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2014年6月16日月曜日

欧米におけるタトゥーは本当にファッション?

 本題を話す前にちょっとした中国におけるネットテクニックを紹介します。中国では現在、数多くのサイトが検閲対象となって閲覧することが出来ず、その対象にはこのブログのサービス元となっているGoogle社のBlogger、そして日本のFC2、ライブドア、アメブロなど主要なブログサイトが含まれております(何故かgooブログだけは普通に使えるし見れる)。ただブログの文章を見るだけであればFeedspotを始めとしたRSSリーダーソフトに登録すればこれらRSSリーダーを通してみることができるので、定期的に閲覧するブログがある方などにはお勧めです。まぁこれ以外にも裏ワザはありますがそれはまた今度に。
 
 話は本題に入りますがリンクを結んでいる潮風大使さんのブログで、小学生の父兄にタトゥーをしている人が増えてきたということについて書かれた記事が載せられていました。ちなみに潮風大使さんのブログもFC2なのでRSSリーダーを通して読んでます。
 もちろんタトゥーといっても見るからにヤクザな方というわけではないものの、果たしてこういう風潮はどんなものかと潮風大使さんは問題提起をされておられるのですが、その問題提起に対してなるほどと思うと同時になんか日本のタトゥーに対する言い方というか言い訳について以前から奇異なものを感じていました。もったいぶらずに述べると、「日本ではタトゥーに対する偏見は強いが欧米ではごくごく一般的なファッションとして捉えられている」といった主張で、要するに日本人はややタトゥーに対して厳しすぎるという反論です。
 
 私自身は決して欧米事情に詳しい人間ではないため断言することはできないのですが、欧米ではタトゥーが一般的なファッションとして捉えられているというのは果たして本当なのか、強い疑問に感じます。というのも、プロ野球選手など一種の自営業の人たちは確かにタトゥーをしていることが多いですが、社会的に地位の高いとされるホワイトカラーの欧米人でタトゥーをしている人はほとんどというか全く見ないからです。
 その理由について以前、父親が外資系の企業で働いていた友人によると、「欧米では社会的地位の低い人間であればタトゥーだろうとマリファナだろうとやるのは勝手だが、一般的なホワイトカラーの世界ではむしろ日本以上に厳しい風土にあり、どんだけ小さかろうとタトゥーをしていたらまず大企業では働けない」と話していました。
 
 私自身の見方もこの友人の意見と同じで、確かに欧米ではタトゥーをしている人が多いですがそれは日本人から見た「一般的」な分類とは異なる人たちで、タトゥーに対する社会の厳しい見方は決して日本が特別なわけではないように思います。一言で言えば、半端もんが刺青なんて彫るなよといったところです。
 
 私自身としてはタトゥーを掘っていようがいまいが賢い人は賢いし小賢しい人は小賢しいと、人間やっぱり中身だと考えるのであんま気にしません。ただ「欧米では誰でもやってるもんだ」と誤っているかもしれない認識を唱えて掘る人は間違いなく後者だと思うので出来ることなら時間の無駄なので関りたくはありません。また何かしら信念(どんな信念だろう?)なりもって彫っている人についても、タトゥーを入れることによって社会的な偏見を浴びることは不可避であるということを覚悟せずに彫るのであれば正直に言って軽蔑します。
 漫画のジョジョっぽいセリフを敢えてここで言いますが、覚悟を持たずに行為を行う人間ほど意地汚いものありません。逆を言えば相応の覚悟と信念があるのであれば法を逸脱することも場合によってはありかと思うあたり、つくづく自分の思想はテロリストっぽいと思う次第です。

2014年6月15日日曜日

創業家列伝~木村安兵衛(木村屋總本店)

 あんパンといったら顔の交換が効くヒーローで有名ですが、現物のあんパンは明治創業の木村屋總本店が世に生み出し、日本人の間で一般的な食品として長く親しまれており、中国のパン屋にも「日式餡面包(日本のあんパン)」というメニュー名と共に置かれていることが多いです。そんなあんパンを生み出した木村屋總本店の創業者は新時代に生きるパン職人かと思いきや、幕末を徳川家の武士として仕えていた旧時代の代表格の様な木村安兵衛という人物で、しかも当時としては人生の終わりが見える52歳という年齢からの創業と、ベンチャースピリッツの甚だしい人物であったりします。

