このところいただいたコメントの内容から閃く記事が多いですが、今日も一つその辺で三日ぶりに書こうかと思います。これだけ休むのも久々だったな。
そのいただいたコメントの内容ですが、英語でしゃべっている時は日本語でしゃべる時と比べ「普段より明るくさっぱりした人になる気がする」というものです。あくまで個人の意見とはいえこのコメントを見た時には私も深く感じるところがあり、というのも私も中国語で話をする時は日本語の時と比べかなり強気になるからです。
結論から述べると、どの言語を使用して離すかによって仕草や態度は変化すると思います。日本語は他の言語と比べて卑罵語が少ないとされており、また私自身の体験からするとやはり温和な性格の強い言語だと思います。一方、英語だと文章より単語を割と個別にぱっぱと出して言った方が相手に通じやすくかつ向こうも第二外国語ならそんな感じなので、イメージ的にはあまり飾らない報告書みたいな具合でテキパキとする言語のような印象を受けます。
それらに対して我らが中国語はどうか。なんていうか私が見てきた中国人のイメージが色濃く反映されているかもしれませんが、基本的に中国人は声が大きいので使用していると私自身も声が大きくなり、でもって元々大雑把な性格なのにさらに態度が大雑把になっていく印象があります。一言で言い表すとしたら、「細けぇことはいいんだよ」的な雰囲気が中国語には感じられます。
なお同じ日本語であっても、標準語と関西弁だとまた変わってくる気がします。これも私の体験談ですが、やっぱり関西弁使っていると標準語の時よりせっかちになるような感じがします。逆を言えば標準語を使っていると考え方をまとめる速度がやや低下するような……。
あと今回の話題に関連してぜひ触れておきたい話があります。以前に紹介したビジネス本「富士フィルム・マーケティングラボの変革のための16の経営哲学」の中で書かれてあった話ですが、富士フイルム社内の勉強会で「何故日産のゴーン改革は成功したのか」という議題に対して、「社内公用語を英語に変えたからではないか」という意見が出たそうです。その理由というのも、英語であればやる、やらないといった意思が明確に表れるため、日本語みたいに曖昧な言い合いが続かず意思決定が早まるためだというのですが、実にもっともな意見だと私も思います。
中国語でもそうですが、たとえば何かを依頼した際によく「あぁん、無理だってそんなこと」と普通に言い返されます。無論こっちは相手を動かさないといけないのですからお金をこれだけ払うとか、こっからここまでは自分でやるからさとか、うまくいけばお前も儲かるぞなどと言ってやってくれるよう説得するのですが、日本の社会上で何かを依頼された際に、「そんなの無理だって」なんて言ったら周りからすぐ白眼視されること間違いないでしょう。
じゃあ本当に無理な時はなんていうのかと言ったら、「ひとまず前向きに検討させていただきます」とか「一旦、対応を考えさせてください」などと、曖昧に時間を引き延ばした上で、「検討した結果、対応は難しいことがわかりました」などと断るのがマナーといったところでしょう。このところストレスたまってるので一つ強気で言わせてもらうと、時間を空費させるだけのマナーでもはや悪習と言ってもいいのではと思います。特にビジネスの場だったら、無理なら無理と早く言ってくれた方が助かるケースが多いような気がするし。
このように考えてみると、意思決定を加速させるために社内公用語を英語に変えたりするというのはあながち無価値ではない気がします。今のところ日産はそれほど叩かれていませんが楽天などは「失敗するのが目に見えている」などと批判されっぱなしですが、うまく改革につなげたら日産のように化けるのではないかとちょっと期待した目で見ています。
それにしても、このところ日本語使っててなんだか疲れること増えてきたなぁ。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2013年6月9日日曜日
2013年6月5日水曜日
外国人に対する中国人の態度
・有尾両生類の四肢再生を制御する3種類のたんぱく質を発見(JST、岡山大学)
最初に全く関係ないですが、科学技術振興機構(JST)と岡山大学が両性類の四肢再生能力に関するたんぱく質の特定に成功したそうです。これを見て私が真っ先に思い付いたのは映画の「アメイジング・スパイダーマン」に出てきた敵役のカート・コナーズ博士で、この人はあくまでお話の中ですが、まさにこの両生類の再生能力を身に着けたところ勢い余って恐竜(リザード)みたいになっちゃいました。出来るのかなぁ、リザード……。
全く脈絡がないですが話を本題に移すと、昨日書いた「留学先によって異なる現地人への意識」のコメント欄で、「中国人の留学生はアメリカでも非常に堂々としていたように見えた」という書き込みがありました。実はこの指摘に当たる部分を前の記事でも書こうとしていたのですが忘れており、今日はその中国人の厚顔無恥さと言ってもいいような、外国でもやけに堂々としている理由について私の見方を紹介します。
まず結論から述べると、中国人は日本人とは異なり米国をはじめとした外国にいても非常に堂々としており、個人差はあるとはいえ全体的に言えば現地人と接する際も全く臆する様子がありません。もっとも見方を変えれば逆にふてぶてしくマイペースであるため、最近日本でも話題になっておりますが海外旅行先でトラブルも多いのですが。
そんな中国人が外国で臆さないというエピソードで、一つとびっきりのを持っております。全部が全部というわけじゃありませんがアメリカ人は英語が世界共通語だと認識しており基本的には英語しか話さず、人によっては相手(外国人)が英語を理解出来なくても英語でまくし立て、「こいつどうやらわかってないようだね( ´∀`)」などとちょっと上から目線な態度をを取る人もいます。でもって日本人はこういう場合に大体、やや委縮するような素振りをみせます。
一方、これが中国人だと話が違います。これは私が人伝に聞いた話ですが、アメリカにやってきた中国人観光客が空港カウンターに来るや、相手がアメリカ人であるにもかかわらず一方的に中国語でまくし立てたそうです。全く英語を話す素振りをみせない中国人にアメリカ人が困惑していると、「こいつ中国語がわかんないようだぜーm9(^Д^)」と、何故かそのアメリカ人をみんなで笑い倒したとのことです。これを見ていた人は、「英語に委縮しない国の人を初めて見た」と言ってました。
上記の例はあくまで極端なものではあるものの、多かれ少なかれ中国人には外国に行っても委縮しないところがあると思います。何故中国人は委縮しないのか、要因としてはやはり「自分は中国人だ」というアイデンティティが確固たるものであることと、常日頃から相手の目線に立って行動しないという性格からだと思います。なんかこう書くと見も蓋もないような感じですが、こういうところが中国のいいところだと思えるようになってきたら日本社会では生き辛くなります。
