ココイチでおなじみのカレーチェーンの壱番屋を創業した宗次徳治氏は1948年の生まれで、出身地は石川県とされています。宗次氏が語る最も古い記憶は四歳か五歳の頃に母に手を引かれて夜逃げするところというのっけからデンジャラスなシーンから始まるのですが、それからしばらくして父親のDVに耐えかねた母親は出ていき、子育てを全く省みようとしない競輪狂いの父親と二人で過ごすこととなります。
当時について宗次氏は、父親からは食事の世話をしてもらうこともなくもっぱら学校の給食を主要な栄養源として、どうしてもお腹がすいた時は河原で草を食べるという毎日を過ごしてたそうです。その父親も生来の荒れた性格から何度も住居を引っ越すというか夜逃げしており、当初は宗次氏に同情した周囲の人も段々と避けるようになっていったそうで、その父親からは宗次氏も何度も折檻を受けていたと話しています。
もうこれだけでも十分物語が成立する宗次氏の人生ですが、十五歳の頃に高校入学準備のため戸籍謄本を取り寄せた時、自分が養子であったという事実を初めて知ります。それまで宗次氏は自分の名前を「基陽(もとはる)」と思っていましたが実の名は「徳治」で、実の両親の名前は全く身に覚えのない名前だったそうです。
この時、胃癌で入院していた父親に話を聞くと三歳の頃に孤児院から引き取ったという事実を明かし、名前を変えた理由は「ギャンブルで負けが続いていたから」ということも教えてもらいました。その時について宗次氏は、「お前はもらってきてやったんだ」とよく言われていたのは事実だったんだなと思ったそうです。なんていうか、ツッコみどころそこなんだという風に思える言葉ですが。
実の両親の存在を知った宗次氏ですが、その両親を探そうという気持ちは全く出てこなかったそうです。本人曰く、出生に関心がなかったそうで、養父の入院、そして死去後は養母と暮らし、高校卒業後は名古屋の不動産販売会社に就職しました。そして結婚後、独立して不動産仲介業を営みだしたころ、奥さんと話し合い事務所近くで喫茶店を運営することにしました。運営は奥さんにまかせるつもりでしたが初日に手伝ったところ、「こっちのが面白いじゃん」と思うに至ったそうで、翌日にはもう不動産業をやめてしまい喫茶店専業で働きだすことにしました。
喫茶店業について宗次氏は、名古屋喫茶店ではモーニングサービスが無料で盛り沢山ついてくる文化があるにもかかわらず経営した「バッカス」という喫茶店では一切そういうのはやらず、小皿のピーナッツにすら30円のお金を取る料金形態としたそうです。これには客から文句が来るどころか銀行の融資担当からも反対されましたが、お客専用のカップを保管しておく「マイカップサービス」などほかのサービス面で差をつけ、開店から十ヶ月後にはもう二店舗目をオープンするなど繁盛したそうです。
そうして喫茶店を経営するうち、奥さんが作っていたカレーを提供してみたところこれがまた売れに売れたので、相変わらずの切り替えの早さというかすぐまた「カレーハウスCoCo壱番屋」を作ってカレー専門店を経営するに至ります。この「ココイチ」で画期的だった点はご飯の量はおろかルーの辛さも五段階で選べるようにして、それをきちんと料金に反映させたことだと宗次氏自らが胸を張って述べていますが、さすがに当時は生きてはいなかったのでほかのカレー屋はどうだったのかわかりますが、現在ではこうしたココイチのオーダーシステムがカレーチェーンにおいてスタンダードになっていることを考えると確かに画期的だったのではと思う偉大な一歩です。
ただココイチ一号店はオープンさせたものの、宗次氏曰く、「一日の売上げが六万円を越えたら二号店を出そうと思っていたのだがk路絵が大変な苦労だった」と述べ、二号店が出せたのはそれから一年後だったそうです。一年で二店舗目を出す辺り相当早いと思うのですが、この人のスピード感覚じゃそれでも遅かったのでしょう。この辺にやっぱ元不動産屋らしい臭いを感じます。
その後あれよあれよといううちに世界規模でココイチは拡大を続け、あまりの忙しさに子供の口に哺乳瓶突っこんでから家を出たこともあったそうでこの時のことについて、「危ないことをしていた」と語る辺りなんとなく余裕が感じられます。ただ、ココイチが拡大する中にあっても徹底的な現場主義的意識を持っていたとのことで、店舗に寄せられる「お客様の声」は毎日全通を宗次氏が読んでいたそうで、一日千通を超えると三時間以上かかるから朝五時に出社して読んでいたというエピソードまであります。
宗次氏についてはその激しい少年時代を送っていたこともさることながら、個人的には各インタビューでまるで他人事のように話すのが特徴的だと感じます。普通、こういう苦労話は多かれ少なかれ自慢めいて苦労したことが強調されるのですが、各雑誌などに寄せられるインタビュー記事を読んでも全くそうした話し方はせず、淡々と語っているのが非常に不思議に感じます。
そうした淡々とした、というよりは拘泥しない姿勢は経営引継ぎにも現れており、株式上場を決めた1998年に社長から会長に移った際の後釜の社長には奥さんがなりましたが、2002年には二号店のオープン時に19歳でアルバイトで入ってきた現社長(浜島俊哉氏)に社長職を引き継がせ、完全に経営から身を引いています。普通こういう会社の場合、自分から子供へ直接引き継ぐパターンが多いのですが、実際の行動としては全くそうした行動はとられておらず、上にも書いた通り全くこだわりというものがこの人には見えません。
経営者としては上でも少し書いたように、桁違いの体力とスピード感はまさしく昭和の一代創業型経営者の典型といえるものでしょう。高度経済成長期に出発しているとはいえ不動産やから喫茶店、喫茶店からカレー屋へと至る過程は非常にスピーディで、なおかつ店舗拡大の速度も明らかに異常です。更に言えばその後の90年代以降の不況期にあっても競争激しい外食業界の中で着実に成長を続けたその手腕は見事というよりほかありません。
なお家族についてですが、なんでも一昨年に知らない司法書士から連絡があり、遺産相続放棄を求められたそうです。その時になり実の父親が死んだことを初めて知ったそうですが、言われるままに放棄したそうです。
最後にどうでもいい余談ですが、ココイチは中国でも出店しておりますが以前に記事で書いたように中国でも味は全く同じでかえって不気味さを覚えます。最近は行っていないのですが、日本で最後にココイチ行ったのは2013年の7月辺りで、当事無職でプータローしてたので自転車で行ってなんとなくいつもより店内で居心地悪かったのを何故か覚えています。頼んだのは野菜カレー(3辛)だったと思いますが、味はやっぱり上海の店と同じだなー、早く職見つけたいとか思いながら食ってました。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2016年11月27日日曜日
2016年11月26日土曜日
かつて努力した日々
今度名古屋に左遷されたうちの親父が上海に来る際、親父の東京勤務時代の元部下とも会うこととなりました。その元部下の名前を見た際、「ああ、あの修正液の人か」と一目見て思い出しました。
事の起こりは私が中学三年生の頃で何の気もなしに、「親父、修正液欲しいんやけど買ってくれへん?」と聞いたところ、「それやったら会社から取ってきてやる」といって後日、大量に修正液を持ってきてくれました。ただその修正液、どれもシールにハンコされた名字らしき二文字がついており、「これなんなん?」って親父に聞いたら、当時の部下の名前とのことで、その修正液もその部下の机にあったものをかっぱらって持ってきたものだということを教えてくれました。
