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2008年10月29日水曜日

失われた十年とは~その三、政治的混乱~

 前回までの記事が導入に当たり、この記事から本題に入っていきます。しばらくは政策的な話が続きそうです。

 さてこの「失われた十年」。ほかの不況と一線を画す特徴は言うまでもなくバブル以後から約十年間にも及ぶ長い間、何の進展もなかったという点でしょう。では一体何故それほど長い間に何の進展もなかったのかですが、私じゃこの原因はこれだと言い切るような一つの原因というものはなく、複数の大きな要因が作用していたためだと考えています。新自由主義が大流行りな昨今の時代では巷に流通している一般の経済書などには恐らく、それまでの日本独特の雇用形態や金融システム、国際スタンダードに乗り遅れたなどを理由として挙げているものばかりでしょうが、確かにそういったものも重要な要因だとは認めますが、私はそのどれよりもちょうどバブル崩壊期に起こった政変と、それによって続いた政治的混乱こそが複数の要因の中でもひときわ大きな原因になっていると考えます。

 まず、以下の表を見てください。

首相名称    在任期間                    任期
昭和
田中角榮  1972年07月07日- 1974年12月09日  886日
三木武夫  1974年12月09日- 1976年12月24日  774日
福田赳夫  1976年12月24日- 1978年12月07日  714日
大平正芳  1978年12月07日- 1980年06月12日  554日
鈴木善幸  1980年07月17日- 1982年11月27日  864日
中曾根康弘 1982年11月27日- 1987年11月06日 1806日
竹下登   1987年11月06日- 1989年06月03日  576日
平成
宇野宗佑  1989年06月03日- 1989年08月10日   69日
海部俊樹  1989年08月10日- 1991年11月05日  818日
宮澤喜一  1991年11月05日- 1993年08月09日  644日
細川護熙  1993年08月09日- 1994年04月28日  263日
羽田孜   1994年04月28日- 1994年06月30日   64日
村山富市  1994年06月30日- 1996年01月11日  561日
橋本龍太郎 1996年01月11日- 1998年07月30日  932日
小渕恵三  1998年07月30日- 2000年04月05日  616日
森喜朗   2000年04月05日- 2001年04月26日  387日
小泉純一郎 2001年04月26日- 2006年09月26日 1980日

 これは田中角栄から小泉純一郎に至るまでの総理大臣の任期を、ウィキペディアから拝借してきた図を元に見やすく簡略化したものです。まず注目してもらいたいのは「失われた十年」の期間内における総理大臣の数で、前回に定義した開始時期である91年の海部俊樹からスタートして数える事なんと九人にも上り、平成年間で見るならば宇野短命内閣も入って十人もこの時期に総理大臣が輩出されています。これは72年の田中角栄から89年に任期を終える竹下登までが七人である事を考えると、この失われた十年に如何に多くの総理大臣が出現したかがわかるでしょう。また十年スパンで考えても以下の表のように、


注:★マークは任期が二年以上

 といった具合で、事の異常さは一目瞭然です。
 こうしてみると失われた十年に当たる平成年間がどれだけ総理大臣のバーゲンセールなのかがわかり、また任期一つを取ってみても海部俊樹から小泉純一郎まで十二年間で九人の総理大臣で、単純計算で一人頭は約12÷9=1.333……と、平均するとこの時期の首相の人気は約1.3年しかありません。最近じゃ皆一年も持たないんだけど。

 現実にこの失われた十年の間に在任任期が二年を越した大臣はというと海部俊樹、橋本龍太郎、小泉純一郎の三人のみで、他の大臣はというと計算通りにほとんどが一年から二年目の間に辞職しています。
 このように首相が代わる代わる交代していった原因はまず間違いなく、93年に初めて自民党が選挙で大敗した挙句に野党に転落した、55年体制の崩壊が原因です。この時に自民党は野党に転落し、またその後も与党に戻ったものの単独政権ではなく連立政権で、更にそれを取り巻く野党らも合従連衡を繰り返していたという、政治的に不安定な状態が続きました。なお最終的に今のひとまず落ち着いた状態に至ったのは小渕政権時の自民、公明の連立以後でしょう。この時には民主党も成立しており、その後は小沢一郎率いる自由党が民主党に合流したくらいですし。

