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2011年5月15日日曜日

私のナショナリズム遍歴

 なんか今日からこっちでYahooメールが開かなくなりました。これまでにもこういうことは度々あったので恐らく一時的で、また明日には開けるかと思いますが小学生の嫌がらせのように地味に腹立ちます。その代わりと言っては何ですが先日にダウンロードできなかったとこのブログで報告した電子書籍が何故かダウンロードできるようになり、ついに「でろでろ」の7巻をパソコン上で読むことが出来ました。あまりにも感動したもんだからすぐまた8巻も買って読んでしまいましたが、世に妹キャラはたくさんいれどもこのでろでろの「日野留渦」以上の妹キャラはいないんじゃないかとよく思います。

 こんなどうでもいい前文を書きながらですが、今日は私のナショナリズム遍歴を紹介しようと思います。個人的な内容かなと思って最初は見送りかけましたが、ちょうど私の青春時代が日本のナショナリズム観が戦後以降で大いに変動した時期なので書く価値があると判断しました。

 私が明確にナショナリズムを初めて持ったのは、年にして13歳の中学一年生の頃でした。その頃予備校で教わった先生にいろいろ社会問題を教わって政治について興味を持ち出し、世の中が良くないことを何でもかんでも政治が悪いせいだといっちょまえに口にしていました。同時に小学生時代はなんだか不公平に感じて否定的だった天皇制も途端に肯定的になり、中二病のようになんだか右翼的な行動や価値観がかっこいいと思うようになっていきました。
 当時は北朝鮮が弾道ミサイルテポドンを発射した時期で、私だけじゃなく日本中で国防について議論が盛り上がっていた頃でした。といっても盛り上がったのはまだ一部の人間にとどまり、一般市民はまだ政治については今より関心が低くて投票率も今なんかと比べると低い水準を維持してました。私はそんな低い投票率を見て、ありがちといえばありがちですがこんな日本人じゃ国が駄目になると、まぁ子供らしくストレートな感情を抱いていたのを我ながら恥ずかしく感じます。

 その頃にあったもう一つの大きな事件を話すと、ちょうと「新しい教科書をつくる会」(通称つくる会)が出来、教科書の裁定を巡って大きな議論が起こっていた頃でした。これは以前に外交白書も見て確認をしていますが、ちょうどこの頃からそれまで変動のなかった韓国、中国への好感度が振れ出し、2000年代に入る頃には明確に下がり始めます。
 そうした外交意識の変化以上にこのつくる会が巻き起こした騒動はいわゆる自虐史観からの脱却で、「日本はもう謝らなくていい」という言葉の元に歴史教育の改革が叫ばれるようになりました。当時の私は私立の学校にいたせいもあるでしょうが自虐史観についてはそれほど関心がなく、またつくる会の教科書も抽象的な内容が多いように思え、大学受験用として使うにはあまり価値がないと取り立てて気にはとめませんでした。

 その後高校生となった私は徐々にテレビニュースなどを見るようになって知識を蓄えるようになり、右傾化の傾向にも拍車がかかっていきました。靖国神社に行ったり正月の天皇参賀にも参加したのもこの頃で、親父に菊の御紋入りのがま口(1,000円)を買ってもらったのを覚えてます。さすがに使いどころが見当たらなくて未だに引き出しの中ですが。
 この頃になると政治に興味を持たない周りの生徒がたるんでいるように思え、電車の中だろうがなんだろうが頼まれてもないのに高説ぶるようになり、今見たら殴り倒したいくらいの生意気ぶりだったと思います。ただ当時の自分を唯一誉めるとしたら、誰かに師事して教えてもらうのではなくちゃんと自分から雑誌とかを読んで知識を身につけてった所です。そんな都合よくなんでもかんでも教えてくれる人はいないんだから自分で勉強しなきゃと、行動に移した点は及第点でした。またこの頃はまだ政治家になって世の中を自分が変えてやるんだ、自衛隊も強化して他国に侵略させないようにしなければとどちらかと言えばプレイヤー志向が強い時期でもありました。

