一体AELAはどうしてしまったのか、このところ不思議でしょうがありません。
・川崎宗則がグラウンドにひょっこり戻っても誰も咎めない(AELA)
これまで受験データ専門雑誌とばかり思っていたのに、前の記事にも書いた通りにこのところ野球関連の記事が面白くてしょうがありません。上の記事も今日会社で読んでてリアルに涙出てきました( ;∀;)
っていうか真面目にスポーツ専門誌とかより記事がすこぶる面白いです。シーズンが開幕した後もどんな記事を出してくれるのか、今からでも楽しみです。
さて話は本題に入りますが今日の佐川氏の証人喚問について結論から書くと、元々前回も真相を画したくらいだから今回も何も口にしないだろうと思っていたため予想通りだったというのが私の感想です。唯一「おっ」と思ったのは、丸川珠代議員が質問を終えた直後に、
「ありがとうございました。少なくとも今回の書き換え、そして森友学園に国有地の貸し付け並びに売り払いの取引について、総理、総理夫人、官邸の関与はなかったということは、証言を得られました。ありがとうございました」
以上のように、二度も「ありがとう」という言葉を口にした点です。証人喚問が始める前から官邸側とはあらかじめ口裏合わせはしているだろうとは思ってはいましたが、このやや不自然にも見える言い方はそうした口裏合わせを暗に裏付ける発言にも見えます。既に職を解き放たれ、しかも麻生財務大臣の責任までも擦り付けられるかのような解任にもかかわらずこうして官邸側に合わせるというのは、それだけ見返り(官房機密費かな?)が約束されているからかもしれませんが、皮肉ではなく見上げた役人根性だなと思えます。
しかし佐川氏については既に前回答弁で事実と異なる証言をしていることは確実で、尚且つ証拠隠滅とも取れる発言をしていることからも偽証罪にかけられる可能性は十分に高いと思われます。この辺は特捜がどう判断するかにもよりますが、ある意味これがこの問題のスケジュールを考える上で肝心になってくるでしょう。
基本的に特捜は、自分たちの捜査が時の政権に影響することを避ける傾向があると聞きます。具体的には国会の会期中や選挙中は内偵に務めて目立つ捜査は行わず、これらの期間が過ぎた後に具体的な逮捕、留置、立件を行います。この森友問題においては既に公文書の改竄という既存法でも実刑に持っていくには十分な犯罪行為が行われており、既に一人自殺していますが実行者、命令者のうち誰か、もしくは全員が逮捕、立件される可能性は十分にあります。
実際に最近の報道で分かってきましたが、既に今年二月ごろから近畿財務局の関係者に対する任意での聞き取りは始まっていたようです。こうした背景、というか捜査があったからこそ近畿財務局の方が自殺を決意したと考えるのが筋でしょうが、朝日新聞が入手した改竄された決裁文書も大阪地検特捜部経由だったともいわれており、もう証拠もある程度固められてきているのではないかとも思えます。
ただ実際に捜査が本格的に動き出すとしても前述の理由から、今国会が終了する6月以降になってくる可能性が高いと言えます。これは逆に言えば、今国会での疑惑追及は朝日のようなメディアによるスクープがないと、このままズルズルと答えが出ないまま間延びしかねないということです。
やはりというか野党の追及は今回の佐川氏の証人喚問を見ても弱いように見え、外部による援護射撃なしでは多分追い詰めることはできないでしょう。ここで政策、具体的には年金の誤入力問題を絡めるなどして安倍政権を批判したほうが私にはいいと思うのですが、これまでと同じことばかり口にしてなんとなく聞いてても面白味を感じられません。6月以降にはどうなるかわかりませんが、このまま何もなければ安倍政権は6月まではひとまず安泰でしょう。
・佐川・前理財局長が証人喚問で明かさなかった今井首相秘書官の秘密(AELA)
この決裁文書の改竄をすっぱ抜いただけあって朝日系列のこの方面の報道は群を抜いていますが(産経は逆の意味で群を抜いている)、恐らく真相としては上記リンク先の記事で書かれている内容がすべての真相ではないかと思われます。ではここまでたどり着くにはどうするべきかとなると、やはり近畿財務局の怪しい人間を片っ端から、証人喚問とは言わずに野党による特別チームを編成し、全場面録音録画した上で特捜と協力しながら聞き取りを行うのがベターではないかと思います。この問題で財務省本省を攻めても労多く利少なしであるだけに、もっと現場に近いところを集中的に攻めるべきなんじゃないかと思います。
最後にある意味この問題の主役ともいえる森友学園の籠池元理事長ですが、彼が詐欺師であることは間違いないものの、証拠隠滅の恐れがない、というよりむしろこの件に関しては決裁文書の改竄がなされていたことから彼の方が証拠を隠滅された立場でしょう。彼がやったことを考えると逮捕、立件、実刑はしょうがないとは思うものの、去年7月に逮捕されて以降、現在に至るまで留置され続けているというのは、もはや彼に隠滅する証拠などないことを考えると、異常としか言いようがありません。
籠池元理事長の逮捕が国策捜査であることはもはや言うまでもありませんが、何も私は彼の味方をする気はないものの、司法の独立性の観点から言ってこの異常な留置は直ちにやめさせるべきで、保釈するべきだという立場を取ります。それこそ安倍政権にとって余計なことを言わせないため、検察が「忖度」しての留置だというのであれば、野党にとってはこの辺も攻めどころではないでしょうか。
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2018年3月27日火曜日
2018年3月26日月曜日
雇用のミスマッチ
・近畿財務局は「安倍昭恵」名を知る前から森友に国有地売却方針 決裁文書改竄(産経新聞)
本題とは関係ありませんがよくもまぁ産経はこんなとんでもない記事を出せるものかと今朝呆れました。詳細については敢えて言及しませんが論点のすり替え以外にほかならず、珍しくヤフコメを見てもこの記事の異常性について指摘する人が多くみられました。まぁ見方を変えれば、昭恵夫人の一言で急激に話が進んだことを示しており、お前はどっちの味方なのかと問いたくなる記事でもあるのですが。
・なぜブラック企業を徹底的に取り締まらないのか?(大艦巨砲主義!)
