少し前の記事でソニーの携帯ゲーム機、PSVitaを購入したことをちょこっと書きました。私はこれ以前に同じソニーの携帯ゲーム機でPSVitaの前身にあたるPSPを持ってて、中国での生活中は文字通り苦楽を共にしたゲーム機だっただけに大事にしていたのですが、残念なことに恐らくリフォーム中に入り込んだ業者の人間に盗まれて紛失してしまいました。今回PSVitaを購入したのもこうした背景があったのと、新しい携帯ゲームが必要になる時期が迫ってきたためです。
そんなわけで購入して早速いろいろ昨日とか確かめたり以前のPSPの時に購入したゲームアーカイブスのゲームを再びダウンロードしたりしていますが、ちょこっとだけ感想を述べるとタッチパネルなだけにタブレットPCとなんかそれほど差のないようなインターフェース画面で、もう少しVitaならでは要素が欲しいななんて思いました。あくまで個人的意見ですが。
それと本体と同時に「忍道弐」という忍者ステルスゲームを買いましたがそこそこ面白く、中でもゲーム中のプレゼントグッズとして「暗殺は晩餐の後で」という、「謎解きはディナーの後で」を中途半端にパクったアイテムが出てきたときは素直に笑いました。
と、順風満帆にVitaを楽しんでいるかのような記述をしましたが、実はちょっと附属品でトラブルがありました。トラブルは二つあってそのうち一つは液晶を保護するフィルムで、結論から言うと貼るのに失敗して買い直す羽目となりました。私が購入したのはサイバーガジェット社の保護フィルムでしたがいざ貼ろうとして何に驚いたかというと、フィルムのどちらの面を液晶に張り付けるか説明書に書かれていなかったという点です。フィルムを見ると片側だけになにやら引きはがすための白いシールが付いておりますが、果たしてこれは液晶に貼りつける側なのか、外面側なのかが全く書かれておらず、しょうがないからフィルムの両面を覆うシートをそーっと引きはがして確かめたりしましたがそうしている間に埃がやたらついて、結局使い物にならなくなりました。これまで保護フィルムを色んなものに貼ってきましたが失敗したのはこれが初めてで、最終的にほかのフィルムを買い直してそちらを貼りつけることとなりました。今度は一発できちんと決められたし貼り方も書かれていたからよかったものの、なんだったんだ最初のフィルムは。
このフィルムだけでトラブルはもうこりごりという感じでしたが、 もう一つ別の附属品でもトラブルに見舞われました。
フィルムを貼り直してようやくVitaで遊べるようになったのですが、なんだか遊んでて妙な臭いがずっとして、まだ買ったばかりだからプラスチックに臭いがついているのかなと思ってしばらく使い続けたものの全く解消されずくさいまま。敢えて言うなら砂利をまぶしたかのような臭いで一体何なのかといい加減原因を探り始めたところ、本体を収納するために買ったポーチが臭いの発生源であることを突き止めました。
からくりはこうです。ポーチは文字通りVitaの本体を収納するケースなのですが、このポーチの臭いが凄まじく 、Vita本体を入れているとその臭いが移って遊んでて不快感を煽ってくれていたのです。原因に気が付いたところでどうにか対策出来ないかと思い、まず消臭剤ファブリーズをまるでゾンビの頭めがけてガンガン弾丸を撃ち込むようにガスガス噴霧してやりましたがまるで効果がなく、だったら丸洗いだとばかりに石鹸や洗剤で本気でゴシゴシ洗いましたが乾くと元通りに砂利の臭いしかせず、ならばと数日間空気ににさらして臭いが無くなるのを待ちましたが、臭いが無くなるどころか気が付いたら部屋の中にこのポーチの砂利っぽい臭いが立ち込めてて愕然としました。
先ほどのフィルムの顛末と同じくこのポーチの問題は多分このブログを開設して以来初めて、私が体調不良から予告なしに一週間更新を休止した時期に起こっており、ただでさえ神経病んでて自分でも危なかったと思う状態だったというのに激しく神経を擦り減らしてくれて腹立たしいことこの上ありませんでした。
ただフィルムはともかくとしてポーチに関しては多少体調が戻って正常な判断が出来るようになってから販売会社のデイテルジャパンに直接相談した所、臭いに関するクレームはこれまでないもののひとまず現品を送ってくれないかとすぐに返信が来ました。指示通りに現品のポーチを着払いで郵送したら数日経ってデイテルジャパンより荷物が送られ、中には「確かに通常の製品とはまた異なる匂いであるように思われました(原文そのまま)」と書かれた手紙と共に、交換品として同じ色のポーチが同封されておりました。送られてきた交換品は受け取ってすぐマタタビを吸う猫の如く臭いをかぎましたが変な臭いは一切なく、この一件に関するデイテルジャパンの対応には満足していて今後も倍プッシュしてこうと考えてます。
それにしても悪いことは重なるというか本気で体調悪い時に面倒な問題が立て続けに起こり、かなり神経がやられて文字通り頭が変な風になってました。また明日記事にしようかと思いますがこの時期の平均睡眠時間は5時間で、自宅に帰ってからもブログ書いたりサイト作ったりとかなり追い込んで作業していたため本気で辛かった時期でした。今週からは平日の睡眠時間がガチで+2時間となり、余裕綽々でブログも作業もかければ気持ちに余裕もあり、恐らく人より数倍は頭を回転させている気がするだけに自分にとって睡眠は本当に重要だと感じた体験でした。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2014年4月5日土曜日
2014年4月4日金曜日
勉強のできる奴は仕事が出来ないのか?
