・ 「笑っちゃうくらいあきれた」=郵政見直し発言、首相を批判-自民・小泉氏(YAHOOニュース)
ここ数日の麻生首相の郵政民営化の見直しとも否定とも取れる一連の発言に、とうとう民営化の立役者である小泉元首相が口を開いてその思いを語ったのが、リンクに貼ったニュース記事の内容です。
この小泉元首相の発言について私の感想を述べると、小泉首相はかねてより「首相を引退したものは老害になりやすく、あまり後進に影響力を行使してはならない」と、自らが煮え湯を飲まされ続けた田中角栄元首相へのアンチテーゼを常々語ってきており、記者に聞かれるがままに当たり前のことをぺらぺらしゃべる森本首相とは一線を画して安倍、福田、麻生の三政権で発言を控えてきていました。その小泉元首相がはっきりと、しかもこれほどまでに攻撃的な発言をしたというのは相当腹に据えかねていたというべきか、実際の会見も私もテレビで見ましたがやっぱり表情が明らかにいつもと違っており、相当な覚悟を持って発言したことが伺えます。発言者が発言者なだけに、明日の自民党関係者のコメントが今からとても楽しみです。
さてこの郵政民営化見直しについてですが、事の発端は鳩山邦夫総務大臣の「かんぽの宿」の売却見直し発言から始まりました。この発言が出た当初に私が気になったのは朝日新聞の社説で、隔日ではありましたが二回にもわたって鳩山総務大臣を批判し、もはや不良債権となっているかんぽの宿は値段がいくら安いからといってもとっとと売り払うべきだなどと、どっちかというと朝日新聞は鳩山総務相の肩を持って見直しを支持するかと思っていただけに意外でした。死刑論争が前にあったからでしょうかね。
それはともかく、私も当初は朝日新聞同様に不良債権を早く処理すべしという立場でしたが、最終入札には売却先のオリックスしか参加していなかったという事実や、またある郵政施設が一万円で売られたところ六千万円で転売されたとの報道を受け、現在はもう少し様子を見るべきかと徐々に態度を変えてきています。
しかし、これと郵政民営化の見直しの必要性は全く別問題でしょう。また仮に見直しをやるにしても、今この時期にそんな議論が本当に必要なのか非常に疑問です。
かねがね麻生首相が自分で言っていたように、現在の経済状況は一国の猶予もないような状況です。そんな状況だからこそどんな経済対策が必要なのか、また議論次第にそれをすぐに実行しなくてはいけないにもかかわらず、郵政民営化についてあれこれ議論を蒸し返して無駄に時間を費やすなど愚の骨頂です。かんぽの宿問題は事実究明ということで議論と並行をして調査することも出来、また確かに無視できない一面があるものの、郵政解散時に賛成であったとか賛成でなかったとか、四分社化が本当にいいのかどうかというのは現状で優先度が高い議題とはとても思えません。いろいろと今になって見直すところがあるというのは私もよくわかりますが、やるのならもう少し落ち着いた頃にやるべきではないでしょうか。
ここで私が自民党、民主党に言いたいのは、優先度の高い問題から議論せよということです。民主党もしつこく食い下がらずに経済問題に集中し、自民党もこれ以上の内輪もめはひとまずやめるべきでしょう。そして何より、わけのわからない発言で今回の郵政民営化の是非の議論を蒸し返してしまった麻生首相には相当の反省が必要であるとともに、定額給付金についても使うとか使わないとかころころ発言を変えたりせず、もっと背骨の通った態度を示してもらいたいと思います。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2009年2月12日木曜日
2009年2月11日水曜日
書評「就活のバカヤロー」
ちょっとリンクを結ばせてもらっているSophieさんを見習って、私も書評をやってみようと思います。今回題材に取り上げるのは、光文社新書の「就活のバカヤロー」(石渡嶺司、大沢仁)です。
結論から言うと、威勢のいいタイトルの割には中身はやや貧弱気味であまり人には薦められない本です。内容は学生、大学、採用企業、就職情報会社の四つの主体の視点から昨今の大学生の就職活動について、それぞれが抱える問題や足を引っ張り合っている現状について解説が為されています。
作者が前書きで言っているように、確かにこの手の就職本というのはどれか一つの主体の視点からしか書かれることが多く、この本のように就活に関わる主体全体を総合的に取り扱う本はあまりなく、また各主体が抱える問題や学生から見る企業、企業から見る学生といったような相対する別の主体に対する本音などがよく取材されていると思えますが、残念ながら結論が、
「みんながみんなで気持ち悪いことをやりあっている」
ということで終わっています。こんなことくらいなら誰でも言えるだろう、というのが率直な感想です。
この本を読むに当たって私が個人的に期待していたのは、一体どんな形が大学生の就職活動として学生と企業、ひいては教育機関の大学にも具合がいいのか、そういったモデルの提示があれば文句はなかったのですが生憎現状の就活が抱える問題性ばかりがことさら強調されるだけで、そういったことにはほとんど触れられていませんでした。
この就活の問題性については前に私も何度かこのブログで取り上げており、また内定取消しについても一回記事を書いたことがありましたが、結論から言うと私は内定という制度自体が最も問題性があるのではないかと考えています。内定取消しの問題についても、実際に入社する一年近く前に学生に採用内定を出すもんだからその後の経営悪化に対応できなくなって内定を取り消すことになるのだし、また本来学業に打ち込む期間にある学生から無用に就活の時間を奪うことで学力低下につながるなど、こういったことすべて入社の遥か以前に採用を決めるこの内定制度が諸悪の根源にしか思えません。
じゃあどういう風な採用モデルがいいのかというと、私の私案を言うのならそれはやはり内定制度の廃止事、卒業前の学生へ企業が採用活動を行うことを厳禁するということに尽きます。
こうすることによって学生は卒業までの四年間をみっちり大学での学業に費やせますし、また卒業後から就職活動が皆一斉に始まるので、大学での授業や行事に煩わされることなく就職活動に集中することが出来ます。そして企業の側も、既に卒業している学生を対象に採用活動を行うので双方の合意が取れ次第すぐさま入社させることが出来、直近の状況に合わせて採用人数も増減させることが出来ます。
今の就活の制度(=慣習)に問題があるのは明々白々なので、私は今すぐにでも今の状態をどうにかするべく、それこそ国とかがはっきりと規制するなりして一定の方向性に絞るべきだと考えています。その方向性が私の提唱するモデルでもいいですし、なんだったらかつての就活制度よろしく、四回生の十月以降から就活一斉スタートというように昔に戻すだけでもいいです。今みたいに四回生の四月から、場合によっては三回生の夏休みからインターンシップやら説明会の開催などとバカなチキンゲームを皆でやるくらいなら、それこそ内定取消しを行った企業だけじゃなく、必要以上に就活を早めようとする企業名も国は公表するべきではないでしょうか。
結論から言うと、威勢のいいタイトルの割には中身はやや貧弱気味であまり人には薦められない本です。内容は学生、大学、採用企業、就職情報会社の四つの主体の視点から昨今の大学生の就職活動について、それぞれが抱える問題や足を引っ張り合っている現状について解説が為されています。
作者が前書きで言っているように、確かにこの手の就職本というのはどれか一つの主体の視点からしか書かれることが多く、この本のように就活に関わる主体全体を総合的に取り扱う本はあまりなく、また各主体が抱える問題や学生から見る企業、企業から見る学生といったような相対する別の主体に対する本音などがよく取材されていると思えますが、残念ながら結論が、
「みんながみんなで気持ち悪いことをやりあっている」
ということで終わっています。こんなことくらいなら誰でも言えるだろう、というのが率直な感想です。
この本を読むに当たって私が個人的に期待していたのは、一体どんな形が大学生の就職活動として学生と企業、ひいては教育機関の大学にも具合がいいのか、そういったモデルの提示があれば文句はなかったのですが生憎現状の就活が抱える問題性ばかりがことさら強調されるだけで、そういったことにはほとんど触れられていませんでした。