それともう一つ、これは恐らく私だけが考える理由だと思いますが、中国もアメリカ同様に覇権主義国家であることも見逃せないと思います。こんなこと言ったら鼻で笑われるかもしれませんが、中国はいつかアメリカを倒して世界で覇権を取ることを真面目に考えている国です。国民レベルでも「ナンバー2じゃダメだ、1番じゃなきゃ!」という意識が強く、中華思想というものは現存し続けております。
無論、現段階ではアメリカに逆立ちしたって敵わないことは中国政府、並びに中国人も百も承知です。だからこそアメリカに追いつこうと国力を高める意識など官僚レベルでは半端じゃないのですが、こうした覇権主義国家であることが外国で妙な萎縮をしない要因の一つじゃないかというのが今日の私の意見です。
最初に全く関係ないですが、科学技術振興機構(JST)と岡山大学が両性類の四肢再生能力に関するたんぱく質の特定に成功したそうです。これを見て私が真っ先に思い付いたのは映画の「アメイジング・スパイダーマン」に出てきた敵役のカート・コナーズ博士で、この人はあくまでお話の中ですが、まさにこの両生類の再生能力を身に着けたところ勢い余って恐竜(リザード)みたいになっちゃいました。出来るのかなぁ、リザード……。
全く脈絡がないですが話を本題に移すと、昨日書いた「留学先によって異なる現地人への意識」のコメント欄で、「中国人の留学生はアメリカでも非常に堂々としていたように見えた」という書き込みがありました。実はこの指摘に当たる部分を前の記事でも書こうとしていたのですが忘れており、今日はその中国人の厚顔無恥さと言ってもいいような、外国でもやけに堂々としている理由について私の見方を紹介します。
まず結論から述べると、中国人は日本人とは異なり米国をはじめとした外国にいても非常に堂々としており、個人差はあるとはいえ全体的に言えば現地人と接する際も全く臆する様子がありません。もっとも見方を変えれば逆にふてぶてしくマイペースであるため、最近日本でも話題になっておりますが海外旅行先でトラブルも多いのですが。
そんな中国人が外国で臆さないというエピソードで、一つとびっきりのを持っております。全部が全部というわけじゃありませんがアメリカ人は英語が世界共通語だと認識しており基本的には英語しか話さず、人によっては相手(外国人)が英語を理解出来なくても英語でまくし立て、「こいつどうやらわかってないようだね( ´∀`)」などとちょっと上から目線な態度をを取る人もいます。でもって日本人はこういう場合に大体、やや委縮するような素振りをみせます。
一方、これが中国人だと話が違います。これは私が人伝に聞いた話ですが、アメリカにやってきた中国人観光客が空港カウンターに来るや、相手がアメリカ人であるにもかかわらず一方的に中国語でまくし立てたそうです。全く英語を話す素振りをみせない中国人にアメリカ人が困惑していると、「こいつ中国語がわかんないようだぜーm9(^Д^)」と、何故かそのアメリカ人をみんなで笑い倒したとのことです。これを見ていた人は、「英語に委縮しない国の人を初めて見た」と言ってました。
上記の例はあくまで極端なものではあるものの、多かれ少なかれ中国人には外国に行っても委縮しないところがあると思います。何故中国人は委縮しないのか、要因としてはやはり「自分は中国人だ」というアイデンティティが確固たるものであることと、常日頃から相手の目線に立って行動しないという性格からだと思います。なんかこう書くと見も蓋もないような感じですが、こういうところが中国のいいところだと思えるようになってきたら日本社会では生き辛くなります。
それともう一つ、これは恐らく私だけが考える理由だと思いますが、中国もアメリカ同様に覇権主義国家であることも見逃せないと思います。こんなこと言ったら鼻で笑われるかもしれませんが、中国はいつかアメリカを倒して世界で覇権を取ることを真面目に考えている国です。国民レベルでも「ナンバー2じゃダメだ、1番じゃなきゃ!」という意識が強く、中華思想というものは現存し続けております。
無論、現段階ではアメリカに逆立ちしたって敵わないことは中国政府、並びに中国人も百も承知です。だからこそアメリカに追いつこうと国力を高める意識など官僚レベルでは半端じゃないのですが、こうした覇権主義国家であることが外国で妙な萎縮をしない要因の一つじゃないかというのが今日の私の意見です。
2013年6月4日火曜日
留学先によって異なる現地人への意識
多分気づいている人は少ないでしょうが、右サイドバーにある「最近のコメント」の表示件数を、ここのサイトを参考にしてこれまでの5件から10件に増やしました。以前はBloggerが用意していたコメント表示ガジェットを使っていたのですが、これだと表示件数は最大5件で前から物足りなく感じていました。一方、新しいガジェットは10件表示できるようになったもののコメントされた記事のタイトル、コメント投稿者が表示されなくなりましたが、こういうのはリンクがくっつくことが一番大事なのでこっちの方がいいと思えます。
それでは本題に移りますが、先日にふとしたきっかけから、若い頃にアメリカに留学したという方とお話しする機会を得ました。いい機会なので当時のアメリカの社会とか留学時の環境などを聞いていたのですがその際に、「やはり留学先では現地のアメリカ人に劣等感みたいなものを感じた」という一言が自分の感性に何故だかヒットしました。
アメリカ留学者が現地のアメリカ人に劣等感を感じるというか悔しい思いをするということは以前からも何度か聞いたことがあり、戦前の外務大臣の松岡洋右なんかそうした劣等感が変な方向に行ってしまった代表格です。なんでこんな意識を持つのかというといくつか理由が考えられますが、一つは単純にアメリカ人は体格がでかいということ、次にアメリカは日本以上の大国であるということ、そして何よりも大国であることを笠に着てアメリカ人自身が外国人に対して蔑視する態度を少なからず持っているためではないかと私は睨んでいます。
先に言っておきますが、別に私はアメリカ人に特別な意識は持っていません。ただやっぱり世界の中心であるということを本人らも持っているのか、外国に行っても現地の言葉をあまり使わず英語でまくし立てる態度を見ているとほかの国の人間とはやっぱり意識が違うなと感じてしまいます。
ちょっと話が脱線しましたが、何故私がアメリカ人に対して日本人留学生が劣等感を感じるという話に反応したのかというと、中国人に対してはまるで逆だったからです。というのも私自身も中国に留学した、っていうか向こうで働いてもいましたが、はっきり言って中国に行く日本人は現地の中国人は「文化水準が低い」、「マナーが悪い」などと明らかに上から目線で、見下した態度を少なからず取っております。恥ずかしい話ですが、私自身もそういった意識を持っていたし、恐らく今もあるでしょう。
こうした日本人の態度を中国人もなんとなく肌で感じているようです。やはり日本の方が平均収入も多いし先進国だし、「なんかあいつらエラそうにするなぁ」みたいな感覚を持っていると私も聞いたことがあります。まぁ実際、中国人に対してややエラそうな態度取っていると思うんだけど。
