2018年7月30日月曜日

高台への意識

 昨日の記事で大企業しか経験してないから視野が狭いと指摘した名古屋に左遷されたうちの親父ですが、私が生まれる前、購入する住宅を選ぶ際にこんなことを言っていたそうです。

「津波が怖いから、浦安はやめよう」

 購入候補の住宅は二つありどちらも千葉県だったのですが、そのうち千葉県浦安市内の住宅については上記の判断から避け、当時としては浦安とは比べ物にならないくらいのド田舎だった、海抜が浦安より高い別の街で最終的に住宅を購入しました。親父曰く、「バブル期前だったが安い時期というわけでもなく、損得で言えばトントンの時期に購入した」とのことです。
 この住宅選びにおける親父の判断は結果的には正しかったです。東日本大震災の後、津波こそ直撃しなかったものの埋め立て地で地盤の弱かった浦安市では液状化現象が多発し、他の都市と比べてもインフラ復旧が大幅に遅れました。当時、この影響で地価や住宅価格も大幅に下落したと書かれていましたが、今どうなっているかはわからないものの、地震や津波へのリスクを中心に住宅を選んだという観点で言えば親父の判断はピタリと的中しました。

2年前に買った家が浸水 河川氾濫リスクは説明義務なし(朝日新聞)

 なんでこんなことを思い出したのかというと上の記事がきっかけです。内容は今回の西日本豪雨による河川氾濫で水浸し被害に遭った方を取り上げていますが、この中で「購入前にあらかじめこういう注意喚起があれば……」という嘆きの言葉が書かれてあります。
 確かに注意があるに越したことはないでしょうが、やはり注意以前に普段から災害に対する意識を強く持っておくことの方が重要ではないかと率直に感じました。単純に高台であればこうした水害リスクはほぼ回避できますし、また水害に限らずとも土砂崩れや地盤沈下など、おおよそ想定できるリスクに対しては地勢を見ることである程度のリスク計算と予防ができます。注意があったなかったと後から言うことは可能ですし、確かにないよりは注意があった方が親切と言えば親切ですが、言われなくとも自分で意識しなければならないという価値観というか心構えも必要なのではという風に感じたわけです。

 図らずとも、うちの家では親父の判断によって損失を抑えることが出来たわけですが、やはり慎重すぎると言われても、災害に対して普段から意識しておくことこそが予防と言えるでしょう。「災害は忘れたころにやってくる」と言いますが、忘れる頃にどれだけ意識してそれを普段の生活で行かせるかが、ある意味今後の日本の防災において重要ではないかと思います。

  おまけ
 東日本大震災の後、親父とこんな話しました。

「おう親父、俺が子供のころに配当目当てで東電の株こうたゆうとったけどあれどないしたん?」
「まだ持っとったんや……」

 こういうこともあるので、親父の判断は必ずしも信用していません。なおこの後に投げかけた慰めの言葉は、「まぁネタにはなるけどね……」でした。

2018年7月29日日曜日

忘れられない議論

 今をさかのぼること数年前、日本に帰国していた私は関西で友人と会っていました。その友人とは学生時代を含め散々議論をした仲で、自分が一番苦手とするタイプでした。
 単純な議論中の頭の回転の早さや論の鋭さもさることながら、議論のスタイルが私と真逆と言ってもいいタイプであり、私からすれば一番相手にする上で不利なタイプであったと言っても過言ではありません。具体的には将棋でいうと防御陣形を組立て一切自分から攻めてこない完全な防御型で、防御を完全に無視して攻めに特化したような私からすると、一撃で向こうを突き崩せなかったらもう後は負けるだけでした。っていうかこの友人、議論の途中で論点を敢えてずらす振り飛車戦術も、「それ関係ないでしょ」と言ってピシャリと封じてくる唯一の人間でした。

 そんな友人と久々に会ったその夜、なんかの拍子に話題が雇用、特に日本人が海外現地で採用される現地採用について触れたところから議論に発展しました。私が現地採用を代表してその権利向上を主張する立場となり、

・現地採用者は能力的にも本社派遣の駐在社員より高く、その勤務の貢献度も高いことが多い
・っていうか現地語しゃべれない社員はむしろお荷物
・にもかかわらず収入は駐在社員の数分の一、下手すりゃ十分の一

 であるという点を挙げ、離職率も高いことからもっと給与待遇を引き上げその地位を向上させる必要があると主張しました。これに対し友人は、

・安い給与で高い効率を求めるのは企業にとって当たり前
・あらかじめ契約時に提示した給与額で雇っているのだから不当ではない
・待遇に不満があるのなら辞めてもらって結構、また次の人を採ればいいだけ

 という反論を提示し、大体それぞれ三つの論点を軸に小一時間ほど議論し続けました。私としては自分が現地採用の立場で、逆に友人はどちらかというと現地採用者を日本から使う立場であったという立場の違いもあるから、認識が異なってくるのも自然だと考えていました。なので議論でねじ伏せるということより向こうの考え方を、「現地採用もたまには大事にしないとね」くらいにこっち側へ少し引き寄せられたらベターかと考えながら議論していました。
 段々と議論が平行線となり始め私自身も攻めあぐね感を覚え始めた段階、友人が「労働内容と給与が見合わないのは当然。会社は利益追求のために安く雇っているんだ」と相変わらず血も涙もない言葉を言った直後、言わないだけマシかと思って私が以下の言葉を口にしました。

「ならなんで使えない、働かないおっさんどもを日系企業は高い給与で大勢雇ってるんだ?」

 私自身はそんなに意識した言葉ではなくむしろ苦し紛れな一言に近かったのですが、これを口にするや友人の顔色は一瞬でリアルに変わりました。そしてしばらく口ごもると、「それは……確かに花園君の方が正しい」と、急に態度を軟化させて私の主張に傾きました。そして先ほどの労働貢献と賃金額の一致に関しても理解しはじめ、確かになるべく一致させるよう心掛けた方がいいという風に主張を転換してきました。
 正直に言って、私としても非常に驚くくらいの態度の変わりようで、それこそまた将棋の例でいうなら苦し紛れに手許の歩を置いたら投了を取ってしまったような感覚で、自分の意見が勝ったとかそういう実感は全くありませんでした。同時に、何故彼があの一言でひっくり返ったのかを直後から分析しており、恐らくそういう「おっさん」どもに囲まれ苦しんだ経験があり、その問題の深さをしっかり認識していたからこそあの一言で動いたのでしょう。さすがに直接指摘するのは非礼だと思え、その場で友人には指摘しませんでしたが。

 この議論だけでも十分忘れられない体験となったでしょうが、実はこの話には続きがあります。
 友人と議論をした確か二日後くらい、うちの名古屋に左遷された親父とも同じテーマで少し議論になりました。親父の主張も友人とほとんど同じであったことから内心、先の議論をなぞるような感じで敢えて議論を進めていき、最後の段階でまさに友人を揺り動かした一言を全くそのまま口にしたところ、「それは……確かにそうだ」と、ほぼ全く友人と同じように一瞬で態度が軟化しました。
 正直に言って、この一言に何故そこまで威力があるのか、使っている本人である私にすらいまいち実感がつかめませんでした。ただこの一言以前に、友人も親父も主張の仕方がほぼ完全に一致しており、「なんかのドッキリ?」と話しながら思うくらい似通っていました。だからこそ最後の一言で刺せるという確信もあり、時間を見計らいつつ狙っていた議論段階まで持ってきたところで出したので、将棋で言えば完全に読み通りの展開を再現した気分でした。

 親父との議論を終えた直後に私が何を考えたのかというと、「使えない高給のおっさん」以前に、何故友人も親父も全く同じ思考と主張を私に見せたのかという点です。結論から言えば二人とも大企業しか経験していないということが何よりも大きく、給与と労働貢献の一致、あと内と外の概念というかプロパーと中途採用者の見方が全く同じだったからではないかと思います。ついでに言えば働かないおっさんに囲まれていたのも同じでしょう。
 それ以前からも漠然と持っていましたが、やはり最初の新卒から大企業しか経験していない人というのはこの種の弱さを抱えているのではと強く感じました。具体的に言えば視野の狭さで、いくらか仕方がないとはいえ、自分の見える「大企業社員の生活」が当たり前の世界であり、それ以外の世界は存在しないという見方です。言ってしまえば現地採用者が給与が低いのも、彼らが自ら行った選択でありまた本人の努力不足と切って捨てるように見ていた節があります。そういう面も確かにないわけじゃないですが、努力をしていない人間が高い給与を得ることに抵抗を感じていた辺りはまだ友人も親父もまともで、だからこそあの一言で自分のスタンスが矛盾していることに気が付いたんでしょう。

 無論、大企業の人でも広い視野を持つ人もいないわけじゃなく、逆に中小企業しか経験していない人で視野の狭い人もいますが、こと社会全体の視野で言えば、中小企業勤務者の方がバランスがいいと私には思えます。理由は簡単で、大企業の世界は何もしなくてもメディアが報じ、その逆はないからです。
 内心、こういう職業における身分制に関しては自分は極度にバランスの取れた視野を持っていると自負します。私自身が現地採用でやや枠から外れた存在であることに加え、派遣業界調べたり、日中間の労働環境などよく比較しているだけに、それぞれの環境の違いについて体験込みで話すことが出来ます。ただこの場合、私の方がイレギュラーであるだけなので、結論としては大企業経験者は意識的に、自分たち以外の世界に目を向ける努力をしないと視野が狭くなりやすいというところを書いて終わりにします。

2018年7月28日土曜日

日本におけるGIANTブランドに関する疑問

 先日コメントでGIANTについて触れられたので前から疑問に思ってた内容を書きます。その疑問というのも、なんで日本ではGIANT製のフレーム使った自転車が中国より多くないんだろうかっていう点です。原因は中国と比べるとGUANT販売店が少ないからとかだと思いますが、家電量販店とか眺めてもGIANT、あとMERIDAのフレームはそんな多くなく、ぱっと見だとTREKが一番多い気がします。
 なんでこんな風に疑問に思うのかっていうと、世界の自転車フレームの大半は実はGIANTとMERIDAの二大台湾メーカーが作っているといわれ、細かい市場調査とかないけど下手すりゃシェア8割とか行くんじゃないかなと見ているからです。

 元々、自転車のフレーム作りと言ったらユーザーの多いヨーロッパが盛んだったと言われます。ただそれまでヨーロッパメーカーのOEMで作っていたGIANTなど台湾メーカーがどんどん技術力をつけていき、例えばパイプに高圧で油を流し込んで成形する生産方法なども彼らが確立させたと言われ、次第にヨーロッパメーカーでは作れないようなより速く走れるフレームとかも台湾メーカーがガンガン作るようになっていきました。
 これに焦ったヨーロッパメーカーは、台湾メーカーにしか作れないフレームをレギュレーションでレースから排除し、既に認定されていたタイムレコードまでも後出しのレギュレーションでなかったことにするなど露骨な妨害を行いましたが、時代の流れとともに台湾メーカー製フレームの性能がますます高まっていくと選手からも声が上がり、最終的にはこれら台湾メーカーをターゲットにした不公平なレギュレーションは撤廃されました。それと同時に、ヨーロッパメーカーのフレームは性能的にお話にならなくなって衰退していくこととなりました。

