2018年6月28日木曜日

すっとんきょんな天才なき世の中

 最近歴史ネタを書こうと思っても浮かばないというか、もうこれまででほとんど書き尽くしている感がありなかなか書けなくなっているのですが、今日もなんか書こう、それも文化人にしようといろいろ考えあぐねていたところ、「最近、すっとんきょんな天才ってのを見たことがない」とふと思いました。

 かつて文豪というのはその大きな事績とともに、プライベートでの奇妙な振舞いというか豪快なエピソードを数多く持っているのが普通でした。漫画家も然りで働きづくめでいたずらすることも多かった手塚治虫は言うに及ばず、水木しげるに至っては逆に何もかもがすっとんきょんな行動ばかりで、むしろ常識的な行動の方が少なかったのではと思う節すらあります。
 最近、この手の奇行の多い天才となると将棋の加藤一二三氏が最後なのではないかと思うくらい見当たらなくなりました。作家、漫画家、スポーツ選手にしろ、なんか最近はまともな人が多くなり、ぶっ飛んだエピソードの多い文化人となると正直あまり浮かびません。作家に至っては、発言が物騒な人はおろか小説以外の分野、具体的には政治や言論などに出てくる人は明らかに減っています。

 何が言いたいのかというと、あまりある才能に対してその他のぶっ飛んだ面を許容する寛容さがこのところ失われてきているのではないかということです。もしかしたら私が知らないだけかもしれませんが、アクの強い文化人がこのところほとんど見られず、一方で礼儀正しくまともな人は増えていて、これはこれでいいのかもしれないけど何か面白みに欠けるような気がしてなりません。
 特に文芸においては近年の出版不況もあるでしょうが注目に値する作品はなかなか出てこなくなり、ドラマや映画も漫画を原作にするパターンが増えてきています。ドラマのオリジナル脚本も以前と比べれば大人しいテーマが多く、かつての「人間失格」など世の中にものすごい議題を突きつけるような作品ともなると皆無です。そのあたりが、すっとんきょんな天才がいなくなったことも影響しているのではないかと思うわけです。

 かくいう私も器用貧乏な性格していて、一点突破的なキャラは実はあまり好きじゃなく、野球で言えばユーティリティプレイヤーを好むところがあり、私自身もそんな性格からか金属切断作業から貿易アレンジまで幅広くこなす業務経歴を持っています。もっともそれ以上にライターとして対応できるテーマの幅広さの方がもっと如実にその性格を表しており、客観的に見たとしても、社会的なテーマから歴史、政治、経済、ホビーに至るまでありとあらゆるジャンルを書ける器用さに関してはライターとしても誇れると自負します。

 そんな自分が言うのもおかしいですが、何か一つの才能のために他のすべてを台無しにしてしまったような天才が不足、というよりも世の中から出てこないというのが、今の日本の苦しい現状を一部反映しているような気がします。持論でもありますが、寛容性のある社会の方が基本的に強く、その点で今後の日本について不安を感じる次第です。

2018年6月27日水曜日

Googleの驕り?

 実は二ヶ月ほど前から、このブログで異変が起きていました。どんな異変かというと、コメントが書かれてもメールで通知されないのです。

 これまでブログ設定の箇所でメール通知欄に自分のメールアドレスを登録することで、コメントがあり次第に通知が来ていました。それが二ヶ月ほど前から急に来なくなり、どんなにアドレスを再設定しても全く反応しなくなりました。新しい機能ならいざ知らず、これまでできていたことが出来なくなるという不始末で、おまけに不具合として通知しましたが何の返事すら来ません。
 そもそもGoogle自体がもうこのbloggerのサポートを放棄している節すらあり、ガジェットなど新しい機能はもう何年も追加されていません。まぁそれを言ったら他のブログソフトも似たようなもんでしょうが。

 またこれはついさっき体験しましたが、先日にまたGmailが新たなバージョンに更新されましたが、この新しいバージョンでメールアドレスの登録を行おうとしたところ、アドレス帳を開くことが出来ませんでした
 実際にこれはGmailを使われている方に試してもらいたいのですが、画面内をいくら探してもアドレス帳を開くボタンが全く見つからず、メールソフトでありながらアドレス帳という表示すらないいびつな構造になっていることに気が付きました。

 最終的にネットで検索して、「こんなんわかるかよ」と思う個所にボタンがあることが分かって編集できましたが、この編集画面も使いづらいし見づらいしで、他のソフトともども、昔に比べてGoogleが使いづらくなってきたという印象を覚えます。なんとなくですが、ソニーに特に顕著ですがユーザビリティよりも自己満足なシステムを押し付けられているような印象を覚えます。
 そういったこともあり、希望的観測でもあるのですが案外シンプルにこざっぱりまとまった、それこそ中国系のアプリが得意とするようなソフトやサービスが出始めたら案外あっさりとGoogleも天下取られるんじゃないかとふと思いました。そもそもIT業界自体がトップの入れ替わりの激しい業界ですし、システムが複雑で何でもできることよりも、意外と機能を限定してシンプルなアプリの方が、以前に比べても今の方が俄然需要が高いように思えるからです。

 なお先ほど挙げたソニーについてですが、やはりゲーム機のUIに関してはPS3とPSP時代のUIの方がよかったという声をネットで見ますが、私も同感です。非常にセンスに溢れ尚且つ操作しやすく最初にPS3で触った時は軽く感動したくらいだったのですが、PSVitaはスマホ以下のUIに成り下がり、ガッカリ大賞を自分の中でもらいました。まぁVitaはそれ以上に、プレイ中に誤爆にしかならない背面タッチパッドというインターフェースを取り付けたという設計上の瑕疵の方が大きいですが。

 最後にあまり関係ないですが、先週発売された「Newガンダムブレイカー」というゲームがAmazonで、日一日ごとに数%ずつ値段が下がり続け、まだ発売から約1週間なのにとうとう値引き率が50%を超えたのが笑えます。ある意味凄い記録ですが、多分今年一番のガッカリゲーとなるでしょう。
 実際、ゲームシステムについてみていると、「これ作った奴ヤク(ルト)でも決めてるんじゃないのか?」と思うくらい歪です。どうしてこんな半端なくゲーム作りに向いていない人間がゲーム作っているのかわからないというレベルですごいです。

2018年6月26日火曜日

情報過多の時代において

年々右傾化する若者、原因は情報過多にあり(JBpress)

 恐らくJBpressで一番アクセスを稼いでいる伊東乾氏の記事ですが、種々のデータを使って日本人が保守化している現状を相変わらずうまく説明しています。この保守化の原因として伊東氏はインターネット普及による情報過多を指摘していますが、私も基本同感です。

 私自身は少年期からインターネットが存在する世代ですが、そんな私にとっても情報は「求めなければ得られないもの」でかつてありました。特に大学進学で京都へ移った際は関東、東京周辺の情報が周りから全く入らなくなり、直近の流行や関心事、新規インフラなどの情報を得るために関東の友人らにあることをメールなどで教えてくれと頼みましたが、どうも勘の鈍い奴らだったためか私の言っている意味を理解せず、もとい関西においては東京の情報が入ってき辛いという状況がわからなかったのかついぞ一つも連絡は来ませんでした。

 それが現在において、私は上海にいながら日本のかなり細かい話題などもこうしてブログで取り上げています。何故こうなれたのかというと、インターネットがあるからというよりも、どんな細かい情報もネットに上がるようになったからという影響の方が大きいと思います。例えばノートパソコンの情報も価格コムやAmazonなどを活用すれば手に取るようにわかるし、何が売れ筋なのかも簡単に分析できます。また日本のテレビ番組についても、ネット掲示板……よりも最近はテレビの視聴率を取り合えるネットニュースを見ればどの番組が受けていて、どの芸能人が人気が出てきたのかもわかってしまいます。

 一方で、これは私自身が実際にこのブログで強く実感したことですが、ネットに挙げられない情報に関しては驚くほど共有、認知されない傾向が以前よりも強くなってきています。具体例を挙げるとかつて宮崎県で口蹄疫が流行した際に最初に感染認定された牛が出てきた牧場についてネット上では、韓国人研修生を以前受けれていたことから彼らが口蹄疫を持ってきたという主張が支配的なまでに流行しましたが、実はこの牧場は他の牧場から口蹄疫感染牛が見つかった後で何故か「感染第一号」認定されるという、不可解な経緯がありました。また文芸春秋の取材によると、そもそもこの牧場は外国からの研修生を受け入れた事実などはなく、ネット上で支配的なまでに流行した情報は完全なデマでした。
 しかしこの文藝春秋の記事が出た後も、以前と韓国人研修生犯人説が強く唱えられ続け、誰もその事実の検証はせず、そもそも文春の取材も既に存在していたというのに、同じ主張をその後も取り上げられ続けました。

 実際にその時にいろいろ検索して調べましたが、文春の記事について言及する人間はほぼおらず、この時に私はネットに挙げられていない情報、この場合は雑誌情報は、ネット上では驚くほど共有されないと感じました。

 話は戻りますが、今回の伊東氏の記事でも外国語の情報はネットを通して手に入れられるようになっているにもかかわらず、誰も原典には当たらず、むしろいい加減な解釈や予測の記事を読んで海外事情を誤認する人間は前より増えていると私も日々感じています。私の場合は中国語と英語しか読めませんが、これらの言語のメディアを見ていると日本国内の海外報道の少なさに驚くとともに、「いい加減な報道しているな……」と感じる日系メディアもよく見られます。
 それこそ、東スポとか週刊実話のような中国メディア(大紀元とか)の記事を翻訳して報じるようなのです。中国人も信じないメディアの記事が、日本では中国事情として報じられるわけです。

 今自分がJBpressでやっていることについてよく周りに、「日本人に現実を見せる仕事だ」と説明していますが、それにはこういった背景があります。情報量がネットの隆盛によってあからさまに増えた一方、明かなデマ情報も増え、またそれに対してなんの警戒もなく受け入れる、情報の取捨選択ができない人間は増えているでしょう。
 何も自分だけが真実を報じられるだなんて自惚れちゃいませんが、なんとなくこの方面に危機感を持って仕事しているのはウソではないです。

2018年6月25日月曜日

生きる力を育てる教育とは?

