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2016年2月27日土曜日

中国の住宅価格が上昇し続けてる件について

 引っ越しを終えて二週間経ちようやく落ち着いてきたものの、落ち着いてきた今だからこそ買いたいものがたくさん出てきて今日は朝から夕方までニトリで日用品買ったり、ジャンクなPCパーツ屋でWIFI発信機を買ったり、立ち寄ったスーパーで6元(約108円)で2.5リットルのコーラ買ったりとほぼずっと買い物をし続けていました。ついでに自転車屋にも寄ってもはや顔なじみとなった店員に挨拶交わすと共にギアを少し調整してもらうというおまけつき。
 こんな感じでずっと走り回っていたら上海人の友人から、「是非これを書いてくれ」とメッセージが送られてきました。普段はどうでもいいことを要求してくることが多いのですが今回提示された話題は中国の住宅価格についてで、ちょっと面白いデータも添付されてて面白いと感じたので、今日はこの話題について書きます。

 中国の住宅市場がバブルといわれて幾星霜。以前にも取り上げていますが中国が嫌いな人たちは毎年のように、「中国の住宅バブルは今年中にはじける」と言い続けるとともに毎年その予想を外し続け、最近になってからだとさすがにというかようやく反省したのか商売にならなくなったのかあまりこういう言質も見なくなってきました。具体的に言うと「爆買い」という言葉が出始めた頃から中国バブル崩壊論も減少してきたように思え、やはり中国批判が商売になり辛いというか障害になってきたというのが一番大きな背景でしょう。
 では実際の所はどうかってことですが、今回上海人が送ってきたデータというか記事がまさにそれで、2016年1月における都市別の住宅価格変動データでした。そのデータをそのまま引用すると、

「2016年1月における上海市の公営住宅を除く新築住宅の1平米当たり成約価格は前年比24.9%上昇の3.59万元(約64万円)、深圳市では同74.27%上昇の4.65万元(約83万円)だった」

 以上のように、上海市では去年の1月から今年の1月で1.25倍に、深圳では1.74倍になったと報じられているとのことです。
 さすがに数字でかいんでほんまかいなと思い裏取りをしたところ、このデータはこのところ急激に拡大している中国の不動産サービス大手「鏈家房地(正式名称は北京鏈家房地産経紀有限公司でみんな鏈家と呼んでる)」が出したデータだったようで、以下の記事にほかの媒体が出したこのところの住宅価格データと共にまとめられています。


 少し脱線しますが「華爾街」というのは「ウォール街」の中国語訳です。だけど記事の出典元のニュースサイト「華爾街見聞」はWSJことウォール・ストリート・ジャーナルとは無関係だし、第一本部も上海にあるとのことでまたいつものかと思いました。

 話は戻りますが、香港であれば下手な政府データよりも大手不動産サービス大手がまとめた司教データの方が信用できるのですが、中国本土だとそうもいかないというか鵜呑みにできないところがあります。なので今度は中国の国家統計局を訪れてみたところ、タイミング良いというか昨日26日に毎月出ている70都市住宅価格変動統計データの1月版が出ていました。

2016年1月份70个大中城市住宅销售价格变动情况(中華人民共和国国家統計局)

 書かれている中国語は簡単だしデータは図表にまとめられているので中国語がわかる方は直接サイトを見てもらった方がいいかもしれません。
 こちらのデータは中国国家統計局が毎月出しているものなのですがこちらによると上海市の公営住宅を除く新築住宅価格は、前月比で2.2%、前年比で17.5%の上昇をしており、深圳市も前月比で4%、前年比で51.9%の上昇とまとめられており、鏈家のデータほどではないにしろ大幅な上昇を続けているというデータが出ています。っていうかこんなの見てたら、日本の住宅価格上昇なんてどうでもいいことのように思えてきます。

