ページ

2011年6月30日木曜日

日本車の中国市場価格

 前々からやろうと思っては面倒がってしなかった企画ですが、中国における日本車の自動車価格を調べてみました。

 ここで言う中国の自動車価格というのは人民元を現在のレート(1元≒12.5円)で計算した価格です。一体何故こんなことに興味を持ったのかというと、中国市場では日本での価格に対して設定販売価格は高めなのか安めなのかが気になっており、またメーカーごとに違いはあるかが気になっていたからです。
 余計な前置きはいいので、早速どうぞ。


メーカー(合弁会社名)
車種  中国価格(円)  日本価格(円)

スズキ
(長安鈴木)
アルト           538,800~754,800   677,200~1,109,800
SX4           957,600~1,605,600  1,659,000~1,869,000
スイフト         621,600~1,101,600  1,244,200~1,653,700
(晶河鈴木)
ワゴンR          486,000~718,800   1,071,000~1,367,100

マツダ(長安馬自達)
アクセラ         1,353,600~1,797,600  1,660,000~2,318,000
デミオ           969,600~1,263,600  1,149,000~1,621,700
アテンザ         2,049,600~2,397,600  2,100,000~2,500,000
MPV           2,637,600~2,997,600  2,700,000~3,360,000

三菱(東南三菱)
ギャランフォルティス  1,317,600~2,037,600  1,796,000~2,993,000

ホンダ(東風本田)
CRV           2,277,600~3,153,600  2,470,000~3,390,000
シビック         1,557,600~3,237,600  3,000,000~3,000,000
(広州本田)
オデッセイ         2,757,600~3,393,600  2,390,000~3,610,000
フィット           1,077,600~1,557,600  1,230,000~1,698,000
アコード          2,241,600~4,113,600  2,498,000~3,902,500
アコードツアラー     4,785,600~5,136,000  2,748,000~4,122,500

日産(東風日産)
エクストレイル      2,493,600~3,237,600  2,239,600~3,297,000
ブルーバードシルフィ  1,497,600~2,013,600  1,842,700~2,404,500
デュアリス        1,677,600~2,637,600  2,097,900~2,777,200
スカイライン       2,289,600~4,461,600  2,898,000~5,019,000
マーチ            838,800~1,114,800    999,600~1,644,300
ティーダ          1,281,600~1,797,600  1,499,400~2,182,900

トヨタ(広州豊田)
ヴィッツ          1,044,000~1,281,600  1,060,000~1,790,000
カムリ           2,193,600~4,377,600  2,507,000~3,470,000
(一気豊田)
RAV4           2,277,600~3,081,600  2,020,000~2,590,000
クラウン          3,942,000~10,795,200  3,450,000~5,590,000
ランドクルーザー     9,240,000~13,533,600  4,350,000~6,920,000
プリウス          3,117,600~3,357,600  1,890,000~3,270,000
カローラ          1,485,600~2,397,600  1,356,000~2,440,000
プラド            6,456,000~8,376,000  3,150,000~4,750,000
マークX           2,517,600~3,921,600  2,380,000~3,800,000

※1元=12.5円で計算。価格はメーカー希望小売価格。
価格参照元:太平洋汽車網(http://www.pcauto.com.cn/qcbj/qcbj_if_gngw.html)、Goo-net(http://www.goo-net.com/newcar/)

 表自体はエクセルで作成して本当は図表を貼り付ける予定でしたが、何故だかJpg化させると文字がにじんでしまうので、こうして手製のリストにしました。

 全体の傾向としてはどうやらどこのメーカーも日本での自動車価格に合わせて中国販売価格を決めているようで、車種やメーカーに関係なく日本の価格に一段低い価格に設定しているところが多いです。ただこれは現在の円高というレート状況が強く影響しており、実際にちょっと前の1元=15円で計算したら逆に1段高い値段にきれいに逆転します。
 なおかつ言えることとしては高級車は日本での価格より高めに設定されていることが多く、そのせいか高級車ラインナップが多いトヨタはRAV4とカローラを除いてどれも日本価格より高く設定されております。ランドクルーザーなんてあまりにも差がありすぎるので、なにか値段を間違えているような気すらします。

 なお中国で販売されている車はどれも中国企業との合弁会社とで作られており、車名は同じでも一代前の型式であったり、部品も中国メーカー製が使われているなどして全く同じ車ではありません。代表的なのはマツダのアテンザで、日本ではすでにハッチバック仕様が売られていますがこちらでは一昔前のセダン型しかありません。そのため上記のリストも、あくまで参考程度にご参照ください。

 最後に中国の値段感覚について一言。以前にタクシーの運転手と話をした際、街中をマツダのアテンザが多く走っていることに言及すると、
「ああ、マツダの車は安いからね」
 と話してました。
 この話からすると、どうやら上記アテンザの価格(2,049,600~2,397,600円)はこっちの感覚としては安い方のようです。なんか腑に落ちないなぁ。

2011年6月29日水曜日

豊臣秀吉の能力

 先日ネット上で、「日本史で最も英雄度の高い人物は?」というテーマの掲示板を見受けました。中には冗談で「野茂英雄」と挙げる人もいましたが、現代日本人への影響で言えば私はやはり徳川家康を挙げます。ただその一方で、最も図抜けた能力者という意味では今日の題となっている、豊臣秀吉を必ず挙げるでしょう。

 このところ古代史ばかりなのでたまには違う時代とばかりに秀吉を挙げてきましたが、彼の経歴については言わずもがなで一農民から完全な叩き上げで天下人となった「日本最強の成り上がり」と呼ばれる人物です。基本私は成り上がりが嫌いで、世界の富豪ランキングにも名を連ねる中国のパクリカーメーカーことBYD自動車会長も会った事もないのに嫌っていますが、この秀吉については別格で非常に人物としても気に入っております。具体的にどうして秀吉を気に入っているのかというと、晩年こそ判断ミスが多いものの全盛期の勘の鋭さについては歴史を眺めるだけでぞっとするほどのプレッシャーを感じるからです。

 秀吉の能力としての全盛期は信長の死後、いわゆる中国大返しをやった時期です。この中国大返しについては四年位前から「実は秀吉も信長暗殺に噛んでた。だからあらかじめわかってたので中国大返しも出来た」という異説が出てきましたが、これについては友人と夜中一時くらいまで議論しましたが最終的には疑わしいという結論に至りました。理由はいくつかありますが一言で言うと、毛利と和睦できる絶対的保証がなかったということに尽きます。

 それで話は戻りますが、中国大返しはその決断から行動に至るまで神懸り的な機敏さで、六月二日の本能寺の変から六月十三日の山崎の合戦に至るまでの九日間で以下のような行動を達成しております。

・交戦中の毛利軍との和議締結
・京都周辺の織田家武将との連絡、糾合
・部隊の撤退準備
・数万の部隊での200キロ程度の移動
・合戦準備

 これは言うは易いですが、実際にやるとなるととんでもない作業です。まだ最初の毛利家との講和は元から話が進んでいたのもあるので多少の譲歩をすることで達成することは可能ですが、数万の部隊での撤退準備ともなると武器やら兵糧やらをすべてまとめなおさなくてはならず、一週間以上かかってもおかしくない作業です。そのうえ200キロの強行軍、聞く限りだとある日の行程では一日70キロを走破させたとも言われ、世界史上でもこの速度はトップクラスと言ってもいいでしょう。
 その上で最後の合戦準備です。これも山崎周辺の武士から鉄砲などを調達する傍ら、合流した他の織田家武将たちとも打ち合わせを行っており、一体どうしてそこまでパワフルに動けるのかと信じられない気持ちでいっぱいになります。はっきり言ってこれらはすべて常識はずれの行軍で、これだけの行軍をされては敗戦した明智光秀も無能だったとは評価できないでしょう。

 ただ秀吉の絶頂期はこの中国大返しではなく、私は次の賤ヶ岳の合戦の頃だと考えています。これは以前の陽月秘話でもまとめましたが秀吉軍は雪解けのタイミングを見計らって軍を動かし、柴田勝家の軍をおびき出したところで急速に軍隊を引き返させ撃滅するという神業を達成しています。もっとも、前田利家が裏切らなければ柴田軍もああは負けはしなかったでしょうが。詳細は以前の陽月秘話のページを検索してください。

 これ以後も秀吉は外交から戦争に至るまで縦横無尽に処理し、あっという間に天下を平定してしまいます。もちろんそれは秀吉一人の力ではなく弟の羽柴秀長や軍師の黒田官兵衛など優秀な部下達があってのことでしょうが、そのような優秀な部下を活躍させるにも才能は必要です。九州平定のあたりも、改めて読んでみるとかなり凄い速さで始末してますし。
 晩年の秀吉は私が言うまでもなく判断ミスを繰り返しては豊臣政権の崩壊を自ら招いておりますが、それでも絶頂期の秀吉以上に才走る人物は日本史中にはいないと私は考えております。強いてあげるとしたら伊藤博文でしょうが、もう少しこの時期の秀吉について研究とか進んだら個人的に面白いような気がします。

 ちなみに秀吉が毛利家との対陣中に本能寺の変を知った際、黒田官兵衛は、
「やったじゃん、秀吉ぃ(´∀`*)」
 って言って、秀吉を大いに慌てさせたそうです。中国大返しも賤ヶ岳の合戦も実質取り仕切ったのは黒田官兵衛だと思われますが、こんなこと言ってればそりゃ警戒されるわな。

2011年6月28日火曜日

メガソーラー計画に対する私の意見

 震災に伴う福島原発の事故を受けて代替エネルギーの議論が激しくなる中、ソフトバンクの孫社長(最近アリババの問題でこっちの新聞にも良く出てくる)は大規模太陽電池発電によるメガソーラー計画を打ち出しました。概要はいちいち説明するまでもありませんが、休耕田などに敷くなどいろいろな案があって導入に前向きな自治体が出てくるなど続報ニュースをネットでよく見かけますが、このメガソーラー計画について私の意見を今回は紹介しようかと思います。

 結論から言ってあくまで一素人の意見ですが、私はメガソーラー計画に反対です。理由をいくつかありますが、ざっと要点だけ挙げると以下のようなものがあげられます。

1、太陽光発電では得られる電力が少なく、コストが高い
2、電力が天候に左右されやすく不安定
3、太陽電池の寿命について未知数
4、寿命後の太陽電池の処理に言及がない


 まず1については言うまでもなく、かねてからのネックです。確かに資本を投じて大規模生産を始め、広い土地に敷設すればそこそこのコストダウンと電力は確保できるかもしれませんが、それでも2番目の理由なども考慮すると絶対的に発電能力が足りないかと思います。
 次に2番目ですが、現行の太陽電池は大分マシになってきているとはいえそれでも天候が曇りや雨になると途端に発電能力が急減します。そうした場合に備えて現在では発電できない夜間を含めて大型電池と組み合わせ、昼に発電しつつ充電し、夜に電池を使うという案もありますが、なんとなく都合のいい話のような気がしてあまり信用できません。

 そして3番目ですが、これが一番重要で私が反対に立場を置く最大の理由です。あまりテレビとかでは宣伝しませんが太陽電池というのは作った後は半永久的に使えるものではなく、現行の電池でも寿命は約二十年と言われております。しかも二十年たったら突然使えなくなるというわけじゃなく、時が経つにつれて発電能力が徐々に落ちていき、二十年後には発電能力は1割以下になるという予想です。
 結構この辺の説明を省いて、「電力会社に売電して、施工費用は10年で元が取れますよ」と言っては住宅に太陽電池を敷いて、実際にはそれほど発電できなくて訴訟になるケースもちらほら出てきてます。多分二、三年したらもっと出てくるだろうけど。しかもこの寿命はあくまで現時点の予想であって、実際には二十年より早く駄目になるかも知れませんし二十年よりもっと使えるかもしれません。まぁこういうときの希望的観測というのは大抵外れるのですが。

 この太陽電池の寿命を考えると、今から大量に投資して一定度の電力を賄えるくらいに敷設したとしても二十年後、実際にはそれよりももっと早くにまた新しい太陽電池を作って取り替えなければなりません。それはいうなれば、二十年足らずで現在行う太陽電池の投資はすべて無に帰すということです。さらに言えばその二十年間の間に置いとくままというのも現実的ではなく、実際にはメンテナンスコストや盗難防止策などにもお金が取られること間違いなしでしょう。
 その上で4番目の理由です。上記の太陽電池の寿命を考えると、交換するたびに大量の廃棄物を出してしまうことになります。あまり構造について詳しくありませんが現在主流のシリコン型太陽電池は環境負荷の高い物質を含んでいるとも聞くだけに(薄膜系太陽電池は少ないと聞くが)、廃棄物をどう処理するかを全く考えずに今一斉に敷設するというのは未来に問題を先送りするだけ、程度はともかく原発を使うのと方向的には同じな気がします。リサイクル処理方法、施設が確立されているのであれば話は別ですが。

 ただ太陽電池に全く期待していないというわけではなく、上記の問題を解決できるというのであればまだありだと思います。せめて量産品で変換効率が40%以上、そして電池寿命も三十年くらいが保証されるのであれば私も賛成の立場に回りますが、少なくとも現状では資源の無駄遣い、環境破壊につながる恐れがあるので納得できません。そのため孫社長の目がソーラー計画については今すぐやろうとするよりはもっと技術の向上を待つべきだと思い、この方面の研究開発に投資するのが先のような気がします。

 では他の代替エネルギーについてはこれもあくまで素人として意見を言わせてもらうと、まず風力発電についてはあまり期待はしていません。早稲田大学に聞いたら絵に描いたような餅のような案を提供してもらえるかもしれませんが。一部で人気なメタンハイドレードなんかは前職の時に周りにも聞いたりしましたが、深海にあるという特性上、調達コストが高すぎてまだとても採算には乗れません。
 将来未来がある分野でなら、地熱発電なんかは日本という特性上は意外と面白いかもしれません。こちらも技術の発達を待たねばなりませんが、熱量を安定的に得られることを考えると面白い気がします。この地熱発電同様に昨日友達と盛り上がったのは水力発電で、この際だから人口の滝を作ったりなど、技術の熟成を待てばかなりいろいろなものが作れるんじゃないかとなんだか希望に満ちた都合のいい話をしてました。

 ただ水力発電については私はかつてシムシティといって街づくりが出来るシミュレーションゲームにて、街のど真ん中にとてつもなく高い山を作り、そこの頂上から麓まで水を通し、その川沿いに水力発電機を大量に設置して街の電力を賄おうとしたりしました。
 シムシティはまじめに無茶が出来るから本当に面白かった。警察署を一軒も作らず、「GTAの世界だ、ヒャッハー(゚∀゚)ヒャッハー」とか言ってたし。時代的にはファイナルファイトのメトロシティというべきかも知れないが。

