2018年4月29日日曜日

異色学部の出身者たち

エンジニア・投資家・サッカー選手という3つの顔を持つ男の『超戦略的生存戦略』(SiliconValleyWorkers)

 同志社大学神学部卒で元外交官且つ「ラスプーチン」だった佐藤優氏のファンだということを察して、友人が上記記事を紹介してくれました。この記事で紹介されているのは同志社大学神学部卒で、サッカーの元学生日本代表である酒井潤氏ですが、こうした記事で紹介されるだけあってなかなか面白い価値観を持った人だと私も感じます。
 特に「米国で働こうというのなら取得できるビザの種類をきちんと調べておいた方がいい」というアドバイスに関しては、重要そうでありながら意外と誰も指摘しない点だと思え、唸らされました。

 そうした酒井氏自身のバックグラウンドも十分面白いですが、友人とともに話題になったのは同志社神学部教授の酒井氏へのアドバイスです。酒井氏自身はスポーツ推薦で入学して且つ信仰も持っていないというそうなのですが、怪我でサッカーを断念した酒井氏(本人はあまり気にしてなかったようだが)に対し、「今後はITと英語ができれば食っていけるよ」と、神学部らしくないやけに現実的なアドバイスをしてきたそうです。間違ってはいないですが、割とストレートなこと言うなと対談でもやや盛り上がっています。

 これに限らずと言っては何ですが佐藤優氏に関しても神学部受験時のエピソードで、当時はまだ裏口入学があった関係から面接試験もあり、その際に何故この学部を志望したのかと聞かれて当時ガチガチの左翼思想だった佐藤氏が、「無神論を研究したいからです」と思わず本音を言って「正直すぎてしまった(;´・ω・)」とか思ってたら、「他の学校に受かったとしても、ぜひうちの学部に来てくださいね( ・∀・)」と帰り際に言われたそうです。あとでその時の面接官だった教授に話を聞くと、「君みたいに最初反発してる奴ほど、信仰にハマるとこれがまたすごいんだよ( ・´ー・`)」と、また割とリアルな価値観を見せつけられたそうです。

 話は本題に戻りますが、こうした神学部や哲学部、あと理系なら天文学部とか現実から結構遠い学問系出身の人間について、大半は理屈っぽかったり愚痴が多かったりして社会人としてはやや扱いづらいなと思う人が多いものの、この手の出身者のごく一部はとんでもなく優秀な人が多いのではとこのところよく思います。現実離れした学問を専攻しただけあって考え方が深く、また他の人にはない視点を突然持ち出してくることがあり、 ハマれば化けるタイプを何度か私も見てきました。そういう意味では専攻までとはいかずとも、小中学生くらいの子供にこの手の天文や哲学をしっかりと学ばせておくのはメリットが多いと断言できます。私はあんまやらず、何故かセンターで地学を受験したのでその際に一気にケプラーの法則とか学びなおしましたが。

 最後にこれは私が直接聞いたわけでは、上記の同志社大学のある授業にてある講師が、「キリスト教は虐殺を繰り返して信者を増やしていったような宗教だ」と普通に発言したそうです。こういう発言をしても誰も咎めない環境を始め、アナーキーすぎる学校だなと常々思います。

2018年4月27日金曜日

ランサーエボリューションWRX STi

 先日何気なく零戦のアンサイクロペディア記事を読んでいたら、「ちなみにこの機体を開発したのはランエボを作った会社で、製造し、エンジンを供給していたのは、STIの会社である」という記述が書かれてあり、言われてみると確かにそうだと妙に納得しました。言うまでもなく、ランエボの会社というのは三菱(自動車)で、STiというのは旧富士重工こと最近データ改ざんで揺れているスバルです。それにしても社名変えた直後にバレるっていうのも門出が悪い、

 上の一文を見てパッと閃いたのがこの記事の見出しですが、昔は仲良く零戦を作っていた両社であるものの1990年代は自動車ラリーのWRCでしのぎを削り合ったライバル関係にあり、それぞれランエボとインプレッサ(現在のWRX)という当時の4WDラリー車としては破格のマシンを作っていました。だったらせっかくだし、両社でコラボしてまた新しい車を作るとしたらきっと「ランサーエボリューションWRX STi」になるなというわけです。

 ただ、自分で言っててなんですがあながちむちゃくちゃな組み合わせでもないなという気もします。というのも両車種ともに「最強の4WD車」というコンセプトこそ共通しているものの、そのアプローチの仕方は真逆と言っていいほど違っているからです。
 三菱のランエボは「4WDに最適な駆動システムとは何か?」が追及され、その結果出来上がったのは四本それぞれのタイヤにかかる荷重によってパワー伝導率を変えるよう制御するシステムを乗せた車となり、「走るスパコン」とまで一時期言われました。一方、スバルのWRXは「4WDに最適なシャシーとは何か?」が追及されており、4WDが最も発揮できる車体構造が徹底的に煮詰められた車です。いわば三菱はソフトウェア、スバルはハードウェアに重きを置いてレース車の開発に取り組んでいました。

 だったら駆動システムは三菱、シャシーはスバルでがっちゃんこさせたら面白いというか、普通に見てみたい車が出来上がりそうな気がします。問題はエンジンでどっちのを載せるか悩むところですが、やっぱレアリティで言えばスバルのボクサーエンジンに軍配が上がるのでこっちにして、代わりにターボユニットは三菱重工が国内大手なんだし三菱にしてしまいましょう。
 っていうか本当にコンセプトカーでもいいから、両社でコラボして1台作ってもらいたいものです。きっとスバルとトヨタのコラボよりもずっといい車が出来上がるはずです。でもってこの車でWRCにも復帰してもらい、他のメーカーを総薙ぎしてもらえば痛快この上ないでしょう。

  おまけ
 現実にはスバルはトヨタと、三菱は日産との提携関係にあり、むしろ実現しやすいのは「スカイラインエボリューション GT-R V spec Ⅲ」の方かもしれません。

エディット機能のあるゲーム


 上の画像は最近ネットで見つけたものですが、恐らくファミコンの「バトルシティ」というゲームでしょう。このゲームは戦車動かして敵戦車を殲滅したり、本陣を陥落させたりすること目的としたゲームで、用意されているステージだけでなく上記画像のように素材を使って独自のステージを作るエディット機能がありました。
 なお私は友人とこのゲームでよく遊んでおり、後年にPS2で「THE戦車」というゲームが出た際は魂を揺さぶられながら「バトルシティ」を思い出し、買ってみたところクソゲー過ぎて戦車自体が嫌いになりました。

 話は戻りますがファミコン時代はこの「バトルシティ」に限らず「エキサイトバイク」などのように、セーブ機能がないにもかかわらずエディット機能を備えたゲームが数多くありました。スーパーファミコン時代もいくらかあったものの、大体プレステの時代辺りからこうしたエディット機能はどんどん少なくなり、なんていうか「やらされている感」の強いゲームが増えていった気がします。最たる例としては、シナリオ進行が一つしかない一本道RPGとかですが。

 やはりゲームというのは遊んでなんぼというか、一定の枠やルールの中であれこれ弄繰り回せるというのも遊びの一つの醍醐味だと思います。実際に上記のエディット機能のあるゲームも、セーブできないから一期一会だというのに夢中でみんなで作ってはそのステージで遊んだりしてました。またエディット機能は往々にして極端なステージを作ったりでき、平地が全くないバイクのレースコース作ったりとか、ああいうむちゃくちゃが試せるというのが個人的には良かったです。しかし最近のゲームだとそうした外枠ががっちり固められていることはおろか、こうしなさいああしなさいと説教臭く指示されるというか攻略法がワンパターンに決められていることも多く、やはり往年の時代を振り返ると物足りないものです。

 唯一、こういったエディット機能が現代のゲームでも残されている点を挙げるとすると、そりゃやっぱりキャラエディットでしょう。見た目や能力を思い通りに弄って作る機能ですが、この方面に関しても正直不満を感じることが多いです。
 外見のエディットに関しては眉毛や輪郭、目の虹彩まで非常に細かく設定できるゲームがこのところ多く、好きな人はいいかもしれませんが、私にとっては設定項目が多すぎて作ってても疲れるしイメージ通りにはなかなか作れず、もっとシンプルにしてほしいとすらよく思います。ついでに書くと、戦国無双のキャラエディットは細かすぎるのも難点だし、声もなんか棒読みなパターンしか用意されておらず不満が募りました。

 逆にそういったキャラエディットで過去楽しかったと思うのは、「パチンコパラダイス」の13と14です。髪型から体系、歩き方、服装に至るまで自由に且つシンプルに選べ、自分はよく海水パンツ一丁に辮髪にして、スケート靴を履かせて街を練り歩き、気が向いたら二輪バイクを乗り回して、早くこのシリーズ復刻してほしいと今でも願ってます。

2018年4月25日水曜日

心の隙間を埋める家具

 知る人ぞ知るカルト映画の「ファイトクラブ」の冒頭で、エドワード・ノートン演じるエリートサラリーマン(自動車の不具合箇所についてリコール費用と事故被害者への賠償のどっちが高いかを判断する仕事)の主人公が、「僕も周りの人たちのように家の中を流行りの北欧家具で埋めてみたが、特に大きな満足感は得られなかった」と言うシーンがあります。このセリフの「北欧家具」都は恐らくIKEAの家具のことでしょうが、確かに中国でも数年前からIKEAの家具で家の中を埋め尽くすというのが憧れというかトレンドのようになっている節があります。

 ただ上記の主人公(役名は実際にない)はこうした流行の家具を買い漁っても満足感を得られず、人生にやる気というか面白味を感じない生活が続くこととなります。その後については出張先でブラッド・ピット演じるタイラー・ダーデンという破天荒な男と出会い、お金を賭けたりすることもなくただ週末に地下室に集まり合い、男同士で殴り合いをするという「ファイトクラブ」を創設することとなるのですが、そうした映画のシナリオは置いといてこのところ家具による満足度で先度のセリフがよくよぎります。

 知ってる人には早いですが私は2010年くらいからほぼ2年ペースで引っ越しを繰り返しており、リアルに3年以上同じ部屋に住んだことがありません。それだけ引っ越しが頻繁なこともあってか家具を買ったところでいちいち引っ越しの度に持って行けず、結局引っ越し前の部屋に置いて大家に挙げてしまうことが多いため、「あまり高額、というか家具そのもの自体あまり買わない方がいい」という境地に至るようになりました。
 ただ現在いる部屋は住み始めて既に2年を経過しており、このペースだと実に久しぶりに3年超の滞在が達成出来そうな予感です。仕事も今のところ転職するような予定は全くないためこのまま現状が維持が続きそうで、そうした背景もあってか以前と比べてやや高い家具とかも去年あたりから揃えるようになってきました。

 具体的に挙げるとパソコン用のデスクと椅子、あと折り畳み式のチェアですが、デスクと椅子については安い値段のをそれぞれ持っていたにもかかわらずわざわざ高いものに買い替え(つってもどちらも単体で5000円行かない)、サイズ的に引っ越した場合は持っていくことはほぼ不可能なのに買ってしまってます。このほか中国だと割と安く買えるもんだから無駄にクッションとか首に巻く枕などもやたらめったら買っており、最近はリアルに置き場所とかどうしようと思うくらい家具が増えてきました。ついでに書くと趣味の茶碗やマグカップも増殖中です。

 しかし、と言っては何ですが、こうした家具が揃えば揃うほどなんか前より部屋にいて落ち着かなくなっていることに最近気が付きました。元々、あまり家具とかおかずがらんとした部屋が好きだったということが大きいでしょうが、なんとなく部屋の隙間が埋まるたびに、笑うせぇるすまんじゃありませんが自分の心の隙間も埋まっていくというか余裕がなくなってきているように思え、上記のファイトクラブのセリフを思い出すに至ったわけです。

 単純に自分だけの価値観かもしれませんが、なんとなく家具については「ああここにあれがあればいいのに」と軽く不足感を覚えるくらいの方がいいのかもしれません。何でもそろっているとかえって手狭感を覚えてしまい、またビビッドな色など目立つ外見の家具は何度も見るうちに違和感を感じるようになるのでむしろ飽きないような保守的なデザインを選ぶのも吉でしょう。そう考えると、学生時代の「なんやこれ?何もあらへん?」とリアルに言われたくらいがらんどうだった自分の部屋は案外ありだったかもしれず、友人も「自分の部屋より花園君の部屋のが落ち着くんやけど」と言ってました。

 なお、もし日本に帰ってまた引っ越すなら、椅子を完全に排除した部屋を設計しようかと考えてます。パソコンデスクも座卓にし、座った状態で目線より上にはエアコン以外置かず、収納も風呂敷かぶせるだけなくらいに変な工夫して、がらんどうの空間を意図的に作れないかと今考えてます。何気にテレビもパソコンで見れるようにすればもういらんかもな。

 と、ここまで家具はイランと書いておきながら、部屋のインテリア道具としての戦闘機プラモはこのところどんどん増殖しています。枕元にはタイフーンあるし、冷蔵庫の上にはJ-20がおるしで、こっちもリアルに置き場所に困りはじめてきました。
 ちなみに私の感覚で言えば、車でも飛行機でもプラモ1体だけ部屋にインテリアとして置いておくのはクールです。けど2体、3体と増えてくると、なんかいろいろおかしくなってきます。で以って戦闘機は冷蔵庫の上が置き場所として地味にいいです。

2018年4月24日火曜日

日本人アクション俳優はいるのか?