 もう少しデータについて補足すると、これほどまでに急激に上昇した背景としては春節という中国のビッグイベントが影響しており、住宅にしろ車にしろ、高額な買い物は春節直前に行われることが多いためこの時期の伸び幅は他の月よりも明らかに大きいことがあります。
 また上海と深圳以外の都市についてですが、北京や広州、武漢といった主要都市でも上昇が続いておりますがいわゆる地方都市こと三級、四級都市ではほぼすべて下落しており、主要都市と地方都市とで明確な差が出始めてきたと各記事で指摘されており、私も同意見です。とはいえ主戦場である主要都市では上がってるんだから、バブル崩壊とはとても言えない状態でしょう。

 なおたまたまですが、この前私がお世話になった不動産屋のおばちゃんから前の部屋の敷金を受け取りに行った際に最近の市況はどうかと何故か聞いたところ、やはり新築住宅の人気は高く価格も上昇する一方で、よく売れている価格帯としては7000万元(約1億2600万円)当たりだと教えてくれました。金額を聞いて呆然とする私に対しおばちゃんは、「もし必要になったら相談しなさい。安くていい物件を探してあげるわ」と力強く言ってくれましたが、「いや、そんな金額無理やってヾ(゚Д゚;)」と恐縮することしかできませんでした。

とんかつ屋でのご飯おかわり記録

 今日は仕事を終えてから上海高島屋に寄って、そこの7階にある「かつくら」というとんかつ屋さんで晩ご飯食べてきました。一体なんでこの店に立ち寄ったのかというと、実はここ、上海高島屋がオープンした初日に私が取材したお店だからです。
 上海高島屋がオープンした初日はオープン前から記事書いて取り上げていた私も訪れ手は見たのですが、ぶっちゃけ高島屋側のプレス向け広報があんましっかりしておらず館内のしょうもない説明ばかりで記事に書くネタが乏しく、補填するネタをどうにか用意する必要がありテナントとして入居したこの店の関係者らしい人が背広で歩いていたらすぐさま声かけて、話聞いてそのまま記事に取り入れました。何気に海外店舗第一号店だったので、記事に仕立てやすく本当に助かった。

 このような関わりもあってか取材で世話にもなったんだし、なるべく売り上げに貢献してあげたい気持ちもあって先月に上海へ越してきてから割とよくここへは立ち寄っています。もちろんここのとんかつの味自体が舌に合っていることもあるのですがそれともう一つ、この「かつくら」には実は学生時代からずっとお世話になっているという因縁もあったりします。

 知ってる人には早いですが「かつくら」の本店は京都にあって、京都市内の繁華街やデパート内には割とよく出店していて見かけることも多いお店です。無論、学生時代を京都で過ごした私もこのお店の存在は早くから認知していたものの、このブログでも何度も書いておりますが学生時代の私はリアルに金が無く、そんな威張るほどしょっちゅう立ち寄っていたわけではありませんでした。
 何度も書きますが学生時代の私は本当にお金が無く、食費も極限まで削った生活をしていたためほぼ毎日暇さえあれば夕ご飯に何を食べようかと必死でシミュレーションするほど深刻に餓えていました。お菓子でも「きのこの山」を買うくらいなら100円のビスケットを買った方がお腹にたまると友人同士で情報を交換し合い、たまにはチョコレートの味を感じたいと思いつつもきのこの山をあきらめビスケットでよく我慢しておりました。

 そんな万年金欠飢餓状態の私でしたが、資格試験の前日などここぞというところではおいしいもの食べて気合を入れることがあり、そうした場面でこの「かつくら」をよく活用しました。一体何故ここで「かつくら」を選ぶのかというと、このお店はご飯とみそ汁と千切りキャベツがおかわりし放題だったからです。
 初めて「かつくら」を訪れた日、時間帯も覚えてるけど確かお昼前でした。あらかじめ情報を得ていた私は緊張しながら店の扉をくぐり一番安いロースとんかつ定食を頼み、注文した品物が出てくるとまずゆっくりととんかつ一切れを口に入れ、でもって茶碗に盛りつけられたご飯を全部食べて即おかわりを申し出ました。ご飯のおかわりが出てくるまでの間に味噌汁とキャベツを口にして、ご飯が出てくるとまたとんかつ一切れを食べて茶碗に盛りつけられたご飯を……ということを繰り返し、結局その日はご飯を五回おかわり、キャベツとみそ汁をそれぞれ一回ずつおかわりして、「一体どれくらいぶりだろうこの感覚は……」と思うくらいに久々の満腹感を覚えました。なお近くのテーブルにいたカップルはマジで私の方をちらちら見ていました。

