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2023年12月18日月曜日

再びコラム連載を開始

 先ほど昨日残った冷や飯をニンニクと一緒に炒めてオニオンライス作って食べましたが、部屋の中が焼いたニンニクの匂いがして、食べた後のほうが飢餓感を覚えるようになりました。


 それで本題ですが、上記のロボティアというテック系サイトでまたコラムの連載を開始しました。

 一体なんで急にコラムの連載を開始したのかというと、こちらのサイト運営者より以前にもコラム執筆を打診されていたものの、当時は世を忍ぶ仮のサラリーマンとしての本業に加えJBpressの連載も抱えていたため、キャパオーバーになるとして応えることができませんでした。それが今春にJBpressの連載を終え、かなり久々に夏季を除くどの週末もフルに満喫できるようになって謳歌していたところタイミングよく秋口にロボティアの担当者より再び連絡があり、今ならまたコラムを書けると自分も伝えたので、こうしてまた連載を開始するに至りました。

 コラムを連載するにあたり書く記事に関しては自由にしてよいとは伝えられていたものの、テック系メディアなのと、記事本数がJBpressと比べ少ないことに鑑みて、何かしたら技術関連でなおかつ一つのテーマに絞って連載した方がいいのではと考え、担当者とも何度か検討を行ってきました。ただ技術関連といっても自分は決してAIとかに造詣が深いわけでもなく、ノギスの使い方くらいなら説明できますが、果たして素人の自分で何が書けるんだろうかという点が少しネックになりました。

 その際に閃いたのが、自分の得意技は割と昔の内容でも急に思い出したり、最近起きた出来事に結び付けて説明したりすることで、過去の技術関連ニュースならいろいろ総括して記事化できるかもという案でした。その際にたとえ話として出したのが今回配信した東芝テックの特許庁システム開発プロジェクトの失敗で、これなんか単体でも十分記事に書けるし、自分も当時生で見ていて周りの人にも話を聞いていたのですぐ書けると伝えました。
 また同時に、こうした失敗したプロジェクトをNHKが放送していたプロジェクトXの逆バージョンとして取り上げていけば、相当かけるネタが生まれるし、「いったいなぜ失敗したのか」という観点ならテーマの一貫性も保持できるということに気が付きました。そっからはとんとん拍子で、「プロジェクトE(nd)」というカテゴリで、ひとまずスタートしようという結論に至りました。

 比較的持ちネタが豊富なのと、自分自身も興味ある書き物なので今後時間を見つけ次第にどんどん書いてどんどん配信していくつもりですが、こうしてまたこのブログ以外でコラムを連載できるようになったのは自分としてもうれしい限りです。ただ問題なのはかつてと比べると本当に取材時間が取れなくなっており、何か力を入れる記事ネタが見つかった際にはどうしようかなと今考えています。まぁそれは後で考えればいいだけですが。

 それにしてもつくづく思いますが、子供のころから物書くことを仕事にしたいとは思ってはいたものの、まさか本当に今のような立場になれるとは当時思いませんでした。最初は新聞記者になりたかったけど今の状況見ていると案外ならなくて正解だったと思うと同時に、結局物書く実力があれば媒体なんてあんま関係ないなと思えます。それはともかくとして最近ほんとドライアイがつらい( ;∀;)

2023年12月17日日曜日

錣山親方(寺尾)の死去

元関脇寺尾の錣山親方死去 60歳 細身の体で闘志あふれる突っ張り 親方として阿炎ら育成(日刊スポーツ)

 以前からあまり体調がよくないとは聞いていましたが、元寺尾こと錣山親方が逝去されたとのことです。錣山親方に関しては親方時代はもとより、現役時代もまだ私が子供だった頃に直接見ており、当時から細見イケメンの力士として非常に高い人気を持っていました。

 親方となってからは比較的バラエティ番組にもよく出演し、自分が覚えているものだと「さんまのからくりテレビ」でボビー・オロゴン氏が体験入門する回で錣山部屋が受け入れて出演していました。相撲解説に出る際も、こちらもこのところ体調不良が伝えられている北の富士勝昭氏と並んで非常に活舌が良く、なおかつわかりやすい解説ぶりであったことから、北の富士勝昭氏の後を継ぐとしたら錣山親方だろうと内心思っていただけに、この訃報は大変残念に思います。

