとはらみーが出てるから買ったようなもんです。

 そんな「ブラッドドライブ」ですが、序盤に死体がゴロゴロ転がっている異世界の小学校校舎で、顔面をかんなにかけたような女子高生に追っかけられるのですが、捕まれば即ゲームオーバーかなと思ってバッドエンド(ゲーム内では「Wrong End」、または「どすこいエンド」)を埋めるためにわざと逃げずに女子高生の前立ったところ、一発ではゲームオーバーにはならず右手でゴツンと殴られました。
 多分そのまま殴られ続けたらゲームオーバーになったのでしょうが、結構鈍い音ともに予想外に殴られたため、「なんやこいつ、殴りよったで(# ゚Д゚)ムッカー」と変にむかっ腹が立ちました。このゲームやっててもちっとも怖くないのはきっと、こういうところにあるんだと思います。っていうかゲーム起動直後に「トロフィーを準備中」とかいう謎のテキスト出すのはまずやめてもらいたいものです。

2018年5月23日水曜日

プラモ記事の裏側

中国の最新ステルス機の形状、プラモで検証してみた(JBpress)

 これまでJBpress向け記事の取材で風呂入ったりザリガニ食ったりしましたが、今回のこの記事ほどやらかしたという思いのする記事はありません。具体的に言うと、自分の作ったプラモをどう載せるかというコンセプトで記事を書き始めた自分の発想の仕方はいろいろおかしいです。
 内容は読んでもらえばわかりますが、中国の戦闘機開発の歴史とステルス機の特徴について、以前にもこのブログで写真をアップしたJ-20のプラモと、こちらまだ出していないJ-31のプラモの写真を載せながら解説しています。下の写真は掲載版には使わなかった写真です。



 これはカメラを固定した定点撮影で、二機の比較としてはいい構図なのですが、いかんせん他にもグラフや写真をたくさん掲載しているため使えませんでした。まぁ見ての通り、相変わらずJ-20がでかいことが分かります。

 なお今回使った写真は記事執筆前に、「こんな記事書いていい?」と編集部に相談したところ、背景は白地だと構造が分かりやすいというアドバイスを受け、それに従う形で撮影しています。元々、自宅の壁の一部は漆喰が塗られているため最初から白地であったというのは良かったのですが、プラモを載せる台はベージュしかなく、何か白い敷物敷けば何とかなると思ってあれこれ探したところ見つからなかったため、自分の肌着をテーブルの上に敷いて撮影したのが上の写真です。
 一応言っときますが、着ていた肌着をいきなり脱ぎだして敷いたわけではなく、ちゃんと洗濯して畳んどいた奴を使い、滑らかな平面を出すためにわざわざアイロンまでかけました。ぶっちゃけアイロンかけている最中、「俺は今、何をやっているんだろうか」と自問自答しましたが。

 写真の秘密もばらしたので、引き続きこの記事に至った経緯について書いてきます。まず2週間前に中国のおもちゃ市場について書いた記事もアップされてますが、当初はプラモの写真を中国のおもちゃの例としてこの記事に使う予定でした。しかし記事にプラモを絡めようにも中国プラモ市場に関する現地報道や分析はほぼなかったほか、日本のプラモメーカーも中国市場単体の業績は公開しておらず、書きようがなかったため一旦は見送りました。
 その後、「戦闘機のプラモなんだし戦闘機ネタでいいか」と開き直り、編集部も承諾してくれたので一気に書くこととしましたが、よくこんな提案を編集部も受け入れてくれたものだと感謝しきりです。

 ただ書くことが決まってリサーチはそんなに苦労することなく済んだものの、ややスランプ気味だったのか執筆面では苦労しました。そもそも前回のおもちゃ市場の記事は、恐らく自分にとっては初めて、掲載当日のランキングでトップテン入りしなかった記事となるなど、5月上旬はこのところの疲労のせいか文章が悪くなっていたように思います。
 そのため、今回の記事も一旦書き上げて編集部に出しはしたのですが、翌日に改めて読んでみるとひどい体裁で、内容も理解し辛い上に自分で書いててポイントが分からないという駄文であったことに気が付きました。結局、またもう一日フルに使ってほぼ全編にわたって書き直すこととなったものの、苦労しただけ幾分マシになり、またそれ以降からこのブログの文章もよくなり始め、やはり当時はスランプにあったと改めて自覚させられました。
 そうした苦労が実ってか、今回の記事では現在のところランキングは1位です。正直うれしいよりも今回に限ってはホッとします。

 続いて記事内容に関してですが、割と徹頭徹尾シンプルに、且つ中立的に書くことを意識してまとめてあります。ふざけた部分はJ-20を見てサイコガンダムを連想したって言ってるところくらいでしょう。
 Yahooのコメントを見ていると「こんな当たり前/みんな知ってる情報ばかり書きやがって」と書いている人がいますが、正直に言えば、こうしたコメントを見るにつけまだまだ自分の需要があるなと思え安心すらします。というのも、軍事や歴史の記事は専門的に書かれることが多く、造詣の深いもの以外だと理解し辛い傾向があり、今回の私の記事はその点を逆に突くことを意識していたからです。

 前にも似たようなことを書いていますが、この手のジャンルの記事は「素人が口出しするな」と言わんばかりに専門用語を羅列したり、一部の主張を強く取り上げたりするなど初心者お断りな内容が非常に多いです。しかし初心者からすると間口で門前払いされては理解のしようがなく、興味があっても知ることが出来ない状態にあり、だからこそ素人目線で分かりやすい軍事関連記事も需要があるはずだと考えて今回の記事の構成を練っています。
 具体的にはRCS(レーダー反射断面積)等という専門用語は一切使わず、中国の戦闘機はどう開発されてきたのかと、現在運用されている戦闘機はどんな種類なのか。そして最後に戦闘機の形状をプラモを見せながら素人っぽく感想を述べるという構造にしてあり、ある意味「サイコガンダムみたい」と書いたのも印象を誘導させる思惑があります。

 ヤフコメを見ていると一部の人たちはきちんと理解しているようでしたが、日本の防空を考える上でこの記事の中で重要な情報は、「中国の艦載機はJ-15ことシーフランカー」、そして「2000年以降に中国は次々と、パクリとはいえ新規戦闘機を開発、就航、運用させている」という情報でしょう。けどこれらの点は見る人が見ればわかることなので敢えて詳しくは指摘したり語ったりはせず、まずは興味と印象を残させるような文章を意識して書いています。
 コメントを見ている限りだと、割とこの目論見は当たったかなと思います。

 最後に、改めて今回戦闘機プラモの写真撮ってて感じたこととしては、やはり実機と比べるとどんな角度からも写真が撮れるため、構造解説記事とかで映える画像が作れるなと感じました。特に複数機種の戦闘機の大きさを比べる場合、そもそも実機では並べて撮影すること自体がほぼ不可能であることを考えると、プラモを使って見せるのはなかなかに効果的です。
 前にJ-20の写真をこのブログに載せた際も、知人を中心に「わかりやすい」、「見やすい」などと評価してくれる意見が多く来ましたが、ミリタリー記事にプラモ使うというのは一見暴挙に見えつつも、単純にわかりやすい記事を書くという観点では間違った選択ではないと実感します。

  おまけ
 今回、「J-20がでかいだなんて、フランカーのがもっとずっとでかいじゃねぇか!」という批判が来るだろうと、でもって真正面から殴られる覚悟で記事を出したのですが、意外にもこうした批判は全く来ませんでした。J-20がでかいことを強調するためにあえてフランカーの大きさには目を瞑ったのですが、この辺についてはまた今度解説します。

2018年5月22日火曜日

LCCの乗客レベル

 また昨日まで約一週間ほど日本に入国して関西、東海地域を回っていました。ちなみに1日目は普通に高槻の漫画喫茶で一晩明かしましたが、なんか漫画喫茶の方がよく寝れるような気がします。あと読もうと思っていた「兎―野生の闘牌」が間に抜けてる巻があって結局また読めませんでした。

 話は本題に入りますが今回個人的に印象に残ったのはケイスケホンダ的に、使用した春秋航空の乗客でした。春秋航空と言えば格安航空会社ことLCCとして、ごく初期から日本で実際に運営されている中国上海市を本拠とする航空会社です。特にこだわりなく、料金が比較的安く(極端にではなく)且つ往復でなるべく同じ航空会社にしようと思ったことからこの春秋航空を選びましたが、結論から言えば今後利用することは多分ないと思います。このように考えるようになったのも、航空会社のサービスはともかく乗客のレベルが極端に低いと感じたからです。

 往路便、復路便ともにあまりいい思い出がないのですが、やはりLCCということもあって乗客は比較的若い中国人客が主でした。これまで私は日本と中国の往復において東方航空とデルタ航空をややメインに、あと安い時にはANAやJAL、そして去年は同じくLCCのピーチエアラインを利用してきましたが、これら比べると春秋航空の乗客の質は目を覆うくらいひどいものでした。
 なおピーチもLCCということもあって乗客は若い中国人ばかりでしたが、使用した便は深夜1時半出発の便であったことから乗客は基本くたくたで、離陸と同時に合宿みたくみんなして一斉に寝るため搭乗中に不快感を覚えることはありませんでした。

