2008年10月25日土曜日

社会的共通資本とは

 初めに断っておきますが、今日の内容は紹介こそすれども私は完全に理解している自信はないので、あくまで私の解釈として受け取ってください。そしてできることなら原典である、宇沢弘文先生の「社会的共通資本」(岩波新書)をお読みすることを強くお勧めします。

 さて今朝まで連載していた「悪魔の経済学」の記事の中で私は、新自由主義経済学の最大の欠陥的思想は人間の心理、行動から二酸化炭素に至るまですべてのものに対して金額をつけて計算しようとする点だと主張しました。それに対して東大名誉教授である宇沢弘文先生は真っ向からこれに反対する主張をしており、その説のことを「社会的共通資本」と呼ばれています。

 この説の考え方というのは割と単純(だと私は考えている)で、何でもお金に換えて計算する新自由主義とは逆で、社会公益性が高い物に対しては下手に損得勘定を計算できないように市場から完全に切り離して独立させ、原則的にどんなに費用をかけてでも守っていくべきという思想です。

 こういったものとしてまず挙げられているのが自然環境です。基本的に現代では市場に任せておけば森林や山地はどんどんと開発されていきますが、かつての江戸時代に日本の社会は山林に対し「入会地(いりあいち)」という概念を持ち、周辺の住民同士の共有財産として木々を必要な分だけお互いに消費し、また山林の保護も共同で行ってきました。
 それが明治時代に入ると土地などに私有財産の概念が持ち込まれ、こういった共同管理されていた土地は数少ない例外を除いてほぼすべて国有地として吸収され、それまで共同で使用、保護されていた土地は途端に周辺住民が立ち入ることすら出来なくなりました。

 私の恩師のK先生などは社会的共通資本の考え方はこの「入会」だとよく説明してましたが、私の解釈もこれに同じくします。要するに、社会公益性が高いものに対しては経済上の「私有」という概念から外して、社会で「共有」することによって保護していくという考えです。こうすることにより、たとえば周辺住民が反対している土地に住宅会社が無理やりでかいマンションを建てるなど、一個人や一事業者の勝手で社会の公益性が損なわれるのを防ぎ、その上個人では難しい管理や保護を共同にすることによって負担を分配していけるようになります。

 こうした考え方の一つの実例として、私も参加した講演会では中国にあるどこかの川では周辺住民によって年に一回程度、氾濫を防ぐために流れを緩めさせる底石を川底に並べられているという例が紹介されていました。これだと周辺住民が総出でやればそれほど時間がかからず、その上作業に使うのはほんとただの石だけで費用もゼロな上に環境負荷もゼロというお得ぶり。
 この例は日本の防災ダムとの比較がなされていたのですが、よくダムさえ作れば最初に費用はかかるとしても電力も作られ防災にもなって更には半永久的に使えると誤解されていますが、実際にはダムの寿命というのはそれほど長くはないのです。

 実はダムというのは水は通すのですが、上流から流れてくる砂はなかなか流れずに時間とともにダムの壁際にどんどんと堆積していってしまうのです。もちろん堆積していくとえらい山になって川底を押し上げ、防災上にも発電上にも悪影響が発生し、ダムとして使い物にならなくなってしまいます。かといって機能を維持するためにその堆積した砂を地上から掘り返そうものなら、これまた異様なくらいにお金がかかってしまうのです。
 元祖注目知事だった田中康夫なんて今じゃかなり落ちぶれちゃっているけど、長野県知事就任当初の「脱ダム宣言」にはこういったことが指摘されており、社会史的に見るなら非常に意義深い問題提起をやっていたのだと私は評価しています。