親父のせこい悪行はともかく何故当時の私が修正液を欲しがったのかというと、小説の新人賞に応募するための原稿を書く際に必要だったからです。当時、フロッピーでの応募は一部認められていましたが応募原稿は基本的にはワープロで書いた原稿の印刷版か、原稿用紙にボールペン書きしたものしか求められておらず、中学三年生の当時はまだブラインドタッチもおぼつかなかったので毎日必死になって手書きでガリガリ書いていました。
しかも当時からそそっかしい所は変わらず書く傍から誤字脱字が頻出したため、手持ちの修正液はあっという間に切らしたことから追加で大量に必要となったわけです。夏休みなんかほぼ毎日3時間以上は原稿書いてたので、当時の自分の手は常に修正液で汚れていてあの独特の臭いを醸し出していました。
多分手書きだったら今もそんなに変わらないと思いますが、執筆速度は400字詰め原稿用紙に対しほぼ一時間当たり六枚で、三時間かけても十八枚というゆったりペースでした。これが中学三年の後半からパソコン使って書くようになると一時間当たり十枚に上がり、なおかつ原稿用紙代を始めとした諸々の諸経費もかからなくなって随分と助かりました。というのも当時、原稿用紙は毎回自分で買っており、といっても教材用に親からもらった金をちょろまかして買ってましたが地味に出費が苦しく、指折り数えながら書いてたのをまだ覚えています。
ただそれだけ、当時はかなり真面目且つ真摯に文章を書く努力を続けてはいました。あのころにいろんな表現の練習を続けていた甲斐もあって現在にあってもそこそこ自慢できる表現力を身に着けることが出来たと言っても過言ではなく、同時に日本の作文教育では致命的に書かせる量が不足しているなと痛感するに至りました。
なおその後について述べると、高校時代は高校一年の頃はよく書いていましたが高二の頃は周囲の人間が足を引っ張ったこともあってあまり活動できず、高三時は受験であんまかいてませんでした。大学時代は最初はバンバン書こうかなと思いましたがなんか思ったより熱が挙がらなかったというか、むしろ教養を身に着けるべき時期だと考え書かず、大学を卒業する間際になってこのブログを始めてからまた猛烈に執筆量が増えるに至りました。そう考えると、本気で表現力を磨いた時期ってのは紛れもなく中学時代で、これから作家なり記者なり目指す人はやはりこれくらいの頃に毎日、なるべく手書きで数時間書くことをお奨めします。
事の起こりは私が中学三年生の頃で何の気もなしに、「親父、修正液欲しいんやけど買ってくれへん?」と聞いたところ、「それやったら会社から取ってきてやる」といって後日、大量に修正液を持ってきてくれました。ただその修正液、どれもシールにハンコされた名字らしき二文字がついており、「これなんなん?」って親父に聞いたら、当時の部下の名前とのことで、その修正液もその部下の机にあったものをかっぱらって持ってきたものだということを教えてくれました。
親父のせこい悪行はともかく何故当時の私が修正液を欲しがったのかというと、小説の新人賞に応募するための原稿を書く際に必要だったからです。当時、フロッピーでの応募は一部認められていましたが応募原稿は基本的にはワープロで書いた原稿の印刷版か、原稿用紙にボールペン書きしたものしか求められておらず、中学三年生の当時はまだブラインドタッチもおぼつかなかったので毎日必死になって手書きでガリガリ書いていました。
しかも当時からそそっかしい所は変わらず書く傍から誤字脱字が頻出したため、手持ちの修正液はあっという間に切らしたことから追加で大量に必要となったわけです。夏休みなんかほぼ毎日3時間以上は原稿書いてたので、当時の自分の手は常に修正液で汚れていてあの独特の臭いを醸し出していました。
多分手書きだったら今もそんなに変わらないと思いますが、執筆速度は400字詰め原稿用紙に対しほぼ一時間当たり六枚で、三時間かけても十八枚というゆったりペースでした。これが中学三年の後半からパソコン使って書くようになると一時間当たり十枚に上がり、なおかつ原稿用紙代を始めとした諸々の諸経費もかからなくなって随分と助かりました。というのも当時、原稿用紙は毎回自分で買っており、といっても教材用に親からもらった金をちょろまかして買ってましたが地味に出費が苦しく、指折り数えながら書いてたのをまだ覚えています。
ただそれだけ、当時はかなり真面目且つ真摯に文章を書く努力を続けてはいました。あのころにいろんな表現の練習を続けていた甲斐もあって現在にあってもそこそこ自慢できる表現力を身に着けることが出来たと言っても過言ではなく、同時に日本の作文教育では致命的に書かせる量が不足しているなと痛感するに至りました。
なおその後について述べると、高校時代は高校一年の頃はよく書いていましたが高二の頃は周囲の人間が足を引っ張ったこともあってあまり活動できず、高三時は受験であんまかいてませんでした。大学時代は最初はバンバン書こうかなと思いましたがなんか思ったより熱が挙がらなかったというか、むしろ教養を身に着けるべき時期だと考え書かず、大学を卒業する間際になってこのブログを始めてからまた猛烈に執筆量が増えるに至りました。そう考えると、本気で表現力を磨いた時期ってのは紛れもなく中学時代で、これから作家なり記者なり目指す人はやはりこれくらいの頃に毎日、なるべく手書きで数時間書くことをお奨めします。
2016年11月25日金曜日
金日成暗殺部隊に関する辺真一氏の気になる記事
・韓国映画「実尾島事件」は再現されるか 「金正恩暗殺部隊」派遣の可能性(Yahooニュース)
少し古いし無視してもよかったのですがなんだかずっと気になってたのでもう記事にします。気になったのはコリア・レポート編集長である辺真一氏が書いた上のリンク先の記事で、記事中にある末尾から二番目の段落にある以下の記述が訝しく感じました。
『今から45年前の「実尾島事件」は集められた「特攻隊員」は囚人らだが、今では軍人や工作員出身の脱北者もいる。』
この箇所の何がどうなのかというと、「実尾島(シルミド)事件で集められたのは囚人」というのが書いてある内容が事実と違うのではないかと思うわけです。
・実尾島事件(Wikipedia)
シルミド事件というのは1971年に実際に起きた事件で、北朝鮮の金日成を暗殺するために韓国の離島(実尾島)で訓練されていた特殊部隊兵士らが反乱を起こしてソウルに繰り出し、正規軍と市内で銃撃戦を起こした事件の事です。首都で起きた軍隊の反乱というのっぴきならない事件でありますが事件が起きた当初は箝口令が敷かれてほとんど知られず、2003年にこの事件を題材に取った映画「シルミド」が公開されてから初めて公に知られるようになりました。
その事件が知られるようになった映画ですが私も見たことがあり、端的に言って面白かったです。ただこの映画には事実の脚色がひどいという批判も多く、その脚色された箇所こそまさに反乱部隊隊員の出身で、映画の中では死刑囚らに死刑を免じる代わりに部隊へと参加させていました。
私の理解が正しければこの箇所は完全な創作であったため、映画公開後には元隊員の遺族らが名誉棄損だとして公開差し止めを請求するにまで発展したと聞きます。また常識的に考えても、敵国の首魁を暗殺しようとする部隊に犯罪者を入れるなんて普通は有り得ないと思えるだけに私もさすがにここは嘘だろうという気がします。もっとも、実際の隊員は高額の報酬につられてやってきた一般市民が大半で正規の軍属ではなかったというのもなかなか信じがたい事実でありますが。
上記の辺氏の記述はこう言ってはなんですが映画の内容そのままを書いており、仮に私の理解が正しければ事実とは異なる間違った記述となります。ただ単に私の方が誤解しているだけかもしれませんが、上の記事について出稿前に誰か何も言わなかったのだろうかという気がしてなりません。しかも中盤にも、「空軍管理下にあった軍特殊犯23人を北朝鮮に送り込むため孤島の実尾島(シルミド)に集め、訓練させたことがある。」と書かれてますが、これほんま?
