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2024年6月5日水曜日

セクシー田中さん事件で思い出した過去の体験

 先日、ドラマ化に起因して「セクシー田中さん」の作者が自殺した事件についての日テレ報告書についてこのブログで触れましたが、その記事でも触れているように日テレの報告書は「何がしたくてこんなもの作ったのか?」と言いたくなるようなひどい出来でした。当事者であるにもかかわらずこれでもかと言わんばかりに他人事のような態度で、わかっちゃいるけどあまりコンプライアンス意識のない会社だなという印象を覚えました。

 そんな感想記事をまとめている最中、突然高校時代のある体験を思い出しました。どんな体験かというと、強いて言えば自分の中ではこの「セクシー田中さん」で起きた出来事に最も近い体験だったのではと考えています。

 事の起こりは私が高校生だった頃、高校生なのに中二病のまんまで当時私は小説家を目指して、多分今以上に平均で多くの文章を書いていました。書き上げた小説はバインダーに閉じて級友らに回し読みさせていたのですが、ある日ふと毎度毎度単発で書くのではなく、連載形式にしてみたらどうか、定期的な同人誌にして回覧させた方がいいのではないかと思いました。こうすることでほかにも興味を持って小説とかイラスト書く奴がいたら一緒に回覧できるし、自分も定期的な締め切りができてもっと追い立てられて小説書くようになると踏んだからです。

 そうして何人かと一緒に準備を進め、確か雑誌名はやっちまった感を出すため「出来心」だったと思いますが、栄えある第1号は無事に出すことができました。確か表紙のイラストとかも自分で描いてました。
 それ以前からも回覧させていたとはいえ、こうして同人誌形式にまとめたことで周りの反応は良く、自分も書いてみたいという奴も出てきたのでやる気満々なまま次の第2号も準備し、例によってまた自分が表紙を描いて作ることができました。

 ところがこうしてできた第2号を回覧させたところ、級友の一人が何故か「乗っ取った!」と言って、自分の描いた表紙の上に上書きするような形で別のタイトルやイラストを載せてきたのです。その張本人は仲間内の中でややカーストの高い人間だったこともありほかの級友も同調し、「残念だったな、花園」、「早くも編集長を追われたか」などと冗談めかして言ってきました。
 ぶっちゃけ、これ書いている現在ですら指が止まるくらい動揺しているのですが、当時の自分のショック感と言ったら甚だしいものでした。向こうが冗談でやっていることはもちろんわかっていたし、本気で雑誌を乗っ取るような意図もなければやる気も創意もないことも承知していました。しかしそれを知っててなお、自分が一から作った創作物をこのような悪ふざけで台無しにしようとする人間がいるものか、またそれを止めようともせず同調する人間しかいなかったという点に、端的に言えば絶望しました。少なくとも、丹精込めて書き上げた表紙イラストは上書きされて完全に台無しにされてましたし。

 その後どうしたかというと、回覧が終わって自分の手元にバインダーごと戻って来るや自分はその同人誌第2号を全員の見てる前で全部真っ二つに破きました。なんでこんなことをしたのかというともう自分自身にこれ以上続ける気力がなかったのと、平気で他人の創作物を汚すことのできる人間がいるというあきらめ感から、もう作ることはないだろうというのが正直な気持ちでした。その上で張本人を含むほかの級友らに「乗っ取ったというのだったらせめて自分たちで同じようなものを作ってみろ」と告げてその場を去りましたが、言うまでもなく、その後彼らは何一つ創作物を作ることはありませんでした。

 真面目にこの時の絶望感たるや半端じゃなく、誇張ではなく首吊ることすら本気で考えてました。自分の創作物を台無しにされたということよりも、人が頑張って作った創作物をああも汚すような行為を平気でする人間が当たり前のように存在している事実の方が自分にとってはショックで、マジでこの時は数日間、帰宅後は自宅で寝込み、何をする気力も湧かずしばらく無為に過ごしてました。
 なお当時級友らは自分が極端な行動を取ったとして謝るどころか自分を批判するようになり、自分も彼らとの交流を一時断ちました。その後、仲介に立つ人間を選んで自分が当時このように考えたと伝えた上で和解に至りましたが、若干自分が無駄に折れたと今は考えており、あくまで孤高を貫くべきだったのではないかという後悔をやや持っています。