この就活の問題性については前に私も何度かこのブログで取り上げており、また内定取消しについても一回記事を書いたことがありましたが、結論から言うと私は内定という制度自体が最も問題性があるのではないかと考えています。内定取消しの問題についても、実際に入社する一年近く前に学生に採用内定を出すもんだからその後の経営悪化に対応できなくなって内定を取り消すことになるのだし、また本来学業に打ち込む期間にある学生から無用に就活の時間を奪うことで学力低下につながるなど、こういったことすべて入社の遥か以前に採用を決めるこの内定制度が諸悪の根源にしか思えません。
じゃあどういう風な採用モデルがいいのかというと、私の私案を言うのならそれはやはり内定制度の廃止事、卒業前の学生へ企業が採用活動を行うことを厳禁するということに尽きます。
こうすることによって学生は卒業までの四年間をみっちり大学での学業に費やせますし、また卒業後から就職活動が皆一斉に始まるので、大学での授業や行事に煩わされることなく就職活動に集中することが出来ます。そして企業の側も、既に卒業している学生を対象に採用活動を行うので双方の合意が取れ次第すぐさま入社させることが出来、直近の状況に合わせて採用人数も増減させることが出来ます。
今の就活の制度(=慣習)に問題があるのは明々白々なので、私は今すぐにでも今の状態をどうにかするべく、それこそ国とかがはっきりと規制するなりして一定の方向性に絞るべきだと考えています。その方向性が私の提唱するモデルでもいいですし、なんだったらかつての就活制度よろしく、四回生の十月以降から就活一斉スタートというように昔に戻すだけでもいいです。今みたいに四回生の四月から、場合によっては三回生の夏休みからインターンシップやら説明会の開催などとバカなチキンゲームを皆でやるくらいなら、それこそ内定取消しを行った企業だけじゃなく、必要以上に就活を早めようとする企業名も国は公表するべきではないでしょうか。
2009年2月10日火曜日
湾岸戦争直前における人質事件
いきなりですが、現在めちゃくちゃブルーな気分です。例えるならビデオに録っていた番組を家族に勝手に上書きされてしまったような喪失感のようなもので、ちょっと元気がないのですが気を取り直して頑張って書こうと思います。
さて皆さん、いきなりですが「イラク、人質」と聞いて何を連想するでしょうか。恐らく九割以上の方が2004年に起きた三人の日本人がテロリストにより拘束された人質事件を連想するでしょうが、実はこの二つのキーワード上にはもう一つの、私が思うに日本人は絶対に忘れるべきでなく、また現代において再考する必要が大いにある大きな事件があるのです。その事件というのも1990年、イラクのフセイン政権下で起きた国家的人質事件です。
まずおさらいですが、私がこのブログを始めた初期に書いた「今更ながらフセインさん」の記事でもすこし触れていますが、1990年にフセイン政権下のイラクは隣国のクウェートに侵攻したことにより、翌年にはアメリカを中心とした国連軍による攻撃を受ける形で湾岸戦争が勃発しました。このクウェート侵攻を何故フセインが強行したかについて補足しておくと、なんでも在イラクのアメリカ大使に前もってフセインはクウェートに侵攻する意図を伝えたところそれに対してアメリカは何の干渉もしないような答えをして、それを真に受けたフセインがいざ侵攻を実行をしたらアメリカは大使の返答とは裏腹に猛烈な抗議を行うとともに武力攻撃も辞さないという強硬な態度を取りました。
このアメリカの態度の急変に、フセインは大きく慌てたそうです。というのもそれまでのイラン・イラク戦争などでアメリカは一貫してイラクを応援し続けており、当時は中東でも随一の親米国家であったほど両国の関係は良好だったからです。もちろんそんな具合だったのでアメリカが強硬な態度を取るとは全く予想しておらず、国内の防衛計画も何もなかった上に国際世界で急に孤立するなど、この時期にフセインは一挙に窮地に追い込まれました。
そこでフセインが窮余の策として取ったのは、今でこそいい響きのする言葉のように扱われていますが「人間の盾」こと、当時クウェートとイラクに在留していた外国人の国外脱出を禁止することによって人質を取るという卑劣な手段でした。
この人質には在イラクのアメリカ人はもとより、アメリカ寄りの日本やイギリスといった国の人間が特にターゲットにされ、合計すると約400人強もの日本人がこの年の8月からイラク政府によって人質にされてその後イラク政府が人質の全員解放を行う12月までの四ヶ月間も不安な状態に留め置かれていました。
あんまり詳しく調査していない私が言うのもなんですが、この時期の各部署の対応の詳細はあまり明らかにされていないような気がします。明らかになっていない理由として、この事件自体がちょうどエアポケットみたいな大きな歴史と歴史の間にあることと、中途半端に新しい歴史ということもあってまだあまり検証が為されていないというのが原因だと思いますが、この事件について私が知りえる情報といったら当時のニュースを見ていたうちの両親やわずかな伝聞ぐらいしかありません。そのせいか、ここ一ヶ月であちこちに「この事件を知ってる?」と尋ねまわったものの、私と同世代のほとんどの方は全く知っていませんでした。
そんなわずかな情報の中から当時の動きを私なりに組み立てていくと、まず目に付くのが日本外務省の不作為です。
その辺の詳しい内容は当時の外交白書に大まかに書かれていますが、まずイラクのクウェート侵攻を受けて在クウェート日本大使館はクウェート内の日本人を大使館に保護しましたが、その後何を思ったのか保護した日本人を在イラク大使館へと移動させています。この辺の意図や実行に至る過程が未だに曖昧でよくわからないのですが、結果的にはこれが致命的になり、その後にフセインによってイラク国内の外国人の渡航が禁止されたことによってイラクにいた日本人と合わせて人質状態に置かれる事になりました。
そしてその後も先ほどの外交白書で外務省は必死に交渉したと自己弁護しているのですが、当時のニュースを見ていたうちのお袋によると、その後に開放されて帰国した方が成田空港にて、「外務省は何もしなかった!」と凄い剣幕で怒っていたのを覚えているあたり、先ほどの外務省の言い分はどうも怪しいのではないかと思います。
もうひとつ外務省の言い分を私が怪しむ理由として、当時のアントニオ猪木氏の行動があります。
今の若い世代なんか想像しづらいでしょうが、当時アントニオ猪木氏は参議院議員をしており、折も折でこの中東方面の委員会にも出ていたそうです。その猪木氏がこの時の人質事件発生の際、かねてよりイラクでプロレス興行を行っていた関係もあり直接イラクに出向いて人質解放の交渉を行おうと外務省にかけあったのですが、外務省は危険だとか交渉が面倒になるなどの理由をつけては猪木氏の申し出を拒否し、果てには個人として交渉に行こうとする猪木氏に対して日本の各航空会社に働きかけるなど様々な方法で渡航を妨害していたそうです。
最終的に猪木氏はトルコ航空(イラン・イラク戦争の折も日本人はお世話になっている)のチャーター便を猪木氏が自腹で費用を出すことで渡航が決まり、また人質となっていた方らの家族も外務省からいろいろ言われたそうですが、イラクにいる家族と会うために猪木氏に賭けてこのチャーター便に同乗してバグダッドを訪問しました。
表向きこの訪問はスポーツ交流の一環ということで行われ、猪木氏が連れてきたレスラーの試合や日本の伝統文化などがイベントとして数日間演じられ、その間に猪木氏とともに訪れた家族らは再開を果たし、猪木氏はイラク政府と人質解放の交渉を行ったそうです。
しかし交渉ははかどらず、帰国日になっても人質解放は達成されずあきらめかけて帰国の飛行機が飛ぼうとする直前、突然イラク政府から猪木氏に会談の申し込みがあり、その後イラク政府より日本人の人質解放が発表され、その二日後にはすべての外国人人質が解放されることが発表される運びとなりました。
このくだりについてはいろいろと疑問の声も挙げられており、猪木氏の売名行為に近いただのパフォーマンスだったり人質解放はすでに決まっていたなどという意見もあってこの時の猪木氏の功績については未だ評価がはっきりしていませんが、少なくとも自腹でチャーター便を取って家族らを再会させたという事実については私は高く評価してもいいと考えています。
その後は教科書に載っている歴史どおりに、アメリカ軍の攻撃によって湾岸戦争が勃発し、その後もフセインは行き続け、つい最近のイラク戦争へと物事は運んでいくのですが、私はこの時の人質事件はぜひとも今の日本は再考をして議論をしなければいけない歴史だと考えています。
というのも、日本という国家はいざという時に本気で国民を守るのか、この点について白黒をはっきりさせるわけじゃありませんが、緊急時の対応として何が政府に求められ何をどう実行するのかをはっきりさせておく必要があると思います。
