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ラベル マンガ、アニメ、ゲームのはなし(゚∀゚) の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2025年6月23日月曜日

ダビスタ全盛期の記憶


 先日、Youtubeで上の競馬ゲームのダビスタシリーズを紹介する動画があったのでつい見てしましました。私自身は後述しますがこのシリーズを一度も遊んだことはないものの、流行に流行った全盛期は見ており、一体なぜその後消え去ったのかが言われてみると気になったのが視聴理由です。

 この動画でも開設されているように、時期的には90年代中盤のスーパーファミコン時代、ダービースタリオンの2と3がめちゃ流行っていました。当時私は小学生でしたが、私の周りでもこのゲームにはまっている級友は多く、データゲーであるゆえ攻略に詳しい者などは周りからも一目置かれるほどでした。

 私自身は前述の通りこのゲームを一度も遊んだことはなく、興味も持たなかったのでついぞ縁がありませんでしたが、この当時は競馬界も盛り上がっていたのとダビスタが売れていたこともあって競馬ゲームがよく出ていました。そのためか賭け事とかほとんどやらないうちのソ連人民の親父が何故かある日「クラッシッククロード」を買ってきたのでこれは遊んでは見ましたが、子供にこの手の馬主シミュレーションは難しく、結局ムキムキッチと名付けた馬を買った後はその後何もできませんでした。
 親父もあまり面白くないとわかってか、3000円くらいで買った中古ソフトなのに会社の同僚に5000円で売りつけるという阿漕な真似をして処分してました。我ながらよく金額を覚えているもんだ。

 話を戻すと上の動画によると、スーファミ時代に黄金期を築き、続くプレステで発売したバージョンも売れに売れたそうですが、プレステ後期に出したシリーズが先行先逃げ型が異様に優位となるなどバランス調整が崩れ、旧来のファン層が離れるきっかけとなってしまったそうです。その後、別ハードで続編を方々に出すもどれもゲームとして欠陥があったというかあまり面白くなかったそうで人気はどんどん落ちていき、現行のニンテンドースイッチにもシリーズ作品は出ているそうですが評価はあんまよくないそうです。

 この間、ダビスタのファンを吸収したのは間違いなくコーエーから出ているウイニングポストでしょう。あいにくこちらのシリーズにも詳しくないのですが競馬ゲームと言ったら今やこのシリーズで、かつてのダビスタのお株をそっくり奪ってしまっています。

 改めて述べますが、90年代中盤におけるダビスタの社会における存在感というのは半端なく大きく、ドラクエやファイナルファンタジーには劣るものの、それに次ぐくらいの規模だった気がします。それだけ大人気を得たシリーズながらクソゲーを出してしまうや一気に失墜した当たり、ゲームシリーズを継続させる難しさというものを感じます。まぁ単純に、いい加減に作ってリリースしてしまったメーカー(アスキー)に問題があるだけなのですが。

 最後に、私は競馬自体は一切やったことがないものの、伝え聞く範囲で考えると競走馬というのは割とリターンの速い投資商品だという印象を覚えます。生まれて数年ですぐレースに出走できて、5歳くらいには引退するという慣行に乗っ取ると、レースに勝つことができるなら数年で投資リターンを得るという計算になります。この間、維持費は食うものの下手な先物とかよりも短期で大勝ちを狙える可能性のある投資であるように思え、競馬関係者が熱狂するのもわからないでもありません。

2025年6月10日火曜日

ダウンロードコンテンツ商法の全盛期で且つゲームがつまらなかったPS3時代

 以前コメントでPS3時代、具体的には2010年前後の頃のゲームは後年に名作と語り継がれるゲームがほかの時代に比べ少ないという指摘があったのですが、これには深く納得というかいい歳こいて延々とゲームをしている私ですらも、この時代はマジでゲームが楽しめずゲームを卒業しかけていました。時代を経てPS4時代こと2015年くらいに入ってくるとまたゲームが楽しくなって今に至るのですが、今思い起こしても確かにPS3時代はやたらゲームが面白くなく、単純につまらないゲームが多すぎた時代だったという気がしてなりません。

 以前の記事でも書きましたが、この頃はグラフィックに傾注した欧米系のゲームタイトルに日系は押され気味で、「日本向けのゲームは海外市場には売れないだろう」という見込みの元、日系メーカーでは海外向けタイトルと日本国内向けタイトルを明確に分けて、日本のゲームがガラパゴス化しかけていました。そうやって日本国内向けに作ったタイトルも残念ながら日本人に受けるほど面白くないというかつまらない作品が多かったので、単純にこの頃海外で売れなかったのは当時作られたゲームが駄作ばかりだったのが理由だと考えています。

 では何故この頃に駄作が氾濫したのか。細かい点を挙げると切りがないですが、地味に大きなマイナス点だったのはこの頃がまさに全盛期だったダウンロードコンテンツ商法が原因じゃないかと睨んでいます。

 ダウンロードコンテンツとは説明するまでもないですが、ゲーム本体とは別にゲーム内で使えるアイテムや追加要素を別売りし、購入者はダウンロードしてそれをゲームに反映させるおまけ要素みたいなものです。ソシャゲなどでのくじ引き券的要素のアイテムもダウンロードコンテンツの一種で、現在のゲーム業界においては収益を稼ぐ重要、っていうか最重要手段となっています。
 そのダウンロードコンテンツ、歴史を紐解くと日本では「アイドルマスター」の特別衣装販売が最初のヒットだったとされており、これが思わぬ収益を叩き出したことからバンダイナムコが特にこのダウンロードコンテンツ商法に執心していくこととなります。どれくらい執心していたかというと、ガンダムのゲームなのにダウンロードコンテンツを買わないとガンダムが使えない作品(PS3の「ガンダム戦記」)すら出していたほどです。

 バンナムに限らず、PS3時代はどのメーカーも増収手段としてこのダウンロードコンテンツに異常なほど力を入れており、まじめにこの頃はゲーム本体よりも一定量のダウンロードコンテンツの方が金額が高くなるというタイトルも珍しくありませんでした。またダウンロードコンテンツと言いながら、データ自体は初めからゲーム本体に内蔵されており、オンラインでお金を払うことで使えるようになるアンロック方式も、この頃は非常によく採用されていました。まぁこれ今でも珍しくないけど。

 そのダウンロードコンテンツですが、特別衣装とかエクストラステージとかならまだわかるものの、中にはセーブ個所の数とかあると非常に便利なコマンドやワープ手段、オンライン対戦機能なと、ゲームの進行に必要だったりユーザビリティに大きく影響するシステム要素すら切り売りされる事例まで当たり前にありました。また「ジョジョの奇妙な冒険 オールスターバトル」のように、お金を払わないとゲーム内コンテンツを満足に遊べないという、フルプライスのゲームなのにさらに金をむしり取ろうとするような、商業倫理的にもかなりイカれた作品まで出るほど世紀末でした。

 当然ながらユーザーの反発も当時は凄まじく、この時代のクソゲーと呼ばれた作品は多かれ少なかれこの手のダウンロードコンテンツ商法による反発やヘイトを受けて評価を落としていると思います。当初はそんなユーザーの声を気にせずこうしたあこぎな商法を続けていたメーカーですが、徐々に逆効果だと気づいてきたのか、現代においてもダウンロードコンテンツの販売は珍しくはないものの、かつてほどメインコンテンツに差し障るような露骨な売り方は鳴りを潜め、「買いたいと思う人が買えばいい」ようなおまけ要素にとどまるようになってきています。
 また金額もPS3時代と比べてかなり抑えられており、かつては千円以上がざらでしたが最近は数百円程度で「それなら払ったろやないかい」と思えるくらいの値段が多くなってる気がします。

 それで話を戻すと、なんか当時のゲームは全体的にダウンロードコンテンツを売りつけるため、敢えてゲームを不完全な状態でリリースする例が多かった気がします。あとでダウンロードコンテンツとして出すためゲーム内で、「まだこの施設は利用できないようだ」、「しかるべき時期が来たら、私もともに戦おう」などと表示してプレイを制限するなどプレイヤーをわざと苛つかせる所業を繰り返し、結果的にユーザーの満足度を極限まで下げていたゲームが本当に多かったです。
 またそのように敢えて不完全な状態で発売することを前提に開発するもんだからか、なんか全体としてゲームの完成度もこの頃は極端に低かった気がします。非の打ちどころのないゲームを作るより、後で課金させるために非の打ちどころ(=不便さ)が満載なゲームを敢えて作ろうという姿勢で、いいゲームなんて作れるわけないというか自明です。こうした開発方針のため、ゲームとしての面白さがどんどんスポイルされ、駄作が量産されていったのではないかとみています。

 そりゃ「いいゲームを作ろう!」と考えて作ってる人たちに比べりゃ、金稼ぎのためつぎはぎみたいなゲームを作ろうとするやつがいいものを作れるわけないでしょうに。

 言いたいことをまとめると、ダウンロードコンテンツ商法を念頭にゲームを開発していたことで、面白さがスポイルされたつまらないゲームを量産していたのがPS3時代であり、あの時代に駄作が多かったのはダウンロードコンテンツ商法が大きく影響しているというのが私の見方です。
 あのころに比べたら最近のゲームは本当に面白いものが増えたし、ダウンロードコンテンツも「買わされる」というより「こっちから買いたい」と思うものが本当に増え、実際買うことも増えて私個人の満足度も高いです。当時、日本のゲーム開発者は欧米のゲームに負けていたことを技術や予算の差と言い訳してましたが、ゲーム開発者の儲けに対する不埒な姿勢こそが日本のゲームが当時凋落していた本当の原因だったと私には思えます。

2025年6月8日日曜日

無線会話による卓越したストーリーテーリング

 昨年下半期に必死で遊んだゲームを挙げると「エースコンバット7」と「地球防衛軍5」が挙がってきます。ジャンルは片方はフライトシミュレーター、もう片方は大量のアリを撃ち殺すTPSと全く異なるものですが、どちらもストーリーテーリングは一貫して無線で行うところが共通しています。

