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2021年2月3日水曜日

菅総理長男の官僚接待報道について

 結論から書くと、次は5月くらいかなと予想します。

菅首相の長男 総務省幹部を違法接待【決定的瞬間をスクープ撮】(文春オンライン)

 よくもまぁこの情報と写真を撮ってきたものだと文春に対し素直に尊敬心を覚えます。朝日新聞も恥をかなぐり捨ててほぼそのまんまな引用記事を出しているあたり、新聞社を遥かに凌駕する取材力を今回発揮したと言えるでしょう。

 報道内容については記事を見てもらえばいいだけなので詳しく語りませんが、一読して感じたのは「親孝行な息子さんだな」という感想でした。というのも向いていない仕事について苦労しているお父さんを、その仕事から開放してあげてるからです。
 断言してもいいですがもうこれで菅政権は終わりでしょう。たとえこれからどれだけ頑張って功績を上げたとしても、年内には総辞職に追い込まれ新しい首相が発生すると予想します。まぁ選挙に関しては新しい総理がうまくハネムーン期間に乗っかれば意外と何とかなるものですが、やれるとしたら夏から秋のコロナ少なめシーズンしかないでしょう。

 個人的に気になった点を挙げると、接待が行われたのは去年の10月から12月にかけてのことですが、報道された今日は2月です。裏取りなどに時間がかかったのではとは思いますが、恐らくは敢えて狙ってこのタイミング、具体的には改正感染症法の成立を文春は待ったのではないかと思います。そこそこ重要な法案でもあり、きちんと成立まで待ってあげた文春に菅総理はちゃんとお礼を言うべきだと思います。
 ただこの法律、報道でも指摘されていますが入院拒否したら罰則とあるのに、入院したくてもできない人が多い現状を考えると実に空気を読まない法律だと成立したてながら思います。それこそ去年の今の段階であれば話は違いましたが、何故ここである意味神経を逆なでするような改正をやってしまうのか、やはりそういう意味では菅総理には向いていない仕事だったのかもしれません。

 それにしても森喜朗といい、一般党員投票を省いて就任する総理ってのはみんな揃いも揃って空気の読めない人ばかりです。恐らくこれに懲りて次は一般党員投票は行われるでしょう。
 その森喜朗は文春以上にタイミングをうまく合わせてきているのではと思うくらい、絶妙なタイミングでまた失言をかましました。なんか今日は本当に政治ニュース多いとちょっとびっくりです。

 なんとなくですが、先週あたりからようやく菅総理は状況が呑み込めてきて、コロナ対策に関しては比較的真面目に対策して、低めに対応するよう心掛けるようになってきましたが、まぁ時既に遅しでしたね。そもそもなんでそういう風に態度を翻したのかというと、はっきり言えば羽田議員がコロナでなくなったからだと思え、他人事だと感じなくなったからだと推測しています。二階幹事長もあのタイミングから急に態度変わったし。
 逆を言えばそれまではコロナについてやはり他人事だと、自分たちとは違う世界にいる国民で蔓延している問題と見ていた節があります。はっきり言えば今の発言などからも、そうした国民との一体感のなさ強く感じるほどです。自分は内心、空気を読むことを強制する人や社会をいいとは思っていませんが、政治家でありながら世論を読めないというのはやはり向いていないと言わざるを得ません。

 菅総理自体、政策よりも党運営方面で生きて来た人間でもあり、沿って井出はそこそこ私は評価していましたが、やはり総理には向いていなかったのでしょう。今回は馬鹿息子のせいで( ´Д`)ノ~バイバイですが、下手に長くやるよりかはかえって踏ん切りついて、彼のためにも良かったのかもしれません。

2021年2月1日月曜日

宏光MINI記事の裏側


 「次号は休載」と予告したのに何故か普通に掲載してくることのある「彼岸島」が読めるヤンマガ的な隔週の私の記事紹介ですが、今回は四半期ごとに出している自動車業界の統計記事です。JBpressサイト内のランキングでは1日を通して3位前後を維持するなどアクセス面でも検討している節がありますが、地味に経済記事できちんとアクセス稼げたのは久々だったりします。