詳細がはっきりしていないということでこの時の事件については私もあまり強く言う気はありませんが、やはり歴史的に見ても日本の政府、ひいては外務省は国民を守る意識が低いとしか私は思えません。古くは太平洋戦争中の沖縄戦にて、現地の沖縄の人を戦闘でまるで盾のように使ったり、米軍に解放された人をスパイだと疑って殺害するなど、本来国民を守るべき軍隊が国民を逆に害す行為があったり、どうも守るべき矛先が国民というより実態のはっきりしない国とか国体の方に向いてばかりいた気がします。
またそれほど昔じゃなくて先の2004年のイラク人質事件でも、毎日新聞が当時に流行した自己責任論について反論する形で書いた社説にて、
「国民が平時において税金を国家に納めているのは、いざという時に国家に国民を守らせるためである。確かに渡航の危険性が伝えられている中でイラクに入った三人の人質経験者は軽率だったかもしれないが、命の危機に瀕した際に政府が彼ら国民を守るのは当然の行為で、それについて自己責任とか帰国に使用した航空機の費用を彼らに負担させるべきだなどという議論は全くもって必要ない」
さすがに五年も前なのでちょっと曖昧ではありますが、大まかにこんな内容の社説が毎日新聞に載ってあるのを書いているのをみてなるほどと私は思いました。またそれと同時に、本当に日本政府は国民を守る気があるのか、北朝鮮の拉致事件でもそうでしたが外務省はどっちを向いているのか、改めて当時にいろいろ考えました。
今回取り上げた湾岸戦争勃発直前のこの人質事件でも、私が知りえた情報の範囲内では外務省は本気で国民を守ろうとしたのか、何度もいいますが詳細が曖昧ではあるもののやはり疑問を感じずにはいられません。
そこでこの事件の詳細を得ようと、ちょっと細い伝手を頼ってこの時にイラクで人質に遭われた方へ手紙で直接インタビューを申し込んだのですが、本日その方からインタビューを辞退する返信を受けたので冒頭に書いたようにブルーな気分となった次第であります。まぁこんな事件に巻き込まれて、その際の顛末を赤の他人の私に話そうとするなんて普通じゃ考えられないことですし、恐らくあまり思い出されたくない過去であることも考えれば無理もないことです。
そういうわけで、もしこの事件について何かしら当時のニュースを見て覚えていることがある方や、情報を持っている方がおられれば是非コメント欄に一筆お願いいたします。
さて皆さん、いきなりですが「イラク、人質」と聞いて何を連想するでしょうか。恐らく九割以上の方が2004年に起きた三人の日本人がテロリストにより拘束された人質事件を連想するでしょうが、実はこの二つのキーワード上にはもう一つの、私が思うに日本人は絶対に忘れるべきでなく、また現代において再考する必要が大いにある大きな事件があるのです。その事件というのも1990年、イラクのフセイン政権下で起きた国家的人質事件です。
まずおさらいですが、私がこのブログを始めた初期に書いた「今更ながらフセインさん」の記事でもすこし触れていますが、1990年にフセイン政権下のイラクは隣国のクウェートに侵攻したことにより、翌年にはアメリカを中心とした国連軍による攻撃を受ける形で湾岸戦争が勃発しました。このクウェート侵攻を何故フセインが強行したかについて補足しておくと、なんでも在イラクのアメリカ大使に前もってフセインはクウェートに侵攻する意図を伝えたところそれに対してアメリカは何の干渉もしないような答えをして、それを真に受けたフセインがいざ侵攻を実行をしたらアメリカは大使の返答とは裏腹に猛烈な抗議を行うとともに武力攻撃も辞さないという強硬な態度を取りました。
このアメリカの態度の急変に、フセインは大きく慌てたそうです。というのもそれまでのイラン・イラク戦争などでアメリカは一貫してイラクを応援し続けており、当時は中東でも随一の親米国家であったほど両国の関係は良好だったからです。もちろんそんな具合だったのでアメリカが強硬な態度を取るとは全く予想しておらず、国内の防衛計画も何もなかった上に国際世界で急に孤立するなど、この時期にフセインは一挙に窮地に追い込まれました。
そこでフセインが窮余の策として取ったのは、今でこそいい響きのする言葉のように扱われていますが「人間の盾」こと、当時クウェートとイラクに在留していた外国人の国外脱出を禁止することによって人質を取るという卑劣な手段でした。
この人質には在イラクのアメリカ人はもとより、アメリカ寄りの日本やイギリスといった国の人間が特にターゲットにされ、合計すると約400人強もの日本人がこの年の8月からイラク政府によって人質にされてその後イラク政府が人質の全員解放を行う12月までの四ヶ月間も不安な状態に留め置かれていました。
あんまり詳しく調査していない私が言うのもなんですが、この時期の各部署の対応の詳細はあまり明らかにされていないような気がします。明らかになっていない理由として、この事件自体がちょうどエアポケットみたいな大きな歴史と歴史の間にあることと、中途半端に新しい歴史ということもあってまだあまり検証が為されていないというのが原因だと思いますが、この事件について私が知りえる情報といったら当時のニュースを見ていたうちの両親やわずかな伝聞ぐらいしかありません。そのせいか、ここ一ヶ月であちこちに「この事件を知ってる?」と尋ねまわったものの、私と同世代のほとんどの方は全く知っていませんでした。
そんなわずかな情報の中から当時の動きを私なりに組み立てていくと、まず目に付くのが日本外務省の不作為です。
その辺の詳しい内容は当時の外交白書に大まかに書かれていますが、まずイラクのクウェート侵攻を受けて在クウェート日本大使館はクウェート内の日本人を大使館に保護しましたが、その後何を思ったのか保護した日本人を在イラク大使館へと移動させています。この辺の意図や実行に至る過程が未だに曖昧でよくわからないのですが、結果的にはこれが致命的になり、その後にフセインによってイラク国内の外国人の渡航が禁止されたことによってイラクにいた日本人と合わせて人質状態に置かれる事になりました。
そしてその後も先ほどの外交白書で外務省は必死に交渉したと自己弁護しているのですが、当時のニュースを見ていたうちのお袋によると、その後に開放されて帰国した方が成田空港にて、「外務省は何もしなかった!」と凄い剣幕で怒っていたのを覚えているあたり、先ほどの外務省の言い分はどうも怪しいのではないかと思います。
もうひとつ外務省の言い分を私が怪しむ理由として、当時のアントニオ猪木氏の行動があります。
今の若い世代なんか想像しづらいでしょうが、当時アントニオ猪木氏は参議院議員をしており、折も折でこの中東方面の委員会にも出ていたそうです。その猪木氏がこの時の人質事件発生の際、かねてよりイラクでプロレス興行を行っていた関係もあり直接イラクに出向いて人質解放の交渉を行おうと外務省にかけあったのですが、外務省は危険だとか交渉が面倒になるなどの理由をつけては猪木氏の申し出を拒否し、果てには個人として交渉に行こうとする猪木氏に対して日本の各航空会社に働きかけるなど様々な方法で渡航を妨害していたそうです。
最終的に猪木氏はトルコ航空(イラン・イラク戦争の折も日本人はお世話になっている)のチャーター便を猪木氏が自腹で費用を出すことで渡航が決まり、また人質となっていた方らの家族も外務省からいろいろ言われたそうですが、イラクにいる家族と会うために猪木氏に賭けてこのチャーター便に同乗してバグダッドを訪問しました。
表向きこの訪問はスポーツ交流の一環ということで行われ、猪木氏が連れてきたレスラーの試合や日本の伝統文化などがイベントとして数日間演じられ、その間に猪木氏とともに訪れた家族らは再開を果たし、猪木氏はイラク政府と人質解放の交渉を行ったそうです。
しかし交渉ははかどらず、帰国日になっても人質解放は達成されずあきらめかけて帰国の飛行機が飛ぼうとする直前、突然イラク政府から猪木氏に会談の申し込みがあり、その後イラク政府より日本人の人質解放が発表され、その二日後にはすべての外国人人質が解放されることが発表される運びとなりました。
このくだりについてはいろいろと疑問の声も挙げられており、猪木氏の売名行為に近いただのパフォーマンスだったり人質解放はすでに決まっていたなどという意見もあってこの時の猪木氏の功績については未だ評価がはっきりしていませんが、少なくとも自腹でチャーター便を取って家族らを再会させたという事実については私は高く評価してもいいと考えています。