2011年6月26日日曜日

日本人が海外に出て行きたくない理由

 現在世界的アーティストのレディー・ガガ氏が来日して様々な復興支援活動に参加してくれておりますが、やはり日本人として彼女の活動には頭が下がる思いがします。今回の支援活動においてレディー・ガガ氏は何度も日本が大好きだと言ってくれていますが、彼女に限らず海外の有名人の方には映画監督のスティーブン・スピルバーグ氏などのように日本を贔屓にしてくれる方が少なからず存在します。これまた日本人の私としては、「そんなに気に入ってくれるなんて(∀`*ゞ)テヘッ」などと照れる気持ちがするのですが、このところこうした日本贔屓の外人を見ていて、ひょっとするとここに日本人が海外に出て行きたくない理由があるんじゃないかと密かににらんでいます。

 近年、経団連の殴られたダルマみたいな顔した米倉会長を始めとして日本の若者が海外に留学したがらない、異動を嫌がるといったことを懸念する言葉を発していますが、結論から言うと、私は日本人が海外に行きたがらない理由は日本国内の生活があまりにも便利で快適過ぎるからじゃないかと思います。

 私がこの発想を最初に得たのは、友人とのある会話からでした。その友人によるとフィリピン人などは一刻も早く別の国に行って働きたがるそうなのですが、日本人はそうでもないと言うとそれはあなたの国が恵まれているからだと言われたそうです。確かに言われてみると日本の公務員は天下りこそあるものの不正は少なく、警察も外国ほど無茶はやらかしません。なおかつ市場に出回る製品も中国みたいに粗悪品は出回らず、生活も若いうちならアルバイトで一人暮らしが出来て、パソコンも買えればインターネットだってできます。よくネット上では日本の今の景気状態を嘆いてはこんな最悪の国はないという人がいますが、それでも他国、イギリス(飯がまずい)やフランス(街が汚い)などの先進国と比べても日本の状況はまだまだ優れたものだと断言できます。日本は老後の保証がないといいますがそんなのどこの国だって一緒で、中国なんか今の一人っ子の若者たちの老後を考えると他人事のはずなのに心配になってきます。

 その上で日本だけの特別な特徴を挙げると、隅々まで行き渡るサービスの細かさも見逃せません。海外に行ってみるとわかりますがあらゆる面における日本のサービスは神懸り的とでも病的とでも言うべきか、どうしてそこまでするのと思い知らされます。冷凍食品の種類の多さからコンビニでの予約と代理決済、定時通りの電車運行から商店員の態度にB2B取引の対応など、外国で暮らしてみると改めてその細かさや早さがどれだけ凄かったのかがわかります。
 敢えて逆に日本の方がサービスが悪いと思う分野を挙げると、敷金や礼金に加え保証人を求められる不動産業にいじめが絶えない義務教育などがありますが、それらを見越しても日本での生活は自分がネイティブであることを考慮しても快適の一言に尽きます。参考のために上海人の友人に来日直後は不便ではなかったかと聞きましたが、「コンビニに行けば食事などすべて事足りるから不便に感じることはなかった」とうまいこと言い切ってくれました。

 話は戻りますが、単純な問題として現下で快適な環境にあるのにわざわざ他の環境に行こうと思うでしょうか。それも外国となると言語面での不便は言うまでもなく食事や製品などの面で確実に日本での生活より苦しくなるのは間違いなく、生活費面ではどこの国でも確かにマシになるでしょうがそれだったら高いお金かけたいと思う日本人がいるわけで上海の日本食屋は成立するわけです。
 例の殴られたダルマみたいした米倉会長はハーバード大には中国や韓国からたくさん留学生が来ていると言っていますが、それは優れた研究環境というのが一番でしょうが、それとは別に彼らの国より米国という環境が住み心地がいいというのも大きな理由じゃないかと思います。韓国について言えば、そうでもしないと就職もし辛いという厳しい雇用環境もあるでしょうが。

 私は日本人が海外に出たがらない理由というのは、もちろん日本人が保守的とか内気とか言っても間違いではないと思うものの、その裏には日本での生活が世界最高峰なくらいに便利すぎるというのが最大の理由じゃないかと考えています。それゆえにレディー・ガガ氏を始めその文化や便利さに引き寄せられる海外の有名人も現れるのではないでしょうか。
 これを逆に言い換えると、日本人をもっと海外に出そうとするならサービスの質を下げるのが効果的なのではということになります。実際に私の体験でも、平気で私の前に別の客が割り込んできてもなにも注意しない店員とかを見てるとやっぱり日本はいいなぁとか思ってしまいます。あとちまちまやってはあっという間に長蛇の列を作る銀行とか。

 もっとも今更サービスの質を落とせといっても出来るわけないので、少数精鋭とばかりにまだ海外に行こうとする少数派の日本人をもっと行きやすく応援するようにした方が手っ取り早いと思います。もしくは日本に引き寄せられる外国人への対応を良くするとか。
 日本人にとって海外に行くということは、本当にごく一部の国を除いて生活の質を下げることにつながります。特に若者にとっては上から指示するだけの職位とか有り得ず、また私のような現地採用の人間は日本より低い給料に加え生活面での会社からの補助などありません。こういう状況わかって抜かしてるんだろうか、あのダルマは。

素顔同盟の思い出

 突然ですが、「素顔同盟」という短編小説はご存知でしょうか。
 この小説は中学校などの国語の教科書に引用されていて恐らく私と同年代の方なら誰もが呼んだことがある作品だと思いますが、あらすじを簡単に説明すると、人間は喜怒哀楽を表情に出すから争いが絶えないわけでみんなして笑顔の仮面を被って生きるのが当たり前の世界に疑問を持っていた主人公はある日、仮面を脱ぐ素顔同盟という団体があることを知り、その所属員らしき女性の素顔を見て仮面を脱ぐ決心をするというストーリーです。

 この話を何故唐突に持ち出したのかというと、これまたちょっと時間がたっていますが下記のニュースを見たことがきっかけでした。

訃報:すやまたけしさん60歳=作家(毎日新聞)

 今月十二日、この「素顔同盟」の作者であるすやまたけし氏が死去しました。
 このニュースを受けていろいろ思い出すところがあったのですが、実はこの作品に関しては一悶着というか、妙な思い出があってその他の教科書引用作品と比べても格段に強い記憶があり、上記訃報を聞いて「あの素顔同盟か……」とちょっと思い出すところがありました。

 その一悶着とはまさに中学時代にこの作品を国語の授業で扱っていた時でした。授業も終盤にさしかかって当時の教師は生徒に作品の感想を求めるプリントを配ったわけですが、「素顔同盟に走った主人公をどう思うか」という質問に対し、ちょっと妙な回答を私はしてしまいました。

「集団の秩序を乱そうとする典型的な破滅的行動である。テロリズム的な思想で気に入らない」

 これは冗談じゃなくマジで上記のように書いて提出してしまいました。というのもこの授業の直前に読んだ中国史の解説本にて、「始皇帝暗殺」で有名な刺客の荊軻について以下のようなくだりを読んでいたことが原因でした。

「荊軻の評価は暗殺者という特性上、その時代ごとに大きく変わりやすい。ある時代では圧政を敷く暴君に立ち向かう勇者として称えられる一方で、暴力によって権力を転覆せしめようとするただのテロリストとして扱われることもあり、現代ではそのような評価が強まっている」

 この論説を読んでたせいというかなんとなく素顔同盟の主人公も荊軻っぽいなぁとか思い、「テロリズム」という言葉が出てきてしまったわけです。しかもその時の教師も教師で、生徒からプリントを集めるや何を思ったか「こんな意見もありました」と言って上記の私の書いた感想を読み上げると、

「この感想を書いた人の仮面を取っても良いでしょうか、花園君( ´∀`)

 と、いきなりクラス中に名前をばらされてしまいました。
 言われた瞬間はそれこそ「オイオイ、マジかよっ!?Σ(゚Д゚;)ゲゲッ」って滅茶苦茶焦りましたが、元々仲が良かった教師なので問題あるとか気に入らない感想だからといった理由ではなく、「クセ球を投げてきたな、こいつ(・∀・)ニヤニヤ」ってな感じで暴露してきたんだと思います。
 もっとも授業後にこの件をネタにからかってくる生徒はいませんでしたがこの一件を経て私は、「絶対にこの教師には逆らわないでおこう」と決意するに至りました。

2011年6月25日土曜日

自転車チャレンジ、浦東空港まで行ってみよう!

 前々から暇があればやってみたいなと思っていたことで、上海のメインエアポートこと浦東空港まで自転車で行くというのに本日チャレンジしてきました。

 気象は午前六時。当初は六時半から出発する予定でしたが空模様が怪しくてそのまま二度寝し、次に目覚めた時は既に八時半でした。その時間も空模様は怪しいままでしたがもうどうなってもいいやとばかりに強行出撃。
 というのも前日の予報では本日上海の天気は雨模様でありましたが、上海の天気予報は「てめぇ、なめてんのか(#゚Д゚)ゴルァ!!」といいたくなるほど外れることが多く、事実ここ三日間は雷雨と言っておきながらピーカンの晴れが続いたことから、もう降って元々とという半ばヤケになったような感じで出発を決意しました。もっとも、昨日西の空見たら夕焼け見えなかったから自分でもさすがに今日は降ると予報してたけど。

 そうして出発し、まずは上海中心部を経由して上海最大の観光地こと外灘へ向かいました。外灘はなんどかこのブログでも紹介していますが黄浦江という川沿いのビル街で、戦前に立てられた建物が古くから残っていることから人気のスポットです。何故ここへ向かうのかというと、橋は数箇所に架かっているものの自動車しか渡ることが出来ないため、フェリーに乗る必要があったからです。自宅がこの外灘から比較的離れた場所にあり、なおかつ中国人は朝が早いことから既に人や車が街中を行き交っているために時間にして大体一時間程度かけて外灘に着き、フェリー代(2.5元。なぜか反対側は1.8元で値段が違った)を払って無事渡河に成功します。

 そしてやってきた浦東。この浦東という場所はもともとは上海中心部と川を挟んでいたことから1990年くらいまでは農地が集まる田舎の土地として見られていました。しかし経済特区に指定されて以降は急激に開発が進んで昨年の上海万博の開催地となったほか、現在では数多くのオフィスビルが立ち並ぶ高級地となっております。その分道路なども広くて自転車で走る分には走りやすかったのですが、空港までの道のりはやはり長かったです。

 結果をもう言うと、最終的には浦東空港を目前にして今日は引き上げました。理由は空港までの距離が地図上の目測以上に遠かったことと、猛烈な雨と風が吹いてきて疲労が限界に達したことからでしたが、走った感覚としては大体片道3時間で40キロ、合計にして80キロくらいを走ったように思います。あまり言い訳したくありませんが、タイヤの小さい折り畳み自転車でやるような距離じゃなかったと途中で何度も後悔しました。
 それにしても今日は雨が半端じゃないくらい降りました。降ったのは二時間程度ですぐにまたやみましたが、一度全身ずぶぬれになったのに自宅に帰り着く頃には靴下を除いてもう全部乾き切っていました。4時ごろに家に帰ってシャワーを浴びると疲労から懇々と二時間眠り続け、さすがにケチな自分でも今日くらいはおいしいもの食べたいと思って焼肉屋で88元も使って晩御飯を食べ現在に至ります。

 毎回毎回こうやって自転車で無計画に遠乗りする計画を実行しては途中で後悔し、「なんでこんな馬鹿なことをしようと思ったんだろう(´д`)」と走りつつ思うわけですが、途中で自転車を乗り捨ててタクシーとかで帰ることも不可能ではありませんが、一旦遠くまで行ってしまうととんだけ苦しくても自力で帰るしかありません。個人的に思うこととしてこのように本当に逃げ道のない場所に追い込まれた場合(自分で追い込んだわけだが)、やはり精神力というかタフさが非常に問われると思います。もちろん自分はこの程度でひぃひぃ言ってて情けない限りなのですが、それでもズルを使わずにちゃんと自力で帰ってきた分にはまだ及第点かなと思います。

 それにしてもずっと雲がかかってたけど両腕がすっかり日焼けしてひりひりして痛いです。毎年そうですけどある週末に自転車で遠乗りして一気に日焼けし、次の日に職場に「何やってきたんだ!?」と驚かれるので、多分次の月曜日もそうなるでしょう。あとサドルがスポーティなタイプで細くとんがっているのが良くないのか、乗っててお尻がかなり痛かったです。個人的には幅広のサドルのが長距離乗るにはいいんじゃないかと思うけど、プロとかはどうなんだろ。
 あとあと、自転車は買ってまだ二ヶ月ですがやはり折り畳みで家に置いとく分にはコンパクトでいいけど、やっぱりちゃんとしたレース用自転車が欲しくなってきました。この前もカルフールでみてきて880元(約10560円)と1100元(約13200円)がいいなと見てたりしましたが、金に余裕が出来てきたらといってあんま調子に乗るのはよくないかなぁ。来月あたりには一旦帰国してノートパソコンも新調したいし……。

2011年6月24日金曜日

自動車会社グループ化の今後

日産・三菱自:合弁戦略 13年度に「軽」開発・発売--新社名「NMKV」(毎日新聞)

 ちょっと古いニュースですが、私が贔屓する三菱自動車と日産自動車が軽自動車の共同研究・開発のため合弁会社「NMKV」を設立しました。もともと三菱自動車は日産に対して軽自動車をOEM供給しているなどかねてから関係があり、その延長から今回の合弁に至ったものとされます。
 記事中にもありますが現在のん本の自動車市場は軽自動車の割合が三分の一を占めるなど、無視できない存在となりつつあります。うちの親父の若い頃なんて「軽なんて乗ってるのだっせーよなー」ってセガサターンばりに肩身が狭かったそうですが、今こんなことを言っていたら時代の趨勢も読めない奴だと言われてしまうかもしれません。私個人としては燃費で言えば明らかにホンダのフィットを始めとしたコンパクトカーのが優れているのは重々理解しておりますが、軽自動車はあの小さなボディという制約を受けつつ様々な装備やパーツが組み合わせられるなど設計に工夫製が感じられるため、カタログを見る際は真っ先に軽から見ます。

 そんな三菱の軽ですが、日本の軽市場はダイハツ、スズキという二代巨頭が存在するためにいまいち目立ちませんが、改めてラインナップを見てみると三菱の軽もなかなか捨てがたいものがあります。主力のekシリーズはもとよりこの前リコールしたパジェロミニなど、去年のネットスラングを使うなら「そんな値段で大丈夫か?」といいたくなるくらいの面白い車で、駆動方式がRRのアイなど二代巨頭とは別の方面に進化していて見ていて面白いです。

 さてそうした三菱ヨイショは置いといて、今回のこの三菱と日産の提携を見て私が感じたのは自動車業界で統合が進んできたなという感想でした。というのも一昨年くらいにスバルがトヨタに資本を握られ完全に軍門に落ち、同じく既にトヨタの資本下となっていたダイハツとの車種の兼ね合いからスバルは軽自動車事業の廃止を迫られることとなりました。ぶっちゃけ、スバルの軽にはなんの魅力も感じなかったからいいんだけど。
 この結果、トヨタグループではトヨタが全車種ラインナップを維持するとともにスポーツ、ワゴン部門はスバル、軽部門はダイハツと住み分けがなされるようになりました。聞くところによると現在トヨタが開発しているFT-86の開発はかつてのヤマハ2000GT同様にスバルに丸投げだって聞きますし。

