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2022年7月27日水曜日

旧統一教会の名称変更の黒塗りは逆にヤバイ


 今日も名ばかり管理職(リアル)なのに頑張って残業したため眠いのでささっと書きますが、自分は統一教会が名称を変更したのは相続をめぐるごたごたでそこまで大きな背景理由とかはないのではとこれまで思ってました。ただ今日報じられた上の記事によると、名称変更理由に関する決裁文書の開示を請求したら、黒塗りででてきたそうです。
 これって逆に言えば、公にできない理由があるということがはっきり示されているようにしか見えません。っていうか黒塗り開示文書って、森友以来じゃないのか?

 そんな大ごとだとは思っていませんが、政治的力学が働いて名称変更が承認された可能性がかなり出てきたと考えています。自分が思っていた以上に自民と統一教会はずぶずぶだったようで、二股かけられた公明党とかもっと怒るべきだと思います。
 もっとも野党も結構ずぶずぶだったとみられ、どうもこの統一教会関連の自民党への批判は歯切れが悪いです。っていうか韓国がカルト扱いしている教団をなんで日本が保護してんのかって前から言いたいです。

2022年7月23日土曜日

宗教だったら詐欺をやってもお咎めなし?

 昨日の記事で私は、カルトか宗教の違いはその国の政府がその教団の布教や信仰行動を犯罪とみなし、規制するかによって大きく左右されるという見解を示しました。その点で社会問題を生む宗教を特に規制もせずに放置していた場合、政府の責任は当然重いとし、宗教統制というのは国家にとって非常に重要な仕事の一つであるはずという風にも言いました。

 では国が教団をカルト認定するに至るきっかけや分岐点というのはあるかってことですが、はっきり言えばあります。それは何かというと、その教団が殺人事件を起こしたか否かです。

 日本でこれまで実質的にカルト認定を受けて教祖の逮捕を含む宗教活動の制限が課された団体として、オウム真理教やライフスペースなどがあります。両者ともにその活動において信徒または親類関係者の殺害事件を起こしており、「治療行為の一環であった」と主張したもののそんな言い訳通らずにカルト認定を受けました。
 思うに、現代日本政府が宗教を明確に規制するに至る大きな一手は、殺人若しくは死亡事件が起きたか否かです。逆を言えば、誰か死なない限りはカルト認定されてその活動が制限されることはほぼないのではと思う節もあります。

 具体例を挙げると例の統一教会は、過去にっていうか今でもそうでしょうが、霊感商法と言って先祖の罪を払うとか悪霊を風時kめるなどと言って、壺などをあり得ない金額で信者に買わせたりして社会問題化しました。仮にこうした行為が宗教団体ではなく、一般企業が行った場合、消費者庁などに訴えられたらほぼ間違いなく景品表示法違反などで詐欺罪に検挙されることでしょう。
 ちなみにマジで立件とされたら、被告はその壺に悪霊を払う効果が実際にあるのかなどで、科学的な立証とか求められるのだろうか。どういう風に検証するのか気になるので、誰かやってみてくれないかなぁ。

 話を戻しますが、一般企業が悪霊払うとか、ご利益があるからと言って法外な料金で商品を買わせた場合、金額によっては「悪霊退散効果には個人差があります」などと注意書きしていても、捕まる時は捕まります。しかしこれが宗教だったら、やはり信仰行為の一環としてみなされるのか、どれだけ法外な金額であっても立件されるケースは私が見る限り少ない気がします。そのため言い方は悪いですが、宗教を盾に取れば詐欺行為を働いても、取り締まられるリスクは目に見えて減らせられるような気がします。

 その上で最初の話と組み合わせると、宗教は殺人を犯したら一発アウトでカルト認定されますが、詐欺事件だったら、少なくとも統一教会の例で言えば、それだけ起こしてもカルト認定されないし、立件リスクもかなり減らせられるっていう結論に至ります。商売的にかなりぼろいです。
 実際オウムもヨガ教室から金稼ぎ目的で宗教化していった、っていうか浅原自身が「宗教だと儲かる」と口にしています。こうした不逞な輩を取り締まるためにも、宗教団体による詐欺行為の摘発や捜査をもっと強化するべきではないかと思います。

 具体的には、悪霊払いの効果測定とかご利益検証を、薬事法みたく審査会設けて実験すべきでしょう。自分で書いてて、オカルト研究家が喜びそうな企画である気がします。

2022年7月22日金曜日

カルトと宗教の違いとは?

 前略、安倍元総理の銃撃事件以降に統一教会がクローズアップされて、自分的にはかなり久々にカルトという単語をよく見る時代になったななどと感じています。っていうかそういうことどうでもいいから仕事減らしてほしい(´;ω;`)ウッ…
 仕事は減らないけどブログは続けなきゃいけないし、明日も休日作業に追い込まれてる上にJBpress用の記事とか講演用の原稿も書かないといけないけど、このところカルトという単語を見ていて、カルトと宗教の違いというか区別する点はあるのかと思うようになってきました。見た目的には、

カルト=やばい
宗教=市民権を得てる

 的な感じに見えますが、「やばい」の基準がやっぱり曖昧な風に感じます。というのもカトリックやプロテスタントなどについてもやばい団体と思う人もおり、実際宗派によってはかなり過激な連中もいます。
 あとイスラム教に関しては、カルトと呼ぶ人はいないけどニューヨークの事件の後なんかは「テロリスト」と見る人が多かったなと今思い出しました。うちの親父がアラブ人みたいな顔してて会社でのあだ名がマジで「ビンラディン」だったのはずっと覚えてるけど。