終業・始業間の休息に数値目標 過労死防止大綱見直し案(朝日新聞)

 上の記事の見出しを今日最初に見た時、「休息に数値目標」を何故か「体臭に数値目標」と見えてしまい、「何考えてんだこいつら、頭おかしくね」と思いましたが頭がおかしかったのは自分の方でした。っていうかまた働き過ぎなのかも。

 話は本題に入りますが、今現在で最も人気で知名度のあるアクション俳優と言ったら恐らくハリウッドのトム・クルーズ氏が来るのではないかと思います。もともとバイクや車の運転がプロ並みということもあって激しいスタントシーンもノースタントで自ら演じてしまうほか、自身がプロデュースするミッションインポッシブルシリーズなどのアクション超大作での活躍もあり、活動中のアクション俳優としてはその露出は群を抜いているでしょう。

 そんなトム・クルーズ氏について私自身も高く評価しているものの、ことアクション俳優の枠で言えば今一番好きなのは、ミッションインポッシブルシリーズにもレギュラー出演している上に、主役作品こそないものの数多くのマーブル映画に跨って出演しているジェレミー・レナー氏だったりします。さすがにトム(もう全名称書くのがめんどいので省略します)ほど激しいスタントシーンは連発しないものの、レナーの場合は一つ一つの動作が非常にメリハリがあってきれいで、アベンジャーズシリーズで演じるホークアイの弓を引く動きはもとより、ミッションインポッシブルシリーズでの無駄が一切なく拳銃を奪ってすぐ構えなおすところなどは見ていて惚れ惚れします。出世作となった「ハートロッカー」はあんま好きじゃないですが、レナーの演技というか動作に関してはどの作品でも一見の価値があると太鼓判押します。

 この二人に限らず、現在米国ではマーブルのヒーロー映画が全盛ということもあって見事と思えるアクション俳優が次から次へと登場しています。新スパイダーマンを演じるトム・ホランド氏もバレエダンサー出身とあってジャンプ一回転着地なんて普通にこなしますし、他の若手もCGに頼らずとも見事なキレのいい動きを見せてくれます。
 また往年のアクション俳優陣も最近はセルフパロディを見せつつも未だに活躍しており、シルベスタ・スタローン制作の「エクスペンダブルズ」シリーズに至っては「博物館って、俺たちのことかよ」とブルース・ウィリス氏を前にアーノルド・シュワルツネッガー氏が言ったりしながら、きちんとアクションシーンはこなしてます。もっともこのシリーズの名言は3での、刑務所を脱獄してきたウェズリー・スナイプス氏演じるキャラが刑務所に入った理由について「知りたいか?脱税だよ」と、リアルに脱税による収監から出所したばかりのスナイプスが言っているシーンでしょうが。

 と、ハリウッドのアクション俳優についてつらつら話してきましたがここでふと疑問というか最近、日本人俳優でアクション俳優と呼べる人間はいるのかってなると、正直私の中では誰も浮かんできませんでした。少し前ならケイン・コスギ氏、あと一応「キルビル」に出演した栗山千明氏が出てきましたが、ここ数年でそのアクションぶりが見事と思えたり、また「アクションに強い俳優」として認知されているような人は、ただ私が不勉強なだけかもしれませんが浮かんできませんでした。
 そもそも今の日本では「どんなキャラにも器用に演じられる」ようなカメレオン俳優が評価される傾向にあり、アクが強く一つのキャラクターが強くなりがちなアクション俳優はあまり評価されない気がします。さらに言えば、アクションメインの映画自体が日本ではあまり制作されていないように思え、アクション俳優自体がそもそも需要がないとすら思えてきます。

 そんな状況を反映してか、はっきり言って日本映画のアクションシーンは見ていて惨澹たる出来です。多分アクションシーンを演じられる俳優があまりいないせいなのかCGでごまかそうとする傾向があり、しかも伝統的に日本は予算以前のレベルでCGの見せ方が下手で、変に色の濃い背景を前に俳優が大げさな演技をするシーンを見せられ興醒めした経験があるのは私だけではないでしょう。
 単純に、役作りとして体をしっかり鍛えてくる俳優について言えば今の大河で主演している鈴木亮平氏を筆頭にそこそこいますが、動作もついたアクションもしっかりこなせる俳優となると本気で今の私には浮かんできません。っていうかむしろなぜいない。

 理由については思いつくのを勝手に挙げてくと、まずは上にも挙げている通りにアクション俳優をあまり評価しない日本の映像市場状況、次にルックス重視でアクション能力を度外視する俳優事情、終いにはアクションを撮れる人間がいなくなってきていることかなとか考えています。まぁアクション以前に、日本の映像作品はアニメを含め全体的にテンポの悪い撮り方してる気がするけど。

 最後に、唯一ここ数年でそのアクションに私が目を見張った日本映画を挙げると、何気に「リアル鬼ごっこ2」が挙がってきます。この作品はタイトルの通りに鬼からひたすら逃げまくる映画ですが、第一作目の撮影では初日終わった後、俳優全員が筋肉痛に襲われたという曰くつきな映画なだけあって、ガチで全力疾走しているのが映像からもはっきりわかります。
 表情一つとってもみんな本気で走っているのがよくわかり、その甲斐あって映像もスピード感があって見栄えのいい仕上がりになっています。2を見てから1も見ましたが、谷村美月氏は好きだけど、やっぱ2の方が見ていて面白かったです。

 なおこのリアル鬼ごっこシリーズですが、3は脚本も映像もクソ過ぎると感じたためにほぼ同時公開だった4と5は見ていません。そして2015年公開の園子温監督による「リアル鬼ごっこ」については見てみましたが、はっきり言って「自分にはこの作品は無理だ」と感じました。多分見る人によっては面白いと思うのかもしれませんけど、自分は見ていて苦しかったというのが偽らざる感想です。

2018年4月23日月曜日

こわくなーい

 おなかをすかせた状態で書くことないのでまたゲームの話ですが、今「アイドルデスゲームTV」というクソゲーと並行して「コープスパーティ」を遊んでます。前者については「日本ふんどし協会 ベストフンドシスト賞2015」というよくわからない受賞歴がある声優の、西明日香氏の京都弁の見事さに感服しており、後者については安売りしてたから買って、遊んではいるけどなんて言うかなぁという気持ちを覚えています。

 この「コープスパーティ」というのはいくつかシリーズが出ており、私が遊んでいるのは「ブックオブシャドウ」のPSP版で、PSP系列で言えば2作目に当たります。ジャンルはアドベンチャーに当たりそこら中に腐った死体が落ちている小学校校舎を探索するゲームなのですが、なんていうか全然怖くありません。多分描写としては結構激しいと思え、中には素手て生きたまま女子高生の内臓を解体するシーンもあるのですが、「ふーん」としか思えません。
 サウンドに関してはダミーヘッドマイクという、人間の頭を模した特別なマイクで収録しているだけあってささやく声なんかはほんとそんな風に聞こえるので「おおっ」とか思えますが、なんていうか昔と比べてグロ耐性が上がってきているのかあまりホラー作品を見ていても心が動くというか動揺することがありません。わざわざ真夜中にやってるというのに。

 年齢のせいか、怖さの定義も変わってきているような気がします。マイナスドライバーで目玉をぐりぐりくりぬくシーンとかよりも、作成した思っていた書類が実はやっていなかったとか、部屋に呼び出されたら無言で多くの人間が待っていたとか、なんていうかそういうシーンの方が恐怖を感じるようになってきています。
 その上でいうと、今の自分の怖さの定義というのは、想定からの乖離、若しくは想定外の事態に突然放り込まれるようなものじゃないかとこのところ考えています。ある意味、「コープスパーティ」も日常から突然お化けと死体が徘徊する学校に放り込まれるので想定外の事態かもしれませんが、それ以上に想像の付かないような、今ここでたとえを挙げると突然部屋にくまモンの着ぐるみを着た人がお玉片手に殴り込みをかけてくるとか、そういうのが恐怖なのかなぁという気がします。死体とか人体損壊のグロさというのは、フィクションに関してはある程度見慣れてしまうというか。

 人気漫画の「進撃の巨人」の作者が作中の巨人の表情について、「漫画喫茶のバイト中に見た、酔っぱらって何するか全く読めないオッサンの表情が元になってる」と言及していますが、この意見には私もなるほどと思いました。実際、次の行動が読めない酔っぱらいは私も確かに怖さを覚えるのですが、表情や発言内容から読み取れない、何するかわからない相手ほど怖いものはありません。さっきのコープスパーティも、お化けはこちらに危害を加えてくるのが分かってるだけに怖さを覚えないのかもしれません。

 ちなみに自分が一番、次に何するかわからないと思った相手はプロレスに参戦していた辺りの和泉元彌氏です。

2018年4月22日日曜日

てんかんとデジャブ

 今月初めに極端に体調が悪くなったのですがその原因ははっきりしていて、仕事中に「ああ、ここだったのか」と感じたからです。なにが「ここだったのか」というと、大体去年の夏頃に見たデジャブというかイメージが今月初めの勤務中の自分の姿だったということです。
 いきなり訳の分からないことを言い出していますが、こういった予知夢めいた未来のイメージを白昼夢のように見ることは自分にとってはよくあり、去年の夏に今回のイメージというかデジャブを見た時には、「とりあえず来年の春までは今の職場にいるということか。勤続2年は達成できそうだ」なんていう感想を覚えたこともあり、割としっかり覚えていたイメージでした。

 またこの時見たイメージは特徴があり、というのも今年2月から職場での自分の座席が変わって窓際、それもかなり隅っこで割と個室っぽい空間となりました。この座席ですが窓からその風景を一望出来て、この外の風景がデジャブにもはっきり出ていたので記憶面でもあまり離れなかったのだと思います。
 その上で、こうしたデジャブを見る、そして思い出すとほぼ確実に軽いてんかん発作が起こります。むしろ私にとっててんかん発作はデジャブとほぼセットであり、最初に発作を意識した小学四年生時においてすらも「(発作によって)急に気持ち悪くなって吐き気を催すと、なんか懐かしいような気持ちがする」と自分の口で言っています。

 一応書いておきますがてんかん発作と言っても自分のは軽度なもので、最後に気絶にまで至ったのは6年前で、法律上でも過去3年間に気絶を伴わなければ申告義務も発生しません。っていうかここ数年は軽度の発作もほとんどなかったのですが、今年2月から4月にかけては激務もあってかこの時のデジャブを含め何度か吐きそうになりました。

既視感(Wikipedia)

 今まで知りませんでしたがデジャブは側頭葉てんかんと関係が深いことは前から見られていたものの、都合よく再現実験ができないこともあって詳しい研究はまだ進んでいないようです。そういう背景もあって自分の体験を書き残そうと今書いているのですが、私の場合はデジャブを感じる→ああそろそろ来る→てんかん発作(吐き気、頭痛)という流れがほぼ確立されています。そのためデジャブというか、「あれ、この状況前にも見たような……」という考えがよぎるとぞくぞくするというか、意識的にそれ以上あまり深く考えないようにしたり他の方に意識を向けたりすることもあります。

 また思い出す方向とは逆に、先ほども書いたように白昼夢のように妙な自分の未来っぽいイメージが浮かぶ時も大体同じ流れです。この状態でも、「ああ、発作来たな」と内心思うのですが、割とこういう時は流れに任せるというか、発作の感覚をむしろ進んで受け入れることが多いです。なんでそんなことするのかっていうと、はっきり言えば発作起きている時の自分は当社比120%みたいな感じで勘が冴え渡り、予測や分析をさせたらほぼピタリと的中させられるくらい頭が回るようになるからです。このブログに関しても、てんかん発作真っただ中の間は書くの休んだりしますが、治まった直後なんかは自分が見てもいい視点で記事が書かれてあったりします。
 そういうこともあってかこういう発作の時に、自分が未来を見ているという感覚は普通に持っています。先ほどにも書いたように、今回のデジャブのイメージを持った時も「来年春まで残留はほぼ確定」と確信しましたし、現実に周りから「今回の職場は珍しく花園さんにとっては長続きしますね」と驚かれるくらいもっています。逆を言えば、自分の賞味期限は約二年ってことになるのですが。

 この記事で何が言いたいのかというと、デジャブはてんかんと非常に密接な関係があると言いたいわけで、頻繁にデジャブを見たりする人に関しては自分同様にてんかんの可能性も疑った方がいいと思います。特にデジャブを見た直後に頭痛、吐き気を覚えるのであれば、ほぼ確実だと思え、平常時の診断ではなかなか出ないのでそのような状態の時に診断を受けるべきです。
 なお自分も最初気絶した際は原因不明、二回目の際にスキャン受けながらデジャブ見た時にはっきりと診断データが出て、晴れててんかんキャリアとなりました。

 もう一つ言いたいことを挙げると、てんかん発作時に見るイメージは未来透視というよりかは未来の可能性の中でも割とあり得そうな、確率の高いイメージ、若しくはこうあってほしい願望的なイメージが出やすいのではないかとも思います。私が見るイメージは確率で言えばまさに将来その通りの状況が出るなど高い実現率に達していると思いますが、中には結局実現せずに終わったイメージもあり、数ある可能性の一つだとは思うものの必ずしもそうなるとは限らないイメージだと考えています。
 こうした点を踏まえると、未来予知をする巫女とか予言者などは多分この手のてんかん発作を利用してイメージを見ていたのではと私には思えます。やろうと思えば多分私にもできるんじゃないか、具体的にはてんかんを引き起こしやすそうな環境や状態(三半規管を揺さぶるなど)に追い込んで発作を起こし、あとはひたすら見ようと思うイメージの関連物を頭の中でぐるぐる回せば一つや二つのイメージは作り出せる気がします。もっともすっげー吐きそうになるので実際にはやりませんが。

 逆に今個人的に気になっている点として、他の人はどういう状況でどんなデジャブを見るのか。自分とどう違うのかに興味があります。自分の場合は先ほど書いたように「デジャブだ」と思う総毛立つのですが、他のみんなはどないなんやろう(´・ω・`)

2018年4月21日土曜日

財務省次官セクハラ発言議論に対する所感

 なんか自分が語ると立場的にもいろいろまずいかと思ってこの件に関しては黙ってましたが、コメントでリクエスト来てしまったのであくまで個人の立場として思うことを書いていきます。最初に書いておくと、この問題は多面的に捉えられる問題であるだけに見方によって判断が大きく変わるため、具体的にどの見地で立つかによって評価なども変わってくる問題だと思います。なので自分としては主張に立脚する立場、論点を明確にしたうえでポイントごとに書いていくことにします。

1、殴られる覚悟
 私の持論の一つに、「殴られる覚悟がある奴だけが人を殴っていい」というのがあります。これが何を言い表すのかというと、「相手に殴り返されても何も文句を言わない、批判しないというのであれば殴ってもいい」という意味ですが、本意としてはむしろ逆の言い方で、「自分は殴ってもいいが殴る相手が殴り返すことを認めない、というのを認めない」という概念です。具体的に言えば、部活の顧問と生徒の関係のように、殴り返せない立場だとわかっている相手に暴力をふるうのは認めないという考え方ですが、逆に殴り返される、逆襲に遭う覚悟を持っているなら程度を知った暴力はアリではとも考えてます。

