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2024年6月11日火曜日

誰も言わないけど中国の年金が心配

米国人講師4人刺傷 「単発事件」として捜査 中国外務省(時事ドットコム)

 今日出たこの記事ですがガチのマジで中国では一切報じられていません。こんなの隠蔽する必要性が全く見当たらない記事内容だと思うのですが、こういうのすら堂々と出せないあたり今の中国はよっぽど弱ってんだなと逆に思えてきます。

 そんな中国の話を今日はしようと思うのですが、一時期と比べると社会における悲壮感はやや薄まり、消費もこのところは活発になってきたように思います。ただその一方で企業業績はどこもあまり改善しておらず、また若者の新規採用が依然として狭い門であるだけでなく、中高年のリストラも続けられています。最近だとスタバにリストラされて行き場をなくした中高年がよくたむろするようになったと言われており、ほんと90年代後半の日本に様相が似てきたなと思います。

 その上で今後について述べると、現状ではまだ不動産業界鹿話題になっていませんが、依然として不良債権の処理に手を付けようとする動きが見られないだけに、大体2~3年後くらいに不況の波が金融界にも一気に広がると思います。逆を言えばそれまでは状況の深刻さにいまいち気づけずに、麻酔を嗅いだように火が広がっていても危機感を持てない状態で中国は続くのではとみています。

 ただそうした経済危機以上に、地味にもっと深刻だと思っているのが見出しに掲げた中国の年金制度です。中国では「養老金」と呼びますが、具体的に研究したわけではないもののただでさえ日本以上にハイペースで少子高齢化が進んでおり、なおかつ社会全体の雇用が悪化してきて地方財政も火の車とも言うべき状態にあることを考慮すると、日本よりも年金制度の破綻がずっと深刻に発展するのではないかと危惧しています。


 実際に国の年金制度に疑念を持つ中国人は増えており、このところマジで私の周りでも個人年金に加入したり、検討する人が増えてきています。上のリンク先の中国語記事はそれを裏付けるかのように、個人年金の口座開設者数が6000万人を突破したことを報じているのですが、それだけ公的年金への不安が高まっているとも言えるでしょう。
 その公的年金についてですが、直近ではあまり分析する記事が出ていません。ただ状況から考えるとこのままいけば状況的に破綻待ったなしだと思えるだけに、もっと早く検討したり分析したりする必要があるように思います。時間あったらまた自分がやってみようかなとも思いますが、ガチな話、中国政府は早く今のうちから年金制度を検討した方がいいと思います。

2024年6月9日日曜日

秋葉原通り魔殺人事件の救命現場

「血液が両手の指の間から大量に溢れ出して…」2人の命を救った”通りがかりの民間人”が見た、壮絶すぎる光景《秋葉原通り魔事件から今日で16年》(文春オンライン)

 今年に入ってから読んだ記事の中でばこの記事と、その続きの後半記事が一番というくらい印象の強い内容でした。書かれている内容は約16年目となる2008年の秋葉原連続通り魔殺人事件の糾明現場におられた方のインタビュー内容で、当時の凄絶な現場とその後も思い悩む日々などが綴られています。

 この事件に関してはもう若い人の間では知らないという人も出てくるくらい年月が経っており、また犯人であった男もすでに死刑が執行されており、徐々に過去の歴史となりつつある事件です。確か当時のブログにも書いていたかと思いますが、たまたまですがこの事件で亡くなった大学生が自分の実家近くに住んでおり、別の用事で仏具屋に線香を買いに行った際に「もしかしてご友人ですか?」とお店の方に言われています。
 はっきりとその大学生だった方である裏付けは取れてはいないものの、公判記事で亡くなった方の友人の証言では車に轢かれて亡くなられたことが書かれており、家族や友人などからその死が惜しまれていたことを見るにつけ自分もいろいろ思うところがありました。

 話を戻すと、その前の地下鉄サリン事件の現場でもそうでしたが、救命現場では「誰を優先して治療するのか」という判断が医療従事者に求められます。言ってしまえば助かる見込みのない人間を見捨てる判断も要求されるわけで、その結果救える命が増えたとしても、実際の現場の方からすればぬぐい切れない感情を持つのも無理がありません。
 実際に上記奇異のインタビューアーの方も大きな精神障害を負ったようで、記事へのコメントなどを見るとこの方面の精神治療やバックアップ体制が必要だという声も見られます。これが米国ともなるとシェルショックこと戦場帰りの軍人の精神衛生問題を常に抱えており、もし有効な制度や対策があるなら日本もこの際学んでおいた方がいいかもしれません。

