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2025年3月30日日曜日

ガラパゴス化しかけていた日本のゲーム





  個人的にANAにはまり始めて前回のエアバス機に続いてボーイング機もプラモ作りました。これがANAの穴という奴か……。


 上の記事はたまたま目にした記事でしたがなかなか興味深くりょませてもらいました。なかなか人を誉めない久夛良木氏に褒められたエピソードや、プレステ3の困難など時が経過した今だからこそわかる話が多く載せられています。

 なかでも自分が注目したのは、「ニーア・オートマタ」に関する言及です。直接記事を読んでもらった方が早いのですが、大体2010年前半くらいまで日本メーカー製のゲームはかつてと比べて海外での販売が芳しくなり、日本のゲームクリエイターたちも日本のゲームを海外で売ること自体を半ばあきらめ、日本市場向けと海外市場向けで製作するゲームを分けるようになっていました。
 そこへいかにも日本向けっぽいゲームながら、海外でも大ヒットを飛ばしたのが前述の「ニーア・オートマタ」で、これの成功を見て「こんな風にすれば日本のゲームも海外で売れるんだ」とクリエイターの意識を変えたと吉田氏が指摘していますが、自分も深く同感します。

 真面目に当時、ゲーム業界は日本市場と海外市場で完全に分かれていました。最近は減りつつあるものの当時は「洋ゲー」というジャンル分けまでされており、欧米市場のゲームは日本とは全く異なるし、プレイヤー嗜好も別物という意識が強かったです。
 その一例として、00年代中盤に登場してカプコンの看板タイトルなった「モンスターハンター」も、今でこそ世界レベルで爆発的ヒットを叩き出していますが、日本で一番盛り上がっていた2や3の頃は海外では全く受けず、「ゲームデザインからして海外では売れない」などとも当時言われていたのを私も覚えています。

 そうした状況もあって、何となくメーカーやパブリッシャー側も市場を分けるような方針を取っており、SteamやPSNをはじめとするオンライン販売プラットフォームにおいてもいわゆる「おま国」という、日本製のゲームなのに日本国内では配信販売をやらずにパッケージでしか販売しない、または日本語音声を入れない、日本向けのみ価格を吊り上げるという国際化とは逆行する妙な販売方針を採っていました。
 今思うと先の見えていない方針だったといわざるを得ず、実際に現在においてはこうした日本市場向けのみに対する逆便宜をやめ、ちゃんとパッケージ版同様に日本語を含め各言語に対応させ、またパッケージ版とともに配信も開始するなど差別化しない状態となっています。もっともこれはSteamの発展とゲーミングパソコンの普及も大きいでしょうが。

 そうした状況が変わってきたには確かに2014年の「ニーア・オートマタ」の発売頃で、日本製ゲームでも日本でも海外でも売れる作品が作れる、出せるとわかりはじめ、このころから急に展開の仕方が変わってきた気がします。
 あえて自分の方からもう一つ付け加えるとしたら、フロム・ソフトウェアが繰り出した2009年の「デモンズソウル」、そしてその続編の2011年の「ダークソウル」も、こうした海外販売の価値観を大きく変えた作品じゃないかと思います。どちらもハードな難易度ながらそれがかえって受けて、多くのフォロワーというかクローンゲームを生み出しており、日本のゲームの海外展開という点で大きなモデルを果たした作品だった気がします。

 そうした2010年前後の動きを見ていると、一歩間違えれば日本のゲームは携帯電話同様にガラパゴス化していた可能性もあったのではと感じます。まじめに当時はJRPGをはじめ、日本人にしか喜ばれないゲームを日本国内で量産する体制が続いており、新たなジャンルへの挑戦がやや弱く、人気タイトルの続編ばかりしか各メーカーも作らなくなっていた気がします。
 まぁ、「エルシャダイ」という斬新すぎるゲームも2011年でしたが……。

 もしあのまま「ニーア・オートマタ」のように海外でも評価される作品が出なければ、それこそ日本国内はテイルズシリーズばかりな感じで同じタイトルや内容ばかりのゲームでガラパゴス化していたかもしれません。現在では先のモンハンのように日本人も外人もみんなで楽しめ、またオンライン化の普及により世界中で協力プレイが行われるなど盛り上がっていますが、こうはならなかった未来もあったというか、そっちの方が色が濃かったと思う時代が確かにありました。

 なお2010年ごろについてもう少し触れると、当時はダウンロードコンテンツ販売で稼ぐという極端な売り方がやたら流行し、ゲーム本体よりダウンロードコンテンツのが高いという作品も結構ありました。無論、消費者からすれば高いゲーム本体買ってるのにさらに買わせようというあの売り方は反発が強く、現在では「好きな人だけ買ってね」的なおまけコンテンツの販売がダウンロード販売の主となっていますが、あの当時の売り方が廃れてくれて私自身もほっとしています。

2025年3月23日日曜日

漫画「変な家」の変な展開

 先日に日本のホラー漫画や恐怖というより不安を煽る展開が多いという記事を書いた後、改めて日本のホラー漫画を読んでみようと、いくつかのおすすめホラー漫画紹介サイトを見て何冊か買ってきました。なおおすすめサイトの中には「彼岸島」を挙げている人もいましたが、あれをホラー漫画と取る人がこの世にいたということがある意味恐怖です。ギャグホラーではあるが。

 その買った本の中に1巻がセール中だったのもあったので、「変な家」があります。これは小説原作で映画や漫画など伊メディアミックスされている作品ですが、少なくとも漫画版に関してはホラーというよりはギャグに近い内容だと感じました。というのも話の展開がおかしく、ツッコミ不在のままおかしい妄想を広げていくからです。自分が読んだのは2巻までですが、これ以上読む気はなく、よくこんな作品が世に出たなという感想すら持ち得ました。

 簡単に話のあらすじを説明すると、主人公のオカルトライターが知人に購入を検討しているが変な間取りがある家として、ある間取り図を見させられます。変なところというのは台所の壁に一か所出っ張りがあるというところで、この点について再び知り合いの建築士にみせたところ、2階の子供部屋もおかしいという指摘を受けます。
 2階の子供部屋は入るまでにドアを二つ介さなくてはならず、またトイレなども専用に設置されていました。この点から察するに、この家の住人はこの子供部屋に子供を閉じ込め、殺人を行わせていたに違いないという結論へ突如至ります。

 もうこの時点でどこから突っ込んでいいかわからないのですが一つずつ上げていくと、まず最初の相談者が何故壁の出っ張りを気にしたのに対し、どう見ても換金部屋にしか見えない二重扉の子供部屋を気にしなかったのかという点でしょう。窓も一切設けられていない監獄っぽい子の子供部屋の間取りに疑問を抱かないとしたら、ぶっちゃけ部屋選びはほかの人に任せた方がいいくらい感覚のおかしい人間と言わざるを得ません。
 次に、そんな監獄っぽい子供部屋を見て何故「ここで殺人が行われていたに違いない」という結論に至るのか、これも強引過ぎてちょっとついていけませんでした。一応ほかにもそう推論する材料を挙げてはいるもののどれも根拠不足だし、さらには「浴場で後ろから刺していたに違いない」という妙な推理を前提に「あのでっぱりは子供部屋から浴室へ移動するための秘密通路に違いない!」という推論にもっていくのは、さらに無理があるでしょう。

 そもそも間取り図には「子供部屋」と書いてはいますが、実際にこの部屋に監禁させられていた人物が子供である必要はありません。仮に殺人を行わせていたというのなら子供にやらせるよりは大人を監禁していたと思う方が自然だと思うのに、何故かこの後もずっと「子供に殺人をやらせていた」という前提を一切揺るがさずに話を進めていきます。なんでそうまでして子供に殺人やらせたいんだか。

 この後も2件目の部屋の増設部分を見て、「きっと地下室があったに違いない!」などと、根拠からは程遠く、妄想に近いような推理を延々が展開されていきます。この一連の展開を見て私が真っ先に思い出したのは90年代最高のギャグマンガと呼ばれた「MMR マガジンミステリー調査班」です。「変な家」も「MMR」も、過剰な妄想を武器に仮定に仮定を重ねていくのですが、その過程において検証という行為が一切挟まらない点で共通しています。

 それこそ最初の家を内見しさえすれば、作中でも語られているように浴室のルミノール反応は取れないとしても、壁の出っ張りが実は秘密通路かどうかくらいは壁叩くなりしてわかるはずです。2軒目に関しても、地下室の有無くらいなら何かしら痕跡を探すといったことはできるような気がします。
 しかし、この作品のキャラクターたちは自分たちの推理というか妄想が正しいのかという検証を一切行おうとしません。にもかかわらず先に立てた仮定が正しい前提でさらに別の仮定を重ねて妄想を広げていくという点で、まるっきりMMRじゃんと思ったわけです。はっきり言っちゃえば、展開が雑にもほどがあるような気がします。

 それこそ、部屋の中に近隣で見つかった死体の人物がささいな所有物が見つかったくらいの条件を提示してさえすれば、「もしかして本当に?」というリアリティを持たせられたと思うのですが、驚くくらいにそうした展開はないし、むしろ登場人物側の方が検証を避けるように内見を拒否しようとします。ギャグマンガだったら許されますが、それなりにミステリー作品とするにはこんな展開だと萎えることこの上ありません。っていうかよくこんな内容でメディアミックスしたもんだ。

2025年3月20日木曜日

日本のホラー漫画は恐怖よりも不安を煽る

 前回記事で私は専門家の意見を引用しながら、

・恐怖と不安はほぼ同じの感情
・唯一の違いは対象が明確であるか否か

 という説明を引用しました。その上で不安とはどういう感情なのかを色々自分なりにまとめましたが、その過程で思ったこととして、日本のホラー漫画は恐怖よりも不安を煽る構成が多いような気がしました。言うなれば、恐怖漫画というより不安漫画のが多いんじゃないかってところです。

 そもそも日本のホラー漫画は、あまり指摘されてない気がしますが世界的にもかなり異質な文化ジャンルに入るんじゃないかと前から思っています。推理小説に関しても何故か日本と英国でやたら発達していて、犯人殴って自白させる展開が多い中国なんかだと一切この手の作品が出てこず独自性が際立ちますが、ホラー漫画になると独自性どころか日本の唯一無二的な分野になっています。
 漫画自体が日本で極度に発達しているのもありますが、それがホラー形式でもあるのはマジで日本だけなきがします。でもってこのジャンル、日本人だけというわけでなく「富江」などの伊藤潤二氏の作品が世界的にも高く評価されており、前にも少し書きましたが映画でも「リング」が大ヒットするなどジャパニーズホラーというのは際立った存在感を示しています。