 こうした政治的に不安定な状態が続いたことの結果として、政権基盤が不安定なために与党となっても長期的な展望にたった政策を打ち出すことが出来ず、また党を支えるはずの国会議員たちも目下の経済政策より党利党略に神経を使うようになっていったのではと私は思います。
 これは私の推論ですが、この時期に議員達はその政局の流動性から大物議員であれちょっとしたことで選挙にも落選しやすくなり、そのため政策以上に自らの選挙対策に神経を使うようになっていったのではないかと思います。実際にバブル崩壊以後から小泉政権の誕生に至るまでに景気対策の名の元に大型の公共事業がいくつも行われており、その公共事業を地元の選挙対策として利用した議員も少なくはなかったでしょう。だとすると、場合によってはそういった公共事業は景気対策以上に選挙対策といった目的の方が強かったとも言えると思います。

 このような政治面での不安定さが「失われた十年」を政治的、社会的にもより進展のないものにさせた最大の原因と私は睨んでいます。私の不勉強によるものかもしれませんが、どうも巷に出ている書籍はこの点をあまり追究していないような気がします。まぁ今の状況も似たようなものなんですが。

2008年10月28日火曜日

友人の一言

 本日政府から文化勲章の授与者の発表があり、その中で私が以前に書いた「国民栄誉賞について」の記事の中で紹介している古橋広之進氏も授与者として入っていました。私も水泳をやっていたこともあり、古橋氏の戦後の苦しい時期に日本人を水泳で勇気付けたという功績を考えると我が事のようにうれしく思えます。別に古橋氏に限るわけではありませんが、やはり自分が尊敬する人物が世間で高く評価をされると非常にうれしいものです。
 
 かくいう私は、多少過剰な被害者意識も入っているでしょうがこれまで自分はかなり周囲に冷遇されてきたと自認しています。面と向かって狂ってるとか頭がおかしいと言われたのはザラですし、根も葉もないことを陰でよく言われていたと知り合いに教えてもらいました。特にそれが一番激しかったのは中学高校時代で、私自身も周りがそういう風に自分を見ているのを知っていたのでなるべく付き合わないようにしていました。

 そんな風に、恐らく傍目にも非常に暗い時代だったある日、席が隣同士でまだ話が出来る友人に対して自分は今こんな状態で非常に冷遇されている。良くも悪くも自分をちゃんと見てくれる人間はいないなどと愚痴っていました。するとその時友人は、

「周りが君に対していろいろ言っているのはよくわかるよ。でも君は以前に僕を助けてくれたし、僕はそのことにずっと感謝しているし君を高く評価してるよ」

 と、いうように言ってくれました。
 実はこの会話時よりちょっと前に、授業中に携帯電話が鳴り出して犯人が名乗り出てくるまで家に返さないと教師が出て行って残った生徒同士で犯人は誰だという風になった時、クラスの一人が、「ぶっちゃけ、携帯電話持ってる奴は手を挙げて」と呼びかけた時、不用意にその友人はあまり話を聞いてなかったにもかかわらず手を挙げてしまいました。

 それ以前にも何度か「とりあえず携帯持ってる奴は?」と聞かれていて、その友人は当時は携帯電話を持ってきてなかったのでそれまで手を挙げていなかったのですが大体三回目くらいのその呼びかけに間違えて手を挙げてしまったところ、「やっぱりお前、持ってきていたんじゃないか!」ってな感じで、何も事態がわかっていないその友人は他の生徒から突然激しく糾弾されそうになりました。
 実を言うと、ちょうどその友人と私のいる辺りの席から携帯音がしており、恐らく他の生徒は、「あの中の誰かだ」と見ていたのだと思います。そこで最初は持っていないと(実際に持っていないが)言っていたのに後から手を間違ってあげちゃったもんだから、その友人に対してものすごい反応をしたのだと今更ながら思います。

