・部屋から異臭、荷物運ぶ姿=「まさかこんな」住民ら絶句―アパート遺体(時事通信)
やや不謹慎ではありますが、久々にまた香ばしい事件が起きたなという感想を持ちました。それにしても最近の神奈川県は障碍者施設襲撃事件といい、大量殺人事件がやたら起きているような気もします。
この事件の詳細については今後操作や報道が進むにつれて明らかとなっていくでしょうが、現状ではまだ不確実な面も多いだけに余計な言及は避けようと思います。ただ現在までに報じられている、自殺志願者をネット経由で誘い出したとされる供述をみて、私の中で真っ先に思い浮かんだのは下記の事件でした。
・自殺サイト殺人事件(Wikipedia)
事件発覚当時、その内容からかあまり大きく報じられてなかったような気もするので(筆者はこの時期北京に留学中)、事件内容を覚えていない人の方が多いのではないかと思う事件です。内容をごく簡単にまとめると、自殺志願者が集うサイトで当時流行っていた集団自殺を持ち掛け、一緒に自殺するためにやってきた女性、男子中学生、男子大学生を悉く拷問の末に殺害していたという事件です。
犯人の男には拷問癖、というよりは窒息して苦しむ姿に興奮するという性癖があり、誘い出された被害者らは三人とも何度も窒息によって気絶されては無理やり起こされ、再び窒息させられるという行為を繰り返された挙句殺害されており、その過程は写真や動画で撮影されていたそうです。
今回、というより内心では以前からこのブログでも取り上げたいと考えていた事件ですが、何故取り上げたかったのかというといろんな意味で考察の余地が含まれた殺人事件であると思えたからです。ポイントは大きく二つあり、一つは自殺サイトを手段として経由していること、もう一つは窒息マニア且つ白のスクールソックスマニアという特殊な性癖を持つ犯人であることからです。
前者については筆者も学生時代に何故かレポート調査対象としてやけに調べたことがあり、2004年にワンボックスカー&練炭を使った集団自殺が発生してから増えた自殺サイトが、自殺ではなく他殺に用いられたという事実が興味を引きました。意外というよりかは起こるべくして起こったなと思ったのが正直な感想であるとともに、殺人と自殺幇助の線引きについて考えさせられるとともにもちろんこの件は殺人であるが)、今後もこうした殺人への応用が続くのかなと一人でいろいろ考えていました。
そして後者についてですが、前述の通りにこの事件の犯人には他人が窒息して苦しむ姿に興奮するという異常性癖があり、尚且つ白のスクールソックスに対しても異常に関心を持ち、被害者は拷問の過程で白のスクールソックスを無理やり履かされていただけでなく、この事件以前にも犯人は白のスクールソックスを履いた友人の首を絞めるなどして何度も逮捕されています。
これらの犯人の特徴を以って単純に異常者と割り切るのは簡単ですし実際にその通りな異常者なのですが、個人的に私が興味を持ったのは、犯人自身がこの性癖の異常性について自覚しており、尚且つそれでも欲望に抗えなかったという点です。
この点については裁判中に犯人自身が、その問題性を自覚して何度か自殺を試みたものの未遂に終わり、その後欲望を満たすために犯行に及んだと語っています。またどうしてこのような異常性癖を持つに至ったのかという過程についても比較的詳細に語られ、ほぼ確実とみられる因果関係も明らかとなっており(幼少時の父親の折檻と、中学生時代の教育実習生)、あくまで供述に頼るのみではあるものの話として聞いてて筋が通るというのが、他の異常殺人と比べても一線を画しています。
様々な供述から犯人自身は自分の所業について一定の罪悪感を感じているように思われ、現実に事件発覚のきっかけとなった女性に対する殺人以外の二件の殺人については疑われていない段階で犯人自ら自白しており、裁判でも減刑にはつながらないまでも自白が認定されています。しかし公判中も拘置所内で暴行事件を起こすなど際立った暴力性はとどまらず、また自らこの性癖は矯正不可能で復帰の見込みはないことを認め、有言実行とばかりに一審での死刑判決に対して弁護団が行った控訴手続きを自ら取り下げ、一刻も早い死刑執行を望んでいることを示していました(2009年に死刑執行済み)。
繰り返しになりますが、私はこの事件の犯人について自らの異常性を認識し、問題性を自覚しながら幾度となく犯行を繰り返した点が興味深いと思え、異常犯罪における犯人としては非常にレアな存在だったと見ています。その上で不謹慎な言い方ですが、最終的な死刑執行はやむを得ないにしろ、もう少し生かしておいた上で犯罪研究の貴重なサンプルとして研究する価値もあったのではないかと内心では考えています。
現在までの供述によると、今回の座間市の犯人も8月末から何人も殺害してクーラーボックスに保存しておくなどなかなかの異常性を見せています。そしてそんな異常者でありながらあっさりと犯行を認めたということからも、価値の高そうなサンプルだと早くも期待しています。
最後に一応言っておきますが、不謹慎であることは認めつつも研究価値については将来の犯罪研究のためということが第一です。こうした研究から犯罪に走りそうな候補を早めに検出し、また矯正の可能性や手段を探るkとは社会的にも価値があるからこそこういうことを言うのであって、決して野次馬根性で面白がっているわけではありません。
だからこそ同じ自殺サイト、というよりネットを経由したこの自殺サイト殺人事件と、共通点とかどうなのかなという意味で敢えてこうして記事にしてみました。まぁ現時点で言えることとしては、自殺するなら変に誰かと一緒にやろうとすると一方的に殺される可能性があるから、なるべく一人で頑張ってした方がいいってことくらいですが。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2017年10月31日火曜日
2017年10月29日日曜日
スバルの検査不正ニュースの衝撃(テンプラ)
前回に引き続き、スバルの検査不正ニュースについてスバルとは全く関係ないところの話をします。それにしても前回はこの見出しで、朝日新聞記者の自動車に対する無知ぶりを批判するという恐ろしい記事だったなぁ。
結論から言えば、この事件について全く論点の違う意見をいう人が多くみられます。でもってその論点の異なった意見は異なっているだけに間違っているように私には思えます。
・スバルも発覚!! 「無資格者検査問題」の3つの要所(ベストカー)
事件の要点についてはベストカーがよくまとめてくれているので上のリンク先を見てください。簡単に言えば日産とスバルで完成検査員資格を持たない人間が法定の完成検査を行っていたことがばれたことで大きな問題となっているわけですが、この事件についてネット上で反応を見ていると、
「これまでも同じような検査体制で大きな問題は起こっていないじゃないか」
「検査自体はきちんと行われているのだから安全上は問題ない」
↓↓↓
「だからこの問題はそもそも大騒ぎする問題なのか?日産もスバルもいい迷惑だろう」
的な意見がいくつか見られました。論法としては、「安全上は問題ないのだから別にいいじゃん」という感じです。
しかし私の見方は違っており、検査自体がしっかり行われているとか、安全上問題がないかではなく、規定を破っても問題ないとする社内風土にこそ欠陥があるとみています。
言うまでもなくこの完成検査は国の法規定で定められており、実際に日産とスバル以外の他のメーカー(実際怪しいけど)ではきちんと規定に沿って実施されています。しかしこの二社では法規定手順を守らず、またコンプライアンス上問題がないかという確認すらも怠っていたということになる上、日産に至っては問題発覚後も気にせずに無資格者の検査が続行されていたということからも、「法は法だけど面倒なら破ってもしょうがない」という認識が少なくない人間、それこそ工場単位で持たれていたと言っても過言ではないでしょう。
ヒヤリハットの法則ではありませんが、綻びというのはほんの些細な点から大きく広がっていきます。実際、内部統制上の不正事例でも、最初はちょっとしたミスや誤解を犯していながら特に問題とならなかったことからどんどんと大規模化して大きな不正案件となることも少なくありません。検査手続きにおいても同様で、「見逃しても事故が起きないから」という態度が後でどんな問題に発展するのか、そうした抜ける意識を根絶するためにも規定に対しては絶対的に従う必要があると私には思えます。
逆の例と言っては何ですが、昨年に三菱自動車で発覚した燃費不正事件の際にスズキも法規定に沿った検査方法を実施していなかったことが分かりましたが、この件ではスズキは法規定よりもずっと厳しい燃費検査を行っており、法規定の検査方法に合わせたところ前より表示燃費が向上するという恐ろしい結果を叩き出しました。この場合も確かに法令違反っちゃ違反ですが、スズキは法令以上の厳しい検査に自ら臨んでおり、なおかつ国の燃費検査の方が明らかに欠陥や無駄な手間の多いやり方で、スズキの件もあってか検査方法を国も今変えようとしていることから私はこの件でスズキを批判するつもりは全くありません。っていうか凄いぞスズキ!