 では敢えてカルトと宗教を分けるとしたら、その区別するポイントはどこなのか。いくつかトピックを考えてみました。

1、信者を不幸にさせるのがカルトなのか?
 基本的に宗教は信者の幸福願望をもたらすことがお題目です。キリスト教の様に死後に幸福になる(天国に行ける)と謳うのもありますが、基本は現世利益か来世利益をもたらす教えを広めているだけに、金を巻き上げられて信者が不幸になる場合は宗教ではなくカルトと捉えていいのかなと最初思いました。
 ただ、よくよく考えると散々金を巻き上げられて生活が破綻しながら、「幸せです」と言い切るカルト被害者もたくさんいます。そう考えると個人の幸福感でもってカルトか宗教かは推し量れないでしょう。

2、金を巻き上げる教えはカルトになるのか?
 今話題の統一教会なんかまさにこれというか、営利団体の如く金に対する執着が強く信者からがつがつお金取ります。こんな感じでお金ばっかとるのがカルトと定義できるかと言ったら、実際はそうもいきません。
 仏教にしろキリスト教にしろ、多かれ少なかれその運営はお布施頼みであり、強制されてなくても家財全部捧げる信者もいます。そういう意味ではお金をどれだけとるかでカルトか宗教かは推し量れないでしょう。

3、教えが非科学的なのはカルトになるのか?
 自分で書いててなんですが、科学的な教えってそもそもあんのかよって話です。基本的に宗教は非科学的な話の化身みたいなもので、筋道が立ってるとか立っていないかとかで、まともな宗教なのかカルトなのかって区別できるものではないでしょう。

 以上の様にいくつか挙げましたが、敢えて極端な比較をわざとやりましたが勘のいい人ならわかる通り、カルトと宗教というのは文字通り紙一重な差しかありません。そもそも現在のカトリックやプロテスタントも成立当初は完全にカルト扱いされてましたし、我らが仏教は伝来時こそ割と穏やかでしたが、平安時代の強訴なんかはカルトを通り越したヤクザな行為だし、戦国期の一向一揆なんかもはや軍隊です。基本的に現在一般的な宗教も、特に成立当初は多かれ少なかれカルトとされる特徴を過分に備えており、両者を明確に分けるさというのは少なくとも信仰や布教行為においてはほぼないのではないかと思います。

 ではそれでも何故現代において、カルトと宗教という言葉が分かれて存在しているのか。ほとんど同じなら同義語として成立してもいいはずですが、やはり分かれています。
 ここで結論を言うと、両者を決定的に分けるのは、その団体が犯罪行為に係っているか否かが最大のポイントだと考えています。さらに言えば、その犯罪行為を定義するのはいつの時代であろうと国家であり、言い方を変えれば、国家がその活動を認めれば宗教、認めなければカルトという定義になると言えます。

 現代日本でカルトとくればまずオウム真理教で、現在も後継団体は存続していますが公安の監視対象とされており、一般人も宗教というよりはカルトとしてみなしているでしょう。このようになっているのも地下鉄サリン事件をはじめとする過去の犯罪行為が原因ですが、こうした犯罪行為が露呈するまでは、危ない連中とは思われながらも、一応宗教として見られていたのではと思います。

 もうひとつ例を挙げると、大分前にライフスペースという団体が以前あり、この団体では重病の患者をシャクティパットで治療すると称して連れ出し、その後の患者の死亡を直接誘引したとして教祖が逮捕されました。この団体も当時はカルト団体などと言われましたが、やはりそのきっかけは彼らが治療行為と称する行為が犯罪行為として立件されたからで、先のオウムといい、その団体の信仰や布教などの宗教的行為が犯罪行為と認定されるのがカルトとして認定される一番のポイント担っているように思えます。
 さらに言えば、国が犯罪行為が存在すると認定した宗教団体は、ほぼ例外なく監視や活動制限など、国からの弾圧を受けることなります。こうした点などから言っても、究極的にその信仰団体が宗教かカルトかを決めるのは、国(政府)の判断次第だという風に思えてきます。言うなれば、国が認めれば宗教行為で、認めなければ犯罪行為となるといったところです。

 そもそも、政治の「政」とは「まつりごと」と読み、当初の政治は文字通り宗教統制が肝でした。江戸時代においても寺社奉行が旗本最高ランクに置かれるなど重要視され、宗教というのは歴史的に国が管理、統制するものであり、「宗教であるか」の定義も、突き詰めれば国家が決めているような気がします。
 そういう立場に立つと、国内で邪教が広まる場合、その責任はやはり国がきちんと管理統制していないせいだとも言える気がします。実際そういう立場で、先ほどのオウムやライフスペースなどの団体は活動が制限されているわけだし、カルトを国内で流行ってしまうのは国がきちんと取り締まれていない証左にもなってくるでしょう。思想の自由があるとはいえ、特定宗教団体絡みで被害者を生む、増やす場合、国が何も対策を採らないのは文字通り「政道」から外れると言えるかもしれません。