 こうした過程もあって、生産原価もさることながら単純に生産技術の差で台湾メーカーが自転車フレーム市場を独占するようになりました。台湾メーカーと言っても生産地は中国本土(大陸)にある工場がメインですが、何気に私が以前住んでいた江蘇省昆山市にも工場があって(すぐ近くにはシマノの工場もある)、地元ということもあってかGIANTの販売・サービス店は非常に多く、所属していたサイクリング部もほぼ全員がGIANT一色のワンオフチームでした。
 このGIANTですが先ほども述べた通りに元々はOEMメーカーで、現在ももちろんOEMをやっているというか、世界の自転車ブランドのほぼすべてを代理製造していると言われます。実際に店員から確認した限りでは米国の割と高級ブランドなスペシャライズドのフレームはほぼ全部GIANTが供給しているそうで、「向こうで買うくらいなら、性能は同じでもうちのが安いよ」とはっきり言ってました。

 スペシャライズドに限らず他の有名ブランドもフレームはGIANTまたはMERIDAが実際に生産、供給していると言われます。フレーム以外の他のパーツにこだわりがある、と言ってもブレーキ+ギアはシマノがほぼシェア100%でどのブランドも一緒ですが、フレーム以外を重視して選ぶというのなら他のブランドの自転車を選ぶのもまだわかりますが、実質的に自転車の性能はフレームでほぼ決まり、そのフレームで言えばGIANTかMERIDAしかほとんど作っていないことを考えるとどこのブランドが優れているかとかは実際そんなないんじゃないかと思います。それならば大本のGIANTで買ってしまった方が商流で経由する企業数から言っても一番コストパフォーマンスがいいように思え、私もそうした視点とメンテナンスの観点からGIANT製のDEFYってモデルに今乗っています。

 このような考えもあって、日本でGIANTブランドのロードバイクをそれほど見ないということにいつも不思議に思っています。もっともこれはGIANTがあまり日本で販売に力を入れていない、例えば中国では入門モデルとしてポピュラーなアルミフレームのOCRシリーズは日本では一切販売されておらず、並行輸入品か中古品しか出回っていません。
 私も以前にこのOCRの確か2600に乗っていましたが、悪くない自転車でした。でも日本では売っていないということで、やはり販売やマーケティングで他の国ほどGIANTが力を入れていないのが、日本全体でGIANTブランドが少ない理由かもしれません。

 なお私が今乗っているDEFYは4400元(約7万5千円)で三年前に購入しましたが、この前GIANTのお店行ったら何度かモデルチェンジが重ねられたせいか2500元(4万3千円)くらいで売っててちょっとしょんぼりしました。あとタイヤのチューブによって、やけに空気の抜け方に違いがあるのが気になり、この前パンクさせるまでは全然空気減らなかったのに最近は激しく減るため空気入れの手間が増えてちょっと嫌です。

2018年7月26日木曜日

あの社長は今……

スカイマーク元社長が初めて語る経営破綻の真相
耐震偽装のヒューザー元社長が太陽光発電に挑む理由(JBpress)

 上の記事リンクはどちらもJBpressの阿部崇副編集長のインタビュー記事です。どちらも、「おおっ、いたなそんな人!」と思うチョイスな元社長で、何故破綻に至ったのか、あの当時に何があったのかについて赤裸々に語ってくれています。
 特にスカイマークの記事に関しては急伸から一気に破綻へと至った過程がつぶさに書かれており、自分の中で今年読んだ経済記事の中でも間違いなく五指に入る見事なインタビューです。後者のヒューザー元社長も、冤罪であることは私自身も把握していましたが、改めて当時のデマが錯綜した状況を思い出して感慨にふけりました。

 この両記事に関しては、自分が書いている媒体だからといって贔屓にしているわけでなく文句なしに素晴らしい内容なので、興味があればぜひとも読んでもらいたいです。なおスカイマークの記事は冷凍たこ焼き大好きマンな友人に教えてあげたところ、「この西久保元社長について今までノーマークだった。教えてくれてありがとう!」とえらく興奮され、その後返礼とばかりにネット上に点在する西久保元社長関連記事が友人から大量に送られてきました。スチュワーデスのミニスカート云々を含め。

 なおこの阿部副編集長について鶴岡編集長へストレートに、「なんかすごいいいインタビュー記事出す人来たね(´・ω・`)」と振ったところ、今年から加入した新戦力だったとのことです。心なしか、YahooやMSNなどでもJBpressの記事がトップなどに取り上げられることが増えているように思え、媒体として割と勢いがついてきた気がします。
 その一方というか、はっきり言えば寄稿するライターの質が明らかに上がっており、私の書いた記事が前ほど簡単にランキング上位を得られなくなってきています。っていうか去年までは記事出したら公開当日はほぼ確実に1位を取ってたのに、今じゃプラモの写真を載せて軍事解説記事を仕立てるというあり得ない暴挙とかしでかさないとトップ取れなくなりました(´;ω;`)ウッ…

 ぶっちゃけさぁ、こうした立場になってみると、井の中の蛙でもいいんじゃないかとか思えてきます……。

2018年7月25日水曜日

ポスト安倍に待ち受ける負の遺産

 前外務大臣の岸田文雄議員はこのほど、次期総裁選には出馬しないとの方針を示しました。この発表を受けて一部メディアではあくまでも安倍総理からの禅譲(後継指名)を待つつもりとのことだが、決断が遅く怯んだ、臆したなどとやや批判の強いトーンで紹介していました。私は当初、そうはいっても出馬するかしないかは確かに悩むもんだからそこまで批判しなくてもと考えたものの、そもそも岸田議員は次期総裁選を睨んで安倍首相の懇願にもかかわらず前回の内閣改造で外務大臣の職を辞しており、あくまでも安倍総理の後継指名を目指そうというのなら何故そこで閣外を出たのかと思うようになり、改めて今回の不出馬発表は中途半端な態度だと思えてきました。
 まぁ優柔不断は宏池会の得意技ですが。

 ただこんなことを言っておきながらですが、ポスト安倍となる首相職はならない方が案外いいかもしれません。というのも安倍政権の負の遺産を丸抱えすることとなり、将来の歴史的評価が真黒くなる可能性があるからです。

 その負の遺産とは具体的に何かというと、数え上げたら切りがないですが一番大きなものは日銀が買える大量の株式です。他のメディアでも報じられていますが年金を運用管理するGRIFと日銀を合わせれば日系企業最大の株主となり、この2つが日系上場企業4社中1社の最大株主になるという国家総動員法も真っ青な状態と既になっています。仮に日銀が緩和政策の出口戦略でこの株式を手放したらあっという間に大暴落になることが見え、かといって手放さなかったら企業統治に緩いお国なことですから、企業の不正は増えイノベーション力が低下する可能性も少なくありません。
 この出口戦略ですが、本来ならもうとっくにやっていなければいけないものの日銀はやめるにやめられないものだから、さらに買い増しすると発表しており、多分最終的には2社中1社が最大株主が国という、国がほぼすべての日系企業を支配する時代が来ると思います。中国の国有企業やかつての国鉄とか見てたらわかりますが、この手の企業は基本腐ります。

 次の負の遺産ですが、端的に言って経済指標です。先日も投信30兆円誤計上問題が発表されましたが、やはり世間の反応を見ていると「わざとだろ」とみなす人が多く、私も同じ考えです。景気が上向いていると主張するために統計指標を弄った、誤計上をしりながら発表してきたように思え、実態の指標はもしかしたらもっと悪いのかもしれません。
 何もこの投信指標だけでなく、GDP成長率の数字もいつも私は怪しんでいます。理由としては予測値、速報値、確定値の乖離が激しいのと、「その他」という内実不明の数字割合が年々異常な包丁を続けており、はっきり言えば中国以上に操作されていると考えています。

 そもそもこうした経済指標というのは単体だけでなく、他の経済指標と一緒に眺めて初めてその価値が分かります。例えば先ほどの投信も、家計貯蓄高が年々減ってきているにもかかわらず何故か個人の投信投資額は増加しており、前々から怪しむ声は出ていました。同様にGDPに関しても体感景気は盛り下がっており、そのほかの指標もパッとしないのに「戦後最長の景気拡大」などと言われていて、違和感しか覚えません。私個人の体感でも中国で日本製品を買い求める人は自動車とおむつを除くと減っているように思え、それでいて何故このような数字が出てくるのかと思わずにはいられません。

 こうした負の遺産が、ポスト安倍の次期首相の時代に一気に爆発する可能性が高いです。そう考えると果たして座るべき椅子なのかと疑問に思え、泥をかぶるつもりがないのなら無理して追わない方がいいのではと今回の岸田議員の行動を見て密かに思いました。

2018年7月24日火曜日

何故中国に居続けるのか

 初対面の人に会うとほぼ確実に、「中国にどれくらいいるんですか?」と聞かれたりします。このブログをしつこく追っていけばわかりますが私の場合だと2010年末(実質2011年頭)から中国で働くようになり、2013年に1年ほど日本に帰ったものの、翌2014年には再び中国入りしてからはずっとこっちなので、単純に働いている期間で言えば6年くらいとなります。さらに北京の留学時代を加えるともう1年プラスとなるので、合計すると7年でそろそろ10年選手とかも見えてきました。
 正直に言えばこれほど長くいることになるとは当初考えておらず、それこそ最初は2~3年くらい修行のつもりでしたが、今現在だと日本に帰国することは全く予定に入っていません。何気にこの点も、「いつ日本に帰るの?」とよく聞かれて、聞かれるたびに( ・´ー・`)って気分になります。

 何故日本に帰らずに中国へ居続けようとするのかですが、定期的にこのブログでも書いていますが単純に日本だと仕事がないからです。
 私より実力のあるライターは私自身もはっきりと認識するほど確かに存在しますが、はっきり言えば世の中の大概のライターは私より実力はなく、多分一記事辺りのアクセス数とかでも私に勝てる者となるとかなり限られてくるでしょう。単純に中国語、英語の原文読んで資料集めて記事書けるだけでもレアですが、それ以上に経済からコラム、歴史にスポーツと書けるジャンルの広さで自分に勝てるライターも少なくとも私は見たことがありません。でも多分、日本帰ったら私に仕事くれるメディアはないんだろうなって思います。

 何もライター業に限らずとも通常の貿易事務とか営業、検査、リサーチ等も一通りこなせますが、これまでの転職が多くて異色過ぎる経歴と、見た目の大人しさから採用する日系企業は多分ないでしょう。また仮に採用されたとしても、パフォーマンスよりも社歴の長さが何よりも評価で重視される日系企業の中では自分の力はきっと発揮できないという確信があります。そうした要素を考えると、単純に生活面、パフォーマンスの発揮と向上面において中国で暮らしていく方が自分にはメリットが多いです。
 なおここだけの話ですが、今いる会社の在職期間が今月になって2年6ヶ月をついに突破し、自分の中で過去最高記録に到達しました。逆を言えばこれまで1つの会社に2年半以上いたことはなく、ほぼ2年ごとに仕事と人間関係をリセットし続けるというハードな人生を歩んできてました。

