2018年9月25日火曜日

90年代の秋葉原電器小売各店のCM

 今日何気なく読んだ記事で、「最近の若い子には『素敵なサムシング』は通用しない」という文言が引っかかりました。



 「素敵なサムシング」とは何のことかというと、かつて秋葉原に存在した電器店「サトームセン」のCMで使われたフレーズです。長期にわたり同じCM映像が使われたことに加え、割と耳に残る音楽と歌詞から、私と近い年齢で関東圏で育った人間なら誰もが、上記のCMをはっきり覚えていることでしょう。
 もっともこのCMは関東圏でしか放映されなかったことから、何も最近の若い子に限らずとも、関東圏以外に住み続けている人であれば大人も子供もおねーさんもこのCMを知らないのが現実です。

 何気に私は大学進学で関西へ渡った際、「そうだ、京都へ行こう」のキャッチコピーをみんな知らなかったという事実にマジビビりました。っていうかJR東海は、「せや、東京いったろ」ってキャッチコピーも流行らせるべきだったでしょう。まぁ「よっしゃ、東京で暴れたろ」でもいいけどさ。

 話は戻りますがこのサトームセンは時代の流れに抗えず、2000年代に事実上破綻して、今やこの名を冠する店舗は存在しません。何もサトームセンの経営が悪かったというわけではなく、これは完全に時代の流れによるもので、このほかにも秋葉原にあった電器小売店は悉く消滅しています。



 こっちは石丸電気のです。こちらも「いしまるまるまる~」というフレーズが耳に残るCMで私にとっては非常に懐かしさを覚えます。先ほどのサトームセンはヤマダ電機に、石丸電気はエディオンに吸収されていたようです。



 他のライバルが悉く消えていった中、未だに現役で秋葉原で営業を続けているのがこのオノデンです。このCMも長期にわたり放映され続けたのですが、肝心のオノデンはそれほど店舗を拡大展開せず秋葉原で地道に営業していたので、「CMはよく見るけど一度も入ったことがないお店」というのがちっちゃい頃の私の印象です。
 逆を言えば余計な拡大戦略を取らなかったことから生き残ったとも言えるでしょう。なお2011年、いろいろ中国で苦しい時期にあった私は夏に一時帰国して、このオノデンで割とコスパのいいNECのLavieシリーズのノーパソを購入しました。この時に私はこのCMを思い出して、「ついにオノデンで買い物したぞ」と内心思ってました。





 こちらの二つは勝ち組というか、今も絶賛営業を続けているヨドバシカメラとビックカメラです。どっちもやっぱり記憶に残りやすい音楽とCM構成ですが、どちらかと言えばやはり「まあるい緑の山手線♪」で始まるヨドバシカメラの方に軍配が挙がるでしょう。覚えやすい歌詞に交通アクセスを上手く乗せて歌い上げるこのCMソングは日本の歴代CMの中でも特別優れたものだと個人的には考えています。
 それにしてもこうして改めて並べてみると、90年代の秋葉原電器小売店はみんな記憶に残るいいCMをよく作ってたんだなぁと思います。子供の頃の思い出補正も入ってるかもしれませんが、やはりどれも一目で記憶に残る内容で、またそれとなく時代背景を反映していていい映像だと感じます。

 なお本当はもう一つ、現在も中国資本下で営業を続けているラオックスのCMも入れるつもりだったのですが、時期的には94か95年の頃の、真っ白な背景のまま何も映像も音も出さず、終わり間際に「らーおーーっくすー!」って叫ぶ子供ながら非常に不快なCMの動画が見当たらなかったので見送りました。確かに名前は覚えたけど、ラオックスが電器小売店ということすらわからない内容で見ていて、っていうか音が突然途切れるから見ていなくてもテレビに目が向くこのCMはずっとムカついてました。

  おまけ
 何故か学生の頃、サトームセンのCMの冒頭で聞こえる「アォ!」って声を再現したくなり、一時期下宿の中とか外で自転車こいでいる最中によく「アォ!」って声出して練習していました。けど周りはみんな関西の学生で何の音の物真似か通じるわけもなく、なんとなく限界を悟っていつしかやらなくなりました。そもそもやろうと思った時点で何かおかしい気がしますが。

2018年9月24日月曜日

車のプラモ作って、記事書いて



 今日は日本同様に中国も中秋節のためこの週末は三連休でした。ただ金曜に世話をしている中国人の友人が上海にきたので泊めてあげて、翌日は恐らく気候が安定してきたこともあってかなんか急に疲れがどっと出て一日中夢うつつとなり、仕事しようと思っても全く進まずパワプロでオリックス優勝させていました(三連覇)。
 明けて昨日日曜日は、本当は原稿書かなきゃいけないのに現実逃避から前もって買っておいたR34のプラモを組み立て始め、2000年代に作られたプラモなだけあって組みやすく約3時間で組み終わりました。組み終わった時刻は13時でしたが、それからようやく昼ご飯食べに行く始末でした。

 最後の憂いというか言い訳が解消されたこともあって2時ごろから仕方なくパソコンに向かい、それから夕食の時間を抜いて夜10時くらいまで延々と原稿執筆、もとい資料整理に取り組んでいました。こちらの原稿は次々回のJBpressに使うもので、内容はまた自動車業界に関する内容です。せっかくR34を作ったんだから如何にしてこの車が現在日本で最もプレミア化が進んでいるかについても書きたかったのですが、テーマが異なることから今回は見送りました。
 っていうか一回くらいはそういうネタの記事書いてもいいかもしれません。前にも書いた、二系メーカー同士のパクリカーを紹介するなど。

 この原稿は本日午前の仕上げ作業を持ってようやく完成しましたが、資料自体はあらかじめ探して置いたものの、記事構成の関係から大半が使えなくなった一方で新たに必要となる資料が出てきたためそこそこ手間取りました。

 これはJBpressの編集長にもかつて話した内容ですが、極端な話、経済記事はグラフさえあればテキストはいらないと考えています。グラフからどんな内容を読み取るかは読者次第であり、テキストによる解説があった方が親切ではあるものの、グラフだけで必要な内容がすべて伝わるような記事が理想的です。
 そういう意味では経済記事はデータこと数字があってなんぼであり、数字のない経済記事なんて何の価値もないと内心考えています。経営者が今後の方針を語るインタビュー記事などありますが、言ったことをきちんとやるのか、やっているのかなんて保証がない分(現実にはほとんどやってないと思うし)、聞くだけ無駄だと内心思います。やはりそうした経営方針についても具体的な数字、目標売上高とか具体的な商品名、販売数、従来データなどを聞き出して書くべきでしょう。

 然るに、日本の経済記事はこの手のインタビュー系がやはり多いように感じます。もちろん全否定するつもりはなく中には数字がなくとも消費者の嗜好動向など参考になるのも少なくありませんが、もっと数字を使ったグラフを活用すべきだと日々感じます。そうした反発もあって私が書く記事に関してはやたらグラフを多用する傾向があり、今回も使わなかったグラフを含めると6個くらいExcelで書きましたが、どうして日本のメディアはこうしたデータを使わないのかあきれる以前にもはや不思議です。今回私が使ったデータもそんな珍しいものではないのですが、データ内容で検索すると変なシンクタンクが有料でしか公開しておらず、なんやねんこの情報不足な領域はと、つい中国と比較して思ってしまいます。

2018年9月20日木曜日

中国には存在しないもの

 最近、やっぱり中国ネタはJBpressで展開することが多くブログで書いていないので今日はこっちで書くことにします。なおJBpressは自分の歴史記事を読んで自分にアプローチをかけたそうですが、その際に「中国ネタと歴史ネタどっちで行く?」と私から尋ねたところ中国ネタを要望されたので中国ネタを中心にコラム書いてます。
 ただ中国ネタしか書けないと思われるのが嫌なので今年は歴史ネタを強化したのですが、もう十分自分の実力は証明したと思うので、また別のジャンル挑戦しようかなと画策中です。漫画・ゲームネタはさすがにやるわけにもいかないし、比較的現代の政治事件批評とかかな。

 話は本題に入りますが、日本ではごく一般的なのに何故か中国には影も形も全く存在しないものがあります。もったいぶらずに語るとそれはなんとガムテープで、マジで不思議でしょうがないのですが中国にはありません。
 そのため荷物を梱包するダンボールにはビニールテープ、敢えて言えばガムテープ幅のセロハンテープを使うのですが、これがまた切りにくいし、切った後も切断箇所が見えづらくて再使用する際にはいっつも手間取ります。また剥がす際も変に粘着力が強い上に破り辛く、引き剥がした後も変に強靭な素材ゆえかゴミとしてもガムテープと比べると鬱陶しいです。

 なおダンボールに関しては基本と日本と差はなく、このところのネット通販の発達もあって段ボールメーカーはどこも景気がよさそうです。何気に前に住んでた昆山には日系の段ボールメーカーも多くて遠目にも羽振りよさそうでした。

 ダンボールは日本と変わらないのに、何故ガムテープはないのか。何気に一時期メーカーでくっそ思い鉄鋼部品の梱包とかやらされてたのでわかりますが、いざガムテープがないとほんと梱包って大変です。やはりガムテープの長所としては切りやすい、剥がしやすい且つ粘着力が必要十分ってところで、セロハンテープと比べると雲泥の差があります。また梱包に限らぐ家庭でも大活躍するというのに、どうしてこんな便利なものを中国は使わないのかいろいろと納得のいかない点が多すぎて困ります。

 ちなみにガムテープが存在しないことを改めて認識しなおしたところ、「これじゃガムテープデスマッチはできないじゃん(;゚Д゚)」って思いました。

 ガムテープデスマッチとは読んで字の如く、片手と車のハンドルをガムテープで固定してダウンヒルで早さを競い合うモータースポーツのことです。片手の位置が固定されることからハンドルの回転量も制限され、必然的にカーブでは思い切ったドリフト走行が求められる上、一歩間違えたら姿勢の修正が効かないこともありクラッシュで決着がつくことも珍しくありません。
 カーブでドリフト走行が要求されることから、駆動方式としては圧倒的にFFが有利(アクセル操作で姿勢制御が可能)で、逆に挙動が不安定となりやすいFRやMRだと死にに行くようなもんです。なおアニメ「頭文字D」の15話におけるこのガムテープデスマッチ決着時における挿入歌が入るタイミングは神がかっており、自分はこのシーンを見たことでこの作品に一挙にハマりました。

2018年9月19日水曜日

世界一高い料金で世界最低のサービスな日本の携帯電話

携帯料金、東京が「世界最高」…パリの4・2倍(読売新聞)

 一読してさもありなんと正直思います。
 この件に関しては過去にJBpressでも中国の携帯電話料金を比較してかなり大きな物議をかもしており、どうもそれ以来「花園祐 反日or左翼」ってワードを見るようになりましたが、見出しにも掲げた通り日本のユーザーは世界一高い料金を支払って世界最低のサービスを通信キャリアから受けている気がします。

 かくいう私も一応ウィルコム(現Yモバイル)のPHSを現在も契約し続けて日本帰国時に使っています。料金は大体月1500円なので、帰国してすぐ電話が使えるという利便性から年間通話時間が10分にも満たないにもかかわらず契約を維持してきましたが、近々サービスが打ち切られることとなり、代替策を検討しなくてはならなくなりました。
 実際に前回5月の帰国時、知人から勧められたプリペイド携帯を検討してYモバイルに聞きに行きました。知人が過去に契約したプリペイド携帯は年に一回料金をチャージすれば使い切らない限り使えたとのことでこれならと思っていたのですが、どうもこうした契約はなくなっており、代わりにあったのは確か3ヶ月ごとに料金チャージしないと問答無用で使えなくなり、またチャージした料金は3ヶ月後にはゼロにされて期間を継続して使えないという、実質3ヶ月毎に料金を支払わなければならないという誰得なプランになっていました。しかもその料金支払いも携帯ショップ行かないとできず、「中国ならネット決済一択なのにそれすらもできないのか(´・ω・`)」という点で呆れました。

 しょうがないので次回帰国時にはどっかのMVNOでSimカードだけもらおうかと考えています。これなら月々の基本使用料を千円台に抑えられるし、また余っている、且つ日本のやつより優秀なスマホがたくさんあるし、何なら今中国で使っているデュアルSimのスマホも流用出来ます。
 このように考えると未だに端末を紐づけて売る日本の携帯電話市場は、端末それ自体はガラパゴス携帯という単語が死語になるなど絶滅したにもかかわらず、市場は未だガラパゴスなままというかつて以上に歪になってしまっていると思えてきます。

 っていうか今度辺り新しいスマホ買おう。真面目に中国のスマホはブランドにこだわらなければ安くていいのが買えます。

東京五輪ボランティアの謝礼にみるデフレ

東京五輪・ボランティアに一日千円支給(痛いニュース)

 上記のリンク先記事は今日ニュースでも出ていたので知っている人も多いかと思います。やはりネット上の反応は批判が多いというか呆れたという声が多いようです。かねてから東京五輪ボランティアに交通費の実費支給すらしないことに批判が集まっていましたが、そうした批判にこたえるかのように今回打ち出された1日につき千円のクオカード支給という斜め上なこの対応は、自分もなんやねんと思う内容です。

 今日改めて上のリンク先の反応を見ていて、国もこんな調子だから賃上げも起きないし、デフレも続いてんじゃないかと思えてきました。現在、政府はアベノミクスを声高に叫んでは企業に賃上げするよう求めていますが、その国と都が交通費や食事代といった最低限の経費支給すら行わず、見るからに安く済ませようと1日千円、それも現金ではなくクオカードで配るあたり、賃上げなんて起きるわけないでしょう。逆に本気でデフレを解消させようってんなら、このところ選挙のたびに現金配るくらいならこの東京五輪ボランティアに対して経費別途支給の上に1日1万円くらい配った方がずっと有意義な気がします。
 この点は私が確認する限りはまだ誰も指摘していないように思えるのですが、逆を言えば海外にいる私だからこそ気づいたのかもしれません。ややきつい言い方になりますが、日本人はすっかりデフレが当たり前で目の前の賃金関連事項についてもいまいち反応が鈍いデフレ脳なのではと少し思うところがあります。

 ついでにかくと折角総裁選やってるんだから石破氏もこうした五輪ボランティアの謝礼問題や、安倍首相が変に前のめりなサマータイム導入などについて批判した方がまだ世論の関心引いたのではないかという気がします。そんな石橋についてヤメ官の古賀茂明氏は、「論戦したら、石破氏の方が頭はいいし、はるかに論理的だということがすぐにわかる。」と評していますが、これに関して私ははっきりと間違っているとみています。
 正直言って石破氏の弁舌の悪さは筆舌にし難く、またこの総裁選の中で発した一連の発言も具体性を欠くばかりか、むしろ問題先送りを是とするような主張に強い違和感を覚え、あんなの見せられたら誰もが「まだ安倍首相の方が……」と考えるのではないかと思います。

 あまり自分も人のこと言えたもんじゃありませんが、どうも古賀氏については安倍政権憎しで現実を無視した発言をすることが多すぎる気がします。元からあまり参考にしていませんでしたが、今後に関してはクレジットを見た時点で記事読むのをやめることにします。

2018年9月17日月曜日

消費税10%への引き上げは行われるのか?

いまだ残る消費税率10%の「再々延期説」 先送りで憲法改正の後押し狙う?(産経新聞)

 結論から言えば、2019年10月に予定している消費税の10%への引き上げはまた延期というか、このまま半永久的に実施されないのではないかと見ています。理由としてはまず上記の記事にも書いている通り、政界、財界ともに引き上げの機運というか準備を全くしていないこと、次に安倍首相がこの方面について全くやる気を見せていないためです。安倍首相がやる気を見せないのは支持率を維持するためで、そもそも経済政策にも明るくなく財政健全化も「後の時代がやるべき課題。自分がやるのは憲法改正」と割り切っている節があります。

 また麻生財務大臣については表面上は安倍首相の見送り方針に反して実施に前向きですが、恐らくこれはマッチポンプでしょう。こう考えるのも前回の見送り時の動き方、そして森友問題をはじめとする財務省の一連の不祥事発覚時を見る限り、財務省を代表して動いていないと感じるからです。

 最近は本当に日本の政策について私も匙を投げているのでこうした判断についていちいち批判する気すら起きないですが、なんとなく人づてに聞いた、財務省が考えている将来の財源ウルトラCが現実味帯びてきたなという風にも見えます。ある意味で一般市民が消費税増税に反対するのは、天引き方式によって納税意識が日本人の中で薄いことが原因とも思え、そう考えるとふるさと納税を規制し始めたのもこの流れがまずいと感じたからかもしれません。

 この問題に絡めて書くのもなんだと思いますが、この10年間、業績が改善したという日本の企業の多くはほとんど売上げが伸びていません。売上げが伸びていないのに何故業績が改善されたのかというと単純に、人件費を削減してその浮いた分がそのまま利益になっているからです。
 また売り上げが伸びている企業も日本国内はほとんど変わらず、海外での売上増大による貢献がほぼすべてです。こんな状態で国内の賃金が増加するなんてありえず、増えたとする統計なんて眉唾だと思わない方がおかしいでしょう。

 所得の分配が良くないとかいろいろ意見もありますが、それ以前の問題なのではないかとこの頃思います。

2018年9月16日日曜日

自殺志願者への説得方法について

 昨日の記事で私は、「死にたい」と口にする自殺志願者はむしろ「これ以上生きていたくない」という価値観で、死への恐怖自体は持っている状態なのではないかという仮説を展開しました。ではそんな自殺志願者に対して、「死ぬのはよくない」と説得するのはいかがなものかというのが今日のテーマです。

 昨日にも書いた通り、一般的な自殺志願者のメンタルとしてはこれ以降も生き続けることが負担というか重荷に感じており、それが死の恐怖すら乗り越える水準にまで達しているのではないかと思われます。ではこうした人たちに死を思いとどまらせるにはどうしたらいいかですが、アプローチを一つずつ上げていきます。

1、死への恐怖をさらに高める
 死ぬこと自体への恐怖はあるのだから、生存忌避への意識以上に死の恐怖を高めてやればいいのではというアプローチです。具体的には、「死んだら訳の分からないところで働かせられるよ」とか、「閻魔様怖いよ」とか、「天国いけないよ」とかかなと思いますが、自分でも何言ってるんだろうかって気がしてなりません。あまり有効なアプローチじゃないと思うのでもう切ります。

2、生存欲求を高める
 生存忌避が意識が高いということは要するに生存欲求が落ち込んでいるともいえるので、生きていくことが楽しいとかプラスだと思わせるよう仕向けるというのがこのアプローチですが、今回の記事の主題として、こうしたアプローチの有効性について強い疑問を感じています。
 何度も書いている通り、一般的な自殺者は今後生存していくことに希望を見出せないからこそ自殺という手段を検討しているわけです。その背景は様々ですが、例えば病気から今後健常者のような生活ができないとか、借金を抱えてしまった人に、「生きてりゃいいことあるって」というのは、実現し得ない希望を要求するようで逆効果になるような気がしてなりません。彼らは「望ましい生活」が実現し得ないからこそ生存忌避を持っており、先ほどの説得は鬱病患者に禁句の「元気出せ」と言っていることに近い気がします。

3、視点をずらさせる
 自殺志願者は自らが望む生活や人生が送れないという意識が自殺を検討させているのならば、個人的に一番いいアプローチとしてはその「望ましい生活や人生」のイメージを変えてしまうのが手っ取り早いと私は考えます。例えば「正社員で、家族に囲まれ、オフィスでバリバリ働いて休日は優雅に過ごす」というイメージを抱え、そのイメージ通りに歩めず苦しんでいる人がいたとしたら、「派遣社員で、独身ではあるが家族持ちより自由にお金使え、個人的な趣味に邁進できる」という人生の方が幸福であるかのようなイメージを吹き込むとかです。病気を抱えた人であれば、病気とは関係ない部分での人生に価値があると思わせるなどあるでしょう。
 真面目な学問の話をすると、社会学上で自殺は自己イメージと現実の姿とのギャップが開くことにより悩みが深まり発生するという考えがあり、私も現実の自殺はこうした背景に根を持つものが多いと感じます。恋人に振られての傷心自殺などはまさにこの典型でしょう。

 そういった場合はどうするかと言ったら、現実の姿は変えようがないのだからイメージを変えていくしかありません。なおこのように現実とのギャップをイメージを変えることで埋めることを「認知的不協和」と呼び、これは食べ損ねた料理を、「きっとおいしくない料理だろう」等と後付けで思い込んでストレスを減らすなど、日常でも多々見られる心理行動です。自殺志願者への説得というか思いとどまらせるには、こうしたイメージの転換が一番効果的だと私は考えます。

 最後に、今回私が提唱した生存忌避と死への恐怖の二つの概念の数直線モデルで、生存忌避がないにもかかわらず死への恐怖がない状態は死そのものに価値というかメリットを感じている状態で、切腹や死に物狂いの突撃がこれに当たり、一般的な自殺が「消極的な自殺」に対しこちらは「積極的自殺」と呼んで区別しました。
 これとは別のモデルで、生存忌避が高いにもかかわらず死への恐怖もさらに高い状態というのはどんな人間が当てはまるのか。敢えて言えば最近というかちょっと前に一部で出回ってこのところ聞かなくなった「無敵の人」がこれに当たるのではないかと思います。社会的地位や信用、資産などの失うものが何もなく、犯罪行為に対する処罰が何の抑止力にもならない状態で犯罪行為を犯すような人たちを現わす言葉ですが、現実に検挙まで至った彼らに共通しているのは現実に絶望して社会を恨んでいるにもかかわらず、その攻撃性が自己には向かわず(=自殺)外部へ向けられる点で、その方向ガイドとなっているのはなんとなく「死への恐怖」じゃないかなという気がします。要するに、死への恐怖が一段と強いにもかかわらずこれ以上生きていたくないという状態のように思えます。なんとなくですが、死刑に対して無駄に強がっているように見えるところもありますし。

2018年9月15日土曜日

「死にたい」という人は本当に死にたいのか?

