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2025年10月28日火曜日

タイヤの呪い

 今この記事はまた上海で書いていますが、タイヤの呪いを受けているのかタイヤ周りで色々ありました。

 まず昨日、午前中に漫画喫茶行って帰ろうとしたところ自転車の前輪がパンクしているのに気が付きました。パンクの兆候はそれ以前に一切なく原因不明なパンク劇でしたが、途中の自転車屋によってチューブごと取り換えて直してもらいました。
 ちなみにその自転車はあさひで買いましたが、「あさひの連中はタイヤに妙なのり付けするからパンク単体の修理はできないんだ」と教えてもらいました。若干思い当たる節があるというか、パンクした後にタイヤの外皮が妙にはみ出てまともに回転すらしなくなり引きずって歩くのがやたらしんどかったです。でもってその自転車屋は古くからあるお店で、置いてある自転車眺めてみるとロードとか結構安く売ってあり、今度寄るときに購入してみようかという気になりました。

 次のタイヤ事件は今日というかさっき起きたもので、スーツケースのホイールのゴムがぱっくり裂けました。完全に剥離するまでにはいかずガタガタするものの転がしていこうと思えば行けるものの、完全に剥離したらもう転がらないだろうと思って可能な限り持ち上げて運ぶこととしました。
 このスーツケースは既に7年くらい使っていることからホイールが壊れるのも仕方ないと言え、逆にこれまでしっかりもったあたりはさすがDiplomatだなと感心してたりします。そこそこ気に入っているので修理できるところにもっていって今度修理するつもりですが、さすがに二日連続でタイヤ絡みで災難降りかかるあたり、見知らぬ誰かの恨みを買ってタイヤの呪いを自分は受けているのではないかと思わざるを得ません。

2025年10月27日月曜日

人目を気にする生き辛さ

 本題と関係ないですが嘘つきが手を入れると抜けなくなると言われる彫刻の「真実の口」について、一昨日久しぶりに「思春期ルネサンス!ダビデ君」を読んでいる最中、「『真実の尻』ってのはないのだろうか?」という妙な妄想がもたげました。多分この間、「ケツバトラー」の漫画紹介を見た影響だと思います。


 話は本題ですが、先日死刑判決が下りた2023年の中野市四人殺害事件の犯人についてですが、リンク記事でも触れられているように犯人は精神病であったと主張してはいるもの、冷静に被害者へ銃を向けその後立て籠もった経緯を考えると詐病であるように思います。昔法学部の友人が言っていましたが、殺人犯は基本的に殺人を犯す時点で常人と比べ精神が異常な状態にあるため、ちょっとやそっとの精神障害では減刑理由は成立しないそうです。極端に言えば、うんこ食べるくらい気が狂ってなければお話にもならないそうです。

 以上からこの犯人はこうして詐病を装うあたり、本人は死刑を望んでいるようなことを言っているものの実際は恐れているんじゃないかと思います。仮にそうだとしたら非常に卑怯な人間だと思え同情の余地も感じないのですが、彼が主張した人目を気にする生き辛さというのには密かに共感を覚えるものがあります。
 裁判などでの供述によると、犯人は大学に入ったあたりから自分が馬鹿にされているのではと人目を気にするようになってひきこもるようになったそうです。特に笑い声が聞こえると自分が笑われているのではとも思ったと語っているのですが、この供述については嘘ではなく、実際の本音だったのではないかという気がします。というのも、この犯人ほどではないのですが私もそのような経験があるからです。

 一番記憶に古いものだと子供の頃に連れてこられた外国で外人が笑っていると、子供心に「自分が笑われているのでは?」という風に思ったことをはっきり覚えています。また成人後も、厳しい状況にあった時なんかは外から笑い声が聞こえると、さすがに自分が笑われているとは思わなかったものの何となく肩身の狭くなるような感情を催しました。
 私個人の所見で述べると、上記のような体験は日本人ならほぼ全員が多かれ少なかれ経験しているのではないかと思います。主な場面としては小中高の環境、そして私が上記に挙げた外国人から聞こえてくる笑い声が候補であり、悪意がないはずだと分かっていながらも何となく嘲笑されているような居心地の悪い生き辛さを感じた経験は誰しもあるでしょう。

