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2010年8月31日火曜日

先月に死刑執行を受けた受刑者

 先月に千葉景子法相が従来の自説をひっくり返して二名の受刑者の死刑執行を行った事で議論を起こし、私も当時にパフォーマンス的要素が強い上に直前の参議院選挙で千葉法相が落選している事を受けて批判しましたが、今日ちょっと思うところがあって死刑が執行された二名の来歴を調べてみたところ、下記のサイトで詳しくまとめられていました。

宇都宮・宝石店放火殺人事件
熊谷男女4人殺傷事件(どちらも「事件史探求」より)

 思えば私もそうでしたが、死刑執行当時は千葉氏への批判ばかりで受刑者がどんな人物でどんな事件を起こして死刑判決を受けたかについてはあまり議論にならなかった気がします。
 こうして改めてみてみると、篠沢一男は宝石店にて店員を脅して貴金属を奪うと、店員らを縛りつけた上で店に火を放ち六人もの人間を殺害しています。尾形英紀は付き合ってた女性の要請を受け女性の二股相手だった男性を殺害し、さらには同じアパートに住んでいた何の関係もない男女三人を口封じのために殺傷しています。

 両方の事件とも調べなおすまではすっかり忘れていましたが、改めて上記サイトの記事を読んでみると、「そういえばこんな事件、あったなぁ」と記憶が持ち上がってきました。私が十代の頃、死刑執行が行われて受刑者がどんな人物だったかについてニュースで解説が行われるものの大抵の事件は私が生まれる前に起きていた事件だったためいまいち実感が覚えなかったのに対し、さすがに二十代の今ともなるとリアルタイムで事件を見ていることもあり刑罰の実感が感じられるようになってきました。

 それを踏まえた上で正直な感想をいえば、千葉氏が死刑執行を行った事について当然の行為を行っただけだったのではという思いが浮かんできました。それとともに、数ある死刑受刑者の中からどうしてこの二人が選ばれて死刑が執行されたのかも少し気になりました。まぁ恐らくは法務省が順番つけたリストを渡しただけでしょうが。

 死刑についてはまた連載で詳しく書こう書こうかと考えていながら未だになかなか書けないでおりますが、死刑が何故必要なのかという意見の一つに、「犯罪行為に応じて重い刑が課されることで、犯罪への抑止効果を作ると共に国民に公平感、納得感を持たせる」というものがありますが、かねてから日本の死刑は事件発生から執行まで時間がかかり過ぎ、そのような抑止効果は生まれないのではという批判がありました。図らずも今回の死刑執行ではまさにそのような印象を私は覚えたので、やはりこういったものは執行という事実報道共に死刑までの背景も詳しく取り上げておくべきでした。

円高の別の側面

 ちょっと前にこの関連で記事を書いたので、一つ私と同じような意見が書かれたこの記事を紹介しておきます。

「円高」で得をしているのは誰か?(msnマネー)

 書かれている内容は円高円高と大騒ぎの現在の日本ですが、円高で損だけではなく得する日本人もいるということが書かれ、実際にはそこまで問題は大きくないという主張です。私もこの意見にはほぼ同感で、記事を抜き出すと

 まず、日本のメディアについてはもう「為替病」としか言いようのない状況と筆者には見えます。もはや円高の損得や、はたして今の状況が円高なのか円安なのかまったく吟味せず、単純に(名目の)米ドル/円レートが過去と比べてくらべて数字が小さくなってきたので、条件反射的に「円高=日本にとって損」と決めつけ、何も考えずにそういっているだけのように思えます。

 あんまり持ち上げすぎてもしょうがないですけど、経済の原則論から言えば私は今の円高といわれる状態の方が自然だと思うし、むしろこの円高を食い止めようとするほうが史上をゆがめる事になるんじゃないかとすら思います。

 さて今回取り上げた記事の本題である「円高で得する人」についてですが、私が挙げるとしたらやっぱり中国から商品を輸入している小売業の人たちがメインかと思います。実際に大手スーパーなどではこのところ円高ということで円高還元セールなどをやっておりますが、私はこういうときくらいはいちいちこういうセールをせずに小売業の人間は利潤を稼いだ方がいいような気がします。

 その理由は二つあり、ひとつは現在の小売業は「バイトじゃなきゃ無理」と就活生にまで言われるほど厳しい競争でお互いでお互いが淘汰し合う共食い状態にあることと、円高セールを行う事でよりデフレが加速していく恐れがあるからです。
 二番目のデフレ加速についてはこれまでにも何人かが指摘しておりますが、国民も悪いですが波に乗る小売業も問題で、もはや自分達が稼ぐというよりは如何に他店を潰すかという経営方針では共倒れになる事は自明です。とはいってもデフレ下ではなかなか抜けられないもの事実なので、せめて円高で利潤が増えると言うのならお互い黙ってもらっとく方が全体にいいというのが私の意見です。