| 本当に本題と全く関係がないですが、こちらの画像はさっきネットで見つけた物でツボにはまったのでここにも貼り付けることにしました。それにしてもよく似てる。 ちなみにグーグルの画像検索で「陽月秘話」と検索すると今まで貼り付けたわけのわからない画像がドバっと出てきて、自分のブログながらカオスな印象を覚えます。きっとこの画像もこれからヒットするんだろうな。 というわけで本題に入りますが、たまにネット、時にはリアル社会で見出しに掲げたような「勉強が出来る奴はあまり仕事が出来ない」というような意見を見受けます。使い方としては「一流大の奴は〜」とか「東大卒の癖に〜」なんていう使われ方が多く、仕事が出来ない理由としては「教科書に書いてあ ることしかできないから言われたこと以外出来ない」など、パターン通りにしか動けない頭でっかちみたいな言われ方をよく見ます。 結論から述べると、私自身はこういう意見はあまり賛同できないというか、勉強が出来る出来ない以前にもっと見るべき特徴があるような気がしてなりません。 まず私の視点で述べると、確かに高学歴の人間でもいい加減で果たしてどんなものかと思う人間がいないことはありませんが、それを言ったら学歴の低い人も同じようなもんで、学歴が高かろうが低かろうが頼りになる人は頼りになるし当てにならない人間は全く当てになりません。強いて言えば、仕事で指示を仰ぐ際だと学歴の高い人の方が指示がはっきりしていてわかりやすく、こっちも動きやすいって ところはある気がします。 きつい言い方をするとこのような意見が出回るのは少なからず嫉妬の感情があるせいでしょう。自分もそんないい大学を出ているわけじゃありませんが最初の職場にいた同僚に変に嫉妬され、今でも呆れますが会社に請われて休日出勤して引っ越し作業を手伝うことになったら「花園は会社を舐めている」などと意味の分からないことを言われ、さすがに黙っているのはおかしいと思って抗議したら喚き立てられ、入社年次が下だったことから周囲も私に謝れというのでついてられないと思い退職しましたが。 ここで話を終えてもいいですがもう少し続けると、そもそもなんでこういう「頭のいいやつは使えない」なんて意見が出てきたのか、ちょっと考えてみようと思います 。あくまで個人的な意見なのですが、私が子供だった頃にこうした意見の代表格として使われていたのは国家官僚で、どことなく官僚に対する批判意見として生まれてきたような気がしないでもありません。私が子供だった頃はちょうど大蔵官僚がノーパンしゃぶしゃぶとか官官接待を受けていた頃で批判が激しく、そうした空気が影響していたのかもしれません。もっとも、農水省と元社保庁の人たちは私は今でも馬鹿ばかりだと思うけど。 同じく官僚への批判としてちょっと思い当たるのは、戦前の軍部こと陸大出身者に対しても同じような批判のされ方がされてて、出所はもしかしてこっちが本命かななんて勝手に推量しています。戦前の軍部はほぼ全員が陸軍のエリート選抜校である陸大の出身者で 占められていて実際に呆れた戦況予測をしたり無茶な作戦立てたりして正気を疑う軍人も少なくありませんでした。 その中でもよく槍玉に挙げられるのが東条英機で、私の予備校の講師も「こいつはカミソリと呼ばれるほど頭の切れる奴だったのだが総大将には向いていなかったんだろうな」などと説明してましたが事実は差に非ず、陸大の受験では二回落っこちており、確かに受かるだけでも大したものですが「エリートの中のエリート」と言えるほど頭がよかったわけではないと私は見ています。むしろ当時の軍人で言えば、東條が陸大卒業時成績が11位だったのに対し同期で首席だった今村均とか、暇だからという理由で中国語をマスターした永田鉄山とかが際限知らずに頭がよかった人だったんじゃな いかと思えます。 |
2014年4月3日木曜日
何故、帝国は強いのか
アメリカではなんでも「ポーランド人は馬鹿だ」という内容のジョークがあると聞きます。また二次大戦前に何度も国土が分割され、二次大戦中もユダヤ人を始めとした死者数が500万人以上も出すという(国別死者数では4位という説も)悲劇的な歴史を持ちながらも何故か同じヨーロッパの国々からポーランドはそれほど同情されず、それどころかそのような歴史を歩んだのもやや自業自得みたいに言われているなどとも聞きます。
なんでポーランドがこんな風に馬鹿にされるのか理由はわかりませんが、以前にちょっとこの辺で気になったのでポーランドの歴史をこの前ネットで調べました。西欧史については一通りやっていて大まかな流れはわかっているものの個別の国々の歴史となるとまだまだ勉強不足であることを痛感したのですが、改めてポーランドの歴史を見てみると意外に面白く、さすがにブログでまとめることはしませんけどドイツ騎士団とプロイセンの歴史くらいなら一つのテーマでまとめてもありかもしれません。
折角なのでポーランドの歴史について簡単に触れると、あまり知られていませんが中世、具体的には13~16世紀くらいまでは間違いなく欧州最強国家と読んでいいほどの繁栄ぶりをみせております。当時のポーランドはヤゲウォ朝と呼ばれる国家体制で他のヨーロッパ諸国に先駆けて絶対王権を確立し、軍事力においてもポーランド騎士団と呼ばれる軍勢を保有して文字通りに現在のロシア地域にいたスラブ民族、並びにオスマントルコを筆頭としたイスラム勢力との抗争でキリスト教勢力の最前線を担う役割を果たしておりました。
残念ながらというか16世紀以降はロシアやプロイセン、オーストリアが勢力を拡大した上に内戦もやらかしてしまったことからポーランドは国力を落としてしまうわけですが、それ以前のポーランドがまさに帝国と呼ぶほどの繁栄を誇った理由については様々な要素が挙げられており、私の視点で述べるとそれらは「寛容性」という言葉にまとめられるように思えます。
当時のポーランドは一応はキリスト教を国教とする国であったのですが他のヨーロッパ諸国と比べてその強制性は非常に弱く、むしろ他の宗教や民族に対して非常に寛容であったことはほぼ意見が一致します。一番代表的なのはユダヤ人に対する態度で、13世紀の時点でユダヤ人の人権並びに政治的自治を認める法令を出しており、それを聞きつけたことによって他のヨーロッパ諸国で弾圧を受けたユダヤ人が移民してきたことによって学術的にも文化的にも発展したそうです。
そのほか現在のリトアニアに存在した、ギリシャ正教を国教とするリトアニア大公国と14世紀に連合を結び「ポーランド=リトアニア連合」という国家連合を作ってポーランド王家は領土や権力を大きく高めたのですが、この際にポーランド王国にやられてばっかだったドイツ騎士団が「異教徒と手を組んでいる」などとバチカンに訴えてきます。この際にポーランドは、「異教徒とはいえリトアニアの人間も同じ人間で我々と同じ人権を持つ」なんてかっこいいことを語ってバチカンにもその正当性を認めることに成功します。にしてもドイツ騎士団はカッコ悪いな。
このように異教徒、異文化、異民族に対してとにもかくにも寛容に受け入れていったことがポーランドの躍進に買ったと現在では評価されているのですが、こうした寛容性は何もポーランドに限らなくてもほかの歴史でも同じ傾向がある気がします。
一番卑近な例は現代の米国で、20世紀には黒人差別問題が大きく残っておりましたがそれでもほかの国々に比べればそうした民族的差別はまだ小さいように私には思え、黒人のオバマ氏が大統領になれたり、有色人種の人口が白人を追い抜いたりなどとしている状況を見るにつけ帝国と呼ばれるだけの多文化性、多様性を孕んだ国と言っていいでしょう。同じく帝国とくれば「テルマエ・ロマエ」で同じものローマ帝国も同じで、奴隷制によって成り立った経済構造でしたが植民州出身の人間でも兵役を終えればローマ市民権を与えたりして、いわば異質な文化の地域を取り込むような政策を実施しております。
私は帝国と呼ばれる国というのは歴史的に、異質な文化や民族を取り込むから帝国であって単独の文化を保持し続けハイ手的な主義を取る国は帝国とはなり得ないと前々から考えております。その上でさらに続けると、やはり発展性という意味では帝国の方が圧倒的な強さを持ち得ます。