 これは別業種ですが、金融においては現在の日本は東京三菱UFJ、三井住友、みずほの三大メガバンクが大半の市場シェアを握っております。もちろん小さい銀行の存在価値は低くはないものの、グローバル化を迎えた現在では主要な業界が許せる企業数というのは3~5社くらいが限界のように思え、三洋はすでに吸収されましたが、パナソニック、シャープ、東芝、日立、ソニー、三菱電機、NEC、富士通など数多くの企業が出揃う電機業界同様に自動車業界の主要企業数はやはり多過ぎるのではないかという気がします。それこそ発展途上の今の中国とかならともかく、既に成熟している日本の市場ではもうちょっと統廃合を進めたほうが全体に良いのではと思え、韓国やアメリカなどの業界企業数を見ているとますますその考えが強くなってきます。

 それゆえに先のトヨタの住み分けも、スバルが買収されるのはちょっと残念ではありましたが内心ではありかという風に見ていました。まぁそれ以上に、スバルには書類選考で落ちてて良かったとほっとしたのが大きかったですが。
 そして今回は三菱と日産が提携したとのことで、両者ともに電気自動車に力を入れているのでうまく話し合いが進めばこの分野でも協力が進むのではないかと思います。ただSUVと乗用車の部門で競合はしますが客層は明らかに違うし、なんとかなるんじゃないでしょうか。

 となると気になるのは残ったメーカーのホンダ、スズキ、マツダです。私の素人ながらの勝手な良そうだとホンダとスズキは会社所在地こそ程近いものの両者は四輪はおろか二輪で競合する企業同士で、傍目にも仲が良さそうには思えません。それに対してマツダはというとかねてからスズキからアルトなど軽自動車のOEM供給を受けており、コンパクトカーの部門でデミオとスイフトが競合(客層は違うように見えるが)するもののそれ以外だとあまり被らないように見えます。私の希望としてはこのままマツダとスズキもどんどんと協力して、合併とまではいかなくとも提携を深めて準グループ化していってもらいたいものです。

 何気にこのところのホンダさんには気に入らないところが多々あり、他社もやってたけどトヨタのアメリカにおけるリコール騒動の陰に隠れて大量リコールを実施したり、プリウスのデザイン丸パクリなインサイトを出したり、質の低いハイブリッド技術を搭載しておきながらこの分野の付加価値を余計に下げたりと、これがかつて技術のホンダと呼ばれた姿かといろいろ問いただしたい気持ちでいっぱいです。はっきり言いますがハイブリッド技術ではトヨタとホンダは天と地ほども差がある上、電気自動車も量産できないようでは三菱、日産以下で、どうかこのまま孤立化して細々と消えてなくなってもらいたいのが本音です。

2011年6月23日木曜日

ニュース雑感

インドネシア向け生体牛輸出を全面禁止(豪州)(農畜産業振興機構)

 日本で報じられているのかはわかりませんが、何でもオーストラリアで生きた状態の食用牛をインドネシアに輸出したところ、現地での堵殺の際の殺し方が残酷だと非難が起こり、オーストラリア政府が生体牛の輸出を禁止したそうです。
 事の発端はインドネシアの堵殺場の映像が報じられたことからだそうですが、その映像というのも麻酔もかけずに生きた牛の首に牛刀を何度もぶつけて潰すやり方だったらしく、「牛がかわいそう」と非難が起こってとうとう外交問題にまで発展したそうです。ただこれに困ったのは自国の酪農家と輸出業者で、深刻化してきたことからわざわざ両国の農相同士が会って対応を検討するところまでいったとのことです。

 このニュースを見て恐らく私だけじゃなく日本人なら誰もが、「またかよ……(;゚Д゚)」とばかりに鯨問題を想像したかと思います。突っ込みどころを挙げればきりがないですがざっと挙げると、

・そもそも解体した状態で輸出しないの?
・どっちにしろ食べるんでしょ?
・インドネシアも、牛刀で潰すのは大変じゃない?(日本は脳天に鉄砲を使うと聞く)

 といったところで、「なんで牛を食べないの」ってすごんでくるアメリカさんを見習いなさいとか個人的に思ってたりします。
 なおこの問題はいろいろ尾を引いているようで、羊も輸出禁止になりそうだとか、インドネシア側も対応として「無痛気絶機」を堵殺場に置いたとかなってるそうです。これまたどうでもいいですが、一時期の北京のバスの中には「無痛流産」という産婦人科の広告ばかりでうちのお袋がびびってました。

中国から輸入のインゲンに基準超の殺虫剤成分(読売新聞)
 またかよ……(;゚Д゚)

時速65キロ超での使用中止を=三菱製軽、燃料漏れの恐れ―1万台リコール・国交省(時事通信)
 三菱自動車は私が贔屓にしている自動車会社ですが、「時速65キロを超す走行を続けると、走行不能になったり、燃料が漏れ車両火災になったりする恐れがある」って、今時こんな不具合あるのかとちょっとびびりました。あまり思い出したくないけど、例のリコール隠し問題がやっぱり頭をよぎります。ついでに書いとくと、三菱自動車は確か先月あたりにも法律で定められている工場の環境測定を行わずに勝手にデータを書き換えて提出してたことから怒られてました。

「2位じゃダメなんです」…日本スパコン、中国抜き世界1位に(サーチナ)
 ニュース自体は取り上げるほどではないのですが、このニュースが取り上げられた翌日には中国の新聞も「また日本に追い越された」という見出しで載ってました。日本ではあの仕分けが実施される前まではスパコンがニュースにならなかったことを考えると、中国はやはりその辺の意識が強かったなという気がしました。

350キロ→300キロ 中国高速鉄道、安全考慮し「減速化」(産経新聞)
 今月末には北京-上海間で新幹線が開通することとなっておりますが、その直前にて既に運航を開始している路線を含めて最高時速をこれまでの350キロから300キロに落とすという発表が中国政府からされました。何気にこの中国の新幹線には何度も乗ってて350キロの速度も体感していますが、そもそも車両の設計図を提供してJR東海にめちゃくちゃ怒られた川崎重工は「270キロまでしか安全は保証できない(;><)」と主張してきましたが、中国側は「改造したから大丈夫(´∀`*)ノシ」と称して運行を続け、先月に乗ったうちの親父も感動するほどの速度を維持してきました。
 それが突然のこの速度引き下げ。恐らく大事故につながりかねないヒヤリハットが人知れずあって、さすがにマズイと上層部が判断したんじゃないかと思います。そう思うと短い期間限定の350キロを体験できたとして、なんだか得した気分になりました。

2011年6月22日水曜日

今年亡くなった二人の女性について

 今年に入ってすでに半年が過ぎ、いつまでも「あれ、今年って2010年じゃなかったっけ」と段々いえなくなってきました。このところ私は時間が経つのがやけに早く感じるのですが、これは年のせいというよりも現在の生活が充実しているゆえのいい傾向だと考えております。ただこれはまた別の機会にでも書いてみようかと思いますが、恐らく私と他の人とでは時間感覚がどこか異なっているように思われ、一年という時間に感じるものもなにか大きく違っているかもしれません。

 そうしたことはさておき、知らなかったわけじゃなくなんとなく取り上げはしませんでしたが、今年に入って著名な二人の女性が死去しました。そのうち一人は通称「マダム・ヌー」ことチャン・レ・スアンです。知っている方には早いですが彼女は今は存在しない国家である南ベトナムにおける初代大統領、ゴ・ディン・ジエムの実弟の妻だった女性で、恐らくゴ・ディン・ジエムや夫以上に有名だった女性です。
 詳しくは関連するサイトを見てもらいたいのですが、ゴ・ディン・ジエム大統領は熱心なカトリック教徒だったことから在任中に国内の仏教徒を激しく迫害していました。それに対しある僧が抗議のために焼身自殺を行ったところ、「あんなのは単なる人間バーベキューよ」と発言し、世界中から多大な顰蹙を買いました。一説によるとこの発言を受け、遅々として好転しないベトナムの状況に苛立っていたアメリカのケネディ大統領はゴ・ディン・ジエムの暗殺を決意したと言われております。この辺は50代以上のうちの世代には話が早いですが、その後CIAの援助を受けた軍がクーデターを起こし、ゴ・ディン・ジエムとマダム・ヌーの弟を殺害してベトナム戦争は泥沼化するわけですが、マダム・ヌーはこのクーデターから逃れた後は海外を転々とし、今年四月二十四日にイタリアで死去したそうです。

 このマダム・ヌーも噴飯物の人物ですが、それ以上に私にとって、その死去が腹立たしいというかやりきれない思いをさせられるのは下記の人物です。

永田洋子(Wikipedia)

 この人も、知っている人なら話が早いでしょう。昨日あんな記事書いておきながらあえてこの言葉を使いますが極左グループである連合赤軍の元幹部で、あさま山荘事件につながる山岳ベース事件を引き起こした張本人の一人です。

連合赤軍あさま山荘事件
連合赤軍リンチ事件(=山岳ベース事件)
(どちらもオワリナキアクムより)

 永田洋子はあさま山荘事件には関わってはおりませんが、山岳ベース事件では主導者の一人として妊娠八ヶ月だった女性を含む合計12人を筆舌に尽くし難い暴行の上に死に追いやっております。
 私は小学生くらいの頃からあさま山荘事件についてはテレビの特集か何かをつてに知っていましたが(何気に名前を知ったのは「ちびまるこちゃん」からだったが)、この山岳ベース事件についてはおぼろげに親から話には聞いていたものの、詳細については大学生になってから初めて知りました。改めて考えてみると、内容が内容だけにテレビなどでは恐らく今後は一切取り上げられないのではないかと思います。

 これも詳細についてはリンク先などを確認してもらいたいのですが、簡単に言うと社会主義思想を持った十代から二十代の若者らが革命を成し遂げるためなどとほざき戦闘訓練のため山中に仲良く潜伏したところ、やれ態度が悪いとか決意が足りないなどと難癖をつけては集団で暴行し、いわゆる内ゲバというもので次々と仲間を殺害していったという事件です。この事件は数ある内ゲバ事件の中でも関係者が数多く存命してそれぞれが証言を行っていることから、特別と言っていいほどに詳細についてもすでにわかっております。それら事件の詳細を眺めた上の私の意見だと、やはりこの永田が逮捕後に獄中自殺をした森恒夫とともに殺害を主導しており、どちらか片方さえ存在しなければこの事件は起こらなかったのではないかと思わせられます。

 逮捕後に永田はこの事件を起こした理由について、社会主義を掲げる組織が持つ特徴に起因する構造的問題からだなどとあれこれほざいていたようですが、確かに冷戦期の中国とソ連みたいに社会主義者(人類全般に当てはまるかもしれないが)は大きな差よりも小さな差にこだわる同属嫌悪が激しい傾向があることにはうなずけるものの、あれだけ無茶苦茶なことしておきながら小難しいこと言えば許されるとでも思ってるのかという感想を私は持ちました。私は社会学出身ということもあって人間というのはほとんど個性は存在せず、枠を与えられたらその枠にはまるように行動する生物だという考えがベースに存在しますが、この山岳ベース事件についてはやや卑怯ですが別格で、最終的には犯人らの個人的資質によるところが多いように思います。

 ただそれにしてもこの事件は詳細を追えば追うほど、当時の極端な社会主義者達は中国の偉かった人たち同様に自分が考えたことは必ずその通りになる、現実に適用できると何の疑いもなく信じ込む傾向を強く感じます。それゆえに社会主義はやれ教条的だなどと言われ私も実際にその通りだと思うのですが、連中の面倒くさいところは思い通りに行かなかったら何でもかんでも暴力で解決しようとするところで、最近のイスラム過激派とどこか被るところがあるのではとこの頃考えてます。
 かくいう私も高校生くらいの頃は変に政治に興味を持ち出してわかった振りをしてはああすれば景気はよくなるなどとほざいてましたが、ある人物から仮にその通りに実行して思い通りにうまくいかなかったらどう責任を取るんだと言われてからはやや落ち着き、計画性と実現性について必ず検討するようになり多少の慎重さを身につけるようになりました。この事件の犯人らはリンチして殺害した相手に自己批判を求めていましたが、彼ら自身は自分を疑うことはなかったのだろうなという点で、今の自分とは違うように感じます。

 この永田洋子は今年二月五日に獄中でかねてから罹患していた病気で死去したそうです。少なくともネットニュースではみませんでしたが、当時の日本のテレビメディアなどではどのように報じられていたのか少し興味があります。どちらにしろ、これしかないとは思うもののどうにも承服し難い死ですが。

 今回この記事を書こうと思ったきっかけはかつては見上げるだけだった事件当時の犯人らの年齢を追い越すようになり、今の自分の年齢くらいで殺害し、殺害された人物らを再考してみようと思い調べなおしたことからでした。同時代に生きていないから共感できないのだろうと言われてしまえばおしまいですが、少なくとも今の自分はこういう連中にだけはなりたくないし、こういう連中を生かしておいてはいけないという考え方をしています。
 最後に今この記事を読んでいる方で、20代くらいでまだ詳細について知らない方はぜひリンク先などでこの事件を調べてほしいと思います。ただの歴史の一事件として片付けられても仕方ありませんが、一部の関係者はまだ存命していることを考えると現代の人間はまだ認知しておく必要があるように感じるからです。

2011年6月21日火曜日

続、「右翼」、「左翼」という言葉の問題性

「右翼」、「左翼」という言葉の問題性(陽月秘話)

 以前に運営していた陽月秘話で個人的にスマッシュヒットだったと思う記事の一つに、上記リンク先の記事があります。上記の記事で私はかつての日本では自民党を右翼、社会党や共産党を左翼としてそれぞれの立場に立つ政治家や論客を文字通り右左で分けて比較し合っていましたが、ソ連崩壊によって社会主義勢力が大きく後退した上、それまで右派とされた人物達の中でも自由主義経済か統制経済かで大きく主張が異なるようになり、もはや右翼と左翼の二項対立では政治構造は図ることが出来ず、むしろ無理矢理当てはめて考えようとすると本質を見誤る可能性があることからこのような言葉はもう使うべきではないと主張しました。

 この記事は2009年に書いた記事ですが、二年経った現在に至って私の意見に変わりはありません。自民党が与党だった当時と違って現在の与党は民主党ですが、たまに民主党を左派、自民党を右派とする評論や議論を見かけますが、やはりこれは問題だと思います。それぞれの党が本当に右翼、左翼と定義できるのかはもとより、そもそも今の両党をみていて変化しない政治的原則自体があるのかが疑問です。せいぜい言えば自民党内はアメリカ外交において基地容認というある程度統一した意見を持っているのに対し、民主党は未だに党内意見の統一が図れていないという点で異なるものの、それ以外となると自民も民主も統一見解や原則がないように思えます。