 さてその記事内容ですが、一応全体としては中国自動車業界の2020年統計を振り返る内容となっていますが、主役はやはり見出しにも書いた中国の超低価格EVこと「宏光MINI」です。この車の何がいいかって、「ひろみつ」と入力するときちんと「宏光」に変換されるので記事が書きやすいって点です。マジで。

 それはともかくとしてこの宏光MINI、実は単独でも記事化しようかと考えたことがありました。しかしどうせ時期的にも統計記事が出せるタイミングだったのでこうしてまとめて一括にして書いたわけですが、結果的には統計内容にいい塩梅のスパイス的要素になり、記事全体が締まった感じが出てきたので、こういう風な記事構成にして結果的には正解でした。
 なおそうした記事構成からやはり宏光MINIの写真は絶対必要でした。なので写真撮ろうと思い、路上とかで見かけた奴じゃなくちゃんとディーラー店言って撮ろうと思って地図探したら、上汽五菱通用のディーラー店はやたら辺鄙なところにしかなく、自転車で片道1時間かけて撮影する羽目となりました。ちょうど体力的に弱ってた頃で、近くに大江戸温泉もあったことからそのまま風呂入ってからその日は帰りました。

 今回この記事のヤフコメを見ると、自分でも意外だったのですが思ってた以上に中国自動車業界に詳しい方々からこの宏光MINIに関するコメント、それも大半がそのポテンシャルを認めるというコメントが多く集まりました。大半のコメントが見応えがあり、日本電産トップ陣がこの車についてコメントしていたことも恥ずかしながら初めて知りました。
 実際にというか、この宏光MINIは真面目に凄い車だと思います。中国の自主ブランド車種としては多分私が見た中でこれまでで一番驚いたというか凄さを感じた車で、はっきり言えばその衝撃はテスラのモデルSとかよりもずっと大きかったです。

 この車の第一印象としては記事にも書いている通り、「自動車」というより「電動バイクのハイグレード版」というイメージでした。自動車としては最低グレードにおいてはエアコンもないという貧相ぶりですが、電動バイクとしてみたら屋根があって雨に濡れない、冬場はヒーターがある、同乗者も荷物も載せられるというプレミアムが付き、価格的にも頑張れば電動バイク通勤者にも手が届く値段です。これは言い返せば、従来自動車を買おうとしなかった層が買えるし欲しがる車となりうるということで、新規顧客層と市場を一気に切り拓くような車だと直感的に感じました。
 実際に記事にも書いている通り現在この車は馬鹿売れしており、価格こそ低いものの、これだけ量が吐ければスケールメリットも十分狙えるようになるだけに、開発者及び経営者の目の付け所というか市場のポジショニングの取り方にははっきりと舌を巻きました。

 それ以上にこの車については、何度も書いていますが最低グレードにはエアコンに冷房機能は乗っていませんが、4千元(約6.5万円)上乗せした真ん中のグレードになると冷房機能がつくようになります。なら冷房機能を全グレード標準搭載にすればよかったのではと正直私も最初思いましたが、逆を言えば、メーカーは冷房機能のないグレードを設けてまでも値段を下げようとしたということになり、この辺に開発者のコストダウンに対する物凄い執念を感じます。
 そもそも冷房の有無以前にこの車はEVでありながら50万円を切るという恐ろしい低価格です。どっかの解説で見ましたが、日系メーカーはこの車と同じ装備のEVは作ろうと思えば作れるが、この価格と同じEVは絶対に作れないという指摘があり、その点を取ってみればコストダウン技術で中国メーカーは日系を既に遥かに凌駕しているということになります。高性能な車を作れることは技術的に必ずしも高くないということを上手く示している車であるようにも思え、真面目に私も恐れ入る車です。

 最後にヤフコメで気になったコメントを一つ挙げると、

「最近、衰えてきた母に買い物用として原1か原2のEVを買おうとしたのですが、買い物袋を下げることやちょっとした登坂を考えると、残念ながらマッチするものがありませんでした。
このMINI EVなら雨風凌げて、坂でも問題なく、荷物もゆったり置けて良さそう。夏場はファラリスの雄牛みたいになるかもですが。