 話は戻りますが春秋航空の乗客がどれだけひどかったのか具体例を挙げると、

・無意味に机や椅子を音を鳴らして叩き出す
・離陸・降下中にも関わらず立ち上がる
・大声でしゃべりだす
・意味もなく通路をうろつく
・食べカスを通路に吐き出す
・搭乗の際に大きな荷物を抱え既に着席している乗客にガンガンぶつけてくる

 ざっと挙げればこんなもんです。同じ中国の航空会社である東方航空や中国国際航空(エアチャイナ)の乗客と比べてもその質の差は歴然で、これまで中国便で感じなかった不快感を今回激しく感じて、多少値段が高くなってもこういった飛行機には乗りたくないと感じたほどでした。
 何故これほど差が出たのかというとはっきり言えば料金価格の差で、価格が安いことから所得が低く、あと地方の田舎出身の若い中国人が多く登場したからではないかと思います。といっても食べカス吐いたのは年配のおっさんだったが。

 中国の事情を知っている人には早いですが、その都市部と田舎の人としての差は非常に大きく、上海市などの大都市の住民は非常に洗練されているのに対して田舎出身者はあらゆる面で問題のある行動をとることが多いです。なおツッコミの激しい後輩によると、中国国内でも大都市同士をつなぐ便は多くないが、地方都市とつながっている便だとやはり問題のある乗客が増えるそうです。
 こうした事情は中国人当人ですらよく自覚しており、特に上海市の住民などは田舎出身者だとわかると露骨に態度を悪くするなど差別感をはっきり出すほどで、凄い人になると、「中国人の九割はこの世にいなくていい人たちなの」と日本人ですらドン引きする発言する人すらいました。

 しかし現実にこういった粗暴な中国の田舎出身者を見てしまうと、恐らく私に限らずともいくらかの差別感情を日本人も持つと思いますし、現実に今日本で中国人旅行者をよく思わない人たちはこういった人たちを見ているのではないかと思います。先にも書いた通りに大都市の中国人はマナー面でも非常に洗練されてきているので、個人的には「中国人」とひとくくりで見ない方がベターだと考えますが。

 それにしても今回はLCCの価格に対するそのデメリットを初めてはっきりと認識しました。以前ほど金に困ってないし、あと日中往復便の数はこの一、二年くらいでまたさらに増えてどこの航空会社でも安くなってきているので、今後はもっとしっかりした航空会社を選ぼうと思います。
 なお個人的におすすめなのは、多少高くなりますがデルタ航空です。JALとかANAよりずっとサービスいいし、機体設備もグッドです。地味に東京―上海便だと滞在時間が長く取れる離発着時間ってのも見逃せません。

2018年5月19日土曜日

Vivaldi最強伝説!

 かつて、「Opera最強伝説」という言葉がありました……。

 現在でこそどのブラウザにも当たり前についている機能に「タブブラウザ」がありますが、この機能は北欧初のウェブブラウザことOperaにて初めて実装されたものでした。私は学生時代、「他の人間と同じものを使うなんてありえない」などと盗んだバイクで走りだしそうな自分だったこともあって、なんか特徴的なブラウザを使いたいと思って探した際に見つけ、その機能と凄まじい速さに驚嘆しました。
 それ以降、私はOperaのヘビーユーザーとなり、自宅にきた友人にマウスジェスチャーでタブを閉じては開いて切り替える動作を見せては驚かせたりして、いい時代をOperaとともに過ごしました。ちなみに新聞社にいた頃も、会社のパソコンに勝手にインストールして、ITメディア出身の同僚に、「なんでOpera入ってんの?」と無駄にビビらせてました。

 しかしそんな蜜月時代もあっという間でした。Operaのバージョンが10.00になったあたりから不具合が続出し始め、また単純な機能にすら不安を覚えるようになり、大体このころから最新版ではなく9.0番台を使っていました。しかしOSの切り替えなどで古いバージョンもとうとう使えなくなり、仕方なく最新版をインストールしたら以前よりもさらにもっと激しく悪くなっており、完全に表示することが出来ないサイトすら出ました。
 確かこのブログソフトのBlogger自体も、編集画面が開けなかったです。最低限の能力すら持たない、はっきり言って欠陥品もいいところでした。仕方なく、それ以降はFireFoxを使うようになり、現在はVPNの関係からChromeを使っています。

 上記のOperaの不具合ですが、どうも創立者がまさに問題が起こり始めた10.00のあたりで退社していたことが原因だったようです。実際、10.00以前と以後で全く違うブラウザと言ってもいいくらい内容が変わっていました。
 そしてその創立者ですが、有志と組んで新たなブラウザを作っているとのうわさをある日聞きました。そしてそのブラウザの名は、Vivaldiです。

 私は上記のうわさを聞いた際に開発中のバージョンをダウンロードして使ってみましたが、中国だと検閲回避のためにVPNを、そしてVPNをつかうためにはChromeを使う必要があるため、ちょっと見ただけで本格的に使うことはありませんでした。とはいえ、やはり懐かしさを覚えるブラウザであったのは印象に残っています。

 何故こんな話をするのかというと、実は会社のパソコンでも作業用にFireFoxを入れていたのですが、どうもOSをアップデートしてから中国のアクセス制限が原因でしょうが不具合が起こり始め、まともに使えないのでエクスプローラーで代用していたのですが、やはり使い勝手が悪く、何か代替先はないかと考えた際に上記のVivaldiを思い出しました。既に正式版が出ていたので早速ダウンロードして使いましたが、明らかに早いです
 日本で使った時はそれほど感じなかったものの、アクセス制限で日本語サイトの表示が遅い中国だとその速さは歴然で、また画面も相変わらずシンプルですこぶる見やすく、設定もシンプルで調整しやすいです。そして何より、マウスジェスチャーも使え、懐かしさがこみ上げてきます。

 恐らくこのまま会社のパソコンではVivaldiを使い続けると思います。そして再び、「Vivaldi最強伝説」が始まると確信しています。っていうかVPNの障害なければ自宅でも使いたい……。

2018年5月17日木曜日

本願寺の東西分裂の背景

 また電子書籍で先月ドラマ化したからでしょうが「はんなりギロリの頼子さん(半ギロ)」の1巻が無料配信しており読んでみましたが、「ああ、京都人あるあるやな」と思い、多分この本読んでる人の大半は京都の人だろうとニュータイプ的な直感を感じました。内容的には京都に住みながらスライダーの練習したこともあるのでそこそこ馴染みのあるものが多かったのですが、「京都の人はみんな、増えすぎたり飼えなくなった金魚や亀を東本願寺のお堀に逃がしたことがある」というエピソードはこれまで知らず、新鮮に読めました。
 なお京都人は上記行為について「捨てた」とは絶対言わないとのことで、まぁそうだろうなと納得します。

 さて京都の人にすれば当たり前ですが、本願寺と言ったら現代の阪神タイガースファンに相当するような、戦国時代における一向一揆の総本山なアレです。その本願寺ですが先ほど「東本願寺」と言いましたが、光ある所に影があるように東があるからには西もあり、実際に「西本願寺」は存在します。っていうか東本願寺のすぐ隣です。
 すぐ隣にあるのだしどっちも同じ本願寺だから東西両本社体制なのかなと覚える方もいるかもしれませんが、どちらも仏教の浄土真宗系であることには間違いないものの、宗派はそれぞれ東が「真宗大谷派(東本願寺派)」、西が「本願寺派(西本願寺派)」とはっきり分かれており、激しい対立こそしていないものの歴史的にライバル関係にあることには間違いありません。そんな二派ですが、どちらも日本の宗教団体としてはトップ2の規模を誇るというのだからなかなか興味深いです。
 なおどっちの方が規模というか檀家数が多いのかはわからないので、もし知っている方いたら教えてください。

 一体何故同じ本願寺なのにこのように東西で分かれているのかというと、そのルーツは安土桃山時代にまで遡ります。説明するまでもなく本願寺は当時の本拠地であった現在の大阪市にあった石山本願寺に立て籠って織田信長と対立し、「信長を最も苦しめた」勢力であることには誰も疑問を挟まず、この手の歴史議論にしては珍しくあらゆる方面で意見が完全一致しています。
 最終的に天皇家を仲介とした信長との和睦に応じた時の宗主・顕如は石山本願寺を退去しますが、顕如の長男である教如はこの和睦に反対し、付き従う強硬派の面々とともに石山本願寺に残り続けました。

 なおこの教如の行動は彼の独断専行との見方が強いですが、信長が和睦の約束を違えて退去した本願寺勢力に攻撃を加える可能性を考慮し、あらかじめ顕如と示し合わせた上でのポーズだけの抵抗だったとする意見もあります。もし約束を違えば再び籠って戦い、約束を守るようであれば退去した勢力が宗門を繋ぐという、いわば関ヶ原における真田家みたいな両面作戦と言ったところです。
 現実に教如は威勢よく立て籠もったものの、きちんと和睦の約束を果たすのを確認できたからか半年したらすぐに出ていきました。一応、パパの顕如から教如はその後、蟄居を命じられてますが。