 そのジャパニーズホラーの特徴は何なのかですが、ここでさっき上げた不安がやはり一番じゃないのかと今回思いました。欧米のホラー作品というとグロテスクな描写を見せて怖がらせる「恐怖」的な演出が多いのに、日本のホラーは「え、なんで!?」と思わせる理不尽さを突き付けて怖がらせる「不安」を煽る演出が多い気がします。
 先ほどの伊藤潤二氏の作品なんかまさにそれがわかりやすく、ヤクでもきめてんじゃないのかと思うくらいぶっ飛んだ展開ばかりで不安感をめっちゃ煽ってきます。でもって、なんでそういう異常事態が発生し続けるのかについて一切説明せず、不安が解決されないまま幕を閉じることが多く、この点が読者に怖いと感じさせる点なんじゃないかと思います。

 そのように考えていくと、そもそも江戸時代の怪談物からして日本の不安を煽ろうとするホラー文化というものはほぼ固まっていたのではないかとも思えます。中国にも幽霊が出てくる怪談話は少なくありませんが、日本と比べるとなんか話が論理的で、幽霊もやたら多弁で言い訳がましい連中ばかりです。
 それと比べると日本の幽霊は黙して語らず問答無用で生きてる人に襲い掛かってきたりするなど、意味わかんなくて色々怖いです。例えば耳なし芳一とかでも、私なんか姿が見えなくなったとはいえ平家の幽霊が芳一の耳をもぎ取っていく行為に「なんでやねん(;゚Д゚)」と子供心に思いました。見知らぬおっさんならまだしも、平家物語を数日間にわたって語ってくれた相手だというのにさ。

 なおこの手の問答無用系で言えば、一番ホラーなのは薩摩藩士かもしれません。「誤チェストにごわす」をはじめ行動に一切の論理性がなく、殺害をはじめとする極端な行動を迷わず取ってくるあたり恐怖なり不安なりを強く感じます。っていうか薩摩藩士って設定にすれば、そのキャラクターが頭のおかしい行動をいくらとっても説得力がついてしまうのが色々おかしい。

2025年3月7日金曜日

シーマ様とバラライカは共通点が多い?

 以前に「評価が大きく逆転したガンダムキャラ」という記事を書きましたが、この中でガンダムの0083に出てくるシーマ様ことシーマ・ガラハウという悪役の人気が年月とともに上昇し、今や「悲劇のヒロイン」の如く高い人気を持つに至ったことを書きました。この傾向は今も変わらず、関連解説記事を見ると彼女の魅力について延々と語る人もいれば、公式の外伝作品でもどんどん過去情報が補完されているようで、ガトーをはじめほかの0083キャラが語られなくなりつつある中でシーマ様のみうなぎ登りしている感すらあります。
 まぁニナ・パープルトンもいまだに語られることが多い気がしますが、悪い方で。

 そんなシーマ様ですが、この前解説記事を読んでいる最中にふと、「あれ、なんかキャラ設定がバラライカと同じじゃね(。´・ω・)?」ということに気が付きました。バラライカというのは漫画「ブラックラグーン」に登場するロシア系マフィアの女ボスで、この作品屈指の人気キャラであるとともに「統制された暴力」という本作品のテーマを代表するようなキャラです。
 なおアニメでは小山茉美氏が声優を演じていますが、作品を視聴した人は誰もが口を揃えて「これ以上のはまり役はない」と言い切るほど、イメージと声が合ったキャラとなっています。実際、私も初めて視聴したときに「あ、バラライカの声だ(´・ω・)」と思いました。

 話を戻すと、シーマ様とバラライカには下記の共通点が存在します。

・元正規軍人だが、色々あって軍を追放された
・元部下たちを養うために海賊(マフィア)業に身を落とす
・部下たちからはめっちゃ信頼されている
・性格がキツイ
・身長がデカい
・身内に優しいが敵には滅茶苦茶容赦ない
・軍人時代の体験がトラウマ

 ざっとこんな感じですが、キャラ造形的にはほぼ同一背景を持ったキャラであるように思えます。もちろんどちらかがパクったというわけではなくたまたまそうなったとはっきり言えますが、逆を言えばこうしたキャラ設定は読者の人気を得やすいのではと思う節があります。

 実際、どちらもありきたりな美少女キャラとは程遠いキャラクターながらかなりの人気を得ており、本編外で外伝作品がいくつも作られるなどキャラの深堀が公式、ファン層ともにかなり盛んです。ではその人気の源泉は何かというとやはり先に上げた「身内に優しいが敵には滅茶苦茶容赦ない」という要素が特に大きい気がします。

 こう考えるのもかつて中東のテロリストの親玉がインタビューにて、「キツめの女が一人いると、組織というのはバシッとする」ということを話しており、何となくシーマ様とバラライカを見ていると「そうなんじゃないかな」と感じさせられるというか説得力を覚えます。それ以上に、小悪党的なポジションに落ちぶれてでも部下を食わしていこうとする世話焼きなところが、キツめの性格といい感じに組み合わさって「あ、この人なら支えてあげたい」的に思わせるんじゃないかと思います。

 ただ、こうしたキャラはメインヒロインのポジションに置くことはできないでしょう。あくまで登場キャラの一人としてこういうキャラがいると作品も映えるんじゃないかと思います。そういう意味では創作において上記設定は結構有用なキャラ設定となりうると思うわけです。

 にしても最近のシーマ様は女子高生姿が描かれたりとかはっちゃけてるな。漫画の「アラサーOLハマーン様」とかでもシーマ様出てこないかな。

2025年3月3日月曜日

ストーリーにこだわらない中国のゲーム

 キーボードの叩き過ぎによる腱鞘炎対策として指ぬき圧迫手袋を買ってつけてみましたが、なんていうか中二病感が激しくていろいろ思うところがあります。

 それで話は本題ですが、先日ネットでおすすめされていたのとユーザーレビューが高かったのでSteamで「アフターイメージ」という、上海の開発会社が作ったゲームを買って遊んでいました。いわゆるメトロイドヴァニア系の探索型アクションゲームで前評判通りに遊んでてそこそこ楽しかったです。特に探索では地図を埋める作業が割と好きなので、また到達していない空白を埋めていく作業ははまりました。
 ただアクション面に関してはそこまでいいと思わず、悪いわけではないけど攻撃方法はやや単調で、ボス戦も相手の隙を突くよりもゴリ押し戦術の方が有用だったりしてなんか盛り上がりませんでした。ただそうした点以上に気になったのは、ストーリーテーリングでした。

 はっきり言ってストーリーはひどいの一言に尽き、どれくらいひどいのかというと冒頭で主人公の師匠さんが殺されてしまうや、

「このままじゃゾンビになっちゃうから、とりあえず死体処理しなきゃ。魂さえあれば肉体が還元したらまた蘇るしね(´・ω・)」

 という風に話が進められるのですが、マジで何の世界観も解説されずに上の会話を見させられるのでマジ意味不明でした。終始こんな感じで話は進められ、こう言っては何ですが妄想狂に一方的に話を聞かせられている感じがして、プレイ中はいろいろ思うところが多かったです。

 この点についてゲーム開発している中国人の友人に話したところ、「仕方ないじゃん。中国のゲーム開発者はストーリーなんかおまけ程度としか思ってないんだし(ヾノ・∀・`)ナイナイ」と教えられました。友人によると、中国のゲームはゲーム性(アクション)とグラフィックが重視され、その他、特にストーリーに関してはないよりはあった方がいいけど、そこまで特別見られるところじゃないからあまりこだわらずに破綻や矛盾に満ちたストーリー展開も少なくないそうです。
 実際、前述のアフターイメージもそんな感じで、グラフィックとか非常にきれいでこだわられているのにキャラクターの生い立ちやストーリー展開などはわざと無茶苦茶に作ってんじゃないのかっていうくらいひどいものでした。

 ただこれは逆を言えば、日本人はゲームにおいて特にストーリーを重視していることの顕れかもしれません。マジで日本のゲームはストーリーが悪ければそれだけでクソゲーとして認定されることもあれば、「ヘラクレスの栄光3」みたくストーリーさえよければその他要素は無視して名作扱いされることもあります。RPGに限らずアクションゲームとかでも、何かとキャラクターに背景を持たせたりするなどストーリー構成や世界観を強く意識してゲームを作っています。

 こうした日本製ゲームの傾向ですが、やはりそのきっかけは初代和製RPGことドラクエの影響が強いと思います。初代ドラクエの時点でお姫様を最終局面ではなく途中で救出するなどストーリー的に起伏を持たせており、その後に続いたファイナルファンタジーなどでもプレイヤーを魅了させるストーリーが盛り込まれるなど多くのフォロワーを作りました。それこそもしドラクエがなければ、日本人が現代のようにゲームにストーリー性をここまで求めることもなかったかもしれません。

 以上を踏まえて言うと、中国の開発会社と比べるとこうしたストーリーや世界観の構築で日本勢はまだアドバンテージがあると断言できます。中国のプレイヤーからすればそこまでストーリーを評価しないかもしれませんが、キャラクターのIPビジネス展開を考えると、ストーリーに強みがあるというのはビジネス面でも強みがあるように私には思います。
 逆に中国はグラフィックに対するこだわりが非常に強く、この分野、特に3D描画に関しては美少女キャラを含め日本はもはやあまり優位を持たなくなってきている気がします。このまま棲み分けと行くのかグラフィックにも力を入れるのか、日系ゲーム開発会社は腕が問われるところでしょう。

2025年1月1日水曜日

シミュレーションゲームはマジだれる

 中国の年末年始は元旦が1日休みとなるだけで、実際昨日は私も普通に勤務してました。なので特別感もないですが、今日がお休みとなるので昨夜は夜遅くまで「キングダム&キャッスル」という中世不運街づくりシミュレーションを久々に引っ張り出して遊んでいました。

 このゲームはシムシティみたく街を作って人口を増やしていくのが目的のゲームで、なんだかんだ言いつつ結構楽しめました、最初は。昔買って1回遊んだところ何故かやらなくなり、もう一回やってみたくなって今回引っ張り出しましたが、最初の数時間はめちゃ楽しかったけど、大体人口が1000人を超えたあたりからだるくなり、今日は一切起動せず、作りかけのF-22ラプターのプラモのシール貼りをすることとなりました。