 こうした切実な理由もさることながら、自分が中国にいる理由としては別の理由によることの方が大きいです。具体的には中国の方が社会が変化に富んでおり、自分的には退屈しないということです。逆に日本は、これまたはっきり言えば社会が年々落ちていっているようにしか見えず、世論を見ていてもどんどん余裕を失っている上、政治議論も10年前と比較してなんでと思うくらいつまらない内容が増えてきました。そういった社会の居心地というものでも中国、まぁこれは上海だから言えるのだと思いますが、生活している分の楽しさがあります。
 仮に日本で暮らすとしたら、それこそ世間と隔絶した環境を本気で望みます。無駄に世の中に関わろうとしても労多くして得るものはなく、人間も多分自分の眼鏡にかなうような面白い人は上海にいる人と比べればいないだろうし、今ある人間関係の枠の中にいる方がずっと有意義に時間を使えると信じています。

 凄い上から目線の発言だと感じるでしょうが、やはりこのところ日本にいる人の話や議論を聞いていると、「なんでそんなことを気にするのだろうか」と本気で思うような、議論しても悩んでも意味のない話題ばかりが飛び出してくるケースが非常に増えてきています。敢えて例を出すなら、行動すれば済む話を行動せずに済ませられないかと悩んでいる人が多く、養老孟司風にいえば、体の世界がなく頭の世界の中だけで完結し切っているような印象を覚えます。単純に、口ばかり動かす人が増え、黙って手だけを動かす人が減っているのかもしれません。

 あとこれはかなり特殊な意見だと思いますが、中国の生活が年々快適になってきているのもい続ける理由に大きく貢献しています。それこそ10年前の中国だとネットも遅くて規制されているわ、施設やサービスの質も悪いわで生活における不便がひどくあったものの、経済成長とともにこうした生活上の不便はどんどんとなくなっていき、最近だとスマホ決済など日本にすらないサービスも普及して、非常に快適になってきています。最悪からのスタートだったということもあってプラスに感じてしまうわけなのですが、逆を言えば昔は生活面の不便から日本の生活がいいなと思うことも多かったものの、今はあらゆるサービスの発達によってそう思うことが中国においてすら減ってきています。
 具体的には漫画の電子書籍配信、ゲームのネット購入、VPNサービスによるネット規制迂回、便数増加による日本帰国費用の値下がり、スマホによるあらゆる中国国内サービス予約・決済・リサーチ等々。あとこれは私だけですが、あんま日本だと店舗数が多くないGIANTの店舗が中国には多く、パンク時などの自転車メンテナンスが中国の方が充実してます。っていうかなんで日本人はGIANTブランドの自転車にあまり乗らないのか内心不思議です。

2018年7月23日月曜日

投資信託の誤計上問題について

<投資信託>家計保有額、30兆円以上も誤計上 日銀がミス(毎日新聞)

 今日はブログ書く気なかったんですが上のニュースを見て激しく戦慄しました。内容はリンク先読んでもらえばそれまでですが説明すると、個人(家計)が投資信託に拠出している資金額に関する日銀の統計で、30兆円も誤計上があったとのことです。これがどういう意味かというと、投資信託を含む投資が活発、それも企業や団体ではなく個人でバンバン投資されているということは景気が上向いている兆候とされ、経済指標的にはプラスであることを示します。
 これまでこの個人の投資信託への拠出割合は上昇傾向にあると発表されてきましたが、実態はさにあらず、30兆円分が個人ではなく企業や団体拠出であったことが今回の調査で分かったとのことで、もうなんか自分でも書いててよくわかんなくなるくらいショックですが、端的に言えば個人投資は全然増えておらず、結果はむしろこれまでの発表と真逆だったということです。

 コメントとかにも書かれていますが30億円ならともかく30兆円もの計算ミス、それも数年間にわたり行われてきたなんて、それ自体があり得ず日本の統計事態に疑問を覚えます。明日のマーケットがどうなるかわかりませんが、影響なしとは思えず、また日銀はこの件についてどう責任を取るのか問われるでしょう。

2018年7月22日日曜日

嵐の中で


 上の写真は再来週配信予定の記事のために撮影してきた写真のうち一枚ですが、これを撮影したのは本日です。そして本日、上海は台風が来て大雨でした。なんでこんな日にわざわざ取材に来たのかというと、めっちゃワクワクしたからです。

 今回この場所を撮影したのは昨日記事を執筆している最中にこの橋が、建て直されているとはいえ現在も同じ地名で存在するということを知ったからです。早速近くに住んでいた友人にも確認したところ知ってると返信がありそれなら行くかと決めたところ、「明日は台風来るから来週にしなよ(;´・ω・)」と友人が止めてくれました。
 確かに来週でも間に合わないというわけではなく、なんでわざわざ台風の日に撮影しに行かなきゃならないんだと思って私もやめよと思って布団に入ったのですが、今朝目を覚ましたところ風は強いものの雨は降っておらず、「よし行くか」と考えを改め出発しました。なお家を出て数分後に雨は降りだしてきました。

 行先は割と遠いので最初は地下鉄と思っていたものの、地下鉄駅からやや歩くのと、バスでも1回乗り換えだけで近くへ行けるとわかったので優雅にバスを選びました。バスに乗ってる最中も外は大雨でした。
 バスに揺られて約1時間で目的地に着きましたが、そこからこの橋に来るまで大雨に降られてずぶ濡れになりましたが、何故だか満足感でいっぱいでした。写真を撮り終えたところ先ほどの友人から、「もうすぐ台風上陸だから気を付けなよ(;´・ω・)」という連絡が来たので返信代わりにこの写真を送り付けたところ、「マジで行ったのかよ(; ・`д・´)」という期待通りの返信が返ってきました。

 もし本当に半端ないくらいの大雨と大風だったらさすがにやめてましたが、やはりたまに自分の身をリスクにさらすというのは生きているという実感が凄くもて、端的に言えばめちゃ楽しいです。なおこの後は近くのショッピングモールで寿司喰って、今度は地下鉄乗って帰ってきました。家にこもってゲームと執筆ばかりなので、なんか今はお疲れモードです( ˘ω˘)スヤァ

2018年7月21日土曜日

好転する対日感情

 あまり日本人は気にしてないと思いますが、今中国の対日感情はかつてないくらいに好転しています。歴史的な統計で言えば天安門事件前後が最も対日感情がプラス方面に高く、その後90年代に行われた反日教育によって悪化していき、00年代後半から再び上昇していくような経過をたどっていますが、ある意味で2000年以降としては今が最も対日感情がいい状態ではないかと分析しています。
 一体何故対日感情がよくなっているのかというと理由は大きく分けて二つあります。

 一つ目は、今貿易戦争真っただ中の米国への対抗です。中国としてもこの貿易問題で日本を引き込む価値は高く、というより米国との関係を重視する日本を巻き込むのは物凄い得策で、だからこそ今年に李克強総理を北海道に派遣するなどして関係を重視する姿勢を示しました。日本としては無碍に相手する理由もなく、また米国を怒らせない範囲であれば中国と仲良くする方が米国へのけん制としても価値を持つだけに、割と利害は一致していると私は考えています。

 二つ目は、単純に中国が豊かになってきたからです。米国が嫌われる理由は単純に、米国が最も金持ちだからという意見がありますが、同様に豊かな国というのはただそれだけで豊かでない国から恨まれる運命にあります。中国も反日教育とか歴史問題とか言われていましたが、そうした要素は実際は二割程度で、残り八割くらいが富への嫉妬が反日感情の原動力だったと思います。
 それがここにきて中国が経済成長して大分豊かになり、富裕層に至っては日本以上の生活を満喫した上、市民層でもスマホ決済をはじめ日本よりもサービスの進んだ分野が出るなど、「何でもかんでも日本人に劣ってるわけじゃなくなったよね(´・ω・`)」という具合で、日本へのどろどろした気持ちがなんかさらさらした気持ちに変わってきている気がします。金持ち喧嘩せずって奴です。

 決して誇張ではなく、この要素が非常に大きいと思います。何故そう思うのかというと、これと真逆の現象がなんか以前よりもはっきりと色濃く見えるからです。特に今週水曜にもJBpressで記事書きましたが、こいつら本当に中国の製造業の現況について全く見分がないのだなと思うコメントが多くてびっくりしました。嘲るコメントを書いているつもりでしょうが、あまりにも場違いな意見でただただ私としては困惑する内容でした。

 こうした変化について気付いている人間は、多分現状ではほとんどいないのではないかと思います。だからこそこうして書いているわけですが、やっぱこういうのは現場にいる人間が一番強いなと再自覚するとともに、日本で中国の分析書いている人よりはやっぱり自分は有利だと感じます。

2018年7月18日水曜日

庇った人間は庇われる人間に恨まれる?

 昨日の記事で私はいじめられっ子が長じていじめっ子に逆転する現象があることについて私見を交えて紹介しました。そしてその中で仮説として、いじめから庇った人間が何故か庇われた人間に逆にいじめられることもあるのではという説を展開しました。
 いじめドラマの金字塔こと「人間失格」ではまさにこの逆転現象が描かれており、転校したての主人公がいじめられっ子を庇ったところ、なぜかその後元いじめられっ子が主人公をいじめ自殺にまで追い込んでしまいます。これはドラマだけの世界ということも出来ないこともありますが、実際に私もこれに近い光景を見たこともあれば、いじめにまでは発展することこそなかったものの、かつて私もトラブルから庇ってあげた人間から妙な逆恨みを受けたことは何度かあります。

 そうした経験を踏まえて言うと、体感的にこうした逆転現象は実際に、それも結構な頻度であるのではないかと考えています。さらに極端に述べると、さすがに命の危機を救ってもらったとかなら感謝されっぱになるものの、いじめを含む軽・中度のトラブルから庇った場合、庇った人は庇われた相手から感謝されるよりも恨まれるケースの方が多いのではないかとすら内心考えています。
 そもそも一体何故、こういうことが起きるのか。仮説の域を出ませんがいくつか理由を挙げると下記の通りとなります。

1、自らが保護対象になるのがプライド的に許せない
 庇われるという行為は、基本的に強者から弱者への単一方向でしか起こることはありません(FFの「かばう」は除く)。逆を言えば「庇われる」というのは当人からしたら自分が弱者であることを強く認識せざるを得ず、実際にそうした意識へのプライド的反抗から他人に庇われるのを良しとしない人は珍しくもないでしょう。
 そのため過去に庇われた経験のある人間からしたら、かつて庇ってくれた人間に劣等感を感じやすく、乗り越えるというわけじゃないですが逆に支配下に置いてそのプライドを奪還したくなるのではないかと考えています。現実にみた先ほどの逆転現象でもやはりこのような動機で、かつて世話になった相手に対して裏切りとも取れるような反抗を見せる人がおり、それもやらなくてもいいことを敢えて実行して自分が上の立場だということを強調するような行動が多かったです。いじめられっ子がいじめっ子になるというメカニズムも、やはりこうしたプロセスを辿っているのではと推測しています。

 この説はそれほど珍しくもなく、多分私以外の多くの人も提唱しているのではないかと思います。今回記事を書くきっかけとなった本丸はむしろこの次です。

2、自らの不利な立場を強く認識させられるから
 私の持説ですが、人間は苦しい現実ほど目をそむけたくなります。なのでいじめにおいても「からかわれているだけだ」とか、「これはいじめじゃない」と信じ込んで我慢することでよりエスカレートするという例が見受けられます。こうした現実逃避の延長上に当たるのがこの説で、いじめられっ子がいじめられるのを庇う人間が出た時に、いじめられっ子はどう感じるのかと考えた際、「自分がいじめられている現状を強く認識させられるのでは」と私には思えてきました。

