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2014年3月8日土曜日

豊臣政権が崩壊した原因とは

 前回記事で豊臣秀吉がどうして偉大なのかというと戦国時代を終わらせたことと、自身も超一流の才能を持ちながら各分野で自分以上の才能の持ち主を活用した点にあると主張しましたが、同じく豊臣政権について今日は一体何故徳川政権にとってかわられたのかその崩壊原因を分析してみようと思います。この手の崩壊原因で徳川幕府とかはよく話題に上がるものの豊臣家に関しては、ある程度はっきりしているというのもありますがあまり議論がないように思えるので、ちょっとこの辺りで一本書いてみようと考えた次第です。

  崩壊原因1、徳川家を滅ぼさなかった
 説明するのもばかばかしいくらいに代表的な原因ですが、後に豊臣家を滅ぼして徳川幕府を開く徳川家こと徳川家康を秀吉の存命中に滅ぼさなかったことが最大の崩壊原因でしょう。秀吉と家康は小牧・長久手の戦いで一度戦っており、この時は徳川家が勝利を収めましたが仮に長期戦となれば動員兵力や兵糧の観点から言って秀吉が勝利していたと断言できます。それでも秀吉が家康との和睦を選んだのは当時はまだ九州や中国・四国地方はおろか、近畿地方ですら各地で抵抗勢力が活動を続けており土台が盤石でなかったことが影響しているのですが、これは逆を言えば天下統一後であれば余裕綽々で徳川家など葬り去ることが出来た証左です。
 こういってはなんですが天下統一後にあっても徳川家は豊臣家にとって明らかに危険な存在だったとしか思えません。大阪を中心とした近畿地方を所領としていることから経済力では豊臣家に分があったものの、石高で言えば実は秀吉存命中から徳川家の方が上回っておりました。その上というか家康は若い頃から明らかに腹黒で何考えているかわからない節があり(おまけにスケベ)、いくら名声が高かったとはいえ謀反なりなんなり理由をでっちあげてでも秀吉は徳川家を滅ぼしておくべきだったでしょう。
 この辺が秀吉の変に甘い所なのですが、意外と彼は性格的にやさしくて非情になりきれなかった節があります。前漢の劉邦は韓信や彭越、源頼朝は弟の義経や範頼、足利義満は山名氏や大内氏といった功臣を天下統一後に悉く誅殺している所、秀吉は伊達政宗に対してはプレッシャーをかけつつもその他の大名に対しては取り潰しらしい取潰しはほとんど実行していません。
 さらには、天下取りにおいては活躍したものの治世下に置いて不要ともいえる加藤清正や福島正則といった武功派武将を切り、石田三成や片桐且元といった文治派武将への切り替えも中途半端で、両者の間で派閥争いを作り後の関ヶ原の要因を作るという大ポカもやらかしています。これは後に天下を取る徳川家とは好対照で、この辺が両家の行く末を分けたと言って過言でないでしょう。

  崩壊原因2、親類縁者の致命的な不足
 これも徳川家とは対照的な点なのですが、豊臣家においては大きな所領を持つ有力な一族が全くと言っていませんでした。皇族などはよく皇室の藩屏などと呼ばれることがありますが、欧州のハプスブルグ家然りで封建制において血のつながりというのは跡目争いの原因にもなるもののやはり強く、いざって時に譜代や外様の人間とは一線を画した行動が期待できます。それだけ重要なだけに徳川家などでは顕著ですが重要拠点を親族に治めさせることによって長い政権維持につなげましたが、豊臣家ではこうした有力な一族大名は全くと言っていいほどいません。
 一体何故いなかったのかというと秀吉の出自によるところが大きく、農民出身であったことから第三親等くらいまでしか親族と認識できる一族はおらず、 また秀吉自身が子供をほとんど作れなかったという不幸な現実がありました。そんな秀吉の一族において唯一と言ってもいいほど頼りにすることが出来たのは秀吉の弟の豊臣秀長くらいで、彼は存命中からも高い人望を集めただけでなく兄譲りの高いオペレーション能力を発揮して当地の難しい紀伊地方(和歌山県)を大過なく治めていたことから有力な藩屏となり得たでしょう。しかし惜しいかな兄よりも早く若死にしており、仮に長生きできていれば中国の周王朝における周公旦の様な人物になっていたのかもしれません。
 このほかには一応、正室の寧々の出身である浅野家から浅野長政というこちらもオペレーション能力の高く広島藩の藩祖となった武将がおり、彼なら藩屏としての役割も期待できたでしょうが秀吉の後継には寧々とは折り合いの悪かったとされる淀君の子である秀頼に決まり、私は浅野長政としてはこの点が豊臣家と距離を置く要因になったのではないかと少し思います。
 その淀君(最初「淀気味」と変換された)もこういってはなんですが、いわば亡国の姫君で出身である浅井家が既に存在せず、息子の秀頼にとって後ろ盾になる外戚が存在しなかったというのも見逃せないポイントです。仮に淀君が豊臣政権下における有力大名家の出身、それこそ上杉家や前田家、毛利家の姫君であれば歴史は全然違ったでしょう。

