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2019年8月31日土曜日

取材量と質

 前にも紹介した「正直不動産」という漫画の六巻が発売されましたが、期待通りに面白く通勤途中は非常に楽しかったです。なお一緒に奥浩哉氏の「GIGANT」も購入しており、こちらは台詞が少なく、面白いことからページを捲る手が止まりませんでした。

 話は「正直不動産」についてですが、非常に不動産業界の悪慣習について取材されており、地面師事件やタワマンのデメリットなどに触れるなどタイムリーなネタが良く拾えており、完成度の高い漫画だと思います。
 なおあまり営業成績はよくないのに主人公に先輩風を吹かすキャラクターが、絵の方の作者が以前書いてた闇の深い「ロストブレイン」というモロデスノートな漫画の冒頭で、主人公に催眠術で操られ爆死するキャラに面影があるというか似ています。きっと爆死したあと、ロストブレインから正直不動産に転生してきたのだと信じています。

 話した二転三転しますが、正直不動産についてはよく取材されているとともに、取材内容をいつもうまく作品に落とし込んでいるなと感じます。というのも、自分も記事を書く際に色々取材しますが、取材量と反響はほとんど一致しないと言うか、むしろ反比例することのほうが多いからです。具体的に言うと、たくさん取材すればするほど読者には読まれなくなる記事になりがちです。
 一体どうしてこうなるのかと言うと、取材量が増えれば増えるほど記事内容というのは狭く深くディープになる傾向があり、例えばビール市場を調べるとすると、

全体の傾向→企業業績→売れ行き商品→商品ユーザー→商品原価→生産現場

 みたいな感じで、後半になると業界関係者からすれば興味のある内容となるものの、一般読者としてはあまり興味ない内容となってきます。一般読者はどちらかと言うと、広く浅めな情報を好む傾向があります。
 無論、一般読者も業界関係者も満足させるような記事を書ければしめたものですが、そうなることはなかなか難しく、一般論としては取材すればするほど記事がディープになって下手すりゃつまらなくなる可能性が高いです。

 なので他の人にも言っていますが、取材後に記事を書く上で何が大事かと言うと、取材内容をどれだけ切り落とすかだと私は考えています。興味が持たれるポイントだけ抽出して、あとはどれだけインタビューや調査に時間をかけたとしても、バッサリ切り落とすことのほうが記事の質を保つ上では求められてきます。
 そんな風に考えてはいるものの、前述の通り正直不動産を読んでいると非常によく取材されていて、それでいて面白いのだから結局は作品への落とし込み方なのかなとちょっと考え直しています。

2019年8月29日木曜日

日本が中国に卸さない戦略物資

 昨夜知人と夕食していましたがその際、「昔と比べて上海で何でも買えるようになったけど、コンソメだけは何故か売ってないよね(ヽ´ω`)」という会話になりました。実際に、今や日系スーパー加え、閉店を土壇場で取りやめた高島屋などに行けば日本の食材や調味料などは簡単に手に入るものの、何故かコンソメスープの素だけは未だにどこも取り扱っていません。
 私も知人も、「野菜とか中途半端に余った時、コンソメあれば全部ぶち込んでまとめて処理できるからいいのにね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー」と話すなど、コンソメが中国で売られていない現状を二人で憂いました。何もこの知人に限らず他の日本人ともよくこういうこと話してて、割と私の周りでは日本から大きい箱サイズで毎回買って持ってくるという人が多いです。

 例の韓国のフッ化水素の件でも色々揉めていますが、これだけ日本人が長く住んでて、今や素麺の「揖保乃糸」やカルピスまでよく売られているというのに、全くと言っていいほど取り扱われないコンソメスープの素はもしかしたら、日本政府から戦略物資に指定されててキャッチオール規制に引っかかっているのかもしれません。じゃないとなんで全く上海で売られることがないのか、マジで理解できません。実際におかずの献立戦略的にはコンソメは戦略物資だし。

 ちなみコンソメは手に入らないものの、クノールのカップスープことコーンクリームスープの素は日系スーパー行けばどこでも買えます。が、そのお値段はなんと一箱三袋入りが30元、日本円に換算すると約450円です。しかも今円高で1元=15円だけど、レートが少し変わると簡単に一箱500円を突破したりします。日本で買うと150円くらいなのに、実質三倍超の値段で中国では取引されていることとなります。
 しかもこの値段、不思議なくらいにどこ行っても30元で売られてて、もしやこいつらコーンクリームスープでカルテル結んでるんじゃないかっていうくらい値段がピッタリ同じで地味にむかつきます。むかつきながらも、あれあると真冬の夜とかに飲むと体も温まっていいので、高いと思いつつたまに買っちゃうのですが。

2019年8月27日火曜日

個人の付き合い、集団の付き合い

 八月も後半に入りそろそろ小中高生は夏休みの宿題に泣き始める頃だと思います。ちなみにうちの姉は中学生になっても限界ギリギリまで一切宿題に手を付けない人間で、はっきり言って見ていてなんで反省しないのか不思議でした。自分は何故か最初の方にある程度やって、終盤に残りをやるという変な処理の仕方をしてました。

 話を替えると、中高生の自殺はちょうどこの頃から増えてくるそうです。原因は宿題というわけではなく夏休み明けに学校に復帰することへのストレスとされ、九月一日は毎年自殺者が続出する魔のセプテンバーと勝手に私は称してます。自殺の原因はもちろん色々あるでしょうが、いじめや勉強、部活諸々を含めると、家庭原因んものを除いた場合、広義では学校そのものが自殺の原因であることが大半だと思います。そう考えると、学校というシステム自体を自殺のシステムを構成するとも捉えられるでしょう。
 無論自殺システムの一部だからといって学校をなくせなんていう気はありませんが、ちょっとこの辺で思い出した話があるのでそれを書きます。

 学生時代にある友人が、「大学に入ってからは個人の付き合いになるから楽でいい」と言ったことがありました。どういう意味かと言うと、小学校から高校までは「集団の付き合い」、つまりグループを単位とした付き合い方となり、同じグループ内に多少合わない人間がいたとしてもグループ間の和を保つために我慢してそいつとも付き合わなくてはならないというようなケースが有るということでした。
 実際そのとおりで、グループの範囲は小さいものであれば三人組程度から、大きければクラス単位や学校単位にもなり、やはりそうしたグループ内で浮かないような付き合い方を小中高では求められてきます。それこそグループリーダーと中の悪い人間がいる別グループと付き合うとリーダーに睨まれたりするとか、体験した方も多いのではないかと思います。

 それに対して大学に入るとまずクラス単位という枠組みはなくなります。一応サークルやゼミといった単位は存在しますが、それでも小中高と比べると派閥の拘束力めいたものは弱まり、友人が言ったとおりに単純に自分自身の好みで付き合う人間を選ぶことができ、また距離を置くこともできます。そういう意味では、私や友人みたくグループ単位で付き合いを強制されることに反発を持つ人間からすれば、大学生活は楽しくなるものでしょう。逆にグループ単位の付き合い方に浸かっていた、というより依存していた人間からすれば、大学での人間関係は考え方が変わらないと苦しくなるかもしれません。

 この個人の付き合いと集団の付き合いですが、どっちが交流方法として優れているかというのはないと思います。理想を言えばどちらにも対応できるというのが良いでしょうが、実社会ではやはり企業に属す人間が多いことを考えると、集団の付き合い方ができる方が器用に生きられるかもしれません。
 なお自分は人の好き嫌いがはっきりしていてどちらかと言えば個人の付き合いを重視しますが、現在の職場だと周りが超個人主義のような人間ばかりのため、理由がなければ職場の催事にはとりあえず参加する自分は周りから、「あの部署の人間にしては協調性がある」と言われており、所変われば評価も変わるものだと自分でもびっくりしてます。まぁ自分の場合は協調性以前に、利他主義的精神が確実に異常者レベルで吹っ切れていることのほうが問題だと思いますが。

 ここで最初の話に戻すと、最初の広義での学校が原因となる自殺に関してはやはり集団的付き合いの強制がストレスとなっているという点が大きいのではないかと思う節があります。無論、自殺しない人はそれでも学校に通い続けているのだからそういった学校のシステムに問題があるわけではないのですが、もしそうやって自殺するくらい悩んだり、学校に通うことへのストレスを抱えるというのであれば、個人的付き合い方ができるような学校とかクラスも用意してもいいのではと思います。
 具体的には授業の出席や選択が自由で、まずクラスという概念がない。でもって運動会や体育祭は完全自由参加で強制をなくし、きちんと単位を取らなかったら無事落第という自己責任性なシステムの学校です。まぁ「個人が羽ばたく学校」とか宣伝してても全然そうでもない学校も珍しくないので、どうやって見分けろと言われると困っちゃいますが。

 真面目な話、指導する教師を選ぶというシステムは一般の学校にも欲しいです。自分もそうでしたが教師と生徒は確実に相性があり、合わない教師とだったらやっぱり学問の習熟は悪くなる気がします。また指導力のない教師を淘汰する上でも、教師選択性はどこの学校でも一定度あったほうが良いように思え、そう考えるとクラスという単位自体がやっぱり邪魔な気がします。

2019年8月25日日曜日

氷河期世代にいつ、どうすればよかったのか

 頭痛いので短くまとめると、結局の所何しても無だったのではというのが私の結論です。
 最近また就職氷河期世代に対して社会支援が必要だと政府が動いてきたという報道がありましたが、すでに氷河期世代は40代に突入しており、これからなにか支援したところで果たしてどうなのかと世代的に該当する人からも指摘されていました。じゃあ逆に、いつ、どの段階でどういう支援策をやっていれば良かったのかという見地に立って見ましたが、たとえば今やっている政策を二十年前(2000年以前)にやってたらどうだったのかと言うと、結局意味なく終わったでしょう。