そんなわけで本題ですが、先日何気なく見ていた上のまとめ記事で以下のようなコメントに注目しました。
そんな私の友情事情は置いといて話を進めますが、何故上記のようなコメントが出るのかというと一にも二にも雇用のミスマッチが日本で氾濫しているからです。かねてから私はこのブログで日本の異常なまでに低い雇用の流動性が多方面に悪影響を及ぼしていると指摘し続けてきましたが、何故雇用の流動性が低いのかというと新卒採用にこだわるという雇用習慣もさることながら、雇用のミスマッチが異常に激しいことも原因として大きいと考えられます。
・「引っ越し難民」が映し出す日本社会の根深い問題(JBpress)
上の記事は別に私が書いたものではないですが今日たまたま見ているとまさに今現在怒っている運送業界の問題と絡めて、雇用のミスマッチに言及していたのでこちらも引用することとしました。現実には90年代にフリーターという言葉が出始めた時点で日本経済は労働力不足に陥っていたものの、ようやく現在に至ってそれが顕在化してきたと私は見ていますが、労働力が果たして足りないのかというとそうでもなく、上の記事でも書かれている通りに潜在労働力は実際にはまだまだ存在するものの、それを汲み取れていないのが日本の現状でしょう。
単純比較でも女性の社会進出が日本は遅れており、そもそも専業主婦という言葉がある時点でもう何から言うべきかと中国に住んでて思えてきますが、賃金レベルはともかくとして労働力自体は掘ればまだまだあります。問題はそれを生かし切れいていないという点で、採用時のミスマッチや待遇条件の問題など、言ってしまえば経済の問題です。
採用時のミスマッチに絞ると、最近久しぶりに会った人間に毎回、「花園君もう何回仕事変えてんの?」とガチで聞かれるくらい仕事経験が無駄に幅広く豊富な私に言わせてもらえば、日本においてはほとんどの仕事に適正なんてなく、採用に時間と手間をかけるくらいなら先着順にした方が双方にとってもメリットが大きいとすら感じています。全般的に日本における業務は単純かつ自己判断が要求されるものはほとんどなく、むしろ決められた手順や慣習に従わなければ罰されるものばかりです。幸いにして日本の教育は個人から自我を奪うことに特化しているだけあってこの手の仕事に向いている人間を量産しており、よほど技能や知識が要求される専門職以外であれば誰がやったところでそんな変わりないでしょう。
そうはいっても新人によっては差があるという人もいるかもしれませんが、最初に差があったとしても年月が経てばその差は慣れによってへし潰されるだろうと思います。なんとなくですが、日本人はこの仕事の「慣れ」を「適正」と勘違いしているのではと思う節もあります。
では何故、上記のような状況でありながら採用のミスマッチは生まれるのか。はっきり言えば日本の経営者や労働者は厳選すればするほど、無駄に時間をかければかけるほど良い結果が生まれると信じています。だから決断の基準や条件は敢えて曖昧にして、余計に時間がかかるように仕組んで採用に臨み、判断基準がないもんだから時間と手間がかかった上に必要な人材が得られないというミスマッチが生まれていると、好き放題に言わせてもらうと私の見方はこうです。
この辺は中国来てから思うようになりましたが、単純労働力に関しては適正もクソもなく、如何にして頭数を揃えるかだけ考えていれば十分です。むしろ適性を持ち出そうとすると話がおかしくなる傾向もみられ、その辺気づいている人はどれくらいいるのか疑問です。
最近になってみんな大好きアトキンソンことデービッド・アトキンソン氏も、「日本の景気が悪いのは無能な経営者ばかりいるからだ!」と、なんか私みたく「アイツは反日だ」と言われだしてむかっ腹立っているのか正直な感想を言うようになってきましたが、私もこの点は同感です。中国もおかしい経営者はいくらでもいますが、市場競争の激しさから政府とのつながりがない人間は自然淘汰される傾向があり、それと比べると日本はこの点で緩いなと感じます。最初に引用したまとめ記事のように、ブラック企業関係者を言葉上だけの意味でなく本気で殺害するくらいの勢いで摘発しない限りはこの状態が続くでしょう。
本題とは関係ありませんがよくもまぁ産経はこんなとんでもない記事を出せるものかと今朝呆れました。詳細については敢えて言及しませんが論点のすり替え以外にほかならず、珍しくヤフコメを見てもこの記事の異常性について指摘する人が多くみられました。まぁ見方を変えれば、昭恵夫人の一言で急激に話が進んだことを示しており、お前はどっちの味方なのかと問いたくなる記事でもあるのですが。
・なぜブラック企業を徹底的に取り締まらないのか?(大艦巨砲主義!)
そんなわけで本題ですが、先日何気なく見ていた上のまとめ記事で以下のようなコメントに注目しました。
99: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2018/03/18(日) 10:16:31.316 ID:ohrSSS+ud
日本には
過労死するほど仕事があり
自殺するほど仕事がない
なかなか見事な一言だと思って友人にもツイートしたのですが、最近忙しいのかかまってくれず、無視されてしまいました( ;∀;)過労死するほど仕事があり
自殺するほど仕事がない
そんな私の友情事情は置いといて話を進めますが、何故上記のようなコメントが出るのかというと一にも二にも雇用のミスマッチが日本で氾濫しているからです。かねてから私はこのブログで日本の異常なまでに低い雇用の流動性が多方面に悪影響を及ぼしていると指摘し続けてきましたが、何故雇用の流動性が低いのかというと新卒採用にこだわるという雇用習慣もさることながら、雇用のミスマッチが異常に激しいことも原因として大きいと考えられます。
・「引っ越し難民」が映し出す日本社会の根深い問題(JBpress)
上の記事は別に私が書いたものではないですが今日たまたま見ているとまさに今現在怒っている運送業界の問題と絡めて、雇用のミスマッチに言及していたのでこちらも引用することとしました。現実には90年代にフリーターという言葉が出始めた時点で日本経済は労働力不足に陥っていたものの、ようやく現在に至ってそれが顕在化してきたと私は見ていますが、労働力が果たして足りないのかというとそうでもなく、上の記事でも書かれている通りに潜在労働力は実際にはまだまだ存在するものの、それを汲み取れていないのが日本の現状でしょう。
単純比較でも女性の社会進出が日本は遅れており、そもそも専業主婦という言葉がある時点でもう何から言うべきかと中国に住んでて思えてきますが、賃金レベルはともかくとして労働力自体は掘ればまだまだあります。問題はそれを生かし切れいていないという点で、採用時のミスマッチや待遇条件の問題など、言ってしまえば経済の問題です。
採用時のミスマッチに絞ると、最近久しぶりに会った人間に毎回、「花園君もう何回仕事変えてんの?」とガチで聞かれるくらい仕事経験が無駄に幅広く豊富な私に言わせてもらえば、日本においてはほとんどの仕事に適正なんてなく、採用に時間と手間をかけるくらいなら先着順にした方が双方にとってもメリットが大きいとすら感じています。全般的に日本における業務は単純かつ自己判断が要求されるものはほとんどなく、むしろ決められた手順や慣習に従わなければ罰されるものばかりです。幸いにして日本の教育は個人から自我を奪うことに特化しているだけあってこの手の仕事に向いている人間を量産しており、よほど技能や知識が要求される専門職以外であれば誰がやったところでそんな変わりないでしょう。
そうはいっても新人によっては差があるという人もいるかもしれませんが、最初に差があったとしても年月が経てばその差は慣れによってへし潰されるだろうと思います。なんとなくですが、日本人はこの仕事の「慣れ」を「適正」と勘違いしているのではと思う節もあります。
では何故、上記のような状況でありながら採用のミスマッチは生まれるのか。はっきり言えば日本の経営者や労働者は厳選すればするほど、無駄に時間をかければかけるほど良い結果が生まれると信じています。だから決断の基準や条件は敢えて曖昧にして、余計に時間がかかるように仕組んで採用に臨み、判断基準がないもんだから時間と手間がかかった上に必要な人材が得られないというミスマッチが生まれていると、好き放題に言わせてもらうと私の見方はこうです。
この辺は中国来てから思うようになりましたが、単純労働力に関しては適正もクソもなく、如何にして頭数を揃えるかだけ考えていれば十分です。むしろ適性を持ち出そうとすると話がおかしくなる傾向もみられ、その辺気づいている人はどれくらいいるのか疑問です。
最近になってみんな大好きアトキンソンことデービッド・アトキンソン氏も、「日本の景気が悪いのは無能な経営者ばかりいるからだ!」と、なんか私みたく「アイツは反日だ」と言われだしてむかっ腹立っているのか正直な感想を言うようになってきましたが、私もこの点は同感です。中国もおかしい経営者はいくらでもいますが、市場競争の激しさから政府とのつながりがない人間は自然淘汰される傾向があり、それと比べると日本はこの点で緩いなと感じます。最初に引用したまとめ記事のように、ブラック企業関係者を言葉上だけの意味でなく本気で殺害するくらいの勢いで摘発しない限りはこの状態が続くでしょう。
2018年3月23日金曜日
文学性とは何か?