 このブログの設立当初でこそ私は自分の専門を「国際政治」と「社会学」として掲げていましたが、最近だとどちらもあまり勉強しておらず、専門と名乗るのが怪しくなってきました。となると自分は自分には何が残っているのだろうかと考えたところ、何故か「自殺の専門家」というワードが浮かんできたのでまた自殺について考えます。

 さて見出しに掲げた「死にたい」というセリフですが、「自殺志願者マジハマりワードランキング」なんてのを取れば恐らくナンバーワンとる言葉ではないかと思います。しかし改めてこの言葉を考えた際、果たして自殺志願者は本当に死ぬことを望んでいるからこの言葉を口にするのか疑問が湧きました。
 この辺は言葉尻の問題ではあるのですが、いざ実際に自殺を遂げた際に自殺志願者(の霊)が「やったー、死ねたぜひゃっほー!」なんていう言葉を口にするとは思えません。では何故「死にたい」という言葉を口にするのかというと、そのメンタルを汲んだ場合はむしろ、「(これ以上生きていたくないから)死にたい」、つまり「もう生きていたくない」という心境から発せられるのではないかと思います。言い換えれば自殺志願者は死にたいのではなく、生き続けたくないから自殺という手段を検討していると言っていいでしょう。

 その上で、こういった言葉をわざわざ口にするということは、「死への恐怖」というもの自体はをまだ抱えているのではないかと思います。ないならわざわざ口にせず実行するだろうし。

 仮にこういった心境を数直線モデルで言い表すならば、それぞれ下限ゼロ、上限100の「生存忌避」と「死への恐怖」という二つの価値観を示すメーターを用意するとわかりやすいでしょう。
 一般的なメンタルの人間の場合(宇宙人でも可)、生存忌避が20に対し死への恐怖は80くらいだと仮定すると、自殺志願者の場合はこれが80:80、下手すれば90:80のように、これ以上生きていたくないという欲求を示す生存忌避が死への恐怖を上回っている状態にあることになります。
 具体的には大借金を抱えたり、大病を患ったり、ショッキングな裏切りにあったりと、生きる望みを失ったような状態で、人間が本能的に持つ死への恐怖自体は変わらないものの、その恐怖を乗り越えてしまうくらいに生きていたくないという気持ちが強いという意味で、この数直線モデルにおいてはこれが自殺志願者の価値観というか心理的状態だと考えます。

 では、この数直線モデルをさらに発展させ他の数値の組み合わせだとどういう人物像が出てくるのか?まず考えたのは生存忌避は一般人レベルに対し、死への恐怖がゼロという、「20:00」のような状態です。
 先の説明だと、生存忌避が死への恐怖を上回ると自殺が発生するような説明をしてますが、実際にこうしたメンタル状態でも自殺と考えていい行動が発生するだろうと思え、具体的に言えば心中や切腹、尊厳死というような自殺パターンです。

 この状態は一般人同様に生存を忌避しない(=生存欲求がある)一方で、死ぬことに対して全く恐怖がないという状態です。言い換えれば、死そのものに価値を見出して希求しているような状態で、それこそ最初に挙げたように、「死にたい」と言いながら本当に死ぬことを望んでいる状態となります。
 わかりやすい例としては上にも挙げた切腹で、特に本人が望んでの殉死などはこうしたメンタル状態をはっきり反映したものだと思います。殉死を遂げる人間としては死ぬ行為自体に価値を見い出しており、さすがに全く恐怖がないというわけではないものの、最初の自殺志願者のパターンとは明確に異なる背景やメンタルで自殺を検討、実行していることには間違いありません。いうなれば、「まだ生きてたいという欲求はあるが、それよりも早く死にたい」というメンタルでしょう。

 また自殺に限らず、自殺的行為を行う人間もこうしたメンタル状態にあると言っていいでしょう。というのも「生存欲求を持ちながら死への恐怖がない」とはどんな人間かを考えた際、真っ先に浮かんできたのは薩摩兵児こと薩摩の島津家武士達で、関ヶ原の「島津の退き口」や、火をつけた鉄砲を縄で浮かせて空中でくるくる回しながら酒を飲むなど、極端に死への恐怖が感じられないエピソードが山ほどあるからです。
 真面目な話、死への恐怖というかタブー性の低い文化圏や軍隊内では自殺の発生率が明確に高まることが証明されています。ある意味で薩摩の命知らず達もそういったメンタリティだから戦争にも強かったと思え、家康もこんな危ない連中相手にしたくないから島津家を取り潰しにしなかったのもなんとなくわかる気がします。

 話は数直線モデルに戻りますが、このモデルで比較すると「死への恐怖はあるけど生存を忌避する意識の方が高い」自殺志願者と、「生存忌避こそないものの死への恐怖はもっとない」命知らずとで、自殺行為を二つのパターンに分けることができます。現実に自殺研究でもこうした「普通の自殺」と、「心中や切腹及び死ぬとわかっていながらの突撃などによる自殺」は同じ自殺でもなんとなくタイプが違うという風には見られていますが、少なくとも私が把握する限りでは明確な区別はまだされていない気がします。というより、後者はほとんど無視されている気すらするし。
 そこで敢えて私が定義づけると、前者は「死にたくないけどこれ以上生きていくよりかは死んだ方がマシ」という価値観から「消極的自殺」、後者は「死ぬことなんかこわくないぞばっちこーい!」という価値観から「積極的自殺」という風に言い表せると考えます。そして両者とも、生存欲求と死への恐怖のバランスがおかしくなることで誘発されるというのが私の見方です。

 次回はこの数直線モデルの観点に立った上で、自殺志願者への説得の仕方について考えていきます。こうした記事をサクサク書いちゃう当たり、やはり自分の専門は自殺にある気がします。

2018年9月14日金曜日

サイコパスはドキドキしない?

 大分前に橘玲氏の「言ってはいけない」という本を読んでみたのですがその中で、「サイコパスとされる人物は常人と比べ心拍数が平均的に少ない傾向がある」という記述がありました。これは文字通りそのままの意味で、サイコパスと心理学上診断され、実際に犯罪行為などをやらかす人たちを検査したところ一般人と比べて誰もが平均心拍数が少ないという結果が出たそうです。またこうした人物の幼少期のデータを見ても同様の結果で、ちっちゃい頃から心拍数が少なかったそうです。

 これが何につながるのかというと、文字通りの意味では「サイコパスはドキドキしない」、言い換えると、「刺激に対してあまり受動的反応を示さない」ということだそうです。ドキドキする状況と言ったら一般的には恋愛場面、あと物壊したり遅刻したりして後で怒られそうって状況が挙げられますが、こうした状況でもサイコパスはあまり興奮したり、焦ったりせず、普段のまんま比較的落ち着いた心境を保つとのことです。
 またそれだけでなく、ゲームや行楽体験を受けると普通の人は心拍数の上昇とともに快を感じて楽しむ気持ちを覚えるのですが、サイコパスはこうした体験を受けても心拍数はあまり上昇せず、得られる快も一般人と比べて少ないようです。これがどう言った影響をサイコパスに及ぼすのかというと、快楽を得るためにより強い刺激を求めるようになり、ドラッグをはじめとする犯罪行為などに手を染めていくというルートにつながっているという説が提唱されていました。

 私個人の意見では、流れ的には確かになるほどと思えて非常に納得できる筋書きです。何もサイコパスに限らなくても当初は刺激十分に楽しめたゲームも何度も遊んでいると面白いとは感じなくなり、より面白いゲームはないかと探すようになり、また前に遊んだゲームよりグラフィック、ストーリー、BGMなどが優れているものを必然的に選ぶでしょう。映画で例えても、かつては感動できた映像美であっても十年後に見返すとしょぼいCGだと思ってしまうなど、刺激は慣れてしまうとより強い刺激でないと快が得られなくなります。
 サイコパスの場合はこのサイクルが常人より顕著であり、その原因の一端が先ほど挙げた心拍数にみられるというのが具体的内容です。現実の犯罪者を見ても神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇のように虫から動物、人間と殺害対象が徐々にエスカレートしていますが、この過程ではっきりと犯人自身が欲求を求めて行った結果であると述べており、特に殺人の際はえも言わぬ快感を感じたような証言を残しています。

 以上の事例を踏まえると、心拍数が少ない、というより受動的反応が弱く刺激に対してあまり反応しない人間というのはサイコパス的要素を抱えていると言えるかもしれません。無論、この一点だけでサイコパスだと判定できるわけでもなければ実際にそうだと言えるわけではなく、このほかにも共感性の欠如や将来予測の曖昧さなど他の要素も十分かつ慎重に検討する必要はあるでしょうが、刺激に対してあまり反応しないという感受性の弱さは相手の人間性を分析する上ではなかなかに重要な情報の一つだと私には思えます。
 ある意味でそれは経験が表れるとも言え、例えば私のようにホラーゲームやホラー映画を見慣れている人間はちょっとやそっとのグロテスク画像や怪談話ではビビらず、実際この前までやってたホラーゲームを遊んでいる最中も「こいつまた死んだよー(^ω^)」って感じで爆笑しながら遊んでいましたが、これは私がサイコパスというよりかは有り余るホラー体験を乗り越えてきた証であります。

 その逆に、本来なら経験しておらず初めてなはずの体験(仕事や動作)でも全く緊張もなく動じずに淡々と行ってしまう人間がいたとした場合、別に上記の話を知らなくても不気味さを感じる人の方が多いのではないかと思いますし、実際そういう人は注意するべき対象じゃないかと思います。この手の人間は何も将来サイコパスになって猟奇犯罪を起こしそうだっていうわけじゃなく、感受性の弱さから何か問題を起こした際も焦ったりとか恐れとかを抱かず、淡々と隠蔽とか見過ごしとかをやらかしかねないという意味で私は注意します。

 このような目線に立てば、サイコパスとされる人間は基本的に一喜一憂しない傾向があるため、やはりトレーダーなど、状況が激しく変わる現場での意思判断を行うような仕事が向いているのかもしれません。

 なお「サイコパス」というアニメに常守朱というキャラクターが登場しますが、このキャラは作中でどんだけショッキングな場面に遭遇、具体的には目の前で親友が惨殺されたり、親戚が拉致虐殺されたりしても、犯罪行為につながるとされるストレス(犯罪係数)が全く上昇しないという特徴を持ったキャラとして描かれています。日常生活では年相応のキャリアウーマンらしく喜怒哀楽もはっきりと出すのですが、周りもドン引きするくらいストレスに強いというか鉄人のようなタフな精神構造をしており、上記の定義に則るならやはり彼女こそが作中最大のサイコパスと呼べるでしょう。

  おまけ
 上にも書いた通りにもうすっかり遊び慣れてしまったせいか、最近どんなホラーゲームをしていてもビビることがなくなり、ゲーム中にキャラクターが死んだりしても、大抵大げさな死に方するからその死にっぷりのおかしさに笑ってしまうことの方が多いです。
 ただここ数年間でゲーム中、鳥肌が立つくらい恐ろしさを感じたことが一つだけありました。それは「ゼロエスケープ」というゲーム中での、本日結婚&妊娠を発表した能登麻美子氏の声でした。能登氏について普段は大人しめのかわいらしい女性キャラばかり演じていて内心では演技の幅が狭い声優だと考えていましたが、このゲーム内の演技というか耳にするだけで鳥肌の立つ声を聴いてからは認識を改められました。

 その後、能登氏はアニメ「ジョジョの奇妙な冒険(第四部)」のある意味ヤンデレの始祖たる山岸由花子というキャラにキャスティングされましたが、放映前は「ミスキャスト」だとか「イメージと違う」という声がネットを見ていても多かったように見えましたが、いざ実際に放映されると上記の私のように「怖すぎる」、「想像を超えていた」などと絶賛する声に溢れる結果となりました。もっとも上記の体験を経ていた私からしたら驚きはなく、現時点でも「最も怖い声は能登の声」と考えています。

2018年9月13日木曜日

所得統計過大疑惑について

統計所得、過大に上昇 政府の手法変更が影響 専門家からは批判も(西日本新聞)

 昨日出ていた記事ですが西日本さんもやるなぁと思ういい報道でした。ただ翌日の報道では「所得統計、内閣府も課題に算出」と、「統計所得」に「所得統計」といまいち表記が一致しないのはどないなんとか思うところがあります。

 さてこの一連の記事についてですが、結論から言えばまぁその通りだろうなと私は考えています。以前のGDPの統計操作疑惑の記事でも触れていますが近年の日本の統計は信用できない不可解な結果が多く出ており、別種の統計と合わせてみても何故こうしたプラス成長がはじき出されるのか腑に落ちない点が多々あります。はっきり言えば、現時点で私は中国の統計の方が日本の統計よりも信頼度が高いとすら見ています。まぁ中国もいくらか操作しており、今度JBpressで出す記事でもはっきりと、「これは弄ってるよ」と指摘してますが。

 今回の西日本新聞の報道を見て少し気が付いたのですが、GDPをはじめとする日本の経済統計でやや奇妙な点として、季節変動が小さすぎる気がします。季節変動とは「ニッパチ」に代表される、消費が活発化して経済が回る月と、そうでない月との差異です。日本では二月と八月が不景気付きで、逆に景気がいいのは三~四月と十二月頃です。
 なお中国では年によって一週間にも及ぶ春節休みが一月に来たり二月に来たりするので、このように月を跨いだ年は前年同月比が極端なプラスかマイナスに振れてしまいます。なので一~二月の統計はあまり参考にはせず、年初は第1四半期が終わるまで統計で議論することはありません。逆を言えば中国の経済統計で一~二月を比較する奴は間違いなく能力の低い記者が書いた記事と思っていいです。

 話は戻りますが日本の報道を見ていてすごい不思議なのは、やたら前月比とか前期比ばかり取り上げて、前年同月(同期)比については言及、分析されていません。統計的価値で言えば前年同月(同期)比の方がずっと価値がある、というのも前月比の比較では先ほど言及したように月ごとによって季節要因があって統計条件としては平等ではなく、あまり参考にならないためです。
 その前月(期)比ですが、なんかこのところ日本のデータを見ているとずっとプラス一辺倒であることが多いです。季節要因を考慮するとむしろ、いくら景気が上昇トレンドにあると言っても前月比成長率のグラフとかは上下に変動するのが自然です。それが何故か日本の近年の統計ではあまり見られず、なんか右肩上昇のグラフしかこのところ見てない気がします。

 はっきり言えば、ここ数年の日本の経済統計データは明らかに歪であり統計操作されている可能性が非常に高いとみています。この場合、How(どれほど)ではなく、Why(なぜ)こと動機こそ追求すべき点で、一義的には政策が成功しているという政権や省庁の成果喧伝でしょう。たださらに掘り下げて二義まで考えるとややいぶかしむ点があり、Who(誰)こと官邸と省庁のどちらが主導しているのか、そしてもう片方は何故それを座視しているのか、ここを考える必要があるでしょう。
 どちらにしろ、恐らく10年くらいしたら「この時代に統計操作が行われていた」みたいに検証され、モリカケ問題と合わせて「安倍偽装内閣」という二つ名がつくのではないかと早くも見ています。そう思うくらい最近の経済統計は私の目から見てやりすぎで、責任から逃れるためにも再選を目指さない方が良かったのにとこのところひとしきり思います。

2018年9月11日火曜日

兄より優れた弟は……

努力家だった兄と適当だった俺の人生(アルファルファモザイク)

 上のまとめ記事は最近読んだものですが、読んでてなかなか感じるものが多かったです。私自身は姉一人いるだけの末っ子ですが、やはり兄弟で弟の方が兄よりいい大学や就職先に進むなどしたら兄としては気持ち的に応えるものがあると推察されます。実際にこのようなものを気にした友人がおり、中学時代は中二病が激しかったものの割と何にも積極的に取り組み成績も優れた子だったのに、高校辺りからややバランスを欠くようになっていったのを見ています。
 「兄より優れた弟はいねぇ」とは漫画「北斗の拳」に出てくる北斗四兄弟の三男、ジャギが残した名言ですが、これはむしろそうあってほしいという兄側の心の叫びのようにも思えます。

 一方、歴史上では皮肉な結果ながら、弟が兄を差し置いて家督を継ぐというかビッグになってしまった例が、決して多いわけではないもののいくつか見受けられます。最も代表的と言えるのは徳川家二代目将軍の徳川秀忠で、彼自身は三男ですが家督を継いだ当時、長男の信康は切腹させられ既にこの世にいませんが、次男の秀康は未だ存命でした。
 何故年長の秀康を差し置いて秀忠が家督を継いだのかというと、秀康は幼少から豊臣秀吉の元へ人質として置かれていたとか、政治的な器量を見込んで秀忠にしたなどいろいろ言われているものの、最大の要因は実母の家格の違いで、生まれた当初より秀康は後継者として目されていなかったとみられています。

 そんな背景からか秀康は豊臣家に人質に出されたかと思えば二度と徳川家を継げないよう、その後結城家に婿養子に出され、現在の通り名である「結城秀康」が定着しました。一応、その後は越前へと移り姓も「松平」に変わりましたが、こんな経緯もあるもんだから水戸徳川家ほどじゃないけど越前松平家も代々、徳川宗家とは距離を置く藩主が多いです。

 この秀忠&秀康とほぼ同時代、ちょっと面白い関係の兄弟がもう一組あります。それは関ヶ原でおなじみの石田三成と、その兄である石田正澄の兄弟です。二人ともそろって秀吉に仕官して着々と出世を果たしてきますが、出世速度で言えば圧倒的に弟の三成の方が早く、正澄も2.5万石取りで秀頼の奏者番になるなど大名に出世していますが、やはり弟と比べると一段低い立場です。
 そんな正澄ですが関ヶ原の決起の際は弟・三成に協力してともに決起し、陰に陽に弟を支援しています。恐らく兄として弟の優秀さを認めていた節があり、大谷吉継などと同様に三成を助けたい一心で行動したのではないかと思われ、「兄より優れた弟を助ける兄」であったのでしょう。最終的には関ヶ原の戦後、居城の佐和山城を攻め立てられ自害しています。

 と、ここまでで終わるつもりでしたが、「そういやアイツもいたか」と思い出したのが伊達秀宗です。この人は苗字からもわかる通りに伊達政宗の長男ですが、仙台藩の藩主にはなっていません。仙台藩藩主の座は政宗の後、次男の忠宗が継いでいます。
 この理由は何故かというと、概ね秀忠&秀康ブラザーズと共通しています。秀宗は長男ではある者の実母は側室で、また秀吉の元へ幼いころから人質に出されています。当初でこそ後継者として扱われていたようですが秀宗が11歳の頃、政宗の正室である愛姫がついに待望の男子こと忠宗を生んだことから一転、秀宗の立場が不安定となり、関ヶ原の合戦後も家康との目通りも忠宗が優先されるなど梯子を外されてしまいます。

 親父の正宗も一応は秀宗のことを気にしていたのか、大坂の陣の後に徳川家から拝領した宇和島10万石の地をそのまま秀宗に譲って、別家を立てることで秀宗の地位を作りました。そのため秀宗は仙台藩主とはならなかったものの伊予宇和島藩の藩祖にはなりました。
 ところが話はこれだけで終わらない。秀宗の宇和島へのお国入りの際、伊達藩からは政宗の重臣らが与力(陪臣)として付けられていたのですが、この与力のうち二人が派閥を作って対立し、とうとう片方がもう片方を襲撃して一族諸共ポアしてしまいます(和霊騒動)。この襲撃は秀宗の指示と見られており、襲撃を指示した側の家にはなんもお咎めも下らずに何気に明治に至るまで存続し続けました。

 秀宗はこの襲撃というか実質暗殺を政宗にも幕府にも報告しませんでしたが、事実を知った政宗は殺された与力と仲が良かったこともあり、また仙台藩への影響波及を恐れてか自ら幕府へ報告した上で、宇和島藩を取り潰すよう改易を願いました。こうした動きに「日本の施政家トップテン」に確実に入るであろう土井利勝は事を荒立てず、秀宗側の和解工作もあってか両者を必死にとりなして、政宗に改易願を取り下げさせてことを収めました。
 その後、政宗と秀宗の親子は対面したそうですが、その場で秀宗は、「俺ばっかずっと人質に出された上に、長男なのに家も継がせてもらえず、今までずっとすっごく辛かった(´;ω;`)ウッ…」と思いのたけをぶちまけたそうで、これには政宗も心動いたのは先に出していた勘当を解いて仲直りしたそうです。その後も腹を割った話ができたおかげか、頻繁に贈答し合うなどそれまで疎遠だった親子関係にも改善が見られたそうです。

 ただ秀宗は親父とは仲直りできても、弟で仙台藩を継いだ忠宗とは和解しきれなかったのか、江戸城の控室では石高が低いにもかかわらず何故か忠宗より上座の席に必ずつこうとしたというエピソードも残っています。おまけのつもりで調べたら意外と面白い人物で、このままでも十分JBpressの記事にも使えそうなくらいで言い調べ物が出来ました。

2018年9月10日月曜日

派遣切りの2018年問題

 このところごくわずかですが過去に手掛けた派遣マージン率に関する記事のアクセス上がっててなんでやろとか思ってたところ、今月が派遣期間3年経ったら正社員雇用にしなきゃいけないという法律が施行されてちょうど3年目となる月だったからということに気が付きました。
 そのため一部報道では正社員雇用義務が発生する前に派遣切りする業者が増えており、今月なんかまさに派遣切りラッシュだ見たいな風に報じています。現実は切る場合は既に切られているので今月にラッシュなんて起きんのかなとやや疑問ですが、人手不足と言われる世の中で派遣切りという言葉も流行することになんやねんとかいろいろ思うところあります。

 もっともあと2年もしたら恐らく、既に派遣社員が切られている状態なので正社員の大量カットに踏み切らざるを得ない時代が来ると思っています。大正製薬もなんか大型リストラ案を発表したとのことですがかえって今この時期にこうしたクビ切りに手を付ける辺りは先見の明があるんじゃないかという気すらします。
 なお大正製薬については稼ぎ頭の毛生え薬リアップの特許が切れてこれからジェネリック医薬品が作られるようになるマイナス要因が大きいという報道を以前見ました。ハゲ市場が大塚製薬を動かしてるんだなと思うとハゲの影響力のすさまじさを感じずにはいられません。

 話は戻って派遣についてですが、今年一月にも宣言した通りにもう来年以降はマージン率の調査とかはするつもりはありません。そもそもこの調査は派遣労働の当事者たちがやるべきだと思うし、また私がこうしてそこそこのデータを作ったにもかかわらず、やはり世論の反応というか利用者がそれほど増えなかった点など、派遣労働者の当事者たちが自分たちで動かないとこの手の問題は何も解決しないと感じたからです。
 しかもアクセス数も2015年が最多で、それ以降はどんどん下がっているのもモチベーションが下がる要因になっています。ついでに言うと、マージン率公開する企業が増えてきて調査の手間が増しているというのも億劫になった要因です。

 今後派遣はどうなるのかですが、先にも述べた通りに2020年以降は大不況が来て派遣も正社員も関係なくリストラが進むと思うので、ある意味そこで格差はやや埋まるんじゃないかと見ています。その後で財界や政界がどのような雇用習慣を作るのか、新卒一括採用の見直しなども含めて物事というか制度が変わってくるのではないかと思います。
 考えられるシナリオとしては完全なアメリカ型の無給のインターンから正社員採用に移るというパターン、給与を支払う一方で「業務研修費」という名目で一部天引きする徒弟制度パターン、トラック業界などでおなじみの個人事業主として扱う業務請負型などなど、こういったのが前より増えていくんじゃないかと思っています。結論を言えば、今の日本の雇用習慣は合理的とはいえず、古い雇用習慣を変に維持しているのでこの際一気に改革すべきだという立場をとり、派遣雇用についてもない方がいいではなく、存否を含めどれがベストなのかをもっと社会で議論すべきでしょう。

2018年9月8日土曜日

スルガ銀行の調査報告書に関する疑問

第三者委員会調査報告書(要約)
第三者委員会調査報告書(全文)(スルガ銀行)

 シェアハウスローン問題を引き起こしたスルガ銀行は昨日、この問題に関して弁護士らによる第三者委員会が手掛けた調査報告書を発表しました。同時に会長、社長を含む一部経営陣の退任と新任の人事異動も発表され文字通り体制を一新しましたが、わざわざそんな七面倒くさいことをしなくてもよかったのではという印象をぬぐえません。
 昨日の時点でどのメディアもこの件について報道を行っていますが、正直言ってどれもありきたりな内容、下手すれば人事異動と既報を繰り返すだけでほとんど中身のない報道ばかりでした。そして私が一番関心のあった内容については、下記の佐賀新聞しか報じていません。

スルガ銀、不正融資の総額や件数の推定困難(佐賀新聞)

