ページ

2019年10月31日木曜日

何故ラグビーワールドカップは成功したのか

 決勝戦は明後日ですが、現在日本で開催中のラグビーワールドカップは近年の日本主催の国際スポーツ大会としては稀に見るほどの大成功だったと言えるでしょう。これまで日本ではあまり人気があるとは言えなかったラグビーに対し、試合中継では高視聴率を連発した上、また揉めやすいレフェリーの判定についてもこれまで目立った騒動も聞きません。
 極めつけは日本に滞在した外国人選手との交流で、報道されている限りでは日本側の受入は各地で好評だったようで、先日の台風被害のあとにボランティアに参加してくれたカナダチーム選手など、多方面で素晴らしい交流が行われたと考えています。

 なお高校時代はラグビーやってたのに大学入ってからダルいとかいってテニスに鞍替えしたうちの名古屋に左遷された親父によると、「片手でパスするのが不思議」だったそうです。親父の時代はきちんと投げるため何が何でも両手でパスするよう指導されていたそうですが、現代のラグビー選手は平気で片手でパスしながら正確にボールを送っており、この点は親父の世代からするととんでもない時代の変化に感じたそうですが。

 話は戻りますが、そもそもどうして今回これほど成功したのかが気になってます。正直、前評判も高くなかっただけにどうしてこれほど盛り上がったのかが不思議で仕方ありませんでした。単純に日本のラグビー関連団体が努力したと言えばそれで済むのかもしれませんが、それならそれで何が良かったのかが気になります。
 特に来年に東京五輪を控えているだけに、その成功要因は今からでもしっかりと共有しておくにこしたことはないでしょう。

 まず考えられる理由としては、情報発信が非常に良かったという点です。滞在中の外国人選手らの日常風景、試合スケジュールや今後の展開について非常に細かく且つわかりやすく情報が発信され、台風で試合が中止になった際も早め早めにその可能性に言及しており、この点は見事な発信の仕方だったと思います。

 次に、これはジャケット着ているだけで「秋なのに上着を着るなんて花園さんらしくない」と久しぶりに会うなりディスってきた後輩の主張ですが、試合中継などでアイドルや芸人などを一切使用せず、硬派な中継を心がけたという点です。このところっつても大分前からですが、競技経験のあるアイドルや芸人を呼んでは試合の実況解説に混ぜる放送が非常に多いです。サッカーが特に顕著ですが、ミルがわからしたらアイドルや芸人呼ばれても何も響かないというか、見たいのはやはり試合の中身であるのに、試合前後に無駄にそういったゲストがあれこれトークするのは私自身も正直あまりいいとは思っていませんでした。

 後輩によると、今回のラグビーワールドカップの試合では競技経験のあるアイドルや芸人がそもそもいなかったからかもしれませんが、かなりガチな競技経験者が毎回登場し、また実況や放送も視聴者にわかるよう細かくルール解説がされていて非常に見やすかったそうです。私も一試合の放送を見ましたが、確かに野球やサッカーと比べて無駄に視聴者を煽るような発言とかなく、落ち着いた試合中継で見ていて悪い気分しませんでした。逆を言えば、変なゲストの戯言ほど不快にさせるものはないんだなと改めて感じました。

 あと最後に私自身の見解ですが、日本のラグビー業界でそこそこ力持っている森元総理が、弱ってきてあまり大会運営に口出ししなかったからうまくいったのではないかと本気で思っています。それこそ東京五輪でもこれまで出てきては余計なことを言って現場を混乱させてきましたが、最近急に痩せて顔色も優れないなど、明らかに弱ってきている様子が見て取れます。
 非常に不謹慎なことをさっきから言っていますが、この人に限って言えば存在するよりしないほうが物事が確実にうまく回ると思うくらい問題がある人物だと私はかねてから認識しており、今回のラグビーワールドカップの成功振りを見て、ますますこの考えに確信が持てました。公人である以上、これくらいの批判はまぁありでしょう。さらに言えば、東京五輪も正直どうなるかと危ぶんでいましたが、名誉会長がこんな感じで何も言わなくなったらうまくいくのではと光明が見えてきました。

 最後に関係ないけど、この前日本帰った時の親父へのお土産は、免税店で買ったタバコとイスラム教徒がかぶる白い帽子でした。後者は、親父が被った姿は完全な中東人で、あれなら普通に中東コミュニティに潜り込めるなと思うほどでした。

2019年10月29日火曜日

ゲームレビュー「シークレットゲーム」

 大学時代のロシア語の授業である学生が、

「せんせー、昨日徹夜でカラオケしたから喉痛い。飴ちゃんちょうだい(´・ω・`)」
「あんた大阪のおばちゃんみんなが飴ちゃん持ってるとでも思ってるの?まぁ持ってるけど( ´ー`)ゴソゴソ」

 という出来事がありましたが今日、

「花園さーん、マウス持ってたらちょうだい(´・ω・`)」
「あるよ。ほなこれ持ってき( ´ー`)ゴソゴソ」

 という妙なやり取りをかましてきました。ちなみに家には使っていないマウスが10台くらいあります。

 話は本題ですが昨日の記事で私は今、ニンテンドースイッチライトで「キラークイーン」というゲームをやってると書きましたが、これ聞いて大概の人はジョジョに出てくるスタイリッシュなスタンドを想像したのではないかと思います。実際はそっちではなく、キラークイーン、もとい「シークレットゲーム」というアドベンチャーゲームです。

 この「キラークイーン」というのは初出が2008年に出た18禁の同人ゲームで、その後PS2とかパソコン向けにリメイクされたのが「シークレットゲーム」です。内容はどんなのかというといわゆるデスゲームで、謎の施設に閉じ込められた人たちが武器を与えられ、殺し合いをするという典型的な内容となっています。
 私はこのゲームを2010年頃に知って、PSP版も出ていると知ったので最初はそっちで遊ぼうかと考えていましたが、当時はPSPのダウンロード版の値段が高く、そこそこ古いゲームなのにその値段で購入することに抵抗もあったことから見送っていました。そしたらニンテンドースイッチにソフトが移植されており、且つ値段もお手頃となっていることを知ったので、先日の日本帰国時に続編の「リベリオン」とともに大人買いしました。

 私がこのゲームの何に興味を惹かれたのかというと、一言で言えばめちゃくちゃ人が死にそうな内容だったからで、それ以外は何もありません。もっとも遊んでみた感想としては確かに9割方死ぬけど殺害方法は蜂の巣になるようなのばっかで、それほど凄惨というわけではありません。凄惨さで言ったら、前にもレビュー書いた「ゼロエスケープ」がフッ酸シャワーを始め群を抜いており、あれに比べればまだ「シークレットゲーム」はマイルドな方です。

 それでゲーム自体についてですが、そもそもこのゲームをゲームと呼ぶには少し難があります。というのも一般的なアドベンチャーゲームと違ってこのゲームにはシナリオの分岐はほぼなく、基本的には用意されたテキストを読むだけで、ビジュアルノベルのような内容だからです。通常のアドベンチャーは選択肢によって展開が変わることを主軸とするだけに、随分と思い切ったやり方したなと感じます。
 ただ、複数あるシナリオのテキスト量は非常に膨大で、完読するには普通に数時間が必要なだけに、選択肢による分岐がなくても正直あまり気になりません。それどころかテキストは非常に面白く、先が気になる内容と高い品質を持っており、世間で評価が高いというのも非常に納得できました。

 このゲームのテキストが何故優れているのかというと、舞台設定とキャラ設定がとにかく優れていることに尽きます。
 通常、デスゲームというのは平等に武器とか与えられて、互いに協力し、時には裏切り、最後に愛と友情で生き残るというのがお決まりの流れですが、「シークレットゲーム」ではゲームに登場する各プレイヤーそれぞれ別個に、「何人か殺す」、「特定の場所を回る」、「特定人物を殺す」、「数人から持ち物を奪う」、「特定時間まで生き残る」などのクリア条件が設けられ、条件によっては完全に競合して対立せざるを得なかったり、逆に協力するほうがメリットがあると言った状況が生まれたりします。そのため他のデスゲームと違って、キャラ間の駆け引きもクリア条件が重要となり、シナリオにもそれが反映されます。

 次のキャラ設定についてですが、このゲームではパラレルワールド的に複数のシナリオが用意されており、登場人物や大まかな舞台設定は共通するものの、シナリオによって死ぬ人や生き残る人が変わり、展開も変わってきて、選択肢によるシナリオ分岐の役割を代わりに果たしています。
 ただ、他のアドベンチャーゲームだと分岐したシナリオによってキャラの設定や性格が変わったりして、時には別人のようになってしまうことも珍しくありません。それがこの「シークレットゲーム」では、各登場人物の行動原理、観念がすべてのシナリオで完全に共通しており、シナリオによって主人公に協力したり、狂行に走ったりと行動そのものは変わるものの、その行動原理となる価値観や考え方が驚くくらい共通というか一致が保たれており、各登場人物が各シナリオでどうしてそんな行動を取ったのかについて深く納得できるようになっています。
 では何故シナリオによって行動が変わるのかというと、具体的には物語冒頭でどんな人物と接触したか、スタート地点がどこだったか、持ち物がどんなだったかによって行動が変わってきます。あるキャラに至っては、誰かに接触する前に罠にかかっていきなり死んだりもするし。

 今現在自分は最終章途中まで進めており、トラブルがなければこのまま最終エンドまで今日中にたどり着けると思います。正直言ってシナリオを読むだけのゲームですが、シナリオの完成度が非常に高いのは保証でき、ギャルゲーらしい目玉の大きなキャラクターの造形さえ我慢できれば確かにおすすめできる内容です。あんまグロくないし。

 なお声優の演技については取り立てて評価するほどの人はいないなと感じますが、ある女性キャラの声優を名前で検索したところ、「このひと、コトノハサマだったのか……」という言葉が自然と漏れてきました。
 それにしても最近は「ヤンデレ」という言葉も以前よりすっかり聞かなくなった気がします。っていうか2005年から2008年のリーマン・ショックまでの間にやたらとこの手のキャラが異常に量産されていたようにも思え、何ていうかそういう時代だったんだなと再認識しました。