 そう考えるのも、結局雇用するのが企業だからです。企業側とのマッチングや職業訓練を施したとしても、当時の日系企業はリストラの真っ最中で新規雇用は愚か社員のクビを斬りまくっていた時期に当たり、それこそ即戦力な人材がいたとしても雇うのを見送る企業も少なくなかったでしょう。じゃあ景気が少し増しになった2005年頃にやってたらどうかとなれば、その時点で年齢的な足切りというか、どうせ雇うなら若い人間へと動くでしょう。第一、2005年頃も必ずしも内定率が良かったというわけじゃないし。

 もし仮に予算を無視していいのなら、三年くらいの期間雇用で政府や自治体が直接雇用するという政策をなるべく早くやっていた方が良かったのではないかと思います。やる業務としてはなるべく最先端のIT技術や現在不足の激しい電気工事など、雇ったはいいものの脱落者が絶えないような業種などで職業訓練兼雇用を公費で行い、三年後に自立してもらうようなイメージです。たとえこうした一時雇用をしたところで脱落者モデルし三年後に契約切れとなった後は企業に再就職できないものもいるでしょうが、それでも職業訓練を行うことでやらないよりかはやっておいたほうが死ぬ人間は少なく済んだ気がします。

 なんでこんなこと書いたのかと言うと、地味域になるのはリーマンショック直後の世代が今どうなっているのか気になるからです。第二の就職氷河期世代となっているのか、それなりに自立できているのか。前者であればどんな対策が必要なのかを含め少し考えてみたわけです。

2019年8月22日木曜日

GSOMIA破棄前夜の報道について

 何ていうかもう終わってしまった、DeNAのシーズンがと思うくらい負け続けて巨人おめでとうって感じです。まぁカープがもうちょっと頑張るかもしれませんが。

 また昨日からフライマンタを量産する作業(ゲームの「アクシズの脅威V」)を開始したことから今日はブログ書く気ないので、先程友人に問われて返信したSkypeのやりとりを公開します。なおその友人は私が「小錦LOVE」と三回呟いて、三回目でやっと反応してくれました。


友人、21:10
Gsomia、よく知らんが破棄刷るらしいな

21:10
小錦LOVE
ネットの反応見ても誰も予想出来なかったと書いてるな。
破棄しろとは言ったけど、本気で破棄するとは思わなかったという意見ばかりだ。
俺は昨日の外相会談で何も言及がなかったから、50:50くらいと見込んでたけど。
結論から言うと日本はノーダメージ。監視衛星が完備されているからミサイル発射の兆候は全部把握している。
むしろ日本の情報がもれなくなってプラスかもしれん。
あとは明日米国がどう反応するか。あとウォンがどれだけ下がるかが気になる。

友人、21:12
可能性が報道されてからはやかったな

21:12
むしろメディアは破棄しないという希望的観測が強すぎる。
昨日の外相会談で、もし韓国に継続する意思があるなら、
「日本は交換条件になにをするんだ?」くらいの要求があったはずだ。
仮にこの要求に日本が、ホワイト国に戻すと約束したらめっけもん。
何も対価を出さないと返事したら、「日本に協調する姿勢はない」と揶揄するアリバイが取れる。
これすらなかったから、ああ破棄するつもりだな、っていうかギリギリまで粘る時点でそのつもりだろうと見ていた。
むしろメディアの分析が弱すぎるだろう。
小錦LOVE

友人、21:19
3度目だからきくけどそれは何?


 日本側としても昨日の外相会談で何も触れられなかった時点である程度この事態を想定していたのではないかと思います。私個人が気になるのはメディアの反応で、やはり破棄するという可能性を完全に度外視していた節があり、この点はちょっとレベル低いなと見ています。

 あと一部でも報じられていますが、七月単月の訪日旅行者数は韓国人が減少したものの、全体としてはプラス成長を維持して単月としては過去最高となりました。フッカ材料三品目の輸出を制限して以降、訪日旅行者数への影響を気にする声が当初から出ていましたが、私個人としては現状、日本のホテルを始めとしたインバウンド体制はいっぱいいっぱいもいいところで、むしろ急激な成長を抑制しなければならないと考えていました。
 そういう意味では韓国人旅行者がこのタイミングで減ったのは日本の旅行業者にとってはむしろ一呼吸置くいいチャンスで、見方によってはプラスだと周りには話していました。もっとも当たるかどうか確証なかったからブログには書きませんでしたが、結果を見てやっぱりプラスだったと思えます。

2019年8月21日水曜日

個人情報を買うのではなく売ってはどうか?

 また例のリクルート内定辞退予測データですが、トヨタやホンダ以外にもYKKとか購入した企業の名前がちらほら出てきましたが、言われるまでは謝らないあたりはこれが格差社会とか思ってます。

 それで今日ふとこの個人情報売買について思ったのですが、トヨタやホンダは買うのではなく売ってはどうか、具体的には自社社員の個人情報を外部に売ってみたらどうかなとか思いました。具体的には

・各社員の自己都合退職予測
・各社員の昇進スピード予測
・各社員の年収情報
・各社員の被リストラ予測

 以上の情報を実名とともに販売したら、そこそこの値段でも買う人はいくらかいるんじゃないかと思います。それこそリクルートあたりは喜んで買ってくれるでしょう。収益アップにもつながるし、トヨタやホンダにはぜひ直接プレゼンに行きたいところですが、仮に行ったところで「ふざけるな!」と怒られるのがオチでしょう。

 でも、「ふざけるな!」って怒られるようなデータを買ったのはこいつらです。

 実名入りで内定辞退率予測データが売られ、買われた人たちのことを考えたら、上記データの取引を拒否するなんて、随分と独善的価値観だと思います。こんな売られてほしくない個人情報を本人の同意なく買って、閲覧して、報道があるまでしらばっくれて、報道されるや「迂闊だった」とだけしか言わないなんて、やっぱりどうかなと個人的には思います。最低でも、データを閲覧した各就活生個人には直接謝るのが筋だと私には思います。それをしないってんなら、最も受けに貪欲となって、上記データの一つや二つでも売ってみるか公開するかやれよと言ってみたいものです。

2019年8月20日火曜日

マリオカートでの壮絶な死に方

 なんかいつも暗いことばっか書いているような気がするので、たまには明るい内容を書こうかと思います。

 それは私が中学生だった頃の話です。友人の家に遊びに行って、既にプレイステーションの時代が来ているにも関わらずスーパーファミコンのゲームで遊び倒し、サッカーゲームの「エキサイトステージ95」で「鶴翼の陣」とか言ってゴール前のスイーパーを除き中央がぽっかり空いて、両サイドに選手を並び立てた陣形とか作ってよく遊んでました(全然使えないフォーメーションだったが)。
 このときよく遊んだゲームにマリオカートがあったのですが、その日は何気なくレインボーステージを選んで、私が負けることが多かったもののその日は割と競った展開になって、近距離で私が追いかけ続ける86モードが展開されてました。

 周回もある程度回ったところ、アイテムパネルからたまたまキノコダッシュを得ることが出来ました。レインボーステージはフェンスのないステージであることから、うまく相手の背後についてキノコダッシュで体当たりをかければ、一気に相手を奈落の底に落とせて逆転できるだろうという算段がすぐに立ちました。
 こうした魂胆を抱えながら友人のカートを追いかけ続け、もうこれ以上ないくらいいい感じに張り付けることに成功しました。後は外さないよう軸をしっかり合わせるだけで、こちらの意図を探られないよう直線のコースで慎重に相手の背後に寄せ、「曲がってくれ、俺のハチロク!」と、別に曲がるわけでもないけど心境的にはこんな藤原拓海な感じでアイテムボタンを押しました。押した瞬間、「勝った!」と思うくらいベストなタイミングでした。が、

「えっ?なに?(゜o゜;」

 友人は驚きのあまりに声を挙げたのですが、驚きつつもきちんとカートを操作し続け、コースを走り続けていました。一方、私は声を上げることも出来ず、手に持ったコントローラーがやけに重たいと感じていました。

「今の何?なんか後ろから飛んでってそのまま消えてったんだけど?

 友人の問いに対し、私は重い口を開いて説明しました。

「うんあのさ、後ろからキノコダッシュで君にぶつけて穴に落とそうとしたんだけど、ぶつかる直前にジャンプ板に当たってさ、そのまま君のカートの上を飛び越して奈落へ落ちる羽目となったんだ……」

 そう、私的にはタイミングも軸もバッチリのタイミングでキノコダッシュを仕掛けたのですが、ガチで友人のカートにぶつかる直前、その手前にあったジャンプ板に触れてしまったことでそのままハイジャンプへと突入し、何も知らずに走り続ける友人の真上を私が操作するカートが飛び越してそのまま暗闇の中へ消えていく羽目となりました。
 友人の画面から見れば、突然キノコダッシュの効果音とともに私のカートが猛烈な速度で後ろから頭上を飛び越し、そのまま消えていくというわけのわからない光景が展開されていたことになります。常人には理解出来ない世界、それがアンビリーバボーという展開でしょう。

 正直言って、自分も最初何が起きたのかわかりませんでした。それくらいジャンプ板にぶつかるのがギリギリでもわからないくらいで且つ友人のカートにぶつかる直前というタイミングであり、ハチロクの幻でも見ているような気分でした。っていうか穴に消えてった時点で、完全に戦意喪失しました。
 自分が知る限り、マリオカートで一番意味のわからない展開になったのはこのときのバトルです。