 以前、元力士の方が運営するちゃんこ屋を訪れて相撲談義をした際、近年は大柄な力士が増え小兵力士の見せ場が減っていることを嘆いていました。かつては舞の海氏、そしてこの錣山親方のような小兵力士がその持ち味ともいえる技を見せていましたが、やはり彼らが活躍した時代は見ていて楽しい相撲が多かった気がします。もちろん、現代の角界も面白いことに違いはないですが、

 ただ改めてこの訃報に触れるにつれ、小兵ながら活躍された寺尾関の業績が偲ばれるとともに、改めて角界における惜しい人物を亡くしたと感じます。末筆ながら、深くご冥福をお祈り申し上げます。

2023年12月16日土曜日

繰り返される夏のトムラウシ山遭難事故

 一昨日の上海の最高気温は20度だったのですが、今日の最高気温は4度、でもって最低気温はー1度と報じられています。実際、自分の部屋の室温も一昨日まで18度だったのに今日は自分が警戒し始める13度台に落ち、夜は電気カーペットつけないとさすがに寝れないでしょう。
 日本も今日は各地で夏日を記録したそうですが、明日明後日にかけて上海のように劇的に寒くなると思います。この激しい寒暖差は結構体に応えるもので、自分も昨日からやや神経が痛んでいるのか少し前後不覚になり、また前からやたら心臓が動悸をするのでこの前成田空港で買ってきた救心を飲んでたりします。


 話は本題ですが、通勤途中に読むものがなくて以前に購入した山渓文庫の羽根田治氏の遭難ルポを読み直していましたが、その中でもやはり特に印象深かったのがこちらの2009年に起きたトムラウシ山遭難事故です。夏山遭難としては8名の死者という史上空前の大規模遭難で、さほどこの手の遭難物に興味のない人の間でも上記のWikipedia記事はよく読まれているという有名な事故です。
 私自身も関連記事を読み漁り事故の経過や地名などもある程度覚えるようにもなったのですが、実はトムラウシ山ではこの2009年以前にも、夏山シーズンに2名がなくなるという遭難事故が起きています。


 以前はなかったと思うのですがなんかWikipediaの記事ができていたのでリンクをつけます。私自身はこの2002年の事故は前述の羽根田氏のルポで読んでいたのですが、大まかな経緯を話すと台風が接近して天候が荒れ始める中、天気予測を見誤って登山を強行した結果、女性4人パーティのうち1人が亡くなったほか、8人の山岳ツアーで女性客1人が亡くなるという運びとなっています。経緯について詳細に報じられているのは前者の4人パーティの例です。
 この事故は7月に起きていますが、亡くなった二人はどちらも死因は低体温症でした。真夏真っ盛りにもかかわらずこのトムラウシ山では一気に気温が冷え込むことがあり、また降雨があれば風雨を避けられるような森林もコースに少なく、対策となる衣服やテントがなければ急激に体温が低下することがあると報じられています。

 私がこれまで知っていたトムラウシ山の事故はこの二つだったのですが、記事を読み返してネットでほかにも何か関連記事がないかこの前何気なく調べてみたところ、なんともう1件、夏季のトムラウシ山における遭難事故があったことを知りました。


 こちらの事故について上記リンク先のブログの方が、たまたま遭難者と事故直前に鉢合わせていた方と知り合いだったほか、事故現場近くにいた方の証言も得られ、事故詳細について詳しくまとめてくれています。
 その内容によると遭難者は高齢の男性1名の単独登山者で、2015年の7月に悪天候の中で出発を強行したものの途中で動けなくなり、別の登山者が見つけ救助を行ったものの体力が持たず、凍死されたとのことでした。たまたま当時トムラウシ山にいた別の登山者によると、当時の気温の荒れ具合は凄まじく、強風でロープが切れたり、気温はマイナス5度を記録したとのことで、7月にそんな気温が出てくることにただただ驚くことばかりです。

 ただそれ以上に注目すべき点として、上記3件の遭難事故はすべて同じコースだという点です。

 ヒサゴ沼避難小屋を朝出発し、北沼を超えてトムラウシ山へ向かい、トムラウシ温泉へと下りていくというルートなのですが、3件とも夏季に、また天候が荒れ急激に冷え込んだ結果凍死者が出るという経過まで完全に一致しています。もちろん事故の起こりやすいコースや岩壁なんてどこだってあるでしょうが、なかなかに衝撃的な夏山遭難事故がこうも何度も同じ山、同じコースで繰り返すものなのかという点で少し驚きを感じます。
 遭難者の遭難当時の装備に関してはそれぞれ分かれるでしょうが、それ以上に事故原因ははっきりしており、悪天候での強行にあると断言できます。このうち2009年の事故では悪天候から山頂には上らず、下山を優先するためその山腹を迂回するルートを通っていますがそれでも死者を出す事故へと発展しています。この点、やはりどの事故を見ていても、途中で動けなくなった際にビバークする場所がなく、かといってエスケープするルートもなく、そのまま体温と体力を奪われるという結末が多いような気がします。