 今日ニュースを見ていたら2020年から小学校で必修となるプログラミング教育について、学校側はどこも全く準備を進めていないというものがありました。私自身もこの方針については疑問に思うところがありさもありなんとか思ったのですが、これ見て昔言われた「生きる力を育てる教育」を思い出したので少し話します。
 っていうか一昨日に「地球防衛軍ポータブル3」買って死ぬほど遊んで今疲労がやばいです。よくできたゲームだし、やっぱこういう単純化された面白味が他のゲームは物足りないです。

 さて生きる力を育てる教育ですが、私の記憶が確かなら1990年代半ばに中学生の自殺が大きなニュースになり、当時の公立校で一時期叫ばれた教育論です。私自身も小学生の頃に生きる力云々とか言われたのを覚えていますが、はっきり言って掛け声倒れもいいところで、どんな教育を指すのか、どう指導するのか学校現場も何もわかってなかった気がします。案の定というか結局数ヶ月くらい叫ばれた後はすぐにフェードアウトして、そもそもの発端となった中学生の自殺事件についても触れられなくなり、それから数年してまた別の自殺事件が起きてから「自殺良くない」という同じような運動の展開が延々と繰り返されるわけです。

 一応というか私の記憶の範囲で言えば、生きる力を育てる教育としてまず挙げられていたのは「命を大事にする」というようなフレーズが飛び交っていました。狙いとしては自分の命も相手の命も大事にすることでいじめはなくなるし、生きる大切さに気付くだろうという腹積もりだったと思いますが、齢30を越した自分に言わせるとこんなの逆効果です。
 生きる力とは命を大事に思うとか、遭難時に役立つサバイバル能力とかではなく(後者はまぁ生きる力の一種だとは思いますが)、突き詰めて言えば「奪う力」だと思います。自分が欲しいもの、具体的な物質でもいいですし、立派な地位や安定した立場とか名誉など無形のものでもいいですが、そうした欲する対象を手段を選ばずに奪おう、得ようとする心構えと価値観、真剣さというのがこの奪う力の定義です。

 何故このように考えるのかというと結局は奪おうとすればガツガツ動かざるを得なくなり、自然とアクティブになるからです。逆にこの奪おうという意気込みが弱くなると、現状から何も手が出せなくなりどんどんと縮こまり、世界が小さくなっていくとともにどんどん消極化して自殺する可能性も生じてきます。
 具体例を挙げると、奪うという行為に対して「奪う対象に申し訳ない」という呵責を覚えることこそが、奪う力を萎えさせます。こんなことを言うとさも私が強盗めいた行為を奨励しているように見えるでしょうが言い訳しておくと、「奪われる覚悟がある者にのみ奪う行為は許される」という前提があります。

 社会において最小の労力と投資で最大の効果とリターンを得ようとするのは当たり前で、この際に相手のことを過度に慮り低い利益率で取引をすることは、まわりまわって社会全体の効率を落としてしまうことの方が多いです。ある意味、競争関係が維持されることで世の中は一番効率的に回り、そうした意味で「緊張感漂う奪い合う社会」こそが正常な社会状態だと私は考えます。
 こうした社会、というよりも普通の資本主義社会ではこれこそが一般的な世界観であり、奪うことに呵責を持つこと自体がこの社会において不利にしかなりません。特に、「奪うのではなく与えてもられるようにする」という価値観は私に言わせれば危険で、奪う側にとっては実質カモだし、他人に依存する価値観は精神を脆くさせるだけです。

 そういう意味で私は、小学生にはまだ早いかもしれませんが中学生くらいには、「暴力や詐欺といった非合法な手段は良くないが、世間的に合法とされる範囲であれば迷うことな効率的な手段を選び、仮借なく相手から奪え!」と教えてあげたいです。その一方で、「長期的な関係を見越して相手に奪わせるのも一つの手」だとして、「まず与え、そして奪う」という史記の管仲伝に出てくる政治概念を解説するでしょう。
 その上で、「一方的に奪い続けるのは、恨みを買うので良くない」ということも教えた上で、「いらないものを奪わせ、いる物は何としてでも奪え。どうやっても奪えないと諦めたその時点で、君の生きる力はマイナス1ポイントだ!」とまくし立てるでしょう。

 真面目にまとめると、奪う覚悟と奪われる覚悟のどっちもない人間は非常に脆いのですが、日本の教育はこうした人間を今量産している気がします。欲しいものを得るためには努力して、リスクを冒さなければならないという大事なことを教えず、「言われた通りにやっておけば与えられる」という間違った価値観を教えているように思えてなりません。だから生きる力が育たないんだと思うし、中国にいてその辺のリアルさを日本は社会全体でいまいち理解してない気がします。まぁ学校の教師ならそれこそ「言われた通りに……」でさもありなんなのですが。

2018年6月24日日曜日

個人情報開示の疑問点

「最後の声が聞きたい」御嶽山噴火で不明男性の通報音声、公開を阻んだ「個人情報」の壁(中京テレビ)

 上の記事は御岳山の噴火に巻き込まれたと考えられるものの、その後遺体等が見つからず行方不明となった方の親族が、救急センターに残された本人の音声開示を求めたトラブルを取り上げたものです。その音声は本人が直接199番して噴石が直撃し動けないことなどを述べた内容だそうですが、その最後と思しき音声を聞きたいと親族が申請したものの、行政側は当初拒否したそうです。
 理由は個人情報の開示は本人の同意なくしては行わないという規定があるからだそうですが、結論から言えばこの判断には疑問で、この件に限らず日本の個人情報を巡る考えや取り扱い方はおかしい気がします。

 私がこのように判断する理由は以下の通りです。

・(被害者)本人は災害死していることがほぼ確実視されている。
・申請者は親族
・公開される情報内容は本人の不利益につながらない(というより無害)

 仮に上記条件のどれか一つ欠けるなら議論が必要ですが、上のような条件が揃っているなら考えるまでもなく一発で公開すべきだったでしょう。遺族の心情的にも最後の音声を聞きたいという気持ちはよくわかりますし、いたずらに時間をかけたのは、本人を傷つけない配慮への逡巡からかもしれませんが遺族に対しては十分痛めつけるものだったでしょう。

 中京テレビはこの件に絡め各自治体や消防組織にアンケートを取ったところ、4割は「公開できる」と回答したそうですが、逆を言えば残り6割がそのように答えなかったという事実の方が私には驚きでした。それこそ「フロントミッション5」のリン隊長に言わせれば、「クソの役にも立たないクソムシどもだな」といったところでしょう。
 中京テレビの取材で一部自治体は、「基準となるガイドラインや法律を作り指針を出してほしい」といったそうですが、正直呆れます。一挙手一足までいちいちお上に決めてもらわなければ何もできないのか、こんな細かいレベルの内容までいちいちガイドラインなど作っていては、かえって例外事態に対応できなくなるし、そもそもそんな難しいレベルの話ではないはずです。むしろ基準などいらないくらいの、良識の範囲で十分判断できる内容でしょう。

 この件に限らず日本の個人情報保護、開示の価値観なり考え方はややおかしいです。流出した個人情報を流出させた人間が罰されるのはまだわかるにしろ、それを不正に流出したものだとわかっていながら悪用する人間は一切罰されません。具体的に挙げると、ベネッセから流出した個人情報を、恐らくわかっていながら購入、使用したジャストシステムとかです。
 何故この方面の価値観がおかしくなったのかははっきりしており、普通に判断すればいいものすら判断できないレベルの人間が多すぎるからに尽きます。これに限らず公開されてしかるべきの情報をきちんと公開せずにあとで大事になるケースも散見されますが、前述の通りこの方面は法・条令化なんていちいちせず、社会の良識の範囲でルールを自然と作るべき、市場解釈主義的な立場を私は取ります。

 っていうか日本人は遵法意識が低い癖にやたら法律を頼ろうとするのが割と不思議です。

2018年6月22日金曜日

陰陽師とポケモン

 どうでもいいですが先週末、自宅で窓開けて原稿書いていたら外から割とでかい虫が入ってきたかと思ったら、その虫を追って割とでかい鳥が家の中に突入してきてのけぞるくらいビビりました。多分鳥の方も私の姿にビビったんだと思いますが窓から入ってくるや空中で一旦ホバリングした後、すぐさままた外へ出ていこうと窓ガラスにゴツンとかなりでかい鈍い音をしてぶつかったものの、仕切り直しの二回目ですぐ外へ飛び立っていきました。
 一方、割とでかい虫はしばらく室内を飛んでから窓の外へと出ていきましたが、そしたらさっきの鳥がまたその虫を追っかけて飛んできました。意外と執念深い鳥でした。

 本題に移りますが、昨日書いた記事で「漣泉大江戸」というスーパー銭湯がスマホゲームの「陰陽師」とコラボした内装を組んでいたことを紹介しましたが、このゲーム自体はやったことはないものの、友人の嫁が遊んでいたので見知っていました。なお友人はこの前家族とともに日本へ旅行するというので、それなら京都寄る際に奥さんを晴明神社に連れて言ったらどうかと提案したところ、割と楽しんできたそうです。

 さてその陰陽師ですが、実はポケモンと深い関係にあるのではないかという説があるというか別の友人が主張しています。曰く、「ポケモンの発想の元は陰陽師の式神」だそうです。
 式神というのは知っている人なら早いですが、形代となる紙に念を送ることで動物などに変え、陰陽師はそれを使役して小間使いにしたり、場合によっては鬼と戦ったりします。先ほどの「陰陽師」というスマホゲーはまさにこのコンセプトで、式神を増やして戦闘をしていくという内容になっています。