 この価値観に立脚して今回の問題を語ると、福田事務次官が自身、若しくは身内にセクハラ発言や行為がなされても気にしないような人間であるのであれば、価値観にズレがあると考え、いくらかしょうがないし許してもいいのではと思っています。さすがにオッサン相手に「おっぱい触らせて」なんて言う発言は不毛この上ありませんが、仮に彼の家族や親戚に女性がいるとして、その人に誰かが「おっぱい触らせて」と言ったり触っても怒らないというような人であれば、いくらか問題があるとは感じるもののこうしたセクハラ発言について世間の認識とズレがあるという彼の主張に私は理解できます。
 ただし、これが逆なら話は違います。逆であるということは「自分はセクハラしてもいいが他人はしてはダメ」というクズの理論になり、強い立場を利用した弱い者いじめ以外の何物でもなくなり全力で叩き潰すべき人間の価値観と言えるでしょう。まぁこの手の「殴られる覚悟のない」クズであることはほぼ間違いないでしょうし、刑法的には自分の行為が犯罪だとわかってやっている「確信犯」と言えるでしょう。

 もし仮に私が何やってもいいってんなら、この点を敢えて突くために財務省の省庁前で目につく女性職員に対して「おっぱい触っていい?」と聞いて、イエスかノーの集計を取って報じます。セクハラだと言われれば「お前らの親玉が言ってることなのに、他の人は言っちゃ駄目だというのか!」と反論して、警察呼ばれたら「事務次官なら捕まえないのか?」と言おうかなと考えてます。まぁさすがにイエスと回答した人のを触っちゃったら紛れもない公然猥褻になるので、集計取るだけにしますが。

2、セクハラ発言録音データのリーク
 今回の問題で大きな議論となっている点として、テレビ朝日の女性記者がセクハラ発言を録音したデータを自社ではなく週刊新潮に渡して記事化したことについて賛否両論が出ていますが、私個人としては女性記者の行動は正しいと考えています。
 というのも女性記者は最初自分の上司にセクハラ発言を報道するべきか取り合ったものの「我慢しなさい」で却下されたと聞きます。いわば、ネタに対する報道化の優先権はテレビ朝日が持っていたにもかかわらずテレビ朝日はそれを使わなかっただけで、そのネタを他に報じるメディアがあるというのならばそこへ渡すのも至極当然でしょう。第一、記者が取ってくるネタというのは基本会社のものではなく記者自身のものだと私は考えます。

 むしろこの件で一番批判されるべきは、福田事務次官というよりテレビ朝日ではないかとすら思います。テレビ朝日は自社社員が受けているセクハラを黙認したにもかかわらず、ことが明るみになってからは他のメディア同様に財務省を批判しており、さらには女性記者が名乗り出ると今度は女性記者が新潮にネタを渡した行動について「遺憾だ」と変な批判の仕方をするなど、自分たちが適切に対応せず報じないと決めたにもかかわらずなんだその言い草はと見ていて感じます。
 そもそも、こんなおいしいネタを何故使おうとしなかったのか?はっきり言えば財務省は福田事務次官を怒らせては取材に支障が出るとビビった、または忖度したから以外ないでしょう。メディアとして、っていうかおいしいネタの料理の仕方的にもテレビ朝日はセンスがないと私には感じます。

3、オフレコ発言の報道可否
 今回の問題でこちらも議論となっているのは、オフレコでの発言を隠れて録音して報じたという点です。これについて否定派の意見をみていると主なものは、「オフレコでの取材は大事」、「取材者と記者の信頼は必要」、「オフレコでしか言えないこともある」などといった所じゃないかと思います。

沖縄防衛局長「犯す前に言いますか」と発言 辺野古巡り(朝日新聞)

 実は今回の報道を見て一番最初に思い出したのは上の記事でした。これは私が香港でモンハンP2Gで遊んでた2011年に出た記事ですが、概要を書くと当時の沖縄防衛局長が非公式且つオフレコでの記者懇談会(つっても居酒屋)で「(女性を)これから犯す前に犯しますよと言いますか」という発言をして更迭された事件です。
 防衛局長が言わんとしたことは、「攻撃は予告なしに来る」という趣旨のたとえだと思え、言わんとしてること自体は表現が下品であるものの私には理解できます。ただこの事件の面白いところh、多くのメディアの記者が同時に発言を聞いていたにもかかわらず(朝日新聞は同席しておらず)最初はどこも報じず、地元の琉球新報のみが報じて、それを見た他のメディアもあとからこぞって報じたという点です。

 この事件は女性蔑視発言やオフレコ内容の報道など、今回の事件と共通する点が多いように感じるのですが現時点で比較しているのは多分私だけじゃないかと思いますが(西山事件との比較は見たが)、やはりこの事件の時と今回の事件の世間の反応を見ていると本来あるべきではないずれがあるように感じます。具体的なずれの内容については触れませんが、何故そのずれが生まれるのかと言えば報じたのが女性記者本人だったからではないかと内心考えています。

 話は戻りますが、オフレコでの発言、しかも隠れ録音内容を報じることの是非について私の意見を言えば、「これの何が問題だ?」ってところです。そもそも、相手が記者であればオフレコだろうが盗み聞きだろうがその発言がニュースネタとして価値を持つ限りは報じられてしまうのが当然で、また記者としてもそれがニュース価値のあるネタであれば「今夜のおかずはイカリング」というどうでもいい発言であっても報じるのが私に言わせれば責務です。
 一例を挙げると、以前私が報じた上海大江戸温泉の記事で日本の大江戸温泉側が私の質問内容を「否定」ではなく「回答を拒否」したことを敢えて強調して記事に書きましたが、これは「回答拒否」自体がニュースであると私が考えたからです。そして今回の件でも、「おっぱい触っていい?」という発言はニュースネタとして十分価値があるように思え、実際にこれだけ大きな話題になっているんだから報じない方がおかしいというかテレビ朝日はセンスがないとしか言いようがありません。

 そして記者との信頼関係についてですが、私に言わせれば記者を信用する奴はタダの馬鹿だと思います。よくサイコパスは会社経営者とかジャーナリストに多いという人いますが、記者に関しては私もそう思え、「友人を突然ドブに蹴落として大笑いする奴ほど職業適性あるよ」と周りにも言っています。実際に多くの記者は人を躊躇なく裏切るし、同僚ですら騙し討ちし、部下にも平気で暴行するような人間ばかりというか、そういう人間じゃないと心身持ちません。そして何よりも、相手が一番嫌がる内容を暴露することこそが一番の仕事であり、一般市民ならまだしも官僚でありながら記者と信頼関係を構築するなんてアホ以外の何物でもありません。記者からしたらそんな奴いいカモで、利用するだけ利用したら情報リークして消えてもらうだけです。
 実際私も教えられましたが、記者と取材相手に友好関係などはなく、緊張感を持った敵同士の対立関係しかありません。記者としてはネタになるニュースをどう引き出すか、取材相手としては自分(自社)にとって有利な情報を如何に発信し、不利な情報を如何に隠すかというやり取りこそが「取材」であり、そこにあるのは相手をどう利用し倒すかという勝負だけです。

 もっともこう言いながらも、「協力による見返り」が期待できる相手にはそりゃ記者も便宜図ります。また何でもかんでも暴露すればいいというわけではなく、記事にしても意味ないニュース価値のない、相手にとっては暴露されたくはない情報に関しては聞かなかった振りくらいはします。これを「信頼関係」というなら言うで構いませんが、今回のセクハラ発言の件に関しては報じれば辞任に追い込めるネタなので、「利用しつくしてのポイ」なので余計な同情はいらんでしょう。

 さっきちょっと書きそびれましたけど、盗み聞き、盗み見による報道はこの世界では当然です。見られるってんなら携帯だろうが引き出しの中なんてためらいなく盗み見ますし、飲食店で何かしら面白そうな話題を誰か話していたら私だってそ知らぬふりして盗み聞いて、ネタになるなら記事化します。こうした行為からすれば隠し録音なんて、まだ面と向かって話を聞いてるんだからかわいい方じゃないかとすら思います。

 そもそも、といったらなんですが、今回のセクハラ発言は政治的内容ではないというのが私にとってはポイントです。政治的内容を含む発言であれば将来の見返りというか一部の人間の言う「信頼関係」が働いてオフレコにと言われたら確かに取り扱い上で打算が動くものの、問題となった発言はそういった類ではなくただのセクハラ発言です。そんな低レベルな発言内容に「信頼のために報じない」なんてのは私の中ではありません。ましてや、これだけのニュース価値を持つのであればなおさらです。
 中には今回の報道をハニートラップだという人もいますが、それもだからなんだってところです。特に社会報道で顕著ですが取材では如何に「相手を怒らせるか」が重要で、取材相手を挑発するだけ挑発し、怒らせて殴らせればしめたもので、「記者にも暴行」という見出しが翌日書けます。ハニートラップも同様で、記者だとわかっている相手という見え見えの罠に引っかかる奴の方が馬鹿なだけでしょう。まぁ今回の件はハニートラップ以前でしょうが。

 総じていえば、「信頼感」なんていうのは報道の世界、いやむしろ一般社会においてもまやかしでしかありません。基本的には利用価値があるかないかという打算以外なく、それすらも理解できてないというのは「利用される側」だからではないかというのが私の偽らざる心境です。

  おまけ、
 つい最近に人気声優の日笠陽子氏がラジオの番組で、カレーうどんをホースで食わされたという事実を知ってすごいカルチャーショックを受けました。声優、しかも女性で人気も高いのに、芸人以上に芸人らしいことやっててなんなのこの人と変な感銘を受けました。

2018年4月20日金曜日

発送電分離のスケジュールについて

  東日本大震災直後に一次大きな議論となっていた発送電分離案について今どうなっているのかとさらっと検索かけたところ、以下の記事がヒットしました。

発送電分離で激変する電力事業の“経営”、求められる視点とは(スマートジャパン)

 自分もチェックしそびれていましたが一応法整備などは済んでおり、2020年から実施される予定だったようです。忘れていたこともさることながら、この方面の情報を見逃していたのは個人的に反省点です。
 なお上記の記事ではNECが早くも送電事業参入に意欲を見せているとのことですが、不謹慎なことを言えば2020年までNECが生き残っているのかの方が正直不安です。

 当時の記事にも書いていますが、発送電分離について私としては大賛成です。元々、中国では既に発送電分離が実現していて生活面で見慣れていることもありますが、市場に緊張感を持たせてサービスの質を高める上では発電と送電を分けることはプラスでしょう。本音を言えば大量に税金を使ってでもこの際、東西で異なる商用電源周波数も統一させるべきだとも思うのですが、今の日本では体力的にも難しいでしょう。
 それにしても処理しなくてもいいどうでもいい問題は率先してやるが、難題はともかく先送りにするというのを日本は国ぐるみでやってくるのがいろいろと……。

 ついでにもう一つ、最近日本で生活していないので実態いまいちつかめないのですがあの後結局普及したのかよくわからないものとして、スマートメーターがあります。現在、中国では決して誇張ではなく電気やガス代といった公共料金は携帯電話で支払うのが割と前から主流となっており、そういうのを見ていてもスマホとスマートメーターは相性がいいと思うし何より検針員の人件費を丸ごと浮かせられるのであれば全力で普及すべきだと考えています。
 検針員に関してはついこの前にも、驚異の3995万円という請求が起きる事件もあったそうです。っていうかこの検針した新人、仕事なめすぎだろ。

 さっきから日本にいないと言い訳はしてはいますが、外から見る限りではこのスマートメーターはあまり普及していないのが実態なのではないかと思います。また東芝も自信満々で買ったスマートメーター世界大手のランティス・ギアを結局売却してますし、こちらは掛け声倒れで終わったような気がします。
 先ほど中国では公共料金の支払いは全部スマホでやると書きましたが、なんとなく社会全体でのスマホの活用で日本は青写真を描けていないというか、描ける人間が中枢にいないようにも感じます。中には「そうしたことは中国だからできる」という人もいるかもしれませんが、中国の方が人口も国土も大きい上に厄介な人間も多いことを考えると、必ずしもそうとは言えないんじゃないかなと言う気がします。

2018年4月19日木曜日

スルガ銀行の不遜すぎる態度について

アイドルマスター「隣に…」 全員分(ニコニコ動画)

 この記事書こうと思っていた矢先に上記の動画を見てしまい作業が遅延しました。それにしても「キツ過ぎる坂道」と言われるこの曲ですが、こんな半端なく難しそうな曲を仕事とはいえ歌わされる声優はたまったもんじゃないでしょう。ただ同じ曲をいろんな人間が歌うのを見るって案外面白いものです。

金融庁、スルガ銀行に立ち入り検査 シェアハウス破綻で=関係筋(ダイヤモンド/ロイター)

 であるからして本題ですが、以前にスマートデイズの「かぼちゃの馬車」こと女性向けシェアハウス投資実質詐欺問題についてスルガ銀行を足利銀行に重ねつつ取り上げましたが、金融庁も事態を重く見ているのかスルガ銀行への検査を強めているとの報道が出ています。こうした国の指導、是正措置自体は適切な対応だと思うのですが、私が疑問に思うのは当事者であるスルガ銀行の態度で、見出しにも掲げた通りに不遜もいいところだと考えています。

お知らせ(スルガ銀行)

 何故このように感じたのかというと、上記の一般向け情報公開(プレスリリース)で金融庁の検査やスマートデイズ関連報道について何一つ触れていないからです。

 普通、と言っては何ですが、不正や疑惑絡みの報道があった会社ならば、「報道されている内容は当社とは一切関係がありません」、「決定した事実はありません」などと無関係を主張したり、捜査関連などでは「捜査を受けているのは事実で、全面的に協力しています」、「続報があり次第発表いたします」などといったプレスリリースを出すものだと私は考えており、実際にその手の報道が出てくれば関連する企業のサイトいってプレスリリースをよく眺めたりしています。メディアの報道より面白いこと多いし。
 なのですが、今回のこの一件についてスルガ銀行はリリースなどでは一切触れておらず、事件規模の大きさと関連度合いから考えて、当事者意識がないのかと正直疑うレベルです。それどころか、

【重要】取引規定の変更について(スルガ銀行)

 上記リリースは取引規定の変更を発表したものですが、一部金融商品について以下のように規定を変更すると書かれてあります。

『収入を証明する書類の提出等
1.借主は、銀行が定期的にまたは必要と判断し、提出の依頼をしたときには、銀行が適当と認める借主の収入等を証明する書類(銀行が必要と判断するときは、配偶者の収入等を証明する書類を含みます。以下、収入証明書類といいます。)を速やかに銀行が指定する方法により銀行に提出するものとします。また、銀行から借主の収入等に関する照会があったときは、借主は、これに回答するものとします。

2.第1項の収入等に関する調査の結果により、または借主がこれらの調査に応じないときには、銀行は、利用限度額を減額あるいは新たな貸付を中止することがあります。銀行が、利用限度額を減額、あるいは新たな貸越を中止したときでも、銀行は、極度額の変更ならびに新たな貸越の中止に関する通知・案内等は原則として行なわず、借主は、別途、所定の方法により随時、借主の極度額等の確認を行なうこととします。

3.銀行は、第1項により提出された収入証明書類について、原則として返却いたしません。』

 対象となる商品は自動貸越サービス、パッと見る限りだとキャッシングのようですが、下線部の内容を読んで強い疑問を覚えました。というのも、問題となっている「かぼちゃの馬車」事件では収入・資産証明書類の改竄が行われ、ずさんな審査で貸付が行われていたと報じられており、現時点でこの件に関してはほぼ事実だったろうと考えられます。上記の規定変更対象商品に「かぼちゃの馬車」に絡む貸付が含まれるかはともかく、自分たちの審査が杜撰であるくせに後から審査し直して内容が駄目だったら取引を中止すると言っているようにしか見えず、一読して「お前ら今の自分らの立場わかってんのか?」という感想を覚えました。
 っていうか、このタイミングでこんな内容出すって本気?