上から目線で物言うと、こういうのは業界では「勇み足」といって書かなくてもいいこと書いて失敗する例です。最初の一文も「囚人」なんて言葉を使わなくてもいいのに敢えて使ってますし、中盤の文言も「特殊犯」なんて言葉は不要です。少なくとも、事実認定について紛争が起きていることを考慮すればまず外します。
事実でない内容が事実であるかのように独り歩きして報じられることほど報道において合ってはならないことはありません。少なくともこの件を見て、ちょっとこの人の記事には映画の内容を鵜呑みにするところがあると注意する必要があることがわかりました。
少し古いし無視してもよかったのですがなんだかずっと気になってたのでもう記事にします。気になったのはコリア・レポート編集長である辺真一氏が書いた上のリンク先の記事で、記事中にある末尾から二番目の段落にある以下の記述が訝しく感じました。
『今から45年前の「実尾島事件」は集められた「特攻隊員」は囚人らだが、今では軍人や工作員出身の脱北者もいる。』
この箇所の何がどうなのかというと、「実尾島(シルミド)事件で集められたのは囚人」というのが書いてある内容が事実と違うのではないかと思うわけです。
・実尾島事件(Wikipedia)
シルミド事件というのは1971年に実際に起きた事件で、北朝鮮の金日成を暗殺するために韓国の離島(実尾島)で訓練されていた特殊部隊兵士らが反乱を起こしてソウルに繰り出し、正規軍と市内で銃撃戦を起こした事件の事です。首都で起きた軍隊の反乱というのっぴきならない事件でありますが事件が起きた当初は箝口令が敷かれてほとんど知られず、2003年にこの事件を題材に取った映画「シルミド」が公開されてから初めて公に知られるようになりました。
その事件が知られるようになった映画ですが私も見たことがあり、端的に言って面白かったです。ただこの映画には事実の脚色がひどいという批判も多く、その脚色された箇所こそまさに反乱部隊隊員の出身で、映画の中では死刑囚らに死刑を免じる代わりに部隊へと参加させていました。
私の理解が正しければこの箇所は完全な創作であったため、映画公開後には元隊員の遺族らが名誉棄損だとして公開差し止めを請求するにまで発展したと聞きます。また常識的に考えても、敵国の首魁を暗殺しようとする部隊に犯罪者を入れるなんて普通は有り得ないと思えるだけに私もさすがにここは嘘だろうという気がします。もっとも、実際の隊員は高額の報酬につられてやってきた一般市民が大半で正規の軍属ではなかったというのもなかなか信じがたい事実でありますが。
上記の辺氏の記述はこう言ってはなんですが映画の内容そのままを書いており、仮に私の理解が正しければ事実とは異なる間違った記述となります。ただ単に私の方が誤解しているだけかもしれませんが、上の記事について出稿前に誰か何も言わなかったのだろうかという気がしてなりません。しかも中盤にも、「空軍管理下にあった軍特殊犯23人を北朝鮮に送り込むため孤島の実尾島(シルミド)に集め、訓練させたことがある。」と書かれてますが、これほんま?