 このように外食とはいえ半端ない量を堪能できることから学生時代に思い切り食うと決めた時はこの「かつくら」を頼り続けていました。一回親父が遊びに来た時も一緒に「かつくら」を訪れましたが、この時も五回くらいご飯をおかわりしたので親父がえらい驚き、その後もよく話題に出されます。っていうか店員に、お櫃ごとご飯ちょうだいって先に言えばよかったかもしれません。

 以上のような体験というか学生時代の借りもあって、未だに私の中でとんかつ屋とくればこの「かつくら」が一番のお店だという妙な信条があります。なお上海高島屋の「かつくら」ではご飯を最初からお櫃でくれるのですが中に入っている量はそんなに大した量ではなく、ちょっとつめればお茶碗一杯に収まる量です。別に今は学生時代ほど餓えた生活しているわけじゃありませんが、食べ慣れた味(豚肉は安徽省と山東省から取り寄せてるとのこと)ということもあって、お櫃二杯、感覚的には一合くらいのお米食って、あと味噌汁とキャベツも一回ずつおかわりして今日は帰りました。
 その気になればご飯はもう一合食べられたなということと、学生時代だったら「孤独のグルメ」の出演オファーにも堂々と対応できただろうと思いながらエスカレーターで下っていきました。

 なおその帰り、日本の品々を打っている高島屋の特設コーナー寄って何故か南部鉄器の急須を428元で購入。前からすごく欲しかったのですが、マジ頑張りすぎている自分へのご褒美として思い切ってついに購入してやりました('∀`)

2016年2月26日金曜日

ルターは何故、宗教改革に取り組めたのか?

マルティン・ルター(Wikipedia)

 最近歴史物の記事書けてないので、前から書きたかったルターについて書きます。
 さてルターといったらキリスト教の宗教改革の嚆矢を放った著名な人物としてお馴染みですが、彼は元々宗教家になろうとしていたわけではなく、当初は法律家を目指して法学を学んでいました。そんな彼が何故キリスト教の修道士へと進路を鞍替えしたのかというと、なんでもある日おうちに帰る途中で雷雨に遭って、「お願いだから雷落とさないで。僕、修道士になるから!」と言ったことがきっかけで、その日を境にすっぱりと法学の道をあきらめて修道会に入ったとのことです。

 このエピソードからしても、どうもルターは堅物というか真面目過ぎる人物だったのではないかと伺えます。将来を期待してた両親などは上述の進路変更に大反対だったそうですが、「俺はもう約束してしまったんだ」といって話を聞かず、そのまま突っ走るようにして修道士へ、そして神父になってしまうのですから、真面目過ぎるだけじゃなく無駄に行動力もある人物だったのだろうと勝手に推定しています。

 そんなルターが宗教改革に取り組むきっかけになったのは、世界史履修者ならみんなお馴染みの贖宥状です。これはお金に困った一部の教会が献金を集めるために、「贖宥状を買えば罪が許されて天国いけるよ♪」と売り出したことにキリスト教内部からも批判が起こって議論となったという問題で、何もルターだけでなく当時の多くのキリスト教関係者が疑問を呈しているのですが、実際に堂々と批判するという行動にまで打って出たのはルターほか数名だけだったそうです。
 キリスト教会側もこの贖宥状に関しては多少負い目があったのか当初はルターをなだめて穏便に議論をまとめようとしたそうですが、教会側から提示された和解案をルターは悉く拒否しながら公開討論や是正を求め続け、結果的に教会並びに神聖ローマ帝国は彼のありとあらゆる権利を剥奪したばかりか公然と命すら狙う事態にまで発展します。

