・元赤軍派議長塩見さん死去=よど号ハイジャックで服役(時事通信)
前略、上記ニュースを見て職場でありながら今日ずっとイライラしていました。理由は何故かというと、今回死んだ塩見孝也に対して「~さん」づけしているのが気に入らなかったからで、「さんをつけてんじゃねぇよこのデコ助野郎!」などと某健康優良不良少年のような気持ちになりました。
知ってる人には早いですがこの塩見孝也は山岳ベース事件、あさま山荘事件を引き起こした連合赤軍の源流となった赤軍派を立ち上げた張本人です。もっとも上記の二つの事件については「自分は関係ない」と主張しており、この主張自体については私も彼の預かり知らぬところで起きたものだと考えて関係ないとみています。
ただそれ以前にこの人、内ゲバでわざわざ関西から関東くんだりまで来て何人もの敵対組織の活動家襲撃を主導、実行しており、ぶっちゃけこの人のせいで死んだ人間は一人や二人どころではないでしょう。私に言わせればよど号事件なんて計画しただけで未遂に終わっており、この人の罪業を考える上ではどうでもいい些末な話な気がします。
極めつけに私がこの人の一番嫌っている点は、60歳を超えるまで生活費はすべて支援者のカンパで暮らしており、60歳超えてから初めて駐車場管理の仕事をやって、真っ当な労働の対価もこの時初めて得たことです(しかもそのことを「初めて労働を知る」的にブログに書くし)。ほとんどまともに労働せず社会に対し一切貢献しないでおきながら「労働者のために革命を起こさねば……」などとほざき、何人もの殺人に関わってきたというのが私の塩見孝也評です。
現実に彼は逮捕、懲役を受けた紛れもない前科者です。その上で思想犯と呼ぶにはあまりにも稚拙で行動が伴っておらず、しゃらくさい表現せずにはっきり言えばクズそのものだと私は考えています。そんな塩見孝也をいくらくたばったからといって「さん」づけはありえないと思え、前科者という点を見逃すとしても実質公人的な立場であることから呼び捨てで十分でしょう。リンク先記事を書いた事実の記者は一体なんなんだ、極左活動でもやってたのかと言いたくなるほど見るだに腹が立ちます。
もっとも、恐らく私の年代でこの塩見孝也にこれだけ反応するというか、彼の来歴について始めから一定の知識を持っている人間はまず他にはいると思えず、同年代に生まれていたら本当に自分はどうなってたんだろうなとこの記事読み返していてつくづく不安になってきます。体育会系のノリには激しく嫌悪するから、意外とあっさり活動から抜けてるかもしれませんが。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2017年11月15日水曜日
2017年11月14日火曜日
日馬富士の暴行事件について
ようやくブログ書けるくらいに気力と体力が回復したので今日からブログ再開です。にしても日本滞在中は本気でこっちを殺しにかかってきていると思うスケジュールだった。
さてあまり負担にならないように時事ネタですが、大相撲の横綱日馬富士がやらかしたそうです。十月に貴ノ岩をビール瓶で殴打していたそうで、怪我の具合から判断するに一度ではなく複数回殴打しているようで、休場にまで持ち込むというか頭蓋骨骨折にまで至っています。現時点で判断するのは早計かもしれませんが、内容が内容なだけにこのまま引退が勧告されることとなると思います。昔から贔屓にしていた力士なだけに残念ですが、「金星マシーン」とまで言われているだけに潮時でしょう。
このほか気になる点を挙げると、この事件を黙っていたのは誰なのか。日馬富士と貴ノ岩が恐らくは事件をうやむやにするため黙っていたことは間違いないですが、果たして相撲協会はいつ知ったのか。仮に事件発生当初からわかっていながら今日メディアに報じられるまで黙っていたとしたら呆れる限りなのですが、貴ノ岩が部屋の親方である貴乃花に、あれだけの怪我であることから詳細を黙っているとはやや思えず、もちろん確証こそないものの相撲協会ももしかしたら知っていたのではないかと私は見ています。この辺はおいおい、今後の報道で分かってくることでしょう。
あともう一つ気になったこととしては、ビール瓶で殴ったことからどうも傷害罪として立件されそうだと報じられていますが、芸能界だったら和田アキ子氏が出川哲郎氏とか相手にビール瓶でしょっちゅう殴ってそうなイメージはあるけどこれは刑事事件なのかなと気になりました。少なくとも和田氏はかつて出川氏を真冬に全裸でベランダに放置したことがあり、この件について番組内で弁護士ははっきりと「殺人未遂」であると評しており、余罪を挙げたらきりがないのではと思います。
まぁ彼ら芸能人の場合、死ななければある程度は許されるしネタ的なところもあるので、本気で刑事だ民事だどうだというつもりはさらさらありませんが。
さてあまり負担にならないように時事ネタですが、大相撲の横綱日馬富士がやらかしたそうです。十月に貴ノ岩をビール瓶で殴打していたそうで、怪我の具合から判断するに一度ではなく複数回殴打しているようで、休場にまで持ち込むというか頭蓋骨骨折にまで至っています。現時点で判断するのは早計かもしれませんが、内容が内容なだけにこのまま引退が勧告されることとなると思います。昔から贔屓にしていた力士なだけに残念ですが、「金星マシーン」とまで言われているだけに潮時でしょう。