 もしかしたらトムラウシ山のほかにも同じような事故が多発する場所もあるかもしれませんが、これほどまでに大々的に報じられる遭難事故が過去にありながらさらに事故が起きるという点で、なんか魔性めいたものをこのコースに感じます。そもそも自分は登山なんてしませんが、トムラウシ山のこのコースだけは、薄気味悪さも感じるので何としても避けたいというのが本音です。

2023年12月15日金曜日

パリピ西村

《安倍派幹部に新疑惑》西村康稔経産相が捜査中に「架空パーティ」を開催していた!《儲けは1回数百万、経産官僚をサクラに…》(文春オンライン)

 パーティ券のキックバック問題に揺れる安倍派ですが、その重鎮でこの前辞職したけど経産相だった西村氏に出てきたのが上の架空パーティ疑惑です。疑惑っていうか文春の質問に否定しないあたりほぼ事実なんでしょうが、このニュースを見た瞬間に思ったのはこいつ、どんだけパーティ好きなんだよっていう感想でした。それとともに見出しにある「パリピ」という単語が浮かび、西村氏に限るわけじゃないけど安倍派にはパリピが多すぎる気がしてなりません。

 正直言ってただ「パリピ」って単語を使いたくて書き始めた記事なのでほかにとりとめて書くことないですが、この架空パーティに関してはどんな素人であってもこれが政治資金規正法に抵触するくらいわかるはずです。にもかかわらずこうして大っぴらに金集めをしていた当たり、やましさに関しては満点この上ない出来でしょう。
 っていうかそんなにパーティ好きなんだったら議員なんかさっさとやめてイベントプロデューサーかDJでもやってろよと思えてきます。少なくとも、こんなエアパーティ開くまでして集めた資金の用途を洗いざらい公開しない限りは、自民党もこの人はさっさと除名しないと示しつかない気がします。まぁ選挙買収に使っていたとしたら、除名どころじゃ済みませんが。

2023年12月13日水曜日

医師は転じて革命家となる

 初めてクソゲーと呼ばれたゲームはファミコンの「いっき」ですが、農民反乱をテーマにした作品なだけに中国共産党からお墨付きをもらってもいい内容のはずですが、周りにいる中国人にゲーム画面見せながら聞いたら、「遊んだことあるかもしれないけど覚えていない(´・ω・)」とつれない反応でした。
 もっとも農民反乱といいながら戦うのは一人だけで(二人プレイなら二人)、「一揆」ではなく「一騎」と呼ばれるほど狂った世界観ゆえかもしれませんが。ちなみに中国での呼び名は「農夫忍者」のようです。

 そんな中国における近代化の幕開けとなる反乱を率いたのは言わずもがなの孫文ですが、先日会社の同僚に孫文について解説した際、彼はもともとは医者であったことを教えたら大いに驚かれました。恐らく政治家、反乱指導者としてのイメージが強かったためかと思われますが、彼は若いころに出稼ぎしていた兄を追いかける形でハワイに行き、香港で医学を学び、マカオで医師として開業してたりします。
 そのような孫文の人生を解説していた際にふと、「そういえばゲパラも医者だったな」ということを思い出しました。南米、いや世界において彼を嫌う人間なんているのかと思うくらい世界的革命スターのチェ・ゲパラですが、彼も母国アルゼンチンで医学を学んでいました。

 ここまで思うに至り、孫文といいゲパラといい、何故二人とも医者から革命家に転じたのだろうかという点が気になり始めました。さらに掘り起こすと、日本の幕末期においても橋本佐内を筆頭に医師出身の志士も数多くいた、っていうか数多くの志士を輩出した緒方洪庵の適塾が医学を教えていたのもありますが、なんか医師から革命家になる率は他の職業に比べて高いような気がしてきました。

 ただこのからくりですが、当時の時代情勢を考えればある意味で自然な結果だといえるのではないかと思います。スパイファミリーのアーニャの声優をしている種崎敦美氏の口癖をまねて「Becauseなぜなら」というと、上記革命家が活躍した時代において医師というのは、国外の情報に深くアクセスできる特異な立場にあったというのが原因だと推察されます。