木村安兵衛(Wikpedia)

 木村安兵衛は1817年に現在の茨城県牛久市の、長岡又兵衛という武家の家に次男として生まれます。成人後は近隣の龍ヶ崎市にある木村安衛門の婿養子となりますが、生活苦から親戚を頼って江戸へ上り、紀伊徳川家の江戸お蔵番などを務めていたそうです。しかし1868年の明治維新によって徳川幕府は崩壊し、50歳を過ぎた木村安兵衛は武士としての特権はおろか職業すら失います。
 維新後、安兵衛は明治政府が組織した職業安定所の事務員としての職業を得ますが、そこで長崎のオランダ人宅でコックをしていた梅吉という人物と出会います。梅吉から「パン」という食べ物を教えてもらった安兵衛は思い切って事務員をやめ、明治二年の1869年にパン屋として旗揚げする道を選びました。

 旗揚げした当初の店は「文英堂」という屋号で、現在の新橋付近に店を構えました。従業員は梅吉のほか奥さん子供という見事な家族経営でしたが、肝心のパンははっきり言って全然売れませんでした。しかも開業から九ヶ月目にして店舗が火事に遭って全焼し、心機一転を図って当時はまだまだ一区画に過ぎなかった銀座に引っ越し、そこで初めて「木村屋」という屋号を用います。
 この木村屋へと移る過程で安兵衛は創業メンバーの一人である梅吉を切り、横浜でパン職人として働いていた武藤勝蔵を新たに従業員として雇い入れます。この勝蔵と安兵衛の次男で当時19歳の英三郎は年齢も近く気が合い、この後の木村屋の発展の原動力となったそうです。

 創業当初でこそパンという当時の日本人の舌になじまない食品であったことから苦境が続いた木村屋でしたが、いくつか幸運とも言えるような追い風を受けて業務を拡大していきます。その第一の追い風となったのは海軍で、西洋食を取り入れるという観点からパンがカレーライスと共に軍隊食に採用されます。しかも当時の海軍兵士に多かった脚気の症状にパンと牛乳の組み合わせた対症療法として効くと評判になり、パン食普及のきっかけを掴むことが出来ました。

 しかし好事、魔が潜むというべきか、1872年に木村屋は再び火事に遭い、またも全焼します。なんかこのくだりを見ているとまるで貧乏神でも取り憑いてたんじゃないかと思えてくるくらい不幸ですが、これらの不幸にもめげず安兵衛はまた店を銀座に起ち上げるとともに、「饅頭っぽいパンを作ってみよう!」というノリだったのかまではわかりませんが、日本人の舌に合わせるというコンセプトのもとであんパンの開発を手掛けます。
 このあんパンを最初に目を付けたというか気に入っていたのは、なんと江戸城無血開城にも関わっている元幕臣の山岡鉄舟(身長188cm)でした。なんでもえらい気にいっていたようでほぼ毎日あんパンを食べるあんパン漬けの毎日を送っていたそうなのですが、こんな馬鹿でかい大男(しかも結構イケメン)が毎日あんパン食ってたと思うと何とも言えない気分になります。しかもこの山岡鉄舟、自分が気に入っていたことをいいことに、当時明治天皇の侍従をしていたことから明治天皇の茶菓子として献上するよう取り計らいます。

 この明治天皇への献上の際に木村屋はもうひ工夫をと考え、サクラ付した桜の花びらをへそに埋め込む「桜あんパン」を開発して献上したところ、明治天皇も気に入って今後も定期的に献上するようにと伝えたことからその人気と知名度は一気に全国区となります。こう考えると実質、あんパンのプロデューサーは山岡鉄舟だなぁ。
 それ以降は経営も軌道に乗り、万事オーライな状態となったまま1889年に安兵衛は73歳で往生を遂げます。ただ彼の晩年で不幸だったのは次男の英三郎が1887年に36歳で死去していることで、本人が割と長生きしただけに色々と残念で仕方なかったのではないかと思います。とはいえ木村屋は日本における製パン業のパイオニアとして認知され、現在に至るまで続いていることを考えると大した仕事をこなしてみせたと言えるでしょう。

