ページ

2016年9月18日日曜日

現代銃火器すべてを生んだ男

 ホラーゲームの名作として名高い「バイオハザード2」に「ブローニング・ハイパワー」という拳銃が出てきます。中学二年生の頃にこのゲームを遊んだ私はこの名前を見てハイパワーというのだから強そうだと感じたもののゲーム中ではほぼ最弱の拳銃ということもあってラクーン市警察署を抜けた当たりからはもう使わなくなるのですが、何故だか知らないけどこの銃の名前だけはその後もずっと覚えていて、ひょんなことからその設計者の名前を知ることとなりました。

ジョン・ブローニング(Wikipedia)

 ジョン・ブローニングは銃砲店を営む父の元、米国ユタ州オクデンで生まれます。モルモン教徒だった父親には妻が二人いたためたくさんの異母兄弟に囲まれた中で長男として生まれたブローニングは早くから父親の仕事を手伝い、その逝去後にはほかの兄弟たちと共に店を切り盛りするようになりました。
 店の運営などを弟たちに任せ銃器の開発、整備を担当することとなったブローニングは自らライフル銃を改造して自作し、これを店で販売したところその性能の高さからオクデン中で大ヒットし、評判を聞きつけた米国有数の銃器メーカーであるウィンチェスター社からオファーが来ることとなりました。ブローニングの作ったレバーアクションライフル銃の性能を認めたウィンチェスター社は早速ブローニング兄弟に特許権の買い取りを申込み、ブローニングらもこれを承諾したことからその後の生産販売はウィンチェスター社に移りましたが、その後この銃は「ウィンチェスターM1885」として売り出され商業的にも大成功を収めることとなります。

 この一件から協力関係となったウィンチェスター社にブローニングは続いて開発したライフル銃も特許も売却し、買い取ったウィンチェスター社の方も製品化して売り出したところ大儲けしたことから、「今度はショットガンだ!」とばかりに新規ショットガンの開発をブローニングへ依頼します。この際にブローニングは二年以内に開発してみせると述べ実際には八ヶ月後にして早くも開発してのけたのですが、これが世界初のレバーアクション式ショットガンの「ウィンチェスターM1887」となります。
 その後、ブローニングはショットガンの構造改良にさらに取組み、より速く、より正確に弾込できるように思いついた方法がポンプアクション方式といって、銃身をスライドさせて次弾を装填するという構造のショットガンを思いつき、こうして出来たのが「ウィンチェスターM1897」です。イメージ的にはアーノルド・シュワルツネッガーが映画の中で銃の前方部を引いたりしてから撃つのがこの手のポンプアクション方式ショットガンで、つまり現代にも続くショットガンの基本的構造がこの時に誕生したというかブローニングが生み出したと言いたいわけです。

 上のショットガンの開発エピソードだけでも十分歴史に残る大発明ですが、ブローニングは上記の開発後に再びウィンチェスター社から今度はライフル銃を一から作ってみないかと開発を持ちかけられ、二ヶ月以内に作れたら一万五千ドルのオプション料金を支払うとまで言われました。それに対してブローニングは、「一ヶ月で作るからその時には二万ドルくれ。一日でも遅れたら一銭もいらない」と条件を提示し、でもって本当に作ってしまったのがウィンチェスターM92で、発売以降ずっとバカ売れし続ける空前の大ヒット商品となります。

 その後、「もっと便利で強力な銃なんてできないかな」と個人的に開発を続けていたブローニングが注目したのは発射時のガス圧でした。火薬を破裂させる際に出るガスを使って次弾を即装填できないものかと思い付き、そして実現させてしまう当たりはもはや天才というより他ないでしょう。こうして、発射時のガス圧で次弾が自動で装填されるというガス・オペレーション方式を編み出したブローニングが開発したのが現代でいう機関銃でした。
 それまでの機関銃というかガトリングガンは弾丸を自動で発射することはできても装填までは自動ではやっておらず、ハンドルを手回しして次弾を常に繰り入れていかなければならなかったのですが、ブローニングの作った機関銃はその装填までも自動で全部やってくれるという、洗濯機で言えば二層式が全自動になるくらいの画期的な発明で、それ以前の手回し式ガトリングガンを完全に過去のものとして一掃させるほど強力な兵器となりました。