  崩壊原因3、豊臣秀次の粛清
  上記の親類縁者の不足にも絡みますが、秀吉が一度は自分の後継者としてレールを敷いたものの秀頼が生まれたことから邪魔者となり、廃嫡した上に粛清までした豊臣秀次の運命もその後の豊臣家の行く末を決めた要因でしょう。豊臣秀次は秀吉の姉の息子で甥にあたるのですが、若い頃からそこそこ戦場でも活躍している人物で、世間で言われているほど決して無能ではなかったと私は評価しております。ちなみに彼は「殺生関白」と呼ばれるほどむやみに人を殺したりするなど乱行を繰り返していたことも粛清された要因と言われていますが、私はこの説に対しては疑問視しており、むしろ秀吉が粛清に正当性を持たせるために流した主張ではないかと見ています。
 この秀次の粛清によって秀吉の後継者は秀頼となりましたが、仮に秀次を秀頼が成人するまでのつなぎに使っていればまた違ったでしょう、裏切る可能性はありますが。なおこの秀次の粛清については石田三成が秀吉に讒言をしたためという説がありますがこれは現在では否定されつつあります。豆知識が続きますが秀次は粛清前に追放され出家していたにもかかわらず切腹を申し渡されており、これは当時としても異例なほど厳しい処置だったそうです。なおかつ秀次の一族は女子供に関わらずほぼ全員処刑されていて、これも当人は処刑されても女子供は生かされるケースの多かった日本史上では珍しいことで、先ほどは秀吉のことを「非情になりきれなかった」と評したものの、この秀次事件に関しては異常なほどの残酷性を秀吉はみせています。
 もっともというか、中国史では三国志の曹操を筆頭に「三族皆殺し」はしょっちゅうあることなので、中国史に慣れた私からするとこの秀次事件が特段残酷だったとは思えないほどこのところ感覚が麻痺してます。これはほかの面でも言えるけど、中国人と比べて日本人ってやっぱ変に優しいというか甘いところがある気がする。


  崩壊原因5、譜代大名の保守化
 上記三つまでの理由はあちこちでも説明されておりそれほど珍しいものではありませんがこの崩壊原因4は私オリジナルの説で、恐らく本邦はおろか全米初公開の意見でしょう。どこだっていいけどさ。
 秀吉死後に行われた関ヶ原の合戦では加藤清正や福島正則、そして黒田長政といった豊臣家の譜代武将が悉く徳川家率いる東軍についておりますが、これは彼らが西軍の主導者となった石田三成に対する憎悪が主原因となっているものの、それと共に彼らが「如何に領地を切り取るか」という戦国の気風から「如何に藩を守るか」という保守的な思想に変わったことも大きいのではないかと思います。
 幕藩体制というと江戸時代の制度のように思えますが、実際にこの制度を作ったのは豊臣政権で徳川幕府がこの制度を流用して定着させました。これ以外にも石高制や五人組など徳川幕府にも流用された制度は多く、そういう意味で豊臣家は前漢の布石となった秦みたいに思えるところがありますがそれは置いといて、関ヶ原の合戦時点で当時の大名らはそれぞれ領国を持って自身で切り盛りするようになっていました。自身で領国を切り盛りするという点は戦国時代でも同じですが決定的に違ったのは現状以上に領土が広がらないという点で、混乱や紛争の隙を見て隣国の領地を奪い取るという概念は関ヶ原の時点ではもはや通用しませんでした。

 これがどういう意味を表すのかというと、当時の大名は領土を広げるというより領土を如何に守るかの方に頭が回っており、いわば損得概念が戦国時代とは大きく異なっていたのではないかと言いたいわけです。切り取り勝手の戦国時代では時には不利な状況でも主家に忠誠心をみせることによって戦後の報償に与かるという立ち回りも出来ましたが、関ヶ原の時点ではそういうハイリスクな行動は通用し辛く、むしろ如何に安定して国が保てるかという観点から徳川家についた譜代武将が多かったんじゃないかとこの前閃いたわけです。
 翻って当時の状況を見ると、主家は確かに豊臣家であるものの当主の秀頼はまだ幼く、頼りがいのある安心感で言えば家康の方が圧倒的に上でした。そのため豊臣家に恩顧のある大名でも、心情的には西軍参加に傾きつつあっても抱えている家臣やその家族のことを考えると保守的に動かざるを得ず、寄らば大樹の陰とばかりに東軍についたのではないかと言いたいわけです。
 こう考えるきっかけとしては豊臣秀長に見出され大名となった、戦国時代の竜騎士カインこと藤堂高虎で、彼は秀吉が死ぬや真っ先に徳川家への接近を図っております。加藤清正や福島正則などは三成憎しで東軍についたと判断できるもののこの藤堂高虎に関しては英語で言うなら「Nothing to do with 三成」というくらい縁がない人物です。「武士は七回くらい主君を変えねば武士とは言えぬ」というくらい利己的だった藤堂高虎は極端な例であるものの、彼ほど露骨でなくても保守的に自国領土を保つという保守的判断から東軍参加を決めた大名はほかにもいたのではないかと思え、如何に領土を奪い取るかという戦国の気風から安定した時代になって芽生えた大名の保守化も家康にとって有利な状況を作ったのではと考えた次第です。

 さらっと書くつもりはなかったものの、我ながらえらい長文となってしまいました。故水野晴郎じゃないけど、「歴史ってほんといいもんですね」って言いたくなるくらいの長文だな。っていうか、二回に分けて書けばよかった。

2014年3月6日木曜日

英雄としての秀吉

 現在放映中の大河ドラマ「軍師官兵衛」を放送時間に自宅にいる際は見ていますが、先週あたりから織田家や周辺諸国と黒田官兵衛が絡むシーンが増えてきて、序盤に比べて格段に面白さを感じるようになってきました。特に織田家とのシーンに出てくる秀吉が場面を盛り上げており、演じる竹中直人氏はかつての大河ドラマ「秀吉」で演じた同じ役が当たり役だっただけに当時の演技ぶりと重ねつつ楽しく見ています。そんなファンキーでモンキーな秀吉ですが実はここだけの話、日本史上で英雄と呼べる人物はこの豊臣秀吉くらいではないかと私は考えております。なんでそんな高評価をしているのか、さっきからやけに左腕がしびれるけど頑張って今日はその辺を書いてみようと思います。