 友人によるとこのコンセプトこそがポケモンと同じだそうで、ポケモンを増やして育てて戦わせる、本人は戦わずに魔物を使役して戦うというのが日本人のスタイルで、他の文化圏にはない特徴だそうです。まぁ細かいところを挙げたら欧米の魔法使いにも使い魔とかいますが、ポケモンレベルにまで発展させたのは確かに日本人くらいでしょう。
 たまたまですがポケモンを生んだ任天堂は京都の企業で地縁的にも関係はあります。そのように考えるとポケモンの祖は安倍晴明だったのかということになりますが、ポケモンマスターと呼ばれても多分彼もあまりうれしくないんじゃないかという気がします。

 最後に一つ気になる点として、友人の嫁といい何故か安倍晴明のような陰陽師は女性の方が人気が高い気がします。映画や漫画もそうでしたし、安倍晴明神社も女性の参拝客の方が圧倒的に多く、「是は如何に?」と古語で言いたくなるほど不思議です。私なりに分析すると、陰陽師というキャラには占い要素がくっつくことが多く、その点が女性を引き付けてるんじゃないかと思います。

2018年6月21日木曜日

上海第2の大江戸温泉


 先週末に上海市内にある航空博物館に友人と行ったことをこの前記事にしましたが、この日はこの博物館を見た後、そこから地下鉄で数駅先にある上海第2の大江戸温泉こと「漣泉大江戸」に行ってきました。


 場所は地下鉄1号線の莘庄駅から歩いて20分くらいのところで、航空博物館のある蓮華路駅からは数駅です。駅から遠いため一緒に来た友人が、「歩きたくない(´・ω・`)」とか言い出したので結局タクシーで向かいましたが、この施設は去年12月のオープン前に私は既に取材しています。

第2の「大江戸」温泉施設が上海に出現!(JBpress)

 取材には行ったものの、まだオープン前だったということから実際に湯船につかることはなく、その後も機会がなかったので一度も足を運んでいませんでしたが、最初の目的地から近いこともあったのでこの機に行ってみました。


 さすがに風呂の中を写真を取ることはできませんのでこのまま文字で伝えると、施設内同様にめちゃくちゃ広く、露天風呂も意匠の凝った陽光をうまく取り込む壁と屋根が配置されており、見事な設計でした。なお水風呂に入ろうとしたところ友人は私の背中に水をかけてきたので、後で体洗う際に冷水のシャワーを浴びせ返しました。
 施設内に関しては取材時も感じていましたが、非常に広い上に贅を極めた設計がされており、これほどの銭湯施設となると日本でもなかなかお目にかかれないと断言できます。各所に畳が敷かれた一角が設けられており、抱き枕とともに寝る客が多くみられました。

 真面目に、上海市内に在住であれば一回足を運んでみることを薦めるくらいの立派な施設です。料金もネットのクーポンを使えば136元(約2300円)からガンガン値引きされ、実際この日も私と友人で二人セットのクーポンを使うことで69元(約1000円)で済みました。

スマホゲームの「陰陽師」とのコラボ

入口ロビー 

 相変わらずのくまモン推し

私が食べたすき焼き定食(60元=約1300円)

 唯一惜しいと思ったのは食事です。取材時に聞いていますが和民グループがフードコートを運営しているそうなのですが、定食メニューのお店だけやたらと客が来ていて、他のメニューのお店はガラガラで偏っていました。それもそのはずというかラーメンやお好み焼きが50元(約1700円)くらいとやや割高なのに対し、定食はそれとほぼ同じくらいの値段でした。
 また提供しているメニューも日本食ばかりで、ローカルの中華料理ともなるとほぼ皆無という有様です。中国人客が多いということを考慮すると、これでいいのかとやや疑問に感じる布陣でした。

 客入りに関しては昼過ぎ時点では割とガラガラでやはり交通アクセスが悪いせいからかと思っていましたが、時間が経つにつれてどんどん客は増えていき、最後に出る際は入口ロビー周辺も賑わっていました。ネットの掲示板ではマイカー客からは駐車場が無料で入りやすいなどと好評であり、ロケーションを考えるとやはりこういったファミリー層がメインターゲットなのだと思えます。

 私と友人は3時くらいにここを出て、「アウトレットで靴みたい(´・ω・`)」という友人のためにまたタクシーで今度は上海南駅地下にあるアウトレットモールへ行きましたが、自分が見たいとか言ってたくせに着いたら全く見向きもせず、「君はどれ買うの?(´・ω・`)」と、ずっと私に売り込みをかけ続けてきました。
 最終的に、歩き回ることから山鞋しか持っていなかったこともありミズノの軽量スニーカーを300元(4200円)で私が買うことになりましたが、今まで山鞋をずっと履き続けたこともあってか、めっちゃこの靴だと軽く感じます。っていうか買ってる最中に友人は店員らと、

「あいつこんな重たい靴ずっと履いてたんだよ(´・ω・`)」
「うわ、こりゃ重たい(;´・ω・)」

 などと中国語で話していました。
 ただ今回ミズノのスニーカー履いて思いましたが、やはり日本人だからか私は偏平足をしており、ミズノの靴は日本人向けにやはりその辺合わせているのか幅の広い靴になってて、こっちの靴だと小指が締め付けられなくて楽になりました。日本の靴メーカーを使う意義あるんだなと、ちょっとミズノを見直しました。

2018年6月20日水曜日

サイコパスにはアホが多い

 昨夜残業して疲れているところに、「これから日本戦見に行こう!」と、共通の後輩が別の人とサッカー見に行ったせいで自分が代わりに友人の上海人とのサッカー観戦に付き合わされました。さりげなく酒代も5元(約75円)ちょろまかされそうになったし。

 そんなわけで疲れているのでどうでもいいパッと書けることを言うと、サイコパスは知能が高く狡猾な人間が多いとよく言われていますが、これは映画「羊たちの沈黙」がもたらした誤解らしく、最近の研究によるとサイコパスはむしろ平均的に知能で劣るそうです。普通に想像しても、共感性に欠け相手の痛みに無頓着な人間がサイコパスらしいですが、その手の連中が賢いかっていったらやっぱり疑問で、実際私が見て来たそれらしき人間もアホばかりです。

 どちらかというと、サイコパスは賢いのよりもいわゆる脳筋タイプ、ガチガチな体育会系のようなタイプが多い気がします。最近の例だとアメフトの内田、レスリングの栄などのように、どう考えても詭弁としか思えない言い訳をアホみたいに平気に口にして、本人らは事態を鎮静化させようとしているつもりのようですがどう見たって燃料を投下、無意味に視聴者を煽るような発言しかしていないこの手の人間が本来あるべきサイコパスの典型だと思います。しかもこの二人、問題のある発言を繰り返していながら、それに対する周囲の反応に無頓着というか何が問題だったのと言わんばかりに振舞っており、つくづく空気読めない人間だと思えてなりません。
 っていうか芸人の千原せいじ氏が「なにわろてんねん」という具合で妙なポイントになってて面白かったですが。

 現実にというか、私が実際に会って「サイコパスだな」と感じた人間はそろいもそろって完全な体育会系でした。知的さはむしろ皆無です。多分、相手が自分の言動をどう受け止めるかが全く分からないから真面目にアホな行動を連発するようになってくるんだと思います。
 それにしても一連の日大の会見については、あれほど短時間に多くの人間をイラつかせるというのはある意味凄い気がします。過去を振り返ればボクシングの亀田三兄弟の時以来じゃないかと思うレベルで、他人を煽ることに関しては日大は一級レベルと認定してもいいでしょう。この件について危機管理がどうのこうのという議論が起こりましたが、危機管理とかではなく如何に相手を煽るかという、プロレスのプロモーター目線であの騒動は捉えるべきでしょう。

2018年6月18日月曜日

上海の航空博物館(上海航宇科普中心)


 突然ですが昨日、上海市内にある航空・宇宙博物館こと上海航宇科普中心に友人とともに行ってきました。上の写真は敷地内にずらっと居並ぶミグ、ミグ、ミグ……の数々です。
 そもそもなんでこんなところに来たのかというと、「そういえば上海市内にも確か航空博物館があったよな」と、先週急にマルクス的な電波をキャッチしたからです。早速ネットで調べてみると上海市の郊外、1号線の蓮花路近くにあることを突き止め、「来る?」と尋ねたら「来る」と言った地元上海生まれ上海育ちの友人とともに行ってきました。なお連れてきた友人は上海市内にこんな博物館があること自体知りませんでした。

 入場料は8元(約136円)と上海の物価を考慮しても非常に安く、リーズナブルでしたが、入場前に身分証を求められたので私の外国人就労許可証を見せたところ「?(;´・ω・)」って顔されたので、友人が代わりに身分証を出しました(代表者1人でいい)。

現在開発中の旅客機C919のモックアップ 

コックピット内部も細かく再現 

 客席内部も再現(嘘)

 上の客席の写真は、展示館内に設けられた実寸大モデル内部の写真です。モックアップ写真の左上に見えるのがそれですが、割と実感的なモデルで、見ていてかなり楽しかったです。
 個人的にもったいないことしたなと思ったのですが、つい先週にARJ21とC919という中国が開発中の旅客機の記事を出したばかりでした。もしもっと早くここに訪れていたら、上記のモックアップをはじめいろいろ写真に使えたのですが。

 戦闘機コーナーには多数の模型を展示

日本代表としてゼロ戦が(こっちでは「零式」と書くよう)

流体力学コーナーの一角、エアーでピンポン玉を浮かして遊べる 

不遇なMiG-29の姿も 

エア・フォース・マオの内部 

 ご尊顔

 既に廃棄された旅客機も現物そのままで敷地内に展示されており、恐らく毛沢東のお召列車ならぬお召飛行機もありました。めっちゃ古くて、変なテンションになってた私と友人は「めっちゃふりー」とか言いながらはしゃいでました。

DC-8内部 

日本語表記のプレート

 同じく、DC-8の現物もそのまま置かれてありました。機体内部には上記写真のように日本語表記のプレートが散見されたことから、恐らく日本の航空会社が使用していた機体が中国に払い下げられ、その後この博物館に回ってきたのだと思います。エア・フォース・マオと違い、こっちはまだ現行の旅客機とそこまで時代に差がなかったことから、私も友人もそんな大はしゃぎしたりしませんでした。

