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2011年5月15日日曜日

私のナショナリズム遍歴

 なんか今日からこっちでYahooメールが開かなくなりました。これまでにもこういうことは度々あったので恐らく一時的で、また明日には開けるかと思いますが小学生の嫌がらせのように地味に腹立ちます。その代わりと言っては何ですが先日にダウンロードできなかったとこのブログで報告した電子書籍が何故かダウンロードできるようになり、ついに「でろでろ」の7巻をパソコン上で読むことが出来ました。あまりにも感動したもんだからすぐまた8巻も買って読んでしまいましたが、世に妹キャラはたくさんいれどもこのでろでろの「日野留渦」以上の妹キャラはいないんじゃないかとよく思います。

 こんなどうでもいい前文を書きながらですが、今日は私のナショナリズム遍歴を紹介しようと思います。個人的な内容かなと思って最初は見送りかけましたが、ちょうど私の青春時代が日本のナショナリズム観が戦後以降で大いに変動した時期なので書く価値があると判断しました。

 私が明確にナショナリズムを初めて持ったのは、年にして13歳の中学一年生の頃でした。その頃予備校で教わった先生にいろいろ社会問題を教わって政治について興味を持ち出し、世の中が良くないことを何でもかんでも政治が悪いせいだといっちょまえに口にしていました。同時に小学生時代はなんだか不公平に感じて否定的だった天皇制も途端に肯定的になり、中二病のようになんだか右翼的な行動や価値観がかっこいいと思うようになっていきました。
 当時は北朝鮮が弾道ミサイルテポドンを発射した時期で、私だけじゃなく日本中で国防について議論が盛り上がっていた頃でした。といっても盛り上がったのはまだ一部の人間にとどまり、一般市民はまだ政治については今より関心が低くて投票率も今なんかと比べると低い水準を維持してました。私はそんな低い投票率を見て、ありがちといえばありがちですがこんな日本人じゃ国が駄目になると、まぁ子供らしくストレートな感情を抱いていたのを我ながら恥ずかしく感じます。

 その頃にあったもう一つの大きな事件を話すと、ちょうと「新しい教科書をつくる会」(通称つくる会)が出来、教科書の裁定を巡って大きな議論が起こっていた頃でした。これは以前に外交白書も見て確認をしていますが、ちょうどこの頃からそれまで変動のなかった韓国、中国への好感度が振れ出し、2000年代に入る頃には明確に下がり始めます。
 そうした外交意識の変化以上にこのつくる会が巻き起こした騒動はいわゆる自虐史観からの脱却で、「日本はもう謝らなくていい」という言葉の元に歴史教育の改革が叫ばれるようになりました。当時の私は私立の学校にいたせいもあるでしょうが自虐史観についてはそれほど関心がなく、またつくる会の教科書も抽象的な内容が多いように思え、大学受験用として使うにはあまり価値がないと取り立てて気にはとめませんでした。

 その後高校生となった私は徐々にテレビニュースなどを見るようになって知識を蓄えるようになり、右傾化の傾向にも拍車がかかっていきました。靖国神社に行ったり正月の天皇参賀にも参加したのもこの頃で、親父に菊の御紋入りのがま口(1,000円)を買ってもらったのを覚えてます。さすがに使いどころが見当たらなくて未だに引き出しの中ですが。
 この頃になると政治に興味を持たない周りの生徒がたるんでいるように思え、電車の中だろうがなんだろうが頼まれてもないのに高説ぶるようになり、今見たら殴り倒したいくらいの生意気ぶりだったと思います。ただ当時の自分を唯一誉めるとしたら、誰かに師事して教えてもらうのではなくちゃんと自分から雑誌とかを読んで知識を身につけてった所です。そんな都合よくなんでもかんでも教えてくれる人はいないんだから自分で勉強しなきゃと、行動に移した点は及第点でした。またこの頃はまだ政治家になって世の中を自分が変えてやるんだ、自衛隊も強化して他国に侵略させないようにしなければとどちらかと言えばプレイヤー志向が強い時期でもありました。

 それが変化したのは大学に入って以降でした。大学入学直後でこそ自分は右の人間だと明確に自認していましたが、当時は小泉内閣で徐々に格差問題が表面化していった時期でもあり、郵政改革の過程で右派の中でも意見が割れ始めていた頃でした。勘違いしてもらいたくないのは当時の私は格差拡大論者で、現時点においても当時の小泉内閣における竹中平蔵氏の政策は正しかったと考えております。ただこの格差問題で私が気になったのは、右派の政治家や論者にこの格差問題にかこつけて小泉内閣を批判して政局にしようとする人間が現れだし、先述の郵政改革が進むにつれてその傾向が激しくなっていったことです。
 このあたりからそもそも右翼、左翼という構造で物事を考えていたら立ち行かないのではないと思うようになり、自分をどちらの立場において考えるのではなく政策ごとに独立して意見を持たねばならないと考えるようになりました。その結果自分を右翼、左翼とどちらにも置かなくなり、国に対する意識も何が何でも良くしなければという感覚も徐々に持てなくなっていきました。

 その後の過程はちょっとすっ飛ばしますが、現時点での私のナショナリズムはそれほど高くないと思います。よくこういうブログを運営していることから国のことを強く思っているのではと言われることがありますが、結局のところ国を変えても日本人が良くなるという確信が持てず、むしろ自分という個人の能力を高めるだけ高め、尋ねられたら教えるという行為を続けることの方が価値があるように今は考えています。自分への自戒を込めて書きますが、いくら政治を良くしようと政治家を変えたりしても国民が変わらない限りはなにも変わらないと思います。

 最後に、ではどうしてこのブログで政治解説などをやるのかという理由ですが、以前かも書いてはいますが単純に政治や時事を勉強したくとも勉強する手段や糸口が見つからない人間、対象としては大学生向けに「こんな考え方もあるんだよ」という紹介がてら書いてます。前述の高校時代に私も苦労した思い出があり、そうした人たちへの一助になればと文章を書く趣味をかねて書き続けてます。

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