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2021年4月24日土曜日

引きこもりの親殺害の逆パターン

 お茶の間に流れるテレビの報道で一番気まずくさせるのは、引きこもりの子供が親を殺害するというニュースじゃないかと思います。別に引きこもりじゃなかった頃の私ですら一瞬の気まずさを感じてましたし、報道自体に何か問題があるわけじゃないけど、何か沈黙を作らせたらある意味一品なニュース報道じゃないかと思います。
 そうしたニュースを中国に行ってからは一切見ないというかテレビ自体見なくなりましたが、ふと今日自宅でラーメン作っている時に、逆パターンはないのかなという疑問を覚えました。どんな逆パターン化というと、親が引きこもりの子供を殺害するというパターンです。

 これが実際に起きた例としては元農水次官長男殺害事件で、恐らくこの事件は今後20年間くらいは歴代重要事件として語り継がれるかと思います。この事件では家庭内暴力を繰り返し、将来は外部で大きな事件を起こすと考えたため殺害したと父親は述べていますが、実はこういう事件は案外報じられないだけ、というより一切認知されないだけで実際にもっとたくさん起きているのではとふと思いました。何故こんな風に思うのかというと、隠蔽が行いやすいからです。

 多戸部数年間引きこもっていて近所にもその存在が全く認知されない人がいたとしたら、殺害しても家族以外は探す人はまずいません。そしてその家族が下手人だった場合、死体をどうにかうまく処理出来たら適当に「外出してから一切帰ってこなくなった」、「以前から数日外泊することがよくあった」などと話し、行方不明届を一応出しておけばよほどのことがない限りはそのまま行方不明として処理されるのではないかと思います。
 なんでこんなことを急に思いついたのかというと、年金を受給し続けるため年金受給者の高齢者が死亡したとしてても一切届け出ず、自宅内に死体を置いたままでもずっと気づかれないという例が以前から数多くあるためです。同様に、将来を悲観して引きこもりの子供を殺したとして、前述の通りに外部との人間関係が希薄であれば文字通り闇に葬ることはそれほど困難であるとは思えず、認知や報道がされないだけでこういう例が世の中たくさんあるのではと思ったためです。

 無論、こうした親の子殺しが頻発することは望ましいわけではなく、そうした引きこもりが長年続く世帯においては可能ならば自治体などの相談所と相談して対策を採ってもらいたいところですが、上記のような「認知されない親により引きこもり子供の殺害」が怪談っぽくうわさ話になれば、少しはプラスになる面もあるかなという気がします。何故かというと引きこもりの方にとって単純にプレッシャーとなるわけで、自立意識が芽生えるとこまで行かないにしても、家庭内暴力をやると逆襲されるという懸念が芽生え、こうした行為の抑止につながるんじゃないかと都合よく考えてます。
 そういう意味では、こうした事件が本当にあるんだとしたら一定の水準で報じる価値はあるんじゃないかと思います。まぁこうした報道もお茶の間を気まずくさせるでしょうが。

 そもそも論で言うと、私は人間というのはそこまで複雑ではなく、基本的な行動原理は欲求に直結すると考えています。インセンティブがもらえるとわかれば頑張って働くし、殺されるとわかっていたら無茶な要求にだって大抵聞きます。そんな具合で、引きこもりに関しても「殺される」という生存欲求への刺激があれば動くものが少しはあるんじゃないかと見ています。
 ただこの論理を発展させていくと、それこそもうどうしようもない人に関しては国立自殺施設みたいな話に発展していきかねません。そういう意味でも尊厳死としての安楽死議論ももうちょっと社会で深めてほしいですが、この10年くらいはこのテーマもさしたる議論を見たことないなぁ。

2021年4月23日金曜日

まとめ買いした漫画の内容について


 上の動画は最近ハマってみているものですが、ピアノの練習というか猫乗り曲芸弾きの練習にしかもはや見えない。
 話は本題ですがGW間近となったので買い控えていた発売日の近い漫画を一気に購入して今読んでおり、それらをいくつか紹介します。