 この最後の「ファラリスの雄牛」の引用の仕方が絶妙で、このコメント主にはすさまじいセンスを密かに覚えました。自分もどっかで使ってみよう。

2021年1月31日日曜日

選り好みされて報じられる他国の感染対策

 最近の検索ワードは「彼岸島 カニパン」です。

荷物に消毒液、ドアにはアラーム…特派員が体験した中国の“厳戒”水際対策 「日本よりも安全に感じる」の声も(ABEMA TIMES)

 話は本題ですが上記記事で取り上げられている中国における海外からの流入者に対する14日間の隔離措置、感染対策についてですが、私が把握している情報とも内容は基本一致しています。ちなみにここだけの話をすると、中国入国後の隔離中はアルコールが一切飲めないからといって、末後の酒とばかりに泥酔状態で成田空港に登場する日本人派遣者もいたという面白いうわさも聞きます。

 逆にというかこの記事でも書かれている通り、中国で暮らす日本人駐在員からしたら日本の感染対策は緩すぎて「わざと感染広げているんじゃないのか?」とくらいに思われています。記事にある通り、日本到着後の移動に関して全く監視が付けられず、しかも感染対策が採られているとはとても思えないハイヤーでの移動とかも認めているなど、真面目に正気を疑います。
 それ以上に自分がびっくりしたのは先日の英国での変異種が報告された後の英国からの帰国便で、乗客には検査した一方、航空機のパイロットはノー検査で通し、案の定陽性だったという話です。国際移動の激しいパイロットだからこそ乗客以上にリスクが高いように私には思えるのですが、どうやら日本はそうでなかったと知り、何とも言えない感情を覚えました。

 その上で、最近の日本における各国のコロナ感染対策について、思い違いかもしれませんが一つの傾向があるように見えます。具体的に言うと選り好みされた報道の仕方がなされており、欧米など流行爆発が続いている地域の内容ばかり報じて、台湾、またタイやマレーシアなど流行が欧米に比べると落ち着いている地域の話がほとんど見られません

 中国に関しては上記の記事を始め、また最初の感染地域であったことからまだ報じられている方かとは思いますが、実質的に抑え込みにほぼ成功している台湾の措置や予防対策の話となると、この数ヶ月の間に私は一度も報道されているのを見たことがありません。本来ならばもっとも見本とすべきモデルケースの一つであるように思うのですが、何故か日本では逆に、反面教師ともいうべき欧米の措置ばかりがやたらと取り上げられている気がします。

 何故こうなるのかという理由についてはいくつか考えられますが、単純に台湾の事例は報道したら具合が良くないと考える人間が多いのではないかと見ています。具体的には、

・台湾なのに対策に成功しているという事実が気に入らない
・日本の対策に不備があるということが分かってしまう
・被害を強調する方が報道価値が高い

 このうち二番目の理由が特に大きいように思います。というのも日本の感染対策の報道で各国を比較する際、「欧米に比べ日本はよくやっている」という不文律を外さないような報道が見え隠れします。これは政府の指示なのかメディアの独自判断なんかわかりませんが、「感染者は増えてはいるけど欧米に比べれば日本の対策はしっかりしており、これは不可抗力なんだよ。これ以上の対策なんてないんだよ」的な言い訳じみた報道の仕方が強いです。

 特にこうした方針が強く出されているのは、都市封鎖に関する報道の時です。都市封鎖に関しては決まって欧米の例を出して「あまり効果がなかった」、「都市封鎖はしたけどその後も感染者が増え続けた」的な報道の仕方がなされ、中国が最初にやった武漢とか、最近にやった石家庄市の例は引用されることはありません。しかもその欧米の都市封鎖例は、ゆるゆるというか封鎖に反対する人が反抗して外出しまくっているという比較にならない例だったりします。