 私個人の評価を述べると、齢50を超えてなお創業し、また二度の火災に遭っても挫けず製パンを続けたことを考えると生半可な精神の持ち主ではないと強い敬意を覚えます。また西欧のパンという食べ物を日本人向けにアレンジして売り出した点一つとってもなかなか経営センスの優れた物があり、だからこそ現在にも続く企業を生み出せたことでしょう。
 なお木村屋の揮毫はそのプロデューサーたる山岡鉄舟の手によるものだそうです。あとこの山岡鉄舟、山本海苔店と関わって「味付け海苔」の開発のきっかけを与えており、元幕臣の癖にやたら日本の食に多大な影響を与えまくっています。実際に発言とか見ると面白そうな性格の持ち主で、もうちょっと歴史小説とかでも主人公になってもいいし知名度ももっと高くてもいいような気がします。こう思うのも自分だけかな。


  参考文献
「実録創業者列伝」 学習研究社 2004年発行

2014年6月13日金曜日

日中戦争におけるドイツ人参謀

 今日本人が最も親近感を持つ外国とくればほぼ間違いなく台湾でしょうが、仮に欧米に限定するならやっぱりドイツが来るのではないかと密かに思います。ドイツとは二次大戦で同じ枢軸国側として一緒に戦った関係でもありますが、日本人同様に仕事は割ときっちりこなす、真面目に物事に取り組むという性格面でも似たところがあり、少なくとも私の周りでは信頼のおける外国人というように好意的な相手としてみている人間が多いです。そんなドイツに対して日本はこれまでつかず離れずというか親密になることはなくても悪く思い合う時代もなかったと思ってる方が多いように思えますが、ちょっと前に日中戦争について調べていたら、当時のドイツ軍関係者には少なからず日本を敵対視する人間が多かったという記述を見つけたので、ちょっとその辺について解説します。
 
 件の記述は二年前、第二次上海事変について調べている時に見つけました。当時、蒋介石が率いる国民党軍には軍事指導員として多くのドイツ人参謀がおり、彼らは一様に日本に対して強い敵意を持っているというように日本の軍関係者は考えていたとのことです。一体なんでドイツ人に、しかも中国で日本軍は恨まれていたのかというと、端的に言って第一次世界大戦が原因です。
 第一次世界大戦で日本は漁夫の利を得ようと日英同盟にかこつけて参戦し、当時英国の対戦国であったドイツが中国から租借していた中国山東省青島市にいきなり攻め込みました。遥か彼方の本国ですら長い長い証文選をしている最中でとても遠くの青島になんかドイツは援軍を派遣することはできず、ほとんどまともに戦う事すらできずにドイツ駐留軍は日本に降伏せざるを得ませんでした。
 
 なお豆知識ですが、ドイツが青島を中国から租借して現地でビールを作り始めたことから今日の「青島ビール」が出来上がっただけでなく、街中も西欧風の建築物が今も残っております。
 
 話は戻りますが、青島にいたドイツ軍関係者からするとこの日本の行動に怒るのも無理もなく、そうした個人的感情から日本と戦う国民党に肩入れする参謀も出てきたそうです。また日本軍の関係者も、国民党との和睦に動こうとしつつも、日本軍はたやすく敗れるなどとドイツ人参謀がたきつけるためにうまくいかないとか、むしろこの日中戦争自体がドイツ人の陰謀だなどという士官もいたそうです。
 
 こうした陰謀論の検証までやるつもりはありませんが、第二次上海事変の頃はまだ日独伊三国軍事同盟も結ばれておらず、また一次大戦の経緯を考えると中国軍をたきつけるドイツ人がいても不自然ではないななどと私は思います。日本人からすれば一次大戦は一方的な勝ち戦でドイツ人から恨まれるきっかけになるとはなかなか私案が行きませんが、勝者は気にしなくても敗者は気にするということもあり、何が言いたいかというと決して日本とドイツはずっと比較的仲が良かったというわけではなかったということです。

