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2025年3月18日火曜日

「不安」とはそもそも何なのか?



 日本円で1000円くらいだったので、この前創業者が亡くなった韓国アカデミー製のミラージュ3のキットを組み立てました。骨董品みたいなキットでデカールが破れやすくて苦労しました。

 話は本題ですが先日ふと、陰謀論にはまる人の特徴に関して何かいい研究が出ていないかなと思っていくつか解説記事を読んでいました。この手の陰謀論はカルトとかもかかわってくるため前からたまに調べたりしていましたが、論文はあまり信用できないというか、矛盾する内容の発表をよく見ます。
 具体的には、「学歴が高い/低い人ほどはまる」、「若者/中高年ほどはまる」、「裕福/貧乏な人ほどはまる」などというように、相反する要素をはまりやすい特徴として各々の論文は挙げており、細かい論文内容を読んだり実験の詳細を見ているわけじゃないものの、若干バイアスかかった主張がなされることが多い分と思って私自身もうさん臭く読んでいます。

 そんな風に眺めていたところ、ある論文がちょっと目につきました。簡単に内容を説明すると、学歴とか所得、日常の猜疑心や慎重さとかははまりやすさにそこまで有意に相関しておらず、むしろ不安感の大きさが大きく影響するという指摘でした。この説明には文字通り膝を打つほど納得感があり、また先ほど挙げた学歴や年齢などの要素に関係なく不安というのはある人とない人が存在していて、先の要素について矛盾する発表が相次いでいることも説明が付きます。
 何より、不安感が大きい人ほど陰謀論にはまりやすいという指摘が一番体感的にもストンと落ち、かえってほかの要素は無視した方がいいくらい説得力を感じました。

 そこまで来たところでふと、「そもそも不安ってなんやろ?」という疑問がもたげました。


 不安に関する解説記事をいろいろ読んだ中、一番自分が納得したのが上の赤田太郎氏の解説です。重要な個所を引用すると、

「不安と恐怖は同じものだと考えてもらって大丈夫です。ただ、なぜ呼び名がことなっているかというと、対象が明確なものを『恐怖』といいます。対象が不明瞭なものを『不安』といいます。」

 これまたストンと落ちる説明で、不安とは恐怖と同じ感情であり、その差は対象がはっきりしているか否かだということです。

 あえて比喩を用いると、同じ室内にたくさんの人がいる中、殺人犯が一人混ざっているとして、殺人犯が誰かわかっている状態が恐怖、誰だかわからない状態が不安だと私は思います。

 なお最初に作ったたとえは、「ハイパー化するインド人がわかっているのが恐怖、わからないのが不安」でした。なぜ自分はインド人をこうもハイパー化させたがるのかがわかりません。

 上のたとえを踏まえた上で敢えて不安単独に対して自分の言葉で表現するとしたら、「明確な答えが欲しいのにその答えがわからない、手に入らない状態」というのが不安状態じゃないかとも思います。陰謀論にすがりつく人の心理状態がまさにこれなんじゃないかとも思っており、コロナワクチンが安全かどうかわからない中で「安全じゃない」という言葉に急激にのめりこむのも、こうした下地あってこそじゃないかと考えます。

 その不安ですが、先ほどの赤田氏によると「強度の低い不安感情というのは、実は有益」だそうです、これも非常に納得できるというか、ある程度のストレスがあった方が人間の健康状態とかもよくなるといい、身近な例だと締め切りや納期がが迫ってくるにつれて集中力が増すというのは誰でも経験していることでしょう。
 もちろん極度な不安状態が良くないのは言うまでもないですが、一番最初の陰謀論の話に戻すと、そうした陰謀論がはやる背景としては社会に不安がはびこっている、人々の間に不安が大きくもたげている状態にある可能性があります。その上で陰謀論にはまる人にはその陰謀論が間違っているというより、その人が何に不安を持っているのかを探り、それを解消してやる方が陰謀論から目を覚まさせるキーになるような気がします

 ほかの例でもそうですが、なんかおかしな行動をとる人というのは何かしらその背景となる精神的疾患や問題があるように私には見えます。でもってそうした原因は異常行動からは一見して推定し辛く、粘り強く観察してそれらを探り当てて解消する必要があるのではと思います。
 先ほどの陰謀論でも、かねてからワクチンに疑問を持っていたというよりは、家族や将来、健康に関する不安にさいなまされていたところで、その手の陰謀論に触れて縋りつくようになったというパターンの方が多いのではないかと思います。であればその不安の原因を解消しなければ、陰謀論を捨てることもないでしょう。

 そんな風にいろいろ考えている中で、「日本のホラー漫画って、恐怖というより不安を煽るよな」とも思えてきたのでその辺はまた次回に書きます。

2025年3月16日日曜日

石破首相の次は誰?