 現実には中国や台湾の例など、感染対策でもっと引き締めるべき点は日本には数多く存在すると私には思いますが、上記の通り報道規制なのか自主規制なのかプロパガンダなのかわかりませんが、感染対策の国別比較においては明確に選り好みされている傾向が見えます。はっきり言うと感染爆発が続いている欧米諸国なんて報じる価値なぞほとんどないのに、欧米ほど「英国では現在、こんな対策が~」という風に報じられています。
 それこそ以前にこのブログでも取り上げた感染確認アプリとか、日本では効果を発揮した例どころか、きちんと感染を申告したにも関わらず家族のアプリには通知が来なかったなどとの不備例がよく見られます。前にも書きましたが、このアプリの責任者は無駄なものが無駄だとわからない無能としか言いようがなく、可能な限り早く職を辞すべきでしょう。この時期に無駄なリソース使いやがって。

 はっきり書いてしまうと、上記のような報道のなされ方がされるのは日本人の優越意識が働いているのではないかと疑っています。自分たちの対策が他国に劣ることはない、無茶苦茶な対策は中国だからできたのであって日本のような民主国家には不可能という主張や思想において、同じ民主主義であり比較的抑え込みに成功した台湾の事例は日本人のプライド的にあってはならない事例になっているのではと私には見えます。
 その上で冒頭にも書いた通り、今の日本の対策は抑え込むどころか感染を自ら広げていると感じる節があります。何故そんなことを続けるのかというと、担当者らがワクチン頼みな思考しているからではないかと推察されます。

2021年1月30日土曜日

ダルビッシュの投げすぎ問題の言及について

 漫画「チェンソーマン」の世界ではその概念に対する恐怖の度合いが強いほど、その概念の名を持つ悪魔が強くなるという設定ですが、「ハゲの悪魔」がいたらどれだけ強くて、どんなビジュアルなのかが私、気になります。


 話は本題ですが、かねてからこのブログでも甲子園、というか高校野球は子供の体を傷つけるだけと批判しまくっている私ですが、同様の意見をメジャーのダルビッシュ氏もよく述べており、上記インタビューでもその点について触れています。
 個人的に興味深いのは上記記事で、

「一種の洗脳じゃないけど、『僕は高校の時にすごく投げさせられまくって故障して、もうそのあと二度と投げられなくなっちゃったけど、感謝しているし、本当に大事な経験でしたって言う人もいるんです。人って結局自分がやっていたことを否定したくないじゃないですか。なんとかして肯定するほうにもっていきたくなるから。そういう人たちはそれでいいんだけど、子どもたちに『投げて大丈夫だよって言うのはやめてほしい。」

 この指摘部分は自分も非常に同感するところで、というのも以前にやたらしつこく、「球児本人が肩を壊してでも投げたがっているのだから投げさせた方がいい」と私に反論する奴がいたからです。無論そんな意見にも私は大反対で、むしろ子供だからこそ浅い判断で死に急ぐような道を選びがちなのだから、大人がそれを制さないでどうすると言い返したら、またオウム返しに同じこと言い出してきたのでその後縁を切っています。あれで大卒を名乗っているのだから日本の大学教育は何なのかと正直思いました。

 話を戻すと、それこそ高校時代に肩を痛めて、プロになったとしても選手寿命が短かったとかいう人は少なくないですが、そういうのはまだマシな方で、中には投げすぎで深刻な後遺症を患う子供もいるということを聞きます。そういうことを考えるとダルビッシュ氏の言う通り、高校野球までの間では球数制限を設けるべきだという立場を私は取ります。
 その上で、球数制限は球児の身体のみならず、野球界の発展においてもプラスじゃないかと内心考えています。

 そもそも一体何故高校野球で登板過多が起こるのかというと、エースで確実に投げ勝ちたいという監督心理が最大の要因で間違いないです。二番手、三番手でも勝てるというのなら普通に交替させて言うわけだし、そうならないのは負けた時に「何故エースを出さなかったのか!」という批判が怖いからでしょう。そういう意味ではロッテに入った佐々木投手の高校時代の監督は批判を覚悟で県大会最終戦で佐々木選手を出さない決断を下したのは勇気がいったことでしょう。