 結果から言うとめちゃくちゃ楽しかったです。私と違って航空機にそれほど興味のない友人も面白がっており、割と誰にでも勧められる施設であると太鼓判を押せます。中でも展示物については、まだ使っていない写真も多いのですが解説と合わせ非常によくできており、一部戦闘機の模型に至っては木製でできているという入れ込みようでした。
 また流体力学のコーナーもいろんな装置が置かれてあり、友人も片っ端からボタン押して遊んでましたが子供にもわかりやすい内容となっており、こう言っては何ですが、かかみがはら航空宇宙科学博物館よりもずっとよくできているとすら覚えました。あっちにゃミグないし……。

 恐らく軍の金も入っていることからこんな格安の入場料で且つ展示物も割と豪華なんだと思います。ただ友人は存在すら認知していなかったほどもあり、来場客は連休にしてはやはり少ないと感じるほどでした。ハードウェアだけでなく先ほど述べたようにソフトウェアこと解説面も充実しているだけに、もったいない気すらします。
 敢えて惜しいところを挙げるとしたら、宇宙関連の展示はほとんどなく、外にロケットの模型が置いてあるだけでした。まぁ宇宙関連には興味ないんだけど。あと売店も、昔あったような痕跡はあるのですが営業しておらず、子供相手にプラモとか売ればいいのにと思わずにはいられませんでした。

 この日は早朝から博物館に入って11時くらいに出てきたのですが、ちょうどすぐ近くに塾があったようで、子供の送り迎えに来た大人でごった返すところに出くわしてしまいました。その後友人とはもう一つの目的地へと向かったのですが、こっちはまた今度書きます。

2018年6月17日日曜日

リヴァイアスは駄作

 こんな記事を書くのも自分でもどうかと思いますが、特に書く話題もないし、かといって別のややこしい記事書いてて現実逃避したいためにブログを書きたいので、とあるアニメの感想について書きます。そのアニメというのも「無限のリヴァイアス」という作品です。結論から書くと私はこの作品は駄作で、見るに値しないとすら考えています。

 この作品は1999年にテレビ放映されたもので、放映当時に私は見ていなかったものの見ていた友人は「最高のアニメだ!」などと絶賛しており、そんなゆうほどのものかいなと思いつつ当時は手を付けませんでした。
 ただ、当時に話題となった作品であることには間違いありません。その友人以外も絶賛する人間は多く、また雑誌などでも頻繁に取り上げられており、価値の高い作品などとよく喧伝されていました。具体的にどういう点が評価されていたかというとまず第一にストーリーで、いうなれば「15少年漂流記」の宇宙SFバージョン、子供だけが乗った宇宙船でサバイバルを続けていくというものですが、苦難に打ち勝つシーンよりも船内の裏切りや暴力、差別、果てにはカルト宗教が蔓延するなど閉鎖空間にありがちなギスギスさが生々しく描かれているなどと評価されました。

 後年、成人になってから私はこの作品を見たのですが、見る前はあれだけ絶賛されていたのだからいくらか見る価値はあるだろうと思っていたものの、のっけから期待倒れで、中盤からは見ているのも辛くてもう何度も見るのをやめようとすら思いながらも、いつかこの作品を批判するべき時が来るだろうと考え、割とマジで苦虫をガムのように噛み続けるような思いをしてまで最後まで見終えました。

 私が何故この作品を駄作、っていうかつまらないと感じるのかというと、ストーリーのギスギスさについてリアリティが物足りないと感じた(船内で死亡者が出てもあまり大騒ぎやパニックになっていない、サバイバル感が感じられない)こともありますが、突き詰めればBGMがひどすぎるの一点に尽きます。
 私の感じた感触で述べると、全体としてこの作品のBGMはクラブミュージック系で統一されており、具体的にはディスコでDJがディスクをスクラッチしながらかけるように、「チェチェチェッ、チェチェッチェッチェチェ……」とか「ディッドゥットゥ、トゥルットゥルットゥ……」のように単音の音が延々と妙なリズムで繰り返され続けるようなものばかりで、第一話でこれを聴いた時、「なにこれ……(;´Д`)」とリアルに唖然としました。

 何もこう言ったクラブミュージックを馬鹿にするつもりは毛頭なく、宇宙を舞台にした少年少女のSF物の世界で延々と同じような曲が流れ続けていることが私には理解できませんでした。SF物のアニメなのに、BGMだけなんかバブル期のディスコっぽい浮いた雰囲気を存分に発揮しており、映像とBGMが全く噛み合っていないように感じたというか、この際もうむしろBGMない方がいいのではと思うくらい違和感が激しかったです。
 しかもこう言った作中世界の空気に合わないBGMが、謎の軍隊に襲われたり隔壁に閉じ込めれそうで死にそうになるような緊迫したシーンでもお構いなしに、「チェチェチェッ、チェチェッチェッチェチェ……」などと他のシーンと変わらないようなリズムと音程で鳴らされ続けており、子供を助けようと大人が殉職するシーンでもBGMが遠慮なく緊迫感を削ぎ、怪しげなリズムの曲の前に大人のキャラが死の直前に絶叫するシーンなんかギャグにしか見えませんでした。実際このシーン、私は大笑いしながら見てました。

 何が凄いかって、日常シーンも緊迫したシーンも曲調に全く変化がないという点です。宇宙船が変な軌道に入ってこのままいくと爆破消滅するというのに、日常シーンと変わらない妙なクラブミュージックがそのまま流され続けており、てっきり私が見た映像のバージョンがおかしいのではないかと本気で考えたほど違和感ありまくりでした。

 念のため書いておくと、私がアニメ作品でBGMに言及することは、主題歌や挿入歌はともかく他にはほぼありません。そもそも音楽に疎いこともあってBGMはあまり気にしないタイプだと自負するのですが、そんな私であってもこのリヴァイアスのBGMには強い違和感を覚えるとともに、ひどすぎるBGMによって作品全体の興味すら失せました。
 なんとなくですが、制作側も途中でこの点に気が付いたのではと思う節があります。というのも中盤から徐々にクラブミュージック系のBGMが流される機会が減り、それ以前とは全体として方向性の異なるBGMが徐々に増えていったように感じたからです。最も中盤から後半にかけてのBGMも前半同様に抑揚に欠けるものばかりで、緊迫したシーンでもやけにゆったりした音楽が流れて、「この曲指定した奴は何を狙って選曲したんだ?」という具合で意図がよくわかりませんでした。

 繰り返しますが、私はアニメの評論でBGMについてこれまで言及したことはほぼありません。そんな私ですら強い違和感を感じ、シーンごとの盛り上がりを興醒めさせられるほどリヴァイアスのBGMはひどかったと感じました。はっきり言ってBGMがなければトンデモ展開がやや多いと感じるもののまだ見れない作品ではないという評価ですが、あのBGMがあるという一点でもってリヴァイアスは駄作で見るに堪えない作品だというのが私の評価です。

2018年6月14日木曜日

会社のトイレで思うこと

 一昨日、友人と日系ラーメン屋で焼鳥を散々食べた後に普通に醤油ラーメンを食べたことが影響してか、出勤途中におなかが痛くなり、多少遅刻してもいいからと駅のトイレに寄っていきいました。そしたら四つあるトイレは全部埋まっており、さらに既に二人が待っているという有様でどうしようかなと思いましたが一応待ちました。そしたらすぐ二つ空いて次は自分だと思っていたらおっさんが一人入ってきて、しかも結構目がやばい状態でしたが、次に空いたトイレには割り込んでくるような暴挙はさすがにしてきませんでした。そしたらすぐその次のトイレも空いたのでおっさんもすぐ入り、誰も傷つかない平和な世界がその日訪れました。
 なお会社は15分ほど遅刻したものの誰も咎めませんでした。っていうか出社時刻は割と自由な会社で、私なんかむしろ真面目な方で、中国人社員なんか毎日出社時刻から1時間経過してからやってくるのが普通です。

 トイレネタを続けると、今は既に直っていますが一時期会社のトイレに妙な問題が起こって放置されていました。その問題というのも3個ある個室のうち真ん中のトイレが常に水が流れてて、いざ処理しようと水を流そうとしてもタンクに水が溜められていないため流れず、いろいろ切羽詰まってしまうというトラブルでした。
 一応、レバーを軽く下げると排水溝に蓋がきちんとしまってそれからは溜められるようになるのですが、この攻略法を知らずに利用した社員なんかは延々と出られず籠ってしまい、陰で私はこのトイレの「魔の二番トイレ」等と呼んでいました。現在は既にこのトイレは直されていますが、一時は常にこのトイレから水が流れ続ける音がしていて、なんていうか枯山水の逆バージョン?みたいに思ってました。

 トイレネタをさらに続けると、私だけかもしれませんが会社のトイレで個室に入って便座に座った際にほのかな温度を感じると、「温かい、犯人はまだ遠くに行っていないな」と毎回思い浮かべます。その逆に、自分が出たばかりの個室を後から入ってきた人がすぐ入ると、「馬鹿め、そこは既に先回り済みだ」などと考えてしまいます。このほか個室を利用中に左右の個室にも人が入ってくると、「しまった、囲まれたか!」と、口には出しませんが思います。自分でも思いますが騒がしい性格してる気がします。

2018年6月13日水曜日

台湾一の企業とは

 もう大分前になりますが友人の紹介で台湾人の方と夕食する機会が得られました。ありそうでめったにない機会、というのも経歴から言ってハイクラスに属し教養のある方だったので、「夏を逃すな」とばかりにいろいろ聞いてきました。っていうかあったの夏じゃなく春だけど。
 ついでに書くと、今いる職場はこれまで経歴してきたどの職場よりもハイクラス、ハイスペックな人間の集まる職場ですが、かつて経験したどの中小企業と比べても、彼らの方が圧倒的に気力、体力で勝っているというのはなかなか興味深いです。クロスボーダーという点では私に分がありますが。