 降ってわいた金券政治によって風前の灯火の石破首相ですが、となると次は誰が総理となるかがもはやトピックとなるでしょう。

 その前に総裁選もとい石破総理の辞任はいつになるのか時期もポイントになりますが、これに関しては参院選前か後かのどっちかにもう絞られています。参院選へのダメージを最小限にするべく前に行うのが常道ですが、それまで石破総理が粘る可能性もあれば、どうせ負け戦だから石破総理に責任を負わせて心機一転で新たな総理を担ぐべきという目もあるだけに、前と後ろのどっちかはまだ絞れないような気がします。

 それで人選ですが、現状最有力候補は前回決選投票まで行った高市氏といっても間違いではないでしょう。ただ高市氏は党内に敵が少なくなく、実際それによって前回は一敗地にまみれたわけであるだけに、当選確実とは言い切れないのが現状です。私個人としては前回同様リンこと林官房長官を待望しているところですが、安定感は抜群だけどこれという強みがなく、何かしら風向きの動きがなければ勝率は低いでしょう。
 また前回名を挙げた若手筆頭の小林氏も十分候補足り得ます。彼の場合は一般党員の支持をどれだけ広げるか、待ったバックにつくタニマチこと自民党大御所がいるかいないかによって左右され、この方面で誰かしらにもうバックアップを頼んでいる最中かもしれません。

 その小林氏の名を挙げといてなんですが、5、6年前の情勢ならここで小泉進次郎氏が総理になっていても時期的におかしくはなかったでしょう。彼の場合はこの数年間で一気に人気を落とし、党内でもそれほど支持する人がいなくなっており、少なくとも次の総裁選では彼の目はないとみています。着実にキャリアアップと行きたかったでしょうが、大臣職についてからこれという功績もなく、また発言もフワフワしたものが多くなり、ここまで評価を下げるというのも過去あまりなかったかもしれません。
 もっとも総理になってから下がるよりかは、なる前の方が絶対いいに決まっています。その点では彼は幸福な部類なのかもしれません。

 あ、あと麻生派の河野氏もいたが、彼ももう目がないでしょう。なんていうかかつての与謝野馨みたいな経過をたどっているように見えます。

2025年3月15日土曜日

死者に人権はあるのか?

 先日に起きた女性配信殺人事件では機能に私も記事に書いた通り、犯人に借金するよう仕向けながら返済しなかった被害者に非難が集まるとともに、そのプライベートな情報も大きく拡散されています。こうした状況に対しネットで「死者だからと言って、さすがにプライバシーが暴露され過ぎでは」という見解を示す人も見られ、「死者に人権はあるのか?」という問いにするならば、一考に値する意見のように私も感じました。

 結論から述べると私は死者に人権はなく、個人情報などもある程度公開されることになってもことさら特別視するべきじゃないかという風に考えています。但し、例外というか限定条件が守られることが前提です。

 ちょっと横道にそれますが死者の敬称について、乃木大将やハマーン様など敬称付きの方が通りのいい人物を除き、がこのブログでは死者に対して「~氏」などの敬称は一切用いないようにしています。大手メディアなどは死後から数ヶ月は敬称を維持するなどの独自ルールを持っているそうですが、私としては生者でないものに敬称は不要だと思うし、失礼な書き方さえしなければ何と呼ぶのも自由という風に考えます。また死後の表彰も無意味だと考えており、表彰するなら生きている間に、またはほかの生きている人にしろという風に見ています。

 話を戻すと、上の敬称に関する考えのように死者に対して余計な遠慮とか配慮は不要で、そんなものするならもっと生きている人を大事にすべきだという風に考えています。こうした考えから死者に対する批判やプライバシー暴露に関しても、そもそも暴露されて困る本人がこの世にもういないんだから気にする方が野暮でしょう。

 またあくまで私の考え方ですがこの手の死者に対する批判やプライバシー保護を変に規制なり配慮した場合、世の中への弊害の方が大きくなると思います。具体例を挙げると安倍晋三やジャニー喜多川などが好例で、「死んだ人を悪く言うのはよくないよ」と変にその生前の行動に関する暴露や報道を止めていたら、後世の公正な評価や現代における対応にも波及する恐れがあったと思います。
 むしろ死んだからこそ追求できることの方が多いだけに、「死者だから」と言って配慮したりするのは悪手この上ないでしょう。