2014年6月12日木曜日

海外居留民保護に対する低い意識

 どうでもいいことですが先日、自転車を手放し運転しながら「凄いオーガニックだ!」と叫ぶ夢を見ました。恐らくやたら「オーガニック」という単語が連発される「ブレンパワード」というアニメのレビューをその前に見てしまったからだと思いますが、今まで見た中でも上位三位に入るくらいカオスな夢でした。一位はやっぱり前にも書いたが、サザエさんのEDテーマがTMレボリューションの「バーニンクリスマス」になった夢でしょう。
 
 話は本題に入りますが、後は公明党がどう妥協するところまで来ている安部政権の集団的自衛権の議論について私はこれまで何一つこのブログで触れてきませんでした。何故取り上げなかったのかというとこの議論は既にあらかたの問題点は議論され尽くしており、後はその内容を基に実際にやるかやらないかを判断する段階にもうきていると考えていたからです。事実、野党の質問などは過去にも同じような内容が質問され、与党も既に回答してきたものが多く、文字通り茶番だなと思ってくだらない議論に与したくないと思って無視してきました。
 
 そんな風に言っておきながらですが、この議論の中の安倍首相の答弁で気になるというか癇に障る発言が一つありました。その発言というのはニュースでも大きく取り上げられたので覚えている方もいるかもしれませんが、安倍首相が集団的自衛権の容認が何故必要なのかという説明にて語った以下のような発言です。
 
「海外から脱出した日本人を米国の艦船が運搬している最中、第三国から攻撃を受けても日本(の自衛隊)は米国の艦船を支援、救出することが出来ない」
 
 この発言を聞いて最初に私が思ったことは、「これは集団的自衛権以前の問題ではないか?」でした。野党側も同じように思ったのか、このようなケースであれば集団的自衛権(=同盟国を守るために交戦する権利)以前に現行でも認められている自衛権(=自国を守るために交戦する権利)の範囲内で、何も集団的自衛権が無くても自国民を守るため米国の艦船を支援することは何も問題ないのではと反論してましたが、私もまさにその通りだと思います。なおその野党議員は名前は失念してしまいましたがこの発言について、「総理は集団的自衛権が必要であるという根拠にこだわるあまりやや外れた内容を口にする」と述べてましたが、なかなかうまいこと言うもんです。
 
 私の意見は先の野党議員同様、集団的自衛権が認められなくても上記のようなケースは何も問題なく、普通に自衛隊が交戦しても全く問題ないケースだと考えます。ただこの発言に私が執着するのは安倍首相が興奮のあまりに妙なことを口走ったというより、そもそも政府は日本人海外居留民の保護などまるで考えておらず、上記のようなケースであっても全く守るつもりがないからああいうことを口にしたんじゃないかという不信感を覚えるからです。というのも日本はこれ以前からも一貫して海外に在住する日本人の保護に無関心というか怠慢なままで、だからああいう「守って当然」ともいえるケースも特別なケースの様に扱えるんだという気がしてなりません。
 
 実際に過去の例で述べると、北朝鮮の日本人拉致事件も非常に強い疑惑がもたれていながら長期間放置しておりましたし、イラン・イラク戦争の際も外務省はイランにいた日本人のため帰国便を手配することなく余計なことをして脱出を遅らせ、最終的にトルコが自国民より日本人のために優先して脱出便を用意してくれるまで無策もいい所でした。更に古いネタを穿り返すと、二次大戦の最中に軍部は日本人は全員死んででも米国に交戦しろと主張し、実際に沖縄戦では本来引き離すべき民間人を簡単に戦火に巻き込み、また満州では開拓民を置き去りにして軍人が真っ先に逃げ出しています。他にも細かいのを上げていくと戦後に行われた南米移民とかも国家的詐欺もいい所です。
 
 総じて日本政府は、日本国民を守ろうという意識が歴史的に薄いです。まぁロシアや中国と比べたらマシかもしんないけど……。ただ私としては、少なくとも民主主義国家である以上は国民の保護こそが政府の最大の役割であり、国民よりも天皇や領土、場合によっては米軍を優先して守ろうという姿勢は決してよくなく、下手すれば破綻を招く一因にもなりかねないように思えます。
 私はこれまで安倍首相に対してそれほど嫌悪感を持ったことはありませんでしたが、あの時の発言を見る限りだとこの人は国民の保護など度外視しているなという姿勢が透けて見えたので、やや極端な気もしないでもありませんが一気に嫌いになりました。
 