策やブログ書く気もなかったのに「なろう系に代表される異世界転生物小説について」という記事書いて、その中でもし私が書くとしたら「中国に転職したらブラック企業だった件」になるだろうと書きましたが、冷静に考えて日本人にとってすれば下手な異世界よりも中国の方が常識通じない世界なんじゃないかと思えてきました。といっても以前と比べると中国も大分まともになってきて、以前ほどトンでもニュースも減ってきていてなんかつまらなくなってきてますが……。
話は戻しますが昨日の記事で私は、異世界転生物について文学的要素の観点から見たら果たしてどうなのかと書きました。もったいぶらずに結論から言うと、そもそも文学性とはないかというといというなれば人生や体験のシミュレーション、物語を通じて疑似体験を行う登場人物の人生や判断をの種類や程度、深さであると私は考えています。
例えば森鴎外の「舞姫」を例にとると、当時としては珍しかった官費留学生の留学生活が書かれてあり、そして留学先で官費支給が打ち切られ、それでも現地の恋人とうまくやってたけど最終的には仕事を取って切り捨ててしまうという決断へと至るまでが描かれています。こうした体験は塔の一般人はもとより現代でもなかなか実際に経験することはないものの、舞姫を読むことで少なくとも登場人物の行動や決断に至る一人の人間(太田豊太郎)の過程は知ることが出来、一つの人生体験モデルとして消化するに至るわけです。
このように文学性とは、普通じゃ体験できない、まだ体験していないことを物語を通して認知、疑似体験し、それによって人生経験をいくらか膨らませることのできる要素であるという風に私は考えてます。従って物語における体験はごくありふれたものではあまり意味がなく(リアルでも体験できるため)、どちらかと言えば珍しく、尚且つ極限であればあるほどよく、また苦しい決断ほどその重要性は高まると言っても過言ではなく、シェイクスピアの「リア王」などがこのパターンではないかと思います。
ただし、疑似体験とはいえあまりにも現実離れしていては読んだところで「体験した」という実感が得づらくなります。それこそ昆虫の世界で飛脚をやっているというアブラムシの話が書かれたとしても、「え、飛脚ならバッタじゃない?」という風に疑問を覚え、読んでてもしっくりこないでしょうし多分その後の人生においても何か生かせるところはほとんどないでしょう。仮想の話とはいえ、リアリティがあればあるほど読者は本の中の世界に現実味を覚え、のめり込むというか疑似体験の度合いが高まることから、一定の現実感はやはり文学性においては求められるでしょう。
もちろん空想世界が前面に出された「杜子春」や「蜘蛛の糸」であっても、そこから得られる人生経験や教訓が深ければ特に問題はなく、特にこの二つは現実離れした要素がなければ作品のテーマを打ち出せないため、仮想の要素は必要不可欠と言えます。そういう意味では現実感はバランスが求められる要素でしょう。
説教臭い内容が続きますが、やはり文学性というか小説はこうした仕組みではないかと思います。先ほど現実感が大事と書きましたが、やはり明治の小説家を見ているといい作品を作るために自らぶっ飛んだ体験をしてそれを作品に活かそうとする人が見られます。具体的には心中未遂とかですが、こうしたジャンルは「舞姫」を含め私小説、自らのぶっ飛んだ体験に基づき、「こうなったらあなたはどうする?私はこうする」的に描かれてあるように私には見えます。現実に私小説形式だと自らの体験に根差していることからリアリティ高く描けるというメリットがあります。
私小説に近い形式で、実際に一つのジャンルとして成立しているのは戦争文学です。そもそも戦争自体がぶっ飛んだ体験として十分成立するため、戦場で見た光景や自分の体験を書くだけで、「こんな時、あなたはどうする?私はこうする」という主張が十分に伝わります。そして読んだ人間も、「もし自分が戦場にいたら……」ということを考え、その後実際に戦場へ行くにしろ行かないにしろ、人生経験的には読まないよりかはこういった世界もあると知ってる方がプラスになってくるでしょう。
以上のように私は文学性について、突き詰めれば人生や決断のシミュレーションであり、それこそ心中や戦場のような強烈な体験の方が価値が高まると考えています。また評価要素としてはこのほかにも普遍性が挙げられ、いつどの時代、性別を超えて多くの人間から共感が得られる作品であればあるほど文学性は高まると考えており、さっきも上げたシェイクスピア作品もそうですし、そもそも現代が舞台でないにもかかわらず現代における安楽死問題も考えさせられる森鴎外の「高瀬舟」なんかもこうした普遍性に富んでおり、その延長として文学性も高いと考えられます。
逆に、と言っては何ですが、文学作品の批評からが口にする文章表現の巧遅については私はあまり議論するまでもないと考えています。「みずみずしい表現」だとか「感性の高い表現」などという人もいますが、そりゃ読みにくい表現より読みやすい方がいいに決まってはいるものの、文章表現なんて時代が変われば古語と現代語のようにガラッと変わってしまうもので陳腐化も早いです。そういう意味で副次的な要素ではあるものの、文学性の価値を決める要素と言えるのかと言ったらそれは違う気がします。
ここでようやくなろう系小説に代表される異世界転生物というジャンルの文学性について触れますが、異世界に転生して怪物と斬った張ったするというのは極限性という観点では確かにレアリティは高いですが、現実感という点では逆に極度に薄いです。またこうした小説を読んで将来、近いような体験や判断に迫られることがあるかと言ったら、もしかしたら転生する人も世の中にはいるかもしれませんが、多分少ないということを考えるとあまり人生経験上でプラスになる要素は低いかなということになってきます。
しかしと言っては何ですがじゃあ他の、一般的な現代小説がなろう系より私の定義する文学性を含んでいるかと言ったら、こちらもまた疑問です。具体的に言うと、最近文学賞を取る作品を見ていると非常にニッチな世界、はっきり言えば限定された職業の話が多く、かといって物凄い葛藤のある決断に迫られるような極限シーンもあるかと言えばなく、疑似体験したところで何か考えさせられたり将来にその疑似体験が役に立つシーンがあるかと言えば疑問な小説ばかりです。ああそうだ、言うならば深いテーマ性もないんだ。
それこそ三浦綾子の小説「氷点」のように、「汝の敵を愛せを本当に実行できるのか?」などと、こうした問い、そしてそれに対する一つの回答みたいな物が現代作品にあるのかという点で疑問です。そしてなんでないのかというと、はっきり言えばそうした作品を拾えず、「みずみずしい表現」で作品を選んじゃう文壇が悪いのではないかと疑っているわけです。
敢えて今回なろう系小説を取り上げたのは、確かに疑似体験というレベルで見れば文学性の要素は低いものの、かといって「文学作品が高い」として祭り上げられている現代の作品はすごい狭い世界のことばかりで、こっちもこっちで普遍性やテーマ性の点で非常に質が低く、いいところ同レベルなのではないかと見ていると言いたかったからです。むしろなろう系の方が、物にもよりますが誰も知り合いのいない世界に突然放り込まれてどう行動し、生きていくかというテーマ性はいくらか備えているだけ、狭い世界の舞台裏だけを紹介するような「文学作品」よりはまだマシなんじゃないかとすら思っています。