 それが変化したのは大学に入って以降でした。大学入学直後でこそ自分は右の人間だと明確に自認していましたが、当時は小泉内閣で徐々に格差問題が表面化していった時期でもあり、郵政改革の過程で右派の中でも意見が割れ始めていた頃でした。勘違いしてもらいたくないのは当時の私は格差拡大論者で、現時点においても当時の小泉内閣における竹中平蔵氏の政策は正しかったと考えております。ただこの格差問題で私が気になったのは、右派の政治家や論者にこの格差問題にかこつけて小泉内閣を批判して政局にしようとする人間が現れだし、先述の郵政改革が進むにつれてその傾向が激しくなっていったことです。
 このあたりからそもそも右翼、左翼という構造で物事を考えていたら立ち行かないのではないと思うようになり、自分をどちらの立場において考えるのではなく政策ごとに独立して意見を持たねばならないと考えるようになりました。その結果自分を右翼、左翼とどちらにも置かなくなり、国に対する意識も何が何でも良くしなければという感覚も徐々に持てなくなっていきました。

 その後の過程はちょっとすっ飛ばしますが、現時点での私のナショナリズムはそれほど高くないと思います。よくこういうブログを運営していることから国のことを強く思っているのではと言われることがありますが、結局のところ国を変えても日本人が良くなるという確信が持てず、むしろ自分という個人の能力を高めるだけ高め、尋ねられたら教えるという行為を続けることの方が価値があるように今は考えています。自分への自戒を込めて書きますが、いくら政治を良くしようと政治家を変えたりしても国民が変わらない限りはなにも変わらないと思います。

 最後に、ではどうしてこのブログで政治解説などをやるのかという理由ですが、以前かも書いてはいますが単純に政治や時事を勉強したくとも勉強する手段や糸口が見つからない人間、対象としては大学生向けに「こんな考え方もあるんだよ」という紹介がてら書いてます。前述の高校時代に私も苦労した思い出があり、そうした人たちへの一助になればと文章を書く趣味をかねて書き続けてます。

2011年5月13日金曜日

四国新聞について

 最近堅い政治系の記事ばかりなので、柔らかい内容を一本投下しておきます。
 さて皆さん、四国新聞というのはご存知でしょうか。香川県の地方新聞なのですが、百聞は一見に如かずなので早速下記ホームページを開いてみてください。

四国新聞

 一体この新聞の何が凄いのかというと、上部にあるニュースカテゴリー欄を見てもらえばわかりますが「スポーツ」や「天気」、「求人」といったごく一般的なカテゴリーの中になんと、堂々と「うどん」というカテゴリーが存在してます。しかも試しに開いてみると香川県内のうどん検索機能がついており、「データで探す」を選んでみると以下のようなまた随分とカオスな検索項目が出てきます。

Q、誰と?
・子供連れで
・接待で
・大勢で
・デートで
・マニアな人と
・特定しない

Q、店のスタイルは
・一般店
・大衆セルフ
・製麺所型
・特定しない

Q、表示順位
・麺の太い順
・麺の細い順
・創業が古い順
・創業が新しい順
・1玉が大きい順
・1玉の値段が安い順
・特定しない

 どんだけ検索項目充実してんだよ……(;゚д゚)

公務員給与10%削減案について

 今日たまたまNHKで昼のニュースを見る機会があり、こんなニュースを目撃しました。

公務員給与10%削減、労使交渉始まる(朝日新聞)

 内容をかいつまんで話すと、管首相は震災復興に多大な予算が必要になることから国家公務員の給与を全体で10%削減することを提案したというニュースです。なお「震災対策にあたる自衛隊員らには一定の配慮」との文言から、自衛隊員への給料は削減の対象から外す方針のようです。