 そうした政党評論は今回は置いときますが、どうしてまた一度書いた記事を今日になって掘り返したのかというと未だにこの右翼、左翼という言葉が市民権を持っていることに問題性を感じられるからです。私はこの二つの語は既に役目を終えたと考えており、もはや使う必要はなく死語になっていなければおかしいと思いますが、評論家等も結構頻繁に使います。メディアに対しても産経は右派、朝日は左派と書かれているのをたまにみますが、それであれば自民寄りとか民主寄りと書いたほうがいいのではないかと思います。かといって、リベラルだとか横文字使うのもどうかという気もしますが。

 なんかこのところ中途半端に記事が終わることが多いですが、もうすこし新聞やテレビといったメディアはちゃんとした政治用語を作るべきでしょう。目下のところ主要な政治テーマは「大きい政府」か「小さい政府」かになりつつあるので、このまま取るなら「大政府派」、「小政府派」と分けたり、既存の言葉を使うなら「集権派」、「分権派」という言葉が適当かと思います。といったって、大阪府内でも橋本知事と平松市長が対立してたりして分権派とひとくくりにするべきかちょっと微妙ですが。

2011年6月19日日曜日

ホークスの小久保選手について

小久保裕紀(Wikipedia)

 私が日本にいた頃に観戦することの多い球団ときたら家から球場が近いということでヤクルトスワローズと千葉ロッテマリーンズが多いですが、何気に好きな球団となるとソフトバンクホークスです。何故地元とも全く関係のないこのホークスが好きなのかというと戦力的に非常にバランスがよく、隙のないチーム編成をしていることから自然と贔屓するようになっていきました。好きな選手を挙げると和田、杉内、川崎選手(おすぎ氏も大好き)など比較的若い選手ばかりですが、先日ちょっとしたことから小久保選手の来歴を知っていろいろと驚き、今回こうして記事にすることにしました。

 詳しくは上記のWikipediaの記事を読んでもらえれば具体的にわかりますが、ホークスがダイエーだった時代から小久保選手は若くしてチームの主軸打者となってチームの優勝にも貢献しておりました。にもかかわらず、優勝という最高の結果でシーズンを終了した2003年、ホークス球団は突然小久保選手を巨人へ無償でトレードし、放出してしまいました。

小久保無償トレード問題

 当時の私はあまり野球に興味がなかった頃でこれまでそんなこともあったっけなという程度で覚えてはいましたが、改めて上記ページの内容を見て呆れ返りました。なんでもこのトレードはダイエーと球団オーナーだった中内家との権力闘争の過程で発生し、なおかつ当時の球団社長だった高塚氏が私怨とも言える様な感情で決めたものだったそうです。
 そもそも優勝の立役者を本人はもとより王監督(当時)にも相談せずに経営側の判断のみでトレードを実行する点でも以上で、しかも無償だなんて裏がないことの方がありえません。実際にナベツネがこの件に関わっていたそうですが、当時のホークス選手らのコメントを見るとみているこっちが腹立たしくなってきます。

 ただこの無償トレード事件で最も立派だったと思うのは、ほかならぬ当人の小久保選手です。はっきり言ってこんな扱われかたしたら普通はふて腐れてもしょうがない気がしますが、小久保選手は黙ってトレードに従って巨人に移籍し、そこでも活躍して外様で初となる巨人の4番に就任します。その後FA権を取得後は見事と言っては何ですがホークスに復帰し、現在も主軸として活躍し続けている姿には頭が下がります。

 なおこの無償トレードを主導した中内正氏は昨年、相続した遺産額を一部申告せずに相続税法違反で逮捕、有罪判決を受けており、もう一人の主導者である高塚猛氏は2004年に強制わいせつ事件で逮捕されております。悪い人間というのは悪い行為を繰り返すものです。

警察の飲酒事故、ネット監視、その他もろもろ

 一つ前の「問題があると感じられる県警」は多分陽月秘抄始まって以来で最も長い記事となりました。前置きをもう少し短くしようかとも考えましたが、そういう余計なことはせずに一気に通しはしました。
 なお今回各県警の不祥事を見ていていくつか気になった点としては、警察官の飲酒事故に対する処分に差があるように思えた点です。もちろん具体的な事故内容とか見ていないので言い切れるものではないのですが、ただでさえ問題がある行動な上に近年罰則が厳しくなっている飲酒運転事故についてはもう少し内部処分に基準があっていいように思います。たとえば検問で見つかった場合は停職三ヶ月、衝突事故を起こした場合は懲戒免職など、内外にどのような処分をするのか公開するべきではないでしょうか。

 次に気になったのは、統計データとして都道府県別警察信頼度といったデータが欲しかったという点です。全国での警察に対する信頼度データは存在するものの、先の記事でも書きましたが警察というものは地方ごとによってかなり性格の異なる組織ゆえにやはり地方別でデータを取らなければ意味がないと思います。
 その上で、警察力を測るバロメーターとしてはやはり地元住民の信頼度が単純かつ最も参考にたるデータになると私は考えております。先の記事の兵庫県警の欄でも紹介しましたが、兵庫県警は明るみになる不祥事が結構多いように感じられるもののなかなか地元の人から信頼されている感があります。これは以前にどこかで見た話ですが、警察の捜査で何が一番重要かと言えば地元住民の協力で、情報提供など住民からの信頼が高ければ高いほど捜査も捗るそうです。その上でこの話をした方は、警察は住民の信頼あってこそゆえに得点稼ぎの軽微の交通違反を取り締まるなと書いていましたが、実際に一時停止不履行で捕まった私の身からしても納得する意見です。なんで隠れて見てるんだよあいつら……。

 あとこれは余談ですが、本当は先の記事は昨日の夜中に投稿する予定だったのですが、記事を書きながら友達とスカイプで話していたら突然ネット回線ごと遮断されました。幸い今朝には復旧してましたがただの偶然なのか、いやそれにしたって先月も全く同じことあったし、スカイプ中に会話が途切れることもやけに多いです。ひょっとしたら自分も要監視リストに入っているのかな。
 ちなみに聞いた話ですがジェトロの在中責任者は帰任直前に、自宅のパソコンを開いたらスクリーンセーバーが変えられてたそうです。どうせ悪戯するなら壁紙をえっちなものにするとかすればいいのにと、遊び心が足りないなぁと感じます。

 あとあと最後に、友人がgooブログを開設してたので紹介しておきます。こいつ大政絢が好きだったんだなぁ。リンク結んでもらおうなんて結構強気だ。

問題があると感じられる県警

 私事ですがこのところ、デイリーポータルの「ゲルマニウムローラーで猫を骨抜きにする」という記事にはまって何度も読み返しております。確かにゲルマニウムローラーみたいな道具は猫がいかにも喜びそうだ。

 話は本題に移りますが、ちょっと今日は先週あたりからちょこちょこ準備していた県警ごとの私的な評価を紹介しようと思います。
 何でも宝島社より「全国警察力ランキング―本当に優秀なケーサツはどこだ?」という本が数年ごとに出されてあるようで、私は内容を読んではいませんがいろいろな警察関連のデータを比較し評価している力作のようです。ただ私は以前の記事でもすこし触れましたが各県警を比較する上で検挙率や県警名不祥事の発生件数はやや鵜呑みに出来ないデータと考えており、今回の記事を書くに当たって何を以って比較すればいいのか当初はひどく頭を悩ませました。

 先に何故検挙率や不祥事件数が信用できないのかというと、どちらも地域ごとに基準が大きく異なる可能性が高いからです。それこそ一部の地域ではちょっとした落書きとかもきちんと犯罪発生件数に数えられれば別のところでは数えられないこともあり、また東京や大阪など人口も多い都市部では犯罪は起こりやすくなる傾向があり、犯罪件数や検挙率は確かに一つの指標ながらも平等に警察の能力を図る材料とはあまり感じられません。
 同様に警察内不祥事についても、既に明らかになっている不祥事でも当初は外部より指摘されるまでは内部でもみ消そうとしたことが明らかになっており、また組織行動心理からも警察に限らずどこも多かれ少なかれこういう傾向があると思います。問題なのはなにをどれだけもみ消すかという基準で、これは今回の私のザルな調査だけでも処分基準を含めて明らかに県警ごとに隔たりがあるためにこちらも指標にはあまり使えません。

 最終的に至った結論としては、こんだけ毎日浅く広く薄い社会関係の記事を書いておきながら心はいつでも「個人」というものをとことんまで追求する文士という誇りを持っているので、統計データなんてこの際無視して一つ一つのエピソードから評価しようと落ち着きました。ただ一つ一つのエピソードと言ってもさすがに全国事細かに調べてなんからんないので、この際肯定的評価は捨てて否定的評価、つまり問題点にのみ着目し、安易なWikipediaの記事を参考に以下の基準で調べることにしました。

・組織的な不祥事を起こしているか
・不祥事に対する処分がきちんと行われているか

 特に注意したのはWikipediaの記事に載っている不祥事が個人による不祥事なのか警察による不祥事かです。警察官も聖人が決まってなるわけじゃないのだし中には変なのも混ざってくるだろうということを考慮し、個人資質による不祥事は評価対象にはしませんでした。といっても、元にする内容はすべてWikipediaに不祥事が書いているかどうかなので、書かれてなければ評価のしようもありませんが。
 前もって断っておきますが、今回のこの記事の内容は非常にザルな調査で書かれてあり、あくまで私個人が問題があると感じる県警を紹介しているだけで、裏づけのしっかり取れた絶対的な内容ではありません。あくまで参考程度に軽くお読みください。

北海道警察
 どっかから恨みを買ってるんじゃないかと思うくらいに、リンク先の道警ページに書かれた不祥事例は他と比べて異様に多かったです。何気に警察による裏金問題はこの道警での事例を北海道新聞が暴いたことから全国に波及しましたが、その後道警は意趣返しとばかりに北海道新聞を大人気なく記者会見から締め出すようになったそうですが、今でもこれは続いてるんだろうか。まぁ北海道新聞も地方紙の雄だとこれまで聞いてたけど、今日改めて調べてみたら確信犯的な誤報をこれまでに何度も出してて「えぇ(;´Д`)」って感じがしたんだけど。
 それでこの道警についてですが、読んでて気になったのは土地柄か警察官の交通違反、事故が多いような気がします。ただ飲酒事故とか起こしてるくせに最初の方は処分がやや甘いように感じたのですが、なんか2010年以降からやけに処分が厳しくなっており、基準が変わっているような印象を受けました。

・茨城県警
 土浦連続殺傷事件における杜撰な対応がやはり問題に感じました。通り魔事件という特殊性を考慮しても如何なものかと思える対応で、このほかにも、

「2009年4月24日、4月16日に窃盗未遂容疑で逮捕し水戸警察署署内で事情聴取していた24歳の無職の男が、隠し持っていた睡眠薬を警察官のお茶に仕込み、警察官に対し「お茶を一気飲みしたら事件の全貌を話す」とお茶を飲むよう誘導し警察官がお茶を飲み寝てしまったところ、男が署内から逃亡するという事件が発生。男は5月1日早朝に水戸市内の民家に潜伏していたところを住人に発見、逃走容疑で逮捕された。」

 ギャグ漫画じゃないんだからと、言いたくなるような不祥事です。

栃木県警
 現在私が最も信頼していない県警ナンバー1です。杜撰過ぎる捜査で冤罪を生んだ足利事件は言うまでもなく、この事件を含む一連の北関東連続幼女誘拐殺人事件にて明々白々なサボタージュを行って捜査をしないばかりか、遺族の気持ちを逆撫でする様な行為の連続には激しい怒りを覚えます。
 また過去に遡れば99年に起きた栃木リンチ殺人事件において捜査を見送って被害者を死に至らしめたばかりか、関係責任者への内部処分をたった停職14日間で済ませたことなど理解できない行為を平気行っており、一生関わりあいたくない存在です。あとどうでもいいですが、栃木県警が持ってるNSXの塗装は個人的にありえない塗装だと思います。もっとデザインセンスはないのでしょうか。



埼玉県警
 埼玉県警の不祥事ときたらその後の全国の警察不信に繋がった99年の桶川ストーカー殺人事件が有名ですが、こちらは栃木県警と違って署員3人を懲戒免職にするなど明確に処分していることからその後はどんなものかと注視してましたが、どうもまだ反省してないのか、前にも取り上げましたが埼玉県深谷市市議選で証拠が乏しいにもかかわらず供応事件があったとして、虚偽の証言を強要する事件を引き起こしています。この事件なんか警察の組織的な問題行動の代表格で呆れ返るとともに、この深谷署はこれ以外にも三月には遺体を間違えて遺族に引き渡す事件を起こしており、この際解体したほうがいいんじゃないかとすら思います。

神奈川県警
 「不祥事ときたら神奈川県警」と言われるまで、一時期不祥事を連発しまくって警察の顔に泥を塗った神奈川県警ですが、さすがにその名に恥じず99年には内部で「不祥事隠蔽マニュアル」を作成して配布するなど常識外の行動を平然と行っています。最近は全国区で取り上げられる不祥事はあまり見ないものの、やっぱり私の中でもここへの信頼は回復しません。特に個人的に今でもよく覚えているのは、90年代にテレビで取り上げられた際、警察署前を暴走族が走っているにもかかわらず無視し続けてたあの姿はなかなか忘れられません。

大阪府警
 大都市ゆえいろいろ大変だろうとは思いますが、それにしたって常識外の不祥事が大阪府警には多い気がします。Wikipedia中にもいろいろ載ってますが細かく探せばまだまだこんなもんじゃないだろうし、昨年の自白強要事件など強引な捜査振りが目に付きます。一昨日にも自動車でバイクに衝突しておきながら逃げて、現金20万円を渡すというどこから突っ込んでいいかわからない事件を引き起こしていますが、それに対する弁解もまた理解不能なものばかりで、

「---容疑が事故の不申告なのはなぜか?
相手には怪我がなかったので、ひき逃げではない。当て逃げというのは法律にはないので、事故を起こしたのに届出をしない不申告で事情を聴いている。結果的に、怪我はなかったので、救護義務違反は成立しない。」


 事故を起こした本人も20万円を渡したことについてギターの修理代だったと言っていますが、そんな屁理屈をよくもまぁ堂々と言えるものだと、いっぺん首吊って来いといいたくなる不祥事です。

兵庫県警
 ここもまた不祥事の多いところですが、02年の神戸大学院生リンチ殺人事件の不手際はとても見過ごせるものがなくかなり問題のあるところだと考えています。ただ私の周りで兵庫県出身の人に聞くと皆口を揃えて、「兵庫県警は最強だ」というほど信頼してます。理由を聞くと常にヤクザとやり合っているからだそうですが、不祥事は多いもののこれほど信頼されてることを考えると評価の仕方としては悩まされます。