現代の米国がいろいろな意見があるもののそれでも最強国として君臨し続けているのは毎年大量の移民を受け入れ、また学術や文化面で多くのものを取り込みつつ変化しているからだと思います。もちろんこんな帝国性を持つのは生半可な努力じゃ出来るわけなく日本なんて島国という特徴からもまず慣れるわけありませんが、それでももっと寛容性というものを意識し、異質な文化や概念を取り込むことで国家として民族として強くなれるということを少しは考えてほしいと陰ながら思います。
なんでポーランドがこんな風に馬鹿にされるのか理由はわかりませんが、以前にちょっとこの辺で気になったのでポーランドの歴史をこの前ネットで調べました。西欧史については一通りやっていて大まかな流れはわかっているものの個別の国々の歴史となるとまだまだ勉強不足であることを痛感したのですが、改めてポーランドの歴史を見てみると意外に面白く、さすがにブログでまとめることはしませんけどドイツ騎士団とプロイセンの歴史くらいなら一つのテーマでまとめてもありかもしれません。
折角なのでポーランドの歴史について簡単に触れると、あまり知られていませんが中世、具体的には13~16世紀くらいまでは間違いなく欧州最強国家と読んでいいほどの繁栄ぶりをみせております。当時のポーランドはヤゲウォ朝と呼ばれる国家体制で他のヨーロッパ諸国に先駆けて絶対王権を確立し、軍事力においてもポーランド騎士団と呼ばれる軍勢を保有して文字通りに現在のロシア地域にいたスラブ民族、並びにオスマントルコを筆頭としたイスラム勢力との抗争でキリスト教勢力の最前線を担う役割を果たしておりました。
残念ながらというか16世紀以降はロシアやプロイセン、オーストリアが勢力を拡大した上に内戦もやらかしてしまったことからポーランドは国力を落としてしまうわけですが、それ以前のポーランドがまさに帝国と呼ぶほどの繁栄を誇った理由については様々な要素が挙げられており、私の視点で述べるとそれらは「寛容性」という言葉にまとめられるように思えます。
当時のポーランドは一応はキリスト教を国教とする国であったのですが他のヨーロッパ諸国と比べてその強制性は非常に弱く、むしろ他の宗教や民族に対して非常に寛容であったことはほぼ意見が一致します。一番代表的なのはユダヤ人に対する態度で、13世紀の時点でユダヤ人の人権並びに政治的自治を認める法令を出しており、それを聞きつけたことによって他のヨーロッパ諸国で弾圧を受けたユダヤ人が移民してきたことによって学術的にも文化的にも発展したそうです。
そのほか現在のリトアニアに存在した、ギリシャ正教を国教とするリトアニア大公国と14世紀に連合を結び「ポーランド=リトアニア連合」という国家連合を作ってポーランド王家は領土や権力を大きく高めたのですが、この際にポーランド王国にやられてばっかだったドイツ騎士団が「異教徒と手を組んでいる」などとバチカンに訴えてきます。この際にポーランドは、「異教徒とはいえリトアニアの人間も同じ人間で我々と同じ人権を持つ」なんてかっこいいことを語ってバチカンにもその正当性を認めることに成功します。にしてもドイツ騎士団はカッコ悪いな。
このように異教徒、異文化、異民族に対してとにもかくにも寛容に受け入れていったことがポーランドの躍進に買ったと現在では評価されているのですが、こうした寛容性は何もポーランドに限らなくてもほかの歴史でも同じ傾向がある気がします。
一番卑近な例は現代の米国で、20世紀には黒人差別問題が大きく残っておりましたがそれでもほかの国々に比べればそうした民族的差別はまだ小さいように私には思え、黒人のオバマ氏が大統領になれたり、有色人種の人口が白人を追い抜いたりなどとしている状況を見るにつけ帝国と呼ばれるだけの多文化性、多様性を孕んだ国と言っていいでしょう。同じく帝国とくれば「テルマエ・ロマエ」で同じものローマ帝国も同じで、奴隷制によって成り立った経済構造でしたが植民州出身の人間でも兵役を終えればローマ市民権を与えたりして、いわば異質な文化の地域を取り込むような政策を実施しております。
私は帝国と呼ばれる国というのは歴史的に、異質な文化や民族を取り込むから帝国であって単独の文化を保持し続けハイ手的な主義を取る国は帝国とはなり得ないと前々から考えております。その上でさらに続けると、やはり発展性という意味では帝国の方が圧倒的な強さを持ち得ます。
現代の米国がいろいろな意見があるもののそれでも最強国として君臨し続けているのは毎年大量の移民を受け入れ、また学術や文化面で多くのものを取り込みつつ変化しているからだと思います。もちろんこんな帝国性を持つのは生半可な努力じゃ出来るわけなく日本なんて島国という特徴からもまず慣れるわけありませんが、それでももっと寛容性というものを意識し、異質な文化や概念を取り込むことで国家として民族として強くなれるということを少しは考えてほしいと陰ながら思います。
2014年4月1日火曜日
STAP細胞問題の最終報告について
・<STAP細胞>「小保方さんに不正行為」認定 失望大きく(毎日新聞)
これまでに何度もこの問題で記事を書いておりますが、以前の記事に書いた通りにようやく理研も小保方氏の論文に捏造や不正があると認めました。肝心の小保方氏は今回も記者会見には出てこず、報道では理研側の発表に対して反論を述べ不服申し立てをする予定だなどとされて本当に懲りない奴だなとか思います。今回の発表に対する私の感想は、当初でこそ妙なかばいだてこそしたものの途中からは理研は割ときちんと対応したかなと思え、これまで同様に小保方氏は確信犯で捏造をしていたのだろうという考えに変わりありません。
理研の発表内容に関してはもう細かく感想を述べませんが小保方氏がメディアへ配布したコメントについていくつか意見を述べると、 画像を切り貼りしたのは見やすくするための処置だったとか、自分の卒論と同じ画像が論文に使われていたのは単純ミスで悪意はなかったと主張しているようですが、そんなたわごとを信じる奴はマジで精神病ものだと呆れるレベルの反論としか言いようがありません。そして最も重要な、共同研究者の依頼で作成したSTAP細胞とされるマウスの細胞が、共同研究者が送ったマウスとは別系統の遺伝子を持つ細胞だったことに関して触れていないという時点で、まぁ色んな意味で確信犯なことがわかります。
この事件において第一義的に重要な論点は言うまでもなSTAP細胞論文は捏造だったのかそうでないのかということに間違いありませんが、第二の論点として何故これほどまで人格的に明らかな問題のある人物を理研が採用したのか、この点についてもっとみんなで考えるべきじゃないかと私は思います。私がこのように考えるのもいわゆるポストドクター問題こと、日本で博士号を取得した研究者が研究職に就職できず、大半が培った知識や技術を活かせないまま苦しい生活を送っているとよく聞くからです。
報道によると理研の研究職の待遇はほかの研究機関と比べて非常に良いらしいのですがそれは置いといて、何故ほかにもたくさん博士号取得者がいるにも関わらず平気でコピペ論文を出すような人間を理研は採用したのか、そして研究リーダーにまでして捏造を見過ごしたのか。別に研究職に限るわけじゃないですけど日本は人材採用のプロセス、そして昇進プロセスがどこかおかしい気がしてならず、政治家に白企業経営者にしろ、「よりによってなんでこんな人間が」と言いたくなるほど人格疑う人間が上に上ってくることがやけに多いです。何故こんなことが起きたのかその原因についてこれを機にもっと考えるべきじゃないか、なんてちょっと言いたくなります。
さっきから私は文字通りに人格否定発言を繰り返しておりますが、今回の捏造によって日本が世界に対してリードしている再生医療研究に大きな不信感を招いたという点で、本気で小保方氏には強い怒りを覚えます。日本がこの分野で何故リードしているのかと言えばノーベル賞も受賞した京都大学の山中伸弥教授がIPS細胞の作製に成功したためですが、そんな山中教授と小保方氏を比較したいい社説が先日、産経新聞に載せられておりました。