このように留学先によって日本人が現地人に対する態度は見上げることもあれば見下げることもあり、はっきりと分かれるように思えます。多分欧米に行く人は劣等感を感じて、アジアに行く人は優越感を覚えるのでしょう。もちろんそのような意識を持つこともない人もいるでしょうし、あとさらに見上げる態度と見下げる態度のどっちがいいとも悪いとも言い切れませんが、どっちの感覚を持つかによって学生だとその後の性格や思考に多少の影響があるのではないかと私は言いたいのです。
具体的にどのような変化が起こるのかまではちょっと言及しにくいのですが、この辺をもう少し掘り下げると行先別の留学の効果などがもう少しはっきりするかもしれません。まぁでも一番いいのは、留学中は現地の人たちに尊敬の念を以って彼らの仕草なり行動なり思考なりを学ぼうとする態度を持つことでしょうね。
それでは本題に移りますが、先日にふとしたきっかけから、若い頃にアメリカに留学したという方とお話しする機会を得ました。いい機会なので当時のアメリカの社会とか留学時の環境などを聞いていたのですがその際に、「やはり留学先では現地のアメリカ人に劣等感みたいなものを感じた」という一言が自分の感性に何故だかヒットしました。
アメリカ留学者が現地のアメリカ人に劣等感を感じるというか悔しい思いをするということは以前からも何度か聞いたことがあり、戦前の外務大臣の松岡洋右なんかそうした劣等感が変な方向に行ってしまった代表格です。なんでこんな意識を持つのかというといくつか理由が考えられますが、一つは単純にアメリカ人は体格がでかいということ、次にアメリカは日本以上の大国であるということ、そして何よりも大国であることを笠に着てアメリカ人自身が外国人に対して蔑視する態度を少なからず持っているためではないかと私は睨んでいます。
先に言っておきますが、別に私はアメリカ人に特別な意識は持っていません。ただやっぱり世界の中心であるということを本人らも持っているのか、外国に行っても現地の言葉をあまり使わず英語でまくし立てる態度を見ているとほかの国の人間とはやっぱり意識が違うなと感じてしまいます。
ちょっと話が脱線しましたが、何故私がアメリカ人に対して日本人留学生が劣等感を感じるという話に反応したのかというと、中国人に対してはまるで逆だったからです。というのも私自身も中国に留学した、っていうか向こうで働いてもいましたが、はっきり言って中国に行く日本人は現地の中国人は「文化水準が低い」、「マナーが悪い」などと明らかに上から目線で、見下した態度を少なからず取っております。恥ずかしい話ですが、私自身もそういった意識を持っていたし、恐らく今もあるでしょう。
こうした日本人の態度を中国人もなんとなく肌で感じているようです。やはり日本の方が平均収入も多いし先進国だし、「なんかあいつらエラそうにするなぁ」みたいな感覚を持っていると私も聞いたことがあります。まぁ実際、中国人に対してややエラそうな態度取っていると思うんだけど。
このように留学先によって日本人が現地人に対する態度は見上げることもあれば見下げることもあり、はっきりと分かれるように思えます。多分欧米に行く人は劣等感を感じて、アジアに行く人は優越感を覚えるのでしょう。もちろんそのような意識を持つこともない人もいるでしょうし、あとさらに見上げる態度と見下げる態度のどっちがいいとも悪いとも言い切れませんが、どっちの感覚を持つかによって学生だとその後の性格や思考に多少の影響があるのではないかと私は言いたいのです。
具体的にどのような変化が起こるのかまではちょっと言及しにくいのですが、この辺をもう少し掘り下げると行先別の留学の効果などがもう少しはっきりするかもしれません。まぁでも一番いいのは、留学中は現地の人たちに尊敬の念を以って彼らの仕草なり行動なり思考なりを学ぼうとする態度を持つことでしょうね。
2013年6月2日日曜日
時間にルーズな日本人
本題とは関係ありませんが、リンクを結ばせてもらっている方から「このブログにコメントを投稿しようとしたら出来なかった」というお話を先日聞きました。原因はわからないのですが、もし同じような経験がある方はメール(miyamakikai@gmail.com)まで、コメントを入れようとして駄目だった状況などについて一言入れてくれると助かります。
ちなみに何人かの読者から、「このブログで展開されている話はやけに高度で、生半可なコメントをしてはいけないような雰囲気がある」という意見を受けたことがあるのですが、このような心配はご無用なので素朴な疑問や書いてほしい話題のリクエストなどがあればどしどしコメントしてください。もともとこのブログの記事は問題提起をすることが主目的で、コメント欄でみんなに議論してもらいたいと思いつつ書いているのでコメントしてもらえるとむしろありがたいです。
それでは本題ですが、去年あたりからお題に掲げた「日本人は時間にルーズだ」という話を引用することが増えました。この話の発端は日本での就労を目指してやってきたけれども看護師資格が取れず帰国することになった、確かフィリピン人看護師が去り際に述べた話で、大まかな内容をまとめると下記の通りとなります。
「日本では始業時間の最低5分前、下手したらそれよりもずっと早くから作業に取り掛からなければならない暗黙のルールがある。逆に終業時間は誰も守っておらず、当たり前のように長い時間残業をしていて半ばそれが義務となっているなど、日本人は時間に対して非常にルーズだ」
言われることごもっとも、というのが私の意見です。案外、こういうところは外国人が指摘するとすっきりするもんです。
ここに書かれている通り、一般的な日本社会では5分前には待ち合わせ場所に着くなり作業準備を始めていないといけません。更に言えば、仮に5分遅れようものならとんでもない大問題に発展する可能性があり、人によっては遅れた相手を殴ってもいいという人もいるかもしれません。
その一方、終業時間に関してはもはやあってないものです。工場のラインなどでは厳格に守られていると聞きますが、そうでない大抵の職場においては終業時間と共に席立ってすぐ帰ろうものなら「てめぇなめてんのか?(#゚Д゚)y-~~イライラ」と言われても仕方ありません。
仮に始業時間に関してもいい加減であるのなら終業時間が守られなくてもまだ理解できますが、はっきり言って今の日本の企業風土はダブルスタンダードもいい所で、外国人からしたら「自分たちの都合がいいように物事を解釈する連中だ」とか思われてるかもしれません。ちなみに中国だと終業時間を迎えるとリアルにみんな一斉に立ち上がって帰っていきます。あとこれは以前に「フランスの日々」のSophieさんから聞きましたが、Sophieさんが終業時間後もしばらく残って作業を続けていると周りから「Hentaiだなぁお前は」とか言われたそうです。なんでもHentaiでいっしょくたにするのもなぁ……。