 そこで統一教会に戻すと、ここはまさに霊感商法の総本山な団体ですが、少なくとに日本では彼らの集金活動は社会問題にはなったものの、犯罪行為としては未だ認定されていません。そのため、上記の私の定義ではカルト認定も受けず、今も昔も信者の親類縁者を中心に、明確に被害を被ったと主張する人間を増やし続けていますが、事実上、国は黙認を続けたまんまです。なので統一教会、というかその後継団体がカルトかどうかって話で言えば、少なくとも日本ではまだカルトとは呼べないでしょう。

 ただ、カルトではないから統一教会は真っ当な団体と言えるかと言ったら話は別で、私に言わせれば日本社会に負わせたコストで言えばカルト認定されたライフスペースなんかを遥かに上回るし、存在しなければ、規制されていれば死なずに済んだ人間もたくさんいたと思います。単純な損得勘定で言えば支払うコストの方が大きい団体であり、信者に対する精神的衛生ケアを考慮したとしても、国家運営面ではいない方がマシな団体だと考えています。
 これらを踏まえて言うと、そんな赤字事業部みたいな統一教会を放置し続ける日本政府に関しては、単純に運営者としての資質も疑うし、宗教統制という政治の重要な仕事を怠っているという風にすら思っています。金の話をすると、一体こいつらを介してどれだけの金が日本から韓国、そして北朝鮮に流れたんだって言いたくなるし、思想の自由云々以前に、その活動や送金を規制せずに放置し続けたのは怠慢以外の何物でもないとすら思います。極端なこと言えば、目の前にアルカイダがいるけど何もしないで見つめている、ただそれだけのような感じです。

 まぁ統一教会が放置され続けたのは言うまでもなく、政治の力が働いているのは間違いないです。岸信介との関係は言うに及ばずで、政治とは無関係と言っている人間がいたらもうそいつの言うことは一生効かなくてもいいくらいの周知の事実です。その放置、っていうか保護してきたツケが回り回って、安倍元総理のところで破裂したいうのも過言ではないとすら思います。

2022年7月19日火曜日

何でも中国のせいにしとけばいい

 本題と関係ないですがどうもJBpressのサイトが中国政府によってアクセス禁止対象になったのか、先週からVPNなしでは見られなくなりました。自分の中国マフィア記事が刺激したとでも言うのか(´・ω・)

中国より恐ろしい「ESGの罠」、大統領が逃亡した破産宣言スリランカの誤算(JBpress)

 話は本題ですが、このところ読んだ中で非常に感銘を受けたのが上の遠藤氏の記事、でもってその記事をさらに補足的に追加したのが下の杉山氏の記事です。

 先日、国家破産したスリランカについて日系メディアはみんなして「中国の債務の罠に陥ったせいだ」と中国のせいにして批判してましたが、遠藤氏の記事が出るやその手の主張が一瞬で消え去りました。実際に遠藤氏や杉山氏が指摘しているように、スリランカの中国からの借款比率は実はそうでもなく、また国家破綻を直接誘引したのはESGの罠こと、現実度外視な化学肥料の使用禁止、有機農法の強制にあったことが間違いないでしょう。
 にしても未だに社会主義国家みたいなことしてたんだなスリランカ。

 私自身もあまりスリランカ事情に詳しくなくて当初は中国の借款が破綻理由になったと思っていましたが、両氏の主張と裏取りからすると、この認識は明らかに間違いでした。では何故他の連中はみんな中国のせいにしてたのかって話ですが、まぁぶっちゃけなんでも中国のせいにしとけばいいって話なのでしょう。
 中国を悪者に書いたところで日本で非難する人はいないし、またアクセスも確実に稼げます。なので破たん原因の詳しい検証もせず、中国が借款していたという事実だけを結び付けてああいう記事や主張が出回っていたのでしょう。せっかくだから中国借款説を挙げてた人をまとめておきます。



 また上の記事は近藤氏の記事ですが、内容はというと「スリランカを破綻に追い込んだのは中国と言われているが、破たんされて困るのは中国」という事実をうまくまとめています。特に3ページ目の中国融資ハイリスク国ランキングは一見に値し、やっぱりこういう数字をちゃんと出さない記事というのはあまり信用すべきじゃないなと思えてきます。っていうかJBpressのライター、このところみんないい記事書くなぁ。

2022年7月18日月曜日

円安と暗殺

不況の最中に規模拡大、三井財閥トップを襲った血盟団事件(JBpress)

 というわけで泣かず飛ばずに終わったこの連載の3本目ですが、目下の問題はこの仕事でクソ忙しい中でどうやって次の記事を書くかです。強気に出て言うと、今の自分の作業内容と作業時間をぶつければ、人一人廃人にせしめることも可能だと思います。しかも身内の裏切りによって、本来不要な作業を増やされていたことが今日分かるし。

 文句ばっか言っていてもしょうがないので記事について少し触れると、この記事では昭和期における金本位制復帰に纏わるドタバタで、財閥がドル買いしてしこたま儲けたエピソードを載せています。この辺りの内容を書いてた最中、ちょうど今の日本の空前の円安が続いていただけに、なんか現実と被るよね的に一人で思ってました。
 その後、血盟団事件の団琢磨暗殺について書きましたが、タイミングが重なったというか、安倍元総理の銃撃事件がこの前起きて、世相的になんか当時と被るところがあるのかと思うところがあります。まぁ偶然だろうけど。