しかし今回の日産とスバルの件は、安全上問題がないにしろ、明らかに「法令なんて知るか!」と言わんばかりの対応なだけに、もっと批判されてしかるべきだと思います。さらに言えば、法定検査ですらこんな態度であることからこの二社の他の検査も案外どんなものかと、それこそ社内風土的に少し疑っています。
個人的に非常に不思議なのは、完成検査員はメーカー内部での認定資格で、祖に認定基準もメーカーごとによって異なるとのことですが、人手が足りないならばなぜ認定基準の方を変えなかったのかが理解できません。日産に至っては無資格者が有資格者の印鑑を勝手に押印して検査書を出していた事例もあったそうですが、印鑑管理の点でもこの会社は内部統制に問題が多そうです。
結論から言えば、この事件について全く論点の違う意見をいう人が多くみられます。でもってその論点の異なった意見は異なっているだけに間違っているように私には思えます。
・スバルも発覚!! 「無資格者検査問題」の3つの要所(ベストカー)
事件の要点についてはベストカーがよくまとめてくれているので上のリンク先を見てください。簡単に言えば日産とスバルで完成検査員資格を持たない人間が法定の完成検査を行っていたことがばれたことで大きな問題となっているわけですが、この事件についてネット上で反応を見ていると、
「これまでも同じような検査体制で大きな問題は起こっていないじゃないか」
「検査自体はきちんと行われているのだから安全上は問題ない」
↓↓↓
「だからこの問題はそもそも大騒ぎする問題なのか?日産もスバルもいい迷惑だろう」
的な意見がいくつか見られました。論法としては、「安全上は問題ないのだから別にいいじゃん」という感じです。
しかし私の見方は違っており、検査自体がしっかり行われているとか、安全上問題がないかではなく、規定を破っても問題ないとする社内風土にこそ欠陥があるとみています。
言うまでもなくこの完成検査は国の法規定で定められており、実際に日産とスバル以外の他のメーカー(実際怪しいけど)ではきちんと規定に沿って実施されています。しかしこの二社では法規定手順を守らず、またコンプライアンス上問題がないかという確認すらも怠っていたということになる上、日産に至っては問題発覚後も気にせずに無資格者の検査が続行されていたということからも、「法は法だけど面倒なら破ってもしょうがない」という認識が少なくない人間、それこそ工場単位で持たれていたと言っても過言ではないでしょう。
ヒヤリハットの法則ではありませんが、綻びというのはほんの些細な点から大きく広がっていきます。実際、内部統制上の不正事例でも、最初はちょっとしたミスや誤解を犯していながら特に問題とならなかったことからどんどんと大規模化して大きな不正案件となることも少なくありません。検査手続きにおいても同様で、「見逃しても事故が起きないから」という態度が後でどんな問題に発展するのか、そうした抜ける意識を根絶するためにも規定に対しては絶対的に従う必要があると私には思えます。
逆の例と言っては何ですが、昨年に三菱自動車で発覚した燃費不正事件の際にスズキも法規定に沿った検査方法を実施していなかったことが分かりましたが、この件ではスズキは法規定よりもずっと厳しい燃費検査を行っており、法規定の検査方法に合わせたところ前より表示燃費が向上するという恐ろしい結果を叩き出しました。この場合も確かに法令違反っちゃ違反ですが、スズキは法令以上の厳しい検査に自ら臨んでおり、なおかつ国の燃費検査の方が明らかに欠陥や無駄な手間の多いやり方で、スズキの件もあってか検査方法を国も今変えようとしていることから私はこの件でスズキを批判するつもりは全くありません。っていうか凄いぞスズキ!
しかし今回の日産とスバルの件は、安全上問題がないにしろ、明らかに「法令なんて知るか!」と言わんばかりの対応なだけに、もっと批判されてしかるべきだと思います。さらに言えば、法定検査ですらこんな態度であることからこの二社の他の検査も案外どんなものかと、それこそ社内風土的に少し疑っています。
個人的に非常に不思議なのは、完成検査員はメーカー内部での認定資格で、祖に認定基準もメーカーごとによって異なるとのことですが、人手が足りないならばなぜ認定基準の方を変えなかったのかが理解できません。日産に至っては無資格者が有資格者の印鑑を勝手に押印して検査書を出していた事例もあったそうですが、印鑑管理の点でもこの会社は内部統制に問題が多そうです。
2017年10月27日金曜日
スバルの検査不正ニュースの衝撃(仮)
・スバルも無資格検査 日産不正受け社内調査 群馬製作所(朝日新聞)
今朝上記リンク先のニュース記事を見て大きな衝撃を受けました。具体的に言うと、「えっ、インプレッサが小型車だって(;・∀・)ハッ?」ってな感じで。
問題の箇所は末尾から二番目の段落にある「小型車の『インプレッサ』や、スポーツ用多目的車(SUV)の『XV』などを生産する主力工場だ。」という記述です。結論から言えばこれは明確な記述ミスです。あらゆる角度からクロを白くする作業で分析を試みましたがどの角度からも角が立つ書き方で、自分以外に突っ込む人おらんのかいなとという点でもなんかいろいろと複雑になりました。
車種について知っている人には早いですが、「インプレッサ」というのはスバルの主力車種であり近年の同社の躍進を支えている、主に米国市場で販売が伸びているベストセラー車です。タイプ(車型)としてはセダンとハッチバックの二種類がありますが、まぁ国内市場と表向きイメージを考えるならば「セダン」と言い切ってもアリだと思います。そもそも「ハッチバック」という言葉自体が最近自動車業界でも使われなくなりつつあるし。
それでこの車ですが、はっきり言ってかなりでかいです。特に最近のモデルチェンジではメイン市場の米国に合わせてどんどん大型化しており、以前はともかく最近は一応の姉妹車種であるレガシィとも区別つかなくなるくらい巨大化しており、他の同じクラスのセダンと比べても大き目なサイズです。
セダンとしてむしろでかい方にもかかわらず何故朝日はインプを「小型車」と書いたのか。恐らくナンバーによる区分こと車幅区分で小型車と書いてしまったのだと思います。
・乗用車(Wikipedia)
上記のWiki(今年は2000円寄付したから気兼ねなくリンク貼れる)の記事中でも開設されていますが日本の乗用車区分では、
・全長:4,700mm以内
・全幅:1,700mm以内
・全高:2,000mm以内
・総排気量:2,000cc以内
以上の条件にすべて収まれば「小型車」に分類され、逆にこの条件を上回りトラックなどの条件に合致しなれば「普通車」として区分されます。この区別はナンバープレートを見ればわかり、小型車の場合は一番上にある3桁の分類番号が「5」から、普通車は「3」から始まることからそれぞれ「5ナンバー」、「3ナンバー」と言って区別されています。
この区別はかつてでこそ税金面で小型車(5ナンバー)が有利であったことから自動車メーカーも一番条件に引っ掛かりやすい全幅を敢えて1,700mm以下に抑えていましたが、昨今は制度も変わり必ずしも小型車が税制面で有利となるわけでなくなったことから(排気量のが重要)、プリウスなど一部車種ではモデルチェンジに合わせて5ナンバーから3ナンバーに移行する例があります。