 秀吉がどんな人物であるかについては説明するのも野暮なくらいに一般的ですが、農民の出身でありながら織田信長の草履取りに始まり着々と出世してゆき、城持ち大名になったところにとどまらず最終的には天下を統一して関白職に就任した戦国一の出世頭と呼ばれることが多いように思えます。しかし彼を単に出世頭として形容するのはややもったいないように思え、というのも応仁の乱から日本全国で百年以上も続いた戦国時代を終結させたのはほかならぬこの秀吉で、政権こそ次代に引き継がれなかったものの豊臣政権で実施した石高の統一や五人組制度など、政策の多くは江戸時代でも採用され続けていることなどからも近代日本の礎を作った張本人と考えてもいいと思っております。

 そうした業績以上に私が秀吉を高く評価している点として、彼自身が軍略家、施政家、説客としてどれも超一流の実力を持っていたにもかかわらず、各分野において自分以上の才能の持ち主を採用し、活用している点が挙がってきます。具体的には今期の黒田官兵衛や石田三成、小西行長などで、これら数多くの人材を見出して使いこなしていたというのは関白は伊達じゃないといったところでしょうか。
 私が何でこの点を大きく取り上げるのかというと、歴史上で一芸に秀でているというか非常に高い才能の持ち主というのは概して自分以上の才能の持ち主に対してあまりいい感情を持たず、その才能を認めようとしないところがあるように思うからです。それこそ中国の劉邦や劉備は確かに数多くの名将名軍師を活用しておりますが、二人とも外っ面がいいだけで自分らはそれほど戦争が上手かったり、知略に優れていたというわけではありません。もちろん両者ともに大人物であることに変わりはありませんが。

 それに対して秀吉ですが、彼は間違いなくハイレベルでの軍略を理解していた上に初めて持った所領の長浜を大きく発展させただけでなく、若い頃は竹中半兵衛や美濃三人衆の調略に成功して浅井家との交渉を担当するなど外交手腕も半端なものではありません。にもかかわらず自分以上の才能の持ち主を獲得するとその才能に一任するというか、適材適所に仕事を任せて着実に成果を上げ続けました。

 秀吉の主君である織田信長も自身で非常に高い才能を発揮していた上、秀吉を初め明智光秀や滝川一益などどこぞの馬の骨ともわからない人物らでも才能ありと見るや大抜擢させて活躍させている点は同じですが、抜擢した部下の裏切りがあったかどうか秀吉とは大きく異なります。今回この記事を準備するため帰りのバス(乗車時間13分)で記憶をめぐらしましたが、改めて考えてみると秀吉を裏切った武将というのはほとんど見当たらないというか、少なくとも知名度のある大身の人物に限れば全くいないと言っても過言ではないでしょう。むしろ秀吉のために主君を裏切った人物は数知れず、徳川家の石川数正や柴田勝家陣営にいた前田利家など、「人たらし」の異名通りに悉く寝返らせ続けました。

  さらに秀吉本人もその気があったというべきか、三国志の曹操同様にやや人材の引き抜きマニアと思える節もあります。具体名を挙げると上杉景勝配下の直江兼続で、その才能を高く評価した秀吉は直属の配下にしようとあれやこれやと誘いをかけ続けたと言われています。

 話は戻りますが、自らも超一流でありながら多才な人物を採用したというこの点こそほかならぬ英雄の条件だと私は考えます。英雄というと一般的には古代ローマのカエサルやフランスのナポレオンなどが挙がってくるでしょうが、両者ともに非凡な才能を持ちながらも配下には負けず劣らず個性が強くて優秀な幕僚を取り揃えていました。ただナポレオンに関しては、自分以上とも覚えるほど優秀過ぎる部下(ダブーとか)に対して後年になって意見を聞かなかったり、回想録で辛辣ともいえる評価を述べるなど嫉妬に似た感情を見せており、超一流でありながら他人の才能を認めるということがどれだけ難しいかを感じさせる好例にもなっています。

 こうした点を考慮するにつけ、決して低くない評価であるものの秀吉に対してはさらに高い評価をしても良いのではないかとこの頃思えm特に賤ヶ岳の合戦前後は神憑り的な勘や行動力を見せており、総合的に見るなら日本史上で最も才高い人物の一人と見てもいい気がします。不足している点といったらあだ名にもされた猿顔という品のよろしくない外見くらいですが、私は仮に外見までパーフェクトだったら人物的に面白さが落ちていたと思うだけにこれをマイナスポイントとしてみるのはどうかなとすら考える次第です。
  それだけにというべきか、晩年の判断ミス連発は誠に惜しいというよりほかありません。というわけで次回は一体何故豊臣政権は崩壊することとなったのかその原因についてあまり活発に議論されていない気がするので、自分なりにまとめた論点を書いてこうと思います。久々だなぁこういう力入れる歴史記事。

2014年3月5日水曜日

このブログのアフィリエイト収入額

 前回日曜日の記事で予告した通り、休載期間を終え本日から更新再開です。とはいえ今も頭にもやがかかったような具合であまり調子が良くなく、今朝も電車の中で寝ていたら隣に座っていた高校生らしき男の子が肩で自分の眼鏡を当ててくる荒業によって起こされた際、「ぶっ殺すぞこのクソガキ」って激しい殺意を抱いたほど精神的に不安定な状態が続いています。にしても、寝ていて眼鏡に物当てられたのは生まれてこの方初めてだ。

 というわけで本題に入りますがよくこのブログを知り合いに紹介した際、「こんなに本格的なブログをほぼ毎日更新しているならアフィリエイト収入もすごいんじゃないの?」とよく言われます。アフィリエイトとはネット広告の一種で、実際にこの陽月秘話ではGoogle AdSenseが提供している広告と一部記事においてAmazonのバナー広告を載せておりますが、結論から述べるとほとんど大した収入になっておらず、ずばり金額を明かしてしまうと一ヶ月当たり大体700~800円程度しか収入はありません。この金額がどういう価値を持つのか、ブログのアフィリエイトについて興味を持っている方も多いと思いますので今日はこの辺について解説します。