2019年10月28日月曜日

ニンテンドースイッチライトの中国での稼働状況などなど

 先日、友人から「ニンテンドースイッチライトどう?」と聞かれたので、いま得ている情報を簡単にまとめておきます。

 少し前のブログにも書いたように(書いたっけ?(´・ω・`))、先日の日本帰国時にニンテンドースイッチの携帯機特価版に当たるニンテンドースイッチライトを書いてきました、いい加減長い名将にうんざりなのでスイッチライトと書きますが、まず触ってみた第一の感想としては「重い(´・ω・`)」でした。
 というのも、これまで私が主力武器として長年中国で連れ添ってきたPSVitaと比べると画面などがやや大きくなっており、ガワ全体もVitaより少し大きいことから、重量も少し重くなっています。

 Vitaより重いといっても実際それほどものすごい重量というわけじゃないのですが、やはり携帯ゲーム機というのは常に手に持って、場合によっては長時間遊び続けることもあるだけに、軽いに越したことはありません。もっとも私が重いと感じるのはVitaに慣れているだけであって、実際に数日間スイッチライトを使っているうちに段々と重さにも慣れてきました。何ていうか、この重力にも慣れてきたというか。

 ゲームソフトに関しては最近はVitaでも全部そうなので、全てダウンロードで購入しており、日本国内でメモリーカード買ってダウンロードしてきました。メモリーカードはVitaで当初16GBのを買って入れてましたが、途中で容量足りなくなってもう一枚16GBを購入したという反省を踏まえ、今まで知らない謎のメーカーのマイクロSDカード128GBを購入して入れています。Vitaと違って汎用のメモリーカードなのは任天堂もいい仕事しており、っていうかソニーは無駄に独自規格作るのやめろよと改めて思いました。

 操作性に関してはまだアクションゲームを直接遊んではいないのですが、先程述べた重量と、画面の大きさからやや横幅の長い形状から、これでアクションゲームをガキガキやるのは厳しいとすぐに感じました。そこで外付けのケースというか、スイッチライト本体を握りやすくするためのこういう外付けカバーを即購入しました。
 Vitaにもこういうケースカバーがありましたがこれまで使ったことはなかったものの、スイッチライトにつけたケースカバーは割と触感もよく、グリップ加減も良くて気に入っています。逆に、こういうケースカバー無しだと激しいアクションゲームは厳しい気がします。

 なおケースカバー、あと持ち運び用のポーチはどちらも白色を選びましたが、「白なんてすぐに汚れる」と親父と上海人の二人に全く同じセリフを言われました。奴らは白の良さをまだ理解していない( ゚д゚)

 このほか気になった点を上げると、サウンドというかスピーカーは明らかにVitaと比べて優れています。Vitaは表面のボタン付近にスピーカー口があり、ゲーム中に親指が重なると急に音が塞がれるといったトラブルが良くありましたが、スイッチライトは本体下部にあって手や指で塞がることはほぼなく、なおかつ音の聞こえ具合も明らかにVitaよりクリアです。
 一方、まだ完全には把握しきっていませんが、ゲームプレイ以外の本体付属機能とUIに関してはあまり誉められたものではなく、現時点では私があまり評価していないVita以下の状態です。メイン画面ではダウンロードしたゲームタイトルが割と大きいアイコンでズラッと並んでおり、ゲームを選ぶ際の選択でやや違和感があります。またメニュー画面のカラーパターンこそ選べるものの、背景画像やアイコンを含めたテーマ設定は弄れず、設定のカスタマイズ範囲は非常に限定されています。携帯ゲーム機である上は、もっと個性を主張したいところなのですが。

 あ、あと肝心なこと書き忘れていましたが、中国でスイッチのゲームをダウンロードできるかについて書いておきます。結論から言うと「イケそう」な気がします。
 ゲーム機本体の所在地設定には「香港、台湾」はあるものの中国本土は含まれていないのですが、無料販売されているゲームはスイッチライト本体からニンテンドーeショップから直接購入することができ、ダウンロード自体も行えました。ただ正式に価格のついたゲームソフトはまだ試しておらず、この辺を今後買いたいゲームが出てきた際に試してみるつもりです。
 もっともゲームソフト自体はPCからVPN経由で購入することはほぼ確実に可能であるだけに、ダウンロードが行けるんなら中国からでも問題なく購入し、遊べるのではないかと見ています。

 最後に、実際のゲームはどんなもんといったところですが、実はまだ一本のゲームしか遊んでいません。スイッチライトを買うと決めた時に最初に買うことを決めたソフトは「ベヨネッタ」の1と2でこれらはもちろん買っていますが、現在遊んでいるゲームはこれではありません。何かというと「キラークイーン」で、こちらに関してはまた次回紹介します。

多重下請けの弊害

中国の自動車市場、完全に成長が止まった模様(JBpress)

 今日配信された私の記事はこれですが、正直こんなニュースどうでもいいと思ってしまうビッグニュースが同時期に配信されていました。少しだけコメントつけておくと、ヤフコメ見るとやはりというか見出しの総生産台数落ち込みばかりに言及していて、個人的にはもっと重要だと思える新エネ車の腰折れについて言及ないのがやや残念でした。あと個人的に一番嬉しかったのは、シビックについて言及するコメントがあったことです。

「5次請け」の殺し屋、報酬安すぎで手抜きし事件発覚 中国(AFP)

 見出しからしてどこから突っ込んでいいのかわからないニュースですが、中身を見るともっとカオスです。

 ぜひ記事内容をその目で確認してほしいのですが概要を簡単に説明すると、中国で訴訟を起こされた不動産業者が、訴訟費用のが高く付くと考えて殺し屋に200万元(約3000万円)で殺害を依頼しました。しかし依頼された殺し屋は、「俺の手は汚したくない」と考えて別の人物に100万元(約1500万円)で依頼を転注というかアウトソーシングしました。
 そしたら転注された男は「俺の手は汚したくない」と考えて更に別の人物に77万元(約1200万円)で、そしたらそいつも「俺の手は汚したくない」と考えて他の人物に70万元(約1100万円)で、でもってそいつも「俺の手は汚したくない」と考えて最後の男に10万元(約150万円)で殺害を依頼した層です。

 しかし最後の男は、「こんな金額では割に合わない」と考え、なんと殺害相手に直接コンタクトを取り、殺害を果たしたと偽るために縛って猿ぐつわをかませた写真を撮影させてもらうことに同意して、見事撮影を果たしたそうです。撮影後、狙われていた人物は警察へ通報し、依頼者ほか五人の殺し屋はまとめて逮捕されたそうです。

 もうどこから突っ込めばいいのかわからないくらい愉快なニュースと言うか、最初は3000万円だったら報酬が何も仕事を果たさない下請けを経由していくうちに最終的には150万円まで減ってしまい、割に合わないと考えられて仕事放棄させられるというオチは小説でもなかなかないでしょう。しかも最後の男に至っては仕事せずに報酬を得ようと殺害対象と撮影会まで開いており、のどかというかなんというか図太い神経しています。
 ネットでコメントとか見ていると、「原発除染作業を始めとする日本の労働現場のようだ」、「多重下請け、よくない」みたいなコメントがたくさん並んでいて、面白がる一方で意外に笑えないというような皮肉めいたコメントがよく見られます。実際、私もそう感じましたし。

 たまに「どうして中国に来たの?」という質問を受けることがありますが、普段は中国史が好きだったからと答えるものの、「唖然とするトンデモニュースが飛び交うのが中国とインドくらいだから」という答え方をすることがあります。軽く冗談が入っているもののこの回答も本心であり、トンデモ事件が頻発するからこそ中国であり、それが中国の魅力であると本気で考えています。
 しかし経済成長を果たしてからというものの、中国国内ではこういうトンデモニュースがだんだん減ってきた感じがします。それだけに今回のニュースは久々に心躍らせるニュースで、これがあるから中国はやめられないと無駄に元気になりました。

2019年10月27日日曜日

結果主義の弊害

 記事には書いていませんでしたが先日壊れたと疑いのあったSIMカードを通信キャリアに持っていったら、やっぱり壊れていたようで、交換したらすぐ元通りとなりました。なお交換の際、最初の契約時に使用したパスポートはすでに期限が切れて切り替えていたので、最初は交換ができず、二回目に新旧パスポートを携えて無事に問題解決できました。古いパスポート捨てずにおいてよかった。
 話は本題ですが、日本滞在中に何故か友人の弟に説教していました。その内容というのも、結果主義の弊害とプロセス遵守の必要性についてです。

 1931年の満州事変と言えば言うまでもなく日本が二次大戦に踏み出す最初の一手であることに間違いありません。この満州事変は主に石原莞爾、河本大作、板垣征四郎などの関東軍幹部によって企図、実行されたもので、中央に当たる東京の参謀本部には諮らずに実行されたものでした。
 敢えて現代風に言えば、海外支店が本社の了解や決済なく企業買収を仕掛けるような行為であり、言うまでもなく独断専行的な命令違反と言っていい行為でした。またこの満州事変の際には当時朝鮮半島に駐留していた軍隊を、林銑十郎がこちらもまた中央の了解なしに中国東北部へと動かしております。こちらに至っては統帥権の干犯もいいところで、米軍のイラク駐留部隊が勝手にイランへ攻め込むような行為といえばその危険性がよく分かるかと思います。

 しかし、こうした命令違反に当たる軍事行動を行った軍人らはその後処罰されることは全くありませんでした。というのも、結果的には満州事変は軍事的には大成功して、それまでは瀋陽など一部都市と満州鉄道沿線のみだった日本の支配地域は、中国東北部全体にまで広がったからです。このため石原莞爾などは勝手に軍隊を動かした罪で処罰されるどころか昇進したわけです。

 それから時代を経た1937年、満州国と中国国境の盧溝橋での偶発的戦闘開始によって日中戦争が開始されます。勃発当初、東京の参謀本部は戦火の拡大を防ぐために現地部隊に対して不要な戦闘は避け軍事行動は控えるように通達しますが、現地部隊はこれらを一切無視して中国領土をガンガン攻め続けました。しかもこの時の参謀本部には出世した石原莞爾もいたのですが、再三の抑止呼びかけに対して周囲から、「お前も命令違反して出世したじゃないか」と言われ、絶句したというエピソードが残っています。

