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2013年2月14日木曜日

短期集中的な報道をする日本のニュース番組

 先週に日本に帰国後、出会う人みんなに十中八九聞かれたのは「中国の大気汚染はどう?」という質問でした。あまりにも質問が多いもんだから前にも記事化しましたが、一体何故これほどまでに日本人が中国の大気汚染を気にするのかというとその原因は間違いなく日本のテレビ局による報道によるものでしょう。
 私の帰国直後も中国の大気汚染はどこも朝、昼、夕方、夜のどの時間帯でもトップニュース扱いで報じており、あんな報じ方されれば中国に関心のない人ですら嫌が応にも気にするようになるでしょう。ところがそれほどまでに報道が集中していた頃から一週間も経たない今日の報道は、中国の大気汚染はほとんど報じられずにグァムで起きた無差別殺傷事件で一色といっていいほどに報道が集中しました。

 独立するとは言ってもまだ会社の設立登記が済んでないこともあって(来週完了予定)ニートと変わらない生活を送っておりニュース番組ばかり見ていますが、NHKはまだ違いますが、民放のニュース番組はほとんどどれも同じ時間帯に放送されるにもかかわらず報じる内容、報じ方、果てにはフリップに書かれている内容までほとんど瓜二つであるような印象を受けます。特に今回のグァム島の無差別殺傷事件に関する報道では、生放送のある番組で現地日本人向けメディアの記者がインタビューに応じており、一通り話し終えたので別のチャンネルに回すとさっきまで別番組に出ていた同じ記者がまた同じようなインタビューに応じるという一幕もありました。もちろん、話す内容は一緒です。

 どのチャンネルを回しても同じような語り口、同じ内容のニュース番組が報じられており、はっきり言ってしまってなんか自分、洗脳されいるんじゃないかなという印象を日本のニュース番組に持ちます。確かに一番注目度の高いホットな話題を大きく取り扱うのはメディアとして当たり前の姿勢ではありますが、日本の民放におけるニュース番組関してはその集中度合いがあまりにも高すぎる気がしてなりません。
 たとえばNHKなどはトップニュースに長く時間を割くとしてもせいぜい開始10分程度で、残りの時間はその他のニュースを淡々と報じます。一方、民放のニュースでは放送局にもよりますが長いところだと30分以上も長々と報じ、その他のニュースに関しては非常に短くさらりと流してしまいます。さっきも言いましたがこれでは視聴者を洗脳したいのかといいたくなるような報道で、延々と同じ話題を取り上げ続け、コメンテーターも同じようなことを言い続け、さらにはほかの番組でも同じような内容が続くときたらその報じられている内容通りにしか物事が考えられなくなるのではという懸念すら持ちます。

 またトップで報じる内容にも少し疑問を覚えます。先週まではほかに注目するニュースがなかったためかほぼ毎日中国の大気汚染について長々報じていましたが、今週に入って北朝鮮が核実験をしたと発表するや大気汚染は忘れて核実験一色、そのすぐ次の日にオリンピックでレスリングが除外されそうだとなるや核実験の報道時間は一気に急減し、グァム島の無差別殺傷事件が起こるやレスリングもほとんど扱われなくなりました。なにも無差別殺傷事件より核実験を大きく取り扱えと言うつもりは毛頭ありませんが、内容が大きなものであるだけに放送時間の配分などはもう少し考慮する余地があるのではと強く疑問に感じます。そしてレスリング問題、無差別殺傷事件が起きなければ、今も核実験について延々と報じていたのかもと考えるといろいろ複雑な気分にさせられます。

 私は常々、何事も過小にも過大にも評価してはならないと自分に言い聞かせております。たとえばあるニュースの話題性が百分率で言って50程度だったとすると、70とか80のような価値があるように報じてはならないと、くだらないニュースを実態以上に大きく報じてはならないと考えております。そういう目で見て今の民放ニュース番組は、やはり一つのニュースに対して過剰に大きく報じ過ぎているように見えます。
 もちろん、それならば民放のテレビニュースを見なければいいのではないのかという意見もあるでしょう。実際に自分もこれからNHKだけ見てればいいかなと考えてますが、それでも民放にはもっと工夫してもらいたいという一心があり、今回こうして記事にしたためました。