 どちらのゲームも主人公はドラクエタイプの無口なキャラで、ゲーム中では掛け声(E・D・F!)とかを除けば一切しゃべりません。エースコンバットに至っては、主人公の性別すらはっきりしないところがあります。個人的な意見として述べると、なんか女性っぽいなと感じる演出でしたが。
 主人公は一切しゃべらないもののちゃんとストーリーというかバックグラウンドは練られており、それらは無線を通した本部や仲間からのセリフでプレイヤーは把握できるようになっています。エースコンバットだと「こいつは並の腕じゃない!」と敵機に向かって言うセリフを通して、その機体がやや手ごわいというかそのステージのボスキャラであることがわかります。また地球防衛軍では、「足を狙え!」などと言うセリフから、手ごわい敵の攻略法がわかるようになります。

 そうした攻略に役立つ情報のほか世界観なども無線を通して説明されており、またプレイヤーに臨場感を持たせるため、戦場における悲壮感を際立たせるセリフや、逆境の中でもへこたれず、k部する声などもかなり燃えます。特に「エースコンバット」では、最初主人公は周りから新人パイロットとして扱われ、「しっかりついて来いよ」などという気をかけるセリフばかりかけられるのが、後半に入ると徐々に頼られるエースとして扱われ、敵エースと対峙した際も「お前にならできる、お前にしかできないんだよ!」という言葉をかけられ、嫌が応にも自分がエースであるということを意識させられます。
 っていうか、仲間は一切敵エースを落としてくれないことの暗喩でもありますが。

 「地球防衛軍5」に至っても同じようなものですが、こっちは刻々と戦況が悪化していく様が無線で語られ、既に人類が何割減ったとか、拠点がいくつ潰されたとか、終盤の暗さは語り草となるほどのものです。その中でも孤軍奮闘し続ける主人公に対し、オペレーターが涙声で「ありがとう……ありがとう……」と言う場面は自分もかなり胸に来ました。
 もっともこのオペレーター、深夜の作戦に寝坊して遅れて来たりもしますが。

 以前にも書きましたが、前に遊んだ中華製のゲームは操作感やグラフィックは大したレベルであったものの、ストーリーについては支離滅裂で全く頭に入ってこないし、解説読んでもなんやねんというレベルのものでした。これについて中国人の業界関係者である友人は、「中国人からしてゲームのストーリーはおまけみたいなもん」とのことで、ストーリーに力を入れるメーカーも多くないそうです。
 逆に日本はドラクエ以降、ゲームにおいてストーリーをかなり重視して実際これがゲームの価値を左右する大きなファクターとなっています。それだけに見せ方や演出もかなり優れており、上記の二つのゲームのように無線の会話だけでも臨場感を持たせる演出の上手さは改めて考えるとすごいレベルにある気がします。

 というかそもそも、主人公が一切しゃべらない無口主人公という概念自体がかなり特殊なものであるような気がします。自分としても無口主人公だと没入感が高まるし、主人公がしゃべらないことで周りのキャラも際立つようになるので、優れた舞台装置である気がします。
 なお、ガンダムのブルーディスティニーのユウ・カジマもそんな無口系主人公ですが、それを逆手に取り「ギレンの野望」などの別ゲームにこの主人公が登場しても一切しゃべらないという点で、めっちゃ目立つキャラ特徴になっています。それが過去のGジェネだと声優ついてしゃべりだしたことがあり、「こんなのユウ・カジマじゃない!」と、めっちゃ残念に思えさせられたのを今でもはっきり覚えています。つば九郎と一緒で彼はしゃべっちゃだめだろう。

2025年5月17日土曜日

現在連載中で自分が読んでる漫画


 本来は茶道具を入れる棚なんだけど、プラモ置くのにめっちゃよさそうと思って買っちゃいました。案の定( ・∀・)イイ!!

・竜送りのイサギ
 話は本題ですが現在連載中で自分が読んでる漫画を挙げていくと、以前にもブログに挙げた「竜送りのイサギ」というのがあります。これ、最初はめっちゃ面白くて自分も期待していたのですが、単行本が4巻に入るあたりからストーリーのテンポが急激に落ち、話数を重ねても全然進展しなくなってちょっとどうしようかと焦るくらい面白さがなくなってきています。
 この作者は前の連載でも全く同じことをやってて、序盤はサクサク話進んで内容も面白かったのに、中盤に入ったと思うあたりから急に鈍足で世界観説明ばかりの話が展開されるようになり、一気にトーンダウンしてました。なんか「竜送りのイサギ」でも同じ轍を踏むんじゃないかと心配してます。

・タワーダンジョン
 一方、世界観説明を極度に排しながらガンガン話を進めてくるのは、「シドニアの騎士」の作者が連載している「タワーダンジョン」だと思います。
 元々この作者の弐瓶勉氏について自分は信者と言っていいくらい「ブラム」の頃から贔屓にしてますが、前作の「人形の国」の投げっぱなしエンドはさすがに自分ですら許容できる終わり方ではなく、「タワーダンジョン」も最初は購入を躊躇していました。

 ただ改めて購入してみたところ、かつての弐瓶氏のようにベタでほぼ真っ黒に塗りたくられたページに予想もつかない展開ぶりから一気にはまり、残りの巻も一気買いして読むほどはまりました。特にヒロインのリリセンというキャラは不機嫌という感情をそのまま絵にしたようなエキセントリックなキャラで気に入っています。
 勝手な憶測ですが、「人形の国」で二瓶氏は極力ベタを避けてページをほとんど白色のまま表現をすることに挑戦していたのではないかと思います。しかし「ブラム」の頃から二瓶氏と言えばベタ、墨黒であり、黒い絵でこそ本領を発揮するような作家だと思え、そうした二瓶ブラックがこの「タワーダンジョン」では戻ってきてうれしく思ったりします。

・J⇔M ジェイエム
 今一番面白い漫画と聞かれたこの作品を挙げます。かつて散々はまった「ヒナまつり」の作者の新作ですが、実力は確かだけどハードボイルドに憧れる中年のおっさんと、教育虐待を受けながらも知能が異常に高い小学生女児が頭を打ち付けて、人格が入れ替わるというよくある単純な話です。なのに面白い。
 「ヒナまつり」同様、状況に状況がどんどん重なっていって面白くなっていく展開となっており、そもそもギャグセンスが明らかに高く、「百点以外はゴブリン」というセリフだけでなく、要所要所のツッコミのセリフ一つでもやたら笑わせられます。また殺し屋のおっさんが今度はお色気を武器にする女殺し屋とも人格が入れ替わってからはその無軌道な行動がさらに拍車がかかり、やたら冷徹な表情を女殺し屋の体で浮かべるようになって絵でも魅力が高いです。

 っていうかほかの人も書いてましたが、ギャグマンガ家だったからと言っては失礼ですが、意外にもアクションシーンの表現も優れているのには驚き、「このひとこんな絵も描けたんだ(;´・ω・)」と私も思いました。まぁ元々格闘漫画の「タフ」の作者のアシスタントだったんだし、出身的にそういう素養を持っていて当たり前なのですが、本当に意外でした。

2025年5月10日土曜日

映画「攻殻機動隊」を久々に見て

 先週、風呂屋に行ったら鍵番号が「1574」で、中国語で語呂合わせすると「要我去死(俺を死なせてくれ)」と読めるため嫌な気がしました。そしたら昨日行ったら今度は「1414」でこっちは「要死要死(死ね死ね)」と読め、あの風呂屋は自分を殺しにかかってきていると信じて疑いません(´・ω・)

 話は本題ですが週末何か見る映画がないかと近くの映画の上映プログラムを見たら、何故か30年前に公開された「攻殻機動隊」の映画が入っており、特に予定もないし久々に見てみようと予約しました。昨夜の予約時点で座席は自分の分しか埋まってないため自分一人のオンステージかと思いきや、現場に行ったら自分を含め観客は4人くらいいました。

 作品そのものの感想は過去にも色々考察しているので省きますが、今回改めてみた感想として公開から30年も経っていますが古臭さは感じず、かえってCG作画が一般的となった現代において淡い色彩の感じられる動画は新鮮に映りました。

 その動画について、たまたまですが見ていて「ああこれ、エースコンバット3だ」と思いながら見ていました。傑作戦闘機シミュレーターシリーズのエースコンバットにおいて鬼子ともいえるのがこの3なのですが、リリース当時はまだ興味がなく遊んでいなかったことからたまたま先週にネットの解説動画を見ていたのですが、この3で使われているアニメと攻殻機動隊には明確な共通点を覚えました。
 それもそのはずというか、どちらの作品もアニメを制作しているのはプロダクションIGで、製作時期も4年を挟んでいるだけです。具体的な共通点としては、ブラウン管を思わせる横線の入った画面や、コンピューター上のマッピングが淡い緑で表示される、あと中年男性の皺の描き方とかが互いに似通っていると思いました。

 もっとも似通っているのは映像だけでなく、ストーリー面も「人格を持ったAI」と「自分はヒトかAIか」という自己同一性に対する疑念というか不安を煽るテーマ性でも共通しています。ただこれは漫画の攻殻機動隊が先鞭をつけたのは間違いないですが、エースコンバット3に限らず90年代の作品の多くに見られる特徴で、エヴァンゲリオンとか私も大好きな「Serial experiments lain」でも見られます。この頃のオカルトや心理学ブームが背景にありますが、それ以上に冷戦終結と9.11までの狭間という特殊な時代性ゆえに流行したテーマだったんじゃないかと思います。
 面白いのはこの自己同一性のテーマが、00年代に入ると途端に消え失せてしまうという点です。有名作品で唯一近いテーマを取り扱っているのは漫画の「鋼の錬金術師」くらいですが、それ以外となるとマジで90年代の作品のようなテーマを扱う作品は見当たりません。20年代の現代においてはいわんやです。

 このテーマに関してはやはり攻殻機動隊と先ほどのSerial experiments lainが図抜けていたというか、当時しばらくは多くのフォロワーを生んでいたし、現在においてもカルト的人気を維持していると思います。Serial experiments lainのゲームは自分も発売日に買いましたが、ファンが製作する精神的続編の「//Signal.」も発売された買ってみる予定です。

 話を映画に戻すと、出演している声優はどれも蜀の五虎代将クラスのレジェンド声優ばかりですが、一聴して「声が若い(;゚Д゚)」と感じました。同じ声優とはいえ30年前と最近の声ではさすがに張りで違いがあるというか、大塚明夫氏も如何にも威勢のいい声を出しており、年月の経過というものを感じざるを得ませんでした。田中敦子については言わずもがな( ;∀;)
 なお声優に関してはもう一つ、ラストの少女の義体に移ったばかりの素子の声がかつて見たときも今回見たときも「なんか妙に耳に残る声してやがるな( ´ー`)y-~~」と思ってスタッフロールを見たら「坂本真綾」と書かれてあって、「お前おったん(;゚Д゚)」と劇場で声出そうになりました。当時、出演していることを全く知らなかったというか、本格的に売れ出すのはその後だしなぁ。

 最後にどうでもいい点ですが、この映画では街並みは香港をモデルに作られているのですが、表示される中国語の看板を中国の映画館で見ているという点で少し思ったのと、それら看板に対してもはや何の違和感や特殊感を覚えなくなった自分がもはや過去の自分じゃないんだねなどと感じてみていました。

2025年4月25日金曜日

「イース8」はそこまで評価されるゲームか?