・推敲が足りない? 3月13日(産経新聞)
この社説では同じくノーベル賞受賞者の益川敏英氏と山中氏の業績を引用し、下記の様に小保方氏と比較しています。
「冒頭の2人の業績を振り返れば、ノーベル賞級の発見は、一人の天才の力だけではなし得ないことがわかる。益川さんは、ノーベル賞を同時に受賞し た小林誠さんとの議論の末に、新理論を打ち立てた。山中さんは、受賞記念講演のなかで、ともにiPS細胞開発に取り組んできた仲間の名前を挙げてたたえて いる。
この問題は突き詰めると、結局この一言に尽きるような気がします。この社説に書かれている通りに山中氏はIPS細胞発表後の会見、そしてノーベル賞の授賞式やそのほかのあらゆる場面で、自分の研究室にいる研究員が奮闘してくれた結果で自分だけの力ではないとこれでもかと言わんばかりに褒め称えていました。
それに対して小保方氏ですが、ネイチャー掲載後の会見では自分の研究を認めない科学界への腹立たしさばかり主張し、共同研究者たちに関してはほぼ全く触れられていなかったように私は記憶しております。今となってしまえばやはり自己主張が間違った方向に発展してしまった人だったということと、こんなイカサマばかりやっているから周りは認めなかったんだよと吐き捨てて言いたくなるような感情しか覚えませんが。
私は昨日の記事で漫画家の永井豪氏が若かりし頃の自分を追った「激マン!」という漫画のレビューを書きましたが、永井氏はこの漫画の中で当時の自分のアシスタントたちに対して非常に事細かくかつ好意的に紹介していて、実際に彼らなくして当時の仕事はこなせなかったという風に述懐していることを指摘しました。山中氏にしろ永井氏にしろ真に世の中に功績を残し評価されるべきはこういう人たちであり、にもかかわらず何故こんな採用前からいろいろと問題を抱えてそうな人間を理研が採用してしまったのか、そうしたてんについてくどいようですがもっとかんがえるべきでしょう。
これまでに何度もこの問題で記事を書いておりますが、以前の記事に書いた通りにようやく理研も小保方氏の論文に捏造や不正があると認めました。肝心の小保方氏は今回も記者会見には出てこず、報道では理研側の発表に対して反論を述べ不服申し立てをする予定だなどとされて本当に懲りない奴だなとか思います。今回の発表に対する私の感想は、当初でこそ妙なかばいだてこそしたものの途中からは理研は割ときちんと対応したかなと思え、これまで同様に小保方氏は確信犯で捏造をしていたのだろうという考えに変わりありません。
理研の発表内容に関してはもう細かく感想を述べませんが小保方氏がメディアへ配布したコメントについていくつか意見を述べると、 画像を切り貼りしたのは見やすくするための処置だったとか、自分の卒論と同じ画像が論文に使われていたのは単純ミスで悪意はなかったと主張しているようですが、そんなたわごとを信じる奴はマジで精神病ものだと呆れるレベルの反論としか言いようがありません。そして最も重要な、共同研究者の依頼で作成したSTAP細胞とされるマウスの細胞が、共同研究者が送ったマウスとは別系統の遺伝子を持つ細胞だったことに関して触れていないという時点で、まぁ色んな意味で確信犯なことがわかります。
この事件において第一義的に重要な論点は言うまでもなSTAP細胞論文は捏造だったのかそうでないのかということに間違いありませんが、第二の論点として何故これほどまで人格的に明らかな問題のある人物を理研が採用したのか、この点についてもっとみんなで考えるべきじゃないかと私は思います。私がこのように考えるのもいわゆるポストドクター問題こと、日本で博士号を取得した研究者が研究職に就職できず、大半が培った知識や技術を活かせないまま苦しい生活を送っているとよく聞くからです。
報道によると理研の研究職の待遇はほかの研究機関と比べて非常に良いらしいのですがそれは置いといて、何故ほかにもたくさん博士号取得者がいるにも関わらず平気でコピペ論文を出すような人間を理研は採用したのか、そして研究リーダーにまでして捏造を見過ごしたのか。別に研究職に限るわけじゃないですけど日本は人材採用のプロセス、そして昇進プロセスがどこかおかしい気がしてならず、政治家に白企業経営者にしろ、「よりによってなんでこんな人間が」と言いたくなるほど人格疑う人間が上に上ってくることがやけに多いです。何故こんなことが起きたのかその原因についてこれを機にもっと考えるべきじゃないか、なんてちょっと言いたくなります。
さっきから私は文字通りに人格否定発言を繰り返しておりますが、今回の捏造によって日本が世界に対してリードしている再生医療研究に大きな不信感を招いたという点で、本気で小保方氏には強い怒りを覚えます。日本がこの分野で何故リードしているのかと言えばノーベル賞も受賞した京都大学の山中伸弥教授がIPS細胞の作製に成功したためですが、そんな山中教授と小保方氏を比較したいい社説が先日、産経新聞に載せられておりました。
・推敲が足りない? 3月13日(産経新聞)
この社説では同じくノーベル賞受賞者の益川敏英氏と山中氏の業績を引用し、下記の様に小保方氏と比較しています。
「冒頭の2人の業績を振り返れば、ノーベル賞級の発見は、一人の天才の力だけではなし得ないことがわかる。益川さんは、ノーベル賞を同時に受賞し た小林誠さんとの議論の末に、新理論を打ち立てた。山中さんは、受賞記念講演のなかで、ともにiPS細胞開発に取り組んできた仲間の名前を挙げてたたえて いる。
STAP細胞の論文の共同執筆者の間では、論文の撤回をめぐって、意見の対立もあるようだ。一連の騒動のニュースに接していて、小保方さんにとって、「同志」と呼べる研究者の姿が見えないことも気にかかる。」
この問題は突き詰めると、結局この一言に尽きるような気がします。この社説に書かれている通りに山中氏はIPS細胞発表後の会見、そしてノーベル賞の授賞式やそのほかのあらゆる場面で、自分の研究室にいる研究員が奮闘してくれた結果で自分だけの力ではないとこれでもかと言わんばかりに褒め称えていました。
それに対して小保方氏ですが、ネイチャー掲載後の会見では自分の研究を認めない科学界への腹立たしさばかり主張し、共同研究者たちに関してはほぼ全く触れられていなかったように私は記憶しております。今となってしまえばやはり自己主張が間違った方向に発展してしまった人だったということと、こんなイカサマばかりやっているから周りは認めなかったんだよと吐き捨てて言いたくなるような感情しか覚えませんが。
私は昨日の記事で漫画家の永井豪氏が若かりし頃の自分を追った「激マン!」という漫画のレビューを書きましたが、永井氏はこの漫画の中で当時の自分のアシスタントたちに対して非常に事細かくかつ好意的に紹介していて、実際に彼らなくして当時の仕事はこなせなかったという風に述懐していることを指摘しました。山中氏にしろ永井氏にしろ真に世の中に功績を残し評価されるべきはこういう人たちであり、にもかかわらず何故こんな採用前からいろいろと問題を抱えてそうな人間を理研が採用してしまったのか、そうしたてんについてくどいようですがもっとかんがえるべきでしょう。
2014年3月31日月曜日
漫画レビュー「激マン!」
このブログについてよく、「どうして記事にするネタが切れないの?」と不思議そうに知人から尋ねられることが多いのですが、実体は逆で書きたいネタ外たくさんあるにもかかわらずほとんど書き切れていないのが実情です。今日書く子のレビューも約一ヶ月前に書こうと企画しておきながらずるずると遅れ、明日のタイミングに合わせるために今日この日に書くこととしました。
・激マン!(Wikipedia)
