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2021年3月1日月曜日

二匹目の武将記事の裏側

結局、あの将軍は名将だったのか?愚将だったのか?(JBpress)

 そういうわけで自分の記事の紹介ですが、この記事は前に書いた評価逆転記事の続編です。評価逆転記事を書いた時点で今回ピックアップした3人は当たりを付けており、反響に応じてこの記事を書くかどうかをあらかじめ決めていました。前回の記事がそこそこ当たり、ヤフコメも盛り上がっていたので書くことにして、先月はマジ世を忍ぶ仮の本業が忙しかったので、あまり物事考えたくなかったこともあってこの記事を投入することとしました。
 なお次の記事もあまり準備とかしたくないから、前から温めていた記事ネタの放出となりそうです。昨日書こうかと考えてたけど、プラモ作っててできなかった(´・ω・`)

 そんな二匹目のどじょうならぬ二匹目の武将記事ですが、JBpressランキングでは6位前後を徘徊しているものの、JBpressの他の歴史記事が軒並み順位を上げており、Yahooなどの二次配信サイトの私の記事を介してJBpress本サイトへのアクセス流入を呼び込んだとみられ、JBpressに対する貢献はそこそこ果たせたと自負します。歴史記事は内容が腐ることないからこういうトラフィック誘導面ではめちゃ優秀です。

 記事内容への解説は特に裏テーマなども設けてないので余りすることはないのですが、今回ヤフコメを見ていて意外だと感じたことが数点あります。一つは、「この作者はわかっていない!」的な知ったかぶりの歴史マニアによる私への批判が少なかったことです。記事自体が三人の人物の賛否両論を併記していることもあるでしょうが、議論の多い人物を選んでいるだけに何かしら批判されるだろうと思っていたらあまりなかったので意外でした。まぁ悪いことではないのですが。

 次に意外だったのは、乃木希典への擁護意見が相当多かった点です。他の二人に対する擁護意見も批判意見以上に多かったのですが、どちらかと言えば批判意見が多くなると思っていた乃木については8割方擁護意見であったように思え、自分の知らないところで彼の評価も逆転しているのではないかと今回気づきました。
 一体何故乃木の評価が逆転しているのか、その理由について敢えて推測で述べると、司馬史観が廃れてきているからではないかと思います。記事中でも触れていますが、乃木の批判意見の大半は司馬史観によるものですが、乃木こと日本陸軍への評価が海軍善玉論の崩壊に伴い相対的に向上していることもあって、乃木自体の評価が向上しているのかもしれません。この辺の話はまた別に記事にするのもありかもしれません。

 ちなみに昨日プラモ作りながら、ありそうでない記事として、日本海軍ではなく日本陸軍の戦闘機特集記事とかあったらおもしろいかもとか思いました。日本の戦闘機というと一に零戦、二に紫電改と揃って海軍機しかなく、自分が贔屓にしている飛燕、ひいては五式(タイプファイブ)なぞ知ってる人の方がレアです。隼を含め、へっぽこ扱いされている陸軍機を自分が作ったプラモと一緒に紹介とか考えましたが、手元にあるのは飛燕と疾風しかなく、五式のキットはさすがに中国で手に入れるのはハードなことから企画倒れになりそうです。

2021年2月28日日曜日

森の最大の功績

 90年代の日本の金融業界を調べるために小説の「金融腐蝕列島」シリーズを読んでますが、一言感想を述べると「やくざがいっぱいたのしいな♪」といったところです。どうでもいいですがメガテンシリーズ屈指の名言は「ヤクザをころしてへいきなの?」だと思います。
 あとまた関係ないけど、第二次スパロボαみたいに部隊名を好きに決められるゲームだと部隊名を「ヤクザ」にすると「ええい、またしても邪魔しに来たかヤクザめ」などと敵キャラに言われます。なお自分はこういう時にはいつも「回し下痢」という部隊名にしています。

 話は本題ですが、先日に例によって失言で降りた森こと森喜朗について友人が、「森の生涯最大の功績はラグビーワールドカップだろうな」と言った際、「いや、それは違う。村山政権成立時の暗躍だろう」と私は答えました。
 詳細はその辺のWikipediaにも書いていますが、1993年に自民党は単独過半数を割り、細川連立政権が成立して野党に転落するという、55年体制の崩壊が起こりました。当時の自民党について在職していた議員らは、「官僚が途端に相手をしてくれなくなって与党でなくなったことを思い知らされた」と話しており、内外で大きな影響を被ったことには間違いありません。

