・韓国映画「実尾島事件」は再現されるか 「金正恩暗殺部隊」派遣の可能性(Yahooニュース)
少し古いし無視してもよかったのですがなんだかずっと気になってたのでもう記事にします。気になったのはコリア・レポート編集長である辺真一氏が書いた上のリンク先の記事で、記事中にある末尾から二番目の段落にある以下の記述が訝しく感じました。
『今から45年前の「実尾島事件」は集められた「特攻隊員」は囚人らだが、今では軍人や工作員出身の脱北者もいる。』
この箇所の何がどうなのかというと、「実尾島(シルミド)事件で集められたのは囚人」というのが書いてある内容が事実と違うのではないかと思うわけです。
・実尾島事件(Wikipedia)
シルミド事件というのは1971年に実際に起きた事件で、北朝鮮の金日成を暗殺するために韓国の離島(実尾島)で訓練されていた特殊部隊兵士らが反乱を起こしてソウルに繰り出し、正規軍と市内で銃撃戦を起こした事件の事です。首都で起きた軍隊の反乱というのっぴきならない事件でありますが事件が起きた当初は箝口令が敷かれてほとんど知られず、2003年にこの事件を題材に取った映画「シルミド」が公開されてから初めて公に知られるようになりました。
その事件が知られるようになった映画ですが私も見たことがあり、端的に言って面白かったです。ただこの映画には事実の脚色がひどいという批判も多く、その脚色された箇所こそまさに反乱部隊隊員の出身で、映画の中では死刑囚らに死刑を免じる代わりに部隊へと参加させていました。
私の理解が正しければこの箇所は完全な創作であったため、映画公開後には元隊員の遺族らが名誉棄損だとして公開差し止めを請求するにまで発展したと聞きます。また常識的に考えても、敵国の首魁を暗殺しようとする部隊に犯罪者を入れるなんて普通は有り得ないと思えるだけに私もさすがにここは嘘だろうという気がします。もっとも、実際の隊員は高額の報酬につられてやってきた一般市民が大半で正規の軍属ではなかったというのもなかなか信じがたい事実でありますが。
上記の辺氏の記述はこう言ってはなんですが映画の内容そのままを書いており、仮に私の理解が正しければ事実とは異なる間違った記述となります。ただ単に私の方が誤解しているだけかもしれませんが、上の記事について出稿前に誰か何も言わなかったのだろうかという気がしてなりません。しかも中盤にも、「空軍管理下にあった軍特殊犯23人を北朝鮮に送り込むため孤島の実尾島(シルミド)に集め、訓練させたことがある。」と書かれてますが、これほんま?
上から目線で物言うと、こういうのは業界では「勇み足」といって書かなくてもいいこと書いて失敗する例です。最初の一文も「囚人」なんて言葉を使わなくてもいいのに敢えて使ってますし、中盤の文言も「特殊犯」なんて言葉は不要です。少なくとも、事実認定について紛争が起きていることを考慮すればまず外します。
事実でない内容が事実であるかのように独り歩きして報じられることほど報道において合ってはならないことはありません。少なくともこの件を見て、ちょっとこの人の記事には映画の内容を鵜呑みにするところがあると注意する必要があることがわかりました。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2016年11月25日金曜日
2016年11月24日木曜日
悪目立ちしたい人たち
この前書いたゲームレビューで、「声聞いただけでマジ背筋凍った」と評した声優の能登麻美子氏についてちょっと調べたところ、「この人が童謡歌うとマジ怖い」と言われていたそうで、実際上のラジオで収録された能登氏の童謡聞いたところ本気で怖かったです。携帯の着メロにしたいんだけどMP3とかで出してもらえないかな。
そんな能登氏についての言及が続きますが、上の画像は2004年にプロ野球の近鉄球団売却騒動の際に買収に名乗りを上げたライブドアが、買収後の球団名をネット上で募集した際の後の祭りです。インターネット投票ということもあって不正投票が集中し、1位は何故か当時勢いあった北朝鮮から日本に定住した元米兵のジェンキンス氏の名前が入り、2位には買収で争った相手の楽天の名前が入り、そして4位に能登麻美子氏の代名詞である「能登かわいいよ能登」が入っていて、なにこれと当時思って調べたことが私が初めて能登氏を知るきっかけとなりました。
見方を変えれば、この2004年からすでに十年以上も経過するにも拘らず能登氏は未だ声優業界で引手数多で活躍し付けていることになり、まぁ色々と凄い人だなと改めて思います。それにしても18位の「仙台・オブ・ジョイトイ」って懐かしいな、確か真鍋かをり氏はコオロギの死骸の写真と共に「コオロギ・オブ・ジョイトイ」ってブログにアップしてたけど。
話は急転直下で変わりますが、能登氏が十年以上も声優として活躍し続けた一方、先の買収騒動で主役であった元ライブドア社長の堀江氏は、この十年の間にフジテレビ買収騒動を起こしたり、小菅ヒルズに収監されたりと浮き沈みの激しい時期を経由し、現在はテレビのコメンテーターとして出る機会が増えてると聞きます。ただテレビに出演した際のコメントを聞いてると割と世間からは反発されることのが多いように見え、具体例を挙げるとジャパネットタカタについて、「情報弱者を騙して食い物にしている」といったりなど、私に限らずお前がゆうなと言いたくなるような発言が多いです。
あくまで私個人の見方で言わせてもらうと、堀江氏的にはそういう風に思われて大満足なのではないかという気がします。というのも彼の言動や態度を見ると人から好かれたいというよりは人を怒らせて、「俺はお前らとは違うんだよ」みたいに思って自己満足したがってるように見え、端的に言えば悪目立ちしたがっている人だと思います。私が見る限り彼にはそれほど教養も確固とした信念も感じられず、特に理由なく世間の一般の見方とは敢えて逆のこと、人が誉める対象を貶し、人が貶す対象を誉めるようなことをして目立ちたいだけではというふうに見ています。
もう一人こういう傾向が激しいと感じる人物として、自称漫画家の江川達也氏もこの類でしょう。手塚治虫についてはかねてから「漫画を駄目にした」などと口汚く罵っており、最近も大した根拠を挙げることなく映画「君の名は」を全否定したりと、信念や考えなど初めからなく人が賞賛するものを敢えて批判するだけのスタンスだと私は見ています。そんなんだからマスコミとかこんな何も考えてない目立ちたがり屋みたいな連中取り上げるなと内心言いたいわけですが今だに二人ともよくテレビとかに出演しているとのことで、かなり昔に「職業:江川達也が画面に映る度に舌打ちをする係」と堂々と書いた漫画家の平野耕太氏は時代を先取りしていたなと思うわけです。
なお平野氏は一時期ブログで、「江川達也が麻原彰晃に間違えられていきなり一審で死刑判決即執行となり、裁判所に死刑台がパカっと現れが本人は、そんなことはないでしょおなどとへらへら笑ってて……」というような下りをなんかの例えとして用いており、漫画もさることなら文才も凄いなと当時思いました。