本題に入る前に簡単に永井氏について紹介しますが、永井氏は大学受験中に漫画家になることを志し、確かどっかの出版社に持ち込みしたところすぐに才能が認められてひとまず誰かのアシスタントにならないかと言われ、「じゃあ手塚先生」と言ったところその時に手塚治虫の職場に空きがなく、そのかわりとして石ノ森章太郎のアシスタントなり漫画家生活をスタートします。アシスタントとして多忙な生活を送る中でひとまずデビューしようと自分の作品を作ることを考え、すぐにストーリが組めるという理由からギャグ漫画を作りはじめ、それらの作品が後にチャンピオン編集長となり「ブラックジャック」などを連載させる名物編集者、壁村耐三によって見出されてプロ漫画家としてデビューします。
こうして永井氏はギャグ漫画家としてデビューしてすぐに人気作家となり、続けざまに少年ジャンプで連載を始めた「ハレンチ学園」でその人気を不動のものとしますが、本人としてはギャグ漫画よりもストーリー漫画を以前から書きたいと考えており、そうした本人の願いからテレビアニメの企画と同時進行で始められたのが「デビルマン」でした。
デビルマンについてこのままネタバレ覚悟で解説を続けますが、ある意味で観世懲悪に終わらないダークヒーローストーリーの作品として嚆矢となるような作品で、連載期間が短くそれほど長編ではないものの、逆に長編ではないからこそその話のインパクトは凄まじく、まだ読んでない人には強く一読することをお勧めします。この作品は「週刊少年マガジン」においてテレビアニメと同時並行で漫画が連載されたのですが、その時の状況についてこの「激マン!」は事細かに描写しています。それにしてもこのタイトル、漫画家を目指す少年二人と漫画編集の裏側を描いた「バクマン。」を露骨にパクってるな。
話は戻りますが当初、デビルマンは普通のヒーロー物として企画が立てられたそうで実際に漫画の連載より先に放送されたテレビアニメ版はそうした描かれ方がされています。ただ漫画版において永井氏は深いテーマ性、具体的には戦争というものを暗喩させる作品として描き始め、テレビアニメ版の企画になかった飛鳥了というキャラクターを勝手に作ったりして徐々に別の方向へと突き進んでいきます。
このデビルマンを執筆していた状況についてもこの「激マン!」の中では詳しく描かれているのですが、その中でひときわ目を引いたのは当時の永井氏の多忙ぶりです。なんでも週刊連載を三本も抱えていて一週間に執筆する原稿枚数はなんと100ページも超えていたそうです。もちろんこんなページ数を一人で書けるわけがなく自身のプロダクションで多くのアシスタントを抱え、日程を管理するため兄弟を始めとしたマネージャーも多く雇っておりました。そんな状況について永井氏は担当編集者に対して、「実は僕の今の手取り収入は同世代のサラリーマンよりも少ないんですよ」と語るシーンがあります。
漫画の中のセリフによると、連載なんて一本か二本くらい抱える方が一番収入に良く、当時の連載本数だと執筆を維持するためのスタッフの人件費がかかりすぎて実質マイナスに近い作業量だったそうです。それでも連載を抱えたのは収入以上に漫画作品を残したいという永井氏の信念からで、また当時は体力にも自信があって二、三日の徹夜も苦にせずやれたと描かれてあります。まあなんというか、恐ろしい執念だと読んでて感じました。
ただそんなタフな永井氏であっても、それまでのギャグ路線からシリアスなストーリーのデビルマンは執筆していて苦労が多かったらしく、その執筆にかかる労力はこれまでの漫画作品の数倍だったとしています。ただそれでもこの作品にかけたいという思いは強かったらしく、なんとデビルマンに心血を注ぐために人気絶頂だった「ハレンチ学園」を始めとした主だった当時の連載作品を終了させることにしたそうです。これには各漫画雑誌の担当も驚いて何とか連載を続けるように説得したものの永井氏は譲らず、実際に次回作を書くことを条件にして複数作品の連載を切りました。
・激マン!(Wikipedia)
本題に入る前に簡単に永井氏について紹介しますが、永井氏は大学受験中に漫画家になることを志し、確かどっかの出版社に持ち込みしたところすぐに才能が認められてひとまず誰かのアシスタントにならないかと言われ、「じゃあ手塚先生」と言ったところその時に手塚治虫の職場に空きがなく、そのかわりとして石ノ森章太郎のアシスタントなり漫画家生活をスタートします。アシスタントとして多忙な生活を送る中でひとまずデビューしようと自分の作品を作ることを考え、すぐにストーリが組めるという理由からギャグ漫画を作りはじめ、それらの作品が後にチャンピオン編集長となり「ブラックジャック」などを連載させる名物編集者、壁村耐三によって見出されてプロ漫画家としてデビューします。
こうして永井氏はギャグ漫画家としてデビューしてすぐに人気作家となり、続けざまに少年ジャンプで連載を始めた「ハレンチ学園」でその人気を不動のものとしますが、本人としてはギャグ漫画よりもストーリー漫画を以前から書きたいと考えており、そうした本人の願いからテレビアニメの企画と同時進行で始められたのが「デビルマン」でした。
デビルマンについてこのままネタバレ覚悟で解説を続けますが、ある意味で観世懲悪に終わらないダークヒーローストーリーの作品として嚆矢となるような作品で、連載期間が短くそれほど長編ではないものの、逆に長編ではないからこそその話のインパクトは凄まじく、まだ読んでない人には強く一読することをお勧めします。この作品は「週刊少年マガジン」においてテレビアニメと同時並行で漫画が連載されたのですが、その時の状況についてこの「激マン!」は事細かに描写しています。それにしてもこのタイトル、漫画家を目指す少年二人と漫画編集の裏側を描いた「バクマン。」を露骨にパクってるな。
話は戻りますが当初、デビルマンは普通のヒーロー物として企画が立てられたそうで実際に漫画の連載より先に放送されたテレビアニメ版はそうした描かれ方がされています。ただ漫画版において永井氏は深いテーマ性、具体的には戦争というものを暗喩させる作品として描き始め、テレビアニメ版の企画になかった飛鳥了というキャラクターを勝手に作ったりして徐々に別の方向へと突き進んでいきます。
このデビルマンを執筆していた状況についてもこの「激マン!」の中では詳しく描かれているのですが、その中でひときわ目を引いたのは当時の永井氏の多忙ぶりです。なんでも週刊連載を三本も抱えていて一週間に執筆する原稿枚数はなんと100ページも超えていたそうです。もちろんこんなページ数を一人で書けるわけがなく自身のプロダクションで多くのアシスタントを抱え、日程を管理するため兄弟を始めとしたマネージャーも多く雇っておりました。そんな状況について永井氏は担当編集者に対して、「実は僕の今の手取り収入は同世代のサラリーマンよりも少ないんですよ」と語るシーンがあります。
漫画の中のセリフによると、連載なんて一本か二本くらい抱える方が一番収入に良く、当時の連載本数だと執筆を維持するためのスタッフの人件費がかかりすぎて実質マイナスに近い作業量だったそうです。それでも連載を抱えたのは収入以上に漫画作品を残したいという永井氏の信念からで、また当時は体力にも自信があって二、三日の徹夜も苦にせずやれたと描かれてあります。まあなんというか、恐ろしい執念だと読んでて感じました。
ただそんなタフな永井氏であっても、それまでのギャグ路線からシリアスなストーリーのデビルマンは執筆していて苦労が多かったらしく、その執筆にかかる労力はこれまでの漫画作品の数倍だったとしています。ただそれでもこの作品にかけたいという思いは強かったらしく、なんとデビルマンに心血を注ぐために人気絶頂だった「ハレンチ学園」を始めとした主だった当時の連載作品を終了させることにしたそうです。これには各漫画雑誌の担当も驚いて何とか連載を続けるように説得したものの永井氏は譲らず、実際に次回作を書くことを条件にして複数作品の連載を切りました。
そうやってデビルマンの執筆態勢を整えた永井氏でしたが、徐々に作品が独り歩きし始めたというか、自分の想定とは勝手にストーリーが変わっていったと作品中で述懐しています。その動きに拍車をかけたのは漫画雑誌からの連載打ち切り連絡で、連動企画だったテレビアニメが終了することから漫画版のデビルマンもすぐに終了させるように通告されたことからでした。