 なんかネットで手放しで褒められていたので、先日日本ファルコムの名作シリーズの8作目である「イース8」を購入してクリアしました。実際遊んでみた感じとしては確かストーリーもよく操作性も楽しく、また探索の楽しみがあって面白いと感じましたが、正直言って手放しで褒められるかと言ったらそこまでではなく、ほかの人の評価を見ていてやや過大評価が多いような気がしました。

 具体的に自分が惜しいと思った点は、ボスキャラです。基本的にどのボスキャラもぽっと出のキャラクターで、クリアした後にどんなボスキャラがいたのかほぼ全く思い出せないほど印象が弱い奴ばっかで、これはRPGとしてかなり致命的な欠陥であるように思えます。

 唯一印象に残ったのはアーケルスというボスキャラで、こいつは主人公が無人島に遭難するきっかけとなった船の沈没を引き起こし、その無人島から脱出するにあたり必ず倒さなくてはならないというストーリー展開もあってキャラが立っていました。しかしそれ以外のボスキャラはラスボスを含め登場時に初めて「お前おったの?」と言いたくなるくらい前情報がなく、出てきても倒した後はそれきりなため、何の記憶にも残りません。マジでラスボスを含め。
 またそのボス戦も難易度ノーマルでの話ですが、基本的にゴリ押しが効いてしまうボスしかおらず、こっちのダメージを気にせず殴り続けるだけで倒せます。さすがにこれだと味気ないから攻撃パターン見切って優雅に倒そうとしたら、どのボスの攻撃もパターンを見ての回避が不能なものが多く、敵の攻撃に合わせてタイミングよくガードや飛び退きをしてフラッシュガードを得るしかないというのもやたら多かったです。そのため相手の動きに合わせて攻撃するよりも、こっちが殴り続けていて相手が攻撃しようとしてきたらガードボタンを押す、なんか単調な作業が多かったです。

 また先ほどストーリーがいいと褒めましたが、それは終盤を除いてです。言ってしまえばこのゲーム、いわゆるセカイ系作品で、たまたま遭難した無人島で地上の全人類の淘汰を行うか否かの儀式が始まってそれに主人公らが巻き込まれるという内容です。
 元々、この手のセカイ系が前から嫌いだし、なんで小さな無人島が全世界の運命左右すんだよというスケール感がおかしい話に何かついてこれませんでした。これならただ単に、儀式をどうにかしないと異常気象で世界がおかしくなるくらいでよかったんじゃないかなという気がします、個人的に。

 キャラクターに関しては全く文句なく、どのキャラもキャラが立ってたしヒロインのダーナも高評価なのはうなづけ、この点はほかの人の評価と完全に一致します。それだけに全体ストーリーはもっとどうにかならなかったのか、なんかもったいない気がしてなりません。
 特に先に触れたラスボスに関しては、マジで何の情報もなく「こいつと戦え」と言われて急に出てきた相手を殴るだけという展開はなんやねんとやっててマジで思いました。もう少し戦闘前に因縁をつけないものか、もしくはその存在を示唆するものとかを断片的に出さないものかと思えてなりません。ビジュアルも、そんな強そうでもなければ恐ろしさのかけらもなかったし、攻撃するタイミング限られるのがめんどくせーなとしか思えませんでした。

 以上のように内容をクサしていますが、全体としての評価は面白いということには間違いありません。自分はSteamで購入して遊びましたがセール時に購入して遊ぶ分にはいいんじゃないかと思います。にしても今回やってて思ったのは、RPGはやっぱりボス戦が重要で、特にラスボス戦が盛り上がらなければ全体評価も一気に下がり、終わり悪けりゃ全部だめになるってことでしょう。

2025年4月20日日曜日

バトル漫画の裸率

 このところストレスたまってるのか無駄遣いすることが多く、無駄に排水溝の蓋とか、窓枠補強するねじとかハウスキーピング系の支出が増えています。そんなところへDMMで漫画本のセールが行われていたのでまとめ買いを繰り返しているのですが、前から気になっていた「誤チェスト」でおなじみである山口貴由氏の「衛府の七忍」も一気買いしました。
 その終盤は打ち切りエンドと言われるほ唐突なものでそれがため全体評価も「シグルイ」と比べやや微妙なものとされる本作ですが、途中にある各話は確かに面白く、沖田総司の描き方なんかはなかなか読み応えがありました。ただそれ以上に読んでて気になった点というか、なんかこの漫画、やたらとキャラが上も下も脱ぐというか、全裸で戦うことが多いです。もっとも肌どころか、内臓まで露出することもめっちゃ多いんですけど。

 そんな無駄な裸率の高さが気になった際、ふと考えてみると秋田書店は看板作品の「バキ」シリーズを含め、やたら肌の露出が多い漫画が多い気がしました。秋田書店はお色気漫画も多く、男女を問わずやたらと服を脱ぐ描写が確実に多いのですが、ならほかの出版社はどうなのかともさらに気になりました。

 まずサンデーに代表される小学館では、あんまり肌の露出が多いようなイメージはありません。端自分がサンデー系作品に詳しくないだけかもしれませんが、コナンとかでも脱ぐことがあんまない気がします。
 一方、マガジンに代表される講談社はこちらもお色気系漫画がそこそこあってこれらでは肌の露出はあるものの、逆にバトル系漫画で服を脱ぐイメージがありませんでした。競技上、上半身裸がデフォとなるボクシング漫画の「はじめの一歩」は別ですが、そのほかのマガジンのバトル漫画で服を脱ぐ描写はなんかイメージが出てきませんでした。

 では最後のジャンプに代表される集英社はどうか。こちらは時代によって違うというか、「北斗の拳」全盛期だった頃のジャンプでは脱がなきゃバトルにならないと言わんばかりに、戦闘する度にみんな上半身裸になってどつき合っていました。これは着ているクロスが非常に重要という設定のはずの「聖闘士星矢」でも同様で、一部キャラに至っては言われずとも自ら脱ぐため「露出狂」とまで言われるほどでした。

 しかしそんなジャンプのバトル漫画でも、近年の「鬼滅の刃」や「呪術廻戦」とかではあんま脱いでいる描写が多くなかった気がします。元々、ジャンプはお色気系漫画の割合が低く、バトル漫画でも最近はあんま脱がないため、肌の露出がむしろ少ない部類に入ってくるのではないかと思えるほどです。
 もっともバトル漫画ではなく料理漫画だけど、「食戟のソーマ」は食事の度に度々脱衣シーンが投入されてましたが。

 以上のような考察を経て、近年はあんまり裸を出さないようになってきているのかなと考え始めたのですが、ここでふと脱ぐバトル漫画と脱がないバトル漫画の違いとして、キャラクターがムキムキかどうかではっきり分かれるという重要なポイントに気が付きました。基本、ムキムキキャラほどすぐ脱ぎ、細身の能力系キャラクターなんかは逆に絶対脱ぎません。これを踏まえてみると、最近のジャンプのバトル漫画のキャラクターはスタイリッシュな細身系が多く、こうした登場キャラの体型の変化が裸率に変化を生んでいるのではというのが私の見方です。

 ではなぜムキムキ系キャラはすぐ脱ぐのか。これは単純に、ムキムキを得意とする作者は基本、筋肉を描く能力に優れており、作者自身も好んで筋肉美を漫画の中で見せようとしているからと考えて間違いない気がします。「バキ」なんか当然で、さっきの「衛府の七忍」の山口貴由氏も筋肉の描写に定評があります。
 なお山口貴由氏に関しては、「シグルイ」に出てくる藤木源之助の隻腕となった後の肉体に関しては、「こういう風に描くんだ」と、あんまこういうのに興味ない私ですら見ていてほれぼれとさせられています。

 話を戻すと最近はジャンプ、というか漫画界全体でも90年代と比べてムキムキキャラや筋肉描くのがうまいというか好きな作家が減っているのではと思え、それがバトル漫画の裸率低下を進めているように思えます。もっともジャンプ系でも、「タフ」の作者の猿渡哲也氏は今も現役でムキムキマッチョの裸ばかり書いてますが。最近弟子にパクリキャラ出された鬼龍に至っては、何故か裸でピアノ弾くシーンもあるし

2025年4月5日土曜日

ジークアクス面白かった(*´ω`)

 次期テレビシリーズガンダムとなる「ジークアクス」のプレリュード兼初期ダイジェスト版となる映画が現在公開されており、中国でも昨日から封切られています。同じくガンダムズ期の中国人の友人に先んじてみようと今日の午後に映画館を予約していましたが、友人は今日の午前に見てきており、先越したことをWeChatで連絡してきました(´;ω;`)ウッ…

 仕方ないので自分はそのままさっき見てきましたが、前情報を何も入れずに行ってみてきましたが、端的に言って非常に面白い作品でした。一番印象深かったのは音響で、どのBGMも外れなく的確に鳴らしており、声優の演技も誰一人として違和感なく耳に聞こえました。
 特に主演の声優は「どっかで聞いたような……」と思いながらエンドロールを見たら「黒沢ともよ」の名前があり、映画館で声出そうになりました。黒沢氏に関しては以前に「AIソムニウムファイル」というゲームで一度拝聴することがあり、有名声優が多数出演しているこのゲームの中で、ひときわ際立った演技のうまさを感じていた声優でした。自分が演技に衝撃を受けた声優を挙げるとしたら、種崎敦美氏とこの黒沢ともよしが間違いなくトップ2です。