中古マンション投資でも不正続発 スルガ銀融資に絡み(朝日新聞)

 以前に書いた記事でも、「(かぼちゃの馬車の)問題が出てくる辺り、闇はもっと深いだろうから他にも何かやってるだろう」と私は主張しましたが、やや自慢めいた言い方に聞こえるかもしれませんがやはりそのようだとうかがわせる報道も出てきました。そしてこの報道に対しても、スルガ銀行は何もリリースを出していません。

 自分の経験から言えば、金融業は内部で不正が起こりやすい業種なだけにリスクに対する規定が細かく、外部への報道発表など割としっかりしているところが多いのですが、スルガ銀行に関しては上記にもある通り当事者意識が欠けているように思えるところがあり、はっきり言えば不謹慎とも感じる面が多いです。まだまだ探れば出てくるかもしれません。

2018年4月18日水曜日

頭の回転を高めるというか特徴

「頭の回転が速い人」になるための3つの方法(東洋経済)

 無駄に残業したのにあまり疲労感を感じないやや危険な状態なのでてってて書きますが、上の記事を読んだうえで頭の回転を高めるというか回転が速い人の特徴として、どれだけ長く長考できるかではないかと考えています。

 長考とは文字通りに、何かについてどれだけ時間をかけて考え続けられるかです。ある意味将棋や碁などに通じるかもしれませんが、一つの事柄に対してどれだけパターンを想定した上でどのパターンが選択肢としてベストなのかを延々と時間が許す限り比較するとして、5分で終わる人と3時間も考え続けられる人では後者の方が頭の回転が速いと断言します。基本的にパターンをどれだけ考え、用意できるかは即座の対応や反応に直結し、尚且つ将来予測においても強いのは言うまでもないでしょう。
 そのパターンをどれだけ作れるか。結局これはどれだけ長考できるかにかかってきて、何分で何パターン作れるかという実時間での速さはあまり影響しないと思います。長考できるというのはそれだけ集中力を保てるともいえ、これまで私が見てきた限りではこうしたタイプほど頭の回転が速い人が多かったです。

 その上でもう一つ、頭の回転が速い人の特徴を述べると、思考中に言語化の過程をすっ飛ばせる、それも意識的にやれる人が当てはまります。理屈や予想を組み立てる過程でいちいち文字や言葉、イメージを介さずに原因と結果のパターンだけを取り出してこれるというような人ですが、一歩間違えればシャーマンのように突然意見を出してきたりします。
 まぁ私に言わせれば、世の中の事象は原因→結果ではなくむしろ、結果→原因のように、結果に対してあとから理由が付けられるという事象の方が実は多いに過ぎないので、過程のない結論というのは決して間違ってはいないとは思いますが。

2018年4月17日火曜日

ブラック企業大賞について

 結論から書くと、ブラック企業大賞の集計及び発表は全くその意味を持たないと思うので早くにやめるべきではないかと私は思います。

ブラック企業大賞

 ブラック企業た問題となり始めた数年前より毎年ネット上で、その年で最も過剰労働やパワハラの激しい会社を決めるのがこのブラック企業大賞ですが、その存在意義に関しては疑問を通り越してもはや言いようのないしょうもなさを覚えています。問題点は複数あり、列挙すると以下の通りです。

1、問題となる労働行為が受賞年に発生したとは限らない
2、何を持って大賞となるのか違法の軽重基準がない
3、どの年もメディアに大きく報道された企業が受賞している

 一つ一つ解説するとまず1について言うと、違法な労働はどこも長年にわたり続いてきていたというケースが多く、それが槍玉に挙げられるのは発覚したせいだからです。逆を言えば発覚年にブラック企業大賞に選ばれ、過去の自殺やパワハラなど違法な行為について実現期間と受賞期間が食い違っていることが多く、極端な話10年くらい前の話でも急に話題になれば受賞する可能性があるでしょう。
 これによって想定されるケースとして、過去に一度受賞していながらその後も改善されない企業はその後も受賞するのかという懸念があり、多分一回取り上げられた企業は改善の有無にかかわらずその後は取り上げられないでしょう。果たしてそれでいいのか、公共への周知の面や社会牽制の観点からすると疑問です。

 次に2については説明するまでもありません。違法な労働行為は会社ごとに千差万別で、何をもって一番ひどいかは決めるのは困難でしょう。それでもいくつか評価基準、被害者数、期間、社内か社外か、問題行為に差別があるのかなど分野ごとに大まかでもいいから基準なりポイントでもあればいいのですが見る限りそんなものはなく、独自の分析や考察なんかも見えず、なんとなく敢えて言えば雰囲気で受賞企業を選んでいるようにしか見えません。

 その雰囲気こそが3で、以前電通が受賞したように結局は報道の大きさで受賞企業が決まって閉まっているとしか思えないところがあります。だから私はむしろ、「ブラック企業報道大賞」とこの際名前を変えた方がいいように思え、その年に一番報道されたブラック企業を選ぶ賞であれば基準も明確だし、その表彰の無意味さもはっきりするだけに良いのではないかと思います。
 言わなくてもいいことですが、本来こうした槍玉に挙げる表彰というのは先にも書いたように公共への周知と社会牽制という意味で考えるべきです。しかしすでに社会で大きく報道されている企業をいちいち「ここはブラック企業だ!」と発表しても果たしてその効果があるのかといえばほとんどなく、なんとなくですが年を追うごとにこのブラック企業大賞も社会の関心が薄れてきているような気がします。

 むしろそれだったら、ほとんど誰も知らないけどこんなひどい会社があったなどとマイナーなブラック企業を取り上げる方が価値があるように思え、また一度受賞、認定された企業は文字通りブラック企業リストみたいなもので常に公開し、労働環境の改善や是正があるまで批判し続けるというスタンスの方が社会牽制上で意味がある気がします。なんなら、その企業と取引のある会社もばーって載せてもいいんだし。

 最後に、これは別記事にしてもいいのですが、これまでのブラック企業の話題で語られるのは「社内に対する劣悪さ」だけでしたが、そろそろ「社外に対する劣悪さ」という観点でのブラック企業をもっと取り上げて、批判していくべきだと思います。真面目になんでこの手の議論が出てこないのかいつも不思議に思っていますが、やっぱ日本は目線が内側に行きやすいのかなと密かに見ています。

2018年4月16日月曜日

でかっ

 前の記事で「骨が腐るまで」という漫画について「死体とおっぱいがいっぱい漫画」だと紹介しましたが、読んでみた友人からは「死体はともかくおっぱいはいっぱいではない」という返事が返ってきました。私と彼の間では認識に隔たりがあるようですが、それはどのような隔たりなのか、現国の問題に使えそうな問いです。
 

 そんなわけで昨日は中国の「J-20」こと「殲20」というステルス戦闘機のプラモ作ってました。なんで急に作ったのかというと例の上海人に「次は殲20」作ってと、一昨日言われたからです。言われたその日にすぐプラモやに買いに行って、翌日には作ったので上海人は驚いてましたが、 やると決めた行動が早いのは自分の長所だと真面目に思います。
 またある意味今の自分は戦闘機プラモ作りブームの真っ最中で、自分の中でブームが終わる前にできる限り作っておくほうが後々の自分のためだという自覚もあります。非常にお手軽な軍事研究でもあるし、くれぐれも暇だったというわけではありません。




 作ってみて今回感じたのは見出しにも書いた通りに「でかっ」っていう点でした。ステルス戦闘機とは言いながらもサイズ的には爆撃機みたくでかく、これまでに作っていた他の戦闘機と比べても一際サイズが大きいです。
 このようなサイズになった理由としては噂で聞く限り、姿形がよく似ている米国のF-22ラプターの情報を盗んで設計したけど、細かい部分が再現しきれずどんどんでかくなっていったそうです。あと今回作っていて初めて気が付きましたが翼の数も異様に多く、前翼(カナード)、主翼、X字尾翼で計8枚にも上ります。前翼があるのであれば水平尾翼はステルス上でも不利なのでいらないのではと思うのですが、逆を言うとそれだけ流体力学面で中国は熟成されてないのかもしれません。

左からタイフーン、J-20、F-16、MiG-29

 サイズの比較としてこれまで作ったどれも同じ1/72モデルの機体を並べましたが、タイフーンですら作った時はでっかいなぁと思ったものの、それを遥かに超えるでかさです。
 なお日本において「72」という数字には特別な意味があるようです。

 ミグと並べたらその差は歴然

 なんとなくですが、このでかさとステルス性、そして異様に多い翼の枚数などから考えて、J-20は正式戦闘機というよりも実験機に近いものではないかという気がします。あくまで私個人の印象ですが。
 ちなみに昨日、6時間ぶっ通しで作ってて終わった時には腕がしびれていたかったです。メーカーはタミヤのコピー作って喧嘩してるトランペッターですが、表面の仕上げは非常にいいものの、図面がやや見づらいのと、一部の接合でやや疑問に感じる箇所があり、ハード一流、ソフト二流って感じします。まぁキット自体の質は悪くないので、実力あるメーカーであることには間違いありませんが。

2018年4月14日土曜日

中国人が花見を好む理由

  今1巻と2巻がKindleで無料だったので読んでみたらそこそこ面白く、下記の「骨が腐るまで」という漫画を一気に全巻買い集めました。軽く書評を書くと一見して映画の「ラストサマー」と同じ構成だと思いましたが、変に間延びせず話の展開がよく、7巻と少ない冊数でまとめられているので、総じて完成度の高い作品だと覚えます。
 なお友人に勧めた際、「死体とおっぱいがいっぱい漫画」と紹介したら、友人は何も答えてくれませんでした。何故彼は何も答えなかったのか、現国の問題にも使えそうな深い問いであるような気がしてなりません。



 話は本題に入ると既にピークは過ぎたと思いますが今年もやってきた花見シーズンにおいて、あちこちの花見の名所で中国人の姿が見られたのではないかと思います。単純に中国人は日本の花見文化を非常に気に入っており、この花見を体験するためだけに訪日旅行ツアーに申し込む人も少なくありません。
 こうした中国人の花見ブームについて日系メディアもその理由や背景についていろいろ報じており私も読んでいますが、決して的外れだとは思わないものの、私の考えている理由を挙げている人はまだ見当たりません。結論から書くとそれは、「中国には自然を愛でる文化が極端に少ない」殻ではないかと睨んでいます。

 中国で鑑賞する代表的な花と言えば梅の花で、梅を愛でる文化こそあるものの日本の花見のように定型化されたようなイベントはありません。また花に限らず自然を鑑賞し、愛でる文化やイベントごとが自分から見ても不思議なくらいに少なく、言い方を変えるとアウトドア文化が日本と比べると極端にありません。
 アウトドアスポーツについていうと、登るような山が少ないということから登山はほとんど行われません。当然、スキーなども中国ではごく一部を除いて行われません。また海水浴に至っては、中国は泳げない人の方が圧倒的多数です。

 自然を愛でる文化としては中国にも月見文化は存在しており、日本なんかより十五夜への熱意は高いように感じます。その一方で花や海、山、なんかこういった自然物と絡むイベントごとや鑑賞文化はあまり見られず、ましてや「自然を眺めながら野外で宴会」なんていうのはほぼ全くないから、だからこそ花見が新鮮にも映り興味を持ったのではないかと分析しています。詳しく検証したわけではありませんが。

 蛇足かもしれませんが、こうした中国人の行動思考の分析とか評論記事を見ていて、民俗学的アプローチがやや少ない気がします。自分の分析が民俗学的かどうかについてもはっきり言って疑問ですが、この手の分野ではプロである彼らの視点や言及が生かされないというのはどうなのかなという点でも疑問です。

歴史記事を書くポイント

 今週水曜にJBpressで出された私の記事は二次大戦中のフィンランドの話ですが、これはこのブログを長く見ている人ならお気づきかもしれませんが、2015年頃に書いたこのブログの記事の焼き直しです。というのも先月と今月は忙しくて本来なら記事出しは月一本の予定でしたが、取材なしで尚且つ原稿もある程度揃っていることから、ブログ過去記事の焼き直しでよければと穴埋めにどうかと提案したところ編集部も「是非」ということで今回使いました。

 この記事のヤフコメを見ていると恐らく私以上に冬戦争について詳しいと思われる方々がたくさんコメントをしており、それを見ていてだからこそ自分のような人間がこうして歴史記事書く余地があるなと内心感じました。というのも究極的に言えば、歴史マニアは歴史解説記事を書くに当たって致命的な欠陥を抱えていると私は考えており、あまりこの点は他では言及されてないのでこの際紹介します。