 以上の経緯はあくまで自分の中二病体験ですが、それでも自分が経験した中では今回の「セクシー田中さん」騒動の原作者立場に最も近い体験だったのではないかと思います。その上でこの事件の当事者である日テレのプロデューサーと脚本家について自分の見方を言えば、どちらもクリエイターではない、だからこそ他人の作品を汚すことに一切の躊躇がない上、汚される側の立場や意識も現在進行形で全く理解できないのではないかという気がします。
 私自身がクリエイターであるなどと偉そうに言うつもりは毛頭ありませんが(そもそもジャーナリスト自認だし)、少なくとも上記体験から、自分が一から作った創作物を上書きされたり、無用な改変されたりすることで受けるストレスはとんでもなく大きいことはわかっているし、だからこそ他人の創作物にもそのようなことは決して行ってはならないということは理解しているつもりです。そうした感情が、はっきり言えば両者には全く感じられず、原作者である他人の痛みをわからないからこそああしたひどいことを平気で行えるのだと思います。

 また日テレの報告書を見る限りだと、「セクシー田中さん」では「これ意味あんの?」と言いたくなるような不必要で無用な原作改変が繰り返し行われていたようです。これら改変は「ストーリーや撮影の必要性があるから改変する」というより、「改変できそうなどうでもいい箇所があったら自分の爪痕を残すために必ず改変する」というような、自分が手を加えた証拠とばかりに改変を繰り返していたように見えます。
 もし自分が原作者の立場だったなら、多分こういう改変されたら言うまでもなくショックだし、作品をひたすら一方的に汚されているという風に受け取った気がします。なので原作者が改変に度々待ったをかけたり、ラスト2話の脚本を自ら手掛けたというのも当然の帰結のように思えます。

 なお自分が同じ立場だったら八墓村スタイルで突撃していた……と言いたいのですが、多分復讐心よりも絶望感の方が大きく、実際には何も行動できずに寝込むこととなっていたでしょう。そう考えると、自分の作品を守るためにあのような状況で脚本をチェックしたり、自ら脚本を書こうとした原作者に対しては、今更ながらそのバイタリティとプロ意識に強い尊敬心を覚えます。

 その上で、あくまで自分の勝手な憶測として述べると、原作者が自殺に至ったのは日テレや脚本家との対立に疲れたとか、世間の反発を感じたからとかそういうのではなく、過去のドラマ化で何度か経験していたにもかかわらず、また今回も結果的に自らの作品を汚されることとなった点について、自分の作品を守ることができなかったという絶望感が最大の動機だったのではないかという気がします。特定の誰かを恨んだりとかそういうのではなく、作品が汚されることが見えていながら、対策はしたつもりでも結局また繰り返してしまった自分への不甲斐なさからくる絶望じゃないのかと、いま改めて思います。

 最後にこの作品を汚される痛みについて、私自身も上記エピソードを思い出すまでいまいち実感がなかったのですが、もしかしたら経験しないとわからないものなのかもしれません。でもって「作品を汚す」という行為ですが、アニメや漫画の二次創作とかそういうのは当てはまらず、「作者の影を消そうとする行為」がこれに当たるような気がします。自分自身も作品を上書きされて駄目にされたこと自体よりも、軽い気持ちでああした行為を行おうとする悪意が一番理解できなかったし、気持ち悪いと感じましたし。

2024年6月4日火曜日

上海の気候について

 ほかに書く話題もあるのですが書こうとすると長くなりそうで、このところ仕事が忙しくなっているので後ろ倒しにし、ならほかに書くことはと思って浮かんできたのが上海の気候です。結論から言うと、東京の気候とほとんど同じですが、夏の暑さと冬の寒さは上海の方が一枚上手ってところです。

 中国と一口で言ってもめちゃ広く、どの都市で見るかでその気候も熱帯から寒帯と千差万別ですが、緯度的に中国のほぼ中間にあって海沿いの上海に限って言えば、気候は東京、というか南関東とそんなに差はありません。東京と比べると西にあるため梅雨が来るのはやや早いですが、実質的に6月が梅雨のシーズンなのでそこまで日が離れるというわけでもありません。
 一方、台風シーズンに関しては上海の方が明らかに来るのが早く、毎年必ず上陸するというわけではないものの、来るとしたら6月から7月にかけてで、9月に最も集中する東京と比べたらそのシーズンはかなり早いです。