 まずこのブログの現況について簡単に紹介しますが、 このブログの一日当たりのPV(訪問者)数は約350人で、個人で運営しているブログとしてはそこそこ誇れる人数だと思っております。こう思うのもブログ開設から一年くらいまでは一日20人くらいがやっとで、本当に毎日、「どうやったら一日100人くらいくるサイトにできるのだろうか」などということを考えてて三桁に乗るなんて夢物語だと思っていた時期があったからです。それだけに現在のPV数を支えてくれる固定読者の方々には本当に頭が下がり、記事の質も読者数の増加に伴って良くなっているとも思え文字通り読者に支えられているブログだと考えております。

 然るに、というのもちょっと妙ですが、毎日350人もアクセスしているにもかかわらず広告収入は一ヶ月当たり700~800円しかなく、見る人によっては少ないのではと思うかもしれません。なおこの金額はすべてGoogle AdSenseによる収入でAmazonの広告に関してはほぼ無きに等しく、今年1~3月の第1四半期は以前に私がレビューを書いた「実は私は」という漫画の1巻と2巻が1冊ずつ買われていっただけで、これによって私の懐に入ってくる紹介料は28円です。まぁAmazonの広告はそれほど頻繁にバナーを貼っていないというのもありますけどね。

 話はGoogle AdSenseに限定して進めますが、ほぼ毎日ブログを更新、しかも読んでて嫌になるくらいの長文で、なおかつ一日350人くらい来て700~800円の収入というのがこの陽月秘話です。なお私が通っている漫画喫茶の3時間パックがちょうど800円なので、感覚的には毎月漫画喫茶一回分の収入を自分はブログで稼いでいると豪語しています。もっとも漫画喫茶にはほぼ毎週行ってますが。
  その気になればですが、この広告収入は現在よりも増やせる自信があります。どうやって増やすのかというと広告バナーの位置をもっと上部、具体的にはトップページを開いた時すぐ目につく位置に置いたり、集客を意識した記事を連投するなどいくつかありますが、この陽月秘話ではそういった利益優先な行動はとらず自分の主張を思うがままに書きつづりたいとの考えから実行には移しません。Google AdSenseのバナーを置いているのも収入を得たいというよりも、これがどういう仕組みなのかを測りたいという興味から置いてみただけで本気でこれで稼ごうというような気持ちはありません。

 たまにネットを徘徊していると、「ブログでアフィリエイト収入をGET!」なんていうキャッチフレーズとともに、ブログを開設すればこづかい収入をアフィリエイトで稼げるというような宣伝文句を見かけます。しかし断言しますがよほど集客力の高いコンテンツや芸能人並の高い知名度がない限り、ブログでそこそこのアフィリエイト収入を得ることは不可能でしょう。それこそ、このブログ以上のコンテンツや更新頻度を作ることが出来るのかってとこです。
 ではどうすればそのような集客力の高いブログを作れるのか。いくつかキーワードを挙げるとペット系や芸能ネタはブログアクセスランキングで上位に入りやすいためこういったジャンルを手掛けるのがまだベターかなと思います。それらと共にもう一つ、これは以前に私が利用していたgooブログで顕著でしたが嫌韓嫌中のような排他的なブログもアクセス数が伸びやすい傾向があります。

 実際にこのgooブログのアクセスランキングを見てもらえばわかりやすいですが、あまりこういう表現は好きではありませんが極右的な傾向が見えるブログが上位にたくさん入り込んでいます。勝手な言葉を述べると、これら極右的なブログのいくつかは自らの政治信条に基づいてブログを運営しているというよりも明らかに集客を狙って憎悪を煽りたてるような記事を載せているような気がします。言うまでもありませんが、このようなブログを私は好きではありません。
   ブログに限らなくてもこのところ中国や韓国に対して批判的な内容の書籍や週刊誌の記事が増えていますが、このような文章が単純に売れるから増えていると出版関係者も述べているそうです。韓国はどうか知りませんが中国の批判本に関しては明らかに常軌を逸しているというか事実と乖離した内容であるにもかかわらずさも自信たっぷりに、「中国はもうすぐ崩壊する」と書いているものが多く、確信犯ででたらめを書いて不必要に日本人の中国人に対する憎悪を煽るこの手の人間には強い怒りを覚えます。それこそシャドーバンキングが中国の大きな問題だと書いている本の作者は例外なく見当違いも甚だしいカスで、中国経済を十年勉強して来いと言ったって許されるでしょう。

 ちょっと話は脱線しましたが、アフィリエイトは正攻法じゃほとんど稼げず、本気で稼ごうとするのなら多少のズルというかテクニックが必要です。ですのでブログは基本稼げないものとして、稼ぐ目的で解説してみようという方は初めからやらないことをお勧めします。何も得られなくてもいいから主張したい、っていう人にはうってつけですけど。

 最後に自分が運営するもう一つのサイトこと「Comlocation 企業居点」についてですが、このサイトはさくらサーバーのレンタルサーバーを借り、独自ドメインを使っているので一ヶ月当たり750円(サーバー:500円 独自ドメイン:250円)の費用が掛かっています。こっちはコストをかけている分、ある程度広告収入を得ることを目的に設計しているためバナー広告もあざとい所に設置していますが、こちらの先月の広告収入は1771円で無事黒字化を達成しました。
 一日当たりのアクセス数は平日か土日かで大きく変動しますが、人が来る平日に限れば大体200人強でこの陽月秘話よりも少ないです。ただ閲覧する人は基本的にサラリーマンで、使用するパソコンはオフィスに置かれたものだと予想されることからクリック一つ当たりの広告収入がやっぱり大きい気がします。アクセス数はまだ右肩上がりが続いていますし載せるデータも一体いつまで続くんだっていうくらいあるのでまだ伸びていくと予想していますが、そろそろ陽月秘話と連動した企画記事も書いてかなきゃと思っているところです。