愛媛県警
 多分余り全国区で報じられることは多くないでしょうが、何気に愛媛県警も不祥事の多いことで有名です。こちらも他の問題あるところと同じく「宇和島事件」という冤罪事件を引き起こしていることはもとより、裏金を作っていたことに関しても「個人的な利得には使われておらず不正ではないなどとして」、返還を拒んだとも言われます。おまけに告発した元会計課長には露骨な左遷人事を仕組むし。
 あと個人的には04年に松山市内で高校生のスクーターに白バイが衝突した事故で、めちゃくちゃ強引に事故は高校生側の一方的な過失によるものにして送検した事件は日本でのニュース特集で見ましたが、これで愛媛県警への不信が一気に強まりました。ちょうどよく今職場に愛媛出身の人がいるので聞いてみたところ、やはり地元人でも愛媛県警を信用してないと言ってました。

鹿児島県警
 自分の生まれ故郷ながら、批判せずにはいられません。ここの不祥事は志布志事件に尽きますが、明らかに見当違いの違法な捜査で裁判所にも問題性を指摘されているにもかかわらず、鹿児島県警は「捜査の方向性はなんら間違ってなかった」と言い切っており、組織の体質を非常に疑わせる事件でした。
 なお今回改めて調べてみたところ、今年3月の震災発生日、当のの志布志署で津波による避難勧告が出ていたにもかかわらず宴会を開いていたそうで、ここもこの際だから潰したほうが早いんじゃないかと思います。

 思ったより長くなってつらかった。

2011年6月16日木曜日

辛亥革命から百周年を向かえて

 本日配信された共同通信のニュースの中で、結構まずいワードが入っていたのが職場で話題になりました。それはどのようなワードかというと、「今年は中華民国(台湾)建国百周年」というワードなのですが、こういった書き方をすると中華人民共和国政府の人はかなり真剣に怒って、場合によってはメディア営業許可とかなんやらも剥奪されてしまいます。中国側の説明によると中国本土と台湾には政府は一つしかなく、馬英九総統(これは書いてもOK)は民主的に選ばれた台湾当局の責任者ということだそうで、台湾政府とかそれを匂わすようなことを書くとアウトになってしまいます。
 そういうわけで中国で活動する日本のメディア関係者は台湾記事については多かれ少なかれ面倒なことに神経を使わねばならず、上記の共同通信の内容もすぐに訂正入れるか削除していれば問題ないでしょうが、そのまんまだったら多分在中の責任者が呼び出し食らうことになる可能性が高いと思います。

 そういいながらこうやって堂々とネタにする私ですが、ちょうど今から百年前の1911年に中国では孫文らが出てくる辛亥革命が起こり、最終王朝こと清帝国が滅びました。この歴史は現代中国にも影響は大きく私もこの年だけはしっかりと暗記しているのですが、ただ重要だから覚えているというわけじゃなく、実は昔にこの年号を変なことに使ったことがあって妙に思い入れが深いというのが真相です。

 その変なことに使ったというのはちょうど今から十年前の2001年、当時私は高校生でしたが一番小説を書いていた頃でわざわざ自分で同人誌を作っては友人内で回し読みさせていました。同人誌と言っても書いているのは私一人で、表紙から小説、妙な企画まで全部一人で自己満足しながらやっていましたが、ある時に一般で出版されている雑誌みたいに「○○周年」って表紙に書いてみたくなりおもむろに歴史の資料集を開いて最後が01年の歴史事件を探したわけでした。最初の候補は「菅原道真、大宰府左遷から1100周年」でしたが、迂闊に書いて祟られたりしたらよくないと心変わりし、件の「辛亥革命90周年」というサブタイトルに落ち着いたわけです。
 ちなみにその時の同人誌の名前は「文化大革命」でした。別に狙ったわけじゃなかったけど、最初に名前を決める時に「○○革命」って名前にしようと思ったら自然と落ち着いたわけで……。

 ちょっと話が横道にそれますが、たまに音楽とか文芸など芸術方面に憧れや夢があったものの、一緒に目指すような友人がいなくて手をつける機会がなかったという人がいますが、私に言わせればそれはやはり甘えだと思います。もちろん切磋琢磨できる友人がいるに越したことはありませんが、最終的には友人の力ではなく自分自身の力でその夢を掴み取らなければならないことを考えるとたとえ一人でも何かしら行動できない限りはどっちにしたって結果は一緒になると私は考えます。そういいながら私もいばれるような活動はしていませんでしたが、中学生から文章を書くことを飽きなかったということだけは今に繋がっていると思います。

 それにしても「文化大革命」を作ってた十年前に、現在のような立場になるとは夢想だにしなかったと思います。当時から中国語に興味があったものの外国語を使って食っていくとは全く思いませんでした。あとどうでもいいですが、これが関係しているのかわかりませんがなんかちょうど今週にこのあたりの孫文とか毛沢東の時代を描く「建党偉業」という映画が公開されました。中国語が少し読める方なら下部の役名と俳優を見てもらいたいのですが、最近毛沢東役はなんだかほっそりした人がやることが増えてます。そのほかだと個人的には李大ショウ役の人が実際の顔によく似ていてツボにはまりました。

2011年6月15日水曜日

警察官を増やすと犯罪が増える

 久々に社会学の話をしますが、よく教えられる内容に今日のお題とした「警察官を増やすと犯罪が増える」というものがあります。一般的に警察官を増やすと治安が良くなりそうで犯罪も減るような感じがしますが、これは確実と言ってもいいくらいに増えること間違いなしです。一体なぜ犯罪が増えるのかというと仕組みはごくごく単純で、警察官が増えることでそれまで犯罪として取り扱われなかった事件(落書きや軽度の違反など)がきちんと取り締まられるようになり、認知犯罪件数が増加して見かけ上で犯罪が増えてるように見えてしまうからです。
 もちろん実際の治安はそれまで無視されてきた軽微な犯罪も取り締まられるようになるので良くなるはずなのですが、統計にはしばしばこのように実態と中身が反映されないものが多く、というより大半の統計はそのようなミスリードを引き起こすものばかりです。参考程度には使えても、本気で信じると痛い目を見るものばかりと言っても過言ではないでしょう。

 現在、各都道府県警を評価する記事を準備していますが、そこでぶち当たったのが上記統計の問題でした。たまにどこの警察が優秀なのかということで人口当たりの犯罪件数を比較している人もいますが、確かにそういった統計は無駄ではないもののそれを絶対基準にして評価していいものかとなると私は首を振ります。何故なら交通違反などかなり恣意的に犯罪として取り締まられるものも少なくなく、また地域によって取り締まる熱意というか基準も大きく変わってくる可能性が捨てきれないからです。
 同様に、警察官への懲戒処分件数もあまり当てになりません。これはその準備している記事で詳しく書くつもりですが警察の内部処分の厳しさや基準は表に出ているだけでも相当差があり、懲戒処分が多い県警よりもむしろ懲戒処分を敢えて行おうとしない警察の方が悪質だと思えるため、比較数字としては適格でないように思います。

 このように当てにならない統計というのは他にも数多くあり、以前に私ももはやGDPは景気指標としてならともかく国家力のバロメーター、国民の豊かさの指標としては的確なのかという疑問を呈しましたがこれ以外にも、最近だと失業率なんかの数字についても疑義が上がっておりますが、試しに自分で正確な失業率を出そうと思いましたがこれは想像していたよりかなり困難な作業だと途中で気がつき、今の国の統計方法のが正しいんじゃないかと変に心変わりしました。

 ちょっと字数が少ないのでついでに書き加えておくと、現在テレビ局などが多くやっている調査方法はRODといって乱数表を元に電話帳から電話番号を選び出して電話をかける調査ですが、以前であれば確かにこの方法は代表性の高いデータを取ることが出来たものの、現代のように固定電話を持たず携帯電話しか使わない若者が多い世の中だと、この調査方法だと年齢層の高い層の意見しか集約できていない可能性が高いです。そのため報道ステーションなどがこのROD調査の結果を出す際に私は40代以上の意見という前提でいつも見ていました。またさらに言うと、最近はみんな仕事が忙しくて家の電話を取るのは主婦が多いのも見逃せません。まぁ多少は調整してるだろうけど。
 それに対して最近増えているインターネット調査ですが、これなんてよっぽどうまい調査方法以外は全く信用性もなく、出してる側も恣意的な結果だとわかって出しているのが多いです。ここまえいい加減な統計情報が溢れていると、下手に数字を元に計画出すよりも肌感覚で突き進んだほうがいいんじゃないかとすら思うくらいです。

2011年6月13日月曜日

ヤタガラスにみる日本人とカラスの関係

 前回の山幸彦の記事から大分経っていますが、また古代史ネタです。
 さて山幸彦は天皇家の先祖ということは前の記事でも紹介しましたが、ちょうど山幸彦の孫が初代天皇とされている神武天皇でここから万世一系の天皇家が始まるわけですが、正直言って神武天皇については私はあまり興味が湧きません。あまり勉強してないのもありますが具体的なエピソードがちょっと乏しく、東征したっつってもなんだかピンと来ず、おまけに初代天皇とされるだけあっていろんな人間が一緒くたにまとめられてて実在性もなんだか乏しいような気がします。そんな神武天皇よりもむしろ、東征を助けたとされるヤタガラスの方が日本人への影響力は強いんじゃないかと密かに考えているわけです。

八咫烏(Wikipedia)

 ヤタガラスは東征を始めた神武天皇を道案内するよう高天原から遣わされるカラスなのですが、身体的特徴としては足が三本あると言われているものの、なんかウィキペディアの記事によると三つ足があるとはっきり書いた資料はなくむしろそれこそが後世の俗説ではないかと書かれてます。
 このヤタガラスが現代日本にどのように影響を与えているかですが、まずは何と言っても全日本サッカー協会のシンボルマークに採用されていることでしょう。全日本関係のグッズなんかにはよくこのマークが使われておりますが、古来の日本の神性を持った動物としては格好の材料で採用を決定したサッカー協会の人は先見の明があると思います。

 こうしたサッカー方面の影響はもとより、現代日本人とカラスの関係性を考えてみるにつけてもなかなか面白い材料ではないかと私は見ています。というのもこれは私の留学先の中国人教師が日本に来た時のエピソードですが、なんでも朝早くに宿舎を出て散歩していたらカラスがたくさんいて非常に気味が悪かったそうです。そりゃ確かにカラスがたくさんいれば気味が悪いと思う日本人は他にもいそうですが、これは断言してもいいですが日本以外の国の人からするとカラスは気味が悪いってもんじゃなくて見るも不愉快な鳥として見られています。私の感覚だと、日本人にとってはドブネズミを見るような感覚で見ているんじゃないかと思います。

 それに対して我らが日本人ですが、確かにカラスは気味が悪いとか某都知事のように目の敵にされることがあるものの、別に空を飛んでるところを見ても外国人みたく極端に気分を悪くすることはないかと思います。それどころか、「カーラースー、なぜ鳴くのー?」などといった童謡にもよく歌われ、人によっては私みたいに親近感を持っている人もいるんじゃないかと思います。一般的には狡猾でずる賢く書かれるものの、中には親子連れで書かれたりしてどこか郷愁的なイメージが日本人の中にはあるんじゃないかとみています。
 元々、鳥自体が日本人にとって他の動物とは一線を画した扱いが神話時代からされております。神社の鳥居もその名の通りに神の使いである鳥が休む場所として設置されたのが始まりとしており、ヤタガラスが現代にまで伝えられているのもそうした流れなのかもしれません。

 なんだか話が尻切れトンボ気味ですが、最後にカラスに関するエピソードを二つ紹介します。

・カラスの死骸が街中でほとんど見られないことについて昔に矢追純一氏が、「カラスは死んだ瞬間にこの世から消滅する」と一時期主張していました。なんか妙なところで説得力あって変に納得しそうになりましたが、なんとなくこのカラスがなぜ電線に止まって感電しないのかという話に通じるものがある気がします。

・Wikipediaの記事によると、
「1996年、神奈川県で鉄道のレール上にハシボソガラスが石を置くという事件が頻発した。JRの人間に巣を撤去されたことに対する復讐として、列車を転覆させようとしたと言われたこともあったが、実際は敷石の下にパンを貯食した際にくわえ上げた石を偶然レール上に置き、それを放置することで起きていたというのが真相であった。」
 確かこの事件があった時の新聞の見出しは、「カラス、なぜ置くの?」だった気がします。

2011年6月12日日曜日

中国の空母建艦報道について

空母建設で中国のネット大興奮 名前は「周瑜」?「毛沢東」?(産経新聞)

 先月から中国の空母建艦ニュースが盛んに報じられておりますが、この報道というか中国がどうも空母建艦に乗り出したというニュースは去年から出ていて、つい最近に参謀長がそれを認めたという経過を辿っております。

 この空母建艦について話す前に現在の中国人民解放軍について少し解説しておくと、ある評論家によると人民解放軍こそ自衛隊だという意見があります。というのも人民解放軍の主力は戦車で、航空機や艦船といった兵器がほとんどないため陸続きならまだしも海外の国へミサイルなどで攻撃することは出来ても進攻、占領することはほぼ不可能で、台湾すらも攻略できないだろうという意見で一致しております。むしろイージス艦みたいなとんでもない兵器やそこそこの航空戦力を持っている日本の自衛隊の方がこの点で遥かに上回ります。
 それゆえに中国の軍事費が毎年二桁増で問題だという主張があちこちでされておりますが、これについては中国側が発信しているよりもペンタゴンの方が熱心に発信しているとまで言われています。何故かというと、言うは邪推ですが中国脅威論を盛り立てることで自分たちの予算を獲得できるからです。実際には進攻能力がほぼ無に等しいので、アメリカ側は人民解放軍なんか脅威ともなんとも思っていないでしょう。

 ただ、今回の空母建艦のニュースはそんなパワーバランスに一石を投じる報道で間違いありません。空母があるかないかは進攻能力において大きく影響し、しかも国産空母を作っているとのことでこれを量産するとなるといろいろと話が変わってきます。それゆえに現段階ではまだ性能も未知数ゆえにあまり大騒ぎすることは返って人民解放軍を喜ばせることとなるので刷るべきではありませんが、注視するべきニュースであることに間違いはありません。

 その上でこの機に説明してしまいますが、今回引用したニュース記事中でも触れられておりますが中国はこの空母建艦について必ずしも一枚岩ではありません。私がいつも読んでいる現地紙においてすら空母を建艦する必要はあるのか、維持費がどれだけの負担になるのかなどと真っ向から批判する論説を載せてあったのを目にしてますし、こういった論説が載るということは中国式に言うと、「ある程度好きに議論していい」ということで、批判しても罰されないということです。
 たまに日本人の方で勘違いしている方がいますが、同じ社会主義国家でも中国と北朝鮮とでは軍に対する価値観は真逆と言っていいほど違います。圧倒的大多数の中国人は人民解放軍に対してほとんど信用しておらず、人によっては軍人なんてならず者の集まりだと言ってはばからず、親戚縁者がなろうとするものなら大反対するほどです。はっきり言って、日本人の自衛隊への信頼感と比べるなら雲泥の差です。