 その上で、この秋葉原の事件が起きた当時は通り魔をどう防ぐかが散々議論されましたが、結論から言えばそんな方法はまずないでしょう。どんなに安定した世の中でも価値観がおかしかったり、自分に都合のいい考えを外部に強制する人間っていうのは出てくるものです。強いて言えば、この手の人間があまり出ないよう社会のストレス環境を下げる、精神衛生環境をマシな状態に保つことが最善策に思えますが、自分で言っててできるならとっくにやってるって思います。
 もっとも被害を減らす方法としては、無責任な言い方をすれば通り魔現場では即射殺を警察に奨励するのも一つの手かと思います。ほかの事件でもそうですが、犯行が警察官を含む大勢の目の前で行われ疑いようがない状況の場合、裁判なんてまどろっこしいことする必要あるのかと前から思っています。裁判せずに犯人を射殺する、または裁判するにしても非常に簡素な審理で終えるなどは、してもいいのではないか思っています。

2024年6月7日金曜日

鹿児島県警の情報遅漏事件に関する所感

 数年使用してきたPC用コントローラーがケーブルが弱ったのかなんか接続が突然切れることが増えてきたので新しいのを買いました。前のはスーファミ用っぽいのだったけど今度はPS用っぽいのにしたところ、振動用モーターがでかいのかやたら重く、ずしりと来るので、商品到着直後にまた別のブランドのPS用っぽいコントローラーを買っちゃました。そしたら今度は重さは許容できるものの、中のモーターが振動すると熱もってやけに手が熱くなるコントローラーで、握り具合も悪いため、また別のをさっき注文しました。
 無駄遣いがひどいと思いつつ、なんで普通のコントローラーをみんな作ってくれないんだろうと疑問に思います。ちょっとガチユーザー向けのコントローラーばかりみんな作ってない?



 話は本題ですがちょっと騒ぎになっている鹿児島県警の元部長による情報遅漏問題で、いくつか気になる点があるのでまとめます。

 この事件は鹿児島県警の元生活安全部長が定年退職後、県警職員による犯罪行為に対する捜査を本部長が隠蔽していたとして、その隠蔽していたとする事件内容とともに、ストーカー被害を受けていた被害者の情報を外部ライターに遅漏したことで逮捕されたものです。逮捕後の拘留継続を決める審理にてこの元部長は動機について、本部長が捜査を隠蔽していたからだと主張しましたが、これに対し鹿児島県警の本部長は否定しており、真っ向から意見が対立する様相を見せています。

 仮に元部長の言う通り、本部長が捜査を隠蔽していたとするのであればその情報を外部に伝えることは公益通報として捉えられ、非難されるものではないでしょう。ただ今回遅漏した情報の中には被害者のプライバシーに関する情報も含まれていたとされ、そこまで出す必要はあるのかというと正直疑問です。
 また上記リンク先記事にもある通り、情報の書かれた文書は元部長とは全く面識のない北海道のライターへと送られていたようで、しかも文書では「詳細についてはこいつに聞くように」と、元部長とは別の鹿児島県警関係者の名前や連絡先が書かれてあったとのことです。普通に考えると、元部長のこれらの行動は不自然としか見えません。

 何より自分が一番疑問に感じた点は、元部長の主張する通りこれが内部通報だとすれば、その通報先が何故外部のライターであり、警察庁ではないのかという点です。本部長の捜査隠蔽を糾弾するのであれば確かに鹿児島県警に内部通報することは望ましくないというかほぼ確実に闇に消されるだけですが、鹿児島県警の上級機関に当たる警察庁であれば、通報内容が真実かどうかを調べる権限も力もあり、同じ警察組織ということからも真っ先に訴える先であるように思えます。

 もちろん現段階では分からない点も多く、元部長がこうした行動に出ざるを得ない理由もあるのかもしれませんが、はっきり言えば現状においては元部長の行動に不審な点が多いようにしか見えません。また鹿児島県警はこのところ内部不祥事を連発してることもあり、捜査隠蔽の有無にかかわらず批判されるべき立場にあるのも事実です。なので私自身、あまり鹿児島県警の肩を持つ気にもなれません。