2016年11月23日水曜日
電気自動車の提携で孤立するホンダ
・中国のEV市場が驚くほど急拡大した理由 日本はEV冷遇国?支援策で先行する中国(JBpress)
自分で書いた記事に自分で引用するのもどうかと思いますが、中国関連で書いてと言われてなら電気自動車(EV)なら適当に現地報道を翻訳すればすぐ済ませられると思って書き始めたところ、適当な記事が全く見当たらず、結局いろんな資料見て独自分析する羽目となり「回り道こそが近道だったんだ」を実践する羽目となりました。
それで今回の内容はEVの中国市場と日本のEV補助金政策をメインに扱っていますが、そもそもこの記事のきっかけは今月7日にトヨタが発表した「2020年からのEV量産化計画」です。これに関して仮に日本市場について書いていいんだったら書こうかなと思っていたネタをこれから書くわけですが、結論から述べるとホンダはこれからどうするのといったところで、この意味がわかる人はこの先読まなくても大丈夫です。
上にも書いた通りにこれまでハイブリッド車、そして燃料電池車に注力していたトヨタがとうとうEVにも手を出すということで、あんまり経済ニュース上では大きく取り扱われていないものの自動車業界の中ではかなり衝撃が大きいニュースだったように私には思います。というのも、このトヨタの発表の直前にトヨタとスズキが開発方面で提携を行うという発表を行っており、「あの提携はEVがらみだったのか」と後の発表で気が付きました。
自動車業界に詳しい知人というか元同僚もスズキとの提携発表時の衝撃について、「トヨタはダイハツを切るつもりか?」と思ったそうです。実際私も、既に完全子会社となっているダイハツの存在からスズキと提携するなんていう情報は嘘に決まっていると頭から信じ込んでいましたが、これがEVがらみとなると話しは違い、それだけトヨタも今回は動いてきたのだなと改めて覚えました。
話がちょっと横にずれましたが11月7日のトヨタの発表から約一週間後、今度はマツダが2019年にEV事業に参入するという発表を行いました。あくまで個人的意見で言わせてもらうとこれは偶然ではなく、トヨタと示し合わせてというか両社でしっかり準備した上での発表だったと私は見ています。
というのもトヨタとマツダは既に環境対策車で提携を結んでおり、マツダは現時点でも既にトヨタからハイブリッドエンジンの供給を受けています。そのマツダがEVに参入するとしたらトヨタとの共同開発以外にはありえず、トヨタに一年先んじる2019年に参入ということは市場流通台数の少ないマツダでEV事業というか量産を一年見た上で2020年からトヨタが本格的に事業を開始するというスケジュールなのではないかと思えました。スケジュールに関しては憶測も入っていますが、EV事業の共同開発に関してはトヨタとマツダは間違いなくタッグを組むとみて問題ないでしょう。
以上の情報を分析すると、元からトヨタグループだったダイハツ、スバルは言うまでもなく、スズキとマツダもトヨタと一緒にEV開発を行っていくこととなります。逆を言えばそれだけ開発費負担が重くトヨタですら他社と提携の道を選ぶほどかと言えるのですが、以上の5社はEV事業について車種間の競争はあっても基幹部品の開発供給においては共同歩調を取るでしょう。
一方、既にEVの量産事業を行っている日産と三菱は既に知っての通り三菱がアホやって日産に吸収合併されたことによって、両社は手を取り合って、っていうか完全に一緒になって今後もEV事業を展開していくことでしょう。といっても日産はともかく三菱は途中からEVについて完全にやる気失くしてたので果たしてというところはありますが、すでに事業化している点もあってノウハウ的にも生産的にもトヨタ連合に一歩先んじているのは間違いありません
となると残ったホンダはどうなるかですが、少なくとも現状で言えばEV事業に関して完全に孤立した状態にあると言っても過言ではないでしょう。っていうか中途半端にハイブリッドに片足ツッコんじゃったもんだから抜くに抜けなくなっているようにも見え、マジでこれからどうするのとホンダ嫌いの私ですらちょっと心配しちゃいます。
一応、ホンダも過去に事業者向けに「フィット EV」という電気自動車のリース事業を行い、これから消費者への一般販売もやっていくと宣言してその後数年音沙汰がなく、ホームページのニュースリリースも2012年で止まったままで寂しさすら覚えるくらいですが、断言してもいいですがEV開発とか試作をこの会社はほとんどしていないでしょう。一昨年くらいからホンダは欠陥車のリコール対策で完全に開発止まってましたし、そのくせ赤字にしかならないNSXは出したりしてたのでEVに関する開発力は2012年の段階から完全に止まっているのではないかと見ています。
上にも書いた通り、なんだかんだ言いつつEV開発を量産レベルにまで持って行こうとなると、ガンダムにたとえるなら一年戦争勃発時からゲルググが量産出来る水準にまで持って行くまでの労力と資金が必要になるほどの難事業です。っていうか何故ここでゲルググが浮かぶのかミステリーです。
だからこそトヨタもスズキ、マツダを巻き込んだのでしょうし、スズキとマツダも単独では不可能との判断から提携したのだと思います。特にスズキはフォルクスワーゲンとも環境対策車方面で提携していましたが相手にその能力がないとわかるや切り、てっきりほかの世界大手、たとえばGM当たりと組むかなと思ってたら国内のトヨタと組んだので、危機感は相当なものだと思えます。
日産、三菱連合はトヨタ連合と比べると数は少ないですが、先行して事業を介しているという利は確実にあり、また日産の場合だと自動的に仏ルノー、そして中国の東風汽車も絡むので、真面目にオールグローバル体勢でEV事業に出てくるでしょう。どの市場にもすぐEV車を供給できるメリットというのは結構大きいかなという気がします。
それだけに、ホンダはこれからどうなるのか。EVなんて主流になるわけないと高をくくって無視してガソリン車だけ作るっていうのも別にそれはそれでありですが、本当にそれでいいのかと思うし、っていうか信長の野望じゃないけど外交とかちゃんと考えてるのか見てて不安に感じます。
逆を言えば一時期流行った「選択と集中」が割と自動車業界で切迫した問題になりつつあるように思え、EV開発に乗り出すか、乗り出さないか、この点で各社の動向が今後どうなるのか密かに楽しみにしています。もっとも一番楽しみなのはヤマハの四輪事業参入ですが、恐らくこれもEVではないかと考えています。
おまけ
ほかに同じような意見を先に発信している人はいないかなと調べてみましたが特にいませんでした。その際、「ホンダ 孤立」で検索かけたらサッカーの本田圭佑選手の記事がヒットしまくり闇が深いと感じました。
自分で書いた記事に自分で引用するのもどうかと思いますが、中国関連で書いてと言われてなら電気自動車(EV)なら適当に現地報道を翻訳すればすぐ済ませられると思って書き始めたところ、適当な記事が全く見当たらず、結局いろんな資料見て独自分析する羽目となり「回り道こそが近道だったんだ」を実践する羽目となりました。