 結論から言うと、歴史マニアが何かしら解説をしようとすると非常にディープな点ばかり取り上げたり、専門用語を読み手が初めから知っているのを当たり前であるかのようにバンバン使い、あまり詳しくない人からすれば理解しづらい文章になりがちです。なんでこうなるのかっていうと単純に、あまり人のこと言えませんが自分が他の人にはない知識を持っていることを誇りたいからで、歴史マニア同士の会話なんか見ていても相手の持ってない隅を突くかのような知識の言い合いになりがちです。
 自分もこうした傾向を持っていることは重々承知しており、歴史記事を書く際は敢えて細かい用語や人物名、紛らわしそうな事件名などは細かく区別するように注意して書いています。

 基本的には「不要かと思うくらいしつこくいちいち説明し続ける」スタンスで歴史記事は書いていけばいいのですが、このやり方だと読み手には優しくなる一方、文章のテンポはほぼ完全にスポイルされます。どうでもいいですがスポイルという単語を見るとスポイトとの違いについて思いを馳せます。
 日本語のリズムは基本、五・七・五形態の中膨れ三拍子が一番心地良いと私は考えていますが、歴史記事だとこのリズムを維持するのは非常に困難です。説明文が続くとどうしてもくどい文章になりがちで、ましてや文字数の制限があれば紹介できる箇所もどんどん削られていくことになります。

 こうした問題への対処として、またいい歴史記事を書くポイントとしては第一に、「焦点を定める」という作業が最も効果的です。紹介、解説する箇所を絞り、余計な箇所には一切触れないということです。
 現実に去年書いた戦国初期の関東の記事ではこの手法を強く意識して書いており、近畿地方の政変や応仁の乱などについては一切触れず、尚且つ関東の情勢もそれぞれ主人公格の人物を定めてその人物を中心にして語るという方法を取りました。今回のフィンランドの記事もあくまで主役は戦争であり、その勃発理由と経過、そして戦後についてを中心に置き、前回の冬戦争についてはクリストファー・リーが義勇軍として参加していた事実などは省きました。シモ・ヘイヘについては外せませんでしたが。

 次回の継続戦争についてもう予言しますが、恐らく「リュティ大統領についての言及が少ない!」というコメントで荒れることでしょう。しかし言い訳とみられるでしょうがこっちとしては大まじめに言うと、もしソ連との講和に至る過程でリュティ大統領の行動を細かく取り上げていたら、文字数が食われるばかりか戦争内容よりもリュティ大統領が主役の記事になって焦点がぼやける可能性が高く、こればっかりに関しては「外すのが正解」だと私は考えます。その上で最初に戻ると、歴史解説は詳しければ詳しいほどいいというわけではなく、読み物としては歴史に詳しくない人間でも理解できるような内容に仕立て上げることこそが第一です。まぁアクセス稼げなければ意味ないですが。

 なお、逆と言っては何ですが政治や経済記事なんかに関しては最近私も敢えて小難しい専門用語使ったり、詳細な解説を省くことが増えています。理由は浅はかな人には絶対理解できない内容、もしくは誤解させ、狙い通りの批判させ、反論して一気に黙らせる方が楽になってきたからです。必ずしも何でもかんでもそうだとは言いませんが、歴史や経済に関する記事はやはりある程度は基礎知識を持って読んでもらいたいと思え、また書く側の負担もあるのである程度の切り捨てもやむを得ないスタンスを取るようになっています。
 もっとも、解説した用語や仕組みがどうしてもわからない、教えてほしいという声に関しては今後もできる限り対応するつもりです。私が敵視しているのは考えたり調べたりすればすぐわかることなのに、わざとかと思うくらい浅薄な知識にもかかわらず挑発的且つ感情的に批判してくる輩です。記事に関する疑問や、丁寧な姿勢での批判であればむしろ大歓迎で、強敵を常に求めています。

2018年4月12日木曜日

電波系のキャラは書けるのか?

 最近くそ真面目なことばかり書いておりふざけたことを書きたくなってきたので、電波系なキャラについて思うことを書こうと思います。

グランディアスⅢ(ゲームカタログ)

 つい最近知りましたが上記の「グランディアⅢ」というゲームはクソゲーだったようです。何故クソなのかというと出てくる登場キャラクターみんなが電波系というか、プレイヤー置いてけぼりな支離滅裂な言動ばかり繰り返す人間ばかりで、全く意味が分からないまま進行していくからだそうです。
 具体的にどれだけ電波なのかというという例として、以下のやり取りが上記ページで紹介されています。

  • (ヒロインが)寂しげな少女と出会った次のシーン、唐突に「あの子、手が冷たかった! 連れて帰れば良かった! あの子の手を温めてあげたい! どうすれば良いの!?」などと泣き出す。
  • しかもこの後、主人公の「飛ぼう…。飛べばきっと答えが見つかる!」という、電波を電波で返す香ばしい台詞が。

 このやり取りだけでも確かにやばそうなゲームだというのがなんとなくわかります。なお並み居る電波系の登場キャラの中でもとりわけその程度が激しく、周りをあらぬ方向へガンガン牽引するヒロインについては「電波塔」と表現されており、なかなか見事だと思うので自分もこれからこの「電波塔」という表現を取り入れていこうと思います。

 話は戻りますが、こうした「電波系」という表現は日本独特の表現で、その語源は深川通り魔殺人事件のヤク中の犯人が動機について、「電波を受けたから」と証言したことに始まると言われています。具体的に電波系がどういう性格かについては諸説ありますが基本的には、「支離滅裂、意味不明な言動を繰り返し、周囲の言葉をまるで理解しない精神異常者っぽいキャラ」と言えば大体当てはまるでしょう。
 それで今回、上記の「グランディアⅢ」の紹介を見ながら思ったこととして、「果たして俺にこういう電波系のキャラって書けるのだろうか?」ということでした。高校時代以降は全く小説書かないでいたら上海の中心でフィンランドについて紹介する日本人ライターになってしまいましたが、かつての小説を書いていた杵柄で述べると、気が狂ったキャラって案外書きづらいもんです。

 これは実際に下手な小説家の作品に出てくる気狂いキャラを見てもらえばわかりやすいですが、読者の共感を得られる狂人キャラっていうのはなかなか描きづらく、ただ暴れさせたり変なセリフを言わせてもなんとなく中二病っぽいキャラクターで終わってしまいがちで、書いてる作者はともかく、読んでる側からすると「作者はこれで狂ってるとか思ってんだろうな(笑)」みたいに思われてしまうことすらあります。現実に身の回りに頭のおかしい人なんてそうそうたくさんいるわけではなくモデル数は乏しく、かといって想像で書いてしまうと描写が過剰になったり過少になったりして、いまいちリアル感のないキャラが出来上がりがちです。作者本人が気違いなら書きやすいかもしれませんが、果たして気違い状態で小説が書けるかとなるとそれもまた微妙でしょう。
 なお私が本気で狂ってると思う人物像は、漫画家の岡本倫氏ただ一人です。作品のストーリー展開からセリフ回し、作者のプライベートの発言など、装っているのではなく完全に真性で他の人と違うと思ってます。

 なおオウムの麻原彰晃が拘禁症状で発狂しているという意見に対して、「ウンコ食ってないらしいからまだ狂ってるとは言わない」とする意見が結構よくみられます。ウンコを食うか否かがなんか狂ってるかどうかの一つの基準になっているのかもしれませんが、なんとなくそんな気はします。

 話は戻りますが気違いキャラ、それも電波系を描くのはモデルの圧倒的少なさ、尚且つ読者になめられないような水準で描写するとなったら私個人にとっては非常に難しい作業になると考えています。まさかウンコ食う描写入れるわけにもいかないし。
 そう考えると先ほどの「グランディアⅢ」は「こいつら、全員悪人」ならぬ「こいつら、全員電波系」ともいうべきカオスな世界を作っているとのことで、ある意味そりゃすげーなとキャラ作りの点で変に感心しました。

 その上で先の記事を見ていて、もしそういう電波系のキャラを作ろうというのなら、「否定→肯定→また否定……」のやり取りを見せるのが一番効果的かなという法則性を見出しました。具体的には、

  • (ヒロインが)先の少女に「真実が聞きたいんです」と自分から申し出ておきながら、兄が世界を混乱に陥れたことを聞かされると「やめて! もう聞きたくない!」と即逆ギレ。

 上の文章を読んでて、「ああこれなら電波系だと相手に一発で認識させられる」と思うと同時に、散々否定する説明しながら反論一つで、「そうだね、君の言う通りだ」とすぐ納得する反応を見せると、簡単に相手を狼狽させられるということを思い出しました。基本、人間というのは反論を呈す時には相手からさらに反論が来ることを戦々恐々と待ち受けており、一転しての肯定反応を見せられると「えっ!?なにそれ!?」と軽く電気がショートした感じで戸惑い始めます。それを見越して自分もたまに使うこともあり、実際にこれやるとかなり効果を発揮します。

 最後に小説のキャラクター作りについて持論を述べると、自己投影すると確かにリアル感のあるキャラは作れますが、底が見透かされやすいです。むしろ作者からして、「こんなやつおるかいな」という非現実っぽさを感じるキャラクターの方が程よい距離感になるというか、他者からの共感が得られやすいキャラになる気がします。総じていえば、作者の思い入れが強ければ強いほどキャラクターとしては面白みがなくなりやすく、創作するキャラクターともどれだけ適度な距離感を保てるかが魅力的なキャラづくりにおいて重要だと考えてます。まぁもう小説は書くことないだろうけど。

2018年4月11日水曜日

証人喚問に意味はあるのか?

 

 この前、MiG-29を作ったばっかですが、Su-27フランカーも作ろうか悩んでます。中国のJ-20とかの方が記事ネタにもなっていいんですが。

 話は本題に入りますが、例の加計学園問題について柳瀬唯夫・元首相秘書官の証人喚問が決まったそうです。恐らく台本が出来上がったからだと思え、また丸川珠代議員の忖度質問+「ありがとうございます」が聞けると思うとマルクス主義的(=無意味に、空虚な)なワクワク感を覚えずにはいられません。
 パトラッシュ的になんかもう眠いのでとっとと書き上げますが、前の記事でも少しふれましたがこのところの証人喚問を見ていて、果たしてそもそもこうした行為に意味があるのかと疑問に感じずにはいられません。かつてロッキード事件で喚問された児玉誉士夫などは田中角栄との関係について「刎頚之友」と言ったりするなどドラマはありましたが、このところ連続して行われている証人喚問はどれも、「都合の悪いことは言えません。前に言った通りです」しか聞けず、こんなん時間撮ってやることかと見ていて面白くありません。

 また豊洲移転問題について行われた東京都の百条委員会でも、他の証言者と明らかに内容が食い違っており、はっきり言って偽証しているとしか思えない浜渦氏についても結局不起訴となり、誰があの問題を起こしたのかは結局闇に消え、誰も責任を取らずに終わりました。

 今回の問題は前にも書いた通りに本格的に動くは6月以降だと思われますが、どうせ関係者を証人喚問してもまた忖度質問と証言拒否の連発で何も得るものはないでしょう。そう考えると証人喚問という制度自体、完全に役割のないものとしか思えず、実際にそうなっています。
 敢えて言うなら、もっと厳しいものにしなければ意味がありません。証言拒否は絶対に認めず、発言に偽証があれば一点につき懲役一年ずつ加算するなど、捜査権としてもっと厳格にする必要があると思います。一応、捜査権としては特捜以上に高度なものとして認められているのだし、めったなことでいちいち行われるものでもないことから、これくらい厳しくしてもいいと思えるし、またそうあるべきだと思います。

 昨日も書きましたが、疑惑の多さではもはやあの鈴木宗男氏を安倍総理は超えているように思え、それでも政権を保てるというのは野党の怠慢の賜物でしょう。恐らく今年中に安倍政権は退陣になると思いますが、第一次安倍政権も選挙直後の組閣を終えた直後にいきなり辞職となるなど、割と引き際がよろしくない傾向があるので、逮捕されずに済んだ人間もいたのかなという結末になる気がします。
 今予想すべきは次は誰かですが、順当なら岸田前外務大臣、次点で石破議員、思わぬ追い風があれば河野外務大臣とかかなと見ています。

2018年4月10日火曜日

加計学園の首相案件メモについて

 今日もたくさんニュースが出ましたが、個人的に一番衝撃を受けたのは以下のニュースです。

白鵬悲痛、尊敬する父の死「親を超える子はいない」(日刊スポーツ)

 かねてからこの偉大な横綱にして偉大な父親だと感じさせられていた白鵬関の父親が亡くなられたこのニュースが、決して冗談ではなく今日一番衝撃を受けました。白鵬関はモンゴルで看取ることはできなかったようですが、これほどの孝行息子を持ってジジド・ムンフバト氏はさぞ幸福だったでしょう。

 それで本題に移るともうあっちこっちで報道に火がついていますが、かねてから疑惑が追及されていながらこのところは森友学園の方に話題が取られていた加計学園の問題ですが、またも朝日の特大スクープによって再び帰ってきました。

愛媛県知事のひと刺しで安倍官邸に激震 始まりは週刊朝日特報(AELA dot.)
「首相案件」面会メモ 愛媛知事が認めた加計文書内容(朝日新聞)

 詳細については一般の報道に譲りますが愛媛知事も最後の最後で裏切ってきたというか、「正式文書ではないけど備忘録」と言って、この文書内容を事実上肯定してきました。この一言はアエラの言う通りに「ひと刺し」そのもので、恐らく年内でいろいろ終了でしょう。そして明日にはもう立候補者たちも動き出すことでしょう。
 それにしても「備忘録」とはいうものの、朝日が公開した備忘録全文(会員じゃないから冒頭だけしか見てないが)を見る限り、愛媛県は備忘録程度にもこれほど体裁の整った文書を作るのだなとなかなか感心します。会談時間が正確に記入されていることはもとより冒頭に至っては「報告・伺」と書いた上、「地域政策課」という作成部署名までしっかり入っています。自分なんかこんな体裁、会議議事録じゃないとまず使わいませんが、文書管理や保存はくっそいい加減なくせに作成だけはつくづく愛媛県は手が込んでいるようです。