 もっとも昭和前期は文字通り餓死者も出るほど経済の混乱が極まってたことを考えると、現代は円安とはいえまだまだ余裕のある状態です。っていうか今の日本の物価上昇率は中国だと例年レベルなだけに、これくらいでガタガタ言うなとか内心思います。

 一例を挙げると、今住んでいる部屋は6年前に借りてずっと住んでますが、家賃は月4300元(8.6万円)でした。大家に言われたわけではないものの、周りの家賃も上がり続けていることから2年経過ごとに200元ずつ自主的に引き上げており、現在は4700元(9.4万円)です。部屋によってはもっと上昇率の高い部屋もあると思われるし、家賃に限らず飲食費もどんどん上がってます。
 もちろん中国全体の所得も上がってはいますが、日本の場合はなんか中抜き業者の実入りだけが上がっているように見え、この辺でスタグフってるのかなとか見ています。真面目に日本経済を見る上で、尼崎市を始め、中抜きエコノミーは語らずにはおけないくらいでかくなっている気がします。

2022年7月16日土曜日

マミる

「仕事が忙し過ぎて、マミりそう(ヽ´ω`)」

 昨日、WeChatで友人に送ったメッセージがこれですが、この「マミる」という動詞は某「魔法少女まどか☆マギカ」というアニメ作品に登場する、巴マミというキャラクターから生まれた故事成語です。どういう意味かというと、さも重要そうなキャラクターが何の前触れもなく突然頭を丸ごと齧られるなどして惨殺されるというエピソードから、突然の退場とか惨め結末に至るという意味合いでよく使われます。なおこのほかにも、「調子に乗って油断したところをやられる」という意味合いでも使われます。

 とにもかくにも自分の今の悲惨な現状を友人に伝えるためにこの「マミる」という言葉を使いましたが、まどか☆マギカが放映していた10年以上前は大変流行したものの、現代においてはこの言葉を使う以前に知っている人もごく限られてきているかと思います。まどか☆マギカは放映時、「エヴァを超えるブームでは?」などとも言われてましたが、エヴァのブーム当時を知っている身からすると話にならない意見で、十年後の現代を見ても、確かに一大ヒット作品であったことは間違いないものの、エヴァほどの影響力には到底及ばないというのが自分の見方です。

 それはさておき、このマミるような描写がある作品が他にないのかなと今回考えてみました。すぐ浮かんできたのは「進撃の巨人」の作者も大好きな「マブラブ」というゲーム作品で、自分は遊んだことがないのですが主人公の指導役となるお姉さんキャラの死亡シーンがまさに「マミる」ようなもので、グロ画像として有名なことからそこだけ動画で見ました。具体的には、戦闘後で油断していたところ、突如やってきた敵に頭かち割られて目玉が飛び出すというショッキングなもので、何より1枚絵とともにこの描写が見せられるので当時のプレイヤーに衝撃を与えたとかなんやら。
 まどか☆マギカといい、ライターはこういうマミる展開が好きなのだろうか。

 もう一つ浮かんできたのは、「ジョジョの奇妙な冒険」に出てくるモハメド・アヴドゥルの死亡シーンです。仇敵であるDIOの館に乗り込む際、仲間のポルナレフに「お前が殺されそうになっても、DIOを倒すのを優先するため助けない」などと死亡フラグなセリフを口にする辺りは前振りありますが、館に入ってすぐに亜空間を操るヴァニラ・アイスの攻撃を受け、とっさにポルナレフを庇ったところ「ガオン」されて、両腕だけ残して一瞬で消えてしまいました。
 第3部冒頭から登場し続けてきた重要キャラクターといい、戦闘シーンが始まる前に一瞬で殺害される点といい、まさしく「マミる」というべき展開で、当時の読者に大きなインパクトを与えました。何気に、自分が人生で初めて読んだ「ジョジョ」はまさにこの回だったので(確か幼稚園児)、めちゃくちゃなインパクトを感じるとともにこの直後にポルナレフが叫んだ「アヴドゥルーー!!」というセリフが未だ目に焼き付いています。そのせいか、物を手元から落とすと未だに「おっと!」みたいな感じで「アヴドゥルッ!」と口にする癖があります(リアル)。

 そう考えると、まどか☆マギカでこの手の展開は有名になったものの、ひょっとしたら「マミる」より早く「アヴドゥる」という単語が成立していたやも知れません。ちなみにジョジョ系の言葉で前からいつか一度は言ってみたいと思っているセリフに「新手のスタンド使いか」というのがありますが、未だ使用機会がありません。個人的に第3~5部は非常にマッチョイムズに溢れた言葉遣いが多くて気に入っており、最近のジョジョはなんか哲学めいたようなセリフが多いのであんま好きじゃないです。
 いやまぁ「もいっぱぁっーーーつ!」など7部は大好きだけど。

2022年7月12日火曜日

心霊写真は何が怖いのか?

