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2025年9月14日日曜日

「島耕作」シリーズが何故評価されるのか

逢いたくて、島耕作(コミックDAYS)

 上のリンク先は島耕作シリーズのスピンオフ作品で、島耕作世界に転生したZ世代で島耕作マニアの主人公が初芝社員となって、ミッション形式で島耕作の偉業を陰ながら支えるという内容です。以前から作品について興味を持っており、完結していたこともあって先日の電子書籍のセール時に大人買いして読んだのですが、期待に違わず面白くて一気に読めました。
 元々、島耕作シリーズについては運転免許の合宿中の宿舎に読んではいたものの、当時置いてあったのは課長全巻と部長シリーズの前半だけで、私自身は島耕作マニアとはとても言えない存在です。ただこの漫画では課長以前の話が割とメインだったためそんなに影響はなく、また恐らく島耕作を知らなくてもある程度内容が理解できるよう把握されており、構成の妙が光る作品な気がします。

 それでこの作品を読んで感じたこととして、改めて島耕作シリーズの偉大さというか面白さに気が付いたような気がしました。現代においても比較的珍しいビジネス現場をメインとした漫画であることもさることながら、こうしてスピンオフが出るほど濃いキャラクターが多いというのも強みでしょう。
 特に「逢いたくて、島耕作」で出てくる今野輝常というキャラに関しては自分もかなり記憶しているというか印象の強いキャラクターでいかにもな人の足を引っ張ろうとするだけのヒール役として登場しながら、その後も何度も登場しては動静が描かれてたりします。なおこのキャラに限らず、関西弁を使うキャラは島耕作シリーズの中で大体嫌味なキャラクターになっており、読んでて自分は「なんかこの作者、関西人に恨みでもあるのだろうか(;´・ω・)」と思ってたりしました。

 その今野を含めてですが、今回このスピンオフ漫画を読んで気づいた点として作者の弘兼憲史氏はどのキャラクターも大事にする人だという印象を覚えました。前述の通り、いかにもぽっと出の嫌味なキャラクターですらその後何度も登場させるなど、使い捨てにすることがほとんどありません。後年に描かれた課長以前の話(平から係長までの時代)では、何年も前の課長連載時に出てきた上司系のキャラクターが再び登場したりしてそのキャラクターがより掘り起こされています。

 意外とこういう風にキャラクターを間隔を置いて再登板させるというのはほかの漫画では見られず、ひどいのになると「タフ」シリーズをはじめ、途中でいなかったことにされることも少なくありません。そうした作品と比べると島耕作シリーズはメインストーリーを進めつつ一人一人のキャラクターを大事に使っているように思え、この点がほかの漫画と一線を画しているから現代においても評価されているのだろうという風に感じました。

 もっともキャラクターを大事にする一方、退場(=死亡)させるときはすげぇ雑だという気もします。某キャラなんか自宅に飛行機を突っ込ませたりしており、最初読んだときはマジで笑ってしまったとともに、「もっと他に描き方あったんじゃないの?」という風にも思いました。

2025年9月13日土曜日

直接教えず気づかせる指導

 長い期間、傭兵の如くあちこちの会社を転々とし続けた私ですが、今の職場にはなんともう10年近くも働いています。転職時には友人から「もって半年だな(´・ω・)」とまで言われましたが、今じゃ立派な古株で、「社内で逆らっちゃいけない人」のトップテンには入っている気がします。
 ちなみに、このランキングのナンバーワンの人は秘書さん。

 そこそこ年紀を積んだこともあって後輩などにも指導する機会が多くなっているのですが、提出された報告書の添削や業務の進め方を指導する際、直接的に「こうしなさい」とは言わず、暗に自分が意図した方向に動かすように示唆させるだけにとどめています。あくまで示唆するだけなので思った通りに動いてくれないことの方が多々あるのですが、致命的なミスに繋がるもの以外はそのまま通させ、不完全ではあるもののクライアントが許容するであろう範囲で提出させています。