 いじめに限らなくても、トラブルから庇ってくれる人間が現れた際に庇われる人間は否応なしに自分がトラブルを抱えていることを認識せざるを得なくなります。
 具体例を出すと、社内での評価が悪く周囲から白い目で見られる社員に対し、奮起を促そうと励ましたり、業務をサポートしたり庇ってくれる同僚が現れたとします。社員としては現実逃避して目をつむっていればそうした周囲の評価は無視できるのに、庇ってくれる同僚が現れてしまうとどうしても自分が「劣っている」、「評価が芳しくない」という現実を否が応でも認識させられてしまいます。そんな社員からしたら庇ってくれる同僚はどんな風に見えるのか、結果から言うと逆恨みするようになったというのが私が実際見たケースです。

 何もいじめられっ子からいじめっ子へのクラスチェンジこと逆転までも起こらなくても、庇った人間が庇われる人間に逆に恨まれるというのはこのような形で往々にあるのではないかと思います。素直に庇ってくれたことに対して恩に感じてくれればいいのですが、私が見たケースでは圧倒的に逆恨みするケースが多く、何故か庇ってくれている人に対して庇われる人が陰口をやたらと口にするのを不思議に思いながら見てきました。
 まぁただ単に変な人間関係の中にいたことが多かっただけかもしれませんが。

 最後に、敢えてこの現象を名付けるのなら「鉄雄シンドローム」を私は推します。「鉄雄」というのは知ってる人には早いですが日本漫画史上に残る傑作「AKIRA」に出てくる準主人公の名前で、当初でこそ気が弱く周りにも弄られるだけのキャラだったもののの、作中で超能力に目覚めて以降は凶暴な性格へと変わり、かつて彼を公私に渡り庇ってきた主人公の金田に対して激しい憎悪を抱くようになります。
 鉄雄と金田の関係をみるならば鉄雄は金田に感謝こそすれども恨む覚えなぞないはずなのに、作品中盤からは金田のバイクを異常に執着したり、全力で襲い掛かったりとこれ以上ないくらいの憎悪を向け、その背景には金田への劣等感があることが作中でもはっきり示唆されています。今回の記事ネタを考えた際に即、「これは『鉄雄シンドローム』だな」と浮かんできました。

 この鉄雄の行動について、多分読者(映画版なら視聴者)はそれほど奇妙に感じなかったのではないかと思います。理由としては前述の通り、こうした光景は往々にしてありうるという前提があるからだと考えます。それだけに、庇うという行為は庇った相手に逆恨みされるという危険性は潜んでいると思え、敢えて言えば、嫌われる覚悟がなければ下手に庇わない方がいいのかもしれません。いじめを見て見ぬふりすることについても、自分が新たないじめのターゲットになるということはもとより、こうした逆恨み要因ももしかしたあるのかもしれません。

  おまけ
鉄雄「金田ぁ~~!」
金田「さんをつけろよデコ助野郎っ!」

 とくれば「AKIRA」に出てくる有名なシーンですが、自分もこのシーンは日本アニメ史上においても屈指の名シーンだと考えています。なお「デコ助野郎」というのはこの漫画のタイトルの由来元となった黒澤明監督の現場で若手を呼ぶ際の呼称だったそうです。

2018年7月17日火曜日

いじめられっ子は何故いじめっ子に変わるのか?

  毎度毎度書いていますが日本はいじめ自殺が起きるたびに「いじめは大変だ、よくない、なくさなきゃ」と言いつつ、いじめそのもののメカニズムや統計についてはあまり言及されずフェードアウトし、しばらくたってまた自殺が起きると話題にするというのを繰り返している現状があります。特に統計に関してはひどいもので、どの都道府県が多いのかとか、男女比、学年、クラス規模、偏差値等、一部は統計が取られているもののテレビやネットでの議論に活用されることはなく、今後もこうした無駄なサイクルが繰り返されると予想します。

 そのいじめのメカニズムですが、地味に無視できないというか検討する価値のある要素として、いじめられていた側がいじめる側に変わるという現象があります。この現象についてネットで検索すると出るわ出るわで、発言小町に至っては、真実かどうかは検証しかねますがかつていじめられっ子だった息子が他の子をいじめるようになりどうすればいいのかと、非常に真剣な相談が書かれてあってなかなか読ませられました。
 現実にというかこの現象、私も実際に何度も目の当たりにしており、また報道によると2015年の川崎市中1男子生徒殺害事件の主犯格だった少年もかつてはいじめられっ子だったものの、長じて自分より年下の子をいじめるようになったと言われています。このほかの未成年による目立った刑事事件でも、「元いじめられっ子」というキーワードをよく見ます。

 具体的な統計がない(多分調べようともしてないだろうし)ので発生割合は測りかねますが、必ずしもいじめられた子がいじめっ子に変わるというわけでないものの、少なくともこうした逆転現象が世の中で起きていることはほぼ確実だと私は体感的に考えています。たとえは変ですがマルクス主義者が市場原理主義者に、ビアンカ派がフローラ派に変わってしまうのはそうそうないと思うのに、いじめを軸にしたこの逆転現象は何故かよく起こるのはやはり不思議でしょう。
 っていうか自分で書いててたとえが意味わかんない。

 何故こうした逆転現象が起きるかについてネットで見たあるブログでは、「いじめられていた子はいじめる子に憧れを持つ、いじめる側の立場になることを望むようになる」というような分析をしていました。私は以前にこのブログで、「虐待されていた子は虐待する親を憎みながらも、長じて虐待する親になりやすい」という絶対的な統計結果を紹介した上で、先ほどの分析のように「憎みながらも暴力を行使する親に憧れを持つようになる」という心理傾向があるという研究の話を書きましたが、メカニズムではやはりこれと共通すると思え、先の分析を支持します。
 やはり暴力というのは晒されるのはただただ苦痛なものの、受けた人間からすればその威力もわかるわけで、行使したくなるのかもしれません。もちろんまともな子は自分が受けた苦痛を他人には与えないように心がけるでしょうが、まともじゃない価値観の子だと「自分だって苦しんだんだから他の人間も苦しむべきだ」という方向に考えが行ってしまうのでしょう。

 ある意味でこうしたメカニズムがはっきり出るのは軍隊や部活動のしごきでしょう。「やられたんだからやり返してもいい」を金科玉条に、何故かしごきを行ってきた相手本人ではなく無関係の下級生に暴力を行うという負の連鎖が起きるわけで、やはりこの背景には上級生に対する憧れめいたものが見え隠れします。
 ようやく最近になって時代が私に追いついてきたのか、「ブラック部活動」という言葉とともにこうしたしごきや先輩や顧問からの理不尽な要求を社会が排除するようになってきています。防衛大でもこの前このような報道があっただけに、いい方向に変わっていると私自身は考えています。

 しかしこの、いじめられっ子がいじめっ子に変わるメカニズムについて、やはりもっと深く突っ込んで対策などを議論してほしいのが本音です。昔のドラマの「人間失格」なんかまさにこの逆転現象を描いていて今思うとあの時に議論するべきだったなとも思えてきますが、この現象に対して対策を打つことでそれなりないじめ対策になるのではと密かに思います。

 と、以上を踏まえて敢えて私がこの議論で踏み込むとすると、地味に前から不思議だと思うのがこうした逆転現象で、何故かいじめから庇ってくれた人を元いじめられっ子がいじめるようになるという現象が少なからず起きているという点です。先ほどの「人間失格」で堂本剛氏が演じたキャラの役割がまさにこの庇った側でしたが、ちょっとこの点についてなんとなくそれらしいメカニズムが見えてきたので、次回にて詳しく説明します。

2018年7月15日日曜日

そして誰もいなくなった……

 先日、どうしてもまたやりたくなったので「信長の野望 天翔記」というゲームをネットで購入してこのところ遊んでいました。プレイ大名は北条家で、今まで使ったことなかったけど史実通りに内政に特化した人材が非常に多いなと感じました。

 難易度は中級だったこともありサクサク天下統一できたのですが、当初から北条家と同盟関係にある蘆名家がなかなか同盟を切ってくれず、最終的に他の大名全部皆殺しにしたのに蘆名家だけはそのまま居残ってしまいました。
 このゲーム、こちらから同盟を切ると家臣の忠誠度とか下がってしまうなどデメリットが非常に大きい仕様になっています。もっとも最終盤だから裏切られても痛くもないのですが、同盟を破棄して攻め込むという過程も面倒くさいなと思って、蘆名家の武将を全員暗殺することにしました

 何せこっちには暗殺の名手の風魔小太郎をはじめとした面々が揃っており、蘆名家に所属する武将を片っ端から暗殺して減らしていきました。大体15人くらいいたような気がしますが、ただ蘆名家に所属しているという理由だけで続々と暗殺されていく様は悲劇のようにも思いましたが気にせず、最後に残った蘆名家の当主を暗殺してミッションコンプリートしました。その後、誰もいなくなった城に配下を送り込んで、北条家の天下統一が成就しました。

 この最後の暗殺過程は蘆名家からすれば、あの世界的ミステリー傑作作品である「そして誰もいなくなった」の再現VTR撮っているようなものでしょう。でもって北条家からしたら、一兵たりとも兵を失わずに天下統一できたんだし、非常にスマートなやり方だったのかもしれません。
 っていうか天翔記の暗殺は異常に強すぎます。忍者一人いるかいないかでかなり難易度変わるレベルです。

西から昇った……

 昨日かなり無駄なことで時間潰したので今日は有意義に時間を使おうと朝9時からサイクリングに出かけました。コースは割とよく使っている南進ルートで、川にぶつかるまでをめどに走ってみたのですが、普段とは少し違ったコースで南進していると、途中で南へ行く道がなくなり東西のどちらか迫られました。
 スマホの地図で確認したところ東へ行った方が南へ行く道に出やすいことが分かり東へ行き、しばらく走って出くわした十字路を今度は右に曲がりました。ところが行けども行けども川にぶつからず、時間も11時を回っていたので反転して北へと向かい、帰宅することとしました。

 反転して20~30分程度進んだところ、何やら「西渡」と書かれた方向表示が目にはいてきました。「~渡」とは基本的にフェリー乗り場のことで、なんやこっち側にもフェリー乗り場あるのかとか思ってそのまま走り続けたら、川に出くわしました
 なんや道間違えたのかなと思ってスマホの地図を確認したところ、なんかよくわかんないところに自分が立っていて、現在自分が向く方向が南になっていました。一瞬、スマホがバグったのかと疑ってみたものの、慌てて太陽の位置と自分の影を確認したところ、確かに南を向いていました。帰宅しようと北へと向かっていたつもりが、真逆の南に向かって走っていたというわけです。この時、「俺はバカボンかよ……」と、例の歌詞が頭に浮かんでいました。

 なんだろう、一種の神隠しなのかしばらく頭がぐるぐる回りましたが、昼日中で最も暑い時間も迫っており、っていうか体力的にも結構限界を迎えつつあったので、とりあえずスマホに従って再反転して今度こそ北の帰宅ルートへと方向を向けました。動揺しつつ改めて今回の行程を思い返していましたが、恐らくですが最初の東西どちらかの道を迫られた時、自分は東へ向かったつもりだったのが本当は西に向かっていたのではないかと思われます。実際、当初のルートより大分西にずれていたし。
 出発当初でこそ2時間程度軽く流してくるつもりでしたが、この妙なロスによって大幅に時間が食い、最終的に自宅近くの飯屋に着いたのはちょうど午後1時くらいでした。途中2回各5分のコンビニ休憩を除き、ほぼ4時間ずっと走りっぱなしでした。