 話は戻しますがその台湾人にまず聞いたのは地域差で、台北と台南が台湾では二大都市だが住民には違いがあるのかと聞いたところはっきりと「ある」と答えられました。曰く、台北は二次大戦後に中国本土から移ってきたいわゆる外省人が多く、台南は元から台湾に住んでいた本省人が多く、性格も北が理知的なのに対して南が感情的、政治思想や支持勢力も見事に真逆だそうです。
 では間の、新幹線も通っている台中はどうかと聞いたら、「途中駅にしかすぎず都市規模も大きくなく、住民もこれという特徴はない」とのことです。
 なお台湾の経済集中地区と言ったら新竹と高雄ですが、新竹は北側、高雄は南側で分かれてるそうです。住所で何度も見ていたけど意外とこの辺の地理感覚は持っていませんでした。

 この次に私が尋ねたのは、「台湾のトップ企業と言ったらどこになる?」という質問でした。私がそのまま、「日本なら三菱グループ、日立グループがそれにあたるのだが」と具体例を出したところ、割とすぐ即答というか、「TSMCだ」という答えが返ってきました。この答えに私は、「意外だが、あそこかぁ」で、一緒にいた友人の中国人二人は、「なにその会社?」という具合で名前を聞いてもピンと来ていませんでした。恐らく、この記事を読んでいる方もほぼ全員がそうなのではと思います。

TSMC(Wikipedia)

 TSMCとは半導体の生産会社で、知る人ぞ知るIT界の大魔神です。その台湾人の方によると、「誰に聞いても同じ結果になるだろう」というくらい台湾では圧倒的な勢力を持つ会社とのことで、シャープを買収した鴻海精密、台湾内はおろか中国本土のプラ原料もほぼ大半を支えている台湾プラスチックなども大きいものの、TSMCと比べたらとても及ばないそうです。
 実際にTSMCの世界的影響力は非常に高く、仮に急なトラブルでこの会社で稼働が出来なくなったとしたら世界の半導体、ひいてはPCやスマホの生産もピタッと止まってしまうくらいの影響力があります。言われるまでは私も候補に入れていませんでしたが、改めてこうして現地の方の話を聞くにつれて「あそこだったのか。まぁまだ納得できる」という具合に一人で納得していました。

 この話を聞き終えた後で私から、「恐らく自分以外の日本人ならTSMCと言っても、その業界関係者じゃなければ誰も知らないと思う。現在の日本と台湾は相思相愛と言ってもいいくらいに住民、政府ともに関係が良好だが、今回改めてその中の良さに比べて日本人は台湾事情について明るくないということを思い知った」という内容を伝えました。
 なお台湾人の日本人観についても確認を込めて尋ねましたが、日本での報道の通りに基本的に好ましいと考えているそうです。ついでに「日本には来たことあるか?」と聞いたら、「もちろん。北海道、福島、東京、名古屋、京都、大阪、四国、九州の各地!」と言われ、「俺より日本中を回ってんじゃん(;゚Д゚)」というくらい行きまくっていました。その方だけでなく、他の台湾人もほぼ全員が日本には一回は来たことあるそうです。

 断片的に語ってきましたがここで一番言いたいことは、関係が良好にもかかわらず台湾の事情について日本はあまり知らなすぎるように思え、やはりもっと関係を深めるためにも、台湾事情について報道、紹介する必要があるのではと考えました。もっともこう言いながら、私も台湾にはまだ一度も言ったことがないんですが。

2018年6月12日火曜日

一貫性なき安倍政権

 今日は米朝会談がありましたがあまりこちらには興味ないので見出しに掲げたネタについて書きます。

 さて「再チャレンジ支援」と聞いて思い出せる人はどれだけいるでしょうか。これはかつて安倍政権が目玉政策方針として掲げたものですが、今現在となっては安倍首相本人ですら覚えていないでしょうが。ちなみに以前「再チャレンジ担当大臣」だったのはその後の防衛大臣で日報問題をはじめ問題の多かった稲田朋美氏です。この人に関してはもう再チャレンジはいらないでしょう。
 なにもこの再チャレンジに限らずとも、地方創生、財政再建(消費税増税)、攻めの農業、同一労働同一賃金など、安倍政権下では数多くの政策方針が掲げられましたがこれらは何一つ成果が出ておらず、むしろ真逆の方向に進みかねない法案などを通したり消費税増税をガンガン延期したりと疑問符が浮かんではやみません。

 唯一、一貫して唱えられているのはアベノミクスですが、これも中身をしっかり見てみると「第三の矢」とは何だったのか誰も説明できないくらい中身がなく、また2年くらい前を最後に誰も何も言わなくなりましたし、多分安倍首相も覚えてないでしょう。一応日銀の黒田総裁はまだアベノミクスの効果や継続を声高に叫んでいますが、空疎に聞こえてなりません。

 一年程度の短命政権ならまだしも、安倍政権は既に小泉政権を超えるほどの長期政権を実現しています。にもかかわらず数多くの政策方針を出しては忘れ、器用貧乏的に目立った実績を残せていないのは明らかに問題があります。この点で言えば、道路公団改革など一部別政策も進めたものの、あくまで本丸を郵政改革においてそれを実現した小泉政権とは一貫性の差で大きな差があります。
 現実にこれまでの安倍政権を見ると、果たして後年に評価されるような新規政策を実現したのかと言えば非常に疑問で、現時点で言うのもやや不公平な気がしますが将来の評価は決して高くないだろうと私には思えます。仮に上記に挙げた政策方針をしっかりと継続して成果を出していれば、その評価はまた違ったのではないかと思います。

 こうはいうものの、目の前の問題を片づけつつ外交を行うといった政権運営に関しては安倍政権は評価できるとは考えています。しかし時代に合わせた制度改革という点では、時間をかけて出すべき成果に関しては正直評価できないというのが現状です。ある意味、目の前の状況に素早く対応はできるタイプだからこそ腰を据えた一貫性を持った活動ができないタイプだったのかもと考えることもできますが。
 安倍首相本人としては、こうした腰を据えた政策の実現としては憲法改正を考えていたのだと思いますが、現時点においてもはやこれは実現が不可能になったと私は考えています。そう考えると、「大きな成果なく長期的に政権を運営した」、ある意味大叔父の佐藤栄作元首相のような評価で終わるかもしれません。ただ佐藤栄作はそうした周囲の評価について自覚があっただけに最後の沖縄返還に強くこだわって実現したとされ、果たしてそうしたものが安倍首相にあるのかどうかというのが今後の評価の分かれ目でしょう。

 最後に、佐藤栄作の名前を出しますがやはりその真逆と言えるのはその兄の岸信介でしょう。そう考えると安倍首相は岸ではなく佐藤に似たのかもしれません。

2018年6月11日月曜日

廃墟的価値観について

 アルベルト・シュペーアと言われれば、ナチマニアからすれば非常に見知った名前であっても一般市民からしたら多分知られていない人物だと思います。この人はヒトラーの最側近と言ってもいい人物で、建築家という職業がヒトラー自身の好みにも合って、他のナチ幹部以上に信頼を持たれて終始身近に仕えさせた人物です。二次大戦後はヒトラー側近の中では早くからヒトラー批判へと転じ、その生前の距離感の近さから後年においてヒトラーの生活について非常に詳細かつ価値のある証言を残しています。

 私がこの人物を個人的に評価している点として、「廃墟価値の理論」を提唱したことにあります。これは具体的に言えば古代ギリシャ時代の神殿などが年月を経て風化の跡が見られるにもかかわらず、現代においても多くの人がその美しさを評価して参観しにくるということを例にとり、数千年という長い時間を経てもその美しさを維持する、もとい廃墟となった後も人を引き付けるような魅力こそが歴史的建築物を作る上で重要であるということを主張した理論であります。

 改めてこの理論について考えてみると、出来立てほやほやの建物や家具はそりゃ見栄えがいいに決まっていますが、一程度の時間を経過すると塗装の剥がれやほつれ等が見え始め、その見栄えは当初と比べると格段に落ちてしまいがちです。その一方、骨董や古家具と言われる物品は長い年月を経ながらも、一部メンテナンスのおかげによるものもありますが、その美しさを保ち長きにわたり評価され続け、物によってはその年月の長さ自体が評価アップ要因にすらなります。

 シュペーアはこの理論に則りベルリン市を年月を経ても、極端な話風化したあとも美しさを持つような街に設計することを考えていたようですが、この価値観はこと美を論ずるに当たっては非常に重要な要素だと私には思います。実際に私も家具や道具などを選んで買う際はその見栄えや機能性も考慮に入れるものの、一番重要視するのは「これ古くなった後はどんな感じになるんだろう」という一点です。マグカップにしろ急須にしろ、最初でこそ新しさもあって使ってて楽しいでしょうが、毎日何度も見ていて飽きを感じる頃にはどのように見えるのか、また汚れが付き始めたらどんな感じになるのか、そういったことを想像しながら選びます。
 特に重要なのは飽きが来るか来ないかで、派手な装飾のものほどやはり飽きるのも早いだけに、地味さの中でどれだけ個性を持たせた装飾や形をしているのかなども気にしています。

 日本は住宅にしろ、古いものは原則価値を失うという概念が強く、その点にあまり疑問を挟みません。しかしたまに使う道具ならまだしも、長期にわたり何度も使用する道具、さらにはファッションとかでも、飽きが来る長さはそれ自体が美を維持する要素であり、一撃の破壊力はなくても安定した攻撃力を持つような具合で、長期的に見ればこうした道具とかの方が価値があると私には思えます。
 使ってみたい、使ってみたら楽しそうも大事ですが、どれだけ飽きがこないだろうか、3年後も「ほんまええなぁこれ」と思って使えるか。そうした価値観で以って私は物を選びますが、この概念の下はシュペーアの廃墟価値から来たもので、この点でシュペーアはいいこと言ったと勝手に考えてます。

