そこそこ日が経っていますが、日本にいた際に「日本のUSA」こと大分県宇佐市に行って宇佐八幡宮を参拝してきました。九州らしく広々とした境内に森林の多い神社で十分楽しめ、その後も阿蘇神社や太宰府天満宮など九州各地の神社をよく回っていました。
ただこの時にふと、「あれ、なんか神社ばっかでお寺には全然行ってないような?」という疑問が頭の中に浮かびました。なのでもし何かいい感じの寺院があれば寄ってみようかなと旅行中にも調べてみたのですが、これと言って歴史やエピソードのある寺院は見つからず、結局どこにも訪れることなく九州を後にしました。でもってこの時、九州地方は有名な神社はたくさんあるのに対して寺院は逆に少なく、何となく九州は仏教よりも神道の方が勢力として強いのではないかと感じました。
そんな九州と対照的と言っては何ですが、京都においては圧倒的に仏教勢力が強いです。八坂神社や平安神宮をはじめ有名な神社もたくさんありますが、仏教系寺院と比べるとその力の差は雲泥の差があります。その京都を含め関西地方は全体として仏教勢力が強く、大阪も何となくお寺の方が力もってる感じがします。
もっとも奈良に関しては神道と仏教の勢力がほぼ拮抗しているというか、神仏習合が全国で最も色濃い地域であるような気がします。基本的に神社とお寺がセットで存在していて不可分なイメージが強いし。
話を戻しますがこのほかの地域に目を向けると、あくまで外部からの印象論で語れば関東地方は何となく仏教より神道が強いように思え、また北陸地方は京都同様に仏教が圧倒的に強いという印象があります。こんな具合で、地方によって神道と仏教のどっちが強いかについてそれとなく傾向があるように感じたわけです。
ではなぜこのような地方ごとに勢力差が生まれたのか。あえて仮説を出すとしたら単純にその地域におけるそれぞれの信仰心の差と言ってしまえば楽ですが、それ以上に明治の廃仏毀釈の影響が大きいのではないかという気がします。何故かというと最初に上げた九州地方が、地味に廃仏毀釈で仏教勢力が大きなダメージを受けた代表的地域だからです。
また同じく仏教が弱いと感じる関東、特に北関東においては江戸時代における寺院の腐敗ぶりはかなり激しかったらしく、役人が踏み込みづらいということからヤクザに場所貸しして賭場を開いていたそうです。なおその際にヤクザが寺に払う場所代のことを「寺銭」と呼び、現代に伝わる言葉となっています。
そうした腐敗ぶりから北関東でも廃仏毀釈の嵐はかなり吹き荒れ、少なくない寺が廃寺と化したそうです。九州の例を踏まえても、こうした明治期の廃仏毀釈の影響が現代における地方ごとの神道と仏教の信仰強度のベースとなっているのではないかとみています。
最後に、ほかの地域はどうなのかなという疑問があり、特に東北や北海道などの状況は若干興味があります。長野県は奈良同様に神仏習合が進んでいるというか、そもそも諏訪大社と善光寺の立ち位置がやや特殊で独自の価値観を作っているようにも見えます。
あと和歌山は何となく神道が強そう、というか山岳信仰が強そうな気がします。中国、四国地方に関しては、四国も何となく神道のが強そうな気がします。
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