 次に気温に関してですが、夏に関して間違いなく上海のが暑いと断言できます。毎年1度くらいは40度超えるし、最低気温も30度を下回らない日がよくあります。最高気温に至っては真夏は35度を切ることの方が珍しく、それでいて海沿いにあって湿度が高いもんだから夏場の不快度は東京の比ではありません。
 なので夏場に日本のニュースで「東京は今すごく暑い(33度)」などと書かれると「なめんなよ(´・ω・)」みたいな気持ちを覚えます。もっともそれ言ったらインドとかに比べると上海はずっとましですが。

 冬場に関しても、東京の気温と比べると上海の方が毎日一段低い気温となることが多いです。元々、寒さに強い体しているためそんなに冬を苦にしない私ですが、それでも日本にいたころと比べると上海の冬の方が寒いと感じることが多く、特に湿度が明らかに冬でも高いので、そういう時は肌に直接寒さが伝わるような感覚があります。
 もっとも、上海で雪が降ることはほとんどなく、ここ数年は市内で積もるのを見たことがないです。数年に1回程度は積もることもありますが。

 このほか春と秋について触れると、かつては日本と比べると両季節の時期が短いと感じていましたが、最近は日本でも夏と冬の時期が延び、春と秋が短縮気味だといういう人が多く、それを踏まえると春と秋の時期の長さで言えば今や東京も上海もあんま変わらないかもしれません。
 なお上海の季節で言えばやはり秋、それも10、11月が最もいいかと思います。何故かというと10月から上海蟹のシーズンとなり、街中でも安価で旬の上海蟹を食べることができ、なおかつ極端に熱くも寒くもないからです。この時期だからと言って上海に観光客がたくさん来るわけではなく(上海蟹が取れる隣の昆山市は集中するが)、混雑に遭うわけでもないので個人的にはお勧めです。

2024年6月2日日曜日

セクシー田中さん報告書の最重要ポイント

 先月の「けじめをつけた読売、けじめをつけられるか日テレ」記事で、漫画原作ドラマの「セクシー田中さん」問題で日テレが当初予定していた5月初めという報告書提出期限を守らなかったと触れましたが、5月末日の31日になってようやくこの報告書を出してきました。なんでこの日程になったのかは調査が遅れたとかそういう以前に、市民がこの問題を忘れたころに出そうとなるべく後ろに延ばした結果と推測しています。というのも、中身を読んだ限りだと2週間もあれば作れそうないい加減な内容だったからです。

 この報告書について自分も読みましたが、職業柄この手の報告書を見る機会が多い自分からすると幼稚な内容に見え、よくこんな内容の報告書を出すことに弁護士も署名したものだという気持ちを覚えました。具体的にどの点が幼稚なのかというと、内容の大半がドラマ制作前後の原作者とテレビ局のやり取り内容について書かれており、敢えてたとえるならあらすじばかりで埋めた小学生の読書感想文みたいな内容となっており、一番肝となる考察部分は逆に少ないという有様だからです。
 簡潔性を完全に失っており、恐らく敢えて読みづらい構成にして読む人を減らし、批判を避けようという意図もあるのではないかと思います。もし私に書かせたら、この1/3の分量でまとめてみせましょう。

 以上を踏まえて述べると、この報告書で真に読むべき最重要個所は67ページにおける「② 本件脚本家名のクレジッ ト問題」、またその詳細の書かれた38ページの「4 脚本家と原作者のネット投稿」の個所ではないかと思います。そこに至るまでの経緯もある程度把握する必要はありますが、極論を言えばこの部分のみでも報告書としては成立するかと思います。
 このように考える理由としては、そもそもこの報告書は原作者が自殺に至ったことについての背景や経緯を追い、今後このような事態を引き起こさないための対策をどうするのかという視点で作成されています。この視点に立つならば、それまでの積み重ねもあるもののの、原作者が自殺に至ったもっとも決め手となった点、逆を言えばこれさえなければという点を指弾することこそが最重要な意義であり、私の目から見ると報告書で言う「クレジット問題」こそがまさにその点だったと思います。

 ではこのクレジット問題とは何かですが、直接引用すると以下の通りです。

「上記のとおり、2023年11月1日に本件脚本家の降板と、本件原作者による脚本案をもとに制作を進めていくことが事実上決定した。その後、本件脚本家から、その決定は受け入れるものの、9,10話のクレジット表示について、本件脚本家の名前を『脚本協力あるいは『監修等と入れて欲しいとの要望がなされた。