このほか気になる点を挙げると、この事件を黙っていたのは誰なのか。日馬富士と貴ノ岩が恐らくは事件をうやむやにするため黙っていたことは間違いないですが、果たして相撲協会はいつ知ったのか。仮に事件発生当初からわかっていながら今日メディアに報じられるまで黙っていたとしたら呆れる限りなのですが、貴ノ岩が部屋の親方である貴乃花に、あれだけの怪我であることから詳細を黙っているとはやや思えず、もちろん確証こそないものの相撲協会ももしかしたら知っていたのではないかと私は見ています。この辺はおいおい、今後の報道で分かってくることでしょう。
あともう一つ気になったこととしては、ビール瓶で殴ったことからどうも傷害罪として立件されそうだと報じられていますが、芸能界だったら和田アキ子氏が出川哲郎氏とか相手にビール瓶でしょっちゅう殴ってそうなイメージはあるけどこれは刑事事件なのかなと気になりました。少なくとも和田氏はかつて出川氏を真冬に全裸でベランダに放置したことがあり、この件について番組内で弁護士ははっきりと「殺人未遂」であると評しており、余罪を挙げたらきりがないのではと思います。
まぁ彼ら芸能人の場合、死ななければある程度は許されるしネタ的なところもあるので、本気で刑事だ民事だどうだというつもりはさらさらありませんが。
2017年11月8日水曜日
「忖度」という中国語
また内緒で昨日まで日本に一時帰国していましたが、正直散々な滞在でした。短い日程ながら企業関係者を含め多くの人間と会っては移動してを繰り返し、移動距離やスケジュールの過密ぶりはもとより普通に漫画喫茶で寝泊まりするなど体力消耗が著しく激しい日程でした。
こうした元の計画日程自体は企図時点である程度想定していたため、タイトではあったもののこれだけだったら特に問題はなかったと思います。問題となったのは周りの人間が過密スケジュールの網の目を縫うかのようにこちらが預かり知らぬ予定を勝手に突っ込んできたり、当初私が計画していたスケジュールを変更、先送りしてきたことです。
非常に過密なスケジュールであったことから自身の休養や、想定外の事態への対応のため敢えてフリーな予備日程をいくつか設けていましたが、こうした予備日程を狙うかのように山登り(ロープウェーだが)や図書館巡りなど興味がなく、体力や神経を無駄に削る予定を隙間なく次々と入れられ、また予備日程のなるべく早い時期に行おうとしていた手続きなどは次々と後回しにされていきました。周囲の人間も悪気はなく自分をもてなそうというつもりでやっていることはわかっているから自分も嫌な顔せず(一回だけはした)に応じていましたが、予定が先送りされてどんどん後ろにたまっていく中、最終日の予備日程まで予告なしに悉く潰され(嫌な顔はこの時一瞬だけした)、相手の顔を立てるため一応我慢して笑顔で付き合いましたが頭の中ではこの時、帰国準備に使える時間を必死で計算していました。
結果、荷造りから帰国途出発までわずか20分しか持てず、また疲労困憊な上にストレスフルな状態で頭もおかしくなってるから何かしら洩れがあるだろうと想定していた通りに忘れ物があり、またどう考えても必要でない荷物を半ば無理やり持たされたため当初購入を予定していたお土産も買えなくなりました。
先にも書いた通りに周囲は悪気はないと思ってずっと我慢していましたが帰国途中、すでに荷物パンパンなのに最後の最後で思い付きで持たされたとしか思えないパスコの菓子パン2本に対して、これさえなければ荷物が軽減され別のお土産も買えたと思うだに憎悪が集中し、電車や飛行機の中で「クソっ、菓子パン、クソっ」と、ストレスで右目が半分くらい見えなくなっている状態でずっと呟き続けていました。最終的には上海の自宅に着くや、あまりにもその存在自体が憎らしいことから鞄から菓子パン2本を引っ張り出すと袋入りのまま全力で壁に向かって投げ叩きつけ、そのままごみ箱に捨てました。壁に叩きつけた際はパーンと高い音が鳴りましたが、自分が食べ物に対しこれほどまで粗末に取り扱ったのは初めてかもしれません。
こんな具合で未だに呼吸すらだるく判断力もほぼない状態(四則計算もなんか怪しい)に追い込まれるほど憎々しい滞在でしたが、2年ぶりに会ってきた友人とは楽しい時間を過ごせたとともに、非常に面白いお土産をいただけました。
・お中元ギフト「忖度まんじゅう」のご案内(ヘソプロダクション)
・『忖度まんじゅう』まさかの関西土産に。「世の中のニーズを忖度しました」(ハフィントンポスト)
その友人がくれたお土産というのも上記の「忖度まんじゅう」で、「花園さんにはこれしかないと思って持ってきました」と自分の趣味をしっかり押さえて持ってきてくれました。自分もこのまんじゅうは面白いと思い、ぜひ他の人の反応を見てみたいと思って今日会社に持って行って配りましたが案の定好評で、日本語のわかる中国人スタッフすら、「これ持ってきたの花園さん?」と聞いてきました。
そこでふと今年の流行語間違いなしのこの「忖度」という言葉は中国語にもあるのかなと思って今日調べてみました。結論から言うとありました。
中国語で「忖度(cǔn duó)」の意味は日本語と同じく、「人の意思や判断を推し量る」という意味や、単純に「(長さや重さを)推し量る」という意味もあり、現代語ではなく古語となっています。出典の中には三国志の曹操の言葉もあり引用すると、
《诗·小雅·巧言》:“他人有心,予忖度之。”
三国 魏 曹操 《让县自明本志令》:“或者人见孤彊盛,又性不信天命之事,恐私心相评,言有不逊之志,妄相忖度,每用耿耿。”
《资治通鉴·汉献帝建安二十四年》:“忖度操意,豫作答教十馀条。”
郭沫若 《虎符》第二幕:“我转来的意思, 侯生 先生,你怕多少可以忖度吧?”