 水分補給は意識して行ったおかげか走行中は特に激しい頭痛に見舞われることはなかったものの、昼食を終えて2時ごろに帰宅してからやはり頭痛が起こり、そのまま6時半くらいまでずっと寝込んで今に至ります。夕方起きて晩御飯食べに出かけましたが、普段は自転車に乗っていくところを今日はもう自転車乗りたくなかったので歩いていきました。

 最終的に頭痛こそ起こしたものの、走行中は比較的体力的にも安定しており、気温30度強のこの環境で4時間フル走行と考えれば以前と比べて体力は持ち直してきていると思います。つっても、6時くらいまで心臓の鼓動早かったですが(今は落ち着いてます)。
 もっとも方向を間違えた点については、あの時点で熱中症を起こしてて訳が分からなくなってたせいかもしれません。前に健康診断で問診してくれた管理栄養士の方に、「そんな無茶な自転車の乗り方してたら体壊す」と言われましたが、内心、どれだけ自転車で走るかよりもどれだけ自分を追い詰めて壊すかの方に意識が行くところがあり、水分補給の必要性を感じつつも、「ここを我慢して敢えて無補給で走り切ってこそなんぼだろ!」と思って、後で後悔することが多いです。まぁ今日はちゃんと水分取ったけど。

 ただまじめな話、スポーツというのは基本的にマゾヒズムと密接な関係があり、如何に自分を苦しめるかという意識要素は非常に大きいのは事実だと思います。現に登山愛好家の心理はほぼ自殺志願者と変わらないともいわれており、こうした意識のないスポーツというのはむしろそっちの方がおかしいと私は考えています。まぁ無駄に体壊す必要はないですが。

2018年7月14日土曜日

不緊密な避難警報の発令と情報分析

 今日の出来事のせいで時間の感覚がおかしくずっとイライラしっぱなしなので本日二本目。っていうか疲労感じないのに目が見えなくなっているのが怖い。原因は「信長の野望 天翔記」のやりすぎってことは確実ですが。

 このほど西日本で発生した豪雨による被害については既に各所で報じられており、亡くなられた方を含め被災者の方々については痛ましい限りで、私も陰ながら幸福を祈っています。上海市も先週は雨が続き時間帯によってはゲリラ豪雨となるなど終始不安定な天気が続いていましたが、日本ほどまとまった雨ではなかったことから洪水などは発生していませんでした。
 今回の日本の豪雨について中国メディアも取り上げているのですが、その中で一つ気になる報道がありました。内容は日本の識者のインタビュー記事なのですが、大まかな内容は以下の通りです。

「気象災害の情報収集、分析を行っているのは東京の気象庁なのに対し、日本の各地域の警報発令は自治体が行うため、情報の流れや対応実施の点で統一がなされていない点に問題がある」

 ウラを取っているわけではないものの、今回の災害の報道を見ていてなんとなく書かれている通りなのではと思う節がいくつかありました。具体的には気象庁が異常な降雨量の予測を出していながら実際に自治体が警報を出すまでタイムラグがあったり、堤防が決壊してから警報が出たりなどといった報道なのですが、言われてみると東京の気象庁はともかく、各自治体は何をもって警報発令の判断基準としているのか、自前で天候予測や分析を行っているのかの点で疑問を覚えました。

 先に書いておくと私は今回の災害で警報発令が遅れた自治体を責める気は毛頭ありません。というのも実際に警報をどの段階で出すのかという判断は非常に難しい上、激しい豪雨の中で堤防をずっと見張るというのもマンパワー的にも安全的にも難しく、そうした状況を考えると、警報や対応の遅れは非難されても仕方はないと思うものの、私個人としては一概に責め切れない面もあるのではないかと考えています。
 ならどうすれば今後は改善できるかという話になるのですが、その点でさっきのコメントが引っかかりました。こうした気象災害について、各自治体がどれだけ災害情報の収集や分析が行えるのか、行うマンパワーがあるのか。現実には気象予報士を各自治体が隅から隅まで抱えているとは思えず、またいたとしても使っているかどうかも微妙ですが、それならば東京の気象庁の分析情報をどのように各自治体と共有するかということを考える必要があるのではないかと思います。

 もっともそれ以上に手早い対策としては、気象災害の警報発令権を自治体だけでなくこの際気象庁に持たせるというのもありじゃないかと思います。豪雨や大雪など激しい気象災害が予想される場合は自治体を飛び越して、気象庁自らが各地方へ警報を発令し、自治体自体も警報発令権限を持つものの、気象庁が先に警報を発令したその周知徹底に努めるというような、こうした体制なら機敏な対応もできるのではないかと勝手に考えています。
 実際にはすでにそうした権限とか情報伝達ができているのかもしれませんが、警報をどう運用するのかについてやはりもっとこういう議論や報道が欲しいところです。中国メディアの報道は日系メディアの引用かもしれませんが、なら何故自分の目に入らなかったのか、やはり議論が盛り上がっていないせいだと思え、そうしたことも考え蛇足と思いつつこのブログでも取り上げました。

不愉快極まりなかった新世界大丸

 昨日友人から、上海市南京東路駅近くにある新世界大丸という合弁の百貨店で、エヴァンゲリオン展がやっていると連絡がありました。ふざけてでしょうが私に「行って」というので、特に今日はやることもないので用の有る午前中ではなく午後なら行ってもいいと返したところ、「なら自分も行く」と友人から返信がありました。
 そしたら今朝になり、「家庭の事情で(恐らくどうでもいい理由)」といって友人は来れないと連絡してきたので、仕方ないので大家に家賃を払った後の今日の午後、私一人で行ってきました。

 新世界大丸に着くと、件の展示は地下1階と7階でやっているとのことなので7階へ向かいました。どの百貨店もエレベーターは人でごった返す上に遅いので、少し面倒だけどエスカレーターで行こうとしたところ、ここのエスカレーターはらせん式となっていて昇る速度が極端に遅かったです。それでもエレベーターよりかはマシかと思って6階まで昇ったところ、何故か7階を繋ぐエスカレーターが閉鎖されていました。吹き抜けを挟んで反対側を見ると向こうも同じように閉鎖されているようで、尚且つエスカレーターの終着の先にはエヴァの妙なパネルが置かれてあり、どうも展示のせいで封鎖されているようでした。
 そもそも展示会場につなぐエスカレーターだというのに展示のために塞いでどうすんだよ、そもそもエスカレーターつながってないとわかっていたら最初からエレベーターを選んでいたのにと、この時点でむかっ腹が立っていましたが、仕方ないのでエレベーターで行くしかないと中央のエレベーター前まで移動しました。

 上昇ボタンを押して待つことしばらく、停まったエレベーターに乗り込んで「7」のボタンを押したところ、それは起こりました。何が起きたかっていうと、ボタンが無反応で、何度押してもボタンが反応しない。こういう仕様なのと最初わかんなくなりましたが、あとから乗ってきた別の客が「1」のボタンを押すや、扉は閉まってそのまま1Fまで降りていきました。
 もし近くに別の客がいなかったら、間違いなく「7」のボタンをせいけんづきしていたところでした。実際、この時点で拳を深く握りしめて、持っていたデジカメを音が鳴るくらい握っていました。

 単純にエレベーターのボタン故障なのか設定によるのか、別ルートを用意してエレベーターも7階は封鎖していたのか知りませんが、この時点で死ぬほど不愉快極まりなかったのでそのまま地下鉄乗って帰りました。そもそもエヴァ事態好きじゃないし、むしろファンだと思われたくない作品でもあり、妙な上下運動させられながらも見に行こうとすること自体許せませんでした。
 帰りの道中、イベントを紹介してくれた友人に向かって怨嗟を込め「もう二度とこんな不愉快な案内よこすな!」と、立て続けに呪い続けました。昼日中のちょうど真ん中の時間を徒労に費やし、実際今でも怒りが収まりません。

 個人的に許せないのは二つ。一つ、7階の展示会場へのルートについてエスカレーターが閉鎖されている(普段はつながっている)ことを何故1階で示さなかったのか。二つ、エレベーターが恐らく故障だと思われるが、ボタンが反応しないなんてオフィスビルならともかく百貨店のエレベーターでは生まれて初めてです。故障でなく封鎖であったとしても、どうしてそれを明示しないのかという点で怒りを感じます。
 友人は、「店員に聞けばよかったのに」と言いますがそもそも見に行きたい展示でもなく、付き合いで行くと言ったのに一人で行かされたようなものであり、「聞く以前の問題だ!」と電話で吐き捨てました。つううかマジ新世界大丸にはもう二度と行かない。

2018年7月11日水曜日

日本のスマホ決済に関する思案

 先日、知人の紹介で日本の知人関係者と会う機会が得られました。まだ中国に来て日が浅いとのことでしたが出会って第一声目に、「で、スルガ銀行はいつ破綻すると思う?」と聞きました。なおスルガ銀については私と大体同じ見方で、既に発表している特損が100億円だからその十倍の1000憶円はあるなということで一致しました。

 その後、中国についていろいろ話をしたのですが、個人的に興味を持ったのがこちらのスマホ決済についてでした。やはり使ってみて非常に便利だと感じたそうですがその一方で、「もし仮にスマホ決済が日本で普及したら、地銀は間違いなく死ぬことになるだろう」という見方を示しました。
 これはどういうことかというと、ゼロ金利政策によって法人向け融資業務ではほとんど利ざやが稼げない状況の中、地銀の収益は各種手数料によって支えられている面が大きいからです。仮にスマホ決済、それこそクレジットカード連動型のようなものが普及してしまうと地銀は手数料を完全に失うこととなり、たちまち経営が立ち行かなくなるということです。この見方は私も基本的に同意します。

 なおゼロ金利で経営が苦しいとメガバンクの連中は自分で言いますが、はっきりいますがこれはウソです。というのもメガバンクは外債を組み合わせた仕組商品を作ればどうとでも稼ぐことが可能で、ゼロ金利の影響を回避することが出来るからです。逆に地銀は外貨関連業務が制限されていることもあってこうした逃げ道が塞がれており、あまり指摘する人はいませんがゼロ金利政策自体が地方を大きく弱らせている原因になっているところがあります。

 話は戻りますが、「もう地銀なんて必要ないだろう」という意見を敢えて据え置いた上で、スマホ決済を日本でも普及させることが出来ないかなとしばらく思案してみました。最終的に出した結論は、クレジットカードではなく、各銀行発行のデビットカードと連動させる形ならまだありかもなという結論でした。

 まず初めに中国のスマホ決済について少し触れると、こちらは中国の銀聯カードと基本的に紐づいています。この銀聯カードは普通の預金関連機能のほか、店頭でのカード決済機能を持っており、実態としてはデビットカード、つまり預金額の範囲内で決済ができるカードとなっています。中国も今は条件も緩んでクレジットカードの発行も難しくないですが以前はやや条件が高く、また投機的な民族ということもあってか「預金額以上は使えない」ようにするため、こうしたデビットカード中心の機能にしたんだと思います。