上から目線で物言うと、こういうのは業界では「勇み足」といって書かなくてもいいこと書いて失敗する例です。最初の一文も「囚人」なんて言葉を使わなくてもいいのに敢えて使ってますし、中盤の文言も「特殊犯」なんて言葉は不要です。少なくとも、事実認定について紛争が起きていることを考慮すればまず外します。
事実でない内容が事実であるかのように独り歩きして報じられることほど報道において合ってはならないことはありません。少なくともこの件を見て、ちょっとこの人の記事には映画の内容を鵜呑みにするところがあると注意する必要があることがわかりました。
2016年11月24日木曜日
悪目立ちしたい人たち
この前書いたゲームレビューで、「声聞いただけでマジ背筋凍った」と評した声優の能登麻美子氏についてちょっと調べたところ、「この人が童謡歌うとマジ怖い」と言われていたそうで、実際上のラジオで収録された能登氏の童謡聞いたところ本気で怖かったです。携帯の着メロにしたいんだけどMP3とかで出してもらえないかな。
そんな能登氏についての言及が続きますが、上の画像は2004年にプロ野球の近鉄球団売却騒動の際に買収に名乗りを上げたライブドアが、買収後の球団名をネット上で募集した際の後の祭りです。インターネット投票ということもあって不正投票が集中し、1位は何故か当時勢いあった北朝鮮から日本に定住した元米兵のジェンキンス氏の名前が入り、2位には買収で争った相手の楽天の名前が入り、そして4位に能登麻美子氏の代名詞である「能登かわいいよ能登」が入っていて、なにこれと当時思って調べたことが私が初めて能登氏を知るきっかけとなりました。
見方を変えれば、この2004年からすでに十年以上も経過するにも拘らず能登氏は未だ声優業界で引手数多で活躍し付けていることになり、まぁ色々と凄い人だなと改めて思います。それにしても18位の「仙台・オブ・ジョイトイ」って懐かしいな、確か真鍋かをり氏はコオロギの死骸の写真と共に「コオロギ・オブ・ジョイトイ」ってブログにアップしてたけど。
話は急転直下で変わりますが、能登氏が十年以上も声優として活躍し続けた一方、先の買収騒動で主役であった元ライブドア社長の堀江氏は、この十年の間にフジテレビ買収騒動を起こしたり、小菅ヒルズに収監されたりと浮き沈みの激しい時期を経由し、現在はテレビのコメンテーターとして出る機会が増えてると聞きます。ただテレビに出演した際のコメントを聞いてると割と世間からは反発されることのが多いように見え、具体例を挙げるとジャパネットタカタについて、「情報弱者を騙して食い物にしている」といったりなど、私に限らずお前がゆうなと言いたくなるような発言が多いです。
あくまで私個人の見方で言わせてもらうと、堀江氏的にはそういう風に思われて大満足なのではないかという気がします。というのも彼の言動や態度を見ると人から好かれたいというよりは人を怒らせて、「俺はお前らとは違うんだよ」みたいに思って自己満足したがってるように見え、端的に言えば悪目立ちしたがっている人だと思います。私が見る限り彼にはそれほど教養も確固とした信念も感じられず、特に理由なく世間の一般の見方とは敢えて逆のこと、人が誉める対象を貶し、人が貶す対象を誉めるようなことをして目立ちたいだけではというふうに見ています。
もう一人こういう傾向が激しいと感じる人物として、自称漫画家の江川達也氏もこの類でしょう。手塚治虫についてはかねてから「漫画を駄目にした」などと口汚く罵っており、最近も大した根拠を挙げることなく映画「君の名は」を全否定したりと、信念や考えなど初めからなく人が賞賛するものを敢えて批判するだけのスタンスだと私は見ています。そんなんだからマスコミとかこんな何も考えてない目立ちたがり屋みたいな連中取り上げるなと内心言いたいわけですが今だに二人ともよくテレビとかに出演しているとのことで、かなり昔に「職業:江川達也が画面に映る度に舌打ちをする係」と堂々と書いた漫画家の平野耕太氏は時代を先取りしていたなと思うわけです。
なお平野氏は一時期ブログで、「江川達也が麻原彰晃に間違えられていきなり一審で死刑判決即執行となり、裁判所に死刑台がパカっと現れが本人は、そんなことはないでしょおなどとへらへら笑ってて……」というような下りをなんかの例えとして用いており、漫画もさることなら文才も凄いなと当時思いました。
2016年11月23日水曜日
電気自動車の提携で孤立するホンダ
・中国のEV市場が驚くほど急拡大した理由 日本はEV冷遇国?支援策で先行する中国(JBpress)
自分で書いた記事に自分で引用するのもどうかと思いますが、中国関連で書いてと言われてなら電気自動車(EV)なら適当に現地報道を翻訳すればすぐ済ませられると思って書き始めたところ、適当な記事が全く見当たらず、結局いろんな資料見て独自分析する羽目となり「回り道こそが近道だったんだ」を実践する羽目となりました。
それで今回の内容はEVの中国市場と日本のEV補助金政策をメインに扱っていますが、そもそもこの記事のきっかけは今月7日にトヨタが発表した「2020年からのEV量産化計画」です。これに関して仮に日本市場について書いていいんだったら書こうかなと思っていたネタをこれから書くわけですが、結論から述べるとホンダはこれからどうするのといったところで、この意味がわかる人はこの先読まなくても大丈夫です。
上にも書いた通りにこれまでハイブリッド車、そして燃料電池車に注力していたトヨタがとうとうEVにも手を出すということで、あんまり経済ニュース上では大きく取り扱われていないものの自動車業界の中ではかなり衝撃が大きいニュースだったように私には思います。というのも、このトヨタの発表の直前にトヨタとスズキが開発方面で提携を行うという発表を行っており、「あの提携はEVがらみだったのか」と後の発表で気が付きました。
自動車業界に詳しい知人というか元同僚もスズキとの提携発表時の衝撃について、「トヨタはダイハツを切るつもりか?」と思ったそうです。実際私も、既に完全子会社となっているダイハツの存在からスズキと提携するなんていう情報は嘘に決まっていると頭から信じ込んでいましたが、これがEVがらみとなると話しは違い、それだけトヨタも今回は動いてきたのだなと改めて覚えました。
話がちょっと横にずれましたが11月7日のトヨタの発表から約一週間後、今度はマツダが2019年にEV事業に参入するという発表を行いました。あくまで個人的意見で言わせてもらうとこれは偶然ではなく、トヨタと示し合わせてというか両社でしっかり準備した上での発表だったと私は見ています。
というのもトヨタとマツダは既に環境対策車で提携を結んでおり、マツダは現時点でも既にトヨタからハイブリッドエンジンの供給を受けています。そのマツダがEVに参入するとしたらトヨタとの共同開発以外にはありえず、トヨタに一年先んじる2019年に参入ということは市場流通台数の少ないマツダでEV事業というか量産を一年見た上で2020年からトヨタが本格的に事業を開始するというスケジュールなのではないかと思えました。スケジュールに関しては憶測も入っていますが、EV事業の共同開発に関してはトヨタとマツダは間違いなくタッグを組むとみて問題ないでしょう。