 友人も突然激しく糾弾されるもんだからますますパニックになって、「えっ、えっ?」といっては何も反応することができずにいました。席が隣で横で見ていたこともあり事態がわかっていた私はすぐに立ち上がると、「彼は何もわかってなくて、周りが手を挙げているのを見て間違って挙げちゃっただけだ」と、友人が携帯電話を持ってきていないと改めて説明し、その場はすぐに元通りに収まりました。

 私としては特別な何かをしたと思っていなかったのですが、友人はこのことを非常に感謝しており、それで最初に書いた内容のセリフを私に言ってくれたのだと思います。時期も時期だったのでこの友人の発言は私にとって非常にありがたく、今でも折に触れてほとんど交流はなくなってしまったこの友人のことを思い出します。またそれと同時に、この友人が評価してくれたのだから、自分はその評価に値するだけの立派な人間にならなくてはならないと毎回思い直しては自身の研鑽を図りなおしています。友人からすればほんの些細な一言だったのかもしれませんが、その一言は未だに私を動かす大きな原動力となっております。

 どうでもいいけど、引用した過去の記事に今日引退発表をした高橋尚子のことも書いているは因果だなぁ。

失われた十年とは~その二、期間~

 この連載を始めるに当たってまずやらねばらないのは言うまでもなく、この「失われた十年」が何を指しているのかという定義です。そこで連載一発目の今日はその辺を詳しく定義します。

 実はこの「失われた十年」という言葉は日本で初めて出来た言葉ではなく、もともとはイギリスにおいて二次大戦後、経済的発展が少なく閉塞した時代であった1945~1955の十年を指す言葉だったらしいようです。もっとも今現在でその事実を知っているのはニュース解説者でもほとんどいないでしょう。
 では実質的にどのように使われているかですが、まず世間で流布している一般的な定義としてはバブル崩壊以降の何の進展もないまま延々と不況が続き、気が付いたら十年も経ってしまった、といったような意味合いが主でしょう。別にこの説明に特段疑義を私も持ちません。

 しかしここで重要になってくるのは、実際にいつからいつまでがこの失われた十年の期間に当たるかです。この点は各種の評論においてもいくつか意見が分かれているのですが、始まった時期についてはどの意見も共通してバブルの崩壊時として、年数で言うのならこの場合は日経平均株価が下がりだして本格的に景気が悪化し始めた1991年を指しています。

 株価自体は1989年12月29日の大納会に38915円87銭という最高値を記録してからは下がり続けて90年には一時2万円を割るものの、その後しばらくは日本全体で好景気が続いていました。しかし企業業績の落ち込みが続いてそういった好景気も立ち行かなくなっていき、本格的に「バブル崩壊」という言葉が使われ始めたのはやはり91年頃だったと子供心に私自身も記憶しています。また国際的にもこの年に去年処刑されたサダム・フセイン元イラク大統領によるクウェート侵攻によって湾岸戦争が勃発しており、国際情勢が大きく転換した年でもあるのでひとつの時代のパラダイムとしては適当だと思います。

 問題なのはこの失われた十年が終わった時期です。
 これには様々な意見があるのですが、文字通り91年から十年後で2001年とする説と、昨日までここ十数年のうちで最低株価記録の7607円88銭を出した2003年4月28日という二つの意見が今のところ強いです。
 私の実感で言うと、後者の03年の初期が最も暗いイメージが社会に蔓延していた時期で案の定株価も大底を出しましたが、その大底を境に株価は一応のところ下げ止まり、全体的に暗くはあったものの少なくとも今日より明日はマシなのではないかという実感が徐々に込み上げてきた年だったと思います。株価もその年の10月には11000円台にまで回復し、それまで歴史的な就職氷河期であった大学生の就職戦線も2001年を底にして徐々に採用がまた増え始めてきた頃でした。

 こうしたことを考慮すると、確かに01年が大企業の倒産が相次ぎ実業面で恐らく最も苦しい時期ではあるのですが、そうした状態から脱したという意味合いで03年の方が終結年としては適当な気がします。またこれはちょっとした偶然なのですが、何気に03年はイラク戦争の勃発年でもあってこの年の年末にはフセイン元大統領もアメリカ軍によって拘束されてます。既に述べたように開始年とする91年は湾岸戦争が勃発しており、文字通りフセインに始まりフセインに終わる「失われた十年」と考えるのもなかなか
乙な気がします。