2013年2月13日水曜日

中国の新型エイズ報道について

 コメント欄で質問をいただいたので、かなり昔に出た中国の新型エイズ報道について私の見方と意見+中国のエイズ事情について簡単に解説します。

唾液で感染する新エイズが中国全土で蔓延中です!(ひめのブログ)

 引用した記事自体は3年前の2010年の物ですが、逆を言えばその後3年間に全く続報がないとも言えますね。
 書かれている内容は中国では通常のエイズとは異なる新型エイズが発生しており、唾液からも感染することから各地で患者が増加していると報じるものです。でもって中国政府はこれら新型エイズの存在を隠蔽し、患者たちは「エイズ恐怖症患者」と呼んで実際にはエイズに感染していないのに自分がエイズと信じ込んで精神的に参っているだけだと説明していると書かれています。

 さすがに自分は医者ではないので断言することはできませんが、まぁこれはデマもいいところでしょう。そう思う根拠としてこのブログの筆者が情報ソースの一つに、大紀元というニュースサイトを引用している点があります。

「未知のウィルス」=エイズに似た怪病、中国で急速に拡散か(大紀元)

 この大紀元というニュースサイトは中国政府に弾圧されている宗教団体、法輪功が運営しているニュースサイトで、中国に関するネガティブな情報を東スポばりになんでもかんでも報じるところです。直近だと去年の秋頃、酒鬼酒というメーカーの白酒に可塑剤が混入していた事件が発覚した際、「中国で売られているリプトンの紅茶にも可塑剤が混入されている!」と大々的に報じてました。大紀元だから信用するなよと上司から言われていたので記事化せずに一応眺めていましたが、リプトン側は「ほかの国と全く同じ成分で作っていてどうして中国だけ可塑剤入っているんだ!」と反論し、中国の国家質検管理当局も「問題の成分は混入していない」と発表したことにより、しりすぼみに消えていきました。

 はっきり言って大紀元をニュース元とすることは東スポをニュース元にするのと同義で(東スポ自体は私は好きだが)、しかも内容はただ過激なものでかつエイズでよく誤解されがちな、「唾液で感染する」という話であるだけに、真実であるとは私には思えません。なおエイズは血液などからは非常に感染しやすいですが、唾液から感染するためにはバケツ数杯分を一気に飲みきる必要があります。
 こうしたニュース元の怪しさに加え、中国の報道を見ていてこの新型エイズに関する報道は少なくとも私はほとんど見受けません。仮に中国本土だけならともかく、こういうネタに飛びつきそうな香港メディアもほとんど取り扱っていないようですし、まぁ引っかかるネタではありませんね。

 そんな具合でこの新型エイズ自体はデマだと私は主張しますが、中国のエイズ事情、特に記事中にある「エイズ恐怖症」に関しては実際にあるとよく報じられています。このエイズ恐怖症はあくまで「自分がエイズ感染者だと思いこむ」ことによって身体的変調が起こる症状ですが、中国ではエイズ感染者が増加しており、市民が持つ恐怖感は日本と比べても高いような気はします。去年にもタクシー車内にエイズ患者の物と思われる注射器が転がっていて気づかずに座席に座ったら注射器が太ももに刺さり、感染したのではないかと感じたその男性が思い悩んだという事件が起きています。検査したら陰性だったようですが。
 中国政府もエイズの感染拡大には様々な防止策を打ち出しておりますが、歯止めをかけるには至っておりません。国立艦船研究所によると日本はやや横ばいの状態のようですが、目的は一致しているのだしこういう方面で両国が協力しあってければいいなと個人的に思います。

2013年2月12日火曜日

アベノミクスの円安メリット、デメリット

 本日北朝鮮が核実験をやったと発表し、国際政治を専門にしている当ブログの方向性からは取り上げるべきなんでしょうが、報道ベース以上の内容は語れないし、日本のメディアが今日はこの件ばかり報じているのが少し煩わしさを感じるので、延び延びになっていたアベノミクスについて今日は書いてきます。日本帰ってきてから気になるけど、どうしてどの放送局のニュースも同じような切り口ばかりなんだろう。