以上の情報を分析すると、元からトヨタグループだったダイハツ、スバルは言うまでもなく、スズキとマツダもトヨタと一緒にEV開発を行っていくこととなります。逆を言えばそれだけ開発費負担が重くトヨタですら他社と提携の道を選ぶほどかと言えるのですが、以上の5社はEV事業について車種間の競争はあっても基幹部品の開発供給においては共同歩調を取るでしょう。
一方、既にEVの量産事業を行っている日産と三菱は既に知っての通り三菱がアホやって日産に吸収合併されたことによって、両社は手を取り合って、っていうか完全に一緒になって今後もEV事業を展開していくことでしょう。といっても日産はともかく三菱は途中からEVについて完全にやる気失くしてたので果たしてというところはありますが、すでに事業化している点もあってノウハウ的にも生産的にもトヨタ連合に一歩先んじているのは間違いありません
となると残ったホンダはどうなるかですが、少なくとも現状で言えばEV事業に関して完全に孤立した状態にあると言っても過言ではないでしょう。っていうか中途半端にハイブリッドに片足ツッコんじゃったもんだから抜くに抜けなくなっているようにも見え、マジでこれからどうするのとホンダ嫌いの私ですらちょっと心配しちゃいます。
一応、ホンダも過去に事業者向けに「フィット EV」という電気自動車のリース事業を行い、これから消費者への一般販売もやっていくと宣言してその後数年音沙汰がなく、ホームページのニュースリリースも2012年で止まったままで寂しさすら覚えるくらいですが、断言してもいいですがEV開発とか試作をこの会社はほとんどしていないでしょう。一昨年くらいからホンダは欠陥車のリコール対策で完全に開発止まってましたし、そのくせ赤字にしかならないNSXは出したりしてたのでEVに関する開発力は2012年の段階から完全に止まっているのではないかと見ています。
上にも書いた通り、なんだかんだ言いつつEV開発を量産レベルにまで持って行こうとなると、ガンダムにたとえるなら一年戦争勃発時からゲルググが量産出来る水準にまで持って行くまでの労力と資金が必要になるほどの難事業です。っていうか何故ここでゲルググが浮かぶのかミステリーです。
だからこそトヨタもスズキ、マツダを巻き込んだのでしょうし、スズキとマツダも単独では不可能との判断から提携したのだと思います。特にスズキはフォルクスワーゲンとも環境対策車方面で提携していましたが相手にその能力がないとわかるや切り、てっきりほかの世界大手、たとえばGM当たりと組むかなと思ってたら国内のトヨタと組んだので、危機感は相当なものだと思えます。
日産、三菱連合はトヨタ連合と比べると数は少ないですが、先行して事業を介しているという利は確実にあり、また日産の場合だと自動的に仏ルノー、そして中国の東風汽車も絡むので、真面目にオールグローバル体勢でEV事業に出てくるでしょう。どの市場にもすぐEV車を供給できるメリットというのは結構大きいかなという気がします。
それだけに、ホンダはこれからどうなるのか。EVなんて主流になるわけないと高をくくって無視してガソリン車だけ作るっていうのも別にそれはそれでありですが、本当にそれでいいのかと思うし、っていうか信長の野望じゃないけど外交とかちゃんと考えてるのか見てて不安に感じます。
逆を言えば一時期流行った「選択と集中」が割と自動車業界で切迫した問題になりつつあるように思え、EV開発に乗り出すか、乗り出さないか、この点で各社の動向が今後どうなるのか密かに楽しみにしています。もっとも一番楽しみなのはヤマハの四輪事業参入ですが、恐らくこれもEVではないかと考えています。
おまけ
ほかに同じような意見を先に発信している人はいないかなと調べてみましたが特にいませんでした。その際、「ホンダ 孤立」で検索かけたらサッカーの本田圭佑選手の記事がヒットしまくり闇が深いと感じました。
自分で書いた記事に自分で引用するのもどうかと思いますが、中国関連で書いてと言われてなら電気自動車(EV)なら適当に現地報道を翻訳すればすぐ済ませられると思って書き始めたところ、適当な記事が全く見当たらず、結局いろんな資料見て独自分析する羽目となり「回り道こそが近道だったんだ」を実践する羽目となりました。
それで今回の内容はEVの中国市場と日本のEV補助金政策をメインに扱っていますが、そもそもこの記事のきっかけは今月7日にトヨタが発表した「2020年からのEV量産化計画」です。これに関して仮に日本市場について書いていいんだったら書こうかなと思っていたネタをこれから書くわけですが、結論から述べるとホンダはこれからどうするのといったところで、この意味がわかる人はこの先読まなくても大丈夫です。
上にも書いた通りにこれまでハイブリッド車、そして燃料電池車に注力していたトヨタがとうとうEVにも手を出すということで、あんまり経済ニュース上では大きく取り扱われていないものの自動車業界の中ではかなり衝撃が大きいニュースだったように私には思います。というのも、このトヨタの発表の直前にトヨタとスズキが開発方面で提携を行うという発表を行っており、「あの提携はEVがらみだったのか」と後の発表で気が付きました。
自動車業界に詳しい知人というか元同僚もスズキとの提携発表時の衝撃について、「トヨタはダイハツを切るつもりか?」と思ったそうです。実際私も、既に完全子会社となっているダイハツの存在からスズキと提携するなんていう情報は嘘に決まっていると頭から信じ込んでいましたが、これがEVがらみとなると話しは違い、それだけトヨタも今回は動いてきたのだなと改めて覚えました。
話がちょっと横にずれましたが11月7日のトヨタの発表から約一週間後、今度はマツダが2019年にEV事業に参入するという発表を行いました。あくまで個人的意見で言わせてもらうとこれは偶然ではなく、トヨタと示し合わせてというか両社でしっかり準備した上での発表だったと私は見ています。
というのもトヨタとマツダは既に環境対策車で提携を結んでおり、マツダは現時点でも既にトヨタからハイブリッドエンジンの供給を受けています。そのマツダがEVに参入するとしたらトヨタとの共同開発以外にはありえず、トヨタに一年先んじる2019年に参入ということは市場流通台数の少ないマツダでEV事業というか量産を一年見た上で2020年からトヨタが本格的に事業を開始するというスケジュールなのではないかと思えました。スケジュールに関しては憶測も入っていますが、EV事業の共同開発に関してはトヨタとマツダは間違いなくタッグを組むとみて問題ないでしょう。
以上の情報を分析すると、元からトヨタグループだったダイハツ、スバルは言うまでもなく、スズキとマツダもトヨタと一緒にEV開発を行っていくこととなります。逆を言えばそれだけ開発費負担が重くトヨタですら他社と提携の道を選ぶほどかと言えるのですが、以上の5社はEV事業について車種間の競争はあっても基幹部品の開発供給においては共同歩調を取るでしょう。
一方、既にEVの量産事業を行っている日産と三菱は既に知っての通り三菱がアホやって日産に吸収合併されたことによって、両社は手を取り合って、っていうか完全に一緒になって今後もEV事業を展開していくことでしょう。といっても日産はともかく三菱は途中からEVについて完全にやる気失くしてたので果たしてというところはありますが、すでに事業化している点もあってノウハウ的にも生産的にもトヨタ連合に一歩先んじているのは間違いありません