 つまり当時の日本陸軍の中では、「命令違反しても成果を上げれば問題ない」という結果主義がはびこっていたことに間違いありません。そしてその源流は満州事変の成功とその後の関係者の昇進であり、その結果盧溝橋事件以降の日中戦争では中央の命令を完全に無視して、軍事行動が行われる下地を作ったと言えます。
 これら全ては結果主義による弊害といってよく、「結果さえ良ければ手段や過程は問わない」という意識がはびこることによって起こるモデルケースと言っていい事態です。その後の結果については言わずもがなですが、日本は日中戦争から泥沼の戦争状態に陥ったばかりか、米国との太平洋戦争にも突入して亡国の道をたどることとなりました。

 なお同じような結果主義の弊害によるケースとしては、「シャア少佐だって、戦場の戦いで勝って、出世したんだ!」でおなじみのガンダムに出てくるジーンの例が好例でしょう。この時彼は偵察のみが命令で同僚からも止められていたにもかかわらず攻撃行動に移った結果、ガンダムに乗り込んだアムロ・レイに反撃されて命を落としています。
 仮に彼が結果主義に走らず偵察だけで終えていたらアムロ・レイは一年戦争に参加しなかった可能性が高いです。アムロは戦争でやばいくらい活躍しただけに、ジーンが手を出さなかったらジオン軍は敗北どころか連邦に勝利していたのではとまで推測されることから、ジオン軍最大の戦犯という評価を現在得ています。

 以上を含めて何がいいたい、というか友人の弟に何を伝えたかったのかというと、結果主義がはびこると組織というのは得てして命令違反が繰り返されるようになり、日本陸軍の例は極端だとしても、基本的には弊害が大きく組織そのものを含め損害を負うこととなります。そのため結果主義というのは可能な限り排除すべきであり、多少鬱陶してくても行動や計画を実行に移す際はきちんとプロセスに則って手続きを踏み、行う必要があると伝えました。
 直近の例だと加計学園系列大学の獣医学部認可がありますがあれなぞ、「安倍首相の友達→安倍首相は喜ぶであろう」という忖度のもとで、本来行うべき審査プロセスがすっ飛ばされて実施されており、安倍首相が直接指示して行われてなければ結果主義の弊害の典型とも言える事件でした。またその前後の森友学園問題も同様で、安倍首相関連事案だからという結果主義により土地売却プロセスが正当に踏まれていなかった感が見られます。

 では結果主義を排除するためにはどうすればいいか。結論から言えばきちんと定められたプロセスを遵守するよう徹底し、これに違反したものは、たとえどれだけ素晴らしい結果を生んだとしてもきちんと処罰するということに尽きます。仮に満州事変で石原莞爾らをきちんと処罰していれば、日中戦争は起こらなかった可能性があると私は本気で考えています。
 ただ、何でもかんでも杓子定規にプロセスを遵守しろとまで主張するつもりはありません。それこそ未曾有の事態や、どう考えても既存の設定プロセスが当てはめられない異常な事態に対しては、現場での臨機応変な対応が求められるし、それを認めるべきだという立場を取ります。一例を上げると、米軍の軍事ヘリが戦地で墜落した際、階級上では指揮する立場ではないもののサバイバル能力に優れたあるパイロットが生存者を率いて見事生還したという例があります。

 以上をまとめると、きちんとプロセスが定められている事態に対してはプロセス遵守を徹底する。プロセスが存在しない、または通用しない超異常事態に限ってのみ現場判断を認めるという姿勢こそが、結果主義を排除する手段であり、これをきちんと守るかどうかは非常に重要だと言いたいです。
 なお一部の日本企業を見ていると、実力主義と勘違いして結果主義を蔓延させているケースが見られます。具体的には「チャレンジ」で有名な東芝とかですが、実力主義との混同は非常に危険で、この方面にもやはり注意が必要だと私は感じます。

身内の進路

 先週の日本滞在中に我ながらよくわかんないことしたなと思うこととして、何故か姉の進路について親父に説教していました。

 かいつまんで説明するとうちの姉貴は高校卒業後に地方私大のドイツ語学科に進学したのですが、これは明らかに誤った選択だと主張したわけです。その理由というのも、姉貴は明らかにドイツ語の専攻に向いておらず、且つ受験時点でもそうした性質がはっきりしていたからです。そもそも受験先にこの学科を入れた事自体が間違っていたと断言できます。
 何故姉貴がドイツ語学科に向いていなかったのかというと、単純に外向きの人間ではなく、外国語自体にも興味があるとは思えなかったからです。今の自分から見ても英語のレベルの時点でヤバいと思う水準だったし、また海外旅行とかそもそも毛嫌いするくらいで、語学以前に論理力も見るべき点はありませんでした。また高校自体は国際化のある学校に通っててそこでは第二外国語もカリキュラムに入れられていましたが、姉貴が選んでいたのは中国語で、高校で中国語学んでおきながら何故ドイツ語学科を受験したのかは正直理解に苦しみます。

 以上の点は姉貴の受験時、つまり自分が中学生だった時点で自分が感じていた点で、何故姉がドイツ語学科を受験して、合格して、進学したのか当時の自分からしても不思議でしょうがありませんでした。そしたら案の定、交換留学制度があるのに姉は留学を拒絶し、当初は両親に黙って申請せずに初年度の応募を流しました。二回目の応募に際しても、本来一年行けるところを散々拒否して、留学させようとする親に対し激しく抵抗して期間を六ヶ月に短縮してようやく行きました。
 そして就職先は、ドイツ語のドの字も出てこないIT企業に入り、SEとなって現在に至ります。

 逆にというか、コンピューター関連の仕事はちっちゃい頃から姉貴は就きたがっており、中学生の頃に作ったなりたい職業というテーマの粘土細工作品でもパソコンを前にしてキーボード叩く姿で作っていました。なおこの粘土細工はその後数年間ベランダに置かれていましたが、あまり造形がよくなく内心ではよ捨てればよかったのにと思ってました
 実際にというか、高校三年生時点で姉はコンピューターの専門学校にも見学に行っていたようです。以上を勘案すると、やはりIT系の技術を学ぶような専門学校や大学学科が向いており、逆にドイツ語学科なんて受験するだけ無駄なくらい適正にも志望にあっていない学科であったことが当時の時点でもはっきりしていました。まぁ数学は割と絶望的でしたから大学の情報科は無理としても専門学校に通わせてやればよかったのですが。

 以上のような見解を親父に突きつけて、やはり本人としてはなかなか好きな進路とか言い出しづらいのだし、ちゃんと親として適性や志望を判断して進学先を選んであげるのも責務であったと説教したわけです。少なくとも、ドイツ語学科には進ませるべきではなかったと言いました。
 なんで急に大分前の姉貴の進路について急に言いだしたのかというと少し前フリがあり、従兄弟の息子の進学先をつい最近聞いたからでした。その従兄弟の息子は医大を志望していたのですがあいにくどこにも受からず、仕方なく一緒に受験して受かったある大学の歯学科へ進んだとのことです。この内容を聞くや私が言い放った言葉というのは、「何故誰も止めなかった!」というもので、ガチで怒鳴るように大声を上げました。

 知ってる人には早いですが現在歯科医は供給過剰もいいところで、免許を得たところで新人を雇うような既存の歯科医院はなく、かといって独立するには既存顧客もない状態で大量の機材を揃える必要があり、歯科医として生きていこうとすると詰みやすいというか非常に困難な時代となっています。なにげに十年くらい前、歯科医団体のトップで現上皇にも拝謁したことのある人と一緒に授業を受けてたことがあり、その人ですら、「何故国は歯学科の定員を減らさないのか。何もわからない若者が入ってきてしまって路頭に迷うだけだ」と言っていました。
 従兄弟の家はもちろん歯科医院を経営していません。いうなれば何の地縁も資産もないまま歯科医の道を歩ませてしまっており、もし仮に私が進学前にその場にいたら全力でその進学を止めていたことでしょう。それこそ従兄弟の息子の前で合格通知をビリビリに破いて、「お前にこんなところへ行く資格はない!」とまで言っていたことでしょう。本人を前にしないならなんとでも言えます。

 もっともそれ以前というか、先にも述べた通りにどうして誰も進学前に止めなかったのかがつくづく呆れます。ちょっと調べればわかることだし、世の中の動きを見てれば簡単にわかるというのに、いくら本人が志望しているからと言ってむざむざ死ににいくような道を歩ませるというのは先達として取るべき行動ではないでしょう。それこそ姉貴の例じゃないですが、受験したこと自体が判断ミスもいいところで、私も実際は部外者で言ってもしょうがない親父に対しはっきり言いましたが、今からでも遅くないから受験し直したほうがよっぽどマシです。

 以上二つの例を上げましたがこれで何をいいたいのかというと、他人ならともかく案外身内だと、その本人の志望や適正にあった進路をうまく選び取れないものなのかもしれないなと感じました。やはり身内、特に自分の子供だとどうしても目が曇るというか、才能や適正があっても親は意外と気づかないのかもしれません。
 実際にそう思う節が私にもあり、姉貴について説教したあとでうちの名古屋に左遷された親父に対し、「ちなみに、俺の記憶力が異常だと気がついたのはいつだ?」と訪ねたら、四、五年前と言われました。ちなみに他の人だと、私の記憶力が異常だとわかるのは大体満二年、知り合って三年目くらいに差し掛かった当たりで、この当たりから二年前の出来事、会話内容すら正確に記憶しているというか諳んじて見せて、私に対し記憶力が異常だと気づくパターンが多いです。また私自身は、中学生の時点で自分の記憶力が異常であることを自覚していました。

 また記憶力とは別に、よく声というか発声方法についてもよく周りから誉められるのですが、去年に第三者から私の声が綺麗だと言われた際に横にいた親父は驚いてて、後で聞いても私の声に対しそのような印象はそれまで全く覚えていなかったと言っていました。記憶力にしても発声にしても、下手すりゃ初対面の相手ですら気づくくらいかなり特徴的な私の一面なのですが、生まれてからずっと接してきた親父が気づかなかった当たり、親父が鈍感と言うよりかはやはり身内ゆえに気づきづらかったのかもと今は考えています。