1、金田一37歳の事件簿(9巻)
 非常に期待していたもののやや拍子抜け。前巻から続くポルターガイスト屋敷のトリックと犯人は大体読めていたので動機に注目していたけど、如何にもミステリーでありがちな「実は家族だった」エンドでがっかり。
 それ以上にがっかりだったのは次の話、っていうかキャラで、旧シリーズでも準レギュラーだった金田一二三が大人になって再登場したものの、なんかイメージが固まっていないのか作画がページによってややブレがある印象を受けました。そもそもこのキャラ、旧シリーズでも自分からして存在するだけで不快なキャラだったため、今シリーズで出てきたという事実それ自体でなんかテンション落ちます。一応、新編の犯罪展開はまだ読みごたえがあるので続き買いますが。

2、GANTZ:E(2巻)
 昔のある批評の言葉を引用すると、「漫画を馬鹿にしている」という印象を受けました。一応ガンツシリーズなので買って読んではみたものの、もう続きを買うことはないでしょう。
 一体何がクソなのかというと戦闘描写で、これがあまりにもだるすぎです。作画に関してはCG取り込みの背景でさすがというところですが、話があまりにも面白くありません。特徴を持ったキャラクターはいないし、敵キャラもでかくて刀振り回すのしかおらず、攻略方法もこっちも同じく刀振るうか羽交い絞めにするかの2択です。2択のくせして、同じような敵が3度も仕切り直して出てきた時には唖然とされられ、戦闘の展開もほぼ全く一緒で読んでてストレスすら感じました。

 あとどう見ても女性キャラなのに男の振りしてるキャラがいて、周りの人間も全く気が付かないというのも見ていて萎えます。男装させるならもっと徹底的に男に見せるようにすればいいのにそうした配慮もなく、明らかに女なのに誰も気が付かないというのはもはや逆でしかありません。

 逆を言えば、本家ガンツは戦闘描写が凄まじくよかったと改めて思います。「頭文字D」でも同様ですが、「こりゃどうあがいても勝てない……」と思わせる描写からの逆転劇の見せ方が素晴らしく、多くの人間が絶賛しているように大阪編の道頓堀におけるラストバトルは全漫画史上でも読者の想像をすべて裏切る屈指の逆転劇だったと自分は思ってます。

3、よふかしのうた(7巻)
 上二つが期待外れだったのに対し、こちらは期待を大きく超えるほどめちゃ面白かったです。ちょうど盛り上がる過去究明編みたいな話というのもありますが、とにもかくにも人物の表情などの描写が秀逸でした。
 この作者のコトヤマ氏は他の作家とは一線を画すキャラ描写をしていて、前作「だがしかし」が流行ってからというもの、作中でヒロインに使われた瞳を集中円で描くという手法を真似する漫画家が増えた気がします。そうした例を筆頭に割と他の作家にない人物描写をするのですが、それがこの巻の裏切られたり半ば絶望したりしたり、複雑な感情を織り交ぜたりするキャラの表情で抜群に生きてて、表情を見るため一コマだけでもずっと眺めてられる妙な深みを感じました。あと単純にコマ割もきれいで、手早く読む箇所とじっくり読む箇所をまるでコントロールされてるかのように同じ話でも読むテンポが変わってくるのを感じます。まぁそのコマ割の妙を一番感じたのは、中二病的な体験がばれるというページでしたが。

4、ゴルゴ13(119巻)
 言わずと知れたこち亀越え確実な長寿漫画ですが、何故か113巻と119巻のみ今回購入しました。なんでかっていうと、113巻は間違えて購入したためで、119巻は読みたい話があったからです。その話というのも、「間違われた男」が収録されているからです。
 詳細はリンク先のページに解説されていますが、この回ではただの一般人がゴルゴ13に間違われるという、ゴルゴ史上屈指のギャグ回だと言われています。