 ただこうしたエースに頼り切るという戦術ですが、裏を返せば二番手、三番手投手の登板が制限されるということにつながります。それこそ中にはエースに負けず劣らずの実力、下手すればその才能で言えば上回っていた二番手、三番手投手もいたと思いますが、高校の試合で登板しなかったことから注目されず、プロになれず、才能を開花できなかった選手もいるでしょう。また発展途上過程にあって、試合に出られずいまいち伸び切れなかったというパターンもあるかもしれません。

 一つ例えを出すと、元巨人の上原氏は高校時代、同じくプロに行った建山氏に次ぐ二番手投手でした。上原氏の場合は大学で才能が開花したこともあってプロとなりましたが、もしかしたら高校時代にもっと試合に出ていたら、その時点で大きく注目されていたかもしれません。
 まぁ上原氏の場合は大学行くまでの筋トレが良かったというから、大学行って正解だった気がしますが。

 仮に球数制限、それこそ1投手は1試合で4回までしか投げられないという風にすれば、必然的に二番手、三番手投手も各チームは育て、登板させなければなりません。その過程で投手として才能ある球児が日の目を浴びたり、実力を伸ばすチャンスは広がると思うし、またエースをどこで投入させるかの駆け引きも加わるので、試合展開的にも面白くなっていくのではと思います。

 そもそも現代の高校野球自体、エース一人に対する依存体質がやや強すぎる気がします。チーム単位で戦うというよりかはエースの善し悪しで決まっているのではと思う試合もあり、そういう意味で1試合に最低二人の投手が登板しなければならない展開の方が教育的にもプラスじゃないかなって思えてなりません。控え選手を含めた選手層で如何に勝つか、そういった視点を甲子園は持つべきでしょう。

 まぁそもそも、甲子園自体なくなっちまえというのが私の本音です。前調べたけど、中継しているテレビ局も高野連に寄付金を含めほとんど金出さずに無料で放映権取ってCM流してんだし。

2021年1月28日木曜日

一番気になる未解決事件

 一応今も断続的に寒波が来てますが、12月に比べたら全然寒くないなと思います。それ以上に眠い( ˘ω˘)スヤァ

 話は本題ですが、よくネットでは定期的に「一番闇の深い未解決事件」などというタイトルで掲示板が立ちます。一番話題になる未解決事件なら間違いなく世田谷一家殺人事件でしょうが、それでも自分の実感では311のあった2011年以降からだんだんフェードアウトし始め、最近になっては年度末の恒例行事となっている捜査進捗が報じられるたびに、「なんで事件発生当時にそうした情報を公開しなかったんだ」などという批判が出るようにもなっており、そう遠くないうちに定期報告もなくなると思います。それこそ犯人が別件逮捕されてDNA鑑定で一致でもしない限りは、解決する可能性は厳しいでしょう。

 ちょっと脱線しましたが未解決事件はやはり関心が集まるからこそ定期的に話題になるのでしょうが、ほかならぬ私自身もそういった事件系に関する興味は高いです。もっとも興味持つのは未解決事件に限らず、無駄に有り余っている記憶力を使って一時期はWikipediaの年表記事から一つ一つ事件名のリンクを辿っては覚えようとした時期もありました。あんま役に立つことないけど、年上の世代と話す時に時たま役に立ちます。
 そんな割と事件マニアな私から見て、個人的に一番興味がある未解決事件を挙げるならこれです。


 その事件というのも2010年に神戸市で起きた男子高生の殺人事件です。事件概要は上記リンク先にも書いていますが、夜10時過ぎに中学生の彼女と自販機前にいたら見知らぬ男性が刃物をもって襲ってきて、女子中学生が一旦逃げてから再び現場近くに戻ると男子高生が刺殺された状態で見つかったというあらましです。

