以前にローマ史作家の塩野七生氏が大分以前に書いた話ですが、王室に対して強い忠誠心を持っているあるイギリス人男性が選挙のたびに毎回労働党に投票していると聞いて、王室に忠誠心があるのなら何故保守党に投票しないのかと尋ねたところ、こんな答えが返ってきたそうです。
「人間は労働を通して初めて人としての尊厳を得られる。だから私は雇用や労働を第一に考える労働党に投票するのであって、この点に王室は関係ない」
言われてみると確かに、人間は労働をして初めて尊厳というか、自分に対して誇りを得られるような気がします。敢えて自分流に解釈すると、労働をして社会に対して何らかの働きかけを行うことで人間は自分は社会の一員であり、また社会を担う存在だと自覚できるようになるように思えます。逆を言えば、もし労働を行わなければ自分に対して自信が持てないばかりか、社会に対して疎外感を強く覚えるのではないかとも思います。そうした意味で人間にはただ安楽にパンだけを与えても意味がなく、生活が保障された上で労働こそが最も必要なもので、雇用というものを広くわけ隔てなく国民に与えるということは政府にとって非常に重要な仕事だということになります。
今日は非常に文章のノリが悪く、これ以上書く自信がありません。はっきり言ってこの段階だけでもこのブログ始まって以来の最低最悪のクソくだらない駄文でこのままモニターごと叩き潰してやりたいのが本音ですが、将来の自分への戒めとして敢えてこのままアップすることにしました。お見苦しいものをお見せして、誠に申し訳ありません。
2 件のコメント:
文章的にはそんなに悪いとは思いませんが、どうかしたんですか?
僕は、労働はしたことがほとんどないのですが不安とか疎外感とかはないです。別に働かなくてもいいと思いますし。何か一体感が必要なそれこそ、並列化が必要な人はそう思うのでしょうけど。
うーん、その辺が書けなかったのが調子の悪いがゆえんだけど、たとえばプラモデルとかを作り終えると、自分がやった事に達成感みたいなものを感じませんか? 仕事なり労働なりをするとまかりなりにも自分の成果と言うものが見え、自分に対して自信や誇りを持つきっかけになると私は感じます。孤高に生きられるのならまだしも、人間は社会的な動物ですから全体の中でそのようにして自己に価値観を捉えないといけず、やっぱりニートやフリーター層の方の意見を見ていると、集団から疎外されているという感覚が一番苦痛のように思え、そうした人間にも社会の一体感を覚えられるような、労働や職業を与える事が私は重要だと考えています。
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