 恐らくこれはほかの国の人にも同様に当てはまる気がしますが、その度合いで言えばやはり日本人の方が高いのではないかと考えています。何故かというとやはり日本人は人目を気にするというか、自己評価よりも他者評価、つまり外部からの評価を重視する傾向にあり、自分が自分のことを高く評価していても外部からの評価が低ければ「俺って無能?σ(゚∀゚ )」という風に思い込む人が大半で、中には自己評価なんて一切しない人も珍しくありません。まぁそれは自我がないせいでしょうが。

 この点、中国人なんかは人目を気にしない人間ばっかで、自分も感化されたのか昔と比べると今は周りの目をあまり気にしなくなりました。そんな自分からみていると、やはり日本人の大半は人目を気にしすぎるあまり、それだけで生き辛さを感じているように見えます。まったく気にしない人もはた迷惑ではあるものの、生き辛さを感じるくらいならもっとわがままに生きたらといいたくなるほどなのですが、多分日本の教育ではそのような人目を気にしすぎる人にすら「もっと周りを見て行動しなさい」といって、余計に追い込む気がします。

 そういう意味で自分としてはもっと、この「人目を気にする生き辛さ」という単語を広めて、気にしすぎると本人にも周りにもよくないし、極端なことを言えばこの中野市の事件の犯人のように暴発する可能性もあるという認識を社会全体で持った方がいいと思っています。っていうかぶっちゃけ、日本国内の統合失調症の人の多くが「誰かに見られているような気がする」と口にする当たり、この人目を気にする習性は日本の精神衛生を大きく悪化さている要因ですらあるようにも思えるし。

 このような見方を持ったのと、「やや理解を得辛い自分の好きなことを理解し合える関係」をテーマにしている聞いたことから、今回の日本滞在中は漫画喫茶で「その着せ替え人形は恋をする」を一気読みしてきました。実際、このテーマが作品全体で貫かれており、キャラの心情も良く描けていてこりゃ人気が出る作品だと納得な面白さでした。個人的には主人公の男の子が、男の自分からみても一貫して自分の夢を追い続ける姿勢がかっこいいと感じました。

 今回こうして問題提起的に記事書いていますが、正直なことを言えばなぜ日本人がこれほど人目を気にするのかが実はよくわかりません。ムラ社会だからといえば話は早いですが、村落文化が衰退した現代でこの図式をそのまま当てはめるのはやや安直だと思えるし、また着せ恋じゃないですが、何故個人の趣味に良し悪しというか人目を気にするもの、気にしなくていいものがあるかについても、何か考慮する余地があるのではないかと思え、確固とした線をいまだ描けずにいます。
 敢えて言えば、人目を気にする背景には劣等感が確実にあり、その劣等感がどこからどのようにして生まれるのかというメカニズムに何かヒントがあるような気がします。地味にこの劣等感についてはこれまでも学生時代も一切触れてこなかった感情で、自分も何度も抱いてはいるものの、何故抱くのかについてはいまいち分析できていないような気がします。

 最後に着せ恋について、主人公に両親がいない背景についてアニメ版で原作にない背景が掘り下げられたことについて作者が、「(ストーリーの構成上)邪魔だから殺しただけだったのに……」と言いながらアニメ見て感動したというエピソードが一番強烈な印象に残りました。

2025年10月26日日曜日

日本における駅名の英語表記について

 前々から思っていましたが、日本の駅名の英語表記はやっぱおかしい気がします。日本の駅名の英語表示は基本的にローマ字表記にするだけで、例えば「東京→Tokyo」、「大阪→Osaka」などと表記されます。こうした固有名詞の地名なんかはこれで何も問題ないと思いますが、例えば「南浦和」など、広範囲にわたる地名をそのエリアによって分けた駅名の場合も「Minami Urawa」などと表記されます。