 やはりこの問題で一番肝心なのは、「不正の規模が今どれくらい大きいのか?」であって、どのように不正が行われたかじゃないでしょう。その点で私が確認する限り、この佐賀新聞だけが不正融資総額と件数について何も公表がなかった点を指摘していますが、他のメディアは「パワハラがあった」とか「審査が杜撰だった」とかわかりきったことをくどくど長々としか述べていません。
 っていうかパワハラについては新聞社がどうこう言うことかよと、「てめぇ殺すぞ!」という言葉が日常の挨拶みたいに飛び交う職場を見ている自分からしたら奇異に感じます。

 また発表がなかったことはもとよりどのメディアも質問しなかったのか全く触れられていませんが、既に日経などが報じている創業家への不正融資や融資額の三分の一に当たる1兆円にリスクがあるということについては完全スルーです。スルガ銀行はどちらについても「うちが発表したわけじゃない」と否定も肯定もしておらず、折角報告書発表日を1週間も延期したというのにスルーするのはどうかと個人的に思います。はっきり言えば、今回これらについて全く触れなかったということは事実ではないのかという疑念が私の中で強まりました。

 それで肝心の調査報告書ですが、昨夜精読というわけではありませんが一通り眺めてみていくらか疑問が出てきたのでまとめます。まず今回の調査報告書は先ほども述べたとおりに弁護士らによって構成されていますが、メールデータの復元などの不正調査作業において四大監査法人のKPMG(日本ファームは「あずさ監査法人」)の子会社が入っています。これは後から重要になってくるので覚えておいてください。

・要約版の問題
 結論から言うと要約版はあまり内容が整理されておらず、しかも箇条書きで雑多に内容を列記しているので非常に読みづらいです。一方で各役員の不正に対する責任についてはこの要約版でも非常に細かく羅列して書かれており、何らかの意図を感じます。

・役員責任の枕詞
>個別の不正を具体的に知り又は知り得た証拠はない。
>一方で、本件問題発覚後の諸行動に関しては、善管注意義務違反(一部法令違反)が認められる。

 要約版の各役員の責任について、ほぼすべての役員に対して上記の枕詞がついています。要するに、「はっきり不正したかは証拠なくてわかんない。問題発覚後の対応や少し悪かったよ」ということがやけに強調されています。

・死んだ一人、現役一人の役員にだけ厳しい表現
 前者は今回辞任した会長の兄弟であり、2016年に逝去した故岡野副社長(原文ママ)で、彼が利益第一な企業風土を作り不正がはびこる舞台を整えたみたいに書かれています。後者は、その故岡野副社長に引きたてられたとされる元専務執行役員の麻生氏で、まるで彼一人がすべての問題の元凶みたいかのように厳しくその責任が追及されています。
 先に書いておくと、営業サイドの麻生氏がシェアハウスローン問題を引き起こし炎上させた最大の責任者であることはほぼ間違いないとは思われますが、他の役員らとの記述の温度差が激しく、なんかこの人に全責任を押し付けているのではと思う節があります。もちろん糾弾されて然るべき人物と思われますが、その他の疑問点と合わせて、この報告書は鵜呑みにしていいものかという懸念があります。

・何故役員だけが不正を知らなかったのか?
 全文版に載っているアンケート結果よると、自己資金資料の偽装について個人融資に係る行員の四分の一(26.7%)が認識しながら融資を行っていたとのことです。また融資審査に至っては担当部署のほぼ全員が規定を無視した融資が行われていると認識していたことでした。
 にもかかわらず何故か役員は上記の通り「証拠がないから不正を知らなかった」ということになっています。関係業務に携わる行員の大半が不正を認識していたというのに、何故か役員に関してはスケープゴートの麻生氏を除き、「発覚後の対応はまずかったけど、発覚前は知らなかったかもしれないね」という結論で納得できるかと言ったら、そんなわけないでしょう。

 また役員が出そろった会議中、「かぼちゃの馬車」でおなじみのスマートデイズは取引停止したにもかかわらず、別会社を経由して迂回融資している事実が報告されたことが事実認定されています。この件については「他の役員まで報告しなかった」とされていますが、「聞かなかったことにした」と見るべきでしょう。ここまできて不正を知らなかったという風にするのは無理があり、やはり「証拠はないにしてもその不正認識、隠蔽については非常に疑わしい」というくらいの表現が必要だったのではないかと思います。この報告書を見せる相手とその目的性の観点に立つならば。

 このほか融資審査を行う審査部に関しても、大半の行員が正規の手続き通りに審査が行われていない事実を把握していたと報告されています。繰り返しになりますが、これだけ多くの行員が不正を認識していて、何故役員だけが知らなかったかのように書いているのか。ついでに書くと、営業からの強い圧力があったとはいえ不正融資を黙認してきた審査部が、今後も融資審査を行うということに関する問題点については特に触れられていません。嘘でもいいから外部のコンプライアンス研修などを受けさせるくらい書いとけよな。

・実績考課、パワハラについて
 不正融資が蔓延した理由について異常なまでの実績主義や実績を出さない行員へのパワハラがあったせいと指摘してますが、内心こういう文言は必要ないかなと思います。というのも証券会社を筆頭にこの手のはどこにもあることだし、逆にこういうのないとこでも不正ってのは起こるからです。第一、そんなこと言ったら実績主義=不正の温床の構図になるわけですが、それはやはり暴論でしょう。過度な実績主義やパワハラはどこでもあり(特に地銀では)、これらが他と一線を画す今回のスルガ銀の事件を引き起こした原因かと言えばその貢献は些末なものでしょう。
 なおパワハラの実例として「天然パーマを怒られる」ってのが挙げられててちょい笑えました。あと「空のカフェ飲料のカップを投げつけられたことがある」については、中身ないだけまだいいじゃんと率直に思いました。あと「いすの背面をキックされた。」については、蹴り返すか、窓から放り投げ返せばいいのにと私は思います。こういう価値観こそ、新聞社ならでは。

・外部監査法人の責任
 恐らくこの点については他のメディアは書けず、誇張ではなく私にしか指摘できないでしょうが、スルガ銀行の2018年3月31日期監査報告書には以下の記述があります。

監査意見
 当監査法人は、上記の財務諸表が、我が国において一般に公正妥当と認められる企業会計の基準に準拠して、スルガ銀行株式会社の2018年3月31日現在の財政状態及び同日をもって終了する事業年度の経営成績をすべての重要な点において適正に表示しているものと認める。

強調事項
 追加情報「シェアハウス関連融資等」に記載されているとおり、会社は「第三者委員会」を設置しており、その調査は継続している。今後、その調査により、新たな事実が判明した場合には、会社の将来の業績に影響を与える可能性がある。
 当該事項は、当監査法人の意見に影響を及ぼすものではない。

一応シェアハウス問題について触れてはいますが、「この監査報告書で報告している財務内容は正しいよ」という監査意見が出されています。その後、貸倒引当金がガンガン積まれているというのに。
 自分はこのシェアハウス問題が発覚した当初に真っ先に監査法人を調べましたが、やはりというか東芝を筆頭にこれまで何度も不正会計を手掛けてきた新日本有限責任監査法人でした。そして上記の監査意見も言うまでもなく、新日本が出しています。

 今回の調査報告書では内部統制が完全に欠如していたことが不正融資を蔓延させ問題を拡大したとはっきり言明しています。それに対し監査報告書では、

強調事項
 内部統制報告書に記載のとおり、シェアハウス関連融資等に関連する全社的な内部統制並びに決算・財務報告プロセスに係る内部統制に開示すべき重要な不備が存在しているが、会社は開示すべき重要な不備に起因する必要な修正はすべて財務諸表及び連結財務諸表に反映している。これによる財務諸表監査に及ぼす影響はない。

 一応は内部統制上の懸念を指摘していますが、今回の報告書を見る限り、「適正意見」が出せるレベルなのかというと疑問で、やはり「限定付意見」として出すべきだったのではないかというのが私の見方です。
 同時に、なぜ昨年の発覚まで銀行業務統治の基本の基本たるべき融資審査の不備について監査法人が気付かなかったのか。監査法人というのは財務状況の数字が正しいかだけでなく内部統制についても毎期チェックするのが仕事ですが、なぜ気づかなかったのかというこの点について、やはり何か指摘する必要があるのではと思います。特にシェアハウス問題は去年の段階で発覚しており、その段階で過去の融資取引のコンプライアンス性を調べていたら、もっと早くわかることがあったのではという風にも見えます。

 そして最後の指摘となりますが、何故調査報告書ではこの監査法人による外部監査での見逃しについて全く触れられていないのかが気になります。外部監査を出し抜く隠蔽工作があったのか、それとも外部監査に問題があったのか、こうした杜撰な内部統制実態が何故外部監査で指摘を受けなかったのかについては全く書かれていません。ぶっちゃけ、怪しいくらい急拡大しているシェアハウス融資取引はたくさんあったというのに。
 何故外部の監査法人について触れないのか。はっきり言えば何かしら意図があると思え、他の諸々の指摘事項と合わせ、今回の調査報告書はそうした意図に立って書かれている気がします。そのような視点に立つと、まだまだ掘ればいろいろ出てくるような気がするというのが私の結論です。

2018年9月6日木曜日

台風、地震に対する中国の報道

 最近仕事は楽になった分、というか8月が異常に忙しかった一方、夏風邪で体力落ちてて趣味のことばかり書いてたので、たまには真面目な話書きます。
 先日の関西地方を中心に大きな爪痕を残した台風に続き、本日北海道でも震度七という大地震が発生しました。弱り目に祟り目というか大災害が重なっただけに影響も大きく、被災者に置かれては深くお悔やみ申し上げます。

25年来登陆日本最强台风正横扫日本全境 领馆:在日中国公民务必小心
日本北海道地区发生6.9级地震 山体滑坡房屋倒塌(東方網)

 これら災害については中国でも報じられており、上記リンク先のように取り上げ方も小さくありません。なお今回自分もようやく気が付いたのですが、中国のウェブ記事の方が日本のウェブ記事に比べgifや大サイズの写真をふんだんに使っており、映像的な視野効果で言えば地味に日本のウェブ記事より優れているような気がします。むしろなんで日本のウェブ記事の写真はどれもあんな小さいのか、圧縮技術も発達しているというのに逆に不思議です。

 話は戻りますが中国の報道の焦点としてはやはり日本滞在中の中国人に関してです。私が読んだ記事によると関西空港では領事館職員が駆けつけて閉じ込められた中国人旅行者への対応を行ったとのことですが、その数なんと1044人もいたそうです。関空においては日本人ですら参る人が多数出たというのですから、見知らぬ異国の地で留め置かれた彼ら外国人のことを考えると私個人としてはやはり不憫に感じます。
 幸いというか以前欠航となって中国人団体が騒いだ時とは違って今回はそうした騒動は起きなかったようですが、やはり関空のリスク管理のまずさに関しては、非常食や毛布を備蓄している成田や羽田との比較も出ているだけに、今後の反省点として捉えるべきでしょう。

 特に観光立国を掲げる場合、今後もこうした大災害に巻き込まれる外国人への対策は今のうちにしっかり作るべきだと思います。非難や誘導の案内を多国語化することはもとより、食事や宿泊に関しても、かえって言葉もわからない人たちだからこそ手厚い対応が必要だと考えます。
 人間、苦しい時に殴られた恨みを忘れないように、苦しい時に助けられた恩も意外と忘れないものです。旅行中にこうした災害に巻き込まれた場合、どうしてもマイナスイメージがついて二度と足を運んでくれなくなる可能性もありますが、逆に手厚い対応をすることでリピータを生む可能性もあると思えるだけに、各大都市や空港など公共施設は、外国人観光客向けの災害対応を充実化させるべきでしょう。

 北海道の地震に関しては今のところまだ情報が集まっていないのか、現地の中国人に関する目立った報道は見受けられません。とはいえ、仮に自分が外国を旅行中にこんな災害に遭遇したと考えると、なまじっか外国で暮らしているだけにやはり気が気ではない感覚があります。また日本国内への影響についても、既に観光方面の影響が触れられていますが、それ以上に収穫期を控えたこの時期の立て続けの災害ということを考えると、今後食糧価格の高騰が予想されます。また中国地方の豪雨被害も冷めやらぬ中でのさらなる復旧活動の展開も、オリンピック準備にも影響してくるかもしれません。

 今さらっと書きましたが、なんか災害被害の内容ばかり報じられてて、こういった社会への影響に関する報道や解説が、ネットだけしか見ていないからかもしれませんがやけに少ないのが実は気になっています。関空も、乗客以上に航空貨物や通関への影響の方がダメージとしては大きいと思うのに、物流会社への取材記事などはとんと見ません。今日同僚が聞きに行ってくれたからいいものの、今に始まるわけじゃないですが目にはっきり見える切り傷の方が、目にははっきり見えない内臓の病より大きく取り扱われるような報道状況に対してこれでいいのかという疑問を覚えます。

2018年9月5日水曜日

苦手な怖い話パターン

 ミステリーにもいろいろパターンがあるように、怪談話にもいくつかの典型というか定番パターンがあります。具体的には、人形が動いたりしゃべったりするとか、置かれていたものを動かしたために封印が解けたとか、地縛霊に触れて人格が豹変するとか、約束を守らなかったばかりに呪われるとかです。

 そういった数ある怖い話の典型パターンのうち、地味に私が一番苦手とするのは「絵が変わる」という奴です。一番多い形態では教室のモナリザの絵が変わりモナリザの表情が動くという奴ですが、これ自体はそんな怖くはありません。この手のパターンで私のトラウマとなっているのは「学校であった怖い話」という昔のゲームに出てくる話で、コンクールでも入賞するある女子高生が作品制作途中に殺害されたものの、何故かその後も勝手に絵が加筆されていき完成するというお話です。
 この話は絵が完成したところで終わるわけじゃありません。出来上がった絵は殺された女子高生の自画像で普段は変哲もないのですが、見る人や時間によってはその絵が変わるとされ、もし普段と異なる絵を見てしまったらもうすぐ死ぬというのですが、死ぬこと以前にその変わったバージョンの絵が怖くて仕方ありませんでした。具体的に言うと、その女子高生が殺害された際の顔に変わるとされ、ヒュッと変わるその絵柄がゲーム内でも非常におどろおどろしく、今でもたまに夢に出ます。

 このところこのブログでも言及している「死人の声をきくがよい」という漫画でも、こうした時間とともに絵の内容が変わるという話が出てくるのですが、これを見て真っ先に上記の話を思い出すとともに、「ああ、この手のパターンが一番怖い」ということを自覚しました。基本、ホラーやスプラッターには比較的耐性があり今じゃジェイソンを見ても笑いながら鑑賞できますが、なんというかこの手の絵の内容が変わる話に関してはどうしても見る度に寒気を感じます。絵画系の芸術とは縁もゆかりも興味もないのですが、何故かこんなところで接点を持つ当たり自分でも不思議です。

 なお怖い話の典型、特に学校の怪談系で最もポピュラーなパターンは言うまでもなくトイレ関連で、トイレで幽霊に殺されるとか、便器に吸い込まれるとか、用を足すまでドアが開かないとか一言でトイレと言ってもたくさんバリエーションがあります。
 でもトイレで一番怖いのは、用を足した後で水が流れないという状況で間違いないと思います。前も少し書きましたが会社のトイレで真ん中のトイレだけ何故か水を流した後、タンクの水蓋がカチっと閉まらないのか音姫が如く音を出しながら水を流し続け、うかつにそのトイレに入ってしまうとタンクに水がたまらないものだから用を足した後に水を流せなかったりします。

 攻略方法としてはタンクの開閉レバーを少し動かすことで水蓋が動くのかカチっと閉まり、あとは水がたまった後でもう一回レバーを押せばいいのですが、知らない人が入ってしまった後は何度もレバーを引く音が聞こえたりします。社内の誰も口にすることはないまでも、私はひそかにそのトイレのことを「魔の二番トイレ」と呼んでいます。

2018年9月4日火曜日

日本の史観

 冷房のかけ過ぎで風邪ひいたのか昨日は左顎、今日は右顎がやけに痛く、昼食時に口空けたら泣きそうなくらい痛かったです(´;ω;`)ウッ…
 そういうわけで日本の史観をざらっとまとめます。

・徳川史観
 江戸時代における歴史価値観で、基本徳川家を中心に、それ以外を外に下にー、下にーって感じ落とし込むのが特徴。その影響で関ヶ原の西軍面々は基本的にボロカス扱いされ、特に石田三成に関しては「つけあがったアホ」と切って捨てられ再評価まで時間がかかりました。またその延長からか豊臣秀吉についてもやや批判的な視線が見られます。
 唯一の例外として徳川家を破った武田と真田に関しては、「アイツらとんでもなく凄かったから、負けたのも仕方ないんだよね(´・ω・`)」みたいな具合でやたら持ち上げられ、武田家に関しては江戸時代を通してもヒーロー的な講談が多く作られています。

・皇国史観
 明治以降の天皇集権制に合わせて、基本天皇を中心に、逆らったやつらは下にー、下にーって感じで落とし込むのが特徴。その影響で足利尊氏と義満に関しては徹底的に貶められた上、南朝に与した楠木正成や新田義貞が極端に持ち上げられました。あと平清盛、源頼朝に関しても冷たく扱い、その一方で義経には判官贔屓、といいたいですが判官贔屓はいつの時代も同じか。
 あまりにも天皇家中心で語るもんだからそれ以外の史実は軽視する傾向があり、織田信長に対しても「天皇家を保護した武将で、彼の活動が後の秀吉の統一につながった」というくらいしか見ていなかったそうです。

・自虐史観
 戦後の第二次大戦への反省から軍国化につながった人物、特に陸軍関係者を徹底的に批判し、一方で軍国主義に抵抗した人たちは大きく持ち上げるのが特徴。前者は山縣有朋や東条英機らで、後者は幣原喜十郎や石橋湛山と社会主義者、そして何より海軍の面々。
 いわゆる「海軍善玉論」もここから出ており、また戦争に関する行為や事績は強く貶められ、特攻の解釈もなんか一部で変な主張が出回っていました。

・司馬史観
 小説家の司馬遼太郎が展開、影響を及ぼして普及した見方で、基本的には自虐史観と方向性が近く、海軍善玉論を補強した上で「明治まではOK、日露以降は日本の暴走」とした解釈が現代における大正、昭和期の研究不足を招いている可能性があるように思います。
 河合継之助など日の当たらない人物に脚光を当てるなどして研究範囲を広げた一方、歴史人物の好き嫌いがはっきりしていてそれをそのまま出すもんだから、一部人物への評価の公平性については個人的に疑問視しています。

・大東亜史観
 前述の自虐史観への反発から90年代後半に生まれた史観で、所謂ネット右翼的な価値観。「大東亜史観」としたのは、太平洋戦争のことを必ず「大東亜戦争」と呼びなおすのが特徴だと思えたため造語したものです。
 基本は自虐史観へのアンチテーゼのため、自虐史観が戦前の否定に立つなら大東亜史観は自虐史観の否定に立ち、どちらも自説展開のため都合のいい事実を喧伝し、都合の悪い事実には黙る特徴が強いです。感情的なためか史実研究にはどちらも向いておらず、私自身はどちらにも与しない立場をとります。

・半藤史観
 これも造語ですが半藤一利氏の見方に立った視点で、上記の自虐・大東亜史観とは違った見方に立った上で、その後の昭和後期の変動を含めて評価しているのが特徴。根拠資料がとにかく膨大なのと、A級戦犯本人から見聞きした情報をダイレクトに伝えているのが大きな特徴なのと、各人物というより組織単位で物事の時系列が追われています。「戦争責任は国民にこそある」というのが立場としては一番大きいところな気がします。

2018年9月2日日曜日

ぶっ飛んだ人が多いホラー漫画家

 前にも少し触れましたが「死人の声をきくがよい」という漫画にはまって全巻を一気に購入しました。内容はホラー漫画ですが、第一話でいきなり腐乱死体となって出てくるヒロインが背後霊となって、異常なくらい巻き込まれた異質の主人公に対して悉くピンチからの脱出方法をジェスチャーのみで伝えるというコンセプトが面白いです。
 単行本のあとがきを見ていると作者のひよどり祥子氏もはっちゃけた性格しているようで、「ホラー漫画書いているけど心霊体験はほとんどなく、蝋人形館で日本語でジャッキー・チェンに話しかけられただけ」と書いています。

 よくネットなどでは「ギャグ漫画家は精神を病みやすい」という主張を見かけますが、病んだ人も確かにいるけどむしろセカイ系の漫画家の方が病む率が高い気がします。一方、ホラー漫画家については精神を病んだという話はついぞ聞いたことなく、むしろ逆に若干躁入ってるんじゃないかというくらいはっちゃけた人が多いように思います。
 大体どのホラー漫画も発想がぶっ飛んだ内容が多く、またモブキャラが男女子供関係なくむごたらしく殺されるのは当たり前です。ですが上記のひよどり祥子氏も、「ああ、今回もたくさんの人間殺しちゃった。まいっか」とあまり気にせず毎回確実に死人が出る話を書き続けています。

 また現役最強のホラー漫画家と言えば間違いなく伊藤潤二氏ですが、この人の漫画はどれもその発想のぶっ飛び具合が半端じゃなく、生首が風船になって飛んできたり、えらい入れ子構造の狭い勉強部屋が出たり、扉を開けたら真っ白い丸い顔した女性がでてきたりと、まともな精神の人間が描いたとは思えないものばかりでてきますが、インタビューなど見ていると伊藤氏は非常に落ち着いた感のある人物をしています。
 っていうかどのホラー漫画もちょっと見方を変えるとギャグ漫画のようにも受け取れる描写が多く、実際に「死人の声をきくがよい」は爆笑しながらいつも読んでます。伊藤潤二氏も、「伊藤潤二の猫日記 よん&むー」というギャグの激しい猫漫画書いてますし。

 話を戻しますが、一番病んでそうな漫画書いているホラー漫画家で病んだ人はいるのかって点では、むしろ人生楽しそうな人が多い気がします。あと地味にさっきから書いているようにぶっ飛んだ発送する人が多く、芸術家としてみればすごい人が粒ぞろいなのではないかと思うとともに、他の国にこういうジャンルの芸術はあるのかと少し気になりました。
 中国人なんか結構ホラーが苦手な人多いから見せてみたらどんな反応するのか少し気になるので、今度機会があったら友人にも見せてみよう。

サマータイムに関する安倍首相の反応

 次回の自民党総裁選は野田聖子が出馬を断念したことから実質的に石破氏と安倍首相の一騎打ちが決まりましたが、まず間違いなく安倍首相が再選を果たすでしょう。傍目にも今回の石破氏の選挙戦は呆れるほどに手際が悪く、最初に「正直」という言葉を掲げて安倍首相の人格批判をしたところ評判が悪くすぐに取り下げたことはもとより、提唱している政策案も基本的に都合のいい内容ばかりな上に曖昧模糊とした構想ばかりで、具体的政策内容には一切触れておらず実現可能性は皆無と言っていいでしょう。何よりも、構想レベルの内容でもこれはと思うものが何もないというのはひどすぎるとしか言いようがありません。

 こうした状況から、それだったら動かさない方が無難とばかりに安倍首相が再選されると思うわけですが、その安倍首相について実は先日、「Σ(゚Д゚)」と思うことがありました。てっきりほかのメディアとかが指摘すると思ってたらどこも指摘しないのでここに書きますが、それはオリンピック期間限定のサマータイム導入に対する反応です。

自民が夏時間検討へ=安倍首相指示、政府なお慎重論-東京五輪の猛暑対策(時事通信)