 なお偶然ですが119巻にはチベット絡みの話も収録されています。この話とか中国政府なんかマジギレしそうな内容なんですが、果たして中国政府の役人はゴルゴ13もきちんと内容チェックしているのかが気になります。にしても時代が時代だから、113巻も119巻も90年代中盤の事件にかたどった話が多かった。

徳川慶喜の子孫

 昔「ヒットラーの息子」という、草葉の陰で「勝手に子供あったことにすんなよと」とアドルフさんが起こりそうなタイトルの漫画がありました。なんでこんなタイトルになったのかというとやはり当時としては世界最大の極悪人というイメージがあったからだと思いますが、実際にはヒトラーは自決直前にエヴァ・ブラウンと結婚式を行いましたが基本的には独身で、子孫とかもいません。
 なお現代で同じような作品を作るとしたらどんなタイトルになるのかなと想像したところ、やはり「ビンラディンの息子」になるのかと思ったその直後、ソ連人民の敵であるうちの親父は無駄にアラブ人顔してて会社でのあだ名が「ビンラディン」だったことを思い出し、「ビンラディンの息子って、もしかして俺のこと?(;゚Д゚)」と焦り始めました。

 そんな無駄に長い前置きはおいといて、「将軍の息子」といった場合にその将軍は誰かとなると、恐らく大半の人がラストジェネラルこと徳川慶喜の名を想像するのではないでしょうか。実は最近ネットで見た情報で、慶喜の息子というか徳川慶喜家の代々の当主の逸話を聞いて一人で結構盛り上がっています。ではその子孫というか系譜はどんなものかというとこんなもんです。

ひ孫:徳川慶朝

 見ての通り慶喜家の当主はきちんと「慶」の字をつけているようです。なおひ孫の徳川慶朝の逝去年は2017年で、つい最近だったりします。

 一人一人簡単に説明すると、息子の慶久は七男ながら兄を差し置いて家督を継いでおり、貴族院議員などを歴任しています。ただ薬の服用ミスとみられる理由で37歳という若い年齢で亡くなられていますが、写真を見る限り非常にダンディな容姿で、柔道などの武道や油絵などの芸術にも通じていたとされ、かなり持てそうな感じがする人です。

 その慶久の息子で慶喜の孫の慶光はというと、戦時中になんと三度も召集を受けています。一度目は病気にかかってすぐ病院に入りそのまま除隊し、二度目も検査に落ちて即除隊でしたが、三度目は中国大陸に派遣されていろいろ苦労したそうです。私が慶喜の子孫について知ったのもこの慶久が元将軍の孫だと言っても特別扱いされてなかったという話題をネットの掲示板で見たのがきっかけでしたが、武門トップの一族とはいえ現代戦争ではどうにもならなかったものかというのを感じます。

 慶久はプライベートでも不倫をやったり、事業に失敗したりといろいろ面白い人生を歩みつつ、80歳で大往生を遂げたようです。その慶久の息子で慶喜のひ孫にあたる慶朝は曾祖父の慶喜同様にカメラに傾倒し、カメラマンを仕事にしていたそうです。ただ離婚後に養子も設けなかったことから、彼の代で慶喜家の嫡流は途絶えています。まぁ今の時代に家計を繋ぐという考え自体が古いかもしれませんが。

 それにしても慶喜の子孫というだけで興味がわくだけに、やはり一時代を彩る人物であったんだなというのを感じます。

2021年4月21日水曜日

不遇であるか幸運であるか

 以前後輩に自分は承認欲求が高すぎると指摘されたことがありましたが、その指摘に対し割とやんわりと否定した上で、「俺の人格の最大の特徴が見えないからそのように見えるのだろう」という風に諭しました。ではそんな自分の人格における最大の特徴は何かというと、生存欲求がほぼゼロに近いという点で間違いないでしょう。
 何も死に急いでいるわけじゃないですが、少なくとも自分が有利になる、幸福になりうる選択肢があったら迷わず選ばないことが多々、っていうかほぼ毎回です。生存本能がないというよりかは利己心がないと言った方がよく、基本的に利他的な決断や行動をとることが多く、自分が苦しい思いすることは我慢できても、周囲の人間が苦汁をなめるような状況には我慢できないことがあり、自分が衝突を起こすパターンも自分自身というよりかは周囲への攻撃とか巻き込まれに対してカチンときて行動を起こすことが多いです。