 どちらにせよ内容が内容だけに、この件については事の真偽をはっきりさせ、世間にも詳しく説明してほしいのが市民としての感情です。まぁ市民といっても、今の自分は上海市民なんだけど。

2024年6月5日水曜日

セクシー田中さん事件で思い出した過去の体験

 先日、ドラマ化に起因して「セクシー田中さん」の作者が自殺した事件についての日テレ報告書についてこのブログで触れましたが、その記事でも触れているように日テレの報告書は「何がしたくてこんなもの作ったのか?」と言いたくなるようなひどい出来でした。当事者であるにもかかわらずこれでもかと言わんばかりに他人事のような態度で、わかっちゃいるけどあまりコンプライアンス意識のない会社だなという印象を覚えました。

 そんな感想記事をまとめている最中、突然高校時代のある体験を思い出しました。どんな体験かというと、強いて言えば自分の中ではこの「セクシー田中さん」で起きた出来事に最も近い体験だったのではと考えています。

 事の起こりは私が高校生だった頃、高校生なのに中二病のまんまで当時私は小説家を目指して、多分今以上に平均で多くの文章を書いていました。書き上げた小説はバインダーに閉じて級友らに回し読みさせていたのですが、ある日ふと毎度毎度単発で書くのではなく、連載形式にしてみたらどうか、定期的な同人誌にして回覧させた方がいいのではないかと思いました。こうすることでほかにも興味を持って小説とかイラスト書く奴がいたら一緒に回覧できるし、自分も定期的な締め切りができてもっと追い立てられて小説書くようになると踏んだからです。

 そうして何人かと一緒に準備を進め、確か雑誌名はやっちまった感を出すため「出来心」だったと思いますが、栄えある第1号は無事に出すことができました。確か表紙のイラストとかも自分で描いてました。
 それ以前からも回覧させていたとはいえ、こうして同人誌形式にまとめたことで周りの反応は良く、自分も書いてみたいという奴も出てきたのでやる気満々なまま次の第2号も準備し、例によってまた自分が表紙を描いて作ることができました。

 ところがこうしてできた第2号を回覧させたところ、級友の一人が何故か「乗っ取った!」と言って、自分の描いた表紙の上に上書きするような形で別のタイトルやイラストを載せてきたのです。その張本人は仲間内の中でややカーストの高い人間だったこともありほかの級友も同調し、「残念だったな、花園」、「早くも編集長を追われたか」などと冗談めかして言ってきました。
 ぶっちゃけ、これ書いている現在ですら指が止まるくらい動揺しているのですが、当時の自分のショック感と言ったら甚だしいものでした。向こうが冗談でやっていることはもちろんわかっていたし、本気で雑誌を乗っ取るような意図もなければやる気も創意もないことも承知していました。しかしそれを知っててなお、自分が一から作った創作物をこのような悪ふざけで台無しにしようとする人間がいるものか、またそれを止めようともせず同調する人間しかいなかったという点に、端的に言えば絶望しました。少なくとも、丹精込めて書き上げた表紙イラストは上書きされて完全に台無しにされてましたし。

 その後どうしたかというと、回覧が終わって自分の手元にバインダーごと戻って来るや自分はその同人誌第2号を全員の見てる前で全部真っ二つに破きました。なんでこんなことをしたのかというともう自分自身にこれ以上続ける気力がなかったのと、平気で他人の創作物を汚すことのできる人間がいるというあきらめ感から、もう作ることはないだろうというのが正直な気持ちでした。その上で張本人を含むほかの級友らに「乗っ取ったというのだったらせめて自分たちで同じようなものを作ってみろ」と告げてその場を去りましたが、言うまでもなく、その後彼らは何一つ創作物を作ることはありませんでした。

 真面目にこの時の絶望感たるや半端じゃなく、誇張ではなく首吊ることすら本気で考えてました。自分の創作物を台無しにされたということよりも、人が頑張って作った創作物をああも汚すような行為を平気でする人間が当たり前のように存在している事実の方が自分にとってはショックで、マジでこの時は数日間、帰宅後は自宅で寝込み、何をする気力も湧かずしばらく無為に過ごしてました。
 なお当時級友らは自分が極端な行動を取ったとして謝るどころか自分を批判するようになり、自分も彼らとの交流を一時断ちました。その後、仲介に立つ人間を選んで自分が当時このように考えたと伝えた上で和解に至りましたが、若干自分が無駄に折れたと今は考えており、あくまで孤高を貫くべきだったのではないかという後悔をやや持っています。