 しかし英語のわかる外国人に「Minami」とローマ字で書いただけで「南(South)」だと分かるわけがありません。この点、中国ではこのような東西南北が付いた駅名には「South 〇〇 Road」などと、無意味に中国語の発音表記(南→Nan)そのままに書くことはせず、英語の意味に合わせた単語を当てはめます。また「人民広場」など一般名詞に近い駅も「People Square」などと英語の意味に合わせた単語を当てています。日本人なら漢字だけででわかりますが、漢字のわからい外国人にとってはこうした英語表記の方がわかりやすく、地名も覚えやすいでしょう。

 自分はついさっきに京都から帰ってきましたが、京都市営地下鉄終点の「国際会館」もそのまま「Kokusai Kaikan」などと書かれてあって色々思うところがあります。これこそ「Intenational conference hall」とかの方がわかりやすいし、そもそもそういう場所なんだから意味に合わせて英語表記すべきでしょう。日本語の音に合わせてローマ字化したところで、得する人の方が少ない気がします。

 ただこれで困るのは「新〇〇」系の駅です。都内なら御徒町に「御徒町」、「新御徒町」、「仲御徒町」と複数駅ありますが、最初の御徒町こそ「Okachimachii」または「Okachi Town」で十分ですが、次のは「New Okachimachi」と書くとなんか不自然な感じします。それだったら元の御徒町駅は「Old Okachimachi」になったりするのかと思えてくるし「Naka Okachimachi」に至ってはもはや意味不明です。いっそ「新御徒町」については「Brandnew Okachimachi」などと開き直った方がいい気すらします。
 その点、「北千住」と「南千住」なら「North Senju」と「South Senju」で迷うことがありません。ただ個人的には「Good Senju」、「Bad Senju」とかでもいい気がします。

 最後に、松戸も「松戸」、「東松戸」、「北松戸」、「新松戸」と松戸とつく駅名がたくさんあります。新松戸なんか自分もよく使う駅なのでこの際、「Matsudo NOVA(マツド・ノヴァ)」などと派手な英語表記駅名にした方が盛り上がるんじゃないかと密かに考えています。

2025年10月24日金曜日

東北出身の三大ドクズ偉人

 昨日まで東北に行ってましたが、立ち寄った先に宮城県松島のみちのく伊達政宗歴史館がありました。伊達政宗の生涯については既に熟知してはいたものの、ここでの展示はその生涯をわかりやすい文章のパネルと人形で説明しており、自分の目から見てもいいと感じる展示でした。また館内には伊達政宗以外にも東北出身の偉人の人形が所狭しと飾られていたのですが、その人形を見て、

「なんか東北ってクズな偉人多いな」

 という感想を持ちました。何も東北人に偏見を持っているわけじゃなく、英雄の多くはそれぞれクズな面を持ちがちではあるものの、たまたまそこで目に入った偉人の中からすぐにクズだった奴を何人も見つけられたため上記のような感想を持つに至りました。なので今日はその中でも選りすぐりのドクズ偉人3人を紹介しようと思います。


エントリーナンバー1 石川啄木

 現在の岩手県盛岡市を出身とする石川啄木ですが、彼の死後に金田一京助らが出版した「一握の砂」、なかでも「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る」という詩の影響もあって、才能に溢れながらも貧窮の末に若くして亡くなった不運な人物と長年にわたり認識されていました。
 しかし平成に入り、とりわけ関川夏央氏と谷口ジローの漫画「坊ちゃんの時代」が出版されてからは、「彼が生活に困窮したのはドクズゆえの自業自得である」という認識に改まり、それ以前と比べて同情を買うことはほとんどなくなりました。