2019年8月19日月曜日

活字と現実のギャップ

 DMMの電子書籍が半額ポイントキャンペーンやってるので、本誌掲載時に既に読んでますが、十年以上前の文藝春秋で行われた半藤一利氏らの二次大戦時の反省対談本のリニュアール版「あの戦争になぜ負けたのか」を買って読み直してました。改めて思ったこととしては、大西瀧治郎の評価はなんか対談時と今とで少し揺れているようなということと、呉市海軍歴史科学館館長の戸高一成氏の増補コメントがやや気になりました。

 戸高氏が若かった頃、周りには海軍参謀本部に出勤していたというガチな上司に囲まれてれて戦時中のかなりディープな話とかもよく聞かされていたそうです。そんなある日、自分の上司(中島親孝)が本を出したので読んでみると、普段ボロクソに貶している元上官に対して軟らかく書かれており、「いつもと違うじゃん」と突っ込んだら、「そりゃ本には書けないよ」とニヤリと返事されたそうです。
 言われることごもっともというか、普段激しく罵倒する人間であっても公共の出版物ともなるとそこまで直接的には書けないものです。ただこの点について戸高氏は、他の軍関係者による戦争体験記などの本も同じ印象というか、現実とのズレを感じていたと言及しています。やはりどの人間も実際に体験した内容を活字に起こす際、ありのままに書くよりかは現実とのズレが微妙に生まれる傾向があると捉え、それ以降は活字と現実のギャップを意識してそういった書籍を読むように心がけるようになったそうです。

 この活字と現実のギャップですが、私自身も思い当たることがあります。よくこのブログについて主張が過激だとたまに指摘を受けますが、ブログには書かないもののプライベートでは、「視界入ったら必ず殺すと伝えておけ」とか、元同僚に対し「あの元上司に機会あったら必ず襲うからクビ洗って待っとけと花園が言ってたと伝えておいてください」などという発言をよくします。
 もっとも実際に襲撃かけることはほとんどないのですが、少し不思議なのは、誰も「口先ばっかじゃん(*´∀`)」っていうフォローを入れてくれません。友人の上海人も物騒な発言ばかりしているせいか、「いつかキミに殺されるような気がする(´・ω:;.:...」と最近言うようになりました。

 話は戻りますが、現実として上記のような傾向、具体的には現実よりも表現はソフトになる傾向というものは確実に存在すると思います。そういう意味で戸高氏の姿勢は理に適っていると思うのですが、恐らく意図してのことだと思いますが、上記の言及の後で戸高氏は特攻についても触れています。具体的には特攻を命じた人間はほぼみんな自分も後を追うと言いながらも、実際にそれを果たしたと言えるのは大西瀧治郎と宇垣纏くらいで、「戦後の復興に力を尽くすべきだった」と言ってのうのうと生きながらえた矛盾を指摘しています。
 この箇所と前半部の活字と現実のギャップを見比べていてふと感じたこととしては、特攻は皆志願して行われていたという戦後の言及は、どう取るべきかと感じました。

 これまでの研究から現実には特攻命令を拒否することは出来ず、意思確認書で拒否を付けながらも同意に書き換えられたなどと言った事例が確認されています。無論、実際に志願者もいたことは事実でしょうが、私が子供だった頃は特攻はほぼ志願者によって行われていたという説明が支配的なくらい強かった気がします。それは何故かと言うと、先程の活字フィルターによるギャップではないかという気がします。
 具体的には、有無を言わさず特攻を命じた人間たちが戦後になって、自らを擁護する目的で「強制ではなかった」、「皆立派に志願してくれた」というように書き残したせいではないかという考えがもたげました。自分が強制したという事実は隠した上で。立場や動機を考えると、むしろこのように事実を捻じ曲げた主張をすることのほうがむしろ自然であるでしょう。

 そう考えると、回顧録や随想録というのはやはり注意して読むべき資料と言えそうです。以前にも書きましたが、戦争リアルタイムの手記と戦後の手記では同一人物が書いたものでも内容が大きく異ることも珍しくはなく、やはり多かれ少なかれ時が経つに連れ自らを美化する傾向は必ずあります。そこをどう峻別するかが、学者としての力量は問われることでしょう。

 なおこのブログもそうした点を考慮して、敢えて昔の記事とかをそのまま残しています。将来的に使う人がいるかわかりませんが、事件発生当時に同時代の人間がどのように感じて見ていたのかを残す記録資料になればいいなとかたまに思ってます。


2019年8月18日日曜日

日韓外交の落とし所


 このところずっと悪化し続けている日韓外交関係ですが、一部の人間から安倍首相の外交方針について、「悪化させるだけ悪化させて、落とし所を用意していない」という批判が見られます。これは具体的にどういうことかと言うと、圧力をかけて相手に譲歩を促すとしたら、相手が受け入れられやすいポイント(落とし所)を用意して置かなければならないのに、そうした余地が全く見られずこのまま行ってもずっと悪化するだけで何の進展もない、というような見解だと思われます。ただ一方的に譲歩などを要求するだけでなく、こちらも「こうしてくれたらこうしてあげるよ」的な態度や提案が必要と言いたいのでしょう。
 私個人の見解では、もうそういう段階ではなく、このまま距離を置くのが何よりです。

 色々意見はあるでしょうが、昨年からの韓国の対日外交は日韓基本条約を根底から否定する行為以外の何物でもなく、慰安婦財団の一方的解散を含め、条約など外交的約束の拘束力はもはや期待できません。先日にも書きましたが、何故国家間で約束を結ぶのかと言うと、約束事を互いにきちんと履行することが前提になります。しかしあらゆる、それも根底的な約束事を果たさない相手に対しては約束を結ぶという行為自体が不毛であり、はっきり言えば結ばないほうがずっとマシでしょう。

 とは言え、貿易取引や人的交流を始め近距離にあることからこういった関わりを完全に排除することは出来ないし、そのような行為もするべきではありません。となればどうするかと言ったら、こうした最低限の交流に関しては向こうの出方に気をつけつつも最低限の範囲で付き合い、それ以外に関してはなるべく関わらないようにすることが無難です。三菱重工などへの徴用工賠償判決を考慮するとこうした経済交流も十分危ういこともあり、最低限の部分だけ付き合い、必要以上の部分に関しては徐々に距離をおいて、関わらないようにするほうが日韓にとってはいいのではないかとすら私には思います。

 特に距離を置くべき部分としては、やはり軍事協力面でしょう。レーザー照射問題とその後の韓国の対応を考えると、韓国との軍事協力はむしろ自衛隊や日本の国防を危険に晒す可能性があり、内心、機密情報遅漏にもつながるのではないかという懸念すらあります。米国の手前、勝手に日本で話をすすめるわけにも行きませんが、GSOMIAも韓国が破棄するならもうそれでいいんじゃないかという気がします。ミサイル情報の分析も、日本側の分析のほうがしっかりしていると聞きますし。

 その上で最初の日本外交への批判に戻すと、落とし所なんて最初から探していないのではないかというのが私の見方です。日本政府も基本的な外交条件の履行を韓国に求めていると言うよりかはもはや諦めに近いような感情を持っているように見え、国交断絶するわけには行かないまでもともかく韓国とは距離を置く、少なくともムンジェイン政権が終わるまではもうなるべく関わらないようにするような方針を取っているように見えます。そういう意味では落とし所云々言ってる時点でお門違いな気がして、こうした批判をする人に対しては何を持って交渉して落とそうとして言う構想があるのか、逆に聞きたいです。

奈良南部の闇


 山本昌と書かれていましたが山本昌以外の何物でもありませんでした。

彡(゚)(゚)「奈良県南部は現代の秘境?言い過ぎやろ」(´・ω・`)「これを見なさい」(ガハろぐ)

 以前にもこのブログで取り上げましたが、奈良南部の秘境ぶりについて議論がかわされている記事を見かけたので紹介しておきます。決して洒落や冗談ではなく、奈良南部はハンターハンターに出てくる暗黒大陸に負けないくらいの秘境が存在しており、上の記事では写真付きでそれがよく紹介されています。
 私も奈良市には住みたいけど、奈良南部に住めと言われたらちょっとどうしようか悩みます。なんか修行するのとかならいいのかもしれないけど。

2019年8月15日木曜日

ドラッグストアはどうしてこんなに?


マツキヨと統合協議のココカラ、なぜ「特別委」で決めたのか(日経ビジネス)

 先日出たのが上のニュースですが、これと前後してドラッグストア業界の動向に関する解説記事も続出していましたが、かつて不動の一位だったマツキヨがいつの間にか業界五位にまで順位を落としていたというのはなかなか興味深かったです。そんな薬局チェーンで統合再編の動きが始まったことを伝えるのが上のニュースです。

 ちょっと記憶が曖昧ですが、今回のもうひとりの主役であるココカラファインは確か中国での進出(正確には再進出)を発表した際の上海での記者会見には自分も取材に行ったような気がして、調べてみたら時期的にもピッタリだったので、やはり間違っていないでしょう。もっとも現在に至るまでココカラファイン系列と思しきお店は上海で見かけませんが、今どうなってるんだろう。取材対応は割と丁寧だったのは覚えていますが。

 話は戻りますが地味に私が疑問なのは、ドラッグストアって一体どういう客層が訪れているのかが全くもってわかりません。というのも私自身が極端に怪我とか病気もせず(保険入ってんのに)薬を買うことなんてほぼ皆無ということもあると思いますが、日本にいた頃からドラッグストアに行くことなんてほぼありませんでした。唯一あるとしたら、処方箋もらった癲癇の薬を受け取りに行くときくらいでしたが、中国来てからは癲癇の発作自体ほぼなくなり、気絶に至っては完全皆無のため、いまやこの薬すら必要としません。
 むしろ中国に来てからドラッグストアに行くことが増えたと言うべきか、中国人の知り合いなどに、「日本でこれ買ってきて!」と頼まれるお土産を調達するために使うことが増えました。それまでにあまり訪れなかったせいもあるでしょうが、指定された栄養剤などのお土産を探すためあちこち回ってて、「ドラッグストアってこんなに多いんだ」と思うことが多いです。