ここまで読んでもらえればわかるでしょうが、私はこうした時間にルーズな日本社会を快く思っておりません。残業時間が非常に長いというだけでなく始業時間に異常なほどに厳格で遅刻を許さないというのも、はっきり言えば精神病の領域にもう入っているだろうと普通に口にして批判してます。
それこそ5分や10分遅れたくらいで物事に支障が出ることなんてほとんどありません。にもかかわらず日本人は相手が遅刻してくるや鬼の首を取ったかのように人格否定も辞さないほど激しく批判する輩が多く、そういう場面に会う度に今のうちにこいつを始末しておく方が日本社会のためになるんじゃないかと腹の中で本当によく考えます。
あとこれはやや古い話ですが、2004年に起きた福知山線の脱線事故の後にある批評家が、「JR西日本が過密なダイヤを組んだのは日本社会が1分1秒遅れてはならないほど時間に厳格なことも背景にあるように思える。過密なダイヤを緩めるためにも、日本人はもっと時間に寛容になるべきだ」と話しておりました。この意見にも私は同感で、さすがに1時間遅れてきたら「もうちょっと気をつけなよ」と軽く言いますが、30分程度なら何も言わないようにしております。まぁでも30分遅れてきたら向こうから謝ってくるので、「そんなの気にしないでいいって(・ω・` )」と声かけることのが多いかな。
そして本丸の終業時間に関しては逆に、もっとしっかり守るべきだと言いたいです。今に始まるわけじゃないですが日本の生産効率性は先進諸国中で最低クラスにあり、その原因はまさにこの無駄に長い残業時間にあると言って過言じゃないでしょう。惰性で働くもんだから時間内にきっちり仕事を終えようという意識が低く、私の目からしても日本人の時間当たり作業量は低いと言わざるを得ません。この前も終業時間の後から会議を始める場面に遭遇して、「何考えてるのこの人たち?」とリアルに感じました。
さっきからかなり強い言葉で日本社会を批判していますが、私は真面目にこの問題はなんとしてでも改善するべき課題だと考えています。というのも終業時間があってないものという社会ではルールに対する遵法意識が低くなり、どちらかというと上にとって都合の良いルールが下に押し付けられやすくなる社会になりやすくなると思えるからです。もはやすっかり市民権を得た「ブラック企業」という言葉がありますが、そもそもの話、なんでブラック企業がこの世に存続できるのかという疑問を持つべきでしょう。
たまに「日本人はルールをよく守る民族だ」という人を見ますが、私からすると「ルールや法律を自分勝手に都合よく解釈することが多く、しかも自己解釈ルールを平気で盾に取ってくることが多い民族」で、もっと短く言うなら「かなりあいまいというかいい加減な民族」というところに落ち着きます。これが中国人だとそのまんま「ルールや法律をほとんど守らない民族」で片づけられますし本人らもこの点を自覚していますが、少なくとも日本人みたいに自己ルールを相手へ強制することはまだ少ないかなと思います。まぁこの辺は一長一短か。
自分でも疲れているのかなと思うくらいやや過激な主張を展開しましたが、真面目にこの時間感覚について日本人はもっと考えるべきだと思います。中には「自分は多少遅刻してもいいと思っているが、相手はそうは思っていないので合わせるしかない」という人もいるかもしれませんが、相手のルールをただ迎合することによって社会全体をギスギスさせていいのかと逆に問いたいです。最後にもう一回また過激なことを書いてしまうと、社会をギスギスさせるような時間感覚の持ち主を如何にこの世から排除するか、そういった風に思考を転回するべきでしょう。
ちなみに何人かの読者から、「このブログで展開されている話はやけに高度で、生半可なコメントをしてはいけないような雰囲気がある」という意見を受けたことがあるのですが、このような心配はご無用なので素朴な疑問や書いてほしい話題のリクエストなどがあればどしどしコメントしてください。もともとこのブログの記事は問題提起をすることが主目的で、コメント欄でみんなに議論してもらいたいと思いつつ書いているのでコメントしてもらえるとむしろありがたいです。
それでは本題ですが、去年あたりからお題に掲げた「日本人は時間にルーズだ」という話を引用することが増えました。この話の発端は日本での就労を目指してやってきたけれども看護師資格が取れず帰国することになった、確かフィリピン人看護師が去り際に述べた話で、大まかな内容をまとめると下記の通りとなります。
「日本では始業時間の最低5分前、下手したらそれよりもずっと早くから作業に取り掛からなければならない暗黙のルールがある。逆に終業時間は誰も守っておらず、当たり前のように長い時間残業をしていて半ばそれが義務となっているなど、日本人は時間に対して非常にルーズだ」
言われることごもっとも、というのが私の意見です。案外、こういうところは外国人が指摘するとすっきりするもんです。
ここに書かれている通り、一般的な日本社会では5分前には待ち合わせ場所に着くなり作業準備を始めていないといけません。更に言えば、仮に5分遅れようものならとんでもない大問題に発展する可能性があり、人によっては遅れた相手を殴ってもいいという人もいるかもしれません。
その一方、終業時間に関してはもはやあってないものです。工場のラインなどでは厳格に守られていると聞きますが、そうでない大抵の職場においては終業時間と共に席立ってすぐ帰ろうものなら「てめぇなめてんのか?(#゚Д゚)y-~~イライラ」と言われても仕方ありません。
仮に始業時間に関してもいい加減であるのなら終業時間が守られなくてもまだ理解できますが、はっきり言って今の日本の企業風土はダブルスタンダードもいい所で、外国人からしたら「自分たちの都合がいいように物事を解釈する連中だ」とか思われてるかもしれません。ちなみに中国だと終業時間を迎えるとリアルにみんな一斉に立ち上がって帰っていきます。あとこれは以前に「フランスの日々」のSophieさんから聞きましたが、Sophieさんが終業時間後もしばらく残って作業を続けていると周りから「Hentaiだなぁお前は」とか言われたそうです。なんでもHentaiでいっしょくたにするのもなぁ……。
ここまで読んでもらえればわかるでしょうが、私はこうした時間にルーズな日本社会を快く思っておりません。残業時間が非常に長いというだけでなく始業時間に異常なほどに厳格で遅刻を許さないというのも、はっきり言えば精神病の領域にもう入っているだろうと普通に口にして批判してます。
それこそ5分や10分遅れたくらいで物事に支障が出ることなんてほとんどありません。にもかかわらず日本人は相手が遅刻してくるや鬼の首を取ったかのように人格否定も辞さないほど激しく批判する輩が多く、そういう場面に会う度に今のうちにこいつを始末しておく方が日本社会のためになるんじゃないかと腹の中で本当によく考えます。