 ところがそうしてできた細川政権が短期間に終わると次にできた羽田内閣も急場で作られた内閣故に求心力不足からすぐに店終いとなり、次はどこが組閣するかが大きな議題となります。ここで森や亀井静香といった自民党内の一部中核メンバーが、何としても「与党に返り咲くため」として、小沢一郎ら新進党との連立に不満を持つ社会党の一部メンバーと接触し、社会党の当時の委員長である村山富市氏を首班指名して連立することを打診します。これらは内々のうちに進められ、自民党内の反発しそうな人(中曽根とか)には内緒で、黙ってると抵抗してくるけどまだ拙速できそうな人(小泉とか)には説得するなどして下地を作っていきました。

 こうした根回しの上、首班指名を誰にするかの会議で森が「自民党は村山富市で行く」と発表したわけです。ただ自民党内には宿敵ともいえる社会党との連立に反発を示す議員も依然と多かったことから、この発表時には相当な怒号が飛び交ったと言われます。その中でも森は態度を崩さずにあくまで村山首班指名を貫き通して会議を終えたとされ、その会議後に亀井が泣きながら「森さん、よくやった」と抱き着いたというエピソードを聞いたことがあります。

 結果論で言えば、最終的に首班指名投票で海部俊樹と争ったものの村山富市が多数票を取り村山内閣が成立し、自民党も連立与党として与党に返り咲くことが出来ました。そして村山の次には同じ連立攻勢で橋本龍太郎が総理となり、名実ともに自民党が完全な与党として復活したことを考えると、当時の森や亀井の策動は結果的には見事成功したと言え、もし仮にあの「社会党抱き込み戦略」がなければ、自民党はあのまま野党として落ちるところまで落ちていった可能性もあったでしょう。そういう意味では、歴史を変える一撃を打ち込む上で、森はかなり重要な役割を果たしていました。

 こうした点を見るにつけ、森は政党内部や国対方面においては非常に高いパフォーマンスを発揮するタイプで、以前から私も主張しているように、表に出てあれこれ取り仕切るのは逆に全く向いていない人間だと改めて思います。自分の得手不得手を把握していない、または把握していても場違いな場所に配置されるほどの人の才能の不幸はないと私は常々思いますが、森に関しては彼にとって総理にさえならなければ今以上に高い評価がなされていたのではないかと思えます。
 そう考えると、小渕恵三の急死は森にとっては天啓ではなく、むしろ死兆星っぽい出来事だったのかもしれません。まぁあれがあったから森派での小泉純一郎氏の会長就任が来て、その後の小泉政権に続くわけなのですが。

2021年2月26日金曜日

本を読んだら作文が上手くなるの?

 今日は金曜日で、しかも今週激務が続いたので帰り際に自宅前にできたローソンに寄り、ポテトチップスといちごシューを購入して一気食いした後、元宵節だからと大家が餃子っぽい皮に包んだ肉団子を作って持ってきてくれて、後回しにするのやだからそれも一気食いしてのけました。なんか餓え過ぎてるような。


 それで本題ですが、上の記事を読んだときに私はどう思ったのかというと、

  そう、関係ないね
  ゆずってくれ、頼む
☞殺してでも奪い取る
 
 というロマサガっぽいチョイスが浮かんだわけではなく、「読むだけ無駄」という感想でした。まず絶対的な事実として述べると、こと文章執筆技術に関しては読んだ量よりも書いた量の方が圧倒的に影響します。それこそ1万字の文章を読むくらいなら1千字の文章を読んだ方が遥かに効率が良く、読む暇あったら日記でもいいから何か文章を書いた方がいいと私は思います。

 なんで実際に書いた方が文章技術は上がるのかというと、単純に書く際に表現を「考える」からです。それこそアクション映画のワンシーンをそのまま文章に書き起こせと言われても、大抵の人はまずどういう風に書いたらいいのかがわからないでしょう。そこから「シュワルツネッガー演じる主役は無言で相手の右手にある拳銃を叩き落とすと、続けざまに重たいボディーブローを入れた。あまりの痛みに相手がうずくまるとそのまま顔面を蹴り上げ、失神したのを確認してからその場を立ち去った」というように、動作とか情景、あと記述する順番とかを意識して考えるようになります。こうした文章表現における意識、あと「こういう時にはどう書くのか」は、やっぱり書かないと覚えないでしょう。