 以上の経緯はあくまで自分の中二病体験ですが、それでも自分が経験した中では今回の「セクシー田中さん」騒動の原作者立場に最も近い体験だったのではないかと思います。その上でこの事件の当事者である日テレのプロデューサーと脚本家について自分の見方を言えば、どちらもクリエイターではない、だからこそ他人の作品を汚すことに一切の躊躇がない上、汚される側の立場や意識も現在進行形で全く理解できないのではないかという気がします。
 私自身がクリエイターであるなどと偉そうに言うつもりは毛頭ありませんが(そもそもジャーナリスト自認だし)、少なくとも上記体験から、自分が一から作った創作物を上書きされたり、無用な改変されたりすることで受けるストレスはとんでもなく大きいことはわかっているし、だからこそ他人の創作物にもそのようなことは決して行ってはならないということは理解しているつもりです。そうした感情が、はっきり言えば両者には全く感じられず、原作者である他人の痛みをわからないからこそああしたひどいことを平気で行えるのだと思います。

 また日テレの報告書を見る限りだと、「セクシー田中さん」では「これ意味あんの?」と言いたくなるような不必要で無用な原作改変が繰り返し行われていたようです。これら改変は「ストーリーや撮影の必要性があるから改変する」というより、「改変できそうなどうでもいい箇所があったら自分の爪痕を残すために必ず改変する」というような、自分が手を加えた証拠とばかりに改変を繰り返していたように見えます。
 もし自分が原作者の立場だったなら、多分こういう改変されたら言うまでもなくショックだし、作品をひたすら一方的に汚されているという風に受け取った気がします。なので原作者が改変に度々待ったをかけたり、ラスト2話の脚本を自ら手掛けたというのも当然の帰結のように思えます。

 なお自分が同じ立場だったら八墓村スタイルで突撃していた……と言いたいのですが、多分復讐心よりも絶望感の方が大きく、実際には何も行動できずに寝込むこととなっていたでしょう。そう考えると、自分の作品を守るためにあのような状況で脚本をチェックしたり、自ら脚本を書こうとした原作者に対しては、今更ながらそのバイタリティとプロ意識に強い尊敬心を覚えます。

 その上で、あくまで自分の勝手な憶測として述べると、原作者が自殺に至ったのは日テレや脚本家との対立に疲れたとか、世間の反発を感じたからとかそういうのではなく、過去のドラマ化で何度か経験していたにもかかわらず、また今回も結果的に自らの作品を汚されることとなった点について、自分の作品を守ることができなかったという絶望感が最大の動機だったのではないかという気がします。特定の誰かを恨んだりとかそういうのではなく、作品が汚されることが見えていながら、対策はしたつもりでも結局また繰り返してしまった自分への不甲斐なさからくる絶望じゃないのかと、いま改めて思います。

 最後にこの作品を汚される痛みについて、私自身も上記エピソードを思い出すまでいまいち実感がなかったのですが、もしかしたら経験しないとわからないものなのかもしれません。でもって「作品を汚す」という行為ですが、アニメや漫画の二次創作とかそういうのは当てはまらず、「作者の影を消そうとする行為」がこれに当たるような気がします。自分自身も作品を上書きされて駄目にされたこと自体よりも、軽い気持ちでああした行為を行おうとする悪意が一番理解できなかったし、気持ち悪いと感じましたし。

2024年6月4日火曜日

上海の気候について

 ほかに書く話題もあるのですが書こうとすると長くなりそうで、このところ仕事が忙しくなっているので後ろ倒しにし、ならほかに書くことはと思って浮かんできたのが上海の気候です。結論から言うと、東京の気候とほとんど同じですが、夏の暑さと冬の寒さは上海の方が一枚上手ってところです。

 中国と一口で言ってもめちゃ広く、どの都市で見るかでその気候も熱帯から寒帯と千差万別ですが、緯度的に中国のほぼ中間にあって海沿いの上海に限って言えば、気候は東京、というか南関東とそんなに差はありません。東京と比べると西にあるため梅雨が来るのはやや早いですが、実質的に6月が梅雨のシーズンなのでそこまで日が離れるというわけでもありません。
 一方、台風シーズンに関しては上海の方が明らかに来るのが早く、毎年必ず上陸するというわけではないものの、来るとしたら6月から7月にかけてで、9月に最も集中する東京と比べたらそのシーズンはかなり早いです。