 このところ毎日10時間くらいキーボード叩いているせいか、左手が腱鞘炎気味です。具体的には左手の親指と人差し指の間にあるヒレみたいなところが痛く、多分キーボードを打つ時に親指を常にスペースキーの上に載せるよう固定ポジションを保ち過ぎているせいだと思います。変なところが痛くなるもんだ。

 なので書いてて楽しいことでも書こうと思い、何故か心霊写真が浮かびました。夏真っ盛りですが今この時代においては心霊写真はほとんどテレビにも出ず、ネットでも心霊写真系の掲示板はとんと見なくなりました。理由はフィルムカメラからデジタルカメラへの移行の際、幽霊たちがデジタル化への波に乗り切れず、フェードアウトしたためというのが主要な説ですが、単純にデジカメになってフィルム特有の写り込みとかぼやけがなくなって、心霊写真っぽい写真が出なくなったためでしょう。
 というと、これから心霊写真撮ろうってんなら富士フイルムのチェキが一番いいのだろうか。あと今日ニコンが一眼レフの開発中止を発表して、時代の流れ感じます。前にニコン向けのレポートとか書いたりしたけど、「ニコンはミラーレスに乗り遅れている」とかかなりきついこと書いててこれほんまにニコンに出すんかいな度と当時思いました。

 話を戻すと、ほとんど出回らなくなったけど確かに心霊写真見るとぞくっとするというか、恐怖感は覚えます。ではその恐怖感は何かというと、やはり「あるはずもないものがそこにある」という、説明できない認知の不一致が一番大きいのかなと思います。
 というのもこの前、買ったことをすっかり忘れていた小物を引き出しの奥に入っているのを見つけ、「一体誰がこれ置いたんだ?」と考えたら不気味に感じたというか、若干の怖さを覚えたからです。よく窓辺や鏡に人の顔が浮かんでくるというのが恐怖映画とかのお決まりですが、やっぱこういう不意を突くというか、そんなはずないという感覚が恐怖を駆り立てる気がします。

 それ系で言うともう一つ最近同じような体験があり、諸事情から日本でやったことないのに中国でこの前確定申告する羽目になったのですが、初計算の結果、未納分でこれから納めなければならない税金額がかなり想定の上を行く金額で、計算表がはじき出した数字を見て「そんなはずは……」的に恐怖を感じました。と言ってもじたばたしてもしょうがないので払いましたが。
 これが現金だったら多分3日くらい眠れなかったでしょうが、WeChat決済なら現金見ずに払えるので、ダメージもまだ抑えられます。っていうか、幽霊見るより税金額の方が怖い気がする。

2022年7月10日日曜日

安倍元総理銃撃事件はテロか?

 今日の上海は日中の気温が40度を超え、本当に生命の危機を感じるような暑さでした。自宅の電気代がもったいないのと、このところの激務の疲れを癒すためにも午前中に仕事した後で極楽湯に行きましたが、正直湯の中に使ってる方が外で立ってるより体感温度的に楽な感じがしました。


 さて本題ですが結論から述べると上の記事にある姜尚中氏の意見に全く同感で、自分の言いたいことをきちんと言ってくれたという胸のすく思いがします。逆を言えば、他の人は何故同じことを言わないのかという点で、メディアを中心に疑問を覚えます。

 報道されている限り、今回の安倍元総理銃撃事件の犯人は動機について、かつて母親が特定宗教にハマって家庭崩壊したことを恨んでおり、安倍元総理がその宗教の関係者と考え襲撃したと話しているようです。安倍元総理に宗教、それもトラブルと言ったら実質的に統一教会しかほぼ出てこないのですが、事件や選挙の影響を考えてかメディアは当初はこの統一教会の名前を出しませんでしたが、週刊誌メディアが報じてからは段々と活字にするようになってきました。
 こういう横並びなところが、日本のメディアの本当に悪いところだと思う。

 話を戻しますが、犯人はあくまでその宗教絡みの恨みで政治的信条による犯行ではないと述べており、また犯人の少年時代を知る関係者らも宗教トラブルについて言及していることから、動機については犯人が話している通りでほぼ間違いないと思われます。仮にその通りであった場合、今回の反抗理由はあくまで宗教団体及びその関係者らへの怨恨であり、何かしらの政治的信条に根差した(=個人への恨みはない)テロとは一線を画すべき事件だと思います。むしろこの事件をテロと呼ぶことは、本質を見失ってしまいかねない見方であるようにも思います。

 極端な例えを使うと、ある政治的要人に見捨てられた元愛人が恨みに感じて、その要人を刺殺した場合、それを「テロ」と呼ぶかといったら呼ぶわけありません。むしろそんな言い方をしようものなら、愚かこの上ない人間だと言われても仕方ないでしょう。
 ここまで極端ではなく、また今回は選挙戦の最中であったということはありますが、若干逆恨みによるものではあるものの、あくまでその犯行は怨恨に根差す行為であり、政治・思想的目的は何もはらんでいないとみられます。要人が殺されることすべてをテロと定義するのは、やはり強引な見方でしょう。

 むしろ、過去の歴史を振り返ると本当に些細な理由での殺人や破壊事件を「テロ」と定義し、特定集団の弾圧や支配の強化の口実に使われた例は多数あります。実際のテロ事件とかならテロ判事抑止のためそうした統制強化はまだ理解できなくもないですが、何でもかんでもテロと定義する、社会の統制を無駄に強めるきっかけにもなりかねないだけに、今回の銃撃事件に関してはテロと報じるのは正直どうかという思いがします。

 もっとも、仮に犯人が統一教会から過去に何も被害を被っておらず、ネットで邪悪な宗教だと言われているのを見て信じ、今回の犯行のような攻撃をした場合は、テロ行為になるのかなとは思います。この辺、自分でもやや細かいこと言うなという気がしますが、テロという言葉だと明確に「パブリックエネミー」認定となり、特定の人物や団体に対する社会的排他意識が高まるだけに、軽々に扱うべきではないという考えからこのように記事書いています。