 あと前回の記事でも書きましたが、円高で損する人もいれば得する人もいて当たり前なのです。それをなんでもかんでも損損と後ろ向きに見ないで、もっとポジティブな面に目を向けないと日本全体で暗くなってしまいます。もう一つ突ついておくと、円安になると今日ここで取り上げた小売業の人はもちろん苦しくなりますがたとえそうなっても彼らが可哀想だとは誰も言いません。その一方、円高になると自動車産業の連中は大変だ大変だと言われ、わざわざ国からお金を出してもらって購買補助がなされます。いつまでもこんな事続けてちゃいけない気がするのですが、経団連はおそらく購買補助政策の継続を訴えてくんだろうな。

2010年8月29日日曜日

カー雑誌の悲哀

 私自身はそれほど自動車は運転しませんが(、暇な時や長時間の移動をする際にはよくカー雑誌を購入しては読んでたりします。そんなカー雑誌を読むたびにこの頃思うことなのですが、記事に登場する車がどれも古くてこれでは新規の読者、年代的には中学、高校生は手に取らずにおっさんにしか読まれないだろうと強く感じます。

 雑誌の種類にも由りますが、一般的にはカー雑誌はスポーツカーを多く取り上げる媒体です。しかしながら最近はスポーツカーに憧れる若者が減っており、またそういったかっこよさを追い求める車以上に燃費のよい車に注目が集まるようになり、どうにも読者の関心が雑誌のスタイルと適合していないように思われます。さらにいえば自動車メーカー自体がこのところ余力がなくなってきて、スポーツカーの販売数を減らしてきております
 カー雑誌編集部の方からすると取材で取り上げる車の数が減る事はそれだけでも大変なことでしょう。では現在のカー雑誌は主にどんな車を取り上げて記事を書いているのかというと、書いてて笑っちゃいますが全ページの半分以上にすでに生産が中止されている車の名前が出てきております。

 私がよく買っているのは「ベストカー」という雑誌ですが、この雑誌がよくやる特集記事に「○○対××」というように二台の車の性能を評論家が多方面から比較するものがあるのですが、こういった特集記事に頻出してくる車は「マツダRX-7」や「ホンダインテグラ」、果てには「トヨタAE86」など走り屋に愛されていたもののすでに生産が中止され、現在までニューモデルが出ていない生産中止車ばかりです。まぁ「ベストカー」について言えば明らかに他社の車より贔屓されて持ち上げられている「三菱ランサーエボリューション」が未だにニューモデルが出され続けている事は救いですが。

 カー雑誌記者の方でも特集するスポーツカーがメーカーから新規に販売されないために記事の書きようがないのはわかりますが、ただこういった特集する車に普通に「日産スカイラインGTR(R32)」が出てくるほど古いのばかりだと新規の読者はなかなか獲得できないでしょうし、おっさんばかり相手してても先細って行く一方でしょう。
 そういう意味では、ようやく発売日が今年の11月に決まった「グランツーリスモ5」といったゲームや「頭文字D」などといった漫画は、こういった古いスポーツカーなどを比較的若い世代に親しませられることができ、おっさん向けの雑誌を私のような20代でも手に取るきっかけになる事が出来ます。

 まぁこういうものはいくらメーカーや雑誌社がプッシュしてもヒット作が出るものじゃないので登場を期待するのは酷ですが、自動車業界に限らず現在何処の業界でもファン層の拡大よりターゲット顧客層の絞込みが行われてばかりなので、こういった夢が広がりそうな分野くらいはどんどんと外に訴えて行ってもらいたいものです。

 余談ですが、漫画の「頭文字D」で「三菱ランサーエボリューション」は大抵ガラの悪い敵役の車として登場し、ちょっと調べたらトヨタ系やマツダ系と比べてランエボだけ悪く書かれすぎじゃないかという意見まで出ているそうです。私個人の意見だとやっぱ良い意味でモノがモノだけにランエボは主役機にはなれず、こうした敵役の車にならざるを得ない気がします。ランエボでシビックとかに勝ってもだから何って話になるし。