 スマホ決済の場合、この預金額からスマホソフトウェアのウォレット内にお金を振り込みそこから小売店へ支払うか、デビットカード機能よろしく預金額から直接店舗へ支払うか、二種類から選びます。なおウォレット内の金額が決済額に対し不足してる場合、預金額からの直接支払いが自動的に選ばれます。
 割と味噌な点として、中国ではネット振込は10万元(約170万円)以下はタダで、基本的にほぼ全部無料で振込し放題です。だからこそウォレットのお金を出したり引いたりするのも気分次第だし、直接預金口座から支払うのもデメリットなしでできるからこそこれだけスマホ決済が普及したというところがあります。

 仮に日本でスマホ決済をする場合、それこそ現在の300円くらいする振込手数料を毎回取るようであれば、システムは存在しても普及することはないでしょう。ウォレットへの振込にも手数料を取る、それこそ1回10円程度であったとしても、お金減るのが嫌でスマホ決済を敬遠して現金にこだわる人が出てくるでしょう。
 そのため最近の日本のスマホ決済ニュースを見ていると、クレジットカードと連動する形のシステム案がよく書かれています。確かにクレジットカードなら消費者は振込手数料も取られたりしないで済みますが、その分システム加盟店は決済ごとにクレジットカード会社に売上げの一部が徴収されるわけで、ましてやJCBならともかく他のクレジットカード会社は外資で、まわりまわって日本の経済にはいいところなしです。

 私個人の私案は、敢えてクレジットカードとの連動を排除するというところから出発しています。まずスマホ決済のベースは既に市民権を得ているSUICAのシステムをベースにするべきだと考え、これに各銀行のデビットカードを紐づけ、手数料無料でソフトウェア内のウォレットへ送金ができるようにするというものです。
 この方法のメリットはまずSUICAは既にある程度認知、普及していること。次に「スマホ+SUICA+デビットカード」の組み合わせで規格が統一しやすいこと。最後に、地銀は手数料収入こそ失うものの口座顧客を失わずに済むということです。

 私がいま懸念しているのはスマホ決済との連動が、ごく一部のメガバンクのみに限定されるということです。仮にそうなればメガバンク口座でなければ連動できず、必然的に地銀の口座顧客は流出を免れ得ません。
 またメガバンクじゃなくクレジットカード連動であっても、やはりクレジットカード会社が儲かり、またクレジットカード会社を経由することでシステムの処理負担、個人情報流出のリスクの双方が高まります。なるべくなら安近短で「スマホ会社+中央システム+銀行」というくらい関連先は少ないに越したことはないでしょう。あとクレジットカードによる事業者側の負担軽減になれば。

 何故既存の銀行カードではなくデビットカードを推すのかというと、これなら既存の銀行カードを残したまま、新たなデビットカード規格を日本で統一して作れそうだという考えからです。無論、既存の銀行カードにこうしたスマホ決済機能を乗っけてもいいですが、この際だからスマホ決済に特化してSUICAと完全連動する、全銀行共通規格のデビットカードを作ってみた方が後々の発展性も得られるのではと思うところがあります。
 っていうかこっちいるとつくづく思いますが、なんで日本の金融機関はシステム方面の規格が全部バラバラなのか理解しがたいです。護送船団とか昔言ってたけど、ありゃ嘘だったなと内心思ってます。

 私の予想では日本のスマホ決済はやっぱりクレジットカード連動型で進むと思います。そしてそれにより、地銀業務はさらに減って地銀同士の統合は進んでますが、今後ますます地銀は苦しくなり、スルガ銀みたく消費者金融めいた仕事しないと生き残れなくなるかもしれません。
 もっともそれは中国の銀行も同じで、今や下手な地銀よりもスマホ決済大手のアリペイ、ウィーチャットペイの方が資金力などで凌駕しており、大手銀もかつては土日は行列が出来るのが当たり前だったのに、今店舗行くとガラガラです。時代の趨勢と言えばそれまでですが、どうせならこの変化を折にクレジットカード会社の影響力を弱めたいことから、今回ここで書いたデビットカード連動案を思いつきました。

  おまけ
 中国では最近、利用者が少ないからすごい勢いでATMが減っています。うちの近くの銀行支店も前まで4台だったのが2台に減りました。

2018年7月8日日曜日

不動産の2019年下落説

 先日にあんな記事を出しておきながら、このところの長雨によって復活したダニによって昨夜も体中をハチの巣にされて寝不足のまま日曜を迎えました。ちなみに「ハチの巣にしてやるぜー!」ってセリフは「野郎、ぶっ殺してやる!」と並んでなんか最近死語化している気がします。
 今夜はゆっくり眠りたいのと休みなのでいろいろ手段が講じられるため、また殺虫剤をベッドにかけまくる戦法を使った後で夕方に寝っ転がってみたら、寝不足のせいもあるのかめちゃくちゃ熟睡出来ました。真面目な話、この戦法を確立するまで真冬もダニに咬まれて睡眠が浅く、今までどれだけ寝ていなかったんだろうかとしばし考えました。

地価下落「2019年1月開始」説は本当か? 専門家も賛否両論(AELA)

 話は本題に戻りますが、このところ読んだ記事で一番面白かったのがこのリンク先の記事です。見出しからもわかる通りに、東京オリンピック開催の2020年を待たずに現在一応都市部限定で上昇を続けている日本の不動産価値は下落し始めるという予測について肯定、否定意見をまとめてありますが、見た感じだとその根拠に税制を挙げている点で、肯定派、下落するという予測が正しい気がします。

 具体的には記事に書かれていますが、不動産は購入から5年以内に売ると利益の約4割が税金に取られますが、5年超であれば半分の約2割に低減されます。この年数の基準は一律1月1日であることから、2013年の東京オリンピック開催が決まった年に不動産を仕入れた仕手筋は、2019年1月1日に5年超の基準を満たすこととなり、早めに売りに出すだろうという見方です。
 実際に私も今見ていて、日本の不動産の上昇ぶりは力強さよりも妙に不安定なまま高騰しているように見えます。言い換えれば需要の実体がないまま上昇しているような感じで、そもそも日本の不動産市場自体の歪な構造(値下がり率が極端に高い)ということと相まって、いくら五輪景気があるとしても何かきっかけがあれば来年から下がるだろうと考えています。

 なお最近のマイブームなのが、将来の移住先候補の奈良市で駅から徒歩20分の物件探しというのがあります。日本の場合、駅からの距離が5分刻み増加するごとに不動産価格が激しく低下していくため、徒歩20分ともなると第4段階にも入り、その広さや新しさに比べて極端に家賃などの値段が低くなります。
 何気に学生時代に住んでいた部屋は徒歩20分、それも追い抜くことはあっても追い抜かれることはない私の足で20分ですから、多分普通の人からしたら徒歩25分くらいかかる距離の部屋に住んでたのと、無駄に体力持てあましているので徒歩20分でもあんま気になりません。なので敢えてこの距離感で部屋を探していますが、奈良市ということもあってかなり安く、歩いた分だけ家賃って安くなるなと妙な得心を得ています。

 真面目な話をすると、こうした駅チカならぬ駅トオ物件を有効活用するためにも、市内中心部にもっと無料駐車、駐輪スペースを設けることも手段だと思います。私なんか自転車があればどこだって行けるだけに、安心して停められる、それこそ三日くらい置いてても大丈夫な屋根付き駐輪場があったらすごい助かるし、自動車ではなく自転車(レンタサイクルでも可)普及を促せば環境改善にもつながるし、「チャリライダーの楽園」みたいな都市構想をどこかしてくんないかと願うばかりです。

2018年7月7日土曜日

ネットの匿名性は議論を加速させるのか?

 どうでもいいけど双子の人がドッペルゲンガーを見た時は「三人目?」と思うのか、それとも普通に相方と間違えるのか凄い気になります。体験したことがある人いないかな。

「転職会議」に事実無根の投稿、苦悩する中小企業…削除のためには多大な労力と時間(弁護士ドットコム)

 上の記事と関連するのかやや微妙ですが、前から少しネットの匿名性と議論の関係性についてちょっと考えていました。結論から書くと、ネットで匿名性が確保されることによって議論が加速するかと言ったらそうでもなく、むしろ鈍化するパターンの方が多いと私は考えます。

 きわどいネタ、具体的には皇室関連の議論などは公の場では行いづらく、現実にインターネットができるまでは皇室の在り方について現在ほど議論されることはなかったでしょう。これに限らず不謹慎とされるネタ、著名学者にしか許されなかった歴史検証や非合法すれすれの行為の是非などについてはネットによって匿名性が確保されることで議論が以前より進み、社会にも一定度影響を与えたと考えます。
 その一方でそこまでタブー視されない議論、法律解釈や個人や組織批判に関しては、理性的な批判を展開する人も少なくないものの、やはりどっちかと言えば感情的な主張を展開する人間の方が多く、また物によっては明らかに事実と異なる内容を主張する輩もいることで、いくつかこのブログでも書いていますがいつのまにかデマの方が真実のようにネットで共有されるパターンも見受けられます。

 具体的な例を挙げると、何かの事件の犯人について、「勤務先はここだ」、「両親はこいつらだ」などと間違った対象をあげつらって批判するようなパターンです。そもそも周辺関係者をあげつらう時点でも間違っていますが、対象を間違えるに至ってはもはや救いようのない馬鹿で、よくもそのうかつさで今まで死なずにこれたものだとそっちのほう私は驚きます。
 このような勘違いじゃすまない間違いに基づく見方や意見は、匿名性があるから出てきている可能性があります。そもそも匿名性の最大の特徴は「報復されない」という自信から過度な攻撃性を強めるところにあり、だからこそあやふやなソースの情報でも真実と勘違いして攻撃の材料にしてしまうのだと考えられます。

 こうした人間が議論に参加することによって起こる結果としては、議論の質を下げる以外なく、そしてネット上の議論はやはりこの手のパターンが多い気がします。もっとも、先日ある記事のNewsPicksについたコメントを見ていましたが、明らかに全文読まずに見出しだけ読んで見当違いな批判をしている人間が実名と肩書付きでたくさんおり、匿名性だけが原因かと言ったらちょっとそうでもないかもという光景を見せつけられましたが。

2018年7月6日金曜日

麻原彰晃の死刑執行について

 もはや説明するまでもありませんが本日、一連のオウム事件の首謀者である麻原彰晃とその元弟子6人の死刑が執行されました。自分も趣味程度ですがこのオウム事件を追っかけてきていただけにいろいろな思いが込み上げてきたのと、時期としては適頃かなという感想を覚えました。

 いくつかの報道でも出ている通りに、今回の死刑執行タイミングは「平成が終わるから」というのが何よりも大きいと思います。そんな理由でと思う人もいるでしょうが、オウム事件を見て来たものとして言わせればやはりこの事件は平成という時代の枠の中で完結させなければならず、それは前例とか慣習などのなによりも優先すべき要素であると考えます。そもそもこのオウム事件自体、日本犯罪史上過去に例のない規模と内容で、なんか死刑執行数の多さについて大逆事件を引用している人もいましたが、私に言わせればあんなの比較にならず非常にナンセンスもいいところです。
 ただ、わかってはいたものの麻原と同時執行された6人の元弟子については感情が波立ちました。