 このガス・オペレーション方式をブローニングは機関銃から拳銃にもその後応用し、リボルバー式自動拳銃を作ってこの特許権をコルト社に売却し、この特許を元にコルト社は世界初のオートマチック式拳銃を発売するに至ります。一方、この間にかつて蜜月関係であったウィンチェスター社とは契約金関連で揉めることが多くなり両者は完全に決別するまでに至ります。代わりにブローニングの商売相手となったのベルギーのFN社で、FN社向けに改造を行った自動式拳銃「FNブローニングM1900」はヨーロッパ中で大ブレイクしてベルギー国王からもブローニングは勲章をもらうほどでした。
 ちなみに「FNブローニングM1900」は合理的な構造からくる故障の少なさと正確な射撃能力、携帯性から当時非常に評判で、更に改造が加えられた「FNブローニングM1910」も数多く販売され、サラエボ事件のオーストリア皇太子殺害にも用いられています。

 FN社との提携関係が強まったブローニングはわざわざ家族とともにベルギーへ移住して晩年もベルギーで過ごしました。この間にも半自動ショットガンを作ったりするなど最後まで旺盛に銃器開発に取り組んでいたそうですが、彼が生前に設計し集大成とも言える自動拳銃が最初に書いた「FNブローニング・ハイパワー」で、この銃は拳銃でありながら高い装弾数と異常に頑強な構造からこれまた世界的に大ヒットし、この拳銃に使われる弾丸のサイズが世界の拳銃用弾丸の標準サイズ(9x19mmパラベラム弾)となるほど世界中で遍く使われました。
 何がすごいかってこの銃、設計自体は1920年代にもかかわらず「バイオハザード2」を始めとして現代でもそのままで使われていることです。またこの銃の構造は完全に拳銃のスタンダードとして君臨しており、この構造以外の銃を現代で捜す方がむしろ難しいでしょう。

 以上がブローニングの一生ですが、ポンプアクション式ショットガンから機関銃、自動拳銃まで、現代における主要銃器の基本構造をほぼすべてこの人一人で発明しているというのは、改めて考えるだに恐ろしいまでの天才だったというよりほかありません。このブローニングの影響からかまではわかりませんが彼の故国である米国では自動小銃の導入が非常に早く、ブローニング自身が設計したM1918やM1カービン(何気に設計者はジョン・ブローニングの弟)といった自動小銃(アサルトライフル)を他の国に先駆けて部隊に配備し、弾込の動作がいちいち必要だった日本のライフルを各戦場で圧倒していました。
 妹尾河童氏も著作の「少年H」で進駐軍が持っていたM1カービンを見て、「弾込動作も必要なく自動で連続発射できるこんな銃持った相手に勝てるわけない」と衝撃を受けた体験を書いています。本人は射撃部所属だったからなおさらだったろうな。

 ベタな話ですが何故ブローニングを取り上げたのかというと、一人の天才がどれほど世界に大きな影響を与えるかを示す好例だと思えたからです。またその天才を引き上げたという米国の腹の深さといい、こうした点が二次大戦でもやはり大きく影響したと思え、如何に天才を物にするかということが大事なのかとブローニングの一生を見ていてつくづく思います。
 なお自分が一番好きな拳銃は「グロック17」と言って、強化プラスチックを大量に使った初めての拳銃です。作ったグロック社はプラスチックメーカーでそれまで銃器を一切作ったことなかったのにベストセラーとなる銃を出す辺りベンチャー魂を感じるのと、直角の強いフォルムがシンプルかつ無骨で何とも言えません。ただバイオハザードだとあんまり出て来ず、コードベロニカに出てきたくらいかな。

2016年9月16日金曜日

満映と中国映画の系譜

【画像】 観光客の自撮りにうんざりする奈良公園の鹿の写真が話題に(痛いニュース)