 封建制が続く近代化以前の国家は鎖国時代の日本よろしく、大抵どこも外国に対して排他的であったり、国外から入ってくる情報を制限する傾向がありました。しかしこと医学に関してはどの国も寛容で、日本も江戸時代に蘭学として真っ先に研究を解放したのは医学でした。
 これは何故かというと、どれだけ独裁的な封建主義の権力者であっても、自らの健康と命を永らえさせる医学に関しては最先端の技術を欲しがるためと言い切れるでしょう。国家として役立つか以前に、権力者が個人として優れた医学を求めることから、排他的な価値観であっても医学だけは例外的に外部から優れた技術や知識を取り込もうと動くため、鎖国下にあっても比較的自由に学ぶことができれば、国外の情報にもアクセスしやすくなるというわけです。

 ただそうして医学を学ぶ者たちはというと、国外の情報にアクセスできることから次第に自国と他国の違いに気づくようになり、場合によってはその矛盾にすら気づいてしまうわけです。実際、孫文もゲパラも他国に比べ自国の政治体制の古さや問題点に気づくようになり、革命家を志すようになったとみられる過程が存在します。
 こうして矛盾に気づくどころか、封建制が続いていた日本や中国においては西欧の民主主義に触れたりなんかした場合、「うちの国めっちゃおかしいじゃん(;゚Д゚)」と思うのが自然な成り行きです。これは多分医師に限らず当時国外の情報に触れた人間なら誰もが気づいたでしょうが、そもそも情報に触れること自体が制限されているため、必然的に早くから気づけるのは国外にアクセスできる医師に限られてくるでしょう。

 こうした成り立ちというか経緯から、鎖国的な国家体制にの中でも国外情報にアクセスしやすい医師というのは得てして革命家に転じやすいのではないかと私は思います。もっとも情報統制がなされていない国の場合はさにあらずですが、北朝鮮やロシアなんかのような情報統制が激しい国だと、今後も医師から代表的な革命家が生まれてくるかもしれません。
 まぁ現代において国外情報にアクセスしやすいのはギークことIT技術者のほうが立場的に強いし、反国家主義者も現代ではこの界隈に多いので、医師から革命家というパターンはもう成立しないかもしれません。しかし19世紀や20世紀において医師というのは国家に仕える外交官以上にインターナショナルな職業で、それが革命家としての下地を作っていたのではないかというのが自分の見方です。

2023年12月12日火曜日

自民党のキックバック資金の用途は何なのか?

 よく家で一人でいるときに、「ネバーエンディングストーリー」の主題歌の歌詞を「ゲイバーエンディングストーリー」と替えて歌ってたりします。どんなエンディングになるのか、歌いながらすごい気になります。

 話は本題ですが炎上が続く自民党のパーティ券キックバック問題ですが、前回記事を書いた際、正直言ってこれほどまでに規模が大きいとは思っていませんでした。せいぜい一人当たり数十万円、言っても数百万単位だろうと思っていたら一人で数千万円もキックバックされ、しかも派閥帳簿に記載せず、議員個人も収入を開示していなかったというのですから、まぎれもない政治資金規正法違反です。かなり長い年月に渡りこの慣習は続いていたという報道から察するに、人によっては累計で億以上の金額がキックバックされていた議員もいたのではないかと思います。

 単純に数百万円単位の未記載でも十分な違反ですが、数千万単位となると立件起訴される可能性は高いような気がします。逮捕も十分あり得る金額であり、国会がこれから閉会した後にこのところ冤罪とかでやらかしまくっている特捜がどう動くのかは注目を浴びるでしょう。
 なお今回の事件に関してかつてのリクルート事件になぞらえる人もいますが、金額といい逮捕者も今後出る可能性も考えると、実体的にはロッキード事件のほうが近いんじゃないかっていう気がします。

 以上のキックバック問題を受け、巨額の未記載がほぼはっきりしている安倍派議員をパージする人事を岸田総理は考えているようですが、私個人の意見で言えば安倍派以外の議員に関しても今後捜査が及ぶ可能性があることを考えると、現段階で内閣改造を含む人事変更に着手するのは悪手な気がします。もっとも役職付きのまま逮捕されるという事態もあんま望ましくないでしょうが、せいぜい逮捕や立件に及んだ時点で安全な次の後任を登板するくらいの内定人事に留めておくのがいいように思っています。まぁ状況と支持率がそれを許すかですが。