その後は教科書に載っている歴史どおりに、アメリカ軍の攻撃によって湾岸戦争が勃発し、その後もフセインは行き続け、つい最近のイラク戦争へと物事は運んでいくのですが、私はこの時の人質事件はぜひとも今の日本は再考をして議論をしなければいけない歴史だと考えています。
というのも、日本という国家はいざという時に本気で国民を守るのか、この点について白黒をはっきりさせるわけじゃありませんが、緊急時の対応として何が政府に求められ何をどう実行するのかをはっきりさせておく必要があると思います。
詳細がはっきりしていないということでこの時の事件については私もあまり強く言う気はありませんが、やはり歴史的に見ても日本の政府、ひいては外務省は国民を守る意識が低いとしか私は思えません。古くは太平洋戦争中の沖縄戦にて、現地の沖縄の人を戦闘でまるで盾のように使ったり、米軍に解放された人をスパイだと疑って殺害するなど、本来国民を守るべき軍隊が国民を逆に害す行為があったり、どうも守るべき矛先が国民というより実態のはっきりしない国とか国体の方に向いてばかりいた気がします。
またそれほど昔じゃなくて先の2004年のイラク人質事件でも、毎日新聞が当時に流行した自己責任論について反論する形で書いた社説にて、
「国民が平時において税金を国家に納めているのは、いざという時に国家に国民を守らせるためである。確かに渡航の危険性が伝えられている中でイラクに入った三人の人質経験者は軽率だったかもしれないが、命の危機に瀕した際に政府が彼ら国民を守るのは当然の行為で、それについて自己責任とか帰国に使用した航空機の費用を彼らに負担させるべきだなどという議論は全くもって必要ない」
さすがに五年も前なのでちょっと曖昧ではありますが、大まかにこんな内容の社説が毎日新聞に載ってあるのを書いているのをみてなるほどと私は思いました。またそれと同時に、本当に日本政府は国民を守る気があるのか、北朝鮮の拉致事件でもそうでしたが外務省はどっちを向いているのか、改めて当時にいろいろ考えました。
今回取り上げた湾岸戦争勃発直前のこの人質事件でも、私が知りえた情報の範囲内では外務省は本気で国民を守ろうとしたのか、何度もいいますが詳細が曖昧ではあるもののやはり疑問を感じずにはいられません。
そこでこの事件の詳細を得ようと、ちょっと細い伝手を頼ってこの時にイラクで人質に遭われた方へ手紙で直接インタビューを申し込んだのですが、本日その方からインタビューを辞退する返信を受けたので冒頭に書いたようにブルーな気分となった次第であります。まぁこんな事件に巻き込まれて、その際の顛末を赤の他人の私に話そうとするなんて普通じゃ考えられないことですし、恐らくあまり思い出されたくない過去であることも考えれば無理もないことです。
そういうわけで、もしこの事件について何かしら当時のニュースを見て覚えていることがある方や、情報を持っている方がおられれば是非コメント欄に一筆お願いいたします。
2009年2月9日月曜日
漢字能力検定の立ち入り捜査について
・文部科学省が漢字検定協会を立ち入り検査(YAHOOニュース)
今猛烈に頭痛がするので、短く風刺記事をまとめようと思います。
リンクに貼った通りに漢字検定協会が本来利益を追求してはならない公益法人であるにもかかわらず、大量の利益を上げている上に使途不明な支出が多いことから本日立ち入りが行われました。確かにここ数年は検定ブームで私の周りでも受けている人が多かったのですが、ここまで利益を上げているとは私も知らず、それほど受験料が高くないので全く盲点でした。
漢字能力検定は今回の立ち入りが行われる前、ガス抜きとばかりに小中学生には受験料を免除するということを発表していましたが、漢字に親しむことは悪くないので是非そのような制度に変えるのが私も良いと思います。
それにしても、最近の受験者増の背景には麻生首相がしょっちゅう漢字を間違えるのが一因のような気がしてなりません。下手すりゃ後世の評価として、「漢字教育の必要性を世に認知させた」とか書かれるんじゃないかな。
今猛烈に頭痛がするので、短く風刺記事をまとめようと思います。
リンクに貼った通りに漢字検定協会が本来利益を追求してはならない公益法人であるにもかかわらず、大量の利益を上げている上に使途不明な支出が多いことから本日立ち入りが行われました。確かにここ数年は検定ブームで私の周りでも受けている人が多かったのですが、ここまで利益を上げているとは私も知らず、それほど受験料が高くないので全く盲点でした。
漢字能力検定は今回の立ち入りが行われる前、ガス抜きとばかりに小中学生には受験料を免除するということを発表していましたが、漢字に親しむことは悪くないので是非そのような制度に変えるのが私も良いと思います。
それにしても、最近の受験者増の背景には麻生首相がしょっちゅう漢字を間違えるのが一因のような気がしてなりません。下手すりゃ後世の評価として、「漢字教育の必要性を世に認知させた」とか書かれるんじゃないかな。
2009年2月8日日曜日
週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について
本当はもう少し待ってからこの件について記事を書こうと思っていましたが、なんだかネタバレの様相が出てきたのでもう私の感想を書くことにします。
さて皆さん、俗に言う赤報隊事件というものをご存知でしょうか。この事件の詳細はリンクに貼ったウィキペディアの記事を読んでもらえばわかりますが、かいつまんで言うと朝日新聞阪神支局での銃撃によって記者二人が殺害された襲撃事件を始めとして、その前後で朝日新聞社が脅迫された一連の事件のことを指しており、犯行声明で犯人が自称した「赤報隊」という名前からこのような名前で呼ばれております。
この事件は戦後に日本のマスメディアを対象にしたテロ事件としては二人も殺害されるなど、その残虐な手段と行為、果てには結局犯人が捕まらずに時効を迎えたことからこれまでにも度々「戦後のタブー事件史」等といっては取りざたされてきた事件ですが、週刊新潮の二月五日号にてこの事件の犯人だと実名で名乗り出た人物が独白手記を寄せた記事が載せられると聞き、俄かにまた脚光を浴びるようになりました。
私としてもこの事件の不気味さと犯人側の目的がなんだったのかがかねてより気になっており、なんだか載せられているような気分もしたものの、発売日に週刊新潮を買った次第であります。
それで結論から言いますが、二月五日号の発売から結構日にちが経ちましたがどうも週刊新潮の言ってる内容が怪しくなってきており、私としてもこの新潮の記事が悪意のあるものかどうかまではわかりませんが、少なくとも実名で犯人だと名乗り出ている元暴力団員の言っている内容は虚偽のものではないかと思います。
まずざらっと週刊新潮が記事に寄せている内容を紹介すると、元暴力団員の島村征憲氏が赤報隊事件、もとい朝日新聞社阪神支局襲撃事件の犯人だと名乗り出たことから始まります。何故事件から何十年も経って犯人だと自ら名乗り出た理由として、阪神支局襲撃事件の共犯である弟分が自殺したことを受け、この事件の真実を生きているうちに明かさねばならないと考えたと話しています。
それで二月五日号では実行犯である島村氏に指示犯のある人物が襲撃を依頼し、それを受けて朝日新聞本社襲撃事件と阪神支局襲撃事件の準備から実行に至るまでの経過が書かれているのですが、私がびっくりしたのはなんとこの号ではここまでしか書いていなかったのです。一番肝心要の犯行指示犯が誰なのか、一体どんな目的だったのかが一切明らかにされず、これだけの重要な事件の手記であるにもかかわらず連載記事にして内容を次号に持ち込むなんて、普通の常識じゃ考えられないのではないかと思いました。
そんな具合で一発目早々からきな臭いと思いつつも、先週木曜日に発売した二月十二日号も発売日に買って続きの記事を読んでみると、犯行実行時の細かな詳細は確かに書かれているのですが、あらかじめというかなんというか、記事中に島村氏が「もう昔のことだから細部は違うかもしれないが」と断っています。別にこれ自体については私もとやかく言わないのでとっとと犯行目的を言えよと思いながら読み進めていくと、事件発生後に犯行声明を書いたのは当時の大物右翼の野村秋介氏で、これまでの憶測どおりに右翼による左派メディアの代表格である朝日新聞への思想犯説かと思いきや最後にどんでん返しが待っており、犯行指示犯について説明するその部分をそのまま抜粋すると、
「汚くて、狡猾で、不気味な男なんです。在日アメリカ大使館の職員、佐山という男は」