こうしたことから、恐らく一般的には「小型車」か「普通車」かで自動車を区別したりすることはあまりないと思いますし、ましてやニュース記事でわざわざこの基準で区分をすることに意味は全くと言っていいほどありません。それこそこの基準で区分するとしたら、インプだけでなくフィットやデミオなど他の一般的な大衆車も「小型車の~」という枕詞になるし、軽自動車も「小型車のミライース」という風に書くこととなるわけで、こんな書き方だと違和感ありまくりな上に読者が変な誤解をする恐れすらあります。
その上、前述の通りにインプは車型としてはセダンに属し、なおかつ同クラスででかい方の部類に入ります。それこそ「フィット」などが属すコンパクトカーという車型なら「(車型としての)小型車」という表現が使えないこともありませんが、インプを小型車と呼ぶにはどうしても上のナンバーによる区分でしか説明することができません。
仮にインプだけの引用であれば「小型車のインプレッサ」と書くことも、はっきり言って非常に不自然ですがギリギリ認められます。しかし今回の朝日の記事ではその後で、「SUVの『XV』」とも書いています。インプに対してはナンバーによる区分で「小型車」と書いているくせに、その直後にXVに対しては車型としての区分表現である「SUV」という表現を使っており、前と後ろで基準が異なっています。もしナンバーによる区分基準で統一するならXVに対しては「普通車の」と書かなければなりませんが、「普通車のXV」ってまぁ見ていてほんと不自然な書き方です。
これは私の推測ですが、恐らくこの記事書いた朝日の記者はそもそもインプレッサがどんな車か全く知らず、とりあえずネットで検索かなんかして他紙の記事で「小型車のインプレッサ」と書いてあるのを見つけてそのままコピペしたんだと思います。私もこの辺実際に見ていますが、記者というのは表現について、自分の感性等よりも同業他社がどう書いているかを参考にし、それをそのまま全く疑わず鵜呑みにする傾向が強いです。
実際私も検索したところ、産経とか東洋経済も全く同じく「小型車のインプレッサ」と書いています。まぁまだこちらは「SUVのXV」とは書いていないから通ることは通るけど、書いてて違和感感じないのかなこの人ら。
ややきつい言い方をすると、冒頭の記事を書いた朝日の記者、並びにそれを通した編集は自動車について多分全くわかってない人なのではと思います。そんな人間が自動車業界のニュース書いてどうするんだと、見ているこっちが不安になってきますし、出稿前に「基準バラバラじゃねぇか」とどうして誰も気づかないのか不思議で仕方ありません。
そもそも件のインプレッサはトヨタのクラウンとカローラ、日産のスカイライン、ホンダのシビックなどに続くくらい長期に渡り生産、販売されているスバルの看板車種で、こと4WDの性能に関しては上位車種に当たる「WRX」は恐らく世界最高クラスな車です。知人に至っては、戦場を選ばない取り回しやすさと総合的なポテンシャルから、「GTRよりWRXのが速い」とまで言うくらいだし。
そんなある種過剰性能気味な、多少車に興味ある人だったら誰もが知っていてもおかしくないくらいの知名度を持つ車種だと私には思え、そのインプレッサに対し「小型車」と平気で書いてしまう不作法は見上げたものです。それこそスズキの「キザシ」とか、ダイハツの「アルティス」くらいにマイナー激レア車種だったら多少書き間違えても私もしょうがないかなと思えるのですが。
……ここまで長く書いておきながらなんですが一応念のためにインプの諸元表を確認してみたところ、現行のインプの全幅は1,775mmあり、ナンバー基準であっても小型車には分類されないことが分かりました。っていうか3代目(現行は5代目)インプの時点で1,700mm超えており、これだとナンバー分類上は「普通車」であり、どっからどう攻めてもインプは「小型車」にならないことに気づきました。
だとすると最初の朝日の記述は完全にNGだし、産経や東洋経済の記者もいろいろと怪しいってことになります。ほんま日本の経済記者大丈夫か?普通に「セダンのインプレッサ」と書けばいいだけだってのに。
おまけ
ダイハツの「アルティス」とは、トヨタの「カムリ」がダイハツ向けにOEM販売されている車種です。しかし、そもそもOEM元のカムリ自体が日本国内じゃ全く売れずに知名度、人気がない激レアな車種であり、OEMでダイハツに出されている事実自体が車好きであっても多分ほとんど知られていないという超激レア車です。っていうか日本でカムリをOEMで出す必要あるのか、それならマークXとかの方がよかったのではと思うくらい誰得なOEM取引です。
しかし、珍しいもの好きな私としては逆にこのアルティス乗ったら面白そうかもと思い、一時期熱心にカタログとか眺めていたことがありました。それこそティターンズのパイロットなのにエゥーゴのディジェに乗っているような感覚味わえるかなとか妄想していて、もし日本帰って車購入する機会あれば多分また真剣に検討すると思います。
今朝上記リンク先のニュース記事を見て大きな衝撃を受けました。具体的に言うと、「えっ、インプレッサが小型車だって(;・∀・)ハッ?」ってな感じで。
問題の箇所は末尾から二番目の段落にある「小型車の『インプレッサ』や、スポーツ用多目的車(SUV)の『XV』などを生産する主力工場だ。」という記述です。結論から言えばこれは明確な記述ミスです。あらゆる角度からクロを白くする作業で分析を試みましたがどの角度からも角が立つ書き方で、自分以外に突っ込む人おらんのかいなとという点でもなんかいろいろと複雑になりました。
車種について知っている人には早いですが、「インプレッサ」というのはスバルの主力車種であり近年の同社の躍進を支えている、主に米国市場で販売が伸びているベストセラー車です。タイプ(車型)としてはセダンとハッチバックの二種類がありますが、まぁ国内市場と表向きイメージを考えるならば「セダン」と言い切ってもアリだと思います。そもそも「ハッチバック」という言葉自体が最近自動車業界でも使われなくなりつつあるし。
それでこの車ですが、はっきり言ってかなりでかいです。特に最近のモデルチェンジではメイン市場の米国に合わせてどんどん大型化しており、以前はともかく最近は一応の姉妹車種であるレガシィとも区別つかなくなるくらい巨大化しており、他の同じクラスのセダンと比べても大き目なサイズです。
セダンとしてむしろでかい方にもかかわらず何故朝日はインプを「小型車」と書いたのか。恐らくナンバーによる区分こと車幅区分で小型車と書いてしまったのだと思います。
・乗用車(Wikipedia)
上記のWiki(今年は2000円寄付したから気兼ねなくリンク貼れる)の記事中でも開設されていますが日本の乗用車区分では、
・全長:4,700mm以内
・全幅:1,700mm以内
・全高:2,000mm以内
・総排気量:2,000cc以内
以上の条件にすべて収まれば「小型車」に分類され、逆にこの条件を上回りトラックなどの条件に合致しなれば「普通車」として区分されます。この区別はナンバープレートを見ればわかり、小型車の場合は一番上にある3桁の分類番号が「5」から、普通車は「3」から始まることからそれぞれ「5ナンバー」、「3ナンバー」と言って区別されています。