 一体何故だれるのかというと、序盤から中盤にかけては人口を増やしながらインフラを整え、同時に金策をして大型施設を作ったりしなければならないのですが、後半に入るとそれまでやってきたことを繰り返すだけになるというか、住宅を作って周辺に市場や井戸を作ることの繰り返しとなり、何ら新鮮な要素がなくなってきます。敵の襲撃アリにすれば城壁とか防衛施設も作る必要が出てくるものの、それはそれでめんどいというかあまり考えたくない要素で、なんていうかここでこのゲームに対する情熱が尽きました。

 この「キングダム&キャッスル」に限らず、シミュレーションゲームというのは後半にだれる、というか行動に制限のある序盤が一番楽しいというのは割かし共通します。カイロソフトのゲーム会社を運営するゲームでも、最初はどのハードにソフトを出すとか、どの従業員を雇うかでいろいろ悩むし、細かな指示が必要となりますが、ある程度会社大きくなるといい加減な指示でも問題なく収益出るし、人材も育っているからプロット適当でもゲームが売れるようになり、つまんなくなってきました。
 ちなみにゲーム名を自由に決められるのでいつも、「みだらな~」というタイトルで、「みだらなテトリス」、「みだらなファイター2」というゲームを作ってました。

 この後半にだれるというシミュレーションゲームで特に顕著なのが戦国シミュレーションこと信長の野望や三国志で、大体半分近くの領土を獲得すると後は消化試合となり、なんだか弱い者いじめしているようで作業感の強いゲーム展開となっていきます。
 唯一の例外が「信長の野望 天翔記」で、これはプレイヤーが出せる行動の指示数が制限されているため、最初は全領土に細かな指示を出せるけど、勢力が拡大すると指示が追い付かなくなるため、ある一定の段階で特定の領土の管理を選抜した武将を軍団長にして委任させる必要があります。このシステムがなかなか曲者で、優秀な武将ほど裏切りやすく、裏切られたら領土や物資どころかその配下武将ごと寝返るので、後半においても気の抜けない展開が続きました。

 この「天翔記」のシステムですが地味に会社の一般従業員と管理職のように、前半と後半でやる業務の内容が全く異なる点で共通しています。前半は目の前の課題をひたすら処理し、後半は勢力の方針を作って各スタッフに伝達してやらせるという運営業務が主となり、こうした「やることの変化」が後半にだれない大きな要素になってたと思います。
 もっとも、「ギレンの野望」シリーズのように敵を追い込めば追い込むほど、CPU勢力の資金力や開発力が増して反撃が激しくなるというシステムでも、やることは同じでも最後まで気が抜けなくなるためだれることはなくなりますが。

 そういう意味では後半にどうスパイスを利かせるかが、シミュレーションゲームの最終的な評価というか面白さにつながってくるのではないかと思えます。この辺考えて今度買うゲームを決めよ。

2024年12月3日火曜日

エスコン7でようやくノーマルモードオールS!


 年末セールになっていたので、かねてより本体を買っていたエースコンバット7のダウンロードコンテンツを大人買いし、上の写真のようにトップガン使用のF-14とかもゲットしました。またこれでテンション上がったこともあり、ダウンロードコンテンツステージを遊んだついでに、ノーマルモードのオールSの最後の関門となっていたラストステージに当たるステージ20でSクリアを図りました。

 先週末にオールSで一番障害になると思われていたステージ16でSをゲットしており、最終面もこの調子ならいけそうと思っていたのですがこれがなかなかてこずり、あんまりやりすぎるとストレスになると思って一旦は切り上げていました。
 しかしダウンロードコンテンツを買って盛り上がっており、勢いが何でも大事と思う性分ゆえ果敢に挑戦してみたところ、最初はなかなかうまくいかずにAランククリアが何度も続きました。機体は当初買ったばかりのどっからどう見てもSu-57だけど、トップガンに倣って「5th Genelation」という表記になっている機体で何度も試しましたがあまり上手くいかず、ラスボスの高い機動に対抗するため、こう誘導ミサイルを備えたSu-30SMで挑んだところ割とうまく倒せ、最後の難関にあるトンネルくぐりもスパっとクリアでき、見事Sランクをゲットしました。

 思えば6年ほど前、友人に「飛行機好きならエースコンバット買えばいいじゃないですか」と言われ、ずっと気になりながらもパソコンのスペック不安から今年になるまで買わず、今年になって買うやマジでやりこむくらいにはまり、やはり自分は戦闘機好きだったんだと再認識させられたゲームでした。マジで今までのシリーズを遊ばなかったことを後悔しています。

 オンライン対戦も中国にいながら遊べますが、まだ自分の腕は成長途上というか、ソロプレイで遊んでいても日々上達を感じるのであんまり参加はしていません。ただ過去に参加した際はラファールを使い、特殊兵装に超遠距離ミサイルことLAAMをいつも使ってましたが、マジでこのLAAMは凶悪というか完全なアウトレンジから不意を突くように一撃で敵機落とせるので、なんか食らわせた相手に申し訳ない気持ちにさせられます。まぁ便利だから今後も使うけど。

 いやそれにしてもいい感じの脱力感というか、一つの目標を無事達成できてほっとしています。ハードモードのオールSはさすがに狙うとストレスたまりそうなので考えていませんが、ハードモードで全ステージを一度はクリアしようと考えており、これが次の目標になりそうです。
 まぁその前に割と難しかったダウンロードコンテンツステージをクリアしないと。っていうか最初のステージだと途中でミサイル使いきるくらいの大量の空戦あってビビった(;´・ω・)

2024年11月30日土曜日

つまんなくなっていった「金田一37歳の事件簿」

【速報】金田一少年、パパになるwwwwwwwwwwww(オリコンニュース)

 上の記事見て、「ああやっぱ」という気持ちになりました。というのもこの「金田一37歳の事件簿」、回を追うごとにやばいくらいつまんなくなっていったからです。

 単行本が2巻まで出ている頃に自分も買い始めて読みましたが、最初の方はそこそこ面白く、特に回目の京都を舞台にした事件の話はよくできていると感じたほどでした。そんな感じで途中までは面白くなっていったものの、後半に行くにつれて話はどんどんつまらなくなり、トリックも「こいつが犯人じゃん」と読んでる途中にすぐわかるくらいお粗末な物ばかりとなり、途中からは新刊は発売日には買わず、セールが始まってから買うようになりました。

 一体なんでつまらなくなったのかと言えば、トリックがしょうもなくなったからと言いたいところですが実際のところ推理物でトリックの良しあしは面白さにそんなつながらないと思います。それよりも舞台というか人間関係のストーリー構成の方が重要で、このストーリー構成がこの漫画だとどんどん悪くなった印象があります。

 端的に申し上げれば、「これお前がやらなくてもいいじゃん」という話になっていきました。

 序盤こそはブラック企業に勤める主人公が行く先々で事件に巻き込まれ、かつての人脈や現在の社会人としての立場や経験、態度を活用して推理していく展開が見られました。しかし話が進むにつれて事件内容が外界との連絡が立たれたクローズドサークルが舞台となる話が増え、こうした環境では上記の「社会人となった金田一」ならではの話の展開が一切ありませんでした。むしろ高校生時代の金田一に立ち位置が近くなり、まるで「金田一少年の事件簿」の焼き直しのような話が延々と繰り返されていくようになりました。

 おまけに妙な犯人というか「お前ヤバいやろ」的に逆恨みで人殺す犯人ばかりになったり、オカルトっぽく死人がイタコみたいに話し出したり、読んでて(。´・ω・)?みたく理解に苦しむシーンが増えていきました。極めつけは全シリーズから出ている高遠というキャラで、完全にメアリー・スーみたいなキャラになって遠隔で人殺すなど贔屓も対外にしろよと言いたくなってきました。
 ぶっちゃけ自分が編集だったら、この漫画の人気を立て直そうというならいきなりこの高遠の死刑執行シーンをぶちこんで、こいつの存在をなかったことにしたことでしょう。間違いなくこのキャラがこの漫画のガンでした。

 改めて述べると推理物は漫画にしろ小説にしろ、トリック以上に人間関係や舞台が重要です。せっかくこの漫画では高校生から社会人となった主人公がその立ち位置を変えて新たに事件を推理する形式に切り替えたにもかかわらず、クローズドサークルというその切り替えを完全に台無しにしてしまう展開をえらく繰り返し、話をどんどんつまらなくしてしまったというのをはっきり感じました。
 ほんと後半はヤバいくらいつまらなかったし、犯人も「私が犯人です」ってタスキをかけている様にすら見えたし。

2024年11月18日月曜日

Vガンダムのゴッドワルドの最後のシーン解釈

 中国で相次ぐ通り魔事件について書こうと思ったけどなんか暗くなる内容で今は避けたいと思ったので、ひとつ前の記事に続いてまたVガンダムについて書きます。ってか前の記事ではルロイさんがコメント書いてくれたけど、F91とVガンダムは明らかにマーケティングの失敗で旧来ファンにも新規ファンにもどっちつかずな対応してしまって商業的にもファン層拡大的にも失敗してます。作品は決して悪くないのに、あのマーケティングの失敗でいまだに微妙な立ち位置となっているこの二作が不憫でなりません(´;ω;`)ウッ…
 ちなみにいとこの旦那はF91がマジ好きでした。でも子供からは「うちのおとんはグフ(カスタム)が好きなんやで」と言われてました。

 話は本題ですが、Vガンダムの中盤で一番議論が起こるシーンと言えば、武人肌の敵キャラクターであるゴッドワルド・ハインの最後のシーンでしょう。主人公ウッソとの戦闘に敗れ乗機が動かなくなるや、このゴッドワルドはコックピットから飛び出してウッソのVガンダムに飛びつき、コックピットを無理やり開けようとしてきます。
 これに対しウッソは自らコックピットの扉を開けるやワイヤーガンでゴッドワルドを撃ち、その衝撃で破損した乗機の方へ吹き飛ばされたゴッドワルドはその爆発に巻き込まれて死ぬのですが、ワイヤーガンで撃たれた際にウッソに対し「やったなー小僧っ!」と憎らし気に吐き捨てるのが最後のセリフとなります。