 関係ないですが奈良の鹿話なので一応。基本的に鹿はカメラを向けると目線を真顔で合わせてくるんでカメラ写りがいい動物だと信じています。

 話は本題に移りますが、今月の文芸春秋で気になった記事の中に満映こと満州映画協会関係者の記事が載せられていました。どういう記事かというと戦前に満映で編集係として活動していた女性を取り上げ、その方が死ぬ前にもう一度と満州こと現在の中国東北部にある吉林省長春市を訪れる話です。
 満映自体が戦前の会社であることから想像がつくでしょうがこの取り上げられた女性の年齢は現在95歳で、一人で歩行できるものの大事を取って車椅子で移動することにして長春を訪れていました。旧満映本社は現在、市の映画博物館となっており、この女性の訪問に際して入り口では元座員の館長とともに、かつて満映でこの女性から映画編集技術を教わっていた御年94歳の中国人男性もやってきており、二人は一目見るなり「懐かしい!」といって手と手を取り合ったそうです。少なく見積もっても60年ぶりの再会ですが、リアルにキャプテン・アメリカみたいな再会を果たしていました。

 話を戦前に戻すと満映で編集係として活動していたこの女性は終戦後はすぐには引き揚げず、しばらく満映に残り中国人スタッフへの指導を行っていたのですが、中国で共産党と国民党の戦争が過熱するに伴い映画関係者らは長春より北の地域に移動させられ、そこで指導を続けていたそうです。その後一旦は長春に戻ったもののすぐに日本への退去命令が出されたためこの女性が日本に戻ったのは1950年代に入ってからなのですが、この時期に指導していた中国人映画関係者が後の中国映画草創期の人材となっていくわけです。
 具体的にはこの時に育てられた人材が中国の映画養成所の指導者となり、この養成所からは世界的にも有名なチャン・イーモウや、私が文化大革命の連載で一次資料とした「私の紅衛兵世代」を書いたチェン・カイコー(陳凱歌)といった監督陣を輩出しており、こうした点を考慮すると満映の系譜は現代の中国映画に連なっていると言っても過言ではありません。

 私の学生時代に中国語の講師だった先生がまさにこの方面の専門家で一回だけ授業で詳しく教えてもらったこともありましたが、現在の中国映画業界には上記の様に満映をルーツとする流派と、香港映画をルーツとする流派が存在しており、両者が混ざり合った状態が今の中国映画業界だと言えるそうです。ただ先ほどの陳凱歌を始めとして映画業界は思想宣伝に関わる分野であったことから一定の年齢以上の層はほぼ例外なく文革の影響を受けており、最初に取り上げた女性と再会した中国人男性も、当時の思想弾圧によって最初の妻は自殺し、本人も辛酸を舐める生活を一時余儀なくされたということを話しています。

 逆を言えば、中国映画には必ずと言っていいほど文革の影が纏っているとも言えます。何気に昨日に友人とも話したし一昨日には上司とも話をしたのですが、今の映画関係者は文革と天安門事件を経験しておりその時の体験が嫌が応にも作品に現れてしまうし、そうして浮き出てくる要素こそ中国映画の魅力というか長所にもなっていると言えるでしょう。日本においても戦争体験と全共闘の二つが映画業界の中で重きをなしているというか重要な要素で、こうした広く共有されている強烈な体験こそいい映画を生む条件なのかもしれません。
 翻ってアメリカ映画を見るならば、あんま詳しくはないですがやはりベトナム戦争がかつては一番大きく、現代においては9.11でしょう。むしろ9.11なしに現代のアメリカ映画は語れず、この要素をどれだけうまく、静かに表現できるかによって作品の優劣が決まるというところもあり、「アバター」、「ハートロッカー」や「アメリカンスナイパー」等はまさにその典型と言えるかと思います。

2016年9月15日木曜日

最近買った漫画、主にヒナまつり11巻

 昨夜、待ちに待った念力使える少女とインテリヤクザのドタバタギャグ漫画「ヒナまつり」の11巻が発売されたため、深夜にもかかわらず電子書籍版をダウンロードして(何度も失敗しつつ)夜中に笑い転げてから眠りました。この巻に収録されている話の中身についてネット上では、「くつ、なめますから!」というセリフが見どころとしてよく取り上げられていましたが、個人的に一番ツボにはまったセリフは、「新田が不幸過ぎてヤバイ」でした。