 また共産党政府も毎年軍事費の予算は確かに二桁増を続けていますが、内心では百万を超える兵力を可能な限り削減して財政負担を減らしたいと考えていると言われており、私もこの予想を支持します。しかしこれに対して軍人側も反発が強く、退役後の年金の扱いなどを巡って中国共産党内では相当な暗闘があるとも聞きます。
 あくまでこれは一説ですが、昨年の尖閣諸島沖の事件もその暗闘の延長線上で起こったという話すらあります。この辺については細かくは書きませんが、昨年に自衛隊が尖閣諸島に有事が起きた際の対応マニュアルを作成していたということが日本で報じられるや中国でも報じられましたが、これに手を叩いて一番喜んだのは人民解放軍幹部でしょう。

中国のアダルトショップについて



 上海人の友人に勧められたので、上記写真について紹介します。
 上記写真は上海市内にあるお店の写真ですが、見てもらえばわかるとおりにこれはアダルトグッズショップです。私のブログの性格からすると本来こういうものは取り上げることはないのですが、中国の変化という観点からすれば確かに面白い材料なので友人のアドバイスに従ってコソコソと写真撮ってきました。

 さてこのアダルトグッズショップですが、上海人の友人曰く「十年前だと考えられない」代物だそうです。また私にとっても、十年前と言わず五年前の北京ではありえないお店で、もし開店しようものなら民警にでも即取り締まられるのではと考えてしまいます。
 今でこそ改革開放で資本主義まっしぐらの中国ですが、それでも日本と比べれば社会上いろいろとお堅いところが少なくありません。そんな中国においてこういうお店があるということ自体が一昔前の中国を知る人間からすれば驚きで、しかも今回写真で撮ってきたお店以外にも市内を歩いていればこういう店は意外と頻繁に見つけることが出来ます。もちろん中には入りませんが。

 こうした中国の変化を好意的に見るか、否定的に見るかはなかなか判断が難しいです。私以上に昔、大体90年代頃の中国を知る世代からすると牧歌的な雰囲気を求めることが多くてこうした経済発展による変化をあまり好ましく思わない世代が多いですが、私としてはやはり経済発展とともに文化的要素が日本などといった先進国に近づいてきて余計な軋轢が減ってきていることを考えると、やはり甘受するべきかなと思ってしまいます。



 オチらしいオチがないので、昔に保存したたけし軍団と土佐犬の写真も載せておきます。最近は四国犬と呼ぶようになっているそうですが、番犬として非常に優秀というだけにケンカしても敵う気がしません。

2011年6月11日土曜日

人質立てこもり犯に対する射殺の是非

瀬戸内シージャック事件(Wikipedia)

 私くらいの世代であれば上記リンク先で書かれている「瀬戸内シージャック事件」について知らない方々が多いかと思われます。この事件の概要を簡単に話すと、盗難車両で運転中に検問に引っかかった当時20歳だった犯人は仲間らと逃走し、その逃走中に銃砲店を襲ってライフルなど銃器を強奪すると広島港に停泊中だった「ぷりんす号」を襲って乗客、船員を乗せたまま乗っ取りました。その後犯人は途中で乗客を解放したものの船員は人質にし続け、何度も発砲(散弾は64発、ライフル銃弾は50発)しながら海上で篭城を続けていましたが、最終的にはその存在すら隠されていた大阪府警の狙撃部隊によって射殺されて落着しました。

 この事件がどのような影響を与えたかと言うと、言うまでもありませんが犯人射殺の是非です。Wikipediaの記事によると当時の新聞はほとんどが「射殺もやむを得ない」と立場をとり、「あの」といったらなんですが朝日新聞ですら是認したそうです。しかしいつの世にもこういうのがいるもんだと言うべきか、自由人権協会のある弁護士によって犯人を狙撃した狙撃手が殺人罪で起訴されました。曰く、頭部ではなく手足などを狙えば十分であったのではという意見だったそうですが、最終的に裁判では県警らの正当防衛が認められて無罪とはなったものの、その後の犯人逮捕における銃使用条件に影響を与えたとされます。

 この事件を踏まえて今回私が提起したい問題は、人質をとって立てこもる犯人を射殺するべきかどうかです。結論を言えば私は有無を言わさず即刻射殺するべきだという立場をとります。
 私が何故このような立場をとるのかと言うと、人質をとって立てこもられた場合は人質自身の安否はもとより対応する警察も大きな危険にさらされるからです。いちいち挙げませんが主だった立てこもり事件では多くの殉職者が出ております。しかもこの手の事件は人質をとっている犯人側の立場が強く、食料などを要求することで事件が長期化することも少なく、長期化すればするほど人質の安全に影響する可能性を考えれば狙撃による犯人射殺という手段を積極的に採用するべきではないかと思います。

 しかもこういった立てこもり事件についてさらに言えば、通常裁判というのはその犯罪を本当に行ったのかを審議する場所でありますが、立てこもり事件においては現行犯どころか現在進行で犯罪を続けているといっても過言ではなく、そもそも裁判なんて刷る必要があるのか疑問に感じます。量刑についてはまだ議論の余地がありますが死刑のハードルも下がっているのですし、いちいち裁判なんてせずに即刻犯人を射殺することは私はそれほど大きな問題ではないように考えます。そしてなにより、ここで私の主張する立てこもり犯に対する射殺が一般化することによってこんな馬鹿な真似する人間が出てこなくなることも期待できるのではないでしょうか。

 なお私にとって印象的な立てこもり事件を上げるとすると、「西鉄バスジャック事件」が挙がって来ます。詳細はここでは語りませんが一人の女性を殺害した上にわずか6歳の女の子までも人質に取った犯人は既に社会復帰しているそうですが、私はこの犯人がのうのうと生きていることに腹が立つ上、あそこで狙撃することが出来ればどれだけ事件解決が簡単だったのだろうかと考えるといろいろと思うところがあります。

 最後に、ここまで立てこもり犯の射殺を主張しながらでありますが今回引用した「瀬戸内シージャック事件」の記事の下部にあったこの記述に目を引かされました。

「1972年、連合赤軍の活動家が銃器で武装し人質をとって山荘内に立てこもったあさま山荘事件において警察は犯人を射殺せず全員逮捕した。この事件に関しては、「連合赤軍「あさま山荘」事件」(文藝春秋発行、著者佐々淳行)によると、当時の警察庁長官である後藤田正晴が「犯人は全員生け捕りにせよ。射殺すると殉教者になり今後も尾をひく」との考えから、機動隊は犯人の逮捕を前提に活動したとされている。」

 ここで語られている「あさま山荘事件」は語るまでもない有名な事件で、犯人逮捕までに複数の殉職者が発生したことはもとより多数の警官が重傷を負いました。私のさっきの主張からするとこういう事件でこそ犯人射殺をするべきなのですが、殺しては殉教者になり後を引くという当時の後藤田正晴のこの発言は、政治家とはこういうものなのかと正直しびれました。結末を知っている人間からすればわかりやすいですがこの事件で犯人らが逮捕されたことを受けて直前の「山岳ベース事件」の全容が明らかになり、連合赤軍解体はもとより過激派に対する社会の見方も一変することとなりました。そのような観点からすれば後藤田正晴のこの対応は、多くの犠牲者が出てしまったことは誠に残念ではあるものの決して的はずれなものではなかったように思えます。

  おまけ
 私は今回取り上げた「瀬戸内シージャック事件」については昔にテレビで放映された番組(確か「女神の天秤」)で知りましたが、私の記憶では確かこの番組で犯人を狙撃したのは「国民にもその存在を隠されていた大阪府警の零中隊隊員」と報じられていたように思います。ただ現在のSATの前身となったその零中隊は1977年に創設され、シージャック事件が起きたのが1970年と考えると時期にずれがあり、最初はただの記憶違いかなと考えました。しかし、そもそも「零中隊」なんてかなり珍しい単語をどこで覚えたのか、しかもかなり鮮明にこのシージャック事件と記憶が結びついていることを考えるとただの記憶違いですっ飛ばしていいものか悩むので、詳細がわかる人がいればコメント欄にでも書いてください。
 あとついでに書くと、現在のSATは本当に国民に完全内緒で創設され、これも今日ここで取り上げた「西鉄バスジャック事件」で初めてお見えした部隊です。なおかつとどめとばかりに書き込んでおくと、SATで初めて殉職者が出た事件は2007年の「愛知長くて立てこもり発砲事件」です。この事件も、私が犯人即射殺を主張する一つの材料となっております。

2011年6月8日水曜日

私の信頼度リスト(機関、団体編)

 大分昔にやった信頼度リストネタを今日ふと思い出したので、今回は機関と団体に対して私の信頼度を紹介しようと思います。前置きは余計なので、早速どうぞ。

<信頼している>
・消防、レスキュー隊
・国税庁
・ジェトロ(日本貿易振興機構)

<半信半疑>
・自衛隊(防衛省)
・弁護士
・経済産業省
・財務省
・公安
・医師会
・BPO

<信頼していない>
・検察
・裁判所
・国土交通省
・文部科学省
・農林水産省
・環境省
・外務省
・日銀
・経団連

<論外>
・消費者庁
・厚生労働省

 さらっと思いつくのはざっとこんなもんです。
 いくつか解説すると、消防、レスキュー隊は激務な任務をしっかりこなしていることから私は高く評価しています。アメリカではものすごい評価されるのに対して日本だとちょっと影が薄いような気がするので、もっとみんな注目したほうがいいんじゃないかとすら思うほどの評価です。その次の国税庁は国の機関としては最も活動力というかいいところを突いてきておりこちらも高く評価しており、ジェトロについては前職が貿易屋だっただけにないと困ってしまう存在です。

 自衛隊については当初は信頼のカテゴリーに入れようと考えていましたが、現場の隊員らについては疑いの余地なく信頼しているものの、バックの防衛省こと防衛利権というものは相当根深いと聞くのであえて半信半疑に落ち着かせました。そのほかはちょっと曖昧な感じにまとめていますが、やはりというか国の機関の大半は信頼していないのが我ながら浮き彫りとなりました。

 最後に警察についてですが、警察は各県の県警ごとに性格が変わったりするので一緒くたに評価することはやめました。公安は入れてみたけど。警察に対する評価、というか問題あると思う県警を今度あたりに平成に起こった警察不祥事とともにまとめてみようかと企画中ですが、敢えてここで名指しで批判させてもらうと足利事件で冤罪を生み、なおかつ真相を闇に葬ろうとしている栃木県警はクズだと言わざるを得ません。その警察関係ですと現在日テレ記者の清水潔氏の取材力には脱帽するばかりで、このブログを読んでいる方々も是非、文芸春秋で毎号取り上げられる清水氏の足利事件追跡レポートを読んでほしいです。

2011年6月7日火曜日

役に立たない学問を勉強する価値

 このブログでは頻繁に歴史ネタを出すだけあって、プライベートでも私はかなりの歴史オタクです。そのせいか野球が好きな友人が出身地が甲子園の強い県かどうかで相手をリアルに値踏みするように、私も歴史が好きだという人間には無条件で信用してしまうところがあります。ただこれは野球や歴史に限らずとも、相似性といって似た趣味を持つ人間同士は仲良くなりやすい傾向がはっきりと確認されているので一般常識的にもおかしくはないでしょうが。
 そんな歴史について逆に歴史が苦手だった人間からよく、「そんな役に立たないこと暗記してどうするの?」と聞かれたりします。確かに歴史を知っているからといって飯の種に出来るわけでなく、人生で役に立つと言っても思想面では本家本元の哲学や倫理学を勉強したほうが遥かに効果は高いです。それにも関わらず歴史をどうして学び続けるのかと言ったら、私は役に立たない学問だからこそだと主張します。

 以前にも友人と歴史は勉強する価値があるのかというテーマで議論しましたが、結論としては、「少なくとも、歴史を勉強しようとする人は話しやすいよね」というところに落ち着きました。私が思うに歴史というのは確かに生活上何の役にも立たない学問ですが、そんな役にも立たないものに対しても興味を持てる人間というのは比較的自分から遠く離れたもの、経験したことがないものに対して抵抗が薄く、「自分とは関係ないから」といって切り捨てることなく寛容な人間が多いような気がします。同様に理系マイナー学問代表の天文学が好きな人も比較的多分野に興味を持つ人が多く、私にとってすれば話しやすい人が多いです。
 逆に自ら専門分野を狭めようとしている人は私にとってすれば会話し辛く、今までの経験からもそのような人たちから何の意図もない発言をとられて「それってどういうことだよ」と突っかかられることが非常に多かったです。高校時代にはまさにそういう人間がおり、自分の受験する大学は国語の試験に漢文科目がないことから模試で「国語1」を受け、比較的高い偏差値を取って悦に入っておりましたが、上位校を受ける大半の受験生は「国語1・2」を受けるから何の指標にもならんよと言ったらまた突っかかってくるのが目に見えていたので敢えて黙ってました。

 私が思うにあまり役に立たない学問を何故勉強するのかと言うと、多方面への興味を持つ訓練として必要だからだと思います。現在の大学教育においても、近年は文系でも専門化が進んできましたが、一般教養課程の重要性は大学人なら誰もが理解していると思いますし、私自身も貴重な時間だったと思います。ただ調子に乗って取り過ぎて、卒業時に160単位を超えていたのはやり過ぎでしたが。単位未認定を含めれば180単位に近かったし。
 学問に限らず多趣味であることは相手を評価する上で非常に好意的な材料だと思います。ただ最近は何か一つで大きな成果なり知見が求められ、特に就職面接では具体的なエピソードを要求されるなどして何か一つへの特化が社会的にも強く求められているような気がします。昔なんかは誰がこんな社会にしたんだと憤懣やるかたありませんでしたが、この年になると何故今になっても変えられないのだろうと、自分の無力さを感じることのが増えてきました。

  おまけ
 先週にやけに日本のサイトにつながらないと書きましたが、すっかり忘れてましたが6月初旬は天安門事件記念日があり、中国政府がピリピリしている頃で、そのせいで海外へのアクセスが制限されていたようです。

  おまけ2
 初対面の人間を相手にする際、歴史好きかどうかに加え動物好きかどうかでも結構値踏みします。動物好きな人には悪い人は少ないように感じますし。

eBookjapanからの返信

 前の「電子書籍、想定外の値上げ」の記事中で書いたeBookjapanの値上げについて、本日eBookjapanより返信を受け取りました。何でも「重要なお知らせ」にて今回槍玉に挙げた「でろでろ」を含む講談社の本を値上げすると前々から書いていたようで、私が見落としていただけだったようです。返信内容を読む限りですとどうも講談社との契約改定か何かで値上げになったような感じで、出版社側による値上げだった可能性が高いと見ております。

 どちらにしろ定価540円の本を525円で電子書籍で買う気は起きず、eBookjapanには悪いですが「でろでろ」の続きは買わないことにします。なんていうか、どこかある出版社が電子書籍で価格を実書籍定価のから大幅に割り引いた価格で販売するところが出てきたら一気に広がりそうな感覚があるのですが、まだちょっと遠いようです。