 こうした跡形もなく吹き飛んだゴッドワルドをウッソは見送ったあと、何かに気づいたかのようなそぶり見せながら「ゴッドワルドさんが、誉めてくれた……」という言葉を洩らします。先ほどのゴッドワルドのセリフは負け惜しみというか悔しさをにじませたようなセリフでとてもウッソを誉めている様には聞こえず、「ウッソはニュータイプだから、死んで霊魂となったゴッドワルドの声を聴いたのでは?」という風な解釈がなされることが多いです。実際、私もそういう風に解釈してました。

 しかしかなり昔ですが、あるサイトでこのシーンについて異なる解釈をしている人がいました。それはどんな解釈かというと、この「誉めてくれた」というのはウッソの完全な妄想であり、ゴッドワルドは死後を含めてそんなことは言っていないというものでした。

 この解釈の根拠はというと、まず前述の通りゴッドワルドが死の間際に言ったセリフはウッソを誉めるような内容では決してないこと、そしてゴッドワルド自身が武人肌でやや戦闘狂な人間なため敵を誉めるようなタイプでないということ。そして何よりの根拠として、これ以降のウッソの行動がどんどん狂気じみてくるという理由を挙げていました。
 具体的にどうなるのかというと、敵から奪取した宇宙砲台のビッグキャノンを周りに操作できる人間がいないという理由から、ウッソ自身が引き金を引いて敵艦隊に放つようになります。この結果として数百人、下手すりゃ数千人単位が一撃で死んでおり、ウッソ自身も「これで戦争が終わるんだ」と自分に言い聞かせながらやってはいるものの、こうした大量虐殺的な行為をどんどん行うようになっていきます。

 Vガンダムのテーマ自体が「みんな狂ってるから何がおかしい行動なのか誰もわからなくなる」にあるのですが、確かに中盤以降、主人公のウッソはタガが外れたかのように敵兵を殺すことに躊躇がなくなります。まだZガンダムのカミーユの方が「ニュータイプなんで人殺しの道具でしかないもんな」と自嘲する辺り、理性を保っていたと感じるくらいです。まぁその後、カミーユは精神崩壊するのですが。

 こうしたウッソの中盤以降の行動の狂気化もあるだけに、先ほどのゴッドワルドが誉めてくれたというのは彼を手にかけたウッソが半ば自己弁護というか開き直る言い訳として無自覚に聞いた空耳だったのではというのが、自分が見た解釈に書かれてありました。今でもこの解釈は頭から離れず、実際のところはどうか議論の余地はあるものの、一考の価値があるものとして覚え続けていました。
 仮にそうだとすると、戦争は人をおかしくさせるというか、比較的まともそうな表情見せながらおかしくなっていくというのをうまく表現しているように見えます。おかしい人というと割と見た目からして北斗の拳に出てきそうなモヒカンの風貌がイメージされますが、実際は普通そうな見た目のままおかしくなっていることの方が多いでしょう。そういう意味ではこのシーンは、少年が本格的に殺人マシーンへと変わっていく過程を描いた秀逸なものとして評価できるように思えます。

2024年11月16日土曜日

Vガンダムがハブられる理由

 本題と関係ないけど昨日最終回を迎えた人気漫画の「推しの子」の最終回が炎上している件について、中国でも意図せずに記事を見つけるなど大きく報じられていることにビビりました(;´・ω・)

 話は本題ですが、ガンダムのゲームとかでよく「宇宙世紀機体、大集合!」などというキャッチコピーが使われるものの、そこに本来宇宙世紀シリーズに入るVガンダムの機体は入ってこないことが多いです。また宇宙世紀シリーズから世界観を一新したGガンダム、ガンダムW、ガンダムXの三作を「平成三部作」と呼ぶことも多いのですが、放映年数でGガンダムに連なっているVガンダムはここでもハブられ、「平成四部作」とも誰も呼びません。
 以上の通り、テレビ放映されたガンダムシリーズとしてはVガンダムは異例なくらいにハブられることが多く、ゲーム化や外伝作品の制作も他のシリーズと比べると極端に少ない傾向がある気がします。かといって作品として評価や人気が低いというわけではなく、エキセントリックな女性キャラクターが多いこともありファン層も自分を含め根強いと思うし、エヴァの庵野監督もVガンダムがあったからこそエヴァは作れたと話すなど影響力も大きいです。

 では何故それにもかかわらずVガンダムはハブられるのか。一つの仮説として、テレビ放映時のマーケティングの失敗によりファンの年齢層が歪になったからではないかとみています。

 まず放映当時の90年代前半について触れると、この時代のガンダムといったら基本的にBB戦士などの二頭身なガンダムでした。Vガンダムが放映されるまではテレビ放映のアニメ作品が一時中断しており、新たな機体が出ることもなかったため、新規のプラモ作品が作りづらい時代にありました。そのため当時は過去作品に使われた機体や、それら機体を二頭身にした上でリデザインしたナイトガンダムや武者ガンダムが多く出され、逆に背の高いリアルな造形のプラモは完全に旧来ファン向けと割り切られ、新規ファン向けには作られませんでした。

 そこへきてようやく待望のテレビシリーズとしてVガンダムが始まったのですが、上記の通り当時の、少なくとも小学生世代にとってガンダムといったらSDガンダムだけだったのですが、実はVガンダム放映当時はSDガンダムのプラモや他メディアへのコラボはほぼ一切行われていませんでした。放映中はリアルな造形のプラモデルしか販売されず、放映終了間際になってようやくSDガンダムのプラモが発売されるようになりました。
 実際私も、かねてからSDガンダムはよく作っていたことから放映中のVガンダムも早く作りたいと願っていたものの、なかなかSDガンダムでのプラモが発売されず、えらくやきもきしたことを覚えています。あまりにも出ないものだからそれまであまり作ったこととのないV2のリアルモデルキットを作り、SD版では放映終了間際に出たV2アサルトバスターのみ作ったことを今でもはっきり覚えています。

 なおこうした傾向はプラモデルに限りませんでした。当時はゲームの「ザ・グレイトバトル」シリーズをはじめ仮面ライダーやウルトラマンなどほかの版権キャラとコラボさせた、二頭身キャラのゲームで遊ぶコンパチヒーローシリーズというものが展開されていました。もちろんガンダムもこれらシリーズに登場するのですが、何故かVガンダムは採用されることはなく、初代のガンダムかVガンダムより1世代前のキャラに当たるF91がコンパチヒーローシリーズに使われ、現代だけじゃなく当時からもゲームなどでハブられていました。

 一体何故当時の子供の間で最も流行っていたSDガンダムでVガンダムのキットは作られなかったのか。自分が過去に聞いた話では、これは明確なマーケティングの方針によるものだったそうです。
 具体的には、SDガンダムで育ったファン層をリアルな造形のプラモデルのファンへと昇華させるため、敢えてVガンダムはSD化させていなかったそうです。実際上記の通りそうと思える節が多く、この方針が確かにあったのではと私も考えています。

 ただこの方針は成功したとは言い難いです。今もそうですがVガンダムに登場した機体の任期はそれほど高くなく、また当時を思い返してみてもリアル造形のプラモに移った子供は多くなく、SDガンダム自体が退潮的となったガンダムWの時代あたりでようやくファン層が転換したような気がします。むしろVガンダムでSD化キットの販売を出し渋ったことで、当時の小学生くらいのガンダムファン層にVガンダムがうまく浸透せず、またZガンダム以来の旧来ファンも思ったより入り込まず、ファン層がどっちつかずな作品になってしまったのではとみています。
 この結果、Vガンダムは確かに好きな人はいるっちゃいるけど、年齢層が余り固定されておらず、斑上にファン層が形成されてしまった感じがします。具体的には宇宙世紀シリーズファンの10%、当時小学生だった世代の10%、それ以外の層の10%というような感じで、Vガンダムとコラボした作品を作っても売り上げを立てづらい歪なファン層になっている気がします。

 私個人としては、以前にも書いたように「周り全体が狂っているから自分がおかしくなっていることにすら誰も気が付かない」ストーリーや、カテジナをはじめとするエキセントリックなキャラクターのオンパレード、あとシンプルイズベストを貫くV1のデザインなどでVガンダムのことが大好きですが、志を同じくするファンとはいまだ出会ったことがないです。それもこれも、上記の中途半端なマーケティングの失敗だと思うとなんか悔しさを覚えます。

2024年10月26日土曜日

ルックバックの映画面白かった(´・ω・)


 なんかこの前行ったラーメン屋に貼られていた警察のシールなのですが、書かれている内容を翻訳すると、「ケンカはダメ、負けたら病院、勝っても牢獄」という内容で、なかなかいいフレーズというかユーモアが感じられたので撮影しました。っていうか勝ち負けをはっきり分ける辺り中国らしい。

 話は本題ですが今日から中国で公開されている日本のアニメ映画の「ルックバック(中国語:蓦然回首)」を見に行きました、また朝一だったので観客は自分ともう一人だけでした。
 この作品は知って売る人には早いですが「チェンソーマン」の作者の藤本タツキ氏の短編を原作とした映画で、日本でも6月に公開されています。原作の漫画は私も読んでて単行本も買っているのですが、漫画ならではの特殊な表現を効果的に使用しているほか、他の同業者からも絶賛されている通りクリエイターの生みの苦しみめいたものを上手に表現していることから非常に高い評価を得ています。

 そういったわけで今回映画化もされたわけですが、前述の通り漫画ならではの表現が使われているため、私自身は映像化しにくい作品だと考えていました。それだけにそういった場面をこの映画ではどういった風に表現するのかが気になっていたのですが、特に違和感なく、アニメーションとしてうまく落とし込めていました。
 また監督の押山清貴氏のインタビューによると、主人公が雨の中スキップするシーンはやや原作とは異なる動き方にして見せたが、それ以外は原作をなぞるように、作者の意向を確認しながら作ったそうです。最近、っていうか昔からですが、原作を変な風に改変して失敗する作品も少なくないですが、先ほどのきちんと映像に落とし込むという点といい原作を余計に変えず、それでいて違和感のない場面で自分の色を見せる辺りは大した監督だと正直思いました。

 特に自分が感心したのは音響方面で、極力BGMを排したのは自分のイメージともぴったりでした、BGMのある所も非常に場面とあっていて、多分一番評価できるところなんじゃないかという気がします。

