2016年11月26日土曜日

かつて努力した日々

 今度名古屋に左遷されたうちの親父が上海に来る際、親父の東京勤務時代の元部下とも会うこととなりました。その元部下の名前を見た際、「ああ、あの修正液の人か」と一目見て思い出しました。

 事の起こりは私が中学三年生の頃で何の気もなしに、「親父、修正液欲しいんやけど買ってくれへん?」と聞いたところ、「それやったら会社から取ってきてやる」といって後日、大量に修正液を持ってきてくれました。ただその修正液、どれもシールにハンコされた名字らしき二文字がついており、「これなんなん?」って親父に聞いたら、当時の部下の名前とのことで、その修正液もその部下の机にあったものをかっぱらって持ってきたものだということを教えてくれました。

 親父のせこい悪行はともかく何故当時の私が修正液を欲しがったのかというと、小説の新人賞に応募するための原稿を書く際に必要だったからです。当時、フロッピーでの応募は一部認められていましたが応募原稿は基本的にはワープロで書いた原稿の印刷版か、原稿用紙にボールペン書きしたものしか求められておらず、中学三年生の当時はまだブラインドタッチもおぼつかなかったので毎日必死になって手書きでガリガリ書いていました。
 しかも当時からそそっかしい所は変わらず書く傍から誤字脱字が頻出したため、手持ちの修正液はあっという間に切らしたことから追加で大量に必要となったわけです。夏休みなんかほぼ毎日3時間以上は原稿書いてたので、当時の自分の手は常に修正液で汚れていてあの独特の臭いを醸し出していました。

 多分手書きだったら今もそんなに変わらないと思いますが、執筆速度は400字詰め原稿用紙に対しほぼ一時間当たり六枚で、三時間かけても十八枚というゆったりペースでした。これが中学三年の後半からパソコン使って書くようになると一時間当たり十枚に上がり、なおかつ原稿用紙代を始めとした諸々の諸経費もかからなくなって随分と助かりました。というのも当時、原稿用紙は毎回自分で買っており、といっても教材用に親からもらった金をちょろまかして買ってましたが地味に出費が苦しく、指折り数えながら書いてたのをまだ覚えています。
 ただそれだけ、当時はかなり真面目且つ真摯に文章を書く努力を続けてはいました。あのころにいろんな表現の練習を続けていた甲斐もあって現在にあってもそこそこ自慢できる表現力を身に着けることが出来たと言っても過言ではなく、同時に日本の作文教育では致命的に書かせる量が不足しているなと痛感するに至りました。

 なおその後について述べると、高校時代は高校一年の頃はよく書いていましたが高二の頃は周囲の人間が足を引っ張ったこともあってあまり活動できず、高三時は受験であんまかいてませんでした。大学時代は最初はバンバン書こうかなと思いましたがなんか思ったより熱が挙がらなかったというか、むしろ教養を身に着けるべき時期だと考え書かず、大学を卒業する間際になってこのブログを始めてからまた猛烈に執筆量が増えるに至りました。そう考えると、本気で表現力を磨いた時期ってのは紛れもなく中学時代で、これから作家なり記者なり目指す人はやはりこれくらいの頃に毎日、なるべく手書きで数時間書くことをお奨めします。

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