 体感的には都市部においてはコンビニにも勝るとも劣らない密度であり、松戸駅周辺でも何軒もあって、よく競合して潰れないなと内心で思っています。売っている商品ラインナップなんてほとんど同じだと思うのに、何を基準に客層はお店を選ぶのか、ポイントなのかセールなのかいつも疑問です。あと運営会社によって、何が違うのかも全くわかりません。
 ただこれだけ店舗密度が高い、それも東京や大阪の一等地であっても近年は中国人観光客が大量に来のもあって大規模な店舗が立ち並んでいるのを見ると、それなりに稼いでいるようには見えます。売れているのは化粧品なのかもしれませんが、それにしたってここまで店の数が多いのはい不思議です。メインターゲットは女性だとは思いますが。

2019年8月14日水曜日

なぜ強い(;´Д`)

DeNA4連敗 浜口が初回KO 4戦トータル38失点と投手陣が崩壊(デイリースポーツ)

 昨日に引き続きDeNAは大量失点の投壊で連敗中ですが、他の人がコメントしているように、投手というよりは「ヒカル」こと伊藤光捕手が怪我で出場できなくなったことが最大の要因だと思います。球団首脳陣からもファンからも信頼が厚く、何より「ヒカルの抱擁」とまで言われたボディランゲージで投手陣から絶大な信頼を得ていた彼だけに、DeNAにとってはこれ以上ない打撃だったでしょう。
 伊藤捕手に限らず宮崎選手に冷蔵庫キラーのパットン選手などここに来てDeNAはけが人が続出し、一時期待された単独首位からこのところどんどん遠ざかっています。

 一方、不思議なのはソフトバンクです。今季、ギータこと柳田選手、サファテことサファテ選手という、シーズンMVP級の野手と投手を欠きながら首位をひた走っています。サファテ選手については去年もいなかったとは言え、柳田選手の代わりは誰もいないとか思っていましたが、それでもきちんと勝ち進めるあたりこの球団の恐ろしさがわかります。っていうか反則級に強すぎるだろう。
 個人的には長身恵体アンダースローの高橋礼選手が新人王となるのかが気になっていますが、今年はヤクルトの村上選手を始め有力候補が非常に多いだけにまだまだわかりません。

 それにしてもパリーグは相変わらずソフトバンク一強はいいとして、セリーグはせっかく巨人、DeNA、カープでもつれるかと思いきや、DeNAがこのまま脱落していきそうで残念です。その分カープには頑張ってもらいたいですが、やはり現状だと巨人のほうが選手層的にも有利に見えます。
 あと中日はもっと阪神に抗議すべきでしょう。なんで一軍でも二軍でも藤浪選手の先発試合にぶつけられるのか、なにか阪神の恨みでも買っているのかとしか思えません。

2019年8月13日火曜日

約束を破り続けた国の末路


     (  ´・ω) 
    γ/  γ⌒ヽ   (´;ω;`)  ウッ…
    / |   、  イ(⌒    ⌒ヽ
    .l |    l   } )ヽ 、_、_, \ \
    {  |    l、 ´⌒ヽ-'巛(  / /
    .\ |    T ''' ――‐‐'^ (、_ノ
        |    |   / //  /
      パットン   冷蔵庫

 DeNAのパットン選手の冷蔵庫殴打事件の報道を見るたびに上のAAを連想しています。っていうかパットンは球団やファンだけじゃなく冷蔵庫にも謝るべきでは。

 話は本題に入りますが、中国の春秋時代は今の日本の皇室に当たる周王室は既に権威も権力を失い、各地域を収める王がそれぞれ独自に勢力争いとかしていました。ただ全く秩序がなかったわけではなく、何年かに一度は猫の集会みたくみんなで集まって、リーダーこと覇者を決め、その覇者の裁定などを受けるなどして利害を調整しあっていました。
 この春秋時代の主だった覇者のことを「春秋五覇」と呼びますが、五人のうち斉の桓公、晋の文公については異論はないものの、残り三人には誰を加えるかは人によってバラバラで、私自身は無理して五覇としなくてもいいのにとか思っています。

 なお春秋時代の最強国については諸説ありますが、後の時代を考慮すると地味に晋だったのではないかと私は考えています。というのも晋は当時の中華世界のほぼ中心に位置し、異民族との防衛も担っており、また戦国時代には韓・魏・趙の三ヶ国に分裂するものの魏と趙は有力国として残り続けています。
 そんな晋から飛び出てきた覇者というのが先程の文公ですが、知ってる人には早いですが彼は放浪の覇者として有名です。というのも彼の父親の代、父親の寵姫であった驪姫が自分の息子を後継者にしようと讒言活動を行った結果、英邁と誉れ高かった文公の兄に当たる長男は処刑されることとなりました。

 これに驚いた文公は晋を脱出して母の出身地に亡命したのですが、その後文公の父親が死に、驪姫の息子が跡を継いだものの、家臣の反乱にあって母親ともどもあっさり殺されてしまいます。家臣らは亡命した文公を主君に迎えようとするものの、粛清される恐れから文公はこの要請を拒否したので、家臣らはかわりに文公の弟に当たる恵公を迎え入れました。
 この晋の恵公は帰国する歳、春秋時代から強国だった後に天下統一する秦に支援を仰ぎ、秦の警護のもとで無事に帰国を果たして即位します。即位後、自らを迎え入れた家臣に対し、「先に文公に要請を出した」という理由から粛清しています。

 この恵公の帰国時、恵公は無事即位した暁には秦に一部領土を割譲することを約束していました。しかし即位したらこっちのもんとばかりに恵公はこの約束を反故にします。そしたら数年後、晋で飢饉が発生したため恵公は図々しくも秦に食糧支援を求めてきました。
 流石に秦の人たちも、「あんな野郎ほっとけ!」とその図々しさに腹を立てていましたが、後に名君と讃えられる秦の穆公は、「民に罪はない」と言って、粛々と食糧支援に応じました。

 それから数年後、今度は秦で飢饉が起こったので晋へ食糧支援を求めました。そしたら晋の恵公は、「飢饉で弱っているはず。攻めるなら今がアタックチャンス!」とばかりに、なんと秦に対して侵略してきました。この暴挙に怒った秦の人々は飢饉なんてへっちゃらさとばかりに晋軍をめっためたに叩き潰した挙げ句、恵公すらも捕虜にしてしまいました。何度も約束を破られていることもあり恵公をみんなのいけにえにしようとまでしましたが、夫人に諌められたので恵公の王太子を人質とすることで帰国させました。
 それから数年後、恵公が病気になって弱っていると知った王太子は、人質であることなんて関係ないとばかりに無断で帰国し、恵公の逝去後に跡を次いで即位しました。これには優しい穆公も激怒し、亡命で放浪していた晋の文公に連絡を取り、「あいつら叩き潰すなら何でも協力する」と約束します。

 こうして秦の支援を得た文公は弟であった恵公の息子を楽々撃破し、晋の王位を継承して文公となり、放浪生活で培ったリーダーシップを発揮してその後覇者に推戴されることとなりました。

 何がいいたいのかと言うと、隠す必要もないのでいいますがこの一年くらいの韓国を見るたびに晋の恵公をいつも連想します。
 かつて日本がソ連と日ソ不可侵条約を締結する直前にある外交官が、「近年の国際条約の反故事例の大半はソ連が当事者であり、そのような国とは条約なんて結んではならない」と反対したと聞きますが、その後の結果を見る限りこの危惧は完璧な形で的中しました。このように、普段からどれだけ国としての約束事を守っているかというのは国家としての信用に関わるのは当たり前ですが、それ以上に普段から約束を破る相手とは必ずまた破るものだと考えていいでしょう。

 ある意味中国なんかもその典型ですが、中国のいいところはやはり利に聡いと言うか、大きな損失につながったり、逆にものすごい儲けに直結する場合は比較的約束を守るところがあると思います。なんだかんだいいつつ、やはり商人の国だと私はみています。
 一方、韓国に関してはもはや対話のできる相手ではないように見えます。中国と違って利益に直結するような内容ですら平気で横紙破りをやってきて、また過去に日本側が不利を被るような約束を結んだにもかかわらず今回のように反故にしてくるあたり、信用ではなく力関係でしか相互強制性を備えた約束はもはや結べないでしょう。その上ではっきりいうと、このような国家間の約束を守らない国は古来繁栄した例はなく、晋の恵公の轍を踏むのではとまでみています。

 逆にと言うか、今回日本が一部戦略物資の輸出条件を厳格化した際、韓国にとっては寝耳に水で大慌てだったと聞きます。裏切り、騙し討ちというのは基本、普段から嘘ばっかついている人間だとそもそも周りがあまり信用しないため効果は薄くなります。逆に普段全く嘘つかずに正直に生きている人間ほど、ここぞで出してくる嘘、騙し討ちというのは多大な効果を発揮するもので、私も騙し討ちを迫られるような機会がいつか来るかもしれないと思い、普段はめっちゃ正直に生きるようにしています。
 無論、日本の今回の輸出条件厳格化は騙し討ちでもなんでもないですが、この手続変更が韓国を大慌てさせたということは、カモにみられていただけかもしれないものの無駄に信用はされていたんだなとは思います。