 そのうえで、個人的にこの事件で一番気になっているのは見出しにも掲げている通りキックバックされた資金の用途です。議員がそのまま懐に入れて個人消費に使っていたとしても十分噴飯ものですが、仮にそうであれば、帳簿に計上しない理由はあまり成り立ちません。端的に言えば、今回のキックバック資金は一切帳簿に載せられない裏金として配られており、その用途も「表に出せない」用途に使われたと考える方が自然でしょう。では具体的にどんな用途があるかですが、はっきりした証拠はまだ出てないものの、私は選挙買収に使われていた可能性が高いのではないかとみています。

 何故このように思うのかというと、かつて安倍元総理側近であった河井克行、案里夫妻の選挙買収事件があったからです。
 この事件が起きた際、買収に使われていた資金は安倍政権時の自民党本部から交付された資金が使用されていましたが、この資金源については今年においても「すがっち500」という意味深な記述が書かれたメモが見つかるなど、掘り下げたらもっと何か出てきそうな気配を見せています。

 そうした資金源の怪しさ以上に、自分は上記事件を見た際に河井夫妻の買収の仕方があまりにも手馴れすぎているような違和感を覚えました。本当に河井個人の犯罪なのかというとちょっと不自然に見え、何となく組織的な指導があったように見え、表に出ていないだけで自民党のほかの議員でもこのような選挙買収に手を染めている人間がいるのではないかと疑いました。
 それを踏まえて今回のキックバック事件を見るに、この問題の本丸は、キックバックされた金を何に使ったのかになってくるような気がします。ぶっちゃけ熊手買うのに使ったとかならまだ笑えますが、選挙買収に資金が使われていた場合は、とんでもない疑獄事件に発展する恐れがあります。やや偏見で申せば、萩生田氏あたりはやりかねない人物だとひそかにみています。

 もし自民党がこの問題をまじめに処理する気があるのなら、キックバック金額に1千万円などの一定基準を設け、それ以上の金額を受けとっていた議員に関しては、野球の黒い霧事件のように理由の如何なく党から追放すべきでしょう。金額を基準に処罰を決めることで選挙買収は処罰とは無関係という方向にもっていかないと、多分後々えらいことになるというのがこのプランの目論見です。っていうか早めにこうした基準で党内処分しないと、仮に選挙買収に一部でも使われていた場合は自民党は本気で政権を失う可能性すらあるでしょう。

 そのうえで、報道が出る直前になった急に派閥総裁をやめた岸田総理にも疑惑の目が注がれており、ただでさえ不人気で支持率が上がらないことから、まじめに来年早くにも次の総裁人事を決めとかないとならなくなってきています。ただ上記のキックバック事件の余波から、次の総裁の条件としてはキックバックを一切受けていない人間にほぼ限定されるため、選択肢はかなり狭い範囲に絞られることになります。

 その点で言えば、このところキックバック問題でやけに生き生きとしてきた石破茂氏がここにきて有力候補になってきた気がします。そもそも石破氏の場合、キックバックを受けようにもキックバックする派閥がないことから、大昔ならともかく未時効期間においてこの問題に関してはほぼクリーンだと言い切れる立場です。知名度は元から高いのと、自民党執行部と距離を置いていることから非自民党系支持者の間でも一定の人気を持っていることを考えると、ワンポイントリリーフとして博打的に選挙前に総裁にするの案外アリなような気がしてきました。
 かねてから書いているように私は石破氏について総理には向いていないと思うし、若干空気読むの下手だからそもそも周囲には推されず。総理には決してなれない人材だとみていました。彼と同時代に活躍した政治家に関しても、与謝野馨、中川昭一、細田博之、安倍晋三はすでに亡く、谷垣氏も引退しており、今でも政治家やっているのは麻生太郎氏くらいで完全なロートル議員といってもいい年齢になっていますが、まさかここにきて総裁候補となりうる事件が起きるとは、本当に人生何が起こるかわからないものだなと思います。

2023年12月10日日曜日

SFC時代の小学生のゲーム購入事情

ファミコンハウス流山店の思い出(かけるのブログ)

 上の記事で紹介されている流山のファミコンハウスですが、ぶっちゃけ家の近くにあったので一番通っていたゲーム屋です。1990年代前半に南流山にはこのファミコンハウスのほか、テックス、ブルート、マジカルといったゲーム屋が存在しましたが、店舗面積と品ぞろえが一番広いのと、比較的価格相場が安定していたため、迷ったらここのファミコンハウスで自分もゲームを購入していました。
 なお当時は100円でも安くゲームを買うため、隣の松戸市を含め中古ゲーム屋をよく徘徊しては欲しいゲームの相場を調べていて、なんか一人で価格コムの調査員みたいなことをしていました。

