そこそこ大きな騒動となったので覚えている人も多いのではないかと思いますが、日本の歴史教科書は日本を貶めるいわゆる「自虐史観」に満ちているとしてかねてから内容に不満を持っていた保守派論客らが集まった、「新しい歴史教科書をつくる会」とその教科書出版時の騒動について、また例によってぴきーんとフォース的な何かを感じたので今日は書きます。
・一般社団法人 新しい歴史教科書をつくる会(公式サイト)
「新しい歴史教科書をつくる会(以下、つくる会)」とは読んで字の如く、従来とは異なる新たな歴史教科書を作ることを目的として発足した団体です。結成時の構成メンバーはさすがに年数経過してるのもあって最近見ることは少なくなった者の、西尾幹二氏、西部邁氏、八木秀次氏、あとつくる会の内情について細かく発信してきた漫画家の小林よしのり氏などその筋では有名な保守派の論客が集まっており、今思うとすごい面子だったなぁという気もします。
これらの参加メンバーは一様に日本の一般的な歴史教科書は自虐史観に満ちていて自国に誇りが持てなくなる教科書であるとして、もっと日本を愛せる様な教科書が必要という価値観からつくる会を結成しました。その上で自らの手で歴史教科書を作り、一般に配布するという目標掲げて教科書作りへと邁進していったわけです。
そんなこんだで1997年の結成から約4年経ち、完成したつくる会の教科書は検定も通って通常の歴史教科書として発行される運びとなりました。ただその内容について極度に保守的な内容、特に二次大戦絡みについて南京大虐殺や朝鮮人の強制労働などについて否定的な内容であったことから中国や韓国が「日本は過去の反省を忘れ戦争を賛美し始めた」などと反発し、今も続く歴史問題が過熱する要因にもなりました。
もっとも中国や韓国だけに限らず、日本国内からもその極端な内容については賛否が相次ぎ、特に対立相手の左派論客とは文字通り対立の主軸となってテレビなどで公然と批判する人間も少なからずいました。なお細かい点を挙げておくと、文部省(現文部科学省)側もその内容を危惧してか検定前に一部内容をメディアに漏らすなど、つくる会の教科書が検定を通らないように妨害をかけていたそうで、この点に関しては公平性の観点から私ですらつくる会の擁護に回ります。
ただ上記の様に2001年に正式発行された際は非常に大きな話題とはなったものの、実際の売れ行きというか採用に至った学校数については芳しくなく、はっきり言ってしまえば普通の学校はどこも採用せず、障害者学校とか、購買に天皇の写真を販売する右系の学校くらいしか採用されませんでした。なおその数少ない採用校の一つに学校法人麗澤系列の高校とかも入ってますが、地味に親類もその系列の学校に当時通っており、なんていうかもうちょっと学校選択どうにかならんかったのかなという風に今思います。
では実際の教科書の中身はどうだったのか。いくつか特徴を挙げるとまず古事記の神話の説明から始まり、二次大戦は聖戦だと書いて、米国には嫌がらせを受けてるとして、でもって日本以外の国の記述は極端に少ないというのが大きな特徴だったと思います。このつくる会の教科書が発行された当時、私は高校生でしたが話題となっていたことから一応は手に取って中身を読んだことがありました。でもって当時から歴史通、っていうか歴史科目では評定で最高評価以外取ったことがないくらい今とほぼ変わらない状態だったのですが、そんな私の感想はというと、
「余計なことばかり書いてあって大学受験には使えないな」
という、今の自分からしてもびっくりするくらいリアリスティックな感想でもって読むのをやめました。一応言っておきますが、上の感想は今考えたわけじゃなく、当時本当にこんな感想を私は持ちました。
ただある意味でこの感想は正鵠を得ていたというか、つくる会の教科書がその努力の割に全く広がらなかった要因を突いている気はします。結局のところこの教科書は保守派の主張ばかりが込められていて大学受験の歴史科目に必要な知識が網羅されておらず、「大学受験に勝てる教科書」という高校生、現場教師のニーズを全く無視した内容であったことから、内容に一定の評価を持ちながらも実際に採用にはまでは踏み切れない学校が多かったのではないかと私は見ています。