 最後に一つだけ書くと、私自身が今海外在住の身でありますが、日本国内にいる人はあまり海外在住者の保護について考えてくれないように思えず、ひどい場合は自己責任だと言う人も少なくないでしょう。さすがにイラクでの人質事件に関しては私も自己責任論の主張者でありましたが、海外に在住することで必死で日本に外貨をもたらす人間もいるのだから、もうちょっと応援してくれたらななんて思わなくもありません。

2014年6月11日水曜日

不振鳴り止まずして

 中国に来たらテレビとかも見ないし時間がゆっくりできるだろうと考えておりましたが、今のところは真逆で非常に苛立たしい時間を送ることのほうが増えております。一番の問題というのもネットの問題で、結論から述べると、おそらくどこかからか私のIDとPASSが流出したようで、同じ組み合わせを使っていたところから一斉に不正ログインの連絡がきました。

 最初に来たのはGoogleからで、不正ログインの可能性の高いアクセスがあったためブロックしたとの報告とともに、アクセスを仕掛けてきたIPアドレスと時間帯を丁寧にも送ってきました。その情報は下記の通りです。

2014年5月29日 18時05分21秒 UTC
IP アドレス:
60.71.104.188(softbank060071104188.bbtec.net)
場所: 日本, 東京都新宿区

 この時間帯には既に私は中国に渡っているため私自身がアクセスしたということはありえず、Googleが睨んだ通りに不正アクセスとみて間違いないでしょう。その後、楽天、ニコニコ動画、Yahoo、東京三菱UFJ銀行、Skypeなどからも不正アクセスの連絡が来て、それぞれで対策のためパスワードを変更しなくてはならなくなりました。このパスワード変更で何が苦しいかっていま中国にいるということで、中国政府の検閲のせいでGoogleのアカウントに直接アクセスできないという点です。最終的には色々裏ワザ使ってパスワード変更こそ達成したものの物凄い時間と労力が割かれ、このタイミングで不正アクセスしてきた上記IPアドレスの人間には もし会うことがあったら必ず生かしては置かないと心に決めています。
 で、その犯人ですが、IPアドレスの情報からするとソフトバンクBBのアドレスであるため、直接ソフトバンクBBに調査して捜査して捕まえて殺せと伝えましたが、不正ログインを行ったという直接的なログがないとさすがに対応できないと言われ、仕方ないのでGoogleにもしログがあるなら提出してくれないかと頼みましたが、対応を断られました。

 ソフトバンクBBにしろGoogleにしろこの対応は私としては残念ではあるものの、犯罪の証拠を求めるのは当然であるし、いちいち細かいログを抽出して提出するのも大変だろうしと考えると内心ではしょうがないと思います。ただ逆を言えば、こういう不正ログ インをおおっぴらにしてもなんも捜査が行われなければ処罰もない(仮に大企業への不正アクセスなら話は違うだろうが)と考えると、被害者はやられても泣き寝入りするしかないのが現代事情ということになります。面倒ではあるものの、こういうことをやらかす人間を虱つぶすみたいに一人一人目立つ形で殺してかないとキリないんじゃないかなと個人的に思います。実際に殺害まで行かないにしろ、初犯でも数年の懲役など厳罰化していってくれないものかな。IT企業同士で情報を共有するとかしてさ。

 なお、私のPCはスキャンをかけたところウイルスの類は一切発見されませんでした。怪しいサイトを踏んだ時にクッキーの情報が盗まれた可能性も否定できませんが、どちらかというとどっかパ スワードを登録していたサイトが流出したのではないかと、あくまで勘ですが私は考えております。というのも、どれも不正ログインの跡がありながら、ブロックされたこともありますが直接的な実害はなく、自分一人を狙ったというよりはまとめて得た情報を確かめているような、そんな素振りが見られるからです。内心、真っ先に思い出したのはmixiの件ですが、mixi自体を私はやってないしな。