(「忖度_百度百科」より引用)
中国の古典なのでいまいち意味が取れませんが三番目は恐らく、「資治通鑑(歴史書)・漢の献帝時代の建安24年:(曹)操の意を忖度し、十余条の答えを事前に作った」と訳せ、恐らく三国志に出てくる楊修のエピソードのことを書いていると思われます。
忖度という言葉が日本で流行していることについては中国でも報じられており、日本新華僑報という新聞にも、「もし日本語に接していなければ、この『忖度』という中国の古語を知ることはなかったろう」というコラムが掲載されてて読んでてなんか笑えました。
この新聞コラムに限らず、中国人の個人ブログなどでもモリカケ問題と絡めて忖度という言葉を紹介する記事が見かけられます。そうしたコラムでは忖度について「空気を読む」日本人ならではのという風に「忖度=空気を読む」という具合で紹介されていますが、大きな間違いではないものの、厳密には分けた方がいいかなという気が私にはします。
「空気を読む」という行為も相手の意思や判断を推量してそれに敢えて合わせるという意味になりますが、空気を読む場合はどちらかと言えば「多人数の集団の意思」が合わせる対象な気がします。一方、忖度というのは基本一対一で、「たった一人の特定個人の意思」が合わせる対象であると私には思え、敢えて言うなら「空気を読む」をより限定した用法である気がします。でもって日常ではしょっちゅうこうした事態が起こるのに適切な言葉がないというところ、この「忖度」が彗星の如く登場したことから日本人としては痒い所に手が届く言葉で、「よくぞ来てくれた」的に一気に普及したと考えるわけです。
このように考えると初めてこの言葉を公(?)で使った森友学園の土地買収に絡む官僚は、日本の国語発展において偉大な一歩を刻んだと改めて思います。よく官僚の答弁や報告書、通達に使われる独特な言い回しのことを「霞ヶ関文学」と言いますが、あながち捨てたものでもないでしょう、
こうした元の計画日程自体は企図時点である程度想定していたため、タイトではあったもののこれだけだったら特に問題はなかったと思います。問題となったのは周りの人間が過密スケジュールの網の目を縫うかのようにこちらが預かり知らぬ予定を勝手に突っ込んできたり、当初私が計画していたスケジュールを変更、先送りしてきたことです。
非常に過密なスケジュールであったことから自身の休養や、想定外の事態への対応のため敢えてフリーな予備日程をいくつか設けていましたが、こうした予備日程を狙うかのように山登り(ロープウェーだが)や図書館巡りなど興味がなく、体力や神経を無駄に削る予定を隙間なく次々と入れられ、また予備日程のなるべく早い時期に行おうとしていた手続きなどは次々と後回しにされていきました。周囲の人間も悪気はなく自分をもてなそうというつもりでやっていることはわかっているから自分も嫌な顔せず(一回だけはした)に応じていましたが、予定が先送りされてどんどん後ろにたまっていく中、最終日の予備日程まで予告なしに悉く潰され(嫌な顔はこの時一瞬だけした)、相手の顔を立てるため一応我慢して笑顔で付き合いましたが頭の中ではこの時、帰国準備に使える時間を必死で計算していました。
結果、荷造りから帰国途出発までわずか20分しか持てず、また疲労困憊な上にストレスフルな状態で頭もおかしくなってるから何かしら洩れがあるだろうと想定していた通りに忘れ物があり、またどう考えても必要でない荷物を半ば無理やり持たされたため当初購入を予定していたお土産も買えなくなりました。
先にも書いた通りに周囲は悪気はないと思ってずっと我慢していましたが帰国途中、すでに荷物パンパンなのに最後の最後で思い付きで持たされたとしか思えないパスコの菓子パン2本に対して、これさえなければ荷物が軽減され別のお土産も買えたと思うだに憎悪が集中し、電車や飛行機の中で「クソっ、菓子パン、クソっ」と、ストレスで右目が半分くらい見えなくなっている状態でずっと呟き続けていました。最終的には上海の自宅に着くや、あまりにもその存在自体が憎らしいことから鞄から菓子パン2本を引っ張り出すと袋入りのまま全力で壁に向かって投げ叩きつけ、そのままごみ箱に捨てました。壁に叩きつけた際はパーンと高い音が鳴りましたが、自分が食べ物に対しこれほどまで粗末に取り扱ったのは初めてかもしれません。
こんな具合で未だに呼吸すらだるく判断力もほぼない状態(四則計算もなんか怪しい)に追い込まれるほど憎々しい滞在でしたが、2年ぶりに会ってきた友人とは楽しい時間を過ごせたとともに、非常に面白いお土産をいただけました。
・お中元ギフト「忖度まんじゅう」のご案内(ヘソプロダクション)
・『忖度まんじゅう』まさかの関西土産に。「世の中のニーズを忖度しました」(ハフィントンポスト)
その友人がくれたお土産というのも上記の「忖度まんじゅう」で、「花園さんにはこれしかないと思って持ってきました」と自分の趣味をしっかり押さえて持ってきてくれました。自分もこのまんじゅうは面白いと思い、ぜひ他の人の反応を見てみたいと思って今日会社に持って行って配りましたが案の定好評で、日本語のわかる中国人スタッフすら、「これ持ってきたの花園さん?」と聞いてきました。
そこでふと今年の流行語間違いなしのこの「忖度」という言葉は中国語にもあるのかなと思って今日調べてみました。結論から言うとありました。
中国語で「忖度(cǔn duó)」の意味は日本語と同じく、「人の意思や判断を推し量る」という意味や、単純に「(長さや重さを)推し量る」という意味もあり、現代語ではなく古語となっています。出典の中には三国志の曹操の言葉もあり引用すると、
《诗·小雅·巧言》:“他人有心,予忖度之。”
三国 魏 曹操 《让县自明本志令》:“或者人见孤彊盛,又性不信天命之事,恐私心相评,言有不逊之志,妄相忖度,每用耿耿。”
《资治通鉴·汉献帝建安二十四年》:“忖度操意,豫作答教十馀条。”
郭沫若 《虎符》第二幕:“我转来的意思, 侯生 先生,你怕多少可以忖度吧?”