 具体的にどれほどドクズだったのかというと、元々寺の住職の息子で生家は裕福であり、成人後も当時としては高給な朝日新聞に勤めるなど収入面ではむしろ同時代の成人男性を遥かに上回る立場にありました。にもかかわらず何故生活に困窮したのかというと単純に彼の金遣いが荒く、金があればすぐ遊郭に通い、「おごってやるよ」と言っては知人と飲んで代金を知人に払わせるなど放蕩の限りを尽くしていたためでした。
 さらには職場では無断欠勤や遅刻を繰り返し、俳句仲間などに会うと失礼な放言を言っては顰蹙を買い、挙句には同郷出身で居候先にもなっていた金田一京助に金を無心し続けるなど、クズと呼ばれる行為は一通りすべてやっています。なお金田一京助は啄木の無心にこたえるため女房の着物までも質に入れたそうで、啄木死後に生まれた金田一春彦はそうした逸話を聞くだに「石川啄木というのはきっと石川五右衛門の子孫だったのだろう」などと子供心に思っていたそうです。


エントリーナンバー2 野口英世

 福島県猪苗代町に生まれ我らがドクター野口こと野口英世ですが、彼については以前からも「偉人だがドクズ」と幅広く認識されていました。具体的にどうドクズなのかというと、小学生の頃は自分ちは貧乏だなどと理由をつけて同級生から文房具をせびっていたほか、援助してもらった米国への留学支度金を宴会で留学前に全部使い切り恩師に穴埋めを無心したりしています。ちなみにこうした支度金を使い果たしたのは一度や二度どころでなく何度もやっています。
 またその支度金について、渡米費用を得るために婚約持参金目当てに資産家の娘である斎藤ます子という女性とも婚約しています。野口はこの持参金を懐に入れるやます子との婚約を自ら破談となるように動いて実際に破談とさせた上、斎藤家への返金も恩師の血脇守之助に払わせています。これらを含め一切の費用を野口が後に弁済したという話は聞きません。

 またこれは野口自身の責任ではないものの、彼の研究成果は後の時代になって「実はそうじゃなかった」と否定されていることもやや印象を悪くしています。実質的に野口が後世に残した研究成果はほぼ1件のみで、この点もやや彼の印象を悪くさせているような気がします。まぁドクズであることに変わりはないけど。


エントリーナンバー3 高野長英

 上記の二人と比べやや知名度に劣る高野長英ですが、先に書いておくと彼は正真正銘のドクズであり、江戸時代後期において最も面白い人物です。

 現在の岩手県水沢市で生まれた高野長英の生家は現地を治める留守家の藩医の家系で、男児のいなかった叔父の家に養子で入り将来は家督を継ぐ立場でした。彼自身は男三人兄弟の次男ではあったものの、子供の時点で非常に賢かったため本家跡取りとして選ばれています。実際、その聡明ぶりは頭抜けており、その将来に期待した祖父の指導を受けあらゆることを学びつくし、弱冠12歳で私塾を開いて大人相手に講釈するほどでした。
 しかし賢過ぎたともいうべきか、青年になるとその探求心から蘭学を学びたいと思い、養父を騙すような形で江戸へ遊学に出て蘭学を学びだします。また当時長崎にシーボルトが滞在していることを耳にするや江戸在住の同郷人から金を無心して長崎にわたり、シーボルトから直接蘭学指導を受けます。

 このシーボルトが運営していた鳴滝塾において長英の才能は群を抜いており、先輩を押しのけ最優秀な生徒として君臨していたそうです。ただ性格は非常に悪く、自分より劣ると先輩をからかったりしていたほか、シーボルト事件でシーボルトに捜査の手が迫るやあっさり見捨てて逃亡しています。
 なお最後までシーボルトを守ろうと弁護していたほかの弟子たちは捜査対象となり、幕府から激しい拷問などを受けてたりします。

 長崎を出て江戸に戻った長英でしたが、この間に帰郷を促していた養父がなくなります。なので親類からは養父の娘であり、長英の許嫁でもある従妹と早く結婚して家督を継ぐよう促されますが、長英はまだまだ学び足りないと帰郷を拒否したうえ、その許嫁を自分の養子にした上に他家から婿を取って自分の代わりに家督を継がせるというドクズムーブをかましています。
 こうして家督からも逃れた長英は江戸で医者として開業し、好きな蘭学を学び続けました。もっとも開業した医院は長英の性格が悪すぎて流行らなかったものの、医者仲間が診断で病名や治療法がわからなくなると必ず長英を頼り、長英も症状を聞くだけで的確に回答を出すので、こうした医者仲間からの付け届けで生活していたそうです。