この区別はかつてでこそ税金面で小型車(5ナンバー)が有利であったことから自動車メーカーも一番条件に引っ掛かりやすい全幅を敢えて1,700mm以下に抑えていましたが、昨今は制度も変わり必ずしも小型車が税制面で有利となるわけでなくなったことから(排気量のが重要)、プリウスなど一部車種ではモデルチェンジに合わせて5ナンバーから3ナンバーに移行する例があります。
こうしたことから、恐らく一般的には「小型車」か「普通車」かで自動車を区別したりすることはあまりないと思いますし、ましてやニュース記事でわざわざこの基準で区分をすることに意味は全くと言っていいほどありません。それこそこの基準で区分するとしたら、インプだけでなくフィットやデミオなど他の一般的な大衆車も「小型車の~」という枕詞になるし、軽自動車も「小型車のミライース」という風に書くこととなるわけで、こんな書き方だと違和感ありまくりな上に読者が変な誤解をする恐れすらあります。
その上、前述の通りにインプは車型としてはセダンに属し、なおかつ同クラスででかい方の部類に入ります。それこそ「フィット」などが属すコンパクトカーという車型なら「(車型としての)小型車」という表現が使えないこともありませんが、インプを小型車と呼ぶにはどうしても上のナンバーによる区分でしか説明することができません。
仮にインプだけの引用であれば「小型車のインプレッサ」と書くことも、はっきり言って非常に不自然ですがギリギリ認められます。しかし今回の朝日の記事ではその後で、「SUVの『XV』」とも書いています。インプに対してはナンバーによる区分で「小型車」と書いているくせに、その直後にXVに対しては車型としての区分表現である「SUV」という表現を使っており、前と後ろで基準が異なっています。もしナンバーによる区分基準で統一するならXVに対しては「普通車の」と書かなければなりませんが、「普通車のXV」ってまぁ見ていてほんと不自然な書き方です。
これは私の推測ですが、恐らくこの記事書いた朝日の記者はそもそもインプレッサがどんな車か全く知らず、とりあえずネットで検索かなんかして他紙の記事で「小型車のインプレッサ」と書いてあるのを見つけてそのままコピペしたんだと思います。私もこの辺実際に見ていますが、記者というのは表現について、自分の感性等よりも同業他社がどう書いているかを参考にし、それをそのまま全く疑わず鵜呑みにする傾向が強いです。
実際私も検索したところ、産経とか東洋経済も全く同じく「小型車のインプレッサ」と書いています。まぁまだこちらは「SUVのXV」とは書いていないから通ることは通るけど、書いてて違和感感じないのかなこの人ら。
ややきつい言い方をすると、冒頭の記事を書いた朝日の記者、並びにそれを通した編集は自動車について多分全くわかってない人なのではと思います。そんな人間が自動車業界のニュース書いてどうするんだと、見ているこっちが不安になってきますし、出稿前に「基準バラバラじゃねぇか」とどうして誰も気づかないのか不思議で仕方ありません。
そもそも件のインプレッサはトヨタのクラウンとカローラ、日産のスカイライン、ホンダのシビックなどに続くくらい長期に渡り生産、販売されているスバルの看板車種で、こと4WDの性能に関しては上位車種に当たる「WRX」は恐らく世界最高クラスな車です。知人に至っては、戦場を選ばない取り回しやすさと総合的なポテンシャルから、「GTRよりWRXのが速い」とまで言うくらいだし。
そんなある種過剰性能気味な、多少車に興味ある人だったら誰もが知っていてもおかしくないくらいの知名度を持つ車種だと私には思え、そのインプレッサに対し「小型車」と平気で書いてしまう不作法は見上げたものです。それこそスズキの「キザシ」とか、ダイハツの「アルティス」くらいにマイナー激レア車種だったら多少書き間違えても私もしょうがないかなと思えるのですが。
……ここまで長く書いておきながらなんですが一応念のためにインプの諸元表を確認してみたところ、現行のインプの全幅は1,775mmあり、ナンバー基準であっても小型車には分類されないことが分かりました。っていうか3代目(現行は5代目)インプの時点で1,700mm超えており、これだとナンバー分類上は「普通車」であり、どっからどう攻めてもインプは「小型車」にならないことに気づきました。
だとすると最初の朝日の記述は完全にNGだし、産経や東洋経済の記者もいろいろと怪しいってことになります。ほんま日本の経済記者大丈夫か?普通に「セダンのインプレッサ」と書けばいいだけだってのに。
おまけ
ダイハツの「アルティス」とは、トヨタの「カムリ」がダイハツ向けにOEM販売されている車種です。しかし、そもそもOEM元のカムリ自体が日本国内じゃ全く売れずに知名度、人気がない激レアな車種であり、OEMでダイハツに出されている事実自体が車好きであっても多分ほとんど知られていないという超激レア車です。っていうか日本でカムリをOEMで出す必要あるのか、それならマークXとかの方がよかったのではと思うくらい誰得なOEM取引です。
しかし、珍しいもの好きな私としては逆にこのアルティス乗ったら面白そうかもと思い、一時期熱心にカタログとか眺めていたことがありました。それこそティターンズのパイロットなのにエゥーゴのディジェに乗っているような感覚味わえるかなとか妄想していて、もし日本帰って車購入する機会あれば多分また真剣に検討すると思います。
2017年10月25日水曜日
怪しいからこそよく売れる
今日ふと尾上縫とかどうしてんだろうと思ってネットで調べてみたら、3年くらい前に死んでいたそうです。
・尾上縫(Wikipedia)
多分私と同年代でこの人知っている人は知らないでしょうから簡単に説明すると、尾上縫というのはバブル期に世間を騒がせたいわゆる詐欺師です。具体的にどんな詐欺したのかというと金融機関からの不正融資引き出しなのですが、その経過というのが時代を反映していて個人的には面白く、私も名前まで覚えてしまいました。
元々は料亭の女将だったのですが株や競馬の予想が悉く当たると評判になったことから次第に占いが本業となっていき、一時期は大手証券会社や銀行の社員がこぞって通い、「当たるぞよ~」とか「今は待つぞよ~」など怪しさ満点のお告げを繰り返しては来場者から尊敬のまなざしとともに平伏されていたそうです。
しかし資産運用がうまかったというよりかは時代が良かっただけで、自ら運用していた株はバブル崩壊とともにどんどんと焦げ付き始め、Wikiの記述を引用すると、「89年の延べ累計額では借入が1兆1975億円、返済が6821億円で、270億円の利息を支払った。」とのことで、この年の運用損益は実質約-50%という状態でした。
それにしても上記の金額を見ていると、いくらバブル期とは言え個人で数千億の融資を得た上で運用できたとはアホな時代だなと思えてなりません。まぁそんなあほな時代を経たから今審査とか厳しくなったのでしょうが。
こうした有様はもちろん表向きは隠していたものの金融機関もだんだんと怪しみ、融資に慎重となっていきます。そこで尾上縫は懇意の金融機関関係者と組んで架空の預金証書を作り、これを担保とすることで新規融資を引き出すという詐欺を繰り返しながらどんどんと焦げ付かせていき、ある日ガツンとばれて牢屋に入ったわけです。なおその後留置場で自己破産手続きを取り、負債総額は4300億円と個人としては当時の史上最高額を叩き出したそうです。
