まず大前提として、完全な意味での自我というのは少なくとも人間の思考には存在しはないと私は考えています。突き詰めれば人間の思考はコンピューター同様に、外部刺激に対する反応に過ぎず、経験(=過去データ)があればそれに乗っ取って反応し、なければ試行錯誤的にとりあえず実行可能な行動をとる、または反応をあきらめて何もしないに大別されます。こうした反応行為が極端に出るのはいわゆるエラー状態で、パニック状態とも言い換えられますが突発的な不測自体に合うと人間はかなり単純な行動に走りがちで、こうした点からも独立した自由な思考という定義になる自我というは案外脆いというか基本は過去データの累積でしかないという結論に自分は至っています。
その自由独立思考の自我に関してですが、こんなこと言う人は少ないですがやはり強い人、弱い人ははっきり分かれる気がします。何を以って強いか弱いかの判断の仕方はいろいろありますが、私に関しては「他社の言動をどれだけ真に受けるか」がこの強弱を測る上での最大のバロメーターであるという風に考えます。
ひとつ例を挙げると、思春期の女の子なんか好きになった男性のいうことや趣味に迎合しやすい傾向がはっきりと見られ、突然女の子が自動車に詳しくなったら十中八九男の影響だと思っていいでしょう。ただこの手の迎合は所詮は迎合に過ぎず、それ以前のパーソナリティや経験とは関連性が薄いことからその好きになった男と距離感が生まれるとあっさり放棄されることが多いです。まぁ逆パターンで男も女性の趣味に迎合することもありますが。
こうしたごく単純な迎合を起こさず、尚且つ複雑な思考パターン及び経過を経て特定の趣味なり行動を持つようになると自我が強まっていると言え、言い換えるなら「他者に影響を受けることなく自らのパーソナリティを深めていく」ということが自我を強める、または強い自我を持つに至る過程だと私は考えています。もっとも、本とか読んで変な宗教にハマって迎合するパターンもあるので一概に自我が強いとも言えないですが。
やや回りくどいい方をしましたが、もっと単純に言い返すと「他者の影響を受けやすく、尚且つ考えや価値観がコロコロ変わりやすい人」のことを私は自我が弱い人だと考えています。逆に影響を受け辛く過去から持ち続けている信念なり価値観が不動な頑固型の人が自我が強いと考えています。
この両者を比べて、一体何を以って別れるのかがトピックとなりますが、これについてはいくつか要素があります。まず一番大きいのは成功体験で、過去の成功体験が強い人ほど自分のやり方なり価値観に自信を持つので自我が強まる傾向があります。逆を言えば自我が弱い人というのは自信が弱い人が多いとも言い換えられるかもしれません。
次に、これはあまり主張する人は多くはないと思いますが、過去に決断に迫られた回数が多い人ほどやはり自我が強くなる気がします。具体的に言うと進路や業務選択などがありますが、もっと大きなものだと死にそうな二人のうちとぢらを助けるかとか、復讐に身をささげるか否かなどの大きなライブセレクションなんかを経験している人は、他人の意見を参考にすることはあっても、自分が何故、どうしてその決断を採るのかについて深く考える人が多い気がします。
そういう意味では教育で「親の言うことを聞いておけばいい」的に親がほとんどすべて指図して育てられた人なんかは自我が弱くなりやすいかもしれません。自我の萌芽は反抗期だと言われますがそういう意味では間違いないものの、そうした反抗期も徹底的に押さえつけられると自我が全く育たなくなるというのも自然な話です。