 もっともこう言いながらも、機能性やコストパフォーマンスに負けて妥協することも少なくありません。今使っているマウスコンピューターのノートPCなんかその最たる例で、機能的にはイヤホンジャックの接続が怪しいこととスピーカ一意外はほぼ満足していますが、このデザインには当初から愛着が持てず、「何故こんなダサいデザインで行こうと思ったのだろう?」といつも思います。
 一方、毎日見ていて飽きないのは南部鉄器の急須と、枕元に置いてあるユーロファイター・タイフーンのプラモです。タイフーンなんか他の戦闘機と比べると非常に保守的なデザインですが、だからこそ飽きない美しさを感じて気に入っています。まぁ一番はやはりMiG-29のままですが、こっちはたまに目に入れたくなくなる時もあり、やはり一発の破壊力に強い美しさな気がします。

  おまけ
 東京の建築物で言えば、東京タワーとスカイツリーがまさにこの点でいい対比な気がします。後年評価されるのはどっちなのでしょうかね。

2018年6月9日土曜日

文章が読めない人、書けない人

日本の生産性を引き下げている「文章を読めない人」(JBpress)

 最近、我らがJBpressで上記のコラムが掲載されてました。記事内容については特に異論はなく賛同するのですが、文章が読めない人というのは最近になって増えてきたかといえばそうでもないのではという見方を持ちました。例えば私が高校生くらいの頃は、「最近の若者は携帯電話でメールばかり打っているから文章もメールっぽくなっている」などとして、長文が読めないなどと言われていました。
 またとある会社で90年代、ある新人が営業資料を会議に出したところある管理職のおっさんが、「おい、この『そり』ってのはなんだ?」と、「粗利」という漢字について質問が飛び出て来たそうです。この話を先輩から聞いた時、真面目に早く見切りをつけて良かったと内心思いました。

 話は戻りますが文章が読めないという現実は確かにあるものの、それ以前に文章が書けない人の方がもっと深刻なのではないかと思う節があります。現実問題としていろんな文章を見ていて、さすがに新聞記事などは社内で校正入っている分そこまで変なのは少ないですが、一般的な企業間の文章や報告書などを見ていると、「てめぇ何が言いてぇんだよ」とリアルに言いたくなるような知っちゃかめっちゃかな文章がガンガンあり、むしろこれを読めっていう方が無理難題過ぎるという実情があったりします。
 こういうのを見るにつけ、そもそもまともに文章が書けない人が文章を出すから、読めない人はもっと読めなくなってディスコミュニケーションスパイラルが起こっているのではというのが私の見方です。

 そもそもというか、文章をきちんと書くトレーニング自体が日本ではやはり不足していると思います。最後の砦であった大学でも近年はレポートや論文提出課題が減っていると聞き、中学高校稿レベルに至っては論外でしょう。何故論外かというと、そもそも文章を指導できるレベルの教員がいないと断言できるからです。
 実際というか、私が高校生だった頃は学内のどの国語教師よりも自分の方が文章表現力があると思っており、彼らに教わることなんぞ何もないどころか自分の方が指導できるとすら考えていました。今現在を振り返っても実際に当時の時点で高校レベルの教師であれば遥かに凌駕するレベルの表現力を身に着けており、あの時の自己評価はあながち自惚れでもなかった気がします。その上で現在、自分で書くこともさることながら人への文章指導もそこそこレベルが高いと自負しています。

 そんな自慢話は置いといて私が思うに、そもそも中学高校レベルできちんとした作文指導を行っていないことが日本の文字的ディスコミュニケーションを誘発していると思います。具体的に求められる指導としてはまずは量、そして複数の表現技法でしょう。学校現場で求められる文章は感想文などが多いことから基本一人称ですが、やはり三人称も敢えて書かせたりするのも手だと思います。私自身も、最初小説を書いていた時に一人称から三人称へ変えてみて、非常に見方や技法が広がりましたし。

 その次に、これはかなり以前というかもはや8年前の記事で述べていますが、文章での主張に制限を加えないことです。リンク先の過去記事でも書いている通りに読書感想文では通常、どれだけその本の内容が優れていることしか書くことが許されず、どれだけつまらなかったかとかどれだけ内容に問題があるかなど批判的視点を記述することは実質的に禁止されています。しかし感想文なのだから本来は読者がどう思ったのかを書くべきであって、それを肯定的内容しか認めないという点で教育的にも非常に問題だと常々思っています。

 やはり見ていて自分の思ったこと、感じたことでない内容を無理やり書かせられるため、作文自体を嫌いになっている人は少なくない気がします。私自身、自分の思っていることを好き放題に主張して書けることを知ってから文章に目覚めたところありますし、また作文は嫌いでもメールを打つのが好きだというのであれば、文章が書ける要素が全くないわけではないとも思います。

 以上の点をまとめると、そもそも学校現場に文章が書ける人がいない、指導できる人がいない、だからこそ文章が読めない人が多いというフローではないかというのが私の主張です。あともう一つ蛇足を書くと、文章能力の高い人間を社会が全く評価していないのもこの傾向に拍車をかけていると思えますが、案外何かテーマを持たせて文章書かせれば、その相手の知識や嗜好、実力などはある程度見えるので就活でなぜ採用しない会社が多いのが地味に不思議に思ってます。

2018年6月8日金曜日

意外に早かった

 今週水曜にJBpressで中国の旅客機開発の記事を出しましたが、何の気なしに記事見出しを検索にかけたところ、なんと全文丸ごとコピペしているブログを発見しました。しかもよく見ると私以外にも大量の記事が全文勝手に掲載しており、まぁひどい奴もいるなと思いつつ、折角だからと思って通報かけてみようと試してみました。

 当該ブログはFC2ブログだったため早速FC2の通報窓口を探したところ、著作権関連の通補受付窓口が用意されているのを発見しました。そこでここに自分がこの記事の著作権者であり且つ記事の正式な投稿先はJBpressであるとアドレスを付けて連絡し、当該ブログが無断転載を行っている旨を通報しました。そしたら翌日にはメールが来て、

「FC2事務局です。
ご報告いただいた以下のコンテンツの処分を進めます。」

 という言葉とともに、通報したサイトのアドレスが付けられていました。早速そのリンクをクリックしたところ、既に削除されたのかエラー表示が出るだけでした。
 ただ、大本のブログ本体については現在もアクセスが可能なまま更新も続けられています。厄介ごとを避けるためにそのサイトのアドレスとかは載せませんが、意外というかFC2が果断に対応したのは少し驚き、やるじゃんとか思ったわけです。

 一応最後に書いておくと、記事の全文引用とかではなくリンク貼りつけ、また一部引用とかなら別にいちいち目くじらを立てることはなく無視しますし、むしろありがたいです。ただコンテンツを無断に、しかも自己利益の実現のために使用することはやはり良くないと思うし、自分以外の人間への影響も考えて今回こうして対応を取りましたが、何kなこの方面のガイドラインというか法律、具体的には無断使用に対して賠償を自動でどこまで請求できるのかとか決めてもらいたいものです。

2018年6月7日木曜日

社員人生を支えるITリテラシー

ランキング(イータイピング)

 私ほど日がな一日中キーボードを叩いている人間は少ないと断言できますが、このところ誤字は前から多いけどミスタイプの頻度が異常に上がっていて、既に必要十分な実力を身に着けているから不要だと思っていたタイピングについて練習サイトへ通うようになりました。久々に集中して叩いているとそこはかとなく感覚が良くなるように思え、またサイトの診断で右手の中指、薬指にミスタイプが多いと指摘されて結構新鮮な発見がありました。
 なおランキングは現在143位に入っています。上には上がいる者です。
 あと右手にミスタイプが多いと指摘されて初めて気が付きましたが、右手よりも左手の方が繊細に動かせます。もちろん私は右利きですが、事指先に限れば左手の方が非常に機微な動作を行えるし感覚も鋭いです。一体何故なんだ?

 以上のようにキーボードの速さに関してはそこそこ自信があったのですが、そんな自信があるわけでもないのにやたらと周りに頼られるのは実はExcelの技術だったりします。そんな大したレベルではないと自覚しているのですが、細かいセルの処理とか表現方法、あとグラフや関数とか作るのに割かし手慣れていることからか、基本どの職場に行ってもエクセル関連の質問やトラブルは自分に寄せられます。最初に入った会社に至っては、別の事務所からわざわざ電話がかかってきて対応したこともありましたし。
 ただ、こうしたエクセルの知識なり経験が地味に、私の会社員人生を支えているような気もします。他に大した能も持っているわけではないですが、地味にこういったオフィスで目立たないけど頻繁によく使う作業の能力があると役立つことも多く、実際これで周りの信頼を勝ち取っているところがあります。

 その上で言うと、就活中の学生なんかはやはりワード、エクセルの一般的な処理について早いうちから学んでおくといいと思います。あまり目立ったアピールになりませんが入社後はこれらのスキルは即戦力的に役立つし、作業速度が早ければ早いほど周囲も評価してくれると思います。
 こういうと参照関数とかマクロとかできるレベルを目指すべきなどという意見がよく出てきますが、そこまでいかずともフォントの使い分けやセル内の改行、枠線処理などの基本的な処理方法だけでも十分だと私は思います。実際、よく聞かれるのはこの辺だし。

 なお私のエクセルの最高傑作は、海外拠点情報サイトの編集に使うマクロを組んだファイルです。具体的には拠点一覧表の一部をコピーして貼り付けるだけで自動ですべてのHTMLをくみ上げるので、あとは目立つボタンをクリックするだけでコピーでき、それをサイトの投稿ページに貼りつけるだけで一ページできるようになっています。やっぱりこういうものを早いうちに作らせると自分でしくみとか考えるので、若手社員がいるなら「こういうエクセル作れ!」と言ってみるのも手かもしれません。

2018年6月6日水曜日

旅客機記事の裏側

MRJのライバル、中国旅客機を侮ってはいけない理由(JBpress)

 今日出たのがこの記事ですが、なんでこの記事を書いたのかというと前回に書いた戦闘機ネタの記事を関連リンクとして付けられると踏んだからで、それ以外だと実はあんまなかったりします。まぁ手早くちゃっちゃとかけるってのも大きいのですが。
 それ以上にこの記事、戦闘機記事もそうですがそもそも航空機の専門家でもなければ決して飛行機が好きでもなく、ましてやこの方面に詳しい知人も周りにないというのによくもまぁこういう記事書けるなという点で自分にびっくりです。最近なんだか、予備知識とかなくてもそれなりに見える記事を書くのに長けてきた気がします。