 その上で結論を述べると、やはり身内の相手に対してはその適性や特徴、才能に関して、案外目が曇りやすいのではないかと思います。逆を言えば第三者から見てもらったほうがそうした適正判断は正確に下せる可能性があり、親だから子供、または親戚をよく理解できるとは考えず、周りの第三者から意見を聞いて、ちゃんとその方向性というか進路とかも考えてあげたほうがいいのかなというのが今回言いたいことです。

 最後に、私は自分の適性などをしっかり把握した上で大学の進路を選びました。自分の場合は専門性が低ければ低く、範囲が広ければ広いほど強いという特徴があるだけに、社会学・文学系の学部選択はやはり適切だったと自負します。サブウエポンに中国語を選んだのも、一応今の仕事に直結したし。

2019年10月24日木曜日

眼鏡屋が増えている背景

 上司から最近、こんな難題を問われました。

「なんでこんなジョジョってつまらなくなったん?」

 「才能が枯れたとしか……」と答えましたが、実際マジヤバいくらいつまらなく、先週最新刊を漫画喫茶で一応読みましたが、よくこんなつまらない話を延々と続けるなと驚くくらいのつまらなさでした。ダモさんが出てきた当たりは面白かったのに。

 話は本題ですが今回の帰国中に眼鏡を新調しました。別に中国でも眼鏡くらいはどうとでもなるし日本のJINSとかも進出していますが、日本国内で消費しようと思ったのと、やはり何かあった時のことを考えて日本で作ることにしました。なお行ったのは眼鏡市場です。
 滞在中に作れるのかなとやや心配してましたが、店員に聞いたら20分もあればできるということで実際そのとおりでした。ほんのちょっと前まで発注から受取まで一週間位かかってたり、4、5万円かかってたのと比べると、料金は2万円強(フレーム+レンズ)と安くなったのにスピードは格段に早くてマジビビります。

 この購入時、実は前から気になっていたので店員に、「なんでこんな眼鏡屋増えてんの?(´・ω・`)」と聞いてみました。日本でも郊外やショッピングモールを中心に眼鏡屋が増えていますが、中国でもなんか最近やたらと眼鏡屋を目にすることが多く、生活必需品だから一定数需要があることはわかりものの、それにしても増え過ぎではないかと前から疑問に思っていました。
 それで店員の答えですが、一つはマシニング加工機械、要するにレンズをフレームに合わせてせん断する機械の性能が高まり、安くなって各店舗におけるようになり、これによって当日すぐの引き渡しが可能となったそうです。次に、こちらが重要ですが、以前と比べると眼鏡をファッション感覚でつける人が増えており、コンタクトレンズよりも眼鏡を敢えてつけようとする人が増えているとのことでした。この際、はっきりと店員からは、「コンタクトを常用する人の割合は以前よりは確実に縮小している」とも言われました。

 両方とも理由としては非常に納得できるだけに、私としても十分に納得できました。ただ、中国に関しては元々コンタクト率が低かったのですが、二番目の理由のようにファッションとしての眼鏡が流行ってきたことで増えているのだと思います。
 なお今回の眼鏡新調は前回からちょうど6年ぶりとなります。前の眼鏡はスチール棒で叩かれた際にフレーム曲がったりしていたこともあってしょっちゅうずれ、眼鏡の位置合わせを常にやってましたが、新しい眼鏡だと全くずれなくて逆にビビります。っていうか前の会社、向こうの責任でスチール棒で叩かれることとなったんだから眼鏡代くらいよこせよなと未だに不満に感じてます。

SIMカード壊れた?

 例によって今朝まで日本に居て今日夕方に上海へ戻ってきました。滞在中は「翔んで埼玉」を見ましたが、これ自分のような千葉県出身者は楽しめるけど、関西地方の人とかは楽しめるのかなと気になりました。

 話は本題ですが、現在私はデュアルSIM、つまりSIMカードを2本させるスマホを使っています。中国、日本それぞれで携帯電話契約を結んでおり、2本のSIMをスマホに挿しており、国境を移動した際は設定を変えるだけですぐさま通信ができるようにしています。
 これ地味に自分のような国境を行き来する人にはありがたく、以前のように日本国内ではガラケー浸かっていた時代と比べると利便性の面で大幅に向上しました。

 それで今回も国境を移動して日本に入るやすぐLINEモバイルに、上海に戻ったら中国移動へと設定を切り替えたのですが、なぜか中国移動のSIMカードは反応がなく、データ通信はおろか電話通信すらできなくなりました。何が痛いかって、中国はスマホを介した電子決済が当たり前なだけに、現金は一応持っているけど買い物などの面で非常に不利となることです。
 SIMカードを取ったりつけたり、設定を弄ったりしましたが復元はせず、友人に相談したら、「おそらくSIMカードが壊れている。自分も前にあった」と教えてもらい、明日にでも中国移動の営業所に持っていくよう勧められました。なんでもすぐ交換してもらえるそうです。

 それにしても今回、データ通信できなくなって心細さがたまりませんでした。なにせ日本のLINEに当たるWeChatが使えないと情報連絡も取れず、また前述のように電子決済もできなくて生活上、本当に不利でした。明日すぐ直るといいけどな。

2019年10月21日月曜日

変わる中国と変わらない日本

 すでに十年近くも中国でウロウロしていますが、十年以上前と比べると同じ国とは思えないくらい変化したと思います。一方で、日本は帰国する度に風景が何も変わらず、電車の中で、「ここらの家全部壊して抜本的に街づくりをやり直したほうがいい」と言ったら友人に止められたことがありました。
 なお中国では実際に、「そだねー」って感じで一気に街を区画ごと破壊し、新たな商業施設や高層ビル、あと住宅エリアとかを作ってくることがあります。上海市内のある公園なんか、曹操じゃないけど周近平が「広いね」つったら、忖度した周りの役人によって一気に壊され作り直されてます。

 よくこのブログでも書きましたが、以前はともかく現代日本人の本質は保守そのもの、社会の一切の変化を嫌って現状の風景や姿を維持することを強い目的に動いている節があります。こうなった背景としては目呼んだ分析で、上位数%の世帯がこれまでの生活を維持するために不定期雇用増やしたりなんやりしたという指摘をしており、その論に則ってみると上位の世帯のみがこれまでどおりの生活を維持するという方針で日本の世の中は回さされるということとなり、前述の私の主張とも一致すると感じました。

 そもそも論として、日本の若い世代を中心に「変化=マイナス」のように、変化すること自体が全てにとってマイナスの事態しか引き起こさないと考えているようにすら私には見えます。少なくとも、変化がプラスに転じるとして社会や価値観の変化を求めるような人物像は日本ではレアであり、実際にそうした思想で持って行動する人はなかなか見つけられないでしょう。
 そういったタイプにとっては現状を維持すること自体が最大の幸福であり、「これ以上幸福にはならないけど頑張れば今の幸福は維持できる、または微減で済む」的な価値観なのかもしれません。中国人も以前と比べれば保守的価値観が強まってきてはいますが、それでも「一発当ててみたい、そのために行動する」という人はまだまだ多くいます。でもってこの手の人達は、失敗した結果についてはいい意味であまり考えません。

 さっきから偉そうなことを言っている私ですが、少なくとも一般日本人に比べればたくさん冒険はしてきたつもりです。昔友人にも「年収を半減させてでも中国に行こうとする勇気は自分にはない」と言われましたが、私自身としてはそもそも中国に行くこと自体は普通に希望しての行動であり、勇気を持つ必要などあるのかと、当時内心で困惑しました。
 そういったいくらかの冒険を経た後、そこそこ見るものは見たし余生はのんびり過ごそうと30歳位の頃に安定した職を求めたところ、日本ではなんか知らないけどどこも仕事くれなくて、安定を求めたら何故か不安定になるという困惑した事態に追い込まれました。その後、「このまま日本にいたら腐るだけだ。何が何でも中国に戻らないとマズい」という価値観からまた中国にあの手この手使って戻ってきて、紆余曲折を経たら、これまでかつてないくらい安定した生活を現在得ています。

 周囲からは、自分の実力は認めているからもっと責任ある立場を目指したほうがいいと言われてますが、自分としてはすでに余生を過ごしている状態だから、自分にやってほしい業務があればなるべく協力するものの、そんな昇進とかは望まないとガチで言っています。なにげにメインタスクの業務能力ではなく、事務処理能力の速さと高さで評価されているのがやや皮肉ですが。

 途中から自分語りになりましたが何がいいたいのかというと、少なくとも自分に関しては安定を求めたら逆に不安定になり、何も考えずリスクだけ追ったら逆に安定した立場を得ることとなりました。これまたすごい皮肉なプロセスではありますが、案外世の中というのはこういうものなのかもしれないと最近思います。

2019年10月18日金曜日

不倫問題の本質

「最悪のタイミング」 巨人・鈴木尚広コーチ退団にG党困惑(J-CASTニュース)

 またなんか不倫関連ニュースが出ていますが、個人的にこの手の不倫行為というのは止められても、刑事罰つけたとしてもやる人はやるだろうし、どうしても伴侶に不倫してほしくないという人ならそういう人を地道に見つけるしかないんじゃないかなと、個人間の付き合い面に関しては内心考えています。一方、社会面で見ると不倫による弊害の方に目が向くというか、具体的には相続と子弟の教育で、どっちかというと問題の本質はこっちじゃないのかなとも考えています。

 これも知ってる人には有名ですが、不倫をして離婚した場合、不倫行為を行った当事者は子供の親権を取られた場合に元伴侶へ子供が成人するまで養育費を支払わなければなりません。しかし現実問題としてこの養育費の支払いが無視というか放置されるケースのほうが多く、一部自治体でもシングル世帯の養育費回収について、強制的措置も検討していると最近報じられてきました。

 私個人としてはやはり社会でこういった教育予算面でハンデのある子どもがいるという状況こそが一番問題であるように思え、前述の自治体のように強制的にも回収すべきではないかと考えています。また相続についても、相続する財産がなければそれまでですが、もし離婚時にそれなりの財産があるとしたら、所有権の分割、若しくは迅速な現金化によって即座に別れて暮らす子供に対して相続させる措置を取ったほうが、とりっぱぐれなくていいのではと思ってます。

 日本もそうですが中国も近年は離婚が増えているといい、住宅価格の高騰と相まって今後相続権絡みで色々問題が出てきそうです。もっとも一人っ子政策もあるから、再婚後にまた子供を作らない限りはそんな問題にならないかもしれませんが。