 こうした性格は学生時代に自分で認識しましたが、気づいたのはむしろ自分の周囲の友人らの方が早く、一人目に「他人のことは良いからもっと自分を大事にした方がいい」と言われた後、「あいつこんなこと言ってやがったぜ(・∀・)」と別の友人に話したら「僕もそう思う(;´・ω・)」と二人目に言われ、その後も他の友人らに同じこと言われまくりました。でもって社会人になってからはなおさらこの傾向が強くなった気がします。

 そうは言いながらも、よくこのブログで髀肉の嘆とばかりに自分の不遇を呪っていますが、そうした主張が冒頭の後輩の勘違いを生んだのではないかと思います。一見すると利己的な価値観から不遇に対する愚痴を履いているように見え後輩が勘違いしたのも内心仕方ないと思うのですが、自分が自分の不遇に対して愚痴を吐くのは、その不遇は自分自身にではなく自分の才能に対するものです。言い換えると、「なんでこれほど安くで高い能力のある自分をどこの誰もがきちんと活用しないのだ。これじゃ世の中大損じゃないか」という風に本気で考えています。

 単純にライターとしての能力一つ取ってしてもJBpress(&やふー)である程度証明して見せましたが、あれだけアクセスを稼ぐ記事を毎回連発するライターはそんないないと断言できます。しかも自分の場合は、割と経歴が重視されるこの業界で一切の経歴を隠してカレーとせんべいが大好きという謎のアピールして不気味さを際立たせており、このハンデをものともしないのは実は内心自慢です。
 それ以上に大きいのは原稿料の金額で、詳しく比較しているわけじゃないですが、かなりの格安料金で毎回原稿出しています。ある程度ボランティア感覚でやる必要があるという判断と、自分を見出してくれたという恩義からギャラ交渉は一切せずに向こうの言い値でずーっと書いてますが、そうした背景からコスパで言えばかなり上位に入るライターじゃないかと密かに考えています。ソ連人民の敵である親父からはもっとギャラ交渉しろと言われてますが。

 こうしたライターとしての実量もさることながら、単純作業の処理能力も実はかなり高い水準に来ているとこの頃思います。以前からも業務処理能力はそこそこ評価されていましたが、今やっている仕事では恐らくワンシーズンの処理量としては現在ワールドレコードを樹立しかけています。正確さはともかくとりあえず仕上げるという速さでは無駄に早く、またワードやエクセルなども比較的こなせる方で、さすがにどの処理分野でも自分がナンバーワンだとはとても言えませんが、もともと高い給与を求めてないことを加味すると、業務処理スタッフとしてみれば無駄にコスパが異常に高い人材であると自負しています。

 そんな自分を、日本にいた頃はどの企業も相手にしませんでした。

 別に応募時に高い給与を要求したことはないし、前述の通り単純な業務処理量では恐らく自分以上の人材は巷にはほとんどいないと言えるのに、何故かどこも自分を採用しようというところはありませんでした。また処理速度だけでなく仕事を選ばない器用さでもそこそこ自信があり、それはこれまでの歪な職務経歴がある程度証明してくれていると思います。ぶっちゃけ何でも屋としての適性の方が高い気がする。

 そんな自分を、何故か日本ではどこも相手にしてくれませんでした。まぁ理由ははっきり自覚しており、態度に一切媚びたところがない、全く媚びようとしないというのがはっきり見て取れるので、それが一般の日本人からすれば非常に生意気と取られ嫌悪されるのでしょう。こっちにそのつもりはないですが、恐らく自分と会った日本人は十中八九自分のことを偉そうな野郎だと考えるでしょう。