 このほか声優の演技についてですが、主役二人に関しては全く問題なく、特に京本役の人は今後伸びしろがあるのではという期待感を持ちました。しかしモブこと脇役に関しては正直に言ってびっくりするくらいの棒読みで、敢えて目立たせないためそのような演技指導をしたのかもしれませんが、下手過ぎて逆に悪目立ちしているような感すらありました。なんであんな下手な演技でそのまま通したのか、この映画における唯一の不満点となりました。

 以上が私の感想ですが、まだ公開初日とあってあまりメディアも報じてないですが、中国でもこの作品は売れると睨んでいます。こう考える理由としては、中国人は日本人以上に下手な友情物に弱く、ストーリーが受け入れられやすい点が第一に挙がります。
 第二の点として、前述の通りこの作品は漫画家などのクリエイターから非常に高い評価を得ていますが、こうしたクリエイターの生みの苦しみを描くような作品が中国だとほとんどないためです。日本では同じく漫画家を目指す少年二人組を描いた「バクマン」などがありますが、中国だとこの手の作品はあまりなく、実際友人の中国人も「バクマン」を見て凄い新鮮に感じたと話してました。

 それでいてですが、中国人自身は割とクリエイター気質というか、一つの作品に全身全霊で打ち込もうとするような人間が少なくないです。こうした人はカメラ趣味系に多い気がしますが、そうした作品を作る側に立ったストーリーがあまりないだけに、このルックバックを見て共感を覚える中国人も少なくないというか「こういうのを見たかったんだ(´;ω;`)ウッ…」という人が多いのではと思っています。
 この辺、今後の中国の報道を見て反響などをまた書いていきます。

2024年10月8日火曜日

エースコンバットの操作感について

 今日からまた仕事が再開したため現在すでに体がだるだる状態ですが負けずにブログを書くと、この連休中に「龍が如く7」を無事クリアしました。際立って高い前評判通りに素晴らしい傑作と呼べるゲームで、小さなメダルならぬヤクザの代紋拾いがあるなど、ただ単に街中を歩き回るだけでも十分楽しい上に、ストーリーも任侠物のオーソドックスな筋道ながら各キャラの折々の心情が見え素晴らしく、エンディングには自分も感動しました( ;∀;)
 なお一点だけ付け加えると、日本のRPGにおける主人公は基本十代の少年しかいないのですが、今作は18年の懲役を経て無所から出てきたばかりの40代のおっさんに、ホームレスと懲戒免職食らって無職のおっさん二人が最初に加わるという、歪だけど最高なパーティ構成でした。やってて思ったのはこういう大人の年齢層のキャラが日本のゲームには少なく、それがためかえってこの構成が新鮮でした。

 こうして無事「龍が如く7」をクリアしたので、今度は今のパソコンなら問題なく動くだろうと前のセール時に買った「エースコンバット7」を今遊んでいます。以前から好きだしウクライナでも活躍しているミグ29をメインで飛ばしていますが、このゲームを始めるにあたっては「フライトシミュレーターは捜査が難しい」と言われていることが若干不安でした。
 実際、エースコンバットシリーズも初心者がやると最初は苦戦すると聞いていて、果たして自分にミグ29をうまく使えるものかと不安だったのですが、結論から書くと全くの杞憂でした。感覚的には初戦でザク3機を軽くやってのけるくらいの感じでスイスイ操作に慣れました。

 一体なんでそんな簡単にミグ29をすぐ操縦できたのかというと、以前にPSPで「零式艦上戦闘記」というゲームを遊んでいたことが何よりも大きかったです。このゲーム、二次大戦中のレシプロ戦闘機を使って戦うゲーム、エースコンバットと同じフライトシミュレーターに属します。基本、空での挙動操作は同じで、ピッチからロールといった操作は当然で、ブレーキかけながら旋回するなんて操作もかねてからやっていたというか、「零式艦上戦闘記」ではそれができなければお話になりませんでした

 というのもこのゲーム、前述の通り二次大戦中のレシプロ機で遊ぶゲームであり、ゼロ戦だけでも複数種類あれば秋水なんて際物機体まで揃えてあります。しかしどの機体もミサイルなんて未来的なありがたいものは一切なく、戦闘中は機銃で全敵機を撃ち落とさなければなりませんでした。
 今でも覚えてるけど、サイパン戦で上から垂直降下&上昇を繰り返す無数のF6Fを相手にする戦いでは気が狂いそうでした。あの戦術が如何にゼロ戦相手に効果的であったのかを、ゲームを通してながら身をもって知りました。

 そんな自分からすれば、エースコンバットはミサイルをガンガン打てるというかロックオンしてポンするだけで済むので、めちゃ楽です。というか最初はミサイルの打ち方がいまいちわからず、ミサイルで仕留めるより機銃で撃ち落とす方が楽に感じて、ガチで機銃だけで戦ってました。一体いつのガンファイターだよ。
 同じく特殊兵装の扱いも最初は慣れませんでしたが、この辺の操作が分かってしまうと後は本当に簡単というか撃墜するのは本当に楽だなぁ、いい時代になったもんだとか感じてます。もっとも「零式艦上戦闘記」と違って、敵機もミサイル打ってくるのでその回避が若干面倒くさいなと思いますが。

 なお同時期に「メタルギアソリッド5グラウンドゼロズ」も買ってたのでこちらも遊んでみましたが、こちらはそのひとつ前のPSPで出た「ピースウォーカー」はかなりやりこんでいたため、余裕で遊べると思ってましたが、実際は逆でした。なんか操作ボタンがやたら複雑というか面倒くさくなっており、端的に言って直感的に動かせず、この辺はすごく不満でした。それでいて、やれる動作は「ピースウォーカー」からそんなに変わっておらず、なんでこんな無駄に複雑な捜査にしたのか疑問にすら感じます。

 なお「ピースウォーカー」で一番楽しかったのは、ガレージで物音を出してやってきた兵士にまとめてバズーカバルーンをぶつけ、屋根のあるガレージの中なのに、10人くらいまとめて風船で空に飛ばすのが気持ちよかったです。変にメルヘンなのが良かった。

2024年10月1日火曜日

ダサさ極めた対魔忍


 上の画像は自分が遊んでいるソシャゲの「アクション対魔忍」における使用キャラのステータス画面です。このゲーム、決してそこまで優れているとは思わないけどなんだかんだ言いつつすでに1年以上遊んでいます。これだけ長持ちしているのは単純にアップデートが頻繁で、使用キャラやアイテムの追加が常に多く、またP2Pことプレイヤー同士の対戦要素が少なく後発組もまったり遊べて入り込みやすいため、海外でも人気を得ていると聞きます。
 ちなみに中国版のタイトルは「動作対魔忍」。

 それでこのゲームですが、キャラクターの衣装はゲーム内通貨を使って購入して色々着せ替えることができます。またその衣装には複数のカラーパターンもあるのですが、ゲーム内アイテムを使うことでそのカラーパターンを自由に変えることもできます。
 カラーパターンは一つの衣装に対し三つの部位があり、その部位ごとにアイテムを使うとランダムで提示される色から選んで彩色するのですが、あくまでランダムなためなかなか思った通りの色に仕上げることはできません。もっとも私は額に意表を突く色の方がいいと考えて、時たま気に入った衣装でこのカラー変更をやるのですが、上のアサギというキャラの衣装でこの前何の気なしにやってみたところ……
































何だこのクソダサい衣装は!?


 最初見た時かなりビビッと来たというか、ダサさを煮詰めたかのようなこのカラーパターンになんか衝撃を受けました。っていうかこういうぴっちりスーツ系衣装で黄色が混ざると、高確率でダサくなる気がします。この衣装だと、赤と黄色の組み合わせが最悪なんでしょう。

 真面目にこんな衣装着て出動しろとか言われたら家出するような衣装です。偶然とはいええらいものを作った気がします。
 なおアサギは普段は教師版衣装を着せて遊んでいます。何tのなくこの手のツリ目キャラはメガネかけるといい感じになる気がします。

2024年9月18日水曜日

「小悪魔教師サイコ」裁判の和解に触れて

売上7億円超の人気漫画『小悪魔教師サイコ』作画家・合田蛍冬氏が出版社を提訴した訴訟が和解 同一原作の後発漫画が出版されトラブルに 出版社は謝罪(ねとらぼ)

 本日、「小悪魔教師サイコ」という漫画の作画家と出版社、原作管理会社間の裁判が和解したとの上記報道が出ました。この漫画ですが実は自分は2週間前に購入して読んだばかりで、読むきっかけとなったのもこの裁判でした。

 2週間前、何故かふと「セクシー田中さん」事件のことを思い出し、この件ではドラマを制作してトラブルを引き起こした日テレがやり玉に挙がっていましたが、本来なら仲立ちを果たさなければならない出版社(出版社)も騒動を収めないどころか放置しており大概だったなと考えたところ、「そういえば、『小悪魔教師サイコ』でも漫画家と出版社でも揉めていたな」と思い出しました。せっかくだからこの騒動も追ってみるついでにと、件の漫画を手に取るに至ったわけです。

 その「小悪魔教師サイコ」という漫画作品ですが、一読して「ああこれは人気出て売れるわけだな」と感じました。動きのあるシーンのコマ割りとセンスのない表紙デザインはややどうかと思うものの、話のテンポはよくキャラクターの描き分けもできており、内容には惹かれるものがあって既刊3冊をすべて購入して読みました。
 個人的には、普段無表情で張り付いた笑顔しか見せないサイコパスの主人公が、脈絡なくスコップで思いきり他人の頭をぶん殴ったものの相手がまだ死んでなくて、「やべ、仕留めそこなったΣ(゚Д゚;≡;゚д゚)」という表情を浮かべるシーンが強く印象に残っています。

 話を戻しますがこの「小悪魔教師サイコ」の漫画はウェブコミックとして人気を得て売り上げもよかったそうですが、何故か原作者側は別の出版社とも漫画化契約を結び、同じ内容の漫画が同時期に連載されることとなりました。しかし後から始まった方は先行していた、今回裁判を起こした作画担当の合田蛍冬氏が描いた漫画のコマ割りをはじめ、原作にはなく独自に追加したシーンまでも模倣していました。
 これに対し合田氏は抗議するとともに、監修としてクレジットに名前を入れることなどを求めましたが却下され、それどころか原作者側が逆に合田氏に対して騒動を起こしたとして謝罪を求めるなどこじれていきました。