 正直、前回の「自衛隊員の給料削減報道について」の記事を書いた二日後にこうも早くも関連するニュースというか止めを刺してくれるものが出てくるとは夢にも思っても見ませんでした。前回の記事で私は「自衛官は10%の給与カットを決めたそうである。」と書いたこのJB PRESSの記事はガセである可能性が高いのではと指摘しましたが、同じ記事には「一方、総勢で7万人以上もいるとされる増税を主導する財務省のお役人が1円でも給与カットしたという話は全く聞かない。」とも書かれており、見事なくらいに本日の管首相の発言内容と真逆で、もはやガセの可能性とかそういうレベルではなくなったと言っていいでしょう。
 仮にこのJB PRESSの記事が伝聞調や可能性があると言った書き方や、何故自衛隊のみが10%の削減になるのかという理由や根拠も書いていればまだ価値はありますが、こんな断言口調で書いてればもうどうしようもないでしょう。恐らくなんの根拠も確認のための取材もなく、それこそ別の誰かの妄言を信じて強気で書いたのでしょう。もしかしたらこの記事自体が妄言そのものだったのかもしれませんが。

 それにしても前回の記事を書くきっかけになった、「現在の自民党への評価」の記事にコメントしてくれた「通りすがり」さんにはこのJB PRESSの記事が情報ソースなのかをコメント欄で尋ねているのですが、未だ返事がもらえておりません。もしこの記事を読んでいただけているのであれば、ぜひともご一報と現在のご感想をいただきたく思います。

2011年5月11日水曜日

自衛隊員の給料削減報道について

 昨日書いた記事に寄せられたコメントに、ちょっと気になる内容が書かれていました。

「おまけに民主は防波堤の予算やら自衛隊員の給料を下げる事までやってる分たちが悪い。こんな史上最悪の政権は早く退場するべきだろう。」

 正直に言って、このコメントに書かれている自衛隊員の給料削減のニュースを私はこれまで全く聞いたことがありませんでした。日本にいる状態ならば自分が聞いたことないニュースはまず以って通常の報道はされていないと確信がありましたが、現在は居住地が中国なだけに念のためどのように報じられているのか確認をしてみようと思い早速ネットで、「自衛隊 給料 削減」で検索をかけたところ、確かにこのニュースを取り上げるブログやツイッターが数多くヒットしたのですが、一見してすぐ奇妙さを覚えました。実際に検索してみればわかるでしょうが見出しがどれも判で押したかのようにほどんど一緒で、「自衛官給料/給与10%カット/削減」と書かれており、真っ先に思いついたのは情報ソースが一緒なのではないかということでした。そこでいくつか開いてみて確認したところやはりそうで、少なくとも私が確認した限りではどこも下記サイトをネタ元として引用していました。

菅直人首相:所得半減政策と「国民は粟を食え」(JB PRESS)

 もっともこんな風に訝って考えるのは私くらいなものかとも思ったのですが、同じくJB PRESSの記事を引用しているロケットニュースの記事につけられたコメント欄を見てみると私と同じように単一ソースであることからガセではないかと懸念する方がいてちょっと驚きました。

 そろそろ結論を言うと、現時点で私はこの自衛隊員の給料を10%削減するというこのニュースはガセの可能性が高いように感じます。理由はいくつかあり、まとめると下記のポイントが挙げられます。

1、情報源がJB PRESSしかなく、ほかのメディアが後追い報道をした跡が全くない
2、記事中に具体的な決定時期、削減の開始時期、対象者が全く書かれていない
3、にもかかわらず、「自衛官は10%の給与カットを決めたそうである」と断定口調でまとめられている
4、記事中では削減の決定者が政府なのか防衛省なのかわからず、主語がぼかして書かれている
5、この時期に発表される必然性が感じられない
6、内容に強い誘導性を感じる

 ざっと挙げるとこんな具合です。といっても、最初の後追い報道がないという点だけでおなかいっぱいですけど。
 仮にこのニュースが本当であるならば最初に情報を出すのは政策決定者である官僚や政治家に間違いなく、この両者から発せられる情報でこの内容であればテレビや新聞といった大メディアも必ず報じているでしょう。にもかかわらずJB PRESSの記事が出てから数週間も経っているにもかかわらず関連するニュース報道は全くなく、そもそもの記事内容と比較しても何でもいいから管首相を貶めようとする匂いが感じられます。