 以上のように、この連載における「失われた十年」というのは1991年から2003年を指す事にします。とはいっても2001年までという説も定義的には決して悪いわけでもなく、先ほどの説明に加えこの01年はその後の政治的、社会的変動の中心となる、小泉内閣の誕生年でもあります。
 その評価はともかくとして小泉元首相がこの失われた十年の構造不況を改革したのは間違いなく、そういった意味で03年が社会実感の転換点としての定義に対し、こっちは社会構造の転換点としての定義とすることも出来ます。そして蛇足ではありますが、01年は日中戦争を代表する人物である張学良がこの世を去った年でもあり、中国とか関わりの深い私としてもこの理由にあわせて01年説を持っていきたくなりそうです。

 なのであえてこの両説を平行して使うのなら、広義としては91~03年、狭義として91~01年と考えるのが失われた十年の期間として適当だと考えます。本連載では先にも言ったとおり基本的には広義を採用するので、2003年に至るまでの事例を思いつくまま解説して以降と思います。

2008年10月27日月曜日

失われた十年とは~その一、予告~

 7607円88銭

 今日はこの数字が非常によく出回った一日でした。この数字、というよりも価格が何を表すかというとニュースを見てればわかりますが、これは「失われた十年」と呼ばれた平成不況期の真っ只中である03年4月28日に記録した、今日以前のバブル崩壊以後としては日経平均株価の最低価格です。
 その最低価格も今日の終値でとうとう更新して、これからまたあの失われた十年の再来、もしくはあの時代以上の不況が日本を覆うのではという悲壮感に溢れた意見が飛び交っていますが、そもそもあの失われた十年とは一体なんだったのか、これはかなり以前から私が考えていたことでした。

 それで、一度はやろうとしました。やろうと思ったのですが、ちょうど去年の今頃からちょこちょこ書いて原稿用紙80枚を越えた時点で何故だか飽きて書くのをやめてしまいました。理由は恐らく、私が当時に別の論文の作成で忙しくなったせいだと思います。
 よくこの失われた十年は経済用語として使用されることが多いのですが、私としては専門の関係もありこの時代を日本の現代史、社会史として位置づけており、経済以外の点でもいろいろと今だからこそ検討する材料に溢れた時代だと考えています。

 折も折でこれまで最低だった前述の株価を今日は更に下回り、今後の経済情勢を占う上でこの時代の分析が真に必要なのは今の時代なのではないかと思います。私としてもやりかけた仕事ですし、ちょっと前まで連載していた「文化大革命」の連載を終えて、
「案外、このブログで連載していても、そこそこまともな論文が書けそうだ」
 という確信を持つに至りました。おかげさまでその文化大革命についての連載については様々な方から反響をいただき、また自身で読み返しても胸を張って人に見せられる内容だという自信があり、これならば失われた十年についてもちょっとずつ書いていけそうだと思い、この度連載を始める決心がつきました。

 また私にとっても都合がいいのは、この連載の場合は今後しばらくは昔に書いた内容に補足する程度で進められる点です。はっきり言って前回の文化大革命の際は資料をまた読み返したり、ネット上で情報の確認を取ったりと、書いてて非常に面白かった分、労力も半端じゃありませんでした。けど今度の連載の場合は開始しばらくは楽が出来そう……と思ってたのですが、書き溜めた論文を今読み返すと文章が敬体じゃなくて常体で書かれてました。結構手直しが必要になりそうです。

 ともかくそういうわけで、しばらく普通の記事と平行してこの失われた十年について分析を行う連載をはじめます。それでは今日の最後として、ちょうど一年前の私が書いた論文の前書き部をそのまま引用してお見せします。思えば、この論文を投げたあたりからこのブログも始めたんだなぁ(´ー`)

「結論から述べるとこの「失われた十年」は言い換えると「モラルパニックの十年」と表現できると考えている。明らかにこの時代を境に日本人は変わったし、また国際世界も変わっている。何も変わらなかったのは案外、同世代では自分くらいなんじゃないかなとかちょっぴり思ってたりもする」