それで今回の内容はEVの中国市場と日本のEV補助金政策をメインに扱っていますが、そもそもこの記事のきっかけは今月7日にトヨタが発表した「2020年からのEV量産化計画」です。これに関して仮に日本市場について書いていいんだったら書こうかなと思っていたネタをこれから書くわけですが、結論から述べるとホンダはこれからどうするのといったところで、この意味がわかる人はこの先読まなくても大丈夫です。
上にも書いた通りにこれまでハイブリッド車、そして燃料電池車に注力していたトヨタがとうとうEVにも手を出すということで、あんまり経済ニュース上では大きく取り扱われていないものの自動車業界の中ではかなり衝撃が大きいニュースだったように私には思います。というのも、このトヨタの発表の直前にトヨタとスズキが開発方面で提携を行うという発表を行っており、「あの提携はEVがらみだったのか」と後の発表で気が付きました。
自動車業界に詳しい知人というか元同僚もスズキとの提携発表時の衝撃について、「トヨタはダイハツを切るつもりか?」と思ったそうです。実際私も、既に完全子会社となっているダイハツの存在からスズキと提携するなんていう情報は嘘に決まっていると頭から信じ込んでいましたが、これがEVがらみとなると話しは違い、それだけトヨタも今回は動いてきたのだなと改めて覚えました。
話がちょっと横にずれましたが11月7日のトヨタの発表から約一週間後、今度はマツダが2019年にEV事業に参入するという発表を行いました。あくまで個人的意見で言わせてもらうとこれは偶然ではなく、トヨタと示し合わせてというか両社でしっかり準備した上での発表だったと私は見ています。
というのもトヨタとマツダは既に環境対策車で提携を結んでおり、マツダは現時点でも既にトヨタからハイブリッドエンジンの供給を受けています。そのマツダがEVに参入するとしたらトヨタとの共同開発以外にはありえず、トヨタに一年先んじる2019年に参入ということは市場流通台数の少ないマツダでEV事業というか量産を一年見た上で2020年からトヨタが本格的に事業を開始するというスケジュールなのではないかと思えました。スケジュールに関しては憶測も入っていますが、EV事業の共同開発に関してはトヨタとマツダは間違いなくタッグを組むとみて問題ないでしょう。
以上の情報を分析すると、元からトヨタグループだったダイハツ、スバルは言うまでもなく、スズキとマツダもトヨタと一緒にEV開発を行っていくこととなります。逆を言えばそれだけ開発費負担が重くトヨタですら他社と提携の道を選ぶほどかと言えるのですが、以上の5社はEV事業について車種間の競争はあっても基幹部品の開発供給においては共同歩調を取るでしょう。
一方、既にEVの量産事業を行っている日産と三菱は既に知っての通り三菱がアホやって日産に吸収合併されたことによって、両社は手を取り合って、っていうか完全に一緒になって今後もEV事業を展開していくことでしょう。といっても日産はともかく三菱は途中からEVについて完全にやる気失くしてたので果たしてというところはありますが、すでに事業化している点もあってノウハウ的にも生産的にもトヨタ連合に一歩先んじているのは間違いありません
となると残ったホンダはどうなるかですが、少なくとも現状で言えばEV事業に関して完全に孤立した状態にあると言っても過言ではないでしょう。っていうか中途半端にハイブリッドに片足ツッコんじゃったもんだから抜くに抜けなくなっているようにも見え、マジでこれからどうするのとホンダ嫌いの私ですらちょっと心配しちゃいます。
一応、ホンダも過去に事業者向けに「フィット EV」という電気自動車のリース事業を行い、これから消費者への一般販売もやっていくと宣言してその後数年音沙汰がなく、ホームページのニュースリリースも2012年で止まったままで寂しさすら覚えるくらいですが、断言してもいいですがEV開発とか試作をこの会社はほとんどしていないでしょう。一昨年くらいからホンダは欠陥車のリコール対策で完全に開発止まってましたし、そのくせ赤字にしかならないNSXは出したりしてたのでEVに関する開発力は2012年の段階から完全に止まっているのではないかと見ています。
上にも書いた通り、なんだかんだ言いつつEV開発を量産レベルにまで持って行こうとなると、ガンダムにたとえるなら一年戦争勃発時からゲルググが量産出来る水準にまで持って行くまでの労力と資金が必要になるほどの難事業です。っていうか何故ここでゲルググが浮かぶのかミステリーです。
だからこそトヨタもスズキ、マツダを巻き込んだのでしょうし、スズキとマツダも単独では不可能との判断から提携したのだと思います。特にスズキはフォルクスワーゲンとも環境対策車方面で提携していましたが相手にその能力がないとわかるや切り、てっきりほかの世界大手、たとえばGM当たりと組むかなと思ってたら国内のトヨタと組んだので、危機感は相当なものだと思えます。
日産、三菱連合はトヨタ連合と比べると数は少ないですが、先行して事業を介しているという利は確実にあり、また日産の場合だと自動的に仏ルノー、そして中国の東風汽車も絡むので、真面目にオールグローバル体勢でEV事業に出てくるでしょう。どの市場にもすぐEV車を供給できるメリットというのは結構大きいかなという気がします。
それだけに、ホンダはこれからどうなるのか。EVなんて主流になるわけないと高をくくって無視してガソリン車だけ作るっていうのも別にそれはそれでありですが、本当にそれでいいのかと思うし、っていうか信長の野望じゃないけど外交とかちゃんと考えてるのか見てて不安に感じます。
逆を言えば一時期流行った「選択と集中」が割と自動車業界で切迫した問題になりつつあるように思え、EV開発に乗り出すか、乗り出さないか、この点で各社の動向が今後どうなるのか密かに楽しみにしています。もっとも一番楽しみなのはヤマハの四輪事業参入ですが、恐らくこれもEVではないかと考えています。
おまけ
ほかに同じような意見を先に発信している人はいないかなと調べてみましたが特にいませんでした。その際、「ホンダ 孤立」で検索かけたらサッカーの本田圭佑選手の記事がヒットしまくり闇が深いと感じました。
2016年11月21日月曜日
ブラウザ「Safari」によるコメント不具合について
先日友人から、「iPhoneのSafari使ってこのブログにコメントしようとすると確実にエラーが出るんだけど」というお便りをいただきました。どうでもいいですがこの友人は学生時代に一回だけサンマ(一尾百円くらい)をおごってあげたのをその後もずっとやけに感謝くれました。
以前にも同じようにiPhoneやiPadを経由してコメントを投稿するとエラーが起こるという話を読者から聞いており一体この不具合の原因は何なのか調べてみたところ、どうもSafari特有の認証システムに原因があるとのことです。