 話は本題に入りますが、もはや海外でも「アベノミクス」と報じられるほどに日本の円安が昨年末から一気に進みました。これほどまでに円安が進んだ理由はいうまでもなく安倍首相が前回衆議院選挙前から主張してた、インフレ目標を2%に定めるという強い方向性が最大の要因でしょう。そしてこの方針に当初反対の姿勢を示していた白川日銀総裁も退任が決まっており、後任にはより安倍首相の考えに近い人が就くでしょうから、円安が1ドル=100円を大きく上回ることはないでしょうが円高に再び戻ることはしばらくはないと見てもいいでしょう。
 その上でちょっと下世話な予想をすると、今夏に予定されている次回参院選で自民党が大勝すれば株価は現状よりさらに跳ね上がる可能性があると勝手に見ています。今のままならまず間違いなく大勝するでしょうが、まだ失言など波乱もあるかもしれず、4月くらいまでは様子を見る必要があるのでしょうが、4月まで波風なく政権運営をし続けていれば株は買い時かなと友人と話してます。

 さっきから話が脱線しまくっていますが既に1ドル=90円を超えており、円高によって青息吐息だったメーカーをはじめとした輸出産業は復活の兆しを見せております。この円高、私はアメリカが先に「いい加減にしろ(#゚Д゚) プンスコ!」と言ってくるかと思いましたが、意外というのもなんですがドイツのメルケル首相の方が先に「日本の為替操作だ(#゚Д゚)ゴルァ!!」と怒ってきました。このドイツの主張に対して麻生財務相は昔には1ドル=120円だったこともあり、今以上に円高は進んでいたので為替操作に当たらないと言い返しましたが麻生財務相にしてはといってはなんですが、うまい切り返しだったように思えます。本音としては「あれだけ日本円高でボーナスタイムあげたのに、それしかシェア取れなかったの?( ̄ー ̄)フッ」とまで言ってもよかった気がしますが。
 ただこの時のやり取りを見て少し感じた事なのですが、思っている以上にドイツが焦っているようです。ドイツ、日本と同じく輸出がメインの韓国も円安に加えてウォン高が始まり苦しんでいると聞きますが、逆の見方をすればこれらの競争相手から恐れられるほど昨今の円安は強烈なパンチになっていると言えるでしょう。

 ただこの円安、メディアでは万事が万事福を運ぶものとして経済的に歓迎する報道が多いですが、私は必ずしもメリット一辺倒のものではなく大きなデメリットも含んでいると考えております。もったいぶらずにそのデメリットを指摘すると、輸入費用の増大です。
 円安は基本的に輸出企業にとってはメリットしかありませんが、輸入企業にとっては100万円で輸入できたものが120万円になるなど、マイナス要因でしかありません。日本は確かに輸出企業が多いことは多いのですが、その一方で食料とエネルギーの大半は輸入に頼っており、市場規模も決して小さくありません。特にエネルギーに関しては原子力発電所が止まっている関係で火力エネルギーの輸入量が増大しており、昨年末に戦後かつてないほどに貿易赤字が拡大した原因ともなっております。

 敢えてクエスチョン形式に書きますが、どうしてこうした円安のデメリットについての報道は少ないのでしょうか。答えは非常に簡単で、重工業をはじめとした輸出企業が日本ではやけに発言力が強く、食品など輸入企業の声は非常に小さいからです。まだ東電などは声がでかい方ですがそれでも円安は絶対的な善とまで報じられるのはこうした日本の産業構造というか、財界での発言力の差が大きいと私は見ています。
 皮肉な話ですが、東日本大震災以降に日本は円高に振れて大きく助かったという面も少なくありません。先にも書いた通りに震災以降は減少した原子力発電量を火力発電で補ったために重油などの輸入量が増えましたが、円高によってその費用は少なからずペイできておりました。それが今回円安になって、関電なんかは役員給与などもうちょっと絞れるでしょうが、やっぱり電力会社はこの先厳しさを増すでしょう。