高橋シズヱさんに法務省が電話 6人の名に「動悸した」(朝日新聞)

 こちらのインタビュー記事に応えるオウム事件の被害者の会代表の方もそうした感情について少し言及されていますが、果たして本当に死刑を執行しなければならなかったのか、元弟子たちにはそう思ってしまところがあります。恐らく彼らの来歴というかオウム真理教入信に至るまでの過程を知っている人間ほどこうした感情を覚えるのではないかと思え、本当にこの教団に係るまでは純粋に生きてきて、裁判過程の価値観の変遷過程などを見ても、生かす道はなかったのかと考えてしまいます。

 そう言いながらも、彼らが実行した行為は許されるものではなく、どれだけの改心があったとしてもけじめとしての刑執行も必要であるということも十分わかります。恐らく逆の結果だったとしたら、執行の道はなかったのかという問いを覚えていたと思え、どっちであっても悔いの感じる選択となっていたでしょう。このように考えた上で、今回の刑執行に関する政府判断を私は支持します。

 その上で、今回のニュースを見て平成の時代が終わりを迎えつつあることを強く実感しました。他の人はわかりませんがそれだけオウム事件が残した時代の色は濃く、そしてそれは今日の刑執行まではっきりと続いていました。この色は次代につなげてはならず、そういう意味では平成の枠内で終わらせる必要があったと、歴史マニアの立場からすれば強くそう感じます。
 恐らく若い世代はこのオウム事件そのもの自体が分からないという方も多いのではないかと思います。そうした世代にどのような事件だったのか、伝えていく努力が今後必要になると思うのと、残りの死刑判決者の時期について思いがいろいろ浮かんできます。

2018年7月5日木曜日

文科省汚職事件と加計学園

文科省汚職事件、そもそも私大「ブランディング」に政府助成が必要なのか?(ニューズウィーク)

 上の記事は前から密かに実力者だと評価していた冷泉彰彦氏のコラムですが、今回の文科省局長の前代未聞ともいえる裏口入学汚職事件について舌鋒鋭く批評しています。見出しにも掲げている通りにそもそも何故大学の「ブランディング」について政府が補助金を出すのかと制度自体に疑問を呈しており、意外と気づきそうで気づかない点を相変わらずうまく指摘していると感じ入っていたら、本丸はそのすぐ先にありました。

「ちなみに、話題になっている加計学園は2年連続で『対象校』に入選しており、加計孝太郎氏の経営する岡山理科大学は2016年に、同氏の妹が経営する吉備国際大学は2017年にそれぞれ対象校になっています。」

 素直に感想述べると、割とびっくりしました。
 東京医科大が当初落ちた選考に加計学園系列大学は一発で選定され、しかも制度開始から2年で選考もまだわずか2回しかしていないというのに、2回とも選定されているというこの事実について世間はどう見るか試されているような気すらします。

 そもそも上記に書いている通りこの補助金制度自体その意味があやふやというかお手盛り感が否めず、また記事中にもある通りに選定委員には補助金支給対象の私大関係者が入っており、利害相反なんて概念なぞこの世にないのではと思うくらいいい加減な体制で運営されています。っていうかほかのメディアに先んじてこういうの指摘する辺りやっぱこの人はすごいと思う。

 ただ記事の感想だけだとつまらないので今後の展開も予想しますが、鎮火しかかっていた加計学園問題がここにきてまた一気に火花をまき散らすかもしれません。ついでに書くとこちらの記事でも特集されているように自分も前から日本のGDP値は予想値、速報値、確定値の乖離が激しいことから疑っており、もし仮にそうであれば、今の政権は本当になんなのかと思えてきます。
 意外と今年下半期はあつくなるかもしれません。ついでに書くと、このタイミングは偶然か必然なのかと特捜に聞いてみるべきでしょう。

本当に報じるべき価値ある内容

駆逐してやる!私は中国のダニにこうして勝利した(JBpress)

 上の記事は毎度ながら昨日配信された自分の記事です。友人は大絶賛してくれましたがやはりダニ被害を経験している人じゃないと共感できない内容であることからアクセスはそれほど芳しくはなかったものの、書いてる間はめちゃくちゃ楽しく、「俺はこの記事を書くためにライターになったのかもな」と本気で思いました。またアクセス数に関してもある程度想定内であり、あと最近こういう中国の生活ネタが切れてたので、記事自体には満足しています。
 と、言いながらですが、本当はもっと報じるべき内容が実はありました。それは何かというと、取材先の取材対応です。

 記事末尾にフマキラー社のコメントとして、国によって害虫の体力というかタフさは異なり薬剤成分もアレンジが効いているということを書いていますが、これは前から確認したかった内容で、記事を企画した段階で聞こうと考えていました。いつもは電話取材をかけるのですがやや技術的な内容だと考え、またそこまで深堀するようなレベルでもないのでメールでちゃっちゃと聞いてしまおうと、実は最初にアース製薬にコンタクトを取りました。なのに何故アース製薬の名前がないかっていうと、返信は来ず無視されたからです

 ここだけの話、メールでコンタクト取っても梨の飛礫(漢字にすると迫力あるな)ってことはこれまでにも何度もありました、っていうか人材派遣会社においては返事くれる方がむしろレアでした。しかし、いわゆる一般大衆消費者向け商品ことコンシューマー商品メーカーでこのような対応を受けたことはこれまでになく、なかなか返事が来なかった間は怒りよりも「なんで(。´・ω・)?」とばかりに疑念の方が強かったです。もちろん現在も何も返事なんて来ていませんが、コンシューマー品のメーカーでこんな広報対応で大丈夫なのかと、強いリスクすら感じます。

 そんなわけでお鉢が回ってきたのがフマキラー社でした。ちなみに最初は金鳥こと大日本除虫菊社にコンタクト取ろうとしたら、ここはホームページにメールアドレスはおろか問い合わせフォームすらなく、しょうがないからと一回電話かけたのが大阪で地震があった日でつながらなかったのでもう諦めました。
 話はフマキラー社ですが、ここはメール出したら割とすぐ返事くれました。ただ意外だったのは、その返信元がフマキラー社じゃなかったということです。どういうことかというと、フマキラー社は広報業務をあるコンサル会社に全部丸投げしていたようです。

 これも返信メールを見た際は質問の回答内容よりもその返信元クレジットの方に目が行き、一瞬の間にものすごい疑問が湧き出てきました。まずは何故広報が外注なのか、害虫対策品メーカーだからか。次に何故こんなクレジット、せめて社名だけでもフマキラー社と名乗ればいいのに。最後にコンシューマー品メーカーが広報を外注に任せているのか、やはり害虫だからか……というぐあいで堂々巡りしてきました。
 この件を友人に伝えたところ自分以上に強い反応を示し、「もしフマキラーの株を持っていたら速攻で全部売り飛ばす。真面目に正気の沙汰とは思えないことをやってる」とまで言いました。ただ、私も友人の意見に同感です。

 また回答内容も、サイトの紹介ページを示すだけでそれほど深いと感じる内容ではなく、言ってしまえば如何にもお決まりな返信内容で、広報的にも優れたものではありませんでした。返信しておいてもらってなんですが、真面目にフマキラーは大丈夫なのかと今でも強い疑念を感じます。
 これが例えば小さい会社とかベンチャー企業、あとあまり広報が強くない飲食関連企業とかならわかりますが、全国各地のスーパーに商品が並ぶコンシューマー品を扱うメーカーがこんな広報体制だったなんて、正直アース製薬の対応と合わせてこっちの方がニュースです。そしてはっきり言いますが、もし何か事が起こった場合のリスクに対して非常にもろい体制だと言わざるを得ません。

 ちょうど日大の問題で危機管理が話題になっていることから、以前にもこのブログで書いたような、企業の危機管理最前線である各社広報の違いや見極めのポイントなどをまとめて本にしようかとも今回の一件で思いましたが、そもそも書籍化する出版社のつてがないためすぐにいいやって気に戻りました。ただ今回の一件を通して想像以上に日系企業は、大きい会社であっても危機管理の弱いのではと強く感じ、多分今後も日大みたいなオウンゴールでハットトリックを決めるような会社がでてくるのではないかと思います。

2018年7月3日火曜日

一発でブチ切れた誤変換

 本業がライターでもないのに毎日恐ろしいくらいキーボードを叩いている私ですが、せっかちな性格も相まってミスタイプする数も非常に多いです。一方、正しく入力しているものの漢字がご変換されることも少なくないのですが、以前に「設計」と入力しようとして「せっけい」と打ち込んで変換したところ、それまで一度として、っていうか普通の人生でまず変換することは今後もないだろうと思う「雪渓」という単語がいきなり出てきたことがありました。
 なんかその時は仕事も忙しくてめちゃくちゃイライラしたこともあってか、職場でありながら「んだとてめぇこの野郎!」って、モニタに向かってリアルに悪態つきました。っていうか普通にこんな単語が真っ先に、しかもそれ以前はほぼ確実に「設計」と表示されていただけに半端なく頭に来ました。

 恐らくこうなった原因は、使用しているパソコンのOSが英語ベースになっているせいだと思います。日本語ベースと比べると同じIMEの日本語入力システムと比べても変換がおかしいことが多く、わざと作業を妨害しているのではないかと思うくらいに誤変換を連発することもあって非常に神経を削られます。
 今日なんか、昨日は夜遅くまで残業してへとへとだったこともあり早く上がってうどん食って帰ってきたこともあり余裕ありますが、本気で披露している時にこういったしょうもない、っていうかあり得ないご変換されるとダメージがでかいです。あと中国語使用のキーボードだとカギ括弧の記号のキー位置もずれているので、これも地味にイライラします。

 最後に全く関係ないですが、自宅キーボードの「K」のキーはほぼ毎回印字が削れて見えなくなってしまいます。これは右手中指の戦端でいつもKのキーを叩く癖があり、爪が伸びているとそのまま印字を削ってしまうからで、他のキーではそんなことないのに毎回Kのキーだけまっさらになってしまいます。ホームポジションとかもうちょっと見直した方がいいのかもしれません。

下ネタなきギャグマンガ

 現在「かぐや様は告らせたい」というギャグマンガを新刊が出るたびに購入して読んでいますが、今度この作品もアニメ化するそうです。つい先日までアニメが放送され好評だったという「ヒナまつり」もそうでしたが、「かぐや様~」も一目見て「ああこれは将来アニメ化するほど人気出るだろうな」とはっきりわかるくらい優れていると思うので、今回のアニメ化発表についても驚かないというか、もっと早くてもよかったのではないかとすら思います。

 この漫画のどこが優れているのか私見で述べると、話によってボケ役とツッコミ役がはっきり入れ替わる点だと思います。大体どのギャグマンガでも毎回ボケるキャラと、それに対してツッコミを入れるキャラという役割が作品を通して固定されますが、このかぐや様に限ってはそうではなく、前の話で終始おかしな行動をとっていたキャラが、別の話ではズレた発言をする他のキャラへのツッコミ役に回ることが珍しくなく、各キャラそれぞれの世間ズレした感覚を別の視点から指摘し合うともいうような後世のなされ方がされています。
 あとがきなどを見ていると割とじっくり考えこんで話を作る作者だと思えるため、上記の構成ももしかしたらはっきりと意識して行われているのではないかと考えています。もっとも主人公の四宮かぐやに限っては、世間ズレが激しくどの話でもほとんどボケキャラに回っているところがある気がしますが。