 上の記事の通り、サマータイム導入案が官僚から出されるや他の与党政治家とは議論せずにすぐに検討する会議などを起ち上げるよう安倍首相は指示しています。あらかじめ決められていた手順かもしれませんがこの動きを見て、私個人は奇妙に感じました。
 安倍首相はこれまで、どちらかというと世間の反応を確かめてから動いたり発言したりすることが多かったです。特に第一期で失敗してからはより顕著となり、第二期政権では各政策案や野党への反論について世論の反応を見てそれに合わせて明らかに発言の仕方も変えている節が見られ、だからこそ高い支持率を保てたのだと思います。

 自分の記憶が正しければ、サマータイム案が出てから上記の安倍首相の検討指示まで1日くらいタイムラグがあり、世論の否定的な反応も確認できたはずなのですが、今回に限っては「前向き」な検討を指示しています。これについて私は、かつてならこんな対応は取らなかっただろうし、検討指示をさせるにしてももっと密にやっていたのではと思いました。つまり何が言いたいのかというと、以前と比べて安倍首相が世論を見なくなっているのではと思ったわけです。
 思い当たる節はあり、具体的にはモリカケ問題が起こってから世間の反応を追い風にしたり逆手に取った反論や主張が鳴りを控え、「真相究明のため確認している」をはじめとしたむしろ実態とはかけ離れた発言がどんどん増えていきました。今年に至ってもその傾向は顕著で、何か世間で注目されている話題に言及することが以前と比べ極端に減っているように感じます。

 言い方を変えると、明らかにピークをもう越しており、戻ることもないのではと私は見ています。その上で、毎夜自宅で祝詞を唱えているということは前からですが、以前に増して夢想に走って現実を見なくなってきているのではと思う節があり、「国民が望んでいる」と主張して憲法改正を出すのではと予想します。私個人は改憲に賛成の立場でありますが、今後詰めていくべき具体的改憲内容について今の安倍首相の言動を見ているとやや不安を覚えるほどです。さらについでに言えば、諌止する人間も周りに見えませんし。
 今回のサマータイムについては検討すること自体馬鹿々々しい内容で、提唱や提案した人間は理由の如何を問わず左遷すべきだと思うほどの愚策ですが、このサマータイム案に対する安倍首相の反応こそがむしろもっと注目すべきニュースではないかと見ています。その上で、今後もびっくりするような発言を平気そうな安倍首相から突然飛び出してくるのではないかというのが私の見方です。

2018年9月1日土曜日

ホームワークが終わらない

 別に隠しているわけではないのですがこれまでの生涯で私は卒業論文を4本書きました。1本は自分ので、残り日本はゼミ同期3人の代行で、大学4回の時に計4本を書き上げました。一体何故こんなことをしたのかというと当時のゼミの教授とTAが全くやる気のない人物で卒論についても全く指導なんかせず、自分ならともかく文章トレーニングを受けていない他のゼミ生はこのままだとまずいだろうと判断したためです。
 なお3人とも女子学生でしたが、このうち1人は私に相談するタイミングが遅く提出前日までもつれ込み、自分が執筆しているそばで寝始めたので「起きろっ!(; ・`д・´)」とガチで叱りました。後日、他の人に「あんないい人はいない!」と私のことを言っていたそうですが、そりゃそうだよとこの点に関しては謙遜とかそういうことする気にはなれませんでした。

夏休みの宿題は何処へ向かうのか?(笑う蜘蛛の糸)

 相互リンク相手の潮風太子さんに便乗しようというのが今回のネタですが、やはりご多分にも漏れずこの時期はどの家も子供の夏休みの宿題の対応で大変だそうです。この夏休みの宿題の内、大分昔にも書きましたが読書感想文に関しては基本的に読んだ本の内容を批判したりはせず持ち上げなければならない点や、「我が闘争」とかそっち系の本は選んじゃいけない点など若干思想統制が入っているだけにさっさと廃止すべきだという立場をとります。
 ちなみにこれも前に書いた気がしますが、高三の夏になんでもいいから提出してくれと言われた友人は「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」を選んだら、これまで以上に力の入った傑作が出来てしまったと話してました。

 話は戻りますがこの読書感想文にしろ自由工作や研究にしろ、結構親の影響が強く、それによって中身が変わってくる面が大きい気がします。中には自分一人で片づけちゃうのもいますが、自由研究テーマなんかガイドブックも出回っているし、読書感想文については潮風太子さんも書いているようにネット上でテキストが販売されていますし、親が代わりに書いて提出した表彰されたという話も実際に聞いたことがあります。中には稀代の劇画漫画家に代筆させた例も
 なお一回、「やらないか?」と読書感想文テンプレート執筆について打診を受けたことがありますが、めんどいので断りました。

 何が言いたいのかというと、親がどれだけ子供の夏休みの宿題に介入するかによって出来合いが大きく変わってきてしまう面があり、それだったら変に創意創作なんかさせずにドリルなどを処理するようにした方が夏休みの宿題としてはベターなのではないかと思います。こちらも潮風太子さんのところに書かれているように、片親だったり、仕事で普段家にいない家庭は単純に夏休みの宿題では不利です。またこうした親の介入の強い宿題に教育的価値があるのかといったら、ないとは言いませんがもっと他に効率的な案はあると思います。
 それこそ自由応募の懸賞形式にして、出したら成績面で色を付けるとか、企業などを巻き込んでそういう形にするのがいい気がします。あともっともやる気の出る、たとえば夏休み明けに誰が最速マシンを作ってきたかを確かめる「ミニ四駆大会」を開いたりしたほうが、先ほどの私の友人のように無駄に力入れてくる人間も出てくるかもしれません。

 結論をまとめると、現状の夏休みの宿題は親の介入による影響が強く教育的影響からしてもどうかと思うので、もう少し形を変えてみては同かっていうことです。その上で創意工夫面ではある程度自由参加形式にさせて、子供らがやる気を出すテーマを作ってみてはというのが提案です。

 最後に、中学の夏休みに自分はどんなゲームをしていたのかなと少し思い出してみたところ、確か中一の頃は「新スーパーロボット大戦」、中二の頃は「ジージェネレーション」、中三時は「ラングリッサートリビュート」をやっており、中三の九月には現在プレミアムの付いている「Serial Experiments Lain」を発売日に購入して遊んでいました。もっとも中三の夏休みは小説を投稿するため書いており、当時は手書きだったのでやたら時間がかかるのに親にユニクロ連れていかれてはよ帰って続きかきたいと言ってました。確か毎日2時間以上は執筆に使ってましたが、内容は今思い出すと大したレベルではないものの、ああして自ら取り組むモチベーションに関しては見るべきところがあったでしょう。

2018年8月31日金曜日

日本スポーツ・芸能大賞

スルガ銀行株で資産が倍に? この銘柄を握っておくだけで含み益がすごいことに!新着急騰1銘柄を無料配信

 この前Web広告で上のテキストが表示されたのですが、さすがに見ていて、「てめぇ何かあったら補償すんだよな?」と言いたくなるような文言です。っていうかただ単に検索回数が多いから表示されたんだろうけど、スルガ銀を推すあたりこの会社がまともな能力がないということはよくわかります。

 さて話は本題ですが、見出しに掲げた「日本スポーツ・芸能大賞」とは何かというと、「国民栄誉賞」の蔑称です。ただ蔑称とはいえ、本質をついているのでもうこの際看板をこっちに付け替えた方がいいのではとも思います。
 元々、国民栄誉賞とは王貞治氏の世界ホームラン記録を表彰するために創設された賞で、受賞基準としては暗に「王クラス」の記録というものがありました。しかし時代を経るごとにこの基準は徐々に曖昧となり、特に槍玉に挙げて申し訳ないですが、高橋尚子氏はマラソン女子で初の金メダルという、だったらこれから最初の金メダル取った人はみんな国民栄誉賞なのかという論争を巻き起こしました。また本人にとっても不幸でしたが、受賞以降に成績が落ちてしまったことからなおさらでした。

 最近の受賞を見ても羽生善治氏や羽生結弦氏などはその圧倒的な記録から十分に「王クラス」と言えますが、松井秀喜氏と長嶋茂雄氏に関しては人気こそ高かったものの実は記録面では特筆するようなものはなく、やはり疑問に感じる受賞でした。もしこれが通るなら、人気が高ければ受賞してしまうのかということになるだけに、厳しい見方で言えばやはり見送るべきだったと私は考えます。この二人が受賞するくらいであれば、阪神の金本監督の方が衣笠祥雄の例もあるだけにより相応しいでしょう。

 概して国民栄誉賞はその場のノリというか雰囲気で受賞が決定してしまうところがあり、ひいては時の政権の人気取りに使われてしまっています。また受賞対象者がスポーツや芸能関係者に実質的に限ら得ていることから賞としての権威も付きづらく、もうそれだったらはっきりとスポーツ、芸能関係者限定の賞としてしまって「日本スポーツ・芸能大賞」と割り切って名前変えた方がかえっていいんじゃないかとすら私にも思います。

 なおこのほか過去の受賞者との比較から本来ならとっくに受賞すべきだと思う面々を挙げていくと以下の通りです。

・白鵬
・さくらももこ
・鳥山明
・宮崎駿
・北野武
・明石家さんま
・加藤一二三
・黒田博樹(日米無援護記録で?)
(敬称省略)

2018年8月29日水曜日

見る気にさせるコメント


 そんな毎回あるわけでもないので折角だからキャプチャ画像を取っておきました。シリーズ物の記事はこういう風に回が進むごとに前回記事のアクセスも付随して上がるから、アクセス獲得面では非常に有用であるということはこのブログで把握しており、内容的にも勝算高かったからこの結果もそれほど驚きはありませんが。

なぜ一向一揆は信長にケンカを売ったのか(JBpress)

 今日出したのは上の記事ですが、内容的には一番肝なところで来週の3回目は京都人からしたら「そないなことも知らへんかったの?」とリアルで冷笑される程度の薄い内容です。まぁ他の地方の人は意外と知らない内容だし、一応一区切りをつけるには最後まで気斬らなきゃならないから書きましたが。
 今日の記事についてはそんなわけで特に解説とかもする気なかったのですが、ヤフコメの中で一つ気になる内容が書かれていました。

「記者の人、タイミング的にアニメの信長の忍び見てるだろ?」

 このコメント主のご期待に沿えず申し訳ないのですが、「信長の忍び」は見ておらず、というよりタイトル自体初めて知りました。なお最近見たアニメは「黄昏乙女アムネジア」で、この世にはこんなえろいアニメが存在するのかと変に感心しながら見てました。

 話を戻しますがちょっと気になったの調べてみましたが戦国系ギャグマンガとのことで、上記の通りアニメ化も果たしてて今三期が放映中のようです。個人的に着目したのは、アイマス声優のたかはし智秋氏が声優として出演しており、これ見て俄然興味が湧いたので今度見てみようかと考えてます。っていうか今も普通にたかはし氏の歌聞きながらこれ書いてます。

 ちなみに大分前ですが後輩に「あの声優が出ているから今度この作品見てみようと思う」と言ったら、「声優で決めるんですか?」と怪訝な顔されました(´;ω;`)ウッ…
 なおその時に挙げた声優は確か「鉄道放送の女王」こと大原さやか氏で、Wikiから引用すると採用例は以下の通りです。

・京王電鉄 2002年1月25日の調布駅より2012年現在は全線全駅
・京浜急行電鉄 2001年3月に全線全駅で旧式アンプで採用、2002年3月末に北品川~大森町間の8駅でMP3化。2007年現在品川のみ下り、それ以外の上り全線72駅。遠隔放送(管理駅から子駅に対し一斉に放送)、啓蒙放送は全駅
・小田急電鉄(下り線アナウンス)2001.9.28に登戸を皮切りに 、新宿・小田原・唐木田・藤沢・片瀬江ノ島を除く全駅。2004に順次終了
・西武鉄道 西武多摩川線全駅、西武球場前、遊園地西、下落合
・東武鉄道 東上線全線、亀戸、杉戸高野台、幸手、新鹿沼、江曽島、東小泉、北大宮、大宮公園、八木崎、南桜井、初石、六実、新鎌ケ谷、馬込沢、塚田
・東京急行電鉄 渋谷駅の終電前5本分の深夜放送、東横線渋谷駅のドア閉め放送、及び全日禁煙・携帯啓蒙放送。案内放送は自由が丘、武蔵小杉、あざみ野、緑が丘、九品仏、尾山台に拡大
・京成電鉄 海神、お花茶屋、国府台、検見川、西登戸、大和田、青砥、大神宮下、大佐倉、新千葉、京成金町、柴又、特急清掃案内は京成上野、京成成田
・相模鉄道 全駅
・江ノ島電鉄藤沢、鎌倉

 「うみねこ」での一人四役をはじめ声質よりもその演技力が素直に凄いと思うので、割と贔屓にして出演作を見たりしてます。ちなみに購入前は出演していることを知りませんでしたが、今遊んでいる「ルートダブル」というゲームにも出ています。このゲームですが割とシリアスな内容なのにいかにも美少女ゲームっぽいキャラデザインしていて違和感半端ないです。徹底的に硬派な構成にしておけば文句なしにお勧めできますが、あのキャラデザインのせいでプッシュしづらいです。
 内容は一言で言えば、「メルトダウンから始まるラブストーリー」になるのかな?誇張ではなく冒頭で原発がメルトダウン起こし放射能渦巻く施設に閉じ込められる中で脱出を目指すというものです。

 殺人鬼から逃げ回るというアドベンチャーゲームはよくあり私も遊んだことありますが、放射能という目に見えない脅威から逃げるという展開は割といい着眼点だったと思います。でもある女の子キャラが室内でもずっと帽子被り続けてるのには遊んでて違和感半端ないです。

2018年8月27日月曜日

さくらももこ死去の中国の反応

动画片《樱桃小丸子》的作者樱桃子因乳腺癌去世 终年53岁(News速递)
《樱桃小丸子》作者去世,谢谢你给我们一个美好的童年(虎嗅网)

 すでに速報を皆さんも見ていると思いますが、「ちびまる子ちゃん」の作者であるさくらももこ氏が亡くなられていたとのことです。今日はブログ書く気ありませんでしたが中国の反応は同かなと思って調べてみたところ思ってた通り反応は大きく、日本でも報道が出たばかりというのに中国でも各所で大きく報じられています。
 っていうか中国の報道見て、本名が三浦美紀ということを初めて知りました。

 知ってる人には早いですが中国でも「ちびまる子ちゃん」は現在進行形で大人気作品です。やはり家族物というのと生活風景が近いことから中国人も身近に感じていたようで、中国でちびまる子ちゃんの悪口は一度も聞いたことがありません。
 ただ改めて思うにつれて、この作品が日中双方で高く評価されたのはやはり作者の力量に負うところが大きいと思います。一言で言って才能の塊と言ってもよく、漫画だけでなくエッセイや作詞でも非常にセンスのある方で、サザエさんもそうですが同一作品でこれほど長く広い年代に支持される作品を作ったというのは紛れもない偉人でしょう。ましてや、国境や文化の壁を越えて評価されたというのですから。

 自分も小学生の頃はこの作品の漫画やアニメを見ていましたが、中学生から高校生にかけていったん離れた後、成人になってから見返すと改めてよくできた作品だと気づかされました。自分が文化芸術というものはどれだけ幅広い層を取り込めるかが重要なポイントだと考えていましたが、間口の広さで言えば圧倒的と言っていい作品で、この作者と同時代を過ごせたというのは将来自慢になるかもしれません。
 なおかつてこのブログで「ちびまる子ちゃん」に言及した記事として、この記事があります。今読み返してみましたが、他の話を差し置いて何故この「ローラースルーゴーゴー」の話が記憶に強く刻まれているのか不思議だと思う一方、「いや、多分他の人も同じだろう」という妙な自信を覚えました。

2018年8月26日日曜日

漫画レビュー「レッド 最終章 あさま山荘の10日間」

 相変わらずDMMで電子書籍のセールが続いているのでこれを機にやたら買いまくっており、「死人の声をきくがよい」という漫画も全巻買いそろえてしまいました。幼馴染、同級生、クラブの部長、アイドル、コンビニ店員た多方面から女の子に囲まれるハーレム系主人公ですが、ほぼ毎回殴られたり蹴られたりするのは当たり前で、頻繁に切られたり刺されたり突き落とされたりしながらも生き続けるという、「ベルセルク」のガッツもびっくりなタフネスぶりには毎回笑わさせてもらってます。あと幼馴染が第一話で腐乱死体ってのも、作者はすごいセンスしてる気がする。

 話は本題に移りますがこのセール中である8月23日に、これまで私が購読してきた山本直樹氏の「レッド」の最終巻に当たる、「レッド 最終章 あさま山荘の10日」が発売されました。サイト上で発売情報を知った際に一瞬買うかどうか何故か迷ったのですが、マウスを持つ手はすでに動いており、やはり買うべきかと思ってそのまま購入に至りました。

レッド (山本直樹)(Wikipedia)

 この本はこのブログでも何度も取り上げてきましたが、あさま山荘事件とそこへ至るまでの山岳ベース事件、さらにそれ以前の連合赤軍結成までの過程を描いたノンフィクション漫画です。連載期間は非常に長く2006年の連載開始から足掛け12年を経ての簡潔で、これまではややもすると進行ペースの遅かった連載から一転し、あさま山荘事件を一冊にまとめ書き切ってあります。
 巻末には作中登場人物である岩木のモデルである植垣康博氏がコメントを寄せており、「創作が一切ない」として、事実に対して忠実に描かれていることを称賛しています。この点については以前、植垣氏に直接会った際にも同じことを口にしており、当事者である側からすれば余計な編集や演出のないこうした表現形式を歓迎しているようでした。

 もっとも、私からすれば初めから徹頭徹尾ノンフィクションに徹するつもりであれば、作中の人物名を仮名とせず、中心人物だけでも本人の実名をそのまま使うべきであったのではと思うところがあります。登場人物をあらかじめ把握出来ない人からしたらこの名前の違いに苦しむと思われるし、実際私からしてもややこしいことこの上ありません。
 既に事件から40~50年経っており、内容的には「犯罪事件」というより「歴史事件」と言ってもいいものなので、余計な気遣いは最初からするべきではなかったでしょう。確か4巻か5巻くらいで行われた作中人物との架空会談も、その会話内容以前に設定の馬鹿々々しさに呆れました。

 とはいうものの、実名で描いていたら2006年当時に存命していた永田洋子がどう反応してたか。この点は確かに怖いので、仮名とすることに全く理解できないわけでもありません。

 最終巻の話に戻りますが、この巻ではあさま山荘へ逃げ込み、立て籠もりから捕縛までの過程を非常に細かく描いてあります。冒頭では警察の包囲から脱出するために冬山を縦走して突破する過程が描かれ(植垣氏曰く、「自分がいたから山を越えられたんだ」)、そして買い出しに待ち得降りたメンバーが捕まり、別荘地に逃げ込むという流れとなっています。
 この買い出しメンバーの捕縛場面で谷川(死刑囚の坂口弘)と並ぶ本作品の主人公である岩木の回想シーンがあるのですが、それは別荘地の湖の上で総括で死んだ彼の恋人とボートに乗りながらこの後の世界はどうなるのかと話し合い、岩木が「この後なんかない。戦って死ぬだけだ」というのに対し恋人が「本当にそうかしら」と疑問を投げかけます。

 場面が切り替わると、「もし街に降りなければ、ここで捕まっていなければ」という岩木の独白とともに警察官に取り押さえられるのですが、この過程に関してははっきりと強いデジャブを覚えました。何故かというと、同じ作者の山本直樹氏が以前に発表した「ビリーバーズ」という漫画のラストシーンにそっくりだったからです。
 似てるも何も、そもそもこの「ビリーバーズ」自体がオウム真理教事件や、連合赤軍事件を下地にして作られたとしており、実質的に「レッド」の準パイロット版ともいうべき内容だからです。「ビリーバーズ」の段階で連合赤軍の総括に言及しており、組織内部の内ゲバというような構造に注目していたようで、私は「レッド」の後で「ビリーバーズ」を読みましたが、ああやはりこういうのが描きたかったんだろうなという風にストンと落ちました。

 よくわからないレビューとなりましたが、2013年に初めて手に取ったこの作品がようやく終わったのだなという感覚とともに、もしかしたらこれで自分の極左団体に対する係わりが完全に断たれるのかなという予兆を感じました。こう言っては何ですがこの漫画を読んで自分の性質が本質的にテロリストに近いのだということを初めて自覚し、読み進めるうちに「他者への共感の強いものほど強烈な暴力性を持つに至る」という結論に至りました。真面目な話、自分を大事にする人間の暴力なんてたかが知れています。
 そういう意味では最初に舞台設定の点でミスがあると指摘はしましたが、情感的には強い影響を受けた作品であることに間違いはありません。別にこの作品を読んだからと言って現代のテロリストへの理解が広がるとかいうことは全くなく、学生団体、ひいては現在の極左団体が近くなることはまず間違いなくありませんが、時代背景とカルトとは異なる明確な倫理目標に立った内ゲバがどうして起こるのかは見える可能性があるのではないかと思います。

2018年8月24日金曜日

書評「しんがり 山一證券 最後の12人」

 日本最後の内戦とくれば今年の大河ドラマでも恐らくやるであろう西南戦争ですが、最後の反乱となるとその直前の佐賀の乱なのかと考えていたら、直近でもう一つ、「清武の乱」があったということを思い出しました。これも絶対的権力者に単身反乱を起こしたって意味ではある意味歴史的事件かもしれませんが、そういえばこの乱の主役である清武英利氏の本で読みたいものがあったことも思い出し、この前買って読んでみました。



 その本というのも「しんがり 山一證券 最後の12人」で、テレビドラマの原作としても使われた本なので知っている方も多いのではないかと思います。なんでこの本を手に取ろうかと思ったのかというと、反乱の後で落飾し、一介のジャーナリストに戻った清武氏がこのところ面白い取材本を出しているということを以前聞いていたのが大きな理由です。
 なお自分の元上司は読売新聞社内で一度清武氏と仕事したことがあって、清武氏については細目に連絡を出すなど非常に卒がなく仕事のできる人だったという印象を持ったと話していました。

 話は戻りますが、清武氏自身への興味もさることながら改めて山一證券の破綻について調べてみたいというのもあって買いました。内容はどちらかというと山一證券破綻の真相に迫る部分もないわけじゃないですが、それよりも破綻調査に関わった面々の苦しい状況を中心に描かれており、経済ルポというよりかは名もなき社員らの奮闘劇という面の方が強いです。読み応えは悪くはないのですが、会計方面の経済ルポを期待するとがっかりする点はあるかと思います。

 2008年のリーマンショックは世界証券大手のリーマンブラザーズの破綻をきっかけにして起きていますが、やはり改めて歴史を追うと日本の「失われた十年」も、バブル崩壊もさることながら、本格的にその色を深めたのはこの山一證券が破綻した97年からだったのではないかと思います。その点について少しこの本でも触れられており、まだ97年は平成不況の初頭であったことから山一証券の元社員の再就職は全体としてはつつがなく行われたと触れられています。もっともそれ以降から不況が増したことによって、一旦別の証券会社に転職しながらもすぐリストラに遭う人もいたと触れられてました。