 但し、これはあくまで死者本人に関する事柄に限ります。メリー喜多川氏の関与などどうしても触れざるを得ない部分を除き、まだ生きている遺族に対する誹謗中傷につながるような情報やプライバシーの暴露に関してはそこに公益性があるかないかを判断すべきで、ない場合は極力暴露や批判はすべきじゃないかと思います。私見として述べると、日本の報道はこの辺の境目が特にあいまいで、死者に対する情報の取り扱いで遺族や関係者に不要な社会的批判を招いている節があるような気がします。

 以上の考えの大前提として、私個人としては「死者よりも生者の方が大事」という考えに基づいています。この辺は論語の「生者に対する礼儀もまだ完璧じゃないのに、死者に対する礼儀なぞ語れない」という言葉の影響を受けてるやもしれません。

2025年3月14日金曜日

全く同情されない殺害された女性配信者

最上あい(享年22)、もし1万円返していたら殺されずにすんだ模様(ガハろぐ)

 例の女性配信者殺害事件ですが、一言で言えばこれだけ同情されない殺人被害者は近年稀にみる水準じゃないかと思います。私自身も同じで、殺害行為の肯定こそしないものの、もし自分が犯人と同じ立場にあれば同じことを絶対にしないかと言われればしないと言い切る自信はありません。少なくとも、背後から全力で頭突きするくらいならためらわずにやるでしょう。
 なおこの事件を見て真っ先に思い浮かんだのは、かなり昔の下の事件です。


 すでに各所でこの事件、というか被害者の行動が報じられており裏付けを取る必要もないほど赤裸々な情報が出ていますが、個人的に自分が着目したのは犯人が消費者金融から借金をしたのは被害者の指示だったという点です。もう工面できるお金がないという犯人に対して被害者は「すぐ返すから心配ない」といったことを言って消費者金融、それも複数社から借金させて借りた金を返済しなったそうです。
 言うまでもなくその後犯人は利息に苦しむことを考えるとこれは意図的に犯人の人生を破滅に追い込むような所業であり、重ねて言いますが殺人は肯定はしないものの、被害者は殺されても仕方ない人間だったという風に私は思います。

 また犯人は粘り強く返済を要求しており、司法手続きまで済ませているのに返済されなかったことを考えると、逆にこの人に私は同情を覚えます。以前からも指摘されていますが裁判で賠償命令が出たとしても踏み倒す人間が多く、また強制取り立て措置を取るためにはとてつもない労力が必要ということを考えると、この辺もっと簡単に取り立てられる制度があってもいいような気すらします。離婚時の慰謝料や育児費も支払いがよく滞るというし。

 もっとも今回の事件で被害者は自分名義の口座は空っぽにし、内縁者の口座で自分の収入を管理するなど意図的な取立妨害措置もとっていたため、並の手段じゃ取り立てるのは不可能だったでしょう。っていうかやり方が完全にプロの手口で、指南役がいるかほかにも多くの被害者がいるかのどっちかで、もうしばらくしたら「俺もこの女にやられた」という人が出てくるかもしれません。

 いつの世にも悪い奴はいますが、こういう人間が今回の事件のようにきちんと取り立てられない、処罰されないからこそ被害は広がるものであり、その点を踏まえてもこの手の民事案件に対する強制介入措置をもっと考慮すべきでしょう。

石破首相の商品券配布と政権終了

 長く使っていてそろそろ買い替えかなと思って新しい電気ケトルを買いましたが、大体5回に1回は過熱が止まらず中のお湯が蒸発しきるまで温め続けるので、また買い替えが必要になりそうです。以前はこんなことなかったんだけど、なんか最近は中国の家電にこういう不具合増えてきたような……。

石破首相側から商品券受け取り 議員十数人10万円ずつか 複数証言(朝日新聞)

 話は本題ですが石破首相が議員に金券配ってたそうです。あまり言われないけど朝日新聞はなんだかんだ言いつつかなりすごいスクープをよく拾ってきて、私はこの辺で朝日の記者を評価しています。

 話を戻すとすでに続報生地も出ていて石破首相も配布をしたことを認めているそうです。あえて言うなら石破クーポンともいうべきすが、そんな長く書く話じゃないので続けると、石破政権はこれでもう終わりでしょう。今国会で基礎控除引き上げなど減税や物価高騰対策をうまくやれば次の参院選後も生き残れるかもと考えていましたが、維新の口車に乗って余計な高校無償化やったり、基礎控除も無駄に手間のかかる累進性にしたりしているので、私としても早く政界から去ってほしいの一字に尽きます。