 しかし、これについては本件原作者から反対の声が上がった。制作サイドとしては、9,10 話の脚本が交替になったとはいえ、8話まで一緒にやってきた脚本家である本件脚本家の 当該要望には最大限応えたいとの考えを持っており、本件脚本家の意向を汲み、『協力』あるいは『監修』等のクレジットを入れられるよう、原作サイドと可能な限りの交渉、協議を行っていた。一方で、本件原作者の意向に沿わない形で事を進めると、最悪の場合、9,10話の放送を認めてもらえないのでは、というリスクにも向き合う必要があった。

 他方で、本件脚本家からは、1話から 8話までの二次利用(配信やビデオグラム化などのこと)について、脚本家としての著作権を行使する可能性を示唆されたことで、状況はより深刻化した。こうして、日本テレ ビは、クレジット表記をめぐり、いわば原作者の意向と脚本 家の意向の板挟み状態になってしまったのである(以下「クレジット問題」という)。

 最終的に、日本テレビの判断のもと、原作サイド(本件原作者)の意向に沿う形でのクレジット表示となり、日本テレビはこの最終決定を本件脚本家に伝えたが、本件脚本家はヒアリングにおいて、『クレジットに関しては日本テレビに決定権があるはずなのに、日本テレビは最後まで自分を守ってくれなかった』と感想を述べ、9,10話 を降板になったことよりも、このクレジット問題に関する日本テレビの最終判断に強い不満を持ったと説明している。かかるクレジット問題をきっかけに蓄積した本件脚本家の不満が、結果的に後の本件脚本家によるSNS投稿に繋がったといえる。」

 原作者が自殺に至った直接的原因はやはり、脚本家の最終9、10話における原作交代に対する不満をぶちまけたSNS投稿にあることは間違いありません。ではそのSNS投稿に何故至ったのかというのが上記のクレジット問題で、要は9、10話に脚本家が自分の名前をクレジットに入れるよう要求し、もし入れなかったら脚本家の著作権を行使して番組の二次配信などを止めるよう主張していたそうです。
 これに対し原作者はきっぱり拒否し、またそれまでの経緯もあって原作者も著作権を行使して二次配信などを止めてくる可能性があったため、テレビ局は原作者の主張を採り、脚本家の要請を拒否してクレジットに入れなかったそうです。

 仮にこの通りの事実であれば、こう言っては何ですが脚本家の人の主張、そしてその後のSNSの行為はやはりどうかと私には思います。本人は「クレジットに関しては日本テレビに決定権があるはずなのに、日本テレビは最後まで自分を守ってくれなかった」と言ったそうですが、「日本テレビに決定権があるのだから、お前をクレジットに入れないのも日本テレビの判断だろ」としか言いようがありません。

 それにこの脚本家、原作に忠実云々をほっといてもそもそもおかしなムーブを見せており、なんでも「家庭の事情で短大に通えなかった」というキャラ設定を、「最近は短大進学者が少ないから……」という理由で、「家庭の事情で制服のかわいい高校に通えなかった」という設定に変えようとしていたそうです。
 短大の進学者が少ないは確かにその通りですが、「制服のかわいい高校」となると全く別物の理由になり、視聴者のそのキャラを見る目もまるで変ってきます。なんでこんな改変しようとするのか、自分ですら理解できないのだから原作者からしたら「駄目だこいつ」と思ってもしょうがないでしょう。実際、こうした訳の分からないアドリブ入れまくるほか、「原作者からの修正指摘を見るのがきつい」と漏らすなどしたことから、脚本家を降板させるよう原作者が要求したそうです。
 なおこの脚本化の「原作者からの指摘を見るのがきつい」という感想に関しては、ここだけの話だったのがプロデューサーが原作者に勝手に伝えたそうです。無駄に両者の関係を煽るあたりは名プロデューサーでしょう。

 ただ脚本家に関しては、「なんで途中で脚本降りたの」と問い合わせが来たり、その後の二次配信の著作権料とかにも影響することから、この問題について無視できなかったという事情は理解できます。とはいえ、関係者同士で話し合うのではなく内輪もめをSNSに投稿したのは完全に言語道断であり、発揮いうと原作者を自殺に追い込んだ張本人の一人であると言わざるを得ません。

