2018年11月18日日曜日

お米で返品

 今日米が切れたので近くのシティスーパーに行ったところ、5㎏のコシヒカリが128元といい値段で売っていたので買ったところ、レシートには218元と表示されていました。氏はリアの際にも金額がなんかおかしいと思っていたのでそのレシートを持ってもう一回売り場へ行ったところ、やはり表示価格は128元と書かれており、店員を呼んでどないなっとんねんと文句言ったら、「これはこの前までやってたセール時の価格だ。218元で正しい」と言って、128元と表示されていたタグをその場で抜き取ってしまいました

 間違った価格を見て買ってしまったので返品したいと願い出たところ、売り場の店員はレジに行けとしか言わないのでレジに行って会計を済ませた店員に事情を話したところ、「ちょっと待って」と近くの別の店員に相談しました。その相談された店員は確認のためか一旦売り場へ行くとしばらくして戻ってくるや、「こっちなら88元だけどこちらと交換しないか?」と、何故か2kgのコシヒカリの袋を持ってきました。「いやそれ数量違うじゃないか」と突っ込んだ上で改めて返品返金を申し出ると、「代金は明日返す」というまた想定外の答えが返ってきたので改めて何故かと問うと、「財務とかの手続きがあるからだ」と言われました。もうその場でレジの一台でも蹴飛ばしてやりたかったですが、そこはぐっとこらえて了承した上で帰りました。

 なおその後、別の新鮮館というスーパーで同じコシヒカリ5㎏を198元で購入して帰りました。さっき炊いてカレー食べたけど、ぶっちゃけおいしかったです。

 何が何でも128元で売れというつもりは初めからなかったものの、一連の交渉の中で一度も「すいません」という一言もなく終始横柄な態度と2kgの袋持ってくるなどの斜め上の対応されて非常に腹が立ちました。返金に関しても何もそこまで変な取引ではないというのにわざわざ翌日に延ばされるのも納得いかず、そこそこの規模を持つシティスーパー(香港系)だというのにこんな塩な対応されるとは思いませんでした。家の近くにありますが、もう二度と行くつもりはないし他の系列スーパーにも行く気しません。

2018年11月17日土曜日

消費税10%の軽減税率について

 来年に10%への引き上げが予定されている消費税ですが、この引き上げとともに一部の食料品への課税率は現状の8%を維持するという軽減税率制度も導入される予定です。結論から言うと私は引き上げには賛成で軽減税率には反対という立場で、この件に関する世間の報道も生ぬるいとみています。

 そもそもなぜ軽減税率が導入されるのかというと、食料品などは生きてく上で必須であるため所得の低い層がそうした面で困らないためとされています。しかし8%と10%との差はわずか2ポイントしかなく、はっきり言うがこの程度の差だったら同じく現代社会で必携ともいうべき携帯電話料金を引き下げた方が低所得層にとっても実入りは大きいと断言できます。
 一方、この2段階の消費税率は処理場で多大な手間を要求されます。先日勉強がてら読んでみた日本の税制度解説本で、日本の税制度で最も優れているのは消費税が一律課税である点だと指摘しており、税率がこれまで8%で一律であったことから処理方法はどの事業所でも共通しており、社会における認知も非常に浸透していたと書かれていました。逆を言えば、社会認知が非常に高いこともあって消費税は日本で最も課税されている感(≒嫌悪感)の強い税金となっているのですが。

 こちらも断言しますが、恐らくこの2段階の税率を用いることによる事務処理コストは増税収入を大きく浸食し、不正に適用する事例なども出てくるでしょう。一律10%にするのに対し、事務処理コストは下手すりゃ数百億円単位で差が出る気がします。

 なのに何故軽減税率を導入するのかと言ったら、恐らくは公明党の差し金でしょう。内容といいやり方といい、これまで公明党の主導でやらかしてきた地域振興券やポイント制度と酷似しており、低所得者層への配慮とは名ばかりで自分の支持層への成果アピールとして無理やりねじ込んだものと思われます。しかし上記の多大な事務処理コストは社会が負担することとなり、回り回って納税者が負担することとなります。そのように考えると余計な手間を作ることは国全体でマイナスであり、ほんの2%の差であれば無視して一律10%にすることのほうが長い目で見ればお得です。

 何もこの軽減税率に限らずとも、今審議されている入管法なども合わせて、一体誰がこんな杜撰な法案を出してきたのか、そこら辺があまり報じられないのが最近不思議です。やはり法案を推すというにはそれなりの責任が伴うわけで、前提となるデータ自体が間違っているのに法案を起草した官僚政治家の責任者はきちんと名乗り出て、自分が無能であることを世に晒すべきでしょう。こういう過程がないから政治家の選別淘汰が起こらないわけで、その辺の背景を報じない政治記者についてもいろいろと不満を覚えます。

2018年11月15日木曜日

堕ちた天才

 日本最高の軍指揮官となればほぼ上杉謙信が不動の地位を占めますが、世界レベルとなるとハンニバル、アレクサンダー大王、エドワード黒太子、孫子、韓信などいくつか私も挙げられますが、おそらくもっともこの評価を受けているのはナポレオンだと思います。ただこの場合は彼の若年期にのみ適用されるというか、後年のナポレオンに関しては同時代においてナポレオンを破ったウェリントンに劣るでしょう。それほどまでにナポレオンの軍事的才能は前半期と後半期で落差があります。

 ちょうど、現在連載が続けられている長谷川哲也氏の漫画「ナポレオン 覇道進撃」では彼自身、というより世界戦史史上でもこの上ない敗北とまで言われるロシア遠征、それも撤退期に入っています。このロシア遠征でナポレオンはかつてなら考えられないくらいの判断ミスを繰り返しており、それこそ初期のイタリア遠征の頃と見比べると本当に同一人物かと思うくらいの落差を覚えます。
 現実にこの頃のナポレオンは確実にピークを過ぎており、本人も薄々それを勘づいていながらも認めたくない一心なのか、部下の進言を敢えて無視して真逆の決断を下してしまっている面が見られます。三国志の曹操においてもそうした面が見られ、かえって実績を残した指揮官はそのメンツを守ろうとするために「智者はかえって智に溺れる」決断を取ってしまいがちです。

 ナポレオンのロシア遠征におけるミスで最も甚大なものは、私から見てやはり決断の遅さです。特にモスクワの占領から進軍も撤退もせず無為に一ヶ月間を過ごしており、この一ヶ月の時間が後の撤退で致命的なタイムロスにつながっています。
 逆にと言っては何ですが、若年期のナポレオンはほんの一日たりとも無為に過ごすことはなかったというか、たとえ敵がいなくても部隊を動かし続けて敵軍を翻弄し続けています。こうした戦略は現代でも生きているというか、むしろ「機先」という概念となって非常に重視されています。

 米軍戦闘機のF-16やF-18が開発されるきっかけとなったLWF計画の発案者がまさにこの機先概念を前面に打ち出したパイロットだったらしく、「戦闘機同士の空中戦においてはたとえ無駄な動きだとしても相手より早く仕掛け、相手がこちらの動きに追随、対応しなければならない状況を作るべき」という戦闘法を編み出し、実際にどんな模擬戦でも負けなしだったそうです。この概念は空中戦のみならず戦略レベルの戦争においても重要視されるようになり、現在の戦闘においてスタンダードともいえる概念となっていますが、かつてのナポレオンにはそれがありました。

 将棋などでは相手の出方に応じた動きで戦うという攻略法もありますが、やはり戦闘でもビジネスでも機先を取った方が有利である私には思えます。この機先概念を使わなくなった、というか時間を無為に消費するようになった時点でナポレオンの軍事的才能はかつてと比べ激減しており、現実にロシア遠征より後のワーテルローでも無意味なタイムロスが大きな敗北要因になっています。
 ではナポレオンは何をすればよかったのか。かつての若い頃のように機先を重要視すればよかったのかですが、私の結論としては自らのピークアウトを自覚し、軍事から手を引いて部下に任せるべきだったと考えます。これは自分に対する戒めとしてもよく言い聞かせており、自分の能力のピークアウトは自分自身がしっかり自覚して、もはや自分の能力が及ばなくなったら過去の実績とか経験などかなぐり捨ててでも引退すべきだと戒めています。

2018年11月14日水曜日

ゴミ問題への関心アップ=景気がいい?

 この前「リバイバルレズ営業」という言葉があることを知って、日本語にはまだ未知の可能性があると感じました。

 話は本題に移りますが、今日同僚とたまたまごみ問題について話題になり、中国でもこのところ分別回収をするようになって自分の住んでいる小区も生ゴミ、普通ゴミ、資源ゴミ、有害ゴミの四区分で分けるようになったということを話しました。その際、プラスチックゴミの処理が世界的に問題化してきたなどと話が発展し、この前もストローゴミを巡って一部店舗が使用を停止するなどということがニュースになったということを思い出したのですが、この時に、「もしかして、今って世界景気が絶好調なのでは?」と急に訳の分からないことを口にしました。

 前に書いた記事で私は割と日本は景気がよさそうだという見解を示しましたが、案外今は世界的に景気が絶好調名のではないかという気がします。何故かというと、ゴミ問題への関心が急に高まってきているからです。ゴミ問題と景気が何故関係するのかですが、断言してもいいですが両者の相関性は非常に高く、景気が良ければよいほどゴミ問題は過熱化します。

 理由は表向きだと好景気によって物や人が動いて消費量の増加とともにゴミの量が増え、単純にゴミそのものの存在が目につくからです。ただこれは表向きの理由で私はあまり信じていません。
 では本当は何なのかというと、景気がいいとグローバルレベルで共通する話題が乏しくなり、当たり障りのないゴミ問題というか環境問題が急浮上してくるからです。冗談の様に聞こえますがこれはマジで、国際会議とかそういうものを開くネタに困った際はゴミ問題に焦点が集まり、みんな本気にしているわけじゃないけど世界の発展のためにゴミ問題をどうにかしなきゃと口を揃えて言います。

 直近でそれが最も顕著だったのは2006~2007年で、見ればわかりますが2008年のリーマンショック直前記です。この時期は本当に世界が平和で安定していたこともあって環境問題が大きな問題となり、それを追い風としてトヨタのプリウスは一挙に世界市場を制すようになりました。しかしこの流れが止まったのは言うまでもなく2008年のリーマンショックで、これ以降は経済がやばくてみんな環境問題どころではなく、あっという間にゴミ問題とかフェードアウトしました。
 このほかだと日本では90年代初頭のバブル期の本とか読むと環境問題への言及が明らかに大きくなり、95年辺りからなんかもうどうでもよくなったのかフェードアウトしていくのが見て取れます。

 実際問題として、ごみ問題は余裕があるときじゃないとまず問題視されません。逆を言えば余裕があるほど景気がいい時期になると環境問題は取りざたされるようになり、昨今のプラスチックごみ問題への関心が高まっている背景を見ると、世界的に今は好景気にあると認識すべきかもしれません。
 そしてそれは同時に、ある意味今が一つのピークを迎えているという兆候でもあります。バブル崩壊然りリーマンショック然り、案外あと数年で世界景気は一挙に冷え込むこととなるかもしれません。まぁ日本は時期的にはっきりわかっている、野球で例えれば3球目にカットボールが来るのが予告されているようなもんなので、タイミング的にはその辺に世界も被るかもしれません。

2018年11月12日月曜日

上海の電気街リターンズ


 一昨日、自分にとってはかなり久しぶりに宝山路という上海の電気街へ行ってきました。何しに来たのかというとこの前の記事で書いたようにWIFIルーター用のアダプタから高いパルス音がするようになったので、ルーターごと買い替えるくらいならアダプタを単体で手に入らないかと思ってきてみました。
 この宝山路近くにある一角は昔から電気街で、中古ノートパソコンを取り扱う店が集まるビルもあり、電機関連の修理業者もよく集まっています。


 結論から書けば目当てのアダプタはすぐ見つかり30元で買えましたが、家に帰って繋いでみたら通電せず、近くの雑貨屋行ったら35元で同じアダプタ有ったのでそっちも買いました。こっちはきちんと通電するし、音も小さくなり満足しています。
 このほか、日本帰国時に使うかもしれないと中国仕様のコンセントを日本のコンセントに挿せるプラグ(15元)と、何故か気になったのでジャスミンティーの茶葉を100g(20元)で購入しました。あと会社のマウスも壊れてたので、30元で大き目の有線マウスを買っています。

この日は晴れてたが翌日から曇天のち雨

 割とサプライパーツが好きなので以前はよくこの宝山路を訪れていたのですが、今回ここへ来るのは2年ぶりくらいだと思います。久しぶりに来て見て思ったこととしては、以前と違ってPSPやDSなどのゲーム機を売る店がほぼ全く見なくなったことと、3枚目の写真だとそれが顕著ですが、客層が老人に偏っていると感じました。
 以前はもっと若い人も見た気がするものの、この日は巣鴨かと思うくらい周りは老人ばかりで、そのせいか売られている中古携帯電話も老人用にボタンや画面の大きいものが多かった気がします。

 ただそれもそのはずというか、昔と違って今現在、オーディオや映像製品はスマートフォンに集約されたおかげでこの手の分野では若い人はわざわざはまらないだろうし、またパソコンについてももはや自作する方がハイコストなくらいセットアップ製品が安くなっており、うちの名古屋に左遷された親父のような自作マニアというのはもはや絶滅危惧種を通り越して絶滅種でしょう。
 ちょうど私が高校生くらいの頃がその手の自作ブームでしたが、知ったかぶりこいた奴が自分に向かって自作にチャレンジしないのは意気地がないとか抜かしてましたが、自作にかまけず当時から文章技術を磨いていた私は今現在この技術で飯を食べています。あの知ったかぶりは自作で飯を食えているのならまぁ立派なものでしょうが。

 ガチな話をすると中学生くらいの頃はほぼ毎日2時間は文章を手書きで書いていました。原稿用紙1000枚分くらいまではセンスとか技術以前に、単純に書いた分だけうまくなるとこの経験から思います。

2018年11月11日日曜日

日中の価格変更の違い

 最近自分のことばかり書いているのでたまには真面目な記事を書くことにします。

 さて先月日本に帰った際、割と楽しみにしているコンビニの巡回にてちょっと「おや?」と感じることがありました。それは何かというと紙パックの100%ジュースで、価格こそ確か税引100円と私が学生だった頃から変わりのない金額だったのですが、容量は500mlから450mlに減っていました。ずっと日本にいる人からすれば「そんなの結構前からじゃん」と思われるかもしれませんが、久々に帰ってきた私からすれば印象に残るものがありました。

 なにもこうした100%ジュースに限らなくても、食品類では同じように価格据え置きで容量を減らすという価格変更が円安に転じて原価が高騰するようになってからよく行われるようになったと聞いています。記憶にある中だとソーセージとかヨーグルトなど、恐らくほかの食品でも多かれ少なかれ同じことが行われていると思いますが、中国住まいの私からしたらやはり違和感を覚える価格変更の仕方です。

 一つ昔話をすると、中国でのコカ・コーラの値段はお店や場所によって異なりますが、ペットボトルサイズなら大体3元(約49円)です。ただ昔は2元だったのですが、そのかわり容量は500mlしかなく、3元への引き上げ時に現在の600mlに引き上げられました。そのため日本の感覚でガーっと飲むと思ってた以上に量が多くて途中でえらいことになります。

 説明するまでもなく、価格引き上げの方法が日中で真逆だったりします。日本は価格を据え置く代わりに容量を減らす、中国は価格を引き上げる代わりに容量を増やすというやり方を取っており、コカ・コーラ以外でもそうした価格変更の仕方が多い気がします。で、結論から言うと私は中国の方が本来あるべき価格変更の仕方で、日本のやり方は長期的に見て企業にも社会全体にもマイナスだと感じます。

 なぜ日本が価格を据え置くのかというと単純に、単価が上がると客離れが起こることを懸念しているからでしょう。しかし原価が高騰しているのであれば経営的に価格引き上げは行わなければならず、またそのようにして価格が高騰しなければ経済というものは成長せず、デフレからの脱却も見込めません。いくら容量を減らして単位当たり単価は向上させたとしても、「値上げは悪だ」という感覚がはびこる社会は経済成長的には絶対的にマイナスです。
 また単価に含まれるコスト、具体的には運送費の面を考えると、やはり容量据え置きで単価を引き上げた方が利幅的には拡大が見込め、経済効率も上昇するのではないかという気がします。それでも客離れが嫌だというのなら、中国のように容量増やして単価を上げる方がまだ規模効果的にもいい気がします。とにもかくにも「値上げは悪」という空気自体が経済的には最も邪悪でしょう。

 なお先ほど私も、価格引き上げを実施してきました。大家がうちに来てこの1年間の水道・電気・ガス料金(600元=約9800円)とともに2ヶ月分の家賃を支払ったのですがこの際、「中国の物価はどれも上がっているから、来月から家賃をこれまでの月4300元から4500元に引き上げないか」と自分から提案しました。
 なぜ自らそんな真似をと思われるかもしれませんが、これまでの2年間は4300元で維持してきましたが、もし相場通りに引き上げるとしたら5000元になっていてもおかしくないくらい上海の物価は上昇しています。実際に先日も同僚から、引っ越しを検討しているがどこも月8000元以上しかないという愚痴を聞きました。

 こうした相場状況を鑑みた上で、敢えてこちらから引き上げを提案して恩を売っておいた方がいいという判断から今回自ら提案しました。それにしても、日本だと家賃は下がる一方だからこんな感覚を味わうこともないんだろうな。

2018年11月9日金曜日

What's my Katagaki?

 本題と関係ありませんが「’」の記号が何故日本語キーボードだと「Shift+7」の位置にあるのかわかりません。中国語キーボードだとEnterのすぐ近くで、なおかつShift入力なしで打ち込めるというのに。

貿易戦争の波紋、中国で米系自動車メーカーが涙目に(JBpress)

 上の記事は昨日出した私の記事のYahoo配信版ですが、このひとつ前の記事から本文テキストの頭に「(花園 佑:中国在住ジャーナリスト)」という肩書が付けられるようになっています。これはJBpressの本サイト上では記事ヘッダー部分に著者名が書かれているものの、Yahooなどの配信先サイトではそれが表示されず、末尾には書いてあるものの著者名が浸透しにくいとの配慮から、先月辺りから行われるようになりました。
 私としても著者名が出るか出ないかで言えば出た方がマシで、また他のライターの書く記事についても最初にだれが書いているかでどんな記事内容を期待できるかが読めるため、率直に言ってプラスに取っています。

 ただ、問題なのはここで使われる肩書です。編集部の出してきた案の通りに「中国在住ジャーナリスト」という肩書にしていますが、以前ならともかく今の本業は記者ではなく、この仕事もアルバイトというかボランティアみたいな感覚でやってるところがあります。確かにジャーナリストという職業はライセンスが必要なく、自分で名乗ればその通り名乗れてしまうところがありますが、毎朝普通に会社勤めしながら書いている自分の場合はそれでいいのかという懸念が少しありました。

 ではどんな肩書が私にふさわしいのか。率直に浮かんできたのは「相撲愛好家」でしたが、奈良なんで相撲記事書いてねーんだよというツッコミが来そうなのでやはり不適当です。次に浮かんだのは良くゲームとかのニックネームに使う「名ばかり~」という肩書で、以前使っていたものだと「名ばかり松戸市民(住民票は移していなかったから)」というのがあります。なお「名ばかり工場長」は実際に数ヶ月間経験しました。
 ただこの名ばかりシリーズも上記のはここでの肩書には不適当だと思え、奈良なんだといろいろ考えた末に浮かんできたのは「名ばかり過激派」でしたが、自分で出してて意味が分からず、そろそろこの名ばかりから出ようと決意するに至りました。

 このほかだと真面目な案だと普通に「ブロガー」ですが、このブロガーという言葉自体が死語になっていますし、「アルファブロガー」と名乗る時点で加齢臭がします。かといってまさか本業の職業を書くわけにもいかないし、「チャイナウォッチャー」と名乗るのもあながち間違えではないですけどなんとなく面白みがないです。他には「親愛なる隣人」だとスパイダーマンになるしで、結局のところ最初の「中国在住ジャーナリスト」というのが無難だという気がします。

 最後に真面目にいくつか案を出すとしたら、やはり出身の「社会学士」と名乗るのが一番合っている気がするのと、このほか経歴に即すなら「元経済ジャーナリスト」、「仮面ライター」辺りがベターかもしれません。ちなみにたまにマジで「仮面ライター元居た会社はブラックRX」と名乗ることがたまにあります。

2018年11月7日水曜日

違法サイトのアクセス制限はどうすべきか

 ようやく体力的にもまともな状態となったのでまた監視社会ネタです。

 さて先日、かねてからその違法性が指摘されてきた漫画村という、漫画データを違法に配布するサイトについて政府が「望ましくない」との見解を出し、これを受けたNTTを含む大手サーバー会社があくまで自社判断としてアクセス制限を実施し、結果的に壊滅したようです。この一件に関しては私は政府、サーバー会社の行動を支持しており、普段から漫画は電子書籍でちゃんとお金払って買っているということもあるでしょうが、ここまで大ぴらにやっている違法なサイトについてはやはり望ましくないと思え規制されたことを歓迎しています。

 ただこの件については「通信の秘密」との折り合いをどうつけるかについて議論があり、またサイトを規制するに当たって「望ましくない」という判断はどこでつけるのか、そして誰が判断するのかなどといった点が槍玉に挙げられました。そして何よりも、国家たる政府が望ましくないサイトを指定して規制することは情報統制につながらないかという懸念も出ており、今回はあくまで政府見解に対してサーバー会社が自主判断して行動したという形式をとったものの、今後このようなサイトの規制手法はどうするのかという点で現在も検討が進められています。

 まず政府によるサイトアクセス遮断を論点としますが、これは中国では当たり前で、「何がいけないの?(´・ω・`)」というくらいに浸透しています。現在も中国では去年の今頃まで使えたYahoo検索が使えない状態となっており、最後のお情けとばかりにニュースとYahooメールだけは使えますが、真面目にこちらで調べ物とかする際に日本サイトを検索する上で非常に手間なだけにマジでどうにかしてもらいたいです。あ、あとWikipediaも使えない。Googleは来年か再来年あたりに解禁になるだろうけど。
 こうした国家によるアクセス遮断については、中国はもう議論するのもばかばかしいのでほっときますが、はっきり言えば完全な情報統制に当たりファシズム化を招く恐れがあります。そうした観点に立つならば有害サイトの一掃に効果が期待できるものの、やはり許容するべきものではないでしょう。