となると残ったホンダはどうなるかですが、少なくとも現状で言えばEV事業に関して完全に孤立した状態にあると言っても過言ではないでしょう。っていうか中途半端にハイブリッドに片足ツッコんじゃったもんだから抜くに抜けなくなっているようにも見え、マジでこれからどうするのとホンダ嫌いの私ですらちょっと心配しちゃいます。
一応、ホンダも過去に事業者向けに「フィット EV」という電気自動車のリース事業を行い、これから消費者への一般販売もやっていくと宣言してその後数年音沙汰がなく、ホームページのニュースリリースも2012年で止まったままで寂しさすら覚えるくらいですが、断言してもいいですがEV開発とか試作をこの会社はほとんどしていないでしょう。一昨年くらいからホンダは欠陥車のリコール対策で完全に開発止まってましたし、そのくせ赤字にしかならないNSXは出したりしてたのでEVに関する開発力は2012年の段階から完全に止まっているのではないかと見ています。
上にも書いた通り、なんだかんだ言いつつEV開発を量産レベルにまで持って行こうとなると、ガンダムにたとえるなら一年戦争勃発時からゲルググが量産出来る水準にまで持って行くまでの労力と資金が必要になるほどの難事業です。っていうか何故ここでゲルググが浮かぶのかミステリーです。
だからこそトヨタもスズキ、マツダを巻き込んだのでしょうし、スズキとマツダも単独では不可能との判断から提携したのだと思います。特にスズキはフォルクスワーゲンとも環境対策車方面で提携していましたが相手にその能力がないとわかるや切り、てっきりほかの世界大手、たとえばGM当たりと組むかなと思ってたら国内のトヨタと組んだので、危機感は相当なものだと思えます。
日産、三菱連合はトヨタ連合と比べると数は少ないですが、先行して事業を介しているという利は確実にあり、また日産の場合だと自動的に仏ルノー、そして中国の東風汽車も絡むので、真面目にオールグローバル体勢でEV事業に出てくるでしょう。どの市場にもすぐEV車を供給できるメリットというのは結構大きいかなという気がします。
それだけに、ホンダはこれからどうなるのか。EVなんて主流になるわけないと高をくくって無視してガソリン車だけ作るっていうのも別にそれはそれでありですが、本当にそれでいいのかと思うし、っていうか信長の野望じゃないけど外交とかちゃんと考えてるのか見てて不安に感じます。
逆を言えば一時期流行った「選択と集中」が割と自動車業界で切迫した問題になりつつあるように思え、EV開発に乗り出すか、乗り出さないか、この点で各社の動向が今後どうなるのか密かに楽しみにしています。もっとも一番楽しみなのはヤマハの四輪事業参入ですが、恐らくこれもEVではないかと考えています。
おまけ
ほかに同じような意見を先に発信している人はいないかなと調べてみましたが特にいませんでした。その際、「ホンダ 孤立」で検索かけたらサッカーの本田圭佑選手の記事がヒットしまくり闇が深いと感じました。
2016年11月21日月曜日
ブラウザ「Safari」によるコメント不具合について
先日友人から、「iPhoneのSafari使ってこのブログにコメントしようとすると確実にエラーが出るんだけど」というお便りをいただきました。どうでもいいですがこの友人は学生時代に一回だけサンマ(一尾百円くらい)をおごってあげたのをその後もずっとやけに感謝くれました。
以前にも同じようにiPhoneやiPadを経由してコメントを投稿するとエラーが起こるという話を読者から聞いており一体この不具合の原因は何なのか調べてみたところ、どうもSafari特有の認証システムに原因があるとのことです。
・iPhoneからBloggerの記事にコメントが付けられないという問題(つわものぶろぐ)
こちらの記事に詳しい経緯というか私が見てもよくわからないflame関連の問題が開設されているのですが、やはり私のブログに限らずこのGoogleのブログソフト「Blogger」全体に共通している問題のようです。たださらに調べてみてみると、ほかのブログでもやはりSafariが原因でコメントが弾かれるというエラーが起きているそうです。
・iPhoneやiPadのSafariをお使いの方へ(ぶろっこりぃのそよ風日記)
こちらの方は今頃流行りのはてなブログですが、同様の問題が起きていてSafariに対して注意報を出しています。てっきり私のこのブログだけかと思いきや結構この問題は根深いようで、連絡して来てくれた友人からも恐らくコメントを残せなかった読者がほかにもいるだろうと言ってもらったこともあり、先程からコメント欄に「Safariに気をつけろ」的な注意書をつけるようにしました。
なおここだけの話ですが実は私はアップルの製品を今まで一度も持ったことがありません。さすがに触ったことはなんどかありますが私の世代でiPodを一度も持ったことがない、っていうかiPodに限ればシャレや冗談抜きで一度も触ったことがなく、多分同世代でも私一人くらいなんじゃないでしょうか。
iPhoneなどに関しても値段が高い時点で選択肢に入らず、マッキントッシュに至っては汎用性の問題から眼中にも入りませんでした。だからこそ今回の問題にも気づくのが遅れたのかもしれませんが、別にアップルが嫌いというわけではなくただただ縁がないだけで、それがまさかこういうブログにも影響を及ぼすとはなどと皮肉っぽく感じるわけです。
以前にも同じようにiPhoneやiPadを経由してコメントを投稿するとエラーが起こるという話を読者から聞いており一体この不具合の原因は何なのか調べてみたところ、どうもSafari特有の認証システムに原因があるとのことです。
・iPhoneからBloggerの記事にコメントが付けられないという問題(つわものぶろぐ)
こちらの記事に詳しい経緯というか私が見てもよくわからないflame関連の問題が開設されているのですが、やはり私のブログに限らずこのGoogleのブログソフト「Blogger」全体に共通している問題のようです。たださらに調べてみてみると、ほかのブログでもやはりSafariが原因でコメントが弾かれるというエラーが起きているそうです。
・iPhoneやiPadのSafariをお使いの方へ(ぶろっこりぃのそよ風日記)
こちらの方は今頃流行りのはてなブログですが、同様の問題が起きていてSafariに対して注意報を出しています。てっきり私のこのブログだけかと思いきや結構この問題は根深いようで、連絡して来てくれた友人からも恐らくコメントを残せなかった読者がほかにもいるだろうと言ってもらったこともあり、先程からコメント欄に「Safariに気をつけろ」的な注意書をつけるようにしました。
なおここだけの話ですが実は私はアップルの製品を今まで一度も持ったことがありません。さすがに触ったことはなんどかありますが私の世代でiPodを一度も持ったことがない、っていうかiPodに限ればシャレや冗談抜きで一度も触ったことがなく、多分同世代でも私一人くらいなんじゃないでしょうか。