以前にも書きましたが、今考えてみると「バトル・ロワイアル」は文学作品として非常に価値の高い作品だったのではないかとこのところしきりに思います。あれは中学生が殺人を強要され、それに対する各生徒の対応がバラバラに描かれてあり、現代の少年兵問題、そして「生き残るためなら他人を(何人も)殺してもいいのか?」という問いを疑似体験させられます。もっともこれ以降、同じコンセプトのデスゲーム物の漫画が大氾濫するようになりましたが、極限性という点ではやっぱり最初のこっちの方がすごかったなと思えてなりません。
にしても2015年の自分は「ファイナルファンタジー零式」やって遊んでたんだな。あれは登場キャラクターが美男美女過ぎて食あたり気味になるゲームで、物語において三枚目の価値を再認識させられました。
話は戻しますが昨日の記事で私は、異世界転生物について文学的要素の観点から見たら果たしてどうなのかと書きました。もったいぶらずに結論から言うと、そもそも文学性とはないかというといというなれば人生や体験のシミュレーション、物語を通じて疑似体験を行う登場人物の人生や判断をの種類や程度、深さであると私は考えています。
例えば森鴎外の「舞姫」を例にとると、当時としては珍しかった官費留学生の留学生活が書かれてあり、そして留学先で官費支給が打ち切られ、それでも現地の恋人とうまくやってたけど最終的には仕事を取って切り捨ててしまうという決断へと至るまでが描かれています。こうした体験は塔の一般人はもとより現代でもなかなか実際に経験することはないものの、舞姫を読むことで少なくとも登場人物の行動や決断に至る一人の人間(太田豊太郎)の過程は知ることが出来、一つの人生体験モデルとして消化するに至るわけです。
このように文学性とは、普通じゃ体験できない、まだ体験していないことを物語を通して認知、疑似体験し、それによって人生経験をいくらか膨らませることのできる要素であるという風に私は考えてます。従って物語における体験はごくありふれたものではあまり意味がなく(リアルでも体験できるため)、どちらかと言えば珍しく、尚且つ極限であればあるほどよく、また苦しい決断ほどその重要性は高まると言っても過言ではなく、シェイクスピアの「リア王」などがこのパターンではないかと思います。
ただし、疑似体験とはいえあまりにも現実離れしていては読んだところで「体験した」という実感が得づらくなります。それこそ昆虫の世界で飛脚をやっているというアブラムシの話が書かれたとしても、「え、飛脚ならバッタじゃない?」という風に疑問を覚え、読んでてもしっくりこないでしょうし多分その後の人生においても何か生かせるところはほとんどないでしょう。仮想の話とはいえ、リアリティがあればあるほど読者は本の中の世界に現実味を覚え、のめり込むというか疑似体験の度合いが高まることから、一定の現実感はやはり文学性においては求められるでしょう。
もちろん空想世界が前面に出された「杜子春」や「蜘蛛の糸」であっても、そこから得られる人生経験や教訓が深ければ特に問題はなく、特にこの二つは現実離れした要素がなければ作品のテーマを打ち出せないため、仮想の要素は必要不可欠と言えます。そういう意味では現実感はバランスが求められる要素でしょう。
説教臭い内容が続きますが、やはり文学性というか小説はこうした仕組みではないかと思います。先ほど現実感が大事と書きましたが、やはり明治の小説家を見ているといい作品を作るために自らぶっ飛んだ体験をしてそれを作品に活かそうとする人が見られます。具体的には心中未遂とかですが、こうしたジャンルは「舞姫」を含め私小説、自らのぶっ飛んだ体験に基づき、「こうなったらあなたはどうする?私はこうする」的に描かれてあるように私には見えます。現実に私小説形式だと自らの体験に根差していることからリアリティ高く描けるというメリットがあります。
私小説に近い形式で、実際に一つのジャンルとして成立しているのは戦争文学です。そもそも戦争自体がぶっ飛んだ体験として十分成立するため、戦場で見た光景や自分の体験を書くだけで、「こんな時、あなたはどうする?私はこうする」という主張が十分に伝わります。そして読んだ人間も、「もし自分が戦場にいたら……」ということを考え、その後実際に戦場へ行くにしろ行かないにしろ、人生経験的には読まないよりかはこういった世界もあると知ってる方がプラスになってくるでしょう。
以上のように私は文学性について、突き詰めれば人生や決断のシミュレーションであり、それこそ心中や戦場のような強烈な体験の方が価値が高まると考えています。また評価要素としてはこのほかにも普遍性が挙げられ、いつどの時代、性別を超えて多くの人間から共感が得られる作品であればあるほど文学性は高まると考えており、さっきも上げたシェイクスピア作品もそうですし、そもそも現代が舞台でないにもかかわらず現代における安楽死問題も考えさせられる森鴎外の「高瀬舟」なんかもこうした普遍性に富んでおり、その延長として文学性も高いと考えられます。
逆に、と言っては何ですが、文学作品の批評からが口にする文章表現の巧遅については私はあまり議論するまでもないと考えています。「みずみずしい表現」だとか「感性の高い表現」などという人もいますが、そりゃ読みにくい表現より読みやすい方がいいに決まってはいるものの、文章表現なんて時代が変われば古語と現代語のようにガラッと変わってしまうもので陳腐化も早いです。そういう意味で副次的な要素ではあるものの、文学性の価値を決める要素と言えるのかと言ったらそれは違う気がします。
ここでようやくなろう系小説に代表される異世界転生物というジャンルの文学性について触れますが、異世界に転生して怪物と斬った張ったするというのは極限性という観点では確かにレアリティは高いですが、現実感という点では逆に極度に薄いです。またこうした小説を読んで将来、近いような体験や判断に迫られることがあるかと言ったら、もしかしたら転生する人も世の中にはいるかもしれませんが、多分少ないということを考えるとあまり人生経験上でプラスになる要素は低いかなということになってきます。
しかしと言っては何ですがじゃあ他の、一般的な現代小説がなろう系より私の定義する文学性を含んでいるかと言ったら、こちらもまた疑問です。具体的に言うと、最近文学賞を取る作品を見ていると非常にニッチな世界、はっきり言えば限定された職業の話が多く、かといって物凄い葛藤のある決断に迫られるような極限シーンもあるかと言えばなく、疑似体験したところで何か考えさせられたり将来にその疑似体験が役に立つシーンがあるかと言えば疑問な小説ばかりです。ああそうだ、言うならば深いテーマ性もないんだ。
それこそ三浦綾子の小説「氷点」のように、「汝の敵を愛せを本当に実行できるのか?」などと、こうした問い、そしてそれに対する一つの回答みたいな物が現代作品にあるのかという点で疑問です。そしてなんでないのかというと、はっきり言えばそうした作品を拾えず、「みずみずしい表現」で作品を選んじゃう文壇が悪いのではないかと疑っているわけです。