そんな尾上縫ですが今年包装されたテレビ番組の調査で2014年頃に亡くなっていたことが確認されたそうです。まぁなんていうか、悪い奴は結構しぶとく生きるなって感じです。
個人的にこの事件で面白いと思うのは、変なガマの像に向かって祈ったりするなど怪しさ満点なおばさん相手に、高学歴の証券マンとかがこぞって通って平伏していたという事実です。しかも彼らがお告げと聞いていた内容はおばさんの場当たり的予想にしか過ぎず、実態から根拠、背景に至るまで何一つ合理的なものがなく滑稽窮まりません。
しかし逆に言うならば、怪しいからこそみんな信じたのかなとも思うわけです。
古い話を出すと、原爆投下直後の広島では人骨の粉末がケロイドなどに効くというデマが流れて実践する人も多かったそうです。もちろん人間の骨にやけどを治すような効果はなく、これ以前に同じような意見が提唱されたわけではないのですが、パニックもあったとはいえ何故かその時の現場では信じられたそうです。
こうした例に限らず、一見すると怪しさ極まりないものの、時と条件とかが合ってしまうと何故か根拠なく信じられたり、商品も売れたりする傾向がある気がします。いわゆる疑似科学などはこの典型で、効能などの宣伝とかマーケティングとかではなく怪しいからこそ売れるんじゃないかとひそかに見ています。
このように考えると商品やサービスに対して、いくらかの怪しさを付け加えたり意図的に醸し出したりすることはマーケティング上でも有用なのではないかとも思えてきます。それこそいかにも素人っぽい芸人に、「これ効くよ、ほんとほんと、お願いだから信じて!」みたいに訴えさせたりとか。誰かこういう「怪しさマーケティング」について専門的に研究してくれないかな。
なお最近でこういった怪しさ満点な商品とくれば、露骨な疑似科学商品ですが「水素水」でしょう。ただ私としてはちょっとこのネーミングはシンプル過ぎるような気もして、もっと仰々しい名前の方が売れたような気がします。
敢えて私が売り出すとしたらそれこそ、「超水素水」、「伝説巨神水素水」、「ハイメガ水素水」などともっと凝った名前にしていたことでしょう。
・尾上縫(Wikipedia)
多分私と同年代でこの人知っている人は知らないでしょうから簡単に説明すると、尾上縫というのはバブル期に世間を騒がせたいわゆる詐欺師です。具体的にどんな詐欺したのかというと金融機関からの不正融資引き出しなのですが、その経過というのが時代を反映していて個人的には面白く、私も名前まで覚えてしまいました。
元々は料亭の女将だったのですが株や競馬の予想が悉く当たると評判になったことから次第に占いが本業となっていき、一時期は大手証券会社や銀行の社員がこぞって通い、「当たるぞよ~」とか「今は待つぞよ~」など怪しさ満点のお告げを繰り返しては来場者から尊敬のまなざしとともに平伏されていたそうです。
しかし資産運用がうまかったというよりかは時代が良かっただけで、自ら運用していた株はバブル崩壊とともにどんどんと焦げ付き始め、Wikiの記述を引用すると、「89年の延べ累計額では借入が1兆1975億円、返済が6821億円で、270億円の利息を支払った。」とのことで、この年の運用損益は実質約-50%という状態でした。
それにしても上記の金額を見ていると、いくらバブル期とは言え個人で数千億の融資を得た上で運用できたとはアホな時代だなと思えてなりません。まぁそんなあほな時代を経たから今審査とか厳しくなったのでしょうが。
こうした有様はもちろん表向きは隠していたものの金融機関もだんだんと怪しみ、融資に慎重となっていきます。そこで尾上縫は懇意の金融機関関係者と組んで架空の預金証書を作り、これを担保とすることで新規融資を引き出すという詐欺を繰り返しながらどんどんと焦げ付かせていき、ある日ガツンとばれて牢屋に入ったわけです。なおその後留置場で自己破産手続きを取り、負債総額は4300億円と個人としては当時の史上最高額を叩き出したそうです。
そんな尾上縫ですが今年包装されたテレビ番組の調査で2014年頃に亡くなっていたことが確認されたそうです。まぁなんていうか、悪い奴は結構しぶとく生きるなって感じです。
個人的にこの事件で面白いと思うのは、変なガマの像に向かって祈ったりするなど怪しさ満点なおばさん相手に、高学歴の証券マンとかがこぞって通って平伏していたという事実です。しかも彼らがお告げと聞いていた内容はおばさんの場当たり的予想にしか過ぎず、実態から根拠、背景に至るまで何一つ合理的なものがなく滑稽窮まりません。
しかし逆に言うならば、怪しいからこそみんな信じたのかなとも思うわけです。
古い話を出すと、原爆投下直後の広島では人骨の粉末がケロイドなどに効くというデマが流れて実践する人も多かったそうです。もちろん人間の骨にやけどを治すような効果はなく、これ以前に同じような意見が提唱されたわけではないのですが、パニックもあったとはいえ何故かその時の現場では信じられたそうです。
こうした例に限らず、一見すると怪しさ極まりないものの、時と条件とかが合ってしまうと何故か根拠なく信じられたり、商品も売れたりする傾向がある気がします。いわゆる疑似科学などはこの典型で、効能などの宣伝とかマーケティングとかではなく怪しいからこそ売れるんじゃないかとひそかに見ています。
このように考えると商品やサービスに対して、いくらかの怪しさを付け加えたり意図的に醸し出したりすることはマーケティング上でも有用なのではないかとも思えてきます。それこそいかにも素人っぽい芸人に、「これ効くよ、ほんとほんと、お願いだから信じて!」みたいに訴えさせたりとか。誰かこういう「怪しさマーケティング」について専門的に研究してくれないかな。
なお最近でこういった怪しさ満点な商品とくれば、露骨な疑似科学商品ですが「水素水」でしょう。ただ私としてはちょっとこのネーミングはシンプル過ぎるような気もして、もっと仰々しい名前の方が売れたような気がします。
敢えて私が売り出すとしたらそれこそ、「超水素水」、「伝説巨神水素水」、「ハイメガ水素水」などともっと凝った名前にしていたことでしょう。
2017年10月24日火曜日
堕ちなければわからない
今の職場でも真冬にコートを一切着ない男として有名なため気温が下がるにつれて周りから、「今年もコート着ないの?」と聞かれることが増えてきました。もちろん着ません。
多分体の放熱量が他の人と比べても異常に高いからでしょうが私自身も夏より真冬の方が好きなだけあって基本が低い方が動きやすく、今現在も窓開けっぱなしですが非常に涼しく気分がいいです。なので好きなことをそのまま書きます。
結論から言えば、堕ちるところまで堕ちなければわからないでしょう。そしてそれは2020年の東京五輪後を待たなければならず、その後でも果たして現実を直視できるのか私には疑問です。
かつてNHKから取材を受けたときにこのブログでは様々な政策提言をしていて日本を盛り上げたいというような意識が見られると向こうの記者に指摘されましたが、決して間違いではないものの果たしてそれでいいのかという疑問はもう何年も持ち続けています。というのも下手な延命策を取るよりいっそ激しく叩き潰した方がこの際目が覚めるのではと思うことが多く、外科手術的には思い切って切断した方が本体にはいいのような具合です。