 かといって漫画村のような違法サイトを野放しにするわけにもいきません。また3Dプリンタで発砲できる拳銃を作ったという事件も過去に起こりましたが、爆弾製造法の解説といったテロ活動につながる恐れのある情報サイト、犯罪者同士が仕事仲間を探すようなサイトもパブリックエネミーとしてやはり遮断することが望ましいという立場を私は取ります。

 ならどうするべきかですが、政府に規制の判断をさせられないとしたらどこがするべきかと言ったら真っ先に浮かんできたのは業界団体です。大手サーバー会社やこの方面につよい法曹関係者による委員会組織を立ち上げ、企業や団体からの通報を受けてサイト内容を精査し、社団の実行有無を判断して各サーバー会社に勧告するという流れなら、あくまで業界の自主規制ということで私は妥協できるラインです。
 ただ、上記勧告が強制力を持たない場合、こうした違法サイトともつながることで契約者を増やそうとするアンコクなサーバー会社とかも出てくることが予想され、こうした勧告がどこまで力を持つのが疑問です。また真っ当に活動している業界団体も少なくないものの、英検協会や漢検協会、あとジャスラックなどその影響力を行使して好き放題やる業界団体も存在しており、アクセス遮断の判断という強力な権限を持つ業界団体が暴走しない恐れもないとは言い切れず、この案を全体的にプッシュする気にはどうもなれません。

 もう一つ浮かんだ手法としては、司法に一任するというやり方です。具体的には特定の裁判所内にアクセス遮断を専門的に扱う審理室を設け、そこへ訴えられたサイトの違法性が裁判家らにも認められた場合にはサーバー会社へ強制力を持ったアクセス遮断勧告をするという流れとなります。これなら裁判所への提訴という手続きを取るので雑多な遮断の訴えは少なくなり、尚且つ各サイトの違法性を法の専門家が判断するということからもやや安心して任せられるところがあります。
 問題なのは、そもそも司法がこうした審理を実行してくれるかという点と、審査に時間と費用が掛かってしまうとなると遮断の訴えを出せるのは企業などに限られてくるという点です。まぁ先ほどの犯罪につながるサイトに関しては、政府が司法に訴えるというのもアリという気はしますが。

 最後に浮かんだ方法としては、私好みの出口を叩く戦略です。具体的には違法サイトに広告を乗っけた広告主、または広告配信業者に多大な罰金を科すという手段です。犯罪サイトにはあまり適用できなくなりますが、漫画村のような著作権法を無視して関係者に経済的損失を与えるサイトなどは広告料によって負荷の高いサーバーのレンタル料を賄っているとこも少なくなく、こうしたサイトを兵糧攻めにかけるように、サイト自体を処罰するのではなくサイトに乗っかった人間を叩くというやり方であれば、割とわかりやすい上にいいんじゃないかと思います。
 この手段の何がいいのかというと、サイト自体のアクセスを規制せずに撲滅へと導けるという点です。これなら政府が情報統制するということにはならず、またこうした著作権法に違反するようなサイトではないものの反政府的な言論を取るサイトも潰されずに済みます。
 このほか海外サーバーを使っているサイト運営者とかは補足しづらいですが、広告業者であれば割と特定しやすい上に、広告主なんて一目瞭然ですから、叩きやすいところを叩けるという意味でもプラスな気がします。

 こうしていくつか規制手法を上げていきましたが、個人的な意見を述べるとやはりネット業界は野放しにされ過ぎでは、明らかに問題のあるサイトに関しては厳しい規制措置をそろそろとるべきではないかと思えます。ちょっとした画像や映像の不正や利用とかならともかく、漫画村のように多方面に経済的損失を与えるサイトや違法プログラムの配信サイトなどは規制することが公共の利益に適うと考えます。無論、中国みたく規制し過ぎるのも息が詰まりますが。

2018年11月6日火曜日

高いパルス音

 今日電気カーペット買ってきたのでさっそく電源を確保するなど設置する際、WIFI電波発信機の電源とまとめて延長コードに挿しました。するとその直後からキーンという音が割とはっきり聞こえ始め、ははーんさてはこの延長コードが不良品だったんだな、中国ならよくあることと思って別の延長コードを試したところ音はやまず、「是は如何に?」と思ってよくよく聞き耳を立ててみると、WIFI発信機の電源というかコンセントから直接音が鳴っていることに気が付きました。

 もしかしたらこれ以前からもずっと音を立てていたのかもしれませんが、近くにいればはっきりとわかるほどの高いキーンという音が鳴り続けており、コンセントを外すと途端にやんだりします。またコンセントを強く抑えたりすると音も心なしか小さくするなど、コンセント自体が音を発していることに間違いありません。
 さて困ったのはこの音。というのも寝床近くに電源を設置しており、今までも同じ場所で寝てはいたものの今後はなんとなく音が気になるというか、小さい音とはいえこんな高い音を寝ている間に聞いているというのが不快感を催すだけに、ちょっとどうにかしないととさっきから一時間以上も対策を練っています。

 単純なやり方はコンセントごと取り換えるという方法ですが、このコンセントは携帯充電器みたいに汎用コードではなくWIFI発信機の備え付けられたもので、そんじょそこらのお店では多分同じ接続端子のコードは売ってないでしょう。何気に中国は日本みたいにサプライパーツを取り扱うお店がやけに少なく、雑多な市場に行かないと買えないため今日明日に買いに行くようなことは難しいです。
 一応、宝山路駅近くに上海の秋葉原ともいうべき電子街があるのでそこに行けば見つかるかもしれませんが、どうせ高くもないんだしWIFI発信機ごと新しく買うというのもちょっと検討しています。昨日利息が4万円超も入ったためか、財布のひもも緩みがちです。

 それにしてもこれだけはっきりキーンと聞こえる音を今まで知覚していなかったのが不思議です。もしかしたらただ単に気が付かなかったのではなく、まさに今日取り外した際になり始めたのかもしれませんが、大きな音ではないとはいえ高温の音だけに対策できるものなら対策したいところです。とりあえず今晩は電源切って寝ることにします。

2018年11月5日月曜日

利息ゲット(∩´∀`)∩

 昨日バレットガールズというゲームし過ぎたからか疲れているので、また短くまとめます。それにしても尋問特訓で納豆をこすりつけられるゲームはこれだけだろう。

 今日、半年前に購入した中国の元本不保証な定期預金の一種である理財商品の払い戻しがあり、10万元の預託額に対し2600元(約42000円)、年利に換算すると5.2%の利息をゲットしました。当初の予測では払戻額は2500元でしたが、100元とはいえ少し増えていました。
 私が理財商品を買うようになったのはちょうど一年半前で、払い戻しは今回で三回目になります。元本不保証とはいえ基本的には安全な金融商品のため元本割れはほぼなく、このところネット金融に押されているもんだから各銀行も利率を高めており、4.5%以上の年利であればほぼ問題なくいつでも預託することが出来ます。

 早速友人からは飯奢れという連絡が来ていますがそういうのは無視するとして、やっぱりこういう臨時収入があると財布は緩みがちというか、ついつい受け取った利息以上にお金を使ってしまいがちです。差し当たって考えているのは3シーズン使い古してそろそろ買い替えようと考えている電気カーペットですが、これをダブルベッド用とするか、シングルベッド用とするかで悩んでます。ベッド自体はダブルなのですが、最近はカーペット敷いて床で寝ておりこの際だからシングルにして、床の上で起居しようかと検討しています。
 その延長上というか、こちらはほぼ買うこと決定していますが、ニトリで座椅子も今度買おうと考えています。先ほども言った通り最近は

ノートPC
PCテーブル
オフィスチェア






 のように縦3畳くらいのスペースで自宅を過ごしており、この3畳の空間でほぼ完結できてます。折り畳みできる座椅子だったら最悪気に入らなくても畳んで置けるし、100元(1600円)くらいで売ってるので、ゲームするときとかにいいかもと考えてます。っていうかいま室内で一番邪魔なのは寝るとダニに咬まれるベッドで、これなければ相当凝った空間とか作れるものの、大家の持ち物のためそこまでには踏み切れません。
 なお床で寝ればダニに咬まれる回数は減るものの、それでも今日みたく湿気の多い日だとどこかしら寝てる最中に咬まれるのか朝起きると腫れあがっている箇所があります。

 ただ先日、具体的には先週金曜、なんか知らないけどとんでもない虫に咬まれたのか、背中の左肩部分からどくどく血が流れるくらいの大穴を空けられました。しかも三か所も咬まれており、真面目に肌着がこすれるだけでも痛いくらい腫れ上がり、「俺は一体どんな虫と戦っているんだ?」とマジ焦り、その晩は夜眠るのが怖かったです。
 恐らく、南京虫級のとんでもないのが潜んでいたのだと思いますが、まさかこの時期にこんな大物に咬まれるとは想像しませんでした。幸いというか数日経って腫れは引いてきたものの、未だ背中にはでっかいかさぶたが残ってます。最近になって湿度計を部屋に置いて観察していますが、やはり日本と比べると上海のような中国江南地方は湿気が平均的に高いようで、そりゃ無視も元気になると一人で納得しています。

2018年11月4日日曜日

悪魔の実?


 先日、自宅でネットトラブルが起きた際に大家が来た際、お土産にと袋に入った上記写真のブツをくれました。袋の上から見て最初、チョコエッグかなと思ったのですが、実際にはリアルな果物でした。ただ果物だとしても、名前が何なのかはわからず、私自身はそれまで一度もこれを食べたことがありませんでした。写真の撮影が悪くうまく映っていませんが、妙にてかっていながら謎の青黒い模様が走っており、一見して「悪魔の実?」という単語が浮かんできました。

 正直に言えば、最初はもう丸ごと全部捨ててしまおうかとすら考えました。しかし折角の贈り物を無碍にするわけにはいかないと思い、覚悟を決めて皮ごと食べてみましたが、やはり今まで食べたことのない味というか、表現しづらい味でした。決してまずいわけではないものの、食べ慣れない味ということもあって感覚的にはいろいろな思いが去来しました。何度も言いますが決してまずいわけではないものの、一晩で6個全部食うのは無理だと判断して、1個ずつ消化して一週間で食べきるという妙なプランを立ち上げました。

 知覚した限りで話すと、真面目に味の薄いメロンにチョコレートソースをかけたような味で、瓜系の果物であることには間違いりません。真ん中のあたりにメロンっぽい種の付いたヒダヒダもあったし。甘味はわずかながらあったもののそれほど強いものではなく、ぎりぎり味の薄いメロンって具合でした。チョコレートソースの味覚は、私が感じた錯覚の可能性があります。

 それにしても中国にいて初めてこんな果物を目的する辺り、やはりこの国は広いな改めて覚えます。

2018年11月3日土曜日

中国のバス運転手への暴行に関する事件群

 昨日の記事でバス運転手への暴行から起こった重慶のバス転落事故を取り上げましたが、今回のこの事件は中国でも大きく注目されるとともに、割と日常的に起こっているバス運転手への暴行について過去の事件の掘り下げが行われています。
 自分も結構驚いたのですが。乗客が自ら乗り過ごしたにもかかわらず運転手にここで降ろすよう強要して、暴行を行うという事件は各地で多発していたようです。こうした行為は男女問わず起こっており、また勢い余ってバスのハンドルを奪おうとする事件も一度や二度どころではなく起こっており、実際にそれによって街路樹に衝突すると言った事件もあったそうです。

 今回掘り起こされた中でも強烈だったのは、ハンドルを奪おうとしたところ別の乗客に蹴られるという事件で、写真に関してはこの記事、日本から見られるかわかりませんが動画はこちらから見れます。この狼藉者を蹴った人間に対してはあちこちから称賛される声が出ており、「彼は乗客全員の命を救った」という意見をテレビなどでも伝えています。
 また今回の転落事故を受け、各メディアや警察などはこうしたバス運転手への暴行は運転を妨げる危険行為であることを説明し、実際にこうした行為を行った人間への実刑例などを挙げるなどして注意を広めています。先ほどのキック動画もその一環と言え、こうした行為を働く人間には殴り倒してでも止めろということを暗に伝えていると思っていいでしょう。実際、その方が理に適ってるし。

 なお、今でこそ上海住まいでバスにも特定の路線以外乗らないし、また上海人は基本マナーがいいからイラつくこともありませんが、かつて杭州にいた時は平気で人に寄りかかったりする人間が多く、バスに乗ること自体がむちゃくちゃ嫌でした。しかし当時は杭州に地下鉄もなく、他の交通手段もなかったので使わざるを得なかったのですが、日本のバスと比べてとにもかくにも中国のバスは体力を消費します。まぁその分、老人とかにはすぐ席を譲る文化は中国の方が上だけど。

2018年11月2日金曜日

重慶バス転落事故について

中国バス転落、原因は運転手と乗客のけんか 幼児も犠牲(朝日新聞)

 普段あまり中国のニュースはチェックしていない私ですが、この件に関しては事故が発生した28日の段階からしつこく追っていました。

 自己の概要を簡単に説明すると、重慶市で長江に架かる橋の上で公共バスが突然ハンドルを切り、そのまま柵を突き破って橋の下の川底へと真っ逆さまに落ちました。この際、対向車線を走っていた乗用車が衝突しフロント部分が一発で潰れはしたものの、運転していた女性は大きなけがはなく軽症で済みました。
 一方、バスの方は事故発生からすぐに救助隊らが現場に集結して活動を開始しましたが、当初から生存者は絶望視されており、また落下中か水面衝突時に投げ出されたのか2体の遺体がすぐ見つかったほかは乗客が何人乗っていたのかもわからない状態だったそうです。警察は周辺を走っていた車のドライブレコーダーや監視カメラの映像などから乗客の割り出しを行っていたとも報じられていました。

 転落したバスは水深65メートルもの川底にまで沈んだと報じられていましたが、先日になって引き上げられ、今日になってブラックボックス、というか普通に車内の監視カメラに搭載されていたSDカードが復元されて事故当時の映像が公開されたのですが、その内容というのが冒頭のニュースリンクに書かれていた通りでした。



 事故原因は目的の停留所を乗り越した女性乗客がここで降ろせと女性の運転手に詰め寄り、応じなかった運転手に対し殴りかかったことで運転手の気がそらされ、ハンドル操作を誤ったという衝撃的な内容でした。日本の報道にはあんま書かれていませんが、殴りかかった女性は携帯電話を手にもって運転手に殴りかかったと中国では報道されており、この女性が経営していたとされる意匠カーテン店は現在閉められているそうです。

 この件は中国でも大きく報じられており、私も普段見ないスマホ配信ニュースを追ってて、今日昼過ぎに配信された真相報道についてもじっくり読んでしまいました。当初でこそバスが突然制御を失ったことから運転手が気を失ったのではとも思っていましたが、想像を超える真相を受けて何とも言えない気持ちとなりました。少なくとも運転手の運転ミスではないと分かっただけでも、今回監視カメラの映像が復元できてよかったのではないかと思います。

 なお今日同僚とも話しましたが、運転手と乗客が乗り降りについてもめるのは中国だとそんな珍しくありません。今回の事件を受けて中国でもコメントなどで、こうした運転手と乗客のケンカに出くわしたら何が何でも止めようという声が広がっていますが、私もこの件に関しては全く同感というか、 頭のおかしい乗客が騒ぐのを他人事だと思ってみていてはならないというのを自覚しました。
 その上で、運転手を含め犠牲になった14名の乗員乗客に対し深い哀悼の念をこの場で捧げます。なお日本の記事だとあまり写真が出ていませんが、このアドレスの記事の写真を見れば今回の事故現場となった橋がどれだけ高い橋かが見てわかります。こんなところから真っ逆さまに落ちるなんて想像するだけでも辛く、犠牲者に対してはただただ同情の念を覚えます。

2018年11月1日木曜日

国家によるメールの検閲是非

 昨日は調子よかったのにブログは書かず、今日は調子悪いのに何故か書いているのが不思議です。
 さて細々とレッツ監視社会な連載を続けていますが、最初が監視カメラ、次が盗聴・録音について書いて、今回はある意味ホットなインターネットのメールについてです。

 一応、建前上はメールも信書という扱いで通信の秘密が法律とかで保障されていますが、それらはあくまで建前で、メールの検閲を行っていない国家の方が案外珍しいんじゃないかと思います。
 私の住んでいる中国は言わずもがなというか、検閲していることを隠さないというくらいの同道ぶりで、中国人も基本、メールは見られるものという前提の上でやり取りしています。
 では対抗馬の米国はどうかというと、スノーデン氏によってNSAが大っぴらに国民のメール通信を検閲していることがばらされており、恐らくこの検閲は現在も続けられているでしょう。また欧州でも同様の行為は行われているとされており、何もこうした行為は中国に限るわけではありません。中国が隠していないだけでしょう。

 では日本はどうかと言ったところですが、過去のインターネット事件史や操作を見ている限りだと特定実ん物や団体とかならともかく、幅広い検閲まではやっていないんじゃないかという気はします。ただこれはもちろんそう見せかけているだけという可能性も十分考えられ、私に言わせるならば、国民の側がメールが検閲されるはずないと信じ込む方がむしろ問題だと感じます。中国にいる私のように、見知らぬ誰かが自分のメールを見ることもあるという覚悟というか諦観がないという方が、やや平和ボケし過ぎているとすら思います。

 こうした国家によるメール検閲の論点は、第一にそれを認めるか否か、第二に規制の必要はあるか否かです。
 監視カメラと違い、はっきり言ってメールの検閲を行ったところでどれだけ犯罪を食い止められるのかについては未知数であり、またぶっちゃけあまり効果がないようにも思うため、国家によるメール検閲を認めることによる市民のメリットは私はそれほど大きくない気がします。ただ国家としては他人のメールを見たくなるというのもわかるため、こうしたメール検閲行為をどうしてもやりたいってんならルール作りが必要となるか。それとも現在のように建前上は見てないということにして隠れて検閲させ続けるのか、どっちを是とするのかはあらかじめ議論する価値があると考えます。

 体制側としてはやはり後者で、自由と平等と通信の秘密を守るというポーズの下でせっせと検閲したいでしょうが、私個人としてはどうせ検閲するってんなら中国みたくもっと堂々とやれよと言いたいです。ただ世の中の多くの人はそもそも自分がやり取りするメールに検閲される価値がないにもかかわらず見られたくないって人が多いでしょうし、だったらそういう人たち向けに「ここまでは見ないよ」ってラインでも設けたらどうかという風に見ています。
 ではその検閲ラインですが、警察の盗聴捜査のように特定人物や団体へ令状なしでは実施できないとする案、国際通信のみを対象とする案、特定プロバイダーを対象とする案などのように、いくつかライン候補があります。ただこう言っておきながらなんですが、仮にラインを設けたところで体制は容易にそれを踏み越え、必要以上の検閲を実行することとなります。何故ならそれが国家、管理できるなら何でも管理したいという性格の持ち主だからです。

 そういう意味では私はどうしてもメールを見られたくないってんなら専用回線を持つとか、特殊な暗号を普段から用いるなどして自己防衛する方が体制を信じるよりよほどマシだと思います。何度も言いますが、メールは絶対に検閲されないと信じ込む方が逆に危険です。
 そもそもメールというのは体制側からしたら検閲しやすい形態で、手書きの文書の方が検閲の手間も食うなどコストがかかります。そんなメールが流行ってしまった時点で通信の検閲が高まるのは自明だったとしか言いようがないでしょう。

2018年10月30日火曜日

盗聴・録音はどこまで許容されるべきか

 最近税法勉強し始めたけど、社会主義の中国に相続税がなく、資本主義の日本の相続税が重いとか男のギャグだとか思い始めてきました。友人が中国について最近、「社会主義と資本主義のいいとこどりに対し、日本は悪いとこどり」と評しましたが、なんとなく私もそう思えてきました。
 そんな中国のような監視社会についていろいろ考えるこの連載ですが、さっきようやく来週のJBpress記事を送ったのでやっと再開です。前回が監視こと映像録画だったに対し、今回は音声録音についてですが、結論から言うとなるべくなら録音は社会で行わない方がいいという立場をとります。

 監視カメラは現在世の中に溢れていますが、基本的にどの監視カメラも音声を録音する機能はなく、よくある「監視カメラは見た!」的な番組でも無音の映像にナレーションが付けられ解説されます。やりよう、っていうか指向性マイクを付ければ映像とともに音声を録音することも十分可能ですし実際に録音機能の付いた監視カメラも世の中にはあるものの、現在ほとんどの監視カメラに録音機能が備わっていないというのは、コスト上の問題もさることながら音声を録音することの問題性を業界もうすうすわかってやっているのかもしれません。
 何故録音するとまずいのかというと、単純に機密遅漏につながりやすいということ以前に、人間を陥れやすくなってしまうというのが問題だと私は考えます。

 社会学士の立場から言えば、人間というのは自分が正しいとか本気で思っていることしか口にするわけではなく、咄嗟に普段はみじんも考えていない過激な発言や言葉を日常でも多々口にしてしまう存在だとみています。私なんかはほぼ毎日ぶっ殺すとか、ついさっきも友人にチャットで「昨日殺したけどね(蚊を)」などという言葉を念仏のように唱えていますが、私ほどではないにしろ、「あの野郎」とか、「今度罠にはめてやる」などという実際には実行しないけどこうした物騒な言葉を口にすることは誰にだってあるでしょう。
 仮にほぼすべての監視カメラに録音機能がついていた場合、こうした発言はもれなく拾われてしまいます。その結果、こうした発言が殺人企図として取られる可能性もあり、体制側からすれば目障りな奴はこれで片っ端からブタ箱に突っ込めるという優れものになってしまいます。また体制とまでいかなくても、会社の上司とかが自分を殺すという発言をした部下に対してその録音データを元に脅迫、解雇を迫るという可能性も十分ありうるでしょう。

 繰り返すと、人間は普段思ってもないことも口にしてしまう性質上から、たとえ公共の場においても何でもかんでも録音してしまうと他人を陥れやすい社会となってしまいかねません。また仮にそのような録音されることが認知されていたとしても、恐らく多くの人は揚げ足を取られぬよう余計なことは口にしなくなり、友人との会話でも録音されないように小声で会話するようになるため、私の目から見て社会は不健全となっていくことは確実です。
 多分この辺は実感湧く人はいないと思うのですが、私の中国語の恩師が昔の中国に行くとみんな小声でひそひそ話す傾向があったそうです。何故かというと文革期に密告が相次いだため、当時の中国人の間では盗み聞きされないようひそひそ声で会話することが身についてしまっていたらしいです。