敢えて今回なろう系小説を取り上げたのは、確かに疑似体験というレベルで見れば文学性の要素は低いものの、かといって「文学作品が高い」として祭り上げられている現代の作品はすごい狭い世界のことばかりで、こっちもこっちで普遍性やテーマ性の点で非常に質が低く、いいところ同レベルなのではないかと見ていると言いたかったからです。むしろなろう系の方が、物にもよりますが誰も知り合いのいない世界に突然放り込まれてどう行動し、生きていくかというテーマ性はいくらか備えているだけ、狭い世界の舞台裏だけを紹介するような「文学作品」よりはまだマシなんじゃないかとすら思っています。
以前にも書きましたが、今考えてみると「バトル・ロワイアル」は文学作品として非常に価値の高い作品だったのではないかとこのところしきりに思います。あれは中学生が殺人を強要され、それに対する各生徒の対応がバラバラに描かれてあり、現代の少年兵問題、そして「生き残るためなら他人を(何人も)殺してもいいのか?」という問いを疑似体験させられます。もっともこれ以降、同じコンセプトのデスゲーム物の漫画が大氾濫するようになりましたが、極限性という点ではやっぱり最初のこっちの方がすごかったなと思えてなりません。
にしても2015年の自分は「ファイナルファンタジー零式」やって遊んでたんだな。あれは登場キャラクターが美男美女過ぎて食あたり気味になるゲームで、物語において三枚目の価値を再認識させられました。
2018年3月22日木曜日
なろう系に代表される異世界転生物小説について
ブログ書く気なかったけどなんか落ち着かないので書きます。落ち着かないとなんで文章書こうとするのか自分でもよくわかりませんが。
さて唐突ですが数年前より自作小説投稿サイト「小説家になろう」が流行り始め、その中でもいわゆる「異世界転生」ものとされるジャンルが特に人気を得ているようです。この異世界転生物というのはその名の通り、現代的な世界に生きていた主人公がある日突然異世界に召喚、転生されて、ファンタジーな世界で思わぬ活躍を遂げるというような内容です。
私の感覚だと90年代初頭に流行っていたジャンルだと思うのですが、先祖巡り的なものなのか現代においてまた再び流行り出してきたなという風に考えています。もちろん流行りだから価値がないというつもりは全くなく、小説というものはどれだけ売れたか、人気か、読まれたかですべての価値が決まると言っても過言ではないと思っているので、売れているというのであればこうしたジャンルを扱う作家は実力者と言えるでしょう。
そんな異世界転生物ですが、「異世界に転生したら○○だった件」みたいなタイトルが散見されます。これを見てもし私が書くとしたらとどんなタイトルかなと考えてみたところ、「中国に転職したらブラック企業だった件」とか「中国で記事書いてたら反日認定された件」になるかななどとすぐ浮かんできましたら、リアル過ぎてかえって売れないだろうと即判断しました。書けっつったらかなりディープに書ける自信あるけど。
話は戻りますがこうした異世界転生物をはじめとするなろう系小説は一般にはライトノベル、ラノベなどと言われ、どちらかと言えばポップな若者向けジャンルとして、オッサンやおばさんが読むのには向いていないように扱われます。しかし売れていること、そして文学というメタな理論で考えるなら果たしてどうかなと思い、むしろ「文芸小説」と呼ばれる小説と比べて文学的な価値を比較したらどっちが価値があるのか、やや皮肉っぽくこの辺を眺めています。
そういうわけで、なんか久々な思想物の記事となるでしょうが、次回では「そもそも文学的とはどいう意味なのか?」というメタな理論について書いていきます。意外とありそうでないジャンルだと私でも思います。
さて唐突ですが数年前より自作小説投稿サイト「小説家になろう」が流行り始め、その中でもいわゆる「異世界転生」ものとされるジャンルが特に人気を得ているようです。この異世界転生物というのはその名の通り、現代的な世界に生きていた主人公がある日突然異世界に召喚、転生されて、ファンタジーな世界で思わぬ活躍を遂げるというような内容です。
私の感覚だと90年代初頭に流行っていたジャンルだと思うのですが、先祖巡り的なものなのか現代においてまた再び流行り出してきたなという風に考えています。もちろん流行りだから価値がないというつもりは全くなく、小説というものはどれだけ売れたか、人気か、読まれたかですべての価値が決まると言っても過言ではないと思っているので、売れているというのであればこうしたジャンルを扱う作家は実力者と言えるでしょう。
そんな異世界転生物ですが、「異世界に転生したら○○だった件」みたいなタイトルが散見されます。これを見てもし私が書くとしたらとどんなタイトルかなと考えてみたところ、「中国に転職したらブラック企業だった件」とか「中国で記事書いてたら反日認定された件」になるかななどとすぐ浮かんできましたら、リアル過ぎてかえって売れないだろうと即判断しました。書けっつったらかなりディープに書ける自信あるけど。
話は戻りますがこうした異世界転生物をはじめとするなろう系小説は一般にはライトノベル、ラノベなどと言われ、どちらかと言えばポップな若者向けジャンルとして、オッサンやおばさんが読むのには向いていないように扱われます。しかし売れていること、そして文学というメタな理論で考えるなら果たしてどうかなと思い、むしろ「文芸小説」と呼ばれる小説と比べて文学的な価値を比較したらどっちが価値があるのか、やや皮肉っぽくこの辺を眺めています。
そういうわけで、なんか久々な思想物の記事となるでしょうが、次回では「そもそも文学的とはどいう意味なのか?」というメタな理論について書いていきます。意外とありそうでないジャンルだと私でも思います。
2018年3月21日水曜日
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・80年ぶりのワースト記録…世紀の“大乱戦”
(以上すべてAELAの「プロ野球B級ニュース事件簿」)
いきなりですが、最近上記リンク先の久保田龍雄氏による「プロ野球B級ニュース事件簿」の記事にはまっています。どれも内容が面白いだけでなく文章も軽妙で、尚且つ関連するかこの話題にも触れてくれるのでいつも楽しく読んでいます。これに限らずこのところAELAに掲載されるプロ野球関連の記事はどれも面白い上にデータや主張に関しても納得できるものばかりで、「AELAはもしかして野球雑誌なのか?」と真面目に勘違いし始めてきています。
それに対してと言っては何ですが、見出しに掲げた通りに文春の野球関連記事はどれもやばいくらいつまらないです。どうやったらこんなつまらない記事を書けるのか、ある意味神ッてるレベルでつまらないです。
・広島カープの同姓選手を見るとドンジャラがやりたくなる理由(文春オンライン)
例えば上の記事なんか「だからなに?」と言いたくなるようなくだらない内容で、調子乗ってドンジャラという言葉を使っていますがただただ空気を寒くしてるだけです。おまけにオチもあってないような締め方で、余計に長文とせずサクッと「カープは中村選手多いね」とだけ書いときゃよかったようにすら思います。
第一、この話題でかつての「日ハム田中王国」に触れないってのは自分の中ではありえないんだけど。「田中幸雄」が同チームに二人存在したことなど、うってつけの関連話題だと思うのに文春の記者は野球を知らないのか?