2019年8月12日月曜日

内定辞退予測データの売買について


 この週末は台風が来る中、JBpressの記事書いて、ザンキゼロクリアして、あと上の写真の本田・フィットのプラモ作ったりで忙しかったです。マジな話をすると、忙しいとはいいつつも休日出勤しなくて済むようになっただけでなんか異世界に転生した気がします。現行は書き置き使ってたし、プラモ作る暇すらなかったし。

 いつも自動車のプラモはスポーツカーばかり作っていますが、たまには大衆車でもと思っていたら通っているプラモ屋がタミヤのフィットを置いていたので購入して作りました。スポーツカーのプラモと比べると前輪が動かない代わりに部品数が少なく、二時間くらいでストレスなく組み上げられるなど手軽で簡単で良かったです。
 塗装はもちろんしていませんが割とパーツの色はプラスチックの色が分けられてて、素組でも見栄えは悪くなく、特にヘッドライト部分の再現は見事でしょう。

 なおこのフィットについて解説すると、コンパクトカーというクラス自体はマツダ・デミオが始祖であることに間違いないものの、基本概念を完成させたという意味のは間違いなくこのフィットでしょう。実際組んで見ながら思いましたが、車体自体は小さめでありながら圧倒的な内容積を備え、以降のコンパクトカー、並びに軽自動車は内容積の広さを確保する設計が前提となっていきます。
 フィット自体については、このキットは初期型となっており、何気に日本の実家でもこれ使ってて私自身も運転してました。地味にこの初期型フィットは完成度が高かったようで、二代目フィットは噂レベルですが設計や部品品質が逆に悪くなり、経年劣化などが激しかったと聞きます。実際、二代目が発売されてから数年後を見ていても、街中を走っているのは初期型が多く、二代目はなんかすぐに世の中から消えた感じがします。

 三代目フィットからはハイブリッド仕様が出て、これによりその後トヨタ・アクアが続くハイブリッドコンパクトカーというクラスが生まれました。もっともこの三代目フィットはハイブリッドと言いながらも今で言うスズキなどの「マイルドハイブリッド」という呼称の方が適切なくらいレベルの低いもので、四代目フィットからゼロスタート機能を備えたハイブリッドエンジンになりましたが、はっきり言って技術的に未熟だったことから四代目は発売後はソフトウェアプログラム修正のためリコールが相次ぎました。
 たまにホンダの技術はエンジンが優れているという人がいますが、私はそうは思っていません。このフィットやN-BOXを始めとする内装設計は神がかっていますが、エンジン技術はやはりトヨタ、次いでマツダ、スズキではないでしょうか。塗装に関してはマツダ、ターボに関してはスバルか三菱でしょう。

リクナビ予測、トヨタとホンダが購入 合否への活用否定(朝日新聞)

 それでようやく本題ですが、例のリクナビの他内定辞退予測データを他ならぬトヨタとホンダが買っていたようです。っていうかどこがこの手の購入者情報洩らしてるんだろう、多分リクナビ関係者な気がしますが。

 この問題で議論すべきは、この問題を購入する側はギルティオワノットギルティかでしょう。データを加工、販売していたリクナビに問題があるのは言うまでもなく、少なくとも利用していた学生は自分のデータがこのように加工されて販売されることになるとは知らされておらず、規約には「加工するかもしれないよ」と書いてあったでしょうが、内定取消に繋がりかねない不利な内容をこのように販売されるというのは消費者保護、並びに利益相反的にも問題が大きいことは間違いありません。

 では購入したトヨタとホンダは問題ないのか。私の見方はあると考えます。
 というのもこの手のデータ、採用選考以外には使えるはずのないデータです。しかも予測にしか過ぎないデータであり、本人の意向や個性などが一切無視して弾き出されたデータにもかかわらず合否判定に採用すること自体異常極まりません。トヨタもホンダも取材に対して使用したことを認めてはいますが、なんとなくバツの悪い言い方をしており、使用していたことに負い目を感じているようにすら見えます。負い目を感じるようなデータを使うあたり、問題のあるデータであることは十分承知していなら購入していたと私には思え、となるとやはりギルティであり何らかの処分や処罰をけじめとして受けるべきだとすら思います。

 なお取材に対してトヨタは「辞退者を減らすため」だったと認めていますが、ホンダに関しては「データは、就活イベントに参加した就活生への対応のために使った。採用試験の合否判定には使っていない」という苦しい言い訳を見せています。
 採用の合否判定以外にはほぼ使えないデータだと言うのに、このホンダの言い訳は見苦しいもいいところでしょう。敢えて例えるなら風俗店から出てきた所を直撃され、「中で飲食をしただけだ」というような言い訳に近い気がします。

 私はフィットやN-BOXの設計(特に内装)に関してはホンダを認めますが、会社としてはインサイトでプリウスのリアデザインを丸パクリしたことを始め、非常に信用のおけない会社だと見ています。はっきり言えば日系メーカーの中で一番嫌いです。

2019年8月11日日曜日

自覚なきデマ拡散

 昨日は台風9号が上海に直撃したため、朝からずっと激しい雨が降っていたため、家で自動車業界に関する記事を書いていまいた。雨が少し弱まった夕方に果物でも買いに行こうと外に出て階段を降りたら一階踊り場付近が浸水していて、一歩も外に出られない状態でした。

波平は京大卒?ノリスケが東大?! サザエさん「学歴デマ」はなぜネットで広まり続けるのか(J-CASTニュース)

 話は本題に入りますが、上記のようなデマが拡散されている模様です。以前自分も「いかりや長介から志村けんへの手紙」というデマについて検証したことがありましたが、構造的にはこれも全く同じで、昔のネット上における冗談が何故かあとから真実として掘り返されたような経緯のようです。
 別に今に始まるわけじゃないですけど、この手のデマ拡散は絶えません。先日も友人がどっかから「上戸彩が離婚だって」とニュースリンクを持ってきましたが、元ネタは数年前の週刊誌の記事で、「デマを拡散するな!」と割とガチで怒りました。その時の言い訳が、「この記事を紹介したサイトがあって、あっちが悪い」とのことでしたが、だいたいこんな感じで、デマやフェイクニュースを拡散している本人らは伝聞を流しているだけで、自らに責任を感じないというのが大きな問題でしょう。

 まぁこんな事言う自分も昔、「10ターン以内に倒したらエスターク仲間になるって」と、フェイクニュースを拡散していましたが。

 なお今回のサザエさんデマについてですが、波平が京大卒という点が少し引っかかります。というのも自分もよくプライベートで「大学は京都に進学した」と言うとほぼ毎回「京大?」と聞き返され、地味に傷ついているからです。まるで京都には京大しかないかのように毎回言われるのですが、実際には京都は京都市内だけでも大学が密集しており、学生数も半端じゃないです。
 第一、「東京の大学に通った」といって「東大?」と聞かれる奴はいないでしょう。なんで京都ばっかこんな感じで「京大にあらずは京都の学生にあらず」みたいな扱い受けなきゃいけないんだって言う点で不満この上ありません。

 あと全く本題とも関係ありませんが最近回りの関西出身者とよく、「東京のタワマンより京都市内三条通りや御池通り沿いの物件の方が価値不動じゃね?」って話をしています。というのもこの付近は建物の建築高さ制限や景観規制が非常に強い一方、日本屈指の観光地近くということもあり、既存物件が非常に高値で取引されながらも、年月によってその価値が落ちるどころか近年はむしろ上がってきているところすらあります。
 実際住むことになったら京都特有のしきたりで苦労するでしょうが、人に貸すような賃貸物件とか、税金対策としてならかなりおすすめです。

2019年8月9日金曜日

壮絶な死に様

 今日の会社での同僚との会話で、

「今日発売の進撃の巨人の最新刊を昨夜日付が変わった時間にダウンロードしたんだ(人´∀`)」
「そんな夜中まで起きてたの?(´・ω・`)ハヤクネロヨ」

 割と真顔で諭されて、(´゚д゚`)っという顔を浮かべるしかありませんでした。

 話は本題ですが、先日Steamで購入したことをこのブログでも書いた「ザンキゼロ」というゲームですが、まだクリア前とは言え最終盤まで来ています。遊んでみた感想としてはとにもかくにもシナリオがいいのと、探索型アドベンチャーとしてみた場合、グラフィックが非常に良くて実際に探検している感覚がある上、敵が割と恐い造形していて恐怖感がそそられて非常に良く出来ています。探索中に何人か死んだ後からのリカバリがやや厳しいという点がありますが、十分に遊べる作品だと太鼓判は押せます。

 そんなこのゲームですが、一番の特徴は「何度死んでも蘇ってまた戦う」というコンセプトでしょう。簡単に説明すると、主人公たちはみんなクローン人間(クーロン人間ではない)で寿命が約二週間しかなく、その間に幼年期、青年期、壮年期、老年期ごとに見た目も変わり最後には死にます。そして死んだ後、ゲーム中で獲得したポイントを使ってクローンとして再生させ、再び戦いに赴くといった流れになります。
 もちろん寿命だけでなく、敵に殴られたり、罠にかかったり、アレルギーのある食べ物を食べたりしてもその時点で死にます。ここがミソなのですが、死因によって次回の再生時にはボーナスが付き、例えば殴られて死んだ後だと打撃に強くなって、アレルギーで死んだあとならアレルギーを克服するようになります。そのため要所によっては敢えてキャラクターを死なせることも、攻略上では求められてきます。

 そんなこのゲームを遊んでて、これまでに獲得した死因ボーナスを昨日確認していた所、あるキャラが幼年期にまだ一度も死んだことがなかった事に気が付きました。幼年期に死んでおけば最も体力のある青年期の寿命が増えるだけにこの際だから今のうちに殺しておこうと思ったのですが、どうせ殺すならもっといろんなボーナスが得られるようにしてからでも遅くないと考えました。
 具体的には、そのキャラは生まれてから死ぬまでに60回以上食事してから死ぬと再生する際に必要なポイントが減るというボーナスが付きます。この条件もまだ達成していなかったので、スタミナはマックス100%に関わらず野うさぎの丸焼きを15体、キャベツを45玉をその場で食わせました。