これを見て、さすがに私も( ゚д゚)ポカーンとなりました。何でアメリカが朝日新聞を襲わねばならないのか、なんていうか三文小説のプロットに突然なったような感覚を受けました。第一、何でアメリカ大使館職員なのに「佐山」って名前なんだ、仮名でも「ジョーンズ」にしときゃいいのに。
週刊新潮の二月十二日号はまたも引き伸ばしをはかってここで記事を終えているのですが、このわけのわからない記事に対して週刊文春が食いかかってきています。週刊文春の二月十二日号ではこの週刊新潮の一連の事件手記記事に対して、「朝日が相手にしなかった「週刊新潮」実名告白者」という見出しの対決姿勢満々の記事にて、まず週刊新潮の記事に対して事件当事者である朝日新聞社側の取った反応を紹介しています。
二月五日の週刊新潮の記事で島村氏は別の事件で服役中、朝日新聞社に自ら実行犯だと名乗り出る手紙を出し、それを受けて朝日新聞から記者がやってきたが記者らの倣岸な態度を見て事件の詳細を話すのをやめたと書いているのですが、朝日新聞側はこの島村氏の証言に対して確かに服役中の島村氏と接見した事実を認めたものの、その際に聞いた島村氏の証言と犯行時の現場などの特徴が一致しなかった点や、島村氏の犯行動機などに曖昧で矛盾する点が数多いことから取り上げなかったと発表しています。
この朝日の対応については私自身も、週刊新潮の発売直後にasahi.comにて記事の内容と真実は異なると発表しているのを確認しています。
そうして朝日新聞側の反応を紹介した後、週刊文春では非常にネタバレな内容が書かれており、なんでも島村氏が語る犯行指示犯はやっぱり「米国大使館の駐在武官のJという人物だ」と書いており、なんで朝日新聞を襲わせたのかという動機について、
「阪神支局殺害事件で殺された小尻記者が関西のあるグループから北朝鮮が偽ドル札印刷に使用する銅製の原版を預かり、それを返さなかったことがアメリカを怒らせたからだ」
という、自分で書いてても胡散臭い、なんかの三文小説みたいな動機が先ほどの朝日新聞社との接見で島村氏が語った内容だと紹介しています。もうのっけから、なんで原版を朝日新聞の記者が手に入れるんだよと突っ込みどころが満載です。
こういった荒唐無稽な内容から朝日新聞社は取り合わなかったといいますが、私としてもこんな動機を言うくらいだったら始めから「右翼の思想犯による犯行」と言った方がまだ信憑性があったような気がします。再度結論を言いますと、現段階で実行犯と名乗り出ている島村氏の一連の証言は狂言である可能性が高く、新潮の一連の記事もなんども核心部を先送りにしていることといい、適当なでっち上げ記事のように思えてなりません。そんなわけで、来週の週刊新潮は立ち読みで済ませることにします。
さて皆さん、俗に言う赤報隊事件というものをご存知でしょうか。この事件の詳細はリンクに貼ったウィキペディアの記事を読んでもらえばわかりますが、かいつまんで言うと朝日新聞阪神支局での銃撃によって記者二人が殺害された襲撃事件を始めとして、その前後で朝日新聞社が脅迫された一連の事件のことを指しており、犯行声明で犯人が自称した「赤報隊」という名前からこのような名前で呼ばれております。
この事件は戦後に日本のマスメディアを対象にしたテロ事件としては二人も殺害されるなど、その残虐な手段と行為、果てには結局犯人が捕まらずに時効を迎えたことからこれまでにも度々「戦後のタブー事件史」等といっては取りざたされてきた事件ですが、週刊新潮の二月五日号にてこの事件の犯人だと実名で名乗り出た人物が独白手記を寄せた記事が載せられると聞き、俄かにまた脚光を浴びるようになりました。
私としてもこの事件の不気味さと犯人側の目的がなんだったのかがかねてより気になっており、なんだか載せられているような気分もしたものの、発売日に週刊新潮を買った次第であります。
それで結論から言いますが、二月五日号の発売から結構日にちが経ちましたがどうも週刊新潮の言ってる内容が怪しくなってきており、私としてもこの新潮の記事が悪意のあるものかどうかまではわかりませんが、少なくとも実名で犯人だと名乗り出ている元暴力団員の言っている内容は虚偽のものではないかと思います。
まずざらっと週刊新潮が記事に寄せている内容を紹介すると、元暴力団員の島村征憲氏が赤報隊事件、もとい朝日新聞社阪神支局襲撃事件の犯人だと名乗り出たことから始まります。何故事件から何十年も経って犯人だと自ら名乗り出た理由として、阪神支局襲撃事件の共犯である弟分が自殺したことを受け、この事件の真実を生きているうちに明かさねばならないと考えたと話しています。
それで二月五日号では実行犯である島村氏に指示犯のある人物が襲撃を依頼し、それを受けて朝日新聞本社襲撃事件と阪神支局襲撃事件の準備から実行に至るまでの経過が書かれているのですが、私がびっくりしたのはなんとこの号ではここまでしか書いていなかったのです。一番肝心要の犯行指示犯が誰なのか、一体どんな目的だったのかが一切明らかにされず、これだけの重要な事件の手記であるにもかかわらず連載記事にして内容を次号に持ち込むなんて、普通の常識じゃ考えられないのではないかと思いました。
そんな具合で一発目早々からきな臭いと思いつつも、先週木曜日に発売した二月十二日号も発売日に買って続きの記事を読んでみると、犯行実行時の細かな詳細は確かに書かれているのですが、あらかじめというかなんというか、記事中に島村氏が「もう昔のことだから細部は違うかもしれないが」と断っています。別にこれ自体については私もとやかく言わないのでとっとと犯行目的を言えよと思いながら読み進めていくと、事件発生後に犯行声明を書いたのは当時の大物右翼の野村秋介氏で、これまでの憶測どおりに右翼による左派メディアの代表格である朝日新聞への思想犯説かと思いきや最後にどんでん返しが待っており、犯行指示犯について説明するその部分をそのまま抜粋すると、
「汚くて、狡猾で、不気味な男なんです。在日アメリカ大使館の職員、佐山という男は」
これを見て、さすがに私も( ゚д゚)ポカーンとなりました。何でアメリカが朝日新聞を襲わねばならないのか、なんていうか三文小説のプロットに突然なったような感覚を受けました。第一、何でアメリカ大使館職員なのに「佐山」って名前なんだ、仮名でも「ジョーンズ」にしときゃいいのに。
週刊新潮の二月十二日号はまたも引き伸ばしをはかってここで記事を終えているのですが、このわけのわからない記事に対して週刊文春が食いかかってきています。週刊文春の二月十二日号ではこの週刊新潮の一連の事件手記記事に対して、「朝日が相手にしなかった「週刊新潮」実名告白者」という見出しの対決姿勢満々の記事にて、まず週刊新潮の記事に対して事件当事者である朝日新聞社側の取った反応を紹介しています。
二月五日の週刊新潮の記事で島村氏は別の事件で服役中、朝日新聞社に自ら実行犯だと名乗り出る手紙を出し、それを受けて朝日新聞から記者がやってきたが記者らの倣岸な態度を見て事件の詳細を話すのをやめたと書いているのですが、朝日新聞側はこの島村氏の証言に対して確かに服役中の島村氏と接見した事実を認めたものの、その際に聞いた島村氏の証言と犯行時の現場などの特徴が一致しなかった点や、島村氏の犯行動機などに曖昧で矛盾する点が数多いことから取り上げなかったと発表しています。
この朝日の対応については私自身も、週刊新潮の発売直後にasahi.comにて記事の内容と真実は異なると発表しているのを確認しています。
そうして朝日新聞側の反応を紹介した後、週刊文春では非常にネタバレな内容が書かれており、なんでも島村氏が語る犯行指示犯はやっぱり「米国大使館の駐在武官のJという人物だ」と書いており、なんで朝日新聞を襲わせたのかという動機について、
「阪神支局殺害事件で殺された小尻記者が関西のあるグループから北朝鮮が偽ドル札印刷に使用する銅製の原版を預かり、それを返さなかったことがアメリカを怒らせたからだ」
という、自分で書いてても胡散臭い、なんかの三文小説みたいな動機が先ほどの朝日新聞社との接見で島村氏が語った内容だと紹介しています。もうのっけから、なんで原版を朝日新聞の記者が手に入れるんだよと突っ込みどころが満載です。
こういった荒唐無稽な内容から朝日新聞社は取り合わなかったといいますが、私としてもこんな動機を言うくらいだったら始めから「右翼の思想犯による犯行」と言った方がまだ信憑性があったような気がします。再度結論を言いますと、現段階で実行犯と名乗り出ている島村氏の一連の証言は狂言である可能性が高く、新潮の一連の記事もなんども核心部を先送りにしていることといい、適当なでっち上げ記事のように思えてなりません。そんなわけで、来週の週刊新潮は立ち読みで済ませることにします。