・巨人復帰の上原浩治 活躍のカギは「実は乗り気ではなかった」高橋由伸監督との関係(週刊文春)
同じく疑問を感じたのは上の記事です。今年日本球界に復帰した巨人の上原選手と高橋由伸監督が仲悪いって初めて聞いたんだけど。
・上原&由伸監督 軽妙トーク健在 1打席勝負で「去年よりいいスイング」(日刊スポーツ)
上原選手と由伸監督の関係については2016年と少し古いですが上のような記事も出ており、また過去には東日本大震災の復興支援で協力し合っていることも報じられており、誕生日が完全一致していることといいむしろ非常に仲がいいと言っていいほどの関係だと思います。
それに由伸監督は記者たちにはやや無愛想ですがチームメイトからは半端なく慕われており、もう一方の上原選手に至っては関西人だからかもしれませんがめちゃくちゃ性格が明るく、ツイッターでダルビッシュ選手にスライダーの握りを教えるよう求めて断られるや「ケチ!」と言い返すなど、チームの垣根を超える交流も多い人物です。よりによってこの二人にカギって関係がぎくしゃくみたいに書くなんて、文春の記者は野球を知らないのかと本気で疑います。第一、記事内容もクソつまらないし。
最後に少しまじめなことを書くと、このところの文春は何かおかしいというか、記事内容や取り上げる話題を見ていてなんかやや迷走しているような印象を覚えます。具体的には不倫ネタが飽きられてきた辺りからですが、どっち向いているのかわからない記事が増え、また上記の野球ネタのように明らかに実力や知識が足りていないライターに書かせてます。何か内部で起きてるんじゃないかと疑いたくなる水準です。
ついでに書くと以前は毎月買っていた文藝春秋も最近は買っていません。目次を見ても興味を覚える内容が何もなく、また無駄に値段上げたりしたりしていてとてもあんなものにお金を払う気にはなりません。なんとなく、編集部が硬直し始めてきているのではというのが私の見方です。
・なんでや! 阪神ファンが激怒した「幻のホームラン」
・80年ぶりのワースト記録…世紀の“大乱戦”
(以上すべてAELAの「プロ野球B級ニュース事件簿」)
いきなりですが、最近上記リンク先の久保田龍雄氏による「プロ野球B級ニュース事件簿」の記事にはまっています。どれも内容が面白いだけでなく文章も軽妙で、尚且つ関連するかこの話題にも触れてくれるのでいつも楽しく読んでいます。これに限らずこのところAELAに掲載されるプロ野球関連の記事はどれも面白い上にデータや主張に関しても納得できるものばかりで、「AELAはもしかして野球雑誌なのか?」と真面目に勘違いし始めてきています。
それに対してと言っては何ですが、見出しに掲げた通りに文春の野球関連記事はどれもやばいくらいつまらないです。どうやったらこんなつまらない記事を書けるのか、ある意味神ッてるレベルでつまらないです。
・広島カープの同姓選手を見るとドンジャラがやりたくなる理由(文春オンライン)
例えば上の記事なんか「だからなに?」と言いたくなるようなくだらない内容で、調子乗ってドンジャラという言葉を使っていますがただただ空気を寒くしてるだけです。おまけにオチもあってないような締め方で、余計に長文とせずサクッと「カープは中村選手多いね」とだけ書いときゃよかったようにすら思います。
第一、この話題でかつての「日ハム田中王国」に触れないってのは自分の中ではありえないんだけど。「田中幸雄」が同チームに二人存在したことなど、うってつけの関連話題だと思うのに文春の記者は野球を知らないのか?
・巨人復帰の上原浩治 活躍のカギは「実は乗り気ではなかった」高橋由伸監督との関係(週刊文春)
同じく疑問を感じたのは上の記事です。今年日本球界に復帰した巨人の上原選手と高橋由伸監督が仲悪いって初めて聞いたんだけど。
・上原&由伸監督 軽妙トーク健在 1打席勝負で「去年よりいいスイング」(日刊スポーツ)
上原選手と由伸監督の関係については2016年と少し古いですが上のような記事も出ており、また過去には東日本大震災の復興支援で協力し合っていることも報じられており、誕生日が完全一致していることといいむしろ非常に仲がいいと言っていいほどの関係だと思います。
それに由伸監督は記者たちにはやや無愛想ですがチームメイトからは半端なく慕われており、もう一方の上原選手に至っては関西人だからかもしれませんがめちゃくちゃ性格が明るく、ツイッターでダルビッシュ選手にスライダーの握りを教えるよう求めて断られるや「ケチ!」と言い返すなど、チームの垣根を超える交流も多い人物です。よりによってこの二人にカギって関係がぎくしゃくみたいに書くなんて、文春の記者は野球を知らないのかと本気で疑います。第一、記事内容もクソつまらないし。
最後に少しまじめなことを書くと、このところの文春は何かおかしいというか、記事内容や取り上げる話題を見ていてなんかやや迷走しているような印象を覚えます。具体的には不倫ネタが飽きられてきた辺りからですが、どっち向いているのかわからない記事が増え、また上記の野球ネタのように明らかに実力や知識が足りていないライターに書かせてます。何か内部で起きてるんじゃないかと疑いたくなる水準です。
ついでに書くと以前は毎月買っていた文藝春秋も最近は買っていません。目次を見ても興味を覚える内容が何もなく、また無駄に値段上げたりしたりしていてとてもあんなものにお金を払う気にはなりません。なんとなく、編集部が硬直し始めてきているのではというのが私の見方です。