2010年8月28日土曜日

石川啄木と金田一京助

  働けど働けどわが暮らし楽にならざりじっと手を見る

 格差社会、といってもそれ以前から何かしら貧困エピソードが出るたびに引用されておなじみのこの有名な和歌ですが、作者は言うまでもなく明治の詩人である石川啄木です。この和歌を始めとして暮らしの困窮について表現する和歌を多く作っていたことや、死後になって友人らから作成、出版された「一握の砂」によって名を残したという事から、石川啄木は生前には全く評価される事のなかったゴッホと比較されるなど一般的には不遇の詩人としてよく紹介されます。
 しかし事実はさにあらず、近年には大分浸透して来ましたが石川が生前に貧乏な生活をしていたということは本当ではあるものの、その困窮は不遇というよりは彼自身の放漫な性格による行動の結果だったと言われております。

 石川は元々、岩手県にある寺の住職の長男として生まれており、当時としては比較的裕福な家庭の出でした。しかもこの家での待望の長男であったために両親からは大いにかわいがられて食事なども一番良いものが優先して振舞われ、子供の頃からわがまま放題に育てられていたために妹の光子の証言によると何か気に入らない事があるとすぐに蹴ったり叩かれたりしたそうです。それでも妹はそんな兄が好きだったそうですが。

 ともあれ裕福な家ということで石川はきちんとした学校に通わせてもらうも遅刻、欠席、果てにはテストでのカンニング行為の結果、卒業を待たずに退学させられてしまも、その後はいろいろと転々とするもののある年に家族を置いて東京に向かい、朝日新聞社へ就職します。この東京での生活は彼自身が残したローマ字日記によって行跡が辿られるのですがその日記の内容となると破天荒そのもので、就職した朝日新聞社では遅刻、欠勤、給料前借は当たり前で、貧乏だといいながらもいろんな人間から次々とお金を借りてはすでに借りた借金の返済には殆んど使わず、娼妓との遊興費に惜しみなく費やしたということが赤裸々につづられております。ただ石川の変な所というか、お金を殆んど返そうとしないにも関わらず会う人皆が石川の新たな借金の申し出に答えており、石川の方でも律儀に日記でどこそこで誰からどれだけ借金したかを事細かに記録しています。

 そんな石川に最も金づるに使われたのはほかでもなく、彼と同郷で東京での生活も一緒だった金田一京助でした。金田一京助というといろんな辞書に編纂者として名前を連ねており、また小説のキャラクターである「金田一耕助」の名前のモデルとなった人物であるため皆さんもよく知っている人物でしょうが、彼は若い頃から石川の才能を買って東京に来た石川を自らの下宿に招き寄せては生活費など一切合財面倒を見ていました。

 ただこの金田一京助もあの放蕩三昧の石川を囲うだけあって相当な人物だったらしく、ことあるごとに借用を申し出る石川の願いに首を横に振ることなくいつも快く応じ、彼の希望をかなえるために次々と家財道具を質屋へ持って行ったそうです。そうやって献身的に支えられているにもかかわらず遊んでばかりの石川に対して金田一の妻の方が怒り、またも石川に金を貸して欲しいと言われて何か質草があるかと金田一が妻に尋ねると、「もうそんなものはありません」と一度、突っぱねたことがあったそうです。すると金田一は、

「お前の今着ている着物、まだ質屋に出せそうだな( ´ー`)」

 と言って、奥さんの着ていた服をひっぺはがして質屋に持って行きお金を受け取るとそれをそのまま石川に渡し、そして石川はそのお金を浅草で使い切ったそうです。そんな話を妻からよく聞かされていた金田一京助の息子である金田一春彦氏は、石川という姓だけに石川啄木は石川五右衛門の子孫に違いないと子供ながらに考えていたと語っています。

 こうした石川との絡みもさることながら金田一京助にはそのほかにも逸話が多く、前述の辞書の編纂者名についてもお人よしな性格ゆえに、権威付けのために人から頼まれるそばから二つ返事で快諾していただけで、実際には一冊の辞書にも編纂に携わった事がなかったそうです。
 またこれ以外にも自身のスピーチも予定してあった知人の結婚式に出席し、出された食事を平らげたもののなかなかスピーチの出番がなくて係員に確認すると、なんと赤の他人の結婚式に出席していた事が分かって慌てて帰ってきたという話や、息子の春彦氏に来ていた原稿の執筆依頼を自分宛に来ていたと勘違いして慌てて原稿を書いて出していたなど、お人好しで慌てん坊だったという人柄が窺える話が数多くあります。