2014年3月2日日曜日

疲労のためしばらくお休み(ヽ´ω`)

 気づいている方は気づいているでしょうが、先週辺りからこのブログの文章にやたら「ファッキン」とか「死ね」などと激しく攻撃的な言葉が頻出しています。なんでこんな言葉が増えてきたのかというと単純自分の性格が攻撃的ということが第一ですが、それと共に疲労が溜まってきていることも大きく影響しているのではないかと思えてきました。

 もともと体力にはそんな自信がある方ではありませんが、このところ忙しいというか体力の消耗が激しく、数日前には左耳が痛くなったり目の焦点が合わなくなってきたりと露骨に影響が出てきたりとあんま芳しくない状態となってました。自分の苦労自慢をするのはあまり好きじゃないのですが、今の勤務先は通勤に一時間半かかる所でかつ始業が八時からなので、毎朝六時に家を出るため気象は五時半くらいです。それだけ朝が早いというのなら夜は早めに布団入ればいいものを、このブログ書いたり「企業居点」の作業をしたりするせいか就寝はいつも十二時くらいで、睡眠時間は平日は大体五時間くらいとなっています。

 平日の睡眠時間が少ない分、休日には寝貯めするようにしているのですが、先週はブログにも書いた通り使用していたブラウザのOperaでトラブルを起こし、これの対応で作業が進まないばかりかイライラして余計に披露する羽目となりました。疲れていることを見越したのか先週日曜にはうちの親父が銭湯に連れて行ってくれましたがあまり効果なく、誇張抜きで先週一週間は仕事していて本当にしんどかったです。
 おまけに今の会社はメーカーであることもあり、四月からの消費税増税を見越して客先各社で今のうちに流動品の在庫を買っておこうと注文が集まっており、一月に入ってからずっと忙しくなっています。そのせいか自分もそうですが、なんか周りの同僚も顔つきが厳しくなっててやや殺伐とした空気が流れています。

 なもんだからこのブログの更新も減らそうかと考えましたが、ちょうどというかウクライナ情勢だったりアベノミクスの破綻予想とか時期を外せないネタが増えており、腹をくくって月~木に書き続けました。どうにかこの土日まで持ってくれば休日に休んで何とかなるだろうと考えて頑張っていましたが、木曜日の晩に突然、「明日関東行くから泊まるところなければ泊めてー(原文ママ)」という、大学の先輩からのウィルコム同士による無料メールが届きました。正直、なんでこんなタイミングなんだよと思わざるを得なく、でもって次の金曜日には「泊めてください(原文ママ)」と案の定来るし。
   もっともこの先輩も急な訪問ということもあって気を使ってくれ、土曜日は朝食、昼食共にそこそこいい所でおごってくれたため思ってた以上に自分も疲労を感じなく、むしろちょっと元気になれたくらいでした。けどお昼に帰ってった後、二時間くらい何も感じれないくらいに眠り続けたけど。

 そして今日日曜日。昨夜十二時に就寝してから午前十時まで寝続けて計十時間という、平日に比べ実に二倍の睡眠時間を堪能しました。多少は体調がよくなったというか勘も戻りつつあり、さっきも晩飯のハンバーグを練りながらハイテンションに「ハンバーグ、フォー!」とか某HGみたいな奇声を一人で挙げるほど回復(?)しましたが、溜まっている作業はほとんど片付いておらず、今後しばらくは気張り続けなければならなそうです。

 以上のような状況から、しばらくこのブログの更新をお休みしようかと思います。再開は3/5(水)か3/6(木)を見込んでおり、そこそこいいネタを抱えていて自分でも勿体ない気がするだけにこの予定は厳守できると思ってます。
 それにしてもこのところは本当に仕事が忙しい。実は先々週に休養しようと有給を申し込んだのですが、「あまりにも人手が足りないからもうちょっと我慢してくれないか」とリアルに慰留されました。慰留されるのも十分理解できるので特に反感は持ちませんでしたが、逆を言えばそれだけ今忙しいんだよなぁ。

2014年3月1日土曜日

ビキニ水爆実験について

 今日から新たな相互リンク先として、下記のブログをリンク欄に追加いたしました。

中国のすゝめ

 このブログは現在、具体的には多分先週から中国の陝西省西安市へ語学留学に行った友人が始めたブログで、また投稿記事数は少ないですが今後に期待しましょう。ここだけの話、この友人は自分の交友範囲の中で最も行動力に優れてて、文字通り何するかわからないところがあるので今後は派手なエピソードとか乗っけてくれるんじゃないかと思います。なおこの友人を除けば、中国にいきなり現地採用を目指して渡るなど自分が最も行動力が高いと自負します。

 話は本題に入りますが、各所のテレビニュースなどで今日はあのビキニ水爆実験からちょうど60周年に当たる日という事なので、ビキニ水爆実験とはどういう事件だったかを自分の寸評を交えて紹介します。

キャッスル作戦(Wikipedia)

 今回紹介するキャッスル作戦、通称ビキニ水爆実験とは1954年に米国がビキニ環礁で行った水爆実験です。当時は米露の冷戦下にあって両国で核兵器開発競争が繰り広げらえている最中もあり、両国ともに時刻が保有する核兵器の威力を内外に知らしめるため示威的な実験を行っておりました。
  そうして行われた数々の核実験の中でもこのビキニ水爆実験が特筆的に取り上げられるのは、その甚大な破壊力に伴い放射性物質が広範囲にばらまかれ、実験前に設定していた立入禁止地域以外にも放射能汚染が広がったためです。その結果、ビキニ環礁周辺の島嶼で住民が居住できなくなるほどの重度の放射能汚染が起こっただけでなく、周辺で漁を行っていた日本のマグロ漁船、第五福竜丸の船員も放射能に汚染された塵こと「死の灰」を浴び、同船員の久保山愛吉氏が事件から半年後に放射能汚染と疑われる症状で亡くなる事態となりました。