 当初はそれこそ参院選までは続かせると自民党も考えてたでしょうが、もうこれじゃ政権も持つわけなく、参院選より前、早ければ来月にも総裁選が実施されるでしょう。それにしても政治資金問題に国民がピリピリしている中でこんな金券配りするなんて、ここまで無能だとは私も想定していませんでした。悪いことは言わないからどっかで学びなおしてきた方がいいのではないかとすら思います。

2025年3月13日木曜日

責任を放棄しても特権を手放さない米国

まず一つ目の背景としては、戦った人たちが幸せになれないというスパイダーマンならではの設定があげられる。スパイダーマンはアメリカの比喩だから、これは要するにいくら戦っても、悪を退治しても幸せになれないアメリカ、ということになる。
 もっといえば、正義のために戦ってもいつもひどい目にあう主人公ピーター・パーカーは、湾岸戦争やイラクからの帰還兵の多くがPTSDになっているという、厳然たる現実を思い起こさせる。日本人はそうでもないだろうが、一定年齢以上のアメリカ人なら、これはきっと脳裏をよぎるはずだ。

 上の文章は映画評論家の前田有一氏が「スパイダーマン ノーウェイホーム」の批評から引用したものですが、自分もこの意見に同感であるとともに、米国を見るうえでなくてはならない視点だと思います。
 米国としては世界中で戦争をしてはいるけど、それは世界警察としての立派な役目であり、ほかの国からも感謝されるという意識がかつてあったと思います。しかしターニングポイントとなったのはイラク戦争で、フセイン政権を崩壊させて新政権を樹立したもののうまくいかず、結局はベトナム同様に完全撤退する羽目になりました。しかも前田氏が書いている通り多くの兵士の人命が失われたばかりか、帰ってきた兵士も「アメリカン・スナイパー」や「キャプテンアメリカ ウィンターソルジャー」(←マーブル作品の中で一番好き)で描かれたようにPTSDとなった上、諸外国からは「間違った戦争だった」と非難される始末でした。

 そうした経験から、米国人自身も世界の安定や平和維持に米国が率先して血を流すことは必要なのかという疑問を、感覚的には2010年あたりから持ち始めているように見えます。かつてのモンロー主義のような価値観を現トランプ政権は主張していますが、これはトランプ大統領が主張しているというより、少なからぬ米国人自身がそのような希望を持ち始めており、それにトランプ大統領が乗っかったというのが実情じゃないかと思います。

 そんな具合で誕生したトランプ政権ですが、ウクライナやイスラエルの対応を見る限りだと世界の平和維持どころか、安全保障すら放棄したいという考えが見られます。要するに、紛争が起きても「自分たちでどうにかしろ。和解の仲介を依頼するなら手土産を用意しろ」的な価値観で、これは前述の通り決してトランプ大統領自身の価値観というより、米国全体の大きな方針であるようにも見えます。
 確かに米国はこれまでに多大な血と汗を流しており、またイラク戦争もあってこれ以上紛争に係わりたくないというのも理解できるのですが、そうした世界秩序の維持を放棄する一方で、これまで同様、いやこれまで以上に諸外国へ要求を突き付けてくることから、色々おかしくなってきているというのが現状だと思います。

 曲りなりにも世界秩序、とりわけ西側の自由主義陣営に安全保障を提供していたからこそ、日本を含む各国は米国の時に理不尽な要求にも受け入れてきたわけです。しかし安全保障の責務を放棄しながらもグリーンランドをよこせだとか米国本土に投資しろなどとこれまで以上に激しい要求をしたところで、言うこと聞く国はかつてほどはいないでしょう。
 実際、このところ欧州は米国抜きでの安全保障を模索しており、フランスの国際的地位が顕著に上昇していますが、不況にあえぐドイツも軍需産業が盛り上がることで恩恵があることから仏英の流れに乗るのではないかと思います。日本もこのままでいいのかという懸念が大きくなっており、そういう意味では次期主力戦闘機の開発パートナーが米国ではなく英国であったのは僥倖だったかもしれません。

 そうした背景もあって、まじめに日本も外交の転換期に入ってきているような気がします。これまでは米国に大きく依存する体を取ってきましたが、その米国自身が日本に対する安全保障に茶々を入れてくる有様であり、また中国も圧迫を強めていることから、色々と懸念が大きくなっています。
 ただ仮にロシアを仮想敵国とするなら、日本もNATOに入る価値はあるのかもという気もしません、仮にロシアがNATO諸国に侵攻した場合、日本も対ロシアに協力、時に参戦するという条件ならば、NATO側としても大歓迎する条件だと思います。あの広大な領土でロシアが二面作戦採れるはずもないし。