 この漫画は結構巻数を重ねていますがギャグの切れは全く落ちておらず、対抗馬の「監獄学園」がやや引き延ばし傾向が目立ってきて面白さがなくなってきたこともあり、今連載中の漫画の中で何が一番面白いかといったら私の中では間違いなくこの漫画が上がってきます。
 この漫画のギャグの特徴としては、話の構成が優れていることもさることながらこの作者はコマを外さないというべきかここぞというところで確実に大ゴマを振り、そのコマが見事なくらいにその直前の場面からの展開が上手く、単純コマ使いが非常に上手い作者だと思います。なんでもこの漫画がこの作者にとって初めてのギャグ漫画だったそうですが、どうしてこれほどのセンスをそれ以前からも発揮できなかったのか不思議に感じるくらいの凄みを覚えます。

 引き続いて別の漫画ですが、Kindleで1~3巻が無料だったので「無限の住人」も購入しました。タイトルだけなら前から知ってて擬音に漢字が使われるっていうこと以外は全く知らなかったのですが、読んでみてこれもとても面白かったです。内容は江戸時代を舞台にした自体劇物で、父親を殺された一人娘が仇討のため切っても刺しても死なない不死身の剣客を雇うという話ですが、剣客物のだけに戦闘シーンが非常に多いものどれも見事な画力で表現しており、動きも激しいながらきちんと描き切っています。しかも背景もめちゃきれい。
 ただ、この漫画を読んでて気になったのは画力よりも画風です。作者の沙村弘明氏のWikiを見ると美大学生時代は大友克弘氏の影響が強かったと書かれていますが、この無限の住人に関して言えば一目見て、「ああ、冬目景だ」と思いました。っていうか「黒鉄」。

 冬目景氏というのはこちらも漫画家で一般層の認知はそれほど高くないものの熱狂的なファンが非常に多い作者であるのですが、沙村氏の漫画を見て何故冬目氏が出てくるのかというと画風が完全に一致しているからです。どちらも非常に特徴的な描き方をしておりページ全体がデッサン風にクロッキーで書いたかのようなざらざらとした質感の絵で、風景画の中に実際の頭身に忠実なキャラクターが動くような描き方をしています。
 それもそのはずというか冬目氏は沙村氏が美大で入っていた漫研の先輩だったそうで、冬目氏によって沙村氏は女装させられたこともあったそうです。っていうかひどくね?

 最後、これは今日一気に六冊まとめ買いしましたが「乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ」です。この前にやってた火砲の歴史で西欧で初めて火砲が集中的に軍事運用された戦争はフス戦争だと書きましたが、まさにこのフス戦争で銃火器を使って戦ったフスは農民軍に参加する少女を主人公とした漫画で、前からも興味ありましたがフス戦争についてちょいと調べたし、ちょっとメジャーでない漫画を読みたいと思っていた矢先なのでマルクス主義的に今が買い時と決心して買っちゃいました。なお私が「マルクス主義的に」という言葉を使う際は、「空虚な、意味のない」という意味合いで普段から使います。
 この漫画を読んでて思ったのは、ストーリーについては実際の歴史をよく読みこんで非常によく寝られているなと思い、絵については当時実際使われたマスケット銃、大砲、ワゴンなどをしっかりと書かれてあり歴史を題材に取った漫画としては必要十分な条件を揃えているという気がします。ただ少し気になった点としてはただでさえ一般人に馴染みの薄い中世ヨーロッパ世界で神聖ローマ皇帝や教皇、プラハや公会議といった単語が頻出され、読者の理解が追い付く前に展開が早く進んでしまっているのではと思う節があります。

 漫画において展開は早ければ早いに越したことはありませんが、歴史漫画の場合はどうしても歴史背景や事実関係を読者が追わなければならないため、背景や補足説明なりをナレーションやキャラクターを使って行わなければならず、この「乙女戦争」もやってないわけではありませんがもうちょっと多めにやっておいた方がよかったのではという気がします。あと、戦争の場面ではもう少し火力の威力がわかるように表現できればというか、はっきり言って表現しきれていないとも見え、この辺りは少しテコ入れすればかなり良くなる場所であるようにも見えます。
 なおこの漫画でうちでも外でもいつでも素っ裸のキリスト教異端派が出てきて彼らが登場する会はいつも彼らは素っ裸でいるのですが、みんながみんな素っ裸でいる場面を見る度に私の中では漫☆画太郎氏の名前が何故か浮かんできます。