 ただ仮に百歩譲って「読んで鍛える」っていうつもりなら何を読むべきかとなると、自分の場合は記者出身ということもあってやはり記事、それも内容の複雑な金融や不動産系の解説記事を読むことを薦めます。複雑な内容の説明というのはある意味、多くの一般人が文章を書く上で最も求められる能力であり、自分が見ていても書き手の実力がはっきり分かれる分野です。
 こういったところを鍛える上、というか見本にする上ではやはり記者の文章が一番お手頃で、それも実力ある記者の解説記事やコラムなどはそのまま書き写すだけでも価値があります。

 その逆に、お勧めしないのは小説です。引用したまとめ記事ではラノベは良くないと書かれていますが、ラノベじゃない小説でもあんまり読まない方がいいと内心思います。特に、明治や大正頃の文豪が書いた小説は現代とは表現が異なることからも、ストーリーを楽しむ上ならともかく、文章技術向上を目的に参照すべきではありません。あの辺の小説の表現技術を学んだところで、普通の人が生かせるところなんてほぼありません。

 なんとなくですが、「文章を読めば作文が良くなる」というのは、「食べながらダイエットできる」に近い概念だと私は思います。どうせ食べるんならガチで太らないこんにゃくとかそういうのだったら多少は効果あるけど、食事を厳選するくらいなら運動した方がもっとずっと体型整えるのにはいいに決まっており、文章においても全く同じです。
 第一、昔と比べて現代は原稿用紙買わなくてもパソコンで文章書いて残せるのだから書きまくればいいじゃんと思えてなりません。自分が中学くらいの頃はガチで原稿用紙買い過ぎて小遣いがなくなったという儚い思い出があります。でもってそのころはよくラノベっぽいの書いてたけど、高一の段階で社会批評コラム書いたら自分でも「あ、才能あんなσ(゚∀゚ )オレ」とか思ってたら、案外本当にそれで仕事できるようになって自分でも内心驚いてます(;゚Д゚)

2021年2月25日木曜日

最近の株高について

 相互リンク相手の潮風太子さんも言及していますが、最近の株高についてはやはり上がりすぎだという風に自分も懸念しています。日経平均で見ると、直近1年間の最も安かった頃(2020年3月)と比べると、本当に倍近くにまで現在上昇しています。

 直近の株価上昇の背景理由としては、コロナ流行に伴い店舗や工場といった実体経済や不動産への投資が控えられ、行き場を失った投資マネーが株式市場に流れ込んだためとされています。同様の理由で一時はオワコンとまで言われたビットコインもガンガングイグイズイズイ上昇(わかる人今いるのか?)が続いていましたが、なんか昨日にイーロン・マスクとともに一時急落しました。
 上記の背景理由については全く見当違いな推測とは見ておらず、株価上昇の要因の一つであることには異論はありません。しかしそれを考慮したとしても、日経平均がここまで上昇するほどの理由になりうるとは思えず、まどろっこしいことを言わずに端的に述べると、本来あるべき価格からかけ離れて上昇しているのが今の状態のように思えます。





 日本の株価が上昇し過ぎだと感じる理由として、中国の株価の上昇程度と比べても日本の方が高いという事実があります。上の画像はさっきやふーファイナンスから引っ張ってきた直近1年間の日経平均と上海総合指数のチャートですが、どちらもこの1年で大きく上昇し、特に今年1月以降の上昇ペース(米国の大統領選が影響)は共通していますが、上昇幅では日本の方がかなり高いです。
 また日本はバブル期の水準を上回るような歴史的高価格を記録していますが、上海総合指数は確か2015年の上海ショック以前の水準は上回っておらず、歴史的高価格にはまだ入っていません。なお米国のダウについては引用しませんが、日本や中国と比べると随分低い傾斜になっています。