 幸いというかルターには彼を支持する領邦君主がいたため彼らの保護を受ける形で活動を続けることが出来、保護下にあって隠遁していた最中にそれまでラテン語でしか書くことを許されなかった聖書をドイツ語に翻訳した上で当時出来たばかりの活版印刷法によって大量に広まり、彼が書いたドイツ語がそのまま中世ドイツ語のスタンダードとして定着します。
 なお余談ですがこの時の初版本のことを「グーテンベルク聖書」と呼び、早稲田大学にも一冊あるって聞いたことがあります。まぁ私が見ても読めないけど。

 ここで本題に戻りますが、一体何故ルターはそれほどまでに迫害を受けながらアグレッシブな活動を続けられたのでしょうか。私が思うに、一つは最初に書いたように彼が真面目過ぎる性格で不正を一切許せなかったからと、二つ目としては初めから神学一辺倒ではなく途中まで法学を勉強して進路変更したからではないかと考えています。言い換えるなら、若い頃に別の世界を見ていたからということです。
 よくいろんなことを体験すると視野が広がるから何にでもチャレンジした方がいいと世の中言いますが、実際にこれをやるとなると骨が折れるもので、特に専門的領域の訓練に一旦入ってしまうとなかなか引き返せないというか別方面へチャレンジしようという気が薄れます。大学でも専攻を変更する人はそんなにいないでしょうし、ましてや文系から理系へ移転する人となると確実にレアです。

 現代ですらこの通りですが中世はこの傾向がもっと強かったというか修道士になる人は小っちゃい子供の頃から修道院に入り、その世界を知らないまま修道会の中で全部完結する一生を送ったと言います。こうしたタイプはあまり内部に対して疑問を持たないというか持ったとしても上部には抵抗しない傾向があるとされ、ルターはこの点で青年期までとはいえまだ外の世界を知っていたということが大きかったのではと私は見ているわけです。

 このような「外の世界を知っているか否か」ということに何故着目するのかというと、旧日本陸軍の教育システムでも同じことが指摘されているのを前に読んだことがあるからです。旧日本陸軍(海軍もそうだが)では13~16歳が入学する陸軍幼年学校を卒業後に陸軍士官学校へ入学し、ここを出ると晴れて軍の士官なれるという教育システムでした。ただ、陸軍士官学校の入学者の大半は幼年学校の出身者であったものの、少数ですが外部からも生徒を募集しており、一般高校(当時の名称だと中学校)の出身者でも非常に狭き門ではあったものの入学することは可能でした。
 で、こういってはなんですが、そうした外部出身者の士官ほど優秀な将軍が多かったりします。主だったものを上げると、

栗林忠道:硫黄島の戦いを指揮。太平洋戦争で米軍が最も評価した日本の指揮官の一人。
宮崎繁三郎:インパール作戦を指揮。野戦指揮では陸軍最強との呼び声も。
今村均:ラバウル方面司令官。陸大も主席で卒業しておりラバウルを終戦まで持ちこたえる。

 三人とも天性の軍人ともいうべき見事な指揮ぶり、並びに戦略眼を持っておりましたが、三人とも幼年学校を出ていないというのはもはや偶然ではないと思います。何事も一つの世界に邁進することが重要だと言われますが、全否定するつもりはない物の、やはり外の世界も体験しておくことも重要だとルターと合わせて思う限りです。

2016年2月24日水曜日

民主、維新の政党合併について

 既に各所で報じられている通りに民主党と維新の会が明後日にも政党を合併する予定だそうです。両政党はかねてから合併を視野に入れた選挙協力を重ねてきており今回の合併も早くから予想されていたものではありますが、それにしてもこれほど同床異夢というべきか政策案の摺合せなくくっつくというのは色々考えさせられ、これまでの民主党と同じく党として統一した政策意思は今後も期待できないだろうと私は見ています。