 では日本は円高のままがよかったのか。この問いに対する私の答えはNOで、円安に誘導するアベノミクスを支持します。その理由というのもあまり深く考えた物ではありませんが、あのまま円高が続けば日本の産業全体が打撃を受けたままで、即死とはいきませんがジリ貧になるのは見えていたからです。それならば輸入企業には多大な負担をかけ貿易赤字も一気に広がる可能性を孕んでいるものの、輸出企業の活性化を促して外貨を稼ぎ、その上でエネルギー対策をするという博打に出る方がまだ活路があるような気がします。
 ただ円安に誘導するこのやり方、決して簡単な道程ではないでしょう。それこそ1ドル=120円くらいまで一気に飛んだら冗談抜きでエネルギー資源の輸入に支障をきたすでしょうし、外国からも猛烈な批判を受けダンピング措置を取ってこられる懸念もあります。そういう意味では現在政府が出している1ドル=95円前後という指標は私からしても適切な数値に思え、これ以上に円安にぶれるようであれば政府も本腰で抑えにかかってくるのではないかというのが私の意見です。

2013年2月11日月曜日

続、中国艦船のレーダー照射事件について

 以前にも取り挙げた、中国の艦船が火器管制レーダーを日本の艦船に照射した問題について、続報が出てきたので軽く自分の意見も書いていきます。

中国艦船のレーダー照射を「面子」から考える (1)

 上記のページは国際政治学者の六辻彰二氏のブログの記事ですが、言いたいことは基本的に私も同じです。六辻氏は上記のページにて今回のレーダー照射問題の背景には下記二つのシナリオがあると指摘しております。そのまま抜粋すると、


1、国際常識に乏しく、なおかつ反日的な末端の兵員が、勝手にレーダーを照射した。それを公にすれば、人民解放軍の管理能力に対する評価を著しく損なうため、「事実でない」と強弁している。

2、日本に対してプレッシャーをかけるため、実は政府レベルから、明示的であれ暗示的であれ、フリゲート艦にレーダー照射の指示があった。それもやはり公にできないので、知らなかったふりをして、「事実でない」と強弁している。


 現状出ている情報を見ている限りこの二つのシナリオのうちどちらかでほぼ間違いないでしょう。その上で私の意見を述べると、やはりシナリオ1、つまり政府の指示がないままに現場の人民解放軍が勝手に照射してしまったという可能性が高いとみております。今日ニュースを見ていたら自分が尊敬する富阪聰氏も同じこと言ってたし。
 こう考える理由は一つ、事件発覚直後の中国政府報道官の反応です。記者団にこの件を触れられた報道官は当初、「この件に関して把握しておらず現在回答できない」と、ビデオ映像で私もこのように述べているのを確認しました。正直に申してこのような回答は異例中の異例で、事件発生に中国側も明らかに戸惑っているように私には見えました。では何故戸惑ったのか、やはりレーダー照射が行われていたことを政府は把握しておらず、対応を当時検討していたからだと思えます。

 ここで少し話は変わって、中国政府と共産党の関係を少し解説します。中国の政治は共産党一党独裁なため基本的に共産党=中国政府と考えていいのですが、役職とかそういうものは国と党とで微妙に異なっております。たとえば「総書記」という役職は共産党の最上級役職であって、中国政府の役職ではありません。一方、「首相」というのは中国政府の役職で共産党の役職ではないのですが、共産党のナンバー3とか4が就く役職なので、共産党内の「総書記」の命令には従うという仕組みになっております。
 そうした事情を踏まえて述べると、「人民解放軍」というのはあくまで共産党の軍であって中国という国家の軍ではないのです。最近は制度上でも国家の軍になりつつはありますが、共産党の言うことを聞く理由はあっても中国外務省など国家の機関の命令に従うという制度規則はあるのかないのかあいまいな状態です。それゆえ上記のシナリオ1のようにレーダーを照射したかどうかで、中国外務省は確認に戸惑ったのもさもありなんという話になるわけです。