決して最近になってからというわけではありませんが、やはりこうしていろいろ記事書いたり各種の意見を聞いてたりすると、明らかに現実を無視したというか意図的に視線をそらした意見や主張が見受けられます。一人二人ならともかく割と多いし、またメディアもかねがね言っているように海外報道に関しては正直なめているところもあって、壊滅的です。
ならばこそ、敢えて叩き潰す側に回って一刻も早く叩き潰した方が、犠牲者というか犠牲になる年代は少なくて済むのではないか。この疑問は何年にもわたり持ち続けていますし、ハゲタカのモデルとなった米ファンドで活動していた人の言葉も間違いじゃなかったなと思えてきます。
自分の経験から言っても、理論的にいくら言っても理解できないという事柄は確実に存在し、失敗を経ないと絶対にわからないっていう者も少なくありません。だからこそ、というより実際に多くの人が体験してみないとわからないと思うこともあるだけに、もうこの際かなと言いたいわけです。
もっとも自分の完全に独立して生きているわけじゃないのでえらそうなこと言える立場ではありませんが、今後の時代について悲観するよりかはどこまで落ちてどんな風な混乱が起きるのかと観察めいた視線で楽しんでみる方がお得ではある気がします。
多分体の放熱量が他の人と比べても異常に高いからでしょうが私自身も夏より真冬の方が好きなだけあって基本が低い方が動きやすく、今現在も窓開けっぱなしですが非常に涼しく気分がいいです。なので好きなことをそのまま書きます。
結論から言えば、堕ちるところまで堕ちなければわからないでしょう。そしてそれは2020年の東京五輪後を待たなければならず、その後でも果たして現実を直視できるのか私には疑問です。
かつてNHKから取材を受けたときにこのブログでは様々な政策提言をしていて日本を盛り上げたいというような意識が見られると向こうの記者に指摘されましたが、決して間違いではないものの果たしてそれでいいのかという疑問はもう何年も持ち続けています。というのも下手な延命策を取るよりいっそ激しく叩き潰した方がこの際目が覚めるのではと思うことが多く、外科手術的には思い切って切断した方が本体にはいいのような具合です。
決して最近になってからというわけではありませんが、やはりこうしていろいろ記事書いたり各種の意見を聞いてたりすると、明らかに現実を無視したというか意図的に視線をそらした意見や主張が見受けられます。一人二人ならともかく割と多いし、またメディアもかねがね言っているように海外報道に関しては正直なめているところもあって、壊滅的です。
ならばこそ、敢えて叩き潰す側に回って一刻も早く叩き潰した方が、犠牲者というか犠牲になる年代は少なくて済むのではないか。この疑問は何年にもわたり持ち続けていますし、ハゲタカのモデルとなった米ファンドで活動していた人の言葉も間違いじゃなかったなと思えてきます。
自分の経験から言っても、理論的にいくら言っても理解できないという事柄は確実に存在し、失敗を経ないと絶対にわからないっていう者も少なくありません。だからこそ、というより実際に多くの人が体験してみないとわからないと思うこともあるだけに、もうこの際かなと言いたいわけです。
もっとも自分の完全に独立して生きているわけじゃないのでえらそうなこと言える立場ではありませんが、今後の時代について悲観するよりかはどこまで落ちてどんな風な混乱が起きるのかと観察めいた視線で楽しんでみる方がお得ではある気がします。
2017年10月23日月曜日
ゲームレビュー「ダンジョントラベラーズ2」
Youtubeの動画開いた際にあべりょうの歌の広告が流れるのがただただ不快です。
・ダンジョントラベラーズ2 王立図書館とマモノの封印(アクアプラス)
大分前ですが面白いと評判だったので上記の「ダンジョントラベラーズ2」というゲームを購入していてつい最近にやり始めてみました。このゲームは美少女ゲーム大手のアクアプラスが、開発にスティングという会社を迎えて作ったゲームで、ジャンルとしては3DダンジョンRPGに入ります。タイトルには「2」と入っていますが前作は美少女ゲームの「To Heart2」というゲームのスピンオフゲームで、ゲームのジャンルや骨格こそ同じであるもののストーリーや世界観間でつながりはないと聞いていたので、前作をやらずにこちらから購入しました。
やってみた感想はというと、面白くないというわけではないものの全体として作りが異常にチープです。正直、10年くらい前に作られたゲームかと疑うようなチープさです。
ゲーム全体としては3DダンジョンRPGなだけに3Dダンジョンを探索しながら魔物を倒していくというオーソドックスな内容なのですが、全体的に敵キャラが強いものの、レベル上げたら割と楽勝になってしまうほどゲームバランスがやや偏っています。またそのゲームバランスに影響を与える装備品についても、恐らく個別にパラメーターを設定するのが面倒だったのか知りませんが、基本的に出てくるアイテムは非常に限られており、それを「+10」などと数字を足すことで区別しています。
具体的に例を挙げると、「ショートソード」の元々の攻撃力が12だとすると、「ショートソード+10」の攻撃力は22になります。こんな感じで、ゲームを進めるごとに+の後の数値は段々と上がっていくわけですが、逆を言えば後半に至っても「ショートソード」という名称の武器が延々と使われ続けており、なんていうか名称で萎えます。ほかも「ロングソード」、「スタッフ」、「ハンドアクス」などしかなく、これらが前半から後半にかけてプラス値が変わるだけでずっと使い続けなきゃいけないし。
ただ、この辺はダンジョンRPGの特性上ということでまだ妥協できますし、ほかの同じジャンルのゲームでも見受けられる措置です。それ以上に自分がやっててチープさを感じたのは、戦闘での演出です。
戦闘画面は基本的に画像が動くことがなく、攻撃時も斬撃が「ザシュッ」的に横に流れるような演出しかなく、「邪聖剣ネクロマンサー」(1988年)の頃と何も違いがありません。ドラクエとかならそれがもはや伝統なので特に問題ではありませんが、このダンジョントラベラーズはどちらかというとキャラのビジュアルを売りにしているゲームなだけに、特定の攻撃に際してはキャラのカットインを入れるなどできなかったのかと思えてなりません。しかもそのキャラビジュアルも、特定イベントCGを除くと基本立ち絵しかないし。
そしてなんといっても自分が気になったのはBGMです。もうびっくりするくらいチープで、素人の自分ですら安い音源を使っているのが聞いててわかります。音源が安いなら安いでメロディーで挽回するのかと思いきや、これまた全然シーンに合っていないしょうもない曲ばかりで、折角スティングにはいいコンポーザーいるのになんでこんなダサい曲使うんだろうと深刻に不思議だと感じる水準です。
ついでにと言っては何ですが、ストーリーも見ていて非常にアレです。美少女ゲームメーカーなんだから王立メイド隊とか騎士団なのに女性キャラしかいないとかはこの際目をつぶるとしても、突然性格が豹変した主人公の上司は一目見て、「ああ、魔人が乗り移ったんだな」と、すぐわかるくらい展開が読めます。しかもそんな豹変した上司を見て主人公らは訝しみこそするものの本格的に怪しいとは思わず、プレイしていて「おいおい」と突っ込みたくなること請け合いです。ダンジョンも次から次に提示されるものをただ回るだけだし、主人公もギャルゲーによくありがちな典型的なくらい個性のないキャラだし、挙句に主人公以外の男性キャラはほぼ皆無という、いくら美少女ゲームメーカーとはいえこれはどうかなと思う世界観です。