 なんでそんな回りくどいことをするのかというと、直接「こうしなさい」的な指導をすると定着が悪いからです。一体何故そのようにしなくてはならないのかという観点や理解が不足し、言われるがままにやるためなかなか覚えないし、覚えたとしても背景原理を理解していないので応用が利かないことも多いです。
 それに対し、示唆する程度にとどめて自分で正解に辿り着けたのなら、「いいテクニックを見つけた(・∀・)」みたいな感じでその後も率先してそうしたテクニックを使うようになるため定着がよく、またその業務テクニックを使うべきシーンと使うべきじゃないシーンの応用も比較的よくこなしてくれます。この辺、自分で見つけられるか否かというのがやはり重要だと思え、正解を教えるのではなく、正解に如何に自ら辿り着かせるかという指導を心がけています。

 この辺、ゲームの攻略にも言えますが、アクションゲームなどの操作テクニックをネットの攻略法で見るのに対し、プレイ中に自ら気づくのとではやはり違います。自分で見つけたほうがその後も活用しやすく、またプレイにおける喜びというか快感もデカいです。
 こう言ったことは仕事においても同じだと思え、仕事に対するモチベーションを引き上げるうえでも頭ごなしな指導は極力控え、私のレビューやチェック回数が増えることを覚悟で、やや消極的な指導を続けています。もっともたまに、「ここが新聞社だったら君に物投げてるぞ」と、無駄に新聞社がヤクザ組織みたいな脅しをかけることもありますが。

2025年9月12日金曜日

中国人に日本での就職を勧める日々


 上の記事で中国の労働人口の激減予測と就職氷河期について書かれていますが、最近マジで日本語使いの中国人に会うと、「お子さんは日本の大学に留学させた方がいいですよ」と確実に進めています。理由は一にも二にも就職で、日本の大学を出て日系企業に就職させる方が安全安心確実だからです。

 あんまり重ね合わせ過ぎてはいけないと思いつつも、マジで現在の中国は日本の90年代の生き写しであることにビビっています。時期的にも2025年の中国は1995年の日本と瓜二つで、実体経済はまだ楽観視した雰囲気があるものの、若者の就職面ではもはや完全に氷河期に入っており、さっきも中国人の友人とこの話題で話してました。
 天津に住むその友人によると、就職先がなく親と一緒に働く子供が多いそうで、タクシー運転手の家庭では昼は父親が、夜は息子が運転しているそうです。また情報系の大学を出て就職したものの、会社が倒産して父親の内装業を手伝うという息子もいるそうで、これはこれで親孝行な感じもします。

 とはいえ雇用が改善する兆しは一切見えず、また現在比較的活発な個人消費も、日本も95年当時はCDでミリオンセールがいくつも出るなど歴史的にも最も個人消費が活発でした。これらが暗転したのは97年のことだったので、中国も2027年あたりで実体経済が一気に落ち込むのではないかと予想しています。
 なお中国の個人消費を支えているのはやはり淘宝ことネットショッピングです。これがあるからどんな地域にもいつでも商品を手ごろな価格で売ることができるのですが、その選定として異常に低い運送料があります。もし仮に今後運送料が高騰したら、全商品の価格に上乗せされ個人消費が冷え込む可能性もあるのではと危惧しています。

 話を元に戻すと、諸悪の根源ともいうべき不動産業界の不良債権についてはマジ完全に放置されたままです。これをどうにかしないとどうにもならないのですが、「景気が良くなったら対処しよう」という日本と同じ過ちを完全に繰り返しています。っていうかもはや、現実逃避しているような気すらします。

 話が行ったり来たりしてますが、2年後辺りに想定される事態として日本と同じく増税が来るのではとみています。既に中国の地方財政は破綻していて、各地でサラ金の取立みたいに日系企業とか外資企業に何年も前の指摘事項を引っ張り出してきては税務局は追納を要求しています。そういう動きを追える立場にあるのですが、マジで見ていてその強引さには驚くとともに、切羽詰まった感が強いです。
 こうした状況から早ければ来年にも日本の消費税に相当する増値税、または法人税の税率を引き上げてくるのではないかという気がします。っていうかそうしないと国が持たないレベルまでもはやきており、その増税が引き金となって個人消費も冷まし、真の氷河期を迎えるとみています。

2025年9月10日水曜日

F-2を美少女キャラにたとえるなら?