 もっとも最大の戦犯となればやはりこのドラマのプロデューサーであり、「原作に忠実に作れる」脚本家を意図して選ばなかったり、そういった指示も脚本化にしなかっただけでなく、要所要所でかなりその場をしのぐための悪質な虚言を繰り返しています。一つ挙げると、原作者の脚本修正要望に対して撮影前なのに「もう撮影しちゃったから」などという嘘をついていたようです。こうした点も原作者の不満、不信につながっていったのでしょう。
 また上記の脚本家のSNS投稿に関しても、投稿前にその意思を示唆されていたそうです。その際に原作者と脚本家の誤解を解くなり、間に入るなりきちんと対応しておけばこんな悲劇はまず起きなかったでしょう。また投稿後に関しても「法務部と相談したけど個人の投稿を取り下げるよう要求できない」ということを理由に、何の対応もしなかったそうです。要するに、法律を盾に両者の和解に努める努力を放棄したことの言い訳ばかりがつづられています。

 最後にこの問題で一番根深い点として、誰一人責任を取っていない点です。はっきり言えばプロデューサーが原作者の意図をないがしろにし、自らの怠慢により原作者と脚本家同士の憎悪を煽り立て、SNS投稿に関しても知らぬ存ぜぬをやらかした結果に悲劇が起きたにもかかわらず、日テレはこのプロデューサーはおろか、その上長を含め誰も責任となる処分を取っていません。そもそもこの報告書自体が、長々とどうでもいいドラマ制作の経緯を書くなどして責任の所在をあいまい化している節があり、なるべくうやむやにさせようという意図のもとで書かれてあります。

 改めて述べると、ぶっちゃけこの報告書に求められているのは犯人捜しであり、責任を究明し、二度とこのようなことを繰り返さないよう内外に示すため果断に処分することにあるはずです。それこそが最大の対策になるはずなのですがそれを完全に放棄して、やるだけのことはやった的にこんな報告書を上げてくるあたり、無反省もいいとことでしょう。
 っていうか漫画家協会も、「きちんとした体制を見せない限りは日テレに原作を提供しないよう推奨する」的な声明を上げてもいい気がします。これくらいやらないと、多分彼らも反省しないでしょう。

ゲパルト作った(*‘∀‘)


 前の記事でも少し触れたゲパルトをこの度、ようやく作り終えました。


 期待通りというか存在感が物凄いのと、得意なデザインもあって作っている最中も、作った後も非常に楽しんでいます。あまりにも気に入ったことから、わざわざ枕元に置いてこれから夜な夜な眺めようと思うほどです。


 このゲパルトは、ゲパルトをパクって参考に作られた87式自走高射機関砲と同様にガンダムに出てくるガンタンクという呼び声もありますが、実際に作ってみてまさにその通りというか、ガンタンクがこれをモデルにデザインされたのではないかとすら思うようになりました。特に前面のレーダーが顔っぽく、左右の機関銃が両腕っぽく見える辺り、日本人なだけにアニミズムを感じます。
 なお左右の機関銃は水平になるように組まれており、互い違いに高さを変えることはできません。変えられたら余計にガンタンクに近づいたでしょう。


 以前の記事にも書きましたが、このゲパルトは完成から一度も実戦を迎えないまま退役するかと思いきや、ウクライナ戦争に投入されるや対ドローン兵器として大活躍して、その存在意義が見直されたという稀有な兵器です。定年間近のオールドルーキーが大活躍する辺りなろう系の主人公みたいな期待で、敢えてタイトルつけるなら「退役間近に出征したら戦場で大活躍した件」みたいになるでしょう。

 ただ今後の戦争では明らかに戦闘機よりもドローンの方が主役となり、実際に次の国産機となるF-3では、機体そのものは戦闘には深くかかわらず、周囲のドローンを管理、指揮する方面の機能が重視されるとのことだけに、こうした対ドローンに特化した自走高射砲の価値はますます高まると思います。日本の自衛隊も、前述の87式自走高射機関砲は52両で生産終了となりましたが、改造した新規機体を海外から購入、または自作する方がいいような気がきます。

2024年5月30日木曜日

やりとりにつかれた(ヽ''ω`)