 ついでなので情報を取り扱う際の気構えというか私が注意しているポイントをこちらも挙げると、

1、情報ソースが複数あるか
2、状況から必然性を感じるか
3、誘導性がないか

 大体この三点、最低でも最初の複数ソースの確認さえしておけば下手な情報を掴むことはないでしょう。
 ただ複数ソースについては少し注意しなければならないことがあり、たまに同じソースからの情報をいろんなところを経由しているうちに別ソースの情報と誤解してしまうことがあります。これの代表的な例はアメリカが追っていたイラクの大量破壊兵器の情報で、何でもCIAか何かがどうもイタリアあたりでイラクには大量破壊兵器があるという情報を得て念のため確認を取った所、別のソースからも情報を得られてイラクに攻め込んだものの結局そんなものはありませんでした。後で調べてみたら、二回目の情報のソースも実は最初と同じイタリアの情報だったそうです。

 二番目の状況の必然性ですが、意味はちょっと違いますが火のないところに煙は立たないというように、有り得ない状況から有り得ない物は絶対に出てきません。たとえば北海道でゴキブリが大量発生と書かれても、そもそも北海道はその気候から元々ゴキブリは生息していないのですぐガセだとわかるように、状況からおおよそ起こることが有り得ないと思われるニュースは真偽を必ず確かめる必要があります。

 三番目の誘導性についてですが、これもたとえを用いるとアメを欲しがっている子供に対して「あそこに行けばアメがもらえるよ」と言うように、情報を受け取る側が如何にも欲しがる様な格好の情報や、書き手の感情が過剰に反映されているような要素です。今回のJB PRESSの記事は管首相を批判したがっている人間に対しては格好過ぎる情報で、案の定というかあちこちのブログやツイッターで取り上げられているのを見て妙に感じさせられました。

 最後に民主党関連のデマですと、以前の陽月秘話でも取り上げましたが去年に「鳩山前首相がデノミを検討していた」と日経新聞のみが報じていました。この記事では「藤井財務相辞任で頓挫」と書かれており、鳩山首相だけならともかく経済政策に明るい藤井氏がこんな必然性のないことを検討するとはとても思えずデマではないかと書きましたが、案の定ほかのメディアも相手しなければ続報も全く聞こえてきませんでした。日経は経済記事以外はいいと言われていますが、こんな内容の記事にOK出すデスクもいるんだと感心させられた一件でした。

 最後と書きながら今日散々後追い報道について書いたのでもう一つ付け加えですが、去年ナンバー1の報道は間違いなく朝日新聞による、厚生省の村木さんの取調べで前田元検事が証拠を改竄していたことを暴いた記事ですが、話によるとこの記事を書いたのは三十代の記者の方で、朝刊発行前はほかのメディアが後追い報道、取材をしてくれるかと不安で眠れなかったそうです。あんな凄い記事書いておきながら、やっぱり記者の方は不安に感じるようです。

2011年5月10日火曜日

現在の自民党への評価

 現在与党民主党は管首相を始めとして今回の地震の対応に問題があったと野党を初め国民からも激しく非難がなされておりますが、中国にいる分際でといくらか批判を受けること覚悟で申せば、私は今回の民主党並びに執行部の対応はそれほど悪いものではなかったと考えております。もちろん100点満点ではないものの、これだけの大惨事に対して最低限必要な対応はしてきたと思います。
 惜しむらくは福島原発の事故で、これさえ早期に抑えていれば現在よりもずっと被害を軽減することが出来たでしょうが、この原発事故は政府の指導や対応に問題があったというよりは東電の対応や危機管理に問題があったと考えており、一部で東電の言いなりになった管首相が悪いという批判もありますが、首相とはいえ技術的なことにあれこれ口出しするのは私はこれもかえって問題だと考えており、東電の意見を無視してあれこれ管首相が指示していればそれこそ批判の対象だと見ております。