 今少し出しましたが、社会のあちこちで録音することは即ち完全な密告社会であり、お互いがお互いを陥れ合う不健全な社会にしてしまう可能性が高いため、監視カメラを置くことについては基本山西ではある者の、社会で音声を録音することは基本的に望ましくはないと私は考えます。特に体制側の録音は厳しく制限されるべきでしょう。
 現在日本では裁判所の承認の下で犯罪につながる可能性の高い被疑者に限り警察が盗聴をすることを認められています。ある意味この辺が体制側による録音の妥協ラインだと思え、きちんとした手続きを踏まえた上での盗聴録音に限り認めるという意味で、現状の制度を私は許容しますし支持します。逆にこうした目的ではなく、手続きを踏まえない警察の盗聴行為(GPSで以前あった)に関しては、やはり厳しく制限し処罰するべきでしょう。
 まぁ許容するとか言いますが、そもそも日本に私はいませんが。

 では体制以外、具体的には個人の盗聴・録音はどうなのか。個人的にはやはり密告社会化する懸念から個人や民間団体も録音は控えるべきだとは思うものの、近年はICレコーダーが発達し、セクハラやパワハラ、浮気の証拠材料として録音されたデータがメディアや裁判に提出される機会が増えています。司法も浮気の証拠を得るためであれば、自宅内で夫婦のいずれかが盗聴器を仕掛け録音することを現在認めており、また先ほどのパワハラなども防衛上やむを得ないと私は考えています。
 許容されるべきラインを考える上のポイントとしては、

1、録音内容が当人に関係している
2、社会通念上認められる目的での録音に限られている
3、録音の対象がはっきりしている(浮気相手、パワハラ上司など)
4、意図的なネット配布など不必要な範囲で公開していない
5、使用目的を果たした後は削除する

 以上が守られるならば胸を張って盗聴してもアリだと私は考えます。
 ただ以上の条件には問題をはらんでおり、というのも浮気調査とかで興信所が音声録音を行ったらどうなるのかという点です。この点に関しては業界の倫理に依存する面が多いですが、無難なやり方としては「問題発生時には責任はすべて依頼者に帰す」という風にすれば、ある程度は制御できるのではないかと思います。また興信所側も、依頼内容を超えた盗聴行為や、録音データの二次配布、長期保存などをした場合は処罰されるようにするのがベターでしょう。

 逆を言えば、相手の見知らぬところで何気ない会話とかを録音したりすることは、刑罰化するまではいかなくても個人と言えども基本認めるべきではないでしょう。その音声が録音されてもよいかは基本的に音声発声者に帰すべきですが、まぁ公人相手とか、先ほどのセクハラパワハラに準ずるような報道価値があるなら、ジャーナリストが無断で録音するのは許容してほしいところです。

2018年10月28日日曜日

焦り、飢え、怒り……

 昨日は会社の催し事があり、自宅には夕方帰ってきましたがその時点でへとへとだったので夕方6時から7時にかけて仮眠取ったのに、夜10時には就寝して、今朝は8時に起きました。
 朝起きてから締め切りが迫っているのでJBpress用の次回原稿として中国自動車市場の記事の準備を始めましたが、あらかじめ情報は集めていたものの、午前中はグラフを作るだけで終わってしまい、正午には外へ昼食を食べに行き、食べた後はニトリで前から欲しかったカーペットを買って帰ってきました。

 でもって午後2時くらいからまた執筆に移りましたが、すぐ書き終わるかと思ったらちょっと分析必要となって書きながらあれこれデータを調べてて気が付いたら夕方6時。おなかもすいてきていたタイミングでしたが、ここにきて自分が取ってきたメーカー別販売台数データがおかしく、データが間違って表示されていることに気が付き、焦っている上にめちゃくちゃ腹減っていたこともあって頭に血が上り、「てめっ、ふざけてんじゃねぇぞこの野郎っ!」と、間違ったデータを公開していたメディアへの怒りから画面に向かってしばらく怒鳴っていました。
 っていうかすっかり季節も秋めいて空気も乾燥してきているから、怒鳴ってまた喉潰したところ普通に乾いた空気が喉に痛かったです。もうこのままじゃ悪循環だと思っていったんまた外に出て夕食を取って再び書き始めましたが、データが変わったことによってまた分析をし直して、ようやくのことさっき書き終えました。

 やっぱーデータという前提が崩れると、記事書いてるこっちとしてはかなりきついです。まぁ見方を変えれば誤ったデータを出す前に気が付いたことを幸運と思わなきゃいけないのですが、先週は水曜、木曜と飲み会がありただでさえ準備時間がなかった上に、昨日土曜も前述のように催し事で潰れたこともあって、記事内容自体は比較的楽だったものの無駄に神経を使う羽目となりました。
 真面目にこのところ体力以前に神経を浪費することによる影響の方が強く、集中力の低下をはじめあちこちに悪影響が出ています。意図的にこうした神経を休ませた後は明らかに調子が良くなるだけに、今のように不安定な状態が続くと非常にきついです。今日買ってきたカーペットで睡眠環境が良くなればベターなのですが。

ダニ対策で床の上に寝るようになって以降、左下のベッドは物置台となりつつある

2018年10月26日金曜日

配信元で異なる電子書籍価格

 一昨日から二日連続飲み会で明日もちょっと食事の用事があり、尚且つ今週末中に次のJBpress原稿をあげなくてはならないという切羽詰まっているので、ぱっぱとかける話題にします。
 それにしても中日は待望のスター選手を獲得できたのに対し、阪神のドラフト戦略はまるで意味が分かりませんでした。あと次の日本シリーズは広島対ソフトバンクで、実質「西日本シリーズだな」と見ています。

ちおちゃんの通学路9巻(Amazon Kindle)
ちおちゃんの通学路9巻(DMM)

 上のリンク先はどちらも同じ漫画の電子書籍販売ページですが、見てもらえばわかるようになんと同じ電子書籍でありながらどちらも税込みでKindleは632円に対し、DMMは702円で売っています。大概の電子書籍は配信元が異なっていても基本的に同じ価格なのですが、たまにこういった値段の変わる本が出てきたりします。

 実体書籍の値段に関しては法律で、地域によって知識の取得が偏らないようにするため全国どこでも日本国内では同じ値段で販売するよう取り決められています。今回の槍玉は電子書籍なため厳密には「データ」の販売となることからこの法律は適用されないでしょうが、個人的には「えっ、なんで?(;´・ω・)」と思う案件なだけにわざわざブックマークして取っておきました。

 これまで見ていた限り。電子書籍のサービスベンダーは販売単価の数十パーセントを次回購入時の割引に使えるポイントを配信することで、ベンダー間で価格競争を行っていました。私はこれ自体は真っ当な競争だし、そもそも電子書籍は印刷、在庫、物流コストもかからず過去の書籍であっても一様に販売できるメリットがあるため、実体書籍より安く販売されてしかるべきだと考えており、こうしたポイント付与については一利用者として好ましく感じていました。
 しかし今回のケースはポイントではなく完全な販売単価がベンダー間で異なっています。出版社との契約内容がどうなっているのかはよくわかりませんが、仮に出版社側でベンダーによって価格を分けているとしたら、なんとなく腑に落ちないというか価格操作的にやややり過ぎではないかと思います。

 一方、もし今回のケースがベンダー側の価格設定による差だとしたら、それはそれで市場競争としてはありではあるものの、なんとなく高い配信元で購入したら損したような気分になるので、やはりなるべくならポイントで差をつけてほしいなというのが本音です。
 どっちにしろ、この「ちおちゃんの通学路9巻」は買うつもりないですが。

2018年10月23日火曜日

監視カメラの配置の是非

 昨日から監視社会の許容範囲についてこれから語っていくと書いたものの、今日は調子悪くてもう家帰ったらブログ書かずにずっと「バレットガールズ」という銃で撃つと女の子の服がどんどん破れるというわけのわからないゲームしてようと思ってましたが、明日は知人と会うためブログ書けないことを思い出し、仕方なく書き始めています。なお本題と関係ありませんが、「嘘だと言ってよバーニィ」って言葉がリアルに出てきました。

 そんなわけで話は本題に入りますが、監視社会の主役と言ったら密告と監視カメラのダブルキャストです。特に監視カメラは電気代を除けばノーコストで人民を監視し続ける上に証拠も残せるという優れもので、「ノーカラテ、ノーニンジャ」ならぬ「ノーカメラ、ノーディストピア」と言っていいくらいに欠かせない代物です。真面目に監視カメラなしでディストピア作ろうなんて、明治維新を起こすより難しい気がします。

 ただそんな監視カメラですが、こと治安に関しては圧倒的な武器にもなりうる代物です。近年は監視カメラの映像が決め手となって検挙起訴に持ち込める案件も多く、通行する自動車のナンバーをすべて読み取って保存してしまうNシステムに至っては、多くのミステリー作品のトリックを破綻させてしまうほどの強力な威力を発揮しています。
 結論から言えば治安面の効果とその低コスト性から私は監視カメラを広げていくことには大賛成です。ただ、いったいどこまで監視カメラを設置すべきかという点についてはやはり今後も議論が必要だと考えます。

 いわゆる左翼系の団体などは監視社会への批判から監視カメラの設置を頭から否定しますが、例えば学校などの教育期間への配置に関してはさすがに立場をわかってか、否定する人は見たことがありません。私なんかは逆に学校には入口付近を除けば子供の自由な活動を阻害しかねない気がするので配置は控えるべきだと思うのですが、これと絡めて述べると、監視カメラは誰が配置するのかによってもその意味合いは大きく異なります。

 学校や一般商店を例にとると、普通設置するのは運営主です。しかしこれが運営主ではなく警察や政府となると、言うまでもなく意味合いは大分異なってきます。それこそ個人商店のような本屋に何故か知らないが警察設置の監視カメラが置いてあるのと、万引き防止のために店主が監視カメラを設置するのでは、やはり感覚的に前者は変じゃないかと思うのではないかと思います。
 一方で、例えば巨大なショッピングモール、あと銀行やホテルと言った公共性の高い私営の建物だったらどうか。私はこちらの場合に関してはなるべくなら運営主が設置して、警察の捜査協力に対し必要に応じて映像を提供するというような具合が望ましいですが、もし費用などの問題で運営主が設置を渋るようであれば、警察や政府が設置するのも認めてもいい気がします。というのもこれらの建物は公共性が高い上に多数の人間が往来し、監視カメラの設置によるメリットはプライバシーの侵害云々を無視できるくらい高いと感じるからです。

 同様に、公園や駅、空港と言った完全な公共スペースに関してはむしろ国主導でガンガン監視カメラを置いた方がいい気がします。そもそもこれらの公共スペースはその「公共」という言葉の通り市民全体が利用するスペースであり、個人のプライバシーはむしろ存在してはならないエリアです。さすがにトイレ内とかは別ですが、こうした場所において個人のプライバシーを主張するのは古い言葉で言えば独占主義者と見ることもできるだけに、犯罪抑止効果を考えると積極的に監視カメラを活用するべき立場をとります。
 何気に上記の公共スペースの中でとりわけ監視カメラを増やした方がいいと思うのは、ほかならぬ駅、というか列車車両です。これは勘のいい人ならわかるでしょうが痴漢犯罪、そして痴漢冤罪の撲滅につながると思うからで、カメラが安くてもいいから車両内を全部映す監視カメラ体制を構築すべきでしょう。

 では逆に監視カメラを設置すべきでない場所はどこかというと、やはりプライベートというか私有な空間で、個人の邸宅等です。ここで一つ議論となるのはマンションの廊下などと言った共有スペースに設置すべきかという点で、これなんか設置場所によってはだれがどの部屋に出入りしているかが全部記録できてしまいます。私はまったく気にしませんがこの点を気にする人は多分いっぱいいると思うのですが、共有スペースでもよくケンカや暴行といった犯罪が起こることを考えたら、なるべくなら設置した方がいいという立場をとります。間を取るならやはり映像管理は管理会社が行い、警察への提出は任意性とする辺りが落としどころかもしれません。
 なお警察への提出は任意と言いながらも、もしある部屋のドアから火星人が出てきたら何をどうしてやってでも私はその映像を手に入れて公開するでしょう。個人のプライバシーより、火星人の発見の方がずっと大事です。

 もう一つ議論のネタを入れておくと、例えば公道なんかはどうなるのかという点で意見が分かれるでしょう。公道も人や車の往来が激しければ監視カメラの設置メリットが絶大になりますが、場所によっては一般住宅の塀、場合によっては庭も映ったりします。何も公道に限らずとも個人が自宅に監視カメラを設置したところ、隣家の一部も映ってしまうということも考えられます。こうした場合はどう処理するのか、設置を認めるべきなのかに関しては、もしかしてもうあるかもしれませんがルールを作っておく必要があるでしょう。
 それこそ先ほどのように人の出入りが分かってしまうドアや窓の中は映してはならないとか、屋根や塀の一部なら勝手に撮影し続けても問題ないとか。もう一つ重要なのは、自宅用の監視カメラと主張して隣家を覗き見し続ける輩の処罰と区分です。こうした監視カメラの悪用に関しても一定の制限はあらかじめ作っておくべきであり、公共スペースであればトイレ内などは禁止、プライベートな空間であればその撮影範囲はその空間内及び隣接する最低限の空間に限るとか。逆を言えばこうしたルールがなければ今後何か問題が起こってきそうな気がします。

2018年10月22日月曜日

監視社会をどこまで許容すべきか

 ここ数年、監視社会によるパノプティコンを描いたジョージ・オーウェルの「1984」という小説が話題に挙がることが増えている気がします。考えられる理由としては村上春樹氏の「1Q84」とか、これを題材にとったとされるゲームの「メタルギアソリッド5」による影響などを候補に入れていますが、それ以上に世界全体でこうした監視社会に対する見方が現実化してきたせいもあるかもしれません。

 現在、世界で最も「1984」の世界に近い国はどこかと言ったら、恐らくは北朝鮮になるでしょう。また私が現在住んでいる中国もこの分野においては世界的にも上位に食い込むことが予想され、このほかだったら有名どころだとロシア辺りが来そうです。
 ただ、こうした監視社会先進国(?)に限らずとも、電子機器とネットワーク社会の発達に伴ってどの国でも監視社会の程度は年々増してきていると言っても過言ではありません。自由の国を標榜する米国ですらNSA(最初、「NSC」と書き間違えた)が通信を傍受していたことがスノーデンに暴露されましたし、またFacebookやtwitterも、ユーザー情報を官公庁に提供というか売り買いしているのもほぼ確実でしょう。っていうかFacebookはユーザーのパスワード情報などを大量に流出させたことがほぼ確実なのに何も補償もせず処分も受けていないのがむかつく。

 ただ、これらの企業を批判しても意味がないというか、現実には報じられたりしないだけでそこら辺にある小さい企業とかでもユーザー情報をガンガン売買しているのが現実です。また売買しなくても、ビッグデータとしてあらゆる行動が観察、収集さているのが現実であり、こうした米国や日本におけるこの現況が監視社会でなければなんだといったところです。

 逆接に逆接を重ねますが、しかし、Facebookのパスワード流出はともかくとしてこうした監視社会の発達は一方で、一般市民にメリットをもたらしている面もあります。一番大きなメリットとしてはやはり治安面で、何も「密着!警察24時間」を見ていなくても、近年は監視カメラの映像が決め手となる検挙が増えていることはほぼ間違いなく、また個人レベルであってもドライブレコーダーの普及によってかつてであれば起訴まで持ち込めなかった案件も起訴に持ち込め、危険な運転や自己責任の実体がかつてと比べるとよりはっきり証明できるようになってきています。
 こうした治安面に限らずとも、ビッグデータの活用による新システムの開発や分析、情報の共有やマーケティング活用など、いわば行動が逐一監視されることによって生活が豊かになっている面を否定することはもはやできないでしょう。

 以上を踏まえた上で私見を述べると、監視社会というと「そんなの良くない(; ・`д・´)」と頭から否定する人間や団体が多いですが、現状既に半ば監視社会へ入っており、ここから監視のない世界に戻ろうとするとデメリットの方が大きくなります。それであればむしろ、社会上のメリットを享受するためには一体どこまでの監視を許容し、逆にどこまでを認めるべきではないのかという区切りを考える方がより建設的だというのが私の見方です。
 先にも述べた通り、現状では既に多くの企業や団体、政府が市民の了解なしに勝手にその行動を監視、収集しており、限度については誰も何も持っていません。いわば無法地帯のような野放し状態なのですが、これについて「ここまでなら無許可での監視OK」というラインを作るべきだと言いたいわけです。

 例えばこの前閉鎖した漫画村についても、既存の法律上ではあれは完全に通信の秘密を侵害しています。しかしああしたサイトを規制することによって表現者のところにお金が回り、文化が進行されることを考えると、やはり規制することが社会にとってはプラスです。
 このように監視範囲と対象、そして規制区分についてもっと、「どこまでならOK」という議論をすべきだと思います。どんなことであれ監視はされたくないというのはもはやナンセンスで、ある意味治安上では危険な概念であると思います。まぁこうして挑発するには私なだけに裏があるわけですが。

 さすがにこのテーマを一回で終わらすのはもったいないので、しばらくこのテーマで思いつくことを書いていこうと思います。

2018年10月21日日曜日

今日の150キロ走行について

 今日は朝五時半から自転車に乗って昆山へ行き、合計で約150キロ走行してきました。昆山へサイクリングへ行くのは何気に今年初めてで、100キロ超の走行も今年初です。
 昆山へ行ってサイクリングしてくるまでは良かったのですが、上海への帰路で途中雨に降られ、トイレ休憩もかねてショッピングモールへ一時避難しました。雨足が弱くなったところで再び乗って走りましたがさすがにこの頃(4時くらい)はバテはじめ、途中にある安亭という場所のバーガーキングに5時くらいにたどり着くと夕食を兼ねた食事をとった後、そのまま20分程度仮眠しました。

 その後が我ながら信じがたいのですが、めちゃくちゃ調子よかったです。再び乗り始めてから約30分の間はほぼフル加速を維持でき、坂道でも電動バイクを次々と追い抜くことができました。休憩前が単純に栄養不足からのバテだったとも考えられますが、ほんのちょっと食事休憩取っただけであれほどまでに回復するとはこれまで経験したことはなかったです。
 その後、7時くらいに帰り道の途中にある極楽湯によって湯につかった後、しばらく休憩し、うどん食べよっかなと思ったものの48元(780円)払うのがなんか惜しくて、結局食べずに出ました。出たら外また雨降ってるし……。

 でもって雨の中をまた家路に向かって走り、途中コンビニ寄ってうどん代わりのカップラーメン買って、先ほど食べ終えて今これ書いています。何気に携帯の歩数計見たら負担は7000~8000歩くらいなのに、今日は36000歩超えててバグったような数字になってました。

 何気に今回の収穫は、これまで走行中に感じていた右側頭部の頭痛が全く起こらなかったことです。理由ははっきりしており、なんとなく運動していると右肩付近の血行が止まるという感覚があったことから右肩を中心によく動かして可動域を広げ、血行をうまく通るようにしていたからでしょう。前は30キロくらい走るたびに激痛に襲われ死ぬような思いしてただけに、今回克服できたことは自分にとっては僥倖です。
 なおこの右肩と側頭部の痛みですが、何気に10歳くらいから存在を感じていました。解決法を見出せなかったとはいえ、あの年齢でよく気づいていたなと我ながら思います。

 ただ頭痛は起こらなかったものの、やはり久々の100キロオーバーのせいか内臓に来ています。今もなんか腹のあたりに異物感というか不思議な感覚があるのですが、これが内臓へのダメージなのか、空腹によるものかいまいちはっきりしません。

 それにしても久々に会ってきた昆山サイクリングメンバーとの関わりは非常に楽しかったです。向こうも私のことを懐かしがってくれましたが、自分がロードバイク乗るようになったのもこの昆山サイクリング部に入ってからということを考えると感慨深いものがあります。

2018年10月20日土曜日

実感した景気の良さ

 前回記事からちょこちょこ書いていますが先週は日本に単独で潜入して、以前に一向一揆をネタにしたことから蓮如が北陸布教の拠点とした福井県あわら市にある吉崎御坊とかを見てきました。行ってみて初めて知ったのですが、この吉崎御坊も東西本願寺の分裂に伴い同じ敷地内で東本願寺派、西本願寺派で領土というか所属が区切られ、僧房とかも分けられていました。案内の人が詳しく説明してくれたこともあり、なかなかに有意義な訪問となりました。

 この吉崎御坊について延々と語ってもいいのですが、折角なので今回日本を見てきて感じたことをいくらか述べると、一番感じたこととしては単純に景気がいいなってことでした。その波の大きさで言えば、高額な品にほどポップが付けられていた2016年ほどではありませんが、街中全体やレジで購入されていく品々、あと飲食店の混雑具合や店員の表情などを見ている限りでは比較的お金が回ってきている印象がありました。普段を景気の良い中国を見ている自分からしても現在の日本の空気感としては景気がいいように感じられ、悲壮感なんてものはほとんど感じることはありませんでした。

 ただ現状はある意味、崩壊前の最後の輝きと言い切ってしまってもいいかもしれません。それほどまでに日本の将来は暗く、早ければ来年度から深刻な不景気に陥ることがはっきりしています。
 来年あたりから地価、不動産価格の下落が始まり、もはや家電をまともに作っているのはパナソニックだけですが、家電メーカーと量販店から苦しみ始め、徐々に他の業界にも波及していくことでしょう。東京だけは予算以上のオリンピックマネーが投入されてマシな環境を保つでしょうが、地方はその分、税金も増やされてより負担は高まるでしょう。

 小売業界に関してのみ、中国人観光客の流入が続けば比較的好調を保つでしょうが、それでも現状維持が精いっぱいでしょう。この辺に関しては次の水曜日にJBpressで出す記事にて少し示唆しています。

 以上のように将来の景気悪化はほぼ確実と見ているだけに、現在の日本の景気の良さは目につきました。例えるならリーマンショック前の2007年辺りを見ているような感じで、今思い出してもあの時代は大きなイノベーションが起こる直前であったこともありますが、不気味な時期であったなと改めて覚えます。1995年くらいもそんな感じでしたが、なんとなく麻薬を嗅ぐような、根拠はないけどなんとなくいい感じに日々が過ぎていく感覚がありました。
 逆を言えば今後の不況期にまた日本でも大きなイノベーションが起こるかもしれません。目下、フィンテックばかり注目されがちですがEVシフトやハイスピードトレイン、あと空飛ぶ車とか色々出ていますが、案外この辺は実用化されたら一気に広まるかもしれません。