 改めて考えてみるとこれまで勤めた日系企業では、ほとんどすべてで私に仕事を割り振ろうとしていなかったように思います。手持無沙汰な状態がどの会社でも多く、自分の処理能力や編集、企画力を発揮する場面はほぼありませんでした。
 そうしたこともあって髀肉の嘆とばかりに自分の状況、というよりも自分を活用できないと世の中がもったいないと考え社会全体で不遇だと本気でずっと考えていました。現在もこうした考えを持っており、折角これだけコスパの良い人間を日本社会は活用できずにもったいないと思うと同時に、その立ち居振る舞いだけでどれだけ能力があっても否定されるのが日本社会なのかもという風なあきらめを持つに至っています。

 もっともこう言いながら、現在いる会社では激しくこき使われています。真面目に今の会社に拾われたのは自分でも幸運だと思っています。飽きっぽい自分が満5年も同じところにいるなんてかなり奇跡ですが、一方で前述の通りワールドレコードを樹立しかけていることについては内心でリスクだとも考え、「あんまり自分に処理させ過ぎていると、何かあった時にトラブルになるからもっと人員増やして(;´Д`)」的に上にはよく言っています。

 以上を踏まえて見出しの不遇であるか幸運であるかという問いを問われるなら、それでもやはり不遇であると私は思います。というのもコスパは良いけど必ずしもトップバリューではないという自覚がある私がこれほどまで世間で活用されないということは、他にも同じような人、具体的にはそこそこ能力があるのにほんのちょっとの不備で一切活用されていない人はもっとたくさんいるのだろうという風に思えるからです。
 そんなのいつの時代も世の常、という人もいるでしょうが、前述の通り自分はアクセスを稼ぐライターとしてだったらかなり上位ランカーを狙える人材、というかそれ以上に他の人間がまず書かない内容を書ける強みを持っていますが、それでも日本にいた頃は自分に記事を書かせようっていうところは一つもありませんでした。割と目立つ能力だと思うのですがそれでも反応がないってことは、多分ていうかほぼ間違いなく今の日本社会は能力基準で仕事が割り振られることがほとんどないように思え、その社会的損失が非常に大きいとしか思えないです。そのため有為な才能がほとんど活用されないっていう意味で、やはり不遇であると思います。

 という感じでレトリック的にまとめましたが、「不遇であるか幸運であるか」という問いの主語は「私」ではなく「日本社会」です。日本語は他言語と比べ主語の省略が非常に多いのが特徴なのですが、私が主語を省略した場合は自分のことではなく社会か人類全体を主語にして言っていることのが多く、それが不要な誤解を招いてんだなとか自覚してます。っていうか普段からそういうのを主語にして語る人間が自分しかないのでしょうが。

2021年4月20日火曜日

非常事態宣言に意味はあるのか?

 昨夜はあくびするだけで首が激痛に襲われるほど頭痛がしたのでブログをまた休みました。原因ははっきりしていて、うつ伏せで寝ながらたまにノーパソ弄ってるからです。絶対首とか頸椎に悪いと思いつつも、寒い日なんかはマジ快適なためよくやります。
 幸い今後は寒い日が減るのでこれからそうやって寝そべることは減るでしょうが、来年冬とかどうしようかなとか今から考えています。思い切って胡坐で座れるこたつテーブルみたいなの買ってしまおうかな。

 話は本題ですがコロナ患者が増え続けててなんかまた非常事態宣言をやろうかとかいう話になっていますが、実はそもそも、日本の非常事態宣言に意味があるのかという疑問があります。その理由というのも単純にざるだからです。
 実際に日本にはいないので非常事態宣言がどんなもんか体感で把握してないのですが、中国みたいに外出をマジで取り締まるということはせず、どちらかというと飲食店に圧力をかけるやり方が多いみたいですが、実はこれに対して疑問を持っています。