 そうした成り行きから合田氏の連載は休載に追い込まれることとなったのですが、間に立つべき出版社側は何故か原作者側に立ち、裁判を示唆するなどあることないことを合田氏に吹聴して余計に揉めさせるだけでした。また告知なく休載した件について合田氏が自身のブログで経緯を説明すると、出版社は自分たちが休載を告知していなかったにもかかわらず、合田氏にブログでの休載説明を削除した上で謝罪するようよう要求してきたそうです。

 こうした諸々の経緯もあって合田氏は出版社や原作者側へ騒動に関して謝罪し、この問題に真摯に対応するよう求めるため、賠償金がなんとわずか3円という裁判を起こすこととなりました。
 個人的な見方から言えば、この形式的な3円という賠償要求額といい、裁判経緯をしっかりブログで説明、公開しているあたり、合田氏は非常にしっかりしていて責任感もある人物であるという印象を受けます。なおその裁判経緯によると、出版社側はすぐわかる虚偽発言を繰り返した挙句、矛盾を指摘されるや嘘に嘘を重ねる始末だったそうで、少なくとも出版社の人間は無能だというのがこの裁判からはっきりわかりました。

 今回の報道によると、詳細は明らかにされていないものの、最終的に出版社、原作者は合田氏に対し謝罪することが決まったそうで、合田氏もこの結果に一定の納得感を得ていると述べています。私としても合田氏の肩を持っていたし、前述の「セクシー田中さん」の件で出版社側にもかねてから作家に対する問題行動が見受けられていただけに、こうした合田氏の行動がほかの理不尽を強いられている作家の励みになるのではないかと期待しており、今回の結果はいいものになったのではと思ってみています。

 そもそもの話、いくら原作を持っているからと言ってせっかく漫画版が人気出ているのにそれとは別に漫画作品を同時期に立ち上げるという道理が全く理解できません。「ひぐらしのなく頃に」や「うみねこのなく頃に」のように、独立しているエピソードごとに別の作画家を立てて漫画を同時連載するなら理解できますが、同じ原作で同時期に別の漫画が連載されるとあれば、もし自分が同じ立場だとあまりいい気分はしないでしょう。
 なおこのような同時並行連載形式だと人気な「薬屋のひとりごと」がありますが、あっちはあっちで片方の作画家が脱税で摘発されて、「脱税版」、「納税版」と区別されるようになって、これはこれで面白かったです。

 それらを踏まえると、初めに「ほかに漫画作品を立ち上げない」という条項を原作者との契約で盛り込んでいたにもかかわらずその契約権利を行使しなかった出版社が、無駄に自分のところの人気作品を失うというあほな行為をしたというのがこの裁判の帰結だと思います。本当にぶんか社はなにがしたかったのだろうか?

 その上で、自分もいた時に感じましたがメディア、コンテンツ業界はこの辺の契約や法務に関してザルもいいところで、こうしたトラブルは見えないところで無数にあると断言できます。日本がコンテンツ産業をもっと強化したいというのであれば、こうした業界の意識の低い契約習慣を改めさせる、または作家らを公的に法務面でサポートすることが強化につながるとすら考えています。
 幸い、この辺は漫画家組合がそれなりにサポートしているようですが、そうした動きをもっと広げることこそが、日本のコンテンツ業界では重要な気がします。一番よくないのは米国のように出版社が原作権利を強く持つことで、やはり作家ファーストで日本は行ってもらいたいものです。

2024年9月15日日曜日

ゲームのムービーシーンにおけるカメラワーク

 今更ながら「龍が如く7」を遊んでいます。発売が2020年であることもさることながら、購入したのは去年のセール時ながらも何故かこれまでは他のゲームを優先して遊ぶことなく、なんか手持無沙汰な状態がふと訪れたので起動してみるとこれまた面白く、評判が高かっただけに非常に楽しんでいます。
 にしてもゲーミングパソコンじゃなくてもPS4クラスのゲームがパソコンで遊べるようになるとはいい時代になったもんだ。戦闘機ゲームのエースコンバットも今度動くか試す形で買ってみようかな。

 話を戻すとこの龍が如く7ですが、ストーリーをはじめとするゲーム内容の面白さ以上に、ムービーシーンにおけるカメラワークに驚かされました。具体的にどこがどうと言いづらいのですが単純に素晴らしく、どのムービーもちょっとしたカメラワークで各描写を強く印象付けるように作られており、どのムービーも早送りせず見入ってしまうほどです。
 どんなカメラワークがいくつか挙げると、左右に二人の人物の顔が映されていて、最初はしゃべり始めた片方にピントが合っているものの、もう片方がしゃべりだすとそちらにピントが移る。あと徐々にズームアウトしていって端の方に入り込んできた人物がおもむろに語りだすなど、こういう映画とかでは当たり前のカメラワークですが、ゲームだとこれまであまり目にしたことがありませんでした。

 カメラワーク一つでこれほどまでムービーが良くなると私は今まで感じたことはなく、ただ単に最近のゲームを遊んでいないだけかもしれませんが、かつて遊んだゲームのムービーでは印象を覚えたことは本当にありませんでした。思い起こすと、スクウェアエニックスやコーエーテクモのゲームはどれも美麗CGやムービーを売りにしていますが、改めて思い起こすとCGの素材ばかりに力を入れて、そのCGをどう映すかというカメラワークに関してははっきり言ってお粗末な水準だった気がします。
 基本的に顔面アップが多く、アクションするシーンも遠回しに映すだけで迫力がなく、終いには最近は減ったけど悪名高いQTEを入れてムービーなんか見られない状態にしたりといった感じです。

 そもそも龍が如くシリーズの元プロデューサーである名越氏自身はゲームではなく映画を学んでいたものの、就職にあぶれてゲーム業界に入ったという口なだけに、この方面のカメラワークがやっぱりこのシリーズが優れているのも当然かもしれません。ついでに書くと、龍が如くの製作前から柴田亜美氏の漫画(どきばぐ)ではまるでその未来を見越したかのように、本宮ひろし風のヤクザとして描かれていました。

 話をまとめると、ゲームのムービーと言うとCGの美麗さやキャラクターのかわいさばかり取り上げられがちですが、そうした素材を生かすも殺すもやはりカメラワーク次第というべきか、この方面に意識が薄いゲーム会社も少なくない気がします。そういう意味ではゲームクリエイターも映画とかの撮影方法をもっと学ぶべきなのかもしれません。

2024年8月28日水曜日

空の軌跡FCの思い出

『英雄伝説 空の軌跡FC』リメイクが2025年に発売決定!!(ガハログ)

 なんか今日はときメモをはじめ昔のゲームのリメイク制作発表が相次ぎましたが、こちらの「英雄伝説 空の軌跡FC」のリメイク発表を見て、「ああ、こいつかよ」とげんなりした思い出が浮かんできました。

 このゲーム、確か自分が大学生の頃に秋葉原のジャンク屋にて500円くらいで売っていたのを見て購入しました。さっそく自宅に帰って遊んだのですが、結論から言うと非常に面白くなく、途中で遊ぶのやめて放り投げました。
 一体何が不満だったのかというと一言で言えばお使いゲーの極みみたいなもので、全然ストーリーが進まないのに「あれ買ってきて」、「あれ何匹か殺してきて」、「これ届けに行って」などというお使いを延々こなし続ける内容で、これの何が面白いんだと当時すごい疑問に思いました。

 しかも使用キャラはエステルとヨシュアの二人ですが、この二人に性能差はほぼなく、ただ殴るかスキル使うか、しかもスキルも似たり寄ったりで戦闘に一切戦術性がなく、はっきり言ってドラクエ1の方が戦闘はよく練られていたほどです。こんな感じで異常につまらないと思い、その後続編が出たと聞いて「あの内容で?」と正直耳を疑ったほどでした。

 そんなこのゲームですが一つだけすごい思い出があります。それはこのゲームのヒロインのエステルのことで、彼女の名前を見るたびにかつて少年ジャンプで連載されていた「少年エスパーねじめ」に出てくる練川えすてるというキャラクターを思い出すため、このゲームを遊んでいる最中は「少年エスパーねじめ」、そして同じ作者の別作品である「純情パイン」がずっと頭をもたげました。
 特に「純情パイン」の方は小学生男女二人組のヒーロー物だったため、男キャラのヨシュアの方も段々と作者の小玉なみえっぽいキャラに見えてならなくなりました。なので今回のリメイクの報道を見るやまた「練川えすてる」という単語がもたげ、今日は仕事になりませんでした。

 いやはっきり言うけど、このゲーム作った人には本当に金返せって言いたくなるくらいつまらなかったと言ってあげたいです。20年近く経つけど、この20年間で一番つまらなかったRPGゲームを挙げるとしたら迷わずこのゲームを私は挙げます。

2024年8月23日金曜日

漫画「ナポレオン」の完結に触れて

 見出しにもある通り、長谷川哲也氏の漫画「ナポレオン-獅子の時代(途中から覇道進撃)」の最終巻が今日発売され、昨夜夜遅くまで日本から来た友人らと人民元の効率的な送金方法を議論したにもかかわらず、夜中にダウンロードして読んでました。でもって今日の通勤途中に3回くらい読み直してました。

 完結巻とあってこの巻ではセント・ヘレナ島に流されたナポレオンが死ぬまで、そして死後の関係者のその後が描かれていますが、出てくるのは揃いも揃ってジジイばかりで、若手キャラと言えば息子のナポレオン2世くらいでした。まぁいいんだけど。
 ただそれもあってか、イタリア遠征を思い出す最終シーンでナポレオンやその旗下の元帥たちが当時の若々しい姿で一斉に描かれるのは感無量であり、万感の思いとともに自分も眺めていました。

 それにしてもこの漫画ですが総巻数は42巻にも及び、横山光輝のライフワークと言える「三国志」の60巻には及ばないものの、連載期間は20年超を数え、ナポレオンを描いた漫画としては最長であり最高であるというのは揺るがないでしょう。
 私はこの漫画を1巻が発売された大学生の頃から読み始めたのですが、大体6巻くらいの頃に地元の本屋が何故かこの漫画を入荷するのをやめやがったせいで途中で中断を挟んだものの、その後覇道進撃に入ったあたりから再び読み始めるようになりました。