この時の状況について「激マン!」では非常に詳しく描かれており、マネージャーをしていた兄と共に編集部を訪れて何度も連載を続けるように交渉し、実際に読者人気も上がっていったことから当初の予定より終了までの連載回数を増やすことに何度か成功させます。とはいえ執筆できるページ数は限られていることからそれまで以上に展開を早めてなんとか結末へ落そうと努力するわけなのですが、漫画の中の展開がハイスペースなのと同様に当時の永井氏の近況もなんと慌ただしかったことかと思わせられるばかりでした。
このような背景があったことから実際にデビルマンの後半部は非常にハイスピードで展開が進んでいくのですが、その中で異色を放つのは主人公の不動明を悪魔と戦うために悪魔と合体することを提案する、飛鳥了というキャラクターです。このキャラについて永井氏は当初、不動明をデビルマンへ導く役割を終えたら死亡して途中退場するキャラクターとして用意したらしいですが、登場させたところ人気が出たためそのまま生存フラグを歩み続投し、折々でキーポイントとなっていくキャラになってくのですが、後半に至って「一体何故この飛鳥了がここにいるのか」などと、作者の思惑を外れた活躍をするようになったと描かれています。彼の正体についてはぜひ原作の「デビルマン」を読んでもらいたいのですが、彼の役割が意図したものではなくストーリーの展開から独り歩きして出来上がったものだったという事実には私自身非常に驚き、同時に永井氏は本当に勢いでストーリーを進めていく人なんだなぁなどと感じました。
という具合で「激マン!」の解説なのか「デビルマン」の解説なのかよくわからない記事となりましたが、当時の漫画界と永井氏の近況、そして編集部と漫画家の作品にこだわる余りの深い交渉は見ていてなかなか面白いです。ただ敢えて苦言を呈せば、作者自身が自分の伝記的作品を書くことが恥ずかしくてこの「激マン!」について、「ノンフィクションに限りなく近いフィクション」と紹介しており、作中ではややオーバーな表現も目立ちます。そのため冷静かつ怜悧な目線に欠け、その面でこの「激マン!」はその価値をやや落としているようにも見えます。恥ずかしいとは思うものの、恥を忍んで淡々と当時の状況を追っておけばよかったのにとちょっと残念な点です。
最後に読んでてほかに気になった点として二つ挙げると、「デビルマン」でヒロインの母親が同じ人間によって拷問されて殺されて、その死体が出てくるシーンで永井氏は最初、逆さ吊りにされた上に体が左右に真っ二つに引き裂かれた死体を描いたところ、「逆さ吊りはいいけど真っ二つは駄目」と編集部に駄目だしされてしぶしぶ修正したシーンがあります。そのシーンで永井氏は、「どうせ残酷な描写なんだからあんまり変わらないような」と書いてますが私も同感です。
この時の状況について「激マン!」では非常に詳しく描かれており、マネージャーをしていた兄と共に編集部を訪れて何度も連載を続けるように交渉し、実際に読者人気も上がっていったことから当初の予定より終了までの連載回数を増やすことに何度か成功させます。とはいえ執筆できるページ数は限られていることからそれまで以上に展開を早めてなんとか結末へ落そうと努力するわけなのですが、漫画の中の展開がハイスペースなのと同様に当時の永井氏の近況もなんと慌ただしかったことかと思わせられるばかりでした。
このような背景があったことから実際にデビルマンの後半部は非常にハイスピードで展開が進んでいくのですが、その中で異色を放つのは主人公の不動明を悪魔と戦うために悪魔と合体することを提案する、飛鳥了というキャラクターです。このキャラについて永井氏は当初、不動明をデビルマンへ導く役割を終えたら死亡して途中退場するキャラクターとして用意したらしいですが、登場させたところ人気が出たためそのまま生存フラグを歩み続投し、折々でキーポイントとなっていくキャラになってくのですが、後半に至って「一体何故この飛鳥了がここにいるのか」などと、作者の思惑を外れた活躍をするようになったと描かれています。彼の正体についてはぜひ原作の「デビルマン」を読んでもらいたいのですが、彼の役割が意図したものではなくストーリーの展開から独り歩きして出来上がったものだったという事実には私自身非常に驚き、同時に永井氏は本当に勢いでストーリーを進めていく人なんだなぁなどと感じました。
という具合で「激マン!」の解説なのか「デビルマン」の解説なのかよくわからない記事となりましたが、当時の漫画界と永井氏の近況、そして編集部と漫画家の作品にこだわる余りの深い交渉は見ていてなかなか面白いです。ただ敢えて苦言を呈せば、作者自身が自分の伝記的作品を書くことが恥ずかしくてこの「激マン!」について、「ノンフィクションに限りなく近いフィクション」と紹介しており、作中ではややオーバーな表現も目立ちます。そのため冷静かつ怜悧な目線に欠け、その面でこの「激マン!」はその価値をやや落としているようにも見えます。恥ずかしいとは思うものの、恥を忍んで淡々と当時の状況を追っておけばよかったのにとちょっと残念な点です。
最後に読んでてほかに気になった点として二つ挙げると、「デビルマン」でヒロインの母親が同じ人間によって拷問されて殺されて、その死体が出てくるシーンで永井氏は最初、逆さ吊りにされた上に体が左右に真っ二つに引き裂かれた死体を描いたところ、「逆さ吊りはいいけど真っ二つは駄目」と編集部に駄目だしされてしぶしぶ修正したシーンがあります。そのシーンで永井氏は、「どうせ残酷な描写なんだからあんまり変わらないような」と書いてますが私も同感です。
もう一つの気になるシーンですが、当時の永井氏の状況説明としてこ「激マン!」の中では数多くの彼のアシスタント作家の名前が出てきます。それも名前だけでなく各人の特徴や経歴、そして後の活躍まで事細かに書いており、本当に仲間思いの人なんだなぁと素直に感じました。その中でもひときわ高い評価をされているのが「ゲッターロボ」で主軸を担う石川賢で、彼に対して永井氏はアシスタントというよりまさに相棒と言っていいような最大級の評価がされております。
永井氏のプロダクションは「ダイナミック企画」という名で、ここは通常の漫画プロダクションとは明らかに趣が異なり永井氏自身も自分の作品の制作機関というよりは気の合う漫画家同士の製作集団だと述べており、実に数多くの漫画家がここから巣立っております。こうした目的を同じく行動する集団というかチームが案外二本にはないと日系アメリカ人が書いた本をこの前友人から借りて読んだのですが、明日最終報告する理研にはそうしたチームがあったのかなと思うわけで、何も問題なければこのテーマで明日記事を書く予定です。
永井氏のプロダクションは「ダイナミック企画」という名で、ここは通常の漫画プロダクションとは明らかに趣が異なり永井氏自身も自分の作品の制作機関というよりは気の合う漫画家同士の製作集団だと述べており、実に数多くの漫画家がここから巣立っております。こうした目的を同じく行動する集団というかチームが案外二本にはないと日系アメリカ人が書いた本をこの前友人から借りて読んだのですが、明日最終報告する理研にはそうしたチームがあったのかなと思うわけで、何も問題なければこのテーマで明日記事を書く予定です。
2014年3月30日日曜日
みんなの党・渡辺代表の献金疑惑について