解散と選挙の時期について

 簡単にぱぱっと書きますが、日本は国全体でもっと衆議院の解散時期について考えるべきだと思います。

 先週末辺りから与党の議員を先頭に、「今の経済的危機状況で解散などするべきではない」といった発言が公にも増えてきました。それに対して民主党の側もちょっと遠慮し始めてきたのか、こういった与党側の発言を受けて、恐らく逆批判を避けるためでしょうかいささか解散総選挙への主張にトーンダウンが見られます。

 しかし、私としては現時点でも可能な限り早くに選挙を行うべきだと思います。
 その理由としてまず第一に挙がってくるのが、たとえここで解散を引き伸ばしたところで来年四月には任期切れにより解散しなくてはならないからです。遅かれ早かれ選挙が行われるなら何も今に急がなくともという方もおられるかもしれませんが、来年に任期が切れるということで現在の麻生政権は長期的な政策が打ち出せないという致命的な欠陥が生まれるため、私としては勝つにしろ負けるにしろ、早く選挙をやるべきだと思うのです。

 もし次の選挙で自民党が負ける場合は民主党を中心とした内閣となり、政策が根本から改められることとなります。そしてたとえ自民党が勝ったとしても、恐らく三分の二を越える現有議席は失い、これまでのように強引な参議院の否決にあっても衆議院による強引な採決が行いづらくなります。このように、どちらにしろ政策の見通しが立たないために現状では一年先を見据えた政策が何も打ち出せないという状態にあると言えます。
 そして市場の反応でも、現在の麻生政権は来年四月までに終わってしまうのではといった不安感が強く、選挙前という非常に敏感な時期が続けば続くほどこの不安感は継続されてしまいます。

 こうした第一の理由に加えて私が心配している第二の理由は、果たして引き伸ばした挙句に今より状況が好転するかという疑問です。恐らく、一ヶ月前の時点で日本の株価がこれほどまでに下がると予想していた人はほとんどいないでしょう。それは逆に言えば今後の状況も全く見通しが立っていないということで、下手をしたら解散を伸ばしに伸ばした挙句にタイムリミットである来年九月を迎えたら、今以上に本当にどうしようもない状況下になっているとも限らないからです。

 折も折で、選挙はもうすぐですが任期によって来年にはアメリカの大統領も変わります。その変わり目にまた何かあるのではと、ちょっと心配しすぎかもしれませんが考えずにはおられません。一番最悪なのは言うまでもなく、にっちもさっちもいかない状態で任期切れで解散するしかないという状況です。それならばまだ日程を選択できる今の状況の方が、いくらか予防線を張るという意味でいいのではないかと思います。

2008年10月26日日曜日

90年代におけるネットをテーマにした作品

 ちょっとこっちは不確かで私の所感でしかないのですが、90年代前半にはいわゆるサイバーパンクともいう近未来の宇宙を舞台にしたハードボイルドな漫画作品が非常に多かった気がします。このジャンルの代表的作品は寺沢武一氏の「コブラ」が最も有名ですが、90年前後にはガンダムでも「逆襲のシャア」や「F91」等の大型SF映画作品も作られ、ガンダム以外でも大友克洋氏の「AKIRA」が公開されるなど環境的に充実していたのが流行した理由なのだと思います。当時の同人誌等を見ていると明らかにこれらガンダム作品を模した巨大ロボットものの作品が多く、また「コブラ」同様にアメコミの画風を取り入れたものが非常に多くありました。

 そしてこうした90年代前半の流れを受けたのか、90年代後半に続く頃にはインターネット時代の幕開けとともに今度はネットをテーマにしたSF作品が次々と生まれていきました。 
 このジャンルの最高峰ともいえるのは言うまでもなく士郎正宗氏による「攻殻機動隊」で、この漫画の中で書かれた「意識と肉体の同一性」というテーマはこれに続いた他の同ジャンルの作品でも一貫して取り上げられています。