あとこれはやや古い話ですが、2004年に起きた福知山線の脱線事故の後にある批評家が、「JR西日本が過密なダイヤを組んだのは日本社会が1分1秒遅れてはならないほど時間に厳格なことも背景にあるように思える。過密なダイヤを緩めるためにも、日本人はもっと時間に寛容になるべきだ」と話しておりました。この意見にも私は同感で、さすがに1時間遅れてきたら「もうちょっと気をつけなよ」と軽く言いますが、30分程度なら何も言わないようにしております。まぁでも30分遅れてきたら向こうから謝ってくるので、「そんなの気にしないでいいって(・ω・` )」と声かけることのが多いかな。
そして本丸の終業時間に関しては逆に、もっとしっかり守るべきだと言いたいです。今に始まるわけじゃないですが日本の生産効率性は先進諸国中で最低クラスにあり、その原因はまさにこの無駄に長い残業時間にあると言って過言じゃないでしょう。惰性で働くもんだから時間内にきっちり仕事を終えようという意識が低く、私の目からしても日本人の時間当たり作業量は低いと言わざるを得ません。この前も終業時間の後から会議を始める場面に遭遇して、「何考えてるのこの人たち?」とリアルに感じました。
さっきからかなり強い言葉で日本社会を批判していますが、私は真面目にこの問題はなんとしてでも改善するべき課題だと考えています。というのも終業時間があってないものという社会ではルールに対する遵法意識が低くなり、どちらかというと上にとって都合の良いルールが下に押し付けられやすくなる社会になりやすくなると思えるからです。もはやすっかり市民権を得た「ブラック企業」という言葉がありますが、そもそもの話、なんでブラック企業がこの世に存続できるのかという疑問を持つべきでしょう。
たまに「日本人はルールをよく守る民族だ」という人を見ますが、私からすると「ルールや法律を自分勝手に都合よく解釈することが多く、しかも自己解釈ルールを平気で盾に取ってくることが多い民族」で、もっと短く言うなら「かなりあいまいというかいい加減な民族」というところに落ち着きます。これが中国人だとそのまんま「ルールや法律をほとんど守らない民族」で片づけられますし本人らもこの点を自覚していますが、少なくとも日本人みたいに自己ルールを相手へ強制することはまだ少ないかなと思います。まぁこの辺は一長一短か。
自分でも疲れているのかなと思うくらいやや過激な主張を展開しましたが、真面目にこの時間感覚について日本人はもっと考えるべきだと思います。中には「自分は多少遅刻してもいいと思っているが、相手はそうは思っていないので合わせるしかない」という人もいるかもしれませんが、相手のルールをただ迎合することによって社会全体をギスギスさせていいのかと逆に問いたいです。最後にもう一回また過激なことを書いてしまうと、社会をギスギスさせるような時間感覚の持ち主を如何にこの世から排除するか、そういった風に思考を転回するべきでしょう。
2013年6月1日土曜日
日本型組織を外国人が運営する価値
「近現代の日本で最高の政治家は?」と仮に聞かれるなら私は、「マッカーサー」だと即答します。日本統治当初からGHQと米軍がバックにあるという恵まれた環境からスタート出来たこともありますが、それを差し引いても短期間で農地改革から民主化、経済再生までやってのけたというのは驚愕に値する功績だと考えているからです。もっとも、マッカーサー自身は本来、政治家じゃなく軍人だけどなぁ。
それにしても自分で書いておきながらですが、日本最高の政治家がアメリカ人というのも寂しい話です。ただ戦時中から米軍は日本軍を指し、「日本軍は末端の兵士や下士官は非常に優秀だが指揮官は無能で、無謀な作戦を組んでくれるから助かる」と述べており、事実その通りな状況でありました。私自身も日本人は今も昔も底辺が果てしなく優秀であるのに対して上層部の質が低く、極端にマネジメント能力が悪い民族だと考えています。となるとマッカーサーによるGHQ統治時代のように、日本人は案外、外国人にマネジメントしてもらった方が効率よく動けるのではないかという話を今朝に友人としてきました。
なんでこんな話が出てきたのかというとそもそもの発端は何故か自動車メーカーのマツダで、今ちょっと中国市場では落ち込んでるがこの前に取り上げた「CX-5」を始めクリーンディーゼルエンジンのあの技術は非常にすごいという話をしていて、なんであんなのを作れたのかというとディーゼルエンジンの普及率が高い欧州をメインの市場にしているということに加え、一時期に外国人経営者を招いていたことも大きいのではという意見が出てきたからです。
現代だと少し隔世の感がありますが、マツダはバブル期の多チャンネル化失敗によって90年代に米フォードから資本参入を受け、96年から03年までフォードから派遣された人物が社長を務めておりました。この時期に社長に就任したのは計四人ですが、なかでも最初にやってきたヘンリー・ウォレスという人がなかなか勘が鋭く、日本市場で初の本格的コンパクトカー「デミオ」を発売して危機的状況だったマツダを一気に立ち直らせております。
同じく自動車メーカーで言えば言わずもがなの日産のカルロス・ゴーンも見逃せません。彼がやってくるまで日産はずっと赤字が続いていましたが、日産の広報曰く「うちのゴーン(マイブーム)」が来てからは劇的に経営が改善し、現在に至ってもまだまともに会社が続いていることを考えたらその経営力は計り知れません。
こんな具合で、「日本人はマネジメント能力の高い外国人に支配された方が効率的に動けて、幸せになれるんだよ」といつもながらの過激で極端な主張を展開したところ、「闇金ウシジマくん」が大好きな友人は「そうとも限らないんじゃないかなぁ」と反論してきました。言われてやや落ち着きを取りも出した私も、「確かにソニーのストリンガーの例もあるしねぇ」と考え直して一呼吸を置き、「ただリストラクチャリング(=経営再建)という分野に限っては外国人経営者の方が勝っているのでは」と改めて言い直し、これには友人も同意しました。
それこそさきほどのマツダ、日産の例はまさにリストラクチャリングですが、外国人だとしがらみがないことから果断に従業員の整理解雇や事業部門の廃止を実行しやすく、変に日本人がやるよりも経営再建しやすいんじゃないかと思えます。ある意味ではGHQ統治も、日本国家のリストラクチャリングだったとも言えますし。
その上で話を現代に持ってくると、大幅な赤字が続いているパナソニックやシャープなんかは敢えてここで外国人経営者を招く方が良いのではとも言えます。外国人経営者であれば変な雑音に影響されることもないし、シャープなんかきわどいことを言うと、ホンハイから誰か役員なり社長なり送ってもらえばよかったかもしれません。我ながら、本当にきわどいことを平気で口にするなぁ。
最後に改めて言いますが、私の目からして日本人のマネジメント能力は極端に低いとしか思えません。この方面で長けているのはやはり欧米人で、さらにもう一歩踏み込んでいえば日本人よりは中国人の方が確実に上だと思います。まぁ中国は伸び盛りでオーナー経営者が多いという要因もありますが。