 話を戻すと今回のジークアクス、製作はエヴァでおなじみの庵野監督率いるカラーであり、色遣いなどはやはりエヴァなどに近い配色だと感じます。特にニュータイプ現象を示すシーンの色なんかで特に色濃く、それら配色が何か問題あるわけではありませんが、自然色を強く出そうとする深海作品とは対照的に人工的な感じが強くする色だなと個人的に思います。

 作品のストーリーに関しては、前半はジオン軍の最大戦犯ことジーンが偵察に出撃しなかった畏怖シナリオの初代ガンダムで、シャアが主役として映されます。とうとうシャアの声も池田氏ではなく代役が立てられこの人の演技については特に違和感はありませんでしたが、この前半部分はシャアのカウンターパートとなるキャラがおらず、シャアが「5倍のパワーゲインだと?」、「やってみるさ」などと約1時間くらい延々と独り言を言い続けるのがちょっと目につきました。
 作劇上、仕方のないことだとは自分も思うわけですが、ソロモン内部で「ふっふっふ、これでザビ家も……」などと自分の陰謀を延々と一人で言い続けたり、間に入ってきた機体と戦闘しながら「アルティシアか!」とか一人実況するところは若干、「この人躁病なんじゃないの?」という印象を覚えました。まぁ仕方ないけどさ。

 そんなシャアのYoutuberじみた独演劇となる前半を終えて本編となる後編に入ってからは、これまdネオガンダム作品としては珍しい日本風の世界観でモビルスーツが動く映像はなかなか新鮮でした。特に「警察」の文字入りのザクは、中国でも漢字と意味が同じなだけに中国人ファンにも入ってきやすかったんじゃないかと思います。

 あとほかの人はそうでもないでしょうが、この作品の肝となる2対2のモビルスーツプロレスバトルのシーンで、「マグ」と呼ばれるコンビネーションプレイは個人的に見ごたえがありました。
 かつてこのブログでも触れましたが、これまでのガンダム作品の戦闘には基本的に戦術というものがなく、戦闘機では当たり前に行われる数機での片方が囮になったり、カバーについたりといった連携が一切ありませんでした。基本的にエース級のキャラがバンバン撃って倒すばかりで、あんまミリタリー色強すぎてもあれだけど、もう少し現実っぽいこうした演出が欲しいと前から思ってましたが、まさにこのジークアクスではそうした連携戦術が描かれており、しかも結構練られたものと感じられ、この点はすごくいいと感じました。

 もっとも、映像の中ではうまく動かし切れていたとはいえず、セリフで説明して視聴者に理解させるだけでしたが。この辺は本編でもう少し改善してほしい。

 このほかもう一点述べると、誰が決めたかは知りませんが、シャリア・ブルというキャラクターを本作でメインキャラクターに据えたのは英断この上ないでしょう。息の長いシリーズなだけにこのガンダムもオールドファンと新規ファンで結構壁があるのですが、ゲームの「ギレンの野望」をはじめ外伝でやたら活躍し、オールドファンから常に期待のまなざしで迎えられる彼を登場させることで、納得に至らないオールドファンはいないでしょう。
 それでいてほかのキャラクターは現代的なデザインで、細かいところで攻めているようにも感じられ、新規ファンにもとっつきやすいような気がします。本編がどういう風に描かれるかわかりませんが、割と女性にも受け入れられやすいような印象を受けたし、2対2のバトル形式も子供にわかりやすいような気がします。総じていえば、かなりのセールスが期待できるのではと考えています。

 なお日本でも封切られた「ナタ 魔童の大暴れ」を自分も先月見ていますが、こちらに関しては多分中国ほどには日本ではヒットしないように見ています。何故かというと映像に力が入ってはいるものストーリー面でやや拙さがあり、中国おなじみの「最後にひっくり返す」展開で、終盤もほぼすべての日本人が「ドラゴンボールじゃん」と多分思うからです。
 その「ナタ(ちなみに中国語の発音は「ナザ」のが違い。日本語の読みが「ナタ(ナタク)」となったのは安能務の誤訳がきっかけらしい)」を一つ前に見ただけに、今回のジークアクスは細かい演出の良さを強く感じました。今更だけど、やっぱカメラワークって本当に大事なんだな。

2025年4月4日金曜日

きっと水木しげるは知らなかった

 「土下座前」、という単語を聞いてピンと来るかどうかでその相手が京都人がすぐわかります。これはどういう単語かというと、京都市の三条河原町前を指示する単語で、「じゃあ土下座前で」などと待ち合わせなどに使います。なんで土下座前なのかというと、土下座した人物の銅像があるからです。

高山彦九郎(Wikipedia)

 その銅像の人物が上記の高山彦九郎で、時代的には江戸時代中期の十代家治、十一代家斉の時代の人物です。「寛政の三奇人」に数えられる人物で、恐らく日本で最も初期に尊王意識というか幕府打倒、天皇親政を目指した人物であり、京都市内へ入る際に必ず皇居に向かって道端で土下座していたということから像のポージングにもなっています。

 この高山彦九郎についてですが、上記の土下座前のエピソードから名前についてはかねてから把握してはいたものの、具体的にどういう人物であるかはこれまでほとんど知りませんでした。それが先日、知人に勧められてみなもと太郎の漫画「風雲児たち」を読んでみたところ、多くの登場人物が出てくるこの漫画にて中盤においてほぼ主人公ともいえる扱われ方をされていたのが高山彦九郎でした。
 というのもこの高山彦九郎、同じ「寛政の三奇人」に数えられる林子平は当然ながら、前野良沢や杉田玄白をはじめ当時の知識人と幅広く交友しており、この時代における蘭学と尊王(国防)意識のうねりの中心にいたような人物でした。それに加え性格と行動も過激で、故郷で一揆が起きていると聞くや江戸や京都から馳せ参じて一揆に加わったり、飢饉が起こるや募金を募って救民運動したり、やることなすことエキセントリック極まらず、漫画的にも描きやすかったんだと思います。

 こうした高山彦九郎の生涯について自分は全く知らず、というか「風雲児たち」に出てくるその他の人物、特に最上徳内などの事績について初めて知ることが多く、歴史はある程度極めたという自負がありましたが底の浅い考えだったと大いに恥じる思いをしました。特に幕末の吉田寅次郎なる人物が、前述の高山彦九郎の事績に影響を受け、彼の死後につけられた諱より「松陰」と名乗ったという事実はなかなかにでかいインパクトを受けました。

 そんな高山彦九郎の生涯を追ってみていると、「ああ、水木しげるが好きそうなキャラだなぁ」という印象がただただ濃かったです。本人も相当ハチャメチャな人物、それこそボーボボっぽいところがあっただけに水木漫画でもハチャメチャなキャラクターが多く登場し、読んでるだけでも作者もこういうキャラこそ愛着をもって書いているなというのがよくわかります。
 特に伝記漫画として「猫楠」という作品で描いた南方熊楠については、明らかにフィーリングが合っているというか筆の乗り方がほかの作品と段違いだった印象を受けます、うちのソ連人民の敵である親父もそう感じているらしく、水木作品の話題が出るたびに「猫楠」を挙げてきます。

 それだけに、もし水木しげるがこの高山彦九郎について詳しく知っていたら、きっと恐らく漫画化していたいように思うのですが、実際にはそんな作品はないだけに水木しげるは高山彦九郎についてはあまり知らなかったのではないかと思ったわけです。実際はどうだかわかりませんが、自分が見ている限り水木しげるとかなり波長が合うキャラなんじゃないかと思えてならないです。

2025年3月30日日曜日

ガラパゴス化しかけていた日本のゲーム





  個人的にANAにはまり始めて前回のエアバス機に続いてボーイング機もプラモ作りました。これがANAの穴という奴か……。


 上の記事はたまたま目にした記事でしたがなかなか興味深くりょませてもらいました。なかなか人を誉めない久夛良木氏に褒められたエピソードや、プレステ3の困難など時が経過した今だからこそわかる話が多く載せられています。

 なかでも自分が注目したのは、「ニーア・オートマタ」に関する言及です。直接記事を読んでもらった方が早いのですが、大体2010年前半くらいまで日本メーカー製のゲームはかつてと比べて海外での販売が芳しくなり、日本のゲームクリエイターたちも日本のゲームを海外で売ること自体を半ばあきらめ、日本市場向けと海外市場向けで製作するゲームを分けるようになっていました。
 そこへいかにも日本向けっぽいゲームながら、海外でも大ヒットを飛ばしたのが前述の「ニーア・オートマタ」で、これの成功を見て「こんな風にすれば日本のゲームも海外で売れるんだ」とクリエイターの意識を変えたと吉田氏が指摘していますが、自分も深く同感します。

 真面目に当時、ゲーム業界は日本市場と海外市場で完全に分かれていました。最近は減りつつあるものの当時は「洋ゲー」というジャンル分けまでされており、欧米市場のゲームは日本とは全く異なるし、プレイヤー嗜好も別物という意識が強かったです。
 その一例として、00年代中盤に登場してカプコンの看板タイトルなった「モンスターハンター」も、今でこそ世界レベルで爆発的ヒットを叩き出していますが、日本で一番盛り上がっていた2や3の頃は海外では全く受けず、「ゲームデザインからして海外では売れない」などとも当時言われていたのを私も覚えています。

 そうした状況もあって、何となくメーカーやパブリッシャー側も市場を分けるような方針を取っており、SteamやPSNをはじめとするオンライン販売プラットフォームにおいてもいわゆる「おま国」という、日本製のゲームなのに日本国内では配信販売をやらずにパッケージでしか販売しない、または日本語音声を入れない、日本向けのみ価格を吊り上げるという国際化とは逆行する妙な販売方針を採っていました。
 今思うと先の見えていない方針だったといわざるを得ず、実際に現在においてはこうした日本市場向けのみに対する逆便宜をやめ、ちゃんとパッケージ版同様に日本語を含め各言語に対応させ、またパッケージ版とともに配信も開始するなど差別化しない状態となっています。もっともこれはSteamの発展とゲーミングパソコンの普及も大きいでしょうが。