・iPhoneからBloggerの記事にコメントが付けられないという問題(つわものぶろぐ)
こちらの記事に詳しい経緯というか私が見てもよくわからないflame関連の問題が開設されているのですが、やはり私のブログに限らずこのGoogleのブログソフト「Blogger」全体に共通している問題のようです。たださらに調べてみてみると、ほかのブログでもやはりSafariが原因でコメントが弾かれるというエラーが起きているそうです。
・iPhoneやiPadのSafariをお使いの方へ(ぶろっこりぃのそよ風日記)
こちらの方は今頃流行りのはてなブログですが、同様の問題が起きていてSafariに対して注意報を出しています。てっきり私のこのブログだけかと思いきや結構この問題は根深いようで、連絡して来てくれた友人からも恐らくコメントを残せなかった読者がほかにもいるだろうと言ってもらったこともあり、先程からコメント欄に「Safariに気をつけろ」的な注意書をつけるようにしました。
なおここだけの話ですが実は私はアップルの製品を今まで一度も持ったことがありません。さすがに触ったことはなんどかありますが私の世代でiPodを一度も持ったことがない、っていうかiPodに限ればシャレや冗談抜きで一度も触ったことがなく、多分同世代でも私一人くらいなんじゃないでしょうか。
iPhoneなどに関しても値段が高い時点で選択肢に入らず、マッキントッシュに至っては汎用性の問題から眼中にも入りませんでした。だからこそ今回の問題にも気づくのが遅れたのかもしれませんが、別にアップルが嫌いというわけではなくただただ縁がないだけで、それがまさかこういうブログにも影響を及ぼすとはなどと皮肉っぽく感じるわけです。
以前にも同じようにiPhoneやiPadを経由してコメントを投稿するとエラーが起こるという話を読者から聞いており一体この不具合の原因は何なのか調べてみたところ、どうもSafari特有の認証システムに原因があるとのことです。
・iPhoneからBloggerの記事にコメントが付けられないという問題(つわものぶろぐ)
こちらの記事に詳しい経緯というか私が見てもよくわからないflame関連の問題が開設されているのですが、やはり私のブログに限らずこのGoogleのブログソフト「Blogger」全体に共通している問題のようです。たださらに調べてみてみると、ほかのブログでもやはりSafariが原因でコメントが弾かれるというエラーが起きているそうです。
・iPhoneやiPadのSafariをお使いの方へ(ぶろっこりぃのそよ風日記)
こちらの方は今頃流行りのはてなブログですが、同様の問題が起きていてSafariに対して注意報を出しています。てっきり私のこのブログだけかと思いきや結構この問題は根深いようで、連絡して来てくれた友人からも恐らくコメントを残せなかった読者がほかにもいるだろうと言ってもらったこともあり、先程からコメント欄に「Safariに気をつけろ」的な注意書をつけるようにしました。
なおここだけの話ですが実は私はアップルの製品を今まで一度も持ったことがありません。さすがに触ったことはなんどかありますが私の世代でiPodを一度も持ったことがない、っていうかiPodに限ればシャレや冗談抜きで一度も触ったことがなく、多分同世代でも私一人くらいなんじゃないでしょうか。
iPhoneなどに関しても値段が高い時点で選択肢に入らず、マッキントッシュに至っては汎用性の問題から眼中にも入りませんでした。だからこそ今回の問題にも気づくのが遅れたのかもしれませんが、別にアップルが嫌いというわけではなくただただ縁がないだけで、それがまさかこういうブログにも影響を及ぼすとはなどと皮肉っぽく感じるわけです。
2016年11月20日日曜日
表現者としてのピーク
この週末の二日間、自分でも呆れるくらいにKindleの電子書籍をダウンロードしておりました。というのもここ一ヶ月くらいずっと、一切全く何もダウンロードできなかったからです。あくまで私個人の主観で理由を予想すると、恐らく中国では11月11日(双十一)が「独身デー」といってインターネット通販の大幅値引きキャンペーンが毎年各社で行われているため、この前後の期間でサーバーへの負担を軽減するために国外の一部ネットサービスに制限をかけていたのではないかと睨んでいます。現に双十一が終わってまた復活しましたし。
この間に購入はできてもダウンロードの出来なかった新刊を始め、無料キャンペーンで配信されていた漫画などもあらかじめ購入クリックしていたため、ダウンロードが復活するや一挙に十冊近くダウンロードし始めてしまい、また途中途中で読んで気に入った漫画をさらに追加で大人買いしたりしたもんだからなんかずっとタブレットを片手に持ってた様な二日間でした。なお読んだ中で予想外に面白かったのは金田一蓮十郎氏の「ライアー×ライアー(「ハンター×ハンター」っぽいタイトル)」でした。
話は本題に入りますが。今回無料だからといってダウンロードした中には押見修三氏の「悪の華」の1~2巻もあり、この漫画は既に一回通しで呼んでいるものの久々に読み返したところ相変らず面白いと感じると共に、「この作者はこの作品で燃え尽きたのかな」と思う節がありました。
この「悪の華」は全11巻で構成されており中身は主人公が中学生の頃と高校生の頃とで大きく前後編に分かれているのですが、私を含め後編の「高校生編」はあまり評価が高くありません。逆に前編はヒロインこと「仲村さん」という超絶エキセントリックなキャラクターが口を開けば「クソムシが、クズネズミが」という毒舌をまき散らし、今回読み返した際も既に内容を把握しているにもかかわらず毎回強く圧倒されます。
私はこの「悪の華」の後に押見氏が描いた「ぼくは真理のなか」、「ハピネス」も読みましたが、単純に嗜好の違いだけかもしれませんが「悪の華」に感じた圧倒的な迫力は全く感じられず、はっきり言えばどっちもあんま面白くありませんでした。しかもエキセントリックなヒロインがぐずぐずした男性主人公を引っ張り回すというような構図がずっと続いているし。
逆に、「悪の華」が連載される直前に押見氏が描いた「漂流ネットカフェ」はまだ面白く、「悪の華」程ではないにしろやはりそれなりに作者の持ち味が出ていて読んでて迫力も感じられて個人的に高く評価しています。それだけに、やはりこの作者は「悪の華」前編終了時に少し燃え尽きてしまったのかなと今回感じたわけです。
なにも押見氏を貶す目的でこういうこと書いているわけじゃなく、やはり漫画家なり作家なりには表現する力のピークというか波というものは確実に存在します。以前に取り上げた週刊少年ジャンプの編集長をしていた鳥嶋氏も、対談で話した「ベルセルク」という漫画の作者である三浦建太郎氏に対し、「ベルセルク」の前半終了部における「蝕」という場面を名指しして、「あそこで君は一回燃え尽きた」というようなことをはっきり述べ、言われた三浦氏もその通りと認めていました。