 私個人の意見を述べると、コロナの抑え込みに比較的成功していて経済のコロナ影響が比較的小さく済んでいる中国に比べ、日本の株価が中国以上に上昇するのは普通あり得ない気がします。もちろん中国の場合は輸出額も大きいだけに中国以外の国の経済の影響を受けやすいという特徴もありますが、日本も負けず劣らずの輸出型経済であり、また中国と比べ国内消費の拡大余地が小さいことを考えるとここまで差がつくのは説明がつかない気がします。

 とはいっても、金融というのは必ずしも実体経済に則すわけではありません。そういう意味ではこうした結果もありうると言えばありうるとは思います。なので自分の懸念も杞憂に過ぎないという感情は持ち合わせています。
 ただ今の状況に関して実は一番気にくわないのが、こうした極端な株高状況に対する解説なり評論、今後の見解に関する報道がほとんど全く見られない点です。明らかにこれまでとは異なる異常な状況にも関わらず、どのメディアも原因を分析しあぐねているのか何故かほとんど言及しません。こうして中国や米国のチャートと比較する記事に至っては皆無に近いでしょう。そういう意味では、今の状況で一番腹立つのはメディアやアナリストたちです。

 なお政策面について言うと、株価が上がっているのは事実なんだから、今のうちに日銀や年金機構は買いに買いまくった株を売りぬく、いわゆる出口戦略を採るべきじゃないかと密かに考えています。まだ上がるかもという期待はありますが、現時点で売却しても相当の含み益を確定させることができ、また市場に対する過度な介入も緩和でき、何より今このタイミングを逃したらいつ出口戦略を採るのかという見方を私は持っています。
 いろいろ規定とかあって予告なしに売却とかできないのかもしれませんが、自分にいわせりゃ黙っていっぱい買い支えてるんだし、余計な雑音などは無視して一気に売りぬくべしという立場を取ります。こういった出口戦略にも触れる記事とか読んでみたいのだけれど、どこも誰も書かないというので結局自分が書く羽目になるのが物悲しいです。

2021年2月22日月曜日

ミャンマーの対中感情について

 昨日プラモ買った帰りに自転車パンクして長々歩いたことを同僚に話したら、「またプラモ買ったの( ˘•ω•˘ )」と、第一声がこれでした。

親中にあらず 本音は中国「大嫌い」のミャンマー(JBpress)

 それで本題ですが、先日クーデターが起きたミャンマーについて川島博之氏が上記の記事を挙げていました。クーデター以降、日系メディアは背景には中国の差し金があるなどとミャンマー軍部と中国を結び付けた報道が非常に多かったですが、私自身としては上記記事で川島氏が書いているように、実際のミャンマー関係者と中国の関係は決して良好ではないと思います。

 普通に考えたって、国境が近い国同士が仲良くなることはほぼなく、またミャンマー自体が民族間抗争が激しい国であることを考慮すると、中国が関わってこないわけがありません。まぁそれ以前に、親中国な国がこの世にあるのかって議論した方が早いですが。

 ではなんで日系メディアはやたらとミャンマーと中国を結びつけたがったのか、一言で言えば「そのような構造だとわかりやすい」ということと、「中国だったら適当なこと言って悪者にしても何も問題ないから」という安直な理由からだと思います。後者については私も以前にこのブログで書いていますが、他の国だったらいろいろと問題になるような適当な主張でも、中国に関しては何言ったってOKな風土があります。
 確かに今の中国に関しては露骨に領土線の変更意欲を見せるなどツッコミどころは満載ですが、かといってちゃんとした事実については報じず、逆に憶測でしか内容を他が報じているからとばかりに報じる今の日系メディアに関しては先日も親父と話しましたが、いくらなんでもどうかという気になります。そういう意味ではJBpressが最近質のある国際報道記事増えてきていて、意外といいところで自分も記事書いてるなとも思えてきます。

2021年2月21日日曜日

ロードバイクは体に悪い

【悲報】最近のマツダ車とかいう「マツダ」でさえ無ければ確実に爆売れしてたもったいなさすぎる車達(アルファルファモザイク) 

 上の記事で「マツダの車ってデカイか小さいかだけで全部デミオじゃない?」って書き込みに対し、「よく見たら意外と違いあるで。よく見なきゃわからんけど」ってコメントが秀逸な気がします。
 あとこの記事見て知りましたが、ホンダの新型ヴェゼルがガチでマツダのCXシリーズのデザインパクッててびっくりしました。ホンダはインサイトでもプリウスをまんまパクっており、中国企業もびっくりするようなことをやってきます。