 債務飛ばしの方法に関しては割と古典的な海外法人を絡めた債務の移し替えで、読んでて感じたのはオリンパスの時の手法と似ており、単純だけどやっぱり見つかり辛いもんだなという気がします。また現在もそうですが、こうした会計不正事件の責任者に対する処罰が日本では生温いとこの山一証券の事件でも覚え、恐らくこのような刑罰基準が続く限りは今後もこうした事件が続くでしょう。
 なおはみ出した内容を触れると、西田について中の社員たちは「こんな大変なこと引き起こしたくせに自分はのうのうと死にやがって」と言っているそうで、既に亡くなっているとはいえこうした批判は彼については寄せられても仕方ないだろうと私も思います。

 最後にもう一つ読んでて思ったこととして、この本の主題は山一證券の破綻過程、原因を探るために起ち上げられた社内調査委員会メンバーの奮闘ですが、こうした調査委員会自体がちょうど今問われている時期なのではないかと思います。例えば日大のアメフト事件でもすったもんだ挙句に弁護士をはじめとした調査員会が立ち上げられて、その報告内容などについて大きな注目が集まりました。同じスポーツ関連だとこのところ不祥事のラッシュで、女子柔道のパワハラ問題などでもパワハラはなかったとする協会の主張を鎧袖一触して「あり過ぎ」と調査委員会が断じた上で、その実態についても細かに報告されました。
 一方で森友学園の問題は結局トカゲのしっぽ切りで終わってしまうなど、不完全燃焼で終わる不祥事もまだ少なくありません。また独立した弁護士による調査委員会と言っておきながら、企業・団体側の息のかかった弁護士によって構成されて虫のいい報告が挙がってくる例も少なくなく、法整備まで行くとやり過ぎかとは思うものの、「何をもって独立した調査委員会と報告というのか?」という点についてもっと社会で議論すべきじゃないかと思います。

 同時に、そうした「独立した」価値観や視点を持つ人間を今後、企業がどれだけ抱え、この山一証券の例のように外部調査に頼らず社内調査によってきっちり自分のケツを拭けるかというのが、コンプライアンスとして問われてくるかと思います。基本的に企業というのは会社に忠実、言い換えれば不正に目を瞑る人間を採用したがりますが、その結果が上記の山一証券や東芝の末路であり、そのようなリスクに対して事前に対処できるか、対応できる人材がいるか、そうした社風があるか、こうした方面に力を入れる企業をきちんと評価できる社会があって成り立つところもあるでしょう。

2018年8月22日水曜日

カウントダウン

極貧寺の蓮如、圧倒的「子だくさん力」でカリスマに(JBpress)

 今日出た私の記事ですが、書き上げて提出したのは6月のことで、時間が経っているせいか他の記事と比べると( ・´ー・`)って顔にはあんまなりません。ただ今年年初に年間目標として歴史記事を強化しようと決め、具体的には一向一揆で何か記事を出そうと白鳥座に誓っていたので、とりあえず目標達成的な安堵感は覚えます。
 記事はこの後2回続いて計3回の連載となります。内容について強いて言えば、「ビッグダディも驚くほどに蓮如が子沢山だったという点が大きいでしょう。」という個所は編集段階で削除されるだろうと思っていたのですが何故かそのまま通って掲載されたのが意外でした。まぁわかりやすい比喩表現だと思うけどさ。

 話は本題に入りますが、いちいちリンクは貼らないものの本日スルガ銀行がストップ安を記録しました。後輩からも「花園さんの大好きなスルガ銀行」とまで揶揄されるほどこのブログで取り上げていますが、今年3月の段階で「足利銀行以来かも……」と、はっきり言えば近く破綻するだろうと予言していますが、この言葉を本気で信じた人はいたのか、そしてこの段階で私と同じ見解を持っていた人はいたのだろうかというのは未知数ですが、現時点においては私と同じ見解を持つ仲間たちはたくさんいるでしょう。私はもう、独りぼっちじゃないんだ( ゚Д゚)

 今日のストップ安の原因は日経の報道からです。その内容というのも、スルガ銀行の総融資額約3兆円のうち不動産投資融資は約2兆円で、このうち半分の約1兆円が適正な審査を経ずに融資された、いうなれば不良債権リスクの高い融資だとのことです。シェアハウス問題が本格化した後にスルガ銀行が積みました貸倒引当金は約150億円でしたが、大抵こういうのは実態よりも大幅に低い金額しか積まれず、現実には十倍の1500億円、少なく見積もっても1000億円は損金が出るだろうと見越していましたが、今回の報道が事実だとしたら私の想像を大きく超える額に膨らみそうです。

 今回出てきたこの1兆円という数字ですが、これはあくまで「リスクのある融資残高」で、この金額が丸ごと損金になるわけではないでしょう。ただシェアハウス問題でも明らかになったように、実際には返済能力や担保能力のない債務者へスルガ銀行は多額のローンを組んでおり、また将来の返済計画も杜撰であったことから、損切り覚悟の債権回収を行ったところでどれだけ回収できるかは未知数というか無謀もいいところでしょう。
 私個人が楽観的に見積もったとして、この半分の5000憶円は回収不能となるのではないかと思います。では現実的な見積りをした場合はどうなるかというと、8000憶円くらいに上るのではと見ています。なお山一證券は簿外債務とはいえ2600憶円で飛びました。たとえがあるとやっぱわかりやすい(´・ω・`)

 この見積金額の根拠はやはりシェアハウス問題の時の報道です。融資額に対して本来担保となるべき物件価値は十分の一くらいしかなく、債務者から身ぐるみ引っぺがしたとしても奪えるのは十分の一が関の山ではないかということから回収率は20%と読み、そこからさらに大甘な勘定を入れたとしても半分回収できるか否か、また今これだけの問題となっているにもかかわらず一向に対応が進んでおらずプレスリリースも相変わらず上から目線で一部怪しい表現も見られるため改善は期待できないことから、どれだけ楽観視しても50%が限度じゃないかと考えました。
 ましてや来年か再来年かには不動産価格は都心中心部を除いて全国で一斉に値下がりすると私は予想しており、となるとますます損失は膨らむでしょう。現状、スルガ銀にとって追い風となる条件はなく、また債務者も社会の反応を見て強気な態度で交渉に臨むと思われ、スルガ銀に全債務を押し付ける可能性もありますしまた金のにおいがする弁護士団がつくかもしれません。そう考えると、5000億っていう数字も私の中では現実味を感じさせてくれます。

 問題はもはやこの後、国がどう処理するかでしょう。破綻するか否かはもはや問題ではないでしょう。私は最初、足利銀行以来かもと考えていましたが、案外そうはならないかもしれません。その上で今日株式がストップ安になったのを見て、未だに株を持っていた人間がいたのかと呆れました。

2018年8月21日火曜日

購入オプション付き賃貸住宅

 経営者や設備管理者じゃないとなじみが薄いかもしれませんが、設備リースには俗に言う「購入オプション」というものが付けられることが多く、リース期間が終了した設備や物件を、追加料金を支払うことで貸主から借主が購入する(所有権が移る)ことが出来ます。
 具体例を出すと、毎月1万円、リース期間が2年のリース料でパソコンをリースし、満2年経過時点でプラス1万円を支払うことで、パソコンを貸主に返却する必要なくそのまま借主が自分のものにする権利のことを、こうした購入オプションと言います。

 この購入オプションは構造的には、借金して設備とかを購入するのと実質そう変わりがありません。100万円のフォークリフトを購入するのに銀行から2年定期で100万円(返済時の総支払金利は10万円)借りるのと、リース期間2年で合計支払リース料が100万円(購入オプション料金は10万円)では、条件的には全く同じと言っていいでしょう。
 だったら銀行からお金を借りればいいのにどうしてこんなリースという形式を取る人がいるのかって話になりますが、リース形式をわざわざとる理由としてはいくつかあり、

1、財務バランス上のメリット(借入金を負債計上しなくてよい)
2、中途解約可能であれば突然の設備更新において有利
3、費用の期間分割

 などなどありますが、これら以上に地味に一番大きいのは金融機関でなくても金利売買取引が可能になる点でしょう。リース業者側にしてもリースする側にとっても、余計な仲介者(銀行)を挟まずに金利取引を活発に行うことができるため、リース会社に必要な設備を買わせて、それを実際に使う企業が後々の購入オプション付きでリースする(ファイナンス・リース)というのも一般的です。っていうかむしろこれこそがリースの真骨頂だし。

 自分の知識整理も含めてまとめましたがそろそろ本題に移ると、住宅の賃貸も一種のリースに含まれますが、真面目にそろそろ購入オプション付き賃貸ってのも始めた方がいいのではないかと思います。もしかしたらもうあるのかもしれませんが、ネットで検索する限りそうしたサービスが見つからなかったので今書いています。

 この購入オプション付き賃貸というのはそのままに、住宅を一定期間借り続けた場合、期間満了時にオプション料金を支払うことでそのまま住宅を購入できるという賃貸契約を指します。
 具体例を挙げると、時価1200万円の住宅を家賃60万円/年(5万/月)を20年借り続けた場合、プラス100万円でその住宅を購入できるというようなのを想定しています。これによってどんなメリットがあるかというと、貸主は時価以上の金額(1200万>1300万)で住宅を販売でき、貸主は賃貸期間に支払った家賃がそのまま住宅購入資金に成り代わるという点が挙げられます。

 賃貸でよく言われるのは、「借りている間に支払ったお金は一切自分の資産形成に寄与しない」という点で、「それならば借金してでも早く家を買った方がいい」という意見が良く出されます。しかしそうして勢い住宅を買ったところ金利や返済に悩まされたり、あまりよろしくない隣人が来てしまったり、最悪なのは災害によって住宅が損壊を受けるというリスクはどうしても付きまといます。
 逆にこうしたリスクに対して強いのが賃貸で、厄介な隣人が出来たり、災害でダメージを受けたりしたら引っ越すだけで逃れます。このようにリスクを入れて考えると、賃貸もデメリットばかりというわけではありません。

 そこでこの購入オプションですが、これだったら気に入った賃貸住宅であれば長く住み続けることで購入、そして資産形成につながるので、多少家賃が高くても購入オプションなしよりは借主は夢が持てます。大家こと貸主にとっても、オプションを付けることでプレミアムがつき、家賃額を引き上げる根拠にできるほか、借主の転居動機を引き下げ賃貸契約関係の維持にもつながります。また償却期間が過ぎ、価値も下がって売却処分のしづらくなった住宅がこの購入オプションによって済み続けた人の手に渡ることで、空き家の低減につながるのではという期待というか狙いが私にはあります。
 同時に、この購入オプション付き賃貸住宅の普及の狙いとしては、日本の住宅相場の健全化です。仮にこの購入オプションが普及したら、間違いなく日本の新築住宅の値段は下がり、中古住宅や賃貸家賃は上がる(オプションなしを除く)でしょう。日本の住宅価格は新築が極端に高いにもかかわらず、一旦購入した後は極端に寝下がる傾向があり、それによってローン破産も誘発しているように見えます。私の狙いとしては新築住宅価格が下がる代わりに中古住宅価格を高め、もっと住宅取引の流動性を高め市場を健全化させたいという狙いがあり、その一手としてこの購入オプションは手段になりえないかと考えたわけです。

 また先ほども言及しましたが日本の空き家問題は非常に根深く、この空き家を減らすとともに不要な住宅を減らす努力も必要です。長く借り続けることで自分のものになる住宅が増えることによって住宅へのケアも高まり、尚且つ余計な住宅は淘汰されるのではという期待もありますが、どこかこういう購入オプションを手広くやってくれないかな。

2018年8月20日月曜日

江戸時代の終了時点はどこか

 私がまだ「バロック~歪んだ妄想」というゲームを遊んでいた頃(他にも遊んだ人っているのかな?)、鎌倉幕府の成立年代はまだ1192年でした。これは源頼朝が征夷大将軍に任命された年ですが、近年は平家を追討した段階で支配体制が固まったと判断されたことから壇ノ浦の戦いがあった1185年に改められたそうです。
 このように、具体的な事件とかならともかく支配体制というか時代の区分については各時代の判断によるというか、何をもってどう判断するかで一方的に決まるためやや曖昧さを持っています。江戸時代に関しても同様で、現在ではまだ徳川家康の征夷大将軍就任のあった1603年を開始年とする声が強いように見えますが、もうしばらくしたら関ヶ原の合戦のあった1600年に改められるかもしれません。どちらにしろ、江戸時代の開始年はこのどちらかであることには間違いないでしょう。

 一方、江戸時代の終了年はいつになるのかについては現在においてもやや曖昧なまま棚上げされています。候補をいくつか書き出すと、

・1867年 大政奉還
・1868年 江戸城無血開城、徳川家追放
・1869年 函館開城(戊辰戦争終結)
・1871年 廃藩置県

 最後の廃藩置県はちょっとおふざけで自分が入れたものですが、幕藩体制の完全なる崩壊と武家社会の終結という意味ではあながち暴論というわけではないと考えています。まぁ候補としては弱いですが。
 以上の候補のうち最も有力且つ一般的なのは2番目の1868年です。西郷、勝会談によって徳川宗家の政権からの追放と江戸城無血開城がなった年で、旧勢力の棟梁たる徳川家が降りたことから徳川時代の終了という意味では確かに最も適切と言えるでしょう。

 しかし、敢えて私がこの中で「江戸時代の終わった年」として推したいのは、既に元号も改められ明治二年となった1869年の函館戦争終了時点です。何故この年にしたいのかというと、この戦争に参加していた新選組副局長であった土方歳三が五稜郭陥落の直前にて戦死しており、彼の死をもって江戸時代が終わったことにしたいからです

 別に私自身は新選組フリークというわけではないのですが、この土方の死については時代を重ねていろいろ思うところがあります。平民の出で武士に憧れ、恐らく日本史上最強の人斬り集団を率い、念願かなって武士になったのは武士の時代が終わろうとする時だったというこの皮肉な時代のめぐりが、新選組というより土方歳三を大きく彩っているように考えています。また皮肉なことに彼自身も武士の時代が終わるということを自覚していたのか新選組内でも西洋式調練に積極的であったとされ、他のものに先駆けて洋装を始めたとも伝えられます。
 そうでありながら、戊辰戦争において彼が指揮した戦闘は武士そのものな斬りかかり戦法だったとされ、実際に斬り合いになると土方の部隊は非常に強かったと言われており、皮肉を通り越したようなそのアンバランスさ、まさに濁ったような時代の分かれ目を象徴しているかにも見えます。そして彼の死を待っていたかのように五稜郭は陥落しており、土方の生き方と死に方がまさに江戸時代が終わるということを体現している気がします。

 勝海舟だったかちょっと忘れましたがこの函館戦争で五稜郭川の主将であった榎本武明について、「もし函館で戦死、自刃していたら日本において古今無双の殉死者として扱われただろう」と評されていましたが、あながちこの評価は間違いではないでしょう。それだけになおさらこの戦争で死んだ土方については、、やはりもっと象徴的に扱うべきではないかと思うわけです。また家族に自分の写真を託したという死の直前のエピソードからも、土方の場合は初めから死ぬ覚悟が強かったこともうかがわれ、彼自身の江戸幕府への忠誠心がどこまであったかははっきりしないどころかやや怪しいですが、武士という概念を粉々にするまで体当たりでぶつかってきたのは私が知る限り彼以上の者はいません。

2018年8月19日日曜日

The man with the Goza

 昨日の記事でベルトの切れた安楽椅子をニトリで買ったスーツケース用のベルトで突貫修理をしたことを紹介しましたが、この修理に使ったベルトとともに、「これを買ったらもう後に戻れないかも」と約1時間悩みつつ、最終的にあるインテリア商品を買ってしまいました。


 見ての通り、買ってきたのは折り畳みできるござ布団でした。なお値段はシーズン末ということもあってかセールで140元(約2380円)でした。

 なんでこんなの買ったかっていうと一言では語れませんが、敢えて言うなら地べたで寝たかったからです。自宅にはやたらでかいダブルベッドがありますがもともと日本でも畳を敷いて、夏に至っては敷き布団すら敷かずに寝ており、ベッドのスプリングはどちらかといえばない方がうれし買ったりします。また夏場はダニに苦しめられており、布団、ベッド、もしくは両方に潜んでいるのかなかなか退治しきれず、安楽椅子に座っている最中も「この際こっちで寝た方がいいのでは?」とか、会社の昼休みに昼寝している時も、「こっちの方が良く熟睡できているような?」とか思ってたりしてました。
 そんな矢先にこんなの見つけちゃったもんだから、さすがに500元(約8500円)とかだと失敗したらハートに来る(ルー語)もんですが、140元ならあかんくってもまだあきらめがつくと思い、使用法とかも煮詰めないまま思い切って、と言っても1時間悩んだ末に買いました。

 設置場所はこれまで安楽椅子のあった場所で、安楽椅子自体は折りたたんで窓際に立てかけることでスペースを確保しました。その上でこの窓際の一角の細長いスペースに敷いたところ、サイズ的にはぴったり収まりました。
 写真はないですがこのござ布団は4ブロックに分かれており、場合によっては二つ折り、また一つ折状態で牢名主みたいな座布団としても使うことも考慮しましたが、幅が60センチしかないことから座りに使うとやや落ち着かない幅でした。二つ折りならまだ活用の方法ありますが。

 となるとどうすべきか。やはり本来の購入目的同様に敷布団として使おうと考え、昨夜早速これで寝てみました。ぶっちゃけ寝てみた感じ、日本の家屋と違って窓や家具が高い位置にあってやはり地べたに体を置くスタイルだとやや目線が狭くなります。まぁすぐ寝るなら問題ないけど。
 寝てみた感じではやはり幅が狭いのと、すぐ隣にごついコンクリの壁があるため寝返りは全く打てませんでしたが、ベッドとは違ってスプリングがないため背中が平面となり、朝起きた時は背中側の肩甲骨が伸び広がったような感覚があり悪くありませんでした。睡眠自体も、4時くらいに暑さで一瞬目覚めた以外はしっかり眠れ、質的にも悪くありませんでした。後地味に安楽椅子なくなり、部屋の空間が広がった感じもします。

 このござ布団の購入は来客時の簡易ベッドとしての役割も期待したものでしたが、今回寝てみた感じとしては十分に機能することが確認出来ました。また冬場はともかくとして夏場ならベッドよりもやはりこっちの方が寝やすく、やはり硬めの敷布団の方が健康にもいいというので、今後こっちをメインで寝ていくつもりです。
 問題は冬場で、今のところ活用方法が浮かびません。この際安楽椅子を友人に押し付けるなど処分し、別にもっと広いござとか買った上で座椅子を買うというのも選択肢に入れています。っていうか、ベッドがでかすぎて邪魔過ぎて、これさえなければいろいろ弄れるのにという気もしないでもないですが。

 日本に住んでた頃はパソコンもこたつの上で打つほどの地べた生活だったこともあり、やはりそっちの方が体に合っている気がします。日本に帰るかわからないけど、もし帰ることがあったら忍者屋敷風のデコレートしたFoot on the groundなインテリアを実現させたいです。っていうか外国人向けに忍者屋敷風アパートとか経営したら儲かるかも。住人の誰もが知る秘密の出口とか作ったりして。

 最後に、中国でもこうしたござというかい草を使った敷物や敷布団の類は以前から存在しており、スーパーなどに行くと見つけられます。ただどちらかというとい草よりも竹を使った敷物の方が多く、夏場はベッドの上に敷いて使うことが多いそうですが、自分は一回それやって、それが原因かはわかりませんがめっさダニの襲撃受けたのですぐやめました。今回のござ布団は昨夜に限ってはまだ襲撃受けてないので、このまま頑張ってほしいです。

2018年8月18日土曜日

The man with the chair

金足農・中泉監督 無死満塁でスクイズ決断の理由「チャンスは本当に来るんだな」(スポニチ)

 正直、甲子園は高校生の健康面や過剰な運動面で親戚が理事してたにも関わらず批判的に見ていて今でも廃止すべきだと考えていますが、この試合においてはすごいというより他ありません。サヨナラツーランスクイズなんて人生で今後二度と見れるかどうか。

下のコードは掃除機

 話は本題に入りますが、上の写真は自宅の安楽椅子です。先日、この安楽椅子に座ってゲームして、「よっしゃー、見たかアリども!(地球防衛軍)」と言った瞬間、ガクンと椅子が揺れ、何事かと思ったら向かって右側のベルトが切れていました。
 なおこの椅子が壊れた直後、友人から「座りすぎると寿命が短くなる」というニュースのリンクとともに、「花園同志は座りすぎてない?」とか聞いてきたのでマジムカつきました。っていうかタイミング良すぎる。

 この安楽椅子はこれまで2年以上も使っていたし、尚且つ変則ベッドにもしたりしたので、ベルトが切れたことについては耐久的にも仕方ないと思え、不満とか怒りの類は湧いてきませんでした。ただその代わりに頭をもたげたのは今後、この椅子をどうするかで、片方のベルトの切れた状態でも使えなくもないもののやはり傾くし、もう片方のベルトの負担も大きすぎるし、かといって座らなかったら邪魔だし、いっそ捨てた方がいいのかなとも思いました。

 しかしベルトが切れたくらいですぐ捨てるなんて勿体ないことこの上ないし、何かで修理できないかとしばらく考えました。要はベルトの代わりに何かでフック同士を結べばいいと思いつき、差し当たって浮かんできたのはビニールロープでした。さすがにそんな怪しいもん、自宅にあるわけではないので手っ取り早く他に代替できるものを探したところ締めなくなった革ベルトが出てきました。
 革ベルトなら素材的にも申し分ないのでさっそく試してみたところ、わかる人には早いですが、自分のウエストは極端に細く、スーツ新調するたびに「一番細い奴で!( ゚Д゚)」といえば大体フィットするくらいなモデル体型をしています。そんな私のベルトではやはりというか長さが足りませんでした。

 ただ、長さ的にはほんのちょっと足りないくらいだったので、これなら長さ調節できるようなベルトを買ってくれば十分つなぎ合わせられるだろうという確信が持てました。とはいっても、最有力候補は依然とビニールロープです。

 そんな考えを持ちつつ今日昼食後、ニトリまで行ってきました。ニトリにビニールロープがあるかどうか、っていうか多分ないけど他にも代替材料があればいいなというくらいの期待感で赴きましたが、薄い期待に反してそれはありました。
 それは何かというと、スーツケースを外側から締めるためのベルトです。素材的にも用途的にも近く、これならいけるだろうという確信と、9.9元(約160円)という安さから買うことを即決しましたが、別の商品を買うか買わないかで結局1時間近く悩みました。

下の白いのは床を傷つけないため巻いたティッシュ

 帰宅後、さっそく金具のフックに結びつけたのが上の写真です。長さがどんだけ調整してもほんの数センチほど買ってきたベルトの方が長く最初はいまいちテンションが弱かったのですが、上段フック側をよく見ればわかる通り、一か所だけ結び目を作ることでちょうどいい長さに変えられ、事なきを得ました。
 なおフックを通す際、ベルト側のプラスチック製接手がやや大きくて通しづらく非常にてこずり、「ええいああおもいやりちくしょうっ!」という、若い子には通じないだろうよくわからない言葉で声を挙げたりしてました。

 修理後の座り心地としては申し分なく、以前の通りです。廃棄する可能性もあった椅子でしたが我ながらうまいこと、有り合わせの材料で修理できたと思います。
 ただそんなええいああ思いやりをしながら、現在この安楽椅子は畳んで置いています。もともとこの椅子は夏場以外はあまり使わず、というのも真冬になると知ってる人には早いですが私は一切部屋で暖房を使わずに寒さを我慢するものの、さすがに椅子に座ったままだと寒すぎて仕方なくゲームとかする際は布団の中に潜り込んでやってます。なので使用シーズンが短く、なおかつ場所も取るのでどうしようかと考えており、とはいえ夏場はやっぱりゲームするのにちょうどよく使ってて再評価していたところでした。