2022年7月8日金曜日

安倍元総理の銃撃事件と今後の影響

 昨日に続いて今日もまた大きなニュースですが、すでに報道されている通りに安倍元総理が奈良県で銃撃され亡くなりました。この一方は中国でも非常に大きな驚きとともに報道されており、知り合いの中国人からも詳細や影響についていろいろ聞かれました。
 またさすがに関係ないだろうと思っていたうちの団地のSNSコミュニティの中でも、銃撃シーンの映像とともにこの事件について語り合う人もいてびっくりしました。見られたコメントには、「知らないところで恨みを買っていることもある。人の死は突然だ」などというセリフもあれば、反日動画を貼りながら「お前ら、歴史を学べ」と言っている人もいましたが、概して同情的なコメントが多いです。

 犯人の動機や目的については今後警察が捜査してくものなので自分の方から余計な詮索はしませんが、今後の政局などについて、中国人の友人から尋ねられた内容を挙げながらここで簡単にまとめます。なおその中国人はいつも出てくる調子のいいことばっか言う上海人ではなく、不意に「私の貯蓄残高は53万です」と言ってくるくらい日本語がやばくてインテリな広州人です。
 っていうかこの広州人、日本来るまでに外国はおろか、広東省すら一度も出たことがないと言ってたのにマジビビる(;´・ω・)

Q1、今後の日本の政局はどうなる?
 現在参院選の真っ最中ということもあり、この事件をきっかけに自民党への同情票がさらに集まると思われます。ただでさえ大勝ムードだっただけに完勝にまで行きかねず、憲法改正に必要な議席数確保につながるような大勝利になるでしょう。

 また自民党内でのパワーバランスも大きく変わることは間違いなしです。まず安倍派所属議員はその長を失い、代わりに旗頭となる人物にも事欠くことから、よほどのタレントが出ない限りはかなり割を食う見込みです。中には安倍の威を借る議員もいましたし。
 また別の派閥では、どこが自民党内で主導権を握るかの権力争いが高まるとみられます。具体的には菅前総理VS二階元幹事長の争いが激しくなるとみており、この争いにどう岸田総理が絡むかで、彼の党内ガバナンスが変わってくる気がします。またほとんど安倍総理との仲の良さでやってこれてた麻生氏に関しては、年も年だしフェードアウトが激しくなるのではと見ています。なんかインタビューも今あまり報じられないし。

Q2、自民が大勝となると公明との連立政権は?
 ただでさえ自民の力が強まり公明党の影響力が落ちてきているだけに、憲法改正も絡んで連立に変動が起きる可能性も想定されます。特にその憲法改正絡みで維新の会が自民に接近しているだけに、連立相手の切替えも今後ありうると思います。

Q3、岸田総理と安倍元総理は仲が良かったの?
 第二次安倍政権の発足直後に岸田総理は外務大臣に抜擢され、明らかに安倍元総理の後継者として扱われていましたが、なかなか安倍元総理が辞めないのと、辞めた後に菅前総理を担いだこともあって、この岸田総理の総理就任以降は見るからにぎくしゃくしていました。また安倍元総理も影響力を残そうと、配下の安倍派議員を使って露骨に岸田総理に牽制をかけてただけに、今回の一件は岸田総理の党内ガバナンスを強めるきっかけになるとみています。
 単純に、自民党内で最も力を持つ人がいなくなるわけですから、強まって当然と言えば当然ですが。

Q4、今後日米関係はどうなる?
 安倍だろうと岸田だろうと米国との関係重視の姿勢には変わりはなく、特に変動することはないでしょう。ただ対中国に関しては安倍元総理より岸田総理の方が柔らかくみえます。ただ日中関係を劇的に変えるほどの柔らかさではなく、対中外交についてもあまり変化はないと考えています。

 やはり今後の軸となるのは憲法改正となるでしょう。ただでさえウクライナへのロシア侵攻もあっていろいろ叫ばれる世の中ですし、今回の参院選大勝を受けてこの辺の議論が活発化すると思います。
 自分としてはかねてより憲法改正派で、またこの際に硬性憲法から軟性憲法に変えるべきだとも思っているだけに、そういう方向に世の中動いてくれればと思います。

 さて明日も土曜だけど仕事しなきゃ。。。

2022年7月7日木曜日

「遊戯王」作者の訃報について、あと中国の反応

 すでに各所で報じられていますが、漫画「遊戯王」の作者の高橋和希が沖縄で遺体になって発見されたそうです。夕方の仕事中にこの速報見たときは自分も非常に驚き、さっそく中国の反応はどうかと検索かけたら中国でも日本の報道を引用する形で、即報道されていました。でもってコメント見ると、日本と同じく「死者蘇生」と書いている人が結構いました。

 遊戯王については説明不要かもしれませんが、90年代に少年ジャンプで連載された人気漫画です。自分も連載当時はリアルタイムで最終回まで読んでおり、始まった当初は「なんか『魔太郎が来る』みたいだな」と思ったのをはっきり覚えています。まぁ作者もきっと意識してたんだろうけど。
 この漫画は漫画ビジネスを変えた作品と言ってもいい作品で、マシリトことジャンプの鳥嶋氏によると、少子化で子供の数が減っていく中で部数減少は既定路線だったが、ならばとばかりにグッズ販売に力を入れ始めた矢先、遊戯王カードが大ヒット飛ばして、集英社の過去最高売上げを当時築いたと述懐していました。