 それだけに今回の事態、政府の意向を関係なしに人民解放軍が勝手に行ったとなるとなかなか怖い話だと思います。仮に六辻氏の言う通りに現場の指揮官が国際感覚に疎くてちょっと脅かしてやろうっていうつもりで照射したならともかく、確信犯で紛争になってもいいやとばかりに、政府のコントロールなしにそう判断して実行したとなると、何かひょんなことで実戦に移る可能性も否定できません。可能性は低いとはいえ。
 実際にこの問題、人民解放軍にとっては前々から非常に都合のいい問題だと考えています。軍隊というのは平和になれば予算は削減される傾向にありますが、危機感が高まれば高まるほど強く予算増額を要求できます。連中にとって、尖閣問題が大きくなればなるほど都合がいいのです。もっともそれを言ったら日本の自衛隊にも当てはまる節がありますが。

 私が何を言いたいのかというと、中国政府のコントロールがあまり効いてないようであれば人民解放軍はより危機感をあおるような過激な行動を取りかねないことです。もし中国政府が事態を発展させたくないと考えているのであれば、この点に関して日中両政府でしっかり押さえていくことが肝要になるというのが私の結論です。

2013年2月10日日曜日

日本人の視線

 自分のパソコンは中国関連の単語をタイプすることが多いので「しせん」と入力すると「四川」と変換されて「視線」にならないことが多いです。それとはあまり関係はないですが、日本帰国から五日経ち日本人の視線について思うことがあるので今日はこのテーマで一本書いていきます。

 日本に帰ってから当初は自転車で自宅周辺を回る日々でしたが、昨日は用事があって東京の方へ電車に乗って遠出しました。その電車乗車中、駅に停車して乗客が乗り込むあの瞬間に何故だかよく乗り込む客が自分に視線を向けてくるのでこちらも視線を向けたところ、パッと逆方向に視線を向きかえられるということが異常に多かった気がします。もっとも前から日本にいる人からしたら当たり前の光景かもしれませんが、つい一週間前まで上海で過ごしていた自分からしたら違和感があり、なんでそんな視線の向け方するのかなと少し不思議に感じました。

 あくまで私の実感ですが、中国でも道歩いていて向かいから歩いてくる中国人がこっちに視線を向けてくることは多いにあります。でもってその視線にこちらが反応して相手に向けると一瞬目が合い、「ん、なに?」って具合で見据えるとまた自分の進行方向、または周囲へ自然と視線を戻すというパターンが大半です。これに対し日本人(自分もだが)はやたらめったら周囲の人間に視線を送る、それも相手にばれないようにそれこそ忍者みたいに視線を張り巡らそうとする人が多いような気がします。といっても視線なんて後ろからならともかく正面180度以内から向けられでもしたらいくら忍んでいたってすぐわかりますし、私が反応して逆視線を向けるといかにも「マズっΣ(゚Д゚;)」っていうくらいに真逆の方向に視線そらすから、こういってはなんですがバレバレです。

 私がクエスチョンを持つのは、全員が全員ではありませんがどうして日本人はやたらめったら周囲に視線を向けるのか、でもって逆に視線を向けると何故そんなに慌てるのかの二点です。私個人の考えとしては普通に歩いてりゃ進行方向などに注意向ける必要があるのだし他人と目が合うことはおかしなことではないのだから忍んだりせず堂々と見りゃいいのに、はっきり言えば何故それほど怖がるようなそぶりを見せるのかがわかりません。ただこういうのは思い起こすと関西では中国と同じく全くこういうことはなく、関東限定の現象なのかもしれません。
 ちょっと紙幅が余っているので帰国後の近況を書くと、環境の変化に伴って躁鬱状態になるだろうと予想してそれなりに対策を立てておりましたが、案の定というか昨日までハイテンションな状態が続いておりました。今日昼寝したあたりから前ほどの高揚感はなくなったので鬱期に突入したかと思いますが、鬱といってもなんとなくだるいなぁって思う日が続く程度なので、そこそこ対策が奏功したかと考えています。後ほんとどうでもいい話ですが先程スーツを買いに洋品店行ってウエスト測ったところ、長い中国生活で細くなってたせいか「このサイズに合うのはうちでは一着です」と言われてしまいました。そりゃまぁ、選びやすいんだけどさ。