 そもそもの話、民主党と維新の会では憲法改正などの面で政策方針に大きな隔たりがあり、のっけから上手くやっていけるのかというと今からでも非常に不安です。では何故政策方針に隔たりがあるにもかかわらず両党は合併に踏み切ったのかというと、言ってしまえば選挙対策が何よりの理由でそれ以外はもはやないと断言してもいいでしょう。
 現行の小選挙区比例代表並立制では小選挙区選挙はまだしも比例代表選挙では政党が多いと互いに票を食い合って小政党ほど立場が弱いです。そのため中小政党同士で選挙区を譲り合王というのがこのところのホットなテーマで、その中には共産党まで入っているというのだから世の中は本当に変わった気がします。当初、民主党は共産党を加えての野党連合をも考えたというか言い出したくらいですから、政策の違いなんてもうどうでもいいという態度が透けて見えます。

 こうした状態でもあることから、恐らく両政党の合併効果というのは全くなく終わってしまうと私は予想しています。橋下前大阪市長がいればまだ違ったでしょうが彼の方はしばらく政治から離れるようですし、そもそも国政進出にミスったこともあって多分フリーな立場を今は謳歌したいのではないかと思えます。なのでちょっと気が早いですが、次の選挙も自民党は安泰で議席数でも大きな変化は起こらないでしょう。

 最後にもう一つ付け加えるとこの前不倫で辞職した宮崎元議員について、あの辞職劇を見てつくづく自民党の派閥は力を失ったなぁと感じました。彼が所属していた派閥の長である二階議員は当初、関係者への謝罪だけで済ませ辞職させる意図はなかったものの党執行部の一喝を受けて庇えなかったと各所で報じられていましたが、恐らくこれは事実だと思います。
 かつての自民党は党執行部以上に派閥の方が実質的に力が強く、派閥が庇えば首相といえどもおいそれと党所属議員の去就を決めることが出来ませんでしたが、現在の安倍首相と菅官房長官のコンビは文字通り党内をびしっと仕切っており官邸の力がかつてと比べると随分増したものだと思えます。

 元々、小選挙区比例代表並立制は金権選挙と派閥政治の打破を目指して導入された選挙制度でしたが、この制度がどれだけ効果があったかは議論の余地があるものの現実に今では執行部が強い権力を保持するに至っております。もっともこれはただ単に菅官房長官がやり手だからというだけかもしれませんが、なんでも文字通りに官僚を「殴って蹴って言うこと聞かす」という人らしいし。

中国市場への日本酒売り込みの無益さ

 先日、後輩と友人が大好きなAPITAという上海市内にある日系スーパーを訪れた際、たまたまですが鹿児島県が地元の特産品を持ってきて特設コーナーで販売していました。かるかん(猫餌にあらず)があったら買って帰りたいなと思って私も眺めてみましたが生憎それはなく、仕方ないので懐かしさもありボンタンアメだけを一箱買って帰りましたが、あくまで私の見た感じだと一番主力として持ってきていたのは芋焼酎や日本酒なお酒類だったと思います。
 しかし、ここで厳しいことを言いますが、そもそも論として中国で日本酒を売り込むのは根本的に間違い、というよりも海外市場で拡販すること自体がやはり無理がある気がします。今日はリアルで10時間くらいぶっ通しで翻訳やり続けて頭がボーっとするので、手早く書けるこのネタについて少し解説します。

 ここで言うのもなんですが、上海や香港で開かれる物産展に出店する地方業者については記者時代に何度も取材しており、多分その回数は数十回を優に超えます。それだけにどの地方の業者がどういう物を持ち寄るか、どういう傾向があるのかはもとより、売込みが上手かったり戦略がしっかりしている地域などについても把握しているという自信があります。なおアジア市場で熱心というかやり方が一番上手いのは何気に長崎県です。
 話は戻りますがどの地方も地元の特産品を持ち寄るものの、果物がある県はやっぱり果物を持ってきてそこそこ受けも悪くないのですが、これはという特産品がない県となると決まって持ってくるのは地酒こと日本酒か焼酎です。でもって、はっきり言いますがどこも余り受けはよくないです。