(「忖度_百度百科」より引用)
中国の古典なのでいまいち意味が取れませんが三番目は恐らく、「資治通鑑(歴史書)・漢の献帝時代の建安24年:(曹)操の意を忖度し、十余条の答えを事前に作った」と訳せ、恐らく三国志に出てくる楊修のエピソードのことを書いていると思われます。
忖度という言葉が日本で流行していることについては中国でも報じられており、日本新華僑報という新聞にも、「もし日本語に接していなければ、この『忖度』という中国の古語を知ることはなかったろう」というコラムが掲載されてて読んでてなんか笑えました。
この新聞コラムに限らず、中国人の個人ブログなどでもモリカケ問題と絡めて忖度という言葉を紹介する記事が見かけられます。そうしたコラムでは忖度について「空気を読む」日本人ならではのという風に「忖度=空気を読む」という具合で紹介されていますが、大きな間違いではないものの、厳密には分けた方がいいかなという気が私にはします。
「空気を読む」という行為も相手の意思や判断を推量してそれに敢えて合わせるという意味になりますが、空気を読む場合はどちらかと言えば「多人数の集団の意思」が合わせる対象な気がします。一方、忖度というのは基本一対一で、「たった一人の特定個人の意思」が合わせる対象であると私には思え、敢えて言うなら「空気を読む」をより限定した用法である気がします。でもって日常ではしょっちゅうこうした事態が起こるのに適切な言葉がないというところ、この「忖度」が彗星の如く登場したことから日本人としては痒い所に手が届く言葉で、「よくぞ来てくれた」的に一気に普及したと考えるわけです。
このように考えると初めてこの言葉を公(?)で使った森友学園の土地買収に絡む官僚は、日本の国語発展において偉大な一歩を刻んだと改めて思います。よく官僚の答弁や報告書、通達に使われる独特な言い回しのことを「霞ヶ関文学」と言いますが、あながち捨てたものでもないでしょう、
加藤製作所に対する私怨
・加藤製作所、北朝鮮ミサイル施設のクレーンは同社製の可能性 「法令遵守している」(ロイター)
上のリンク先の記事を見て、「まぁあそこならなぁ」と今日思いました。実はこの記事の主役である建機大手の加藤製作所には以前少し絡みがあり、自分的にはかなり失礼な対応されたと思ってて自分の中の嫌いな企業トップテンには必ず入ります。なお1位は中日新聞、2位は電通。
自分が加藤製作所にされた失礼な対応とは、完全無視です。前の会社で中国に派遣される前、中国にも工場があるということから元々取引のあった加藤製作所の日本にある事務所を訪問し、担当者に中国工場の担当者を紹介してくれとお願いしました。その担当者は以前中国工場にいたこともあり快く承諾し、名刺も交換したのですが、いざ実際に自分が中国へ派遣されて担当者の連絡先を教えてくれるようメールで連絡したところ、完全に無視してきやがりました。
自分も頭にきたもんだから計5回くらいメール送りましたが悉く無視し、独自に中国工場にもあたりましたがなんとなく接触事態を避けるような対応され、こっちも相手したくなくなって目の前通っても挨拶すらしなくなりました。なんでこんな態度を向こうが取ってきたのかは理由があり、私が以前在籍した会社はメーカーで、ここで作っていた部品を加藤製作所は実際毎日使っていたのですが、中国工場では商社経由で部品購入しており、その商社との関係があったことから自分のいた会社から直接購入するという選択肢を避ける、もとい接触すら避けていたようです。
だったらそうだと言えばこっちもそこまでしつこく食い下がらないっていうのに、約束したことすら守らずに連絡を完全に無視するなんて陰湿な会社だなと心底思いました。こんな陰湿な会社なんだから北朝鮮にクレーン売ってても私からすれば別段驚きはありません。
なお建機系では、以前コマツに取材で問い合わせた際はまるで脅迫するような対応され、ここも印象が悪いです。逆なのは住友重機械工業で、オフィス移転の真っ最中で忙しかったであろうにもかかわらず熱心にこちらの取材に対応してもらったことがあり、少なくとも自分が接触した限りではいい会社でもあり恩を強く感じます。
上のリンク先の記事を見て、「まぁあそこならなぁ」と今日思いました。実はこの記事の主役である建機大手の加藤製作所には以前少し絡みがあり、自分的にはかなり失礼な対応されたと思ってて自分の中の嫌いな企業トップテンには必ず入ります。なお1位は中日新聞、2位は電通。
自分が加藤製作所にされた失礼な対応とは、完全無視です。前の会社で中国に派遣される前、中国にも工場があるということから元々取引のあった加藤製作所の日本にある事務所を訪問し、担当者に中国工場の担当者を紹介してくれとお願いしました。その担当者は以前中国工場にいたこともあり快く承諾し、名刺も交換したのですが、いざ実際に自分が中国へ派遣されて担当者の連絡先を教えてくれるようメールで連絡したところ、完全に無視してきやがりました。
自分も頭にきたもんだから計5回くらいメール送りましたが悉く無視し、独自に中国工場にもあたりましたがなんとなく接触事態を避けるような対応され、こっちも相手したくなくなって目の前通っても挨拶すらしなくなりました。なんでこんな態度を向こうが取ってきたのかは理由があり、私が以前在籍した会社はメーカーで、ここで作っていた部品を加藤製作所は実際毎日使っていたのですが、中国工場では商社経由で部品購入しており、その商社との関係があったことから自分のいた会社から直接購入するという選択肢を避ける、もとい接触すら避けていたようです。
だったらそうだと言えばこっちもそこまでしつこく食い下がらないっていうのに、約束したことすら守らずに連絡を完全に無視するなんて陰湿な会社だなと心底思いました。こんな陰湿な会社なんだから北朝鮮にクレーン売ってても私からすれば別段驚きはありません。