極端な自由制限があるとかだと話は別ですが、支配されるか否かは幸福とはあまり関係がないと思います。むしろ誰に支配してもらうか、これこそが圧倒的大多数の幸福に大きく影響すると思います。優秀な経営者、政治家、指導者、そういった人たちにどのようにつくかという価値判断をもうそろそろ日本人は考えるべき時ではないか、というより自分たちの幸福につながるのであれば国籍にこだわっている場合じゃないのではというのが今日の私の意見です。
それにしても自分で書いておきながらですが、日本最高の政治家がアメリカ人というのも寂しい話です。ただ戦時中から米軍は日本軍を指し、「日本軍は末端の兵士や下士官は非常に優秀だが指揮官は無能で、無謀な作戦を組んでくれるから助かる」と述べており、事実その通りな状況でありました。私自身も日本人は今も昔も底辺が果てしなく優秀であるのに対して上層部の質が低く、極端にマネジメント能力が悪い民族だと考えています。となるとマッカーサーによるGHQ統治時代のように、日本人は案外、外国人にマネジメントしてもらった方が効率よく動けるのではないかという話を今朝に友人としてきました。
なんでこんな話が出てきたのかというとそもそもの発端は何故か自動車メーカーのマツダで、今ちょっと中国市場では落ち込んでるがこの前に取り上げた「CX-5」を始めクリーンディーゼルエンジンのあの技術は非常にすごいという話をしていて、なんであんなのを作れたのかというとディーゼルエンジンの普及率が高い欧州をメインの市場にしているということに加え、一時期に外国人経営者を招いていたことも大きいのではという意見が出てきたからです。
現代だと少し隔世の感がありますが、マツダはバブル期の多チャンネル化失敗によって90年代に米フォードから資本参入を受け、96年から03年までフォードから派遣された人物が社長を務めておりました。この時期に社長に就任したのは計四人ですが、なかでも最初にやってきたヘンリー・ウォレスという人がなかなか勘が鋭く、日本市場で初の本格的コンパクトカー「デミオ」を発売して危機的状況だったマツダを一気に立ち直らせております。
同じく自動車メーカーで言えば言わずもがなの日産のカルロス・ゴーンも見逃せません。彼がやってくるまで日産はずっと赤字が続いていましたが、日産の広報曰く「うちのゴーン(マイブーム)」が来てからは劇的に経営が改善し、現在に至ってもまだまともに会社が続いていることを考えたらその経営力は計り知れません。
こんな具合で、「日本人はマネジメント能力の高い外国人に支配された方が効率的に動けて、幸せになれるんだよ」といつもながらの過激で極端な主張を展開したところ、「闇金ウシジマくん」が大好きな友人は「そうとも限らないんじゃないかなぁ」と反論してきました。言われてやや落ち着きを取りも出した私も、「確かにソニーのストリンガーの例もあるしねぇ」と考え直して一呼吸を置き、「ただリストラクチャリング(=経営再建)という分野に限っては外国人経営者の方が勝っているのでは」と改めて言い直し、これには友人も同意しました。
それこそさきほどのマツダ、日産の例はまさにリストラクチャリングですが、外国人だとしがらみがないことから果断に従業員の整理解雇や事業部門の廃止を実行しやすく、変に日本人がやるよりも経営再建しやすいんじゃないかと思えます。ある意味ではGHQ統治も、日本国家のリストラクチャリングだったとも言えますし。
その上で話を現代に持ってくると、大幅な赤字が続いているパナソニックやシャープなんかは敢えてここで外国人経営者を招く方が良いのではとも言えます。外国人経営者であれば変な雑音に影響されることもないし、シャープなんかきわどいことを言うと、ホンハイから誰か役員なり社長なり送ってもらえばよかったかもしれません。我ながら、本当にきわどいことを平気で口にするなぁ。
最後に改めて言いますが、私の目からして日本人のマネジメント能力は極端に低いとしか思えません。この方面で長けているのはやはり欧米人で、さらにもう一歩踏み込んでいえば日本人よりは中国人の方が確実に上だと思います。まぁ中国は伸び盛りでオーナー経営者が多いという要因もありますが。
極端な自由制限があるとかだと話は別ですが、支配されるか否かは幸福とはあまり関係がないと思います。むしろ誰に支配してもらうか、これこそが圧倒的大多数の幸福に大きく影響すると思います。優秀な経営者、政治家、指導者、そういった人たちにどのようにつくかという価値判断をもうそろそろ日本人は考えるべき時ではないか、というより自分たちの幸福につながるのであれば国籍にこだわっている場合じゃないのではというのが今日の私の意見です。
2013年5月31日金曜日
漫画レビュー「シドニアの騎士」
「重力子放射線射出装置」と聞いて、これが何を意味するか分かる人は多分私と趣味が合う人でしょう。この言葉は二瓶勉(にへいつとむ)という漫画家の作品「BLAME!」に出てくるなんでも貫通させてしまう銃(拳銃からライフルまで分かれる)の名称です。原理については作中でもはっきり明かしていませんが(小型ブラックホールを連続射出するとか考えられてる)、拳銃状の武器から100メートルはあろうかという巨大人工物を貫通する描写は圧巻の一言に尽きます。
多分私は人並み以上に漫画作品を日頃から読んでいて、現在連載中の作品で目を通しているのを上げると「暗殺教室」、「キングダム」、「極黒のブリュンヒルデ」、「進撃の巨人」、「AZUMI」などありますが、最も続きが楽しみでたまらない作品を一つ上げるのであれば、上に書いた「BLAME!」の作者である二瓶氏の最新連載作品、「シドニアの騎士」が私の中で挙がってきます。
・シドニアの騎士(Wikipedia)
この「シドニアの騎士」というのはロボットSF作品に当たるもので、普段はどんくさい主人公の谷風長道(たにかぜながて)が謎の宇宙生物である奇居子(ガウナ)との戦闘で超人的な活躍を続けるという内容です。戦闘の合間には学園ラブコメっぽい展開もあるのですがそこはさすが二瓶氏というべきか、戦闘が進むにつれて徐々に暗い局面も出始め、また光合成を行うことによって食事をとらずに生きる人間、脳味噌を換装して永遠に生きる不死の船員会など独特の設定が光ります。
ここで話を少し脱線しますが、二瓶氏というと特にその初連載作品の「BLAME!」に顕著ですが、めちゃくちゃ濃い絵で有名です。ただこのところはマイルドな画風に代わってきているのですが、ちょうどいい比較画像がネットに転がっていたので早速引用しましょう。

見てもらえばわかるでしょうが、「BLAME!」の頃と「シドニアの騎士」では「これほんとに同じ作者なの?」と言いたくなるくらい変貌しています。もっとも上の画像の「シドニアの騎士」の絵は第一巻の絵で、現在出ている最新刊の第十巻ではまたぞろ濃くなりつつあります。
ここまで書いているのを見ればわかるでしょうが、率直に言って私は二瓶氏の漫画が大好きです。この人の漫画は背景に巨大な人工物を描き人間との大きさの差を遠近で表現することが有名で、明らかに並の漫画家とは違うセンスをしております。またその絵柄自体の重厚さに加え、ストーリーでも先程の「重力子放射線射出装置」を筆頭に「東亜重工」、「駆除系」、「継衛(つぐもり)」などと、近未来SF作品にはあまり似つかわしくない妙に重たい漢字を多用するところも気に入ってます。