     

2016年9月13日火曜日

蓮舫氏の二重国籍問題に関する嘘

 最近誰も話題にしなくなりましたが夏目三久氏と有吉弘行氏のあの結婚騒動は一体何だったのかなとふと気になりました。文春が後追い報道しなかった時点でデマだとすぐわかりましたが、「生放送で否定していない」、「事務所がきっと隠している」などとこのデマを必死で信じようとしていた連中はなんだったのかな。
 今日の話はホットな話題というか説明するまでもない蓮舫氏の二重国籍問題についてです。結論から言えば議員辞職してやり直せというよりほかなく、この期に及んでまだ嘘をついている点を含め他人に厳しく自分に甘いその態度は軽蔑に値するでしょう。

 まずこの問題の第一報を報じた媒体について、当時ちょっと確認していなかったのですが先程ネットで調べた限りだとアゴラだったように言われています。本来、他のメディアがこのような疑惑を報道する際はちゃんと情報出所を書かないといけないのですが大手紙なんかは以前も週刊誌発の疑惑を出典をごまかして報じるなどこのところ呆れた態度を取ることが増えているだけに、今回も出典がアゴラだと書かないし言わないのも納得できる上、私が把握していなかったのもそれが背景だと思われます。
 なお実際私も経験していますが大手紙の雑誌、ネットメディア軽視は非常に根深いものがあります。ひどいのは私の昔の編集長で、私が取材して聞き出した内容よりも他の大手紙の間違った記事内容を信じて、「嘘書くんじゃねぇ!」と散々に罵倒された挙句、私の書いた記事内容が後でやっぱり正しかったとわかるや、「じゃあそのまま出して」とスルーされたこともありましたが、ライター内でも「大手紙の記事は神聖にして不可侵」という概念があるから鬱陶しかった。

 話は戻りますが今回のこの騒動では大きく二つ問題があると私は考えています。一つは言うまでもなく蓮舫氏が二重国籍を保持したまま国会議員をやっているという点で、二重国籍を認める国も確かに存在しますが日本の場合は成人には認めておらず(未成年はOK)、蓮舫氏の現状は間違いなく法律違反を犯している状態です。まぁ捜せばほかにいくらでも出て気はしますが、法律に違反し続けている人間が国会議員をやってるなんて冗談もいい所で、ましてや国籍という非常に基礎的な条件でやらかすなんてわざとでないにしても笑わせるなと言ってあげたいです。
 もう一つの問題点としては、まだここまで深く突っ込んでるメディアはありませんので私が言いますが、蓮舫氏は明確に複数の嘘を今回ついています。一つ目と比べてこっちの問題の方が重いように私は思え、この一点で以って議員辞職にも相当するミスを蓮舫氏は犯しているともっと追究されるべきでしょう。

 では蓮舫氏がどんな嘘をついたかですが、一番大きなものとしては「既に国籍離脱をしていたと思っていた」という嘘です。既にあちこちで検証されていますが当初は出生時から日本国籍単独であると主張しておきながら途中で17歳の頃に父親と共に離籍手続きを取ったと本人は話してます。一方、過去のインタビューでは25歳時に台湾国籍を維持している(ついでに誇りも持っている)と述べており、一年や二年の差だったら思い違いも分からなくはないですが、この期間の差から考えると離籍手続きを取っていなかったことを初めから認識していたと考える方が自然でしょう。
 よくこの手の問題で日本のメディアはやたら本人の意見を重んじますが、政治家なんだから本人が何言おうが有権者がどう考え、信じるか否かの方が重要でぶっちゃけたところ本人が何を言おうが関係なく、自分がどう思うかが一番肝心というのが私のスタンスです。