 話は戻りますがさきほどの「ヒナまつり」ともどもこちらの「かぐや様」も、ギャグマンガでありながら全くと言っていいほど下ネタが存在しない点が共通しています。普通、ギャグマンガと言ったら下ネタがつきものという時代がありましたが昨今はなんかそうでもなく、こうした要素を排除したギャグマンガの方がもはや多くなっている気すらします。
 単純なセールスの観点から言っても、下ネタが入ると女性読者からはまず間違いなく敬遠されるため、熱烈な読者層を囲い込むつもりでなければ排除した方がプラスに決まっています。しかし下ネタなしでギャグマンガを作るとなるとこれまた一工夫いるわけで、その点でさっきの二作品はどちらもうまく昇華して成功していると言えるでしょう。

 この手の下ネタが全くないギャグマンガで私が最も印象深いのは、90年代に月間ジャンプで連載されていた八木教広氏の「エンジェル伝説」ですが、ある意味この作品がこうした下ネタ排除の漫画の特徴を一番抑えていると思います。この作品は強面だけど実際は心優しい男子高校生を主人公にした作品で、その主人公が周囲からもたれるイメージと、実際の誠実な心根した行動のギャップが面白さにつながっているのですが、この周囲から見られるイメージと実際の行動とのギャップというかズレが、こうした系統のギャグマンガに多い気がします。
 先ほどの「かぐや様」なんかは典型的で、「ヒナまつり」においては大体どの回も神回に化すと言われる「瞳さん回」は、このような周囲の認識と本人の意識・行動のギャップが主軸になっています。逆を言えばこの点が人間にとって笑いを誘うポイントなのかもしれません。

 最後に余談ですが、こっちで家にいて暇だから電子書籍で漫画買いまくってたら、新規に買いたいと思うものがもうなくなってしまって地味に困ってます。今まで買っておきながら数年間開封すらしていなかった「信長の野望 革新」も遊んでみましたが、なんか自分的にはしっくりこず、むしろこの際だから「天翔記」を買いなおして遊ぼうかとすら思っており、地味にエンタメに飢えてきています。
 もっとも現在持っているゲームの中でも「パワプロ2016」なんかはまだ遊び倒しておらず、マイライフをこのまま続けていくのが財布的にも無難そうです。なおこの「マイライフ」モードで私が使うキャラには何故か「オエェ-ッ」って名前を付けて、会話が出るたびに「オエェ-ッ、飯でも食わないか?」などと、みんなえづいてから話しかけるカオスな世界が広がっています。

2018年7月1日日曜日

米中関税摩擦の日本への影響

 詳しくは次の水曜のJBpressで出す記事に詳細を書いていますが、このところ、真面目に数年ぶりと言っていいくらいに毎夜安心して寝られることから体力が戻りつつあります。一方、感覚の変化からなんかブログ記事の質がおかしくなっていましたが、今日久々に感覚を取り戻したというか、てんかんキャリア的に言えば電気信号がよく通るようになったので、久々にまじめな時事ネタ且つ専門分野でもある米中関税摩擦に置ける日本への影響について自分の見解を書きます。
 結論から書くと、不安視する意見や報道が多いですが私個人としてはこれは日本にとって漁夫の利を得る大きなチャンスに見え、腰砕けな能書きばかり垂れてないでチャンスをものにする前向きな意見が欲しいといったところです。それにしても、かつて専門だと主張したのは国際政治でしたが、最近はすっかり経済・税務・コンプライアンスになってしまったのは自分でも歯がゆいところです。

 解説に移りますが、今回槍玉に挙げる米中関税摩擦とはトランプ大統領が米国の膨大な貿易赤字の解消、並びに製造業の米国内回帰を掲げて公約に挙げていた、対米輸出への関税引き上げ政策に端を発します。これは中国に限らず日本やEUなども対象で、すでに一部除外項目を除き鉄鋼の関税を引き上げることを決定しています。今後も引き上げ品目を拡大する方針を示しており、日本もEUとともにWTOの理念に反すると批判に加わりました。
 先ほどは「中国に限らず」とは書いたものの、今回の米国の関税措置が中国からの輸入品を念頭に置いていることには間違いありません。また深圳のエレキメーカーであるZTEへの半導体輸出禁止など個別策も打ち出しており、これに対して中国側も反発して米国からの輸入品に対して報復関税を出すことを決め、先週にも品目リストが一斉に発表されました。実質的に関税を軸に米国と中国は戦争状態にあり、今後の帰結はどうなるのか、政治妥結するのか、それとも両国ともに関税競争がエスカレートするのか予断を見せない状況ですが、今しばらくは後者のエスカレートが続くとみられます。

 こうした米中の関税摩擦について日系メディアは、「日本も巻き込まれて痛手を食う」という分析がやや支配的だなと感じます。実際に株価は影響を食らってやや下がり気味で、為替にもいくつか影響は出ていますが、私自身は非常に楽観視しています。その理由というのも、米国からの輸入分の埋め合わせとして日本製品入り込む余地が広がる可能性が高いとみているからです。

 米国の関税政策は中国のみならず日本も入れられていますが、中国の報復関税の対象は米国のみであり、日本やその他国々は含まれていません。また中国の米国輸入品の多くは食料などで、これらの代替輸入先の確保はそこまで難しいとは思えず(半導体関連を除き)、現状では中国側がやや有利な状況と私は見ます。また米国内でもハーレーダビッドソンが、「こんなんじゃやってらんない」と、米国内回帰どころか欧州への生産移転を発表するなど、逆方向への効果が起こるなど米国にとって不利な状況がどんどん起きています。

 第一、今回の米国の急な関税引き上げは明らかに国際秩序を乱すものであり、理念的にも日本が応援する義理はなく、かつてでこそ中国もレアアース輸出規制をやらかしはしたものの、今回に限っては中国や欧州とともに日本も米国を批判するべき立場に回るべきです。同時に、これを機に中国へ売り込みをかけ、米国製品を締め出してそのお株を奪うべきでしょう。
 具体的な製品を挙げると、一番狙い目なのはエタノールやゴムといった化学原料、次に完成自動車、そして最後に食料といったところです。何気に日本は中国と距離面で圧倒的な有利があり、代替輸入先として手を挙げることでこれまで米国から輸入してきた分をそっくりそのまま得られるチャンスが大いに広がっています。また中国側もこのところの米国との貿易摩擦を受けて日本との関係構築に目を向けてきており、先日の李国強総理の日本訪問もそうした期待があってのものとみて間違いありません。将来的にはどうなるかわからないものの、今この場は商売に徹して中国と関係を深めるべきだというのが私の考えです。

 既存メディアについてはどうして上記のような視点が一つも出てこないのか、そもそも米中貿易摩擦にどう巻き込まれるのかがどこも具体指摘しておらず見ていてイライラを通り越して、ここまで日本には人材がいないのかと不安になってきます。米国の完成自動車輸入関税引き上げについても、1社だけまさに同じ指摘をしていましたが、現時点で日系メーカーは米国現地生産率が高いため、この関税引き上げでダメージを負うのは米国に工場のないマツダくらいでしょうに。

 何もこの件に限るわけじゃないですが、状況の変化をマイナスと見るかプラスと見るか、この一点でも人間の良し悪しはわかってくるでしょう。無論、上記の私の見解もあくまで「チャンス」であり「現金」ではなく、実現するかどうかは今後によるものの、チャンスと捉えて行動をするか、チャンスだと気づかずに見過ごすかでは過程は大きく変わるものです。この点、やはり日本は全体としてもうチャンスをチャンスとして見られなくなっているのかという懸念ももたげます。

中小企業に対する目の変化

 いつも日本の問題点ばかり挙げているのでたまには今後の日本にとって希望が見える点を挙げようかなと考えた際、真っ先に浮かんできたのは見出しに掲げた中小企業に対する社会の目の変化でした。具体的には、以前ほど中小企業が大事だ、保護しろとは言わなくなり、やや怜悧になってきているという意味で、長い目で見ればこれは明るい材料だと考えます。

 2000年前後、一部地銀の破綻が相次いだ時期によく、「日系企業の大半は中小企業だ」、「日本を支えているのは中小企業だ」、「これを保護しないとえらいことになるぞ」みたいなフレーズが大手メディアを中心に盛んに喧伝されました。その後、竹中平蔵氏が金融担当大臣になって各銀行に厳しい締め付けを行ったことによって貸し剥がしが多くなると先ほどのフレーズは勢いを増し、中小企業を潰す竹中大臣は悪の権化だと言わんばかりに批判され続けました。
 なお竹中氏もこの時のことは結構根に持っていたのか、「三年で不良債権を半減化すると言ったら野党はできるはずないと批判したが、実際に二年半で私はやってのけた」と雑誌のインタビューで答えています。ただこの件については私も野党の肩を持つというか、実現不可能だと思われたことを有言実行してしまった竹中氏の方が凄すぎたと思います。

 話は戻しますが、当時が当時だったのかもしれませんがここ最近においては中小企業の保護なんて言葉はほとんど聞かれなくなりましたし、むしろ潰れるなら仕方ないというような雰囲気すら感じます。
 現実に苦境に陥っている中小企業は単純に経営能力が低いからこそ苦境に陥るわけで、そう言った起業を救済することは社会全体の経済効率を下げるのに努力するも同然です。この辺、みんな大好きアトキンソンことデービッド・アトキンソン氏がこっぴどく主張していますが、日本はダメな経営者が多すぎて足を引っ張ってるとはまさに金言でしょう。こうしたアトキンソン氏のような考え方というか真理が、徐々に一般社会にも広がってきているのかもしれません。

 翻って中国の話をすると中国は中小企業の保護を叫ぶどころか、「潰せ、一匹残らず!」と言わんばかりの行動をとっています。具体的には「ゾンビ企業」と揶揄して、キャッシュ・フローがマイナスにもかかわらず銀行などの融資によって生きながらえている企業はむしろ率先して潰すか、同業他社へ売却するべきという方針を取っており、特に採算割れしている国有企業らがターゲットになっています。はっきり言いますが、日本よりも中国の方がこの点では賢かったでしょう。

 そもそも、実力のある中小企業は国が保護しなくても十分一人でやってけるうような企業達ばかりです。国が保護しなければならないという点でその中小企業には問題があり、たとえ従業員が路頭に迷うとしても彼らを救うために日本全体を沈没させてはまるで意味がなく、そんな意味のない行動を90年代に率先して行ってきたというのが失われた十年の根本的原因でした。
 幸いというかそうした腐った価値観はこのところはどうも駆逐されてきたように思えます。いわゆる地元斡旋型の議員が減ってきたということもあるでしょうが、国会議員も地方再生こそ口にするものの、むやみやたらに中小企業の維持や保護を叫ぶ人は減っています。またブラック企業問題も相まって、問題のある会社はむしろ淘汰すべきという価値観も社会全体で共有され始めてきたと言っていいでしょう。

 こうした価値観の変化は日本にとってプラスでしょうが、20年前に到達すべき点でもありました。今更とはいえ、アトキンソン氏のようにもっと強く且つ過激にこうした意識を高め、「駄目な中小経営者は殺せ、生かして返すな!」ぐらいの熱意をもって淘汰に動くべきというのが、私個人の意見です。