 その後、本能寺の変を経て天下人が秀吉の時代になり、秀吉から現在の西本願寺の地(京都市堀川六条)を本拠地として寄進されてこの地を本拠とします。京都に移ってからしばらくしてビッグダディの顕如が入滅するとその後継者には先ほど立て籠もった長男の教如が指名されて彼が宗主の座を継ぎましたが、これに異を唱える声が内部から上がりました。
 その声を挙げたのも三男の准如と初めから素直に石山本願寺から退去することを選んだ穏健派たちで、彼らの訴えを聞いた秀吉の裁断もあって教如もすぐ宗主の座を准如に譲り、自らは一兵卒みたいな感じで布教活動を続けました。しかし宗主の座を降りた教如の周りには彼とともに石山本願寺退去に抵抗した強硬派が集まっており、既にこの時点で本願寺は分裂状態にあったと言われています。

 そのような火種を抱えていたところ、権力者の代替わりによる転機が起こります。関ヶ原の戦いから2年後の1602年、徳川幕府は隠遁した教如に対して京都烏丸六条の地を寄進します。何故徳川幕府がこうした行為に出たのかというと、かねてから家康に接近していた教如のロビー活動が実ったとか、准如が関ヶ原の折に西軍側についたことを徳川家が良しとしなかったなどいろいろ挙げられていますが、最大の理由は恐らく、半分裂状態の本願寺を完全に分裂させてその勢力を削ぐという狙いがあったという説を私は支持します。家康自身も三河一向一揆に苦しめられた経験があり、本願寺勢力の恐ろしさをよく知っている人物であるということが、この説を支持する大きな理由です。

 その後、東西両本願寺が並存する体制が確立され、宗派もはっきりと分かれたことで現在に至ります。なお仏教系の大学としてそれぞれ著名な大谷大学は東本願寺の学寮、龍谷大学は西本願寺の学寮がそれぞれ母体としています。なもんだから早慶戦みたいに両大学の野球の試合は「東西戦」とか「本願寺対決」などと言わないのかなとか気になりますが、この二つの大学出身の知り合いがいないのでよくわかりません。

2018年5月15日火曜日

スルガ銀のシェアハウス問題に関する発表の疑問点

「シェアハウス関連融資問題」について(スルガ銀行)

 かねてから取り上げてきたスルガ銀行のシェアハウス問題ですが、金融庁の調査が入ってもダンマリ決め込んでたのに、今日になってようやく簡単な報告というかプレスリリースを出してきました。でもって結論から言えば、いくつか疑問を感じる報告書です。
 以前ならともかく、このところこういう報告書見るのに長けてきました。

1、行員の不正関与
 今回発表された報告書は二つ、スルガ銀行自身がまとめた報告書と、弁護士によって構成される調査委員会の報告書なのですが、前者では行員の不正関与について「可能性がある」と濁しているのに対して後者では「後述の1人については資産報告書が偽造されていたことを確実に知っていた」とはっきり指摘しています。何故同時期の発表でありながら内容が異なっているのか、第一、スルガ銀の報告書では行員へのアンケートで不正の認識を尋ねたと聞いていますが、不正調査のプロに前教えてもらいましたが、「不正している人間はやっているかと聞いたら絶対否定する」とのことで、そんなアンケートなんて取るだけ無意味です。むしろ見るべきは、「周りで不正をやっている疑いのある人間はいたか?」でしょう。
 もっとも、この件から見えることは一つあります。こうした表現を取るということはやはり不正はスルガ銀全体、恐らく幹部も含めて実行していた可能性が高いということです。自分は不正調査のプロではありませんが、文章表現のプロだと自称しており、そんな自分に言わせれば不自然な表現には不自然な背景が必ず存在します

 ほんと関係ない話ですが、ジャッキー・チェンのなんかの映画でヤクザの治療に失敗した医者が他のヤクザに襲われるや拳法で次々と薙ぎ倒し、「医術は三流だが拳法は一流なんだぞ!」と吠えるシーンを何故か思い出しました。

2、問題規模
 スルガ銀の報告書には、「 2018年3月末時点で、シェアハウス案件について当社から融資を受けておられるお客さま1,258名、融資残高は203,587百万円となっております。」と書かれてありますが、肝心の「かぼちゃの馬車」の運営会社ことスマートデイズ社関連の融資額は書かれていません。ご丁寧に、「これは、スマートデイズ社に関わるものに限られません。」とまで書いていますが、だったら言えよ。
 この件で私が最も知りたいのは、スルガ銀の内と外でこれから何人殺すのか、何億すっ飛ばすのかという二点こと今回の問題規模です。まさか現時点で上記数字を把握していないなんて言うわけはなく、何故今回このようにして隠したのか、何か意図があると疑います。

 私の勝手な推測を述べると、シェアハウス以外のリテール事業でも似たようなことをたくさんやっているからこういう表現になったのではと思います。知ってる人には早いですがスルガ銀行は個人融資ことリテール事業で収益を伸ばしてきた銀行で、今回の問題に飽き足らず報告書でも「それでもリテール事業は縮小しないよ(`・ω・´)ゞ」と書かれてあります。まぁ別にいいけどさ。
 ただ、以前から何度も書いているようにこうした金融不正事件は何か一つの不正が明るみになる時点で他にもたくさん爆弾を抱えているという事例が多いというか、むしろそっちの方がデフォルトです。ましてやスルガ銀はリテール事業でのし上がってきた銀行で、尚且つ以前にも書いたようにロードバイクローンの試算例は一目で異常だと感じる内容で、ああいったものを顧客に見せているとしたら相当程度消費者をだましてきているのではと疑わざるを得ません。

 だからこそ問題規模について先ほどのように「シェアハウス案件」に限って金額を出してきたのでは、この問題をシェアハウス問題だけに減点するつもりなのではと、穿ちすぎかもしれませんがこんな考えがよぎりました。

3、スマートデイズ社への批判が皆無
 これが一番気になった点ですが、報告書全体を読んで問題の持ちかけ側ことスマートデイズ社への批判こと恨み節が一つも見当たりませんでした。私はてっきり、スルガ銀はスマートデイズ社に騙された被害者ぶって批判をかわすのかなと予想してましたが、あまりそう言った論調はありません。
 もしかしたら自行が不正融資に関与していることを真摯に反省しているから何も文句を言わなかったのかもしれませんが、それにしても今後の対応などでスマートデイズからの一部債権回収などにも触れないのはやや不思議です。むしろ今回の報告書を見て、スマートデイズ社を庇うかのような印象すら私は覚えました。

 仮に庇うとしたら何故庇うのか。自行も不正に関与しているからなのか。スマートデイズ社関係者に弱味を握られているのか。他にも同じような取引相手がまだ存在するからなのか。などと勝手な憶測を巡らせています。

 この記事は割と突っ込んだ内容になっていますが、まぁ公のメディアでもない個人ブログだし、憶測であると断っているので自分的にはありです。むしろこうした状況分析や予測においては、どれだけあり得ないと思うような想定も選択肢に入れられるかがその実力を左右するところだと考えているので、そう思う根拠と可能性があるのならどんどん思考を巡らすべきでしょう。

2018年5月13日日曜日

先天的能力と後天的能力

 ストライクフランカーことSu-34を今日は朝から作っていましたが、これめちゃくちゃでかいです。フランカーシリーズはくびれたノーズがエロいと評判だし実際見栄えいいから作ってみようと思いましたが、このあり得ないでかさはかえって興醒めで、やっぱりMig-29が一番だと思いなおしました。

 話は本題に入りますがこのところ一人でいて思うこととして、自分は普段の生業においてやや先天的能力に頼りすぎて生きて来たなと思うと同時に、後天的能力をあまり使わない、もとい育てるためにあんま努力してこなかったなと反省し始めてます。

 また大分昔の話ですがある日友人に、「どうして花園君は他の人がまずしないであろう話題を突然取り上げるなど、発想力がいいの?何かやってきた?」と聞かれ、「正直なところ先天的な部分が大きいと思う」と答えたら「言うねぇ」と返されました。
 気取って言ってるつもりはなく、このブログで取り上げる話題や披露する考え方などに至る発想に関して私自身はやはり先天的な能力に由来すると思います。こう考えるのも割と子供の頃から突飛な発想をしていたり、自分で考えを組み立てる癖が教えられるわけでもなく持っていたからです。同様に集団の違いや時系列での変化等に気付く観察力も、これもまた鍛えたつもりはなく、始めからかなり高い水準で持ってて現在も活用していることから、先天的なものでしょう。