なお建機系では、以前コマツに取材で問い合わせた際はまるで脅迫するような対応され、ここも印象が悪いです。逆なのは住友重機械工業で、オフィス移転の真っ最中で忙しかったであろうにもかかわらず熱心にこちらの取材に対応してもらったことがあり、少なくとも自分が接触した限りではいい会社でもあり恩を強く感じます。
2017年11月6日月曜日
文字数別、記事を書く秘訣
コメント欄で少し質問を受けたのでまた文章の書き方、もとい記事文章の書き方を文字数別で簡単に紹介します。
以前書いた「わかりやすい記事を書くコツ」の中で私は、記事を書くポイントは究極的には表現とか文字数のバランスとかではなく、話題をどのような順番で書いていくかという構成によって左右されると説明しました。これは私個人の意見というよりかは絶対的な真実であると考えており、きれいな文章を書く上では何よりも重視し、且つ指導すべきポイントだと考えています。
なお外部に出す文章などにおいて私はこの構成を非常に重視して、実際に記事を書く前にどのような順番で話題を並べ、段落分けをどうするかをじっくり考え(主に通勤途中)ていますが、このブログの記事に関しては大まかな内容なりテーマを決めた後は割と思いつくまま、どちらかというとライブ感が出るようにして書いています。
話は戻りますがではどのような文章構成だといい文章、もといわかりやすい記事に仕上がるのか。いくつか王道パターンはあるものの「これしかない!」的な一つの究極形はないので各自が創意工夫してよいと私は考えていますが、記事文章において私が頻繁に使用している構成は大きく二つあり、文字数によってどちらを使うかを決めています。
<少ない文字数の記事に使う構成>
こちらの構成は私だけでなくマスコミ志望者向けハウツー本でもよく取り上げられており、新聞社の新人記者研修でも多分同じ内容が解説されていると思います。少ない文字数、具体的には500字前後の小記事から1000字前後の中記事で私は使っていますが、それ以上の文字数で使っても問題ない構成です。
具体的にはどんな構成かというと、大事な内容や報道したい主題を第一文に持ってくるという構成です。例えば業績発表に関する経済記事なら「○○社は昨年、××%の増益だった」というように、極端に言えば第一文さえ読めば記事全体が分かるくらいの主題(主に数字)を頭に持っていきます。
続いて二文目にはその補足で、具体的に何が増益(もしくは減益)の要因になったかという理由を書き、第一文の内容を補足します。そして第三文にはその他関係する事項を好きに書く、例えばさっきの例だと同業他社の業績や、何期連続の黒字だとか、今後の業績予想とかです。
この構成は一段落、二段落、三段落という構成にしても通用する形です。この場合だと第一段落に主題を詰め込むという形となり、以降の段落では重要度の高さに従って主題を補足する内容を一つずつ付け加えていきます。基本的には経済記事に限らず、新聞記事の構成はすべてこうなっていると言っても過言ではなく、お手元の記事を見て構成を考えてみれば実感が得られると思います。
<多い文字数の記事に使う構成>
先ほどの構成は基本的に文字数に関係なく使える形ではありますが、大体2000字を超えるようなやや長い記事を書く場合ですと私は別の構成にして記事を書きます。主題を頭に持っていく点は同じではあるものの、核心に迫る内容を敢えて書かずにしておいて一体何故そうなるのかという理由については匂わせる程度で切ります。
一体どうしてこんな書き方をするのかというと、記事を最後まで読者に読ませるためです。長い記事だと序盤だけ読んで読み捨てる人が多いこともさることながら、最初の構成のように重要な内容を頭から順々に書いていくと後半に至るにつれて書く内容の濃さや重要性が薄れていき、単純に読んでてつまらなくなっていきます。そうなると、読者としては読後感が非常に悪くなるわけです。
こうした事態を避けるために、最初の第一段落では記事全体で主張したい内容と結論だけを簡潔に示し、「その結論に至る理由や背景とは?」という風な切り口にして、意図的に読者が続きを気になるような書き方にすることが多いです。
こうして一旦リード文(第一段落)から本文(第二段落)以降にまで誘導させると、第二段落に入ってからは背景事項の説明に入り、何故この話題が気になるのか、現状はどうなっているのかなどと周辺事項から徐々に焦点を絞り、終盤に入るあたりでようやく詳しい説明や理由を書いていきます。でもって最終段落では補足的な、私個人の意見や見解、別の視点など、必ずしも読まなくてもいい軽い内容を簡単に示して、読後感を軽くするようなことをよく書きます。
こちらの構成は最初の構成とは逆に近い形で、第一段落で内容全体のルートマップを示しながら肝心なところは敢えて教えないという形になります。何故そうするのかというと、繰り返しになりますがやや長い記事を最後まできちんと読ませるためです。その上で本文に入ってからは周辺事項から徐々に核心へと近づけていく形を取っており、こうする方が最後まで記事を読んでもらいやすいし、読者の側も話題が後へ行くほど内容が濃くなっていくので読みやすいのではないかと考えています。まぁもっとも、必ずしもこの形にこだわる必要もなければ、私自身も状況や内容にあ和得て変化をつけてはいるのですが。
以前書いた「わかりやすい記事を書くコツ」の中で私は、記事を書くポイントは究極的には表現とか文字数のバランスとかではなく、話題をどのような順番で書いていくかという構成によって左右されると説明しました。これは私個人の意見というよりかは絶対的な真実であると考えており、きれいな文章を書く上では何よりも重視し、且つ指導すべきポイントだと考えています。