 ちょっと攻殻機動隊について簡単に説明すると、この漫画の中の世界では脳だけを取り出して体は全身サイボーグ化することが当たり前に行われており、漫画版では軽くギャグ調に書かれていますが、映画のアニメ版では一つのメインテーマとして、サイボーグ化した自分が本当に脳を持っているかを自らの目で確認することがもちろんできないので、今こうして考えている意識は本当に自分の脳が行っているのか、もしかしたら自分が自分と思っている意識は実はAIが行っており頭の中には脳ではなくコンピューターチップが入っているのでは、といったような疑問が提起されています。
 哲学の言葉で恐らく最も有名な、少なくとも今ここに物事を考える自分が存在しているのは確かであるという、「我思うゆえに、我あり」という価値概念すら、「その自分の意識はもしかしたらAIなのでは?」という疑問でひっくり返すという面白い概念が描かれています。

 ちなみに自分の意識は本当は脳ではなくAIが行っているのではというような話は何も攻殻機動隊が最初ではなく、それ以前にも自分が人間だと思っていたら実はサイボーグだったというような話はよくあり、木城ゆきと氏の「銃夢」(1990~1995)という作品に至ってはある未来都市の住人すべてが成人するとそれまでの記憶をデータ化してコンピューターチップにするとそれを脳のかわりに入れられ、自分が脳をなくした(肉体はそのまま)と知らないまま生き続けるという話が書かれています。

 このように、それまで魂と呼べるような意識と物理的に存在する肉体は基本的にその人個人に対してセットで存在しているのだという前提に対し、90年代前半頃からこれに強く疑問を提起する動きが見え始めてきました。そうした中、ついにインターネット時代に突入するのです。
 インターネットというのは基本的にデータだけの世界です。そのデータの中にはこの私のブログのように意思がこめられた文字データがあれば、チャットのように音声の発生と聞き取りという物理現象を解さずに(キーボードの打ち込みはありますけど)互いの意思を交換することもあり、いわば肉体を解さずに交流される、意識だけが存在する世界とも言えます。

 日本でインターネットが始まったのは1995年からですが、このインターネットの仕組みをヒントにしたのか「データ」、「意識」といった言葉をふんだんに使用して、「もはや肉体と意識は完全に別々に分けられているのだ」というような主張をテーマにした漫画やアニメ作品がこの頃から続々と出てきました。その主張は先ほどに説明したような具合に、インターネット世界というのは完全な意識だけの世界だということを前提にネットに出ることで物理世界から意識だけを開放する……といった具合です。

 攻殻機動隊の中でも意識をネットに接続することによって他者の記憶に干渉する、中には意識そのものを乗っ取るといった描写が展開されていますが、90年代後半に至っては現実世界と意識世界そのものを逆転したMMR的に、
「実はこの世界はネット世界と同様に、コンピューター上のデータの世界だったんだよ!」
「な、なんだってー!?」
 ってな感じで言い出すのも結構ありました。これだと一番代表的なのはアメリカの映画、「マトリックス」ですが、この監督自体が攻殻機動隊の大ファンだしなぁ。

 ちょっと話が二転三転していますが、当初は「肉体が変わっても、意識はそのままなのか」という議論から、「肉体と意識はもはや別々なのは確かだが、果たして我々が認識するこの世界は肉体の世界なのか、意識の世界なのか」といったように徐々にシフトしていったように思えます。私の言葉に直すと、それまでは肉体と魂がセットの一元論の疑問から、肉体と魂は別々という二元論に加え世界も二元なのかという疑問といった具合です。

 そこで90年代後半において最もこういったテーマを強く打ち出しているのが、かなり贔屓も入っていますが「Serial experiments lain」というアニメ作品だと思います。これなんかコアなファンが今でも多くいるのですが、この作品では「記憶=データ」という前提が存在しており、その上我々が知覚する現実世界というのは我々が遊ぶオンラインゲーム上のような世界で、人間の意識(とされるもの)には本質的に他者の意識と接続する能力が備わっているとして、そうした意識同士が接続されあって出来た世界というのがこの世界という具合に話が展開されます。ちなみに、その接続されてできる世界でも上位の接続が出来る人間においてはデータをいじくる権利があり、記憶等の我々が知覚する世界に干渉することが出来るようになってます。