 一体何故日本酒を持ってくるのかというとほかに売り込むものがないというのが大きいのと、日本らしくてほかの国や地域には存在しない商品だと考えるからだと思います。ただお酒という分類でいえばどの国でもアルコール飲料があるだけに、テコ入れすれば日本酒が売れるかもという期待があって持ってきているのではという気がしますが、残念ながら海外市場では日本酒はどう頑張っても売れることはないというのが私の見解です。

 何故かというと理由は非常に簡単で日本酒に合う料理が海外にはなく、刺身や寿司を始めとする日本食としか合わせて飲めないからです。アルコール飲料は基本、料理とセットにすることで大量に消費されるものですが、その酒にあった料理が無ければ単独で飲む量はたかが知れて、ましてや普段見慣れないアルコール飲料を率先して飲むくらいだったら身近なビールなどを手に取るのが常でしょう。
 日本人の立場からすると日本酒はごくありふれたアルコール飲料ですから抵抗はそんなにありませんが、中国人や香港人、アメリカ人などからすると全く異世界の飲み物で味や香りに慣れてないことから一口目からグビグビ飲む人となるとかなりレアでしょう。それこそ中国の白酒(バイチュウ)や紹興酒を初見から抵抗なく飲める日本人となると恐らくほとんど存在しないでしょうし、このようにアルコール飲料というのは地域性が強く出やすい飲み物だったりします。

 唯一例外といえるのは先ほど挙げたビールとワインで、これは飲み合わせの良い食べ物が比較的豊富であることとクセがほかのアルコール飲料と比べて小さいことから世界中いたるところで愛飲されるようになったと考えられます。しかし、はっきり言いますが日本酒は明らかにこれらとは別で、飲み合わせられる料理は日本食に限定され、外国の料理で飲み合わせられるものなんて私の知る限りまず有りません。無理矢理例を作ると、

・北京ダック+日本酒
・カレー+日本酒
・ハンバーガー+日本酒
・パスタ+日本酒
・ピロシキ+日本酒

 恐らくどれも、これじゃない感がはなはだ激しい組み合わせに見えるでしょうし、実際この組み合わせで出された料理がなんか普段よりおいしく感じられない気すらします。「刺身+日本酒」だったらまだすとんと落ちますが、それはあくまで日本食との組み合わせで日本人だから感じられるものであるため、外国人からしたらそうは問屋は降ろさないでしょう。いくら寿司料理が世界的に受け入れられている立派な日本料理だとしても、日本酒にまで手を出す外国人はそんなにはいません。
 基本的に日本酒は魚の生臭さを払うのにいいアルコール飲料であるため、生の海鮮料理以外には実はそんなに組み合わせの幅はないのではないかと考えています。まぁ醤油味となら何でも合うと思うけど、それも外国人からしたら塩分が強い料理に思われてるのかもなぁ。

 ざっと上記のような考えから私は日本食はまだ海外で展開できる余地があるとは思うものの、日本酒は海外ではほぼ全く展開できないし、出来るとしてもそれは日本食がいつでもどこでも食べられるほど世界で一般的になることが前提でまだずっと先の未来になると見ております。なので地方の都道府県が海外に物産を売り込む際はもう日本酒はあきらめて、他の物に注力した方がいいというのが私の意見です。
 では具体的にどんなものが海外で展開するのにいいかというと、一番は先ほどもあげた果物で、二番目となると案外和牛じゃないかと思っています。この辺は九州の都道府県が長年頑張ってくれた回もあって香港などでは鹿児島牛や宮崎牛が見事ブランド化に成功しており、地元での認知も決して低くありません。また中国本土においても「神戸牛」のブランドは非常に深く浸透しており、現実には中国への和牛輸出は制限されていますが、日本旅行で是非食べておくべき料理としてよく紹介されていることもあってこちらも認知度は高いです。