2011年6月5日日曜日

電子書籍を阻むものは誰なのか

 電子書籍ネタ三投目。狙ったわけではありませんがなんか集中しました。

 さて以前にも私はこのブログにて、かつてIT大手数社と出版社などが日本でも電子書籍を広めようとしたところ突然出版社側が「やっぱ今のなし!」って言って大きく広がらなかった例を引用し、出版社側は電子書籍の普及に乗り気でなくむしろ反動的なのではと書きましたが、この考えに大きな変化はないものの最近になってもうひとつ気になる要素が出てきました。
 私は当初、出版社側は電子書籍が普及すると売り上げが減る可能性があるから手を引いたのかと書きましたが、どうもあちこちから話を聞いていると販売数が減ること以上に、印刷会社との軋轢から手を引いたのではという考えが強くなってきました。考えても見ると電子書籍化して確かに実書籍の販売は間違いなく減るものの、その分電子書籍の販売が大きく伸びれば出版社側は今までどおりとは行かないまでもまだ何とかやっていけます。しかし印刷会社側にとっては実書籍から電子書籍に切り替われば仕事は完全になくなるだけで、それこそ出版社側が電子書籍に移行しようとするものならそれを必死で阻止するのではないかと思います。

 出版社側も現状では印刷会社が本を刷ってくれてなんぼで、下手に関係を悪くして校了時間とか融通利かせてくれなくなったらまずいところでしょう。そういう意味で出版社側が電子書籍に対してどうも本腰を挙げないのは、あくまで勝手なよそうですが印刷会社との関係があるからではないかと思った次第です。

 ただ予想と言いつつもそのような節が全くないわけでなく、いくつかそれらしき根拠はあります。ひとつは前の記事で書いた文系春秋の電子版で、こちらは海外居住者にしか購入することが出来ず国内では見ることが出来ません。こうすれば日本の印刷会社は何も困ることはありません。
 もうひとつは日経新聞の電子版で、こちらは電子版だけでも取る事が出来ますが通常の紙媒体での契約より料金は高く設定されており、そのかわり紙媒体でも新聞を取っていたら電子版は非常に安価な契約料金で取る事が出来ます。日経新聞の電子版が出た際にこの価格設定について私はやはり新聞会社は紙にこだわるんだなと考えていましたが、改めて考えてみると印刷会社(新聞屋)を気にしてのこの対応だったのかもしれません。

 その上、さっきから自分の考えをまくし立てていますがもうひとつ気になることとして、電子書籍での広告の扱いが今後どうなっていくかがまだ未知数です。昨日の記事でも書きましたが文芸春秋の電子版には広告欄が消されておりました。まぁ海外で配信するのだから契約とかいろいろあるんだろうし納得は出来るんですが、案外この広告の取り扱いでも出版社は電子書籍二の足を踏んでいるのかもとすこし思うところがあります。
 たとえば新聞では朝日や読売といった全国誌には全国で載せられる広告もあれば地方ごとの広告もあります。しかし電子書籍となるとまず以って地方ごとの広告はつけ辛くなり、事実上の地方切捨てとなってただでさえ広告主が減っている現況をさらに悪化させる可能性があります。

 さらに電子書籍で出版社や新聞社が困ってしまうのは、実部数が完全に丸わかりとなってしまう点です。これもちょっと前に記事にしましたが日本の新聞社はそれぞれ勝手に販売部数を自称して一日あたりの閲覧者数を割り出し、企業から受け取る広告料の算定をしております。しかしどの新聞社も押紙といって実際には販売されない分まで刷ってこの部数を水増ししており、仮に電子書籍に大きく移行でもしたら電子媒体ゆえにかなり正確な部数が判明してしまい、今までのように部数を水増しして多めに広告料を取る事が出来なくなってしまいます。
 しかもさらに懐の痛いところは、広告の効果までデータ化されてわかってしまう点です。利用者ならわかると思いますがAmazonなどでは利用者の過去の購入履歴をすべてデータ化して利用者ごとにおすすめ商品を提示してきて、私の場合は水木しげる氏の本がずらっと並んでなんだかなぁって気がするのですがそれはこの際置いといて、どの利用者にどのような商品が売れるのかといった統計が完全に出来上がっています。これは広告にも応用されており、その広告をどのような人へ、どれくらい、どんな場所で見せれば販売に結びつくかなども全部調べ上げられており、それゆえに米国の広告業界などはGoogleなどを目の敵にしているそうですが、電子書籍化した場合にその本につけられる広告もこのようにデータ化され、載せたところで意味のない広告なんかもはっきりしてしまうでしょう。

 こういった点から考えると、やはり出版社や新聞社からすると電子書籍はまだ未知の部分が明らかに多い分野で、少なくとも積極低に乗り込む世界と思わないのは自然な気がします。ただ先ほどの広告に関しますと、多分もう出来ていると思いますけど利用者ごとにあった広告が電子書籍中にも自動的に表示されるシステムなどを利用すればまだ未来がある部分もあります。もっとも今よりかは確実に広告料は減るだろうけど。

 最後に私事ですが、どうも先週から中国から日本へのインターネットアクセス環境が悪くなっております。30分くらい完全につながらなかったりすることが頻繁にあり、前もブログ記事を書き上げたのに送信が出来ないことがありました。スカイプはずっと使えるし中国のサイトにはアクセスできるのだから今のインターネット環境が悪いというわけではないと思いますが、今度世界でプロトコルが更新されるのと関係があるのだろうか……。

2011年6月4日土曜日

文芸春秋の電子版について

 ひとつ前の記事に続いてまた電子書籍についてです。
 すでに私が八年間も購読している文芸春秋が今年二月になり、電子書籍を出すようになりました。このニュースは昨年から中国で働き始めた私にとっても朗報で、海外でも読めるというのであればありがたいことこの上ないとかねてからいろいろと情報を集めていました。

 ただ先月号まではちょうど日本からあれこれ物を贈ってもらう際に通常書籍版を混ぜてもらってたので、買う必要に迫られることはありませんでした。ただ現在本屋に置かれている6月号に関しては未だ通常書籍で手に入れておらず、なおかつこの後も手に入る予定がなかったことから一つ試してみようとすでに調査済みの電子書籍販売サイトに今日行って見ました。
 文芸春秋の電子版は現在三つのサイトで販売されており、そのうち一つはAppstoreなのでアップルの周辺機器を持っていない私では利用することが出来ず、もうひとつのzinioというサイトは当該地域の各国語で表示され、なおかつ支払い方法が人民元になることからこちらも外し、最終的にマガストアというサイトを経由して購入することにしました。

 こちら電子版の文芸春秋は海外居住者にしか販売されておらず、値段も日本での通常書籍版860円に対して1000円です。前回の記事では散々値段について文句を言いましたがこちらは月刊誌なんだし、海外居住者限定ということでこの値段についてはそれほど不満はありません。第一、前回記事で不満だったのは勝手に値上げされたことだし。
 ただ購入する直前、いくつか気になることがありました。折角なので下記に列挙します。

1、ダウンロードは問題なく行えるか
2、データの管理はどうなのか
3、パソコン画面上だと読み辛くはないか


 当たり前と言えば当たり前の心配で、もしよければ誰か感想を書いてこの辺がわかればいいなとあらかじめ探しはしたのですが、結局どこもなかったので結局自分が人身御供とばかりにこの際1000円払って確かめてみました。

 まず一番目のダウンロードについてですが、中国のインターネット環境は国内ならまだしも海外となると速度が不安定でなおかつアクセス禁止となっているサイトが多々あります。そういうのでダウンロードは問題なく行えるか、また時間がかかり過ぎやしないかと心配でしたが、これはノープロブレムでした。ダウンロードにかかる時間はせいぜい2、3分程度で、恐らく電子書籍を見るためのビューアーを開くのに2、3分程度かかるだけでした。ただこれは逆に言うと1ページ開くごとにそのページデータをいちいちダウンロードしているということで、これは後でも述べますがいちいちページをめくるたびにローディングが発生します。

 次に二番目ですが、eBookjapanだと電子書籍データを丸ごとパソコンに入れてみようと思えばいつでもそのパソコンでタイムラグなしに読めるのですが、こちらのマガストアはいちいちデータをブラウザに送り込んで読む形式らしく、データは常にサーバー上にあるようです。この形式だとダウンロードに大幅に時間がかかるのではと心配してましたが、上記のように1ページごとなので問題ありませんでした。

 三番目の心配ですが、これは見事的中でした。というより、マガストア自体の管理に疑問を覚えました。
 基本的に電子書籍を見る際はそれぞれのサイトが用意したビューアーソフトが用意されており、eBookjapanのようにあらかじめ利用者のパソコンにインストールさせておくものもあれば、Flash playerを使ってブラウザ上で起動させるものもあります。私はこれまでにいくつかの電子書籍サイトでいろいろ試してみましたが比率的にはFlash playerを利用するものが多いように思えますが、見たい時にタイムラグなし、しかもネットに接続する必要もないeBookjapanの「edi.BookReader」が今のところ不満もなく一番満足するソフトです。

 それで今回のマガストアのビューアーなのですが、正直クラフトマンシップが何も感じられず、とりあえず見れるソフトを用意しただけというひどいレベルのものでした。まず一番不満なのはページの拡大率で、ただでさえ文芸春秋は縦書き三段で文字がびっしりしている雑誌の上にノートPCの画面で見るのだから相当拡大しないと文字が読み取れないのですが、かなり腹立つことにページを切り替えるたびに拡大率が初期設定(120%)に戻されてしまいます。私の所感だと最低でも200%位じゃないと読めないのに、ページをめくるたびにマウスホイール動かして拡大率を変えるのはかなり面倒です。さらにこの拡大率、直接入力すればどの拡大率でも反映されますがマウスホイールだと100%→120%→140%……と20%ずつ増えていくのに何故だか200%の次はいきなり300%に飛びます。個人的には240%くらいがベターだと思うのに。

 あまりプログラムの知識がないにもかかわらずこういうこと書くのは良くないかもしれませんが、拡大率の維持くらいちょっと弄くればすぐ出来るようなことなんじゃないかと思います。しかもマガストアはどうもこの拡大率の維持がされないという問題を認識しているにもかかわらず放っておいてる節があり、サイトのFAQを見てみるとiphoneやipadについては対策を書いているにもかかわらずPCについてはノーコメントです。これ間違いなくわかってて放置してるだろ。

 はっきり言って、拡大率が維持できない電子書籍のビューアーに出会ったのはのはこれが初めてです。さらに言えばほかのどのビューアも画面左側で左クリックすれば次のページ、右側なら前のページに移動して当たり前なのに、このマガストアのビューアはそんな機能すらなく下部にあるボタンをいちいち押さないといけません。挙句の果てにはコンフィグメニューすらなく、間違いなく最低レベルのビューアーと言っていいでしょう。
 さらには1ページごとにデータをダウンロードするので、起動時には時間がかからないもののページを切り替えるたびに少々ローディングが必要になります。そんな時間がとられるわけじゃないですがさすがに毎ページでこれが続くのかと考えるとちょっとうんざりしてきて、結局数ページ見ただけで今のところ止めてます。

 こんな具合でよくこんな体制でサービスを開始できたものだと結構呆れていたのですが、よくよくヘルプページを見てみると運営主体が電通だと書いてあって「だからか」と得心しました。あのセカンドライフをごり押ししただけあって如何にも電子書籍サイトを形だけで作っただけのようで、どうも真面目に運営する態度が見られません。文芸春秋社も、もう少し相手を選べよ。

 と、愚痴が多くなりましたが今回の件は全く収穫がなかったわけじゃなく、ちょっと気になるトピックがいくつか出てきました。何が気になったかというと電子書籍版の文芸春秋は恐らく通常書籍版では広告が載せられていたと思われる箇所が空白(文芸春秋社の会社ロゴだけついてる)になっており、ふと「電子書籍の広告はどうなるのだろうか」という疑問がもたげてきました。この辺については次回の記事にて別トピックとともに取り上げます。
 あと文芸春秋では毎号ペットと作家が一緒に写真撮って載るコラムがあって今月は佐藤優氏でしたが、「猫は人と違って裏切らない」と確信犯的に笑わせてきてました。それにしてもこの人、猫飼いすぎ。

電子書籍、想定外の値上げ

 かつてライブドアがニッポン放送買収を仕掛けた際にホリエモンが繰り返し「想定内」という言葉を使ったことから、この言葉は見事その年の流行語対象に選ばれることとなりました。ただ当時受けてた授業の講師も、「最近は想定外の時も想定内と言うようですね」と皮肉言ってたが。
 翻ってみて今年、私は今度は「想定外」というこの言葉が目下の流行語大賞候補ではないかと見てます。かつてないほどの大震災に加え東電幹部らが繰り返し「想定外」という言葉を使って対応遅れの言い訳を使っているのはもとより、一昨日の不信任決議とその後の帰結も鳩山前首相や自民党にとって想定外といえるような事態で、なんか今後もこういうことがしばらく続きそうに感じるからです。

 話は変わりますが本日、上海は日本の梅雨のようなシトシト雨日和で、予報だと明日も一日中降ってるようです。さすがに夕方からは気温も下がってきましたが昼間は蒸し暑くて外出する気も起きず家で不貞寝してましたが、暇つぶしに誰かいないものかとスカイプを開けても見事なくらいに誰もいなくて四六時中暇でした。そんなわけだから今度小銭が入ることとなったので、すこし贅沢して電子書籍で漫画を買い集めて読んでようかと思って昨日からいつも使っているeBookjapanを見てました。
 すでに過去の記事でも言及してますが以前にもここから押切蓮介氏の「でろでろ」を買っており、今回も続きを買おうと検索してみたところ、何故だか知りませんが作者名でもタイトル名でも引っかかりません。しょうがないので全巻セットが確か出ていたからそこで五十音順に捜し出して開いてみると、一目して唖然としました。

「525円?( ゚д゚)」

 私が以前、ってか先月に「でろでろ」の七巻と八巻を購入した際は一冊420円(税込み)だったところ、何故だかすべての巻で525円に価格が変わっていました。一体何故なんだ(#゚Д゚)、と思うのと同時にもしかしたらこの値上げが影響して先ほど検索に引っかからなかったのではないかという疑心が持ち上がってきました。
 正直に言って、この値上げは私にとって不満この上ありません。確かに値段を決定するのは売り手の勝手ではあるものの予告もなしに、ついほんのちょっと前までに420円だった書籍を突然525円にするなんて今更買うのが馬鹿みたいに思えてきます。前もって予告してくれていたのであれば気に入った作品だっただけに全部買っておいたものを、ちょっと今回の値上げで買う気すら失せました。