 次に気温に関してですが、夏に関して間違いなく上海のが暑いと断言できます。毎年1度くらいは40度超えるし、最低気温も30度を下回らない日がよくあります。最高気温に至っては真夏は35度を切ることの方が珍しく、それでいて海沿いにあって湿度が高いもんだから夏場の不快度は東京の比ではありません。
 なので夏場に日本のニュースで「東京は今すごく暑い(33度)」などと書かれると「なめんなよ(´・ω・)」みたいな気持ちを覚えます。もっともそれ言ったらインドとかに比べると上海はずっとましですが。

 冬場に関しても、東京の気温と比べると上海の方が毎日一段低い気温となることが多いです。元々、寒さに強い体しているためそんなに冬を苦にしない私ですが、それでも日本にいたころと比べると上海の冬の方が寒いと感じることが多く、特に湿度が明らかに冬でも高いので、そういう時は肌に直接寒さが伝わるような感覚があります。
 もっとも、上海で雪が降ることはほとんどなく、ここ数年は市内で積もるのを見たことがないです。数年に1回程度は積もることもありますが。

 このほか春と秋について触れると、かつては日本と比べると両季節の時期が短いと感じていましたが、最近は日本でも夏と冬の時期が延び、春と秋が短縮気味だといういう人が多く、それを踏まえると春と秋の時期の長さで言えば今や東京も上海もあんま変わらないかもしれません。
 なお上海の季節で言えばやはり秋、それも10、11月が最もいいかと思います。何故かというと10月から上海蟹のシーズンとなり、街中でも安価で旬の上海蟹を食べることができ、なおかつ極端に熱くも寒くもないからです。この時期だからと言って上海に観光客がたくさん来るわけではなく(上海蟹が取れる隣の昆山市は集中するが)、混雑に遭うわけでもないので個人的にはお勧めです。

2024年6月2日日曜日

セクシー田中さん報告書の最重要ポイント

 先月の「けじめをつけた読売、けじめをつけられるか日テレ」記事で、漫画原作ドラマの「セクシー田中さん」問題で日テレが当初予定していた5月初めという報告書提出期限を守らなかったと触れましたが、5月末日の31日になってようやくこの報告書を出してきました。なんでこの日程になったのかは調査が遅れたとかそういう以前に、市民がこの問題を忘れたころに出そうとなるべく後ろに延ばした結果と推測しています。というのも、中身を読んだ限りだと2週間もあれば作れそうないい加減な内容だったからです。

 この報告書について自分も読みましたが、職業柄この手の報告書を見る機会が多い自分からすると幼稚な内容に見え、よくこんな内容の報告書を出すことに弁護士も署名したものだという気持ちを覚えました。具体的にどの点が幼稚なのかというと、内容の大半がドラマ制作前後の原作者とテレビ局のやり取り内容について書かれており、敢えてたとえるならあらすじばかりで埋めた小学生の読書感想文みたいな内容となっており、一番肝となる考察部分は逆に少ないという有様だからです。
 簡潔性を完全に失っており、恐らく敢えて読みづらい構成にして読む人を減らし、批判を避けようという意図もあるのではないかと思います。もし私に書かせたら、この1/3の分量でまとめてみせましょう。

 以上を踏まえて述べると、この報告書で真に読むべき最重要個所は67ページにおける「② 本件脚本家名のクレジッ ト問題」、またその詳細の書かれた38ページの「4 脚本家と原作者のネット投稿」の個所ではないかと思います。そこに至るまでの経緯もある程度把握する必要はありますが、極論を言えばこの部分のみでも報告書としては成立するかと思います。
 このように考える理由としては、そもそもこの報告書は原作者が自殺に至ったことについての背景や経緯を追い、今後このような事態を引き起こさないための対策をどうするのかという視点で作成されています。この視点に立つならば、それまでの積み重ねもあるもののの、原作者が自殺に至ったもっとも決め手となった点、逆を言えばこれさえなければという点を指弾することこそが最重要な意義であり、私の目から見ると報告書で言う「クレジット問題」こそがまさにその点だったと思います。