2009年2月7日土曜日
今、どんな経済学が求められているのか
今朝の朝日新聞朝刊の文化欄に、「古典の思想家 再注目」という記事があり、いろいろと私も思うところがあるのでちょっと感想をここで述べます。
まずこの記事で何が述べられているかですが、記事冒頭のリード文をそのまま抜き出すと、
「スミス、ケインズにハイエク、シュンペーター、ガルブレイス、近現代の経済学、経済思想の泰斗がこのところ引っ張りだこの様相を見せている。100年に一度ともいわれる世界的な経済危機、打開のヒントを、遠ざけられがちだった古典に求める機運が高まっている」
この文に私も異論はありません。やっぱり去年から今年にかけてかつてのマルクス(サッカー選手じゃないよ)よろしく、近年の経済学ではほとんど研究対象とされなくなったケインズがまたちらほら出てくるようになり、彼の復権が急速に行われているような気がします。
現在、日本のどこの大学でも経済学の授業で教えられる内容のはそのほとんどはミルトン・フリードマンの提唱した新自由主義であることに間違いありません。この新自由主義が何故これほどまで力を持つようになったかを簡単に説明すると、戦後にジョン・ケインズ(198センチの大男。)の提唱したケインズ経済が支配的だった70年代ごろ、日本やドイツといった敗戦国の経済がアメリカがイギリスといった戦勝国に追いつくようになり、もはやケインズのやり方では通用しないという具合で、歴史的にはイギリスのマーガレット・サッチャーが政策の中心に導入したことを初めに、徐々に世界で新自由主義が支配的になっていきました。
特にアメリカではレーガン政権がフリードマンを政策顧問に置くほど傾倒し、事実アメリカもドル体制の下でこの経済政策で一時的に成功を収めたのですが、今回の金融危機によってそれが破綻し、やっぱりこんなやりかたじゃ駄目だったんだと現在は逆に総スカンが巻き起こっています。
これなんか私もこの前までやっていた「失われた十年」の連載をしていて感じていたのですが、やっぱり何かに躓くことにより、社会というのはそれまで信奉していた概念とか理論に対して急激な反動を起こすところがあると思います。そもそも70年代に新自由主義が力を持った背景というのも、ケインズ経済学が通用しなくなってきたことに対してケインズ経済学と真逆である、生前のケインズと学説上で激しく対立していたハイエクの陣営の経済学であったことが原因だと思えてなりません。
ここまで言えば察しがつくかもしれませんが、ケインズがなんでまた現代に復権しているのかというと、その最大の原因は新自由主義と真逆の学説だからではないかと私はにらんでおり、もし本当にそうであるのならば安易な転換は行われるべきではないかと思います。
一気に結論を言いますが、新自由主義が今回の世界的不況で否定されたからといって、そのすべてを否定して真逆の学説を採ったところで、感情への気休めにはなっても何の問題の解決にもならないと思います。
確かに今だからこそケインズ経済学の中から見直すべき説、採用すべき説というものもいろいろ見えてくるのは確かです。しかしケインズ経済学は必ずしも万能の経済学というわけでもなく、少なくとも公共投資による有効需要の創出には限界があるということは現代ではほぼ証明されており、フリードマンが駄目だったから何でもかんでもケインズへというのはあまりにも安直で、また自滅へと向かう道にもなりかねません。
じゃあ一体どんな経済学を信じればいいかですが、やはり理想はこれまでの学説を個人個人が再び再読することに尽きると思います。それこそマルクスの資本論からケインズとハイエクの学説、今回批判されているフリードマンに彼と最も対立していた宇沢弘文先生の意見など、世の中のありとあらゆる経済学を勉強しなおして何が有効なのか、かつてない今の時代だからこそかつてない新たな知恵を出すことに尽きます。
一番危険なのは、何度も言いますがフリードマンが駄目だったからまた元のケインズへと、思考を停止して二項対立的に選択をすることです。
これは昔に聞いた話ですが、戦後の日本の官僚が優秀だったことについて、戦後教育では社会主義経済学と資本主義経済学が同時に東大などで教えられていたことから、双方の長所と短所を理解して相互に有効に組み立てられたからだという意見がありましたが、これなんかなかなか参考になる意見だと思えます。一つの学説にとらわれず、いろんな学説を見比べて何を政策に移すか、そうした総合的な知恵こそが今の時代に必要なんだと思います。
追伸
私の基本の行動パターンはアンチセントラリズムこと、反中央主義的にいろいろものを考えて行動します。需要のないところだからこそ自分が補填するとばかりに、経済学の学説とかでもブームの過ぎ去ったものとかを割合に勉強することが非常に多く、また今では誰も話題にすることがなくなった古い議論や学説なども、自分が伝承者になるのだと妙にいきがってこのところよく調べています。
今回話題にした、というより朝日新聞の記事でコメントしている京大教授の間宮陽介氏の「ケインズとハイエク」という本を手に取ったのもそういった思惑からで、そもそもフリードマンの前身者たるハイエクというのは一体どういう人なんだろうとK先生に相談したことから紹介を受けました。
そうは言うもののあんまり現代で話題にならないもの(それを言えば経済学自体が私の専攻ではない)を調べるもんだから、先ほどの「ケインズとハイエク」を読むのには非常に苦労しました。文章は日本語ですがハイエクの思想論のところなんて何度読んでも頭に入ってこず、二年前に一度読むのをあきらめて、先月からもう一度読み始めてようやく今日になってようやく読破できました。読み終えた感想として、苦労した分いろいろな新たな概念を得ることが出来ました。それとともに今回題材とした記事に間宮陽介氏や神野直彦氏など、まだ著作を読んだことのある学者がコメントしているのを見て、なんだかんだいってやってることが身についてきたなと思った日でした。
まずこの記事で何が述べられているかですが、記事冒頭のリード文をそのまま抜き出すと、
「スミス、ケインズにハイエク、シュンペーター、ガルブレイス、近現代の経済学、経済思想の泰斗がこのところ引っ張りだこの様相を見せている。100年に一度ともいわれる世界的な経済危機、打開のヒントを、遠ざけられがちだった古典に求める機運が高まっている」
この文に私も異論はありません。やっぱり去年から今年にかけてかつてのマルクス(サッカー選手じゃないよ)よろしく、近年の経済学ではほとんど研究対象とされなくなったケインズがまたちらほら出てくるようになり、彼の復権が急速に行われているような気がします。
現在、日本のどこの大学でも経済学の授業で教えられる内容のはそのほとんどはミルトン・フリードマンの提唱した新自由主義であることに間違いありません。この新自由主義が何故これほどまで力を持つようになったかを簡単に説明すると、戦後にジョン・ケインズ(198センチの大男。)の提唱したケインズ経済が支配的だった70年代ごろ、日本やドイツといった敗戦国の経済がアメリカがイギリスといった戦勝国に追いつくようになり、もはやケインズのやり方では通用しないという具合で、歴史的にはイギリスのマーガレット・サッチャーが政策の中心に導入したことを初めに、徐々に世界で新自由主義が支配的になっていきました。
特にアメリカではレーガン政権がフリードマンを政策顧問に置くほど傾倒し、事実アメリカもドル体制の下でこの経済政策で一時的に成功を収めたのですが、今回の金融危機によってそれが破綻し、やっぱりこんなやりかたじゃ駄目だったんだと現在は逆に総スカンが巻き起こっています。
これなんか私もこの前までやっていた「失われた十年」の連載をしていて感じていたのですが、やっぱり何かに躓くことにより、社会というのはそれまで信奉していた概念とか理論に対して急激な反動を起こすところがあると思います。そもそも70年代に新自由主義が力を持った背景というのも、ケインズ経済学が通用しなくなってきたことに対してケインズ経済学と真逆である、生前のケインズと学説上で激しく対立していたハイエクの陣営の経済学であったことが原因だと思えてなりません。
ここまで言えば察しがつくかもしれませんが、ケインズがなんでまた現代に復権しているのかというと、その最大の原因は新自由主義と真逆の学説だからではないかと私はにらんでおり、もし本当にそうであるのならば安易な転換は行われるべきではないかと思います。