 なお空飛ぶ車については個人的に、なんで絨毯から作らないのか疑問に感じています。空飛ぶ絨毯と言ったらドラクエにも出てくる便利なアイテムですが、ドラクエ6では「空飛ぶベッド」という中途半端な乗り物が出てきてストレス溜まりましたが、今思うと「空飛ぶ棺桶」とかだったらもっと楽しめたかと思います。ドラクエと言ったら棺桶なのに、何故出さなかったのだろう(´・ω・`)

2018年10月17日水曜日

帰ってきていきなり……(´Д`)

 昨夜の便でまた日本から上海に帰ってきて、今日は有休消化と一応の態勢立て直しとして会社は休んでいました。なので朝を鬼太郎みたくゆっくり寝てから起床してネットをし始めたところ、最初はすいすい動いてたのにあるタイミングから急にアクセスが途切れました。
 自動的に転送されて表示された情報によると、「ネット料金が支払われてないよ」とのことで、単純に支払い遅れから会戦がストップしていたようでした。何も私が支払いを忘れたってわけではなく、元々部屋のネット料金は大家が支払っていたもので、セパレートされた部屋を賃貸する私はご厚意に預かり無料で使わせてもらっていました。

 ただ昨年、大家が娘夫婦の子育て支援のために娘夫婦の家近くに引っ越し、それまで玄関先で私の住む部屋と分かれる大家の部屋は別の家族への賃貸に出されました。こうした背景から今回、ネット料金の支払いが滞ったわけでした。
 以前ならともかくさすがに今は大家も住んでいないのだし、ネット代くらいは自分で払おうかと一応の状況を大家に伝えたところ、「夜にそっちの部屋に行くから待っててよ」と言われたので素直にネット出来ない環境の下で待ってました。ただ何もしなかったわけじゃなく、プロバイダー側によって強制転送されたサイトの情報を見ていくと、「支払い次第にまた回線を繋ぐよ」と書いてあるのとかを見ていました。

 そこには一応の本人確認として契約者名を入力する欄があり、試しに大家の名前を入力したところ不足料金(なお中国のネット契約は年間料金一括払いが基本)と、その料金をオンライン決済するためのQRコードが表示されていました。大まかな仕組みは見て取れ、恐らくこれをWeChatでスキャンしてそのままスマホ決済すれば接続できそうでしたが、さすがに大家の確認なしに勝手に他人の契約を延長するのは悪いと思って、今回は素直に待ちました。

 そうして待った甲斐あって夜に大家が娘、孫とともに先ほどやってきて、事の状況を説明したところ早速娘さんがアリペイの「公共料金支払い」でぱっぱと1200元(約2万円)を支払い、「これでしばらくすれば回復するよ」と話して去っていきました。なお去る前に大家とは、「さすがに悪いから今後は自分で払うよ(待つの嫌だし(;´・ω・))」と自分から申し出て、大家もそれを承認しました。
 そしたら早速というか、再び回線接続を試したところまたプロバイダーに料金不足通知ページに転送され、そもそもの不足料金は1298元で、まだあと98元(約1600円)不足しているという表示が出てきたので、今度は大家の名前を入力して自分がWeChatで98元支払いました。その後は問題なくまたネット接続が復帰して今に至ります。

 日本から帰国早々、っていうか折角の休日をネットなしで過ごす羽目となった訳ですが、上記のやり取りを見て、日本にいる方はどの点に着目するのかなっていう点で少し気になります。
 ポイントはいくつかあり、列挙すると以下の通りです・

・ネット料金が年払い
・支払いは毎回の口座引き落としではない
・不足、期限満了ごとに料金支払い
・スマホ決済で即支払い、即サービス契約延長
・本人名義さえ確認できれば他人も支払い可能
・中国人は細かく金額を確認しないΣ(゚Д゚)

 やはり一番のポイントは4番目で、いちいち営業所へ行かなくてもサイトに表示されたQRコードを使ってスマホで即支払い可能だっていう点でしょう。またその支払いをシステムが自動で認識し、サービス再開も自動で行っているとみられ、ここら辺を仮にマニュアル作業でやるとなると24時間対応はできない上、そこそこな人件費もかかるんだろうなってことも推測されます。
 ただこうしたやり取りについて私自身も、「やれて当然」と初めから思っており、だからこそ大家にこれからは自分で払おうかとも最初から提案していたわけです。それくらい、近年の中国における決済サービスは異常な発展を遂げています。

 これはネット料金だけでなく電気・ガス代なども同様です。100%とまでいかずとも8割方こうしたネット決済が普及することによって、集金等の決済コストのみならず契約管理コストも社会全体でありえんくらいに節減できるでしょう。また今回の私のように、契約者本人ではなくその近い人間が自分のスマホを使うことによって代わりに支払うことも可能となるわけで、素直に便利な社会になります。
 何も言う必要もないですが、やはりこの点でまだ日本は遅れており、節約手段が存在しながら無駄なコストを支払い続けているのが現状です。私が既にこうした決済が当たり前と思うくらいの社会モデルがあるのだから、もっと必死に追いつこうとする努力くらいは見せてもらいたいものです。

2018年10月14日日曜日

地獄の風景

 最近、「お色気系かと思いきやガチなストーリーが展開される骨のあるRPG」という評判を聞きつけて「クリミナルガールズ」というゲームを購入して遊んでました。このゲームは女の子にお仕置きをして、能力を付けさせながら突き進むというなんやねんとか言いたくなるゲームなのですが、評判の通りに後半はかなり深刻でガチなストーリーが展開され、そこそこ面白かったです。何気に戦闘中のコマンドが、キャラクターがランダムに提案する内容しか選べないという不規則性があり、ゲーム性的にもなかなかよくできた仕組みのRPGです。
 それにしても最近、「閃乱カグラ」といい、色物なゲームばかりやっている気がします。

 話は戻りますが「クリミナルガールズ」はそれぞれ罪を抱えた少女たちとともに地獄を巡って、彼女らに自身の罪と向き合わせていくという内容となっています。その地獄の情景ですが、初めが沼地獄、次が炎地獄、そして氷結地獄とオーソドックスな地獄が続いていきます。そして四番目の地獄ですが、多少ネタバレとなってしまいますが明かしてしまうと、なんと学校そのものが舞台となります。
 実際にゲーム内の少女たちは学校絡みで心に葛藤を抱えているのですが、地獄の情景が学校そのものという演出には素直に舌を巻きました。妙に現実感があるというか、確かにいじめなどを受けた人間からすればこの世の地獄として学校を思い浮かべる人間も少なからずいるのではと感じます。

 恐らく大多数の人間からすれば、中学や高校といった学校は人生の花形、絶頂期として記憶しているかもしれません。しかしその一方で地獄だったと捉える人間もいると私には思え、そう思うと学校とは地獄にも天国にもなりうる舞台とも考えられ、良くも悪くも人の思念を糾合する場所なんだなと思えてきます。
 現実に私も中学高校時代はあまり楽しかったとは思えない側に入ります。学校そのものもそうですが、幸いにも金銭的な苦労こそ経験しなかったものの学校外、具体的には家庭内でも非常に窮屈な時期であり、私もこの世の地獄はどこかと言えば学校はあながちハズレでもない気がします。

 ここで私が何を言いたいのかというと、ある人にとっては天国のような場所でも、ある人にとっては地獄にもなりうるということです。これは学校に限らず職場、集会、サークル、家庭内にも当てはまりますが、天国のような場所としてステレオタイプのように使われる場所は必ずしも誰にとっても天国ではなく、下手したら地獄を想像させることとなるわけです。
 その天国と地獄を分ける基準についてはそれはもう個々人によるとしか言いようがありませんが、こうした天国と地獄が並存する場所というのは間違いなく人間の思い入れが強く持たれる場所であるでしょう。そうした思い入れとかなく機能的に使われる場所、具体的には映画館とかバッティングセンターはごく一部を除き、天国とか地獄になることはないはずです。

 このように考えると天国も地獄も表裏一体のように見えるわけで、なんか人生の教訓めいた話になってきます。最後に言いたいこととしては、このように天国と地獄が同居する場所において、天国の住人と地獄の住人に力関係はあるのか、具体的には地獄の住人がいるからこそ天国の住人は住人となるのかって点です。仮にそのようであれば、そこは現実には地獄そのものなんじゃないのかって気がしてきます。

2018年10月13日土曜日

晩節を汚した日本の偉人

 よく中国史では後継者争いをややこしくしたりなどして、若年期は治世を敷きながら晩節を汚す偉人がよく出てきます。日本でもそういう晩節を汚した例がないかなと先日考えてみたのですが、結論から言うと豊臣秀吉一人しか浮かんできませんでした。
 具体的には甥の秀次処刑、朝鮮出兵による国内疲弊と子飼い武将らの反目増長などなど、往年の勘の冴えはどこに行ったのかと思うほどの迷走を繰り返し、結果的に徳川家康の横取りを許す結果となりました。

 逆に秀吉以外となると、晩節がひどかった人間は大抵若い頃から問題のある人間が多く、老後に突然おかしくなるという人物はあまり浮かんできませんでした。後継者を決められず組織の弱体化を招いたという点では足利幕府8代将軍の義政がいますが、彼の場合はむしろ縁戚関係や有力大名同士の争い、そして何より足利将軍の権威の低さもあるから、一概に彼を責める気にはなりません。

 以前に私はこのブログで、やはり人間は体力以外の勘や判断といった方面の能力にもピーク期間があり、これを過ぎた後は落ち込んでいく一方だと述べました。そしてそれを自覚するならまだしも、短くであれば周囲だけでなく本人にとっても不幸であり、また「前できたんだから今回もできるはず」と言ってはやらかしてしまうなどその影響も大きくなってしまいがちです。
 突き詰めればこの辺のピーク期間の判断は興味の強さである程度判別できると私は考えており、私自身も意図的ではあるものの去年あたりが思考の鋭さではピークを迎えて今現在は既に落ち込み始めていると考えています。

 秀吉の場合もまさに上記の例で、晩年は秀次処刑時にその妻子も残らず処刑するなど当時としても異常な残酷さを見せるようになるなど、やはりいくらか物狂いを見せています。もし自覚できていたのならば一切の政界からその身を退くべきであって、仮に秀吉の晩年の行為がなければその英雄像は今よりもずっと輝いたものになっていたでしょう。
 こう考えると「人間引き際が肝心」とはよく言ったものです。もっとも元阪急で世界の盗塁王だった福本豊氏に言わせれば、「塁に出なけりゃ盗塁もクソもない」だそうで、引く以前に世に出ないと意味がないという意味でこれもこれで金言だと私は思います。

2018年10月12日金曜日

ゲームのナラティブ

王 貞治、長嶋茂雄、田中将大、大谷翔平……球界のレジェンド・野村克也が『パワプロ』各選手&自身の能力データをボヤキながら分析してみた(電ファミニコゲーマー)

 本題とは関係ないですが面白かったのでリンクしときます。

【田中圭一連載:ゼビウス編】ゲーム界に多大な影響をもたらした作品の創造者・遠藤雅伸は、友の死を契機に研究者となった。すべては、日本のゲームのために──【若ゲのいたり】

 で本題はこっちで、大体月一で連載されている田中圭一氏のゲーム業界取材レポート漫画ですが、この回では往年の名作シューティングと名高い「ゼビウス」を制作した遠藤雅伸氏を取材しています。
 このゼビウスですが、私も一応子供の頃にファミコンで遊んだことはあるものの、当時としては古いシューティングゲームだなという印象しか覚えませんでした。ただ当時に育ったゲーム業界関係者はこの取材漫画に限らずみな口を揃えて影響を受けたと話しており、今回のこのインタビューを見て私も少し納得できました。

 詳しくは取材漫画を読んでもらえば早いのですが、遠藤氏はこのゼビウスにおいてゲームとしてはほぼ初めて「陰影」のついた配色を行った他、細かい裏設定を感じさせる仕組みを設けていたようです。現実にこれらはプレイヤーに立体感、そしてゲーム内のストーリーとして認知されていたようで、特にゲームを終わった後も強く印象に残らせる要因となったそうです。
 個人的に面白かったのは後半の下りで、日本人はゲームにナラティブ(ストーリー)を自分で構築して感じることに面白みを感じると言及している箇所でした。ラスボス手前でゲームを辞めてしまう人が10%強もいるということなどを挙げつつ、自分の世界を楽しみたいという欲求をゲームでかなえている点があると指摘してます。

 この点については私も同感するところがあり、正直ゲームのシステムや演出以上にストーリー、没入感を求めており、最近のやたら喋りまくるRPGの主人公とかを見ていると、無口なドラクエの主人公の方がやはり感情移入できたとこの頃よく感じます。
 遠藤氏は現在大学教授をしているだけあってこの辺の下りの説明は、プレイヤーを求道者とたとえたりするなど非常にわかりやすいです。ゲームが面白いのは当たり前で、何故面白いのかを探る上では個人的に参考になりました。

2018年10月10日水曜日

中国の滞在歴

 以前にも書いたかもしれませんが、現在いる会社の所属期間が2年半を超え、現在も私の中で過去最高記録を更新し続けています。逆を言えばこれまでどの会社でも2年半以上持ったことがなく、ほぼ実質2年ごとに転職を繰り返してきていました。
 ただそんな企業在職歴以上に長くなってきているのは、見出しにも掲げた中国の滞在歴です。多少出入りしていますが表にまとめると以下のようになります。

・2005~2006年(1年間、北京留学)
・2011~2013年(2年間、新聞社)
・2014~2015年(2年間、プレス工場)
・2016~現在(もうすぐ3年間、現在の会社)

 見ての通りで、合計では8年間という計算になります。長い人生とは言え8年も中国、しかも上海市に至ってはもう5年くらいほぼ同じところに住んでいるというのは我ながらびっくりです。現実に行く先々で滞在歴を聞かれて「7年以上」と答えると、「もうベテランですね」という答えが返ってきます。
 これまた以前にも書きましたが、中国での暮らしはかつてと比べるとネット環境も整備され、また電子書籍で日本の漫画も買えればPSVitaもダウンロード購入できるようになり、何でもかんでも便利になっています。また都市環境においても、上海市の地下鉄はどんどん新しい路線が出来て、スマホ決済も普及するなどして利便性は増し続けており、また日系スーパーもどんどん出てきていて食材の購入面でも困ることはほぼなくなりました。キッコーマンの醤油はややレアだけど。

 単純に古い中国も見ているということも大きいですが、私にとっては今の中国の暮らしは非常に便利になって不便さを感じることはほぼほぼなくなってきています。そういうこともあるためか、日本に帰国しようとか隠遁しようという気はまだ起きていません。第一、日本人は私に仕事くれないだろうし。
 それでもたまに、最近だと年3回のペースで日本に一時帰国していますが、滞在日数が以前は休みの取れる限界一杯まで設定していたものの、このところは休日がまだあってもやや短く切り上げて中国に戻ることが増えています。理由は何故かというと、滞在すればするほど宿泊費などの滞在費がかかることと、日本にいてやることがなくなってきているからです。

 逆に今思えば、新聞社にいた頃は職場の人手不足と激務から有休を申請するのも根回しが必要なくらいで(いない間のトップ記事を用意するとか)、それでも取れる休日は1日くらいでした。有休制度はもちろん中国にはありますが、あの会社に限っては使用することは暗黙のうちに禁じられていました。まぁ私としても別に文句なかったですが。
 ただそれだけ貴重な休みなだけに、日本帰国時は土日と合わせて実質3日間、限られているとはいえやることがたくさんありました。それはそれで有意義に過ごせたし帰国するという行為にそこそこ至福を感じてましたが、今のように一杯休みが取れるようになるとかえってあの幸福が感じられないというは皮肉なものです。

 ってわけで、これから上海の空港に移動して深夜便で日本に一時帰国です。最近は上海とつなぐ便が増えたんで航空券も安くなってる上、時間も深夜とか選べてほんと便利になったもんです。
 それでも「今度上海に遊びに行くよ」と言ってた友人は、その言葉を発してから2年以上経つのに一度も来てませんが。

2018年10月9日火曜日

ジャイアンツと日本の弱体化要因

 本日、ようやくプロ野球の順位がほぼ確定して、セリーグは巨人が何とか3位に滑り込んでクライマックスシリーズ出場を決めました。とはいえここ数年の巨人は優勝争いに絡むこともなく、今年もBクラス転落もありえただけに、かつての球界の盟主としての姿を思い出すとやはりその弱体化は顕著です。
 高橋由伸監督は今季の責任を取ってコーチ陣ともども退任するとのことですが、不可解な采配と起用を振るう阪神の金本監督ならいざ知らず、高橋監督に関しては正直同情を覚えます。事実上、球団によって現役を引退させられた上に何の準備もなく監督までやらされてしまったからで、成績こそ物足りないものの岡本選手など将来性を感じる選手を見出した点は悪くはなかったはずです。

 話は戻りますが、そもそもなぜ巨人はここまで弱体化したのかと言えばそれは第一に、優秀な選手がメジャーリーグに行くようになったからだと私は考えます。かつての日本のプロ野球において成績を極めた選手が最後に行きつく先は巨人というのがお決まりでしたが、現代においては巨人はおろか、日本の球団を経由せずに直接メジャーリーグに挑戦する選手も珍しくなくなっています。それこそかつてであれば、ダルビッシュ選手、田中まーくん選手、果てには大谷選手もFA権を取ったら巨人に移籍していたかもしれません。

 やはりかつて巨人が強かったのはそうしたブランドがあったからで、他球団の最優秀選手が選手としてではなくそのチームとしての栄誉を得るために巨人へ移籍し、それによって強さを保っていたところがあると思えます。しかし現代においてはさにあらず、やはりやる気と実力を備えた選手はメジャーを目指し、このところ巨人に移籍してくるのは他球団で活躍した外国人選手、またはやや旬の過ぎた元名選手ってのが最近多い気がします。

通年採用へ「過渡期」 就活長期化には懸念も(産経新聞)

 ここで話を変えますが経団連はこのほど、就活シーズンの開始時期についてルールを設けないということを発表しました。これまでも開始時期は一応決めていたものの、ほとんどの企業が横紙破りでどこも守らずに説明会や面接を実際行っていたことを考慮すると、はっきりとルール無用と言明した点は正直で悪くはないのではと私自身も思います。
 ただ今回の開始時期ルール廃止に際して経団連の中西宏明会長の発言について、少し疑問を感じた点があります。それは何かというと、ルール敗死理由の一つに「優秀な人材の採用に当たり外国企業に後れを取る」ということを挙げた点です。

 察しが良ければわかるでしょうが、要は先ほどの巨人と同じだと言いたいわけです。私の目から見ても日本は産業界、学界、政界ともに優秀な人材が不足を通り越して枯渇している状態にありますが、これは日本の教育レベルが落ちたとか人口減とかそういう理由ではなく、優秀な人材が日本企業を目指したり経由せず、直接海外に渡るようになってしまったというのが一番の理由だと考えています。
 具体的には富士通とかその辺を目指さず直接マイクロソフトやグーグル、テスラ、スペースXへの就職を目指すようになり、日本国内にはそうした企業までには及ばないレベルの人材しか残らなくなったとみるしかないでしょう。

 このように考えた場合、就活開始時期ルールを廃止して通年採用としたところで果たして優秀な人材を確保できるかは疑問です。私が思うに優秀な人材は第一に自由に挑戦でき、切磋琢磨し合える環境を求め、第二に高い報酬を目指して動いているように思え、たとえ採用コンタクトが増えたところで、そうした環境や報酬を用意できなければ日系企業に来るとは思えません。
 なんとなくですが、中西会長の発言を見ているとこうした点については十分に承知した上で敢えてああした発言をしたのではないかと私は見ています。その理由についてはご想像にお任せします。

 私自身も現在中国で働いていますが、やはりその動機は日本じゃ自分の才能を発揮できないとはっきり感じたからです。現実に最初入った企業では何も仕事がなく、一週間リアルに椅子に座っているだけということも珍しくありませんでした。その企業だけでなく他にも回った企業も、明らかに不効率なことに対して真剣になり、逆に必要な業務については先送りしたがり放置する光景を見て、こんなとこにいちゃだめだとはっきり認識しました。
 ついでに書くと、もともと自分が志望していたライター業務についてもどこも仕事をくれなかったのは今考えても不思議でしょうがありません。強く出ると、今の自分以上にアクセスの稼げる記事を書けるライターがどれほどいるのかと自分を採用しなかったメディア企業に対して問いたいくらいで、中国で実績も作っていたというのに、なんで自分以下の実力しか持っていない連中に自分は落とされ続けてきたのだろうかと今でも不思議でしょうがありません。

 最後にまとめると、現在の巨人と日本の弱体化はトップ人材が海外に流出しているからというのが私の見方です。私自身はそうしたトップ人材ではないものの、逆を言えば私のような半端な人間ですら日本を出て海外へ働きに行く時代だからこそ、優秀な人材を引き留める、若しくは引き寄せる材料を用意しなければ、採用時期を弄ったところで何も変わらないでしょう。
 具体的は環境と報酬で、初任給もファーウェイの40万円とかにビビってるようじゃお話にはなりません。環境に関しては改めて言うと、私自身は甘くまったりとした職場なんて最初から求めておらず、生きるか死ぬかの戦場を求めて常にさすらってきました。優秀な人材が果たして私のように戦場を求めているかはわかりませんが、こういう価値観の持ち主も少なからずいるのではというのが私の意見です。

2018年10月7日日曜日

死後の渡し守

 先日、電子書籍版が安売りしていたのでダンテの「神曲」を漫画化した本を購入しました。「神曲」は前から読みたかった本なのですが、電子書籍で出て切る文庫はどれも翻訳が古く読むのに難儀しそうだったことからこれまで手を取らずにいました。
 何気に「神曲」に限らず、一部古典は翻訳が古く明治、大正期ベースの和訳しかないものも少なくなく、こうした本を新訳して出すことも重要じゃないかと思います。