 こういった作品が流行したことについては、やはりインターネットの拡大という影響があったことは間違いないでしょう。ネット上が意識だけの世界ということで、意識だけで世界は成立するのでは、肉体はその存在価値はまだあるのかなどといった様な疑問が次々と出て行ったのだと思います。なお、「バカの壁」の作者の養老猛氏も、現代の世界は意識だけが大きく幅をきかしており、木から落ちて怪我をするといったことがあまり取り上げられもしなければ起こることも減り、肉体の実感が非常に薄くなってしまったというようなことを言っていたと思います。

 本当は漫画のテーマの流行り廃りだけをこの記事で書こうと思ってたのですが、予想以上にわけのわからない内容になってしまいました。また別に質問等があれば細かい解説をしてこうと思いますが、この記事ではとりあえず妙な翻訳はせずに私の言葉で詰め込めるだけ詰め込むことにしました。なので適当にわかる内容で面白いと思ったものだけ拾って読んでください。

 最後にこういった「肉体と意識」をテーマにした作品の現状について私見を述べると、このところはめっきりこういったテーマを取り扱う作品が少なくなったと思います。売れなくなったのか、流行らなくなったのか、はたまたインターネットの拡大が非常に大きくなって一般化してしまったからかもしれません。

2008年10月25日土曜日

社会的共通資本とは

 初めに断っておきますが、今日の内容は紹介こそすれども私は完全に理解している自信はないので、あくまで私の解釈として受け取ってください。そしてできることなら原典である、宇沢弘文先生の「社会的共通資本」(岩波新書)をお読みすることを強くお勧めします。

 さて今朝まで連載していた「悪魔の経済学」の記事の中で私は、新自由主義経済学の最大の欠陥的思想は人間の心理、行動から二酸化炭素に至るまですべてのものに対して金額をつけて計算しようとする点だと主張しました。それに対して東大名誉教授である宇沢弘文先生は真っ向からこれに反対する主張をしており、その説のことを「社会的共通資本」と呼ばれています。

 この説の考え方というのは割と単純(だと私は考えている)で、何でもお金に換えて計算する新自由主義とは逆で、社会公益性が高い物に対しては下手に損得勘定を計算できないように市場から完全に切り離して独立させ、原則的にどんなに費用をかけてでも守っていくべきという思想です。

 こういったものとしてまず挙げられているのが自然環境です。基本的に現代では市場に任せておけば森林や山地はどんどんと開発されていきますが、かつての江戸時代に日本の社会は山林に対し「入会地(いりあいち)」という概念を持ち、周辺の住民同士の共有財産として木々を必要な分だけお互いに消費し、また山林の保護も共同で行ってきました。
 それが明治時代に入ると土地などに私有財産の概念が持ち込まれ、こういった共同管理されていた土地は数少ない例外を除いてほぼすべて国有地として吸収され、それまで共同で使用、保護されていた土地は途端に周辺住民が立ち入ることすら出来なくなりました。

 私の恩師のK先生などは社会的共通資本の考え方はこの「入会」だとよく説明してましたが、私の解釈もこれに同じくします。要するに、社会公益性が高いものに対しては経済上の「私有」という概念から外して、社会で「共有」することによって保護していくという考えです。こうすることにより、たとえば周辺住民が反対している土地に住宅会社が無理やりでかいマンションを建てるなど、一個人や一事業者の勝手で社会の公益性が損なわれるのを防ぎ、その上個人では難しい管理や保護を共同にすることによって負担を分配していけるようになります。

 こうした考え方の一つの実例として、私も参加した講演会では中国にあるどこかの川では周辺住民によって年に一回程度、氾濫を防ぐために流れを緩めさせる底石を川底に並べられているという例が紹介されていました。これだと周辺住民が総出でやればそれほど時間がかからず、その上作業に使うのはほんとただの石だけで費用もゼロな上に環境負荷もゼロというお得ぶり。
 この例は日本の防災ダムとの比較がなされていたのですが、よくダムさえ作れば最初に費用はかかるとしても電力も作られ防災にもなって更には半永久的に使えると誤解されていますが、実際にはダムの寿命というのはそれほど長くはないのです。