 ではこのクレジット問題とは何かですが、直接引用すると以下の通りです。

「上記のとおり、2023年11月1日に本件脚本家の降板と、本件原作者による脚本案をもとに制作を進めていくことが事実上決定した。その後、本件脚本家から、その決定は受け入れるものの、9,10話のクレジット表示について、本件脚本家の名前を『脚本協力あるいは『監修等と入れて欲しいとの要望がなされた。

 しかし、これについては本件原作者から反対の声が上がった。制作サイドとしては、9,10 話の脚本が交替になったとはいえ、8話まで一緒にやってきた脚本家である本件脚本家の 当該要望には最大限応えたいとの考えを持っており、本件脚本家の意向を汲み、『協力』あるいは『監修』等のクレジットを入れられるよう、原作サイドと可能な限りの交渉、協議を行っていた。一方で、本件原作者の意向に沿わない形で事を進めると、最悪の場合、9,10話の放送を認めてもらえないのでは、というリスクにも向き合う必要があった。

 他方で、本件脚本家からは、1話から 8話までの二次利用(配信やビデオグラム化などのこと)について、脚本家としての著作権を行使する可能性を示唆されたことで、状況はより深刻化した。こうして、日本テレ ビは、クレジット表記をめぐり、いわば原作者の意向と脚本 家の意向の板挟み状態になってしまったのである(以下「クレジット問題」という)。

 最終的に、日本テレビの判断のもと、原作サイド(本件原作者)の意向に沿う形でのクレジット表示となり、日本テレビはこの最終決定を本件脚本家に伝えたが、本件脚本家はヒアリングにおいて、『クレジットに関しては日本テレビに決定権があるはずなのに、日本テレビは最後まで自分を守ってくれなかった』と感想を述べ、9,10話 を降板になったことよりも、このクレジット問題に関する日本テレビの最終判断に強い不満を持ったと説明している。かかるクレジット問題をきっかけに蓄積した本件脚本家の不満が、結果的に後の本件脚本家によるSNS投稿に繋がったといえる。」

 原作者が自殺に至った直接的原因はやはり、脚本家の最終9、10話における原作交代に対する不満をぶちまけたSNS投稿にあることは間違いありません。ではそのSNS投稿に何故至ったのかというのが上記のクレジット問題で、要は9、10話に脚本家が自分の名前をクレジットに入れるよう要求し、もし入れなかったら脚本家の著作権を行使して番組の二次配信などを止めるよう主張していたそうです。
 これに対し原作者はきっぱり拒否し、またそれまでの経緯もあって原作者も著作権を行使して二次配信などを止めてくる可能性があったため、テレビ局は原作者の主張を採り、脚本家の要請を拒否してクレジットに入れなかったそうです。

 仮にこの通りの事実であれば、こう言っては何ですが脚本家の人の主張、そしてその後のSNSの行為はやはりどうかと私には思います。本人は「クレジットに関しては日本テレビに決定権があるはずなのに、日本テレビは最後まで自分を守ってくれなかった」と言ったそうですが、「日本テレビに決定権があるのだから、お前をクレジットに入れないのも日本テレビの判断だろ」としか言いようがありません。

 それにこの脚本家、原作に忠実云々をほっといてもそもそもおかしなムーブを見せており、なんでも「家庭の事情で短大に通えなかった」というキャラ設定を、「最近は短大進学者が少ないから……」という理由で、「家庭の事情で制服のかわいい高校に通えなかった」という設定に変えようとしていたそうです。
 短大の進学者が少ないは確かにその通りですが、「制服のかわいい高校」となると全く別物の理由になり、視聴者のそのキャラを見る目もまるで変ってきます。なんでこんな改変しようとするのか、自分ですら理解できないのだから原作者からしたら「駄目だこいつ」と思ってもしょうがないでしょう。実際、こうした訳の分からないアドリブ入れまくるほか、「原作者からの修正指摘を見るのがきつい」と漏らすなどしたことから、脚本家を降板させるよう原作者が要求したそうです。
 なおこの脚本化の「原作者からの指摘を見るのがきつい」という感想に関しては、ここだけの話だったのがプロデューサーが原作者に勝手に伝えたそうです。無駄に両者の関係を煽るあたりは名プロデューサーでしょう。