 もう一つ、明確に嘘をついていると私が思う点は台湾大使館(便宜上この表記を維持)への国籍変更手続き有無の確認日時です。蓮舫氏は本日13日早朝に二重国籍状態であることを認め陳謝し、確認を求めていた台湾大使館から昨日12日夕方に連絡があったと述べました。しかし、実際大使館で働いたわけじゃなく断言できるものではありませんが、国籍の有無について確認するのに普通それほど時間がかからないように思えます。今回の騒動は先月末に第一報が出ており先週一週間フルに報じられ続けたことを考えると、この間に確認の返事位受け取ることは可能だったのではないかと思います。
 そして何より、今日が13日であるという点を考慮しても嘘をついているようにしか思えません。一体今日13日はどんな日なのかというと、民進党代表戦における地方議員、党員、サポーターの郵便による投票が締め切られる日であります。仮に今日より以前に二重国籍を認めてしまうと上記の投票が減る可能性があり、逆に代表選本選の15日以降に認めてしまうと、「わかっていたら投票しなかった」などとケチがついて仕切り直しの再選など当選取消を受ける可能性があるため、敢えて今日の13日か明日14日を狙って発表したのではないかと思えてならず、それくらい作為を感じる発表日程であるだけに確認日時は偽っている可能性が高いと私は見ています。

 別に私は政治家が嘘をついちゃだめだなんてそこまでの理想主義者ではありませんが、現状がどれほど異常であるかを本人が理解していない上になおも代表選当選にこだわる蓮舫氏のこの姿勢は政治家としても一個人としても理解の出来るものではありません。自民党側の視点に立てば、このまま蓮舫氏が代表選に当選してくれれば民進党を攻撃する格好の材料が得られるため敢えて今は批判を抑えているようにも見え、どうせ当選した所で本人はおろか党の足を引っ張ること羽目に見えてるだけに本気で政治のこと考えるならば今は一歩身を引く一手しかありません。それすらも把握できていないのであれば政治家なんて向いおらず、言ってしまえば論外以外の何物でもないでしょう。

  おまけ
 最後どうでもいいですが、ウシジマくんのマサル死ななくてなんかほっとしちゃった。

2016年9月12日月曜日

本名とハンドルネームの狭間で

 先日、リクルートスタッフィングに対して数年ぶりに電話取材を敢行した際、電話口で最初に述べた第一声は、「お忙しいところ失礼いたします。私、フリージャーナリストの花園祐という者です」という口上だったのですが、これを言いながら、「何がフリージャーナリストやねん、っていうか花園祐って誰やねん(笑)」と思えてきて吹き出しそうになりました。
 言うまでもありませんが「花園祐」というのはハンドルネームであって本名ではありません。本名はこのハンドルネームと一文字も被っていないどころか文字数も違うし、高校時代に使っていた筆名もまたこれとは異なるのでこっから私の人物を特定するのはほぼ不可能と言えるのですが、冷静に考えるとこのブログを通して私のハンドルネームを知っている方は恐らくそこそこいて、多分その数は確実に私の本名を知っている人数を上回っていることでしょう。

 なもんだから、果たして自分の名前としてどっちが適当なのかなとふと思う時があります。本名は戸籍にも使われている名前だし法制度的には間違いなくこっちの方に分がありますが、こと人物の識別、伝達においてはハンドルネームの方が圧倒的に優位です。っていうかブログ始めるに当たってパッと思いついた名前だというのにそこそこ浸透してきたなと思えてなんかいろいろと複雑です。
 なお名前の「祐」という字は友人の名前から一字拝領したものですが、その友人からは私のハンドルネームについて「少女漫画家っぽい名前に見える」と言われ軽いショックを受けました。

 そんな名前にこだわりは持っていませんが、今後も外で活動する際はこのハンドルネームを使っていくんだろうなと思うと意外と付き合いが長くなる名前のようにも思います。そういう意味では変に中二病っぽい名前にしなくて正解だったなと思うと共に短いので書きやすい点ではプラスであったでしょう。最近巷では変な名前を子供に名づける親が多いというしかつては忌字であった花の名前(咲いてしおれることから若死にを暗示するため)も平気でつける親も多いですが、伏兵的な意味で平凡な名前にした方が何毎も便利でいいと今のハンドルネーム使ってて思います。
 なお、日本史上で最初のDQNネームを使った名付け親は子供にマリアやフリッツと漢字当て字でつけた森林太郎で間違いないでしょう。