一気に結論を言いますが、新自由主義が今回の世界的不況で否定されたからといって、そのすべてを否定して真逆の学説を採ったところで、感情への気休めにはなっても何の問題の解決にもならないと思います。
確かに今だからこそケインズ経済学の中から見直すべき説、採用すべき説というものもいろいろ見えてくるのは確かです。しかしケインズ経済学は必ずしも万能の経済学というわけでもなく、少なくとも公共投資による有効需要の創出には限界があるということは現代ではほぼ証明されており、フリードマンが駄目だったから何でもかんでもケインズへというのはあまりにも安直で、また自滅へと向かう道にもなりかねません。
じゃあ一体どんな経済学を信じればいいかですが、やはり理想はこれまでの学説を個人個人が再び再読することに尽きると思います。それこそマルクスの資本論からケインズとハイエクの学説、今回批判されているフリードマンに彼と最も対立していた宇沢弘文先生の意見など、世の中のありとあらゆる経済学を勉強しなおして何が有効なのか、かつてない今の時代だからこそかつてない新たな知恵を出すことに尽きます。
一番危険なのは、何度も言いますがフリードマンが駄目だったからまた元のケインズへと、思考を停止して二項対立的に選択をすることです。
これは昔に聞いた話ですが、戦後の日本の官僚が優秀だったことについて、戦後教育では社会主義経済学と資本主義経済学が同時に東大などで教えられていたことから、双方の長所と短所を理解して相互に有効に組み立てられたからだという意見がありましたが、これなんかなかなか参考になる意見だと思えます。一つの学説にとらわれず、いろんな学説を見比べて何を政策に移すか、そうした総合的な知恵こそが今の時代に必要なんだと思います。
追伸
私の基本の行動パターンはアンチセントラリズムこと、反中央主義的にいろいろものを考えて行動します。需要のないところだからこそ自分が補填するとばかりに、経済学の学説とかでもブームの過ぎ去ったものとかを割合に勉強することが非常に多く、また今では誰も話題にすることがなくなった古い議論や学説なども、自分が伝承者になるのだと妙にいきがってこのところよく調べています。
今回話題にした、というより朝日新聞の記事でコメントしている京大教授の間宮陽介氏の「ケインズとハイエク」という本を手に取ったのもそういった思惑からで、そもそもフリードマンの前身者たるハイエクというのは一体どういう人なんだろうとK先生に相談したことから紹介を受けました。
そうは言うもののあんまり現代で話題にならないもの(それを言えば経済学自体が私の専攻ではない)を調べるもんだから、先ほどの「ケインズとハイエク」を読むのには非常に苦労しました。文章は日本語ですがハイエクの思想論のところなんて何度読んでも頭に入ってこず、二年前に一度読むのをあきらめて、先月からもう一度読み始めてようやく今日になってようやく読破できました。読み終えた感想として、苦労した分いろいろな新たな概念を得ることが出来ました。それとともに今回題材とした記事に間宮陽介氏や神野直彦氏など、まだ著作を読んだことのある学者がコメントしているのを見て、なんだかんだいってやってることが身についてきたなと思った日でした。
私とK先生
最近小説を書いていないので、ちょっと小説じみた私の個人的な体験談を今日はして見ようかと思います。内容は私とK先生との馴れ初めの話です。
K先生はこのブログでも何度も出ていますが、直接的に「弟子にしてください」と頼んだことはないものの、実質私が組み立てる経済学の基本を指導、教育を行ってくれたのはK先生であるので勝手ながらお呼びしています。
私とK先生が出会ったのは学校の授業にて、単位獲得のためにそれほど意識して選んだ授業ではなかったものの、二時間連続で合計四単位の授業なので取ってて損はないだろうと受けたのがきっかけでした。授業内容について言えば、ここで私がこういうもの変ですが非常に特殊な授業形式であったと今でも折に触れて思い出します。
K先生の毎回の授業の流れというのは、まず指定した教科書の内容をそれ以前に指定された担当者が解説をし、その解説を受けて他の授業参加者がその内容に対してどのように思ったかを感想を述べ合います。ここが特殊なところなのですが、この感想を述べ合うところは自発的に手を挙げる人間が発言するのではなく、それこそローラー順と言うか、端っこから順々に強制的に学生に何かを言わせる方法でした。
この方法だと適当に授業を受けて単位を取ろうと思っている学生でも、何かしら場に合わせて発言しなければならなくなります。授業参加人数が少なかったからこういう形式が出来るというのもありますが、それこそゼミでやるようなことを一授業で、しかも毎時間にやるというのが一風変わっていました。
基本、学校の授業というのはやる気のある人に対してない人の方が圧倒的に多いものだと私は考えています。なもんだからこの授業でもそうして強制的に発言させられる人たちの中でも、やっぱり議論をリードする人とそうでない人とで別れていくのですが、面白いことに授業開始当初はそれこそ「まぁいい考えだと思います」といったような適当な発言ばかりしていたやる気のない学生でも、段々と回を重ねるごとにこちらが思わないような意見を言い出したり、積極的に議論に参加するようになって行きました。K先生に言わせると、やっぱり無理やり発言させることによって芽を出す学生というのは結構多いらしく、別にうちの学校だけでこんな授業形式をやっているわけではないらしいですが、どこでもつついてみると非常に授業が面白くなっていくそうです。
まぁこんな感じでいろいろと意見を言い合い、一通り全員の意見が揃うと今度は論点を絞って、それに対してまたどう思っているか、今度は逆ローラー順にまた強制的に発言させていきます。この段階になると論点が絞られているのもあり、「あなたの意見はそうだけれでも」という具合に反論が出たり、また新たな意見が出るようになります。
別に私は意識をしてはいなかったのですが、周りからは私ともう一人の女子学生がいつも授業をリードしていると思われており、確かに思い返すとその女子学生の方と毎回激しい応酬になっては、「女の人でも、こんなに意見の鋭い人がいるのか」と、向こうも私のことをそんな感じに思ってくれていたらしく、互いに尊敬しあいながらいつも授業を盛り上げていました。ちなみにその人に言われた一番びっくりした意見に、「前から思っていましたが、あなたは右翼ですか?」、というのもありました。友人なんか横で爆笑してたし。
そんな感じで私も回を追うごとにこの授業にハマっていき、授業後には個人的にK先生にあれこれ質問をするようになっていきました。当時私たちが授業で使用していたのは「人間回復の経済学」(神野直彦著)でしたが、この本の中では高付加価値を追求する社会モデルとしてIT技術向上の奨励などが書かれていたのですが、ちょっと腑につかない点があってある日こんな質問をK先生にしました。
「先生、この本の中ではIT技術を今後の日本の産業の柱にすべしと書かれていますが、自分は日本は人口が多い国なため、大量の雇用が必要となる製造業を中心とした二次産業を中心にしていかなければいけないと思うのですが」
「私もそう思いますよ」
「しかしこの本で謳っているIT化はいろんな作業の手間を省いてしまい、結果的には必要な人員が要らなくなり失業が増えるのではないでしょうか?」
「確かに一見するとそうだけど、この本の作者の神野さんは恐らく、日本に必要な製造業をIT化によってより盛り上げようと言っているのではないでしょうか。何もIT一本に絞れとは言ってないと思いますよ」
こう言われ、その後非常に猛省をすることになりました。
確かに神野氏の先ほどの著作ではIT化の必要性が強く訴えられていますが、なにもそれ一本に絞れとはどこにも書いていません。にもかかわらず私は脊椎反射的に、ちょうど折も折でITバブルが弾けた後だったからIT革命やらそういった方向へ目指す主張に批判的な態度を当時の私は取っていたため、妙な風に神野氏の主張を誤解するばかりでなく、二次産業と組み合わせるという発想に全く至りませんでした。
それこそ頭をかなづちで叩かれるような衝撃を受け、それからはK先生の言われることに素直に言うことを聞くようになり、その年で授業の単位を取ったものの、次の年とその次の年もまた同じ授業を受け、議論に参加するなどしてK先生の薫陶を受け続けました。
さてそんなK先生ですが、めがねを取ると火曜サスペンスに出てきそうな渋いおじさんで非常に落ち着いた口調も優しい先生ではあるのですが、以前に先生の若い頃の話を聞くと、どうも今のイメージとギャップを感じてしまいます。なんでも高校時代のK先生はバリバリの社会主義信奉者だったらしく、少しでも左翼運動などに興味を持っていない学生を見ると、「資本論を読んで来いっ!」ってな具合で激しく活動されていたそうです。