いいところとしては各キャラごとにスキルを自由に設定できて、組み合わせによっては無能になったり、戦闘が楽になったりと大分変ってくるので工夫のし甲斐があるところです。これを除けばレアアイテム探索もないし、基本一本道のシナリオなので、言っちゃ悪いですがあまり出来がいい作品とは思えません。
ただこのように私が思うのも、同じ3DダンジョンRPGというジャンルで先に日本一ソフトウェアの「ルフランの地下迷宮と魔女の旅団」というゲームを遊んでいたということが大きいかもしれません。はっきり言ってこちらは近年稀にみる名作もいいところで、戦闘システムからBGM、演出、そしてプレイ中に何度も唖然とするような先の読めない展開が続くストーリーはすべて一級品でした。特に最終盤、ストーリー冒頭で聞いた声の主がその姿を現した際は真面目に手が震えるほどの衝撃ぶりでした。
またBGMも非常に印象に残る者ばかりで、今でもたまにYoutubeで聞くくらい優れています。特に某ダンジョンのBGMは耳からしばらく離れなかったし。
このルフランと比べるとダンジョントラベラーズ2はいかにも安っぽく作られているようにしか見えず、キャラゲーなのにキャラもルフランほど立っておらず、強いて言えば声優の赤崎千夏氏の演技が悪くないかなかと思っていたら、赤崎氏はルフランにも出演していました。もう何もいいところないじゃんかこれ。
でも真面目に、3DダンジョンRPGをPSVitaで遊ぼうっていうんなら、絶対的にルフランの方がおすすめです。
・ダンジョントラベラーズ2 王立図書館とマモノの封印(アクアプラス)
大分前ですが面白いと評判だったので上記の「ダンジョントラベラーズ2」というゲームを購入していてつい最近にやり始めてみました。このゲームは美少女ゲーム大手のアクアプラスが、開発にスティングという会社を迎えて作ったゲームで、ジャンルとしては3DダンジョンRPGに入ります。タイトルには「2」と入っていますが前作は美少女ゲームの「To Heart2」というゲームのスピンオフゲームで、ゲームのジャンルや骨格こそ同じであるもののストーリーや世界観間でつながりはないと聞いていたので、前作をやらずにこちらから購入しました。
やってみた感想はというと、面白くないというわけではないものの全体として作りが異常にチープです。正直、10年くらい前に作られたゲームかと疑うようなチープさです。
ゲーム全体としては3DダンジョンRPGなだけに3Dダンジョンを探索しながら魔物を倒していくというオーソドックスな内容なのですが、全体的に敵キャラが強いものの、レベル上げたら割と楽勝になってしまうほどゲームバランスがやや偏っています。またそのゲームバランスに影響を与える装備品についても、恐らく個別にパラメーターを設定するのが面倒だったのか知りませんが、基本的に出てくるアイテムは非常に限られており、それを「+10」などと数字を足すことで区別しています。
具体的に例を挙げると、「ショートソード」の元々の攻撃力が12だとすると、「ショートソード+10」の攻撃力は22になります。こんな感じで、ゲームを進めるごとに+の後の数値は段々と上がっていくわけですが、逆を言えば後半に至っても「ショートソード」という名称の武器が延々と使われ続けており、なんていうか名称で萎えます。ほかも「ロングソード」、「スタッフ」、「ハンドアクス」などしかなく、これらが前半から後半にかけてプラス値が変わるだけでずっと使い続けなきゃいけないし。
ただ、この辺はダンジョンRPGの特性上ということでまだ妥協できますし、ほかの同じジャンルのゲームでも見受けられる措置です。それ以上に自分がやっててチープさを感じたのは、戦闘での演出です。
戦闘画面は基本的に画像が動くことがなく、攻撃時も斬撃が「ザシュッ」的に横に流れるような演出しかなく、「邪聖剣ネクロマンサー」(1988年)の頃と何も違いがありません。ドラクエとかならそれがもはや伝統なので特に問題ではありませんが、このダンジョントラベラーズはどちらかというとキャラのビジュアルを売りにしているゲームなだけに、特定の攻撃に際してはキャラのカットインを入れるなどできなかったのかと思えてなりません。しかもそのキャラビジュアルも、特定イベントCGを除くと基本立ち絵しかないし。
そしてなんといっても自分が気になったのはBGMです。もうびっくりするくらいチープで、素人の自分ですら安い音源を使っているのが聞いててわかります。音源が安いなら安いでメロディーで挽回するのかと思いきや、これまた全然シーンに合っていないしょうもない曲ばかりで、折角スティングにはいいコンポーザーいるのになんでこんなダサい曲使うんだろうと深刻に不思議だと感じる水準です。
ついでにと言っては何ですが、ストーリーも見ていて非常にアレです。美少女ゲームメーカーなんだから王立メイド隊とか騎士団なのに女性キャラしかいないとかはこの際目をつぶるとしても、突然性格が豹変した主人公の上司は一目見て、「ああ、魔人が乗り移ったんだな」と、すぐわかるくらい展開が読めます。しかもそんな豹変した上司を見て主人公らは訝しみこそするものの本格的に怪しいとは思わず、プレイしていて「おいおい」と突っ込みたくなること請け合いです。ダンジョンも次から次に提示されるものをただ回るだけだし、主人公もギャルゲーによくありがちな典型的なくらい個性のないキャラだし、挙句に主人公以外の男性キャラはほぼ皆無という、いくら美少女ゲームメーカーとはいえこれはどうかなと思う世界観です。
いいところとしては各キャラごとにスキルを自由に設定できて、組み合わせによっては無能になったり、戦闘が楽になったりと大分変ってくるので工夫のし甲斐があるところです。これを除けばレアアイテム探索もないし、基本一本道のシナリオなので、言っちゃ悪いですがあまり出来がいい作品とは思えません。
ただこのように私が思うのも、同じ3DダンジョンRPGというジャンルで先に日本一ソフトウェアの「ルフランの地下迷宮と魔女の旅団」というゲームを遊んでいたということが大きいかもしれません。はっきり言ってこちらは近年稀にみる名作もいいところで、戦闘システムからBGM、演出、そしてプレイ中に何度も唖然とするような先の読めない展開が続くストーリーはすべて一級品でした。特に最終盤、ストーリー冒頭で聞いた声の主がその姿を現した際は真面目に手が震えるほどの衝撃ぶりでした。
またBGMも非常に印象に残る者ばかりで、今でもたまにYoutubeで聞くくらい優れています。特に某ダンジョンのBGMは耳からしばらく離れなかったし。
このルフランと比べるとダンジョントラベラーズ2はいかにも安っぽく作られているようにしか見えず、キャラゲーなのにキャラもルフランほど立っておらず、強いて言えば声優の赤崎千夏氏の演技が悪くないかなかと思っていたら、赤崎氏はルフランにも出演していました。もう何もいいところないじゃんかこれ。
でも真面目に、3DダンジョンRPGをPSVitaで遊ぼうっていうんなら、絶対的にルフランの方がおすすめです。
2017年10月22日日曜日
共産党は保守?