2019年10月16日水曜日

愛憎の矛先

 知ってる人には有名ですが、羊羹の老舗のとらやは現在東京に本店がありますが、元々は京都にありました。江戸時代から天皇家御用達の羊羹屋として栄えていたのですが、明治の代に天皇家が東京へ移った際、「あそこおいしいからつれてきて」と言われ、そのまま京都から東京へ天皇とともに電撃移籍を果たしました。
 一応現在、京都市内にもとらやのお店はありますが、上記の背景もあって京都市内の他の和菓子屋からは特別扱いされたことをやたら恨まれているそうです。詳しくは知らないけど、京都の和菓子組合とか入ってるのかな。

 このエピソードで個人的に面白いと思うのは、東京へ移った天皇家ではなく、天皇家に引っ張られたとらやに対し憎悪の矛先が向かっている点です。似たようなものだと、好きな男の子が付き合ってる女の子に憎悪を向ける女子みたいな状況が浮かびますが、このように本来、憎悪を催す行為を起こした実行者ではなく、その周辺というか対象に憎悪が向かうということはままあります。
 何故起こるのかというと簡単で、憎悪対象自体には強い愛情や親近感があり、憎むに憎みきれないためです。無論、憎悪の矛先が向かってしまう周辺対象にとっては迷惑もいいところでしょうが。

 この他にも坊主憎けりゃハゲまで憎いなどという言葉もあるように、憎悪というのはしばしば、直線的ではなくややずれたベクトルに向かうことは珍しくありません。逆を言えば、本来の対象のみを憎み続けるというのは逆に難しいのかもと思うこともあります。
 それこそ例えば、昔いじめた相手に対し強い恨みがあり、ふとしたことからその相手の親戚に対し強く出られる立場に立ってしまったら……などという感じで、憎悪対象本人自体よりもその周辺に復讐をかますことのほうが実態としては多い気がします。中東地域に至っては何代も前の親戚の仇とか言って、仇の対象の実質無関係な親族すらも襲うというし。

2019年10月14日月曜日

意外な反応

一躍ブームの蘭州ラーメン、本場の味はどう違うのか(JBpress)

 今日配信されたのが上の記事ですが、正直言って蘭州ラーメンはまだニッチだし、内容も平和的で悪くはないけどインパクトに欠けるからそんなに受けないだろう、蘭州旅行してきたついでに書いた記事だからいっかとか思ってたら、そこそこ読まれました。ヤフコメも100件超えたし、アクセスランキングも午前の段階ではトップに入ってて、「え、こんなのが受けるの?」と正直戸惑うくらいでした。

 内容については言わずもがな、最近日本でも増えてきた蘭州ラーメンについてです。ヤフコメを見ているとやはりというか駐在経験者と思しき人達が、「懐かしい」、「また食べたい」という具合で強い反応を示し、味や食べ方について議論を深めています。個人的には、「酒飲んだ後の〆にいい」という意見には至極納得し、薄味だからハーフサイズくらいで提供してくれたら確かに最後に食べる料理としていいかもしれないと思いました。

 記事執筆の背景は上でも書いている通り、蘭州にせっかく旅行に行ったのだから記事ネタにしようと思ったくらいで、そこまで激しく伝えたい何かがあったわけではありません。ただ記事執筆中、日清が蘭州ラーメン味のカップラーメンを出していたことを知り、日本でも知名度が広がっているのだなとしみじみ感じていました。
 改めて考えてみると本当の中華式ラーメンと言ったら、日本だと担々麺くらいしかあまり普及しておらず、日本の独自発展したラーメンはこれだけ増えたのに、本場中華ラーメンはバリエーションも多いのに日本だとまだ少ないなという気がします。先程も友人と、西安のビャンビャン麺とかあるのにねーなどと話してました。

 執筆中の思い出としては、読む側からしたらあまり想像しづらいと思いますが、味の表現というのは実は非常に難しく、そういう意味でこういったグルメレポート記事を出す際、以前は非常に苦労していました。
 具体的に言うと、味覚というのは個人によって変わるため、辛いとかしょっぱいと思って紹介しても、他の人からしたらそういう風には感じられなかったりします。また味覚に関してはまだはっきりしたものもありますが、おいしいかおいしくないかに至っては完全に個人の嗜好が影響するため、「マジうまい最高!」という風に書いても、「それは違う!」と思う人もいるだけで、公平忠実に味の内容を説明、表現したりするのは実は文章表現上ではかなり難しい作業に入ります。

 この辺の味覚表現については2016年に書いたラーメンミュージアムの記事で非常に苦しみ、このときに試行錯誤した結果、前と比べると段違いに表現できるようになってきた気はします。今回もそのときに培ったテクニックを利用し、「多くの人が同感するであろう際立った味の特徴」、「使われている食材の役割」、「このような味に感じたのはあくまで筆者自身と明記する」というポイントを抑えて書きました。
 今回の記事に関しては非常に議論になりやすいラーメンスープよりも、麺の方で際立った特徴が出たので、そういう意味ではまだ書きやすい方でした。またラー油に関しても見た目的にもわかりやすく、個人的には意外と簡単そうでありながら、他の人ならなかなかできない表現でうまく説明できたのではないかと考えています。

 それにしても金のなかった頃は、本当に週3回以上は蘭州ラーメン食べてお金貯めてました。最もそういう思い出があるからこそ、たまに食べたくなるのでしょうが。

2019年10月13日日曜日

意外なアダルト商品

 昨夜夜ふかししてゲームしてたせいか、今日3時から6時まで記憶失うくらい昼寝してました。まだ眠い。


 話は本題ですが先日なにげなくランエボのプラモをAmazonで商品検索してたところ、上の画像の商品情報がヒットしました。ちなみにプラモとしてランエボはライバルのインプレッサに比べると若干種類が少なく、特に第三世代CT系に至ってはあまり出ていないことに気が付きました。人気だった時代からか、第二世代のほうがキット化率が高いです。

 上記画像を見てもらえば分かる通り、「ハセガワ 1/24 三菱 ランサーエボリューションIV 1997 サファリラリー プラモデル 20395」がアダルト商品として警告表示が出ています。最初見た時、「え、なんで?」とか思ったのですが、よくよく考えてみると確かにアダルトな商品には間違いないかとは思いつつ、一体どうなっているのか興味がつきませんでした。
 そこで試しに商品リンクをクリックしたところたどり着くのがこのアドレスで、「18歳未満の方には不適切な表現内容が含まれる商品を取り扱っています」という警告文とともに18際以上であるかを尋ねる質問がされます。若干ドキドキしつつ「はい」をクリックしたところ、エボⅣのキットのパッケージイラストが表示されました。

 憶測ですが多分、「対象年齢18歳以上」みたいに商品を設定したからこうなったんじゃないかと思います。ただ先程にも述べたようにアダルトな商品には間違いなく、非表示にするまでは必要ないと思いつつも、今どきエボⅣのプラモ買う18歳未満がいるのかと言ったら激しく疑問です。

 なお私は以前に頭文字DとのコラボキットであるエボⅤは作った事があるので、第二世代エボはもういいかなと思ってます。エボで一番好きなのは「ハイパワーターボプラス4WD、この条件にあらずば車にあらず」でおなじみのエボⅢと、エボⅦよりトルク抑えて作ったらレースでエボⅦに全然勝てなくなり、慌てて作った結果結構とんでもない仕様になったエボⅧMRだったりします。「MR」は最初「ミッドシップ」の略かと思ってたら普通に、「ミツビシ・レーシング」でした。恐らく今後、この略称が使われることはないでしょう。

2019年10月11日金曜日

バイオハザードな日本の企業環境

 本題と関係ないけど、漫画の現代作家で最高峰の実力者と言えるのは間違いなく「進撃の巨人」の諫山創氏だと思え、構成力や完成度のどれをとっても他を圧倒する屈指の実力者だと感じます。それだけに彼に匹敵する人物は現状実質ほぼいませんが、唯一対抗しうえる人物を挙げるとしたら、藤本タツキ氏以外にはいないだろうとみています。
 にしてもやっぱりニビンベンの影響受けてたか。でなきゃあのベタの塗り方は無理だろうけど。

 話は本題に入りますが、中国ではよく政府もメディアもこぞって「ゾンビ企業を駆逐してやる、この世から、一匹残らず!」という進撃っぽい発言が繰り返されています。ゾンビ企業とはバイオハザードに出てくるアンブレラ社のようにゾンビを増やす研究をしている企業で……というわけではなく、実質的に経営が破綻しているのに銀行やファンドなどの融資によって生きながらえている、古い言葉で言うなら不良債権企業のことです。
 本来なら説明するまでもないのですが、こうした企業が存在し続けることでどうなるかというと、賃金や材料といった原価水準に合致しない価格(大抵は適正価格未満)で商品やサービスが販売され、真面目に賃金を払ったりしている優良企業に比べ価格優位性をもってしまい、これら企業の売上や利益を奪ったりすることで市場を歪ませます。それにしても価格優位性なんて言葉、今の仕事始めなければ一生使わなかったろうな。

 話は戻りますがはっきり言えばこうしたゾンビ企業は存在するだけでもマイナスで、市場原理を破壊し、経済を衰退させる可能性すらあります。それ故、こうした実質的に経営の破綻したゾンビ企業は市場から排除することが経済学上では正しいとされ、そういう意味では中国が現在採っている製作は理に適っています。
 また言っているだけでなく、着実に成果も出していたりします。日本じゃまず報じられないでしょうが、数年前までは大赤字を連発して、「国営企業の負の遺産」などと中国の鉄鋼業企業は言われていましたが、宝鋼と武鋼の鉄鋼超大手同士の合併を始め、ここ数年の政府による整理淘汰の甲斐あって、中国の鉄鋼業は近年劇的に利益水準を回復させてきています。自分なんか数年前の業界全体を覆ってた大赤字状況を見聞きしていただけに、現状を見るだに「諦めずに、やり続ければ叶うんだ」などと心底感心しました。にしても本当にこの辺の事情を日系メディアは語らねぇな、今度自分が記事出そうかな。