 そんな長英ですが彼が出入りしていた蘭学グループの尚歯会がモリソン号事件を巡って幕府より弾圧、いわゆる「蛮社の獄」を受け、同じ会のメンバーである渡辺崋山とともに投獄されます。この際の取り調べべで幕府の役人は長英に対し、「行ったこともない外国の事情なぞわかるはずもないのに知った風な口して流言を流し、人心を迷わせた」などと批判したのですが、これに対し長英は、

「ではお役人様、幕府の天文方の人間を今すぐここにひっ捕らえてきてください(^^)」
「は?なんでやねん(# ゚Д゚)」
「あいつら、行ったこともない月とか星々について知った風な口きいてますぜ(・∀・)」

 などと役人をからかうような返答したそうで、これに記録係の役人も笑っていたら「笑うな、あと記録に残すんじゃない!(# ゚Д゚)」などと取り調べ役が言ったことまで記録されています。

 こうした軽口も影響してしまったのか長英には無期懲役の判決が下ったものの、牢屋の中で医術に明るいことから重宝され、数年経ったら長英は牢名主となり、あろうことか老の外にいる手下に命じて牢屋を放火させます。この時、緊急避難的に囚人は牢屋から出されたのですが、長英は期限までに牢屋には戻らずそのまま逃亡してしまいます。
 逃亡後は故郷の老母を訪ね、亡くなった元許嫁の墓を参ったりしたほか、その卓越した知識を見込んだ宇和島藩に雇われて砲台を建設するなどしていましたが、江戸で家族とともに潜伏中に幕府の追手につかまり、捕縛の際に暴行を受け亡くなったとされています(自殺説もあり)。なお長英の死から3年後、長英がかねてより警戒していたようにペリーが浦賀に姿を見せることとなります。

 以上の経緯を自分は漫画の「風雲児たち」で知りましたが、蛮社の獄の関係者としか知らなかった高野長英がこれほどまでに面白い人物であるとは全く知りませんでした。何となく「風雲児たち」の作者のみなもと太郎も長英はお気に入りだったのか詳しく解説したうえ、若干ルパンっぽい顔したキャラで描いています。

 にしても野口英世といい高野長英といい、なんか東北出身の医者は「腕はいいけどドクズ」な奴が多いような……。

2025年10月20日月曜日

30年ぶりの歯医者

 現在も日本に滞在中ですが、今回はいつもと違って日本で買い付けなければならないものなどなく、行かなければいけない場所もなく、会わなければならない友人もいません(´;ω;`)ウッ…
 そのため特にやることというかミッションがかなり少ないのですが、実は一つだけやっておかなければならないことがあり、歯の治療が必要でした。というのも9月になんか歯触りが悪いなと思ったら前歯の先が欠けており、ここだけ直しておかないと虫歯とかできやすいかもと気にしていました。軽く調べたところ1日くらいでちゃっちゃとやってくれるそうなので、さっそく日本の実家近くの歯医者を今回の日程に合わせて上海から予約しました(国際電話)。

 そんなわけで歯医者に行ってきたのですが、実は歯医者に行くのは小学生の時ぶりというか約30年ぶりでした。成人になってからは一度も行くこともなく行く必要性もなかったため、最初の問診で「前回の治療時期」の欄に「しょうがく1ねんせい」と書いたらやたらビビられました。その後、検査してもらったところ、前歯の欠けだけでなく前歯と奥歯に少し虫歯があるとはいえ全体としては歯医者に全く来ないにもかかわらず異常に健康的だと言われました。
 っていうか、ほかの人がそんなに歯医者へ頻繁に行っていたという事実の方が自分にとっては逆に驚きでした。