 実はダムというのは水は通すのですが、上流から流れてくる砂はなかなか流れずに時間とともにダムの壁際にどんどんと堆積していってしまうのです。もちろん堆積していくとえらい山になって川底を押し上げ、防災上にも発電上にも悪影響が発生し、ダムとして使い物にならなくなってしまいます。かといって機能を維持するためにその堆積した砂を地上から掘り返そうものなら、これまた異様なくらいにお金がかかってしまうのです。
 元祖注目知事だった田中康夫なんて今じゃかなり落ちぶれちゃっているけど、長野県知事就任当初の「脱ダム宣言」にはこういったことが指摘されており、社会史的に見るなら非常に意義深い問題提起をやっていたのだと私は評価しています。

 それが最初に紹介した中国の川、っていか今急に思い出したけどこれって「都江堰」です。調べてみると世界遺産にもなっており、古代に整備されたものですが現代においても非常に技術的に高い構造となっているそうです。
 こっちの都江堰と日本のダムを比較した場合、前者は毎年の管理、整備は必要としますが基本的に周辺住民がボランティアで行い資材費もいらないので費用はゼロです。それに対して後者は建設時にものすごい費用をかけた上、時間が経ったらまたすごい費用をかけて整備しなければいけません。
 またダムの場合は砂とともに川の中の栄養も遮断してしまうので大抵は下流の水質が悪化してしまうので、無理やりダムを作ろうとする行政側とそれに反対する市民団体が議論するダム問題は現在も日本各地で行われています。なおこの際の勉強会では、四国のダム建設に反対する市民団体の方も参加しておりました。
 ついでにちょっとかくと、この都江堰に準ずる日本が世界に誇る水利施設と呼べるのはあの「信玄堤」です。これなんかメンテナンスいらずで半永久的に使っているんだから、実はとんでもない代物らしいです。

 こんな感じで、社会公益上で価値が高いものについては共同管理、しかも行政の手に寄らない独立した管理をすることこそが保全、維持につながるというのが社会的共通資本の考え方です。何もこの対象は自然環境に限らず、医療や農業、文化も対象として挙げられ、医療なら下手な厚生省の役人に任せずに医療問題をきちんとわかっている現場の医師や専門家などによって経営や運営を決めていくべきだと宇沢先生は主張されています。また運営上に費用が必要だというのなら、社会全体でこの方面へどんどん投資するべき、何故なら医療も農業も欠くことのできないものだからとも言われております。

 この概念を新自由主義と比較するなら、新自由主義では市場に任せればすべて解決されるのだから規制を取っ払って何でもかんでも商業ベースに乗せればいいという考え方で、社会的共通資本では公益性の高いものは市場に任せるとろくなことにはならないから専門家や周辺住民による共同管理をした上で費用をかけてでも守っていくべき、というような感じになります。

 先ほどの医療を例に取ると、新自由主義では医師同士で経営や技術を競争することによってサービスは向上されて消費者も万々歳なのだから、極端な例だと医療行為の費用も医師個人で決めさせるべきだという主張まであります。そうなると同じ盲腸の手術でも、東京で受けるのと鹿児島で受けるのでは費用が変わり、まぁあえて批判するとお金のない人は医者にかかることすらできなくなる可能性があります。
 それに対して社会的共通資本は、勉強会でいらした医師の方などが主張していたのですが、「いい医療を維持存続させるには、やっぱりお金がいるのだ」と言っておられ、現在は全然足りていないのだから社会はもっと医療に予算を分けるべきだと主張していました。社会的共通資本は新自由主義と違い、公益を守ることをまず前提としてそのためにどうやりくりしていくかを重視し、そのためにかかる必要最低限の費用は議論の余地なく出すべきとしています。新自由主義だと如何に採算を合わすかしか考えないしね。

 大体こんな感じが私の社会的共通資本の理解です。本当はまだまだ紹介するべき例があるのですが書ききれないので、もし興味をもたれた方は宇沢先生の本を手にとることをお勧めします。私なんか最初に「社会的共通資本」を読んだ際、えらくはまって何度も読み返しました。