| 体調不良ですっかりまいっている最中にまたぞろ記事化すべき政治事件が多発しているのでこれから徐々に片づけていく所存ですが、真っ先に今日取り上げるのはみんなの党の代表である渡辺善美氏の政治献金疑惑についてです。結論からパパッと書いちゃうとまず間違いなく渡辺代表は年内にも政治資金規正法違反で議員辞職することとなり、分裂したばかりでもあるのでみんなの党も解党し、残った議員は無所属となるか結の党に合流することになるとここで断言します。 今回の渡辺氏の疑惑、ってかもうほぼ事実として確定されつつありますがそれについて簡単に説明すると、2010年と2012年の選挙の直前にDHCの吉田会長から計8億円もの融資を受けていたにもかかわらず政治資金の収支報告書に記載、報告していなかったという、構造的にはこの前会った猪瀬前都知事の事件とほぼ同じ事件です。この疑惑は吉田会 長が週刊新潮に寄せた手記から明るみに出て、その手記によると現時点で5億円超がまだ返済されていないとのことです。 こうした報道に対して渡辺氏自身は融資を受けていたことを認めた上で、政治資金ではなくあくまで個人的な借り入れであると主張し、収支報告書に記載していなくても違法ではないとの主張を行いました。その上でではどういった用途に使ったのかという質問に対しては曖昧な回答に終始し、果てには用途の具体例として「酉の市で熊手を買った」という、小学生みたいな言い訳をする始末でああやっぱりこの人って頭悪いんだなと再認識できました。 会見を見るだけでも渡辺氏が嘘をついていて政治資金として使っていたのだなということは十分わかるのですが、この会見に対 し吉田会長はすぐ反応し、「選挙で金が要るから金銭的な支援(具体的には3億円)をお願い」なんていう内容の携帯メールが残っているということを明らかにしました。これはテレビでコメンテーターが述べていた内容ですが、そのメールによると借り入れた資金は選挙後、当選した人数によって税金から政党へと配られる政党助成金から返済するような内容も書かれてあり、仮にそれが事実だとしたら税金である政党助成金を質にして資金を借り入れたこととなりその悪性性は非常に高いと指摘され、私もこの意見に深く同意できます。 そもそも渡辺氏の裏金問題は今回が初めてというわけでなく、過去にはある意味で日本の政治形態を変えたリクルート事件でしっかり未公開株を受け取っており、父親 の故渡辺美智雄も「息子のおかげで総理になり損ねた」なんて述べてます。あくまで私の印象ですがこういった裏金問題を何度も起こしているのと普段の言動から見て渡辺氏は、どっかの這いよる混沌と同じで、ばれなければ犯罪じゃないと確信犯で考えている気がして、もしかしたら叩けばまだ埃が出てくるかもしれません。 それにしても気になるのは今回の疑惑がどうしてこのタイミングでてきたのかということです。こういってはなんですがタイミングがいいというか、ちょうどこれまで幹事長を務めてきた江田憲司氏が離党して結いの党を作り分裂した直後なだけに、政治に偶然はないというだけあってどっから出てきたのかなぁと邪推したくなります。 もっともそうやって煽りつつも、今回の一件に関しては江田氏は関与してないのではと私は見ています。根拠としては融資元である吉田会長が割とノリノリに取材に答えている様子で、単純に渡辺氏と吉田会長の仲が悪くなったというか関係悪化したことからばらされただけではないかと思えます。 それにしても今回の融資額というか献金額は8億円で、猪瀬前都知事の実に16倍と規模だけはでかいです。重要なのはやったかどうかで金額自体は関係ないのですが、8億借りて熊手を買ったって どんだけ熊手好きなんだよとツッコみたくなる迷回答ぶりです。 |
2014年3月29日土曜日
何のために歴史を学ぶのか
このブログを長く見続けている方なら言うまでもないでしょうが私は歴史が非常に好きで、大きく出るとトップとまではいかないまでも歴史の知識量が同学年で上位1%には確実に入る自信もあります。特に自分の強みとしては日本史、世界史の両方を受験勉強している上に中国史では文革を始めとした近現代史に異常なほど造詣が深く、一連の流れをそらで説明できる人物なんてそう相違ないでしょう。
そんな歴史自慢をする私に対してよく、「なんでそんなに歴史を勉強するの?」という質問が飛んできます。そこで今日は何のため歴史を勉強するのか、歴史を勉強する価値について私の考えを述べていくことにします。リハビリ中の身なのに、変則テーマを選んでくるな自分も。かいてて一番楽な政治記事にしとけばいいのに……。
ここで突然昔話をしますが、今からちょうど十一年くらい前に同じテーマで物を考えたことがあります。現在もそうですが私は実学志向で学問は何かしら世の中の役に立たなければ意味がないという意識があり、歴史科目についても何かしら実際に、精神面上でもいいから使える要素を取り出して体系化するべきだと考え、そこで目を付けたのが哲学的要素でした。
歴史を学ばないものは愚かな失敗をする、なんていう文句は昔からありますが、ここまで極端でなくても教訓めいた内容や繰り返される事実を取りまとめ、人生を考察するような学問に昇華できないかと当時の私は考え、この方面で本気で体系化しようと試みたわけですが、結果的に言うとこれは失敗に終わりました。というのも歴史的事実から哲学的要素を取り出していろいろ議論するよりも、本家本元の哲学を学んだ方がずっと手っ取り早かったからです。私が無理矢理哲学めいたテーマを歴史から見出そうとしても、既に哲学が同じテーマで議論し終えており、しかもしっかりと体系化していて変に教訓めいたことを議論したいなら哲学を学んだ方が早いという結論に至りました。
そういうわけで歴史に哲学的要素を求めることはあきらめ、じゃあどういう風に解釈すればいいのかと再考しました。回りくどい言い方はよして結論を述べると、歴史というのは単純にストーリーという娯楽で、その歴史を学ぶということは娯楽の幅を広げるということ、ではないかと思います。
そもそもなんで私が歴史が好きなのかというと、それこそ学んでて面白いと感じるということ以外ありません。なんで面白いと思うのかというとそれは小説や漫画などと同じく歴史というのは一つの流れを持ったストーリーで、根本的に文学や絵画といった芸術と領域を同じくするものではないかと考えています。そもそも、小説などと言った架空のお話しである文学の原初を辿れば人の営みというか歴史に行きつくように思え、歴史=ストーリーと解釈してしまった方が自然なのかもしれません。
更にもう一歩踏み込むと、歴史の価値を哲学めいた言い方したり歴史を学ばないと過ちを繰り返すなどと高所めいた言い方をする人もいますが、私に言わせるとそんな深く考えず素直に娯楽と割り切って楽しんだ方がいいように思えます。更に続けると、日中韓の様に国家間で歴史解釈を巡って深刻そうに議論となったりしますが、私に言わせるとこの議論自体も見て楽しむ娯楽の一つで、各国の代表は我々に娯楽を提供するため真剣に頑張っていると解釈しています。
歴史議論が何故娯楽なのかともう少し書くと、最近はすっかり収まりましたが一昔前の日本最大の歴史議論となると「邪馬台国論争」で間違いないでしょう。これは邪馬台国が北九州にあったのか、近畿にあったのかという位置を巡る論争なのですが、東大や京大の学者たちは真剣に資料を調査し、論拠を挙げるなどして議論し続けましたが、そうやって議論し続ける様は多分見ている一般人としては面白いものだったのではないかと思います。たとえて言うならボクシングの試合を観戦しているようなもので、片っ方が右ストレートとばかりに土器を出土させてくると、もう片っ方がカウンターとばかりに中国の古代資料を繰り出すという応酬で、ほかの人は知りませんが私にとっては見ていて面白い対戦な気がします。
また見ているだけでなく自らリングに上がるというか、自分自身も歴史議論をすると素直に面白いです。あの時あの武将はどうすればあの戦争に勝てたのか、あの政治家はこういう経験があったからこういう決断を下したのではなどと、学生時代は歴史好きの友人に恵まれこのような非常に楽しい議論を何度も出来ました。さすがに文革について議論できる相手はいなかったが……。
このように歴史というのは人生に教訓を与える学問ではなく、むしろ人生を豊かにさせてくれる娯楽だと単純に割り切るべきだというのが私の考えです。となると歴史学者というのはお金をもらいながら必死で我々に提供するべき娯楽を探したり、確認しているということになりますが、私はまさにその通りで、そしてそれらは価値ある行為だとも考えてます。さすがに正面切って歴史学者にこんな風には言えんが。