 もっとも、中国人が牛肉の味に一度でも慣れちゃったら世界中から牛肉が無くなる恐れがあるだけに、普通に売り込んでいいものかとなると少し悩み所ですが……。

2016年2月21日日曜日

中国のニトリを訪れて、及び日中の脚の長さの違い


 引っ越し先の部屋でパソコンを置いて作業するのに使うちょうどいいテーブルがなかったため、上海市内にある「お値段以上」でおなじみのニトリへ訪れてみました。


 場所は地下鉄「中山公園」駅前の兆豊広場というショッピングモールで、ここの2階と3階にかけてニトリが入居しています。上の写真は携帯のカメラで自動ピント調節をオンにしていなかったためやや露光気味ですが、一応モール入口から撮った感じはこんなもんです。


 店内をいくらか回ってみて候補となったのは99(約1800円)元の折り畳みデスクと199元(約3600円)の完全パソコン向けデスクでした。どちらも組み立て式だから家に持って帰る分には問題なさそうでしたが、199元のはキーボード引出し、プリンタ用天板がついていたものの、どっちも多分使わねぇなぁと思った上に部屋の関係上、背が低い(天板がない)方がいいと思ったので99元の折り畳みデスクにして配置した後の写真が上の写真です。個人的に言わせてもらうと、パソコンデスクはごてごてしたのではなくシンプルであればあるほどベターでしょう。
 あとはチェアを買うか買わないかですが、暫定で買った物入れにもなる上の椅子でもいいかなって割り切り感が出ております。

 そんな私のインテリア話は置いといてニトリについて書きますが、この日は土曜日ということもあって2階の日用品コーナーは午前中から割と客が入っておりました。まぁまぁ繁盛しているなと横目に見ながら3階の家具コーナーを見に行ったところ、ちょっと意に反してと言うべきかほとんど客が入っておりませんでした。日本でもどっちかっていうと日用品コーナーの方が明らかに賑わってるので別に中国に限るわけでもないし時間帯が悪かっただけかもしれませんが、それにしてもほんとにお客さん少ないなぁとしみじみ思いながら眺めていたところふと、

「テーブルの脚の長さが短いような……」

 という、妙な考えがよぎりました。
 これは完全に私の直感で感じた意見ではあるものの、私の目から見てニトリに置かれてあるテーブルの脚の長さは中国で売られている他のテーブルと比べてやや短いように感じました。実際に寸法を測って比較したわけでなくほんと印象での違いかもしれませんが、思い当たる節が全くないわけでもありません。

 日本がいわゆる「床文化」であるのに対して、中国は古代からずっと「椅子文化」の国だったりします。日本は畳敷いて床に座って生活するのを基本としますが中国ではそういう文化は全くなく、畳ですらニトリの店内以外で見ることなどありません(売ってた。欲しかった)。
 そうした文化的な背景からか、これは断言して言えますが平均的な脚の長さは日本人よりも確実に中国人の方が長く、女性も日本と比べると中国の方が脚線美を強調する人が多いし実際に中国人は「金瓶梅」の時代から伝統的に足フェチです。なお以前いた知り合いの日本人駐在員は脚フェチだったので中国はたまらないという感想を述べておりました。

 そうした文化的、身体的な差を考えると、テーブルの脚の長さも日本より中国の方が標準的に長いのではないのかという考えがもたげてきます。中国で暮らしている私の目から見てもニトリに置かれているテーブルはなんか脚が短いように感じるし、ましてや胡坐かいて使うような床置き用テーブルに至っては見ていて「これは売れへんやろう」と思うだけに、もしかしたら日系家具企業にとって中国市場における一つのウィークポイントなのではないかと思えてきたわけです。
 恐らく、素人の私ですら思いつくことなのですから本業の方々も把握してはいるんじゃないかとは思います。しかし店内に置いてある商品はほぼすべて日本語で書かれた包装がされてた上に私が買ったデスクもついていた説明書はそのまま日本語だったことから、恐らく商品は中国で作られているのもあるかもしれませんが基本的に日本で売られているものと同じ仕入れルートで、中国の店舗用に包装や中身を変えるなどの措置を採っているわけではない、というよりもそんなことしたら余計なコストを食うだけに仕入れルートを下手に分けたりしていないというのが実情なのかもしれません。そのため、中国の店舗でも脚の長さに違いがあると把握しながら日本と同じ商品を並べているのではと推測します。