複数の作品を長期に渡って書く場合でも、長期連載作品の場合であっても、やはりどこかしらにその作者の表現にはピークがあります。しかもピークを一旦迎えてしまうと大きく調子を落とさない限りは読者は依然と面白さは感じ続けられるものの、段々と面白さが増していき盛り上がっていくというような臨場感はどうしてもなくならざるを得ず、「今も面白いけど前のあの辺りの方がすごかったよなぁ」なんて言われてしまいます。私が子供の頃だったらやっぱり「ドラゴンボール」のフリーザ編最終盤がまさにこうして挙げられる例の筆頭でした。
逆の例としては、「ハンター×ハンター」でヨークシン編が非常に面白く、もうこれ以上この漫画は面白くはならないだろうと思ってたら、その後のグリードアイランド編、キメラアント編はもっと面白くなっていきこの作者すげぇと心底思いました。
話は戻りますが、やはり早くにピークを迎えてしまうとどちらかといえば不便です。確か「ジョジョの奇妙な冒険」の作者の荒木飛呂彦氏が連載漫画で人気を維持する上で段々と面白さというか熱を高めていくことが大事で、基本的には右肩上がりの展開を維持するべしと言ってましたが、私の言わんとすることもこれと同じです。しかし意図的にそういう風な右肩上がりの話を作っていくならともかく、作者個人のセンスなり感覚なりがピークを迎えちゃうと、まぁちょっと言い辛いですがあんま良くないです。
場合によってはそこからスランプに入り、「ブラックジャック」など大人向けの漫画を描くようになった手塚治虫や、昭和史を始めとした歴史、伝記、自身の戦争体験漫画を主軸に置いた水木しげるなど新境地を切り開き復活する漫画家もいますが、こういうのはどちらかといえばレアでしょう。
小説に関してもそうですが、やはり話作り、文字表現などはどこかしらでピークを迎え、そこから段々と落ちていくものだと私は考えています。無論ピークを迎えたからと言ってその後の作者は即無価値になるというわけではなく、その後は作り上げたキャリアや経験を使った表現活動を行って行けばいいのですが、ピークを迎えるまでと迎えた後でどのように心境を置くかで物事がいろいろ変っていくのではないかという気がします。
ここで私個々人の話になりますが、地味に文章表現に関してはとっくにピークを過ぎており、具体的に言えば2009年に連載していた「文化大革命とは」の記事を書いてた頃がピークで、この連載記事を読み返すたびによくこれだけ難しい内容をここまで小ざっぱりまとめたものだと我ながら呆れると共に、同じような表現を再現しろと言われたら無理だという本音が出てきます。昔から難しい内容をわかりやすく説明するという表現には自信があったものの、多分もうあの頃以上にこうした表現を駆使することは永遠にないでしょう。
一方でその後、表現手法を色々学んだこともあって新聞記事としての表現、アジテーターっぽい表現、分析レポート的な表現に関しては間違いなく今の方が上で、野球に例えるならかつて猛威を振るった縦に大きく割れるフォークこそ失ったものの、カーブやチェンジアップなど他の変化球を習得して使い分けが上手になったというような感じです。ただ欲を言えば、昔みたいなフォークを「┌(`Д´)ノセイヤッ」とばかりにもう一度投げたいという願望は常にあります。
文章表現に関しては上記の通り、器用さは増したものの一点突破的なパワーではピークを越してしまいましたが、ことセンスというか観察力、判断力、分析力に関しては未だピークを越えておらず、毎年確実に凄みを増してきているという実感はあります。どうしてそう感じるのかというと単純に、同じ風景を見ているにも関わらず以前は気づかなかった違いやポイントを今だと簡単に気づけるようになっており、また一つのニュースを見てもそこから導き出される次の展開予想の数が毎年増え続けているからです。最低でもあと二年くらいはこの方面の成長は続くようにも感じているのですが、ただでさえ歩いている最中も常に何か考えててボーっとしており周囲に気が付かないことが多いだけに、二年先以降もピークを迎えなかったら逆にヤバいのではないかと一人警戒しています。
この間に購入はできてもダウンロードの出来なかった新刊を始め、無料キャンペーンで配信されていた漫画などもあらかじめ購入クリックしていたため、ダウンロードが復活するや一挙に十冊近くダウンロードし始めてしまい、また途中途中で読んで気に入った漫画をさらに追加で大人買いしたりしたもんだからなんかずっとタブレットを片手に持ってた様な二日間でした。なお読んだ中で予想外に面白かったのは金田一蓮十郎氏の「ライアー×ライアー(「ハンター×ハンター」っぽいタイトル)」でした。
話は本題に入りますが。今回無料だからといってダウンロードした中には押見修三氏の「悪の華」の1~2巻もあり、この漫画は既に一回通しで呼んでいるものの久々に読み返したところ相変らず面白いと感じると共に、「この作者はこの作品で燃え尽きたのかな」と思う節がありました。
この「悪の華」は全11巻で構成されており中身は主人公が中学生の頃と高校生の頃とで大きく前後編に分かれているのですが、私を含め後編の「高校生編」はあまり評価が高くありません。逆に前編はヒロインこと「仲村さん」という超絶エキセントリックなキャラクターが口を開けば「クソムシが、クズネズミが」という毒舌をまき散らし、今回読み返した際も既に内容を把握しているにもかかわらず毎回強く圧倒されます。
私はこの「悪の華」の後に押見氏が描いた「ぼくは真理のなか」、「ハピネス」も読みましたが、単純に嗜好の違いだけかもしれませんが「悪の華」に感じた圧倒的な迫力は全く感じられず、はっきり言えばどっちもあんま面白くありませんでした。しかもエキセントリックなヒロインがぐずぐずした男性主人公を引っ張り回すというような構図がずっと続いているし。
逆に、「悪の華」が連載される直前に押見氏が描いた「漂流ネットカフェ」はまだ面白く、「悪の華」程ではないにしろやはりそれなりに作者の持ち味が出ていて読んでて迫力も感じられて個人的に高く評価しています。それだけに、やはりこの作者は「悪の華」前編終了時に少し燃え尽きてしまったのかなと今回感じたわけです。
なにも押見氏を貶す目的でこういうこと書いているわけじゃなく、やはり漫画家なり作家なりには表現する力のピークというか波というものは確実に存在します。以前に取り上げた週刊少年ジャンプの編集長をしていた鳥嶋氏も、対談で話した「ベルセルク」という漫画の作者である三浦建太郎氏に対し、「ベルセルク」の前半終了部における「蝕」という場面を名指しして、「あそこで君は一回燃え尽きた」というようなことをはっきり述べ、言われた三浦氏もその通りと認めていました。
複数の作品を長期に渡って書く場合でも、長期連載作品の場合であっても、やはりどこかしらにその作者の表現にはピークがあります。しかもピークを一旦迎えてしまうと大きく調子を落とさない限りは読者は依然と面白さは感じ続けられるものの、段々と面白さが増していき盛り上がっていくというような臨場感はどうしてもなくならざるを得ず、「今も面白いけど前のあの辺りの方がすごかったよなぁ」なんて言われてしまいます。私が子供の頃だったらやっぱり「ドラゴンボール」のフリーザ編最終盤がまさにこうして挙げられる例の筆頭でした。