 その遊戯王カードですが中国でも人気で、自分も何度か見たことありますがテキストが中国語なため感じびっしりで、なんか読み辛そうだという印象を覚えました。ただ、中国はこの手の対戦系ゲームが大好きだし、またそれまで全国規模でのカードの流通なんてなかったと思うだけに、全盛期のヒットぶりなんかかなり凄かったのではないかと思います。
 なお自分はちょっと世代がずれているため、遊戯王カードは遊んでいません。マジック・ザ・ギャザリングは少しやったけど、なんとなくいいように金を使わされているという感覚持ったので割とすぐやめました。

 それにして、単体の漫画家としては世界最高の収入を得ていたと言われていただけに、多少下世話ですがその遺産、具体的には版権管理などは今後どうなるのか少し気になります。遊戯王カードを刷っているコナミの株価は今日は別に落ちていませんが、権利の行方によってはマジでこの会社の業績に影響しそうなくらい規模でかいだけに、いい方向に落ち着いてくれればとは思います。

2022年7月6日水曜日

また上海市で大規模検査

中国・上海市、集団検査再び実施 住民の大部分対象(ニューズウィーク)

 上の記事などで報じられていますが、昨夜急にほぼ全市でPCR検査を受けるよう強制されました。

 そもそも6月初めの封鎖解放以降、72時間以内にPCR検査受けていないとコンビニにすら入れない状態となるため、解放後もPCR検査はみんな受け続けています。なお検査を受けても結果が出るのは翌日となるため、検査ペースとしてはほぼ2日に1回とせざるを得ず、地味に面倒くさいし一回忘れると地下鉄に乗れず出勤もできなくなったりします。

 そんな風にしてPCR検査やりまくってるのに、ここにきてどうもどっかのカラオケ店に寄った人から感染者がでて、昨日当日になって急に昨日と今日とでPCR検査受けろと言い出して、また面倒ごとにつき合わされています。
 このPCR検査ですが、例によって団地ごとに実施されてて、うちの団地では夕方6時半から開始され、これ以降は団地に入ったら翌朝まで団地から出られなくなるほど厳重です。昨日はたまたま自宅勤務だったのでそのまま受けましたが、今日はオフィスに出たため残業せずすぐ帰ってこざるを得ませんでした。

 なお帰宅途中、auじゃないけど通信エラーなのか地下鉄に乗るため健康アプリを開こうとしたらスマホがフリーズして、電源も切れなくなってガチ焦りました。大体10分くらいしてようやく再起動できて事なきを得ましたが、今ここでスマホ壊れたら確実に死にます。

 それにしても先週からようやく飲食店も再開し、プラモも発注翌日に届けられるようになって、ようやく日常が戻ってきたと感じていた矢先にこの大規模PCR検査です。丸々2ヶ月間も人監禁しておきながらいい加減にしろよとつくづく思いますし、また封鎖しようってんならガチで飲食店など倒産ラッシュになって、シャレにならないほどの経済混乱になると思います。
 10月に開かれる次の共産党大会でコロナ封鎖政策の緩和がようやく決定されるのではと噂されていますが、残り3ヶ月とはいえ、このタイムラグは大きいでしょう。変な権威に縛られて果たすべき決断(ほぼ既定路線なのに)も果たせない辺り、中国の政治も以前と比べ弱くなってきている感じます。

2022年7月4日月曜日

無念……

京都の名刹に容赦のない取り立て、「信長以来の仏敵」と呼ばれた三井の改革者(JBpress)

 はいという訳で三井財閥史の2回目の記事ですがマジ全然読まれてません。前回も全く読まれなかったので覚悟してましたが、こうも当たらないものかとがっくり来ています。個人的にはこの2回目の記事が一番面白いと考えてただけに、これで当たらないなら3回目も絶望的でしょう。

 少し記事の裏話をすると、今回の連載記事を書くに当たって気を付けた点として、財閥として三井を追うのではなく、三井財閥を要所要所で大きくした人物をピックアップして、それらの人物を軸に語ろうとして書いています。今回の2回目では幕末から活躍してた三野村利左エ門が引き続き登場しますが、何気に彼が小栗家を保護してたのとか結構ビビりました。
 でもって、小栗家の現当主が「花さか天使テンテンくん」の作者の小栗かずまただったことに二度びっくりしました。

 その三野村ともう一人、今回取り上げているのが中上川彦次郎ですが、個人的に三井の歴史で一番興味を持ったのがこの人物でした。
 三井家の創業者は間違いなく三井高利ですが、三井財閥の生みの親となると、この中上川に当たるのではないかと思います。記事にも書いている通り、中上川が来るまでの三井はアパレル、銀行、商社(+鉱山)だけで、それ以外の具体的な製造業にはほぼノータッチでした。現在も三井グループは製造業が三菱や住友に比べて影が薄いですが、もし中上川が明治に事業を拡大していなければ完全に製造業と縁のないグループになっていたかと思います。

 またこれも記事に書いていますが、中上川が慶応から引っ張ってきた人材に、日本の鉄道会社の経営モデルを作った阪急の小林一三がいたこともびっくりでした。新卒だと三井からスタートしていたとは。