 事件発生当時はそこそこ話題になったこの事件ですが、なんか意外というか先ほどの未解決事件関連の掲示板で触れられていることは少ない気がします。同時に、通り魔的殺人事件にもかかわらず、現場周辺に犯人がまだ潜んでいるのではといった恐怖感がなんか他の事件と比べるとやや薄いようにも感じます。
 なお酒鬼薔薇事件の時に現場近くに住んでた同僚は、「あの時めっちゃ怖かったわ:(;゙゚''ω゚''):」と語ってました。なんかその同僚の反応とかと比べると、この事件に対する反応は全然弱いような印象があります。

 何故この事件に関して印象が弱いのかというと、割と理由はある気がします。具体的には事件発生当時、犯人以上に被害者二人に対する疑念がネットを中心に数多く出てたからです。
 単純に夜10時過ぎに未成年が外でたむろしていたという時点で、被害者には申し訳ないですが同年代の中では余り真っ当な方ではないと思われるのも仕方ありません。同時にこの事件がたまたまだったらやはりそのように報じられていたと思え、察するに日常的に夜中外でうろうろする人たちだったのではと推測されます。

 その上で、逃げた女子中学生の証言が全く宛てにならないという事実も、いろいろと感じさせる店が多いです。リンク先の記事にも書いている通りに事件発生直後、犯人を直視していた女子中学生の証言はその後二転三転され、同様の事件なら作られていると思う犯人の似顔絵、当時の服装イメージとかも一度も公開されることはありませんでした。
 もちろん襲われた場面に出くわせば案外犯人の顔とか覚えられないものだと私も思います。何も私はこの女子中学生、若しくはその関係者が犯人だというつもりはさらさらないですが、少なくとも事件捜査においてこの子が証言した内容や供述は当てにならない可能性の方が高いと考えています。ただ当てにならなくても、夜中とはいえ街中でのこれほどの殺人事件でなかなか犯人が見つからないというのは未だにやや不思議に感じています。まぁ天下の兵庫県警だしなぁ。

 もしかしたら自分が知らないだけで、現場は周りに一切人がいないような変な場所なのかもしれません。京都精華大学生通り魔殺人事件などは自分も事件現場を知っており、本当に何もないところなので事件発生当時に犯人を見聞きしたという情報が少ないのも、未だ犯人が見つからないというのも理解できる点があり、神戸の事件も案外そういう場所なのかもと勝手に考えています。

2021年1月26日火曜日

DHCの懲戒解雇報道について

 今日は仕事で疲れて(ヽ''ω`)なので気になったニュースだけ紹介します。


 直接関わったわけではないですけど、DHCが「そういう」会社だというのは伝え聞くところで耳にしてました。

 なのでこのニュース見てもあまり驚きがないというかやっぱり程度にしか思わないのですが、前に自分がJBpressで書いたように、日本はこんな無理やりな解雇をやったとしても別に行政とかから処分食らうこともなく、解雇された側が弁護士雇って高い金かけて裁判でも起こさない限り、一切救済が行われない辺り、めちゃ解雇しやすい国じゃんと改めて思います。それ以上に、こうした報道があってもあまり社会が関心を示さず、「あるある(´ー`*)ウンウン」的な感じで終わってしまう当たりの方が逆に怖かったりします。

 改めてこの報道に触れて「パソナルームってまだあるのかな?」と思って検索したところ、以前は確か独立したWikipediaのページがあったように思うのですがそれはなくなってて、かわりに「追い出し部屋」というページができてました。このページ見て初めて知ったけど、

「また、漫画家の藤子不二雄Aは自身の藤子不二雄Aブラックユーモア短編にて1972年にいち早くこの問題を取り上げ題材とした『なにもしない課』を作品にしている。」

 という記述があり、藤子不二雄Aパネェとか思いました。それにしても「追出部屋」と書くとなんか相撲部屋っぽい。

2021年1月24日日曜日

中国語の「咸鱼(塩漬け魚、魚の死骸)」使ってみた

 最近好きな日本語は「誇張しのぶ」だったりします。


 さて上の写真は次の記事に使うから今日片道1時間かけて撮ってきた写真ですが、撮影後にこれヤバイと気が付いたことがありました。というのも左側の車の側面部に黄色いの写ってますが、これはわかりづらいけどピカチュウのステッカーで、「許可取ってんのかよ(;´・ω・)」的なやばさを感じました。