 そんな私が小学生だったころ、当時の覇権ゲーム機は言わずと知れたスーパーファミコンで、ある意味ゲームの価格が歴史上最も高かった時代です。なんでも当時のスーパーファミコンのゲームは任天堂系列の問屋を介さないと流通できない仕組みになっていたそうで、問屋を含め忍店頭が粗利の5割近くを持って行ったため、スーパーファミコンのゲーム価格は後半には1万円越えもざらになるほど高騰していったそうです。
 なおこんな阿漕な商売をやっていた反発から、プレイステーションやセガサターンがソフトメーカー向けマージンを下げるやサードパーティのソフトメーカーは一気に任天堂から離れて新興勢力についたと噂されています。当然といえば当然で、任天堂が64の時代に冬になったのはハードやソフト戦略ではなくかつての流通戦略に起因する面が大きいと私は見ています。

 話は戻しますがゲーム価格が高騰していた当時、正直5千円くらいでは中古でもまともなゲームを買うことができませんでした。収入が制限される小学生にとっては非常に難儀な時代で、お小遣いをためて買おうにも月500円だったら1年間ためても6000円にしかならず、とてもじゃないけどまともに買うことはできませんでした。

 そんな小学生がゲームソフトを買うチャンスは年間で3つあり、誕生日、クリスマス、お年玉がその3大チャンスでした。このイベントにおいてはどんだけ高くても好きなゲームを親に要求することができ、またお年玉に至っては購入するソフトを調整すれば複数本購入することができるため、非常に重要な予算となりました。
 このイベントの際、地味に重要だったのは購入するゲームの換金性です。というのも前述の通り当時のゲームソフトは非常に高く、お小遣いではまともに購入することは不可能でした。となれば上の3大イベントのほかにどうやって買うかですが、前述のイベント時に買ってもらったゲームを中古屋に売却して、新たに現金を得るというのが「第四の手段」でした。

 中古ゲーム屋に買い取らせるにしても、古いゲームだったり、人気のないゲームだったりすると買取価格は非常に小さくなります。なので前述の3大イベントの際にはなるべく換金性の高いゲームを選んでおくことが、後々の新規ゲーム購入の際の資金源となりうるだけに、非常に重要な選択肢となっていました。

 具体的にどんなゲームが換金性が高かったのかというと、単純に人気の高いゲームほど買取価格が高くなるのですが、ファイナルファンタジーなど人気は高いものの出荷本数が大きいゲームだと発売から数か月はまぁいいとして、半年も経つと中古へ流れる本数も異常に多くなるため値崩れしやすかったです。
 自分の実感で言えば、「がんばれゴエモン」とか「ロックマンX」といったシリーズ物のアクションゲームが、一番値崩れしにくかった気がします。このほか対象年齢が比較的高かった「信長の野望」や「ダビスタ」シリーズも中古で高価格帯をよく維持していた気がします。逆にジーコサッカーをはじめ、発売から時間を経たサッカーゲームが一番値崩れが激しかったような。

 話を戻すと、私が小学生であった頃のゲーム購入は後々に中古で売却することを前提としていました。ただこれもスーパーファミコンの時代が終わり、プレステ全盛期になると新品でも価格は6800円が上限となり、新品価格の値下がりとともに中古価格も以前に比べれば落ち着き、3000円もあればそこそこ幅広い選択肢の中で買えるゲームが選べるようになったことで、以前ほど中古販売を視野に入れた換金性に関してそこまで意識することはなくなりました。っていうか、あのスーパーファミコンの時代が一番特殊だった気がする。

 近年はゲームのダウンロード購入が増え、冒頭のファミコンハウスも確か2013年あたりに潰れるなど、ゲームの中古販売はまともに商売できないくらいになっています。ある意味、新品価格が異常に高かったスーパーファミコンの時代だからこそああした中古ゲーム屋も商売ができたんだと思います。
 恐らく今後ゲームはますますSteamなどパソコンなどの端末を介したオンライン販売が主流となり、ゲーム単価もますます下がっていくと思います。そう思うと、中古ゲーム屋のあの独特な雰囲気を味わえたいい時代を自分も過ごせていたのだとしみじみ感じたりします。