 そうした状況が変わってきたには確かに2014年の「ニーア・オートマタ」の発売頃で、日本製ゲームでも日本でも海外でも売れる作品が作れる、出せるとわかりはじめ、このころから急に展開の仕方が変わってきた気がします。
 あえて自分の方からもう一つ付け加えるとしたら、フロム・ソフトウェアが繰り出した2009年の「デモンズソウル」、そしてその続編の2011年の「ダークソウル」も、こうした海外販売の価値観を大きく変えた作品じゃないかと思います。どちらもハードな難易度ながらそれがかえって受けて、多くのフォロワーというかクローンゲームを生み出しており、日本のゲームの海外展開という点で大きなモデルを果たした作品だった気がします。

 そうした2010年前後の動きを見ていると、一歩間違えれば日本のゲームは携帯電話同様にガラパゴス化していた可能性もあったのではと感じます。まじめに当時はJRPGをはじめ、日本人にしか喜ばれないゲームを日本国内で量産する体制が続いており、新たなジャンルへの挑戦がやや弱く、人気タイトルの続編ばかりしか各メーカーも作らなくなっていた気がします。
 まぁ、「エルシャダイ」という斬新すぎるゲームも2011年でしたが……。

 もしあのまま「ニーア・オートマタ」のように海外でも評価される作品が出なければ、それこそ日本国内はテイルズシリーズばかりな感じで同じタイトルや内容ばかりのゲームでガラパゴス化していたかもしれません。現在では先のモンハンのように日本人も外人もみんなで楽しめ、またオンライン化の普及により世界中で協力プレイが行われるなど盛り上がっていますが、こうはならなかった未来もあったというか、そっちの方が色が濃かったと思う時代が確かにありました。

 なお2010年ごろについてもう少し触れると、当時はダウンロードコンテンツ販売で稼ぐという極端な売り方がやたら流行し、ゲーム本体よりダウンロードコンテンツのが高いという作品も結構ありました。無論、消費者からすれば高いゲーム本体買ってるのにさらに買わせようというあの売り方は反発が強く、現在では「好きな人だけ買ってね」的なおまけコンテンツの販売がダウンロード販売の主となっていますが、あの当時の売り方が廃れてくれて私自身もほっとしています。

2025年3月23日日曜日

漫画「変な家」の変な展開

 先日に日本のホラー漫画や恐怖というより不安を煽る展開が多いという記事を書いた後、改めて日本のホラー漫画を読んでみようと、いくつかのおすすめホラー漫画紹介サイトを見て何冊か買ってきました。なおおすすめサイトの中には「彼岸島」を挙げている人もいましたが、あれをホラー漫画と取る人がこの世にいたということがある意味恐怖です。ギャグホラーではあるが。

 その買った本の中に1巻がセール中だったのもあったので、「変な家」があります。これは小説原作で映画や漫画など伊メディアミックスされている作品ですが、少なくとも漫画版に関してはホラーというよりはギャグに近い内容だと感じました。というのも話の展開がおかしく、ツッコミ不在のままおかしい妄想を広げていくからです。自分が読んだのは2巻までですが、これ以上読む気はなく、よくこんな作品が世に出たなという感想すら持ち得ました。

 簡単に話のあらすじを説明すると、主人公のオカルトライターが知人に購入を検討しているが変な間取りがある家として、ある間取り図を見させられます。変なところというのは台所の壁に一か所出っ張りがあるというところで、この点について再び知り合いの建築士にみせたところ、2階の子供部屋もおかしいという指摘を受けます。
 2階の子供部屋は入るまでにドアを二つ介さなくてはならず、またトイレなども専用に設置されていました。この点から察するに、この家の住人はこの子供部屋に子供を閉じ込め、殺人を行わせていたに違いないという結論へ突如至ります。

 もうこの時点でどこから突っ込んでいいかわからないのですが一つずつ上げていくと、まず最初の相談者が何故壁の出っ張りを気にしたのに対し、どう見ても換金部屋にしか見えない二重扉の子供部屋を気にしなかったのかという点でしょう。窓も一切設けられていない監獄っぽい子の子供部屋の間取りに疑問を抱かないとしたら、ぶっちゃけ部屋選びはほかの人に任せた方がいいくらい感覚のおかしい人間と言わざるを得ません。
 次に、そんな監獄っぽい子供部屋を見て何故「ここで殺人が行われていたに違いない」という結論に至るのか、これも強引過ぎてちょっとついていけませんでした。一応ほかにもそう推論する材料を挙げてはいるもののどれも根拠不足だし、さらには「浴場で後ろから刺していたに違いない」という妙な推理を前提に「あのでっぱりは子供部屋から浴室へ移動するための秘密通路に違いない!」という推論にもっていくのは、さらに無理があるでしょう。

 そもそも間取り図には「子供部屋」と書いてはいますが、実際にこの部屋に監禁させられていた人物が子供である必要はありません。仮に殺人を行わせていたというのなら子供にやらせるよりは大人を監禁していたと思う方が自然だと思うのに、何故かこの後もずっと「子供に殺人をやらせていた」という前提を一切揺るがさずに話を進めていきます。なんでそうまでして子供に殺人やらせたいんだか。

 この後も2件目の部屋の増設部分を見て、「きっと地下室があったに違いない!」などと、根拠からは程遠く、妄想に近いような推理を延々が展開されていきます。この一連の展開を見て私が真っ先に思い出したのは90年代最高のギャグマンガと呼ばれた「MMR マガジンミステリー調査班」です。「変な家」も「MMR」も、過剰な妄想を武器に仮定に仮定を重ねていくのですが、その過程において検証という行為が一切挟まらない点で共通しています。

 それこそ最初の家を内見しさえすれば、作中でも語られているように浴室のルミノール反応は取れないとしても、壁の出っ張りが実は秘密通路かどうかくらいは壁叩くなりしてわかるはずです。2軒目に関しても、地下室の有無くらいなら何かしら痕跡を探すといったことはできるような気がします。
 しかし、この作品のキャラクターたちは自分たちの推理というか妄想が正しいのかという検証を一切行おうとしません。にもかかわらず先に立てた仮定が正しい前提でさらに別の仮定を重ねて妄想を広げていくという点で、まるっきりMMRじゃんと思ったわけです。はっきり言っちゃえば、展開が雑にもほどがあるような気がします。

 それこそ、部屋の中に近隣で見つかった死体の人物がささいな所有物が見つかったくらいの条件を提示してさえすれば、「もしかして本当に?」というリアリティを持たせられたと思うのですが、驚くくらいにそうした展開はないし、むしろ登場人物側の方が検証を避けるように内見を拒否しようとします。ギャグマンガだったら許されますが、それなりにミステリー作品とするにはこんな展開だと萎えることこの上ありません。っていうかよくこんな内容でメディアミックスしたもんだ。

2025年3月20日木曜日

日本のホラー漫画は恐怖よりも不安を煽る

 前回記事で私は専門家の意見を引用しながら、

・恐怖と不安はほぼ同じの感情
・唯一の違いは対象が明確であるか否か

 という説明を引用しました。その上で不安とはどういう感情なのかを色々自分なりにまとめましたが、その過程で思ったこととして、日本のホラー漫画は恐怖よりも不安を煽る構成が多いような気がしました。言うなれば、恐怖漫画というより不安漫画のが多いんじゃないかってところです。

 そもそも日本のホラー漫画は、あまり指摘されてない気がしますが世界的にもかなり異質な文化ジャンルに入るんじゃないかと前から思っています。推理小説に関しても何故か日本と英国でやたら発達していて、犯人殴って自白させる展開が多い中国なんかだと一切この手の作品が出てこず独自性が際立ちますが、ホラー漫画になると独自性どころか日本の唯一無二的な分野になっています。
 漫画自体が日本で極度に発達しているのもありますが、それがホラー形式でもあるのはマジで日本だけなきがします。でもってこのジャンル、日本人だけというわけでなく「富江」などの伊藤潤二氏の作品が世界的にも高く評価されており、前にも少し書きましたが映画でも「リング」が大ヒットするなどジャパニーズホラーというのは際立った存在感を示しています。

 そのジャパニーズホラーの特徴は何なのかですが、ここでさっき上げた不安がやはり一番じゃないのかと今回思いました。欧米のホラー作品というとグロテスクな描写を見せて怖がらせる「恐怖」的な演出が多いのに、日本のホラーは「え、なんで!?」と思わせる理不尽さを突き付けて怖がらせる「不安」を煽る演出が多い気がします。
 先ほどの伊藤潤二氏の作品なんかまさにそれがわかりやすく、ヤクでもきめてんじゃないのかと思うくらいぶっ飛んだ展開ばかりで不安感をめっちゃ煽ってきます。でもって、なんでそういう異常事態が発生し続けるのかについて一切説明せず、不安が解決されないまま幕を閉じることが多く、この点が読者に怖いと感じさせる点なんじゃないかと思います。

 そのように考えていくと、そもそも江戸時代の怪談物からして日本の不安を煽ろうとするホラー文化というものはほぼ固まっていたのではないかとも思えます。中国にも幽霊が出てくる怪談話は少なくありませんが、日本と比べるとなんか話が論理的で、幽霊もやたら多弁で言い訳がましい連中ばかりです。
 それと比べると日本の幽霊は黙して語らず問答無用で生きてる人に襲い掛かってきたりするなど、意味わかんなくて色々怖いです。例えば耳なし芳一とかでも、私なんか姿が見えなくなったとはいえ平家の幽霊が芳一の耳をもぎ取っていく行為に「なんでやねん(;゚Д゚)」と子供心に思いました。見知らぬおっさんならまだしも、平家物語を数日間にわたって語ってくれた相手だというのにさ。

 なおこの手の問答無用系で言えば、一番ホラーなのは薩摩藩士かもしれません。「誤チェストにごわす」をはじめ行動に一切の論理性がなく、殺害をはじめとする極端な行動を迷わず取ってくるあたり恐怖なり不安なりを強く感じます。っていうか薩摩藩士って設定にすれば、そのキャラクターが頭のおかしい行動をいくらとっても説得力がついてしまうのが色々おかしい。

2025年3月7日金曜日

シーマ様とバラライカは共通点が多い?