2016年9月11日日曜日

日本の火砲の運用史

 なんか昨晩からずっと記事を書いてるような気がするのですがどうかしたのだろうか。金曜の晩、大学の先輩を始めとしたメンバーと夜中に漫画喫茶で「いただきストリート」をしたのが何か影響したのかもしれません。なおゲームは四人対戦で後半までずっとビリでしたが終盤に脅威の巻き返しを図り二位につけてやりました。
 さてこのところ中国、西欧の火砲というか火薬の軍事運用史を追っかけてきましたが、最終回として「誰も知らない、日本の恐ろしい火薬運用話」を展開します。ぶっちゃけほとんど火縄銃ネタですが、あんまこの辺の解説をする人少ないんだよね。

 日本と火薬のファーストインプレッションはみんな大好き13世紀の元寇です。この戦いでモンゴル軍は日本側からすると「てつはう」と呼ばれる手榴弾兼音響弾を使い、幕府側の資料にも記録されたほど兵器として注目されました。ただ注目されはしたものの深追いは全くなされず、そのため火薬自体の存在は伝わったかもしれませんが日本に定着することはなく、西欧と違って火薬の活用はこの時は全く行われないまま数百年を過ぎることとなりました。

 そして来る16世紀、具体的には1540年代前半に火縄銃が日本に伝来することとなります。この伝来時期と伝来方法については現在議論の真っ最中で、従来の様に1542年に種子島から伝来したという説よりかはほぼ同時期に近畿地方などにも伝わったとする説の方が真実味が感じられるのですがそれは置いといて、とにもかくにも1540年代に伝わって以降、火縄銃は日本で大ヒットすることとなるわけです。
 それから約60年後、1600年の関ヶ原の戦い時点で日本が保有していた火縄銃の数は50万丁を越えていたとされ、これは当時世界にあった銃火器の約三分の二にも達するという研究が出ています。

 これをヨーロッパ側の視点で見ると、流れ着いた島国の原住民が「売ってくれ」というから火縄銃を数丁売ってやった所、翌年にまたやってきたらそっくりそのまんまコピーして(発射機構はやや怪しかったそうだが)火薬の量産まではじめており、それから数十年で世界最大の量産国になっていたりと普通に考えてなんかおかしいです。戦国時代であったことからそれだけ需要があったというのはわかりますが、文明的に当時日本を上回っていた中国より先に量産体制を確保したばかりか三段撃ちを始めとする効果的な運用方法も西欧に先んじて独自に編み出し、朝鮮出兵時の序盤では朝鮮軍と明軍を実際に圧倒しています。
 一体何が日本人をこれほどまでに火縄銃へと駆り立てさせたのかいまいちよくわかりませんが、こと銃火器に限れば当時の日本は間違いなく世界ナンバーワンだったと断言していいでしょう。ただ銃鍵のカテゴリーであれば通常の火縄銃、バレルを延長した火縄銃、口径を大きくしたハンドカノンなどバリエーションを広げましたが、西欧と違って大砲を量産するにまで発展しませんでした。

 大砲自体は木砲を自作したり、ポルトガルから輸入して大阪の陣で運用されたりなどしましたが、日本国内で本格的に量産するまでには至りませんでした。背景としては二つあり、一つは大型の金属製大砲を自作するほど鋳造技術が足りなかった、もう一つは戦国時代が終わって需要が亡くなったためです。特に後者の影響は大きく、江戸時代に入って以降は農民反乱を防ぐためにも所持が制限されて、標準装備する鉄砲隊や狩猟に出る猟師以外には持たされなくなり全体の保有数も減っていき、また改良自体も行われないまま明治維新まで時が経ったわけです。