 つうか今更裏切った分際に言うのもなんだが、隠蔽に加担していたことがある意味この文書によって証明されたことになるわけで、なるべくならあなたも自発的に早く辞めるべきだと知事には言いたいです。

 文書内容については他には通り一辺倒なことしか書けませんが敢えて一点だけ書くと、やはり獣医学部設置については不適格な申請理由、内容、準備から何度も審査に落ちていたものの、加計学園の鶴の一声で一気に設置認可が動き出したことがメモから推察されます。問題はそれが何故加計学園だったってことで、前にも書きましたが加計学園の系列大学の学部は全国どこでもほぼすべてFランクで、普通に考えれば大学法人として絶対に新設を認めてはならない運営者なはずです。それを考えると、認可の審査は歪この上なく、、普通に考えれば裏があると思わない方がおかしいでしょう。

 このほか敢えて違った目線で今回の報道について私の思ったことを書いてくと、恐らく朝日新聞は大分以前に当該文書を入手していたのではないかと思います。何故発表が今日になったのかというと、恐らくすでに認可を得て開学が決まっていた加計学園獣医学部に対し、最悪の混乱を避けるため無事に入学式を済ませた後にしようという配慮からだったのではないかと思います。だとすれば意外とやさしいとこあんじゃんってことになりますが、過程はどうあれ入学者のことを考えれば私もこの判断を支持します。
 もう一つ敢えてタイミングについて推論を述べると、他のメディアも同じ文書を手に入れていた、もしくは手に入れつつあったから先んじてこのタイミングになったのではないかとも見ています。第一報こそ朝日新聞でしたがメディアの反応を見ていると森友学園問題の改竄決裁書の時と比べると文書内容に触れる他のメディアの報道は早く、週刊文春に至っては、「明後日にはこの件でもっと詳しく報じる」と今日リリースを出してきました。まぁ文春はただの追っかけかもしれませんが。

 その上で、タイミングを考えると朝日新聞はまだもう一つ、大きなネタを持っているのではないかという気もします。こう考える理由としてはやはりというか愛媛県知事の反応で、昨年における最初の疑惑報道と比べるとこの文書に対する反応や態度が違うように見え、そしてなにより報道のあったその日にすぐ会見して内容を認めた点からです。動画は見ていませんが写真から見ても激しく動揺しているように見え、言ってしまえばこの文書に関しても「眉唾だ」と言い切って知らないふりする道もなくはないと思えるのに何故かあっさり、それもできるだけギリギリ直撃を交わすかのように「備忘録」として認めたのかがやや不自然に感じるからです。
 例えば、もっとクリティカルな証拠が握られていると考えれば、こういう態度にもなるかなと、はっきり言って勘ですが直感的に感じました。まぁだからこそ官邸も今回は、「怪文書」とは言わないんだと思うけど。

ワーストレディ・安倍昭恵は稀代の悪女か(プレジデント)

 続いてこっちは森友問題ですが、まぁ見事な見出しのつけ方です。プレジデントも普段批判してばっかですがこちらの記事は見出しだけでなく中身も面白くて文句のつけようがない記事です。

 少し真面目な話に戻ると、かつてこれほどまでに疑惑案件に満ち溢れた首相は少なくとも私は見たことがありません。田中角栄なんかはもっとあったのかもしれませんが、90年代以降で言えば間違いなくく安倍首相がトップです。しかもどの疑惑も「そんなの嘘だ、根拠なんてない、文書なんてない」と言っては後から証拠がボロボロ出てくる有様で、必死で調査しているという言い訳がさもしいにもほどがあります。
 中でも自衛隊の日報問題は座視できない問題で、この件は文民統制を現場がないがしろにした以外の何物でもない案件でしょう。誇張ではなく、この日報隠蔽に関わった自衛隊関係者は理由の如何を問わず全員追放するくらいの断固たる措置が絶対に必要だと私には思えますが、今の安倍政権からはそうした処分に臨もうという姿勢は全く感じられません。まぁ、自分のことで手一杯過ぎるのでしょうが。

 ある意味、今の安倍首相の疑惑の多さは、かつて「疑惑の総合商社」と呼ばれた鈴木宗男氏を超えているとすら覚えます。そして先にも書いた通りに何一つ疑惑が無実だということを安倍政権は否定できず、むしろ決裁文書の改竄など疑惑を隠すために余計に新たな疑惑を自ら再生産しだす始末で、「信なくば立たず」と言いますが、歴史にはこちらも主旨には賛同するものの今回の件でその運用に疑問を持たざるを得ない機密情報保護法案と合わせて「安部隠蔽内閣」と総括されるやもしれません。

2018年4月8日日曜日

現実を歪める人の3タイプ

 昨日書いた「昨今の表現規制」にてコメントをもらったので、「監獄学園」の最終巻には大幅加筆すると本誌で予告されていたのに実際ほとんど加筆はありませんでしたが、先の記事に関して私は加筆をしようかと思います。
 つうか「監獄学園」の件はページ飛びもあるし真面目に詐欺もいいところな気がする。俺も金返してもらおうかな。

 早速書いていきますが私は先の記事にて「血液を赤く描いてはならない」とするゲームにおける表現規制を例に取り、現実には赤いのにそれを否定する行為はもはや現実を否定する行為に等しいしこうした表現規制はむしろおかしいという主張を行いました。その上で現実は直視するべきものであり、現実をありのままに描こうとすることを否定もしくは妨害する行為はあってはならないし、この面での表現の自由は何人たりとも犯してはならないし、自分もこの件に関しては全力で抵抗するということを書きました。
 この記事について知人から、実際にこうした表現規制を行う人間の特徴として以下のようなコメントを受けました。

「規制したがる人たちは、自分達はキレイな世界に生きていると思いたいから、実際には存在しているが、汚いものを私たちに見せて、私たちの世界観を壊してほしくないという考えで、そういう考えを持っている人たちのエゴなのではないでしょうか?」

 基本的にこの知人の意見に関しては私も同意するのですが敢えてもう少し掘り下げると、表現規制する人(=現実を歪める人)はその特徴で分けると3タイプに分類できるのではないかと考えています。というわけで早速、実質的に私と敵対する立場の「現実を歪める人」の3タイプを順に説明してきます。

タイプ1、過度に反応、忖度して表現規制を強化、増加する人たち
 このタイプは主にマイノリティらに関する表現規制を作る人で、古いものだと「ちびくろサンボ」を廃刊に追い込んだ連中や、最近だと何故か「お父さん」、「お母さん」という言葉を使ってはならないと言い出した千葉市が当てはまります。
 この手の連中は規制する言葉や表現が差別につながると主張して使用を禁じようとしますが、むしろ彼らがそう主張するから差別用語とかになっているとしか思えません。それどころかこうした主張を援用するならより多くの言葉や表現が規制されかねず、いわば限度のない議論へと発展しかねないリスクもはらんでいます。そもそも、こうした連中が規制する言葉や表現が差別的かと言われればそうとは思えないものばかりです。

 ある意味、最初に挙げた赤い血液を描いてはならないとする連中もこのタイプに属すでしょう。この手のタイプはその表現が差別的だとか問題があるかを真剣に考える前に、「とりあえず当たり障りないよう批判が来そうなものは全部排除」的に過度に反応して決めていることが多いように見えます。私に言わせれば、現実を否定すること以上の差別はないとは思うのですが。

タイプ2、現実を直視したくない、対策を取りたくない人たち
 表現というよりかはこちらは実務面に近い話となります。でもって、知人が指摘した特徴はこのタイプに属すでしょう。
 まず大前提として、現実というのは基本的に見るに堪えないもので、直視すればするほど苦痛を催す物象であります(例:「アイドルはおしっこをしないわけがない」)。また厳しい現実を突きつけられ、その状況から脱するためには現実に即した対策を取る必要がありますが、基本的にそうした対策というのも身を切らざるを得ないものばかり、というかものしかなく、対策の実施によって失うものも少なくありません(例:リストラ、口封じ)。

 そうした厳しい現実と迫られる対策から逃れるためにはどうすればいいかとなると、現実から目をそらし、夢想の世界へ逃げることこそが一番安直な道であることに間違いありません。私が見るに日本人はこの手の現実逃避が非常に得意で、高齢化問題を初め厳しい現実があっても目をそらし、やるべき必要な対策もはっきりわかっていながら実行するのは大変だからと、簡単即座にすぐできるやってもやらなくてもいいようなどうでもいい対策を打って、「対策打ったからこれでもう大丈夫!」と精神の安定を図ります。
 最も偉そうに言う私もそうした思考や行動がないわけではなく、また日本人でなくても人類すべてが「現実から目をそらす」という行為を多かれ少なかれやってしまうものだと思います。日本の場合、エリートまでもがそれやってしまうのは問題だとは思いますが。

 以上の2つのタイプはどちらもその言動によって現実をゆがめる可能性のある人の特徴を説明していますが、はっきり言えばこの2つは現実を歪めるのは消極的な動機からなのでまだ救いがあります。
 特にタイプ2は人類の現実に対する弱さ的なもので、旧日本軍指導者のような集団を束ねるエリートがやってしまうのは大問題ですが、近くにいたらはっきり言って迷惑であるものの個々人でこうした言動を取ってしまうのはある程度仕方のないところがあります。第一、冷たい性格した人の表現として「現実的(リアリスト)な性格」というのですから、現実を追えば必然的に孤高となるのでしょう。

 一方、以下のタイプ3については別問題です。

タイプ3、自己利益拡大のためにわかっていながらわざと現実を歪める
 具体例としては出所不明の新ルールを作って流布するマナー教室、同様に明らかに合理性のない説明で何かを貶める記事を流布するメディアです。マナー教室については先にも書いた「了解という言葉は不敬」だとか、「ハンコは斜めになるよう押印する」、「訪問先で出されたコーヒーを飲んではならない」などと、コミュニケーションを阻害するようなそれまでになかった新ルールを出す連中で、後者のメディアは最近だとオフィス北野社員を偽装した上でその発言を報じたフジテレビです。あれも恐らく劇団員だろうな。

 このタイプ3は完全に自己利益の拡大のために敢えて現実とは一致しない情報を流布したり、表現規制を作ったりすることで注目を浴びようとするタイプです。このタイプは紛れもない悪であり、その言動のみならず存在自体が社会にとって有害であり、たとえどのような手段を取ってでも排除すべき対象だと私はみなしています。彼らがいることでそれまで誰も気にしなかった行動や発言がある日突然人を不愉快にさせる者になったり、もしくは誤った情報で批判される必要のない無辜の人や団体を批判に晒したりと、現実を歪める行為の結果として歪な事態を招きます。

 ここだけの話、最近私が係っている中国関連報道などもいい例でしょう。仮に私がそれこそ中国について見下す、馬鹿にする、あげつらう記事をなるべく理不尽且つ不合理な理由をつけて量産していたら、今頃は「中国報道の第一人者」と言われるくらいに売れっ子ライターになっていたかもしれません。まぁでっかく出ると「派遣マージン率の第一人者」であるという自覚は内心あるけど。
 しかし言うまでもなく、私はそうした報道を行えば収入も社会地位的も向上することが分かっていながら、そうした行為に手を染めてきたことはありません。何故なら理由のない批判や現実に即していない報道は巡り巡って自分にとってマイナスとなることが分かっているから、などと大層な理由を付けずとも、普通にそんなことする奴は頭がおかしいでしょう。けど現実のところ、「中国は崩壊する」とノストラダムスのように毎年本出しているライターがいて、売れっ子となっているのは事実です。

 しかしそれこそ前述の通りに自らの精神安定のために現実を歪めて見ているだけに過ぎません。第一、敵を侮らせるほどの利敵行為はなく、現実から遠ざかれば遠ざかるほど単純に弱くなります。そうした概念もあってか、私がJBpressで書く記事は「如何に現実を見せるか」に重点を置いていつも書いています。

 多少脱線しましたが、自己利益のために現実を歪める、ましてや表現を規制するような輩はたとえどのような理由があろうとも私の敵以外ほかならず、決して同じ天は戴けないと考えています。そしてあくまで私の立場から言えば、こうした連中は本当にどうしようもなく足を引っ張る存在であり、なるべくなら社会から排除した上で見せしめもかねて徹底的に攻撃するべき対象でもあると主張させてもらいます。
 その上で、これも先に書きましたが現実を直視するということは基本、苦痛を伴います。見なければ済む現実であれば正直、見ないに越したことはありません。しかし「見なければならない現実」に関しては、たとえどれだけ苦痛を感じようとも見る必要があります。というのも、目をそらしても一瞬だけ苦痛から逃れるだけで、あとでもっと大きな苦痛に襲われることになるだけだからです。

 さらに書くと、現実というのは見ようと思ってもなかなか見れるものではなく、死ぬ気で追いかけて初めてその一端が見れるものだと私は思っています。自分はライターという立場……っていうか本業記者じゃないですが、芸術家などはやはりそうした現実をどれだけ直視したかが作品に現れるようにも感じ、自分も可能な限り自分が見た現実を文章に反映させようとする立場を取っています。

2018年4月7日土曜日

昨今の表現規制について

名越稔洋が選んだ修羅の道【若ゲのいたり】(電ファミニコゲーマー)

 上記リンク先は先日にも引用したページですが、同業者からも「なんだこのヤクザは!?」と言われたこともあるセガのゲームクリエイター、名越稔弘氏がヤクザが主役のゲームを出す際、倫理管理団体から難癖をつけられたエピソードが描かれています。その難癖というのもキャラクターが赤い血を吹いて倒れるのはNGだというもので、人間以外なら赤い血でも問題がないと言うので、「じゃあピ〇チュウだったらいいのかよ!」と凄んで無理矢理通したという過程が紹介されています。

 あまりこのブログで表に出すことはないですが、実は私自身も表現の自由に関しては非常にうるさいというか、「たとえすべてを敵に回してでも表現の自由は守る」という立場を取っています。たまにこのブログでも内容には言及せずどうでもいいような枝葉末節な表現に「不適切だ」という輩がいますが、割とコメントでは優しく返信しているものの内心では、「うるせぇだったら人のブログ読んでんじゃねぇよ!」と吠えてます。ブログなら何でも書いてもいいというわけではありませんが、公のメディアでもない私記に対し、しょうもない表現についてガタガタ言われるのは壁に頭突きするくらい実は腹立ってます。
 もう誰もが忘れていると思いますがこのブログの設立当初の大きなテーマはまさにこうした表現の自由で、90年代に巻き起こった「言葉狩り」、「ちびくろサンボ問題」などをよく取り上げていました。現在においても主にマナー会社が言葉狩りをやり始めており、「了解しました」は不敬な言葉だなどと誤説を流布している点など腹に据えかねています。何やってもいいってんなら金属バット持ってこういう言葉狩りに加担するマナー会社にたけし軍団のように襲撃をかけたいとすら本気で思っています。自由の身になったらいつかやろう。