 なおこのゲーム、食事や行動を取るごとに便意というパラメータが上がります。これはトイレに行けば解消できるのですが、解消しないまま100%に達するとガチで失禁し、「悪臭」というストレスが溜まるバッドステータスが付与されます。
 ただこの失禁ですが、失禁状態のまま死ぬと次回以降は失禁しづらくなるというボーナスが付きます。なので件のキャラはキャベツ45玉の一気食いの際にそのまま漏らしてもらいました。

 その上で、実際に死んでもらうために装備を何も付けないままダンジョンへ行ってもらい、手頃なイノシシを見つけると何も抵抗せず敢えて攻撃を受け続けて死んでもらいました。これによって、幼年期で、失禁したまま、イノシシに、突撃喰らって死んで、一挙に5つくらい死因ボーナスを獲得することに成功しましたが、心のなかではなんかちょっと申し訳ない気にさせられました。

2019年8月7日水曜日

表現の不自由展について

【動画】 津田大介「天皇の肖像焼くけど、二代前だから大丈夫だよねwww」(痛いニュース)

 騒動がやや落ち着いてきたのでそろそろかと思うので、この表現の不自由展について書きます。結論から書くと、何故内野も外野も展示中止となって騒いでいるのかが私にとっては逆に不思議です。

 展示内容や中止の背景、それを巡る議論については他所でやっているのでここでは省略します。この展示会の出展物に対して私が持った論点としては、「それは芸術(表現)か?」という点です。はっきり言えば、槍玉に挙げられた慰安婦像、昭和天皇の写真を燃やす映像、あと特攻隊員寄せ書きを使った「間抜けな日本人の墓」を見る限りだと、これらは芸術とはとても思えません。
 芸術というのは触れた人間を感動させる、もしくは製作者が何らかのメッセージを伝えることを意図して作った創作物です。しかしこれらの作品からははっきり言って感動する要素は感じられず、メッセージ性も何も読み取れません。感じられるのは日本人を含む特定層を煽るというか挑発、嘲笑するような態度で、展示物一覧からは「中止にできるものならやってみろ!」と言わんばかりの、ヤンキーがが警察を挑発するような態度しか見えません。

 また百歩譲って私が読み取れなかっただけで、製作者がこれら作品に何らかのメッセージ性を持たせていたと仮定したとしても、やはり腑に落ちない点があります。というのも騒動後のインタビューなどで主催者や製作者側は、「慰安婦をモチーフにしたわけではない」、「昭和天皇だとは思わなかった」などと、誰がみても嘘だとわかる情けない言い訳を呈したと報じられています。もし訴えたいメッセージがあったとしたなら、格好とも言える場のインタビューで何故それを訴えないのか、それどころか非難をかわすためにしょうもない嘘をどうしてついたのか。どちらであろうと、表現者しては呼ぶに値しない態度です。

 私が思うに、主催者や製作者はこれら作品にメッセージを持たせたり、自らのセンスを表現することが目的だったわけではなく、先程にも書いたように初めから世間に対しともかくなんでもいいから挑発するという態度を示すこと自体が目的であったようにしか見えません。展示会名称自体が「表現の不自由展」としているあたり、敢えて検閲や規制を受けそうな、それどころかなるべく多くの人に不快感を持たせる作品やモチーフをわざと選んで出展し、世間から悪目立ちすること自体が狙いだったと思えます。
 そういう意味では狙い通りに世間が反応して中止に追い込まれたのだから、ある意味私は中止を求めた行政側も、挑発しておきながら「検閲、弾圧された!」と主張する口実を得た主催者側もWin-Winな理想通りの結果だと言え、よかったよかった万歳三唱で終わる話だと考えています。お互いが望んだ結果に落ち着いたわけなのだから、お望み通りに中止に追い込まれたのだから規制だ検閲だ不謹慎だとか主催者側の関係者が言うべきではないでしょう。

 その上で更に述べると、先程も書いた通り問題となった展示物はやはり芸術ではなく、ある意味で特定団体のプロパガンダと言える代物だったと考えます。

 これが報道の立場からの意見か表現の立場からの意見かは自分でもよくわかりませんが、基本的に芸術や表現は、他人を不快にさせること自体を目的に作ってはならないという不文律があると昔聞いたことがあります。無論、アンパンマンマーチですら不快に感じる人もいるかもしれず、誰にとってもノーストレスで不快感を感じさせない文芸を含めた芸術なんて実際には存在し得ません。また特定の強いメッセージ性を打ち出すため、映画のLGBT描写をはじめ、相当数の特定団体や民族が不快に感じる内容が盛り込まれることは現実には珍しくありません。
 ではどこまでならそうした「不快要素」の盛り込みが許されて、どこまでなら許されないのか。私が考えるにポイントはやはり「そこに訴えたいもの(メッセージ性)があるか否か」と、「特定層に不快感を催させることを目的に作られたか否か」だと考えます。

 メッセージ性があって特定層を攻撃するつもりで作ったものでなければどんな作品でも免罪されるとは私も思っていませんが、少なくとも芸術か否かはこの二要素から判断できると思います。ある意味、この二要素を満たした上で賛否が5:5に近い形で分かれるような作品は、「議論を呼ぶ作品」としてその芸術的価値は逆に高いのではないかとも考えます。
 実際、表現というのは敢えてきわどい部分を狙って、「果たしてこれは世間として許容すべきか否か」という議論を世間に持ちかけることも重要な要素です。ダンテの「神曲」など宗教的タブーに切り込んだ作品はまさにこうした典型で、当時拒否反応が示された内容が現在では許容されるのは、こうした「ギリギリへの挑戦」の積み重ねと言えるでしょう。

 翻って今回の展示ですが、一部ネットでも言われていますが昭和天皇の写真を燃やす映像が昭和天皇、だけでなく毛沢東やスターリン、二代前のローマ法王とかの写真も一緒に燃やすものであれば、まだ自分の見方は違っていたでしょう。しかし他の展示物なども合わせて考慮すると日本人、それも右翼層を不快にさせるという目的がはっきりと見てとれます。
 中には、右翼層への攻撃こそがこれら作品のメッセージ性だと主張する方もいるかも知れませんが、そこでヒウ一つの判断要素こと「特定層を対象に不快感を催させることが目的」に引っかかるわけです。別に私は特定層に対して非難や攻撃を加えることが悪いことだと思ってないしどんどんやればいいと思いますが、そうした非難や攻撃手段を「芸術(表現)」と呼ぶのは明らかに間違っていると断言します。敢えて言うなら檄文や嫌がらせの類であって、少なくとも芸術ではなく特定思想に基づく特定対象への言論攻撃ことプロパガンダの方が定義としては適切であり、その上で芸術展示会で展示するものではないと思います。
 その上で言えば、芸術という皮を被るようなことせず批判するならもっと堂々と批判しろよと言いたいものです。

 なお個別作品について言うと、昭和天皇の映像について津田氏は「二代前だから大丈夫だと思った」と言っていますが、じゃあ三代前、四代前ならもっと大丈夫だよねといって写真とライター渡しても燃やすことはないと思います。何故なら昭和天皇だからです。
 あと慰安婦像については、自分がやるなら慰安婦をモチーフした像の側に敢えて「進撃の巨人」の109話を置いて誰でも読めるようにしておきます。

 最後に、今回のこの騒動でニュースを色々追っていましたが、ほとんどのメディアは「慰安婦像」ばかりクローズアップして、その他展示物、具体的には何度もこの記事で出てくる昭和天皇の映像とか、特攻隊寄せ書きを使った展示には全く触れていませんでした。産経だけはまだそういった他の展示物についても触れる記事を書いてていつもながらの平常運転だなと内心思いましたが、今回に関しては産経がやはり正しいと思います。
 正直、慰安婦と昭和天皇を比べるなら日本人にとってやはり重たいというか重要なのは後者でしょう。慰安婦は無視していいとかいうわけじゃありませんが、優先順位で言えば絶対的に天皇のほうが上で、問題ある展示としてクローズアップする対象としてはこちらが明らかに上であるにも関わらず、産経以外のメディアはびっくりするくらい黙り決め込んでて、こちらの方が私には奇妙に思えました。
 そういう意味で私としては、「表現の不自由展」というのはある意味今回の各メディアの報道模様こそが相応しいタイトルである気がします。まぁ私が一番頭にきた展示は、特攻隊員の遺稿を嘲笑うようなあの展示でしたが。

2019年8月6日火曜日

自動車にザクカラーを

 先日、また自動車のプラモを購入しました。残業しまくったせいでいつでも好きに休める身分(仕事さえなければ)であり、早く次の休みにでも作りたいのですが、このプラモキットを見て思うところがありました。

「赤いやん……」

 買ったキットの外箱に描かれている塗装色はオレンジなのですが、中身のボディパーツを見ると割とベタッとした赤色しており、なんとなくシャアっぽい色になってます。まぁ自分でプラモを塗装することもないし組み立てるのが目的なのであまり気になりませんが、ふとここで思ったのは、「シャアカラーはよくコラボあるけど、ザクカラーはないやん」ってことでした。