 さてここまで言えばわかるでしょうが、日本の平成以降の最大の経済失策はゾンビ企業を殺そうとするどころか、延命させようとし続けたことでしょう。バイオハザード的に言えばゾンビ共をマグナムで撃ち殺そうとしたら、「彼らは人間なのよ!まだ生きてるのよ!」などと庇って、余計に感染を広げてしまったと言ったところでしょうか。唯一、「いいや、奴らはもう死んでいる」と平気で機関銃ぶっ放して駆逐したのは竹中平蔵氏といえるでしょう。
 はっきり言えば経済原理上、明らかに存在してはならない不良債権企業どもを延命し続けた、具体的には中小企業を支援、保護し続けたことで、日本はもうにとど得られないものの多くを失ってしまったと私は考えています。では何故理論的にも明らかに間違っているのに中小企業を保護し続けたのか、理由は政治家の票田などもありますがそれ以上に失業者を増やしてはならないという恐怖感が先行していた事が大きいでしょう。私だけかもしれませんが、失業率という数字は90年代において今以上に大きな重みを持って語られていた気がします。っていうか最近はニュースであまり見ないし、出てきても政府が操作処理疑惑が指摘されるし。

 私が今でも不思議なのは、どうして失われた十年の90年代に中国みたくただ倒産に追い込むのではなく、M&Aこと合併買収を推進しなかったのかという点です。デービット・アトキンソン氏が指摘しているように、日本は中小企業、並びにダメ経営者があからさまに偉そうにしすぎてている上、市場がきちんと淘汰しないせいで産業効率化が進まず不況を加速させていると私も感じます。
 要するにダメな中小の経営者だけを排除すれば丸く収まるところもあり、そういう意味でも企業の集約化をすすめる、さらには失業者を増やさない上でもM&Aこそが最も適切な手段だと思うのですが、現在においても政府、民間ともにこうしたM&Aは大企業の世界だけの話のように語っているのが不思議でなりません。本当に必要な、中小企業のM&Aだというのに。

 はっきり言えば、現時点でこうした見方がアトキンソン氏くらいしか持っていないとすれば、日本は今後もゼロ成長が続くと断言します。バイオハザード的に言えば、ゾンビになりかけのやつを囮にしてしまうような大胆さがない限り、脱出の手はありません。その上で、ゾンビを駆逐するための武器が必要ですが、90年代はまだ機関銃とかあったろうけど、今じゃもうハンドガンくらいしかないように思います。まぁ現実のバイオハザードでは、ナイフクリアする輩もいますが。

2019年10月10日木曜日

終わらなかった聖戦

 先月、この夏にかけて繰り広げられた私とゴキブリとの戦いの歴史を紹介し、なにはともあれようやく平和が訪れそうだとまとめましたが、平和は訪れませんでした。

 あらすじを簡単にまとめると、これまで共通玄関付近でゴキブリが大量に発生して、駆除もできずこの夏ずっと苦しめられてたものの、隣の一家が引っ越したのでようやく駆除に動けるようになったというのが前回までです。結論から言うと、駆除しきれませんでした。
 共通玄関でゴキブリの糞を掃除して、コンバット置いてこれで一安心と思ったのもつかの間、2日くらいしたらまたたくさん出てくるようになりました。特に連休初め、上海に台風が近づいて大雨となった日なんか、雨のせいなのか湿気のせいかわからないけどやけに大量に発生して、マジ朝から晩までゴキブリを殺し続ける一日となりました。その日はどれくらいひどかったのかと言うと、体感で言えば1日で70匹くらい、少なくとも50匹以上は確実に殺しており、もしかしたら100匹超えてた可能性すらあります。これがゲームの世界なら、「そなたの働き、見事である!」とファンファーレが鳴っていたでしょうが、ここは現実世界のためそんな幻聴は聞こえてきません。

 しかも殺したゴキブリのほとんどが、体調が比較的大きい中型種だったのが個人的に嫌でした。それこそ蟻くらいの小型種なんかだったらブラシで擦るだけでサクッと殺せるのですが、中型種だといちいち風呂用洗剤かけて射殺する必要があり、動きも早く、何より見た目にも気分良くありません。それでも殺すけど。
 その台風の日以降、駆除した直後は一時的に減っていたにもかかわらず、以前よりもなんか余計に多く発生して来るようになり、マジ数日間は狂ったように殺し続けました。しかも台所だけでなく寝室にまで侵食してきて、前線を進めたつもりが逆に内部にまで攻め込まれるというダメダメな戦争指揮の典型みたいな事態を招き、真面目にこの時期は家にいるのも嫌でした。

 前に女性の同僚にゴキブリが多いということを話したら、「私ならその理由だけで引っ越す」と言われたことをこの時思い出し、本気で自分も引っ越そうかなと考えるほどヤバい状態でした。ただ、「逃げ出した先にはなにもない」という、「逃げ恥」とは真逆の謎の声に突き動かされ、負けてられるかとばかりに自分を叱咤して再び対策に取り組みました。

 具体的な対策の中身とは、やはり発生源である共通玄関の天井付近にある棚の中のゴキブリの糞をこまめに掃除し、出てきたゴキブリは必ず殺すというルーチンワークでした。特に後者に関しては以前よりも感覚がやけに鋭敏となっており、この頃歩き方変えて視力も良くなっていることもあってか、視界の隅で少し動いただけでもすぐに反応できるようになり、スナイパーとしての実力が高まってマジ殺す量が増えました。何ていうか黒くて動く影に対し、自然と目で追うクセがついてます。
 次に、共通玄関が発生源なのだからともかく玄関ドアから入って来られないようにしようと、元々ゴムパッキンで比較的密封されているものの、四隅の角にあるほんの小さな隙間にもティッシュを無理やり詰め込んで、密封性をより高めました。

 ただ、これだけやってもしばらくは劇的な減少は起こらず、その後も毎日10匹以上は殺し続ける血塗られた毎日を過ごす羽目となりました。それでもこのところ気温が下がってきたこともあってか、9月と比べると射殺数というか目撃数はだいぶ減ってきてようやく一安心かと思ってたら、一昨日朝起きて何気なく枕を持ち上げたら、枕の下に1匹潰れて死んでました。前の自分だったら気持ち悪くて吐き気とか覚えてたろうけど、「何もせず寝ながら1匹殺せたな」と、乾いた心のまま死骸を処理できるほど強くなりました。

 このように今週に入ってからだいぶ減ってきて入るものの、それでも寝室とかでたまに見るし(その度に絶対殺す)、今日も帰宅して玄関開けて5分で3匹射殺するなど、戦いの日々はまだ続いています。先程も述べたように玄関ドアの隙間はほぼ完璧に塞いでいるので小型種以外は入ってこれないと思うものの、未だに中型種を殺し続けていることから、以前から部屋に入ってきていたのか、それとも他に侵入口があるのかとすこし思案にくれました。
 この際、前から怪しいと思っていた天井と壁の接触面付近の隙間が気になったわけです。中国の建築らしく天井のタイル状の屋根はピッタリハマっているわけではなく、壁との区切り付近でほんの少し隙間がのぞいている箇所があり、主要発生源が共通玄関の天井付近の棚であったことからも、天井から来ているのかなと漠然と思いました。そして埋めることにしました。

 流石にコンクリとかで勝手に埋めるわけにも行かないので、幅広のテープを持ち出して隙間の空いている箇所をベタッと貼り付けることで埋めました。壁に沿った一部分のみに隙間があることから全面を覆う必要はなく、また天井付近で透明のテープだから貼った箇所は下から見上げても注意してみなければ気づかないくらいで、見栄え的にはほとんど悪化しなかったのが良かったです。
 それでも冷静に考えて、天井の隙間全てにテープを貼り付けるなんて、なんか精神病んだ人の部屋っぽくも見えなくもありません。だから薄々天井の隙間が気になっていてもこれまで手を付けなかったのですが、流石にもう限界というかこういう事してでもゴキブリ減らしたいと思いました。

 こうして現況、先程も述べた通り気温低下が一番大きいと思うものの、この二日間は比較的マシになったように感じます。ただそれでも安心することはできず、四日前もこうしてパソコンで作業していたらすぐ近くにある折りたたみできる畳マットの上を割とでかい大型種が動いてて、手元に風呂用洗剤がなかったことから窓開けて、畳マットを持ち上げて半分外に出し、揺さぶって外に追い出した事がありました。
 なおこの際、割と自分も動揺しながら畳マットを力強く振ったもんだから、振った際に肘の近くを窓の桟に強打し、割と激しく擦りむきました。っていうかかなり久しぶりに、痛みでしばらく動けなくる経験しました。

 昔、自分ではそうでもないと思っていたものの実際はかなり我慢強い性格していることもあって、痛みそれ自体はしびれで動けなくなることはあっても、そんな辛いとか苦しいとか思うことは私にはありません。けどこの時、擦りむいた後がかなり痛々しく流血もしていて、痛み以上に傷跡を見るほうがハートに来ることもあって絆創膏を貼りました。絆創膏貼るのも、ほんと何年ぶりだったんだろうか。

 落ち込む事もあるけれど、私この街が好きです。

2019年10月9日水曜日

いい人材を見分けるポイント

【悲報】統計学有識者「食べログの評価点数の分布を統計的に分析したぞ」(アルファルファモザイク)

 食べログっておもしろーいって、率直に思いました。

 話は本題に入りますが、率直に言っていい人材はどうやって見分けるのかという話です。色々意見やポイントはあるでしょうが敢えてプロ野球選手について言うと、野手に関しては肩の強さと足の速さが一番見られるそうです。どちらもよければよいほどよく、また守備能力に直結する能力なだけに、極端な例で言えば足が速いだけでドラフトに引っかかり、新人王となった阪神の赤星元選手なんかもいます。
 もっとも赤星元選手については同期の藤本元選手からは、「とてもプロでやっていけるとは思えない非力さだった」そうで、初のキャンプのバッティング練習時に打球が一度も外野に行かなかったそうです。

 野手と言うとどちらかと言えば打撃力が重要視されがちですが、プロ野球の指導陣からすればバッティングは後からでも教えて上達させることができ、実際にはそこまで評価されないそうです。逆に言えば、アマチュアの技術では到底プロには通用しないという見方がされてて、実際に日ハムの清宮選手や中日の根尾選手なんかみていると、やはりプロアマの壁は高いと感じます。そういう意味でヤクルトの村上選手とか巨人の岡本選手は図抜けているとも言えますが。