2018年3月20日火曜日
スルガ銀行に対する懸念
先日、2003年に経営破綻した足利銀行の顛末を紹介しましたが、なんでこんな記事を書いたのかというとそろそろこの足利銀行に続く地銀の破綻が見られるかもなと感じたからです。もう見出しを見てわかる通り、自分がこのような懸念を持っているのは静岡県のスルガ銀行です。
・スルガ銀行は「かぼちゃの馬車」で何処へ行く!(1)(財経新聞)
・ベッキーがCMキャラの『かぼちゃの馬車』 オーナー約700人がトラブルに(@niftyニュース)
時期にしてちょうど昨年末ごろ、アパートローン問題で静岡県の銀行が特に手広くやっているという話を耳にし、静岡の話だから静岡銀行かなと思っていたら実際にはスルガ銀行でした。そのスルガ銀行について大体先月あたりから報道も増えてきましたが、取りざたされているのは上記リンクの格安シェアハウス「かぼちゃの馬車」を巡るローン問題です。
詳しくは上記リンク先の記事を読んでもらえればわかりますが、「銀行から金借りてローン組んでサブリースに出せば資産保全+不労収入が得られるよ」と言って、退職金をもらったばかりの高齢者を主なターゲットに、女性向け格安シェアハウス物件「かぼちゃの馬車」を運営管理するスマートデイズ社がスルガ銀行とタッグを組んでた模様です。
しかし実態は物件のまずさと賃料の低さから回収が見込めるような物件ではなく、スマートデイズ社は新規オーナーにローン組ませて受け取ったアパート建築料を既存オーナーに分配させているという自転車操業だったようで、お金が回んなくなってきた段階でサブリース契約でオーナー側へ支払うこととなっている賃料を一方的に値下げしてきたとのことです。
こうした手法というか問題は、先ほどは「アパートローン問題」と表現しましたが、「サブリース問題」と表現するべきかもしれません。というのもこうした、資産保全を謳って言葉巧みにアパートを建てさせておきながら、空室など運営がうまく行かなくなってくるや当初契約に反してオーナー受取り賃料を一方的に引き下げるという例はスマートデイズに限るわけじゃないからです。
・「テレ東がまた攻めてる」と話題に 「ガイアの夜明け」集団訴訟が相次ぐレオパレス21の社長に直撃取材(キャリコネニュース)
この辺については昨年、テレビ東京が人気番組「ガイアの夜明け」で、社員に契約に反するサブリース契約料金の強引な引き下げを全社一丸となってやらかしていたレオパレス21に対して突っ込んだ取材を行っています。自分もたまにやるけど、こういうのって「取材の結果」ではなく「取材の過程」を見せることに価値があるよね。
現実問題としてこうしたサブリース問題は大手、中小を問わずに今盛んに行われていると思われます。しかし普通に考えたって人口減の今の日本でアパート需要が高まるわけはなく、しかも同じようなことする不動産屋が多いせいでこのところのアパート、マンションの乱立ぶりも激しく、普通に考えてアパート運営が軌道に乗るとはとても思えません。
それでも消費者への注意喚起がまだ不十分なのと、各関係機関の対応が遅れていることから被害者オーナーはは尚も増加中で、多分2020年以降には大きな社会問題と化す可能性もあると私は見ています。この場合、国がどういう対応を取るかに寄りますが、それによっては不動産屋のみなら地銀も共倒れとなる可能性もあるでしょう。
このサブリース問題で特に根が深いと思うのは、不動産屋と銀行が明らかにタッグを組んでいる点です。スルガ銀行の話に戻りますが、報道によるとスマートデイズは本来ならば融資基準を満たさないオーナー希望者に対し、所得や資産状況の証明書類を偽造してまでスルガ銀行でローンを組ませていたとのことです。スルガ銀行側は資産査定が甘かったと言い訳を述べていますが、どう考えても軌道に乗るとは思えない「かぼちゃの馬車」の事業計画に融資していた点一つとっても、始めから最終的にアパートオーナーの首を絞める自体になることが分かっていながらやっていたのではないかとしか内心思えません。少なくとも、あんな杜撰な事業計画に係る時点で銀行としての資質は疑われても仕方ないでしょう。
・目的別ローンラインナップ(スルガ銀行)
そんな資質を疑いたくなるスルガ銀行について冷凍たこ焼きを絶対に切らすことのない友人から紹介してもらったのが上記リンクです。自動車ローンや教育ローンはまだわかるとしても、カメラ・レンズローンや鉄道模型ローンなど手広くローンコースを用意しているあたり、なんか銀行というよりかはサラ金のようなことやってます。
なおこの中にはロードバイクローンもあったのでその中身を見てみると、
<ロードバイクローンご利用例>
フレームセット 70万円
カーボンホイール 40万円
大会参加費用(宿泊代等) 5万円
他社ローン借換 35万円
総額費用 150万円
なんやねんこの金額と、一目見て思いました。プロのレーサーが使用する自転車ですら50~60万円程度と聞くのに、なぜこんな自己満足みたいな無駄に高い自転車で利用例を出すのか。っていうかそもそも「他社ローン借換」って何?ロードレーサーは既に借金してること前提なの?
こんな具合で経営手法が疑問満点のスルガ銀行ですが、収益率が高いことから(地銀平均0.3%に対し1.42%)、政府からは「将来あるべき地銀の姿」とこのところ褒められているそうです。なんか破綻前のどっかの銀行も同じようなこと言われてたような気がしますが、死亡フラグ?