 先日、タオパオで上の天目茶碗を見て、この金色というか黄色を出すのはすごいなと思って注文してみました。そしたら、




 来たのはマジでこれでした。黄色が全く見られないどころか驚くほどの黒一色で、開けた瞬間にこのところ仕事で疲れていることもあってか一瞬思考が止まりました。マジでこれ開けてどんなお茶飲もうかとウキウキしてた矢先だっただけに。

 正直、最初疑ったのは誤配こと出荷する商品を間違えたのではないかと思いました。それでさっそくタオパオ経由で業者に「これ本当に俺が頼んだ商品なの?色が違いすぎるんだけど」と聞いたら、「光に当てれば金色が出る」と返事きました。




 なのでわざわざトイレの蓋の上に立って照明の近くにもってきて光当てましたが、見ての通りやはり黒一色。縁のあたりは確かに金色っぽく見えなくもないですが、少なくとも碗全体では商品紹介ページのような全身金色とはかけ離れており、すぐその場でタオパオの評価欄に「写真と全く異なる商品が送りつけられた」と書き込みました。

 その後、業者の方から「気に入らなかったのなら謝るからマイナス評価を取り消してほしい」と連絡が入ってきました。なので、なんでこんなに写真と商品現物が違うのかと詳しく聞くと、商品ページの写真は光源に当てたもので、ああして当てないと窯変天目茶碗特有の模様はでないと、自分がやり玉にしている色のことはそっちのけで「そもそも、窯変の模様は碗ごとに異なるもので……」などと、延々と模様について語りだしてきました。
 埒が明かないので返品返金を一旦申し出た後、少しかわいそうな気もしたので、「ちゃんと商品紹介通りの交換品を送ってきたらマイナス評価を取り消すので、送る前に現物の写真を見せてほしい」と伝えたところ、光源バリバリというかきっついライトに当てた状態の茶碗の写真を送ってきました。ライト消してもっかい送れと言ったら、案の定また黒一色な小汚い茶碗の写真が送られてきました。

 改めてなんでこんなに商品紹介と現物が異なるのかと聞いたら、また同じように模様の話と窯変の製作がいかに難しいかを延々とチャットで語られ、なんかもうこっちも疲れてきたので、「もう返金も交換も要求しない。なのでマイナス評価も取り下げない(ヽ''ω`)」という投げた回答しました。

 先にも書いた通り、先週から今週にかけてはずっと仕事がつらく、土日も半日くらい自宅で作業して気を抜くとマジで数秒意識が飛ぶくらい疲れていた矢先でこれがあったため、いろいろと人生思い悩むに至っています。挙句に、「同じ系統や色でなくても、光源なしではっきり色が見て取れる代替品はあるか?」と聞いたら、「アップルのスマホ使ってる?動画とか送るから」と、いまいちかみ合わない会話をまたされました。
 若干、この手の茶碗に知識のない自分にも責があるとは思うものの、それでも商品ページ写真と現物のこれほどの見た目の差は看過できないし、あれだけ激しい光当てないと色が出てこないなんてはっきり説明しなければ絶対誤認するでしょう。っていうかあんな黒一色の茶碗が出てくるとはまず思わない。

 変にカスタマー対応の人が丁寧でいちいち的外れな答えをしてくるので長々付き合わされましたが、ところどころ色については話をごまかされている感があり、多分確信犯だと思います。一応まだ代替品がないかについてやり取り続けていますが、これ以上やり取りするのは無駄かもしれません。返金も返品もしないので手元に残るこの黒茶碗ですが、若干怒りもあるので八つ当たりは良くないと思いつつも、もうしばらく様子見てから叩き割ろうと思います。

2024年5月27日月曜日

百合子VS蓮舫

 各所で報じられていますが、来る都知事選に何かとお騒がせな蓮舫氏が出馬することを表明したそうです。このニュースを見て私が真っ先に思い浮かべたのは、映画の「エイリアンVSプレデター」と、そのキャッチコピーであった「どっちが勝っても、人類に未来はない」でした。
 ちなみにパロディB級映画の「エイリアンVSアバター」のキャッチコピーは「勝手に戦え」で、これもあてはめられる気がします。

 ネットのニュースではこのほかにも「学歴詐称VS国籍詐称」などと言われたりして、なんていうか政治家としての能力以前にバックグランドを争っているかのような見方が広がっています。ただその見方はあながちはずれじゃないというか、この都知事選についてはそもそも中身が全くない完全なイメージ争いになり下がっている印象があります。