逆の例としては、「ハンター×ハンター」でヨークシン編が非常に面白く、もうこれ以上この漫画は面白くはならないだろうと思ってたら、その後のグリードアイランド編、キメラアント編はもっと面白くなっていきこの作者すげぇと心底思いました。
話は戻りますが、やはり早くにピークを迎えてしまうとどちらかといえば不便です。確か「ジョジョの奇妙な冒険」の作者の荒木飛呂彦氏が連載漫画で人気を維持する上で段々と面白さというか熱を高めていくことが大事で、基本的には右肩上がりの展開を維持するべしと言ってましたが、私の言わんとすることもこれと同じです。しかし意図的にそういう風な右肩上がりの話を作っていくならともかく、作者個人のセンスなり感覚なりがピークを迎えちゃうと、まぁちょっと言い辛いですがあんま良くないです。
場合によってはそこからスランプに入り、「ブラックジャック」など大人向けの漫画を描くようになった手塚治虫や、昭和史を始めとした歴史、伝記、自身の戦争体験漫画を主軸に置いた水木しげるなど新境地を切り開き復活する漫画家もいますが、こういうのはどちらかといえばレアでしょう。
小説に関してもそうですが、やはり話作り、文字表現などはどこかしらでピークを迎え、そこから段々と落ちていくものだと私は考えています。無論ピークを迎えたからと言ってその後の作者は即無価値になるというわけではなく、その後は作り上げたキャリアや経験を使った表現活動を行って行けばいいのですが、ピークを迎えるまでと迎えた後でどのように心境を置くかで物事がいろいろ変っていくのではないかという気がします。
ここで私個々人の話になりますが、地味に文章表現に関してはとっくにピークを過ぎており、具体的に言えば2009年に連載していた「文化大革命とは」の記事を書いてた頃がピークで、この連載記事を読み返すたびによくこれだけ難しい内容をここまで小ざっぱりまとめたものだと我ながら呆れると共に、同じような表現を再現しろと言われたら無理だという本音が出てきます。昔から難しい内容をわかりやすく説明するという表現には自信があったものの、多分もうあの頃以上にこうした表現を駆使することは永遠にないでしょう。
一方でその後、表現手法を色々学んだこともあって新聞記事としての表現、アジテーターっぽい表現、分析レポート的な表現に関しては間違いなく今の方が上で、野球に例えるならかつて猛威を振るった縦に大きく割れるフォークこそ失ったものの、カーブやチェンジアップなど他の変化球を習得して使い分けが上手になったというような感じです。ただ欲を言えば、昔みたいなフォークを「┌(`Д´)ノセイヤッ」とばかりにもう一度投げたいという願望は常にあります。
文章表現に関しては上記の通り、器用さは増したものの一点突破的なパワーではピークを越してしまいましたが、ことセンスというか観察力、判断力、分析力に関しては未だピークを越えておらず、毎年確実に凄みを増してきているという実感はあります。どうしてそう感じるのかというと単純に、同じ風景を見ているにも関わらず以前は気づかなかった違いやポイントを今だと簡単に気づけるようになっており、また一つのニュースを見てもそこから導き出される次の展開予想の数が毎年増え続けているからです。最低でもあと二年くらいはこの方面の成長は続くようにも感じているのですが、ただでさえ歩いている最中も常に何か考えててボーっとしており周囲に気が付かないことが多いだけに、二年先以降もピークを迎えなかったら逆にヤバいのではないかと一人警戒しています。
肌感覚で判断する重要性 後編
前回に続いて世論などを肌感覚で感じ、判断する重要性について書いてきます
私がこうした肌感覚について明確に意識したのは実は早く、大学四回生の頃でした。当時私は既に第二外国語の単位を既に取り終えていましたが以前から興味があったこともあってロシア語の初級講座を四回生時に受けていました。この授業では、別に悪い話しじゃないので敢えて実名を出しますが関西の私大を中心にロシア語を教える北岡千夏先生が受け持っており、マイナー言語ということもロシア事情の解説などを多く盛り込んだ、言いようによっては単位の取りやすい授業をしてもらえました。
この授業時、確か私がマスコミ志望かなんかを口にした時だったと思いますが、「あんたやめときな、マスコミときたらクズだよ」みたいに言って、自身がかつて学生時代に朝日新聞でアルバイトをしていた時のことを話してくれました。旧ソ連時代に留学したこともあってその方面の仕事を手伝っていたそうですが、ソ連崩壊のきっかけとなった8月クーデター時に、誰でもいいから現地の人に連絡取って情報を集めてくれと言われ北岡先生は片っ端から電話をかけていたそうです。そしてひとしきり電話をかけ終えた後、
「多分これ、三日くらいで終わりますよ」
と、北岡先生が述べた瞬間、周囲の朝日の記者たちは、「何を言うかこの小娘」みたいな視線を一斉に向けてきたそうです。しかし実際のところこのクーデターはまさに三日で終わり、この時のことについて北岡先生は、「偉そうにふんぞり返ってるくせに何もわかっていない」と憤懣やるかない素振りでしたが、現実に予想を的中した意味では北岡先生の言う通りでしょう。
なおこの時に何故北岡先生は「三日で終わる」と予想したのかというと本人曰く、「電話で話した相手が全然焦っておらず、なんか事件が起きている根みたいな感じで他人事だったから」だったそうです。この事件ではゴルバチョフ大統領(当時)が監禁されるなど一見すると国家の一大事ではあったものの、現地の人間の肌感情というか空気ではそれほど大事と受け取られておらず、その感覚を見て出した北岡先生の予想が結果的に正しかったということになります。
このソ連のクーデターのように、表向きな情報以上に現地で生活した経験、そして現地の人間の反応の方が案外正しかったりすることが多いというのが私の意見です。先の米国大統領選挙でも現地メディアの情報以上に一般市民の声の方が案外正鵠を得ていたというか、そもそもメディアが現地の声なり現地住民に対してインタビューや見方を尋ねたという話を日系に限ってはほとんど見られず、結果的に思い切り予想を外してしまったというのが私の見方です。
こうした「現地の声や反応」を無視するという行為は中国に関する報道でも根強く、やっぱり私から見ていて日系メディアの中国に関する報道は日本にいて中国について何も知らない人間が適当な資料を基に書いたり、現地メディアが報じる内容をそのまま垂れ流すだけのものが非常に多く、それによって無用な誤解を生んでいる節もあります。