 以前に「評価が大きく逆転したガンダムキャラ」という記事を書きましたが、この中でガンダムの0083に出てくるシーマ様ことシーマ・ガラハウという悪役の人気が年月とともに上昇し、今や「悲劇のヒロイン」の如く高い人気を持つに至ったことを書きました。この傾向は今も変わらず、関連解説記事を見ると彼女の魅力について延々と語る人もいれば、公式の外伝作品でもどんどん過去情報が補完されているようで、ガトーをはじめほかの0083キャラが語られなくなりつつある中でシーマ様のみうなぎ登りしている感すらあります。
 まぁニナ・パープルトンもいまだに語られることが多い気がしますが、悪い方で。

 そんなシーマ様ですが、この前解説記事を読んでいる最中にふと、「あれ、なんかキャラ設定がバラライカと同じじゃね(。´・ω・)?」ということに気が付きました。バラライカというのは漫画「ブラックラグーン」に登場するロシア系マフィアの女ボスで、この作品屈指の人気キャラであるとともに「統制された暴力」という本作品のテーマを代表するようなキャラです。
 なおアニメでは小山茉美氏が声優を演じていますが、作品を視聴した人は誰もが口を揃えて「これ以上のはまり役はない」と言い切るほど、イメージと声が合ったキャラとなっています。実際、私も初めて視聴したときに「あ、バラライカの声だ(´・ω・)」と思いました。

 話を戻すと、シーマ様とバラライカには下記の共通点が存在します。

・元正規軍人だが、色々あって軍を追放された
・元部下たちを養うために海賊(マフィア)業に身を落とす
・部下たちからはめっちゃ信頼されている
・性格がキツイ
・身長がデカい
・身内に優しいが敵には滅茶苦茶容赦ない
・軍人時代の体験がトラウマ

 ざっとこんな感じですが、キャラ造形的にはほぼ同一背景を持ったキャラであるように思えます。もちろんどちらかがパクったというわけではなくたまたまそうなったとはっきり言えますが、逆を言えばこうしたキャラ設定は読者の人気を得やすいのではと思う節があります。

 実際、どちらもありきたりな美少女キャラとは程遠いキャラクターながらかなりの人気を得ており、本編外で外伝作品がいくつも作られるなどキャラの深堀が公式、ファン層ともにかなり盛んです。ではその人気の源泉は何かというとやはり先に上げた「身内に優しいが敵には滅茶苦茶容赦ない」という要素が特に大きい気がします。

 こう考えるのもかつて中東のテロリストの親玉がインタビューにて、「キツめの女が一人いると、組織というのはバシッとする」ということを話しており、何となくシーマ様とバラライカを見ていると「そうなんじゃないかな」と感じさせられるというか説得力を覚えます。それ以上に、小悪党的なポジションに落ちぶれてでも部下を食わしていこうとする世話焼きなところが、キツめの性格といい感じに組み合わさって「あ、この人なら支えてあげたい」的に思わせるんじゃないかと思います。

 ただ、こうしたキャラはメインヒロインのポジションに置くことはできないでしょう。あくまで登場キャラの一人としてこういうキャラがいると作品も映えるんじゃないかと思います。そういう意味では創作において上記設定は結構有用なキャラ設定となりうると思うわけです。

 にしても最近のシーマ様は女子高生姿が描かれたりとかはっちゃけてるな。漫画の「アラサーOLハマーン様」とかでもシーマ様出てこないかな。

2025年3月3日月曜日

ストーリーにこだわらない中国のゲーム

 キーボードの叩き過ぎによる腱鞘炎対策として指ぬき圧迫手袋を買ってつけてみましたが、なんていうか中二病感が激しくていろいろ思うところがあります。

 それで話は本題ですが、先日ネットでおすすめされていたのとユーザーレビューが高かったのでSteamで「アフターイメージ」という、上海の開発会社が作ったゲームを買って遊んでいました。いわゆるメトロイドヴァニア系の探索型アクションゲームで前評判通りに遊んでてそこそこ楽しかったです。特に探索では地図を埋める作業が割と好きなので、また到達していない空白を埋めていく作業ははまりました。
 ただアクション面に関してはそこまでいいと思わず、悪いわけではないけど攻撃方法はやや単調で、ボス戦も相手の隙を突くよりもゴリ押し戦術の方が有用だったりしてなんか盛り上がりませんでした。ただそうした点以上に気になったのは、ストーリーテーリングでした。

 はっきり言ってストーリーはひどいの一言に尽き、どれくらいひどいのかというと冒頭で主人公の師匠さんが殺されてしまうや、

「このままじゃゾンビになっちゃうから、とりあえず死体処理しなきゃ。魂さえあれば肉体が還元したらまた蘇るしね(´・ω・)」

 という風に話が進められるのですが、マジで何の世界観も解説されずに上の会話を見させられるのでマジ意味不明でした。終始こんな感じで話は進められ、こう言っては何ですが妄想狂に一方的に話を聞かせられている感じがして、プレイ中はいろいろ思うところが多かったです。

 この点についてゲーム開発している中国人の友人に話したところ、「仕方ないじゃん。中国のゲーム開発者はストーリーなんかおまけ程度としか思ってないんだし(ヾノ・∀・`)ナイナイ」と教えられました。友人によると、中国のゲームはゲーム性(アクション)とグラフィックが重視され、その他、特にストーリーに関してはないよりはあった方がいいけど、そこまで特別見られるところじゃないからあまりこだわらずに破綻や矛盾に満ちたストーリー展開も少なくないそうです。
 実際、前述のアフターイメージもそんな感じで、グラフィックとか非常にきれいでこだわられているのにキャラクターの生い立ちやストーリー展開などはわざと無茶苦茶に作ってんじゃないのかっていうくらいひどいものでした。

 ただこれは逆を言えば、日本人はゲームにおいて特にストーリーを重視していることの顕れかもしれません。マジで日本のゲームはストーリーが悪ければそれだけでクソゲーとして認定されることもあれば、「ヘラクレスの栄光3」みたくストーリーさえよければその他要素は無視して名作扱いされることもあります。RPGに限らずアクションゲームとかでも、何かとキャラクターに背景を持たせたりするなどストーリー構成や世界観を強く意識してゲームを作っています。

 こうした日本製ゲームの傾向ですが、やはりそのきっかけは初代和製RPGことドラクエの影響が強いと思います。初代ドラクエの時点でお姫様を最終局面ではなく途中で救出するなどストーリー的に起伏を持たせており、その後に続いたファイナルファンタジーなどでもプレイヤーを魅了させるストーリーが盛り込まれるなど多くのフォロワーを作りました。それこそもしドラクエがなければ、日本人が現代のようにゲームにストーリー性をここまで求めることもなかったかもしれません。

 以上を踏まえて言うと、中国の開発会社と比べるとこうしたストーリーや世界観の構築で日本勢はまだアドバンテージがあると断言できます。中国のプレイヤーからすればそこまでストーリーを評価しないかもしれませんが、キャラクターのIPビジネス展開を考えると、ストーリーに強みがあるというのはビジネス面でも強みがあるように私には思います。
 逆に中国はグラフィックに対するこだわりが非常に強く、この分野、特に3D描画に関しては美少女キャラを含め日本はもはやあまり優位を持たなくなってきている気がします。このまま棲み分けと行くのかグラフィックにも力を入れるのか、日系ゲーム開発会社は腕が問われるところでしょう。

2025年1月1日水曜日

シミュレーションゲームはマジだれる

 中国の年末年始は元旦が1日休みとなるだけで、実際昨日は私も普通に勤務してました。なので特別感もないですが、今日がお休みとなるので昨夜は夜遅くまで「キングダム&キャッスル」という中世不運街づくりシミュレーションを久々に引っ張り出して遊んでいました。

 このゲームはシムシティみたく街を作って人口を増やしていくのが目的のゲームで、なんだかんだ言いつつ結構楽しめました、最初は。昔買って1回遊んだところ何故かやらなくなり、もう一回やってみたくなって今回引っ張り出しましたが、最初の数時間はめちゃ楽しかったけど、大体人口が1000人を超えたあたりからだるくなり、今日は一切起動せず、作りかけのF-22ラプターのプラモのシール貼りをすることとなりました。

 一体何故だれるのかというと、序盤から中盤にかけては人口を増やしながらインフラを整え、同時に金策をして大型施設を作ったりしなければならないのですが、後半に入るとそれまでやってきたことを繰り返すだけになるというか、住宅を作って周辺に市場や井戸を作ることの繰り返しとなり、何ら新鮮な要素がなくなってきます。敵の襲撃アリにすれば城壁とか防衛施設も作る必要が出てくるものの、それはそれでめんどいというかあまり考えたくない要素で、なんていうかここでこのゲームに対する情熱が尽きました。

 この「キングダム&キャッスル」に限らず、シミュレーションゲームというのは後半にだれる、というか行動に制限のある序盤が一番楽しいというのは割かし共通します。カイロソフトのゲーム会社を運営するゲームでも、最初はどのハードにソフトを出すとか、どの従業員を雇うかでいろいろ悩むし、細かな指示が必要となりますが、ある程度会社大きくなるといい加減な指示でも問題なく収益出るし、人材も育っているからプロット適当でもゲームが売れるようになり、つまんなくなってきました。
 ちなみにゲーム名を自由に決められるのでいつも、「みだらな~」というタイトルで、「みだらなテトリス」、「みだらなファイター2」というゲームを作ってました。

 この後半にだれるというシミュレーションゲームで特に顕著なのが戦国シミュレーションこと信長の野望や三国志で、大体半分近くの領土を獲得すると後は消化試合となり、なんだか弱い者いじめしているようで作業感の強いゲーム展開となっていきます。
 唯一の例外が「信長の野望 天翔記」で、これはプレイヤーが出せる行動の指示数が制限されているため、最初は全領土に細かな指示を出せるけど、勢力が拡大すると指示が追い付かなくなるため、ある一定の段階で特定の領土の管理を選抜した武将を軍団長にして委任させる必要があります。このシステムがなかなか曲者で、優秀な武将ほど裏切りやすく、裏切られたら領土や物資どころかその配下武将ごと寝返るので、後半においても気の抜けない展開が続きました。

 この「天翔記」のシステムですが地味に会社の一般従業員と管理職のように、前半と後半でやる業務の内容が全く異なる点で共通しています。前半は目の前の課題をひたすら処理し、後半は勢力の方針を作って各スタッフに伝達してやらせるという運営業務が主となり、こうした「やることの変化」が後半にだれない大きな要素になってたと思います。
 もっとも、「ギレンの野望」シリーズのように敵を追い込めば追い込むほど、CPU勢力の資金力や開発力が増して反撃が激しくなるというシステムでも、やることは同じでも最後まで気が抜けなくなるためだれることはなくなりますが。

 そういう意味では後半にどうスパイスを利かせるかが、シミュレーションゲームの最終的な評価というか面白さにつながってくるのではないかと思えます。この辺考えて今度買うゲームを決めよ。

2024年12月3日火曜日

エスコン7でようやくノーマルモードオールS!