なお外部に出す文章などにおいて私はこの構成を非常に重視して、実際に記事を書く前にどのような順番で話題を並べ、段落分けをどうするかをじっくり考え(主に通勤途中)ていますが、このブログの記事に関しては大まかな内容なりテーマを決めた後は割と思いつくまま、どちらかというとライブ感が出るようにして書いています。
話は戻りますがではどのような文章構成だといい文章、もといわかりやすい記事に仕上がるのか。いくつか王道パターンはあるものの「これしかない!」的な一つの究極形はないので各自が創意工夫してよいと私は考えていますが、記事文章において私が頻繁に使用している構成は大きく二つあり、文字数によってどちらを使うかを決めています。
<少ない文字数の記事に使う構成>
こちらの構成は私だけでなくマスコミ志望者向けハウツー本でもよく取り上げられており、新聞社の新人記者研修でも多分同じ内容が解説されていると思います。少ない文字数、具体的には500字前後の小記事から1000字前後の中記事で私は使っていますが、それ以上の文字数で使っても問題ない構成です。
具体的にはどんな構成かというと、大事な内容や報道したい主題を第一文に持ってくるという構成です。例えば業績発表に関する経済記事なら「○○社は昨年、××%の増益だった」というように、極端に言えば第一文さえ読めば記事全体が分かるくらいの主題(主に数字)を頭に持っていきます。
続いて二文目にはその補足で、具体的に何が増益(もしくは減益)の要因になったかという理由を書き、第一文の内容を補足します。そして第三文にはその他関係する事項を好きに書く、例えばさっきの例だと同業他社の業績や、何期連続の黒字だとか、今後の業績予想とかです。
この構成は一段落、二段落、三段落という構成にしても通用する形です。この場合だと第一段落に主題を詰め込むという形となり、以降の段落では重要度の高さに従って主題を補足する内容を一つずつ付け加えていきます。基本的には経済記事に限らず、新聞記事の構成はすべてこうなっていると言っても過言ではなく、お手元の記事を見て構成を考えてみれば実感が得られると思います。
<多い文字数の記事に使う構成>
先ほどの構成は基本的に文字数に関係なく使える形ではありますが、大体2000字を超えるようなやや長い記事を書く場合ですと私は別の構成にして記事を書きます。主題を頭に持っていく点は同じではあるものの、核心に迫る内容を敢えて書かずにしておいて一体何故そうなるのかという理由については匂わせる程度で切ります。
一体どうしてこんな書き方をするのかというと、記事を最後まで読者に読ませるためです。長い記事だと序盤だけ読んで読み捨てる人が多いこともさることながら、最初の構成のように重要な内容を頭から順々に書いていくと後半に至るにつれて書く内容の濃さや重要性が薄れていき、単純に読んでてつまらなくなっていきます。そうなると、読者としては読後感が非常に悪くなるわけです。
こうした事態を避けるために、最初の第一段落では記事全体で主張したい内容と結論だけを簡潔に示し、「その結論に至る理由や背景とは?」という風な切り口にして、意図的に読者が続きを気になるような書き方にすることが多いです。
こうして一旦リード文(第一段落)から本文(第二段落)以降にまで誘導させると、第二段落に入ってからは背景事項の説明に入り、何故この話題が気になるのか、現状はどうなっているのかなどと周辺事項から徐々に焦点を絞り、終盤に入るあたりでようやく詳しい説明や理由を書いていきます。でもって最終段落では補足的な、私個人の意見や見解、別の視点など、必ずしも読まなくてもいい軽い内容を簡単に示して、読後感を軽くするようなことをよく書きます。
こちらの構成は最初の構成とは逆に近い形で、第一段落で内容全体のルートマップを示しながら肝心なところは敢えて教えないという形になります。何故そうするのかというと、繰り返しになりますがやや長い記事を最後まできちんと読ませるためです。その上で本文に入ってからは周辺事項から徐々に核心へと近づけていく形を取っており、こうする方が最後まで記事を読んでもらいやすいし、読者の側も話題が後へ行くほど内容が濃くなっていくので読みやすいのではないかと考えています。まぁもっとも、必ずしもこの形にこだわる必要もなければ、私自身も状況や内容にあ和得て変化をつけてはいるのですが。
2017年11月4日土曜日
中国に対する日本人の見方の変化
先日、というか昨日JBpressの編集長と会って話してきましたが、その中の会話でお互い意識して取り上げ合ったのが「中国に対する日本人の見方は、どうも潮目に入っていないか?」というものでした。これはどういう意味かというと、前補と中国人に対する日本人のアレルギーが薄まってきていないかということです。
中国人に対する日本人のアレルギーとは言ってそのまんまですが、中国に関するあらゆるものを否定する感情です。具体的には「シャープに中国人(実際は台湾人)経営者が来たからもうシャープの製品は買わない」とか、「これだから中国人は」、「中国人にこんなもの作れるはずがない」などと批判するもので、私の中国紹介記事も知ってる人には早いですが大体どの記事もヤフコメでは私への人格批判も含めて激しく罵られます。
しかし、ここ最近の記事ついては以前ほど、実感としては去年年末の上海大江戸温泉の記事が一番激しかったかもと思いますが、このところ私が書く記事に関してはやたらむやみな批判は減っており、むしろ私の紹介する中国事情を見て素直に、「中国も侮れない」と認めるような声が見られるようになってきました。もっとも、私の場合は批判されるのに慣れているのでむしろ記事内容誉められると逆に不安に感じたりするのですが。