 本来、政治家というのは社会における問題解決のために存在しうる職業です。もちろん問題がない状態を維持するのも立派な務めですが、地方首長ともなればその地域における問題をどのように解決するかがまず真っ先に求められる能力となります。
 然るに現在の東京都に関しては具体的に何か、解決すべき様な問題は見当たりません。オリンピックもすでに終わったし、公害問題もなければ渋滞問題も前ほど激化しているように見えません。強いて挙げれば、ふるさと納税制度による税源流出をどうするかっていうくらいでしょう。

 本当ならメディアの側もこうした問題提起を行い、各候補にその対策、重視を急ぐ問題分野などを聞かなきゃいけないのですが、メディアにもそのような力はありません。なのでこの選挙は、都知事としての資質を問う以前に、「どっちがイメージ的にいいか」というイメージバトルでしか成立しないでしょう。


 実際上の記事での発言を見る限り、具体的な政策とか、解決すべき問題というのは蓮舫氏において何もないことは明白です。ただ単に都知事になりたいから、オシャレ魔女ラブ&ベリーみたく何となく小池都知事よりましっていうイメージしか売っているように見えません。

 ある意味、争点となるような問題が東京都にないってのはいい状態にあることの裏返しとも言え、そんな状態を本人の努力によるものかは別として維持しているのなら、小池都知事は現職の正当性を訴えるのも別に悪いことではないと思います。ただ現職だからこそ、次の期では具体的にどのような問題に対処するのかなどをはっきり示してもらいたいし、示せないならもっとやる気のある人に変わった方がいいのではというのが私の見方です。

 なお解決すべき問題がなければ、意図的に敵を作って対立構図を作るってのは石原都政でした。ディーゼルエンジンをはじめやたらあちこちに喧嘩売ってはそいつらを退治する自分の正当性を主張し続け、確かに都庁職員のリストラをはじめ見るべき功績もありますが、今思い返すとかなり無茶苦茶な人だったし、現代だとかえって支持を得られなかったかもなという気がします。

2024年5月26日日曜日

国松長官狙撃事件の自称犯人の逝去

警察庁長官銃撃「自白」の男死亡 中村泰受刑者、別事件で服役中(時事ドットコム)

 前略、1995年に起きた国松長官の狙撃事件だと自称していた中村泰が獄中で病死したそうです。この人物については以前、事件を捜査していた元警察の方の手記を読んだことがあり、その内容から判断するに私もこの事件の新犯人は彼だったと思います。

 当時、オウム事件で世の中が大騒ぎとなった中で起きたこの事件ですが、警察は捜査かく乱を狙ったオウムによる犯行だとにらみ、またオウム真理教信者である警官から自白を得たとして彼を逮捕するもまともな証拠は出ず、結局その自白した警官も嫌疑なしで放して時効を迎えています。
 その時効時に警察は、やはり犯人はオウム関係者であると思っていると記者会見で述べましたが、確たる証拠もないのに憶測をあのような形で述べるのは、オウムに肩入れするつもりこそないものの、公平性に明らかに欠けた発言であり現在においても強く疑問視しています。

 話を中村泰に戻すと、彼の場合は米国で射撃訓練を受け、また極端な国粋主義者で警察関係者をつけ狙う動機もさることながら、彼の逃走時にいた協力者がほぼはっきり割れている点から言っても、彼が犯人であると私には思います。その逃走ルートも犯人のみにしか知れない情報が多く、ややうのみにし過ぎとも思いますが十分立証の根拠足るのではないかと思っていました。
 しかし自白さえとれば何でも立件して冤罪を何度も引き起こす日本警察のくせして、何故かこの事件は犯人が自白しているにもかかわらず立件が見送られています。そのりゆつ押しては時効以前に、一度オウムだと見立てた筋から外れる、要するにあてずっぽうな捜査を当初していたことを認めたくないが故の結果じゃないかと考えています。だとすれば呆れるばかりで、こうした体質についてはもっと警察を担当する国務大臣とかがもう少し手を入れてもいいじゃないかと思います。

 なお以前にもネタにしていますが、狙撃された国松長官はコルトパイソンの弾を数発受けながらも無事生還しており、バイオハザードのタイラントよりも強いのではないかと騒がれました。まだご存命とのことで、生命力に関してはマジビビるくらいすごいと私も思います(;´・ω・)