 同僚の一人が昨年末に2週間の隔離覚悟で一回帰国しているのですが、その同僚によると都内では非常事態宣言のために夜八時でどこも店を閉めていたようなのですが、そのせいで閉まる前に食事を済ますために夜7時ごろには店は超密集状態でどこも満杯だったそうです。それを見て同僚は、逆に密な状況になってて感染しやすい環境のように見えると述べ、だったら夜10時くらいまで営業して客を分散させた方がいいのではないかと話していました。

 この同僚の話の通りであれば私も同感であり、またそのような状況から察するに電車も特定のラッシュアワーで混雑が増しているのではとも思います。となると非常事態宣言はどこまで効果があるのか、少なくとも飲食店に関しては営業方法にもっと工夫がないのかなどと内心思います。

 その上で付け加えると、やはりお金の使い方を根本から間違えたのではという気がしてなりません。上記の飲食店関連だと、妙なゆるキャラに金使う暇あったらその金で出前サービスのプラットフォーム整備や業者の支援を行い、お店に来ずとも料理を注文配達できる体制をしっかり強化すればよかったのではないかと思います。実際にそういう政策も行われているかもしれませんが、そうすることによって自宅でもお店の料理を食べられ、混雑緩和につなげられるのではないかと思います。

 なんていうか非常事態宣言そのものが、「対策してますよー」的なアピールに過ぎず、中身が伴っていないです。日本人自体がそういう行動なしアピールが大好きな民族ですが、黙って手を動かす奴が一番強くて偉いんだという信条の私からすれば、そういう奴らがのさばっている限り未来はないとしか言いようがないです。

2021年4月17日土曜日

注目されるのは若いうちだけ

 今週末は約1ヶ月ぶりくらいに何も仕事せずに済む週末ですが、JBpressの記事は書かなきゃいけないというジレンマに襲われています。っていうか来月には夏の特集用の記事も書き溜めておかないといけないし、なんでこんな自分はやたらめったら働いているのだろうとたいやきくんモードに入りつつあります。

 話は本題ですが、例のゆたぽん問題について最近いろいろと報道が出ていていくつか読んだりしていますが、私自身は彼について前からあまり好ましい子供とは思っていないのと、そもそもそんなに興味のある存在でもないので中学に登校しないってんなら好きにすればという風に見てます。ただ、彼を見ていて、「ノエルもこんな子やったな」ということを毎回思い出します

ノエル(ニコニコ大百科)

 ノエルというのは元ネット配信者で、「ドローン少年」という通り名の方が有名かと思います。中学生時代からネット配信行為を行い、あたりかまわずドローンを飛ばしては墜落させたりして迷惑行為を繰り返し、2017年には建造物侵入容疑で逮捕もされました。
 2017年の逮捕以降は急激に活動をひそめてかつて運営していたブログなども閉じているのですが、かつて運営されていた頃に一回だけそのブログを訪れてみたところ、「勘違いしているな」という印象を率直に感じました。

 というのもブログ(ブログ名は確か「ドローン少年ノエル」)の構成は外部の人間が作ったと思われるバナーイラストなどがちりばめられており、外部の人間の手を借りているのはほぼ間違いありませんでした。また彼自身に投げ銭というか金銭支援する大人もいたという話を聞いていたので、なんとなくそういう人たちに乗せられて。自分がとてつもなく才能があって世の中渡っていけると勘違いしているのではという風に思いました。
 そもそも中学、高校生くらいの年代というのは世の中の仕組みが分からず、それこそテレビに少し出るだけ自分は超特別な人間だと錯覚してしまいがちです。何かしら世間にその名が出たり著名人との関わりがあれば、自分の能力を勘違いしてしまい、道を誤ることにもつながりかねません。