こうした読者反応の変化については編集長も感じているとのことで、どうも今年に入ってから反応が変わり始めたように思っていたとのことです。私自身も感じていただけに同じことを考えていた人がいたのかと思うとともに、どうも日本の中国に対する見方が現実に近づいてきているように感じます。
以前と中国に対してはあらゆるものついて批判的に見る日本人は多いですが、一方で私が報じるような中国の現状、特に日本を上回る領域が存在する現実を認める人もだんだんと増えてきているように思います。これ自体は私個人としては歓迎したいところですが、仮に私がそれこそ、「中国に学べ!」という見出しで記事を書いたとしたら、恐らくこれまでにないくらいの反発が来るだろうと断言します。そうしたことを考慮すると、未だに幻想にしがみついて現実を見ることができない日本人は多いだろうと私は認識しています。
もちろん私はあらゆる点で日本が中国に劣っているとまでは思いません。しかしことビジネス面においては、日本が中国に学ぶべき点が現在多く出ているのではと考えています。自分の記事でもそうした点についてはっきりとは言わず、暗喩させる形で伝えようとはしているものの、それでも読者の反発を恐れて「中国人に学べ!」とは書けないのが正直なところです。
話は最初に戻りますが、日本の中国に対する見方は変化しつつあるとはいうものの、今後どこまで現実に近づくかはまだ未知数です。もしかしたら私の視点の方が誤っている可能性もあるものの、自分としては現在の流れがもっと続いてもらいたいというのが今日の意見です。
中国人に対する日本人のアレルギーとは言ってそのまんまですが、中国に関するあらゆるものを否定する感情です。具体的には「シャープに中国人(実際は台湾人)経営者が来たからもうシャープの製品は買わない」とか、「これだから中国人は」、「中国人にこんなもの作れるはずがない」などと批判するもので、私の中国紹介記事も知ってる人には早いですが大体どの記事もヤフコメでは私への人格批判も含めて激しく罵られます。
しかし、ここ最近の記事ついては以前ほど、実感としては去年年末の上海大江戸温泉の記事が一番激しかったかもと思いますが、このところ私が書く記事に関してはやたらむやみな批判は減っており、むしろ私の紹介する中国事情を見て素直に、「中国も侮れない」と認めるような声が見られるようになってきました。もっとも、私の場合は批判されるのに慣れているのでむしろ記事内容誉められると逆に不安に感じたりするのですが。
こうした読者反応の変化については編集長も感じているとのことで、どうも今年に入ってから反応が変わり始めたように思っていたとのことです。私自身も感じていただけに同じことを考えていた人がいたのかと思うとともに、どうも日本の中国に対する見方が現実に近づいてきているように感じます。
以前と中国に対してはあらゆるものついて批判的に見る日本人は多いですが、一方で私が報じるような中国の現状、特に日本を上回る領域が存在する現実を認める人もだんだんと増えてきているように思います。これ自体は私個人としては歓迎したいところですが、仮に私がそれこそ、「中国に学べ!」という見出しで記事を書いたとしたら、恐らくこれまでにないくらいの反発が来るだろうと断言します。そうしたことを考慮すると、未だに幻想にしがみついて現実を見ることができない日本人は多いだろうと私は認識しています。
もちろん私はあらゆる点で日本が中国に劣っているとまでは思いません。しかしことビジネス面においては、日本が中国に学ぶべき点が現在多く出ているのではと考えています。自分の記事でもそうした点についてはっきりとは言わず、暗喩させる形で伝えようとはしているものの、それでも読者の反発を恐れて「中国人に学べ!」とは書けないのが正直なところです。
話は最初に戻りますが、日本の中国に対する見方は変化しつつあるとはいうものの、今後どこまで現実に近づくかはまだ未知数です。もしかしたら私の視点の方が誤っている可能性もあるものの、自分としては現在の流れがもっと続いてもらいたいというのが今日の意見です。
2017年11月1日水曜日
オウムのカルマの概念についての手がかり
オウム事件について現在いろいろ調べていますが、近年になって自分の中で注目が高まっているのは、事件前後に信者らがやたら「カルマ」という言葉を繰り返している点です。カルマは日本語だとよく「業」とか「原罪」と訳されますが、いうなれば負の意識や概念、もしくは経歴といったところでしょう。
信者らの証言では「自分の身に着いたカルマを払うためには」などという言葉ともに、修行に打ち込む理由をカルマを取り除くためと説明していることが多いです。またサリン散布実行犯の広瀬健一がサリンを撒いた直後に自分にもサリン中毒の症状が出た際、「自分のカルマだ」と思い、サリンを撒くという行為自体の報いを受けたと思ったと話しています。
このカルマの概念について、以前はあまり気にしなかったのですがある物語を読むことでオウム信者らの概念ってこういうものだったのかと妙に納得するようになりました。その物語というのも、しべっと仏教の聖人の一人であるミラレパの物語です。
・ミラレパ(Wikipedia)
ミラレパについてざっくり述べると、自らの家族に対し冷たい仕打ちを行った叔父と叔母への復讐として黒魔術を用いて村を壊滅へと追い込んだ後、その行為の代償として背負ったカルマを払うために別の聖人(マルパ)への帰依を求め、マルパから課せられた様々な試練を乗り越えることでついにカルマを払い、その後も修行を続けてチベット仏教の中でもトップクラスの聖人に列せられるようになった人物です。
ちなみに修行中に草しか食べなかったので途中から体の色が緑色になったとのことですが、これを聞いて私はデスラー総統とピッコロさんが頭に浮かびました。