 第一、この値段自体ちょっと疑問符がつく値段です。Amazonを確認すればわかりますがこの本の定価は一冊540円で、eBookjapanの価格の525円とは15円しか差がありません。「でろでろ」自体は2009年に連載を終了しており、最終巻を含めて決して新しく出たばかりではないことを考えるとこの価格設定には首を傾げます。現在の状況のように海外にいて本がなかなか手に入らない状態でなければ、525円だと古本屋にでも行って買った方が絶対得だという気がしてなりません。
 逆に、以前の420円という値段は陰ながら実は評価してました。そもそも印刷や物流コストがかからないのであるから電子書籍は一般販売より安くなければおかしく、出版されたばかりの本はまだ仕方ないと思うにしてもすでに古くなっている本についてはスマートフォンなどどの端末でも見られる利便性を考慮しても価格で競争して欲しいという気がします。そのような観点からすると「でろでろ」の420円という価格は古本以上新品以下という絶妙な価格で、さきほどの利便性を考えるなら適度な価格だという風に考えていました。本音を言えばもう少し安くしてくれたらうれしいんだけど。

 ただ今回の妙な値上げは、eBookjapanに対して一気に不信感を持たせることとなりました。というのも「でろでろ」に限らず別の本でも時期によって知らないところで値上げが行われたりするのであれば、今買おうとするその本は以前はもっと安かったのではという疑念が付きまといます。言ってしまえば、値上げ後に買ってしまってたらいちいち馬鹿しいです。
 仮にこれが時期によって在庫量が急変動する農水産物やコレクターグッズであれば気になりませんが、在庫なんて切れるはずのない電子書籍でこんなことされるなんて想定外もいいところです。さらに525円なんて価格だったら、日本で古本、いやこの際新品でAmazonで買った方が全然お得な気がします。いざとなれば他のものと一緒に、日本から友人に中国へまとめて送ってもらうことだって出来るんだし。

 と、ここで愚痴を書くだけなら誰でも出来るので、折角だからこの件を直接eBookjapanに問い合わせてみました。まだ返事が着てないので、返事を受け次第に続報を書きます。

2011年6月3日金曜日

昨日の不信任決議に対する中国紙の反応

 三日続けて管首相への不信任決議の話です。ある意味こういう時が政治系ブログの稼ぎ時なので、わざわざ今晩の二次会断って帰宅しました。それにしても今日はビール一杯と泡盛一杯だけでしたが、前のろくでもない日系メーカーだとこの泡盛も一杯と言わず、それもすべて一気飲みさせられてたんだろうな。いつか潰す(#゚Д゚)y-~~。
 話は本題に入りますが、一夜明けて早くも暗雲が垂れ込めてます。

メディアの表現、関知しない…退陣示唆で菅首相(読売新聞)

 まさかとは思いましたが先日民主党代議士会ではっきりと公言したにもかかわらず、退陣する時期について管首相は曖昧に濁した発言を繰り返しております。これについては直接促した鳩山前首相が最も激怒しており、「政治家が公言したことを破るなんてペテン師だ」、「約束を破るなんて以ての外だ」とかなり激しい口調で批判してますが、多分私に限らず「お前が言うな( ゚Д゚)」と誰もが思ったかと思います。ここまで自分の発言を気にしない人間というのは一生に一度見れるか見れないかかもしれません。
 ただ管首相のこれらのはっきりしない態度は、私にとっても非常に不満です。すぐに辞めることがわかっている首脳に会う外国首脳なんているはずもなく、居座る分だけ日本は外交上で損失を受け続けることとなります。また引用記事では「メディアがどう表現するかまで、私がどうこうすることではない」と発言したと書かれていますが、海外メディアに対しても同じことが言えるのかと直接問いたいです。恐らくほどんどの海外メディアは数ヶ月以内には退陣するといった論調で各国ですでに報じており、それをメディアが勝手に報じただけだと切って捨てるのであれば唾棄するような人物としか言いようがありません。

 そんな海外メディアの一つというわけではありませんが、折角中国にいるのだから中国メディアが今回の不信任決議についてどう報じたかについて今日は取り上げようと思います。仕事柄、新聞は毎日読んでいるのでいくつか気になった記事を仕事の合間に読んでいましたが、まず言えるのは複数紙が一面に写真付で今回の不信任決議を報じており、中国側も今回の一件強く注視していたのだなと感じました。それで記事の内容ですが、読んでるのが経済紙ばかりなので単純に経過と結果を報じているものが多いものの、中にはなかなか痛い所を突いてきている記事もありました。

 ある新聞では、そもそも日本の国家体系は官僚組織が大きな権限と力を持っており平時を切り盛りするのには強いものの、国家戦略を変更したり突発的な緊急事態の対応には弱い体制であると指摘した上で、この体制を改革というか破壊しようとしたのはほかならぬ小泉元首相だったが、その後毎年首相が交代するのを見るにつけ彼の試みは失敗に終わったと断じています。そのようなな官僚制の強い体制ゆえに今回の震災に対して満足に対応することは出来ず、恐らく今度また首相が変わったところで復興対策の速度が変わることはなく、管首相は「国家体制による新たな犠牲者」となったと評価していました。今まで考えたことのない視点であったので、新鮮で面白い論評です。

 またこれとは別の新聞では今回の不信任決議について細かく経過を記しており、「管直人VS鳩山由紀夫 緊迫の20分間」とサブタイトルをつけて両者の発言を細かに記してありました。内容を見る限り、日本で報道されている通りで特に変な付け足しとかはありません。
 それでこっちは管首相がいつ辞めるのかについても言及しており、さらには「管首相後」を巡って政治騒動がまだしばらく続きそうだと予想してます。その管首相後については面白い言及があり、政権後退前に管、小沢、鳩山で自称トロイカ体制を名乗っていた昔日の「鉄三角」関係は崩れてそれぞれの派閥同士で暗闘を繰り広げているとし、それが今度新総裁を決める際に大きな要素になるとしています。

 新総裁の候補としては、日本の調査結果を引用したのかは知りませんが枝野官房長官が意識調査で首位となっていると紹介し、彼は震災後に毎日会見に出たことから知名度は抜群であるものの、日本は首相公選制ではなく政党内にある派閥の力関係で総裁が決まるため彼の可能性は低いとしています。
 それ以外の候補としては原口氏、前原氏、もしくは小沢一郎自身がなっちゃうかもとまとめていますが、まぁ順当な候補予想だとは思います。ただ私はそれ以上に、この記事で日本の首相は派閥の力関係で決まるという一文を見て、ちょっとはっとしたような気がしました。

 というのも、今の構図が本当にかつての自民党派閥政治とよく似ているからです。「自民党をぶっ壊す」と主張して総裁に就任した小泉元首相以後の自民党は派閥の力が激減してかなり世論を気にして総裁を選ぶようになりましたが、今の民主党は管、小沢、鳩山系の派閥単位で抗争を繰り広げており(鳩山派はあっちいったりこっちいったりしてるけど)、総裁もこれまで、そして今度もこの力関係でほぼ決まると言って過言ではありません。私の考え過ぎかもしれませんが、かつての派閥政治が復活しているのではと伺わせるこの指摘は個人的に結構ショックでした。

 最後にこの中国紙の枝野幹事長についての紹介ですが、「彼はブッダのような大耳の47歳の政治家」と書いてあって、読んでてちょっと笑いがこみ上げてきました。日本語だと「ダンボのような」という表現を使いますが、中国語はブッダを比喩対象として使うのだと勉強になったともに、折角手塚治虫原作のブッダの映画が公開されているのだから枝野氏もブッダキャラとして売り出してけばいいのではと思った次第です。どんなキャラなのか自分にもよくわからないけど。

2011年6月2日木曜日

管首相への不信任決議と辞意表明について

 既に報道でも報じられててこのブログの閲覧者もこのネタが期待されているかと思われますが、昨日自民党から不信任決議が提出されたことを受け、民主党内の分裂を懸念した管首相は震災対応にめどがついた時点で辞任する意向を表明しました。この管首相の辞任表明を受けて当初不信任決議に賛成すると発言していた民主党内の議員らは反対に転じたことから決議自体は否決されたものの、私個人としてはなかなか残念な結果に終わりました。
 なお昨日にも不信任決議について記事を書きましたが、私はてっきり批判的なコメントとかが集まるのではないかと懸念していたもの何一つコメントが来ず、余計な心配をしたもんだと少し反省しました。ちょっと話が脱線しますが、政治系のブログを書こうというのならこういうある程度批判されることを覚悟する必要があり、あまりそういうのに耐性がない人は避けとくのが無難な気がします。

 それで本題に入りますが、結論から言うと残念ではあるものの管首相の決断も理解できなくないというのが本音です。何でも昨夜は国民新党の亀井党首に政治的空白を作らないように辞任を促され、今朝には鳩山前首相からも党内分裂を回避するためにも辞任するよう説得されたと聞きますが、鳩山前首相に対してはさすがにお前が言うなという気持ちがするものの、亀井党首については以前からあまり好きではない政治家ではあるものの今回の管首相への説得にはまだ道理があり、それを受け入れた管首相も事ここに至って混乱を最小限に食い止めるためには無理もない決断だったように思います。
 私は昨日の記事で否決されるのではと予想を書き、もし可決されるのなら解散を打つべきだと書きましたが、否決されても民主党は分裂し、大きな政治的空白が生まれてしまいます。そういう意味では今回の管首相の決断はベストまで行かずとも、本当にしょうがなかったんだなぁという気がしてなりません。

 以上のように管首相に対して今回私は深く同情しますが、決議後に参議院の輿石氏が言っていた様に辞意を表明した首相が長く居座ると外交に影響するという言葉の通り、言ったからには早期に退陣するべきだという立場をとります。やめる時期についてはやはり二次補正予算案を通過させたあたりがベストで、通った後であれば今月中にでも辞めるべきでしょう。

 ただ問題なのは「管首相後」で、中国の報道でも後継を巡って暗闘が続くだろうと早くも指摘されております。今回分裂を免れたことで恐らく民主党内から後継候補が出てくるかと思いますが、はっきり言って今の民主党に首相足りえる人物がいるかといえばあまり浮かびません。敢えて挙げれば岡田氏がまだマシかと思いますが、今回の騒動を経て小沢派が影響力を持つことを考えるとその芽はありません。となると残りはってことですが、恐らく仙石氏、枝野氏、玄葉氏などが挙がって来るでしょうが、多分名前が挙がるだけで終わるでしょう。あまりにも早い予想をしてもしょうがないのでここら辺で切り上げますが、恐らく小沢派に近い人間が出てくるのではないかと予想してます。

 最後に今回の管首相の辞任で、一番喜んでいるのは自民党でも小沢一郎でもなく、多分東電じゃないかと思います。私が今一番危惧しているのは、次の首班が東電に対して公的資金注入などあらゆる手を使って救命策に走るのではないかということです。あまり疑っても仕方ありませんが自民党寄りの人物ならありえそうですし、連立を組んでもこれが条件として浮上してくるかもしれません。
 私は何も東電を叩けばいいとは思ってません。ただこれまで数々してきた事故隠蔽や今回の対策不備、事故対応を考えると企業文化ともいうべき体質に根本的原因があるように思え、この際に一瞬一撃にて完膚なきまで叩き潰さなければいけないと考えています。首相交代はやむなしといえども、この点だけは譲れません。

2011年6月1日水曜日

管首相への内閣不信任案提出について

内閣不信任決議案、3党で提出…2日採決へ(読売新聞)

 すでに各所で報道されていて皆さんも知っておいでかと思われますが、本日自民党など三党が管首相に対する不信任決議案を衆議院に提出しました。かねてから管首相と対立していた小沢氏らのグループも離党を辞さない覚悟でこの不信任案に賛成するようで、一部の副大臣などはすでに辞表を提出したとのことです。この不信任案に対する私の立場は、こんな時期に政局で行動するなんて以ての外で、不信任案を提出した自民党ら三党を批判するとともに管首相の続投を支持します。

 はっきり言って私は管首相のことをそれほど評価しておらず、一国の宰相としては能力的にやはり頼りない人物だと見ております。しかし現状で首相となる政治家としては管首相がまだマシだと考えており、確かに記者会見などで目が泳ぐなどいろいろ心労がたたっているように見えますが、市民活動家をしてただけあって近年の首相の中では相当タフな人物だと評価しております。仮に今の首相が自民党の安倍氏だったら、心労ですぐやられて今頃病院か棺おけの中に入ってそうですし。
 逆に今回不信任案を提出した自民党を見ますと、管政権打倒後で誰が首相になるのかと言ったらいろいろと不安な人物しか挙がってきません。以前に相当口汚く批判した谷垣総裁は鳩山元首相以上、麻生元首相以下程度と思いますし、まだ期待できる石破氏や小池氏などは派閥関係からまずもって首相にはなり辛いですし、それ以外に誰かいるのかと言ったら散々タマ撃ってきただけあってもはや打ち止めです。石原幹事長なんて以ての外ですし。

<内閣不信任案>「被災地に目向けて」怒りとあきらめの声(毎日新聞)

 上記のニュース記事は被災地からの声ですが、私の意見もこれと大体同じです。震災対応でただでさえ忙しい時期なのに政局で行動するのは理解できず、たとえ管首相がどれだけ無能だろうと今国会の間は野党として国会議論で政策を修正していくのが本筋でしょう。特に今回の不信任案で理解できないのが可決後のビジョンが全くない点で、可決後はどのように連立を組むのか、誰が首相をやるのか、どいつにポストが回るのかなどが全く見えてこず、特に自民党は民主党内の小沢派とは不信任案提出前にいろいろ連絡を取っていたようですが前述の石破氏などは小沢氏とは組めないと主張しており、事実自民党があれだけ批判してきたマニフェストを主導していた人間と自民党が手を組むというのは如何なものかと思います。

 この不信任案は明日衆議院で決議されるようですが、私の勝手な予想だと否決される可能性が高いのではと見ております。根拠は小沢派が賛成に回ったとしても依然と民主党は大半の議席を持っていることと、どう見ても政局を優先したとしか思えない今回の提出に対してやはり批判が大きくなるのではないかという理由からです。あくまで勝手な予想ですが。
 もしかしたら自民党としては否決も織り込み済みなのかもしれず、事実一部で一つの締めくくりとして提出したとの声も出ているようですが、だとしたらますます政局のみで動いていることになり、否決となれば世間からの批判が集まり谷垣総裁への責任論が自民党からも出てくると予想されています。私もこれに同感ですし、自民党もさっさとこの人を引き摺り下ろしたほうがよいのではないかとすら思います。

 最後に、もし可決されたとしたら私は管首相は解散を選んでも良いと思います。それこそ選挙になって余計な混乱と時間の浪費につながるのではないかと言われるかもしれませんが、恐らく自民党はそのような批判を恐れて管首相は総辞職をせざるを得ないと考えてこのタイミングで提出してきたのだと思います。しかし提出するからには解散の覚悟があって然るべきで、管首相はあくまでそれを受けて立つだけです。むしろここで一挙に政界再編を行ってもこの際いいような気がしてきました。
 結果は明日ですが、果たしてどうなることやらです。