iPhoneなどに関しても値段が高い時点で選択肢に入らず、マッキントッシュに至っては汎用性の問題から眼中にも入りませんでした。だからこそ今回の問題にも気づくのが遅れたのかもしれませんが、別にアップルが嫌いというわけではなくただただ縁がないだけで、それがまさかこういうブログにも影響を及ぼすとはなどと皮肉っぽく感じるわけです。
2016年11月20日日曜日
表現者としてのピーク
この週末の二日間、自分でも呆れるくらいにKindleの電子書籍をダウンロードしておりました。というのもここ一ヶ月くらいずっと、一切全く何もダウンロードできなかったからです。あくまで私個人の主観で理由を予想すると、恐らく中国では11月11日(双十一)が「独身デー」といってインターネット通販の大幅値引きキャンペーンが毎年各社で行われているため、この前後の期間でサーバーへの負担を軽減するために国外の一部ネットサービスに制限をかけていたのではないかと睨んでいます。現に双十一が終わってまた復活しましたし。
この間に購入はできてもダウンロードの出来なかった新刊を始め、無料キャンペーンで配信されていた漫画などもあらかじめ購入クリックしていたため、ダウンロードが復活するや一挙に十冊近くダウンロードし始めてしまい、また途中途中で読んで気に入った漫画をさらに追加で大人買いしたりしたもんだからなんかずっとタブレットを片手に持ってた様な二日間でした。なお読んだ中で予想外に面白かったのは金田一蓮十郎氏の「ライアー×ライアー(「ハンター×ハンター」っぽいタイトル)」でした。
話は本題に入りますが。今回無料だからといってダウンロードした中には押見修三氏の「悪の華」の1~2巻もあり、この漫画は既に一回通しで呼んでいるものの久々に読み返したところ相変らず面白いと感じると共に、「この作者はこの作品で燃え尽きたのかな」と思う節がありました。
この「悪の華」は全11巻で構成されており中身は主人公が中学生の頃と高校生の頃とで大きく前後編に分かれているのですが、私を含め後編の「高校生編」はあまり評価が高くありません。逆に前編はヒロインこと「仲村さん」という超絶エキセントリックなキャラクターが口を開けば「クソムシが、クズネズミが」という毒舌をまき散らし、今回読み返した際も既に内容を把握しているにもかかわらず毎回強く圧倒されます。
私はこの「悪の華」の後に押見氏が描いた「ぼくは真理のなか」、「ハピネス」も読みましたが、単純に嗜好の違いだけかもしれませんが「悪の華」に感じた圧倒的な迫力は全く感じられず、はっきり言えばどっちもあんま面白くありませんでした。しかもエキセントリックなヒロインがぐずぐずした男性主人公を引っ張り回すというような構図がずっと続いているし。
逆に、「悪の華」が連載される直前に押見氏が描いた「漂流ネットカフェ」はまだ面白く、「悪の華」程ではないにしろやはりそれなりに作者の持ち味が出ていて読んでて迫力も感じられて個人的に高く評価しています。それだけに、やはりこの作者は「悪の華」前編終了時に少し燃え尽きてしまったのかなと今回感じたわけです。
なにも押見氏を貶す目的でこういうこと書いているわけじゃなく、やはり漫画家なり作家なりには表現する力のピークというか波というものは確実に存在します。以前に取り上げた週刊少年ジャンプの編集長をしていた鳥嶋氏も、対談で話した「ベルセルク」という漫画の作者である三浦建太郎氏に対し、「ベルセルク」の前半終了部における「蝕」という場面を名指しして、「あそこで君は一回燃え尽きた」というようなことをはっきり述べ、言われた三浦氏もその通りと認めていました。
複数の作品を長期に渡って書く場合でも、長期連載作品の場合であっても、やはりどこかしらにその作者の表現にはピークがあります。しかもピークを一旦迎えてしまうと大きく調子を落とさない限りは読者は依然と面白さは感じ続けられるものの、段々と面白さが増していき盛り上がっていくというような臨場感はどうしてもなくならざるを得ず、「今も面白いけど前のあの辺りの方がすごかったよなぁ」なんて言われてしまいます。私が子供の頃だったらやっぱり「ドラゴンボール」のフリーザ編最終盤がまさにこうして挙げられる例の筆頭でした。
逆の例としては、「ハンター×ハンター」でヨークシン編が非常に面白く、もうこれ以上この漫画は面白くはならないだろうと思ってたら、その後のグリードアイランド編、キメラアント編はもっと面白くなっていきこの作者すげぇと心底思いました。
話は戻りますが、やはり早くにピークを迎えてしまうとどちらかといえば不便です。確か「ジョジョの奇妙な冒険」の作者の荒木飛呂彦氏が連載漫画で人気を維持する上で段々と面白さというか熱を高めていくことが大事で、基本的には右肩上がりの展開を維持するべしと言ってましたが、私の言わんとすることもこれと同じです。しかし意図的にそういう風な右肩上がりの話を作っていくならともかく、作者個人のセンスなり感覚なりがピークを迎えちゃうと、まぁちょっと言い辛いですがあんま良くないです。
場合によってはそこからスランプに入り、「ブラックジャック」など大人向けの漫画を描くようになった手塚治虫や、昭和史を始めとした歴史、伝記、自身の戦争体験漫画を主軸に置いた水木しげるなど新境地を切り開き復活する漫画家もいますが、こういうのはどちらかといえばレアでしょう。
小説に関してもそうですが、やはり話作り、文字表現などはどこかしらでピークを迎え、そこから段々と落ちていくものだと私は考えています。無論ピークを迎えたからと言ってその後の作者は即無価値になるというわけではなく、その後は作り上げたキャリアや経験を使った表現活動を行って行けばいいのですが、ピークを迎えるまでと迎えた後でどのように心境を置くかで物事がいろいろ変っていくのではないかという気がします。
ここで私個々人の話になりますが、地味に文章表現に関してはとっくにピークを過ぎており、具体的に言えば2009年に連載していた「文化大革命とは」の記事を書いてた頃がピークで、この連載記事を読み返すたびによくこれだけ難しい内容をここまで小ざっぱりまとめたものだと我ながら呆れると共に、同じような表現を再現しろと言われたら無理だという本音が出てきます。昔から難しい内容をわかりやすく説明するという表現には自信があったものの、多分もうあの頃以上にこうした表現を駆使することは永遠にないでしょう。
一方でその後、表現手法を色々学んだこともあって新聞記事としての表現、アジテーターっぽい表現、分析レポート的な表現に関しては間違いなく今の方が上で、野球に例えるならかつて猛威を振るった縦に大きく割れるフォークこそ失ったものの、カーブやチェンジアップなど他の変化球を習得して使い分けが上手になったというような感じです。ただ欲を言えば、昔みたいなフォークを「┌(`Д´)ノセイヤッ」とばかりにもう一度投げたいという願望は常にあります。