 話は戻りますが、先ほどの「赤い血」という表現について実はつい最近も思うところがありました。というのも「ニューダンガンロンパV3」というゲームをこの前クリアしましたが、このゲームは閉鎖空間で高校生同士が殺し合いをやって、事件ごとに犯人と殺害過程を推理、追跡するゲームです。そんな内容なんだからもちろん死体はダース単位で出てきますが、血液は赤ではなくピンク、それも蛍光カラーのようなショッキングピンクで表現されています。
 恐らくゲームの倫理管理を担当するCEROの指示を受け、また対象年齢を広げるための措置だとは思うのですが、私としては逆にこれはこれで問題なように思えてなりません。何故かというと、先ほどの名越氏の漫画にも描かれているように人間に流れる血液の色は赤以外なく(ナメック星人は除く)、それを別の色で表現することは現実を否定していることではないかと思うからです。

 先ほどのダンガンロンパの例でいうと、作中でもそのピンク色した液体ははっきりと血痕だと明示されています。しかしピンク色した人間の血液なんて存在することなく、また流血という描写でありながら現実そのままに描かない理由というのはなんなのか。赤という色が刺激が強いというのであれば、赤い郵便ポストはどうなのかという話にもなります。

 これ以上ロジックをかき回してもしょうがないので言いたいことを言いますが、現実の通りに描くことがアウトだというのは、自分は絶対に認められません。現実をそのまま描いてはならないというのは現実逃避と変わらず、また現実を直視する姿勢をなくしては人間ははっきりダメになると私は直感的に思います。
 私自身の表現もよくきついと周りから言われますが、「でも現実を書いている。自分が殺したいと思う人間については、実行するとなると別だが、殺したいと書いて何が問題だ」と、自分の現実にある感情を描いていることを理由に主張を展開しています。

 こと、ゲームや漫画といったメディアに関しては確かに残虐表現への年齢に関するゾーニングは必要であると私も考えています。しかし「現実であるはずの表現を別のものに差し替える」というのは話は違い、それは絶対に認めてはならないと私は考えます。理由は何度も書いている通り、現実をそのまま描くことを否定しては逆に物事がいろいろおかしくなってしまうからで、ここは譲ってはならない点だと思えてなりません。
 第一、現実ではなくファンタジーだったらオーケーだというのもおかしいにもほどがあります。先ほどのピカチュウが赤い血を吹くという表現がオーケーなのに人間が赤い血を流してはダメだなんて、これだと逆の意味で倫理がおかしいでしょう。

 残虐表現とは離れますが、日常の光景に関する表現についても同様です。よく漫画とかの街中の光景で誰がどう見たって全国居酒屋チェーンとか某有名銀行の看板が書かれていながら、店名が微妙に弄られ変えられていることが多いですが、これもやっぱおかしいと私は思います。街の光景、それこそ多くの人間が連想できるほど日常的な物であれば、それをそのまま描いて何の問題があるのだと逆に問いたいです。
 もっとも、作中で激しくけなされたり非常に悪く描かれるというのであればさすがに別で、そういう場合は架空の表現を取るべきかとは思います。具体的にはスト2のボーナスゲームでボコボコに壊される車がトヨタとか日産のエンブレムついてたらさすがに関係者は気分悪いだろうし。

 一方的に書き殴りましたが私が言いたいことを述べると、現実をそのまま描くことを阻害することは現実否定もいいところで、そんなことはしてはならないということです。むしろ芸術的な立場で言えば私は現実を如何にそのありのままに描くかにこそ価値が宿るという立場を取る者で、妙な美辞麗句や見栄えだけのいい世界なんて求めていません。以上の主張は絶対的に正しいというつもりはありませんが、現実を直視する、厳しい現実から目を背けてはならないという私個人が立脚する立場から言えば現実を描く表現の阻害はたとえ相手が誰であろうとなんであろうと抵抗し、敵対することも厭わない立場となります。

2018年4月6日金曜日

フェイスブックの不都合な事実

 書いても書かなくてもいいのでしょうけどちょうど今、情報流出で叩かれている最中だし、この事実を知らない人も多いでしょうから親切心から書こうかと思います。

 事の起こりは数年前、日本にいる友人から妙なメールを受け取ったことからでした。そのメールの内容というのも、「Facebookから連絡あったけど、何故か返信ができなかったからこっちのメールアドレスにメール送ってみたんやけど」という物でした。しかしこのメールにはいろいろとおかしな点があり、というのも、当時私は既にフェイスブックを退会していたからです

 私は上の友人の勧めでフェイスブックを一回は初めて見たものの、中国からはVPN使わないとアクセスできないし、そもそもブログでいつも情報を発信してるし、何よりUIの悪さから使い勝手が悪くて一ヶ月くらいしてすぐに退会しました。それから数年経って上記の友人からの妙なメールを付け取ったのとほぼ同時期に、フェイスブックの運営側から「不正アクセスの恐れがあります」とかいうメールが届いていました。
 ちょうどそのころ、スカイプを始め複数のサービスで不正アクセスの検出が通知されており、私のIDとパスワードの組み合わせのどれかが流出していたようでした。ある組み合わせに関してはそのような不正検出通知が全くなかったことから流出したのはどれか一組、なおかつ私個人というよりも運営者側から流出した可能性が高かったのですが、何となくニコ動だったのではないかと密かに睨んでいます。まぁ証拠はないんですけど、ここだけなんか対応が奇妙だったし。

 話は戻りますが、その流出したIDとパスワードは退会していたフェイスブックでも使っていたものでした。まどろっこしいのでストレートに書くと、フェイスブックは退会した私のアカウントデータを削除せずに保存し続け、不正流出で私のIDとパスワードを得た犯罪者がアカウントを復帰させ、私の友人に妙な通知か連絡を行ったと考えられます。幸い、アクセス方法などから不正の可能性が高いと判断したフェイスブックによってすぐにアカウントは凍結させられ、あらかじめ登録しておいた私のメールアドレスへ検出を通知し、本人証明のために何か証明書データを送るようにと連絡してきたので大事とはなりませんでした。アカウントの凍結は友人が返信できなかったことからも証明できますが、逆を言えば凍結されていなかったらどうなっていたことやらってことです。
 その後私は、免許証の画像データで本人証明をフェイスブック運営に行い、「退会したのにデータを残してんじゃねぇ。完全に消しとくように」と連絡しましたが、果たしてきちんと実行されたのかは未知数です。その後はなんも関わりないし。
 なお私の場合、確かフェイスブックに登録していた友人のアカウントは3人か4人程度と非常に少なく、個人情報も驚くくらい入力しておかなかったので被害や影響もほとんどありませんでしたが、他の人だったらどうなのかなって内心思いました。

 何が言いたいのかというと、フェイスブックは退会しても運営側は入力済みの情報を保持し続けるということです。そしてそれらの情報は、不正アクセスされた際に流出する可能性もあるということです
 つまり一旦フェイスブックに関わってしまえば最後、本人がその関係を断つというか入力済みの情報をフェイスブックから削除しようにも削除されず、未来永劫不正流出のリスクが付きまとうという可能性があるというわけです。

 もちろん上記の私のケースに関しては、今現在はもしかしたら管理方法とかも変わっているのかもしれませんが、多分あの会社のことだから退会者のデータも保持し続けようとするんじゃないかと思います。そう思うと、なかなか業の深い会社です。現実に私は退会していたのに不正アクセスが行われたわけですし、真面目になんか補償とか受けてもいいような気すらします。

 最近忘れられる権利に関する議論も出てきていますが(一時期より下火だが)、こうしたアカウント関連情報に関しては退会時に必ず削除するような規定なりルールを設けるべきだと思います。なんか一連のフェイスブック騒動を見ていてもこうした点に言及されないので、私が書くことにしました。

2018年4月5日木曜日

本当に土俵から降りるべきなのは

八角理事長、女性へのお礼と謝罪を行う意向…尾車事業部長明かす(スポーツ報知)

 例の、先日の土俵で救護したら「女は土俵から降りろ」と言われた事件についてですが、まぁ激しく疑問を覚える事件内容です。人命救助よりも「女性は土俵に上がってはならない」という、実は伝統でもなんでもない妙な迷信を優先したというこの事実一つでも相撲協会は頭がおかしいと言い切れますが、私はこの事件を見て、見出しにも掲げた通りに本当に土俵から降りる、つまり相撲界から追放されるべきはアナウンスをしたという行事だと思います。

女相撲
女子相撲(Wikipedia)

 そもそも女は土俵に上がってはならないとか言いますが、実際には頻繁に上がっているし、相撲も取っています。女子相撲は正式なスポーツ競技として世界大会も開かれているし、女相撲に至っては江戸時代から行われており、こうした事実を勘案すると女性が土俵に上がってはならないという概念は伝統でもなんでもないし、もはや迷信以外の何物でもないと言い切れます。そもそも、人命救助においては伝統もクソもありません。

 それにしても女相撲の説明は今回初めて見ましたが、『しこ名には「姥が里」「色気取」「玉の越(玉の輿の洒落)」「乳が張」「腹櫓(はらやぐら)」などの珍名がみられる。』などと書かれてあり、結構昔の人もセンスあるなと思いました。

米中貿易摩擦について

 最近いろいろ書くこと多くて困っちゃう的な状態ですが、中国は今日から三連休のため、昼寝して、ぼーっとした状態でこのまま書き続けます。まぁ三連休だけどその代わり、日曜は振替(=ファッキン)出勤日なんだけどね、このよくわからん休日の制度マジむかつく。

 さて話は割とホットな米中貿易摩擦についてですが、結論から言えば今回の騒動に関しては中国側の方に利があると私は感じます。米国の一部除外国を除いた急な関税引き上げはWTOの加盟条件にも反する内容であり、またその影響を考えるとやはり批判されてしかるべきでしあり、中国側の非難も的を得ています。
 一方、こうした米国への対抗措置として中国も食品などに対する関税引き上げを発表しました。あまり他のところで指摘されてないので私から指摘すると、この引き上げ品目と範囲が割と絶妙で、中国は意外に冷静だなと感じました。というのも、米国は中国のみならず一部除外国以外の日本を含む国々に対して鉄鋼・アルミ製品の関税を引き上げたのに対し、中国は対象を米国一国に絞ってきたからです。

 なお当初、米国への対抗措置として中国は米国産フェノールの関税引き上げを発表したと報じた馬鹿がいましたが、断言しますがこれは対抗措置とは何の関係もありません。この調査自体は米国だけが対象ではない上、こうした化学原料に対するダンピング措置調査は中国はこのところよくやっており、先日も言及しましたが、むしろメインターゲットはタイ原産品です。
 もっともタイに限らず最近、日本の三菱レーヨン、旭化成、住友化学がわざわざ名指しでアンチダンピング税の対象として、税率調整が発表されました。なんでこんなに詳しいのかって、毎月仕事で商務部の法令通達調べている上、2017年に至っては通年で一覧表作ったからです。

 話は戻りますが今回の中国の対抗措置は米国と違って、こと日本に対しては大きな影響が出ることはなく、むしろ米国分の補填として日本の食品を売り込むチャンスと捉える方がずっと前向きでしょう。また対象品目が食品と、中国からすれば輸入代替先が見つけやすい品目である上、米国にとっては割と主力な輸出商品だということを考えると、対抗措置としては適切な品目と言えます。
 今後どう転ぶかにもよりますが、日本のメディアは米中の争いに巻き込まれ日本はどんな損害を受けるのかということばかり気にしていますが、立ち回り方によっては先ほど述べたようにチャンスにもつながるだけに、もっと積極的に漁夫の利を取りに行くべきでしょう。それこそ中国の方へ大きく偏ろうとすれば米国としても日本を無視できなくなる可能性があるだけに、妙な不安ばかり煽ったりせず、もっと攻める視点こそ持つべきです。

 最後に、米国は今回日本に対しても鉄鋼、アルミ製品の関税を引き上げてきましたが、特殊鋼を除けばまぁそれほど影響ないんじゃないかとやや楽観視しています。ざっと調べた限りでは加工製品は含まれないようですし、第一、鉄鋼などの重量物は実際にはそれほど輸出入せず現地で調達することの方が多いだけに、そこまで広範な影響が出るかと言ったらやや疑問です。
 まぁ特殊鋼に関しては確かに影響出るでしょうが、その辺は中国との駆け引きでどうにかしてもらいたいものです。

 それよりも、米国は日本に対してもっとアンチダンピング税をかけるべき品目があるでしょう。具体的に述べるとそれはプロ野球選手で、あんな格安の契約で大谷選手を米国チームへ移籍させるなんて、ダンピングが甚だしいにもほどがあります。下手すりゃ史上かつてないバリュー価格契約となるかもしれないだけに、このままこんな感じで日本の優秀な野球選手が米国へ格安で移籍し続けたら米国人選手の仕事をみんな奪ってしまいかねません。
 もっとも日本からガンガン輸出しようにも、大谷選手が特別すぎてあれほどの選手はいないため、実際実行は不可能なんですがね。かつて野茂英雄氏がドジャースへ移籍した際に当時のクリントン大統領が、「日本からの最高の輸出品だ!」と述べたことがありましたが、大谷選手に関してはマジで日本、っていうか日ハムに感謝しろよエンゼルスと声を大にして言いたいです。

能力の成長する様

名越稔洋が選んだ修羅の道【若ゲのいたり】(電ファミニコゲーマー)

 上の漫画に出てくる、ヤクザが主人公のゲームを出す際に倫理規定担当者とのやり取りで、

「人間が赤い血を吹いて倒れるのはまずい。モンスターかクリーチャーであれば問題ないんですが」
「じゃあアレか?ピ〇チュウが断末魔に血を吹いて倒れたらOKなのかよ?」