 さてダンテの「神曲」ですが、言うまでもなくこれは詩人ダンテの最高傑作であり、且つラテン語の書籍しかなかった当時にあって口語であるトスカーナ語で書かれており、権威からの脱却という点でルネサンスを導いたとも言われる作品です。もっとも、書体以上に当時の人々を唖然とさせたのは、主人公ダンテ(作者本人を主人公にしている)を導く古代の詩人ウェルギリウスをはじめ、古今東西の偉人や聖人、果てには伝承上の悪魔をガンガン登場させ、中にはダンテに恨まれていた当時の実在の人物まで出てきます。この破天荒な内容は現代で見ても結構過激に感じます。

 以上の説明は他の書評でも出ていますが、今回内容を見てみて少し気になったのはカロンという精霊の存在です。

カローン(Wikipedia)

 カロンとはギリシャ神話に出てくる精霊(神の眷属)で、老人の姿をしており、生者の国と死者の国を分かつ川の渡し守です。川を渡る際には渡し賃を要求し、もしこの渡し賃がなければ死んだ後もなかなか死者の国に渡れず川のほとりで長い間待ちぼうけくらわされるそうです。
 「神曲」の中では、ダンテが恋焦がれていたものの早逝したベアトリーチェに会うために支社の国へ渡る際、案内人のウェルギリウスともども「神様の思し召しだから」ということで無賃乗車させています。

 私が何故このカロンに着目したのかというと、日本には奪衣婆がいるからです。

奪衣婆(Wikipedia)

 奪衣婆とは死後に最初に会う、若しくは三途の川のほとりで会うババアの獄吏で、死者の衣服を剥ぎ取り、それを相方(旦那?)の懸衣翁が秤にかけることで死者の業を調べるそうです。
 上記説明はWikipediaを読んで今知った内容ですが、私が元々知っていた内容は三途の川の運賃管理をするババアで、渡し賃の六文銭を持っていなかったら運賃代わりに衣服を引っぺがす、どっちにしろセクハラを厭わないババアという風に聞いていました。

 見ての通りというか、カロンも奪衣婆も日本とイタリアという異なる文化圏でありながら、死者の国と分かつ川の渡し賃を要求する渡し守としてその役割は驚くほど似通っています。こうした神話の近似性についてはユングも指摘しており、人間が本来持っていた概念、若しくはそのように考えてしまう普遍性ゆえのものとしています。ジジイとババアで性別こそ異なっているものの、渡し守という結構細かい役割が共通しており、なおかつペナルティがどっちにも存在しているというのは個人的には興味があります。っていうか死んだら本当にこいつらが居るのかの方が気になる。

 もしかしたら空港の入管ゲートみたいに、渡し守も地域によって担当者が決まっているとか、持ち回りなのかもしれません。持ち回りだとしたら就業者はきっとシルバー人材派遣センターから派遣されているのでしょう。
 あともう一つ気になるのは運賃です。ちょっと前までは真田の旗印でおなじみの六文銭でしたが、現代においては「文」という通貨はなく、日本円に換算したら如何ほどなのかミステリーです。あと最近真面目に現金を出すこと自体が久しくなるほど電子決済かの進んだ中国社会ですが、アリペイとかウィーチャットペイで電子決済も可能なのか、っていうか電波届くのかも気になります。

 馬鹿は死ななきゃ治らないと言いますが、死後の世界は死ななきゃわからないというのはなかなかに不便です。

2018年10月6日土曜日

中国仏寺の意外な掲示物


 連休も終盤ですが、自転車で寧国禅寺というお寺に行ってきました。
 この寺は12世紀の南宋の時代に成立したそうですが、1949年に戦火によって灰となったものの、2007年に再建されたという割と再建の新しいお寺だそうです。実際施設はきれいでした。


 逆光がどうしても消せなかったのですが、三国志に出てくる関羽と関平と周倉の腐れ縁な三人組です。このように三体セットとなっているのはあんま見ないので珍しく感じ、写真に撮りました。


 天井の装飾を含めかなり力が入っています。こうした装飾面では日本とはやや違いがあるものの、お寺の方向性としてはやはり根っこは同じだなと感じます。


 ただそうした仏像や仏閣以上に気になったのはこれです。右上の「财务报表」というのは日本語で「財務諸表」、つまりこのお寺の財務報告書が境内に掲示されていたのです。
 実際見てみるときちんと数字が書いてあり、「寄付金収入」とか「固定資産」、「減価償却費」、「建設仮勘定」などの科目が見られます。法律などで公開が義務付けられているのかもしれませんが、宗教法人(なのかな?)がこうして財務報告書を一般に公開していて素直に驚くとともに、妙に感心しました。

 なお日本の宗教法人は一応、国や自治体にこうした財務報告書を提出する必要はある者の、一般に公開する必要もなければ外部による監査を受ける必要はありません。中には自主的にネットで公開している団体もありますが、隠しているよりかは公開している方がそりゃ世の中の仕組み的にはプラスですし、好感が持てます。

2018年10月5日金曜日

五輪経費の予算オーバーについて

東京五輪、予算大幅オーバーの予感で不満爆発「3兆あったら津波被害者の住宅建てて熊本城復興して有り余るぐらいの保育士雇える」(BLOGOS)
東京五輪への国費投入が「現時点で」予定の7倍増の8011億円に、森会長は「将来の日本のためになるから受け入れろ」(ニコニコニュース)

 既に各所で報じられていますが、東京五輪の予算が膨れ上がっててんてこまいのようです。具体的には国の負担分は予算では1500億円だったのに対し、まだまだ準備が終わっていないにもかかわらず既に8000憶円超にも達していて、東京都の負担分と合わせた最終的な予算も1兆3500億円の予定でしたが、この分だと3兆円を突破しそうな勢いだとのことです。
 ブロゴスの記事でも触れていますが、これだけの金があればかなりいろんなことが出来ます。それこそゴルゴ13の依頼料を仮に5000万円/人とすると、8000憶円あればなんと1万6千人も始末出来ちゃいます。実際には20万ドル/人だけど、計算ややこしいので気にしないでください。

 何もこんな冗談でなくても、ただでさえ今年は災害が頻発してその対策や復旧費用にお金が必要だということを考えると、この経費の膨れ上がり方は如何なものというしかありません。言い方は悪いですが、これまで世間に対し一切公表されなかったことを考えると、「国民の知らないところでいくら金使っても大丈夫」とばかりに、国民はなめられていると言っても過言じゃないと私には思います。
 なお一応言っときますが、海外にいる自分も一応は日本に税金払ってます。年金は払ってないけど。

 恐らく政府や官僚としては裏で勝手に金使ったところで、事後承諾でどうとでもなるという考えがあるのでしょう。極端なことを言えば、東京五輪のためなら他の災害復興費や教育・福祉への投資を無視し、いくら予算オーバーしたって責任を負われない、暴動を起こされないという楽観があると言えるでしょう。私自身としてはこれだけ切り詰めてもあとこれだけ足りないので、という民主的プロセスを経た上での追加予算発動であれば仕方なしと思いますが、さすがに今回のやり口見ているともう完全に国は国民をなめているようにしか見えません。一回くらい暴動起こして担当責任者を数人殺してしまった方が後々のためにはいいのではないかという気すらします。

宝暦治水事件(Wikipedia)

 今回の報道を見て真っ先に思い出したのは上の事件です。藩の反対を押し切って幕府の命で堤防工事をしたものの、経費が予算を大幅に超過したことから工事完了後に責任者の平田靱負は自害しています。
 この堤防は多大な費用が掛かったものの当時の治水に大きく貢献する設備となりました。しかし東京五輪で作られた施設は果たして後の世に貢献するか、そんなものに多大な費用をかけてしまっている現状をどう思うか、何も切腹しろとかそういうつもりはないですが、予算に対するシビアさが国、そして国民にも欠けている気がしてなりません。

2018年10月4日木曜日

「大ウソ」記事が大ウソだった件

住宅用太陽光発電の誤算、「10年で投資回収」は大ウソだった【訂正あり】(ダイヤモンド)

 私は上記の記事を訂正がつく前の段階で読んでてやっぱり太陽光発電は赤字になるんやなぁとか思ってましたが、見てもらえばわかる通りに掲載からすぐに以下の「訂正」が付きました。


【お詫びと訂正】

 2018年9月25日公開の本記事『住宅用太陽光発電の誤算、「10年で投資回収」は大ウソだった』におきまして、太陽光発電の投資回収シミュレーション(試算)に事実誤認がありました。同じ前提による正しい試算では、10年で投資はほぼ回収され、記事の見出しにある「大ウソだった」は覆ることになります。編集過程での確認・検証作業が不十分であったことに起因するミスで、誤解を与えてしまった読者のみなさま、およびご迷惑をおかけした関係者のみなさまに、心よりお詫び申し上げます。

 本記事に関しましては、周知のため本日より10月26日までの1ヵ月間は公開を続け、その後は取り下げさせていただきます。

2018年9月27日
週刊ダイヤモンド編集部
ダイヤモンド・オンライン編集部


 この訂正も掲載後にすぐ読んだのですが……一応言っときますが普段からダイヤモンドの記事をチェックしているわけでなく、気になる内容であっただけに読んだのは偶然です。
 話は戻りますがこの訂正を読んだ際は、個人のライターが書いた記事ならともかくこの特集はダイヤモンド編集部の複数の編集者が関わっていると思う内容なだけに、誰も途中で試算が間違っていることに気が付かなかったのか、ダブルチェックは働かなかったのかという疑問を覚えました


そこ間違ってる!ダイヤモンド『太陽光発電10年で投資回収は大ウソだった』が生む誤解(ソーラーパートナーズ)

 この点というか、ダイヤモンドの記事がどの点で間違っていたのかについて上記のコラムが詳しく解説しています。このコラムを読んだうえで私の見解を述べると、やっぱ計算ミスというよりかは確信犯で、業界団体など各所から不備の指摘や講義を受けたために訂正を出したんじゃないかっていう疑念が強まりました。問題点の具体的な解説は上記リンク先に任せますが、やはり意図的とした思えないような不自然な間違え方をしている上、反省点についても支離滅裂すぎる返答の仕方というのがその判断理由です。

 この記事について私の友人は、週刊誌とかならともかく経済誌でこのミスはいただけないと言っており、私も同感です。やはり経済誌ともなるとライターも数字に強いことが求められ、その辺がやはりこの記事には不足しているように感じます。
 この数字への強さですが、単純に企業の業績や原価計算などをどれだけみて、実際に係るかで鍛えられていきます。桁が多ければいいというものじゃないですが、四則計算をどれだけ複雑なものを単純に捉えなおせるかという能力だと私は考えており、自分もこの方面はあまり強くないだけに他山の石としたいところです。

2018年10月2日火曜日

日常いろいろ

 中国では昨日から国慶節(建国記念日)の休暇のため一週間の長いお休みの最中です。なお無理くり一週間のお休みとするため、先週は土日が出勤日となり、この二日間の休みが今回の連休に振り替えられています。この辺、未だによくわからない中国の習慣です。

 今回はたまたまですが連休前の一週間は周りも有休消化して出社せず、仕事らしい仕事がなかったのでひたすら業務用資料作りに勤しんでおり、具体的にはWordの原稿用紙800枚分のテキストファイルを分類ごとにExcelに整理していました。楽しい作業でしたが常に左手をCtrl+X, C or Vにおいて固定し、右手はマウスをひっきりなしに動かしていたせいか、昨日は激しい頭痛にやられなんか右半身の感覚が弱く自転車を停めようとしたら倒したりなどと、疲労が一気に来たような感じでした。この原稿もさっきから、異様にミスタイプが多いし。

Meizu 15のスペック・性能(teleklist)

 そんな不安定な状態ながら昨日は携帯電話ショップに行って、上記のMeizu(魅族)の「Meizu 15」というスマホを買ってきました。なんでこんなの買ったのかというと自分の人生にしては珍しく先日ボーナスが出たのと、これまで使ってきた「Meizu M5」は購入の時点で型落ちだったため最近は動作も遅くなってきていたからです。まぁ電池の持ちは相変わらずよかったけど。
 そこで前々から新しいスマホの購入を検討しており、今回店で店員に聞きながら小さいサイズのと聞いたらこれを勧められ、上記リンク先では2,499元(約41,000円)と書かれていますが、値下げされたのか1,999元(33,000円)でハンマープライスしました。これまで600元くらいの安いのばっか買ってきましたが、ここのスマホにはこれまでお世話になっていたこともあり今回はやや高めのモデルを買ったことにはあまり後悔はありません。

 スマホの性能についてはまだ買って二日目なので何とも言えませんが、今のところは特に不満はなく、顔認証センサーもこんなん使えるんかいなと思いながらも使ってみたらロック外すのがスムーズで意外に使えます。私は日本では携帯電話(ガラケー)にロックをかけたことはありませんでしたが、中国だとスマホ決済が非常に多いこともあってか心配になってロックをつけるようになりました。
 なお顔認証センサーについては、デーモン閣下はどっちの顔で認証させているのかちょっと気になります。骨格とかで見るからどっちの顔でもいいとは思うけど。

 そんなスマホ買って頭痛に悩まされた翌日の今日はやや頭が重いものの大分症状は改善し、朝一で昨日スマホ買った店に行って「保護膜もっと薄いのない?(めっちゃ分厚い)」かと聞いたら「分厚い分画面守るのにいいよ。そのスマホ自体、枠細いし」と説得されて納得し、次のニトリに行く間にバイクの兄ちゃんから「お前の自転車、めっちゃ速いな。いくらくらいしたの?」と走りながら聞かれて会話してました。

 そうしてついたニトリでは、折角ボーナス入ったんだしパソコン用の椅子を新調しようかと思って改めていろいろ見て回りました。今現在使っている椅子は300元で買った割としっかりした革張りの椅子ですが、座面の奥行きが長く背もたれに背中がしっかり当たらず、クッションを背中において固定したりしているのですが、割とパソコン向かっている時間長いしちゃんと体に合ったのを買おうかと前からこちらも検討していました。
 そこで改めていろんな椅子、メッシュだとダニに咬まれるので革張り限定であれこれ探してみましたが、改めていろいろ見てみるとそこまで座面に差がないというか、結局キーボードを打つ溜めに前のめりな姿勢にすると背中が背もたれから離れるということに気が付きました。

 思いっきり背もたれに体を預けるならともかく、私のようにキーボードを四六時中叩く人間からするとこうしたオフィスチェアの背もたれなんてあってないようなもんです。また、私特有の問題ですが変に背筋がまっすぐ伸びて全く猫背にならないため、普通の人と比べても背もたれから離れやすいということに気が付きました。むしろそうした点を考慮すると、作業中に背中が背もたれにつくような椅子は背もたれ角度が90度直角なパイプ椅子くらいしか正直ありません。
 それであれば今の椅子で背中にクッションを挟んだ方が余計な出費もゴミも出ずいいかと考え直し、結局何も買わずに帰りました。帰った後、今使っているバナナ型のクッションからへこんでしまってもう使わなくなった枕を背もたれにあててみましたが、意外とこちらも悪くなく、やはり椅子というか自分の姿勢がおかしいんだなということに納得し、改めて無駄な買い物せずに済んでホッとしました。

 ちなみに前回の椅子購入時にも少し書いていますが、こちらで家具を買う際はいつも非常に悩みます。というのも現地採用の立場である私からすればいつ仕事なくして中国を去るかもわからない上に、中国の事情から今住んでいる賃貸の部屋も状況によってはすぐに出ていかなくてはなりません。一応こっちにも引っ越し業者はありますが、やや不安定な立場から耐久消費財を買う場合は将来的にどうなるかって点で非常に悩ましいところです。
 何気にそうした関係からか電子レンジは未だに持っていません。そのかわり今の部屋の中には戦闘機のプラモが所狭しと置かれており、この前泊まりに来た中国人の友人にも、

「どや、こいつが中国の最新鋭やで」
「(J-20を見て)でかっ(;゚Д゚)」

 ってわけわかんない自慢してました。
 さて、明日は真面目に仕事しよ。今日の午後は地球防衛軍やり過ぎた……。

2018年9月30日日曜日

幕張の風

 今日ようやく西武が優勝を決めましたが、シーズン終盤とあって個人タイトル争いも激しくなっています。中でもセリーグのホームラン王の座は広島の丸選手と横浜の筒香選手のデッドヒートが激しく毎日楽しみにしながら眺めています。

 贔屓にチームについてですが、私自身は千葉県出身で尚且つ通っていた学校が千葉ロッテのホーム球場がある幕張市内にあったのですが、実のところあんまロッテは好きじゃなくパリーグならソフトバンクと、最近パワプロで使っていて好きになってきたオリックスを贔屓にしてます。ここだけの話、どうせ平日夜の試合なんてガラガラなんだから、ファン層拡大のために地元の中高生を無料で招待すりゃいいってのに。
 そんなロッテなためあんま試合とか選手についてもチェックしていないのですが、実は一人だけ注目している人がいます。

荻野貴司(ニコニコ大百科)

 このロッテの荻野選手をなんで注目しているのかというと、ルーキーイヤーの活躍が目に焼き付いたからです。とにもかくにも異常に足が速く、内野安打やセーフティバントはお手の物、塁に出れば高い確率で盗塁を決め、シーズンも序盤ながら物凄い盗塁数を記録してこりゃ盗塁王も間違いなしだと当時思っていました。
 ……思っていました。

 結論を言えば取れませんでした。何故かというとシーズン途中で怪我して試合に出なくなったからです。しかもこのパターン、一年目だけじゃなくその後も毎年で、春先に活躍したかと思えば夏になる前にはいなくなることからついたあだ名は「幕張の風」で、上記リンク先でも「千葉に球春を告げる妖精ではないかと言われている」とまで書かれています。あながち、間違っていない。

荻野貴選手の検査結果について(千葉ロッテマリーンズ)

 今年も例によって七月に戦線を離脱しています。
 ポテンシャルに関しては間違いなく一級品なのですがほぼ毎年例外なくどこかしら怪我して、しかも骨折など手術を伴うなどかなりの重症レベルの怪我を追い、満足にシーズンを出場し続けることがほとんどありません。2017年に限っては102試合出場しているのですが、その翌年の今年が上記の通りですし……。

 かつて横浜には「多村仁」という、写真撮影中にジャンプして捻挫、握手のし過ぎで炎症、ヒットで塁に出た後で謎の発熱によって交代など訳の分からないレベルで怪我が多くその虚弱体質ぶりから「スペランカー」と呼ばれた名選手がいましたが、この荻野選手も早くも「二代目スペランカー」という異名が付き始めています。
 逆を言えばそれだけ高いポテンシャルを秘めていると認められていることであり、私としてもぜひともシーズンを万全に全うして個人記録などを樹立してもらいたいと祈っています。

 ちょっと本題とずれるかもしれませんが、先日引退を発表するとともに1000試合出場を達成した中日の岩瀬選手ですが、ストッパーとして間違いなく一級レベルの実力者であることは間違いないものの、瞬間風速的なストッパーとしての凄みであれば私の中ではかつての大魔神佐々木や、阪神の藤川投手、西武時代の豊田元選手らの方が、ボールに全くバットが触れないという点で上あったと記憶します。
 しかし岩瀬選手の場合、怪我らしい怪我もせず長年にかけてたくさんの試合数に登板し、恐ろしい成績を上げていきました。ことストッパーという意味では間違いなく現時点で岩瀬選手が日本プロ野球史上ナンバーワンと言えますが、それはやはり怪我せず万全の状態で出場し続けたからこその勲章でしょう。はっきり言って中日は全球団の中で最も嫌いな球団ですが、岩瀬選手の功績については何も文句なく、素直に偉大だと感じる次第です。

 っていうか背番号が「13」だから「死神」っていうあだ名が妙にツボにはまってますが。

2018年9月28日金曜日

マスコミの「忖度」

 昨日もブログの更新サボりましたが何もずっとゲームしてたわけじゃなく、帰宅してからずっとメール打ち返したり、データ作成したりとあれこれプライベートでの作業を遂行していたからで、このところなんか忙しいです。以前はそうでもなかったですがJBpressで書くようになってからは普通のサラリーマンにしては働く量が明らかに多い方へと回り、意外と自分もワーカーホリックな気があるとこのところ感じます。
 まぁ企業居点のデータを作ったという事実だけでも、気違いレベルで作業に没頭するという証明としては十分ですが。このブログもなんだかんだ言いながらずっと書いてるし。

モス食中毒は静観!?マック異物混入は叩いたマスコミ「豹変」の理由(ダイヤモンド)

 さても本題ですが、一時期はその記事の悪さを散々批判していたダイヤモンドですが、このところは改善されつつあるというか目を見張る記事がよく見られるようになりました。やや古いですが上記の記事もその一つで、食中毒事件を起こしたモスバーガーについて、明らかにそれより問題のレベルとしては低かったマクドナルドの異物混入事件の方がマスコミによって執拗に叩かれたということを多角度的にわかりやすく解説しています。
 基本的にこの記事の見方に対し私も同感で、モスバーガーはその問題性や対応に対して何故かマスコミは静観し過ぎていると感じており、マクドナルドの時との温度差については正直少し怖さを感じるほどです。一体何故この温度差が生まれたのかというと、窪田氏が指摘している通りマクドナルドの時は「叩きやすいノリ」だったから、いわばそんな空気だったからというのでほぼ間違いないと思います。

 ちょうどタイミングがいいというか本日、三菱電機で過労死もとい過労自殺が起きていたが国のガサ入れが入るまで三菱電機側は黙って報告せず、対策も怠っていたことが報じられました。これも2年前に話題になった電通社員の過労自殺事件と比べるとマスコミの反応には差があり、この差は何かというとやはりノリ、あと報道する相手ってのもあると私は見ています。
 あの時はオリンピック承知の裏金問題、並びに働き方改革のムードを作ろうとしていた政府の意向もあってか、明らかに国が電通に対して通常とは異なるくらい厳しい態度を取っていました。そんな国のやる気をみてか、普段ならば電通の不祥事には目を瞑るマスコミもあの時ばかりは、普段いいようにやられている反発もあってか、国と一緒になって電通を叩くだけ叩く報道に出ました。

 一方、今回の三菱電機の件は電通同様に敵にするといろいろ面倒な三菱グループで、尚且つあの時のようなムードもなかったことからマスコミの報道もやや大人しめです。自分の口からはっきり言えば、大手企業だと叩ける時と叩けない時ってのがはっきりあり、叩ける時であれば不確かな事実であってもその企業に不利な報道を流してもなんとなく許されちゃったりします。具体的にはオリンパスやシャープの報道で、不祥事の有ったオリンパスについてはその体質について、業績低迷していたシャープについてはその理由について好き放題に書けて報じることが出来ました。
 もしその時になされた報道が両社ともに絶好調の時に報じられていた、会社側から下手すりゃ訴えられたり、そこまでいかなくても抗議や修正、訂正報道を出すよう要求されていた可能性があります。