 無論、その分戦争に巻き込まれる恐れもありますが、何もしなくても戦争に巻き込まれたのが今回のウクライナであることを考えると、やはり何かしらの備えは必要ではないかという気がします。仮に米軍が日本から撤退する場合などのシミュレーションも必要ですし、場合によっては中国側に通行権を認める(中国が米国と戦争する場合に日本は一切関与しない)など便宜を図ることで紛争回避を図るという手段も考えられます。こうした様々な状況を想定した外交のデザインだけでも、今のうちに持っておく必要があるかなと思う次第です。

2025年3月10日月曜日

コロナ以上の観光業不況はもう来ない

 前にも書いていたかもしれませんが1月に九州地方を旅行している最中、外国人観光客が明らかに増えているのを見て何気なく旅館の女将に「外国人増えてますが景気はどうですか?」と尋ねたところ、「あのコロナの頃に比べたら……」と、今でもはっきり記憶に残っているくらい悲しそうな顔を浮かべました。コロナ流行期に観光業が大きな打撃を被ったことは報道でもちろん知ってはいましたが、やはり当事者たちからすれば報道以上に苦労を受けていたことは間違いなく、その一端を見たような気がしました。

 もちろん青の頃には政府も対策に動いており、雇用助成金をはじめ多くの支援が行われていました。私は当時、確かにこうした支援は必要ではあるもののやや観光業に偏り過ぎていないか、もっと他の産業にも分配したらどうかという印象を覚えており、確かこのブログにも当時書いていました。しかしこうして当事者の声を聴いてみると、ややちょろいと感じますがやはりあの時に観光業を支えて正解だったのかもと考え直すようになっています。
 少なくともあのコロナ期を日本の観光業が生き残ったおかげで今日の観光産業発展があるわけであり、あの頃の支援というか投資は無駄にはならなかったといえるでしょう。

 その上で今後に関してですが、私はかねてからアトキンソン氏のように日本の観光立国化を進めるべきだと考えており、観光業の強化は今後も必要だと考えています。前回記事でも触れましたが観光業への投資であればマネーの海外流出は起こらない上に、製造業と比べても雇用吸収力が観光業の方が高く、極端なことを言えば技術的素養も必要なくすぐ雇用可能という点でも製造業以上じゃないかとみています。

 ただ製造業と比べると観光業は景気の変動を受けやすいと指摘されます。この点に関しては私も同感で、ちょっと不況や何かしらの事件による風評被害が起こると観光業は確かにダメージを受けやすいです。もっともこの点に関しては製造業にもなくはなく、極端なオンリーワン技術とかなら別ですが、製造業も為替の影響を受けやすく、景気変動の影響を受けないわけじゃないです。
 その上で観光業についてもう少し述べると、少なくともいえることとしては、あのコロナ期以上の不況はよほどのことがない限り今後数十年間は起きないと思います。あのコロナ流行はまさに未曽有の大災害と言ってもいい時期で、あの時期を乗り越えた今の日本の観光業関係者は進撃の巨人で言えばシガンシナ区住民のようだといっても過言ではないでしょう。

 おそらくコロナ期には旅行会社をはじめ多くの観光業関係者が淘汰されたかと思います。ただ結果的には非常に力のある観光業企業のみが生き残っており、だからこそ今現在の観光業の盛り上がりを支えていられるんだと思います。前述の通りコロナみたいな自体はそれこそ戦争でも起きない限り自分の生きている間はもうないと思え、あの時期を乗り越えたんだから景気の変動くらいへっちゃらとまではいかずとも、日本の観光業関係者はきっとまた乗り越えられると信じています。

 その上で今後についていえば、もはや日本国内で観光業の競争が始まっているような状態じゃないかと思います。おみやげ品の開発や流通、宿泊施設のキャパ、誘致できる観光資源など、日本の地域ごとに観光客を奪い合う時代がもはや始まっており、下手に国際競争するより国内競争を通して日本の観光業の実力をさらにスリム化、強化していく必要があるでしょう。

 個人的な経験で述べると、今回回った九州はどこも地元名産はいい具合にお土産製品化しており、そのあと関西に行ってお土産屋を見てもこれはと思うパッケージや製品をあまり見ませんでした。地味に九州の人たちはお土産開発能力が高いように見え、ほかの地域も九州の人のように創意工夫して商品開発力をつけていくべきじゃないかと思います。
 っていうか熊本が何でもかんでもくまモンつけてお土産作るのはずるいと思った(´・ω・)