 すでにニュースにも出ていますが連敗で有名になったハルウララがなくなり、世界中からお悔やみの声が集まっています。ハルウララに関しては一時馬主となった安西美穂子の意味不明なムーブを見ていただけに、晩年は理解ある人の下で穏やかに過ごせたと聞いてほっとしました。
 そんなハルウララですが、一時は人気も落ちてオワコンかと思っていた馬娘がいつの間にか英語版出してて、しかも海外でやたらヒットを飛ばし、ハルウララも登場していて人気だったということに驚きました。言うまでもなく馬娘は実際の競走馬を擬人化というか美少女化させたゲームなのですが、戦闘機においてもそうした例はあります。


 代表格なのは中国の殲20ことJ-20です。以前に自分も上の写真のようにプラモを作りましたが、この機体はお披露目当時に中国の航空ファンから黒くて長いという特徴を、「黒髪、ロング」という風に解釈され、2010年ごろに流行ってたアニメ「けいおん」の秋山澪に例えられ、そのまま「秋山澪」という蔑称別称がつけられていました。さすがに年数を経ていることもあり、同じ呼び方をする人は最近だと見ないですが。

 この中国でのお話を聞いて、変に愛称付けるより、馬娘同様に擬人化した方が愛着もたれやすいのではないかと思う節があります。なので日本のF-2支援機ももし美少女キャラで例えるなら何がいいのかと先日考える機会がありました。
 そんなF-2の特徴はというと、

・青い
・元のF-16よりややデカい
・対艦戦闘能力が異常に高い
・値段も異常に高い
・東日本大震災の時に津波で被害を受けた
・AESA


 やはりその機体カラーといい海との関係が最も深いのですが、最後のAESAが自分には一番キャラ付けしやすい特徴だと感じました。これは何かというと、それ以前のミサイルは撃った後もレーダーを敵機に向け続けないとミサイルが当たらなかったのですが、レーダーを向け続ける必要があるため、敵機もほぼ同時にミサイルを撃ってきたらよけられなくなるという弱点がありました。
 それに対しこのAESAはミサイルを撃った後に機首を動かしても、レーダの方が自動で敵機の方角に向いてくれるため、ミサイル発射後にすぐ回避行動へ移れるという超優れものでした。このAESAを初めて標準搭載したのはF-2であり、その技術の高さは米国からも評価されて「お前の物は俺の物」という感じでほぼ無料でこの技術を強要共用されることとなりました。

 このレーダーが自動で敵機に向かって追い続けてくれるという特徴ですが、しつこく追い回すという点で何となくヤンデレっぽいと感じました。となるとヤンデレっぽいキャラで海に関係するのが一番合うのではないかと思って思案に暮れていたところ、「そうだ、奴がいた( ゚Д゚)」とばかりに浮かんできたのが、桂言葉でした。
 このキャラの特徴挙げると、

・普段はおとなしい
キレると怖い
・ヤンデレ
・執着心がすごい
・強い(のこぎりで首を切断可能)

 などと、最近めっきりブームが収まってヤンデレという言葉すら聞こえなくなりましたが、恐らく現代においても最強のヤンデレキャラとして君臨しています。でもって、「niceboat」もあって海とも関連性を備えており、彼女以上にF-2の擬人化が似合うキャラはいないんじゃないかとすら自負します。もしCGでF-2を作る機会があれば、桂言葉のデカールを貼り付けてみたいです。

 このほか日本が保有しているF-15も何かないかなと考えましたが、バリエーションが多く、半世紀以上にわたり進化し続けながら運用されていることから、こちらもシリーズごとに進化し続ける「ゲゲゲの鬼太郎」のヒロインこと猫娘が一番適当であるような気がしました。猫で戦闘機とくればトムキャットなんですが、あっちはトムとジェリーのトムに任せましょう。

2025年9月9日火曜日

むしろ、これまでに消滅した職業ってあるの?