 また企業不祥事と言っても大手企業とかだとやっぱり目を瞑られます、このところすっかり日本語として定着した「忖度」という言葉ですが、こうした企業報道におけるマスコミの態度ほど忖度が動く現場も実はそんなにはないと私自身考えています。
 なので自分が、実際にはあんまないけどこの手の報道をする際は、叩かれている会社についてはあんま必要以上に且つ感情的に叩かないよう注意し、逆に問題がありながらあまり叩かれていない企業については意識的に割ときつめな表現を使って批判するようにしています。人材派遣企業の時なんかが後者のパターンです。

 こうするからどうなるかってわけじゃないですが、報道を目にする人間を考慮するとこうした形での報じ方の方がバランス的にはマシだと考えるからです。無論、どちらのケースでも根拠のない報道に関しては絶対しないよう注意してます。

2018年9月27日木曜日

中国報道に関する偏見

いつの間にか空が青いんだけど本当にここは中国?(JBpress)

 最初でこそ恥ずかしいような誇らしいような自分の書いた記事へのリンク付けですが、今じゃ何とも思わなくなり他人事みたいな感じでリンクつけるようになりました。著作権としては自分にあるんだし、もっと偉そうにしてもいい気もするし。

 さて今回出した記事ですが、実は書き上げたのは一ヶ月以上前で、他の記事を優先して出していたことから掲載が先延ばしにされてました。なので今日掲載されることもすっかり忘れてて、MSN「中国の青空……」っていう見出しのリンク見てなんやろと思って開けたら自分の記事が開き、「あっ、今日掲載やったか」とそこで気が付きました。
 この記事はその前の自動車関連記事で精魂尽き果てていたこともあり、「なるべく楽で、手軽に、日本人の関心ある話題」ということでPM2.5で行くことにして、青空の写真さえあればそれだけで記事が成り立つだろうと、如何に手抜きするかという目的で書いたものです。実際、書き上げるのはすっごい楽でした。

 ただそのまま書いても芸がないと思ったので、記事中にも触れていますが北京市環境保護局のデータは作為、つまりデータを弄ってる可能性があると一応釘を刺すことにしました。何気にこの記事の裏テーマとしては、どのようなデータだと改竄の可能性があるのかという見分けどころで、具体的には、「グラフにしたら振幅が激しくなる」、「目標値ギリギリ越え」の二点です。今回のケースは小数点第一位の切り上げというわかりやすいことやってくれているのもあって、説得力もつくためわざわざ触れました。でもって文字数的にもちょうどいい塩梅となったし。

 そんなわけでそこまで思い入れがあるわけでもなく、「ああでたの……」って感じで他の記事と比べても高揚感とかも少なかったのですが、ヤフコメ見てるとこっちが意外に思うくらい、「確かにこのところ空気きれいになってる」という、中国に来たことある人たちのコメントが多く乗ってました。
 一方で使った写真について「合成だ」とか、「天気のいい日を狙ったに違いない」などという予想していたコメントも多く見え、例の如く私への人格批判もいつも通り見えました。

 ただ今回はやっぱいつもと違うのは、直接現場を見ているか否かというポイントがあり、中国に来たこともないのに記事内容を激しく否定するコメントには逆に辛辣なコメントが付けられてて、なんかいつもとちゃうなと感じました。特に面白かったのは下のコメントです。


fac*****

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たまたま空気が綺麗な日に撮っただけだと思う。
PM2.5の情報を見てれば子供でも騙されないはず。
実際、今年の7~8月頃にも空が異常にどんよりして夕焼けがぜんぜん赤くならないという、PM2.5特有の空の日が何度かあって、情報で確かめたらやっぱり日本まで来てる日だった。
最近あまりニュースにならなくなりましたが、皆さんちゃんと情報見ないといけませんよ。

 読めばわかる通りに実際に現場は一切見ておらず、妄想をベースに「情報で確かめたらやっぱり日本まで来てる日だった。」と言い切ってます。このコメントについてはたくさん返信が付けられており、

>旅行でいったけど、日本と変わらなかった。
>妄想で結論を言うやつで失笑
>先入観に囚われただけの人。自分の目で見てきて下さい
>もし仮に改善されていなかったとしても、今年は高気圧が異常に居座っていたから、日本にはあまり影響が無かったと思うのだが。九州人としての感想だけど。
>主さんの頭の中には、中国は5年前、いや10年前のイメージだった?

 という具合に、他のコメントと比してもなんかやたらフルボッコに叩かれてました。まぁ叩かれても仕方ない内容だと私も思いますが。これに限らなくてもなんか私の記事内容を否定するためにあれこれ理由つけたりする人が多いですが、ケチを付けようとするあまり文意、下手すりゃ単語レベルで読み間違えを犯したり、記事内容とは関係ない内容を引っ張り出したり、とにかく私の人格を批判したりなど、こうしたコメントにはなんかひたすらに必死な様子が見られ、最近は滑稽に見えるようになりました。
 真面目に否定しなければ息できないくらいの必死さで、ちょっと言い過ぎかもしれませんがなんかそんな劣等感抱えながら生きてて楽しいのという風にすら見えてきます。

 まぁそうした必死なコメントはどうでもいいのですが、実は今回のヤフコメの中で一目で心が大きく動いたものがありました。そのコメントは以下のものです。


素振りをする素振り

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中国関連の記事は親中の筆者の印象操作か反中の筆者の印象操作かどちらかに見られちゃうからね
そう見られちゃうと記事として意味をなさなくなる

この記事も

主観的な事実
データ提示
データの信憑性への懐疑
立場表明

という注意深い段階を踏んで読後にバイアス無しに「中国もまあまあ改善してるんだな」という感想が残るように計算されてる
改善されてるのは実態に近いと思うけどね

 誇張ではなく、我が意を得たりと思うコメントでした。
 実際にこのコメントの通りに私は今回の記事で自分の主観。指標データ、データの信頼性、改めての結論、という四段階で記事を構成しており、主観を交えつつも客観的に状況を見た上で、読者に読後の判断や感想を委ねる内容を目指して書いていました。しかしこれだけ慎重な構成をしながらも上記コメントのように変な妄想する人も見られ、その点についてこのコメント主さんの書かれている通り、中国関連記事はどうしても親中、反中の印象操作と受け取られてしまう傾向があります。

 はっきり書くと、どれだけ客観的なデータで事実を示したとしてもデータの捏造や改竄を疑われ、主観が入り過ぎないように中立的な姿勢を強調したら中国を侮蔑していると言われ、どうあがいても中国報道は二律背反的に双方から批判を受けやすいです
 無論、こうした見方をするのは少数派で、厳しい言い方をすれば事実や現実よりも空想の方を信じる輩です。何故こう断言できるのかというと、こうした輩は反証データを出さない、データを出すにしても割とお門違いなものを出してくるからです。今回の記事だって、しっかりデータを追えば反証することは可能なのに、誰一人そのデータに到達できていません。これだと折角脇を空けてあげた私の立場がないってもんでしょう。

 話は戻りますが、普段こうして中国関連の報道に立つ私からして上記のコメントは自分が常日頃感じていることを実に的確に言い表しており、また今回の記事構成と狙いについても完璧に言い当てており、これほどまで理解してくれて素直に感動を受けました。真面目にこのコメント主さんにはラーメン一杯くらいおごってあげたいと思うくらい感謝しています。
 最初にも書いた通りに今回の記事はそれほど思い入れのない記事でした、上記コメントを得られただけでも書いた甲斐がありました。

2018年9月25日火曜日

90年代の秋葉原電器小売各店のCM

 今日何気なく読んだ記事で、「最近の若い子には『素敵なサムシング』は通用しない」という文言が引っかかりました。



 「素敵なサムシング」とは何のことかというと、かつて秋葉原に存在した電器店「サトームセン」のCMで使われたフレーズです。長期にわたり同じCM映像が使われたことに加え、割と耳に残る音楽と歌詞から、私と近い年齢で関東圏で育った人間なら誰もが、上記のCMをはっきり覚えていることでしょう。
 もっともこのCMは関東圏でしか放映されなかったことから、何も最近の若い子に限らずとも、関東圏以外に住み続けている人であれば大人も子供もおねーさんもこのCMを知らないのが現実です。

 何気に私は大学進学で関西へ渡った際、「そうだ、京都へ行こう」のキャッチコピーをみんな知らなかったという事実にマジビビりました。っていうかJR東海は、「せや、東京いったろ」ってキャッチコピーも流行らせるべきだったでしょう。まぁ「よっしゃ、東京で暴れたろ」でもいいけどさ。

 話は戻りますがこのサトームセンは時代の流れに抗えず、2000年代に事実上破綻して、今やこの名を冠する店舗は存在しません。何もサトームセンの経営が悪かったというわけではなく、これは完全に時代の流れによるもので、このほかにも秋葉原にあった電器小売店は悉く消滅しています。



 こっちは石丸電気のです。こちらも「いしまるまるまる~」というフレーズが耳に残るCMで私にとっては非常に懐かしさを覚えます。先ほどのサトームセンはヤマダ電機に、石丸電気はエディオンに吸収されていたようです。



 他のライバルが悉く消えていった中、未だに現役で秋葉原で営業を続けているのがこのオノデンです。このCMも長期にわたり放映され続けたのですが、肝心のオノデンはそれほど店舗を拡大展開せず秋葉原で地道に営業していたので、「CMはよく見るけど一度も入ったことがないお店」というのがちっちゃい頃の私の印象です。
 逆を言えば余計な拡大戦略を取らなかったことから生き残ったとも言えるでしょう。なお2011年、いろいろ中国で苦しい時期にあった私は夏に一時帰国して、このオノデンで割とコスパのいいNECのLavieシリーズのノーパソを購入しました。この時に私はこのCMを思い出して、「ついにオノデンで買い物したぞ」と内心思ってました。





 こちらの二つは勝ち組というか、今も絶賛営業を続けているヨドバシカメラとビックカメラです。どっちもやっぱり記憶に残りやすい音楽とCM構成ですが、どちらかと言えばやはり「まあるい緑の山手線♪」で始まるヨドバシカメラの方に軍配が挙がるでしょう。覚えやすい歌詞に交通アクセスを上手く乗せて歌い上げるこのCMソングは日本の歴代CMの中でも特別優れたものだと個人的には考えています。
 それにしてもこうして改めて並べてみると、90年代の秋葉原電器小売店はみんな記憶に残るいいCMをよく作ってたんだなぁと思います。子供の頃の思い出補正も入ってるかもしれませんが、やはりどれも一目で記憶に残る内容で、またそれとなく時代背景を反映していていい映像だと感じます。

 なお本当はもう一つ、現在も中国資本下で営業を続けているラオックスのCMも入れるつもりだったのですが、時期的には94か95年の頃の、真っ白な背景のまま何も映像も音も出さず、終わり間際に「らーおーーっくすー!」って叫ぶ子供ながら非常に不快なCMの動画が見当たらなかったので見送りました。確かに名前は覚えたけど、ラオックスが電器小売店ということすらわからない内容で見ていて、っていうか音が突然途切れるから見ていなくてもテレビに目が向くこのCMはずっとムカついてました。

  おまけ
 何故か学生の頃、サトームセンのCMの冒頭で聞こえる「アォ!」って声を再現したくなり、一時期下宿の中とか外で自転車こいでいる最中によく「アォ!」って声出して練習していました。けど周りはみんな関西の学生で何の音の物真似か通じるわけもなく、なんとなく限界を悟っていつしかやらなくなりました。そもそもやろうと思った時点で何かおかしい気がしますが。

2018年9月24日月曜日

車のプラモ作って、記事書いて



 今日は日本同様に中国も中秋節のためこの週末は三連休でした。ただ金曜に世話をしている中国人の友人が上海にきたので泊めてあげて、翌日は恐らく気候が安定してきたこともあってかなんか急に疲れがどっと出て一日中夢うつつとなり、仕事しようと思っても全く進まずパワプロでオリックス優勝させていました(三連覇)。
 明けて昨日日曜日は、本当は原稿書かなきゃいけないのに現実逃避から前もって買っておいたR34のプラモを組み立て始め、2000年代に作られたプラモなだけあって組みやすく約3時間で組み終わりました。組み終わった時刻は13時でしたが、それからようやく昼ご飯食べに行く始末でした。

 最後の憂いというか言い訳が解消されたこともあって2時ごろから仕方なくパソコンに向かい、それから夕食の時間を抜いて夜10時くらいまで延々と原稿執筆、もとい資料整理に取り組んでいました。こちらの原稿は次々回のJBpressに使うもので、内容はまた自動車業界に関する内容です。せっかくR34を作ったんだから如何にしてこの車が現在日本で最もプレミア化が進んでいるかについても書きたかったのですが、テーマが異なることから今回は見送りました。
 っていうか一回くらいはそういうネタの記事書いてもいいかもしれません。前にも書いた、二系メーカー同士のパクリカーを紹介するなど。

 この原稿は本日午前の仕上げ作業を持ってようやく完成しましたが、資料自体はあらかじめ探して置いたものの、記事構成の関係から大半が使えなくなった一方で新たに必要となる資料が出てきたためそこそこ手間取りました。

 これはJBpressの編集長にもかつて話した内容ですが、極端な話、経済記事はグラフさえあればテキストはいらないと考えています。グラフからどんな内容を読み取るかは読者次第であり、テキストによる解説があった方が親切ではあるものの、グラフだけで必要な内容がすべて伝わるような記事が理想的です。
 そういう意味では経済記事はデータこと数字があってなんぼであり、数字のない経済記事なんて何の価値もないと内心考えています。経営者が今後の方針を語るインタビュー記事などありますが、言ったことをきちんとやるのか、やっているのかなんて保証がない分(現実にはほとんどやってないと思うし)、聞くだけ無駄だと内心思います。やはりそうした経営方針についても具体的な数字、目標売上高とか具体的な商品名、販売数、従来データなどを聞き出して書くべきでしょう。

 然るに、日本の経済記事はこの手のインタビュー系がやはり多いように感じます。もちろん全否定するつもりはなく中には数字がなくとも消費者の嗜好動向など参考になるのも少なくありませんが、もっと数字を使ったグラフを活用すべきだと日々感じます。そうした反発もあって私が書く記事に関してはやたらグラフを多用する傾向があり、今回も使わなかったグラフを含めると6個くらいExcelで書きましたが、どうして日本のメディアはこうしたデータを使わないのかあきれる以前にもはや不思議です。今回私が使ったデータもそんな珍しいものではないのですが、データ内容で検索すると変なシンクタンクが有料でしか公開しておらず、なんやねんこの情報不足な領域はと、つい中国と比較して思ってしまいます。

2018年9月20日木曜日

中国には存在しないもの

 最近、やっぱり中国ネタはJBpressで展開することが多くブログで書いていないので今日はこっちで書くことにします。なおJBpressは自分の歴史記事を読んで自分にアプローチをかけたそうですが、その際に「中国ネタと歴史ネタどっちで行く?」と私から尋ねたところ中国ネタを要望されたので中国ネタを中心にコラム書いてます。
 ただ中国ネタしか書けないと思われるのが嫌なので今年は歴史ネタを強化したのですが、もう十分自分の実力は証明したと思うので、また別のジャンル挑戦しようかなと画策中です。漫画・ゲームネタはさすがにやるわけにもいかないし、比較的現代の政治事件批評とかかな。

 話は本題に入りますが、日本ではごく一般的なのに何故か中国には影も形も全く存在しないものがあります。もったいぶらずに語るとそれはなんとガムテープで、マジで不思議でしょうがないのですが中国にはありません。
 そのため荷物を梱包するダンボールにはビニールテープ、敢えて言えばガムテープ幅のセロハンテープを使うのですが、これがまた切りにくいし、切った後も切断箇所が見えづらくて再使用する際にはいっつも手間取ります。また剥がす際も変に粘着力が強い上に破り辛く、引き剥がした後も変に強靭な素材ゆえかゴミとしてもガムテープと比べると鬱陶しいです。

 なおダンボールに関しては基本と日本と差はなく、このところのネット通販の発達もあって段ボールメーカーはどこも景気がよさそうです。何気に前に住んでた昆山には日系の段ボールメーカーも多くて遠目にも羽振りよさそうでした。

 ダンボールは日本と変わらないのに、何故ガムテープはないのか。何気に一時期メーカーでくっそ思い鉄鋼部品の梱包とかやらされてたのでわかりますが、いざガムテープがないとほんと梱包って大変です。やはりガムテープの長所としては切りやすい、剥がしやすい且つ粘着力が必要十分ってところで、セロハンテープと比べると雲泥の差があります。また梱包に限らぐ家庭でも大活躍するというのに、どうしてこんな便利なものを中国は使わないのかいろいろと納得のいかない点が多すぎて困ります。

 ちなみにガムテープが存在しないことを改めて認識しなおしたところ、「これじゃガムテープデスマッチはできないじゃん(;゚Д゚)」って思いました。

 ガムテープデスマッチとは読んで字の如く、片手と車のハンドルをガムテープで固定してダウンヒルで早さを競い合うモータースポーツのことです。片手の位置が固定されることからハンドルの回転量も制限され、必然的にカーブでは思い切ったドリフト走行が求められる上、一歩間違えたら姿勢の修正が効かないこともありクラッシュで決着がつくことも珍しくありません。
 カーブでドリフト走行が要求されることから、駆動方式としては圧倒的にFFが有利(アクセル操作で姿勢制御が可能)で、逆に挙動が不安定となりやすいFRやMRだと死にに行くようなもんです。なおアニメ「頭文字D」の15話におけるこのガムテープデスマッチ決着時における挿入歌が入るタイミングは神がかっており、自分はこのシーンを見たことでこの作品に一挙にハマりました。

2018年9月19日水曜日

世界一高い料金で世界最低のサービスな日本の携帯電話

携帯料金、東京が「世界最高」…パリの4・2倍(読売新聞)

 一読してさもありなんと正直思います。
 この件に関しては過去にJBpressでも中国の携帯電話料金を比較してかなり大きな物議をかもしており、どうもそれ以来「花園祐 反日or左翼」ってワードを見るようになりましたが、見出しにも掲げた通り日本のユーザーは世界一高い料金を支払って世界最低のサービスを通信キャリアから受けている気がします。

 かくいう私も一応ウィルコム(現Yモバイル)のPHSを現在も契約し続けて日本帰国時に使っています。料金は大体月1500円なので、帰国してすぐ電話が使えるという利便性から年間通話時間が10分にも満たないにもかかわらず契約を維持してきましたが、近々サービスが打ち切られることとなり、代替策を検討しなくてはならなくなりました。
 実際に前回5月の帰国時、知人から勧められたプリペイド携帯を検討してYモバイルに聞きに行きました。知人が過去に契約したプリペイド携帯は年に一回料金をチャージすれば使い切らない限り使えたとのことでこれならと思っていたのですが、どうもこうした契約はなくなっており、代わりにあったのは確か3ヶ月ごとに料金チャージしないと問答無用で使えなくなり、またチャージした料金は3ヶ月後にはゼロにされて期間を継続して使えないという、実質3ヶ月毎に料金を支払わなければならないという誰得なプランになっていました。しかもその料金支払いも携帯ショップ行かないとできず、「中国ならネット決済一択なのにそれすらもできないのか(´・ω・`)」という点で呆れました。

 しょうがないので次回帰国時にはどっかのMVNOでSimカードだけもらおうかと考えています。これなら月々の基本使用料を千円台に抑えられるし、また余っている、且つ日本のやつより優秀なスマホがたくさんあるし、何なら今中国で使っているデュアルSimのスマホも流用出来ます。
 このように考えると未だに端末を紐づけて売る日本の携帯電話市場は、端末それ自体はガラパゴス携帯という単語が死語になるなど絶滅したにもかかわらず、市場は未だガラパゴスなままというかつて以上に歪になってしまっていると思えてきます。

 っていうか今度辺り新しいスマホ買おう。真面目に中国のスマホはブランドにこだわらなければ安くていいのが買えます。

東京五輪ボランティアの謝礼にみるデフレ

東京五輪・ボランティアに一日千円支給(痛いニュース)

 上記のリンク先記事は今日ニュースでも出ていたので知っている人も多いかと思います。やはりネット上の反応は批判が多いというか呆れたという声が多いようです。かねてから東京五輪ボランティアに交通費の実費支給すらしないことに批判が集まっていましたが、そうした批判にこたえるかのように今回打ち出された1日につき千円のクオカード支給という斜め上なこの対応は、自分もなんやねんと思う内容です。

 今日改めて上のリンク先の反応を見ていて、国もこんな調子だから賃上げも起きないし、デフレも続いてんじゃないかと思えてきました。現在、政府はアベノミクスを声高に叫んでは企業に賃上げするよう求めていますが、その国と都が交通費や食事代といった最低限の経費支給すら行わず、見るからに安く済ませようと1日千円、それも現金ではなくクオカードで配るあたり、賃上げなんて起きるわけないでしょう。逆に本気でデフレを解消させようってんなら、このところ選挙のたびに現金配るくらいならこの東京五輪ボランティアに対して経費別途支給の上に1日1万円くらい配った方がずっと有意義な気がします。
 この点は私が確認する限りはまだ誰も指摘していないように思えるのですが、逆を言えば海外にいる私だからこそ気づいたのかもしれません。ややきつい言い方になりますが、日本人はすっかりデフレが当たり前で目の前の賃金関連事項についてもいまいち反応が鈍いデフレ脳なのではと少し思うところがあります。

 ついでにかくと折角総裁選やってるんだから石破氏もこうした五輪ボランティアの謝礼問題や、安倍首相が変に前のめりなサマータイム導入などについて批判した方がまだ世論の関心引いたのではないかという気がします。そんな石橋についてヤメ官の古賀茂明氏は、「論戦したら、石破氏の方が頭はいいし、はるかに論理的だということがすぐにわかる。」と評していますが、これに関して私ははっきりと間違っているとみています。
 正直言って石破氏の弁舌の悪さは筆舌にし難く、またこの総裁選の中で発した一連の発言も具体性を欠くばかりか、むしろ問題先送りを是とするような主張に強い違和感を覚え、あんなの見せられたら誰もが「まだ安倍首相の方が……」と考えるのではないかと思います。

 あまり自分も人のこと言えたもんじゃありませんが、どうも古賀氏については安倍政権憎しで現実を無視した発言をすることが多すぎる気がします。元からあまり参考にしていませんでしたが、今後に関してはクレジットを見た時点で記事読むのをやめることにします。

2018年9月17日月曜日

消費税10%への引き上げは行われるのか?