 逆と言っては少し違うかもしれませんが、学生時代までこれは自分が鍛えた代物だと思っていたのは知識量でした。大体小学校中学年の頃から「どんな些細なことでも自分と無関係だとは考えず、できる限り覚えよう」という志しを持ってから幅広いジャンルに対して知識量を蓄え、現時点で自分が目指していた水準より遥かに高いレベルまで至りましたが、この知識量に関して子供の頃からの積み重ねだと信じていました。
 しかし、結果から言うとこの知識量もとい記憶力に関しても先天的なものだったと今は判断しています。というのも以前書いたように自分はてんかんを持っており、てんかんキャリアの中には実際このように何年前の内容でも昨日のようにすぐ詳細に思い出して話し出す人間は結構いるそうで、私の場合も記憶力がいいというよりかは関連するキーワードは記憶を呼び起こすのに長けており、恐らくこれはてんかん、神経伝達の電圧が極端に高いという症状がなせる技だと思っています。鍛えたからこうなったというものではないでしょう。

 このように、普段の活動において私が武器として長所として活用する能力のほとんどが先天的なものに由来し、いったい自分は何に努力してきたんだと我ながら呆れてきたのですが、そこではっと思い出したというか一応これは後天的獲得能力だなと言えるものとして文章力を思いつきました。
 本格的に文章を書くようになったのは中学生くらいからで、もうそのころには200ページ超の小説とか普通に書いていました。ただその後、段々と文字数を如何に少なくして内容を抉り出すべきではないかと思い始めてからこうした論評、コラム、記事などを得意とするようになってきて、多分現在なら数百枚の小説とかかえって書けないかもしれません。

 その後高校時代は一環として何かしら文章を書き綴っており、大学時代はいろいろ考えがあって敢えて書かなくなり、卒業間際になってこのブログを書き始め、上海で新聞社入って現在に至ります。各段階でそれなりにレベルアップがあって時系列ごとに自分の文章はきれいになりつつ癖を持つようになり、一応今でも素人よりは立派に見える文章を書けると自負しています。
 ちなみに一番得意とするのは、難しい内容をわかりやすく説明するような文章です。この方面だったらそこそこ自慢出来るような気がします。

 以上まで長々と自分語りをしてきましたがここで何を言いたいのかというと、能力の種類によってその上昇カーブは先天的か後天的か決まるのではと私は思います。具体的には、「勘の良さ」に分類されるようなものはほぼ先天的素質で決まり、練習したところで得られる修正は限られてくるでしょう。
 その逆の後天的努力による影響が強い能力に関しては、私の場合は文章力ですが、これ以外あんまり浮かばないのでどういう類がこれに属すかは正直ピンときません。そりゃ体力関連であれば、間違いなくこっちでしょうが。

 オチがまた弱いですが、自分の何が先天的な能力なのかを見定めるのは意外と重要な気がします。多かれ少なかれ誰もがそういった先天的素質に頼る面があり、何故頼るのか、ほかに後天的努力で補っているところはないのかを自己分析すると意外と見えてくるものがあります。

2018年5月12日土曜日

仕事で伸びる人、伸びない人の特徴と

 なんか時間余ってきたから久々に「ウォーシップガンナー2」というゲームを引っ張り出したら一発で時間がなくなりました。もう既に数百時間遊んでいると思いますが、未だに魚雷撃つのが楽しくて仕方ありません。今回は戦闘機の系譜を大体覚えたので空母をガンガン使って攻略するつもりです。

 話は本題に入りますが去年に日本へ一時帰国した際に名古屋に左遷されたうちの親父に、「そういえば昔、仕事で能力伸びない人間の特徴として、コピー取らせた時に書類の中身を見るか見ないかで判定してたよな」と言うことを思い出して話しました。ちなみにこの話をされたのは確か私が高校生くらいの頃です。
 親父曰く、「これコピー取って」と言って部下に書類を渡す際、コピーを取るついでに書類の中身を確認するかどうかチェックしてたそうです。ちゃんと見てたら及第点、見ないで言われたままコピーするだけだったら落第と、意外と細かいチェックの仕方すんなと当時内心思いました。

 ただこの話の起点というか、働いてて伸びる人間と伸びない人間の特徴というか傾向はあるのかという点で去年少し話を煮詰めました。その人が仕事ができるかできないかという議論は日本だと入社時、つまり就活時点の特徴や経歴ばかりが取り上げられて入社後の行動や発言についてはあまり取り上げられない気がするのですが、むしろ普通に考えれば本命はこちらで、入社後にどういったタイプがその後仕事ができる人間になりやすいのか、またはその逆はなんなのかいくつか話しました。

 出てきた話題はいくつかあるものの、一つのテーマで語るとしたら「やる気」に関する内容が話しやすいのでこのまま書きますが、私の持論でもありますが周りにやる気を見せる人間ほど脆くて折れやすく、逆にややシニカルな印象を覚えるくらいに距離感を保とうとする人ほど後々その実力を発揮する傾向がある気がします。少なくとも、海外駐在員に関してはこの傾向がはっきり出ます。

 具体的な話を述べると、「かねてから中国で働きたいと思っていたんです!」等と言ってこっちへ来る人間ほど途中リタイアこと任期途中の帰国に至るケースが多いです。同様に、現地に溶け込もうとローカルなお店や路地裏とかを着任からすぐ積極的に回ろうとする人も同じです。
 その逆に、着任当初は「中国なって絶対来たくなかった」、「嫌っつったのに無理やり派遣された」等と言ってた人ほど、後々物凄い業績を上げたり、地元の中国人も出入りしないようなあり得ないくらいローカルな場所とかうろついたりして、帰任前には「日本に帰りたくない(´;ω;`)ウッ…」などとマジで言い出したりします。

 上記の例外としては初めから旅行好きな人は最初から中国への赴任を希望しながらもすんなりと現地に溶け込みます。あとこれは既に実証もされている傾向として、信仰を持っている人も同様です。

 恐らく、就活ではやる気アピールが激しい人ほど評価される傾向があると思いますが、私は内心こうした見方に疑問を感じています。金属は硬ければ硬いほど折れやすく、逆に軟鋼な粘りがあるように、やる気がある、見せる人ほど心が折れる時は一瞬で折れることが多い気がします。逆というかやる気があるのかないのかわからない人ほど意外と仕事に粘り強くついていくというか、少々の困難でもへこたれないというか逃げない人がこれまで見てきた中で多かったです。
 まぁ最初からやる気が全く見えない人は長続きしないってのは間違いないですが。

 仮定のまま進めると、このようなことが起こる背景は何なのか。既に答えは行っていますが私はそれは「距離感」の置き方にあるとみており、前のめり過ぎる人はそのまま前に倒れてしまうのに対し、それほどやる気を強く見せない人はその辺の適切な距離感のバランスが保てるからだと思います。さらに言えばリスク意識もはっきりしているのかもしれません。

 さて明日はストライクフランカーでも作ってよ。

2018年5月11日金曜日

物欲の科学

 電子書籍で「へうげもの」の1から3巻が無料配信していたので購入(つっても0円)して久々に読み返してみましたが、改めて面白い作品だと思え非常に楽しめました。作者の独特な感性と歴史漫画でありながら現代アートに通じるようなデフォルメされた描き方もさることながら、主人公の古田織部(佐介)の物欲全開な活躍というキャラクターには心動かされます。
 そんなこの作品を見ていて、よく人間の三大欲求は食欲、性欲、睡眠欲と言われますが、実際にはこれに「物欲」も入って四大欲求とするのが適切ではないかと思えてきました。ネットで見るとさらに名誉欲を加えた五代欲求を挙げる人もいますが、この名誉欲はちょっと外れるのではないかと思え私は支持しません。

 少しまじめな話をすると、科学技術の発達していない未開の部族間でも定期的に宝物を交換し合う行為は割とどこでも見受けられ、この「交換」という行為はある意味で物欲というものが人間の生理的欲求に根差していると伺える根拠となるように思えます。同様に教育を受ける前の子供たちを見ても他人が持っているものを欲しがったりする行動が見受けられ、この点もこうした考えを支持するように見えます。

 では食欲に対する食べ物の臭いに相当する、物欲を刺激するものとは何なのか。これなんて先ほどの子供の行動を観察すると見えやすいですが、まず「他人が持っているもの」は理由なく物欲を刺激されるポイントと言っていいでしょう。ましてやそれが「自分が持っていないもの」であればなおさらです。
 ここでのポイントとして「比較」という現象が働いているのが分かります。例えば同じ種類の物でも、他人の持っている物より自分が持っている物のランクやグレードが高ければ安心しますが、その逆だと不安というか落ち着かなくなり、単純に言って奪いたくなるわけです。少し話の発展が早いですが、ある意味でこれが「嫉妬」の原点かもなとも思え、物欲こそが嫉妬を生む張本人とも思えます。