このミラレパの話を聞いてオウムと同じだと感じた点は、その師であるマルパとのやり取りです。マルパはミラレパを一目見て自分の後継者となる人物で全力で教え、導く相手だと直感しながら、当初は冷淡な態度を取ります。具体的には、ミラレパ一人に石を積んで塔を作るようにと指示しておきながら途中で、「塔を作る場所を間違えたからまた一からこっちに作れ」などと、何度も理不尽な仕打ちを与えます。こうした仕打ちは周囲からも同情を買うほど厳しいものでありながらミラレパは愚鈍なまでにその指示に従い続けました。
最終的にマルパはミラレパに対し、これまでの冷たい仕打ちはミラレパの過去のカルマを払うための苦行であり、この試練を乗り越えたミラレパにはもうカルマは払われていると明かした上で、君こそ自分の後継者であるとして改めて弟子に迎え入れて熱心且つ丁寧に指導を行うようになるわけです。
チベット仏教全体が果たしてそうなのかまではわかりませんが、少なくともオウム真理教についてはこのミラレパのストーリー構造が信者間で強く共有されていたと思う節があります。具体的にはグル、尊師こと麻原彰晃の命令は絶対で、一見理不尽とも思える厳しい仕打ちはカルマを払うための苦行だと受け取られ、犯罪であることを認識しつつも実行に移されるという過程はこのストーリーに乗っ取っていたのではないかと思います。
また複数の信者は麻原彰晃のことをソウルマスターであると思って自分が救われるにはこの人にすがるしかないと考えていたなどと語っており、やや言いにくいのですが、自分一人では悟りを開くことはできず精神的上位者の助けなり指導が絶対必要という観念が、ほかの宗教と比べて強いような印象を覚えました。これも、先ほどのカルマを背負ったミラレパのストーリー構造に乗っかるような気がします。信者らが使う用語も、なんとなくこれらとつながるように思えますし。
非常に単純な構図で書くと、
解脱したい(=悟り開く)→カルマが邪魔→自分一人じゃ払えない→既に悟りを開いている指導者の教えが絶対必要→尊師の言うことは絶対
という思考構造だったのかなと、林郁夫に関する本読みながら改めて再考していました。
信者らの証言では「自分の身に着いたカルマを払うためには」などという言葉ともに、修行に打ち込む理由をカルマを取り除くためと説明していることが多いです。またサリン散布実行犯の広瀬健一がサリンを撒いた直後に自分にもサリン中毒の症状が出た際、「自分のカルマだ」と思い、サリンを撒くという行為自体の報いを受けたと思ったと話しています。
このカルマの概念について、以前はあまり気にしなかったのですがある物語を読むことでオウム信者らの概念ってこういうものだったのかと妙に納得するようになりました。その物語というのも、しべっと仏教の聖人の一人であるミラレパの物語です。
・ミラレパ(Wikipedia)
ミラレパについてざっくり述べると、自らの家族に対し冷たい仕打ちを行った叔父と叔母への復讐として黒魔術を用いて村を壊滅へと追い込んだ後、その行為の代償として背負ったカルマを払うために別の聖人(マルパ)への帰依を求め、マルパから課せられた様々な試練を乗り越えることでついにカルマを払い、その後も修行を続けてチベット仏教の中でもトップクラスの聖人に列せられるようになった人物です。
ちなみに修行中に草しか食べなかったので途中から体の色が緑色になったとのことですが、これを聞いて私はデスラー総統とピッコロさんが頭に浮かびました。
このミラレパの話を聞いてオウムと同じだと感じた点は、その師であるマルパとのやり取りです。マルパはミラレパを一目見て自分の後継者となる人物で全力で教え、導く相手だと直感しながら、当初は冷淡な態度を取ります。具体的には、ミラレパ一人に石を積んで塔を作るようにと指示しておきながら途中で、「塔を作る場所を間違えたからまた一からこっちに作れ」などと、何度も理不尽な仕打ちを与えます。こうした仕打ちは周囲からも同情を買うほど厳しいものでありながらミラレパは愚鈍なまでにその指示に従い続けました。
最終的にマルパはミラレパに対し、これまでの冷たい仕打ちはミラレパの過去のカルマを払うための苦行であり、この試練を乗り越えたミラレパにはもうカルマは払われていると明かした上で、君こそ自分の後継者であるとして改めて弟子に迎え入れて熱心且つ丁寧に指導を行うようになるわけです。
チベット仏教全体が果たしてそうなのかまではわかりませんが、少なくともオウム真理教についてはこのミラレパのストーリー構造が信者間で強く共有されていたと思う節があります。具体的にはグル、尊師こと麻原彰晃の命令は絶対で、一見理不尽とも思える厳しい仕打ちはカルマを払うための苦行だと受け取られ、犯罪であることを認識しつつも実行に移されるという過程はこのストーリーに乗っ取っていたのではないかと思います。
また複数の信者は麻原彰晃のことをソウルマスターであると思って自分が救われるにはこの人にすがるしかないと考えていたなどと語っており、やや言いにくいのですが、自分一人では悟りを開くことはできず精神的上位者の助けなり指導が絶対必要という観念が、ほかの宗教と比べて強いような印象を覚えました。これも、先ほどのカルマを背負ったミラレパのストーリー構造に乗っかるような気がします。信者らが使う用語も、なんとなくこれらとつながるように思えますし。
非常に単純な構図で書くと、
解脱したい(=悟り開く)→カルマが邪魔→自分一人じゃ払えない→既に悟りを開いている指導者の教えが絶対必要→尊師の言うことは絶対
という思考構造だったのかなと、林郁夫に関する本読みながら改めて再考していました。
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