今回、改めて「シドニアの騎士」でレビューを書こうと思ったのは、なんでもアニメ化が決まったという発表があったためです。正直な所、いつもの如く読んでて意味が分からない展開が多いからアニメ化とかはないと思っていただけに意外な発表でしたが、それならそれでめでたいと思ってちょっと取り上げることにしました。
それともう一つ。二瓶氏は自分の作品でスターシステムというべきか、同じ名称の人物や組織を登場させることが多いです。代表格は「東亜重工」で、どの作品でも未知のハイエンド技術を持つ企業として出てきており、「シドニアの騎士」にも重要な組織として現れます。しかもその「シドニアの騎士」の最新刊である第十巻においてはなんとなんとというべきか、とうとうあの「重力子放射線射出装置」まで満を持して登場してきました。無論、文字通りなんでもかんでも貫通させてしまう反則と言いたくなるほどの破壊力も健在です。惑星まで貫通させていたしなぁ。
そんなわけで個人的にかなりおすすめの作品なので、巻数もまだ十巻までしか出ておらず手を出しやすいので、興味がある方は手に取ることをお勧めいたします。
おまけ(シドニアの騎士イラスト)
多分私は人並み以上に漫画作品を日頃から読んでいて、現在連載中の作品で目を通しているのを上げると「暗殺教室」、「キングダム」、「極黒のブリュンヒルデ」、「進撃の巨人」、「AZUMI」などありますが、最も続きが楽しみでたまらない作品を一つ上げるのであれば、上に書いた「BLAME!」の作者である二瓶氏の最新連載作品、「シドニアの騎士」が私の中で挙がってきます。
・シドニアの騎士(Wikipedia)
この「シドニアの騎士」というのはロボットSF作品に当たるもので、普段はどんくさい主人公の谷風長道(たにかぜながて)が謎の宇宙生物である奇居子(ガウナ)との戦闘で超人的な活躍を続けるという内容です。戦闘の合間には学園ラブコメっぽい展開もあるのですがそこはさすが二瓶氏というべきか、戦闘が進むにつれて徐々に暗い局面も出始め、また光合成を行うことによって食事をとらずに生きる人間、脳味噌を換装して永遠に生きる不死の船員会など独特の設定が光ります。
ここで話を少し脱線しますが、二瓶氏というと特にその初連載作品の「BLAME!」に顕著ですが、めちゃくちゃ濃い絵で有名です。ただこのところはマイルドな画風に代わってきているのですが、ちょうどいい比較画像がネットに転がっていたので早速引用しましょう。

見てもらえばわかるでしょうが、「BLAME!」の頃と「シドニアの騎士」では「これほんとに同じ作者なの?」と言いたくなるくらい変貌しています。もっとも上の画像の「シドニアの騎士」の絵は第一巻の絵で、現在出ている最新刊の第十巻ではまたぞろ濃くなりつつあります。
ここまで書いているのを見ればわかるでしょうが、率直に言って私は二瓶氏の漫画が大好きです。この人の漫画は背景に巨大な人工物を描き人間との大きさの差を遠近で表現することが有名で、明らかに並の漫画家とは違うセンスをしております。またその絵柄自体の重厚さに加え、ストーリーでも先程の「重力子放射線射出装置」を筆頭に「東亜重工」、「駆除系」、「継衛(つぐもり)」などと、近未来SF作品にはあまり似つかわしくない妙に重たい漢字を多用するところも気に入ってます。
今回、改めて「シドニアの騎士」でレビューを書こうと思ったのは、なんでもアニメ化が決まったという発表があったためです。正直な所、いつもの如く読んでて意味が分からない展開が多いからアニメ化とかはないと思っていただけに意外な発表でしたが、それならそれでめでたいと思ってちょっと取り上げることにしました。
それともう一つ。二瓶氏は自分の作品でスターシステムというべきか、同じ名称の人物や組織を登場させることが多いです。代表格は「東亜重工」で、どの作品でも未知のハイエンド技術を持つ企業として出てきており、「シドニアの騎士」にも重要な組織として現れます。しかもその「シドニアの騎士」の最新刊である第十巻においてはなんとなんとというべきか、とうとうあの「重力子放射線射出装置」まで満を持して登場してきました。無論、文字通りなんでもかんでも貫通させてしまう反則と言いたくなるほどの破壊力も健在です。惑星まで貫通させていたしなぁ。
そんなわけで個人的にかなりおすすめの作品なので、巻数もまだ十巻までしか出ておらず手を出しやすいので、興味がある方は手に取ることをお勧めいたします。
おまけ(シドニアの騎士イラスト)
2013年5月30日木曜日
暗殺者列伝~公暁
大分おざなりとなっているこちらの連載ですがふと思い出してみたらいい題材があったので、本日は鎌倉幕府の三代目将軍、源実朝を暗殺した公暁を取り上げようと思います。
・公暁(Wikipedia)
まず最初に公暁の出生というか鎌倉幕府将軍の血統について簡単に解説します。初代将軍の源頼朝は男子を計4人もうけますが、長男の千鶴丸は源平の争乱時にわずか3歳で殺され、三男の貞暁は仁和寺の仏門に入りました。そのため将軍の後継となれたのは二男の頼家と四男の実朝の二人となり、頼朝の死後は順番通りにひとまず二男の頼家が継いで二代目将軍となりました。
ただこの頼家、将軍就任後は母方の実家である北条家よりも外戚の比企氏を頼るようになり、北条家以外の昔からの御家人たちからも不興を買います。そのため北条家らによる謀略によって起こされた比企能員の変で比企氏が滅ぼされると権力を失い、将軍でありながら北条家らによって伊豆の修禅寺に追放され、そこでもまた北条家が刺客を放って23歳で暗殺されてしまいます。
頼家がリーダーシップに不足していたのか、また吾妻鏡に書かれているように粗暴な人間だったのかはやや疑いが残りますが、旧来の御家人たちからは確かに不人気だったと思わせられる描写があり、少なくとも御家人を束ねられる人物ではなかったと私は思います。だとしたら将軍になってしまったのは彼の不幸でしょうし、暗殺までされてしまうというのも悲運以外の何物でもないでしょう。
そうした同情論はこの際置いて話を続けますが、本日取り上げる公暁は頼家の二男です。父が暗殺されたのは彼が5歳の頃でしたが、暗殺後は頼家の後継となり三代目将軍となった源実朝が養子として引き取ります。もっとも後に暗殺にやって来るくらいだから実朝も持て余したのか、公暁が12歳になると鶴岡八幡宮へ送って出家させています。
そんな公暁自身は本人が勝手に思い込んだのか、はたまた誰かが吹き込んだのかがミステリーになりますが、どうも父親の頼家を暗殺したのは実朝だと考えたそうです。そして将来は自分が将軍に就くとも考えていた節があり、出家していながら髪を下さずにいたとも言われます。
そして来る1219年の1月。京都に大雪が降る中、右大臣就任を受け鶴岡八幡宮に参拝した実朝に対し19歳の公暁は、「親の仇だ!」と叫んで襲い掛かり、手下の法師数人と共に実朝を殺害します。またこの時に公暁は北条義時も狙っていたものの、当日になって体調不良を訴えて実朝の太刀持ちには源仲章に代わっていたことから義時は難を逃れました。逆を言えばこの時に仲章は義時に間違えられて殺されてしまったんですけど。