 こうした不正アクセスへの対応もさることながら、新しいネット環境もすこぶる苛立たせる仕様が非常に多いです。Yahooメールを使っている方ならみんなわかるでしょうが、なんかバージョンを近日中に切り替えるということでこれまで使われてきた「正式版」から「ベータ版」に私も移行し ましたが、こういってはなんですが不満しかありません。元々、このベータ版はデータ量が重いことからネット通信速度の遅い中国だと閲覧が非常に苦しくなるので避けてきましたが、移行するというのだから腹くくって切り替えたところ、案の定重い上にバグの発生も非常に多いです。さっきもメール一覧に切り替えようとしたら全く切り替えようとしないため腹立ちまぎれに外付けキーボード叩いたらヒンジが折れて余計に腹が立ちました。まぁこのキーボードに関してはこれまでも叩きながらなかなかヒンジ折れなかった分だけ大した品物だが。
 このYahooメールに限らず、日本の一部サイトは通信速度が極端に低い海外での閲覧、使用を全く考えてない向きが見られます。特に企業サイトについてい えば余計なFLASHを入れているためにトップページが中国からだとなかなか開けない所も多く、もっとこういう点について考えてもらいたいとこの頃よく思います。

 そして最後が中国のやはり遅い通信速度です。遅い通信速度は何も今に限ったわけじゃありませんが、今回自分が使用している部屋はホテルの一室であるため、モデムとかの設置がどうも指定されているため、通信速度自体は契約した内容通りではあるものの、中国の検閲を避けるVPNが設置できない上、ノートPCから直接WIFI電波を飛ばすソフトウェアもなんだか不安定になってちょくちょく電波が切れます。このノートPCからWIFIを飛ばすソフトで私は最初に「Connectify」というメジャーなソフトを選びましたが、どうも 中国の回線とは肌が合わないようで電波が飛ばせず、しょうがないので友人が使用していると言った「Virtual router」というソフトに切り替えたところ何とか成功して、再びこちらで「パズドラ」を遊べるようになりました。といっても、本当にちょくちょく切れるは認証が出来なかったりでイライラする。

 それにしても悪いことは重なるというか、本当にイライラする毎日です。ちょうど中国が天安門事件のあった6月4日前後でネットの規制や検閲が厳しくなっている時期と重なったために余計な苦労もしょいこむこととなり、精神的にかなり負担をかける羽目となりました。この辺は海外で暮らしたことのある人間にしかわからないかもしれませんが、割とストレスとい うのはデータのように積み重なってくもので、負担を受けた分だけ許容しなくてはならなくなります。ちょうど引越しやら手続きやら仕事の準備やらで苦しい時期に余計なことしやがってと心から思うのと同時に、将来金に困らなくなったらこういう悪い輩を片っ端から始末する仕事人になりたいなと思った次第です。

2014年6月8日日曜日

ブログ再開、とこれまでの一週間

 やっとこさネットもつながったのでこのブログも再開です。相変わらず中国からだとBloggerのサイトにアクセスできないため、メールを利用しての投稿となります。

 まず中国に赴任してからのこれまでの一週間ですが、到着一日目は普通に上司の家に泊まり、二日目から中国人のローカルスタッフと共に部屋探しに入りました。探して二軒目ですぐOK出して決めたのですが、なんでこんなに早く決断したのかというと中国だと物事を進めようったってなかなか進まないことが多く、ベストを求めていたらきりきり舞いをすることになるため最低ラインを突破した時点ですぐに決断するが吉だと私自身が考えているからです。
 で、案の定というか、連休を挟んだ次の営業日になってみ ると大家が、「会社相手では契約しない」と、既に予約金も払っていたのにいきなり言い出して、結局その部屋の契約は流れました。内心、こういうトラブルはよくあることと思いつつも不動産屋に対して「時間の無駄だった!」などと文句言って、手付け金を返してもらい次の不動産屋へと向かいました。

 ここでちょっと中国の住宅事情について触れますが、家族用の住宅はたくさんある一方で独身の単身者用マンション物件というのは非常に少ない傾向があり、今回の部屋探しでもこの点で苦労しました。逆に日本は今、単身者用の物件のが多いような気がするだけに人口構成の差がそのまま出ているのかもしれません。