 最後に蛇足かもしれませんが、知名度で言えば圧倒的に金田一京助の方が息子の金田一春彦氏より上ですが、私の中国語の恩師によると言語学における功績で言えば春彦氏の方が遥かに勝るそうです。本日この記事を書くために春彦氏の略歴を調べてみた所、なんと中国語発音で基本となる四声の研究を初め日本の方言などを詳しく調べており、すごい人物だったのだということに気づかされました。
 これは私の邪推ですが春彦氏は一年だけ京都産業大学に在籍していたそうで、京都なだけにもしかしたら私の恩師はその時期に春彦氏の知遇を得ていたのかもしれません。今度あったら聞いてみよう。

アントン・ヘーシンク氏の逝去

 本日、東京五輪柔道無差別級金メダリストのアントン・ヘーシンク氏が母国オランダで逝去されたとの報道がありました。

ヘーシンク氏が死去=東京五輪柔道金メダリスト(時事通信)

 ヘーシンク氏については過去に書いた「柔道の精神」の記事ですでに取り上げていますが、改めて彼の柔道国際化における功績や東京五輪で見せた柔道精神を考えるにつけ惜しい人物を亡くしたという気持ちが湧いてきます。

 自分はそれほど柔道の試合中継などを見ることは多くありませんが、一時代を彩るスポーツのエピソードとなると話が違ってあれこれ必死で覚えようとしております。ヘーシンク氏の東京五輪決勝もその一つですが、非常に引用しやすく含蓄のあるエピソードなだけに、当人がなくなった今後も出来うる限り語り継いでいきたいと思います。

  おまけ
 「柔道の精神」を書いたのは2008年ですが、その頃と今とを比べると随分とこのブログの記事の書き方も変わってきております。書いてる側の言い訳ですが、私は元々400字詰め原稿用紙に手書きで小説を書いてきており、句読点などのリズムもその頃に培いました。見ている側からすれば文字なんてどれも一緒に見えるかもしれませんが、フォントの大きさや縦書きか横書きか、そういった種々の要素によって案外文章というものは見方が変わってくるもので、比較的小さい文字で横書きで表示されるブログでは句読点は少なく流し読みしやすい形のがいいと思って現在の形になってきました。誤字、脱字は未だに多いけど。

2010年8月26日木曜日

小沢一郎氏の代表選出馬について

 前々からいろいろ取りざたされてきておりましたが、本日ついに小沢一郎氏が来月に行われる民主党代表選に自身が出馬する事を表明しました。のっけから私の意見を言わせてもらうと、またくだらない事が始まったなぁという風に感じました。

 そもそもの話、今の菅首相が総理職についたのは鳩山前首相の突然の辞任を受けた六月の事でした。それから今までまだ約三ヶ月、間に選挙を挟みましたがこの時点で総理がまた変わるかもしれない代表選を行う事自体まともな状態ではありません。
 第一、民主党は三ヶ月前の代表選で菅氏を自ら選んだにも関わらず選挙が終わるやまた引き摺り下ろしかねない行為を現在行っており、これでは民主党が政権を私物化していると言ってもおかしくないでしょう。民主党の中ではそれは問題ないかもしれませんが、自民党政権時以上に総理をかわるがわる変えてくるというのは国際的な信用をなくさせるだけで、さすがの私もこの始末にはいい加減にしろと言いたくなってきました。

 それで次回の代表選ですが、下馬評ではやはり小沢氏が有利とされています。私自身も現時点では小沢氏が勝つだろうと見ておりますが、まがいなりにも自ら担ぎ上げた菅総理を選挙で勝てなかったからという理由だけで自ら引き摺り下ろそうとするなんて組織として、人間としても民主党は疑わしく感じますし、資金問題で全く説明責任を果たしていない小沢氏がこうして堂々と総理になろうとする事一つとっても異常な気がします。

 私は何も菅総理を支持しているわけでなく、むしろ過去に彼が起こしたカイワレ騒動から資質を疑ってはおりますが、それ以上に小沢一郎氏の資質と人間性を私は疑っております。人間性については言わずもがなで資金問題から岩手めんこいテレビの私物化などからですが、資質についてはもう少し詳しく説明しておきます。

 この辺は姉妹サイトの「陽月旦」にも書いてありますが、かつて彼が導入を主張した政策は小選挙区制を始めとして現時点で大部分実現しております。では現在小沢氏はどのような政策を主張しているのかと言うと、はっきり言いますが小沢氏はここ数年は何一つ政策について公で発言した事はありません。政治的に何を導入したい、変えたいといった考えは恐らく、現在の小沢氏は本当に何も持っていないんじゃないかと思います。