もちろん今ではそれほど社会主義経済学を主張したりすることはないのですが、やはりその方面の知識から各経済学の体系には非常にお詳しく、先日にも戦前の社会主義陣営の「講座派」と「労農派」の違いについてメールでお尋ねしたところ、非常に詳細な解説をいただけました。
なおそのメールでK先生は、それこそ今の経済状況はかつて例のない異常な事態で、かえって昔の議論を検証しなおすのもいいかもしれないという風に付け加えていました。私も今そう考えてあれこれ古い議論とか学説を読み始めているのですが、こういうときにいい指導者がいて本当によかったと思えます。
最後に先生が昔過激だったことについて、私も負けず劣らずに過激な性格をしていると本店のコメント欄にて指摘がありました。なにもこのコメントに限らずあちらこちらで周囲から私は過激だと言われていますが、そういう私自身も「みんな大人しい奴ばっかだなぁ」と思うくらい、今まで自分以上に考えが過激な人間を見たことがありません。
自他共に認めるほど過激な性格をしている私ですが、外見はと言うとこれまた周りからの評価ですが非常に大人しそうに見えるらしく、そのせいか初対面の人なんか私が話し出すとその見かけとのギャップにみんな驚くそうです。
K先生も見た目とか話し方は非常に落ち着いていられることもあり、案外思想が過激な人間というのは見かけは皆大人しそうに見えるものなのかもしれません。
K先生はこのブログでも何度も出ていますが、直接的に「弟子にしてください」と頼んだことはないものの、実質私が組み立てる経済学の基本を指導、教育を行ってくれたのはK先生であるので勝手ながらお呼びしています。
私とK先生が出会ったのは学校の授業にて、単位獲得のためにそれほど意識して選んだ授業ではなかったものの、二時間連続で合計四単位の授業なので取ってて損はないだろうと受けたのがきっかけでした。授業内容について言えば、ここで私がこういうもの変ですが非常に特殊な授業形式であったと今でも折に触れて思い出します。
K先生の毎回の授業の流れというのは、まず指定した教科書の内容をそれ以前に指定された担当者が解説をし、その解説を受けて他の授業参加者がその内容に対してどのように思ったかを感想を述べ合います。ここが特殊なところなのですが、この感想を述べ合うところは自発的に手を挙げる人間が発言するのではなく、それこそローラー順と言うか、端っこから順々に強制的に学生に何かを言わせる方法でした。
この方法だと適当に授業を受けて単位を取ろうと思っている学生でも、何かしら場に合わせて発言しなければならなくなります。授業参加人数が少なかったからこういう形式が出来るというのもありますが、それこそゼミでやるようなことを一授業で、しかも毎時間にやるというのが一風変わっていました。
基本、学校の授業というのはやる気のある人に対してない人の方が圧倒的に多いものだと私は考えています。なもんだからこの授業でもそうして強制的に発言させられる人たちの中でも、やっぱり議論をリードする人とそうでない人とで別れていくのですが、面白いことに授業開始当初はそれこそ「まぁいい考えだと思います」といったような適当な発言ばかりしていたやる気のない学生でも、段々と回を重ねるごとにこちらが思わないような意見を言い出したり、積極的に議論に参加するようになって行きました。K先生に言わせると、やっぱり無理やり発言させることによって芽を出す学生というのは結構多いらしく、別にうちの学校だけでこんな授業形式をやっているわけではないらしいですが、どこでもつついてみると非常に授業が面白くなっていくそうです。
まぁこんな感じでいろいろと意見を言い合い、一通り全員の意見が揃うと今度は論点を絞って、それに対してまたどう思っているか、今度は逆ローラー順にまた強制的に発言させていきます。この段階になると論点が絞られているのもあり、「あなたの意見はそうだけれでも」という具合に反論が出たり、また新たな意見が出るようになります。
別に私は意識をしてはいなかったのですが、周りからは私ともう一人の女子学生がいつも授業をリードしていると思われており、確かに思い返すとその女子学生の方と毎回激しい応酬になっては、「女の人でも、こんなに意見の鋭い人がいるのか」と、向こうも私のことをそんな感じに思ってくれていたらしく、互いに尊敬しあいながらいつも授業を盛り上げていました。ちなみにその人に言われた一番びっくりした意見に、「前から思っていましたが、あなたは右翼ですか?」、というのもありました。友人なんか横で爆笑してたし。
そんな感じで私も回を追うごとにこの授業にハマっていき、授業後には個人的にK先生にあれこれ質問をするようになっていきました。当時私たちが授業で使用していたのは「人間回復の経済学」(神野直彦著)でしたが、この本の中では高付加価値を追求する社会モデルとしてIT技術向上の奨励などが書かれていたのですが、ちょっと腑につかない点があってある日こんな質問をK先生にしました。
「先生、この本の中ではIT技術を今後の日本の産業の柱にすべしと書かれていますが、自分は日本は人口が多い国なため、大量の雇用が必要となる製造業を中心とした二次産業を中心にしていかなければいけないと思うのですが」
「私もそう思いますよ」
「しかしこの本で謳っているIT化はいろんな作業の手間を省いてしまい、結果的には必要な人員が要らなくなり失業が増えるのではないでしょうか?」
「確かに一見するとそうだけど、この本の作者の神野さんは恐らく、日本に必要な製造業をIT化によってより盛り上げようと言っているのではないでしょうか。何もIT一本に絞れとは言ってないと思いますよ」
こう言われ、その後非常に猛省をすることになりました。
確かに神野氏の先ほどの著作ではIT化の必要性が強く訴えられていますが、なにもそれ一本に絞れとはどこにも書いていません。にもかかわらず私は脊椎反射的に、ちょうど折も折でITバブルが弾けた後だったからIT革命やらそういった方向へ目指す主張に批判的な態度を当時の私は取っていたため、妙な風に神野氏の主張を誤解するばかりでなく、二次産業と組み合わせるという発想に全く至りませんでした。
それこそ頭をかなづちで叩かれるような衝撃を受け、それからはK先生の言われることに素直に言うことを聞くようになり、その年で授業の単位を取ったものの、次の年とその次の年もまた同じ授業を受け、議論に参加するなどしてK先生の薫陶を受け続けました。
さてそんなK先生ですが、めがねを取ると火曜サスペンスに出てきそうな渋いおじさんで非常に落ち着いた口調も優しい先生ではあるのですが、以前に先生の若い頃の話を聞くと、どうも今のイメージとギャップを感じてしまいます。なんでも高校時代のK先生はバリバリの社会主義信奉者だったらしく、少しでも左翼運動などに興味を持っていない学生を見ると、「資本論を読んで来いっ!」ってな具合で激しく活動されていたそうです。
もちろん今ではそれほど社会主義経済学を主張したりすることはないのですが、やはりその方面の知識から各経済学の体系には非常にお詳しく、先日にも戦前の社会主義陣営の「講座派」と「労農派」の違いについてメールでお尋ねしたところ、非常に詳細な解説をいただけました。
なおそのメールでK先生は、それこそ今の経済状況はかつて例のない異常な事態で、かえって昔の議論を検証しなおすのもいいかもしれないという風に付け加えていました。私も今そう考えてあれこれ古い議論とか学説を読み始めているのですが、こういうときにいい指導者がいて本当によかったと思えます。
最後に先生が昔過激だったことについて、私も負けず劣らずに過激な性格をしていると本店のコメント欄にて指摘がありました。なにもこのコメントに限らずあちらこちらで周囲から私は過激だと言われていますが、そういう私自身も「みんな大人しい奴ばっかだなぁ」と思うくらい、今まで自分以上に考えが過激な人間を見たことがありません。
自他共に認めるほど過激な性格をしている私ですが、外見はと言うとこれまた周りからの評価ですが非常に大人しそうに見えるらしく、そのせいか初対面の人なんか私が話し出すとその見かけとのギャップにみんな驚くそうです。
K先生も見た目とか話し方は非常に落ち着いていられることもあり、案外思想が過激な人間というのは見かけは皆大人しそうに見えるものなのかもしれません。
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