 まぁこれは子供に限るってわけじゃなく、炎上動画とか見ていると大人でもそういう勘違いをしてしまう人は少なくないのかもしれませんが。

 話を戻すと、2017年の逮捕以降はノエルの活動はほぼ見られなくなり、現在もネット上では消息不明な状態となっています。かつてのプロフィールから計算すると今年21歳の成人となっているはずですが、仮に今再び彼が活動をしたとしても、かつてと比べると世間の耳目は集められないばかりか、前みたいな周囲を顧みない行動をとれば社会的責任が一気に降りかかってくることもあり得ます。
 そもそも彼が耳目を集めたのは、その過激な行動もそうでしょうがそれ以上に「中学生配信者」という看板があったからだと思います。単純に子供が大人に混じって何かしらそういった活動すると目立つ者で、大人の中にもそうした目立つ子供を変に支援しようという人も現れがちです。漫画界とかでも「高校生作家デビュー」という看板はよく付けられます。

 しかし成人となってしまうとそうしたアドバンテージは言うまでもなく消えるわけで、その後は単純に実力だけで勝負せざるを得なくなります。あの音楽の天才であるモーツァルトですら、成人となってすぐにスポンサーを探したところ「子供だったから昔応援してたんだよ」と、当初は結構ハブられたと聞きます。その後、モーツァルトは実力である程度はどうにかしましたが、モーツァルトほどの天才ですら「子供だったから」という下駄が当初履かされていたということを考えると、他の人はいわんやというところです。

 ここまできて最初の話に戻すと、ゆたぽんについてもやはり「子供だから」で、これから成長するにつれてその世間の注目や関心はどんどん薄れていくことになると思います。それをわかってやってるなら別にいいけど、まぁわかってないだろうし、今こうして注目されるのは必ずしもその実力によるものではないということを周りの人がちゃんと教えてあげているのか、教えてないから続けてるんだろうなという気がします。
 だからこそってわけじゃないですが、今ノエルが何してるのかが気になるわけです。よくゆたぽんのことを社会実験と呼ぶ人がいますが、その実験の洗礼たるものが同じく配信者であったノエルだと私は考えており、成人となった今になって以前の配信活動についてどう思っているのかどうかとかを個人的に聞きたいし、他の未成年配信者もそうした内容に触れるべきだと思います。

 ちなみに若い頃から注目されながらも、その実力が認められていたと思う人物にえなりかずき氏がいますが、彼の場合は泉ピン子氏との確執が伝えられ、それによって端的に言えば今干されているとも聞きます。仮に事実だとしたら、実力があっても人脈がなければどうにもならないという現実もあると言えるかもしれません(´・ω・`)

2021年4月15日木曜日

鉄の竜騎兵


 上記動画は「THE COCKPIT」というアニメ短編集に収録された「鉄の竜騎兵」という作品です。なんでこの動画を急に紹介しだしたのかと言うと、この作品のタイトルが「鉄の竜騎兵」だということをつい昨夜に知ったからです。

 元々、この作品の原作はヤマトでお馴染みの松本零士氏で、ビッグコミックで1970年代後半からちょこちょこ掲載された「戦場まんがシリーズ」の一つです。なおアニメは1993年の制作となっています。
 この作品ですが、当初はテレビ放送されたものをビデオ録画されたものを見たのではと思っていましたが、アニメ制作年から考えると、ツタヤでレンタルしてきたのを自分は見ていたのかもしれません。というのも見たのは小学校3年生頃という記憶があり、1993年だと割と年代的にも一致するからです。

 無論、こんなミリタリーな作品を自分からみようと思うはずはなく、見るきっかけとなったのはソ連人民のてきである親父です。借りて来たシーンは全く記憶にないものの、なんか自宅でやたらご機嫌で「大人のアニメや」といいながら親父が見ていたので、自分も連れだって一緒に見ることとなりました。
 当時見た感想としてはちんぷんかんぷんもいいところで、特に冒頭で日本軍が野砲を打ち込んだところ米軍から反撃を受けて連隊が陣地ごと吹き飛ぶシーンについては、画面では壮年のおっさん二人が防空壕に潜り込み、出てきたら陣地が跡形もなく吹っ飛んでいたという風に映るので、子供の頃の私はてっきり撃ち込んだ後の野砲が暴発して周り全部吹き飛んだという風に理解していました。防空壕に潜り込む前に兵士も、撃つべきじゃないのに言わんこっちゃないなどと砲撃したことをなじるセリフがあったことも影響しています。