2013年2月8日金曜日

レールアウト、トライアウト~後編

 前回に引き続き今回も自分語りですが、前回では自分が中国に渡ったところまで話しました。少し解説し忘れた点があるのですが、中国での私の雇用形態は現地採用方式で、雇用に関する基準も日本の法令にではなく中国の法令に沿ったものでありました。これが何を意味するかと言うと、一番大きな影響は賃金にあり、時間給では確実に日本の最低賃金をブッちぎっててリアルに年収は為替変動もありますが、日本円で150万円を切っておりました。ただこの賃金の低さ自体は契約前に提示されており私も納得してサインしているので文句を言うのは筋違いですし、むしろ未経験者が入り辛い編集業務に入れてもらったことに強い恩を感じております。まぁこれで給与も高かったらもっと良いに決まってますが……。

 何はともあれそうして編集職での生活が始まったのは2011年3月からで、最初は中国語の翻訳すらおぼつかなかったものの何とか仕事も少しずつできるようになり、また2011年10月から12月には香港へ長期出張に出かけるなど、2011年の一年間は今以てしても中身の濃い一年だったと記憶します。本格的に中国、上海での仕事生活が始まったのは香港から帰ってきた翌2012年1月からですが、この頃からは取材などにも頻繁に出かけるようになりそれなりに充実していたかと思います。
 知ってる人には早いですが私はもともと記者職に就きたいと考えていたものの、この業種への就職では不利となる関西圏の大学に進学した上に見事に新卒で入れなかったことからもうかかわることはないと思っていただけに、中国に来てこのような職に就くとは非常に運命はわからないものだと強く感じました。先にも書いてある通りにこの業界は異業種からの転職が難しく経験者が優遇される業界だけに、恐らく日本国内に留まっていれば全くチャンスはなく、最低限翻訳することのできる中国語能力が求められた現地採用だからこそうまくもぐりこめたと思うし、実際に会社の上司らもそう言っていました。

 ただそうして憧れの職業に就いたものの、迷いと言うかこのままでいいのかという気持ちは常に抱いておりました。というのもこれは新卒の就職活動時にも考えていたことですが、仮に新聞社なりで編集職に就いたらほかの大多数の人間が就く仕事、たとえば営業なり経理なり事務なりといった仕事が一切体験できない、分からないままで一生が終わるのでは、それはそれでなんかおいしいところを逃してしまっているのではという懸念がありました。まどろっこしい言い方せずにストレートに書くと、記事しか書けない人間で終わってしまうのはもったいない、記事も書ける、営業もできる、経理もできる、経営もできるような人間の方が圧倒的に強くて楽しそうじゃないかと考えてました。幸いと言うか自分の場合はまだ日本で就職した会社で貿易事務をやり、簡単な営業とかも経験してはおりますが、それでも仕事内容は新人の範囲に留まっており個人的にはまだ納得できる量ではありませんでした。

 そんなわけの分からない思想を持った自分が出した結論というのも、もったいぶって言うほどのものではありませんが三度目の退職でした。素知らぬ振りしてブログも更新し続けておりましたが、実は三日前に日本に帰国し、現在自分の会社の設立手続きを進めております。編集職に未練がなかったわけではありませんが、もっと自分の力量を試してみたい、伸ばしてみたいという気持ちと共に、中国への転職前にNHKの取材を受けた際、「やる気のある若者を日本はどんどん海外に送り出すべきだ。そして将来、そういう人たちに日本に帰ってきてもらって国内の成長を担ってほしいです」と、NHKの記者に言われた言葉を自分自身で実行すべきだという、また妙な結論に至ったわけです。前から単純に、今日本に何をするのが一番ためになるのかと言えば少しでも雇用を作るべきだと思っていたし。

 そういうわけでプロフィール欄もちょっと変更し、また心機一転でこのブログを運営して行こうと思います。最後になりますが現時点でもう自分は、日本において一般的な社会地位向上のレールから大きく逸脱したと考えています。多分この後は落ちる一方でしょうが、少なくともそれはすべて自分の責任に由来するもので納得することはあっても後悔することはないと思います。
 それにしても、我ながら思い切った性格してるなぁとため息出てきます。