もう一気に書いてしまうと、上記のような背景があることからそもそもこの暗殺は源家の血筋を絶つために仕組んだ北条家の自作自演劇だったという説が絶えません。また北条家以外にも天皇家や他の御家人が公暁を唆したという説は絶えないのですが、検証することはできないまでも説としては確かに筋は通ります。
それで話は公暁に戻りますが、公暁は実朝の暗殺後、実朝の首を持って後見人の備中阿闍梨の家に向かいます。そして旧知の三浦義村に「自分はこれから将軍になるから準備を進めるように」と使いを出すわけなのですが、なんていうかこの辺りはやっぱまだ19歳のガキだなとか私は思ってしまいます。
使者を受けた三浦義村は曖昧な返事で時間を稼ぐとすぐに北条義時へこのことを知らせます。一方、なかなか返事が来ない公暁が義村の家へと向かうと時すでに遅く、そこにはたくさんの追手が待ち受けていたという話です。ただそこはやんちゃな19歳。腕力は相当あったようで追っ手を散々に蹴散らしたそうですが、最後は義村の家の塀をよじ登ろうとしたところを打ち取られてしまいました。
やっぱりこの公暁の暗殺劇を見ていると、どう見たって黒幕がいるとしか思えない筋書です。ただ19歳にもなって自分が騙されていると気付かない公暁も公暁で、彼の破滅は自業自得としか言いようがありません。
最後に実朝についてもう少し触れますが、この暗殺の黒幕に挙げられている後鳥羽上皇とはそこそこ仲が良く、両者ともに公武の連携を模索していたと言われます。仮にこの関係をブラフとして使っていたのであれば後鳥羽上皇は大したものですが、承久の乱を見る限りだと意識先行型な感じも受けます。
それと、公暁に殺された後に実朝は首を持って行かれたのですが、公暁が打ち取られた際に実朝の首は見つからなかったそうです。これを聞いて鶴岡八幡宮には夜な夜な、首のない実朝の霊が歩いたりするのかなと思ったのと同時に、去年にヒットした映画の「桐島、部活やめるってよ」のタイトルみたいに「実朝、首見つかってないってよ」というフレーズがなんかよぎりました。我ながら不謹慎この上ないと思いますが、なんか実朝さんは優しそうだから許しれくれそうな気がします。
・公暁(Wikipedia)
まず最初に公暁の出生というか鎌倉幕府将軍の血統について簡単に解説します。初代将軍の源頼朝は男子を計4人もうけますが、長男の千鶴丸は源平の争乱時にわずか3歳で殺され、三男の貞暁は仁和寺の仏門に入りました。そのため将軍の後継となれたのは二男の頼家と四男の実朝の二人となり、頼朝の死後は順番通りにひとまず二男の頼家が継いで二代目将軍となりました。
ただこの頼家、将軍就任後は母方の実家である北条家よりも外戚の比企氏を頼るようになり、北条家以外の昔からの御家人たちからも不興を買います。そのため北条家らによる謀略によって起こされた比企能員の変で比企氏が滅ぼされると権力を失い、将軍でありながら北条家らによって伊豆の修禅寺に追放され、そこでもまた北条家が刺客を放って23歳で暗殺されてしまいます。
頼家がリーダーシップに不足していたのか、また吾妻鏡に書かれているように粗暴な人間だったのかはやや疑いが残りますが、旧来の御家人たちからは確かに不人気だったと思わせられる描写があり、少なくとも御家人を束ねられる人物ではなかったと私は思います。だとしたら将軍になってしまったのは彼の不幸でしょうし、暗殺までされてしまうというのも悲運以外の何物でもないでしょう。
そうした同情論はこの際置いて話を続けますが、本日取り上げる公暁は頼家の二男です。父が暗殺されたのは彼が5歳の頃でしたが、暗殺後は頼家の後継となり三代目将軍となった源実朝が養子として引き取ります。もっとも後に暗殺にやって来るくらいだから実朝も持て余したのか、公暁が12歳になると鶴岡八幡宮へ送って出家させています。
そんな公暁自身は本人が勝手に思い込んだのか、はたまた誰かが吹き込んだのかがミステリーになりますが、どうも父親の頼家を暗殺したのは実朝だと考えたそうです。そして将来は自分が将軍に就くとも考えていた節があり、出家していながら髪を下さずにいたとも言われます。
そして来る1219年の1月。京都に大雪が降る中、右大臣就任を受け鶴岡八幡宮に参拝した実朝に対し19歳の公暁は、「親の仇だ!」と叫んで襲い掛かり、手下の法師数人と共に実朝を殺害します。またこの時に公暁は北条義時も狙っていたものの、当日になって体調不良を訴えて実朝の太刀持ちには源仲章に代わっていたことから義時は難を逃れました。逆を言えばこの時に仲章は義時に間違えられて殺されてしまったんですけど。
もう一気に書いてしまうと、上記のような背景があることからそもそもこの暗殺は源家の血筋を絶つために仕組んだ北条家の自作自演劇だったという説が絶えません。また北条家以外にも天皇家や他の御家人が公暁を唆したという説は絶えないのですが、検証することはできないまでも説としては確かに筋は通ります。
それで話は公暁に戻りますが、公暁は実朝の暗殺後、実朝の首を持って後見人の備中阿闍梨の家に向かいます。そして旧知の三浦義村に「自分はこれから将軍になるから準備を進めるように」と使いを出すわけなのですが、なんていうかこの辺りはやっぱまだ19歳のガキだなとか私は思ってしまいます。
使者を受けた三浦義村は曖昧な返事で時間を稼ぐとすぐに北条義時へこのことを知らせます。一方、なかなか返事が来ない公暁が義村の家へと向かうと時すでに遅く、そこにはたくさんの追手が待ち受けていたという話です。ただそこはやんちゃな19歳。腕力は相当あったようで追っ手を散々に蹴散らしたそうですが、最後は義村の家の塀をよじ登ろうとしたところを打ち取られてしまいました。
やっぱりこの公暁の暗殺劇を見ていると、どう見たって黒幕がいるとしか思えない筋書です。ただ19歳にもなって自分が騙されていると気付かない公暁も公暁で、彼の破滅は自業自得としか言いようがありません。
最後に実朝についてもう少し触れますが、この暗殺の黒幕に挙げられている後鳥羽上皇とはそこそこ仲が良く、両者ともに公武の連携を模索していたと言われます。仮にこの関係をブラフとして使っていたのであれば後鳥羽上皇は大したものですが、承久の乱を見る限りだと意識先行型な感じも受けます。
それと、公暁に殺された後に実朝は首を持って行かれたのですが、公暁が打ち取られた際に実朝の首は見つからなかったそうです。これを聞いて鶴岡八幡宮には夜な夜な、首のない実朝の霊が歩いたりするのかなと思ったのと同時に、去年にヒットした映画の「桐島、部活やめるってよ」のタイトルみたいに「実朝、首見つかってないってよ」というフレーズがなんかよぎりました。我ながら不謹慎この上ないと思いますが、なんか実朝さんは優しそうだから許しれくれそうな気がします。
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