 では小沢氏が総理になったらどうなるか。私の予想では多分すぐに自民党と大連立して主な政策運営は自民党の連中に任せて、本人はその政策の進行に合わせて私腹を肥やしていこうとすると思います。すでに沖縄普天間基地の移設先付近の土地は購入済みだそうですし。

 悪口ばっかであまりまとまりのよくない記事になりましたが、また政治が政策ではなく政局によって停滞する事となったのは非常に残念です。まだ政策論争で代表選が行われるならともかく、今回は初めから数取りゲームだしなぁ。

2010年8月25日水曜日

住宅ローン破産の増加について

 先日、つっても二週間前の朝日新聞の記事で、近年住宅ローン破産が増加しているとの報道がありました。

住宅ローン破綻増加、競売6万戸 甘い審査が落とし穴(朝日新聞)

 私がこのブログを始めた当初に書いた「日本版サブプライム問題」の記事にて、経済評論家の荻原博子氏が「ゆとりローン」の問題性を指摘しこのような住宅ローン破産が今後増えると指摘していた記事を紹介しておりますが、その予想は見事に当たり、その後のリーマンショックを受けて景気が大幅に悪化したのを受けてこのような住宅ローン破産は増えているそうです。

 今回朝日新聞の記事にて取り上げられたローン破産者のケースは住宅購入以前に消費者金融に借金があったにもかかわらずローンを組んでおりお世辞にも計画性があるとは思えず私はそこまで同情を覚えませんが、実態的には堅実な人生設計をされていた方でもローン破産に追い込まれて家を手放さざるを得ない人が多数いるかと思います。
 ただこれら住宅ローン破産で本当に怖いのは、家を手放さざるを得ないと言う事以上にその後も手放した住宅のローンを支払い続けなくてはならないという事です。

 わざわざ説明するまでもないかもしれませんが車にしろ住宅にしろ、新品で購入した時点でその財産の資産価値はどれも半減します。ですので2000万円で住宅を購入して500万円までローンを支払った後で手放したとしても、販売価格は多く見積もっても1000万円で、差し引き500万円を最初の住宅購入者はその後も支払い続けなくてはなりません。しかもローンは三者は家を手放したのだから今度また新たに自分が住む部屋を借りなくてはならず、その部屋の賃貸料も合わせて支払っていかねばなりません。これは姉歯元建築士の強度偽装事件でも同様で、強度の足りていない住宅を出た元居住者には二重ローンという大変重い負担がのしかかり社会問題となりました。

 そんな住宅ローン破産ですが、つい最近に知ったのですがアメリカではこのような事態は起こらないそうです。というのもアメリカでは住宅ローンが払えなくなった場合、居住者は担保となっているその住宅をローンを貸し付けている銀行に差し出す事で一切の返済を免除されるそうです。

 最初これを聞いた時は私も少し驚きましたが、後から冷静になって考えてみると日本の制度、というより日本の銀行が行っている住宅ローンのやり方のほうがいびつな様に思えてきました。
 日本の住宅ローンの場合ですと、銀行は住宅購入資金を購入者に貸し付けた時点で利息分の儲けがほぼ確定します。それゆえに今回の朝日新聞の記事で取り上げられた例やかつての住専問題のように、実際には支払能力のない、将来ローン破産を起こしかねない人間を半ば騙す形で貸し付けたとしても全く損害を受けるどころか安全に利益を得られます。それに対し住宅購入者はローン破産というリスクを持たされた上で銀行に対してローンの支払いと共に利息を払い続けねばなりません。

 私は商道というものは基本的に、リスクを持つ者が利潤を得るべきだという風に解釈しております。然るに日本の住宅ローンの場合はリスクを全く抱えない銀行が安全に利息を稼ぐ一方で、巨大なリスクを抱える住宅購入者が銀行に利息を払っており、どう考えても銀行がずるい商売をやっているようにしか見えません。実際にこのような制度ゆえに日本の銀行はローン開設者への審査が甘いといわれ、ローン破産者の発生を誘発させているという指摘もあります。

 こういう風に考えるのであれば、不用意に支払能力のない人間にローンを組ませると銀行がしっぺ返しを食らうというアメリカの制度の方がずっと理に適っている気がします。まぁそれゆえにサブプライムローン問題では銀行が一気に不良債権を抱える事となって大混乱となったわけですが、私はこの際日本の銀行もアメリカを見習って、ローン破産が起きた場合には残った債権額を破産者と折半させるくらいのリスクを持たせた方がいいと思います。

 こういうところがあるから、銀行屋はどうも好きになれない。