 それが最初に紹介した中国の川、っていか今急に思い出したけどこれって「都江堰」です。調べてみると世界遺産にもなっており、古代に整備されたものですが現代においても非常に技術的に高い構造となっているそうです。
 こっちの都江堰と日本のダムを比較した場合、前者は毎年の管理、整備は必要としますが基本的に周辺住民がボランティアで行い資材費もいらないので費用はゼロです。それに対して後者は建設時にものすごい費用をかけた上、時間が経ったらまたすごい費用をかけて整備しなければいけません。
 またダムの場合は砂とともに川の中の栄養も遮断してしまうので大抵は下流の水質が悪化してしまうので、無理やりダムを作ろうとする行政側とそれに反対する市民団体が議論するダム問題は現在も日本各地で行われています。なおこの際の勉強会では、四国のダム建設に反対する市民団体の方も参加しておりました。
 ついでにちょっとかくと、この都江堰に準ずる日本が世界に誇る水利施設と呼べるのはあの「信玄堤」です。これなんかメンテナンスいらずで半永久的に使っているんだから、実はとんでもない代物らしいです。

 こんな感じで、社会公益上で価値が高いものについては共同管理、しかも行政の手に寄らない独立した管理をすることこそが保全、維持につながるというのが社会的共通資本の考え方です。何もこの対象は自然環境に限らず、医療や農業、文化も対象として挙げられ、医療なら下手な厚生省の役人に任せずに医療問題をきちんとわかっている現場の医師や専門家などによって経営や運営を決めていくべきだと宇沢先生は主張されています。また運営上に費用が必要だというのなら、社会全体でこの方面へどんどん投資するべき、何故なら医療も農業も欠くことのできないものだからとも言われております。

 この概念を新自由主義と比較するなら、新自由主義では市場に任せればすべて解決されるのだから規制を取っ払って何でもかんでも商業ベースに乗せればいいという考え方で、社会的共通資本では公益性の高いものは市場に任せるとろくなことにはならないから専門家や周辺住民による共同管理をした上で費用をかけてでも守っていくべき、というような感じになります。

 先ほどの医療を例に取ると、新自由主義では医師同士で経営や技術を競争することによってサービスは向上されて消費者も万々歳なのだから、極端な例だと医療行為の費用も医師個人で決めさせるべきだという主張まであります。そうなると同じ盲腸の手術でも、東京で受けるのと鹿児島で受けるのでは費用が変わり、まぁあえて批判するとお金のない人は医者にかかることすらできなくなる可能性があります。
 それに対して社会的共通資本は、勉強会でいらした医師の方などが主張していたのですが、「いい医療を維持存続させるには、やっぱりお金がいるのだ」と言っておられ、現在は全然足りていないのだから社会はもっと医療に予算を分けるべきだと主張していました。社会的共通資本は新自由主義と違い、公益を守ることをまず前提としてそのためにどうやりくりしていくかを重視し、そのためにかかる必要最低限の費用は議論の余地なく出すべきとしています。新自由主義だと如何に採算を合わすかしか考えないしね。

 大体こんな感じが私の社会的共通資本の理解です。本当はまだまだ紹介するべき例があるのですが書ききれないので、もし興味をもたれた方は宇沢先生の本を手にとることをお勧めします。私なんか最初に「社会的共通資本」を読んだ際、えらくはまって何度も読み返しました。

2 件のコメント:

  1.  ダムの寿命って結構短いんですね。無駄な公共事業ってとこでしょうか。

     社会的共通資本いい考えですね。

     信玄やりますね。やはり、日本は戦国時代が最強だったかなってつくづく思わされます。そのころなら外国とやりやっても勝てたのに。

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  2.  ダムの寿命は種類にもよりますが長く見積もって3、40年程度らしいです。
     社会的共通資本は提唱者の宇沢先生もまだ完成していないと言われており、このテーマについてはまだあれこれ考える余地が残されています。

     信玄堤も記事に上げた都江堰同様に未だにメカニズムが完全に解析されていないようです。先人の知恵というのは必ずしも現代より下ではないという好例ですね。

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コメント、ありがとうございます。今後とも陽月秘話をよろしくお願いします。

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