 話は戻ると、突き詰めると野球の野手に関しては技術ではなく、基礎的なポテンシャルが人材を見分けるポイントとなり、投手の場合も地肩の強さがやはり見られるそうです。もっともプロ入り時に球速が140キロ前半しかなかったのに、わずか数年で150キロ台中盤をキープし、阪神史上最強のクローザーとなった人もいますが。
 なお私はリアルタイムで見ていませんが先日の横浜との第三戦の一点リードの九回、雨が降ってコンディションが最悪となる中でランナーを出すというプレッシャーの掛かる状況の中、何故かマウンドの上で笑みを浮かべたその姿に、敵味方のファンは揃って戦慄を覚えたそうですが、実際にその後抑えてみせた当たりさすがというしかありません。

 また話を戻すと、この基礎ポテンシャルに着目するのは案外、業界や分野に限らず正しいのかもなと考えています。実社会に関して言えば技術は知識とすることができ、業界や業務知識なんてものは後からいくらでも詰め込める、というか仕事しているうちに自然と覚えていくものなので、就活生にそういうの求めること自体が無意味だとはっきり言えます。たとえ学生の時点でどれだけ業界知識があったとしても、勤務開始から数ヶ月もすれば誰でもあっさりそのレベルを超えるであろうし。
 では実社会における基礎ポテンシャルはなにか。自分の中で指標としているのは会話テンポの速さで、簡単な会話の中でどれだけ早く喋ってどれだけ早く反応でき、どれだけ早く相手の言ってることを理解できるかが見る上で一番いいと考えています。何故かと言うとこれらは頭の回転の速さに直結して、この回転の速さというのは割と、ちっちゃな頃からおっきな頃まであまり変化がない、生まれついてである程度決まっている基礎的なポテンシャルだと考えるからです。実際私の周りでも、子供の頃から早口だったやつは大人になっても早口です。

 ただ、早口じゃなくても見るべき会話というものあります。具体的には、わかりやすく説明したり、見知らぬ擁護への理解が早かったりするという点で、こういうところでも基礎的な思考力が見えたりするので、早口なだけで採用するのはやっぱり私も問題だと思います。逆を言えば、早口な上に会話内容が明瞭で、なおかつ理解も早い人っていうのが一番ヤバいタイプで、こういうの見つけたら裏切られない程度にキープすることをおすすめします。

2019年10月7日月曜日

ぶれない姿勢

 連休最終日、自宅で冷や飯とラーメン食べてから午後一時より四時まで昼寝した良い日でした。何気にこのラスト三日間は自転車で70km走って、スーパー銭湯で一日過ごして、半日昼寝するフルコンボでした。あと「はんにちひるね」って打ったら「反日昼寝」って変換されてどうしようと思った。

 話は本題に移りますが、一見すると不敬な行為でも、特定人物であれば不敬とならない行為も世の中にはあります。それは何かというと、さかなくんさんの戴帽行為です。
 知ってる人には早いですが、さかなくんさんはあのハコフグの帽子を上皇の目の前でもかぶり続けたことがあり、この時の行為についてごく一部でなおも不敬だと揶揄する声があったものの、圧倒的多数派「さすがさかなくん」、「彼であれば問題ない」という具合に称賛するような声のほうが多かったです。仮に他の人が同じ戴帽行為を取っていればこうはならなかったと考えると、どれだけさかなくんさんがすごい人物であるのかが見て取れます。
 なお水木しげるの通夜には葬祭仕様の真っ黒なハコフグ帽子を被ってきており、「バリエーションあったんだ」とばかりに、このときも称賛の声が相次ぎました。

 このさかなくんさんの戴帽行為についてどうして誰も失礼だと咎めないのか。理由はごく簡単でこのスタイルをいつでもどこでも貫いてて姿勢にブレがないからでしょう。初めてTVチャンピオンに出てきた時はまだ被ってなかったそうですが、近年においては被っていない姿なんて幻の魚に出会えるくらいほぼなく、彼本人のキャラクターもあって「あの帽子こそが本体」と一部で言われ、公式にも「皮膚の一部みたいなもの」とまで言われています。
 仮に場所によって被ったり被らなかったりといった姿があれば、やはり人によって失礼と言われるでしょうが、さかなくんさんの場合は一切そういうことがなく、被っている時こそがフォーマルなんだと逆に認められている節があります。

 なにもこのさかなくんさんの例に限らず、その姿勢や考えにブレがなければ、一見失礼な行為であっても周囲に認められて問題とはならなくなるものだと私も考えます。きちんとした根拠や価値観に基づいて決まったスタイルを維持するということは自己主張においても肝要であり、何がなんでもそれを貫くという姿勢は時間とともに周囲にも認められ、やがて称賛に至ることでしょう。
 逆を言えば、近年の日本を見ているとこうした姿勢の一貫性において色々と問題が多く見られます。次々と流行に流されるというのはただみっともなく、それであればまだオールドスタイルを固守する方が私も見ていて評価できます。

 ましてや政治家の主張や価値観においては言うに及ばずですが、近年は野党の合衆離合が激しくなってきており、以前と比べると政治的思想や主張はずいぶん軽くなったもののように見えます。もっともそれは、石破氏をはじめ与党においても同様かもしれません。

 最後に自分が一貫して維持しているスタイルを上げるとすると、真冬に絶対にコート、ダウンジャケットを着ずに、暖房もつけないということくらいです。以前は短パンにTシャツを必ずインするというサマースタイルもありましたが、最近というか今年の夏は忙しくて休日に外出することが非常に稀だったため、なんかあまりこれをやったような記憶がありません。

2019年10月6日日曜日

中国における日本式銭湯施設の現況




 連休終盤。たまには戦闘施設でも行こうかと思ってたらいつも行く極楽湯がWebクーポンを売らなくなったのでさてどうしたものかと考えていたところ、以前に取材した漣泉大江戸が近く、っていうか歩いていけるところに新しい店舗を出していることがわかりました。っていうかすぐ近くなのにどうして今まで気づかなかったのだろうかと少し悩むくらいの距離です。
 こちらはWebクーポンで98元(約1500円)で入れるので朝11時から朝風呂浴びて、50元のカツとじ定食を食べて、夕方5時まで中でゲームし続けましたが、ちょうどこの店が建っていた場所は昔蘭州ラーメン屋があり、金のなかった頃にほぼ毎日6元の蘭州ラーメンを食べてたことを昼食中に思い出し、なんか色んな思いからむせび泣きそうになりました。



 ちなみに中にある軽食屋のメニューがこれですが、下から三番目の担々麺がえらいことになっています。中国語に素養があればすぐわかりますが、本来「麻醤」(一番上の品名にある漢字)とすべきところを「麻将」と下記間違えており、どんな担々麺が来るんだろうかと思いつつ写真撮りました。

 話は本題に戻しますが、なんだかんだいいつつこうした日本式銭湯施設は中国でそれなりに受け入れられており、ビジネスとして成立しているように思えます。というのも極楽湯も年々店舗数を広げており、この前も武漢でもオープンさせたと発表していました。この漣泉大江戸もこのように荷店舗目(ある意味では三店舗目)をオープンさせている当たりは、儲かっている証拠でしょう。

 実際に今日ゲームしながら周りの様子も見ていましたが、午前中こそまだまばらで風呂内部も浴槽を独占できるくらい空いていましたが、夕方になるにつれてどんどん客は増えていき、特に子供向け設備が充実していることもあって親子連れの客が見られました。この店はまだオープンから間もないとは思うものの、それでもこれだけ客が来ることはやはり受けているのでしょう。
 ちなみに帰り際に駐車場を見ましたが、ほぼ満杯でした。

 あと付け加えると、確か漣泉大江戸の従業員に対する接客教育は東急がやっていると思いますが、格段に以前と比べて良くなっている印象を受けました。ある意味、アップデートの少ない極楽湯よりも良いんじゃないかと思うくらいです。
 内装に関しても上海郊外にある1号店と比べるとやや劣るものの、これは1号店がすごすぎるだけで今回行った2号店もなかなか見事な内装でした。もっともそれ以上に、かなり和服を着こなしている女性客に少しビビりましたが。

 それにしても歩いていける距離にこういう施設できるなんて、10年前は考えられなかったな。何気に今住んでいるところは新聞記者時代もほぼ同じ場所に住んでただけに、滞在期間だけでもかれこれ6年位住んでます。

2019年10月5日土曜日

秦が何故悪者扱いされるのか?

 先日見ていた掲示板で、中国初の統一王朝である秦はどうしてこれほどまで悪く言われるのかというコメントを見ました。というのも最初に統一した事自体が偉大な功績であり、またその諸制度は次代の漢王朝でも流用されており、非難される理由が言われているほど見当たらないとのことでした。
 その後出てきた意見としては、始皇帝陵造営をはじめとする多大な労役などで恨みを買ったのではなどとありましたが、結論から言うと焚書坑儒が最大の理由でしょう。

焚書坑儒(Wikipedia)

 焚書坑儒とは主に法家の人間によって行われた儒家への弾圧行為で。儒家を生き埋めにしてその文書を燃やしたことから文字通りとなっています。一体これが何故秦が批判される理由になったのかと言うと、後の時代の歴史は儒教を基本思想として評価が行われており、ある意味で評価裁定を下す儒家に嫌われた時点で悪く書かれてしまう傾向があります。
 同様の理由で、道教の経典なども儒家目線から批判されることも少なくありません。要するに秦王朝で儒家への弾圧が行われた一点で以って後の時代、政権からは非難されるようになったと私は見ています。

 もっともその儒家というか儒教も、共産党中国の成立時においては「古き悪習」として批判されており、魯迅や毛沢東に至っては焚書坑儒を「ええこった」と評価していたそうです。その逆に、秦王朝に関しては力こそ正義的な価値観と初の統一を行ったという点で再評価が進められたそうですが。

 なお日本においては儒教的価値観からくる批判や言論闘争は中国ほどには多くありませんが、天皇史観による足利尊氏などへの偏った批判など、天皇制フィルターが働くことのほうが多いです。以前と比べればだいぶ中立的な視点で歴史評価がなされるようになってきてはいますが、未だ古代史におけるこの手の阻害要因は少なくないだけに、早くそうしたものから脱却すべきだと個人的には思います。