 もっとも前回の戦闘機記事でも同じこと書いていますが、航空機の専門家に記事を書かせるとやたらディープな細かい性能比較とかやって、私同様にこの方面に詳しくない読者を置いてきぼりにしてしまう傾向があるだけに、今回も素人目線で必要最低限の事実の言及にのみ留めるよう意識しました。よく読んでもらえばわかりますが、この記事では日中の各旅客機の性能についてはほぼ全く言及せず、発表されている開発状況だけを紹介するにとどまっています。
 そのため、ボクシングで言えばフックのみでアッパーカットのないというか、「これは!」という事実報道のない記事に収まっていますが、ヤフコメみてるとあまりこういう中国の航空機開発状況について知らない読者からしたらわかりやすく読まれたのかもしれません。っていうか今回の記事はやたら肯定的なコメントばかり集まってて、普段批判されてばっかだから「え、何かおかしくない?(;´・ω・)」と逆に不安を感じました。

 以上のような経緯から記事内容についてはあまり紹介する裏話はないのですが、記事にしなかった部分では今回はいくつかあります。

 まず一つは記事中で、「中国を格下とみて侮るべきではない」的に書いていますが、この箇所は最初のドラフト提出時に「バッサリ切っても構わない」と伝えたとおりにバッサリ切られており、当初はこんな風に書いていました。

「ただ筆者個人の見解を述べると、相手を侮る以上の利敵行為はなく、たとえ格下の相手だろうが冷静に彼我状況を分析し、全力で叩くよう動くのがビジネスにおいて肝要だと考えます。品質の悪さを指摘するのであれば、実際に何か事故を起こしてから盛んに喧伝すればいいだけです。」

 この箇所はあるかないかでかなり記事の印象が変わるだけに、切られても確かにしょうがないと最初から覚悟していましたが、「相手を侮る以上の利敵行為はない」というのは本心です。これでどんな批判コメント来るだろうとワクワクしてましたが、やはり危ないと思われたのか削除されたというわけです。
 それにしても「事故起こしてから喧伝すればいい」というセリフはなかなか気に入ってます。これもリップサービスではなく本心です。

「飛べないMRJ」から考える日本の航空産業史(日経BP)

 次の点ですが、上のリンク先は今回の記事を書く前に読んで参考にした内容で、当初はここでの対談内容も盛り込むつもりでした。具体的にはさっき回避すると言った技術論に当たる箇所で、「MRJの開発が難航したのは技術的過信に他ならない」という主張をするつもりでした。
 実際にリンク先の対談内容を読んでもらえばわかりますが、三菱のMRJは当初、主翼をすべて炭素カーボンで作る予定でした。三菱はボーイング787の主翼を実際に炭素カーボンで作っていることから自分たちにもできると思っていたものの、サイズの違うMRJでやってみたら全然強度が足らず、結局フラップなど一部にしか炭素カーボンをは使えなかったそうです。

 しかも当初、炭素カーボンの成形方法に「VaRTM(バータム)」という先進的な手法を採用すると喧伝していましたが、対談に出てくるオリンポスの四戸哲氏が「従来のRTMと何が違うのですか?」と発表会で聞いたところ、三菱の人間は誰も答えられないかわりに、「帰ってください!」と四戸氏を締め出したそうです。実際のところバータムは何も変わらないというか普通のRTMだったそうで、しかもそれで主翼の成形に失敗しているのだからカッコ悪いことこの上ないです。

 このような感じでMRJは当初打ち出した先進的な設計は開発が進むにつれてどんどんと打ち止め、現在に至っては技術的な先進性はほぼ何もない保守的な設計に落ち着いたそうです。一応、エンジンに関してはプラット・アンド・ホイットニー社製の最新エンジン使っててほかの旅客機よりも燃費はいいのですが、競合先のブラジル・エンブラエルも同型のエンジンを導入し始めており、こちらの面でも優位はもうなくなっています。つまるところ、性能面の優位はもはやほぼないも同然です。

 こうしたMRJの問題点というか将来性のなさも少し触れようかと思いましたが、文字数の制限もあるのとやはり性能の話に触れるのは危険だと思って書きませんでした。一応、記事本文では「MRJに期待してただけに」等とリップサービスをしてますが、過去においては事実であるものの、現段階においては実はあまり期待していません。恐らく三菱の人間も同様で、下手に予約受注を受けてしまっただけにやめたくてもやめられない止まらない、かっぱえびせん状態に陥ってると思われます。

 最後に今回の記事で失敗したなと思った点として、やはり開発年表を付けるべきでした。コメントを見ると「中国の開発はやはり早い」という意見も見られるのですが、実際には中国はARJ21の開発において非常に慎重に長い時間をかけています。MRJと比べて開発着手時期が早かったから就航も先にこぎつけたものの、開発期間で言えばそこまでMRJと差があるわけではありません。
 地の文で「開発は難航し」とは書いているものの、こうしたイメージをうまく伝えきれていなかったと反省しています。なお、あのせっかち極まりない中国がこれほどまでに慎重に開発を進めたあたり、スキのない国になったと私には思えます。

 最後にと言いながらあともう一つ、他のコメントに「中国は国全体で開発に取り組んでいる」と、割と言いたかった内容をきちんと受け取ってくれているコメントがありました。記事本文にも書いてますがC919の開発には北京大学や南京航天大学など国内の大学も開発に関わっており、百度百科を見るとずらっと関係大学の名前が載っています。
 これは素直にうらやましく、こうした取り組みは国内で航空人材を育成する上で非常に大事だと思え、逆を言えば日本のMRJも三菱という企業が単体で、クローズドでやってしまったのは日本全体にとってマイナスだったと直感的に感じました。YS-11の反省からの三菱単体開発でしたが、今のこの時代においてこの手法は率直に言ってミステイクとなるでしょう。

2018年6月5日火曜日

何故問題が放置されるのか

 このところのスバルやレオパレス、スルガ銀行のニュースなどを見て、何故これら企業の問題が長年にわたり放置されてきたのかという疑問をよく感じます。何も今に始まるわけじゃなく、昔からこのような企業不正は後を絶えないと言うこともできるのですが、スバルを除けば隠れてやっていたわけじゃなく割とオープンに不正をやらかしており、尚且つ不正の期間も長いのが個人的に気になります。特にレオパレスなどはその壁の薄さはもはや一般常識と言っていいほどで、今回の問題も施工会社が全国各地に散らばっていることを考えていると関与者も多く、よく今まで明るみに出なかったものだと逆に凄いと感じます。

 これら企業不正に限らず年金問題やマイナンバー関連など、日本では往々にして問題が先送り、放置されやすい傾向が強いです。一方ですぐ対策取れるような些末な小事ほど、国も企業もやたらやる気を出して全力で取り組もうとするように見えるのですが、結論から言えば力の入れ方が明らかに間違っています。
 こうした、厄介な問題を先送りにすることは恐らく日本に限るわけではないとは思うものの、先送りにしたところで何か解決するわけでもなく、その負担はむしろ利息付きで後の世代に引き渡されるも同然です。果たしてこんな状況でいいのかと言っても、「でも誰も解決できないんだから仕方ないじゃん」って返事がきちゃいそうです。

 何故こうした当たり前のことを今回書くのかというと、中国の政策を見ているとちゃんと問題に向き合って解決しようと取り組む姿勢が見えるからです。最初は2~3年くらい懲役のつもりで中国に行こうとしたらもはやそこそこ長く住むことになった私だから言えると思いますが、この10年で中国の環境は劇的に改善しつつあります。上海市内でも青空をみえる日は年々増えており、また自動車の排ガスも以前は鼻を突くにおいが目立ったものの最近は軍や警察の車両を除くとそういうのはあまりしなくなりました。
 もっとも地方いったらまだまだ環境汚染が続いているとは思いますが、国の政策をみればやはりまだ中国はこうした問題に取り組もうとしていることが分かります。例えば環境規制の違反に対する処罰は現在間違いなく世界屈指の厳格な内容となっており、申告や対策が1日遅れるごとに罰金額が毎日一定額追加されていくという恐ろしい内容になっています。実際、こうした規制が功を奏して末端の中小企業などでもしぶしぶ対策を取るようになってきているそうです。

 また財政問題に関しても、中国の場合は中央国家財政は黒字というか歳入が年々増えている状況で今も昔も日本と違ってほぼ全く問題ありませんが、地方に関しては実態に即したデータを出さない等、見えないところで地方債務を増やしているなどと言われリスクがあります。
 この点に関しても最近の政策を見ていると、地方自治体の財務申告方式や調査方法などを細かく指示するなどして、見えないものを見ようとする意気込みが感じられます。一方の日本は、ただでさえ財政は大赤字だというのに低所得者の学費を免除するとか言い出すなど、不正なプロセスで獣医学部を追加した大学を取り潰すなどすることで持ち金を用意してから言えと言いたくなるような政策案が今日も飛び出してきました。

 何もこうした政治上の問題に限らないですが、私はよく「もっと現実を直視しろ」と周りに行っています。個人の人生でもそうですが、遠すぎる未来を心配したり、よかった頃の過去に浸っていても現状は何も改善しないし動きません。それであればもっと現状を見て、今何を優先して取り組むべきなのか、今のうちにやっておくべきことは何なのかを考えてそれをすぐ実行することの方がずっと建設的です。

 つい先月にも日本で知人に、「日本の大学生に今何に関心があると聞いたら、大抵は就職と年金と答える。就職はまだしも、年金なんて40年以上先の未来について心配したところで何もプラスはないし、今この瞬間が見えていない証左でもある」と言ってきましたが、過去も未来も気にしたところでほぼ何もメリットは存在しません。数年先の未来ならまだしも、今この瞬間の現実を何よりも重視する人間こそが一番強いのだと私は考えています。

 こんなこと言ってるからかもしれませんが、「花園さんは将来年金とかどうすんですか?」と、私自身は気にしてないのに周囲からやたら私の将来について心配が寄せられています。 「いざとなれば生活保護あるでしょ?」と言ったら、「日本に税金も払ってないくせに」と言い返されたこともありますが、ここまで極端じゃなくとももっと将来を気にせず、今この現在を大事にする姿勢は日本人に求められていると思います。
 せめて問題の解決に直接取り組まなくとも、今の日本にどういう問題があって何が最も優先されるべきなのか、そういうのをもっと考えてもらいたいなとこのところ日々思います。

ドラクエが支持される理由

 先月日本に帰った際にクソゲーだと名高い「フリーダムウォーズ」というゲームを500円で買ってきましたが、ゲーム本編をクリアしてみた感じだと、「クリアするまで遊んだのだから500円くれ( ゚д゚)クレ」と言いたくなるようなクソっぷりでした。真面目にこのゲームの骨格作った人はもうゲーム開発に関わらない方がいいんじゃないかと思うくらい、いい要素を悉く潰してしまう無駄に面倒くさい要素がガンガン入れられています。っていうか終盤、1~2発殴られたら即知って何なのよ?