またこの教科書の問題点としてかねてから挙げられているように、メンバーに歴史学を専門とする学者がほとんどおらず、年号を始めとして稚拙な間違いも散見されたことも評価を下げる原因となっています。本当に少年少女に愛国心が持てるような教科書を作りたかったというのなら、最低限の「質」のラインを確保した上で自分らの主張を盛り込むべきだったろうと今書きながらでも思います。
なおつくる会のその後ですが、元々がクセのある保守派論客の集まりだったということもあってメンバー間の意見対立は常に止まず、発足以来何度もメンバーの集散離合が繰り返されています。何故そうなったのかというとやはり「自虐史観の排除」という目的の元に一同集まったものの、以下のような対立点を抱えたままお互いが全く主張を譲らなかったことが原因でしょう。
・親米か反米か
・二次大戦は日本の侵略か聖戦か
・天皇を神格化させたいか否か
・明治維新をどう評価するか
・A級戦犯は有罪か無罪か
ただでさえ恫喝すら厭わない保守派論客同士の集まりだったことを考えると、プロ野球に例えるなら江夏、門田、江本、江川、落合、清原、伊良部、中村紀といった我の強いプロ野球選手一同が全員同じチームに在籍しているような感じだったんじゃないかと勝手に想像しています。っていうか自分で言っておいてなんですが、監督はストレスで発狂するだろうけど上記のようなナイトメアチームをいっぺん見てみたいような気もします。
つくる会のその後に戻りますが最初の発行以降もメンバーを変えながら改訂を続けていたものの、実質的にスポンサーとなって発行を引き受けていたフジサンケイグループ傘下の扶桑社から、「内容が右に偏っている」などと右寄りの出版社にまで言われた挙句、提携関係を打ち切られるという憂き目を見ています。
フジサンケイグループと扶桑社はその後、別会社を作った上でつくる会を離脱したメンバーによって発足した「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会(教科書改善の会)」が作る教科書の発行を手掛けるようになりました。つくる会の方も自由社を新たなパートナーに選んで発行を続けてるそうですが、こう言ってはなんだけど自虐史観に問題を感じている人はそこそこいたと思うし期待していた人も少なくなかったのだから、少しくらい尖がった主義主張を抑えて普通の教科書に仕上げていれば違っただろうと思うだけに商売の下手な連中だったなというのが私の彼らに対する総括です。
2 件のコメント:
私が「つくる会」について思うのは何でそんなに「教科書万能主義」なのかなあ、と思ったことです。花園さんの言う通り、教科書の文章変えただけで中高生は受験に出そうなとこしか覚えないでしょう。
受験真っ只中の時に高校に来た「偉い人」から「自虐史観の排除」云々の御託を聞かされた日に、ホントダメな連中だな、と思いました。
中国みたいに金盾で国外・国内の都合の悪い情報をシャットアウトして、教師の教え方も徹底指導して受験にも出す、みたいにやらないと彼らが望むような効果は出ないんじゃないかと思います。それでも毎年のように毛沢東や党を批判する著名人が出てくるわけで、結論から言うと無理ですね。
いつもながらコメントありがとうございます。
学校にまで宣伝とかに来ていたとは初耳ですが、まぁあの連中ならやりかねないなという気がします。これだけで別に記事一本立ててもよいのですが、日本人って割と「決戦思想」というか、何か一つを変えることで状況すべてが好転すると信じ込みやすい気がします。実際には様々な複合要因によってその状況が作られているので、そんなひとつ変わったくらいでは何も変化しないんですけどね。
仰る通りに中国では様々な世論操作を堂々とやっていますが、それでも多い切れない真実というものは確かに多いですね。一例を挙げると、政府の努力むなしく中国人みんなが、「江沢民は馬鹿だった」という事実を信じている辺り、中国人もよくいうなぁという気がします。
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