先日、最近炭水化物ダイエットに取り組んでいるツッコミの鋭い後輩と食事中に共通の知人について私が「あの人は地に足がついていないから」といったところ、「花園さんがそれいいます?」とまたすぐ突っ込まれました(´;ω;`)
話は本題に入りますが、既に投票は終わりましたが今月の文芸春秋では総選挙特集が組まれており、その中には作家の橘玲氏も寄稿した記事も入っています。内容はほの一般的なライターと違ってやや斜めな視点で各種選挙要因を分析していて面白く、中でも年代別の政党に対する意識の分析は見事だと思いますが。
その分析は具体的にどのようなものかというと、一言で言えば「共産党は熟年層では革新、若年層では保守とみられている」というものです。
現実的な目線で見るならば、この場合は若年層の見方の方が正しいと言って間違いありません。もはや滅亡状態にある社民党を除けば、結党当初からの護憲を叫び続けているのは共産党です。一方、憲法改正はもとより各種新規政策の導入に意欲的な自民党については若年層は革新、熟年層は保守という風に見ており、こちらも言葉通りに解釈するならば、やはり若年層の見方の方が正しいでしょう。
では何故、実際に主張としては完全な保守である共産党を熟年層は革新勢力とみなすのか。結論から言えば「昔からそういい続けてきたから」というのが大きいように思え、いわば、「保守は自民、革新は社民、共産」という価値観に固まったまま動いていないだけでしょう。その上で共産党を支持する熟年層は、自らを革新勢力と考えているかもしれませんが実際には既得権益維持を目指す保守なのかもしれません。
また、同じ記事では若年層の政治意識について明確に、「自民への支持意識が高い」と指摘しています。理由は何故かというと、若年層からしたら政治に期待することは自らの就職が最も強く、近年の実体はともかくとしてアベノミクスによる求人増加は彼らの願望に適っており、むしろ他の政党に政権を引き渡すことで雇用が不安定化することを恐れていると分析しています。
この分析については私も完全に同感で、またどこかは忘れましたが選挙中にも全く同じ指摘をする記事が出ており、若年層は上記の理由から「革新=自民」を応援していて、SEALDsなどはむしろ少数派でしょう。こうした若者の自民支持について以前はネット右翼などという言葉とともに若者の意識の右傾化と説明する人が多くいましたが、実態としては経済的な損得勘定の方が大きかったとみるべきでしょう。
以前、っていうかこのブログを始めた当初私は、「もはや右翼、左翼という対立構造は現代では成立しない」と主張し、あれから数年、っていうかもう10年経っていますがむしろあの時より現代の方がこうした傾向は強まってきています。今回の選挙にしたって共産と自民であれば保守対革新という構図はまだ通じますが、他の野党と自民であれば争点らしい政治的主張はほとんどなく、どっちかと言えば暴言で問題となった豊田真由子議員(他を差し置いて落選速報がもう出てる)など、議員個人の人格が信用できるかどうかの方が政治的主張や観念よりも重きが置かれた選挙だったような気がします。
小池都知事率いる希望の党も当初でこそ争点を作ろうと、小泉元首相と会った上で「反原発」を掲げましたが、それ以外の政策はほぼ無きに等しく、昨日の記事に書いたように自民も希望も立憲も「子供手当は拡充する」という、全会一致なら早くやれよと言いたくなるような争いのない選挙だった気がします。なもんだから希望と立憲は安倍首相の人格批判、自民と立憲は小池都知事の人格批判をやってただけにも見え、なんていうか「このハゲー」的に不毛でした。いっそのこと、「不毛選挙」と呼んでもありかもしれません。
それにしても豊田議員については選挙中もしょっちゅう取り上げられていて、あの発言のインパクトはやはり凄かったのだと再確認させられました。今年の流行語に「忖度」ともども確実に入ると思いますが、授賞式には来てくれるのだろうか?
話は本題に入りますが、既に投票は終わりましたが今月の文芸春秋では総選挙特集が組まれており、その中には作家の橘玲氏も寄稿した記事も入っています。内容はほの一般的なライターと違ってやや斜めな視点で各種選挙要因を分析していて面白く、中でも年代別の政党に対する意識の分析は見事だと思いますが。
その分析は具体的にどのようなものかというと、一言で言えば「共産党は熟年層では革新、若年層では保守とみられている」というものです。
現実的な目線で見るならば、この場合は若年層の見方の方が正しいと言って間違いありません。もはや滅亡状態にある社民党を除けば、結党当初からの護憲を叫び続けているのは共産党です。一方、憲法改正はもとより各種新規政策の導入に意欲的な自民党については若年層は革新、熟年層は保守という風に見ており、こちらも言葉通りに解釈するならば、やはり若年層の見方の方が正しいでしょう。
では何故、実際に主張としては完全な保守である共産党を熟年層は革新勢力とみなすのか。結論から言えば「昔からそういい続けてきたから」というのが大きいように思え、いわば、「保守は自民、革新は社民、共産」という価値観に固まったまま動いていないだけでしょう。その上で共産党を支持する熟年層は、自らを革新勢力と考えているかもしれませんが実際には既得権益維持を目指す保守なのかもしれません。
また、同じ記事では若年層の政治意識について明確に、「自民への支持意識が高い」と指摘しています。理由は何故かというと、若年層からしたら政治に期待することは自らの就職が最も強く、近年の実体はともかくとしてアベノミクスによる求人増加は彼らの願望に適っており、むしろ他の政党に政権を引き渡すことで雇用が不安定化することを恐れていると分析しています。
この分析については私も完全に同感で、またどこかは忘れましたが選挙中にも全く同じ指摘をする記事が出ており、若年層は上記の理由から「革新=自民」を応援していて、SEALDsなどはむしろ少数派でしょう。こうした若者の自民支持について以前はネット右翼などという言葉とともに若者の意識の右傾化と説明する人が多くいましたが、実態としては経済的な損得勘定の方が大きかったとみるべきでしょう。
以前、っていうかこのブログを始めた当初私は、「もはや右翼、左翼という対立構造は現代では成立しない」と主張し、あれから数年、っていうかもう10年経っていますがむしろあの時より現代の方がこうした傾向は強まってきています。今回の選挙にしたって共産と自民であれば保守対革新という構図はまだ通じますが、他の野党と自民であれば争点らしい政治的主張はほとんどなく、どっちかと言えば暴言で問題となった豊田真由子議員(他を差し置いて落選速報がもう出てる)など、議員個人の人格が信用できるかどうかの方が政治的主張や観念よりも重きが置かれた選挙だったような気がします。
小池都知事率いる希望の党も当初でこそ争点を作ろうと、小泉元首相と会った上で「反原発」を掲げましたが、それ以外の政策はほぼ無きに等しく、昨日の記事に書いたように自民も希望も立憲も「子供手当は拡充する」という、全会一致なら早くやれよと言いたくなるような争いのない選挙だった気がします。なもんだから希望と立憲は安倍首相の人格批判、自民と立憲は小池都知事の人格批判をやってただけにも見え、なんていうか「このハゲー」的に不毛でした。いっそのこと、「不毛選挙」と呼んでもありかもしれません。
それにしても豊田議員については選挙中もしょっちゅう取り上げられていて、あの発言のインパクトはやはり凄かったのだと再確認させられました。今年の流行語に「忖度」ともども確実に入ると思いますが、授賞式には来てくれるのだろうか?
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