 また結末に関しても、まぁ救いのない結末であり、見終わった後の感想としてはあまり言い物ではありませんでした。そもそも何故敵軍に単身でバイク乗って突撃するのかそのメンタリティが当時わからず、また途中で降ろされた若い兵士も救われない結末であり、なんでこうなるんやという感想でした。
 そんな風にあまりいい印象を覚えていなかったものの、記憶には結構よく残っている作品で、昔わけわからない戦争アニメを見たというのは割と記憶していました。ただそれがどんなタイトルで、どんな媒体で作られたものなのかなどが全く分からず、テレビのスペシャル番組などで作られたものじゃないかという風に誤解していました。

 ではなんで昨夜にこの作品の正体を突き止めたのかと言うと、話せば長くなります。

 まず先日に公開された藤田信雄の記事で機嫌よくなって、彼が乗っていた零式水偵のプラモを作りたくなりました。元々、晴嵐のような水上機を一つ作ってみたいと前から思っていたことからAmazonでひたすら水上機プラモを検索してはお気に入りに入れていく作業を行っていたところ、水上機もいいけど陸上機、それも陸軍の戦闘機もまた作りたいと思っていろいろメーカーとか比較しているうちに三式飛燕のエピソードをまた読みたいと思ってWikipediaを見始めました。
 そうして飛燕のページを見ていたら末尾にこの飛燕が登場する作品として「戦場まんがシリーズ」のリンクがついており、どんな漫画やねんとリンクを辿ってみたところ、冒頭でオムニバス形式の戦記漫画で松本零士が書いており、OVA作品も出ているという記述を見て、「もしかして子供の頃に見たあのアニメもここからでは?」と、この時点でなんか妙な予感がありました。

 そうしてそのページを読み進めたところピタリと予感が的中し、まさに自分が子供の頃に見たアニメのプロットが「鉄の竜騎兵」の項目に書かれていました。思わぬところから自分の記憶をの確認再現を果たして驚きつつ、改めて確認するため動画検索をしてぶち当たったのが最初の動画でした。

 今回改めて感じたのは、子供だった頃の自分の理解力です。戦争の背景や兵器の仕組みなどが分からなかったことから冒頭に書いた誤解をしていましたが、10歳くらいの年齢だとああいう誤解をするのがかえって自然なんだなと大人の立場からみて感じます。
 よく同じ時代に放送されていた「Vガンダム」でも、子供の頃は主人公の13歳の少年が敵機をバッタバッタ撃墜するのに心躍らされたけど、大人になってみると少年兵を「使えるから」という理由でこき使いまくる主人公の周囲の大人に狂気を感じるといった感想を見ますが、これもそういった戦争という背景やルールがわからないことによる誤解の一種だと思います。少年兵の問題もまた、この点に集約されるでしょう。

 そういう意味ではちっちゃい子供にあれこれ戦争はどうとかこうとか教えるべきかという点について、やはり難しいという思いがします。全く教えなければそのまま無理解のままだし、かといって中途半端に教えても、物事を変な風に誤解して捉えてしまう可能性があり、アプローチの仕方が難しいです。まぁ水木しげる戦記は見せても全く問題ないでしょうが。
 私自身も軍属じゃないので戦争がどんなものかを理解しているかと言ったら無理解もいいところでしょうが、戦争は言うのとやるのとでは大きな違いがあるという点だけは肝に銘じておくようにしています。ただ自分が子供だった頃に「戦争はやったらダメ」と頭ごなしに言い続けるのもまた違うような気がして、そういう意味では案外、自分の戦闘機プラモ趣味のように、兵器というある意味感情のない中立的な道具というミリタリー趣味方面から徐々に入っていくのが意外と無難かもしれません。