 そんなわけで今日2回目の治療に行って来て再度問診を受けたのですが、歯並びについても「矯正なしで……(;´・ω・)」という感じでビビられました。実際に友人からはよく歯並びが割としっかりしていると前から言われており、きちんと並んでいることからも虫歯になりにくいのだろうと説明されました。その歯並びについては若干意識があったというか、小学生の頃に硬い物食べてると顎も鍛えられ歯並びも良くなると聞いたことから、意識的に硬いせんべいを食べるようになり、今では好きな食べ物に「せんべい」と書くほど習慣化しています。
 どれくらい好きかというと以前香港に住んでた頃、尋ねに来た友人にせんべいを持ってきてもらいましたが1枚も分けてあげることなく全部ひとりで食べたほどでした。

 実際自分の感覚でも硬いせんべいは歯や顎の健康にかなりプラスだと思え、特に子供なんかには率先して食べさせた方がいいとすら思います。自分がこれまで歯が悪くなることが少なかったのはほかにも理由があると思いますが、せんべいは確実にその一因になっているという実感があります。
 なお硬い食べ物とくればほかには戦車の砲弾にも耐えると言われるあずきバーがありますが、あれも悪くはないと思うものの食べる際に使う歯はやや前歯に偏るような気がして、奥歯がおろそかになる気がします。それこそ一口サイズに切り分けられたバージョンとかあったらすごくいい気がしますが、口内の歯を全部活用するという観点ではやっぱせんべいに軍配が上がるという気がします。

2025年10月19日日曜日

蚕食べてきた(^o^)丿

 今日、中学時代からの友人と1月にもあってるけどまた会おうってことになり、どこで合流するかを話した際、そいつがゲテモノ大好きな奴だったため、もう一人の友人と話し合った末に上野のガチ中華の店に行くことにしました。なんでその店にしたのかっていうと、蚕食べられるからです。

故郷味 上野店(Retty)

 行ったのはこの上野にある故郷味というお店です。自分も知らなかったけど最近日本では麻辣湯が人気で上野でも麻辣湯のある店にはやたら行列ができてましたが、こちらの店は今のところそのようなブームは来ておらず、普通に入ることができました。
 メニューはオーソドックスな中華料理がある一方、結構通な中華料理というか本場中国でもなかなか見ないメニューもたくさんありました。そしてその中に、件の蚕もあったわけです。


 無駄に引っ張るつもりないのでさっさと写真出すと、上の皿の上で奥にあるのが蚕の串焼きです。

小皿に取り分けた蚕

 メニューの写真よりはマイルドなものの、見た目的にかなりインパクトあったため来る前は余裕しゃくしゃくだった自分も食べるのをかなりためらいました。とはいえここで食べなくて何が上海生活が10年以上といえるものかという無駄な意地があり、結局食べることにしました。
 肝心の味に関しては、割とこういう食べ物の感想を言うのは得意だと自負しているものの、この蚕に関しては表現するのが非常に難しく感じます。割と皮が厚くて柔らかく、中身はブヨブヨではないものの固まった形はしておらず、感覚的には柔らかい皮をまとった春雨のような触感でした。味そのものは本当に表現し辛く、友人らと「どちらかというと海鮮系だよね(´・ω・)」などといい合っていました。
 なおゲテモノ食いの友人は「いけるじゃん(・∀・)」といって、1串5個のところ、一人で3個食べました。


 また蚕のほかに蛙の串焼きも頼んだのですが、あの蚕を見た後だと「まだ食べ物らしい見た目してる(∩´∀`)∩」などとみんなほっとしたような感じで、抵抗感なく食べることができました。自分も中国ではたまに蛙食べますが、串焼きで食べるのはあんまなく、通常は細かくぶつ切りにしたのを炒める蛙料理食べてます。でもさっきの蚕の影響で、串焼きでも全然平気でした。


 食事を終えた後はマルイの中にある飲茶屋で割と豪華な飲茶をしてました。喫茶店に行くつもりでしたが、蚕食べたノリで「中国茶飲もうぜ(´・ω・)」という流れになっていきましたが、喫茶店と違って中国茶は長いしやすいというか何杯も飲めるので結構ありでした。


 最後に全く関係ないけどうちの近くの店のショーウィンドーに何故かサイレントヒルっぽいマネキンあったので撮影しました。ファミマはいつからコラボしてたんだろう(。´・ω・)?