もちろん現地の声や反応、また自身の感覚を信用して記事などを書くと偏った情報となる可能性も大いにあるだけに、何でもかんでも信用できるわけではありません。しかし私の場合だと、たとえば中国や政治関連の記事を見た際に何かしらの言葉にできない違和感を覚えた場合、本当にその報じられている情報が正しいのかを確認するようにしています。この確認の過程で報道内容が事実であるとわかれば考えを改め、逆に報道内容が誤りであるような事実や根拠、疑惑が見つかった際には信じないようにと、普段はここまで慎重ではありませんが肌感覚で違和感を持った記事に関しては疑ってかかるようにします。
それでこれまでの経験から言うと、やはり違和感を感じる記事は誤っていることが多いです。世論にしても事実報道にしろ、「本当にこれで合ってるの?」という感覚を持つものには何かしらおかしな背景だったり作為的な意思がある程度働いています。具体的には経済指標の数字とかで、売れる車がないのに妙に売り上げが伸びてたりすれば、売れる理由を見落としている書かれてないとか、後は偽装があるわけです。記者の勘といえば大層な言い方になりますが、理由がなくても感じる違和感というのは非常に大事で、そうした違和感をどれだけ拾えるかというのがある意味重要な分岐点になるかと思います。
私がこうした肌感覚について明確に意識したのは実は早く、大学四回生の頃でした。当時私は既に第二外国語の単位を既に取り終えていましたが以前から興味があったこともあってロシア語の初級講座を四回生時に受けていました。この授業では、別に悪い話しじゃないので敢えて実名を出しますが関西の私大を中心にロシア語を教える北岡千夏先生が受け持っており、マイナー言語ということもロシア事情の解説などを多く盛り込んだ、言いようによっては単位の取りやすい授業をしてもらえました。
この授業時、確か私がマスコミ志望かなんかを口にした時だったと思いますが、「あんたやめときな、マスコミときたらクズだよ」みたいに言って、自身がかつて学生時代に朝日新聞でアルバイトをしていた時のことを話してくれました。旧ソ連時代に留学したこともあってその方面の仕事を手伝っていたそうですが、ソ連崩壊のきっかけとなった8月クーデター時に、誰でもいいから現地の人に連絡取って情報を集めてくれと言われ北岡先生は片っ端から電話をかけていたそうです。そしてひとしきり電話をかけ終えた後、
「多分これ、三日くらいで終わりますよ」
と、北岡先生が述べた瞬間、周囲の朝日の記者たちは、「何を言うかこの小娘」みたいな視線を一斉に向けてきたそうです。しかし実際のところこのクーデターはまさに三日で終わり、この時のことについて北岡先生は、「偉そうにふんぞり返ってるくせに何もわかっていない」と憤懣やるかない素振りでしたが、現実に予想を的中した意味では北岡先生の言う通りでしょう。
なおこの時に何故北岡先生は「三日で終わる」と予想したのかというと本人曰く、「電話で話した相手が全然焦っておらず、なんか事件が起きている根みたいな感じで他人事だったから」だったそうです。この事件ではゴルバチョフ大統領(当時)が監禁されるなど一見すると国家の一大事ではあったものの、現地の人間の肌感情というか空気ではそれほど大事と受け取られておらず、その感覚を見て出した北岡先生の予想が結果的に正しかったということになります。
このソ連のクーデターのように、表向きな情報以上に現地で生活した経験、そして現地の人間の反応の方が案外正しかったりすることが多いというのが私の意見です。先の米国大統領選挙でも現地メディアの情報以上に一般市民の声の方が案外正鵠を得ていたというか、そもそもメディアが現地の声なり現地住民に対してインタビューや見方を尋ねたという話を日系に限ってはほとんど見られず、結果的に思い切り予想を外してしまったというのが私の見方です。
こうした「現地の声や反応」を無視するという行為は中国に関する報道でも根強く、やっぱり私から見ていて日系メディアの中国に関する報道は日本にいて中国について何も知らない人間が適当な資料を基に書いたり、現地メディアが報じる内容をそのまま垂れ流すだけのものが非常に多く、それによって無用な誤解を生んでいる節もあります。
もちろん現地の声や反応、また自身の感覚を信用して記事などを書くと偏った情報となる可能性も大いにあるだけに、何でもかんでも信用できるわけではありません。しかし私の場合だと、たとえば中国や政治関連の記事を見た際に何かしらの言葉にできない違和感を覚えた場合、本当にその報じられている情報が正しいのかを確認するようにしています。この確認の過程で報道内容が事実であるとわかれば考えを改め、逆に報道内容が誤りであるような事実や根拠、疑惑が見つかった際には信じないようにと、普段はここまで慎重ではありませんが肌感覚で違和感を持った記事に関しては疑ってかかるようにします。
それでこれまでの経験から言うと、やはり違和感を感じる記事は誤っていることが多いです。世論にしても事実報道にしろ、「本当にこれで合ってるの?」という感覚を持つものには何かしらおかしな背景だったり作為的な意思がある程度働いています。具体的には経済指標の数字とかで、売れる車がないのに妙に売り上げが伸びてたりすれば、売れる理由を見落としている書かれてないとか、後は偽装があるわけです。記者の勘といえば大層な言い方になりますが、理由がなくても感じる違和感というのは非常に大事で、そうした違和感をどれだけ拾えるかというのがある意味重要な分岐点になるかと思います。
2016年11月18日金曜日
肌感覚で判断する重要性 前編
当初今日の記事見出しは「国際報道の現状」という見出しで行こうかと考えましたが気がかわってこちらの「肌感覚で判断する重要性」にしました。
さて先日の米国大統領選挙では日系メディアほぼ、っていうか全部が「ヒラリー優勢」という大方の予想を覆してトランプ氏が見事当選し、安倍首相もこの前アメリカくんだり会いに行きました。個人的には、間髪入れずにすぐにあって細かい内容を敢えて表に出さない階段にしたのは見事な外交であったと高く評価しています。
他のメディアでも一体何故トランプの当選を予想できなかったのかについて様々な分析がなされていますが、米国国内のメディアについてはなんとも言えないものの日系メディアが予想を外した理由は非常にはっきりしており、米国の主要紙しか読んでないからです。
私自身の反省も込めて述べますが、国際報道というのは基本的に現地駐在員は自分では余り取材せず、現地メディアの報じる記事を翻訳するのが日々の仕事です。そしてその翻訳対象となるメディアは基本的に高級紙と呼ばれる様な媒体で、中には敢えて大衆紙のゴシップとか大袈裟な記事を引用するメディアもありますが(Webメディアに多い)、日本の大手紙が「米国内の報道は――」と枕に付ける記事は基本的にワシントンポストやニューヨーク・タイムスの記事だと思ってもらってもいいでしょう。
私自身もこの手のいわゆる「翻訳ライター」で、たまに日本物産展や興味持った分野の取材に行って特集記事とかを書いてましたが、基本的に普段は中国の「第一財経日報」とか「東方早報」、「文滙報」などを毎日大体十紙くらい読んだ上に家電や自動車ニュース専門サイトのWeb記事も閲覧してその日に書く記事を選び、翻訳していました。そのため国際報道というのは記者の目とか判断以上に現地メディアの報じる内容が色濃く反映されるため、先ほどの米国の報道についても現地の世論というよりワシントンポストなどの意見が色濃く反映されがちです。