 話を少し戻すと、物欲においては比較という仲介行為が凄い役割を果たしており、これは逆に言えば唯一無二の比較しづらいものだとあまり物欲は刺激されないということとなり、その点で言えば収集を競い合う「同好の士」という存在もまた物欲を刺激する要素となりうるでしょう。
 ただ、中には一人孤独にある特定種類の物品収集に精を出す人もいますが、こういう人も考えると次の要素に当たる「コレクション」というか、「完全網羅性」こと全種類を揃えたくなるコンプリート欲求も見えてきます。現在の私を例にとると、時間があるので軍事研究を兼ねて戦闘機のプラモを作り始めたところ、姉妹機がめっちゃ多いフランカーを全種類揃えたくなってきていますが、まさにこう言うコンプリートを自然と目指すのも何かの欲求と見るべきでしょう。

 このほか検討を深めればもっといろいろ見えてくるでしょうが、先に話をまとめると意外とこうした物欲に関する研究とか議論はあまり見ないなと思います。私自身以上の考えは今日帰りに歩きながら、あと途中で醤油ラーメン食いながら考えた内容で、多分似たような意見を言う人はいるでしょうが私のようなまとめ方をしている人は絶対いないでしょう。それにしても明後日の方向見ながらラーメン食べてる自分を店員はどう見てたんだろう。
 こうした物欲に対する考え方は使い方によってはマーケティングにもすごい活用できると思うし、また「へうげもの」のように人心掌握のツールとしても活用できるはずですが、あまりそうした使い方を提唱する人は見ません。そもそも体系的にまとめようとしている人もいませんし、なんていうかもったいない気がします。

 最後にこちらはまだあまり自分の中で検証をしきっていませんが、先ほどの「物欲からくる嫉妬」について、男性は形の無い物、女性は形の有る物に覚えやすい傾向があるのではないかと思います。この男女差はどっから来るのか、また暇になったら考えます。

2018年5月9日水曜日

書評「宿命 警察庁長官狙撃事件 捜査第一課元刑事の23年」

 先月、もしかしたら途中で販売中止になるかもと思って文藝春秋の五月号を購入しましたが、正直言って失敗しました。文藝春秋は最近あまりにもつまらな過ぎるから見出しを見て買うかどうかをこのところしており、四月号に至ってはめぼしい記事もなかったことから購入していませんでした。今回の五月号は例の森友問題で自殺した職員の遺族手記について、遺族自体が掲載されるとは聞いてもいないし手記も書いていないと主張したことと、「文書改竄で佐川からのメモが……」と宣伝していたから一応買いましたが、後者に至っては何の根拠もない伝聞による憶測という、よくこんなの宣伝文句にしたなと呆れるレベルの内容でした。
 六月号は明日から発売でしょうが、もう見出しを見ることなんてせず、買うこともないでしょう。この雑誌にはもはや何の魅力もありません。

 と、言いながらも、五月号に関して一つだけ収穫がありました。元警視庁捜査第一課刑事の原一雄氏のインタビュー記事が載っており、先日出版された原氏の著書「宿命」について触れられていたからです。この本の概要は何なのかというと、あのオウム事件に追われる最中に起こった國松元警察庁長官狙撃事件の犯人について実名入りで全部書かれています。

 この事件は発生当初からオウムによる捜査攪乱を目的とした犯行とみられ、オウム真理教に帰依していた元警官も犯行を自供してはいたものの、決定的な証拠がなかったことから立件には至らず、最終的に時効を迎え迷宮入りしています。なお時効に至ったその日の会見で捜査を担当した警視庁は、「それでもオウムが犯人と思われる」という異例の発言を行い、後にオウムの継承団体に当たるアレフから名誉棄損で裁判を起こされ100万円の賠償支払判決が下されています。

 通常、一般人ならまだしも警察関係者を狙った事件というのは警察そのものから物凄い恨みを買うこととなり、全力で捜査されてお縄に至ることが非常に多いのですが、この事件に関してはとうとう解決には至りませんでした。もっとも事件発生当初からこの事件は不可解な点が多く、雨天の中で20~30メートル先から日本では入手の難しいコルトパイソンという拳銃で狙撃されるなど、高い狙撃能力を持つ犯人による犯行でありながら、現場には捜査かく乱のための朝鮮人民軍バッジが置かれ、また犯行声明も出されることもありませんでした。
 なおこの事件の余波というか、「高い狙撃能力を持つ」という理由からオウムの逃亡犯であった平田信が早くから嫌疑者として指名されていました。後に2011年の大晦日に出頭してきた平田は出頭理由についていくつか挙げながら、この狙撃事件が「時効を迎え自分が犯人にされてしまうことがなくなったから」と、この事件の濡れ衣を着せられる恐れが逃走を続けた理由でもあることを明かしています。

 そんなこの事件を長年追い続けていたのが、「宿命」の作者の原一雄氏です。読み終えた感想を述べると、犯人はこの本に書かれている生涯で二度も無期懲役を受け現在も収監されている現金輸送車強盗犯の中村泰以外には考えられないというのが偽らざる本音です。
 犯行当日の中村の行動、隠蔽工作、そして動機などについては本の中で詳しく書かれているため敢えてここでは書きませんが、何故中村が犯人だと思うのかというと、本人自身が「私が犯人です」と既に自供している上に銃の入手経路や高い狙撃能力を有し、また秘密の暴露に当たる決定的情報を証言しているからです。

 この東大卒のテロリストである中村の生い立ちや思想に関する記述だけでも十分面白いのですが、それ以上にこの本を読んで衝撃だったのが、公安と捜査一課(刑事部)の関係性というか絡みです。この本を読んだ限りだと率直に言って両者の関係はあまりよくなく、公安の立てた筋道と異なる捜査によって、想定と異なる犯人を原氏ら刑事部が見つけてしまったことから、この狙撃事件は立件なく時効を迎えることとなったのが真実だと考えられます。
 もっとも途中から公安とも共同で捜査することとなった原氏によると、当初は中村犯人説に疑念を持っていたものの、捜査情報を提供するやすぐに公安も中村犯人説に動き、また時効を迎えた際には検察からも直々にそれまでの捜査を労われ、中村立件に至れなかった点を詫びられたと書かれてあります。

 はっきり書けば自分の思想はテロリストに極端に近く、警察関係者にもいい思い出より悪い思い出の方が多いためあまり警察を信用しておらず、っていうか素直に言うと嫌いです。叔父は神戸の公安所属で、規律に厳しいかと思いきやむしろ一般人よりむちゃくちゃなことばっかやる人でかわいがってもらっていましたが。
 ただ単純に嫌ってるということもあってか、あまり警察の組織や問題性についてはこれまで気にすることなく研究することもなかったのですが、公安と刑事部でこうも仲が悪いということはこれまで知りませんでした。そしてその捜査手法や特徴も異なっており、特に公安について原氏は、中村の協力者探しに当たって公安の人物割出し能力は抜きんでていたと称賛しています。逆を言えば、その高い割出し能力が刑事部には普段使われていないということになり、縦割り行政の弊害を覚えます。

 最後になりますが、単独ソースからの情報にもかかわらず中村が犯人だと信じ切るのはやや危険かと思うものの、この本は非常にお勧めできる内容です。先日後輩に日テレ記者である清水潔氏のノンフィクション本を紹介しましたが、今回もこの本を読んでやはりノンフィクションはやめられないというか面白いと改めて感じさせられた一冊でした。

2018年5月8日火曜日

その辺のぺがさす

 今日ふと何故日本人は自国を過信するようになってきたのかと考えた際、「犯人はプロジェクトXだ」と思い至りました(0.8秒)。せっかちな性格もあって、何かの問いに対しては先に結論出してからそこまでの過程を後から考えることが多いので、決して上の思考過程は誇張ではありません。

 では順を追って何故このような結論に至ったのか説明すると、そもそもまず日本人が自国を過信しているかという点については私の目から見た印象ですが、恐らく間違っていないかと思います。未だに大半の日本人は時刻が技術大国だと思っているようですが、既に工業方面でも技術の衰退はかなり進んできている上、学術分野の論文出願数や特許取得数、そして新規技術への対応の点に至っては世界的にもはや遅れている部類に入りつつあると言わざるを得ません。
 そもそも何故このとっかかりを得たのかというとMRJのテコ入れに開発している三菱航空の増資を三菱重工が行うつもりという報道を見たからです。MRJも発表当初は優れている点が盛んに喧伝されましたが、延期に延期を重ねたせいで設計が古くなり、もはや優位点はあまり見つからないのにいまだ完成もしていないというデススパイラルに入っています。

 話は戻りますがこうした主に技術方面の過信について何が発端なのかと考えた際、民族的なプライドなども浮かんできましたがそれ以上に地味に大きな影響元として、「日本礼賛番組」の存在があるのではと思えてきました。
 ネットなどで見ている限りだと最近は減ってきているようですが(それでも一部で話題になっている辺りはあるのだろうが)、2010年代前半はこの手の番組の多さに私自身辟易しました。ちょうど中国から日本に戻って一時滞在していた時期ということもあるでしょうが、チャンネルをいくら回しても「にほんはスゴイ!」的な番組ばかりで、しかもその異様さを誰も指摘していないという状況が私には不思議に思えて仕方なく、その辺は当時のブログにも書き残しています。