2025年10月18日土曜日

孤立無援な医療業界

 かねてから私はこのブログで、団塊の世代が平均寿命を迎える時期、具体的には2030年くらいまでは社会保障が文字通りうなぎ昇りに増え続ける時期なため、国民負担は増えるものの社会保障を支えるために増税ペースを維持するよりほかないと主張しています。この見解に今も変わりはなく、何となく財務省も公言しないもののこうした方針で今増税をやっているのではと思う節があるのですが、その影響で一番割を食っているのが医療業界であるように思え、密かに憂慮しています。

 言うまでもなくこの二年ぐらいで日本の物価は急騰し、賃金も上昇しているとはいえ自分が見る限り今年1月と比べると10月の現在は大きな変動はなく、上昇ペースが鈍ってきているように思えます。
 その一方で値段の変わらない、というより変えようがないのが医療費です。日本の医療費は点数制で、健康保険の対象の治療については国が価格を設定しており、自由診療対象の治療でなければ病院側が勝手に価格を変えるわけにはいきません。

 このように病院の売り上げにあたる治療費価格は変更できない一方、病院で働く医師や看護師、病棟などの不動産費用、設備機器の購入費や維持費、そして電気代などは上がり続けています。効率化を図ろうにも製造業と違って医療では限度もあります。また先のコロナ対策で隔離病棟などを設けるためにも費用が掛かっているように思え、売り上げは増えないのに経費は高騰し続けるという、聞いてるだけで暴れたくなるような状態にあります。

全国で8割が赤字の公立病院:患者減少×物価高の中、石川の富来病院が模索する“生き残り戦略”…能登半島地震の追い打ちにもめげず模索する住民の“命”と“健康”を守る地域医療の要(FNN)

 実際にメディアの報道などで、全国の多くの病院で経営が追い込まれているという話を聞きます。人件費や物価が高騰する背景を考えたら医療費引き上げもやむなしとは思うのですが、結論から言うと、病院関係者を除くと誰も医療費引き上げを望んでいないというのが現状です。

 まず消費者からすると、ただでさえ増税や物価高騰で困ってるのにここにきて医療費引き上げなんてマジ勘弁です。次に政府からすると、医療費を引き上げると国が負担する保険料も増大することとなり、ただでさえ重い負担となっている社会保障費負担がさらに増します。なので消費者、政府からすると、どう見たって医療業界は財政的にヤバいくらい追い詰められているというのに、彼らを助けるため医療費を引き上げると自分らの首が締まるもんだから助けようとはせず、見捨てるどころか感心すら持たない状況が今であるように感じます。
 それこそ仮に議員や大臣が今この時期に医療費引き上げを口にしようものなら、「こんだけ増税してるのに何を言うか!(# ゚Д゚)」と消費者、特に医療費がかかりやすい高齢者などは怒り狂って批判するのが目に見えます。私個人としては病院側の努力には限界もあり、またコロナ期を含め医療関係者は大きな負担に耐え続けていることを考えると引き上げも仕方ないし、早く上げるべきだと思うのですが、こんな考えしているの自分は確実にマイノリティに属すでしょう。

 そういう見方から現状、医療業界は孤立無援というか消費者にも国にも見放され、誰も助けてはくれないのに「医療を支えろ!」と言われているような状況にあるように見えます。私個人としては医療を維持する上でも一定の財政強化は必要であるように思え、増税を維持しつつ医療費引き上げをするよりほかないと思っており、それができないなら給付金なんてばらまいてないでその予算を全部医療に回すべきだと思います。
 敢えて落としどころとしやすい案としては、医療機関への寄付を奨励する、具体的には医療機関への寄付には減税率をダブルアップするキャンペーンなどを組み、資産家などに医療機関へどんどん寄付してもらい、この急場をしのぎつつ、物価高騰対策を打つのが手じゃないかと思います。もちろん、実現性は無視するとして。