2013年2月7日木曜日

レールアウト、トライアウト~前編

 学生時代に何気なく友人に言われた一言の中で印象に残っているものとして、「花園君って、これまでパーフェクトな人生を送ってきたんでしょ」というものがあります。この発言をした友人は自分の出身大学に入学するまで二浪していたというのが大きな要因でしょうが、中高一貫の私立校に入学してストレートで四大に入った自分は確かに一見すれば日本で典型的な学歴獲得ルートで、そのように見えたのかもしれません。
 ただ私個人としてはこう言われてやや心外だったという気分を当時に持ちました。というのも私立中学への進学は自分が望んだものでなく、なおかつ当時の同級生にこのところ「そこまで嫌だったの?」と言われるくらいに中学、高校時代は楽しいものではなく、なんていうか非常に制限が多くて煩わしいの一言に尽きる時代だったからです。もっとも、別の学校に行っていたら違っていたのかといわれればそうではなく、多分大きな違いはなかったでしょうが。

 ただ大学への進学は浪人を経験することなくストレートで、満18歳での入学は今じゃ決して珍しいものではありませんがスタート的には恵まれた状態だったと言えますし、横並び的な年齢価値観で言えば一応最前列ではありました。そんな自分が初めて最前列から降りたというべきか、年齢の基準を一段落としたのは大学三回生の頃で、通っていた大学を休学して一年間中国に留学に行ってきました。休学した関係から帰国後は学年が一つ落ちてかつて同学年だった友人らは就職内定を得て卒業を待つ身となっておりました。
 もっとも、学年が一年落ちたといってもブラブラ遊んでいたわけでなく留学だったので、見方によればプラスな経験ともとることができます。その後も無事に就職内定を得て大学卒業後はきちんと正社員の身分で社会人生活もスタートでき、細かい内実はどうあれ終身雇用的な価値観では経歴的に全く傷のない状態がこの時も続きました。

 そんな自分にとって初めて、ドロップアウトとまでは行かないまでもレールアウト、脱線的な事件が起きたのは三年前の2010年で、新卒で入社した会社を退社して中国にある会社への転職を図りました。今現在を以ってしても最初に自分を拾ってくれた会社には強い恩義を感じておりますし退社したことに後ろめたさを感じておりますが、はっきり言ってしまえばどうしても譲ることのできない事件が起こり、自分の意に反して引かざるを得ない立場に追い込まれたことが退社の理由です。
 こういうとなにか大きな事件に巻き込まれたように見えますが、事件自体は非常にごく些細なものです。ただ当時もそうですし今現在も同じ考えですが、あれだけごく些細な問題にもかかわらず、周囲も自分に全く責任がないと認知しつつも自分に謝罪するよう要求したことを受け、「このままこの会社にいたら、問題の大小にかかわらずなんでもかんでも責任をおっ被せられるかもしれない」という懸念を抱きました。この辺は「~に過ぎない」か「~にもかかわらず」のどっちかを取る議論となりますが、自分は後者を選びました。

 今時入社数年で転職すること自体はそれほど珍しくありませんが、それでも終身雇用的な価値観が強い今の日本で転職、それも国内ではなく海外に求めたというのは経歴上、明確な脱線に当たると思います。私個人としてもこれが一つのルビコンに当たると当時認識しており、一般的なレールの上から外れて別のレールに乗り移るか、レールのない荒野を走るかのどちらかになるだろうと自覚しながら中国にやってきました。
 もっとも最初の転職は見事に失敗というか、グラスワインを5杯くらい連続で一気飲みすることを強要したり、自分の入社前の問題(仕入れ発注ミス)を自分におっ被せるような前近代的な会社に入ってしまっていろいろ苦労し、乾坤一擲のつもりで中国に渡ったものの運がなかったとこの時はつくづく思いました。ただ自分の運は尽きていなかったというべきか、中国に渡って4ヶ月目で別の会社に再転職し、曲がりなりにも経済紙の編集職を得ることができました。もはやこの時点で三回目の新入社員体験をする羽目となり、変わった星の下で生まれたのだろうと自覚し始めておりましたが、この時点できっとまだ波乱はあると内心考えておりました。続きは次回で。