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2009年2月7日土曜日

私とK先生

 最近小説を書いていないので、ちょっと小説じみた私の個人的な体験談を今日はして見ようかと思います。内容は私とK先生との馴れ初めの話です。

 K先生はこのブログでも何度も出ていますが、直接的に「弟子にしてください」と頼んだことはないものの、実質私が組み立てる経済学の基本を指導、教育を行ってくれたのはK先生であるので勝手ながらお呼びしています。
 私とK先生が出会ったのは学校の授業にて、単位獲得のためにそれほど意識して選んだ授業ではなかったものの、二時間連続で合計四単位の授業なので取ってて損はないだろうと受けたのがきっかけでした。授業内容について言えば、ここで私がこういうもの変ですが非常に特殊な授業形式であったと今でも折に触れて思い出します。

 K先生の毎回の授業の流れというのは、まず指定した教科書の内容をそれ以前に指定された担当者が解説をし、その解説を受けて他の授業参加者がその内容に対してどのように思ったかを感想を述べ合います。ここが特殊なところなのですが、この感想を述べ合うところは自発的に手を挙げる人間が発言するのではなく、それこそローラー順と言うか、端っこから順々に強制的に学生に何かを言わせる方法でした。
 この方法だと適当に授業を受けて単位を取ろうと思っている学生でも、何かしら場に合わせて発言しなければならなくなります。授業参加人数が少なかったからこういう形式が出来るというのもありますが、それこそゼミでやるようなことを一授業で、しかも毎時間にやるというのが一風変わっていました。

 基本、学校の授業というのはやる気のある人に対してない人の方が圧倒的に多いものだと私は考えています。なもんだからこの授業でもそうして強制的に発言させられる人たちの中でも、やっぱり議論をリードする人とそうでない人とで別れていくのですが、面白いことに授業開始当初はそれこそ「まぁいい考えだと思います」といったような適当な発言ばかりしていたやる気のない学生でも、段々と回を重ねるごとにこちらが思わないような意見を言い出したり、積極的に議論に参加するようになって行きました。K先生に言わせると、やっぱり無理やり発言させることによって芽を出す学生というのは結構多いらしく、別にうちの学校だけでこんな授業形式をやっているわけではないらしいですが、どこでもつついてみると非常に授業が面白くなっていくそうです。

 まぁこんな感じでいろいろと意見を言い合い、一通り全員の意見が揃うと今度は論点を絞って、それに対してまたどう思っているか、今度は逆ローラー順にまた強制的に発言させていきます。この段階になると論点が絞られているのもあり、「あなたの意見はそうだけれでも」という具合に反論が出たり、また新たな意見が出るようになります。
 別に私は意識をしてはいなかったのですが、周りからは私ともう一人の女子学生がいつも授業をリードしていると思われており、確かに思い返すとその女子学生の方と毎回激しい応酬になっては、「女の人でも、こんなに意見の鋭い人がいるのか」と、向こうも私のことをそんな感じに思ってくれていたらしく、互いに尊敬しあいながらいつも授業を盛り上げていました。ちなみにその人に言われた一番びっくりした意見に、「前から思っていましたが、あなたは右翼ですか?」、というのもありました。友人なんか横で爆笑してたし。

 そんな感じで私も回を追うごとにこの授業にハマっていき、授業後には個人的にK先生にあれこれ質問をするようになっていきました。当時私たちが授業で使用していたのは「人間回復の経済学」(神野直彦著)でしたが、この本の中では高付加価値を追求する社会モデルとしてIT技術向上の奨励などが書かれていたのですが、ちょっと腑につかない点があってある日こんな質問をK先生にしました。

「先生、この本の中ではIT技術を今後の日本の産業の柱にすべしと書かれていますが、自分は日本は人口が多い国なため、大量の雇用が必要となる製造業を中心とした二次産業を中心にしていかなければいけないと思うのですが」
「私もそう思いますよ」
「しかしこの本で謳っているIT化はいろんな作業の手間を省いてしまい、結果的には必要な人員が要らなくなり失業が増えるのではないでしょうか?」
「確かに一見するとそうだけど、この本の作者の神野さんは恐らく、日本に必要な製造業をIT化によってより盛り上げようと言っているのではないでしょうか。何もIT一本に絞れとは言ってないと思いますよ」

 こう言われ、その後非常に猛省をすることになりました。
 確かに神野氏の先ほどの著作ではIT化の必要性が強く訴えられていますが、なにもそれ一本に絞れとはどこにも書いていません。にもかかわらず私は脊椎反射的に、ちょうど折も折でITバブルが弾けた後だったからIT革命やらそういった方向へ目指す主張に批判的な態度を当時の私は取っていたため、妙な風に神野氏の主張を誤解するばかりでなく、二次産業と組み合わせるという発想に全く至りませんでした。
 それこそ頭をかなづちで叩かれるような衝撃を受け、それからはK先生の言われることに素直に言うことを聞くようになり、その年で授業の単位を取ったものの、次の年とその次の年もまた同じ授業を受け、議論に参加するなどしてK先生の薫陶を受け続けました。

 さてそんなK先生ですが、めがねを取ると火曜サスペンスに出てきそうな渋いおじさんで非常に落ち着いた口調も優しい先生ではあるのですが、以前に先生の若い頃の話を聞くと、どうも今のイメージとギャップを感じてしまいます。なんでも高校時代のK先生はバリバリの社会主義信奉者だったらしく、少しでも左翼運動などに興味を持っていない学生を見ると、「資本論を読んで来いっ!」ってな具合で激しく活動されていたそうです。
 もちろん今ではそれほど社会主義経済学を主張したりすることはないのですが、やはりその方面の知識から各経済学の体系には非常にお詳しく、先日にも戦前の社会主義陣営の「講座派」と「労農派」の違いについてメールでお尋ねしたところ、非常に詳細な解説をいただけました。

 なおそのメールでK先生は、それこそ今の経済状況はかつて例のない異常な事態で、かえって昔の議論を検証しなおすのもいいかもしれないという風に付け加えていました。私も今そう考えてあれこれ古い議論とか学説を読み始めているのですが、こういうときにいい指導者がいて本当によかったと思えます。

 最後に先生が昔過激だったことについて、私も負けず劣らずに過激な性格をしていると本店のコメント欄にて指摘がありました。なにもこのコメントに限らずあちらこちらで周囲から私は過激だと言われていますが、そういう私自身も「みんな大人しい奴ばっかだなぁ」と思うくらい、今まで自分以上に考えが過激な人間を見たことがありません。
 自他共に認めるほど過激な性格をしている私ですが、外見はと言うとこれまた周りからの評価ですが非常に大人しそうに見えるらしく、そのせいか初対面の人なんか私が話し出すとその見かけとのギャップにみんな驚くそうです。
 K先生も見た目とか話し方は非常に落ち着いていられることもあり、案外思想が過激な人間というのは見かけは皆大人しそうに見えるものなのかもしれません。

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