現時点で言えることとして、サブリース問題が持ち上がっている「かぼちゃの馬車」は現状、ほぼ不良債権と見てもおかしくないでしょう。その上でこちらは推測となりますが、大抵こういう目立つ不良債権案件を手広くやっている金融機関って、見えないところでもっと大きな爆弾を抱えてるパターンってのが多い気がします。債務者を追い込んででも回収する自信があるなら別に問題ないですが、サブリース問題は空き家問題と並んで近々本格的な社会問題となる可能性があり、政府が被害者対策に乗り出したら果たしてきちんと回収できるかどうかは見ものでしょう。
スルガ銀行については以上の通りですが、何もここに限らずゼロ金利政策のせいで地銀はどこも屋台事情が苦しく、こんな風にサラ金まがいのことでもしないと国内事業で生きていくことはほぼ不可能でしょう。この辺についても体力に余裕があればまた自分の見解を書きます。
おまけ
「かぼちゃの馬車」のCMキャラがあのベッキーだったと聞き、彼女が何か悪いわけじゃないけど、つくづく闇の深い女性だなと思います。なお闇の深さでいえば漫画の「アホガール」に出てくる風紀委員長についてはその底が見えません。
・スルガ銀行は「かぼちゃの馬車」で何処へ行く!(1)(財経新聞)
・ベッキーがCMキャラの『かぼちゃの馬車』 オーナー約700人がトラブルに(@niftyニュース)
時期にしてちょうど昨年末ごろ、アパートローン問題で静岡県の銀行が特に手広くやっているという話を耳にし、静岡の話だから静岡銀行かなと思っていたら実際にはスルガ銀行でした。そのスルガ銀行について大体先月あたりから報道も増えてきましたが、取りざたされているのは上記リンクの格安シェアハウス「かぼちゃの馬車」を巡るローン問題です。
詳しくは上記リンク先の記事を読んでもらえればわかりますが、「銀行から金借りてローン組んでサブリースに出せば資産保全+不労収入が得られるよ」と言って、退職金をもらったばかりの高齢者を主なターゲットに、女性向け格安シェアハウス物件「かぼちゃの馬車」を運営管理するスマートデイズ社がスルガ銀行とタッグを組んでた模様です。
しかし実態は物件のまずさと賃料の低さから回収が見込めるような物件ではなく、スマートデイズ社は新規オーナーにローン組ませて受け取ったアパート建築料を既存オーナーに分配させているという自転車操業だったようで、お金が回んなくなってきた段階でサブリース契約でオーナー側へ支払うこととなっている賃料を一方的に値下げしてきたとのことです。
こうした手法というか問題は、先ほどは「アパートローン問題」と表現しましたが、「サブリース問題」と表現するべきかもしれません。というのもこうした、資産保全を謳って言葉巧みにアパートを建てさせておきながら、空室など運営がうまく行かなくなってくるや当初契約に反してオーナー受取り賃料を一方的に引き下げるという例はスマートデイズに限るわけじゃないからです。
・「テレ東がまた攻めてる」と話題に 「ガイアの夜明け」集団訴訟が相次ぐレオパレス21の社長に直撃取材(キャリコネニュース)
この辺については昨年、テレビ東京が人気番組「ガイアの夜明け」で、社員に契約に反するサブリース契約料金の強引な引き下げを全社一丸となってやらかしていたレオパレス21に対して突っ込んだ取材を行っています。自分もたまにやるけど、こういうのって「取材の結果」ではなく「取材の過程」を見せることに価値があるよね。
現実問題としてこうしたサブリース問題は大手、中小を問わずに今盛んに行われていると思われます。しかし普通に考えたって人口減の今の日本でアパート需要が高まるわけはなく、しかも同じようなことする不動産屋が多いせいでこのところのアパート、マンションの乱立ぶりも激しく、普通に考えてアパート運営が軌道に乗るとはとても思えません。
それでも消費者への注意喚起がまだ不十分なのと、各関係機関の対応が遅れていることから被害者オーナーはは尚も増加中で、多分2020年以降には大きな社会問題と化す可能性もあると私は見ています。この場合、国がどういう対応を取るかに寄りますが、それによっては不動産屋のみなら地銀も共倒れとなる可能性もあるでしょう。
このサブリース問題で特に根が深いと思うのは、不動産屋と銀行が明らかにタッグを組んでいる点です。スルガ銀行の話に戻りますが、報道によるとスマートデイズは本来ならば融資基準を満たさないオーナー希望者に対し、所得や資産状況の証明書類を偽造してまでスルガ銀行でローンを組ませていたとのことです。スルガ銀行側は資産査定が甘かったと言い訳を述べていますが、どう考えても軌道に乗るとは思えない「かぼちゃの馬車」の事業計画に融資していた点一つとっても、始めから最終的にアパートオーナーの首を絞める自体になることが分かっていながらやっていたのではないかとしか内心思えません。少なくとも、あんな杜撰な事業計画に係る時点で銀行としての資質は疑われても仕方ないでしょう。
・目的別ローンラインナップ(スルガ銀行)
そんな資質を疑いたくなるスルガ銀行について冷凍たこ焼きを絶対に切らすことのない友人から紹介してもらったのが上記リンクです。自動車ローンや教育ローンはまだわかるとしても、カメラ・レンズローンや鉄道模型ローンなど手広くローンコースを用意しているあたり、なんか銀行というよりかはサラ金のようなことやってます。
なおこの中にはロードバイクローンもあったのでその中身を見てみると、
<ロードバイクローンご利用例>
フレームセット 70万円
カーボンホイール 40万円
大会参加費用(宿泊代等) 5万円
他社ローン借換 35万円
総額費用 150万円
なんやねんこの金額と、一目見て思いました。プロのレーサーが使用する自転車ですら50~60万円程度と聞くのに、なぜこんな自己満足みたいな無駄に高い自転車で利用例を出すのか。っていうかそもそも「他社ローン借換」って何?ロードレーサーは既に借金してること前提なの?
こんな具合で経営手法が疑問満点のスルガ銀行ですが、収益率が高いことから(地銀平均0.3%に対し1.42%)、政府からは「将来あるべき地銀の姿」とこのところ褒められているそうです。なんか破綻前のどっかの銀行も同じようなこと言われてたような気がしますが、死亡フラグ?
現時点で言えることとして、サブリース問題が持ち上がっている「かぼちゃの馬車」は現状、ほぼ不良債権と見てもおかしくないでしょう。その上でこちらは推測となりますが、大抵こういう目立つ不良債権案件を手広くやっている金融機関って、見えないところでもっと大きな爆弾を抱えてるパターンってのが多い気がします。債務者を追い込んででも回収する自信があるなら別に問題ないですが、サブリース問題は空き家問題と並んで近々本格的な社会問題となる可能性があり、政府が被害者対策に乗り出したら果たしてきちんと回収できるかどうかは見ものでしょう。
スルガ銀行については以上の通りですが、何もここに限らずゼロ金利政策のせいで地銀はどこも屋台事情が苦しく、こんな風にサラ金まがいのことでもしないと国内事業で生きていくことはほぼ不可能でしょう。この辺についても体力に余裕があればまた自分の見解を書きます。
おまけ
「かぼちゃの馬車」のCMキャラがあのベッキーだったと聞き、彼女が何か悪いわけじゃないけど、つくづく闇の深い女性だなと思います。なお闇の深さでいえば漫画の「アホガール」に出てくる風紀委員長についてはその底が見えません。
2018年3月19日月曜日
いっかいやすみ(ヽ´ω`)
このところ仕事が忙しく、疲労度合いも半端じゃないので今日も真面目な記事は書かずにお休みします。本当はスルガ銀とか森友問題とかでこっちももっといろいろ書きたいのですが。
なおこのブログだけ見ているとさも私が毎日楽しくゲームして遊んで暮らしているように見えますが、ちゃんと先週末も次のJBpress用記事に中国高級車市場の取材、分析、執筆をやっており、執筆中は何度も友人にしつこくチャットで「眠い!ゲームしたい!(´;ω;`)」と送り続けていました。っていうか資料集めから脱稿までああいう記事をよく1日程度でまとめるなと自分で思います。
さて、3/10に続編が発表された「神獄塔メアリスケルター」でもやるか……。
なおこのブログだけ見ているとさも私が毎日楽しくゲームして遊んで暮らしているように見えますが、ちゃんと先週末も次のJBpress用記事に中国高級車市場の取材、分析、執筆をやっており、執筆中は何度も友人にしつこくチャットで「眠い!ゲームしたい!(´;ω;`)」と送り続けていました。っていうか資料集めから脱稿までああいう記事をよく1日程度でまとめるなと自分で思います。
さて、3/10に続編が発表された「神獄塔メアリスケルター」でもやるか……。
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