 もっともこうした違和感は徐々にとはいえやはり広がっていったのかそれからしばらくして私だけでなく、「礼賛ぶりがかえっておかしい」と指摘したり、単純に番組がつまらないという声も増えて言ったように思え、そうした流れもあってかどうもこの手の番組はまだ勘違いしているところを除いては大分なくなったようです。なおこの手の番組を私自身は全否定するつもりもなくたまに見る分なら面白いと思いますが、2010年代前半は明らかに異常なくらいにこの手の番組が氾濫していたように思えます。そして何故この手の番組が氾濫したのかというと、想像ですが背景には2010年前後にあった主にフジテレビを中心とする異常な韓流推しの反動があったためではと推測しています。

 話は戻りますがこうした日本礼賛番組が、すべてとまではいかずとも日本人の過信を助長させたとするならば、さらにその源流はどこかと考えたところ出てきたのが「プロジェクトX」でした。番組内容については著名であるためいちいち説明しませんが、この番組自体はよくできているし評価に値しますが、もし「かつての日本の栄光」に浸ることに対して強めのカタルシスを日本人に与えてしまったとするならば、長期的に見て悪影響を及ぼした可能性もある気がします。
 特にこの番組について、この番組放送以降にもしかしたら起こっていたのかもと思う変化として、過去の日本の技術礼賛によって過去に取りつかれ、未来を見なくなってしまったのではと思う節があります。そう思う根拠として、ここ数年の日本の報道などを見ていると、新技術に関する解説や評論、礼賛や応援がなんか減ってきているように私には感じるからです。具体的に言えばなんで5Gの解説があんま出てないんだとか、自動運転についてもリスク面の話ばかり出るし、そして何よりさっきのMRJの優位性もかなり専門的な記事を追わないと出てきません。まぁ最後のは最初にも書いた通り既に優位性を失っているだけかもしれませんが。

 思い起こすとまだ私が子供だった頃は新技術について、「これからの未来は明るい!」的なノリでもっといろいろ紹介されていたような気がします。特にゲーム関連について言えばプログラムやメモリの発展過渡期だったこともあって機能や画像表現の進歩についていちいち特集されていました。また携帯電話をとってもその通信機能やアプリ機能など、今よりワクワク感に溢れた特集が組まれて紹介されてたように思います。
 ただ単に技術の発展過渡期だったとすることもできますが、ここ中国にいると新しい技術やサービスについてよく取り上げられており、これらと比べるとなんか日本は新技術について及び腰というか、むしろ排他的な姿勢にすら感じるところがあります。一方で日本の技術は世界最先端だと完全に信じ切っており、何故そうした発想に至るのかというとやはりプロジェクトXのせいというか、過去の栄光にすっかりとらわれて現実や未来が見えなくなっているのではと、かなりきつい言い方ですがそんな風に覚えます。

 その上で私個人の提言として、過去の技術なんて現代では全くお金にならないのだし、もっと新技術に目を向け社会全体で研究開発熱を盛り上げて行くべきであり、日本の技術は最先端だとか一旦そういうのは置いといて、今よりもっといい技術をもっと貪欲に追い続ける姿勢こそが大事だと思います。
 それこそ飛行機一つとっても、この際だから脳波で動かすサイコミュ連動型作るとか、ビームライフルの標準搭載を目指すとか、他の国には絶対真似できない三身合体を実現させるとか、あり得ない空想をもっと本気で目指すべきでしょう。もっと夢を語るんなら、ギュネイ・ガスを超える強化人間とかもアリですが。

 なお見出しの「その辺のぺがさす」は「草原のペガサス」の空耳版です。一度これ知ってから猛攻としか聞こえません。

2018年5月7日月曜日

垣根を超える大スター

 先日友人に、「前に君が話してくれたゼミの先生の話を、大谷選手を見ていてこの頃よく思い出す」と話しました。その友人の話というのも、王、長嶋という往年の読売巨人軍の大スターについてかれのゼミ教授が、「自分にとって昭和といえば彼らだと言いたくなるような、時代そのものと言っていいスターだった」と述べ、その影響力は現在では比較にならないほど大きかったというような内容でした。
 もっともこの話について友人は、「俺そんなこと言ったっけ(;゚Д゚)」と言って覚えていませんでしたが、「でも花園君がそういうのなら、きっと言ったのだろう(;・∀・)」と続け、自分のシャレにならない記憶力についてよく理解してくれている友人だなとしみじみ思いました。ちなみにこの話があったのは恐らく2008年か2009年のどちらか、場所はガスト店内です。

 話は戻りますが、私は先ほどの友人のゼミ教授が言っていた、王、長嶋が当時どれだけ偉大であったのかという話について聞いた当初はそれほどピンときませんでした。両選手が偉大な記録を残し、現役当時は超が付くほどの大スターだということはもちろん知っていますが、その時代を生きた人間が当時どのようなインパクトを彼らから受けていたのか、その点についてあまり実感がわかなかったのが本音です。
 しかし、今現在になってなんとなくわかってきたと思えるのが、このところのエンゼルス・大谷選手の活躍ぶりです。今朝も安定した投球内容で無事にメジャー三勝目を上げましたが、特にこれという接点もなく日ハムでもエンゼルスでもファンじゃないのに、彼個人の活躍を聞くだけで非常にうれしくなってきます。なにもメジャーに行ってからこうなったわけじゃなく日ハムにいたころも彼が活躍したと聞けば目を細めていましたが、やはりメジャー進出以降はさらにハイレベルなステージでの活躍ということもあって、以前以上に注目するようになってきました。

 日本に限らず米国にとっても近代プロ野球としては例外と言っていい投打の二刀流で、しかもその両方で大谷選手は高い成績をキープしており、今間違いなく野球の歴史が変わる瞬間に立ち会えていると感じうれしく思います。また日本のファンはもとより米国でも最大級の注目ぶりで、所属チームのエンゼルスファンだけでなく相手チームなどからも垣根を越えてそのパフォーマンスが称賛される様は、「これがスターなのか」と覚えさせられ、きっと王、長嶋も今の大谷選手の如く、チームを超え、また熱烈なプロ野球ファンでない一般層からも高い注目と人気を集めていたのではないかと思え、ここに至って友人のゼミ教授の言っていた感覚が初めて理解できるようになりました。

 要するに大スターというのは、あらゆる垣根を越えてその活躍が支持されるからスターなのでしょう。近年の日本プロ野球でもスター選手と呼ばれる存在はたくさんいますが、やはりその支持は各チームのファンやプロ野球ファンに限定され、普段野球を見ない一般層ともなると名前も知られていない可能性も高いです。それと比べると大谷選手はこのところ毎日スポーツ記事でトップ級に取り扱われるだけでなく、彼に関する特集も日を追うごとに増えており、敢えて比較するならそれこそ王、長嶋、そしてイチロー以来の大スターと呼べる逸材でしょう。
 その上で、やはりこうした大スターが存在することは歓迎すべき事態というか、一体感を覚える上では非常に大事だと思います。同じ野球ファン同士だけでなく大谷選手については野球を全く見ない女性とも話題に上がり、やはりお互いに楽しく会話できます。最近だと山口メンバーについても楽しく会話できましたが。

 逆を言えば、こうした性別や世代、国籍と言った垣根を越えて話題に上がる大スターが大谷選手以前はやや少なかったのかもとも思えてきます。俳優にしろ歌手にしろアイドルにしろ芸人にしろ、誰もが応援して誰もが知っていて、誰でも話題に挙げられる存在が、私にとってすれば近年になればなるほど減っていったように思え、芸能界からスポーツ界まで比較的話題のレンジが広いと自負する自分ですら話題を共有できない相手と話すことが増えてきているように思います。
 この辺については最初の友人が割と得意としていることですが、今の時代は趣味が個性化分裂化したことで、単純に共有体験というものが減ってきている時代です。そうした時代だからこそ誰もが共感できる大谷選手の存在は大事だと思え、ともかく怪我無く無事にシーズンを通して戦ってもらいたいものです。

2018年5月6日日曜日

電子書籍に関する現況 後編

「所有できない電子書籍」問題 サービス閉鎖後、購入者はどうなる?(ねとらぼ)

 ちょうどこの記事を準備していたら上のニュースが出ましたが、電子書籍を購入する上での最大のハードルと言ったらやはりこれこと、サービス停止後への不安でしょう。使い始めた人間についてはもはやこの先一蓮托生みたいな諦観が生まれますが、まだ始めていない人間からしたら運営会社が倒産したりしたらどうなるのか、購入した本が読めなくなるのではという不安を持つのも無理ないでしょう。
 実際、この問題については既にサービスを停止した業者が出ておりその顛末についても上の記事には書かれてありますが、サービス受益者からして一番望ましいのはサービスの引継ぎ、つまりサービスを停止するA社からそのサービスを引き継ぐB社が配信などを継続する形だと思います。実際やるとなったらそこそこ大変ですが。