 そうした思惑もありますが、ちょっと部屋の模様替えで思うところがあり今畳んであります。詳細はまた明日にでも。

2018年8月16日木曜日

自動車統計記事の裏側 葛藤編

中国でいま最も売れている自動車メーカーはどこか(JBpress)

 昨日に引き続き自分の記事への解説ですが、この記事は実は書くに当たって非常に葛藤がありました。結論から言うと、なぜ自分がこんな記事を書かなくてはならないのかという葛藤です。

 今回この記事で提示した中国自動車市場のデータは決して価値がないわけではなく、むしろ一部サプライヤーにとっては日本国内の販売台数以上に業績に直結してくるデータです。なのですが、上半期全体の販売台数を報じるニュースこそあったものの、メーカー別に整理したり、また日系自動車会社をひとまとめに紹介する記事はなく、こうした現状を見て自分が書くしかないと思って書きました。
 これまで私は中国市場の新エネ車や高級車については何度か書いてきたものの、全体の販売台数についてはJBpressで記事を書くことはありませんでした。何故かというと、どうせ自分が書かずとも大手メディアが報じているだろうと考えていたためでしたが、実際はさにあらず、自分が思っていた以上にこうしたデータは日本に出回っていませんでした。

 そうした予兆というものは感じており、以前にも新エネ車の世界販売台数がリアルに日系メディアで一つたりとも報じられてなかったり、前にどうせ受けないだろうと思って書いた中国自動車市場の提携関係という初歩的な記事がやたら反響大きかったりして、自分が思っている以上に世界最大の自動車市場である中国の情報は日本に伝わっていないのかもという気はしてました。
 ちなみにこうした経済統計ものの報道は中国の方が進んでおり、最近は日本語メディアより中国メディアで世界統計とか見るようにしています。中国語が使える私からすれば中国国内のデータは簡単に手に入りますが、中国語が分からないとこっちでは当たり前に報じられているデータすら入手できないのかもと考えたことも、こうした記事を書く理由になっています。

 繰り返し書くように、私はこれまでこの記事で取り上げたデータは日本でもきちんと日系メディアが報じていると信じていました。しかし、kロ絵ほど重要な市場データすら日本には出回っておらず、なんで大手メディアは中国各地に支局を置きながらこうしたまとめ記事の一つも出せないのかと、憤懣を覚えながら記事を書いていました。
 昨日にも書いた通りこの記事は情報収集、グラフ作成、執筆脱稿まで2日、それも2日目は普通に勤務終えてから夜の時間帯だけで私は書き切っています。自分のような副業ライターにこんな記事出されて、しかも簡単確実にアクセス稼げるというのに、大手メディアの連中は悔しくないのかと、複雑な思いを抱えながら書きました。

 自動車業界の人間からしたら販売台数データは将来予測において最重要データと言っても間違いありません。実際にグローバルサプライヤー企業に勤める知人は毎月、各メーカーの販売台数を自分で調べ統計取っていますが、そうした人たちにとって自分のようにメーカー別に順位付けして整理されたデータは非常に助かると思います。何故そうしたデータを、人手も時間もある大手メディアがやらないのか、正直理解に苦しみます。
 もっともそう言いながらも、私自身が新聞記者だったころにいた編集部もこうした記事は出しませんでした。当時の元同僚に対して、「この記事はあの編集部へのアンチテーゼだよ」と連絡しましたが、1社ごとに速報性を求めバラバラに報じるよりも、こうして整理してまとめて出すことに案外意義を見出していないのかもしれません。

 改めて述べると、今回のような記事は自分のような副業ライターが書くような記事ではないというのが本音ですが、日本の報道状況を鑑みるにつけ自分が報じなかったらかなりまずいという判断から書きましたし、今後は四半期ごとにこうした記事を出さざるを得ないでしょう。本音を言えば自分としてはもっとニッチな市場を独自の視点で追いたいところですが、今の日本の報道状況からするとこうしたメジャーな内容すらもカバーせざるを得ません。

 本気でショックだったのは、日産のシルフィが中国で馬鹿売れしていることや、SUVブームが息切れしてきているという事実について完全に全く報じられていなかったという点です。ほんまこれでいいのか日本の経済報道って感じです。

2018年8月15日水曜日

自動車統計記事の裏側 テクニック編

 先ほどネットバンキングで友人の日本の口座に送金しようとしたらいきなり口座がアカウントロックされました。過去にも全く同じことが起きており、その際には向こうの話によるとこっちに一切不手際はなかったとのことですが、少額の送金でまた同じことされて憤懣やるかたありません。昔ならキーボードの一つや二つはこの時点で壊していますが、そういう風なことしない辺り自分も老いたという実感があります。
 っていうか日本の携帯や銀行は海外居住者差別を止めてほしい。どちらも膨大な費用や手続きを負わせているにもかかわらず今回のような不始末が非常に多いです。

中国でいま最も売れている自動車メーカーはどこか(JBpress)

 本題に移りますが上の記事は自分史上最多のグラフ8枚を投入した中国の自動車統計記事です。この記事は情報収集、グラフ作成、執筆、脱稿まで2日かけましたが、グラフ作るためリアルに1日中パソコンの前で作業してました。何気にこの手の作業は嫌いじゃなく作ってる時も楽しかったですが、その一方でひたすらにパワプロがしたくてたまらず、書き上げた後はパワプロで遊びまくり、何故かオリックスで優勝、日本シリーズ制覇して見せました。

 この記事に関しては書くことに関しては上にも書いた通り2日でちゃっちゃと済ませられ、グラフ作成こそ時間がかかったものの自分としては書くのに苦労はしていない記事です。そもそもグラフさえ作ってしまえばあとはその説明だけでテキスト埋まりますし。ただいくつか言いたいことはあり、今回は記事をさらに踏み込んだ内容と使用したテクニックについて書きます。

 まず第一のポイントですが、3ページ目の第二段落冒頭の「続いて、車形(種類)別販売台数データを見ていきましょう。」というテキストです。見ただけでわかる人もいるかもしれませんが、ここで私は「車形(種類)」という言葉を使っているものの、厳密にはこんな言葉はなく私の造語だったりします。何故造語を使ったのかというと、この言葉が表す意味に対し適切な用語がリアルに存在しないからです。

車の種類(ニコニコ大百科)

 意味としては上記リンク先のようにセダンやコンパクトカー、SUVの分類を指す用語として使っています。ニコニコ大百科では「車の種類」としていますが、これだと広すぎるきらいがあり、それこそショベルカーやダンプカーも含まれてきそうで、一般乗用車の販売台数の違いを説明する上ではやや大きすぎます。
 なおこのほか車の種類というか分類を指す言葉をまとめると、以下のようになります。

・車種、モデル(例:カローラ、フィット、インプレッサ、ランサーエボリューション)
・グレード:同一車種の装備、オプションの異なるバージョン
・クラス:顧客ターゲット層の違いによる分類(例:高級車、中高級車、普通車、スポーツカー)
・セグメント:ヨーロッパで使われるサイズによる分類(例:Aセグメント、Cセグメントなど)

 このようにいろいろあるものの、先ほどにも書いたようにセダンやコンパクトカーを区別する分類を表す言葉は多分存在しません。はっきり言えばこれは自動車業界、メディア業界の怠慢もいいところで、区別が曖昧なのにかこつけ「RV車」とか「クロスオーバーSUV」などと妙な差別化を図ってわけわかんない造語を作っては分類をややこしくしていました。
 こうした状況に対し、やはり分類全体を言い表す言葉が必要だと考え、漢字で表記するならばと「車形」という言葉を作って今回使いました。編集部には「存在しない言葉だがもし問題だと思うなら『種類』に変えて」と連絡したところ併記という形に落ち着きました。自分の功名心とかそういうものは全くなく、なにも「車形」じゃなくてもいいのでこの分類を表す言葉を定着させてもらいたいです。

 次に第二のポイントですが4ページ第2段落末尾で、SUVの販売が息切れしていると触れた上で、「中国メーカーも日本メーカーも、今後もSUVへの依存が強いメーカーほどラインナップの底力が試されることとなるでしょう。」と書いてあります。この最初の「中国メーカーも日本メーカーも」という言葉は編集部でつけられたもので私が書いたものではないのですが、何故こう書かれたのかというと提出時の原稿へのメモで、「暗にホンダを指している」と書いていたからでしょう。
 中国市場でホンダは昨年、SUVモデルを多く投入して大きく販売台数を伸ばしたのですが、今年上半期は-6.4%と減少していたりします。車種別販売台数へのチェックまではしてはいないのですが、日系ブランドの中ではSUVへの依存が強いだけに、SUVブームの息切れが影響したのではとうかがわせるデータであり、またそうでなくても今後はSUVが厳しくなることが予想され、好調な日産とトヨタに食いついていけるか試されるでしょう。

 逆にあの記述だけで、「あ、これホンダだな」と考えた人は、自分とのシンクロ率が相当程度高い人物でしょう。

 最後のテクニカルポイントとしては、上にも挙げたSUVの成長鈍化です。恐らく日系メディアでは中国市場のSUV販売台数の成長が鈍化してるとはっきり指摘したのは自分が最初ではないかと思います。あらかじめ他のメディアの記事もみましたが、こうもはっきりとSUVの成長が鈍化しているデータが出ているにもかかわらず何故だか指摘する人はおらず、6月単月ではマイナスにも入ったのだから書いても何も齟齬はないとはっきり書きました。
 この点、次回の「葛藤編」にも続きますが、誰も指摘していないことを不思議に思いながら書いていました。なお体感での話もすると、やはり街中でもSUVの車は減ってきているように感じ、その分、セダンへの回帰が起こっているのではないかとデータ上からも読み取れます。

 なお中国市場を知っている人間じゃないと実感ないでしょうが、日産の「シルフィ」がセダン販売台数で上半期2位、6月単月で1位を取っているのはとんでもない偉業です。圧倒的にドイツ車のブランドが強い中国でさりげなくカローラも3位に入ってたりと、日本本国では全く人気のないセダンですが、中国において驚くような進化を遂げてたりします。ちなみに「シルフィ」がなぜ売れているのかですが、ぱっと見で「トランスフォーマー」っぽいフロントマスクが受けたんじゃないのかと密かに見ています。

2018年8月14日火曜日

人手不足ではない事態について

 地味に昨日まで軽い風邪だったのか昨夜にリンパ腺が腫れてめちゃ痛い中「地球防衛軍ポータブル3」を遊んでいましたが、昨夜は久々に虫にも悩まされずぐっすり眠れた甲斐もあって今はやや気分がいいです。その状態で今日の結論を言うと、地味に今の日本の人材不足は看過できないと前から思っています。

 現在日本では少子高齢化による人手不足が問題視されていますが、はっきり言ってこうした労働量不足などよりも中・高度な人材の不足の方が進行ではないかと思います。政治家一つとっても20年前と比べるとどれも非常に小粒となっておりまともな政策案すら持っていない人も珍しくありません。財界においても同様で、未だ現役の孫正義氏はともかくとして他にはこれと思うほど面白い人はおらず、トヨタの社長もやはりかつての奥田碩氏と比べると物足りなさを覚えます。
 なお奥田氏については以前後輩に、「今からでも遅くないから奥田に関する本は読んでおけ。今のトヨタは実質彼一人がひっくり返して作ったような会社だ」と紹介したことがあります。まぁそれを言ったら同時代の中村邦夫氏も同様ですが。

 こうした政財界のトップはもとより、一般社会のあちこちを見ていても日本の人材不足は深刻だと思います。日大やボクシング協会の問題をはじめ明らかに問題のある人物が組織のトップに就いていることはまだしも、三越の岡田茂やフジサンケイグループの鹿内家追放など、以前と違って組織内部の自浄作用が動かない点の方を私は重視しています。まぁボクシング協会は今回動いただけまだマシですが。
 この点はトップに限らず中堅クラスでも人材が不足しているのではないかと示唆され、実際に私も社外とかで会う人物などを見ていると十年くらい前と比べると小粒感を覚えることが多く、また同年代においても自分が感じるプレッシャーとしては学生時代の友人を超える者は未だ現れません。

 各企業の不祥事などを見ても明らかにリスクに会わない金額を横領して捕まる人物が出たり、また不祥事に対する会見も出したらヤバイ奴を何故か出して炎上させるなど、判断力がないというかそういうレベルじゃない企業統治ぶりがいくらか見えます。官界においても先の財務省の決裁書改竄問題といい、従来では考えられない問題が起きるなど、モラルが低いことはかねてからとはいえそのレベルの低下ぶりには閉口します。

 またこれは明日以降に詳しく語ることとなりますが、報道業界も果たしてどうなのかとこのところ思います。トチ狂った質問してどや顔浮かべる中日新聞の記者といい、普段のニュース原稿などを見ていてもそのニュースの視点が明らかにここ数年だけでも浅くなってきています。読者に合わせた、と言われたら私も何も言えないのですが。
 その上で結論を戻すと、今の日本に起きているのは人手不足ではなく人材不足で、なぜ起きているのかというと前から主張しているように昇進プロセスがおかしく、無責任でやばい人間ほど昇進しやすく、逆に責任感のある人物ほど下に落ちるシステムが日本には多いからだと睨んでいます。こうした風潮は何も今に始まるわけじゃないですが、認識してるか否かの問題を今主張しているのであって、この記事も無駄かと思いつつも2年後の予言の一環として敢えて書き記しておくことにしました。

2018年8月13日月曜日

第一でないと

外資系は社員ファースト キャリアも働き方も自分次第(日経スタイル)

 上の記事を見て皆さんはどう思うでしょうか。記事のコメントを見ると、「そのかわり外資系はいらないと判断されたらすぐ切られるのでどっちもどっち」などと書かれてあり、実際に私も「もうお前明日から来なくていいよ」と言われるのを見たことがあります。
 けどそんなことぶっちゃけどうでもいいです。私が一番気に入らなくて腹立つのは「○○ファースト」って言葉を使ってるです。てめぇそれでいいのか日経よ、って具合でマジ思います。

 多分自分以外で意識している人はまずいないでしょうが、この「○○ファースト」は小池百合子都知事が就任前後から使い始めた「都民ファースト」に端を発しているように気がします。なお小池都知事の最初期の指導者である小沢一郎は「国民の生活が第一」を政党名に使っており、何かしらこの時期からも連携あったのかなとも少し見ています。なおこの政党名は「俺の生活が第一」と揶揄されましたがまさにその通りでしょう。
 話は戻りますが小池都知事が「都民ファースト」という言葉を使っていこう、やたらとあちこちで「学生ファースト」、「選手ファースト」、「地方ファースト」などと流用されており、心なしか問題興した団体ほど使っているような気もしますが、密かに流行語と化しています。池上彰氏も、「自分ファースト」という言葉を使っていますし。

 この言葉の何が気に入らないのかというと、そもそも日本語に同じ意味を示す「○○第一」という言葉があるからです。「安全第一」はもとより「経済第一」、「売上第一」、「競技第一」などと昔から優先対象を言い表す際に何度も使われてきた言葉です。にもかかわらず「○○ファースト」という中途半端な外来語の使い方で、「トゥギャザーする」みたいなルー語のような軽快感もなく、こうも簡単に「第一」を「ファースト」に置き換えていいのか、やはり第一が第一でないとと強く主張したいです。
 そもそも「○○ファースト」といったら私の中では「ソルジャー・ファースト」という綴りしかなく、優先対象を引き合いに出す言葉にするのは納得がいきません。何でもかんでも外来語を否定するつもりはなく私自身も崩した言葉を使いますが、この「〇〇ファースト」だけは先ほども言ったように日大をはじめ問題を起こした団体ほど繰り返して使う傾向があり、尚且つ文字の並びからしてぎこちなく、この言葉を使う連中は何か真意を隠して使うような気配すら覚えます。

 そのように見れば最初の記事も、外資系社員のいい面だけ取り上げて悪い面については一切目を瞑るような記事です。外資系には退職金もなければ社員旅行もなく、何より新卒育成なんか全くしない点もあり、必ずしも社員ファーストとは言い切れない点も多く、私に言わせれば普通の日本人は日系企業の方が多分幸せでしょう。逆に日系企業が肌に合わないっていう人には外資系の方が絶対的にいいと言い切れますが。

 ちなみに外資系の職場見ていて思うこととしては、怒鳴り声を一度も聞いたことがありません。個人的には怒号鳴り響く職場ほど日本語で言えば「アットホームな職場」とされるだけに、やっぱ外資系はこの点で違うなとか思います。

2018年8月12日日曜日

スミスキー


 先週末、友人とお好み焼き屋に行った後に立ち寄ったショッピングモール内の地下にて、上の怪しく光る影ことスミスキーを見つけました。

スミスキー公式サイト

 上の公式サイトを見てもらえばわかりますが、このスミスキーというのは日本の会社が売っている玩具の一種です。すみっこにいるのが大好きというキャラ付けをされているのですがその特徴は何といっても暗闇で光るという点で、上記の私の写真のようにはっきりとスマホのカメラでも捉えられるくらい光ります。


 こちらが明かりのある状態で撮った写真です。構図や撮影位置など弄っていませんが、如何に真っ暗闇で他の物が映らない中でどれだけ光るかがわかるかと思います。
 このスミスキーが何故か上海市内のシティスーパーで売っていたので、「隅っこで光る!」という特徴が何故かやたら私の胸を打ち、66元(約1120円)にも関わらずその場で衝動買いしました。なおレジに持って行ったところ店員が隣の同僚に、「またこれ売れたよ」と耳打ちしてました。


 なおスミスキーの周りを映したのが上の写真です。何故かユーロファイターもすぐ近くにいます。

2018年8月11日土曜日

東京医科大の受験料返還範囲について

東京医大の差別減点、受験料6万円を女子は取り返せる?弁護士にきいてみた(女子SPA)

 日大に続き一躍ニュースの顔となっている東京医科大ですが、上記の受験料返還に関する報道を見て私は違和感を覚えました。結論からいうと、「男子については?」という点にあまり言及されておらず、女性差別問題とはいえこれはこれでまたどうなのと思います。

 概要については省略しますが、今回発覚した東京医科大の不正入試問題は主に女性受験生が原典対象となっていることは事実であるものの、女性受験生だけでなく多浪した受験生も含まれています。またそもそも、一部の縁故者に対して加点も行われており、私からすれば入試そのものが不公平であったという点からみて、メインターゲットの女性に限らず多浪受験生も受験料の返還対象に加えるべきではないかと思います。にもかかわらず今回デモした団体は女性のみを返還対象として叫んでおり、女性団体だからという言い訳をされるかもしれませんが、私に言わせれば女性団体だからこそ公平に、試験の不公平性に対して正当な要求を行うべき、つまり不公平対象となった女性、多浪受験生両方の受験料返還を求めるべきではないかと覚えました。

 と、以上までも一つの考えですが、実際には違います。
 仮に受験前にこうした不公平な入試システムが行われると公表されていた場合、果たして受験生が東京医科大を受験したのかというと、恐らく男性を含め大半の受験生が受験しなかった可能性があります。そのように考えるなら、不正が行われていたと立証できる期間内において、合格した受験生を含めた全受験生に受験料を返還するべきなのが筋なのではないかと考えます。なんかこうした結論出す人が少なくて、私にとっては逆に意外でした。

 最後に、裏口入学したとされる逮捕された文化省幹部の息子についてですが、東京医科大側は「加点しなくてもギリギリ合格圏内だった」と庇っていますが、問題はそこではないでしょう。ではどこにあるのかですが、本人が認識してたか否かで、本当に知らず親が勝手に行った始末であったのであればまだ同情の余地がありますが、自分に加点されるということを知った上で受験して入学していたのであれば、今ここで社会的制裁を受けなければ非常に問題があると感じます。
 一部報道では、受験前のSNSでの発言や、浪人生でありながら東京医科大にしか受験していない点などから本人も不正を認識していたという節が報じられています。実際はどうなのかわかりませんし立証などもやや難しいでしょうが、合格得点とか持ち出す一方でこの不正の認識について少なくとも自分が見る限り誰も指摘していないのが逆に不気味です。その上で言えば、これらの点については自分の判断基準の方が理に適っているという自信があります。

信長の野望風プロフィール

 昨日の記事について当事者である友人から、「信長の野望は?」と言われたので掲載します。

花園祐(198X~???)
代々メディア業に携わる家に生まれ、長じてメディア業界を目指すも果たせず、各地を転戦する。流れ着いた上海市にて仕官し、日々業務の傍ら社会批評を行った。せんべいを好む。

 知ってる人には早いですが、これは信長の野望というゲームの中にある武将紹介文のパロディです。学生時代にこの手の歴史シミュレーションゲームで友人の名前使った武将作るたびにこういうの作ってて、割と得意です。例えば岐阜県出身のある友人なんか、

???
美濃出身の国人。甲子園の強い県を優遇する差別政策をとり、冷蔵庫が買えなかった。アムロを尊敬している。

 この友人は実際のこの紹介の通り、無駄に優秀で甲子園の都道府県別勝率とかも暗記しており、でもって初対面の相手の出身地の勝率が高ければやたらテンションを挙げ、低ければなんか露骨に冷たい態度取る奴でした。あと学生時代に冷蔵庫を持たず、ガンダムはファーストしか認めない原理主義者です。

 こうした信長の野望風紹介文を書くコツとしては、末尾にワンポイント知識みたいなのを入れるのと、やはり五・七・五調の中膨れ三段で書くのがいいでしょう。地味に日本語の形としては理想的な形なので、文章の練習とかでこうしたパロディやるのはありかもしれません。

 なお最後に私の経歴についてですが、書いてある通りに代々のメディア一家ですが、どっちかっていうと営業畑であり、実際に記事書いたりしたのは突然変異の私だけで、メディアの家系であってもライターの家系ではありません。自分の場合は本当に腕一本でここまでのし上がったところがあり、我ながら幸運に恵まれたという気はします。

2018年8月10日金曜日

おれはももんじゃ

 従来バージョンを切るということからスカイプを新バージョンに更新しましたが、通知音がダサくなったり、UI画面が悪くなったりとファッキンな改悪になりすこぶる不満です。ただ唯一良くなったという点として、その場の状況や近況を書くプロフィールの一言欄が前より編集しやすくなり、その時の気分に応じてこのところ、

どすこい

Wasshoi

マヌーサ

さまようよろい

ももんじゃ

 という風に頻繁に変えています。そしたらこれを見た友人が、

「折角だからJBpressのプロフィール欄も変えたら?(;・∀・)」
「えっ、JBpressのプロフィール欄を『ももんじゃ』に?(;゚Д゚)」

花園祐(JBpress)

 上のリンクが件の私のプロフィール欄ですが、現在の表示はこうなっています。

花園 祐
(はなぞの・ゆう)中国・上海在住のブロガー。かつては通信社の記者。好きな食べ物はせんべい、カレー、サンドイッチ。

 なお当初私が出したテキストは、「上海在住のブロガー。好きな食べ物はせんべい」だけで、「これじゃ短すぎる」と言われたので「カレー、サンドイッチ」を付け足しました。「かつては通信社の記者」は編集の方で追加してくれたテキストです。
 他のコラムニストは立派な経歴とかみんな書いているのに、何故か自分だけ好きな食べ物アピールしかしておらず、自分で言うのもなんですがやばい奴にしか見えないプロフィールです。これを仮に友人のアドバイスに従うとしたら、