 シャアカラーと言ったら言うまでもなく赤ですが、過去に自動車ではトヨタのオーリスがバンダイナムコとコラボレーション企画を行い、「シャア専用オーリス」と銘打ったコンプリートカーを売り出したことがありました。っていうか中古車出回ってるんだな。
 ナビとかシールとか外付パーツとかもついていますが、コラボ当時私が思ったこととしては、「ただの赤いオーリスでも言い方次第だな」といったところで、割とボロい商売に見えました。一応メディアにも取り上げられてそこそこ盛り上がりましたが、オーリス自体が人気がなくその後ブランド名すら廃止され、現在は「カローラスポーツ」と名乗っていますが、正直あまり売れているようには見えません。割と自分はハッチバック好きだから気に入ってたけど、値段と性能見るとびっくりするくらい納得しました、売れない理由が。

 話は戻りますが、シャアとのコラボ企画は多いのになんでザクとのコラボ企画、というよりザクカラーの自動車は出ないのかがやや不満です。言うまでもなくザクはガンダム作品を代表するモビルスーツであり、あのベタッとした光沢のない緑色は一目見るやザクかガチャピンしか連想できず、もっとコラボがあっていい気がします。というより、まちなかでもかなり目立つから塗装ラインナップに入れても十分でしょう。
 それこそ定番カラーに入れるのが難しいのなら特別仕様車として、さっきのオーリス見たくコラボ企画みたいな形で「量産型仕様」といった感じで売り出せば、私みたく心動かす消費者が少なからずいると思います。

 宣伝文句もガンダムのセリフは応用しやすいものが多いです。私だったら大気圏突入時のセリフをもじって、

クラウン「少佐ー!買ってください!」
シャア「口座には一括購入できる現金はない。気の毒だが」
アムロ「ローン払いがあるじゃないか」

 こんな感じのセリフでCMをながすことでしょう。

 ただこのコラボ企画を行う場合、ザクカラーだけではややもったいないです。それこそガンダムとのコラボ企画でやるのなら他のも取り入れたいところで、さっきのオーリスみたくただの赤い塗装を「シャア専用カラー」と言うだけ言ってみるのもありでしょう。これでも物足りないならブルーの塗装を「ランバ・ラル専用」、ブラックの塗装を「黒い三連星カラー」などと称して、黒い三連星カラーは「三台買うとジェットストリームアタックが付いてくるぞ!」なんていうのもありでしょう。
 っていかもとからある塗装色でも、こういって言い換えるだけでもなんかプレミア感がつく気がします。

 このほか使えそうな色だと、シルバーを「ザクⅢカラー」といった挙げ句、通常のザクカラーと全く同じ色なのに「ザクⅢ改カラー」と無駄に分けるのも面白いかもしれません。それ以上にやばいのはホワイト色で、これを「シン・マツナガ専用カラー」などと言ったりしたら松永さん来たらもうこれ買うっきゃないでしょみたいな感じでプッシュできそうで怖いです。

 それにしてもこうして書き連ねてて思うけど、最近の新しいガンダムって無駄にカラフルなものが多く、トレードカラー的なものが少なくなってる気がします。やっぱ単一色って大事です。

2019年8月5日月曜日

皇道派と統制派の源流

排除された長州閥、昭和陸軍のえげつない派閥闘争(JBpress)

 というわけで全く受けなかった歴史連載の三本目ですが、自分としては割とこの記事は気に入っています。というのも、旧日本陸軍の歴史を揺るがす派閥抗争の主役である皇道派と統制派について、どうして成立したのかという過程がうまく書けている気がするからです。

 皇道派と統制派は、大学受験で日本史を先行した人間、並びに戦前軍事史に興味がある人間にとって忘れたくても忘れられない用語といっていいでしょう。陸軍内で生まれた両派閥の抗争は永田鉄山の斬殺(相沢事件)、そして二・二六事件の勃発にまで発展しており、特に後者は日本近現代最大のクーデター事件としてその歴史的価値も重いです。
 ただ、この皇道派と統制派がどうして生まれ、何をもって争っていたのか、一体どういう基準で派閥が生まれたのかという経緯については、大学受験時の私はいくら調べても全く理解できませんでした。皇道派がその名の通り尊王意識が強い集団なのかというと、統制派も決してその方面の意識が弱いわけではなく。皇道派は若手将校が多く統制派が中堅より上の軍幹部が多かったといいますが、皇道派も軍の要職にいた幹部は少なくありません。

 またかつて作家の佐藤優氏はこの両派閥の抗争について、単なるポストをめぐる世代間抗争だと評したことがありましたが、これもやはりしっくりこないと言うか、確かに皇道派が若手将校が多いものの、そんな軍内の世代抗争はどの時代、どの国にも普遍的なもので、何故戦前の日本においてこれほどまで抗争が先鋭化したのかという点で疑問でした。
 そもそも、両派はいつどうやって生まれたのか。各歴史本でも突然生まれた、もしくは始めから底にあったかのように説明しているものが多く、このほか統制派だった元軍人は「自分たちで統制派とは名乗ってなかった」、「皇道派の連中が勝手にそう呼んでいた」、「後世になってから呼ばれ始めた」などと証言しており、本当にこういう構想というか派閥が分かれいたのかという点でも疑問でした。

 最後に、両派閥の区別と言うか主張の違いは何だったのかという点において、日本の防衛構想でソ連を仮想的にして北に備える派(皇道派)と、中国を先に叩いておいてからソ連に備える派(統制派)という違いがあったという説明もありました。しかしその後の経過を見ると、皇道派に属すと思しき軍人が結構満州事変に関わってたりして、方針と行動に一致しないようにも感じました。ならなんでこいつら争ったのか、このへんでますますわからなくなりました。

 そうした疑問を長年に渡り抱えて来たのですが、最終的には意外なところからこの両派閥のルーツを知り、なんであそこまで憎悪し合ったのかが一気に合点が行きました。その経過を説明したのが、今回の記事です。

 実際に記事を読んでもらえばわかることですが、皇道派も統制派も、元々は反長州閥のために結託した同じ穴のムジナだったということです。最初のきっかけは「バーデン・バーデンの密約」に集まった岡村寧次、永田鉄山、小畑敏四郎(のちに東条英機が合流)の面々が陸軍内の要職を占める長州閥を追放しようと連盟を組んだことに始まります。このメンバーが中心となって非長州系の荒木貞夫や真崎甚三郎を陸軍内で盛り立てつつ、賛同者を集めて徒党を組んで出来たのが一夕会でした。
 この一夕会は事実上、反長州閥連合といってもいい派閥で、かなり執拗な嫌がらせなどの運動もあって長州出身者の勢力を陸軍内から追い出し、一夕会メンバーで要職を占めることには成功しました。これで話はめでたしめでたしとなればよかった所、発足メンバーだった永田鉄山と小畑敏四郎が前述の防衛方針を巡って意見が対立するようになり、これにより一夕会が分裂したことで、皇道派と統制派が成立するに至ります。

 以上の通り、皇道派も統制派もそもそもは「反長州閥」という思想で共通していました。それが主導権を握るや、さらなる実権を狙って対立して分裂した、というのが私の理解です。ですので防衛方針の食い違いが対立の端緒とはなったものの、実際この方針の違い自体はそれほど大きな思想的対立理由ではなく、それ以上にむしろ「元同志間の権力闘争」という点のほうが互いの憎悪を高めたのではないかと見ています。
 説明するまでもないと思いますが、初めから敵だった相手よりも、元は仲間だったのに今は敵という相手の方が人間、激しく憎悪を持つものです。この皇道派と統制派の場合、なまじっか共同で実権を握った後だったから余計に始末が悪かったのでしょう。

 ここまでの流れを把握して、ようやく私の中で両派の抗争がストンと理解できました。流れとしては、

反長州閥で結託→長州閥追い出しに成功→実権握った、さてこれからなにしよう→微妙に内輪で意見が合わない→マジムカつくんですけど!

 こんな具合で、血で血を争う内部抗争へと発展したと見ています。もっとも二・二六事件に関しては、賄賂の横行や大不況という外的要因が、若手将校の多かった皇道派をより刺激することになったとも思え、統制派との対立だけが理由ではないでしょうが。

 なお統制派は永田が斬殺されてからは東条とその取り巻きが主導するようになるわけですが、どうもネットの声とか見てると、こうした継承を経ていることから永田と東条が混同されているフシが見られます。具体的に言えば東条は非常に賢かった、だから「カミソリ東条」と呼ばれたなどと書かれていることですが、「カミソリ東条」と呼ばれたことは間違いないものの、東条が賢かったというのは実際は違うでしょう。
 というのも、東条は陸大を卒業しているので十分エリートと呼べる存在ではあるものの、陸大受験では何度か落第していて挑戦可能なギリギリでようやく合格し、卒業時の席次も下から数えた方が早いです。

 一方、永田は陸大卒業時に次席(主席は梅津美治郎)で文句なしのエリートの中のエリートだっただけでなく、その頭の良さは陸軍内でもトップと誰も疑わなかったそうです。あるエピソードによると、試験前にも関わらず私見と全く関係のない中国語の本を読み耽っているのを見た同級生が、「やる気なくすから俺の前でだけはちゃんと試験勉強している振りしてくれ」と言われたという話が伝えられています。
 こうした永田の伝説が、一部東条のものと誤解されて伝わっている気がします。まぁ逆を言えば、海軍と違って陸大の成績順に出世が決まらないあたりは陸軍は現場重視だったということの証左ですが。

2019年8月3日土曜日

本能寺の変の家康黒幕説について

 今日ご飯食べながら大分昔に書いた「Zガンダム風、幸村と家康の対峙」を思い起こしていましたが、我ながら面白いもの書いた気がします。個人的には、

「脇から見ているだけで→脇から天下を狙っているだけで」
「ジ・O、動けジ・Oっ!何故動かぬ!?→旗本、戻れ旗本っ!何故戻らぬ!?」

 の改変が気に入っています。

 さてこの記事では徳川家康をZガンダムに出てくるパプテマス・シロッコになぞらえていますが、その点について考えていると、「なんかシロッコが上司のジャミトフを暗殺したように、信長も家康が実は暗殺してたりして」などという考えがよぎりました。