 ただこうした対策よりも、もっと抜本的な対策となるのがプラットフォームや、データの規格化です。要するに配信する電子書籍データの規格を日本国内で統一することで、サービス停止にあっても規格に対応したビューアーを使えばその後も閲覧を継続できるという形に持っていくことです。この場合、配信する書籍データはすべて共通で、サービス運営主というか配信業者は実質完全な小売業者となり、競争上の観点からもこうした形態の方が望ましいと思います。
 少し懸念となるのは、書籍データが共通化するため違法配信などが起こりかねないという問題がありますが、現在行われている配信サービスのように各データの閲覧権限を購入アカウント等でビューアーと連動させ、アカウントが一致しない消費者には閲覧できないような処理を施すような対策で大体クリアできるのではないかと思います。この方法だったら不特定多数に閲覧させる人間もアカウントから追え、バンすることで犯罪行為も止められますし。

 このように、電子書籍業界で今何が求められているかと言ったらやはりこのプラットフォームや規格の統一化だと思います。しかしこの方面の議論は全く起こらず、かつて日本は業界を跨ぐ規格化が強かったと言われましたが、そんなの嘘ちゃうかと疑いたくなるくらい電子書籍配信業者は統一化に消極的です。そしてその結果生まれる問題というのが、不便な電子書籍ビューアーというソフトウェアの問題でしょう。
 このブログでも散々愚痴っていますがAmazonのKindleビューアーはお世辞にも使いやすいとは言えず、むしろなんでこの問題に気が付かないと思うくらい問題が多いです。しかも改善が施されるのも遅く、あと突然停止するバグもよくあります。さらに細かいところを挙げるとビューアーのスキン変更すらできないって90年代かよって言いたくなります。

 これらは殿様商売のAmazonだからなのかな、だからと言って先ほどの配信サービス停止が怖いので寄らば大樹の陰とKindleを使ってきましたが、つい最近に「Kindleなんてだっせーよ、他の業者の方が絶対いい」という話をネットで目にし、先月からDMMのDMMブックスを使い始めました。
 まず何に驚いたのかというと販売割引が非常に広範かつ多く、またAmazonに負けず新刊書籍の配信が早いことから、費用対効果の面で今後はこちらをメインにして使っていこうと考えています。そして何より私にとってメリットが大きいのは、中国でのデータダウンロードの速度や効率がAmazonよりDMMの方が安定しており、この一点をとってもこちらを取る理由になります。

 しかし、ことビューアーに関してはDMMもひどいレベルです。コミックスは基本作品ごとにまとめられるのはいいですが、各巻の表示がタブレット版だと昇順か降順を選べるというのにPC版だと降順一択。また各画面切り替えボタンの反応や更新が悪く、必然的に何度も同じボタンを押したりすることとなる上、所有書籍一覧画面一つとってもあんま意味ないのに「購入済み」、「ダウンロード済み」に分かれててこのビューアー設計した奴は馬鹿じゃないかと本気で思うレベルでクソです。
 そのほか書影ダウンロード中に何らかの要因で中断した場合、データがあってもバグが起こって開けなくなる再現度100%のバグもすでに発見しています。あと細かいところを挙げるとビューアーのスキン変更すらできないって90年代かよって言いたくなります。大事なことなので二度言いました。

 サービスやってる連中からしたら何も気にならないかもしれませんが、これらビューアーのレベルの低さは確実に消費者離れにつながるレベルでひどいものです。仮にデータ規格の統一化が図られればビューアーも各業者ごとに紐づけられなくなり消費者は自由に好きなビューアーを選べるようになり、サービスの質も上がるのではないかと思います。もっともこうしたデータ規格の統一は恐らく今の日本の出版社には期待できる余地もないため、各業者に改善を促していくほかないでしょう。
 つくづくこういう様を見ていて思いますが、日本人は本当にお金を稼ぐ気があるのか、商売しようという気はあるのかと疑問に感じます。他のサービスや製品についてもそうですが、驚くくらい消費者目線に立たず、全業種にわたって殿様商売を演じている節があります。

2018年5月4日金曜日

電子書籍に関する現況 前編


 上記画像は先日ネットの海をさまよっている最中に見つけたものですが、もし意地悪く相手の力量を試そうとするなら、「この表はあまり参考にはならないが、参考にならないと言える点を画像内から指摘せよ」と聞いたりするでしょう。もったいぶらずに言えばそのポイントというのも一番上の冒頭にある「初版発行部数」という言葉で、要するにこのランキングは実体書籍の流通数しかカウントされず、電子書籍の配信数はカウントされていないため、実際の総合売上げというか人気を正確に反映したデータとはならないということです。

電子コミックスの売り上げ、紙コミックスを初めて上回る(IT media)

 上記の記事の通り既にコミックスの販売部数は電子書籍版が実体書籍版を上回っており、電子書籍の部数というか配信数を無視した売上げ統計なぞ無意味に等しいです。敢えて例えるなら東日本だけの調査統計を日本全国の統計とは言えないといったところでしょうか。

 ここで話は変わりますが、他の人は何故か誰も指摘してませんが去年の年末あたりから集英社も新刊コミックスの電子書籍版発売日が実体書籍と同じ日になりました。他の出版社はとっくのとうに発売日を共通にしていましたが集英社だけが何故か電子版の発売日を遅らせており、三年くらい前は三ヶ月遅れ、二年くらい前から一ヶ月遅れと徐々に縮小していましたが、ようやくやっと他の出版社に追いつくというか合わせてくるようになりました。
 集英社が何故電子版の発売日を遅らせて来たのかというと、それはやはり印刷会社への配慮であると思われます。業界の話を聞いていると出版社はどこも印刷会社に頭が上がらなかったとのことですがそれももう過去の話で、今回の集英社の動きを見ているとリコーともども電子化の発達によって苦境に追いやられている印刷会社が増す松発言力を失ってきたのではと伺えます。

 以上を踏まえた上で予言すると、多分来年あたりから電子書籍版を実体書籍版に先駆けて先行配信する出版社も出てくるのではないかと思います。こう思う根拠としては単純に、こうした方がより高い売上げが見込めるからです。

 通常、新刊コミックスはゲームほどではありませんが発売したてが一番売れます。しかし発売したてのコミックスほど中古価値も高いというか、購入して読んですぐ古本屋に売り、古本で買って読むという消費者も少なくありません。
 しかし仮にコミックスを最も早く読む手段が電子書籍版しかないとしたら、今話題の漫画村などの海賊版サイトがないことを前提にすると、読者は電子書籍版しかすぐ手に入れる手段がなくなりこの形式での購入を選ばざるを得ません。言うまでもなく電子書籍だと古本市場には流通しないため、発売日直後の古本も出回らなくなるため、きちんと購入して読む層は増えるのではないかと考えられます。

 何もかつての集英社みたく一ヶ月とかずらす必要はなく、一週間、なんなら三日くらい早く電子書籍版を売るだけで、上記効果が得られるのではと私は思います。もっともこれやったら苦しむのは古本屋だけでなく、印刷会社と小売店こと通常の本屋もですけど。それでも利益の増大につながる手段というのであれば、迷わず選択するのが経営者だと私には思るのですがね。

 ただこう語る一方、電子書籍での配信にも欠点というか問題が山積みなのも否定できません。具体的にはフォーマットの共通化に関する内容ですが、この辺最近になっていろいろ気づくきっかけが得られたこともあるので続きは次回に解説します。

2018年5月3日木曜日

日本の華族史👪

 近代日本市でエアポケットのようになっている時代とくれば言わずもがなの大正時代ですが、この時代を含めてほとんど解説とか紹介されてないなと思うものとして、近代日本の貴族階級に当たる華族についてです。ウルトラマンのカラータイマーがやばいくらい鳴り出すくらい体力的に厳しいので華族それ自体についての成り立ちやら説明は省きますが、正直に言って私自身も華族がどういう生活をしたり、貴族院議員がどういうことをやっていたとかについて全く知識がありません。傲慢な言い方となりますが、私が知らないということは他の人もほぼ大半が知らないと思え、一体何故これほどまでに華族に関する分野が開拓されてないのか不思議で仕方ありません。

 そもそも華族が文物で出てくると言ったら決まって推理物のお話で、暇を持て余した華族の御曹司かそこの女中某が探偵役になるものばっかです。あとはお転婆な華族の娘がドタバタをおこすとかで、フォースに目覚める華族が出てくるような激しいアクションものは多分ないでしょう。
 唯一というか、私が華族の生活様式についてなるほどと読んでて感じたのは武者小路実篤の「友情」という小説です。一部で「劣化版こころ」と言われる話ですが、実篤自身が華族出身なだけあり華族の若者が当時どういう生活して、どういう交流をしていたのかを見る上では内心これが一番わかりやすいんじゃないかという気すらします。ただこうした小説もさることながら、きちんとした歴史本とかでももっと華族について紹介とかしてもらいたいものです。