 ナポレオンについては少年時代よりその関心は強く、割とよく歴史漫画だけじゃなく評伝も読んではいたのですが、大体どの評伝もナポレオン本人にばかりスポットを当てていてその周辺人物についてはあまり触れられてきませんでした。それがこの長谷川氏の漫画では主人公のナポレオン以上にその部下であるネイやダヴーといった元帥らの活躍が華々しく描かれているばかりか、彼の政敵となったタレイランやロシア皇帝らも細かく描かれ、正直今まで読んできた評伝は何だったのかと言いたくなるような衝撃を受けました。それと同時に、ナポレオンも一人で成り立つのではなく、その優秀な部下らがいて初めてあれだけのことをやってのけたのだということも理解しました。

 そんなナポレオンを伝説足らしめているのはやはり、栄光を極めた後で転落をしている点にあると思います。説明するまでもなく、ロシアと英国を除いたほぼすべての欧州大陸を一時支配したものの、ロシア遠征での失敗を皮切りにフランス以外の支配をすべて失い、流刑後に一度は復権するもワーテルローの戦いを経て百日天下に終わり、流刑地で寂しく死去するという結末が、死後に多くの人間の共感を得たのだと思います。

 今回改めてそのナポレオンの事績を思い浮かべるにつれ、彼の場合は彼自身の後継というより、彼の部下の後継を育てられなかったことが致命的だったのではないかという風に思い至りました。ナポレオンの部下のほとんどはイタリア遠征時における幕僚たちであり、アウステルリッツの戦い以降は目立った戦績を残すようになる新参の将軍はあまり出てこなくなります。しかも従来からの幕僚たちも時代や戦争を経るにつれてランヌやベルティエをはじめ徐々に世を去り、残ったネイやスルトを率いて挑むも彼らがワーテルローで致命的な敗戦を犯し、ナポレオンは失脚するに至ります。
 それこそ仮にロシア遠征時にでも従来の元帥らに並び立つような才覚の人物を新たに登用し、幕僚の層を厚くして年代層を若返らせておけば、また何か違ったのではないかという気がしないでもありません。この辺、人気漫画作品に頼ってたところその作品が連載終えるや人気が急落する漫画雑誌に近いような気がします。

 まぁそれを言ったら、ナポレオン自体も後年の軍事的才能の枯渇ぶりは目に余るのですが。

 それにしても20年以上の読み続けてきた漫画がこうして終わるというのはなかなか感慨深いものです。長谷川氏はナポレオンの連載中にも「セキガハラ」をはじめ色々ほかの作品も描いていますが、今後どういう作品を描くのか、恐らくまた手に取ると思うので今から楽しみにしています。

2024年8月19日月曜日

日本のホラーコンテンツ産業の成り立ち

 
 本題と関係ないけどこちらの上原氏と赤星氏の対談が毎回面白くてつい見ちゃいます。練習が厳しすぎて亜細亜大と駒沢大の試合はどちらもイップス発症者が多く、現広島監督の新井氏なんか典型的なイップスだったから試合でサードにバントし続けるという鬼畜な戦術取られてたとかやばいです。



 でもって本題動画がこちらとなりますが、本日公開されたホラーゲームの金字塔と呼ばれる「サイレントヒル2」のリメイク版ストーリートレーラーです。あいにく私はこのゲームを遊んではいないのですが日本はおろか世界中で最高級の評価を受け、その評価は十年以上たった今も色あせず、こうしてリメイクが作られるに至りました。

 そのサイレントヒル2を含め輸出競争力という観点で見ると、意外と日本のホラーコンテンツ産業は侮れない実力があります。美少女アニメコンテンツとかよりもずっと稼いでいるように思えますし、またソフトパワーという観点でも非常に食い込みがよく、アニメファン以外からも支持を得ている点で範囲が広いように思います。
 などと日本のホラーコンテンツにこの前友人との会話から着目した矢先にこのストーリーオレーラーが出たのでこうして書いていますが、そもそもいつから日本はホラー映画やホラーゲームが世界的コンテンツになるほど成長したのか。案外この点は語られることが少なきがします。

 敢えて私の独断と偏見で語らせてもらうと、日本のホラー産業の始まりは海外作品の影響が端緒であったように感じます。それは何かというとズバリ映画の「羊たちの沈黙」です。それ以前からもホラーコミックが少女漫画を中心にありましたが、この作品からサイコスリラーというジャンルが日本でも広がり、「幽霊なんかよりも本当に怖いのは人間」というオチをつけたがる日本人に新たな成長の種を蒔いたかのように思います。
 こうしてサイコスリラー作品が日本でも模倣的に作られ、またオウム真理教などマインドコントロールを行うカルト団体が世間で認識されるに伴い、漫画や映画だけでなく、ゲームでも述べる系を中心にホラーゲームが徐々に増えていった気がします。具体例を挙げると「クロックタワー」シリーズや、最近はアクション路線に入りましたが「バイオハザード」シリーズなどが代表的で、こうしたホラーゲームが後々海外で稼ぐ下地が90年代中盤からみられるようになりました。

 そこへきて一気に日本のホラーコンテンツが花開く作品として、貞子でおなじみの「リング」が1998年に映画化され、大ヒットを飾ります。今になって思うとこの作品のヒットは日本のホラー産業にとって非常にでかかったように思え、前年に同じく映画化された「パラサイト・イヴ」と合わせてホラー小説→実写ホラー映画というコンテンツセットを確立し、その後も同様の工程フローを経たホラーのヒット作品が次々と生まれていきました。今じゃあんまり存在感ないけど、当時は「角川ホラー文庫」こそが角川書店を代表するコンテンツで影響力も強いものがありました。

 話を戻すと「リング」、その後に続く「呪怨」などのホラー映画作品のヒットは日本国内にホラー愛好家を増やしただけでなく、ハリウッドでも映画が製作されて「ゴジラ」以上に大ヒットを決めるなど、一気に日本製ホラーが海外で売れるようになりました。これ以降は明らかに海外で売ることも視野に入れてホラー作品が作られるようになり、また実際にヒットを連発し続けるになって、日本のホラーコンテンツ産業が一躍スターダムになった気がします。
 私自身は「リング」の小説については確かに文章が読みやすく展開の運びは非常にうまいと感じたものの、オチがやや突飛だし強引な感じしてあまり好きではなく、ヒットの要因はどちらかというとあの貞子のビジュアルを映像化して再現した映画関係者による貢献が大きいと考えています。ただそんな私の評価は別として、日本製ホラーが海外で花開く嚆矢となったのは間違いなくこの作品であり、その点で言えばオリジネーターとしてもっと評価されてもいいとすら感じます。

 話を続けると、その後にPS2が発売されてゲームのグラフィックが強化されると、ホラーゲームでも国内外でヒットする作品が連続します。その代表こそまさに冒頭で挙げた「サイレントヒル2」で、舞台が米国であるためか欧米に受け容れられやすく、こちらもハリウッドで映画化を果たしています。
 また舞台も世界観も完全に和というか日本色の強い作品であるものの、自分もよくやっていた「零」シリーズも海外でヒットを飛ばします。無論、この間も先に挙げた「バイオハザード」シリーズは売れ続け、今日に至るまで派生作品が出続けています。

 ただ大体時期にして00年代中盤、PS3が出たあたりから映画でもゲームでも国内外で高い人気を得る新規のホラー作品が急にでなくなってきたように思います。先述の角川ホラー文庫も存在感をなくし、「この夏絶対に見逃せない」的なホラー作品もなくなって「サマーウォーズ」とか「君の名は」などのアニメ作品の方が夏に強くなってきました。でもって「サイレントヒル」も「零」もシリーズがその後打ち切られるし。
 一応、ホラーゲームとしては今でも日本は結構作られていますが、そのどれもが同人、インディーズゲームで、一般のゲーム会社がプロモーション込みで作る作品は本当に見なくなりました。今やホラーゲームはインディーズが主体で、「青鬼」などをはじめ映像化を含むマルチメディア化される作品もありますが、往年と比べるとその勢いには陰りが見えます。

 なんでホラー作品が前ほど親しまれなくなったのかに関しては、ホラーというよりグロ系作品が増えたからという意見をよく見ますが、理解できないほどではないものの本当にこれなのかという一抹の疑問を私は覚えます。かといってほかにめぼしい理由があるというわけでもなく、単純にコンテンツとして飽きられた、映像が鮮明じゃなかった昔の方が恐怖感を煽れた、粗製乱造による質の低い作品が溢れたなどの複合的結果なのかもしれません。
 そう思うと90年代後半から00年代中盤までの10年足らずの間が日本のホラーコンテンツの短い黄金期だったと言えるのかもしれません。なかなか特殊な時代を過ごしたものだと、今更ながら感じ入ります。

 ちなみにトイレでは幽霊を見るよりも水が流れないことに恐怖を感じる私が心底怖いと感じたホラー作品は、ちっちゃかったせいもありますがスーパーファミコンの「弟切草」と「学校であった怖い話」、セガサターンの「ディープフィアー」、漫画だと「殺し屋イチ」とかが挙がってきます。押切蓮介氏の「ミスミソウ」は全く怖くなく、「サユリ」は1巻だけならやや怖いと感じました。伊藤潤二氏の「富江」は不気味さを感じましたが恐怖はそこまでありませんでした。
 ああそうだ、近年は海外で売れるホラー作品が減ったとは言いましたが、伊藤潤二氏は現在絶好調というか海外でも売れまくっています。まぁホラー漫画のくくりでいれば「彼岸島」も入るけど、あれは怖いと思うシーンよりも圧倒的に「そうはならんやろ」と爆笑するシーンの方が多すぎる。

2024年8月3日土曜日

ドボポプププププ


 先日、ふとした興味から上の記事で紹介されている「女神転生外伝 新約ラストバイブル2」というゲームを購入しました。このゲームは元々、ガラケー向けに2008年に配信されていたゲームのリメイクで、2022年にSwitchやSteamでも配信されるようになったそうです。
 なんかストーリがかなり陰鬱ながら秀逸であるのと、昔ながらのメガテンっぽいゲームということを聞いて、元々今ほどペルソナシリーズが隆盛する前はメガテンをやりこんでいたこともあり、割引もされていたので興味もあって購入しました。