 話は本題ですが前にも似たようなことを書いているものの、ロードバイクはやっぱり体に悪いというかよくないです。なんでかっていうと、お手軽に速度出せるからです。
 今日、またいつもの如くプラモを買ってきてルンルン気分で帰宅していたら、道路の変に陥没した穴を通過した際、変な跳ね方というかタイヤのぶつけ方をして前輪をパンクさせてしまいました。パンクさせた場所はそこそこ郊外にあり、仕方ないのでそのまま自転車を引っ張って街中のGIANTの店まで行きましたが、自転車なら10分くらいの距離を40分くらい歩き続けました。

 そのせいでさっきから疲労感が凄まじく、自転車に乗ってたら全く感じなかったことを考えるとどんだけ楽していつも移動してんだと思えてきます。ロードバイクに乗っているとスポーティなイメージを持たれがちですが、私に言わせればママチャリであちこち走り回っている奴の方がよっぽどスポーティです。
 やっぱりロードは速すぎるというか、乗り手にとっては楽させ過ぎる気がします。今でもよく奈良の移住を考え奈良の物件を見たりしてますが、奈良に移住することがあればロードは買うにしても、普段の鍛錬用兼街乗り用としてママチャリも買おうかなと検討しています。


 その奈良ときたらまた上の記事見てひとりで盛り上がっていました。ぶっちゃけ奈良は自虐で盛り上がる場所だと自分も考えているのですが、なんで損なので盛り上がれるのかというと、上の記事で書かれている内容より現実はもっと凄いことになってるからだと思います。いまいち言ってることが分からないということは、一度奈良南部に足を踏み入れたらすべてを悟ることができることでしょう。

2021年2月20日土曜日

三菱・コルトについて

“まじめ”な力作だけにもったいない!? なぜ三菱はコルトをやめてミラージュを復活させた??(ベストカー)

 なんか二日連続で自動車系の記事ですが、ぶっちゃけ上の記事で取り上げられている三菱・コルトは昔マジで欲しかったです。社会人1年生当たりの頃でコンパクトカーでなに選ぶかと聞かれたら、本当にこれ選んでた気がします。

 一体何故コルトが好きだったのかというと、コンパクトカーにしては走行性能に結構力入れていて、特にラリーアートというバージョンなんかはかなりガチな仕様でした。また全体的に不評だったいわゆる三菱のブーレイ顔と呼ばれるフロントマスクデザインですが、このコルトに関してはブーレイ顔が比較的よくあってて、シンプルでありながら個性の感じられるデザインであったことが大きいです。

 当時のコンパクトカー業界はホンダのフィットという絶対強者がいて、そのほかには日産のキューブ、トヨタのヴィッツ、マツダのデミオなど強敵揃いでしたが、それぞれ個性があって非常に華やかな時代でした。そうした中でまだ三菱びいきだったこともあって何故か私はコルト推しになって、自分で買えないもんだから何故か家の近くでコルトがある駐車場を暗記して、サイクリングコースに組み込んでました。マジで。

 現在の三菱のコンパクトカーはミラージュですが、はっきり言えば好きじゃないです。全くコンセプトが感じられないだけでなく、見るからに安っぽい感じがして、これ選ぶくらいなら10年落ちのコルトを選ぶ方がマシです。真面目に今の三菱には何の哲学も感じません。

 ちなみにコンパクトカーネタで言うと、発売前は期待の高かったホンダの現行フィットですが、ライバルの元ヴィッツことヤリスが異常に絶好調で、やや影に隠れている感があります。自動車業界に詳しい人に聞くと、どうも乗り心地の悪い足回りになってるらしく、その辺が響いてるそうです。実際にというか発売以降、評論でもあまり肯定的なものを見なくなってきています。

 最後に、コルトについてさっき検索したら、


 この記事は2020年4月に出されたものですが、もしかしてベストカー、「コルトは良い車だった」という記事を毎年出してんじゃないかという疑惑が出てきました。まぁここは昔から三菱贔屓だけど。最近はやたらとスバル推しが激しいけど。