ここで最初の問いこと「何のために歴史を学ぶのか」に戻ると、私から贈れる回答としては「歴史という娯楽を楽しむための下地作りのため」に学ぶ価値があると言えるかと思います。先程の様に人の議論を見て楽しむため、自分で議論に加わるためには最低限の歴史知識が必要となり、これらを娯楽としてみるために必要な準備が歴史の勉強だと思います。また歴史を学ぶことによって小汚い茶碗や腕が六本ある仏像をありがたく感じられるようにもなり、それまで娯楽として感じられなかった対象に対しても娯楽として感じられる効果が歴史を学ぶことで得られると考えられ、そういう意味で私は歴史を学ぶことで娯楽の幅が広がるのではないかと言いたいわけです。最近太字をよく使うなぁ我ながら。
上記のような考え方から私は、歴史を学ぶと楽しみの幅が増えるという意味で他人に対しても学ぶことを進めるわけです。あとこれはまだ未検証ですが私個人の実感として、歴史好きの人間は好奇心が強いというか自分と関わりのない分野に対しても比較的積極的に踏み込んだり、興味を持てる人が多い気がします。なお今、「好奇心」という言葉を使いましたが、どっちかっていうと日本語的には「数寄」という言葉が、本来価値無き物に対して価値を見出すという意味合いで歴史に対してはより適しているような気がします。
最後に歴史問題について一言意見を述べると、これは完全な娯楽に過ぎないと私は割り切っています。現代の問題に対処する上で過去の歴史を全く無視することはさすがに言語道断ですが、過去の歴史にこだわるあまり現状と、そして未来を軽視することは本末転倒でしょう。この辺について続いて書きたいところですがさすがに体力がいる内容なので、余裕が出来たらまた書きます。
そんな歴史自慢をする私に対してよく、「なんでそんなに歴史を勉強するの?」という質問が飛んできます。そこで今日は何のため歴史を勉強するのか、歴史を勉強する価値について私の考えを述べていくことにします。リハビリ中の身なのに、変則テーマを選んでくるな自分も。かいてて一番楽な政治記事にしとけばいいのに……。
ここで突然昔話をしますが、今からちょうど十一年くらい前に同じテーマで物を考えたことがあります。現在もそうですが私は実学志向で学問は何かしら世の中の役に立たなければ意味がないという意識があり、歴史科目についても何かしら実際に、精神面上でもいいから使える要素を取り出して体系化するべきだと考え、そこで目を付けたのが哲学的要素でした。
歴史を学ばないものは愚かな失敗をする、なんていう文句は昔からありますが、ここまで極端でなくても教訓めいた内容や繰り返される事実を取りまとめ、人生を考察するような学問に昇華できないかと当時の私は考え、この方面で本気で体系化しようと試みたわけですが、結果的に言うとこれは失敗に終わりました。というのも歴史的事実から哲学的要素を取り出していろいろ議論するよりも、本家本元の哲学を学んだ方がずっと手っ取り早かったからです。私が無理矢理哲学めいたテーマを歴史から見出そうとしても、既に哲学が同じテーマで議論し終えており、しかもしっかりと体系化していて変に教訓めいたことを議論したいなら哲学を学んだ方が早いという結論に至りました。
そういうわけで歴史に哲学的要素を求めることはあきらめ、じゃあどういう風に解釈すればいいのかと再考しました。回りくどい言い方はよして結論を述べると、歴史というのは単純にストーリーという娯楽で、その歴史を学ぶということは娯楽の幅を広げるということ、ではないかと思います。
そもそもなんで私が歴史が好きなのかというと、それこそ学んでて面白いと感じるということ以外ありません。なんで面白いと思うのかというとそれは小説や漫画などと同じく歴史というのは一つの流れを持ったストーリーで、根本的に文学や絵画といった芸術と領域を同じくするものではないかと考えています。そもそも、小説などと言った架空のお話しである文学の原初を辿れば人の営みというか歴史に行きつくように思え、歴史=ストーリーと解釈してしまった方が自然なのかもしれません。
更にもう一歩踏み込むと、歴史の価値を哲学めいた言い方したり歴史を学ばないと過ちを繰り返すなどと高所めいた言い方をする人もいますが、私に言わせるとそんな深く考えず素直に娯楽と割り切って楽しんだ方がいいように思えます。更に続けると、日中韓の様に国家間で歴史解釈を巡って深刻そうに議論となったりしますが、私に言わせるとこの議論自体も見て楽しむ娯楽の一つで、各国の代表は我々に娯楽を提供するため真剣に頑張っていると解釈しています。
歴史議論が何故娯楽なのかともう少し書くと、最近はすっかり収まりましたが一昔前の日本最大の歴史議論となると「邪馬台国論争」で間違いないでしょう。これは邪馬台国が北九州にあったのか、近畿にあったのかという位置を巡る論争なのですが、東大や京大の学者たちは真剣に資料を調査し、論拠を挙げるなどして議論し続けましたが、そうやって議論し続ける様は多分見ている一般人としては面白いものだったのではないかと思います。たとえて言うならボクシングの試合を観戦しているようなもので、片っ方が右ストレートとばかりに土器を出土させてくると、もう片っ方がカウンターとばかりに中国の古代資料を繰り出すという応酬で、ほかの人は知りませんが私にとっては見ていて面白い対戦な気がします。
また見ているだけでなく自らリングに上がるというか、自分自身も歴史議論をすると素直に面白いです。あの時あの武将はどうすればあの戦争に勝てたのか、あの政治家はこういう経験があったからこういう決断を下したのではなどと、学生時代は歴史好きの友人に恵まれこのような非常に楽しい議論を何度も出来ました。さすがに文革について議論できる相手はいなかったが……。
このように歴史というのは人生に教訓を与える学問ではなく、むしろ人生を豊かにさせてくれる娯楽だと単純に割り切るべきだというのが私の考えです。となると歴史学者というのはお金をもらいながら必死で我々に提供するべき娯楽を探したり、確認しているということになりますが、私はまさにその通りで、そしてそれらは価値ある行為だとも考えてます。さすがに正面切って歴史学者にこんな風には言えんが。
ここで最初の問いこと「何のために歴史を学ぶのか」に戻ると、私から贈れる回答としては「歴史という娯楽を楽しむための下地作りのため」に学ぶ価値があると言えるかと思います。先程の様に人の議論を見て楽しむため、自分で議論に加わるためには最低限の歴史知識が必要となり、これらを娯楽としてみるために必要な準備が歴史の勉強だと思います。また歴史を学ぶことによって小汚い茶碗や腕が六本ある仏像をありがたく感じられるようにもなり、それまで娯楽として感じられなかった対象に対しても娯楽として感じられる効果が歴史を学ぶことで得られると考えられ、そういう意味で私は歴史を学ぶことで娯楽の幅が広がるのではないかと言いたいわけです。最近太字をよく使うなぁ我ながら。
上記のような考え方から私は、歴史を学ぶと楽しみの幅が増えるという意味で他人に対しても学ぶことを進めるわけです。あとこれはまだ未検証ですが私個人の実感として、歴史好きの人間は好奇心が強いというか自分と関わりのない分野に対しても比較的積極的に踏み込んだり、興味を持てる人が多い気がします。なお今、「好奇心」という言葉を使いましたが、どっちかっていうと日本語的には「数寄」という言葉が、本来価値無き物に対して価値を見出すという意味合いで歴史に対してはより適しているような気がします。
最後に歴史問題について一言意見を述べると、これは完全な娯楽に過ぎないと私は割り切っています。現代の問題に対処する上で過去の歴史を全く無視することはさすがに言語道断ですが、過去の歴史にこだわるあまり現状と、そして未来を軽視することは本末転倒でしょう。この辺について続いて書きたいところですがさすがに体力がいる内容なので、余裕が出来たらまた書きます。
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