なお蛇足ですが、日系メディアは中国世論の報道によく「環球時報」を引用しますが、ここは主張が最も過激で、人民日報系列ですが本体の人民日報が絶対言わないような激しい言葉でよく日本を罵ったりしますが、中国人もそんなにこの新聞を読んでるようには思えず記事内容と実際の世論には大きな乖離があるのに中国の世論として引用され日本で報じられるのが個人的に腹立ちます。
話は戻りますが、こうした傾向はほかの国も同様にあり、例えば中国だと日本のニュースは経済ニュースだと基本的に日経新聞が引用されており、国政関連については私が見る限り八割方朝日新聞が引用されています。そのためどういう風に書かれているのかというと、「国民を無視して安倍政権が暴走」、「再軍備へひた走る日本」、「国民置いてきぼりの憲法改正議論」などと、他の人は知りませんが私からしたらとてもとても日本全体の世論を反映しているとは思えない意見が日本の現状みたく中国ではよく報じられます。真面目な話、中国人が安倍首相を嫌うのは政策や価値観以前に朝日新聞が安倍首相を理由なく嫌っているのが最大の理由だと断言します。
話が行ったり来たりしますが今回の米国大統領選についても日系メディアは自らが結果の予想をしたり世論を分析したりすることなくワシントンポストやニューヨーク・タイムスが報じる記事内容を垂れ流していただけだったため盛大に予想を外したと考えています。
逆に当時の世論を最も色濃く反映させていた記事は、私が見た中だと文芸春秋11月号に掲載されていた久保田智子氏の「ヒラリー 嫌われる理由がわかった」という記事で、筆者本人が現地住民との交流を通して感じ取った、「トランプは問題あると思うがそれほど嫌いではなく、ヒラリーは問題があるかないかわからないが絶対的に嫌いだ」というような米国民、特に女性の感情が非常にわかりやすく丁寧に解説されていてとても参考になりました。
ここまで読めばわかるでしょうが、現地世論というのは大規模な調査データを分析することもさることながら現地住民と直接話したり、見ていて感じ取った内容の方が参考になることが多いというか正確なことが多く、特に外国では肌で感じてどう思うかが何よりも重要であるというのが私の持論です。「考えるな、感じろ」とは言ったもので、こういうのは頭で考えものではなく体で考えるものだと常日頃から自分に言い聞かせていますが、そのように考えるようになったきっかけなどについてはまた次回で紹介します。
さて先日の米国大統領選挙では日系メディアほぼ、っていうか全部が「ヒラリー優勢」という大方の予想を覆してトランプ氏が見事当選し、安倍首相もこの前アメリカくんだり会いに行きました。個人的には、間髪入れずにすぐにあって細かい内容を敢えて表に出さない階段にしたのは見事な外交であったと高く評価しています。
他のメディアでも一体何故トランプの当選を予想できなかったのかについて様々な分析がなされていますが、米国国内のメディアについてはなんとも言えないものの日系メディアが予想を外した理由は非常にはっきりしており、米国の主要紙しか読んでないからです。
私自身の反省も込めて述べますが、国際報道というのは基本的に現地駐在員は自分では余り取材せず、現地メディアの報じる記事を翻訳するのが日々の仕事です。そしてその翻訳対象となるメディアは基本的に高級紙と呼ばれる様な媒体で、中には敢えて大衆紙のゴシップとか大袈裟な記事を引用するメディアもありますが(Webメディアに多い)、日本の大手紙が「米国内の報道は――」と枕に付ける記事は基本的にワシントンポストやニューヨーク・タイムスの記事だと思ってもらってもいいでしょう。
私自身もこの手のいわゆる「翻訳ライター」で、たまに日本物産展や興味持った分野の取材に行って特集記事とかを書いてましたが、基本的に普段は中国の「第一財経日報」とか「東方早報」、「文滙報」などを毎日大体十紙くらい読んだ上に家電や自動車ニュース専門サイトのWeb記事も閲覧してその日に書く記事を選び、翻訳していました。そのため国際報道というのは記者の目とか判断以上に現地メディアの報じる内容が色濃く反映されるため、先ほどの米国の報道についても現地の世論というよりワシントンポストなどの意見が色濃く反映されがちです。
なお蛇足ですが、日系メディアは中国世論の報道によく「環球時報」を引用しますが、ここは主張が最も過激で、人民日報系列ですが本体の人民日報が絶対言わないような激しい言葉でよく日本を罵ったりしますが、中国人もそんなにこの新聞を読んでるようには思えず記事内容と実際の世論には大きな乖離があるのに中国の世論として引用され日本で報じられるのが個人的に腹立ちます。
話は戻りますが、こうした傾向はほかの国も同様にあり、例えば中国だと日本のニュースは経済ニュースだと基本的に日経新聞が引用されており、国政関連については私が見る限り八割方朝日新聞が引用されています。そのためどういう風に書かれているのかというと、「国民を無視して安倍政権が暴走」、「再軍備へひた走る日本」、「国民置いてきぼりの憲法改正議論」などと、他の人は知りませんが私からしたらとてもとても日本全体の世論を反映しているとは思えない意見が日本の現状みたく中国ではよく報じられます。真面目な話、中国人が安倍首相を嫌うのは政策や価値観以前に朝日新聞が安倍首相を理由なく嫌っているのが最大の理由だと断言します。
話が行ったり来たりしますが今回の米国大統領選についても日系メディアは自らが結果の予想をしたり世論を分析したりすることなくワシントンポストやニューヨーク・タイムスが報じる記事内容を垂れ流していただけだったため盛大に予想を外したと考えています。
逆に当時の世論を最も色濃く反映させていた記事は、私が見た中だと文芸春秋11月号に掲載されていた久保田智子氏の「ヒラリー 嫌われる理由がわかった」という記事で、筆者本人が現地住民との交流を通して感じ取った、「トランプは問題あると思うがそれほど嫌いではなく、ヒラリーは問題があるかないかわからないが絶対的に嫌いだ」というような米国民、特に女性の感情が非常にわかりやすく丁寧に解説されていてとても参考になりました。
ここまで読めばわかるでしょうが、現地世論というのは大規模な調査データを分析することもさることながら現地住民と直接話したり、見ていて感じ取った内容の方が参考になることが多いというか正確なことが多く、特に外国では肌で感じてどう思うかが何よりも重要であるというのが私の持論です。「考えるな、感じろ」とは言ったもので、こういうのは頭で考えものではなく体で考えるものだと常日頃から自分に言い聞かせていますが、そのように考えるようになったきっかけなどについてはまた次回で紹介します。
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