 先日の電子書籍セール時に大前研一氏の「新版 第4の波: AI・スマホ革命の本質」という本を買って読んでみました。簡単に内容を紹介すると、農業革命、工業革命、IT革命に続く第4の産業革命ことAI・スマホ革命が今後起きるとしてそれによって伴う社会の変化などについて解説されているのですが、全体の感想を述べると理論にやや偏った見方であり、実践というか現実との齟齬や差異については全く省みることなく、参考にはなると感じたもののこの本に書かれている通りに未来が進むとはとても思えない内容でした。

 やや本題から外れますが、AI・スマホ革命一つとっても私はAIよりも先にロボット革命の方が起きるのではないかと思います。真面目に中国の人型ロボットの発達はすさまじく、労働現場の代替も夢じゃないのではないかと思うようになってきました。

 話を本題に戻すと、この本で大前氏はかつての工業革命、IT革命同様、AI・スマホ革命によって現場作業などを行うエッセンシャルワーカーを除き、多くの職業が不要となって失業者が増加すると予言しています。特に現在事務作業を担当するホワイトカラー、しかも弁護士や会計士といった士業などはAIに仕事を丸ごと奪われると主張されていました。
 正直に言ってこの辺の「将来なくなる職業」系の話は若干聞き飽きているというか、かねてから消滅候補ナンバーワンとされている通訳や翻訳系の仕事一つとっても全然消え去る気配がしません。知り合いの翻訳ライターに言わせると、AIに契約書を翻訳させて取引当事者同士に認識の齟齬が発生した場合、誰が責任を採るのかで問題になるからAIがすべて翻訳する事態はまず起こりえないとも言ってます。

 また大前氏の主張に私が疑問を感じた最大の理由としては、IT革命のときもまさにおんなじことを言う人がたくさんいました。ITによって今後事務作業者はいなくなる、経理なども不要になどと言われましたが、Windows95の発売から30年を経て、あの時なくなると言われた職業は今も現役で募集も続けられています。
 そこで気になったのが、実際にこの世から消え去った職業ってあるのかなということです。試しにネットで検索してみたところ、昭和末期から現在に至るまでの間で確実に消え去ったと言える職業を私なりに探してみたところ、以下の職業が該当すると考えました。

・タイピスト
・電話交換手

 以上の二つです。マジこの二つ以外には見つけることができませんでした。
 前者のタイピストはキーボード操作という技術がパソコンの普及により一般化して、専門職が完全不要になったことが原因でしょう。後者の電話交換手も半導体とシステムの普及により、人手を使う必要がなくなったため消え去りました。

 これ以外にも細かいのを挙げればブラウン管テレビの技術者なども挙げられますがそれは職業というより技術分野であり、技術者という枠なら全然現役です。こんな具合で、かつて将来消えると言われた職業はほぼ全て現存しており、むしろこの30年くらいでなくなった職業を探す方が難しいくらいです。
 書いてて思い出したけどチンドン屋は消えたと言えるのだろうか?一応業務を受ける企業はまだ存在するようだが。

 では消えなかったにしても減っている職業はないのかというと、実際のところIT革命を原因とする職業人口の減少はあんま起きていないのではないかという気がします。先ほど挙げた経理もそうですし、営業職やデザイナーの数もそこまで激減しているように見えません。むしろパソコンを使ったデザイン業務やSEなどと言った職業も登場するようになり、職業の幅が狭まるどころか広がっているようにすら感じます。
 仮に減っているとしても募集人口が以前より減っているだけで、かねてからその職業についていた人が職を追われるような事態はまず起こっていないと断言できます。技術発達によってある日突然仕事がなくなるようなことはほとんどなく、実際は募集段階で漸減していくのが関の山でしょう。

 このほかもう一つツッコむと、さっきのCGデザイナーもそうですが実際には技術発達が起こると既存職業が淘汰されるというよりは、既存職業に新規技術が組み合わさってそのまま残るというパターンの方が多い気がします。漫画家もかつては手書きしかなかったのが現代ではPCで、しかもリモートで作業する方が多数派となっており、営業職も各種ITツールを利用して売り込みや分析を行うようになっています。翻訳に関しても辞書を使わず電子辞書をと思いきや、電子辞書すらなくなって今やWebで単語を検索するのが常道であり、弁護士や会計士もそういった判例や証跡確認ツールを使って今も仕事していると思います。