 それで撮影しなおしたのがこっちですが、なんか中途半端な感じしたので結局使わないことにして、もったいないからここで公開することにしました。

 それはさておき本題ですが、先日パソコン市場に関する仕事に係わることがあり、その際に中国人の同僚に業務報告に付け加える形でこんなメールを打ちました。

「ノートパソコンに関して00年代まで東芝のダイナブックは、価格は高いが性能、サービス共に当時間違いなく世界最高だった。自分もずっと使っていた。しかし10年代に入るあたりからだんだん悪くなり、見ていてなんだか『咸鱼』になっていった気がする。自分もダイナブックをもう買わなくなってしまった」

 ここで使った「咸鱼」という中国語ですが「咸」というのは「しょっぱい、塩」などの意味をあらわす単語で、「魚」がつくと見出しの通り「塩漬け魚、魚の死骸」という意味になります。こうした意味から転じて、「やる気がなくなった、覇気のない」みたいな様子を表す用語となっています。
 なんでこんな単語を急に使ったのかというと、上記のメッセージを送るに当たって「やる気のない」という意味の単語を探したところ見つけ、その意味と「干からびた魚」というイメージになるほどと面白く感じたため使ってみました。そしたら返信で、

「ノートパソコンに関して00年代までソニーのVAIOは、価格は高いが性能、サービス共に当時間違いなく世界最高だった。自分もずっと使っていた。しかし10年代に入るあたりからだんだん悪くなり、見ていてなんだか『咸鱼』になっていった気がする。自分もVAIOをもう買わなくなってしまった」

 と、中国人の同僚が同じような言い回しで返信を送ってくれました。っていうかVAIOファンだったんだこの人などと思うとともに、「わかる、めっちゃわかる(´ー`*)ウンウン」的に自分も同感しました。
 ダイナブックもVAIOも、パソコン市場が拡大していた00年代の間はそれぞれ覇を競うようにいいノートパソコンを相次いで発売していましたが、大体2010年に入るあたりから自前ではほとんど生産しなくなり、コンパルとかフォックスコンなどのOEMメーカーに丸投げ、っていうか見ている感じ設計も含めた丸投げ(ODM)をするようになったりして、完全に事業にやる気をなくしていました。

 この間、OEMメーカーだったASUSとかacerがオリジナルブランドで安いノートパソコンを作るようになり、ダイナブックもVAIOも、値段が高いだけでサービスはともかく性能面では立ち遅れた製品、いわば「ブランド代がやたら高い」ノートパソコンしか出さなくなり、私も見限るようになりました。
 それこそ00年代においては、「俺は一生ダイナブック以外のノートパソコンは使わねぇ(# ゚Д゚)」などと吠えていましたが、2010年くらいには「ダイナブック以外のパソコンもいいよね(´・ω・)」などと言うようになってしまいました。

 それでもVAIOに関してはソニーが資本を手放したあたりから再び製品が良くなってきましたが、この前見たらなんかまたどういった顧客を想定しているのかよくわからない商品が並ぶようになり、ちょっとまた悪くなっている気がします。

 一方、ダイナブックは東芝の手を離れてシャープ、もといかつてのOEM先だったフォックスコンこと鴻海の資本が入るようになりましたが、今のところ好転の兆しはあまり見えません。何より一番理解できないのは、未だにBTO、つまりホームページ上でスペックやソフトを決めて購入し、工場などから直接出荷してもらうという販売方法をまだ採用していません。自分が知る限り、主だったノートパソコンメーカーでこんなのはダイナブックだけで、未だにあらかじめ決められたスペック以外のパソコンしか販売していません。
 おまけにサイト上で条件をかけて検索すると、何故か「販売終了済み」が付いたパソコンが検索上位にずらっと出てきます。っていうか終了してんなら何故サイトから消さないのか、未だにダイナブックに関しては「咸鱼」であるように思えます。