いまだ残る消費税率10%の「再々延期説」 先送りで憲法改正の後押し狙う?(産経新聞)

 結論から言えば、2019年10月に予定している消費税の10%への引き上げはまた延期というか、このまま半永久的に実施されないのではないかと見ています。理由としてはまず上記の記事にも書いている通り、政界、財界ともに引き上げの機運というか準備を全くしていないこと、次に安倍首相がこの方面について全くやる気を見せていないためです。安倍首相がやる気を見せないのは支持率を維持するためで、そもそも経済政策にも明るくなく財政健全化も「後の時代がやるべき課題。自分がやるのは憲法改正」と割り切っている節があります。

 また麻生財務大臣については表面上は安倍首相の見送り方針に反して実施に前向きですが、恐らくこれはマッチポンプでしょう。こう考えるのも前回の見送り時の動き方、そして森友問題をはじめとする財務省の一連の不祥事発覚時を見る限り、財務省を代表して動いていないと感じるからです。

 最近は本当に日本の政策について私も匙を投げているのでこうした判断についていちいち批判する気すら起きないですが、なんとなく人づてに聞いた、財務省が考えている将来の財源ウルトラCが現実味帯びてきたなという風にも見えます。ある意味で一般市民が消費税増税に反対するのは、天引き方式によって納税意識が日本人の中で薄いことが原因とも思え、そう考えるとふるさと納税を規制し始めたのもこの流れがまずいと感じたからかもしれません。

 この問題に絡めて書くのもなんだと思いますが、この10年間、業績が改善したという日本の企業の多くはほとんど売上げが伸びていません。売上げが伸びていないのに何故業績が改善されたのかというと単純に、人件費を削減してその浮いた分がそのまま利益になっているからです。
 また売り上げが伸びている企業も日本国内はほとんど変わらず、海外での売上増大による貢献がほぼすべてです。こんな状態で国内の賃金が増加するなんてありえず、増えたとする統計なんて眉唾だと思わない方がおかしいでしょう。

 所得の分配が良くないとかいろいろ意見もありますが、それ以前の問題なのではないかとこの頃思います。

2018年9月16日日曜日

自殺志願者への説得方法について

 昨日の記事で私は、「死にたい」と口にする自殺志願者はむしろ「これ以上生きていたくない」という価値観で、死への恐怖自体は持っている状態なのではないかという仮説を展開しました。ではそんな自殺志願者に対して、「死ぬのはよくない」と説得するのはいかがなものかというのが今日のテーマです。

 昨日にも書いた通り、一般的な自殺志願者のメンタルとしてはこれ以降も生き続けることが負担というか重荷に感じており、それが死の恐怖すら乗り越える水準にまで達しているのではないかと思われます。ではこうした人たちに死を思いとどまらせるにはどうしたらいいかですが、アプローチを一つずつ上げていきます。

1、死への恐怖をさらに高める
 死ぬこと自体への恐怖はあるのだから、生存忌避への意識以上に死の恐怖を高めてやればいいのではというアプローチです。具体的には、「死んだら訳の分からないところで働かせられるよ」とか、「閻魔様怖いよ」とか、「天国いけないよ」とかかなと思いますが、自分でも何言ってるんだろうかって気がしてなりません。あまり有効なアプローチじゃないと思うのでもう切ります。

2、生存欲求を高める
 生存忌避が意識が高いということは要するに生存欲求が落ち込んでいるともいえるので、生きていくことが楽しいとかプラスだと思わせるよう仕向けるというのがこのアプローチですが、今回の記事の主題として、こうしたアプローチの有効性について強い疑問を感じています。
 何度も書いている通り、一般的な自殺者は今後生存していくことに希望を見出せないからこそ自殺という手段を検討しているわけです。その背景は様々ですが、例えば病気から今後健常者のような生活ができないとか、借金を抱えてしまった人に、「生きてりゃいいことあるって」というのは、実現し得ない希望を要求するようで逆効果になるような気がしてなりません。彼らは「望ましい生活」が実現し得ないからこそ生存忌避を持っており、先ほどの説得は鬱病患者に禁句の「元気出せ」と言っていることに近い気がします。

3、視点をずらさせる
 自殺志願者は自らが望む生活や人生が送れないという意識が自殺を検討させているのならば、個人的に一番いいアプローチとしてはその「望ましい生活や人生」のイメージを変えてしまうのが手っ取り早いと私は考えます。例えば「正社員で、家族に囲まれ、オフィスでバリバリ働いて休日は優雅に過ごす」というイメージを抱え、そのイメージ通りに歩めず苦しんでいる人がいたとしたら、「派遣社員で、独身ではあるが家族持ちより自由にお金使え、個人的な趣味に邁進できる」という人生の方が幸福であるかのようなイメージを吹き込むとかです。病気を抱えた人であれば、病気とは関係ない部分での人生に価値があると思わせるなどあるでしょう。
 真面目な学問の話をすると、社会学上で自殺は自己イメージと現実の姿とのギャップが開くことにより悩みが深まり発生するという考えがあり、私も現実の自殺はこうした背景に根を持つものが多いと感じます。恋人に振られての傷心自殺などはまさにこの典型でしょう。

 そういった場合はどうするかと言ったら、現実の姿は変えようがないのだからイメージを変えていくしかありません。なおこのように現実とのギャップをイメージを変えることで埋めることを「認知的不協和」と呼び、これは食べ損ねた料理を、「きっとおいしくない料理だろう」等と後付けで思い込んでストレスを減らすなど、日常でも多々見られる心理行動です。自殺志願者への説得というか思いとどまらせるには、こうしたイメージの転換が一番効果的だと私は考えます。

 最後に、今回私が提唱した生存忌避と死への恐怖の二つの概念の数直線モデルで、生存忌避がないにもかかわらず死への恐怖がない状態は死そのものに価値というかメリットを感じている状態で、切腹や死に物狂いの突撃がこれに当たり、一般的な自殺が「消極的な自殺」に対しこちらは「積極的自殺」と呼んで区別しました。
 これとは別のモデルで、生存忌避が高いにもかかわらず死への恐怖もさらに高い状態というのはどんな人間が当てはまるのか。敢えて言えば最近というかちょっと前に一部で出回ってこのところ聞かなくなった「無敵の人」がこれに当たるのではないかと思います。社会的地位や信用、資産などの失うものが何もなく、犯罪行為に対する処罰が何の抑止力にもならない状態で犯罪行為を犯すような人たちを現わす言葉ですが、現実に検挙まで至った彼らに共通しているのは現実に絶望して社会を恨んでいるにもかかわらず、その攻撃性が自己には向かわず(=自殺)外部へ向けられる点で、その方向ガイドとなっているのはなんとなく「死への恐怖」じゃないかなという気がします。要するに、死への恐怖が一段と強いにもかかわらずこれ以上生きていたくないという状態のように思えます。なんとなくですが、死刑に対して無駄に強がっているように見えるところもありますし。

2018年9月15日土曜日

「死にたい」という人は本当に死にたいのか?

 このブログの設立当初でこそ私は自分の専門を「国際政治」と「社会学」として掲げていましたが、最近だとどちらもあまり勉強しておらず、専門と名乗るのが怪しくなってきました。となると自分は自分には何が残っているのだろうかと考えたところ、何故か「自殺の専門家」というワードが浮かんできたのでまた自殺について考えます。

 さて見出しに掲げた「死にたい」というセリフですが、「自殺志願者マジハマりワードランキング」なんてのを取れば恐らくナンバーワンとる言葉ではないかと思います。しかし改めてこの言葉を考えた際、果たして自殺志願者は本当に死ぬことを望んでいるからこの言葉を口にするのか疑問が湧きました。
 この辺は言葉尻の問題ではあるのですが、いざ実際に自殺を遂げた際に自殺志願者(の霊)が「やったー、死ねたぜひゃっほー!」なんていう言葉を口にするとは思えません。では何故「死にたい」という言葉を口にするのかというと、そのメンタルを汲んだ場合はむしろ、「(これ以上生きていたくないから)死にたい」、つまり「もう生きていたくない」という心境から発せられるのではないかと思います。言い換えれば自殺志願者は死にたいのではなく、生き続けたくないから自殺という手段を検討していると言っていいでしょう。

 その上で、こういった言葉をわざわざ口にするということは、「死への恐怖」というもの自体はをまだ抱えているのではないかと思います。ないならわざわざ口にせず実行するだろうし。

 仮にこういった心境を数直線モデルで言い表すならば、それぞれ下限ゼロ、上限100の「生存忌避」と「死への恐怖」という二つの価値観を示すメーターを用意するとわかりやすいでしょう。
 一般的なメンタルの人間の場合(宇宙人でも可)、生存忌避が20に対し死への恐怖は80くらいだと仮定すると、自殺志願者の場合はこれが80:80、下手すれば90:80のように、これ以上生きていたくないという欲求を示す生存忌避が死への恐怖を上回っている状態にあることになります。
 具体的には大借金を抱えたり、大病を患ったり、ショッキングな裏切りにあったりと、生きる望みを失ったような状態で、人間が本能的に持つ死への恐怖自体は変わらないものの、その恐怖を乗り越えてしまうくらいに生きていたくないという気持ちが強いという意味で、この数直線モデルにおいてはこれが自殺志願者の価値観というか心理的状態だと考えます。

 では、この数直線モデルをさらに発展させ他の数値の組み合わせだとどういう人物像が出てくるのか?まず考えたのは生存忌避は一般人レベルに対し、死への恐怖がゼロという、「20:00」のような状態です。
 先の説明だと、生存忌避が死への恐怖を上回ると自殺が発生するような説明をしてますが、実際にこうしたメンタル状態でも自殺と考えていい行動が発生するだろうと思え、具体的に言えば心中や切腹、尊厳死というような自殺パターンです。

 この状態は一般人同様に生存を忌避しない(=生存欲求がある)一方で、死ぬことに対して全く恐怖がないという状態です。言い換えれば、死そのものに価値を見出して希求しているような状態で、それこそ最初に挙げたように、「死にたい」と言いながら本当に死ぬことを望んでいる状態となります。
 わかりやすい例としては上にも挙げた切腹で、特に本人が望んでの殉死などはこうしたメンタル状態をはっきり反映したものだと思います。殉死を遂げる人間としては死ぬ行為自体に価値を見い出しており、さすがに全く恐怖がないというわけではないものの、最初の自殺志願者のパターンとは明確に異なる背景やメンタルで自殺を検討、実行していることには間違いありません。いうなれば、「まだ生きてたいという欲求はあるが、それよりも早く死にたい」というメンタルでしょう。

 また自殺に限らず、自殺的行為を行う人間もこうしたメンタル状態にあると言っていいでしょう。というのも「生存欲求を持ちながら死への恐怖がない」とはどんな人間かを考えた際、真っ先に浮かんできたのは薩摩兵児こと薩摩の島津家武士達で、関ヶ原の「島津の退き口」や、火をつけた鉄砲を縄で浮かせて空中でくるくる回しながら酒を飲むなど、極端に死への恐怖が感じられないエピソードが山ほどあるからです。
 真面目な話、死への恐怖というかタブー性の低い文化圏や軍隊内では自殺の発生率が明確に高まることが証明されています。ある意味で薩摩の命知らず達もそういったメンタリティだから戦争にも強かったと思え、家康もこんな危ない連中相手にしたくないから島津家を取り潰しにしなかったのもなんとなくわかる気がします。

 話は数直線モデルに戻りますが、このモデルで比較すると「死への恐怖はあるけど生存を忌避する意識の方が高い」自殺志願者と、「生存忌避こそないものの死への恐怖はもっとない」命知らずとで、自殺行為を二つのパターンに分けることができます。現実に自殺研究でもこうした「普通の自殺」と、「心中や切腹及び死ぬとわかっていながらの突撃などによる自殺」は同じ自殺でもなんとなくタイプが違うという風には見られていますが、少なくとも私が把握する限りでは明確な区別はまだされていない気がします。というより、後者はほとんど無視されている気すらするし。
 そこで敢えて私が定義づけると、前者は「死にたくないけどこれ以上生きていくよりかは死んだ方がマシ」という価値観から「消極的自殺」、後者は「死ぬことなんかこわくないぞばっちこーい!」という価値観から「積極的自殺」という風に言い表せると考えます。そして両者とも、生存欲求と死への恐怖のバランスがおかしくなることで誘発されるというのが私の見方です。

 次回はこの数直線モデルの観点に立った上で、自殺志願者への説得の仕方について考えていきます。こうした記事をサクサク書いちゃう当たり、やはり自分の専門は自殺にある気がします。

2018年9月14日金曜日

サイコパスはドキドキしない?

 大分前に橘玲氏の「言ってはいけない」という本を読んでみたのですがその中で、「サイコパスとされる人物は常人と比べ心拍数が平均的に少ない傾向がある」という記述がありました。これは文字通りそのままの意味で、サイコパスと心理学上診断され、実際に犯罪行為などをやらかす人たちを検査したところ一般人と比べて誰もが平均心拍数が少ないという結果が出たそうです。またこうした人物の幼少期のデータを見ても同様の結果で、ちっちゃい頃から心拍数が少なかったそうです。

 これが何につながるのかというと、文字通りの意味では「サイコパスはドキドキしない」、言い換えると、「刺激に対してあまり受動的反応を示さない」ということだそうです。ドキドキする状況と言ったら一般的には恋愛場面、あと物壊したり遅刻したりして後で怒られそうって状況が挙げられますが、こうした状況でもサイコパスはあまり興奮したり、焦ったりせず、普段のまんま比較的落ち着いた心境を保つとのことです。
 またそれだけでなく、ゲームや行楽体験を受けると普通の人は心拍数の上昇とともに快を感じて楽しむ気持ちを覚えるのですが、サイコパスはこうした体験を受けても心拍数はあまり上昇せず、得られる快も一般人と比べて少ないようです。これがどう言った影響をサイコパスに及ぼすのかというと、快楽を得るためにより強い刺激を求めるようになり、ドラッグをはじめとする犯罪行為などに手を染めていくというルートにつながっているという説が提唱されていました。

 私個人の意見では、流れ的には確かになるほどと思えて非常に納得できる筋書きです。何もサイコパスに限らなくても当初は刺激十分に楽しめたゲームも何度も遊んでいると面白いとは感じなくなり、より面白いゲームはないかと探すようになり、また前に遊んだゲームよりグラフィック、ストーリー、BGMなどが優れているものを必然的に選ぶでしょう。映画で例えても、かつては感動できた映像美であっても十年後に見返すとしょぼいCGだと思ってしまうなど、刺激は慣れてしまうとより強い刺激でないと快が得られなくなります。
 サイコパスの場合はこのサイクルが常人より顕著であり、その原因の一端が先ほど挙げた心拍数にみられるというのが具体的内容です。現実の犯罪者を見ても神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇のように虫から動物、人間と殺害対象が徐々にエスカレートしていますが、この過程ではっきりと犯人自身が欲求を求めて行った結果であると述べており、特に殺人の際はえも言わぬ快感を感じたような証言を残しています。

 以上の事例を踏まえると、心拍数が少ない、というより受動的反応が弱く刺激に対してあまり反応しない人間というのはサイコパス的要素を抱えていると言えるかもしれません。無論、この一点だけでサイコパスだと判定できるわけでもなければ実際にそうだと言えるわけではなく、このほかにも共感性の欠如や将来予測の曖昧さなど他の要素も十分かつ慎重に検討する必要はあるでしょうが、刺激に対してあまり反応しないという感受性の弱さは相手の人間性を分析する上ではなかなかに重要な情報の一つだと私には思えます。
 ある意味でそれは経験が表れるとも言え、例えば私のようにホラーゲームやホラー映画を見慣れている人間はちょっとやそっとのグロテスク画像や怪談話ではビビらず、実際この前までやってたホラーゲームを遊んでいる最中も「こいつまた死んだよー(^ω^)」って感じで爆笑しながら遊んでいましたが、これは私がサイコパスというよりかは有り余るホラー体験を乗り越えてきた証であります。

 その逆に、本来なら経験しておらず初めてなはずの体験(仕事や動作)でも全く緊張もなく動じずに淡々と行ってしまう人間がいたとした場合、別に上記の話を知らなくても不気味さを感じる人の方が多いのではないかと思いますし、実際そういう人は注意するべき対象じゃないかと思います。この手の人間は何も将来サイコパスになって猟奇犯罪を起こしそうだっていうわけじゃなく、感受性の弱さから何か問題を起こした際も焦ったりとか恐れとかを抱かず、淡々と隠蔽とか見過ごしとかをやらかしかねないという意味で私は注意します。

 このような目線に立てば、サイコパスとされる人間は基本的に一喜一憂しない傾向があるため、やはりトレーダーなど、状況が激しく変わる現場での意思判断を行うような仕事が向いているのかもしれません。

 なお「サイコパス」というアニメに常守朱というキャラクターが登場しますが、このキャラは作中でどんだけショッキングな場面に遭遇、具体的には目の前で親友が惨殺されたり、親戚が拉致虐殺されたりしても、犯罪行為につながるとされるストレス(犯罪係数)が全く上昇しないという特徴を持ったキャラとして描かれています。日常生活では年相応のキャリアウーマンらしく喜怒哀楽もはっきりと出すのですが、周りもドン引きするくらいストレスに強いというか鉄人のようなタフな精神構造をしており、上記の定義に則るならやはり彼女こそが作中最大のサイコパスと呼べるでしょう。

  おまけ
 上にも書いた通りにもうすっかり遊び慣れてしまったせいか、最近どんなホラーゲームをしていてもビビることがなくなり、ゲーム中にキャラクターが死んだりしても、大抵大げさな死に方するからその死にっぷりのおかしさに笑ってしまうことの方が多いです。
 ただここ数年間でゲーム中、鳥肌が立つくらい恐ろしさを感じたことが一つだけありました。それは「ゼロエスケープ」というゲーム中での、本日結婚&妊娠を発表した能登麻美子氏の声でした。能登氏について普段は大人しめのかわいらしい女性キャラばかり演じていて内心では演技の幅が狭い声優だと考えていましたが、このゲーム内の演技というか耳にするだけで鳥肌の立つ声を聴いてからは認識を改められました。

 その後、能登氏はアニメ「ジョジョの奇妙な冒険(第四部)」のある意味ヤンデレの始祖たる山岸由花子というキャラにキャスティングされましたが、放映前は「ミスキャスト」だとか「イメージと違う」という声がネットを見ていても多かったように見えましたが、いざ実際に放映されると上記の私のように「怖すぎる」、「想像を超えていた」などと絶賛する声に溢れる結果となりました。もっとも上記の体験を経ていた私からしたら驚きはなく、現時点でも「最も怖い声は能登の声」と考えています。

2018年9月13日木曜日

所得統計過大疑惑について

統計所得、過大に上昇 政府の手法変更が影響 専門家からは批判も(西日本新聞)

 昨日出ていた記事ですが西日本さんもやるなぁと思ういい報道でした。ただ翌日の報道では「所得統計、内閣府も課題に算出」と、「統計所得」に「所得統計」といまいち表記が一致しないのはどないなんとか思うところがあります。

 さてこの一連の記事についてですが、結論から言えばまぁその通りだろうなと私は考えています。以前のGDPの統計操作疑惑の記事でも触れていますが近年の日本の統計は信用できない不可解な結果が多く出ており、別種の統計と合わせてみても何故こうしたプラス成長がはじき出されるのか腑に落ちない点が多々あります。はっきり言えば、現時点で私は中国の統計の方が日本の統計よりも信頼度が高いとすら見ています。まぁ中国もいくらか操作しており、今度JBpressで出す記事でもはっきりと、「これは弄ってるよ」と指摘してますが。

 今回の西日本新聞の報道を見て少し気が付いたのですが、GDPをはじめとする日本の経済統計でやや奇妙な点として、季節変動が小さすぎる気がします。季節変動とは「ニッパチ」に代表される、消費が活発化して経済が回る月と、そうでない月との差異です。日本では二月と八月が不景気付きで、逆に景気がいいのは三~四月と十二月頃です。
 なお中国では年によって一週間にも及ぶ春節休みが一月に来たり二月に来たりするので、このように月を跨いだ年は前年同月比が極端なプラスかマイナスに振れてしまいます。なので一~二月の統計はあまり参考にはせず、年初は第1四半期が終わるまで統計で議論することはありません。逆を言えば中国の経済統計で一~二月を比較する奴は間違いなく能力の低い記者が書いた記事と思っていいです。

 話は戻りますが日本の報道を見ていてすごい不思議なのは、やたら前月比とか前期比ばかり取り上げて、前年同月(同期)比については言及、分析されていません。統計的価値で言えば前年同月(同期)比の方がずっと価値がある、というのも前月比の比較では先ほど言及したように月ごとによって季節要因があって統計条件としては平等ではなく、あまり参考にならないためです。
 その前月(期)比ですが、なんかこのところ日本のデータを見ているとずっとプラス一辺倒であることが多いです。季節要因を考慮するとむしろ、いくら景気が上昇トレンドにあると言っても前月比成長率のグラフとかは上下に変動するのが自然です。それが何故か日本の近年の統計ではあまり見られず、なんか右肩上昇のグラフしかこのところ見てない気がします。

 はっきり言えば、ここ数年の日本の経済統計データは明らかに歪であり統計操作されている可能性が非常に高いとみています。この場合、How(どれほど)ではなく、Why(なぜ)こと動機こそ追求すべき点で、一義的には政策が成功しているという政権や省庁の成果喧伝でしょう。たださらに掘り下げて二義まで考えるとややいぶかしむ点があり、Who(誰)こと官邸と省庁のどちらが主導しているのか、そしてもう片方は何故それを座視しているのか、ここを考える必要があるでしょう。
 どちらにしろ、恐らく10年くらいしたら「この時代に統計操作が行われていた」みたいに検証され、モリカケ問題と合わせて「安倍偽装内閣」という二つ名がつくのではないかと早くも見ています。そう思うくらい最近の経済統計は私の目から見てやりすぎで、責任から逃れるためにも再選を目指さない方が良かったのにとこのところひとしきり思います。