 年末セールになっていたので、かねてより本体を買っていたエースコンバット7のダウンロードコンテンツを大人買いし、上の写真のようにトップガン使用のF-14とかもゲットしました。またこれでテンション上がったこともあり、ダウンロードコンテンツステージを遊んだついでに、ノーマルモードのオールSの最後の関門となっていたラストステージに当たるステージ20でSクリアを図りました。

 先週末にオールSで一番障害になると思われていたステージ16でSをゲットしており、最終面もこの調子ならいけそうと思っていたのですがこれがなかなかてこずり、あんまりやりすぎるとストレスになると思って一旦は切り上げていました。
 しかしダウンロードコンテンツを買って盛り上がっており、勢いが何でも大事と思う性分ゆえ果敢に挑戦してみたところ、最初はなかなかうまくいかずにAランククリアが何度も続きました。機体は当初買ったばかりのどっからどう見てもSu-57だけど、トップガンに倣って「5th Genelation」という表記になっている機体で何度も試しましたがあまり上手くいかず、ラスボスの高い機動に対抗するため、こう誘導ミサイルを備えたSu-30SMで挑んだところ割とうまく倒せ、最後の難関にあるトンネルくぐりもスパっとクリアでき、見事Sランクをゲットしました。

 思えば6年ほど前、友人に「飛行機好きならエースコンバット買えばいいじゃないですか」と言われ、ずっと気になりながらもパソコンのスペック不安から今年になるまで買わず、今年になって買うやマジでやりこむくらいにはまり、やはり自分は戦闘機好きだったんだと再認識させられたゲームでした。マジで今までのシリーズを遊ばなかったことを後悔しています。

 オンライン対戦も中国にいながら遊べますが、まだ自分の腕は成長途上というか、ソロプレイで遊んでいても日々上達を感じるのであんまり参加はしていません。ただ過去に参加した際はラファールを使い、特殊兵装に超遠距離ミサイルことLAAMをいつも使ってましたが、マジでこのLAAMは凶悪というか完全なアウトレンジから不意を突くように一撃で敵機落とせるので、なんか食らわせた相手に申し訳ない気持ちにさせられます。まぁ便利だから今後も使うけど。

 いやそれにしてもいい感じの脱力感というか、一つの目標を無事達成できてほっとしています。ハードモードのオールSはさすがに狙うとストレスたまりそうなので考えていませんが、ハードモードで全ステージを一度はクリアしようと考えており、これが次の目標になりそうです。
 まぁその前に割と難しかったダウンロードコンテンツステージをクリアしないと。っていうか最初のステージだと途中でミサイル使いきるくらいの大量の空戦あってビビった(;´・ω・)

2024年11月30日土曜日

つまんなくなっていった「金田一37歳の事件簿」

【速報】金田一少年、パパになるwwwwwwwwwwww(オリコンニュース)

 上の記事見て、「ああやっぱ」という気持ちになりました。というのもこの「金田一37歳の事件簿」、回を追うごとにやばいくらいつまんなくなっていったからです。

 単行本が2巻まで出ている頃に自分も買い始めて読みましたが、最初の方はそこそこ面白く、特に回目の京都を舞台にした事件の話はよくできていると感じたほどでした。そんな感じで途中までは面白くなっていったものの、後半に行くにつれて話はどんどんつまらなくなり、トリックも「こいつが犯人じゃん」と読んでる途中にすぐわかるくらいお粗末な物ばかりとなり、途中からは新刊は発売日には買わず、セールが始まってから買うようになりました。

 一体なんでつまらなくなったのかと言えば、トリックがしょうもなくなったからと言いたいところですが実際のところ推理物でトリックの良しあしは面白さにそんなつながらないと思います。それよりも舞台というか人間関係のストーリー構成の方が重要で、このストーリー構成がこの漫画だとどんどん悪くなった印象があります。

 端的に申し上げれば、「これお前がやらなくてもいいじゃん」という話になっていきました。

 序盤こそはブラック企業に勤める主人公が行く先々で事件に巻き込まれ、かつての人脈や現在の社会人としての立場や経験、態度を活用して推理していく展開が見られました。しかし話が進むにつれて事件内容が外界との連絡が立たれたクローズドサークルが舞台となる話が増え、こうした環境では上記の「社会人となった金田一」ならではの話の展開が一切ありませんでした。むしろ高校生時代の金田一に立ち位置が近くなり、まるで「金田一少年の事件簿」の焼き直しのような話が延々と繰り返されていくようになりました。

 おまけに妙な犯人というか「お前ヤバいやろ」的に逆恨みで人殺す犯人ばかりになったり、オカルトっぽく死人がイタコみたいに話し出したり、読んでて(。´・ω・)?みたく理解に苦しむシーンが増えていきました。極めつけは全シリーズから出ている高遠というキャラで、完全にメアリー・スーみたいなキャラになって遠隔で人殺すなど贔屓も対外にしろよと言いたくなってきました。
 ぶっちゃけ自分が編集だったら、この漫画の人気を立て直そうというならいきなりこの高遠の死刑執行シーンをぶちこんで、こいつの存在をなかったことにしたことでしょう。間違いなくこのキャラがこの漫画のガンでした。

 改めて述べると推理物は漫画にしろ小説にしろ、トリック以上に人間関係や舞台が重要です。せっかくこの漫画では高校生から社会人となった主人公がその立ち位置を変えて新たに事件を推理する形式に切り替えたにもかかわらず、クローズドサークルというその切り替えを完全に台無しにしてしまう展開をえらく繰り返し、話をどんどんつまらなくしてしまったというのをはっきり感じました。
 ほんと後半はヤバいくらいつまらなかったし、犯人も「私が犯人です」ってタスキをかけている様にすら見えたし。

2024年11月18日月曜日

Vガンダムのゴッドワルドの最後のシーン解釈

 中国で相次ぐ通り魔事件について書こうと思ったけどなんか暗くなる内容で今は避けたいと思ったので、ひとつ前の記事に続いてまたVガンダムについて書きます。ってか前の記事ではルロイさんがコメント書いてくれたけど、F91とVガンダムは明らかにマーケティングの失敗で旧来ファンにも新規ファンにもどっちつかずな対応してしまって商業的にもファン層拡大的にも失敗してます。作品は決して悪くないのに、あのマーケティングの失敗でいまだに微妙な立ち位置となっているこの二作が不憫でなりません(´;ω;`)ウッ…
 ちなみにいとこの旦那はF91がマジ好きでした。でも子供からは「うちのおとんはグフ(カスタム)が好きなんやで」と言われてました。

 話は本題ですが、Vガンダムの中盤で一番議論が起こるシーンと言えば、武人肌の敵キャラクターであるゴッドワルド・ハインの最後のシーンでしょう。主人公ウッソとの戦闘に敗れ乗機が動かなくなるや、このゴッドワルドはコックピットから飛び出してウッソのVガンダムに飛びつき、コックピットを無理やり開けようとしてきます。
 これに対しウッソは自らコックピットの扉を開けるやワイヤーガンでゴッドワルドを撃ち、その衝撃で破損した乗機の方へ吹き飛ばされたゴッドワルドはその爆発に巻き込まれて死ぬのですが、ワイヤーガンで撃たれた際にウッソに対し「やったなー小僧っ!」と憎らし気に吐き捨てるのが最後のセリフとなります。

 こうした跡形もなく吹き飛んだゴッドワルドをウッソは見送ったあと、何かに気づいたかのようなそぶり見せながら「ゴッドワルドさんが、誉めてくれた……」という言葉を洩らします。先ほどのゴッドワルドのセリフは負け惜しみというか悔しさをにじませたようなセリフでとてもウッソを誉めている様には聞こえず、「ウッソはニュータイプだから、死んで霊魂となったゴッドワルドの声を聴いたのでは?」という風な解釈がなされることが多いです。実際、私もそういう風に解釈してました。

 しかしかなり昔ですが、あるサイトでこのシーンについて異なる解釈をしている人がいました。それはどんな解釈かというと、この「誉めてくれた」というのはウッソの完全な妄想であり、ゴッドワルドは死後を含めてそんなことは言っていないというものでした。

 この解釈の根拠はというと、まず前述の通りゴッドワルドが死の間際に言ったセリフはウッソを誉めるような内容では決してないこと、そしてゴッドワルド自身が武人肌でやや戦闘狂な人間なため敵を誉めるようなタイプでないということ。そして何よりの根拠として、これ以降のウッソの行動がどんどん狂気じみてくるという理由を挙げていました。
 具体的にどうなるのかというと、敵から奪取した宇宙砲台のビッグキャノンを周りに操作できる人間がいないという理由から、ウッソ自身が引き金を引いて敵艦隊に放つようになります。この結果として数百人、下手すりゃ数千人単位が一撃で死んでおり、ウッソ自身も「これで戦争が終わるんだ」と自分に言い聞かせながらやってはいるものの、こうした大量虐殺的な行為をどんどん行うようになっていきます。