 この事件の大きな特徴は、被害を受けた方々に何の罪もないばかりか米国の警告通りに実験区域を離れていたにもかかわらず生死にかかわる事態に巻き込まれた点です。特に第五福竜丸の船員らは広島、長崎に次ぐ第三の被爆と呼ばれ、世界で唯一の原爆を受けた日本の人間が戦争以外でも再び被爆することとなった歴史には閉口する以外ありません。しかし当時の日本政府は米国に逆らえるような力がなかったことから公に非難することも出来ず、、また米国も事件自体をなかったことにするため被爆者に対してあくまで義捐金という形で金を配っただけで、事件の真相調査などには妨害するありさまでした。

 原爆被害というと広島、長崎への原爆投下が大きく取り上げられますが、正確には水爆被害ですが、私はこのビキニ水爆実験についても日本人は忘れるべきでない歴史だと考えます。同時に、これほどまで放射能の被害を受けその恐ろしさを知っているにもかかわらず福島原発の事故を起こしてしまったことに関しても同時に意識しなければならないでしょう。

 最後にちょっとした豆知識というかなんかですが、グラビアモデルが着る水着としてお馴染みのビキニ水着ですが、この水着の語源はなんとこのビキニ水爆実験からという説があります。ウィキペディアの解説によると1946年に米国がビキニ環礁での水爆実験を発表(実際に実験したのは1954年)した際、この水着のデザイナーがその過激さを原爆の威力にかけ合わせるために「ビキニ」と命名したことによるそうです。
 私自身、言葉狩りという行為を非常に嫌っておりますが、ちょっとこの由来を聞くとビキニという言葉を使い続けていいものかと悩みます。代替案としては普通にセパレート水着くらいしか浮かびませんが、今更切り替えるのはさすがに難しいでしょうね。

2014年2月27日木曜日

進む石田三成の再評価

 このところ疲労が溜まっているのか仕事中にリアルに、「ファッキン、死ねクソっ」っておびただしい作業の合間にツイッター感覚で呟くようになったので、今日はリラックスすることを願い自宅で半身浴を試みました。半身浴と言ってもただ単に湯船いっぱいにお湯貯めるとガス代と水代がもったいないので底の方に少しだけ貯め、左腕を枕にしながら左半身だけを無理やりお湯につけるという入浴の仕方で、耳の中とか鼻の中に水が入ったりしながら数分間その姿勢を続けました。果たしてこれが効果あるのか非常に疑問ですがあしゅら男爵みたいな感覚に陥りつつ、「半身浴って下半身浴と上半身浴で別れるのかな。後者だとただの犬神家だけど」などと考えるあたりほんと疲れてるんだなって気がします。

 話は本題に入りますが、大分以前に「信長の評価の再逆転」という記事で近年になって信長の評価像が変わり始めており、歴史というものは時代によって変わるということを述べましたが、今日も疲れているので似たようなネタとして、関ヶ原の合戦の主役とも言っていい石田三成に対してこのところ、信長同様に従来唱えられていた評価が変わりつつある気配を感じるので、疲れていてもどうとでも書ける歴史ネタなので今日はこれで済まそうと思います。それにしても左目の焦点がマジで合わないし、本当に疲れてるなぁ(ーー;)

石田三成(Wikipedia)

 石田三成がどういう人物だったかはほとんど言わずもがなで、豊臣政権下の能吏として日本全国の度量衡の統一という大事業を成すなど日本史における代表的なテクノクラートの一人です。しかしそんなテクノクラートとしての側面よりも関ヶ原の合戦で実質的に西軍を率いたものの徳川家康に敗北したという事実の方が有名で、三成というと「敗軍の将」というイメージが一般的だと思います。

1、三成は戦下手だったのか?

 この三成に対する評価ですがまず第一に多いものとして、「内政能力は高いものの戦下手」というものでしょう。こうした評価は関ヶ原の戦いで敗北したことに加え、豊臣秀吉による関東の北条家征討戦において忍城攻撃軍を指揮したものの、水攻めをかけるなど大規模な作戦を実行したにもかかわらず忍城をなかなか陥落させることが出来ず、最終的に開城させられたのは北条家の本拠である小田原城が陥落した後でした。なお北条家の支城で最後まで陥落しなかったのは忍城で、十分な兵力を与えてもらったにもかかわらず城一つも落とせなかったとして長らく三成の否定的評価の材料となっていました。

 しかしこの忍城への攻撃ですが、水攻めの実行を決断したのは三成ではなく総大将の秀吉で、むしろ三成は水攻めを実行することに反対していたと近年では言われております。水攻め自体が過分なデモンストレーション的戦術とされており、実際の戦術的価値以上にかつて毛利家の高松城で秀吉が実行したことを再現するという目的で実行されたと見られており、三成はむしろそんな無理な作戦に付き合わされてメンツを失っただけだと、まるで無茶なプロジェクトに付き合わされた中間管理職だったのではという分析がこのところ広がってきています。私としても秀吉の性格からすると水攻めという派手なデモンストレーションをやりかねないと思え、この説を支持する立場であります。

 このほか敗北を喫した関ヶ原の戦いでも徳川軍の行軍ルートを予見した上で関ヶ原で陣を敷いて待ち構えるなど、戦略面では実に手堅い決断を三成はよく取っております。また以前にもこのブログで紹介したエピソードですが、関ヶ原の戦いの後に藤堂高虎から、「私の軍は如何だったでしょうか?」と問われて、「鉄砲隊が悪うございます。隊長に自信がないためとみられる故に替えさせるべきでしょう」と答えており、この答えに高虎も、「自分もそのように考えておりました。ご指導ありがとうございます」と述べて満足そうに帰っていったそうです。この話の通りだったら細かい部隊に対してもその運用の仕方をしっかり理解しているように見え、戦上手だったかはまだ疑問ですが、少なくとも戦下手ではなく軍隊の運用知識やその分析に関しては人並み以上にあったのではないかとも思わせられます。

2、人望無き酷薄な吏官か?