 ただ脚本家に関しては、「なんで途中で脚本降りたの」と問い合わせが来たり、その後の二次配信の著作権料とかにも影響することから、この問題について無視できなかったという事情は理解できます。とはいえ、関係者同士で話し合うのではなく内輪もめをSNSに投稿したのは完全に言語道断であり、発揮いうと原作者を自殺に追い込んだ張本人の一人であると言わざるを得ません。

 もっとも最大の戦犯となればやはりこのドラマのプロデューサーであり、「原作に忠実に作れる」脚本家を意図して選ばなかったり、そういった指示も脚本化にしなかっただけでなく、要所要所でかなりその場をしのぐための悪質な虚言を繰り返しています。一つ挙げると、原作者の脚本修正要望に対して撮影前なのに「もう撮影しちゃったから」などという嘘をついていたようです。こうした点も原作者の不満、不信につながっていったのでしょう。
 また上記の脚本家のSNS投稿に関しても、投稿前にその意思を示唆されていたそうです。その際に原作者と脚本家の誤解を解くなり、間に入るなりきちんと対応しておけばこんな悲劇はまず起きなかったでしょう。また投稿後に関しても「法務部と相談したけど個人の投稿を取り下げるよう要求できない」ということを理由に、何の対応もしなかったそうです。要するに、法律を盾に両者の和解に努める努力を放棄したことの言い訳ばかりがつづられています。

 最後にこの問題で一番根深い点として、誰一人責任を取っていない点です。はっきり言えばプロデューサーが原作者の意図をないがしろにし、自らの怠慢により原作者と脚本家同士の憎悪を煽り立て、SNS投稿に関しても知らぬ存ぜぬをやらかした結果に悲劇が起きたにもかかわらず、日テレはこのプロデューサーはおろか、その上長を含め誰も責任となる処分を取っていません。そもそもこの報告書自体が、長々とどうでもいいドラマ制作の経緯を書くなどして責任の所在をあいまい化している節があり、なるべくうやむやにさせようという意図のもとで書かれてあります。

 改めて述べると、ぶっちゃけこの報告書に求められているのは犯人捜しであり、責任を究明し、二度とこのようなことを繰り返さないよう内外に示すため果断に処分することにあるはずです。それこそが最大の対策になるはずなのですがそれを完全に放棄して、やるだけのことはやった的にこんな報告書を上げてくるあたり、無反省もいいとことでしょう。
 っていうか漫画家協会も、「きちんとした体制を見せない限りは日テレに原作を提供しないよう推奨する」的な声明を上げてもいい気がします。これくらいやらないと、多分彼らも反省しないでしょう。

ゲパルト作った(*‘∀‘)


 前の記事でも少し触れたゲパルトをこの度、ようやく作り終えました。


 期待通りというか存在感が物凄いのと、得意なデザインもあって作っている最中も、作った後も非常に楽しんでいます。あまりにも気に入ったことから、わざわざ枕元に置いてこれから夜な夜な眺めようと思うほどです。


 このゲパルトは、ゲパルトをパクって参考に作られた87式自走高射機関砲と同様にガンダムに出てくるガンタンクという呼び声もありますが、実際に作ってみてまさにその通りというか、ガンタンクがこれをモデルにデザインされたのではないかとすら思うようになりました。特に前面のレーダーが顔っぽく、左右の機関銃が両腕っぽく見える辺り、日本人なだけにアニミズムを感じます。
 なお左右の機関銃は水平になるように組まれており、互い違いに高さを変えることはできません。変えられたら余計にガンタンクに近づいたでしょう。


 以前の記事にも書きましたが、このゲパルトは完成から一度も実戦を迎えないまま退役するかと思いきや、ウクライナ戦争に投入されるや対ドローン兵器として大活躍して、その存在意義が見直されたという稀有な兵器です。定年間近のオールドルーキーが大活躍する辺りなろう系の主人公みたいな期待で、敢えてタイトルつけるなら「退役間近に出征したら戦場で大活躍した件」みたいになるでしょう。

 ただ今後の戦争では明らかに戦闘機よりもドローンの方が主役となり、実際に次の国産機となるF-3では、機体そのものは戦闘には深くかかわらず、周囲のドローンを管理、指揮する方面の機能が重視されるとのことだけに、こうした対ドローンに特化した自走高射砲の価値はますます高まると思います。日本の自衛隊も、前述の87式自走高射機関砲は52両で生産終了となりましたが、改造した新規機体を海外から購入、または自作する方がいいような気がきます。