 工業革命時も機械によって職が奪われると暴動も起きたりしましたが、のちに機械によって新たな職業も生まれており、過去の例からみると一概に技術発達が職業を消すと言えるものではないでしょう。むしろ新たな技術をどのように既存の職業や業務に組み込んで効率を上げるべきなのか、こうした視点こそが雇用の拡大や生産効率性の向上にとって重要であるように思え、こうした視点を持つ人が現代に少ないということの方が私にとっては先が思いやられます。
 そういう自分も人のこと言えないというか、IT革命によって雇用が減少したら日本としてはマイナスなのではと大学時代に久保建夫先生に行ったことがあり、その際に久保先生が「ITで既存の工業にとって変えるのではなく、どう組み合わせるかという視点が重要だ」と指摘されて現在に至ります。

2025年9月7日日曜日

リミッター解除!(YF-21のプラモ)


 見ての通り、アニメ「マクロスプラス」に出てくるYF-21のプラモを組み立てました。めっちゃ作るのに苦労したけど満足度も非常に高く、写真を撮りまくっては同僚を含めやたらめったら送信しまくってます。


 YF-21はアニメの中で新機種選定コンペに使われる試作機の一つです。モデルとなった米国のYF-23同様にコンペに落ちてこれっきりコニカな機体となりましたが、スーパーロボット大戦に登場するなど現代においても活躍しています。

翼端のエッジは本当に見事だと感じた

 自分もスパロボを通して初めて知り、その後アニメも見てからもマクロス系の機体では一番これが好きというか、一撃必殺の「リミッター解除」が攻撃にあって気に入って使っていました。ただそれ以上に、パイロットのガルド役を演じた石塚運昇が生前の頃から好きで、「頭文字D」の藤原文太役での演技とは異なる熱い咆哮が聞けて贔屓にしてました。
 なお「マクロスプラス」をソ連人民の敵であるうちの親父はすげぇつまんなそうに見てました。展開が若干中だるみ気味ってのはわかるけど。


 話をプラモに戻すと、前回作ったVF-11Bの経験からマクロス系のハセガワのキットは非常に難しいことは覚悟していました。そのためプラモ製作を私は通常1日で完成まで持っていくのですが、今回に関してはしっかり時間をかけようと、組み立てに1日、デカール貼りに1日と二日間かけることをあらかじめ決めて備えていました。
 結果的にはこのスケジューリングは大当たりというか、組み立ての段階でも非常に苦労しました。s期に作った人のブログとかみててもパーツが細かく、ロッドの先端部をランナーの一部と思って切り落としてしまったなどの失敗談が多く、実際に自分も何度かひやひやする経験をしています。


 なんでこのキットの組み立てが難しいのかというと、単純に接合部の設計がハセガワらしくあまりうまくないゆえだなと思います。機種や尾翼など、ほんの少しガイドをつけたり接合方法を工夫すればものすごい工程が楽になるのにと思う箇所が多かったのと、マニュアルもところどころ説明不足で、組み立ての順番をミスりやすいと感じました。時間かけて慎重にやったからある程度はうまくいきましたが、それでもやや悔いの残る点が多かったです。
 なお機種部のクリアパーツに関しては明らかに寸法があっておらず、パーツそのものを切り取ってサイズを調整して埋め込みました。結構重要なところだから、これくらいはハセガワも頑張ってほしい。


 そして見栄えを決めるデカールに関しては地獄そのものというか、「NO STEP」などの細かいのはまだいいとして、エアインテークの口部など円周系に貼り合わせるものが多く、また先にデカール貼らなきゃ位置取りミスるのに、その辺をあまり示唆しないマニュアルなど、「タミヤだったら……」と感じることが多かったです。そもそも名が細めのデカールに関しては、分割しても問題ないだろうと思うものが多々ありました。ぶっちゃけ貼る途中に千切れたおかげで、貼りやすくなったデカールもあったし。


 とはいえ完成させたところ思ってた通り見栄えはよく、また不満な点はあるものの完成にはこぎつけるし、原作の雰囲気もしっかり出せてて、苦労したけどその分達成感をはっきり感じるキットでした。とはいえ前述の通り一般的な戦闘機プラモと比べた場合、明らかに組み立てやデカールが鬼なキットなので、マクロスとガルドが好きなだけでプラモを作り慣れていない人は手を出さない方がいい気がします。