花園 祐
(はなぞの・ゆう)ももんじゃ。

 ぶっちゃけ悪くない気がします。
 なお友人曰く、なにもももんじゃに変えろっていうわけじゃなく、このところしょっちゅうスカイプのこの表示欄を弄っているから、変身願望でもあるんじゃないかと思ってテキストを変えてみたらと薦めたそうです。

「つまり、俺はももんじゃに今なりたいと考えているのか……( ゚Д゚)」

 と言ったらそれも違うと否定されましたが、私自身としては内心、そうなのかもしれないと深く納得しています。なれるものなら一回くらいはももんじゃになってみたいです。
 ちなみにそのひとつ前の「さまようよろい」については、自分の人生がリアルにさまようよろいっぽいので、今更改めてなるまでもないかなと思い、ももんじゃほどの変身欲求は感じません。

2018年8月8日水曜日

自分の理解者

 高校生くらいの頃、流れ星が見えたわけじゃないですが星空に向かって、「理解者が欲しい」とリアルで祈ったことがあります。それくらい当時、自分は自分の理解者を強く求めていました。

 現在振り返ってみても、やはり当時の自分の周りには親兄弟を含め理解者は誰もいないと言ってもいい状態でした。中学、高校時代に私の周りにいた人は私の言動を見て「おかしな奴」というくらいの評価しかせず、実際に後年になって「変な人としか思わなかった。当時からそれだけ勉強していたとは知らなかった」と言われたこともありました。
 親兄弟もほぼそんな状態で、中でも今でも忘れないのが学生時代にうちのおふくろが、「(姉が)早くあんたも公務員目指せばいいのにって言ってたよ」と言ってきたことです。この言葉の背景にはおふくろ自身もそう思っているという意味が込められていますが、このブログを見ていればわかる通り、自分以上に反権力志向を持った人間なんてほぼいないくらいなテロリスト気質な自分に向かって言うセリフではなく、実際に当時から(今でも)公務員のことは「公僕」と呼んでいます。そんな自分に公務員を目指せなんて言うこと自体おかしく、作っているわけではなく、上記のセリフを言われた時は唖然として言葉が出ず、「ああ俺のことを何も理解してくれていないんだな」とはっきり悟りました。

 ただ、大学に入ってからは理解者に恵まれました。具体的には友人たちですが、ある日うそぶいて「世が世なら自分はとっくにどこかの知事をやってるだろう」と言ったら、「急拡大するか破滅するかのどっちかやな」とすぐにツッコミを入れてくれました。
 少し解説をすると、自分はそうでもないと思うのですがどうも周りからはおとなしそうな外見しているようで、親兄弟に限らず「如何にも公務員になりそうな顔やな」とか結構あちこちから言われてました。しかし実際の性格はむしろ真逆で、特にハイリスク・ハイリターンを好む山っ気が強いことが特徴であり、この点がよく真逆に現在進行形で誤解され続けています。上記のセリフを言った友人はまさにこの点を理解してくれていたからこそ「急拡大か破滅か」と評し、また進路についても、「君は絶対に公務員にはなってはならない。雇う側にも、君にとっても不幸な結果にしかならない」とまで言ってきました。

 この友人とはまた別の友人ですが、そちらも私のことをよく理解してくれていました。特に今でも忘れられないのが、「君の言うことや考えは正しいが世間はそれを理解しない。能力は高いのだからほんの少し君が妥協するだけで楽になるのだし、もっと抑えた方がいい」と、念仏の如く一時期言われ続けました。またそのほか、「僕自身は君のことを理解しているつもりだ。僕という理解者がいるだけではまだ満足できないのか?」と、20代後半で突っ張ってた時期にこうやって言葉をかけてくれました。
 正直に言って、この友人らは自分の親兄弟よりも自分のことをよく理解してくれていたと思います。同時に、最初に星空に願った自分の祈りは無事成就したのだと思え、上の友人のセリフを受けてからは、これ以上の理解者を求めるのは確かに贅沢だと思え、誤解する人に無理して理解してもらう必要はないという割り切りを持つに至りました。多分昔のままなら、自分の記事に就くヤフコメに対して一つ一つコメントを返して反論していたでしょう。

 なによりこの二人の友人はともに、「もっと自分の幸せを考えろ」と、自分に対してよく言ってきていました。この辺、当初私自身もピンとこなかったのですが、やはり今この段階で考えてみても自分のホスピタリティは異常者レベルと言っていいほど高く、どこか自分を投げ捨ててまで周囲に捧げようとするところがあります。
 その精神自体は崇高ではあるがやはり危険だと何度も友人から警告を受けながら現在に至っても直っていないのですが、大学在学中というかなり早い段階でこの点に気付いて私に警告してきたという点は最も早期に自分を理解してくれていたという証左でもあると考えています。だったら言われた通りにすりゃいいんですが。

  おまけ
 友人と共通の後輩の進路についてある日友人と話していたところ、友人がおもむろに、「彼は君に似て、生き方が不器用だからね」と口にしたことがありました。これ聞いた時最初、「こいつ、俺のことそんな風に思ってやがったのか……(゚Д゚;)」と思いましたが、すぐ「けど反論できない」ということに気が付き特に言い返したりしませんでしたが、ちょっとその夜は寂しさを感じました。

2018年8月7日火曜日

セールがやばい(;´・ω・)

 最近、中継ぎだった頃の藤川球児投手みたいに働き過ぎじゃんじゃないかと思います。普通に平日の仕事が忙しく先週はほぼずっと残業して土曜も出勤し、日曜は日曜で一日中グラフを書いて、昨日と今日は帰宅後に黙々と記事書いていました。その甲斐あってさっき出来上がった統計ものの記事は内容的にはかなり恐ろしいものに仕上がっています。

 仕事自体はやりがいもあるしストレスではないのですが、やはりこうやってバリバリ仕事しているとなんだか無性にお金使いたくなってきます。しかもJBpressの仕事は原稿一本ごとに原稿料が得られる(源泉徴収されるが)仕組みなので、記事を一つ書きあげたら「どうせお小遣いはいるんだし……」と思って、無駄にネットでゲームとか電子書籍を大してほしくもないのに買ってしまいます。
 とはいえ、最近はパワプロ2016で何故かオリックスの金子投手とマブダチになる(マイライフモード)など、娯楽がないわけじゃないから無駄遣いせずともと抑止力が働いていたのですが、何故かここにきて、やたらオンラインショップで安売り攻勢がかけられて欲望を刺激されています。

 プレイステーションネットワークでは夏休みということからVita用のゲームでセールが行われている真っ最中です。みると「閃乱カグラ」ってゲームが数百円で買えるので、今まで全く興味なかったけど、声優の原由実氏も出てるしこのままいくと来週あたり買ってそうです。
 またKindleから切り替えたDMMの電子書籍も、今月は半額分のポイントがつく、実質的に半額セールが展開されており、既にこのビッグウェーブに乗っかって「神々の山嶺」の漫画版を一気にそろえてしまいました。谷口ジローの漫画は「坊ちゃんの時代」や「孤独のグルメ」を過去に買っていたものの、こちらの「神々の山嶺」も非常に面白かったです。

 今バーッと見てますけど、前からちょこっと買っていた「へうげもの」を全巻揃えてしまいそうで怖いです。って、今みたら「サタノファニ」の6巻が昨日発売したのでさっそく購入することにします。
 なんかこう言うの書いているとさも上海で遊び歩いているように見えますが、ちゃんと普段は真面目に仕事していますし、こうやってブログもきちんと書いています。というよりも今ふと気が付きましたが、このところ毎日10時間以上はキーボード叩き続けています。前世はキーボードの妖精だったのかもしれません。いやでも昔から10時間以上は常に叩いているか。

2018年8月5日日曜日

統計に関する考え


 今日自宅で仕事(頼まれてもいない自動車統計記事執筆)しながら上のアイドルマスターの「待ち受けプリンス」聞いていたら、テンション上がり過ぎたのか猛烈な頭痛きてダウンしました。なおこの曲聞いて声優の原由実氏(四条貴音役)が好きになりました。

 話は本題に入って統計についてですが、ライターとしてみた場合、私はかなり統計データの処理に長けたライターに入ると思います。自分でも意識的に統計関連記事を書いていますが、やはりこれまでの同僚の中にはデータの収集や編集が苦手なことからあからさまにこうした記事を避ける傾向があり、どちらかと言えば経済記事でもインタビューを重視する記者の方が多かったです。
 私が何故統計に強くなったのかと言えば、一つはExcelの処理に長けていたことからそれほど苦手意識を持たなかったことと、学部生時代にこうした統計処理について専門ソフトを使った講義を受けるなどして訓練(と言っても初歩的)を受けていたからだと考えています。

 なお一部で、「統計学こそ最強の学問」と主張する人がいますが、統計学は手段であって学問としての目的や思想が全くないことからむしろ低い部類だと私は考えています。従って、最強はやはり社会学……とか言いたいですが、内心すげぇなと思うのはやっぱ天文学です。

 話は戻りますが中国だと統計をベースにした記事が非常に多く出るため、最近世界統計データを得ようとする場合は日本語よりも中国語で検索することが多いです。例えば新エネ車の世界販売台数なんて日本語じゃ全くヒットしませんが、中国語だったらすぐに整理されたデータを手に入れウェヒヒヒできます。これが何を意味するかというと、どうも統計方面の人材や考え方でもこのところ、中国に日本は抜かれつつあるのではないかとまたいつものジャパンバッシングになりそうなのでこの辺でやめておきます。

 ただ経済記事に限れば、先ほどにも述べた理由からか明らかに日系メディアは弱いと思うところがあります。だから私みたいなのが適当な統計出すだけで成立する記事を出せるのでありがたいっちゃありがたいのですが、この辺の教育とか最近はどうなってんのかなと思うところもあります。私に関しては一応統計処理について簡単に大学で学びましたが、その後の実際のExcel処理から分析、収集などはほぼ我流で磨けたものの、きちんとそういうのを教えられる人材が自分意外にいるのかとか気になります。特にメディアの中で。
 先ほどにも書いた通り、どうも日系経済メディアの記者たちは重要人物らへのインタビューを重視するような傾向があり、データ方面への意識が低いです。財務諸表すらきちんと読み取れない人も珍しくなく、メディア講座とかで教育機関がこの辺教えてあげるべきとも考えています。なお財務諸表の読み取りに関しては、自分はライターとしてはトップクラスです。

 もっとも、こう言いながらもこれまた先に述べた通り統計というのは手段であり、その統計からどんな結論や知見を見出せるかが一番重要なので、ただ統計処理ができる、グラフを作れる程度ではなんも意味がなく無価値もいいところです。分析が如何にできるかが重要で、地味に全く意味のないデータを無価値だと見抜く力なんか誰も言いませんが実は最も重要だと思います。真面目にそういう意味ないデータって少なくないし。
 繰り返しますが統計はあくまで手段であり目的でも思想でもありません。使いようによっては大きな武器になるのでできるに越したことはありませんが、「統計こそ最強」みたいに過大に強く見せようとする考えや動きには賛同できず、分をわきまえるべきでしょう。その上でこの統計の活用法なり処理方法、特に一般の方についてはその「読み取り方」についてもっと啓もうしてく必要があるのではというのが私の見方です。

炎天下のワーカー向けボランティア支援


 今日友人と上海市内を歩いていたところ、ショッピングモールなどの入口にコンビニなどでアイスを入れるような箱型の冷蔵庫があちこちに置かれてあるのを見かけました。中にはスポーツドリンクなどの飲料水が入っているのですがなんとこれ、友人によるとこれはボランティア団体が置いたもので、野外で警備、清掃、交通整理などを行う人たち(警官を含む)向けに無料で冷えた飲料水を提供しているとのことでした。

 冷蔵庫内の飲料水は上に挙げたワーカーであれば遠慮することなく無料で持って行けるそうです。また中の飲料水はボランティア団体が入れるほか、一般人も自分が購入したものをワーカーへの差し入れとして入れることが可能らしいです。
 この取り組みについて友人は、「多分、上海以外なら中の飲料水はすぐ持ち逃げされるし、下手すりゃ冷蔵庫ごと盗まれるけど、上海だったらさすがにそういうことは起こらない」と踏まえた上で、変わった取り組みだが世間、特に暑い中で作業する人たち向けの施策としてはいい内容なんじゃないかと話してました。私自身も同感で、ちょいちょい電気代とか気になってしまいますが、実際に炎天下で作業する人への支援としては面白いと思います。

 この会話の後に代わりとばかりに私が友人に話したのは、このところ日本で取り上げられる消防車や救急車へのクレームです。知ってる人には早いですが、このところ消防や救急隊員がコンビニなどに立ち寄ったところ、「業務中にサボっている」などと市役所などへクレームをつける輩が実際にいるそうです。
 こうした声に対して消防署などは、炎天下であり尚且つ食事をとる暇もないほど忙しいこともあるので、健康上の必要性からも上記車両で一般店舗に寄ることもあるが大目に見てほしいとわざわざ声明を出すことにもなったのですが、そもそも言いがかりとしか言いようのないクレームが出てくること自体おかしいことこの上ありません。むしろはっきり言えば、何故こんな気違いがえらそうに口聞いて、社会のために奮起している各隊員にケチ付けやがるんだとすら思います。しかもこう言うクレームをつける奴というのは、一人じゃなく全国で複数確認されているというのだから、一体いま日本で何が起きているのかとすら内心思えてもきます。


 上記サイトは友人が昨日教えてくれたサイトですが、なんとなくこういうのいるなぁというか、わざわざ気にしなくてもいいような粗を探して揚げ足をとろうっていう人間がこのところ日本で増えてきていると思います。それは匿名性の強いネットが発達したからだと言い切ることもできますが、なんとなく上記のクレームの件を見ていると、本当に原因はそれだけなのかと少し疑問に思え、言い換えれば、何か日本の社会で今変なことが起きているのではと疑っています。はっきり言えば、淘汰がないのではと見ています。

 もちろん中国にも気違いみたいな連中はいくらでもいますし真面目にこの未開部族どもめと田舎出身と思しき素行の悪い連中見て心の中で悪態つくこともないわけじゃないですが、なんとなく社会の世論や意見などを見ていて、このところの日本でびっくりするような声が耳に入ることが増えています。例の日大関係者やアマチュアボクシング関係者など、何故こうした人間がこれまで淘汰されてこなかったのか、何故変なことを言う人間がもうそんなことをわざわざ口に出そうと思わない蔵過去に痛い目に遭ってないのか、謎は深まるばかりです。

2018年8月1日水曜日

ジョーカー切り

 先日、購読している「かぐや様は告らせたい」という漫画の10巻が発売されてさっそく買って読んだところ、この巻から四条真紀というキャラクターが登場してきました。このキャラはそれまでも、セリフこそないものの背景にいるモブキャラとしてはずっと出てきており、いつか本編にも出てくるだろうと言われていたところ今回満を持して出てきたわけですが、やはり長らく温存されていただけあって非常に面白いキャラでした。このキャラが出てきたのを見て私は、「ああ、この作者はとうとうジョーカー(切り札)を切ったんだな」と思うと同時に、「俺もそろそろ切るか」と考えました。

かつて真夏の上海で日本軍と中国軍が突入した市街戦(JBpress)

 こうして出来上がったのが上の記事です。決して冗談ではなく「かぐや様」読んだから上の記事を出そうと決めました。

 内容はこのブログでも以前に取り上げた、第二次上海事変の解説です。何故この記事が私にとって切り札だったのかというと、

・前にブログで書いたから初めから知識があり、執筆準備が不要
・上海市内にいる日本人だったら確実に興味を持つ内容
・日本国内で取り上げられることが少なく知っている人が少ない

 上記の理由から、いつでも書けてそこそこ内容があるためネタ切れで苦しい時用に取っておきました。どうでもいいですがさっきから文字変換がおかしく、「こうして」と入れたら「孔子て」、「よんだ」といれたら「四だ」とか表示されてマジむかつきます。
 それで今回かぐや様に触発されて出したわけですが、今日のJBpressアクセスランキング上ではあんまり上の方に来ていません。っていうか、今日配信された記事多くね?

 そうした愚痴は置いといてこの記事について少し掘り下げると、そもそも何故この第二次上海事変が日本だとあまり取り上げられないのかという点について、敢えて記事内でははっきりとした言及を避けています。実際にJBpressの鶴岡編集長もこれまで知らなかったと話していたのですが、その返信として私はこう書きました。

「この第二次上海事変に続く南京攻略戦で南京大虐殺が発生しているため、意識的に第二次上海事変も話題に挙がるのを避けようとする傾向が強い」

 あまり取り上げられない理由は間違いなくこれだと私は考えています。そもそもその南京攻略戦ですが、上海防衛のために派遣した軍隊をそのまま大した準備なしに南京へ強行軍で進軍させており、そのため日本軍は食料にすら事欠く有様だったそうです。この辺りの過程を見ても、「命令違反であっても、功績を挙げればお咎めなし」という当時の軍部の気風が見て取れますが、そうした補給の追い付かない状況で兵や士官らが苛立っていたことも大虐殺の要因とする声もあります。
 とはいえ、私の友人のように地元上海人からすれば現地で市街戦を起こされたわけであり、片方の当事者である日本人が認知していないというのは確かに面白くないでしょう。極端な話、沖縄戦について米国人が「何も知らない」と言ってくるような感情じゃないかと思います。

 話は変わって毎度おなじみのヤフコメについてですが、内容が内容だけに予想していた通りあれこれ反発して私の人格批判も毎度ながらガンガンやられています。とはいえあまり胸に来るようなのは少なく、もっと面白いこと言ってほしいなと思う感情のが強いのですが、そうした記事内容への批判として、「中国軍」なのか「国民党軍」なのか、この表記について言及するコメントが多く来ています。
 実際に記事内には「中国軍」と「国民党軍」という二つの言葉が使われているのですが、これを見て、意図的か、意図的でないかをまず疑ったのかどうか、ここがポイントでしょう。無論言うまでもなく、これは意図的な記述で、次に何故この二つの言葉を混在させたのかという理由まで推察していたらパーフェクトだったでしょう。

 日本と戦った軍隊をどう呼ぶか、これを書くとき実はすごい悩みました。主に戦ったのは蒋介石率いる国民党の軍ですが、国民党の軍がすべて蒋介石傘下となるかとなると微妙で、また国民党以外の部隊も参加している可能性も高く、実際にドイツ軍関係者も蒋介石側についています。
 また歴史に詳しい人間ならともかく、そうでない読者からすると「国民党軍」が何を指すのかわからない恐れがあり、下手すれば中国の軍隊ですらないと考える可能性も懸念しました。そこで敢えて「国民党軍」という言葉を先に一回見せた上で、「中国軍」というレンジが広く連想しやすい言葉を使うことにしました。

 中には「この時代に中国は存在しない」等という輩もいましたが、既に蒋介石の北伐が済んでいたのと、そもそも「中華民国」自体はこれ以前に成立していたのと、国民党は孫文らの系譜を確実に引いていること、あと蒋介石ら国民党がこの前後の段階で中国の国権を代表して欧米各国と交渉しており、その後も中国を代表して日本軍と戦ったことを踏まえると、「中国軍」という表記も可能だろうという風に判断しました。
 またそうした時代背景以上に、現在の中国政府がこの第二次上海事変について「中国対日本の戦争の一つ」とはっきり捉えており、「国民党と日本の私闘」とみなしていない点も考慮しました。中国側はこの第二次上海事変を国と国との戦争と捉え、また日本側も当時において中国との戦争という風にはっきり認識しており、それが「中華民国」なのか「中華人民共和国」だろうがどちらも同じ「中国」、そして「China」と表記できることをもってしても、大きく事実関係から外れることはないという風に考え、敢えて二つの軍隊名を混在させたわけです。ここまで踏まえた上で自分を批判したのかどうか、要はそこだなと見ています。

 それと最初の話に戻りますが、やはりヤフコメを見ていると第二次上海事変の「前」に言及する人間が多く、やれ「通州事件について何故触れない」とかいう人がやたら多いですが、「後」に言及する人はやっぱりほとんどいません。理由は最初に述べた通りで、南京大虐殺の話に絡んでくるからでしょう。
 ただやっぱり目の肥えた読者もおり、やはりこの第二次上海事変で「終わりの見えない泥沼に入り込んだのは日本の失敗だった」という内容を述べる人が見受けられます。私自身も同感で、泥沼化の大きな一歩がこの第二次上海事変だと考えており、もしここで踏みとどまっていれば無用な戦争に巻き込まれずに済んだという見方をしているだけに、同じ意見が見られてほっとしました。

 このほか親類がまさにこの時の上海に従軍していたというコメントもあって、こうしたコメントが見られただけでもこの記事は出した甲斐があったでしょう。とはいえやはり近代戦争物を書くと感情論の言い合いが始まるのはあまり喜ばしくなく、この辺を今後どう封殺するか、何かいい手を考える必要もあるかもしれません。

2018年7月30日月曜日

高台への意識

 昨日の記事で大企業しか経験してないから視野が狭いと指摘した名古屋に左遷されたうちの親父ですが、私が生まれる前、購入する住宅を選ぶ際にこんなことを言っていたそうです。

「津波が怖いから、浦安はやめよう」

 購入候補の住宅は二つありどちらも千葉県だったのですが、そのうち千葉県浦安市内の住宅については上記の判断から避け、当時としては浦安とは比べ物にならないくらいのド田舎だった、海抜が浦安より高い別の街で最終的に住宅を購入しました。親父曰く、「バブル期前だったが安い時期というわけでもなく、損得で言えばトントンの時期に購入した」とのことです。
 この住宅選びにおける親父の判断は結果的には正しかったです。東日本大震災の後、津波こそ直撃しなかったものの埋め立て地で地盤の弱かった浦安市では液状化現象が多発し、他の都市と比べてもインフラ復旧が大幅に遅れました。当時、この影響で地価や住宅価格も大幅に下落したと書かれていましたが、今どうなっているかはわからないものの、地震や津波へのリスクを中心に住宅を選んだという観点で言えば親父の判断はピタリと的中しました。

2年前に買った家が浸水 河川氾濫リスクは説明義務なし(朝日新聞)

 なんでこんなことを思い出したのかというと上の記事がきっかけです。内容は今回の西日本豪雨による河川氾濫で水浸し被害に遭った方を取り上げていますが、この中で「購入前にあらかじめこういう注意喚起があれば……」という嘆きの言葉が書かれてあります。
 確かに注意があるに越したことはないでしょうが、やはり注意以前に普段から災害に対する意識を強く持っておくことの方が重要ではないかと率直に感じました。単純に高台であればこうした水害リスクはほぼ回避できますし、また水害に限らずとも土砂崩れや地盤沈下など、おおよそ想定できるリスクに対しては地勢を見ることである程度のリスク計算と予防ができます。注意があったなかったと後から言うことは可能ですし、確かにないよりは注意があった方が親切と言えば親切ですが、言われなくとも自分で意識しなければならないという価値観というか心構えも必要なのではという風に感じたわけです。

 図らずとも、うちの家では親父の判断によって損失を抑えることが出来たわけですが、やはり慎重すぎると言われても、災害に対して普段から意識しておくことこそが予防と言えるでしょう。「災害は忘れたころにやってくる」と言いますが、忘れる頃にどれだけ意識してそれを普段の生活で行かせるかが、ある意味今後の日本の防災において重要ではないかと思います。