 Vガンダムのテーマ自体が「みんな狂ってるから何がおかしい行動なのか誰もわからなくなる」にあるのですが、確かに中盤以降、主人公のウッソはタガが外れたかのように敵兵を殺すことに躊躇がなくなります。まだZガンダムのカミーユの方が「ニュータイプなんで人殺しの道具でしかないもんな」と自嘲する辺り、理性を保っていたと感じるくらいです。まぁその後、カミーユは精神崩壊するのですが。

 こうしたウッソの中盤以降の行動の狂気化もあるだけに、先ほどのゴッドワルドが誉めてくれたというのは彼を手にかけたウッソが半ば自己弁護というか開き直る言い訳として無自覚に聞いた空耳だったのではというのが、自分が見た解釈に書かれてありました。今でもこの解釈は頭から離れず、実際のところはどうか議論の余地はあるものの、一考の価値があるものとして覚え続けていました。
 仮にそうだとすると、戦争は人をおかしくさせるというか、比較的まともそうな表情見せながらおかしくなっていくというのをうまく表現しているように見えます。おかしい人というと割と見た目からして北斗の拳に出てきそうなモヒカンの風貌がイメージされますが、実際は普通そうな見た目のままおかしくなっていることの方が多いでしょう。そういう意味ではこのシーンは、少年が本格的に殺人マシーンへと変わっていく過程を描いた秀逸なものとして評価できるように思えます。

2024年11月16日土曜日

Vガンダムがハブられる理由

 本題と関係ないけど昨日最終回を迎えた人気漫画の「推しの子」の最終回が炎上している件について、中国でも意図せずに記事を見つけるなど大きく報じられていることにビビりました(;´・ω・)

 話は本題ですが、ガンダムのゲームとかでよく「宇宙世紀機体、大集合!」などというキャッチコピーが使われるものの、そこに本来宇宙世紀シリーズに入るVガンダムの機体は入ってこないことが多いです。また宇宙世紀シリーズから世界観を一新したGガンダム、ガンダムW、ガンダムXの三作を「平成三部作」と呼ぶことも多いのですが、放映年数でGガンダムに連なっているVガンダムはここでもハブられ、「平成四部作」とも誰も呼びません。
 以上の通り、テレビ放映されたガンダムシリーズとしてはVガンダムは異例なくらいにハブられることが多く、ゲーム化や外伝作品の制作も他のシリーズと比べると極端に少ない傾向がある気がします。かといって作品として評価や人気が低いというわけではなく、エキセントリックな女性キャラクターが多いこともありファン層も自分を含め根強いと思うし、エヴァの庵野監督もVガンダムがあったからこそエヴァは作れたと話すなど影響力も大きいです。

 では何故それにもかかわらずVガンダムはハブられるのか。一つの仮説として、テレビ放映時のマーケティングの失敗によりファンの年齢層が歪になったからではないかとみています。

 まず放映当時の90年代前半について触れると、この時代のガンダムといったら基本的にBB戦士などの二頭身なガンダムでした。Vガンダムが放映されるまではテレビ放映のアニメ作品が一時中断しており、新たな機体が出ることもなかったため、新規のプラモ作品が作りづらい時代にありました。そのため当時は過去作品に使われた機体や、それら機体を二頭身にした上でリデザインしたナイトガンダムや武者ガンダムが多く出され、逆に背の高いリアルな造形のプラモは完全に旧来ファン向けと割り切られ、新規ファン向けには作られませんでした。

 そこへきてようやく待望のテレビシリーズとしてVガンダムが始まったのですが、上記の通り当時の、少なくとも小学生世代にとってガンダムといったらSDガンダムだけだったのですが、実はVガンダム放映当時はSDガンダムのプラモや他メディアへのコラボはほぼ一切行われていませんでした。放映中はリアルな造形のプラモデルしか販売されず、放映終了間際になってようやくSDガンダムのプラモが発売されるようになりました。
 実際私も、かねてからSDガンダムはよく作っていたことから放映中のVガンダムも早く作りたいと願っていたものの、なかなかSDガンダムでのプラモが発売されず、えらくやきもきしたことを覚えています。あまりにも出ないものだからそれまであまり作ったこととのないV2のリアルモデルキットを作り、SD版では放映終了間際に出たV2アサルトバスターのみ作ったことを今でもはっきり覚えています。

 なおこうした傾向はプラモデルに限りませんでした。当時はゲームの「ザ・グレイトバトル」シリーズをはじめ仮面ライダーやウルトラマンなどほかの版権キャラとコラボさせた、二頭身キャラのゲームで遊ぶコンパチヒーローシリーズというものが展開されていました。もちろんガンダムもこれらシリーズに登場するのですが、何故かVガンダムは採用されることはなく、初代のガンダムかVガンダムより1世代前のキャラに当たるF91がコンパチヒーローシリーズに使われ、現代だけじゃなく当時からもゲームなどでハブられていました。

 一体何故当時の子供の間で最も流行っていたSDガンダムでVガンダムのキットは作られなかったのか。自分が過去に聞いた話では、これは明確なマーケティングの方針によるものだったそうです。
 具体的には、SDガンダムで育ったファン層をリアルな造形のプラモデルのファンへと昇華させるため、敢えてVガンダムはSD化させていなかったそうです。実際上記の通りそうと思える節が多く、この方針が確かにあったのではと私も考えています。

 ただこの方針は成功したとは言い難いです。今もそうですがVガンダムに登場した機体の任期はそれほど高くなく、また当時を思い返してみてもリアル造形のプラモに移った子供は多くなく、SDガンダム自体が退潮的となったガンダムWの時代あたりでようやくファン層が転換したような気がします。むしろVガンダムでSD化キットの販売を出し渋ったことで、当時の小学生くらいのガンダムファン層にVガンダムがうまく浸透せず、またZガンダム以来の旧来ファンも思ったより入り込まず、ファン層がどっちつかずな作品になってしまったのではとみています。
 この結果、Vガンダムは確かに好きな人はいるっちゃいるけど、年齢層が余り固定されておらず、斑上にファン層が形成されてしまった感じがします。具体的には宇宙世紀シリーズファンの10%、当時小学生だった世代の10%、それ以外の層の10%というような感じで、Vガンダムとコラボした作品を作っても売り上げを立てづらい歪なファン層になっている気がします。

 私個人としては、以前にも書いたように「周り全体が狂っているから自分がおかしくなっていることにすら誰も気が付かない」ストーリーや、カテジナをはじめとするエキセントリックなキャラクターのオンパレード、あとシンプルイズベストを貫くV1のデザインなどでVガンダムのことが大好きですが、志を同じくするファンとはいまだ出会ったことがないです。それもこれも、上記の中途半端なマーケティングの失敗だと思うとなんか悔しさを覚えます。

2024年10月26日土曜日

ルックバックの映画面白かった(´・ω・)


 なんかこの前行ったラーメン屋に貼られていた警察のシールなのですが、書かれている内容を翻訳すると、「ケンカはダメ、負けたら病院、勝っても牢獄」という内容で、なかなかいいフレーズというかユーモアが感じられたので撮影しました。っていうか勝ち負けをはっきり分ける辺り中国らしい。

 話は本題ですが今日から中国で公開されている日本のアニメ映画の「ルックバック(中国語:蓦然回首)」を見に行きました、また朝一だったので観客は自分ともう一人だけでした。
 この作品は知って売る人には早いですが「チェンソーマン」の作者の藤本タツキ氏の短編を原作とした映画で、日本でも6月に公開されています。原作の漫画は私も読んでて単行本も買っているのですが、漫画ならではの特殊な表現を効果的に使用しているほか、他の同業者からも絶賛されている通りクリエイターの生みの苦しみめいたものを上手に表現していることから非常に高い評価を得ています。

 そういったわけで今回映画化もされたわけですが、前述の通り漫画ならではの表現が使われているため、私自身は映像化しにくい作品だと考えていました。それだけにそういった場面をこの映画ではどういった風に表現するのかが気になっていたのですが、特に違和感なく、アニメーションとしてうまく落とし込めていました。
 また監督の押山清貴氏のインタビューによると、主人公が雨の中スキップするシーンはやや原作とは異なる動き方にして見せたが、それ以外は原作をなぞるように、作者の意向を確認しながら作ったそうです。最近、っていうか昔からですが、原作を変な風に改変して失敗する作品も少なくないですが、先ほどのきちんと映像に落とし込むという点といい原作を余計に変えず、それでいて違和感のない場面で自分の色を見せる辺りは大した監督だと正直思いました。

 特に自分が感心したのは音響方面で、極力BGMを排したのは自分のイメージともぴったりでした、BGMのある所も非常に場面とあっていて、多分一番評価できるところなんじゃないかという気がします。

 このほか声優の演技についてですが、主役二人に関しては全く問題なく、特に京本役の人は今後伸びしろがあるのではという期待感を持ちました。しかしモブこと脇役に関しては正直に言ってびっくりするくらいの棒読みで、敢えて目立たせないためそのような演技指導をしたのかもしれませんが、下手過ぎて逆に悪目立ちしているような感すらありました。なんであんな下手な演技でそのまま通したのか、この映画における唯一の不満点となりました。

 以上が私の感想ですが、まだ公開初日とあってあまりメディアも報じてないですが、中国でもこの作品は売れると睨んでいます。こう考える理由としては、中国人は日本人以上に下手な友情物に弱く、ストーリーが受け入れられやすい点が第一に挙がります。
 第二の点として、前述の通りこの作品は漫画家などのクリエイターから非常に高い評価を得ていますが、こうしたクリエイターの生みの苦しみを描くような作品が中国だとほとんどないためです。日本では同じく漫画家を目指す少年二人組を描いた「バクマン」などがありますが、中国だとこの手の作品はあまりなく、実際友人の中国人も「バクマン」を見て凄い新鮮に感じたと話してました。

 それでいてですが、中国人自身は割とクリエイター気質というか、一つの作品に全身全霊で打ち込もうとするような人間が少なくないです。こうした人はカメラ趣味系に多い気がしますが、そうした作品を作る側に立ったストーリーがあまりないだけに、このルックバックを見て共感を覚える中国人も少なくないというか「こういうのを見たかったんだ(´;ω;`)ウッ…」という人が多いのではと思っています。
 この辺、今後の中国の報道を見て反響などをまた書いていきます。