 ちなみに中上川の写真を見た際の第一印象を述べると、「なんか安田大サーカスのクロちゃんっぽい(´・ω・`)」でした。割と似ている気がする。

2022年7月3日日曜日

ゲームだから通用するシナリオ

 今週末は久々に業務が少なく、休日作業は今日日曜の午前だけで済みました。なので空いた時間はまた例の「新説・魔法少女」という同人ゲームに費やしましたが、前も書いた通りこのゲームはシミュレーションゲームとしても非常にゲームバランスが良く、尚且つシナリオも呆れるほどいいものとなっています。
 前にも書いた通りこのゲームでは20人超の主要キャラクターが登場しながら、誰一人個性(キャラ)が被っておらず、製作者のシナリオライターとしての才能に驚かされます。実際、このゲームを紹介しているサイトなどでも、単純に一つのSF小説としても読めるシナリオだと絶賛されており、自分もこの意見に同感です。

 ここで一つトピックを出しますが、ではシナリオのいいゲームは、一本の小説として出してもそのまま評価されるのでしょうか。結論から言えば「されない」だろいうというのが私の見方です。

 ドラクエを始め有名ゲームの中には小説化されて出版される作品もあります。ただ大概の作品は小説版を出すに当たり元のシナリオに推敲が加えられ、特にエンディング部分などは大きく変えられやすい傾向にあります。自分は読んだことないけど、「マザー2」の小説版なんかまさにそうで、ポーキーが転生して主人公の兄になるという、「マザー3」をプレイした後で知るとなんかやるせなくなる結末になってるそうです。

 このようにどれだけ評価されるゲームシナリオであっても、やはり書籍として出すとなるとそれ相応の一手間が必要になるケースが多く、全くないことはないものの、ほぼそのまま書籍化しても評価されるパターンはかなり限られてくると考えています。個人的な意見として述べると、今もファンが多くなかなか出てこないリメイク作の期待も高いFF7ですが、あの作品もシナリオ部分が当時高く評価されていましたが、仮にそのまま書籍化しても評価されることはないと思います。FF7のシナリオはゲームだからこそ評価される類だったとみています。

 ここで話をもう一歩進めると、書籍としてはダメでも、ゲームのシナリオとしてなら通用する、評価されるシナリオとはどういったものなのか。これは正直、実際にプレイするゲーム部分によっても左右されるでしょうが私個人の意見を通して述べると、キャラクターメイン、それもなるべく一人称的なシナリオがそれにあたると思います。

 ゲームのシナリオと書籍のシナリオを比較した場合、何が一番違うかというと自分としては没入感だと思います。例えばRPGだと、主人公はその自分が操作するキャラクターがゲームの中では文字通り自分の分身となるので、ゲームの中の出来事に対しても主人公が覚える感情にエヴァ的なシンクロ率を持ちます。
 まぁ時として、攻撃喰らって「それくらいよけろこのボケ!」といった一言も出てくることもありますが。

 この没入感がゲームのシナリオを読む上で非常に大きく、それこそ思い入れのあるキャラクターがゲーム内で傷ついたり、死んだりした場合、小説の中のキャラクターの死などよりも心に感じるものが大きいことが多いと思います。無論、ゲーム内におけるキャライメージなどの映像やBGMの相乗効果もあるでしょうが、やはりいいゲームシナリオほどキャラクターへの没入感が高く、ゲーム内の出来事に対する一喜一憂もでかくなるように思います。
 まぁ「ニンジャガイデン」みたく、難易度がハード過ぎて死にまくるのが当たり前なため、操作キャラクターに大して何も感情を感じなくなるゲームもありますが。

 またここで一つ例えを出すと、ドラクエ7のキーファなんかやっぱそういう意味で没入感の高いキャラだった気がします。主人公パーティのリーダーとして率先して冒険に引っ張り、戦闘でも頼りになるアタッカーでもあっただけに、その途中離脱はプレイヤーに大きな心理的ダメージを与え、未だに「種泥棒」と呼ばれたり、それまでの投資が無駄になる例えとして「キーファの種」という用語まで作られています。これも彼が、そのプレイヤーの没入感が高かったことから未だ語り継がれている気がします。
 まぁぶっちゃけ、ゲームで頼りになるキャラクターほど途中離脱後が辛くなって記憶に残ってるだけかもしれませんが。

 以上を踏まえると、書籍としてはダメでもゲームだからこそ通用するシナリオは、操作キャラクターへの高まる没入感によって得られるカタルシスが大きいシナリオじゃないかと思います。言い換えると、プレイヤーに共感させる、シンクロ率を高めさせるキャラクターを用意し、そのキャラが遭遇する様々な出来事がプレイヤーにも深く感じさせるような系列のシナリオほど、ゲームとの相性がいい気がします。
 逆にというか、キャラクターへの没入感が弱くなるような俯瞰的なシナリオ、キャラの入れ替わりが激しい群像劇や大局的な話が続く軍記物なんかは、ゲームとは相性が悪いシナリオな気がします。この手のシナリオだと没入感が弱まり、プレイしててもなんか他人事っぽく感じてしまいそうです。
 まぁ群像劇でも、「ヴァルキリープロファイル」なんかはよくできたシナリオでしたが。

 この辺、映画とかでもそうかもしれませんが、媒体によってシナリオの相性というのはあると思います。一時期流行ったケータイ小説なんかもガラケーだからこそって点もあったかと思え、今後もしかしたらスマホ小説とかも出てくるかもしれません。