 ただこういった災害においては天を恨んでも仕方がないというものの、感情の捌け口がどうしても必要になってきます。そういう意味では政府は理不尽といえども批判を受けねばならない立場であり、また被災者の気持ちを考えると批判をするなとも言えません。あくまで私個人として、現政府の対応はやることはやってくれたという評価をさせてもらいます。
 しかしそうした被災者はともかくとして、政府を批判していて奇妙というか腹立だたしいというか、頭にくる存在として野党の自民党の存在があります。一部の批判を聞いていると今回の地震に対する民主党の対応は問題があり、もう一度政権交代をさせて自民党を与党にしなければならないという声をいくらか目にしますが(主に産経を中心に)、そんなのふざけるなと声を大にして私はいいたいです。確かに現民主党もなかなか子供手当てをあきらめないなどアホかと言いたくなるところも数多く存在しますが、それを推しても私は鳩山時代ならともかく今の自民党よりはまだ管首相の方が害が少ないと見ております。

 私がどうして今回ここで自民党を批判するのかというと、やはり大メディアの報道を見ていてアレって思うところが多いからです。以前の「石原都知事への自民の許せない公認」の記事でも書きましたが、自民党は神経を疑う不謹慎極まりない発言をしたにもかかわらず片方は非公認にし、もう片方は公認にして選挙を応援しましたが、この自民党のダブルス短ダートについて私がネットを見る限り批判したメディアは存在しませんでした。またこれ以外にも政府から復興支援会議への参加、果てには大連立まで打診されているにもかかわらず今のところ自民党の谷垣総裁ははっきりとした態度を示しておりません。もちろんこれまでの政争もあれば支持者もいるのだしいくら緊急時だからと言ってホイホイ組むわけには行かないという立場はわかりますが、それにしたってここまで邪険にしなくたっていいんじゃないかという気がします。
 このような谷垣氏の態度に自民贔屓の産経も業を煮やしたか、とうとうこんな記事まで書かれる始末です。

首相「菅降ろし封じ」に自信 “クセ球”次々… 搦め捕られる谷垣執行部(産経新聞)

 なかなかよくまとまっている記事なのでよければ見てもらいたいのですが、概略を話すと復興での民主党への協力に対して谷垣氏が優柔不断になかなか態度を決めないことから、管降ろしをするはずが自分が総裁を降ろされるような立場になりつつあるのではと書かれてあります。個人的に感心したのは自民党との連立を辞さないとする石破茂氏や小池百合子氏はかつて同じ新進党で活動して痛い目に遭っているだけに小沢氏とは連携を獲りたがらず、小沢一派と一緒に管首相に不信任を突きつけようにも自民党内で意見が割れるだろうと指摘している点です。私もこの考えを支持します。

 そんな優柔不断な谷垣氏が今必死になってやっているのは政府批判です。ただその中身を見ると原発事故への対応を責める内容が少なくないのですが、そもそもの話としてあんな危険な場所に原発を建てたのは原発利権にすっかり染まっていた元与党の自民党で、安全対策から何まで不備のまま放ってきた責任を忘れてどうしてこんな批判が出来るのだと聞いてて白々しく感じます。それも戦前は軍国主義を礼賛していたと未だに批判される朝日新聞と違って自民党が与党だったのはわずか二年前で、時間的にも今回の東電の事故は自民党の方が責が重いのではと個人的に思います。

 はっきり言いますが、私は谷垣氏というのは正真正銘のクズだと思います。我ながらよくもここまで言い切るなとも思いますが、私はこの人を小泉政権時代から長く見ておりますが最低限の仕事も出来なければ口が軽くて余計なことを口走るわ、よくもこんな人間が議員としてやってけるなと理解が出来ない人物です。差別的だといわれるかもしれませんがそもそも私はこの人の来歴からして嫌いで、確か東大を八年かけて卒業後、七年間定職にもつかず受験勉強し続け司法試験に合格するという立派な経歴には気が遠くなります。今回の連立拒否も、最後まで悩んで小泉首相に「乗るな」と言われてやめたというほど決断が出来ない人らしいですし。
 ちなみに自民党内では森元首相などの重鎮議員や石破氏らは連立に前向きと聞きます。考えもなしで連立というのはまた問題ですが、谷垣氏の「管首相の退陣と引き換え」にという条件は私は如何なものかと思うわけです。