  戦下手だったという見方とともに三成に対しては、「頭はいいけど性格に難があり気遣いが出来ず、人望はなかった」という見方も強いのですが、この説に対しても完全にひっくり返るほどまで行かないまでも、このところやや見直しがされてきているように見えます。

 三成に人望がなかったと言われるのは関ヶ原で小早川秀秋や吉川広家、脇坂安治など多くの武将に裏切られたことや、そもそもの関ヶ原の合戦の原因となった福島正則や加藤清正といった豊臣家の武功派との折り合いの悪さなどからですが、衝突する人間が多い一方で三成には周囲の人間によく慕われていたエピソードも非常に多くあります。

 そんな三成を慕っていた人物の筆頭は島清興こと島左近で、主君とケンカして厳しい浪人生活中だったところを若い三成が雇用し、「三成には過ぎたる家臣」と言われるほど真摯に仕え続け、関ヶ原でも東軍相手に大いに奮戦しております。同じく関ヶ原で戦った仲間には大谷吉継もおり、彼等は敗戦することを予期していながらも親友三成のために参戦を決断しております。
 また遠隔地でも佐竹義宣が三成との信義を優先し、家中の反対を押し切り西軍入りを決断しており、所領である近江の領民も三成の死後ですらその治世を讃え、実際の関ヶ原の合戦でも兵士らは奮闘していたと伝えられています。こうした話からすると人付き合いが下手だったとも思えず、ただ単に豊臣政権武功派とだけ折り合いが悪かった、しかもそれは対人というより文治系と武功系という派閥対立という側面もあり、たまたま文治系の筆頭であった三成に憎悪が向いたのではないかとも考えられます。

 マジで疲れているのでそろそろ締めますが、最後にこのところちょっと思うところとして三成の人となりが悪かったというよりもそのケンカ相手こと、福島正則の方が人格的に問題があったのではないかという疑いがもたげます。というのも正則は最も激しく三成打倒を主張していた人物であるのですが、関ヶ原の合戦の後には部下同士の諍いから徳川家の家臣に対して強硬に切腹を求めたり、大阪の陣の最中には大坂方として参戦こそしなかったものの兵糧米を大阪城に運んだりと、いまいち空気を読めない人物像が見えてきます。正則は最終的に勝手に城の補修を行った門で徳川家から領地を没収されますが、もしかしたらこいつが言うほど落ち度のない三成を勝手に嫌い、豊臣家臣団に亀裂を作った張本人ではないかと思えてきました。この辺りのくだりもまた今度書こうっと。

2014年2月26日水曜日

アベノミクスの破綻リスク

 先週からこのブログで聞き取っていたアンケートが先日に締め切られ、安倍政権を支持するかどうかという問いに対して下記のような投票結果が出ました。

Q、安倍政権を支持しますか?
  1. 支持する               6 (33%)
  2. 支持しない              8 (44%)
  3. そんなことよりおでんを食べたい 4 (22%)

 この質問は私のブログの読者がどういう政治姿勢を持っているのか大まかでいいので知りたかったためにやってみたわけですが、極端に片方に偏ることなくそこそこ別れたなというのが正直な感想です。ただそれにしても質問項目を作った本人ながら、「そんなことよりおでんを食べたい」に投票した人は一体どういう目的でこれを選んだんだ? 贔屓目に見るなら安倍政権を必ずしも支持していないもののほかに支持するに足りる政党や政治家がいないからこれを選んだのかも……なんてことはないか。

 そんなネタに使った安倍政権ですが、このところちょっと暗雲というかあまりいい先行きが見えてこないように思えます。結論から述べるとアベノミクスは今後、破綻する可能性が高いように思え、今日はその理由と今後の日本経済の先行きについて思いのたけを話そうと思います。ちょっと強気に出ると、当たるかどうかは未知数であるものの現時点としてはかなり長期的な予測をここまで立てられるのはあんまりよそにいないでしょう。

1、改善どころか悪化する貿易収支
 まずアベノミクスですが、昨年は安倍政権の肝煎りで日銀が大幅な金融緩和を実行すると宣言したことから大幅に株価が回復し、円安にも大きく振れたことから全体景気は大幅に向上したように報じられました。しかしその一方で貿易収支は単月としての赤字額が現在に至るまでほぼ毎月更新を続けており、確か先月には日本という国家全体の財布で赤字か黒字かを見る経常収支も赤字を記録しています。

 一体何故円安となったにも 関わらず数字がついてこないのかというと、これはほかでも解説されておりますが円安によって輸出産業は多少は盛り上がったものの、期待されるほどは盛り上がらなかったことが大きいです。盛り上がらなかった筆頭はシャープ、パナソニック、ソニーの電機系赤字三兄弟ですが、この三社を内包する電機系、あと機械系業界は既にほとんどの会社で部品の買い付けから組み立てまで中国など海外ですべて済ませてしまう現地化が徹底されており、円安となっても為替差による利益があまり積み上がらない状態となっておりました。皮肉なことにこうした現地化は極端に円高となったリーマンショック以降に、円高対策として進められたものでもあります。

 このように円安による恩恵が想定以上に下りない中、原発停止に伴うエネルギー燃料の輸入量増大に伴って輸入額は円安によって急激に膨れ上がることとなりました。もっとも一部で聞いた話だと原発停止以降のエネルギー輸入量は実はそれ以前とそれほど変わってはないないという意見もあるのですがそれは今回置いといて、少なくとも円安によってアベノミクス以前と以後では輸入額はぐんと上がったのではないかとみています。またエネルギー燃料ばかり注目されていますが、地味に食品輸入でも円安が関連企業にダメージを与えていると聞き、海外子会社の現地従業員にシステムを組ませるITアウトソーシング企業も同様に円安による直撃を受けているという話もあります。