文章表現に関しては上記の通り、器用さは増したものの一点突破的なパワーではピークを越してしまいましたが、ことセンスというか観察力、判断力、分析力に関しては未だピークを越えておらず、毎年確実に凄みを増してきているという実感はあります。どうしてそう感じるのかというと単純に、同じ風景を見ているにも関わらず以前は気づかなかった違いやポイントを今だと簡単に気づけるようになっており、また一つのニュースを見てもそこから導き出される次の展開予想の数が毎年増え続けているからです。最低でもあと二年くらいはこの方面の成長は続くようにも感じているのですが、ただでさえ歩いている最中も常に何か考えててボーっとしており周囲に気が付かないことが多いだけに、二年先以降もピークを迎えなかったら逆にヤバいのではないかと一人警戒しています。
この間に購入はできてもダウンロードの出来なかった新刊を始め、無料キャンペーンで配信されていた漫画などもあらかじめ購入クリックしていたため、ダウンロードが復活するや一挙に十冊近くダウンロードし始めてしまい、また途中途中で読んで気に入った漫画をさらに追加で大人買いしたりしたもんだからなんかずっとタブレットを片手に持ってた様な二日間でした。なお読んだ中で予想外に面白かったのは金田一蓮十郎氏の「ライアー×ライアー(「ハンター×ハンター」っぽいタイトル)」でした。
話は本題に入りますが。今回無料だからといってダウンロードした中には押見修三氏の「悪の華」の1~2巻もあり、この漫画は既に一回通しで呼んでいるものの久々に読み返したところ相変らず面白いと感じると共に、「この作者はこの作品で燃え尽きたのかな」と思う節がありました。
この「悪の華」は全11巻で構成されており中身は主人公が中学生の頃と高校生の頃とで大きく前後編に分かれているのですが、私を含め後編の「高校生編」はあまり評価が高くありません。逆に前編はヒロインこと「仲村さん」という超絶エキセントリックなキャラクターが口を開けば「クソムシが、クズネズミが」という毒舌をまき散らし、今回読み返した際も既に内容を把握しているにもかかわらず毎回強く圧倒されます。
私はこの「悪の華」の後に押見氏が描いた「ぼくは真理のなか」、「ハピネス」も読みましたが、単純に嗜好の違いだけかもしれませんが「悪の華」に感じた圧倒的な迫力は全く感じられず、はっきり言えばどっちもあんま面白くありませんでした。しかもエキセントリックなヒロインがぐずぐずした男性主人公を引っ張り回すというような構図がずっと続いているし。
逆に、「悪の華」が連載される直前に押見氏が描いた「漂流ネットカフェ」はまだ面白く、「悪の華」程ではないにしろやはりそれなりに作者の持ち味が出ていて読んでて迫力も感じられて個人的に高く評価しています。それだけに、やはりこの作者は「悪の華」前編終了時に少し燃え尽きてしまったのかなと今回感じたわけです。
なにも押見氏を貶す目的でこういうこと書いているわけじゃなく、やはり漫画家なり作家なりには表現する力のピークというか波というものは確実に存在します。以前に取り上げた週刊少年ジャンプの編集長をしていた鳥嶋氏も、対談で話した「ベルセルク」という漫画の作者である三浦建太郎氏に対し、「ベルセルク」の前半終了部における「蝕」という場面を名指しして、「あそこで君は一回燃え尽きた」というようなことをはっきり述べ、言われた三浦氏もその通りと認めていました。
複数の作品を長期に渡って書く場合でも、長期連載作品の場合であっても、やはりどこかしらにその作者の表現にはピークがあります。しかもピークを一旦迎えてしまうと大きく調子を落とさない限りは読者は依然と面白さは感じ続けられるものの、段々と面白さが増していき盛り上がっていくというような臨場感はどうしてもなくならざるを得ず、「今も面白いけど前のあの辺りの方がすごかったよなぁ」なんて言われてしまいます。私が子供の頃だったらやっぱり「ドラゴンボール」のフリーザ編最終盤がまさにこうして挙げられる例の筆頭でした。
逆の例としては、「ハンター×ハンター」でヨークシン編が非常に面白く、もうこれ以上この漫画は面白くはならないだろうと思ってたら、その後のグリードアイランド編、キメラアント編はもっと面白くなっていきこの作者すげぇと心底思いました。
話は戻りますが、やはり早くにピークを迎えてしまうとどちらかといえば不便です。確か「ジョジョの奇妙な冒険」の作者の荒木飛呂彦氏が連載漫画で人気を維持する上で段々と面白さというか熱を高めていくことが大事で、基本的には右肩上がりの展開を維持するべしと言ってましたが、私の言わんとすることもこれと同じです。しかし意図的にそういう風な右肩上がりの話を作っていくならともかく、作者個人のセンスなり感覚なりがピークを迎えちゃうと、まぁちょっと言い辛いですがあんま良くないです。
場合によってはそこからスランプに入り、「ブラックジャック」など大人向けの漫画を描くようになった手塚治虫や、昭和史を始めとした歴史、伝記、自身の戦争体験漫画を主軸に置いた水木しげるなど新境地を切り開き復活する漫画家もいますが、こういうのはどちらかといえばレアでしょう。
小説に関してもそうですが、やはり話作り、文字表現などはどこかしらでピークを迎え、そこから段々と落ちていくものだと私は考えています。無論ピークを迎えたからと言ってその後の作者は即無価値になるというわけではなく、その後は作り上げたキャリアや経験を使った表現活動を行って行けばいいのですが、ピークを迎えるまでと迎えた後でどのように心境を置くかで物事がいろいろ変っていくのではないかという気がします。
ここで私個々人の話になりますが、地味に文章表現に関してはとっくにピークを過ぎており、具体的に言えば2009年に連載していた「文化大革命とは」の記事を書いてた頃がピークで、この連載記事を読み返すたびによくこれだけ難しい内容をここまで小ざっぱりまとめたものだと我ながら呆れると共に、同じような表現を再現しろと言われたら無理だという本音が出てきます。昔から難しい内容をわかりやすく説明するという表現には自信があったものの、多分もうあの頃以上にこうした表現を駆使することは永遠にないでしょう。
一方でその後、表現手法を色々学んだこともあって新聞記事としての表現、アジテーターっぽい表現、分析レポート的な表現に関しては間違いなく今の方が上で、野球に例えるならかつて猛威を振るった縦に大きく割れるフォークこそ失ったものの、カーブやチェンジアップなど他の変化球を習得して使い分けが上手になったというような感じです。ただ欲を言えば、昔みたいなフォークを「┌(`Д´)ノセイヤッ」とばかりにもう一度投げたいという願望は常にあります。
文章表現に関しては上記の通り、器用さは増したものの一点突破的なパワーではピークを越してしまいましたが、ことセンスというか観察力、判断力、分析力に関しては未だピークを越えておらず、毎年確実に凄みを増してきているという実感はあります。どうしてそう感じるのかというと単純に、同じ風景を見ているにも関わらず以前は気づかなかった違いやポイントを今だと簡単に気づけるようになっており、また一つのニュースを見てもそこから導き出される次の展開予想の数が毎年増え続けているからです。最低でもあと二年くらいはこの方面の成長は続くようにも感じているのですが、ただでさえ歩いている最中も常に何か考えててボーっとしており周囲に気が付かないことが多いだけに、二年先以降もピークを迎えなかったら逆にヤバいのではないかと一人警戒しています。
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