 それにしても戦国時代の量産量は異常というよりほかなく、別の視点から見ると火縄銃の軍需産業規模は一体どれほどあったのか非常に気になります。これだけの量であったことから輸入量を差っ引いても相当な人間が鉄砲生産に関わっていたとみられ、日本全国単位でのキャッシュフローにも大きな影響を与えていたことでしょう。仮にこの時の水準のまま発展していればとんでもない銃火器も作っていたのでは、下手すればビームライフルやレールガンなども作れていたのではないかと思いつつそりゃないかと我に返る次第です。

2016年9月10日土曜日

続・永田寿康元議員の自殺について

永田寿康元議員の自殺について

 上記記事は2009年に私が書いた記事ですが何故か今現時点でやたらとアクセス数が高くて困惑しています。っていうよりもこの件についてはほかにも書いてる人がたくさんいるというのに何で私の所ばかり来るのかもわからないのですが、書かないよりは書いてあげた方がいいなって気がするので一応「その後」の話を書いておくことにします。
 にしても上の記事書いたの七年前か、この頃は新卒で入った日系企業で文字通り「髀肉の嘆」をかこっていたな。七年前の自分が今の姿になるとはいくら自分でも想像できなかったろう。

ついに逮捕!「偽メール事件」で議員(故・永田寿康氏)騙した“サギの天才西澤孝・40”の手口(FLYDAY)

 結論から言うと、永田元議員が議員辞職してその後に自殺へと至るきっかけとなった偽メール事件でメール文を偽造したとされる西澤孝は、その後も詐欺を繰り返し続けて逮捕立件されていました。

 この西澤孝は偽メール事件を引き起こす前も、元プロ野球選手で先日大麻で捕まった清原容疑者の現役時代に彼の行動について事実とは異なる取材記事を週刊誌に書いたことにより清原容疑者に訴訟を起こされ、その記事を掲載した週刊誌に多大な賠償金支払い命令が下される判決を招いています。なおこの時の裁判結果を受けてどの週刊誌も訴訟リスクを検討するようになり、以前と比べて憶測、というか妄想の類の記事は掲載しない方針となっていったのですが週刊新潮はそうでもなかったようです。

 色々と説が飛び交っているものの、永田元議員は西澤孝の直接の知り合いではなく、別に信頼する人間を仲介して知見を得て例のメールを得たとされ、その仲介した人物を深く信頼していたことからその内容をまるっと信じ込んだと言われています。もっとも、あの内容と文面で信じたこと自体が異常極まりなく、なんの裏付けも行っていなかったことから言っても週刊誌記者と同レベルの判断力だったとしか言いようがないのですが。

 それにしてもカスはカスで余計な毒を社会のあちこちにばらまくだけばらまくのだなと、その後の成り行きを見るにつけ思いにふけます。極端なことを言うと、世の中には弁護のしようがないほど本当にどうしようもない人間は確実に存在しており、下手に野放しにするくらいなら殺害するか隔離した方がその周囲を含めて絶対にプラスだと思える人間がいます。先日、和歌山で起きた発砲事件然り、この西澤孝然り、早めに処分なり追放なりしないからこういうことになるのだと思えてならず、もう出所しているかどうか知りませんが出所したらしたでまた同じようなことをしでかすに違いないと考えています。

 もっとも、永田元議員が惜しまれるような人材だったかとなると自分でも少し疑問符はつくのですが、あれほど頭の回転が速く切り返しの強い政治家は現時点においても私が見る限りおらず、この点に関しては誠に稀有な人間だったと太鼓判を押します。私の知る限りあれほど言い合いが強い人物となると元オウム真理教の上祐史浩氏くらいなもので、私の中ではこの二人が未だにトップツーです。

 紙幅がやや余っているので最近の政局について述べると、社民党が実質的に滅んだ今、民進党はそのまま社民党と同じ崩壊への道をこれから辿ることになると予想しており、蓮舫氏が代表になることはまさにその第一歩になるでしょう。女性に政治が出来ないなんて言うつもりはなく単純に代表としての資質や能力に欠ける上、それを支える人材もいないためですが、一番致命的なのは本人らがそれを自覚していないことで、補完するための努力を明らかに怠っています。現時点で代表たり得る人物は私が見る限り野田元首相しかおらず、彼の名が出てこない一点を通しても組織として民進党は疑問を覚えずにはいられません。