 なお以前に蘇州のニトリを訪れた際に少し店員と話す機会があって、「景気はどないでっか?IKEAはんに負けとりゃしません?(京都弁)」と、尋ねたところ、「IKEAさんと比べられるときついですね(;´∀`)」と、正直に話してくれました。その店員曰く、やはり中国史上だとIKEAのブランド力は半端なく高く突き崩すのはなかなか難しいそうです。

  おまけ
 うちの名古屋だけでなく広島にも左遷された親父の子供の頃のあだ名は「座高一」だったそうです。私もそんな身体的特徴をしっかり継承してしまったのかクラス内で座高は高い方でした、二代目は襲名しなかったけど。

2016年2月20日土曜日

一昨日見たカオスな夢

違いの分かる猫といい車

穴があったら入りたい

 また本題とは一切関係ないですがこの前見つけて気に入っている写真なのでここにも貼っておきます。最新のWRX STIということもさることながら、猫のどや顔表情が何とも言えません。
 そんなわけで本題ですが、今夜は一昨日の晩に見たちょっとカオスな夢についてありのままに書こうと思います。

 夢の場面は夜、車に乗っているところから始まります。走っている場所は親父の左遷先である名古屋市内で、一緒に乗っているのもうちの親父で、運転手も親父です。何もこれは夢の中だけじゃなく私はリアルでペーパードライバーななもんだから日本にいるときはいつも親父に運転させているのですが、正直に述べると中国だと走行車線逆だから久々にハンドル握ると逆走しそうで怖いのもあります。
 乗っている車はワンボックスで、恐らくコンパクトカーのサイズだったと思います。そうして車を走らせていると前方で警察が我々の車を止めるよう指図するのでいったん停車した所、「ちょっと調べさせてほしい」といって改めに来ました。車の前までやって来た警官の顔を見ると、「あれ、〇〇さんじゃないですか?」と私が言うのですが、やってきた警察官は旧知の人物で、私が最初に入社した会社の指導役だった先輩社員でした。向こうも私を見て驚きながらも久しぶりと返事するのですが私の方はというと、「貿易事務員から警察官って転身ぶりがまた凄いな」、「なんでロンゲなんだろう?」、ということを口には出さずに頭の中だけで考えます。

 その先輩と私が一言二言話すとそのまま警察らは我々の車を改めて、「これはなんだ?」といって車内の一部を指さします。指さされた場所は運転席ドア裏側のサイドボードで何故か真っ赤に染まっているのですがこれについて親父が、「実はここに来る前に猫を轢いてしまって……」と説明し、警察もその説明に納得して「気を付けるように」といって解放してくれました。猫を轢いてどうして車の内側に返り血がつくのかという点については夢だからかみんなスルーです。
 再び車が走り出す横で私は、以前にも「我が一族と猫」という記事で書いたように私の一族と猫は因縁深い関係にあり、猫を殺すことは一族にとって観音様の顔に唾を吐きかけるにも等しい最大のタブーであるというだけに、「なんてことをしでかしやがって……」と、親父を横目に見ながら怪訝に思ったところで夢から覚めました。

 久々にカオスな夢を見たなぁと思いつつその日の出発支度を済ませていつものように家を出たのですが、その日たまたま最寄駅近くの芝生に犬の死骸が転がってて、見開いたままの血走った目と目が合っちゃって久々にリアルホラーを感じたというかマジビビりました。毛並からして多分野良犬とかじゃなく飼い犬で、バイクか何かにはねられて死んだんじゃないかと思いますが、その日見た夢と相まってなんか奇妙な偶然性を覚えました。
 なおその後電車に乗っている最中、マッドシティの潜伏先にある冷蔵庫と洗濯機の残存価額と廃棄処分回収費をあれこれシミュレートしていましたが、あの犬の見開かれた目がなかなか脳裏から離れずちょっと気分悪かったです。帰り道もその場所避けて帰ったし。