 信長の暗殺ときたら言うまでもなく本能寺の変ですが、一応実行犯は明智光秀であることに疑問を挟む余地がありません。ただ光秀が暗殺を実行した理由については未だはっきりせず、そのためか光秀に暗殺を指示した、またはそそのかした黒幕がいるとして、本能寺の変黒幕説は古今絶えません。
 具体的な黒幕候補としては、足利義昭や天皇家、漫画「へうげもの」以降からやけに耳にすることが増えた豊臣秀吉説などいっぱいありますが、どれも決め手にかけるというか根拠はなく講談の域を出ることはありません。中には、今回上げる「徳川家康黒幕説」も挙げる人もいますが、これはどちらかと言うと他の黒幕と一緒に並べ立てる一人物として、その根拠や推測理由すら出されないことのほうが多いです。

 では何故家康黒幕説は弱いのか。最大の理由は伊賀越にあるでしょう。
 本能寺の変当時、堺を見物中だった家康は現地で信長が暗殺されたことを知り、明智軍に狙われないよう急いで本拠三河へと帰国します。この際、主要道路はすでに封鎖され発見される恐れが高かったことから、艱難辛苦な伊賀の山道を越えてへろへろになりつつ無事脱出したことは神君家康伝説に盛り込まれています。

 このように、明智軍に狙われ、実際命からがら逃げ出した被害者であるということは、家康が黒幕であるという説を否定する大きな材料となります。ただ今回敢えてちょっとひねって考えたとした場合、「あいつがいるな」と思ったのは穴山信君です。
 信君は武田家を裏切って織田に付いた功績から、この本能寺の変の当時に家康ともども信長の歓待を受けて一緒に堺を見物中でした。各資料でも信長の死を知った際は家康一行と一緒だったと記されているのですが、家康とは別行動を取って逃げている最中、明智軍に追手を差し向けられ自ら自害したか、明智軍に殺害されたか、落ち武者狩りみたいに農民にやられたりしたかでとにもかくにも死んでしまい、家康のように本拠地への帰国はかないませんでした。

 何故この点に着目したのかと言うと、どうして家康と信君は一緒に行動を取らなかったのかというのが少し疑問に感じるからです。帰路はほぼ共通しており、どちらも一緒に明智軍に狙われる身です。さらには信長の死を知ったのも同時だったとされ、にもかかわらず両者は別行動を取った挙げ句、信君だけが死んでいます
 敢えて陰謀論っぽくいうなら、家康が信君になにか吹き込んだ、もしくは明智に信君の帰路を匿名を装って内通したのではないかと考えられなくもないです。こうすることで、明智軍の追手は信君の方に集中することとなり、家康一行としては追手の数を減らせて自らの安全をより高められることが出来ます。

 実際にと言うか、そうだったんじゃないかと伺わせる点もまったくないわけではありません。勘のいい人ならもう分かるでしょうが、信君を殺害した明智軍は信君を家康と勘違いしていたとか、家康を追っていたら信君だったというエピソードがいくつかの資料に残されています。信君を狙って信君を殺したならともかく、家康と誤ったのは何故なのか。それこそ古狸な誰かさんに、「家康はあっちの方に逃げましたぜ」なんて聞かされていたのかもしれません。

 またこの家康=被害者説のポイントを無視した場合、実質的に家康は本能寺の変によって大きな恩恵を受けています。いわゆる天正壬午の乱って奴ですが、信長の横死を受けて織田家が切り取ったばかりの信濃、甲斐、上野では織田家の家臣が地元の反抗などを受けて追われ、支配者不在のような形で突然大きな空白地が生まれました。この空白地をここぞとばかりに吸収したのが徳川家と北条家で、両家ともにごく短期間で支配地域を一挙に拡大させることに成功しました。
 仮に信長が本能寺で暗殺されなかった場合、家康の領土拡大戦略はこの時点で既に頭を抑えられていたに近いです。既に滝川一益を始めとした織田家家臣が北条家討伐に動いており、織田軍単独での制圧も不可能ではなく、下手したら家康の領土は三河と駿河止まりでそれ以上の拡大は望めなかった可能性があります。

 何がいいたいのかと言うと、領土拡大戦略的には信長を暗殺するメリットが家康にはあったということです。現実に信長の横死によって家康は短期間での大きな領土拡大に成功しています。
 仮に家康が光秀を唆したと考える場合、地味に京都や大阪近くにいたというのも工作面では好材料でしょう。直接的にしろ間接的にしろ、光秀や現地勢力と接触したり、自ら動いたりするチャンスは距離的には近くなるわけですし。

 無論、以上に挙げた主張は敢えて陰謀論に仕立てるならと考えて作った私の推測に過ぎず、私自身もそんなに家康黒幕説を信じているわけではありません。敢えてここまで書きませんでしたが、天正壬午の乱勃発直前、具体的には家康の三河帰国直後、家康は当初は明智討伐とばかりに西へと軍を動かしており、これは家康黒幕説を否定する有力な材料となるでしょう。
 もっとも、信長亡き後の政治的空白地における領土切り取り対象が当初は信濃方面ではなく、尾張を始めとする京方面というガッツリスタイルだったと考えることも出来ますが。

 でも仮にこの黒幕説を掲げてお話を作るとしたら、やっぱり家康ってシロッコなキャラがピタリと当てはまるように見えてきます。本多忠勝とかも、「落ちろ、カトンボ!」とか言ってたのかな。

2019年8月1日木曜日

何故この音が、聴こえてくるのか

 本題とは関係ありませんがセブンペイがサービス開始から7月の終わりとともに廃止発表されて、スマホゲーよりも早いじゃんとか思ってます。個人的には、「セブンペイ」という単語を見るたびに何故か昔MAXが歌っていた「Seventies」という曲の「( ゚д゚ )<セーブーンティーッス!」ってサビ部分の音を連想してたので一抹の寂しさを覚えます。

 話は本題に入りますが今を遡ること数ヶ月前、なんの気なしに上海市内のバーガーキングへ昼食へ訪れた私は、注文した品を受け取ると普段どおりに椅子に座ってタブレットPCを開きました。食事を取りつつ電子書籍を読むという優雅な休日を過ごそうとしていた矢先、それは聴こえてきました。

「゚(; ・`д・´)!!?」

 その音が耳に入ってくるや、その場が尋常ならざる状況であることを私は一瞬で悟りました。そして平静を装いつつ注意深く、その音の発信源をそっと探り始めました。息を殺して待っていると、その音は再び流れ、私の耳に入ってきました。気を払っていたこともあり、今度はその音がなっている方角が掴め、どうやら店内奥の厨房の方から聴こえてくることがわかりました。
 問題はこのあと、何が鳴らしているかです。私は最初、スマートフォンなど個人端末が鳴らした音ではないかと考え、誰がその持ち主であるのか探しましたが実際はさにあらず、あるスピーカーから流れていました。

 そうこうしている間にもその音は一定の間隔で鳴り続け、私の耳に聞こえてきます。そして何度目かを聞き終えた際、「間違いない。これは、あの音だ……」と認識しました。

JR東日本 ATOS接近音(Youtube)

 そう、上海のバーガーキングの奥から聞こえてきた音というのは、東日本にお住まいの方々にはお馴染みと言うかほぼ毎日聞くことになる、列車接近時に発車ホームで鳴るATOS接近音でした。敢えて文字表現するなら「クトゥトゥクトゥクトゥーン♪」って感じで私には聴こえます。嘘かと思うかもしれませんが、マジでこれと全く同じ音が上海のバーガーキングで聴こえてきます
 っていうか、あるかなーとか思って探してみたらマジでYoutubeで見つけられたことにも驚きを感じます(;・∀・)

 正直に言って、最初聴こえた時はなにかの空耳ではないかと思い、でもって二回目に聴こえた時は鉄道マニアの日本人の着メロかなんかかと思って、周囲に怪しい日本人はいないかと変に焦りながら探しました。しかし前述の通り、何度聞いてもこの音はキッチンの奥から聴こえてくるのでじーっと観察していた所、どうも厨房の方で注文を受けた料理をカウンターの方に送る際、もしくはカウンターに料理が到着した際に鳴らして、カウンター担当の店員に配膳を促すための通知音として使われているようでした。
 通知音の使い方としては理に適っていますが、一体何でよりによってこのSE(効果音)が使われているのかが不思議で、もはや電子書籍なんか読んでる場合じゃなくって飯食ってる最中もじっとその音を聞きながらいろいろ考えを巡らせていました。

 その後しばらくして、仕事の忙しさから夜遅くになることが多いのでバーガーキングだけでなくマクドナルドもよく使うのですが、マクドナルドでも全く同じJR東日本のATOS接近音が全く同じ用途で使われていることに最近気が付きました。ケンタッキーは家の近くにないので最近行きませんが、もしかしたらあっちでも個の音が使われてるのかもしれません。
 著作権とかどうなっているのかという点も気になりますが、それ以上に一体どういった経緯でこのSEが中国のファーストフード店で幅広く使われるようになったのかが気になって夜も眠れません。あと、この感覚は説明してもなかなかピンとこないと思いますが、中国のファーストフード店というありえない場所で変に聴き慣れた音が耳に入ってくると体が変に反応すると言うか、もうわかっていても結構驚きます。

 それにしてもこのATOS接近音、人でごった返すファーストフード店で聴いても一切不快感がなく、うるさいと感じない音であり、よく出来たSEだなと内心覚えます。多分中国の人も、「これいいじゃん!」と思ったから何の気なしに採用したのが実情かもしれません。