 久々にブログ(陽月秘話)を始めた当初のように攻撃的な記事になりました。あと意識はしてないもののやはり政治系の記事は書くのが早く、比較的長いのにこれも30分位で書き終わってしまいました。好きなんだなぁ、こういうの。

2011年5月9日月曜日

みかんよりすごい温州商人

 本日、管首相の要請を受けて中部電力が浜岡原発停止を承認したことを発表しました。話に聞くとこの浜岡原発は作ることありきで建設が進められ、建設途中で活断層が真下にあることがわかって中途半端に位置を避けようとしたためにかなりいびつな形で建設された原発だそうです。東海大地震が近いうちに発生すると予想されているだけに原発停止はやむを得ず、今回の中部電力の決断には個人的に敬意を表します。
 私が見ているとどこも今回の浜岡原発停止を賛同する、もしくはやむを得ないという声が経済界からも数多く寄せられているようですが、なんか経団連の米倉弘昌会長のみが「納得いかない」と不満を呈しているそうです。先の東電の事故についても免責案件だと主張したりと、殴られたダルマみたいな顔してて空気が読めない人だとつくづく感じます。

 さてこれで活断層上の原発はひとまず片がついたとほっと一息を尽きたいところですが、実は話を聞いていると日本にはまだ活断層上にある原発はあるそうで、もったいぶらずに言うと愛媛県の伊方原発です。この伊方原発については週刊文春で2P漫画を連載している池田暁子氏(愛媛出身)の漫画で知ったのですが、よりにもよってどうしてこんなところに立てたのかこの点については先人を深く恨みます。それにしてもこの前愛媛の人にこの伊方原発について聞いた時、

「愛媛って給食にポンジュースってでるんですか?」
「一週間に一回くらい出るよ」

 と言われ、激しくうらやましい思いをさせられました。

 そんな愛媛のみかんときたら温州みかんがブランドとして有名ですが、そもそも温州というのはどこにあるかは知らない人が多いかと思います。この「温州」という字の読みは「うんしゅう」ですが、みかんに冠せられるこの名前の元となった場所は中国浙江省にあるその名も同じ温州市という場所です。ここは昔からみかんの産地として知られてあの三国志でも孫権が曹操に対して贈り物として送るエピソードが出てきます(途中で左慈にパクられるけど)。ただこの温州という地域はみかんはもちろんのこと中国国内では別の方でもっと有名で、一体何で有名なのかというと表題に掲げた温州商人こと温州出身の経済家たちです。

 恐らく多くの日本人は商売っ気が強くて才気に富んだ中国人というと現在の中国最大の経済都市である上海を出身とする上海人ではないかと考える人が多いのではと思いますが、これは直接中国人に聞いてみるとすぐさま否定され、かわりに温州商人こそが中国のユダヤ人だよとほぼ100%の確率で教えてもらえます。一体どうして温州商人がそれほど特別視されるのかというと、元々この地域では独立して財を成すことが尊ばれる地域だったらしく、戦前からも蒋介石ら軍閥を資金面から大いにバックアップした浙江財閥と呼ばれる集団を形成していました。
 そんな温州商人は現代においても今なお健在で、中国で金持ちといったらその大半が浙江省、それもこの温州市出身だといわれております。実際に高額所得者は浙江省在住者で上位が占められるというのは統計上でも確認されており、日本の秋葉原で電機ジャーを買い占めたり、観光地の土地を買い漁っているのも大概が温州出身者だそうです。