2018年9月11日火曜日

兄より優れた弟は……

努力家だった兄と適当だった俺の人生(アルファルファモザイク)

 上のまとめ記事は最近読んだものですが、読んでてなかなか感じるものが多かったです。私自身は姉一人いるだけの末っ子ですが、やはり兄弟で弟の方が兄よりいい大学や就職先に進むなどしたら兄としては気持ち的に応えるものがあると推察されます。実際にこのようなものを気にした友人がおり、中学時代は中二病が激しかったものの割と何にも積極的に取り組み成績も優れた子だったのに、高校辺りからややバランスを欠くようになっていったのを見ています。
 「兄より優れた弟はいねぇ」とは漫画「北斗の拳」に出てくる北斗四兄弟の三男、ジャギが残した名言ですが、これはむしろそうあってほしいという兄側の心の叫びのようにも思えます。

 一方、歴史上では皮肉な結果ながら、弟が兄を差し置いて家督を継ぐというかビッグになってしまった例が、決して多いわけではないもののいくつか見受けられます。最も代表的と言えるのは徳川家二代目将軍の徳川秀忠で、彼自身は三男ですが家督を継いだ当時、長男の信康は切腹させられ既にこの世にいませんが、次男の秀康は未だ存命でした。
 何故年長の秀康を差し置いて秀忠が家督を継いだのかというと、秀康は幼少から豊臣秀吉の元へ人質として置かれていたとか、政治的な器量を見込んで秀忠にしたなどいろいろ言われているものの、最大の要因は実母の家格の違いで、生まれた当初より秀康は後継者として目されていなかったとみられています。

 そんな背景からか秀康は豊臣家に人質に出されたかと思えば二度と徳川家を継げないよう、その後結城家に婿養子に出され、現在の通り名である「結城秀康」が定着しました。一応、その後は越前へと移り姓も「松平」に変わりましたが、こんな経緯もあるもんだから水戸徳川家ほどじゃないけど越前松平家も代々、徳川宗家とは距離を置く藩主が多いです。

 この秀忠&秀康とほぼ同時代、ちょっと面白い関係の兄弟がもう一組あります。それは関ヶ原でおなじみの石田三成と、その兄である石田正澄の兄弟です。二人ともそろって秀吉に仕官して着々と出世を果たしてきますが、出世速度で言えば圧倒的に弟の三成の方が早く、正澄も2.5万石取りで秀頼の奏者番になるなど大名に出世していますが、やはり弟と比べると一段低い立場です。
 そんな正澄ですが関ヶ原の決起の際は弟・三成に協力してともに決起し、陰に陽に弟を支援しています。恐らく兄として弟の優秀さを認めていた節があり、大谷吉継などと同様に三成を助けたい一心で行動したのではないかと思われ、「兄より優れた弟を助ける兄」であったのでしょう。最終的には関ヶ原の戦後、居城の佐和山城を攻め立てられ自害しています。

 と、ここまでで終わるつもりでしたが、「そういやアイツもいたか」と思い出したのが伊達秀宗です。この人は苗字からもわかる通りに伊達政宗の長男ですが、仙台藩の藩主にはなっていません。仙台藩藩主の座は政宗の後、次男の忠宗が継いでいます。
 この理由は何故かというと、概ね秀忠&秀康ブラザーズと共通しています。秀宗は長男ではある者の実母は側室で、また秀吉の元へ幼いころから人質に出されています。当初でこそ後継者として扱われていたようですが秀宗が11歳の頃、政宗の正室である愛姫がついに待望の男子こと忠宗を生んだことから一転、秀宗の立場が不安定となり、関ヶ原の合戦後も家康との目通りも忠宗が優先されるなど梯子を外されてしまいます。

 親父の正宗も一応は秀宗のことを気にしていたのか、大坂の陣の後に徳川家から拝領した宇和島10万石の地をそのまま秀宗に譲って、別家を立てることで秀宗の地位を作りました。そのため秀宗は仙台藩主とはならなかったものの伊予宇和島藩の藩祖にはなりました。
 ところが話はこれだけで終わらない。秀宗の宇和島へのお国入りの際、伊達藩からは政宗の重臣らが与力(陪臣)として付けられていたのですが、この与力のうち二人が派閥を作って対立し、とうとう片方がもう片方を襲撃して一族諸共ポアしてしまいます(和霊騒動)。この襲撃は秀宗の指示と見られており、襲撃を指示した側の家にはなんもお咎めも下らずに何気に明治に至るまで存続し続けました。

 秀宗はこの襲撃というか実質暗殺を政宗にも幕府にも報告しませんでしたが、事実を知った政宗は殺された与力と仲が良かったこともあり、また仙台藩への影響波及を恐れてか自ら幕府へ報告した上で、宇和島藩を取り潰すよう改易を願いました。こうした動きに「日本の施政家トップテン」に確実に入るであろう土井利勝は事を荒立てず、秀宗側の和解工作もあってか両者を必死にとりなして、政宗に改易願を取り下げさせてことを収めました。
 その後、政宗と秀宗の親子は対面したそうですが、その場で秀宗は、「俺ばっかずっと人質に出された上に、長男なのに家も継がせてもらえず、今までずっとすっごく辛かった(´;ω;`)ウッ…」と思いのたけをぶちまけたそうで、これには政宗も心動いたのは先に出していた勘当を解いて仲直りしたそうです。その後も腹を割った話ができたおかげか、頻繁に贈答し合うなどそれまで疎遠だった親子関係にも改善が見られたそうです。

 ただ秀宗は親父とは仲直りできても、弟で仙台藩を継いだ忠宗とは和解しきれなかったのか、江戸城の控室では石高が低いにもかかわらず何故か忠宗より上座の席に必ずつこうとしたというエピソードも残っています。おまけのつもりで調べたら意外と面白い人物で、このままでも十分JBpressの記事にも使えそうなくらいで言い調べ物が出来ました。

2018年9月10日月曜日

派遣切りの2018年問題

 このところごくわずかですが過去に手掛けた派遣マージン率に関する記事のアクセス上がっててなんでやろとか思ってたところ、今月が派遣期間3年経ったら正社員雇用にしなきゃいけないという法律が施行されてちょうど3年目となる月だったからということに気が付きました。
 そのため一部報道では正社員雇用義務が発生する前に派遣切りする業者が増えており、今月なんかまさに派遣切りラッシュだ見たいな風に報じています。現実は切る場合は既に切られているので今月にラッシュなんて起きんのかなとやや疑問ですが、人手不足と言われる世の中で派遣切りという言葉も流行することになんやねんとかいろいろ思うところあります。

 もっともあと2年もしたら恐らく、既に派遣社員が切られている状態なので正社員の大量カットに踏み切らざるを得ない時代が来ると思っています。大正製薬もなんか大型リストラ案を発表したとのことですがかえって今この時期にこうしたクビ切りに手を付ける辺りは先見の明があるんじゃないかという気すらします。
 なお大正製薬については稼ぎ頭の毛生え薬リアップの特許が切れてこれからジェネリック医薬品が作られるようになるマイナス要因が大きいという報道を以前見ました。ハゲ市場が大塚製薬を動かしてるんだなと思うとハゲの影響力のすさまじさを感じずにはいられません。

 話は戻って派遣についてですが、今年一月にも宣言した通りにもう来年以降はマージン率の調査とかはするつもりはありません。そもそもこの調査は派遣労働の当事者たちがやるべきだと思うし、また私がこうしてそこそこのデータを作ったにもかかわらず、やはり世論の反応というか利用者がそれほど増えなかった点など、派遣労働者の当事者たちが自分たちで動かないとこの手の問題は何も解決しないと感じたからです。
 しかもアクセス数も2015年が最多で、それ以降はどんどん下がっているのもモチベーションが下がる要因になっています。ついでに言うと、マージン率公開する企業が増えてきて調査の手間が増しているというのも億劫になった要因です。

 今後派遣はどうなるのかですが、先にも述べた通りに2020年以降は大不況が来て派遣も正社員も関係なくリストラが進むと思うので、ある意味そこで格差はやや埋まるんじゃないかと見ています。その後で財界や政界がどのような雇用習慣を作るのか、新卒一括採用の見直しなども含めて物事というか制度が変わってくるのではないかと思います。
 考えられるシナリオとしては完全なアメリカ型の無給のインターンから正社員採用に移るというパターン、給与を支払う一方で「業務研修費」という名目で一部天引きする徒弟制度パターン、トラック業界などでおなじみの個人事業主として扱う業務請負型などなど、こういったのが前より増えていくんじゃないかと思っています。結論を言えば、今の日本の雇用習慣は合理的とはいえず、古い雇用習慣を変に維持しているのでこの際一気に改革すべきだという立場をとり、派遣雇用についてもない方がいいではなく、存否を含めどれがベストなのかをもっと社会で議論すべきでしょう。

2018年9月8日土曜日

スルガ銀行の調査報告書に関する疑問

第三者委員会調査報告書(要約)
第三者委員会調査報告書(全文)(スルガ銀行)

 シェアハウスローン問題を引き起こしたスルガ銀行は昨日、この問題に関して弁護士らによる第三者委員会が手掛けた調査報告書を発表しました。同時に会長、社長を含む一部経営陣の退任と新任の人事異動も発表され文字通り体制を一新しましたが、わざわざそんな七面倒くさいことをしなくてもよかったのではという印象をぬぐえません。
 昨日の時点でどのメディアもこの件について報道を行っていますが、正直言ってどれもありきたりな内容、下手すれば人事異動と既報を繰り返すだけでほとんど中身のない報道ばかりでした。そして私が一番関心のあった内容については、下記の佐賀新聞しか報じていません。

スルガ銀、不正融資の総額や件数の推定困難(佐賀新聞)

 やはりこの問題で一番肝心なのは、「不正の規模が今どれくらい大きいのか?」であって、どのように不正が行われたかじゃないでしょう。その点で私が確認する限り、この佐賀新聞だけが不正融資総額と件数について何も公表がなかった点を指摘していますが、他のメディアは「パワハラがあった」とか「審査が杜撰だった」とかわかりきったことをくどくど長々としか述べていません。
 っていうかパワハラについては新聞社がどうこう言うことかよと、「てめぇ殺すぞ!」という言葉が日常の挨拶みたいに飛び交う職場を見ている自分からしたら奇異に感じます。

 また発表がなかったことはもとよりどのメディアも質問しなかったのか全く触れられていませんが、既に日経などが報じている創業家への不正融資や融資額の三分の一に当たる1兆円にリスクがあるということについては完全スルーです。スルガ銀行はどちらについても「うちが発表したわけじゃない」と否定も肯定もしておらず、折角報告書発表日を1週間も延期したというのにスルーするのはどうかと個人的に思います。はっきり言えば、今回これらについて全く触れなかったということは事実ではないのかという疑念が私の中で強まりました。

 それで肝心の調査報告書ですが、昨夜精読というわけではありませんが一通り眺めてみていくらか疑問が出てきたのでまとめます。まず今回の調査報告書は先ほども述べたとおりに弁護士らによって構成されていますが、メールデータの復元などの不正調査作業において四大監査法人のKPMG(日本ファームは「あずさ監査法人」)の子会社が入っています。これは後から重要になってくるので覚えておいてください。

・要約版の問題
 結論から言うと要約版はあまり内容が整理されておらず、しかも箇条書きで雑多に内容を列記しているので非常に読みづらいです。一方で各役員の不正に対する責任についてはこの要約版でも非常に細かく羅列して書かれており、何らかの意図を感じます。

・役員責任の枕詞
>個別の不正を具体的に知り又は知り得た証拠はない。
>一方で、本件問題発覚後の諸行動に関しては、善管注意義務違反(一部法令違反)が認められる。

 要約版の各役員の責任について、ほぼすべての役員に対して上記の枕詞がついています。要するに、「はっきり不正したかは証拠なくてわかんない。問題発覚後の対応や少し悪かったよ」ということがやけに強調されています。

・死んだ一人、現役一人の役員にだけ厳しい表現
 前者は今回辞任した会長の兄弟であり、2016年に逝去した故岡野副社長(原文ママ)で、彼が利益第一な企業風土を作り不正がはびこる舞台を整えたみたいに書かれています。後者は、その故岡野副社長に引きたてられたとされる元専務執行役員の麻生氏で、まるで彼一人がすべての問題の元凶みたいかのように厳しくその責任が追及されています。
 先に書いておくと、営業サイドの麻生氏がシェアハウスローン問題を引き起こし炎上させた最大の責任者であることはほぼ間違いないとは思われますが、他の役員らとの記述の温度差が激しく、なんかこの人に全責任を押し付けているのではと思う節があります。もちろん糾弾されて然るべき人物と思われますが、その他の疑問点と合わせて、この報告書は鵜呑みにしていいものかという懸念があります。

・何故役員だけが不正を知らなかったのか?
 全文版に載っているアンケート結果よると、自己資金資料の偽装について個人融資に係る行員の四分の一(26.7%)が認識しながら融資を行っていたとのことです。また融資審査に至っては担当部署のほぼ全員が規定を無視した融資が行われていると認識していたことでした。
 にもかかわらず何故か役員は上記の通り「証拠がないから不正を知らなかった」ということになっています。関係業務に携わる行員の大半が不正を認識していたというのに、何故か役員に関してはスケープゴートの麻生氏を除き、「発覚後の対応はまずかったけど、発覚前は知らなかったかもしれないね」という結論で納得できるかと言ったら、そんなわけないでしょう。

 また役員が出そろった会議中、「かぼちゃの馬車」でおなじみのスマートデイズは取引停止したにもかかわらず、別会社を経由して迂回融資している事実が報告されたことが事実認定されています。この件については「他の役員まで報告しなかった」とされていますが、「聞かなかったことにした」と見るべきでしょう。ここまできて不正を知らなかったという風にするのは無理があり、やはり「証拠はないにしてもその不正認識、隠蔽については非常に疑わしい」というくらいの表現が必要だったのではないかと思います。この報告書を見せる相手とその目的性の観点に立つならば。

 このほか融資審査を行う審査部に関しても、大半の行員が正規の手続き通りに審査が行われていない事実を把握していたと報告されています。繰り返しになりますが、これだけ多くの行員が不正を認識していて、何故役員だけが知らなかったかのように書いているのか。ついでに書くと、営業からの強い圧力があったとはいえ不正融資を黙認してきた審査部が、今後も融資審査を行うということに関する問題点については特に触れられていません。嘘でもいいから外部のコンプライアンス研修などを受けさせるくらい書いとけよな。

・実績考課、パワハラについて
 不正融資が蔓延した理由について異常なまでの実績主義や実績を出さない行員へのパワハラがあったせいと指摘してますが、内心こういう文言は必要ないかなと思います。というのも証券会社を筆頭にこの手のはどこにもあることだし、逆にこういうのないとこでも不正ってのは起こるからです。第一、そんなこと言ったら実績主義=不正の温床の構図になるわけですが、それはやはり暴論でしょう。過度な実績主義やパワハラはどこでもあり(特に地銀では)、これらが他と一線を画す今回のスルガ銀の事件を引き起こした原因かと言えばその貢献は些末なものでしょう。
 なおパワハラの実例として「天然パーマを怒られる」ってのが挙げられててちょい笑えました。あと「空のカフェ飲料のカップを投げつけられたことがある」については、中身ないだけまだいいじゃんと率直に思いました。あと「いすの背面をキックされた。」については、蹴り返すか、窓から放り投げ返せばいいのにと私は思います。こういう価値観こそ、新聞社ならでは。

・外部監査法人の責任
 恐らくこの点については他のメディアは書けず、誇張ではなく私にしか指摘できないでしょうが、スルガ銀行の2018年3月31日期監査報告書には以下の記述があります。

監査意見
 当監査法人は、上記の財務諸表が、我が国において一般に公正妥当と認められる企業会計の基準に準拠して、スルガ銀行株式会社の2018年3月31日現在の財政状態及び同日をもって終了する事業年度の経営成績をすべての重要な点において適正に表示しているものと認める。

強調事項
 追加情報「シェアハウス関連融資等」に記載されているとおり、会社は「第三者委員会」を設置しており、その調査は継続している。今後、その調査により、新たな事実が判明した場合には、会社の将来の業績に影響を与える可能性がある。
 当該事項は、当監査法人の意見に影響を及ぼすものではない。

一応シェアハウス問題について触れてはいますが、「この監査報告書で報告している財務内容は正しいよ」という監査意見が出されています。その後、貸倒引当金がガンガン積まれているというのに。
 自分はこのシェアハウス問題が発覚した当初に真っ先に監査法人を調べましたが、やはりというか東芝を筆頭にこれまで何度も不正会計を手掛けてきた新日本有限責任監査法人でした。そして上記の監査意見も言うまでもなく、新日本が出しています。

 今回の調査報告書では内部統制が完全に欠如していたことが不正融資を蔓延させ問題を拡大したとはっきり言明しています。それに対し監査報告書では、

強調事項
 内部統制報告書に記載のとおり、シェアハウス関連融資等に関連する全社的な内部統制並びに決算・財務報告プロセスに係る内部統制に開示すべき重要な不備が存在しているが、会社は開示すべき重要な不備に起因する必要な修正はすべて財務諸表及び連結財務諸表に反映している。これによる財務諸表監査に及ぼす影響はない。

 一応は内部統制上の懸念を指摘していますが、今回の報告書を見る限り、「適正意見」が出せるレベルなのかというと疑問で、やはり「限定付意見」として出すべきだったのではないかというのが私の見方です。
 同時に、なぜ昨年の発覚まで銀行業務統治の基本の基本たるべき融資審査の不備について監査法人が気付かなかったのか。監査法人というのは財務状況の数字が正しいかだけでなく内部統制についても毎期チェックするのが仕事ですが、なぜ気づかなかったのかというこの点について、やはり何か指摘する必要があるのではと思います。特にシェアハウス問題は去年の段階で発覚しており、その段階で過去の融資取引のコンプライアンス性を調べていたら、もっと早くわかることがあったのではという風にも見えます。

 そして最後の指摘となりますが、何故調査報告書ではこの監査法人による外部監査での見逃しについて全く触れられていないのかが気になります。外部監査を出し抜く隠蔽工作があったのか、それとも外部監査に問題があったのか、こうした杜撰な内部統制実態が何故外部監査で指摘を受けなかったのかについては全く書かれていません。ぶっちゃけ、怪しいくらい急拡大しているシェアハウス融資取引はたくさんあったというのに。
 何故外部の監査法人について触れないのか。はっきり言えば何かしら意図があると思え、他の諸々の指摘事項と合わせ、今回の調査報告書はそうした意図に立って書かれている気がします。そのような視点に立つと、まだまだ掘ればいろいろ出てくるような気がするというのが私の結論です。

2018年9月6日木曜日

台風、地震に対する中国の報道

 最近仕事は楽になった分、というか8月が異常に忙しかった一方、夏風邪で体力落ちてて趣味のことばかり書いてたので、たまには真面目な話書きます。
 先日の関西地方を中心に大きな爪痕を残した台風に続き、本日北海道でも震度七という大地震が発生しました。弱り目に祟り目というか大災害が重なっただけに影響も大きく、被災者に置かれては深くお悔やみ申し上げます。

25年来登陆日本最强台风正横扫日本全境 领馆:在日中国公民务必小心
日本北海道地区发生6.9级地震 山体滑坡房屋倒塌(東方網)

 これら災害については中国でも報じられており、上記リンク先のように取り上げ方も小さくありません。なお今回自分もようやく気が付いたのですが、中国のウェブ記事の方が日本のウェブ記事に比べgifや大サイズの写真をふんだんに使っており、映像的な視野効果で言えば地味に日本のウェブ記事より優れているような気がします。むしろなんで日本のウェブ記事の写真はどれもあんな小さいのか、圧縮技術も発達しているというのに逆に不思議です。

 話は戻りますが中国の報道の焦点としてはやはり日本滞在中の中国人に関してです。私が読んだ記事によると関西空港では領事館職員が駆けつけて閉じ込められた中国人旅行者への対応を行ったとのことですが、その数なんと1044人もいたそうです。関空においては日本人ですら参る人が多数出たというのですから、見知らぬ異国の地で留め置かれた彼ら外国人のことを考えると私個人としてはやはり不憫に感じます。
 幸いというか以前欠航となって中国人団体が騒いだ時とは違って今回はそうした騒動は起きなかったようですが、やはり関空のリスク管理のまずさに関しては、非常食や毛布を備蓄している成田や羽田との比較も出ているだけに、今後の反省点として捉えるべきでしょう。

 特に観光立国を掲げる場合、今後もこうした大災害に巻き込まれる外国人への対策は今のうちにしっかり作るべきだと思います。非難や誘導の案内を多国語化することはもとより、食事や宿泊に関しても、かえって言葉もわからない人たちだからこそ手厚い対応が必要だと考えます。
 人間、苦しい時に殴られた恨みを忘れないように、苦しい時に助けられた恩も意外と忘れないものです。旅行中にこうした災害に巻き込まれた場合、どうしてもマイナスイメージがついて二度と足を運んでくれなくなる可能性もありますが、逆に手厚い対応をすることでリピータを生む可能性もあると思えるだけに、各大都市や空港など公共施設は、外国人観光客向けの災害対応を充実化させるべきでしょう。

 北海道の地震に関しては今のところまだ情報が集まっていないのか、現地の中国人に関する目立った報道は見受けられません。とはいえ、仮に自分が外国を旅行中にこんな災害に遭遇したと考えると、なまじっか外国で暮らしているだけにやはり気が気ではない感覚があります。また日本国内への影響についても、既に観光方面の影響が触れられていますが、それ以上に収穫期を控えたこの時期の立て続けの災害ということを考えると、今後食糧価格の高騰が予想されます。また中国地方の豪雨被害も冷めやらぬ中でのさらなる復旧活動の展開も、オリンピック準備にも影響してくるかもしれません。

 今さらっと書きましたが、なんか災害被害の内容ばかり報じられてて、こういった社会への影響に関する報道や解説が、ネットだけしか見ていないからかもしれませんがやけに少ないのが実は気になっています。関空も、乗客以上に航空貨物や通関への影響の方がダメージとしては大きいと思うのに、物流会社への取材記事などはとんと見ません。今日同僚が聞きに行ってくれたからいいものの、今に始まるわけじゃないですが目にはっきり見える切り傷の方が、目にははっきり見えない内臓の病より大きく取り扱われるような報道状況に対してこれでいいのかという疑問を覚えます。