 もっともこのゲームはクソだとわかっていながらどれだけクソなのかをリアル体感するために買ったようなゲームなのでそのことはもういいのですが、最近比較的発売年が新しいゲームをプレイしていて、日本のゲーム開発能力がこのところ落ちているのではと思うことが増えています。具体的にいうと、ゲームを開始する前にアップデートパッチをつけないとバグが多すぎてまともにプレイできなかったり、プレイできるとしても難易度調整がおかしくてまともに遊べない等、一体開発者らは何考えてこんな状態で市場にリリースしたのかと理解できないゲームが明らかに増えています。
 こうなった背景ははっきりしていて、昔と比べてリリースしたらどうあがいても修正対応できなかったのに対して、現在は基本どのゲームもオンラインアップデートでパッチを出すことが出来るようになり、恐らく開発者らもバグ対策などに問題があるとわかっていながら納期優先でリリースしてしまうようになっているのだと思います。ただプレイヤー側、特に発売日にすぐ買ってプレイしてくれるような人からすれば未完成品をテストさせられているようなもので、顧客意識的にこうした姿勢はどうかと思わざるを得ません。

 またパッチ修正対応でも、中には修正前よりひどい不具合を引き起こすという例も散見されます。最近だと私はプレイしたわけではありませんが「アジト×タツノコレジェンズ」というゲームで、エレベーターに戦闘員を乗せたら遥か彼方の空まで上昇してそのまま帰ってこなくなるという面白いバグが最初発見された後に出されたパッチを適用したら、ゲームクリアに必須ともいえる途中経過データが100%セーブできなくなるという、何を考えてこんなパッチ出したのかという恐ろしい所業をやってのけました。なおその後、メーカーはこのゲームに一切対応しなくなったとのことで、事実上クリアがほぼ不可能な未完成品と相成ったとのことです。

 そこまでひどいバグじゃなくても難易度調整がひどくてまともに遊べないゲームもこのところ、明らかに目につきます。今回遊んだ「フリーダムウォーズ」もまさにこの例に入り、ただただストレスのかかる理不尽な難易度での戦闘が強要されてばかりで、しかもこのゲーム、狩りゲーなのに武器の強化がランダム要素が強い上にあんま強くならず、防具に至ってはそもそも存在しないので基本殴られたらそこですぐおしまいとなるため、体力ゲージの存在意義がわかりません。
 ただ難易度が高いというのであれば私はかつて「ニンジャガイデン」という、クソ難しくて誰かが開発者に文句言ったら「練習してください」とだけ返答されたという曰くつきのゲームがありましたが、このゲームは確かに難しくて何度もマリオみたく屍を重ねたものの、プレイするたびに自分が上手になるのを実感できて、クリアする頃には縦横無尽に敵を切り刻めるようになるなど、満足感が高いゲームでした。しかし先ほどの「フリーダムウォーズ」のように、プレイの熟達云々以前のゲームシステムの問題で無駄に難易度が高いゲームはストレスが溜まるだけで、なぜこんな設計にしたのか真面目に関係開発者は早く業界を去ってほしいです。

 以上は主にゲームの管理面の問題ですが今回もう一つ主張したい点として、ドラクエが何故長年支持されるのかを考えた際、それはホイミをかけたら回復するという具合で、基本的なシステムが頑なに守られ続けているという安心感があるからではと思えてきました。何故このように思うのかというと、最近のゲームは無意味に複雑なシステムが多く、最初に手に取るまでのハードルが高くなるとともに、複雑すぎるシステムがゲームの面白さを削いでいると感じる節すらあるからです。

 また引っ張り出すと先ほどの「フリーダムウォーズ」なんかこの典型で、無駄にシステム複雑でやれることは確かに多いんだけど、大抵どれも使わなくてもいいようなシステムばかりで、真面目に関係開発者は頭おかしいと思います。

 真面目に話をすると、やはり最近の新しいゲームをやろうとする際にはいくつか抵抗感を覚えます。というのもどれもシステムが複雑で、プレイする前にゲームのシステムを理解しながら進めないといけないからです。親切なゲームはそうしたシステムや有効なプレイ方法をチュートリアルで指示してくれたり、最初は一部システムを封印させておいてゲームに慣れてきたところで段々と解除すると言ったことをしてくれますが、先ほどの「フリーダムウォーズ」はいきなりほぼ全部解禁で意味わかんなかったです。

 そうしたシステムが複雑なゲームに対して、やはり続編物だと最初にプレイするまでの抵抗感がぐっと下がります。言うまでもなく続編物であれば前作をやっていれば基本システムは既に理解しており、追加された部分だけチェックすればいいからです。そういう意味でドラクエなんかは、基本的な戦闘システムや会話システムなどその骨格は3の頃に固まってから現在に至るまで大きく変更されることなく維持されており、そうした姿勢がプレイヤーに安心感を持たせているのでこれほど長く支持されているのではないかと思えてきたわけです。

 なお以前にゲーム業界関係者が、「ゲームの開発者たちはシステムをわざと複雑に作りたがる」ということを言っていたのを耳にしました。なんとなくですが、「すべてのジャンルはマニアが潰す」に通じるような気がして、実際そうなんだろうなと思えてなりません。

 私個人の考えでは、ゲームのシステムや単純化できるところはやはりどんどんと単純化させシンプルにした方がかえって楽しめると思います。現在いろんな版権とコラボしているコーエーの「無双シリーズ」なんかこの典型で、「動くものはみんな敵」というくらいびっくりするほどそのまんまなシステムをしていることからこそコラボもできるし長く売れているのだと思います。

  おまけ
 なんかの記事で「癒し系マッチョ」という単語を見て、ハッスルダンスをするドラクエ6のハッサンを連想しました。ドラクエは「ハッスルダンス」や「はがねのつるぎ」、「ぱふぱふ」等の単語をきちんと維持する辺りはやはりよくできている気がします。

2018年6月2日土曜日

中国人のよくわからない味覚

 今日のお昼は先日偶然見つけたインドカレー屋でカレー喰っていました。わざわざJBpressのプロフィールにも書くくらいカレーは好きで、記者時代はお昼はカレーかサンドイッチの二択で、カレーなら週三日でも耐えられる自信があります。
 それで今日食べてきたカレー屋ですが、インド人(もしかしたらパキスタン人かもしれませんが)がやっているだけあってしっかりしたカレーで個人的には大満足でした。っていうかお店のインド人らしき人がめっちゃ日本語流暢だったので最初面食らいましたが。

 店内には私のほかには日本人親子と、あとから中国人の親子も入ってきましたが、「辛さとか調整してくれるけど、中国人に個々のカレーは大丈夫かな?」と実は少し心配していました。というのも中国では、日本の一般的な水準と比べて甘口のカレーが非常に好まれ、辛口のカレーともなるとほとんど食べられていないという現状があるからです。
 ココイチなんかだとクローンかと思うくらい日本とそのまんまの味を中国でも出してくるので3辛でも結構辛いテイストですが、すき家なんかだと中国では甘口のカレーしか出さず、食べに行くと私からすれば辛さの面でやや不満を感じる味となっています。なお日本にいた頃の私の味覚は自宅でカレーを作る際は辛口、外食で食べる際は中辛を選んでいました。激辛だとNGですが割と辛めの味を好みます。

 すき家に限らず中国でカレーを提供するお店は基本、甘口がベースです。またスーパーなどではレトルトカレーも売っていますが置いてある味付けは甘口ばかりで、中辛すらここ最近だと目にしなくなってきました。こうした状況と根拠から、ことカレーに関しては中国人は辛さが苦手だと言ってほぼ間違いありません。
 ただこれの何が不思議かって、中国人は中華料理だと激辛の料理を非常に好む点です。なんで自分とこの普段の料理で散々激辛料理を食べてるくせして、カレーの辛さが苦手なのかが非常に不思議だったりします。

 ちょっとメタな話をすると、そもそも人間の味覚に「辛い」という感覚はないそうで、辛いと感じるのは舌からしたら「痛い」という痛覚を発しているとのことで、全身で例えるなら鞭を打たれながら「気持ちいい」というような具合で辛いという感覚を脳は堪能しているとのことです。
 基本、味覚というのは年齢を経るにつれてどんどん鈍感になっていく感覚で、子供が辛い味を敬遠するのは感覚が鋭敏なだけに痛みの刺激に耐えられないからです。逆に味覚が鈍感になった大人からすれば普段の料理では刺激が物足りず、激しい刺激を求めて辛い味を求めてくるようになるわけで、子供の頃は食べられなかった辛い食べ物を大人になってから食べるというメカニズムが生まれることとなるわけです。

 こうした過程を踏まえると、ますますもって中国人が辛いカレーに耐えられないというのがよくわかんないです。四川料理とかでめちゃくちゃ辛い物を食べてるくせになんでカレーは甘口なんだよ、何がどう違うんだよと今すっごい気になっています。ただ単にカレーにまだ食べ慣れていないだけなのかもしれませんが、今度この方面でもインタビューして別に記事書こうかな。