 話は戻って自分の部屋探し。二軒目の不動産屋に紹介されたのは、近隣にあ るホテルの一室ことオーナーズマンションでした。上海でもこういう形態の部屋に住んでて、水回りなどいざって時の対応がホテルフロントに頼めるということと、中国での賃貸にしてはまだ部屋がきれいだったので一軒目にて即決。家賃は月額2000元(約3万3000円)で、上海時代の3300元に比べると昆山市は安いなあなんて思っちゃいます。明けて翌日には正式に契約を交わしてすぐそのまま住み始めました。この辺りのスピード感は中国らしい。

 部屋が決まったことからようやく通信会社行ってネットの契約準備も始めたのですが、携帯電話とセットの契約で安くなると言うので中国移動で手続きを進めていたら、契約後になって「そちらの住所はネット接続サービス対象外です」と言わ れまたふりだし。結局中国電信という通信会社言って普通にまた契約して、昨日土曜日に工事に来るよう指定したのですが、その場で一年間のネット使用料を払わなくてはならず、手持ちの現金をリアルに使い果たして財布の中が一時20元(330円)しかなくなる事態に陥りました。
 それでもVISAカードでキャッシングすればいいとATMに行ったら何故か反応せず、前もホテルでの支払いに使用しようとしたら受け憑かなかったことがあったため、もしかしたら口座の設定で制限かかっているのかもしれません。さすがに20元じゃ明日生きてくのもつらいので上司から金借りて(1500元)生活しましたが、ようやく今日になって持っていた日本円を兌換したので、明日には上司にお金を返せそう です。

 なおその上司ですが、自分がこっちに赴任して三日目くらいに私の目の前で電動バイクに轢かれました。もっとも、轢かれたというよりは低速で後ろからぶつけられたというのが真実で怪我もなく軽症に済みましたが、私が本社へのメールでこの事実を冗談めかして隠れて報告したら、上司に対して日本から「お前、バイクに轢かれたんだって!?」という電話が次々かかってきてなんか笑えました。

 ネットにつながったのは昨日で本当は昨日にもブログをまた再開しようかと考えていましたが、ネット関連でいろいろ弄っているうちに時間が無くなって結局かけずじまいでした。具体的にどういうことしてたのかというと、手持ちのタブレットPCにWIFI飛ばせるように「Virt ual Router」というソフトをノートPCに入れたり(成功)、日本のサイトが見られるようにVPNの導入試験をやったり(こっちは失敗)などです。あとまだ詳細は明かせませんが、ネット関連でちょっと面白い事態に巻き込まれており、うまくいけば面白い顛末記事が書けるかもしれません。まだ結末が見えませんが。

 久々のブログ執筆ということでなんか調子が狂うというか、やや面倒くさい思いがします。それだけ以前は習慣化されていたのかと我ながら呆れると共に、一週間のブランク明けは意外とつらいもんだという気がします。明日はまたなんか、書きたいことでも書こうっと。

2014年5月29日木曜日

ネット環境が出来るまでしばらく休載

 この記事は予約投稿なのですが、この記事がアップされる頃には私はもう中国に行っています。大分前にも書きましたがようやくというか中国への駐在赴任が決まって、今頃は江蘇省のどっかでうろついてることでしょう。

 このブログについては中国のネット検閲によって直接アクセスすることはできませんが以前の反省からEメールから直接記事を投稿できるような態勢を整えているので、今後も更新は続ける予定です。ただまだ向こうでの住居も決まっていない状態で、ネット環境も当分は整わないと予想していることから次の更新まではしばらく空くことになると思います。その気になれば裏ワザは多少ありますが。

 ネット環境が整うまで全く予想がつかないのですが、そういうわけで多く見積もって2週間、早くて1週間くらいはかかるかと思います。普段から更新料が異常なほど多いこのブログで、3月に体調不良から予告なしに1週間ほど更新をサボったらあちこちからガチで心配する声をいただいただけに、休むにも予告が必要というなんか妙なブログになったもんだとつくづく思います。どうでもいいですがこの記事書いてる最中、数年前に突然更新が止まって管理人がどうなったのか、失踪したのかと心配された「エルエル」という個人ニュースサイトを思い出しました。まぁあのサイトほどこのブログの閲覧者は多くないけど。