 それでさっそくゲームを開始してみると、まず最初に主人公の名前を入力することとなります。せっかくだから常人に発音できない妙な名前にしてやろうとまず濁音から入れるとして「ドボ」と入力したところ、なんか続く音が浮かばず、とりあえずスペース埋めてやり直そうかと思って適当にキー入力して「ドボポプププププ」という、この時点で発音がかなり難しい名前になったところ、てっきり「これでよろしいでしょうか?」と確認が入るかと思いきや、入力し切ったらそのまま確定処理されてしまい、主人公の名前が「ドボポプププププ」になってしまいました。
 この結果、旅で会う人々がみんな流暢に「ドボポプププププ」と呼んでくれるカオスな世界観になってしまいましたが、何度か練習するうちに自分も「ドボポプププププ」を発音できるようになりました。とはいえ、破裂音の「プ」を連続で口にするのはやはり困難ではありますが。

 なおゲーム本体については、評判通りオールドクラシックなRPGゲームで、なかなか楽しんでいます。グラフィックとしてはスーパーファミコン、それも初期レベルで、ガラケー向けに配信されていたことから使用するボタンも主に「決定」と「キャンセル」の2種類しかなく、令和のこの時期にこんなシンプルなゲームを遊べるというのもなかなか乙な感じがします。
 シナリオに関しても評判通りで、疫病が蔓延して常に多くの人々が亡くなる中、世界を統一した王は重税を課して生活は苦しくなる一方、そんな中で神の福音を受けた子が2人現れ世界を救うと言われている世界観になっています。

 この2人の福音の子はそのまま主人公の仲間となるのですが、片方は「死の仮面」と呼ばれ周りから恐れられながら実は超ビビりなヘタレで、何かにつけて「危ないから逃げよう」などと口にします。もう一人は味方からは「聖女」と呼ばれる少女ながら、何か問題があれば大体殴って解決しようとするほど血の気が多く、初期装備も「聖女のドス」という仕込み杖でどちらもキャラが濃いです。
 前述の通り世界観としては疫病が蔓延していて暗いものの、仲間二人は非常に濃いキャラでその掛け合いも面白く、暗さが気にならないくらい明るく旅を続けられます。っていうか男2人に女1人で完全にドラクエ2なパーティー構成であり、レトロな画面といい、ドラクエ2を遊んでた頃を思い出します。

 なおヘタレの方の名前は無駄に「mk-2」として、聖女の方はなんかめんどくさくなってデフォルトの「ルナ」のままで遊んでいます。

2024年7月17日水曜日

釣りキチVS水木しげる

 水木しげるの自伝漫画である「水木しげる伝」(コミック昭和史)の中では同業の漫画家が何人か登場しますが、主だった人物を挙げるとつげ義春氏、池上遼一氏、白土三平の三人じゃないかと思います。

 このうちつげ義春氏についてはアシスタントも務めていたこともあり描写も多く、何となく水木しげるとも馬が合いそうな人であったほか、どことなく一目置いていたような感じで描かれています。池上遼一氏については鼻っ柱の強そうないかにも若者然としたキャラクターで描かれていますが、彼については「漫画狂の歌」でそのまま主人公として漫画作品も作られている点から言っても、若いころから非常に特別視していたことがうかがえます。もっとも、「漫画狂の歌」はまだ手に取ることができていないのですが。
 一方、白土三平については「乞食のような姿で、スパゲッティをおごってもらった」エピソードが描かれており、描写はそれほど多くないものの怪奇なキャラクターとして強く印象に残る描かれ方をされていました。実際、そんな感じの人だったらしいし。

 このほか手塚治虫については石ノ森章太郎との徹夜自慢を語り合う場面で描いていますが、全体として描写はほとんどないと言っても過言じゃありません。その分、「一番星」という作品で何でも一番じゃないと気が済まない手塚をモデルにして漫画を描いてはいますが、先ほどの白土三平が出てくる漫画家が集まってのフォーラムにも手塚と一緒に登壇しているにもかかわらず描写がない辺り、水木しげるも若干ライバル視していたのではと伺えます。

 以上のメンツに加え、ほんのワンシーンですがもう一人出てくる漫画家として、「釣キチ三平」の矢口高雄がいます。「水木しげる伝」の中で矢口はアシスタント希望者として秋田から上京して水木しげるを訪ねたものの、「秋田で銀行員してんのなら無理して漫画家なんか目指さない方がいいよ」と追い返したものの、「その後彼はガロで描くようになり有名になった」と紹介されています。
 実はこのくだりについて、矢口自身も自分の漫画で描いていたということをつい最近知りました。その作品とは「9で割れ!!」という矢口の自伝漫画なのですが、水木との出会いについて描いているというか、矢口の目から見て水木はどう映ったのかが気になり、矢も楯もたまらずすぐ電子書籍で購入して読んでみました。

 この「9で割れ!!」は、矢口が高校卒業後に秋田県の旧羽後銀行に就職してから漫画家になるまでの間を描いた自伝漫画です。なお銀行の閉店後の現金計算で違算が発生した場合、10万円出金するところを1万円出金してしまったなどの桁違いミスではないかを確認するため、まず違算差額を9で割っていたことから、こういうタイトルになっています。
 実は矢口の漫画を読むのはこれが初めてなのですが、非常に躍動感のある絵柄に読みやすいストーリーで、こりゃ一時代を築いただけあると感嘆させられました。特に最近やる人が増えている、両面2ページのうち上半分または下半分をページを跨ぐ見開き1コマにして、残りの半分のページは細かくコマを割るという手法を90年代にすでにこの作品で使用しているあたり、かなり先を行った表現手法を駆使していると思わせられました。

 話を戻すと、矢口と水木の邂逅のきっかけは矢口がガロに成人後、初めて完成させた漫画作品を投稿したものの落選し、落選理由を尋ねるために上京してガロ編集部を尋ねたことからでした。この時に当時の編集長からは絵があまり上手くなく、また年齢も24歳(本当は27歳だが矢口がサバを読んで投稿していた)で伸びしろがないと矢口は言われ、たいそう落ち込んだそうです。
 ただこの際に矢口は、後の「釣キチ三平」の主人公の名前につけるほど私淑していた白土三平に会わせてほしいと嘆願したそうです。しかし編集長は、「白土三平は人嫌いの激しい人で頼んだって会ってくれない。とはいえ秋田からわざわざ来たのだしプロの漫画家を一人くらいは紹介してあげよう」と、すぐその場で電話して水木に渡りをつけたそうです。
 こうしてアシスタント志望という水木の記憶とは異なり、プロの漫画家現場見学として矢口は調布の水木邸を訪れることとなりました。

 ガロ編集部訪問から翌日、さっそく水木邸を訪れた矢口を最初に出迎えたのは当時アシスタントをしていた池上遼一氏で、矢口自身も「今や劇画界の第一人者」として池上の印象を「9で割れ!!」の中で描いています。
 その池上氏に案内されて作業室に入ると、水木は必死の形相で漫画制作を続けており、矢口が来たと言っても反応も示さず、執筆をそのまま続けていたそうです。そのあまりの迫力に矢口が驚いていると池上氏が「今がチャンスですよ。後ろからしっかり覗くんです」と促し、言われるままに水木の執筆状況を後ろから眺めたそうです。

 ここの描写が非常に鋭いというか細かく描かれてあったのですが、片腕のない水木は重い文鎮で原稿用紙を抑えつつも、時に体をねじって左肩で原稿用紙を抑えつつ描き続けていたそうです。その執筆速度は非常に速いものの、線の一本一本が非常に正確で流れるように描かれ、「これがプロの技なのか」と矢口も驚嘆させられたことが描かれてありました。

 その後、仕事がひと段落ついた水木はようやく矢口とあいさつを交わし、さっそく彼が投稿した作品を見せてみろと言って一読するやその絵を誉め、才能があると元気づけたそうです。しかしガロの編集長からはうまくない、また年齢的に伸びしろがないと言われたと矢口が伝えると、「あの人は漫画の編集長だが絵を描く人じゃない。あの人とプロの絵描きである僕のどっちを君は信じるんだい?」と言って、矢口を大いに励ましたそうです。この励ましには矢口自身も、「もしこの時がなければ、漫画家にはなれなかったかもしれない」と述懐しています。
 っていうか、「水木しげる伝」で描かれていたやりとりと全然違うじゃん……。

 その後、矢口は池上遼一氏を含む水木のアシスタントらから漫画の描き方に関してレクチャーを受け、教えてくれた中にはつげ義春氏もいたそうです。この時に池上氏からは線の描き方を教えられ、「単調な線を毎日数時間描き続ける。これを半年やって一人前」と言われ、線一本でこれほどまでするのかと驚かされたということが描かれてありました。
 その後、秋田に帰った矢口は水木プロでの指導を元に再び一から漫画の練習をして、本気でプロを目指すようになり、この時の水木プロでの経験は非常に重要であったと語っています。なお、当時の矢口はいっぱしの銀行員で、残業も珍しくない勤務をこなしながら夜自宅に帰ってからは漫画の練習と執筆をし続けたそうです。さらに夏場のシーズンに入ると、午前3時から起きて出勤前にひとしきり釣りをしてから銀行へ行っていたそうで、妊娠中の奥さんからは「あんたは漫画と釣りと、好きなことばかりして!(# ゚Д゚)」と怒られたそうですが、そりゃそうだろうとみていて思います。
 っていうかこのバイタリティはかなりやばいというか、そりゃ釣りキチ漫画だって十分描けるよ(;´・ω・)

 その後、矢口は「どうせプロなんてなれっこないんだし、仕事を疎かに漫画を描くのはいい加減にしとけよ」と上司に言われたことをきっかけに発奮し、すでに何度か読み切り作品が入選して掲載されていたこともあり、銀行を辞めて上京し、プロ漫画家へと転身を遂げることとなります。なお初めて連載作品を得るや真っ先に届いたファンレターは「鮮やかなデビュー、おめでとうございます」と書かれた、かつての上司からのものだったそうです。

 最後どうでもいいけど、「釣りキチ三平」というタイトルは「釣りキチ」が「気違い」と重なることから放送禁止用語的な扱いになっているそうで、伊集院光氏は皮肉って「釣り著しく好き三平」などとラジオで口にするそうです。
 正直、「気違い」に関する使用禁止は私も疑問に思うところで、こういうところで妙な言葉狩りはやめてほしいです。もっとも、「賭けキチ一平」というタイトルならたぶん誰も文句言わないだろうし、今なら注目集められるかもしれません(੭ु´・ω・`)੭ु⁾⁾