 彼ら現代の温州商人の特徴を言うならば、海外志向が強いことが上げられるのではないかと思います。温州商人は中国が改革開放に舵を着替えるや早々に香港など外界へ出て行っては自らの商売を広げようと行動し、それが行過ぎてしまったというべきか一部地域では現地住人との間で軋轢が生まれている地域も存在します。
 そのような地域で一番有名なのはなんとイタリアで、話を聞くとイタリアマフィアもびっくりなくらいに温州出身の中国人が現地で裏商売に暗躍していたらしく、イタリア政府もかなり神経を尖らせて温州出身者に対して排他的な態度を取っているそうです。私が今年三月に実際に確認したニュースでも、温州にある中国の地方銀行がイタリアのある都市に支店を出店しようとした所、マネーロンダリングや現地の富が吸い上げられるなどといった理由で、設立直前になってイタリア政府は出店許可を取消したというニュースがありました。

 日本で同じように商売に長けた地域というと一般的には大阪が挙げられるかと思いますが、これはうちの親父の持論ですが本当にすごいのは大津商人ではないかという意見もあります。事実私も確認したところ大阪で大成した商人のルーツを辿ると大津こと滋賀県に行き着くことが多く、私もこの説を支持しています。ただ最近だと、竹中平蔵氏や奥田碩氏を輩出した三重県勢のが勢いある気がするけど。
 中国においても経済関係だと目立ってしまうのはどうしても上海になりがちですが、現在の上海は東京と同じように昔から上海に住んでいる人と途中で移ってきた人、私のように一時的に住んでいる人とで大部差があります。ちなみに私の見方だと、昔から上海に住んでる人はユーモアに明るくいい意味で図々しいところがある気がします。

 最後に日本の温州みかんについて一言。なんでも名称は温州であれども品種上の関連性では温州のみかんとは何の関係もないそうです。よく日本は中国に対して名称をパクるなと言い合っていますが、この点を突かれたら結構痛いのであまり中国人にはこのネタは話さないようにしています。時効ってことで勘弁してくれないかな。
 それにしても原発の話題からみかん、温州商人とつなげるあたり、自分らしい記事の書き方だと思います。

2011年5月7日土曜日

承久の乱と戊辰戦争

 日本史において武士政権が天皇家勢力とガチで戦争をしたのは何度かありますが、対照的といえるのは今回の題となっている鎌倉時代における承久の乱と明治維新期の戊辰戦争でしょう。どちらも状況を違えども幕府勢力と天皇勢力が大きな戦火をまとって対立し、勝った側の勢力が後の実権を握ることとなりますが、具体的にどこが対照的なのかというと当時の幕府勢力を率いた指導者の能力で、トップの差が緊急時の大勢に大きく影響するのを証明する好例だと私は考えております。

 まず鎌倉時代の承久の乱ですが、大雑把に当時の状況を説明すると源平合戦を制した鎌倉幕府は一応武士の棟梁としての地位を固めたものの、東国はともかく西国においてはいまだ天皇家の勢力が大きくて全国的な支配者とはまだ呼べない存在でした。しかも折り悪く頼朝の息子の二代将軍頼家、三代将軍実朝ともに夭折し、執権を勤めていた北条家が幕府を指導していたものの支配者の正当性が揺らいだ時期でもありました。
 そんな時期に天皇家を率いたのは権謀術数で有名な後白河法皇が、「こいつならまた天皇家を盛り返す」と強く期待していた後鳥羽上皇でした。まだ議論はされてはおりますが私は後鳥羽上皇は初めから鎌倉幕府打倒を考えていたのではなく、源実朝が生きていた頃は真剣に公武合体、もしくは協調路線をとろうとしていたのではないかと思います。というのも後鳥羽上皇と源実朝は和歌を通じて交友があり、もう少し実朝が生きていたらまた違っていたのではないかと思わせる節が多々あるからで、それだけに実朝の暗殺はいろいろときな臭いのですが。