 ついでに書くと没落華族についてももはや現代の文物で触れられることはほぼありません。また農村の元地主とか名主の家で遺産相続をめぐる殺人事件が起きて、下半身だけ浮かんでくるとかそういう話ももう野生の馬みたく絶滅したと言えるでしょう。地味に「スケキヨ流死体発見方」はパロディとして現代も生き残っており、多分死に方としては日本で一番有名な死に方なんじゃないかとも考えており、広辞苑とかにも「スケキヨ:下半身を天に向けた死に方、又はそのような死体発見状況」と書いておいてもいいと思います。

2018年5月1日火曜日

文書改竄者への処罰はどうなったのか

 なんか最近はTOKIOの山口メンバーの報道ばかりで、森友学園の決裁文書改竄問題に絡んだ関係者の調査並びに処罰が完全に忘れられているような気がします。先日のセクハラ騒動といい財務省自体が自浄能力というかこの件について調査する気は全く感じられず、官邸に至ってはむしろ調査を妨害しかねない有様ですが、この件に関しては真面目になぁなぁにしてはならず、たとえ魔女狩りのようだと言われても疑わしい人間を全部ひっくるめて追放するくらいの厳しく断固たる措置を取らねば絶対に将来の禍根になると断言します。

 どう思われようが勝手ですが、この決裁文書の改竄に携わった、具体的には事実を知っていたのに報告しなかった、改竄を実行した、改竄を実行した人間については理由の如何を問わず直ちに財務省から退職、追放させる処置が必要だと私は考えます。それだけ文書、それも国家文書というものの重要性は高く、組織の金に手を付けたとかそういうレベルの犯罪ではありません。
 然るにこの件について、「文書全体の内容は改変していない」という官邸のごまかしによってみる限り処分がなぁなぁになっているところがあり、恐らく特捜が動かない限りはこの件で誰も処分されずに終わってしまうでしょう。そもそも、文書全体の内容は変わってないと言いますが、最重要人物の名前とその交渉過程がごっそりなくなっているのだから、変わってないという人間の見識をむしろ私は疑います。

 中には改竄実行者について、「上司の指示でやむを得なかったのでは」という人がいるかもしれませんが、じゃあ上司がやれと言ったら人殺すのかといったところです。どんなカスでも決裁文書の記述を後から変えてはならないなんて言うことは誰でもわかるレベルの話であり、上司が指示したとからといってそれを実行に移すというのはいくら何でも無防備すぎる愚挙としか言いようがありません。やむを得ず指示に従わざるを得なかったとしても、本心での行動ではないという証拠として内外部への通報や、立件調査資料の提出など逃げ道を用意していなかったというのであれば、いくらか厳しいかとも思いますがやはりその内容の重大さから考えて追放されるのもまた「仕方のないこと」だと私は考えます。
 まぁ上司の指示でやむなくっていう人に関しては、関連団体への就職斡旋くらいはしてあげるべきだとは思います。ですが何度も言う通り、改竄に関わった時点でその組織には絶対に居残り続けてはならず、周りもそれを認めてはならないでしょう。

 なお現在の私の仕事も「疑われた」時点で終わってしまうというか下手すりゃ犯罪として立件される可能性もあるので、自分の身をそういった災いから避けるために業務中に何に携わったのか一時間単位で全部記録しています。私から見て日本人は全体としてこういう向こうの方から降りかかってくるリスクへの警戒が弱いように思え、自分さえ何もしていなければ災いは来ないと勘違いしている節がある気がします。だが言わせてもらうと、こちらが挑発とか不審な行動を一切何もしなくても、時として災いは降りかかってくるのが現実です。

 繰り返しになりますが国家記録文書というのは絶対神聖不可侵のものであり、それに改変を加えるような行為は言語道断且つ厳罰も仕方のない行為だと私は考えます。もし仮にこのまま上記の「全体の~」とかいうごまかしによって処分が果たされなければ、将来的に悪しき前例となって便乗する人間も出てきかねません。財務省に限らず一部自治体でもこうした改竄行為が既に発覚していますが、やはりそれらにかかわった人間も全員追放すべきで、こうした行為が絶対悪であるということをはっきりと示さないと将来恐ろしいことにつながっていくと、今この場で予言しておきます。

この三連休……

 中国では土曜日が振替出勤日だった一方、今日までの日月火は三連休のお休みでした。このところ仕事が忙しかったからいっぱい寝たりゲームしようと思ってましたが、なんかそういうイベントがなく終わってしまった気がしてなりません。

 日曜というか土曜の晩は目覚ましも切っていっぱい寝ようと思っていたら、多分疲れからの不眠症なのかほとんど寝付けず、おまけに起きて洗濯とかしてたら頭痛くなって寝こんで、気が付いたら夕方になって約束していた友人とのディナーにすぐ出かけました。ディナー自体は楽しかったけどさ。
 昨日月曜は午前中に記事準備のためにずっと調べ物して、お昼に取材を兼ねて約15㎞暗い距離のある上海市内のショッピングモールへ出かけて、ラーメン食って、写真撮って帰ってきたら、最近分かってきたけどエクササイズ頭痛とかいう自転車乗りに起こる頭痛を発症してバタンキューとなり、夕方五時に起きて頑張って記事書いて、夜11時にようやく脱稿、疲れすぎて意味わかんなくなって何故か夜中にコンビニへクリームパン買いに行きました。

 でもって今日火曜は、予報では100%雨、っていうか昨日も一昨日も90%雨だったのに全く降らず、微妙に外出しづらく昨日書いた記事の修正を行いつつお昼に昼食のため外食し、その足で昨日のエクササイズ頭痛を避ける実験を兼ねてまた往復30㎞くらいの道のりをサイクリングしてプラモ屋へ行き、1/144ラファールとか買って、家帰ってシャワー浴びてラファール作って遊んでました。で、気が付いたら今この状態です。

 なんかこう、自分は働き過ぎじゃないかと思えてなりません。ラファール作っといてなんだけど、もっとしっかり休めばいいのにと思います。っていうか自転車乗りすぎ。あと結局雨降んなかったし、ゲリラ豪雨だったのか中心部では降ったらしいけど。

忠だけを求める主君

 何故かは不明ですが使用しているブログソフトのBloggerの管理画面の表示言語が今日から突然英語になりました。横文字苦手やというのに。なのに何故か「リンク」だけは日本語のままなのが笑えます。
 あと昨夜は次のJBpress用の経済記事を準備していていろいろおかしくなりました。っていうかあの内容をリサーチから執筆まで1日でこさえるってのはおかしすぎる。普通に朝から晩まで家にこもって調べ続け書き続け、終わった時には夜の11時回っていてさまようよろいみたく何故かコンビニ行ってクリームパン買ってました。

 話は本題に入りますが三国志における関羽、特にその「千里行」は非常に有名です。これは進退窮まりやむなく下った曹操の元から、居場所が分かった旧主の劉備の元へ駆けつけるために曹操の許を離れ、計五つの関所を破り千里の道を進んで劉備に馳せ参じたエピソードです。このエピソードは中国に留まらず日本でも大いに喧伝され、理想の忠義の姿として紹介され続けました。
 しかし、依然読んだある評論でこのことについて、「関羽は彼自身が高潔だったということより、主である劉備が礼を尽くしたからこそその忠義を見せたのだ」という意見を述べている人がいました。これはどういうことかというと、関羽も千里行でその忠義を見せたが、何故そうしたのかという主の劉備も関羽を信頼し、手厚く取り立てたからこそであり、部下に対して大した愛情を見せずに「お前らも関羽を見習え」なんていう輩はけしからん的な内容がその評論で述べられていました。

 言うこと全くその通りで、部下に対してなすべきこと、やるべきこと、果たすべきことをせずにやれ忠義を見せろ、無給で働けなどというのはただ服従を敷いているだけに過ぎません。報いがあるからこそ部下も忠義を見せるのであって、「御恩と奉公」じゃありませんが一方通行な忠義を要求するのはほぼ例外なくクズでしょう。
 なお某居酒屋チェーンを見ているとこのエピソードをよく思い出すことが多いです。

 ただ和民に限らずとも日本の指導者、経営者、管理職を見ていると、自分たちは一切の報いを提供せずに忠義を要求する、いうなれば服従を要求する人間は少なくない気がします。何故そうなるのかというと最大の要因はこうした人間らにクズが多いということ以前に、大半の日本人が抵抗せずに我慢し続けてしまう、おかしいと思う扱いされてもおかしくないと自己納得しようとするからだと思います。
 逆におかしいと思うこと、間違っていると思うことに対し決してこのブログだけじゃなくリアルな現実でも堂々と言ってやたら抵抗するからこそ、自分は日本社会からはじかれる要因になっていると断言できます。別に今信仰を持っているわけじゃないけど、プロテスタント系の学校に通って居心地良いと感じたのはこういう点かもしれません。

 少々話がずれましたが、忠とは御恩をはじめとする報いがあって初めて成立する行為です。そうした報いなき従属はただの服従に過ぎず、私みたいに抵抗を見せることはせずとも、忠がないとかそういうことは考える必要はありません。