2、伸び悩む賃金がネック
 とはいえアベノミクスによって株価は急上昇し、景況感も上向いていることは間違いありません。私は決してアベノミクスを批判するつもりはなくむしろ評価しておりますが、金融緩和を行ったところまではよかったもののその後の具体的な成長戦略を欠いていることは大きな欠点で、それが先行きへの不安につながっている点は批判せざるを得ません。その上でもう一つアベノミクスの欠点を述べると、景況感が上昇して企業収益も全体的と言ってもいい改善が起こっているにもかかわらず賃金の上昇ペースが悪い点があり、これがアベノミクスのつまずきにつながると私は見立てています。

 元々アベノミクスの順序としては金融緩和によって円安、株価上昇を引き起こし、企業収益の改善を図る。これによって上記のように貿易収支の悪化が起こることは懸念されておりましたが、その穴埋めとばかりに収益が改善した企業から賃金の引き上げを行っていき国内消費の活発化を促す、めんどいのでもう矢印でまとめ直します。

  アベノミクス→企業収益の改善→賃金上昇→国内消費活発化→企業収益のさらなる改善

 大雑把な図ですが、ざっとこういう「良い景気循環」を政策担当者は目指しておりました。しかし現在に至るまで賃金の上昇を「業績も回復してきたしそろそろやろうかなぁ」っていう経営者の言葉は出てきても、実際に「〇%引き上げました!」とか「〇万円上がったぞ!」という景気のいい発表や声はびっくりするくらいついぞ聞こえません。確か去年の十月くらいに名前は言わないけどコンビニチェーンが引き上げるとか言ってたけど、本当に実行したか怪しいし。

 最近ニュースで春闘の話題が増えていて、トヨタの労組とかも何年振りかのようにベースアップを要求することが度々取り沙汰されておりますが、多分今の大手企業経営者の発言や態度を見ているとベースアップはほとんど実行されないかあってもスズメの涙程度。ほかはボーナスで反映するなどというリップサービスで乗り切っていつも通りに曖昧な終着点に落ちると私は予想します。
 このように予想する理由としてもう一つ上げると、現在5%から8%への消費税増税を控えて駆け込み需要が起こっておりますが、この駆け込み需要によって4月以降は消費がググッと落ち込むことが予想されます。春闘はメーデー前の4月がある意味本戦みたいな時期ですが、この時期は消費減退によって各企業の売り上げは落ち込むと見られ、仮にそうなったら経営者としては「足元では不安定感が強い」などという言い訳をしやすく、ベースアップも夢と消えていくのではなんて考えてます。

3、景気悪化の原因は大企業にアリ
 しかし消費税増税によって一時景気が落ち込むものの、企業が賃金を引き上げる余裕がないというわけではありません。というのも日本企業ではバブル崩壊以降、余剰資金ともいえる内部留保がずっと増え続けているからです。具体的に言えば大企業であればどの会社もバブル絶頂期より今の方が内部留保金は多く、一部の評論家からはこうした大企業が金を貯めこんで市場に流さないことこそが日本の経済を悪化させている最大の要因だと指摘されており、私自身も同様の見解を持っております。
 そのように考えると一応アベノミクスで企業収益は改善されてきているし、株価も上がっているから資金にもやや余裕が出来たことを考えると今すぐにでも各社で賃金を引き上げ、日本全体の景気活性化を促すべきでしょう。然るに先ほどにも述べたように各企業は未だに賃金引き上げに及び腰、というか明らかにやる気なく適当な言い訳でやり過ごそうという態度が見え見えで、これまた先ほどにも述べたように「引き上げてみようかな?」なんてリップサービスで終わるというのが私の見方です。

 極論を述べると、消費税が3%引き上げられるのに合わせて全体の平均賃金も3%引き上がり、日本全体で3%のインフレが起こることが最も理想的なのです。しかしそうなる可能性は現状であまりあるとは思えず、安倍政権の運営の仕方というよりも大企業の及び腰が原因でアベノミクスは破綻するのではという結論に至ったわけです。そう考えると、安倍首相も大企業に足引っ張られてついてないな。

4、来年のさらなる消費税増税は……
 安倍首相は消費税増税による景気の落ち込みを7月までにとどまらせ、それ以降は再び上昇気流に乗せると宣言していますが、今の状態だと私はこの目標通りにはいかず、4月以降はずっと落ち込むか停滞が続くんじゃないかと悲観的に考えており、株価もずるずるとまた落ちていくのではと予想します。その上で大きな議論となるのは再来年4月、予定通りに消費税を8%から10%へ引き上げるかどうかです。
 昨年も今年の3%引き上げが大きな議論となりましたが、オリンピック招致決定という追い風もあってそれほど大きな反対なくすんなり通りましたが、私は今年はそうは簡単にはいかないと見ており、現時点だと10%への引き上げは再来年以降に延期する公算が高いように思えます。安倍政権としてはこのような延期も景気刺激策だと主張できるわけだし。なので今言えることは、輸出関連銘柄の株は早めに処分しておいた方がいいというおせっかいな意見ということです。

  おまけ
 春闘でベースアップの話題がほんとこのところ多いですが、これもまた今度書くけど日本の労働組合もなよなよした組織になっちまいやがったなぁと感じることが多いです。なおベースアップというと以前に知り合いが、「俺、この前会社の労働組合にベースアップ20万円を経営層に要求しようと主張したんだけど、逆に労働組合の方が俺を止めてきやがった」と、ぶっ飛んだことを話していました。その知り合いによると会社の収益から従業員数を計算するとこの要求が実現したとしてもちゃんと利益出て会社を維持できるそうで、なんで金はあるのにこういう要求しないんだと吠えてました。