 話は戻りますが実朝が夭折した後の鎌倉幕府は当初は皇族から将軍を招き入れようとするものの後鳥羽上皇に拒否され、最終的には摂関家から呼び寄せます。そうした権力の空白期を狙って後鳥羽上皇は幕府追悼の院宣を出したのですが、西国の武士はもちろんのこと、この院宣には元々鎌倉幕府寄りだった東国の武士たちも大いに動揺したと伝えられています。いくらこれまで幕府に仕えてきたとはいえ天皇家の命令とあらばそちら優先せざるを得ない、そうして出方を決めかねている武士団を一挙に幕府方に引き寄せたのは言うまでもなく北条政子です。
 皆さんも知っておられるかと思いますが北条政子はこれまで幕府がどれだけ武士の地位の向上に取り組んできたことや、今ここで幕府を潰してしまえばまた元の木阿弥になると懇々と演説し、この政子の演説を受けて東国武士団は一挙に幕府方に馳せ参じたといわれます。また北条政子のほかにも実際に京都への討伐軍を率いた後に三代執権となる北条泰時もまた大した人物で、一旦は出陣するもわざわざ引き返して父親の二代執権北条義時にこう聞いています。

「もし上皇が直接兵を率いてきたらどうしましょうか」
「直ちに弓の弦を切り、鎧を脱いで降伏せよ」

 この会話が本当にあったかどうかはわかりませんが私はこの時の両者の会話は率いる武士たちを安心させるためと、戦後処理を見越した上での会話だったと思います。もっともまさか幕府が反抗してくるとは思わず上皇の軍勢はもろくも崩れ去り、院宣を出した後鳥羽上皇は、「側近が勝手に幕府を追悼しようとしたのだ」と言い訳をして早々に降伏を決めております。といっても、負けた後は隠岐に流されちゃうわけだけど。

 これに対して明治維新期の江戸幕府を率いた徳川慶喜はというと、確かにウルトラE難度の大技とも言っていい大政奉還を実行したことは大したもんですが、その後鳥羽・伏見の戦いに敗戦するや早々に兵を置いて一人で大阪から江戸に帰ったことは理解し難いです。これによって佐幕派の武士たちも「えぇ(;´Д`)」って思ったそうですし、当時の状況を見るときちんと大阪に残ってしっかり戦ってりゃまだまだいくらでも巻き返せたんじゃないかと思う要素が盛り沢山です。大政奉還を支持した土佐藩はもとより、当時最強のアームストロング砲を自作した佐賀藩(自作については現在疑問視されている)もこの時はまだ態度を決めかねて中立を維持していました。
 それこそ慶喜がかつての北条政子さながらに、「これは幕府が望んだ戦争ではなく、薩長が望んだ戦争である」などとギレン・ザビばりに叫んで、天皇家ではなく薩長と戦うのだなどと言ってりゃ薩長を恨んでる藩もいたと思うのに。そうは言いつつも、藤堂高虎に始まる津藩は史実通りに真っ先に裏切りそうだけど。鳥羽・伏見の戦いでは幕府側として出陣しておきながらいきなり幕府軍を砲撃する始末だし。

 私は組織というのは必ずしもトップの力で決まるわけじゃなく、むしろ日本人の性格からして末端の実行部隊の優秀さが優劣を決めると考えてはおりますが、いざという時のトップの力量の差は追い込まれた状況を決定的にしてしまうということをこの二つのエピソードは語っております。現在日本でトップというと管首相と東電の清水社長が槍玉に挙げられやすいですが、管首相はともかくとして東電の社長なんかどれだけ功績挙げても名前も顔もテレビに映らないのに対して、こう不祥事や事故が起きるや連日連夜報道されるというのはなかなか考えさせられます。あとどうでもいい私の推量ですが、地震発生から最初の数週間は清水社長は過労で入院していたとして表に出てきませんでしたが、私は実際には入院じゃなくて謝罪会見でのコンサルタントを受けていたんじゃないかと勘ぐってます。なんていうか、復帰後のお辞儀の仕方が様になっているような。