  おまけ
 東日本大震災の後、親父とこんな話しました。

「おう親父、俺が子供のころに配当目当てで東電の株こうたゆうとったけどあれどないしたん?」
「まだ持っとったんや……」

 こういうこともあるので、親父の判断は必ずしも信用していません。なおこの後に投げかけた慰めの言葉は、「まぁネタにはなるけどね……」でした。

2018年7月29日日曜日

忘れられない議論

 今をさかのぼること数年前、日本に帰国していた私は関西で友人と会っていました。その友人とは学生時代を含め散々議論をした仲で、自分が一番苦手とするタイプでした。
 単純な議論中の頭の回転の早さや論の鋭さもさることながら、議論のスタイルが私と真逆と言ってもいいタイプであり、私からすれば一番相手にする上で不利なタイプであったと言っても過言ではありません。具体的には将棋でいうと防御陣形を組立て一切自分から攻めてこない完全な防御型で、防御を完全に無視して攻めに特化したような私からすると、一撃で向こうを突き崩せなかったらもう後は負けるだけでした。っていうかこの友人、議論の途中で論点を敢えてずらす振り飛車戦術も、「それ関係ないでしょ」と言ってピシャリと封じてくる唯一の人間でした。

 そんな友人と久々に会ったその夜、なんかの拍子に話題が雇用、特に日本人が海外現地で採用される現地採用について触れたところから議論に発展しました。私が現地採用を代表してその権利向上を主張する立場となり、

・現地採用者は能力的にも本社派遣の駐在社員より高く、その勤務の貢献度も高いことが多い
・っていうか現地語しゃべれない社員はむしろお荷物
・にもかかわらず収入は駐在社員の数分の一、下手すりゃ十分の一

 であるという点を挙げ、離職率も高いことからもっと給与待遇を引き上げその地位を向上させる必要があると主張しました。これに対し友人は、

・安い給与で高い効率を求めるのは企業にとって当たり前
・あらかじめ契約時に提示した給与額で雇っているのだから不当ではない
・待遇に不満があるのなら辞めてもらって結構、また次の人を採ればいいだけ

 という反論を提示し、大体それぞれ三つの論点を軸に小一時間ほど議論し続けました。私としては自分が現地採用の立場で、逆に友人はどちらかというと現地採用者を日本から使う立場であったという立場の違いもあるから、認識が異なってくるのも自然だと考えていました。なので議論でねじ伏せるということより向こうの考え方を、「現地採用もたまには大事にしないとね」くらいにこっち側へ少し引き寄せられたらベターかと考えながら議論していました。
 段々と議論が平行線となり始め私自身も攻めあぐね感を覚え始めた段階、友人が「労働内容と給与が見合わないのは当然。会社は利益追求のために安く雇っているんだ」と相変わらず血も涙もない言葉を言った直後、言わないだけマシかと思って私が以下の言葉を口にしました。

「ならなんで使えない、働かないおっさんどもを日系企業は高い給与で大勢雇ってるんだ?」

 私自身はそんなに意識した言葉ではなくむしろ苦し紛れな一言に近かったのですが、これを口にするや友人の顔色は一瞬でリアルに変わりました。そしてしばらく口ごもると、「それは……確かに花園君の方が正しい」と、急に態度を軟化させて私の主張に傾きました。そして先ほどの労働貢献と賃金額の一致に関しても理解しはじめ、確かになるべく一致させるよう心掛けた方がいいという風に主張を転換してきました。
 正直に言って、私としても非常に驚くくらいの態度の変わりようで、それこそまた将棋の例でいうなら苦し紛れに手許の歩を置いたら投了を取ってしまったような感覚で、自分の意見が勝ったとかそういう実感は全くありませんでした。同時に、何故彼があの一言でひっくり返ったのかを直後から分析しており、恐らくそういう「おっさん」どもに囲まれ苦しんだ経験があり、その問題の深さをしっかり認識していたからこそあの一言で動いたのでしょう。さすがに直接指摘するのは非礼だと思え、その場で友人には指摘しませんでしたが。

 この議論だけでも十分忘れられない体験となったでしょうが、実はこの話には続きがあります。
 友人と議論をした確か二日後くらい、うちの名古屋に左遷された親父とも同じテーマで少し議論になりました。親父の主張も友人とほとんど同じであったことから内心、先の議論をなぞるような感じで敢えて議論を進めていき、最後の段階でまさに友人を揺り動かした一言を全くそのまま口にしたところ、「それは……確かにそうだ」と、ほぼ全く友人と同じように一瞬で態度が軟化しました。
 正直に言って、この一言に何故そこまで威力があるのか、使っている本人である私にすらいまいち実感がつかめませんでした。ただこの一言以前に、友人も親父も主張の仕方がほぼ完全に一致しており、「なんかのドッキリ?」と話しながら思うくらい似通っていました。だからこそ最後の一言で刺せるという確信もあり、時間を見計らいつつ狙っていた議論段階まで持ってきたところで出したので、将棋で言えば完全に読み通りの展開を再現した気分でした。

 親父との議論を終えた直後に私が何を考えたのかというと、「使えない高給のおっさん」以前に、何故友人も親父も全く同じ思考と主張を私に見せたのかという点です。結論から言えば二人とも大企業しか経験していないということが何よりも大きく、給与と労働貢献の一致、あと内と外の概念というかプロパーと中途採用者の見方が全く同じだったからではないかと思います。ついでに言えば働かないおっさんに囲まれていたのも同じでしょう。
 それ以前からも漠然と持っていましたが、やはり最初の新卒から大企業しか経験していない人というのはこの種の弱さを抱えているのではと強く感じました。具体的に言えば視野の狭さで、いくらか仕方がないとはいえ、自分の見える「大企業社員の生活」が当たり前の世界であり、それ以外の世界は存在しないという見方です。言ってしまえば現地採用者が給与が低いのも、彼らが自ら行った選択でありまた本人の努力不足と切って捨てるように見ていた節があります。そういう面も確かにないわけじゃないですが、努力をしていない人間が高い給与を得ることに抵抗を感じていた辺りはまだ友人も親父もまともで、だからこそあの一言で自分のスタンスが矛盾していることに気が付いたんでしょう。

 無論、大企業の人でも広い視野を持つ人もいないわけじゃなく、逆に中小企業しか経験していない人で視野の狭い人もいますが、こと社会全体の視野で言えば、中小企業勤務者の方がバランスがいいと私には思えます。理由は簡単で、大企業の世界は何もしなくてもメディアが報じ、その逆はないからです。
 内心、こういう職業における身分制に関しては自分は極度にバランスの取れた視野を持っていると自負します。私自身が現地採用でやや枠から外れた存在であることに加え、派遣業界調べたり、日中間の労働環境などよく比較しているだけに、それぞれの環境の違いについて体験込みで話すことが出来ます。ただこの場合、私の方がイレギュラーであるだけなので、結論としては大企業経験者は意識的に、自分たち以外の世界に目を向ける努力をしないと視野が狭くなりやすいというところを書いて終わりにします。

2018年7月28日土曜日

日本におけるGIANTブランドに関する疑問

 先日コメントでGIANTについて触れられたので前から疑問に思ってた内容を書きます。その疑問というのも、なんで日本ではGIANT製のフレーム使った自転車が中国より多くないんだろうかっていう点です。原因は中国と比べるとGUANT販売店が少ないからとかだと思いますが、家電量販店とか眺めてもGIANT、あとMERIDAのフレームはそんな多くなく、ぱっと見だとTREKが一番多い気がします。
 なんでこんな風に疑問に思うのかっていうと、世界の自転車フレームの大半は実はGIANTとMERIDAの二大台湾メーカーが作っているといわれ、細かい市場調査とかないけど下手すりゃシェア8割とか行くんじゃないかなと見ているからです。

 元々、自転車のフレーム作りと言ったらユーザーの多いヨーロッパが盛んだったと言われます。ただそれまでヨーロッパメーカーのOEMで作っていたGIANTなど台湾メーカーがどんどん技術力をつけていき、例えばパイプに高圧で油を流し込んで成形する生産方法なども彼らが確立させたと言われ、次第にヨーロッパメーカーでは作れないようなより速く走れるフレームとかも台湾メーカーがガンガン作るようになっていきました。
 これに焦ったヨーロッパメーカーは、台湾メーカーにしか作れないフレームをレギュレーションでレースから排除し、既に認定されていたタイムレコードまでも後出しのレギュレーションでなかったことにするなど露骨な妨害を行いましたが、時代の流れとともに台湾メーカー製フレームの性能がますます高まっていくと選手からも声が上がり、最終的にはこれら台湾メーカーをターゲットにした不公平なレギュレーションは撤廃されました。それと同時に、ヨーロッパメーカーのフレームは性能的にお話にならなくなって衰退していくこととなりました。

 こうした過程もあって、生産原価もさることながら単純に生産技術の差で台湾メーカーが自転車フレーム市場を独占するようになりました。台湾メーカーと言っても生産地は中国本土(大陸)にある工場がメインですが、何気に私が以前住んでいた江蘇省昆山市にも工場があって(すぐ近くにはシマノの工場もある)、地元ということもあってかGIANTの販売・サービス店は非常に多く、所属していたサイクリング部もほぼ全員がGIANT一色のワンオフチームでした。
 このGIANTですが先ほども述べた通りに元々はOEMメーカーで、現在ももちろんOEMをやっているというか、世界の自転車ブランドのほぼすべてを代理製造していると言われます。実際に店員から確認した限りでは米国の割と高級ブランドなスペシャライズドのフレームはほぼ全部GIANTが供給しているそうで、「向こうで買うくらいなら、性能は同じでもうちのが安いよ」とはっきり言ってました。

 スペシャライズドに限らず他の有名ブランドもフレームはGIANTまたはMERIDAが実際に生産、供給していると言われます。フレーム以外の他のパーツにこだわりがある、と言ってもブレーキ+ギアはシマノがほぼシェア100%でどのブランドも一緒ですが、フレーム以外を重視して選ぶというのなら他のブランドの自転車を選ぶのもまだわかりますが、実質的に自転車の性能はフレームでほぼ決まり、そのフレームで言えばGIANTかMERIDAしかほとんど作っていないことを考えるとどこのブランドが優れているかとかは実際そんなないんじゃないかと思います。それならば大本のGIANTで買ってしまった方が商流で経由する企業数から言っても一番コストパフォーマンスがいいように思え、私もそうした視点とメンテナンスの観点からGIANT製のDEFYってモデルに今乗っています。

 このような考えもあって、日本でGIANTブランドのロードバイクをそれほど見ないということにいつも不思議に思っています。もっともこれはGIANTがあまり日本で販売に力を入れていない、例えば中国では入門モデルとしてポピュラーなアルミフレームのOCRシリーズは日本では一切販売されておらず、並行輸入品か中古品しか出回っていません。
 私も以前にこのOCRの確か2600に乗っていましたが、悪くない自転車でした。でも日本では売っていないということで、やはり販売やマーケティングで他の国ほどGIANTが力を入れていないのが、日本全体でGIANTブランドが少ない理由かもしれません。

 なお私が今乗っているDEFYは4400元(約7万5千円)で三年前に購入しましたが、この前GIANTのお店行ったら何度かモデルチェンジが重ねられたせいか2500元(4万3千円)くらいで売っててちょっとしょんぼりしました。あとタイヤのチューブによって、やけに空気の抜け方に違いがあるのが気になり、この前パンクさせるまでは全然空気減らなかったのに最近は激しく減るため空気入れの手間が増えてちょっと嫌です。

2018年7月26日木曜日

あの社長は今……

スカイマーク元社長が初めて語る経営破綻の真相
耐震偽装のヒューザー元社長が太陽光発電に挑む理由(JBpress)

 上の記事リンクはどちらもJBpressの阿部崇副編集長のインタビュー記事です。どちらも、「おおっ、いたなそんな人!」と思うチョイスな元社長で、何故破綻に至ったのか、あの当時に何があったのかについて赤裸々に語ってくれています。
 特にスカイマークの記事に関しては急伸から一気に破綻へと至った過程がつぶさに書かれており、自分の中で今年読んだ経済記事の中でも間違いなく五指に入る見事なインタビューです。後者のヒューザー元社長も、冤罪であることは私自身も把握していましたが、改めて当時のデマが錯綜した状況を思い出して感慨にふけりました。

 この両記事に関しては、自分が書いている媒体だからといって贔屓にしているわけでなく文句なしに素晴らしい内容なので、興味があればぜひとも読んでもらいたいです。なおスカイマークの記事は冷凍たこ焼き大好きマンな友人に教えてあげたところ、「この西久保元社長について今までノーマークだった。教えてくれてありがとう!」とえらく興奮され、その後返礼とばかりにネット上に点在する西久保元社長関連記事が友人から大量に送られてきました。スチュワーデスのミニスカート云々を含め。

 なおこの阿部副編集長について鶴岡編集長へストレートに、「なんかすごいいいインタビュー記事出す人来たね(´・ω・`)」と振ったところ、今年から加入した新戦力だったとのことです。心なしか、YahooやMSNなどでもJBpressの記事がトップなどに取り上げられることが増えているように思え、媒体として割と勢いがついてきた気がします。
 その一方というか、はっきり言えば寄稿するライターの質が明らかに上がっており、私の書いた記事が前ほど簡単にランキング上位を得られなくなってきています。っていうか去年までは記事出したら公開当日はほぼ確実に1位を取ってたのに、今じゃプラモの写真を載せて軍事解説記事を仕立てるというあり得ない暴挙とかしでかさないとトップ取れなくなりました(´;ω;`)ウッ…

 ぶっちゃけさぁ、こうした立場になってみると、井の中の蛙でもいいんじゃないかとか思えてきます……。

2018年7月25日水曜日

ポスト安倍に待ち受ける負の遺産

 前外務大臣の岸田文雄議員はこのほど、次期総裁選には出馬しないとの方針を示しました。この発表を受けて一部メディアではあくまでも安倍総理からの禅譲(後継指名)を待つつもりとのことだが、決断が遅く怯んだ、臆したなどとやや批判の強いトーンで紹介していました。私は当初、そうはいっても出馬するかしないかは確かに悩むもんだからそこまで批判しなくてもと考えたものの、そもそも岸田議員は次期総裁選を睨んで安倍首相の懇願にもかかわらず前回の内閣改造で外務大臣の職を辞しており、あくまでも安倍総理の後継指名を目指そうというのなら何故そこで閣外を出たのかと思うようになり、改めて今回の不出馬発表は中途半端な態度だと思えてきました。
 まぁ優柔不断は宏池会の得意技ですが。

 ただこんなことを言っておきながらですが、ポスト安倍となる首相職はならない方が案外いいかもしれません。というのも安倍政権の負の遺産を丸抱えすることとなり、将来の歴史的評価が真黒くなる可能性があるからです。

 その負の遺産とは具体的に何かというと、数え上げたら切りがないですが一番大きなものは日銀が買える大量の株式です。他のメディアでも報じられていますが年金を運用管理するGRIFと日銀を合わせれば日系企業最大の株主となり、この2つが日系上場企業4社中1社の最大株主になるという国家総動員法も真っ青な状態と既になっています。仮に日銀が緩和政策の出口戦略でこの株式を手放したらあっという間に大暴落になることが見え、かといって手放さなかったら企業統治に緩いお国なことですから、企業の不正は増えイノベーション力が低下する可能性も少なくありません。
 この出口戦略ですが、本来ならもうとっくにやっていなければいけないものの日銀はやめるにやめられないものだから、さらに買い増しすると発表しており、多分最終的には2社中1社が最大株主が国という、国がほぼすべての日系企業を支配する時代が来ると思います。中国の国有企業やかつての国鉄とか見てたらわかりますが、この手の企業は基本腐ります。

 次の負の遺産ですが、端的に言って経済指標です。先日も投信30兆円誤計上問題が発表されましたが、やはり世間の反応を見ていると「わざとだろ」とみなす人が多く、私も同じ考えです。景気が上向いていると主張するために統計指標を弄った、誤計上をしりながら発表してきたように思え、実態の指標はもしかしたらもっと悪いのかもしれません。
 何もこの投信指標だけでなく、GDP成長率の数字もいつも私は怪しんでいます。理由としては予測値、速報値、確定値の乖離が激しいのと、「その他」という内実不明の数字割合が年々異常な包丁を続けており、はっきり言えば中国以上に操作されていると考えています。

 そもそもこうした経済指標というのは単体だけでなく、他の経済指標と一緒に眺めて初めてその価値が分かります。例えば先ほどの投信も、家計貯蓄高が年々減ってきているにもかかわらず何故か個人の投信投資額は増加しており、前々から怪しむ声は出ていました。同様にGDPに関しても体感景気は盛り下がっており、そのほかの指標もパッとしないのに「戦後最長の景気拡大」などと言われていて、違和感しか覚えません。私個人の体感でも中国で日本製品を買い求める人は自動車とおむつを除くと減っているように思え、それでいて何故このような数字が出てくるのかと思わずにはいられません。

 こうした負の遺産が、ポスト安倍の次期首相の時代に一気に爆発する可能性が高いです。そう考えると果たして座るべき椅子なのかと疑問に思え、泥をかぶるつもりがないのなら無理して追わない方がいいのではと今回の岸田議員の行動を見て密かに思いました。

2018年7月24日火曜日

何故中国に居続けるのか

 初対面の人に会うとほぼ確実に、「中国にどれくらいいるんですか?」と聞かれたりします。このブログをしつこく追っていけばわかりますが私の場合だと2010年末(実質2011年頭)から中国で働くようになり、2013年に1年ほど日本に帰ったものの、翌2014年には再び中国入りしてからはずっとこっちなので、単純に働いている期間で言えば6年くらいとなります。さらに北京の留学時代を加えるともう1年プラスとなるので、合計すると7年でそろそろ10年選手とかも見えてきました。
 正直に言えばこれほど長くいることになるとは当初考えておらず、それこそ最初は2~3年くらい修行のつもりでしたが、今現在だと日本に帰国することは全く予定に入っていません。何気にこの点も、「いつ日本に帰るの?」とよく聞かれて、聞かれるたびに( ・´ー・`)って気分になります。

 何故日本に帰らずに中国へ居続けようとするのかですが、定期的にこのブログでも書いていますが単純に日本だと仕事がないからです。
 私より実力のあるライターは私自身もはっきりと認識するほど確かに存在しますが、はっきり言えば世の中の大概のライターは私より実力はなく、多分一記事辺りのアクセス数とかでも私に勝てる者となるとかなり限られてくるでしょう。単純に中国語、英語の原文読んで資料集めて記事書けるだけでもレアですが、それ以上に経済からコラム、歴史にスポーツと書けるジャンルの広さで自分に勝てるライターも少なくとも私は見たことがありません。でも多分、日本帰ったら私に仕事くれるメディアはないんだろうなって思います。

 何もライター業に限らずとも通常の貿易事務とか営業、検査、リサーチ等も一通りこなせますが、これまでの転職が多くて異色過ぎる経歴と、見た目の大人しさから採用する日系企業は多分ないでしょう。また仮に採用されたとしても、パフォーマンスよりも社歴の長さが何よりも評価で重視される日系企業の中では自分の力はきっと発揮できないという確信があります。そうした要素を考えると、単純に生活面、パフォーマンスの発揮と向上面において中国で暮らしていく方が自分にはメリットが多いです。
 なおここだけの話ですが、今いる会社の在職期間が今月になって2年6ヶ月をついに突破し、自分の中で過去最高記録に到達しました。逆を言えばこれまで1つの会社に2年半以上いたことはなく、ほぼ2年ごとに仕事と人間関係をリセットし続けるというハードな人生を歩んできてました。

 こうした切実な理由もさることながら、自分が中国にいる理由としては別の理由によることの方が大きいです。具体的には中国の方が社会が変化に富んでおり、自分的には退屈しないということです。逆に日本は、これまたはっきり言えば社会が年々落ちていっているようにしか見えず、世論を見ていてもどんどん余裕を失っている上、政治議論も10年前と比較してなんでと思うくらいつまらない内容が増えてきました。そういった社会の居心地というものでも中国、まぁこれは上海だから言えるのだと思いますが、生活している分の楽しさがあります。
 仮に日本で暮らすとしたら、それこそ世間と隔絶した環境を本気で望みます。無駄に世の中に関わろうとしても労多くして得るものはなく、人間も多分自分の眼鏡にかなうような面白い人は上海にいる人と比べればいないだろうし、今ある人間関係の枠の中にいる方がずっと有意義に時間を使えると信じています。

 凄い上から目線の発言だと感じるでしょうが、やはりこのところ日本にいる人の話や議論を聞いていると、「なんでそんなことを気にするのだろうか」と本気で思うような、議論しても悩んでも意味のない話題ばかりが飛び出してくるケースが非常に増えてきています。敢えて例を出すなら、行動すれば済む話を行動せずに済ませられないかと悩んでいる人が多く、養老孟司風にいえば、体の世界がなく頭の世界の中だけで完結し切っているような印象を覚えます。単純に、口ばかり動かす人が増え、黙って手だけを動かす人が減っているのかもしれません。

 あとこれはかなり特殊な意見だと思いますが、中国の生活が年々快適になってきているのもい続ける理由に大きく貢献しています。それこそ10年前の中国だとネットも遅くて規制されているわ、施設やサービスの質も悪いわで生活における不便がひどくあったものの、経済成長とともにこうした生活上の不便はどんどんとなくなっていき、最近だとスマホ決済など日本にすらないサービスも普及して、非常に快適になってきています。最悪からのスタートだったということもあってプラスに感じてしまうわけなのですが、逆を言えば昔は生活面の不便から日本の生活がいいなと思うことも多かったものの、今はあらゆるサービスの発達によってそう思うことが中国においてすら減ってきています。
 具体的には漫画の電子書籍配信、ゲームのネット購入、VPNサービスによるネット規制迂回、便数増加による日本帰国費用の値下がり、スマホによるあらゆる中国国内サービス予約・決済・リサーチ等々。あとこれは私だけですが、あんま日本だと店舗数が多くないGIANTの店舗が中国には多く、パンク時などの自転車メンテナンスが中国の方が充実してます。っていうかなんで日本人はGIANTブランドの自転車にあまり乗らないのか内心不思議です。

2018年7月23日月曜日

投資信託の誤計上問題について

<投資信託>家計保有額、30兆円以上も誤計上 日銀がミス(毎日新聞)

 今日はブログ書く気なかったんですが上のニュースを見て激しく戦慄しました。内容はリンク先読んでもらえばそれまでですが説明すると、個人(家計)が投資信託に拠出している資金額に関する日銀の統計で、30兆円も誤計上があったとのことです。これがどういう意味かというと、投資信託を含む投資が活発、それも企業や団体ではなく個人でバンバン投資されているということは景気が上向いている兆候とされ、経済指標的にはプラスであることを示します。
 これまでこの個人の投資信託への拠出割合は上昇傾向にあると発表されてきましたが、実態はさにあらず、30兆円分が個人ではなく企業や団体拠出であったことが今回の調査で分かったとのことで、もうなんか自分でも書いててよくわかんなくなるくらいショックですが、端的に言えば個人投資は全然増えておらず、結果はむしろこれまでの発表と真逆だったということです。

 コメントとかにも書かれていますが30億円ならともかく30兆円もの計算ミス、それも数年間にわたり行われてきたなんて、それ自体があり得ず日本の統計事態に疑問を覚えます。明日のマーケットがどうなるかわかりませんが、影響なしとは思えず、また日銀はこの件についてどう責任を取るのか問われるでしょう。