2019年10月3日木曜日

GDB型インプレッサ


 連休三日目。やることはないわけではなく次のJBpressの記事とか書かなきゃいけないけど、昨日から今朝にかけてはずっと上のGDB型インプレッサのプラモ作ってました。


真横

 今回作ったのは2001年WRC優勝モデル(タミヤ)で、初代のGC型から二代目にモデルチェンジしたばかりのGDB型インプレッサです。初代モデルはほとんど外見が変わらなかったのに対し(2ドアの22B型を除く)、二代目インプレッサはこのGDB型からしょっちゅう変わり、その変化の過程は「丸目→涙目→鷹目」と言われ、ヘッドライトが次々変わるなどフェイスリフトの激しいモデルでした。

真上 

 なんでそんなにフェイスリフトが激しかったのかと言うと、このGDB型の評判が悪かったからだと思います。実際に出た当初は、「出目金」とか「ボスボロット」と呼ばれ、精悍な顔つきだった初代からの変化の激しさに批判が少なくありませんでした。
 また熟成された初代と比べ、二代目にモデルチェンジしたばかりという事もあって市販版を買ったドライバーからは初代との感覚の違いもあって酷評されるなど、WRCで優勝するなど実力は十分ながら色んな要素から不遇なモデルとなりました。

 なおこのキットではフロントにアップライトと呼ばれる追加のランプがついていますが、ごてごてしたのが嫌いなので今回自分はつけませんでした。また最も特徴的な丸目ランプは本来は普通の金属色したランプですが、このキットではラリー仕様ということで黒目になってます。

リア 

 タミヤ製とあってパーツの寸法はきちんと合ってて組立自体は非常に楽でしたが、ラリー車であることからシールことデカールの量が多い上に、サイドドアのスバルの流星エンブレムに至ってはクソでかくて貼るのに非常に苦労しました。右サイドに至っては角度が少しずれたものの、修正してたら破れることが目に見えたのでそのままにしています。
 なおデカールは既にかなり派手ですが実際にはもっといっぱい用意されており、これ以上貼ると派手すぎると思って一部省略しています。ピレリのロゴは外せないと思って全部つけたけど。


 ガチでプロ入っている同僚に写真送ったら、「塗装したの?」と聞かれましたが、塗装は一切していません。他のモデルと違ってインプはベース色がメタリックブルーではっきりしており、プラ素材できちんと反映できるので、このラリー仕様キットのようにたくさんデカールあるとそれだけで見栄えがすごく良くなるのは素人に優しいです。


 私の中でスポーツカーの最高なデザインは先代のGC型インプレッサと、マッシブデザインの究極系とも言えるR34型GTR(あと三菱FTOとストーリアX4)ですが、それだけにこのGDB型については当初、先代が好きだった分その落差からなんじゃこりゃと思ったデザインでした。
 ただうちの名古屋に左遷された親父は、「戦闘機っぽい見た目で悪くない」と当初から評しており、何いってんだかと当時私は思ってましたが、なんか年取ってから改めて見直すと、「戦闘機っぽい見た目で悪くない」と私も思うようになり、数年くらい前からこのGDB型のプラモを作りたいと熱望していました。

 GC型は以前に作ったことがありましたがその頃は技術的にまだ未熟であったことからデカールが破けたり、ガラスパーツに接着剤後がついたりしてあんまいい出来ではなかったです。それだけにGDB型を作る時はもっと技術を積んでからと自分に言い聞かせており、先月に割とよく商品が入れ替えられる店頭でこれを目撃した、「時は今……」と明智光秀っぽく呟いて購入しました。ってか115元(1,725円)で、古いモデルにしては高いなと思いましたが。
 もうちょっときれいに作れたかもなと思う箇所もありましたが、先程のガチプロな同僚(サンバーを日常的に赤帽仕様に塗り上げる)からも仕上げがいいと褒められ、かなり高い満足感を今得ています。にしてもやっぱインプはいいと思う、この時期までは。

2019年10月2日水曜日

チベット仏教の個人崇拝について


 先日の記事にも書きましたが先々週に中国西部の青海省と甘粛省を旅行してきて、その際に複数のチベット教寺院を参観してきました。これまでチベット仏教についてはあまり興味がなかったことから勉強してこず、ダライ・ラマが亡命しているということくらいしか知らず教義についても全くわからないまま訪れました。
 そうしたまっさらな状態で訪れた感想としては、「ああ、これは中国政府が危険視するのもわかるな」というのが率直な意見です。というのも、個人崇拝の意識が極端に強い宗教だと感じたからです。

 一体何故このように感じたのかと言うと、各寺院にはそれぞれ複数の伽藍というか建物が設けられているのですが、仏像なども置かれてはいますがそれ以上に、どの建物にもチベット仏教ナンバー2に当たる先代、先々代のパンチェン・ラマの遺影が飾られていました。それでいて、参観者や修行している僧たちはそれらの遺影に対して強く祈りを捧げていたからです。
 日本の仏教に慣れている身からすれば、如来や観音、あとブッダとかに祈るのなら理解できるものの、どうしてこれほど過去のパンチェン・ラマに対して強く祈るのかが不思議に思えました。無論、当代や先代の教祖に祈ることは日本の仏教においても珍しくはないものの、あくまで主役は如来や観音様であり、教祖の遺影を祭壇のど真ん中に置いて激しく祈るのは日本だとあまりないでしょう。

 ただ、チベット仏教がこのような形態を取ることはその背景を考えるとそれほどおかしいわけではありません。というのもチベット仏教では神が人間に転生して降りてくるという考えがあり、そのため当代のダライ・ラマやパンチェン・ラマが逝去すると、逝去同時期に生まれた子どもたちの中から次代のダライ・ラマやパンチェン・ラマを選び、教育を施した上で生き神として祀るからです。
 つまり、チベット仏教においては教祖自身が神性を備え、一般信徒の崇拝対象となるわけです。そしてその程度については、如来や観音といった仏教界の神属らよりも強く、現代世界に生きる個人への崇拝が圧倒的に強い宗教であるように感じました。これはいわば個人崇拝と換言してもよく、実際に信徒らはダライ・ラマの指示であれば何にでも従うとされており、現代のダライ・ラマ本人の人格や価値観、思想を置いとくとしても、この個人崇拝ぶりには中国政府が危険視するのも理解できなくありません。

 仏教でも、たとえば浄土真宗だと開祖の親鸞や中興の祖である蓮如といった人物へ祈るということは確かに行われているものの、何代にも渡る教祖の遺影に対し、非常に長い時間と読経を込めて祈るチベット仏教の僧らの姿は個人的には強く衝撃的でした。
 なおその他の点では、寺院内には地獄絵図や曼荼羅などがよく飾られており、やはりこうした図画的なイメージから空想を練ったり、読経に独特の音響をつけたりする点では密教らしい雰囲気が感じられます。ただ日本の密教と違って、祭壇には香はあまり焚かず、代わりに独特の匂いを出す蝋燭をよく灯していて、この点で日本の仏教とは違うなと感じながら見ていました。

2019年10月1日火曜日

関西電力裏金事件の背景と仮説

 連休初日だけど外ずっと雨降ってて昼寝しかしませんでした。

元助役、関電子会社の顧問 30年以上にわたり報酬も受領(産経新聞)

 それで本題ですが、既に各所で報じられている関電裏金事件です。ちなみに初報を見てすぐ、「マジかよ、なんでんかんでん最低だな」と呟きましたが、なんでんかんでんが関電と無関係なのは言うまでもありません。

 さてこの事件、三億円超の裏金という金額もさることながら、ザル過ぎる関電の対応と未だに辞任を否定している経営陣のアホな態度のほうが見ものでしょう。とはいえ事件の背景はどうなのかも気になるところで、ポイントとしては裏金の原資がどこから来ているのかさえわかればある程度の流れや構造が見えてくるように思えます。そこで私なりに立てた仮説は、以下の三つです。

1、助役のポケットマネー
 自分で言っててなんですがこれはありえません。個人で会社を経営しているにしても送った金額を毎年調達するのは非常に困難でしょう。

2、高浜町への交付金
 真っ先に疑ったのはこのケースで、原発受入によって国から舞台となった福井県高浜町への原発関連交付金の一部が、今回の主役である元助役の森山(故人であるため敬称略)の支配が及ぶ地元企業などを介して森山個人へとプールされ、関電幹部に渡っていたという仮説です。これはいうなれば、国が高浜町へ支払った交付金が関電幹部の懐へ渡っていたという説で、税金を着服していたということとなります。

3、関電が高浜町へ支払った原発対策費用
 最も可能性が高いのはやはりこちらの説で、原発工事費やら整備費などで高浜町の森山が支配する会社へ工事を必要以上の金額で発注し、一部費用は例によって森山個人へとプールされて改めて関電幹部へとキックバックされるという構造です。このケースだと、関電は不要な費用を支払う上に経営幹部だけが肥える仕組みとなっており、長年に渡り続けられてきたということを考慮すると、関電幹部への裏ボーナス的な資金還流だと言えそうです。

関電子会社顧問に高浜町元助役=約30年間、報酬も支払い(時事通信)

 日にちが経ったことからある程度続報も出てきており、上の時事通信の報道を見るとやはり3のケースが濃厚のように思います。ただ実際的には2と3の複合も十分ありえ、この場合関電は消費者のみならず国に対しても詐称していたこととなり、そうした背景もあってかガースーこと菅官房長官も徹底調査するよう発言しています。

関西電力3億2千万円“裏金” 今年3月に出回った告発文書【独占入手】(AERA)

 一連のニュースの中で最も注目したのはこちらのニュースですが、仮にこの報道が真実であれば告発リスクが高まっていたにもかかわらず関電は無視、放置して、火の手を広げたこととなります。また報じられている裏金金額は3.2億円ですが、過去の経営陣を含め第第続けられてきたことを考えると実際にはもっと上に行く可能性もあり、関連者も多いことからも一大疑獄事件へと発展する可能性は十分高いでしょう。ある意味、令和初の疑獄事件になるかもしれません。

 なお友人にも話しましたが、関電ははっきりいえばこういう会社です。以前からも強引な営業手法などが問題となっており、コンプライアンスリスクというものをまるで考えず、かねてから問題のある会社だと私は見ていました。多分叩けばまだまだ埃は出てくるでしょう。