 なお完成時にスパロボ仲間な中国人の友人居「限制器解除(・∀・)」というメッセージとともに送ったら、「猫のが目立ってるじゃん(;´・ω・)」と返信がきました。たまたま今日頼んでおいた仕事猫のフィギュアが届いたので並べたのですが、やはりキャラが強い。


 最後に、縮尺が同じ1/72ということからF-22ラプター、Su-35フランカーとともに並べて大きさを確認したところ、ラプターとはほぼ同系でフランカーよりは小さいという結果になりました。まぁ当然ですが。
 このYF-21は前述の通り米国のYF-23がモデルなのですが、YF-23同様に主翼が菱形しているのがチャームポイントでしょう。YF-23も作ろっかなと思ったのですが、知名度が低いゆえか絶版されて久しく手に入りそうもありません(´;ω;`)ウッ…

2025年9月6日土曜日

父権が喪失していった平成期

 前回記事でなんかやたらと心理学について書きましたが、このきっかけは前にも書いているように河合隼雄の「家族関係を考える」という本でした。この本は1980年に発売されたこともあり、ちょうど「積み木くずし」の時代に近いこともあって、家庭内暴力や不良化などで相談しに来る家族の話が多く書かれています。

 こうした家族について河合隼雄は、特に母親に暴力を振るう子供について、「家族内で絶対的な存在である父親には抵抗できないゆえに、そのそばの母親を代理の対象とする傾向がある」と言ったことを書いていました。ここで言っている内容について私自身も異論はなく、実際そんな感じで母親に暴力を振るったり、敢えて不良とつるんで反抗したりしていた人もう当時は多かったんじゃないかと思います。自分が親に中国まで持ってこさせて読んだ「積み木くずし」なんかまさにそんな感じだったし。
 と同時に、「今じゃこんな図式成り立たねぇだろうな」という感想も持ちました。理由は単純に家庭内における父親の権力というか父権、父性が極端に低下しており、そもそも家族内で「乗り越えるべき対象」にすらならないと思うからです。

 昭和から平成にかけての家族関係の変化としてはやはり核家族化がもっとも代表的だと思います。翻って平成から令和にかけての変化としては、私個人としてはやはり前述の父権の低下が最も大きな変化じゃないかと思います。
 昭和期においてもかかあ天下な家族もいたでしょうが、現代においてはもはやそれが一般化しているのか「かかあ天下」という言葉自体が若干死語になっている気がします。同時に、「家父長」という言葉もほとんど使われなくなっているうえ、男女差別を助長するなどとしてあまり使うべきでないとする風潮すら感じます。

 ではなぜ父権がそんなに落っこちていったのか。これはごく単純に社会における女性の地位向上に尽きにでしょう。特に共働きの世帯だと、父権の源泉ともいうべき「稼ぎ」が父親に限られなくなり、下手すりゃ母親の稼ぎの方が大きいケースも出てきて、家族を意に沿わせる材料はなくなったも同然です。その上で、母親に対しては家族内で求められる役割は現代でも多いと思いますが、父親にはそれほど多いとは思えず、「キャッチボールの相手」もなんだか今だと古風な感じすらします。
 その上で、父権を強めようものなら先ほども言ったように男女差別だと指摘される可能性もあり、家庭内で父親が主導権を発揮しようにもあらゆる方面から制限されているのが現代である気がします。恐らくこんな家族観、1980年代の人たちは想像もできなかったでしょう。

 そもそも前述の家父長という言葉自体もはや過去の物であり、これからは下手すら「家母長」みたいな言葉も出てくるかもしれません。

 こうした父親が家庭内で主導権を持てない環境に変化していったことでどうなったのか。中にこれが少子化の原因だという人もいるかもしれませんが私にはそこまで判断する材料がなく何度も得いませんが、少なくともいえることは「子供が畏怖する父親像」というものは完全に過去の物になったということです。これが子供の非行化に関係するかについて、私個人としては非行化が下がる要因にはなったんじゃないかと思います。一方で、「無気力化」の要因に係わってきている可能性もにらんでいます。

 そういう意味では平成における家族間の変化としてもう一つ、「子供部屋おじさん」という新語も誕生しています。これなんか今後さらに普及していって、当たり前になる概念になるかもしれません。核家族化した家族が核分裂しないまま続くとでもいうべきか。