 というやり取りが変にツボにはまりました。それにしてもこのセガの名越稔洋氏、どの人の取材マンガでも下手な漫画のキャラクターよりマンガらしく描かれるのが面白いです。

 話は変わりますが私は前回の記事で人間がその能力を衰退させていく様は見ていて苦しいものがあると指摘しました。ではその逆はと言っては何ですが、人間がその能力を成長させていく様は逆に見ていて最高に楽しいものと断言できます。
 以前ゲームの「面白さ」はどこにあるかというテーマで、重要な要素の一つに「成長の実感」を私は上げました。これはRPGにおけるゲームのキャラクターのレベルだけでなく、プレイヤー自身の技量や知識も当てはまり、ゲームで遊んでて「前よりうまくなった」、「前よりキャラが強くなった」と感じることそれ自体が面白さに直接つながるという意味です。従ってゲームにおける育成要素は意図的に多く盛り込めば盛り込むほどゲームとしては面白くなっていくと言い切ることが出来ます。

 これは現実でも同じことだと言えます。私個人の体験で言っても後輩らに指導してそれをきちんと実行できるようになるなど実力が高まっていく様子は見ていて楽しく、物覚えのいい相手だったらこっちもどんどんいろんなことを教えたくなってきます。また最近予備校での激務、ブラック企業化が問題となり始めてきていますが、予備校業務の激務は以前からあったものの何故これほどまでに取り上げられず、尚且つそれでも予備校講師を目指す人間が後を絶たなかったのは、林先生のように当たればめちゃくちゃでかいということもあるでしょうが、人間の成長する様がそのままモチベーションにつながる、やる気を生み出しやすい業務であることも大きいのではないかと考えています。
 実際に予備校講師をバイトでしていた知人などからはそういう話をよく聞きます。逆に「何から教えていいかわからない……」という結構やばげな生徒を受け持ってしまった苦労も効いたりしますが。

 割と結論がはっきりしている分、これ以上書くことがないので私の例を述べていきますが、多分周りから見たら私の成長過程ほど見ていてつまらないものはないでしょう。私の場合、言われたことはやらないくせに言われてない分野でガンガン能力を引き上げようとする傾向が強く、学校の勉強もそんな大してできない時代が長かったですが、興味を持ち出すとある日突然成績が跳ね上がるということが多々ありました。
 このように私の能力向上に関しては指導云々よりも私自身が興味を持つか否かに左右され、必要だと認めたり、ある日突然「そうだ、俺は戦前に生まれていたらエースパイロットになっていただろう」などと考え始めたら最後、割と短期間でその分野の知識の吸収なり関係者への聞き込みを始めたりします。こうした傾向は、依然見てもらったスピリチュアリストにも指摘されていたので筋金入りでしょう。

 だとすれば指導側の人間にとってはつまらないことこの上なく、必死こいて教えた内容はなかなか身につけないくせに関係ない方面ではグングン力を伸ばしていくのですから。現実に、勤務先でもそういう傾向を見せているので、過去の上司からは「お前ほどいうこと聞かない奴は初めてだった」と口裏合わせているんじゃないかと思うくらい同じこと言われます。
 ただ少し言い訳をすると、日本人は指導者の教えは絶対だと信じてその指導に無条件で従うことが多いですが、私の場合はそうではなく、指導内容はもとより指導方法に対しても疑問を持つことがあり、なまじっか表現力が高いこともあってか「もっといい教え方があるのでは。というより、もっといい指導者絶対いるだろ」と思ったらもう言うこと聞きません。変な指導に耳を貸す暇あったら、誰も指導してくれないような分野で自己研鑽している方が絶対効率的です。

 無論こんな厄介な人間が日本社会で評価されるわけがありませんが、最近時代がようやく自分に追いついてきたなと思うときがあります。具体的には学校の部活動とかで、明らかに生徒の疲労や運動量を考慮せず、また体を痛めつけるだけで何のプラスにもならないトレーニングを課されるのを見て何度か部活を辞めたことがありましたが、成人になってから改めて当時を見直すと判断的には明らかに間違っていなかったと確信することが多いです。
 また最近の部活動教育改革を見ても、明らかに科学的理論を無視したトレーニングに警鐘が行われ始めており、やはり唯々諾々と指導者の教えを絶対視するのは良くない、まともな指導者を教えられる側も選ばないといけないなと反省のなさを見せるわけです。

2018年4月3日火曜日

能力の衰退する様

 先日、最新刊が発売されていたため長谷川哲也氏の漫画「ナポレオン~覇道進撃~」の14巻を購入しました。この巻から舞台はロシア遠征に入るのですが、知っている人には早いですがナポレオンとフランスの凋落はまさにここから始まります。このロシア遠征でナポレオンは軍事の天才とい呼ばれたかつての姿と違い、要所要所で決断ミスを犯し、挙句に部下の適切な進言すらも退けて不要な失敗を重ねていくこととなります。かつての英雄と見比べてみるとその姿は別人のようにも見え、かえってその若かりし頃の華々しい活躍を見ているだけにその落ち目ぶりには目をそむけたくなる感情すら覚えます。

 「老獪」、という言葉はありますが、この言葉は実は極一部の限られた、選ばれた人間にしか実は使えない言葉だと私は思います。現実には多くの人間は若い時分のピークを過ぎると例外なく能力が落ちていき、年を取ってますます勘や経験がさえるなんて言うことは実際にはほぼ起こらないでしょう。その上で能力が落ちていく様は上記のナポレオンのように、かえってその人のピーク時を知っている人間からしたら見るに堪えない感情というものを喚起させるでしょう。

 ここまで長く生きる予定はなかったものの自分もある程度年を食ったせいか、一部周りでそのように能力が落ちていく人間を目にすることも増えてきました。さすがに本人に対して直接言わないものの、「ああ以前だったらこのワードを示唆するだけで感じ取ってくれたのに」、「理解や反論する際の反応速度が前よりガクンと落ちている」などと感じることは、年々増えています。
 書くいう私自身もこと表現力においては2009年が明らかにピークで、あの時のような刃物をわしづかみするかのような表現は現時点において再現することは不可能です。慎重さに欠ける文体ではあったものの、内容の深層を抉りほじくるようなあの表現力はあの時分だったからこそできたものだったのでしょう。

 一応、普段の日常では反応速度や別視点、切り返しなどの点で目立つほど落ちてはいないものの、前よりコンディションに左右される量が増えている気はします。自分の密かな隠し刀こと観察力に関しては去年あたりから「そろそろヤバイ水準に入ってきた」と思えむしろ意識的に抑え込むようにしてきましたが、無意識に見透かすようなことがなんか増えてきているような気がします。

 話は戻りますが、やはり能力が衰退していく様は誰にとっても、誰が対象であっても見ていて辛いものがあります。プロ野球選手なんかはこうして特集記事も作られていますが、やはり往年のスターほど晩年の成績悪化は寂しさを感じずにはいられません。それと比べると規模はちっちゃいですが、周囲の人間でも認知症発祥レベルとまで行かずとも、ちょっとした反応速度や好奇心が落ちているとはっきり認識した際は、言葉にならない感情を私も覚えます。

 今思えばですが2013年に一旦日本へ帰国した際、大学時代の友人と久々に会って夜中に軽く討論となった際、「全く衰えがないね」と相手に言われたことがありました。どちらも学生の身分を離れ社会人となり思考がやや理想中心から現実中心へとシフトする立場であったものの、話題によってはまんま学生時代のまま仮定に仮定を重ねた上でどこまで論を発展させるかという鋭さにおいて、私も相手に対し全く同じ感想を覚えていました。
 っていうか自分にとって相性的に一番苦手なタイプなだけに、この友人に対しては内心で「むしろ衰えていてくれ……」と願っていたのですが全く期待には応えてくれませんでした。

 上記のエピソードは5年前ですが、果たして今の自分が5年前のポテンシャルを維持できているのかは自覚できません。自覚しようにも、現状のポテンシャルを最大限引き出せる相手が今周りにいないというのが大きいですが、上記とは別のまたこちらも偉く優秀だった大学時代の友人に先月会った際、めちゃくちゃハイテンポな会話を久々に堪能出来て、「相手に恵まれてないだけだな」となんか自己納得できました。
 ただ真面目な話、自分の限界値と同等もしくはそれ以上の相手でなければ自分の能力は測りようがないというのは真実だと思え、逆を言えば自分の限界値を把握できるかは意識しないとできないし、出来たらすごいラッキーだと思います。自分は学生時代に自分の限界値をある程度見えたのが物凄いプラスでした。

 いろいろと行ったり来たりな話をしてますがここで何を言いたいのかというと、自分の能力の衰退を抑えるというのも一つの才能であり努力だと言いたいわけです。最初に述べた通りに加齢とともに来る能力の衰退は避けられません。通常、その能力の衰退に対して知識や経験でカバーするのがこれまでの世界のルールでしたが、最近は技術や知識の陳腐化や更新が早いため、日常だとこれまでの埋め合わせが効かなくなっています。
 そうした中、まぁ以前からも同じことでしょうが、年齢が上がっても往年時から衰えない、むしろ前以上にパワーアップするような人というのは非常に稀だし、たとえピーク時の能力自体が低いとしても、それを維持させるというのはもはや一つの才能であり能力だと言いたいわけです。

【田中圭一のペンと箸-漫画家の好物-】第九話:池上遼一と福井の越前ガニ

 こうした例に当てはまる人として、上のリンク先で描かれている池上遼一氏などまさに典型でしょう。この人の場合、昔から絵が綺麗だったのに年々その凄みを増してきているという恐ろしい人で、レポート漫画を描いた田中圭一氏もきちんとその点をついているあたりよく見ていると思います。
 にしても、娘の中学校の課題に代筆で昇り竜描いちゃうってなにそれ……。

 能力の衰退がない、むしろ前より凄みを増しているという人物として漫画家では池上氏が挙がってきますが、今それよりもホットな人物は何といっても巨人の上原投手でしょう。さすがにスタミナが落ちているからか先発ではないものの、その投球術と現時点でも日本歴代投手の中でぶっちぎりトップの制球力は圧巻というよりほかなく、同年デビューで衰退の激しい松坂投手ともどうしても比べてしまいます。上原投手の場合、メジャー帰りというのもあるからかもしれませんが前よりも投球に余裕がみえるというか、どうやって攻略すればいいのかすらわからない気迫すら感じます。

 最後にちょこっとだけ書くと、能力の衰退、減衰に影響する要素を挙げるとしたら攻撃性、排他性だと私は思います。この辺はまたやる気があれば書きます。

2018年4月1日日曜日

声優の種崎敦美氏について

 現在、「神獄塔メアリスケルター」というゲームを遊んでいますが、初期版はバグがひどすぎてまともに遊べない作品だったものの、アップデート後は安定しているので一応私はまともに遊ぼ得ています。ただこの作品、ほかでも指摘されているようにマップが無駄に広すぎる、戦闘バランスが大味すぎる(全体魔法うってりゃそれでいい)、武器・アイテムの種類が無駄に多すぎて、多分このゲームを作った人たちはゲームの楽しみ方というのをあまり知らないのではと本気で思います。
 特に武器・アイテム種類について、アップデート前はダンジョン探索中の所持数が非常に少なかったそうですが、実際今プレイしていてもあの所字数ではまともに探索できないと感じます。テストプレイすれば気づくレベルなのになぜ気づかなかったのか、はっきり言えば致命的な欠陥を抱えた人が作ってるなと本気で思います。

 などと厳しいことは言いますが、BGMは間違いなくいいです。どれも雰囲気に合っているし、耳に残ります。キャラクターも割かしいいのですが、一部キャラクター、特にロシア大好きっ娘が演じるメインヒロインと、二番目に仲間になるヒロインの立ち方、顔立ち、髪型が非常に似通っており、最初区別しづらかったです。なんていうかこの辺の描き分けももっとはっきりすりゃいいのにと、いろいろと惜しいところが目につきます。
 ただ、以上のような点はこの前に、「ルフランの地下迷宮と魔女の旅団」という同じ3Dダンジョン探索RPGゲームを先に遊んでいたから目につくのだと思います。真面目にこちらのルフランについては欠点を探す方が難しいと思うくらいに完成度が凄まじく高い作品で、尚且つストーリー、BGM、戦闘システムなどすべてが超一流で、遊んでいる間は人生幸せでした。このルフランと比べてしまうとメアリスケルターはどうしてもというか、ほぼすべての面で劣ってしまい、唯一互せる点はBGMくらいでしょう。ストーリーに至ってはMiG-29とSu-27くらい実力差が離れています。なのに発売はほぼ同時期という、なんかこの辺もさっきの二機種に似ているな。

 はっきり言って、先月購入する前の段階でレビューなどを見てメアリスケルターには粗が多いということはわかっていました。それでもなぜ購入を決断したのかというと、ダンジョンRPGゲームが割かし好きなのと、種崎敦美氏という声優が出演しているという理由からでした。

 種崎氏は先に遊んだルフランにも出演しているのですが、遊んでいた当時にこのブログでも記事を書いているものの、真面目に脳みそ溶かすようなすごい声出してくる人で、このゲームに関する他のレビューを見ても種崎氏演じるキャラクターが歌を歌うシーンは誰もが絶賛しています。そしてゲーム後半においてそれまでの演じ方をガラリと変えてセリフをしゃべるシーンがあるのですが、「これ本当に同一人物?」と、聞いてても正直信じられない声出してました。
 やや誉め過ぎな感じがしますが、この人は声優という職業において本当の意味で天才だと思います。少なくとも過去十年くらいでこれほど底の見えない実力の持ち主は見ない、っていうかむしろ聴いたことがありません。発声の仕方から演技、そして何よりも演じ分けの幅広さという点でこれ以上の声優なんているのかと疑うくらいです。

 そんな種崎氏がメアリスケルターにもヒロインの一人として出ているということが、マジで決め手になってこちらのゲームも購入しました。ちなみに同作品ではなんかいろいろと常に話題の尽きないMNGS氏も出ています。
 さきほど3時間連続でプレイしていてようやく種崎氏が演じるキャラクターが出てきたから今この記事書いていますが、種崎氏についてあまり知らない方は是非一回彼女の出演作を見てほしいです。最近だと「魔法使いの嫁」で主役演じていますが、今の実力を保っていけば間違いなく超大物となるだろうと確信する人物です。