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2024年8月13日火曜日

みんなが注目するダイエー松戸駅西口店の行く末

ダイエー松戸駅西口店の跡地はどうするべきか?

 上の記事は閉店が決まっているダイエー松戸駅西口店について5月に書いた記事ですが、なんかやたらとアクセス多くてビビってます(;´・ω・) きっとみんなそれだけこの店に思い入れがあるのと、この先どうなるのかについて思いを馳せているのではないかと思います。

 書くいう私自身もこの店がかつてDマートと呼ばれていた時代はしょっちゅう訪れており、映画を見たりプラモを買いにきたりと松戸に来たら確実にこの店に寄っていました。また細かい思い出話をすると、小4の頃に何故か南流山から松戸まで一人マラソン大会をやろうと企図し、冬休みに実際やった際、Dマートを訪れ地下のフードコートで無料の水飲んで帰ったのも覚えています。っていうかあの地下フードコート懐かしい。

 そんなこの店に直近で訪れたのは2022年の10月で、上海のロックダウンを経て約2年半ぶりに日本を訪れ、馴染みの床屋で髪切ってもらおうと平日午前に行ったら11時からのオープンだったため、自転車求められるし店が開くまで時間潰しとばかりにダイエーを訪れました。
 その際、電池が切れて止まっていた腕時計もあったので2回の修理屋さんにもっていって直してもらい、これまた時計が直るまでの間はお店の中をぐるぐる回りつつ、ふと思い出したので友人に電話をかけ、「もしもし、俺今松戸にいるんだけど」とオレオレ詐欺みたいな切り口で無駄に松戸にいることをアピールしてました。ちなみに向こうはこっちの電話番号も登録しておらず、急に松戸に現れたことにビビってました。

 個人的に上の体験がダイエーとの最後の思い出になるのかと思うとなんか若干物足りないというか妙なことをしたなという気がして満々であるものの、今後リニューアルされるのであればキテミテマツド同様にまた訪れることもあるでしょう。そのキテミテマツドの方は出だしこそ丸々空いているフロアもあったりと不安な漕ぎ出しでしたが、出入りこそ激しいもののテナントは結構埋まり、また年数も重ねて定着していったことから、ほかの都市の大規模店舗跡のリニューアルとしてはまだ成功した部類じゃないかと思います。関東以外の地方とか、結構悲惨なリニューアルとかも珍しくないし。

 ただこのキテミテマツドの存在は、ダイエーのリニューアルにとっては一つの障害になる可能性もあります。まっつど駅周辺ではこのほかにも東口にイトーヨーカドーもあり、狭いエリアに中大規模商店が密集しており、ダイエーもこれが閉店の一つの要因になったと思う節があります。私自身としては前回の記事にも書いたように駐車場などになって、松戸駅前の道路混雑緩和に貢献してほしいとか思っていますが、もし商店で行くならば近くのキテミテマツドとどう差別化するのかが最大の懸念事項になると思います。

 いっそのこと、商店というよりかはアミューズメント施設みたいな感じにした方がいいかもしれません。もしくはすでに松戸で絶えて久しい映画館にして、映画館に付帯する施設として飲食店を中心にするのがベターかもしれません。松戸にある有力なラーメン屋とかにも出店してもらいミニラーメンアリーナみたいにしたら意外と人来るかもしれません。まぁ自分としてはカレーの方が好きだけど。

2024年8月12日月曜日

四苦八苦と安楽死による救済是非

 先日「ドボポプププププ」という記事で描いた「女神転生外伝 新約ラストバイブル2」というゲームを昨夜クリアしました。Steamのレビューを見るとUIが古いとか勝手が悪い、エンカウント率が高いなどという批判をよく見ますが、ファミコン時代のゲームを体験している私からすればあんなの障害に入らず、実際気になることありませんでした。むしろエンカウント率高いから、普通に戦ってればレベリングの必要なくていい感じだった気すらします。

 さてこのゲームですが女神転生シリーズの亜種として世界観は西洋ファンタジーで、出てくるキャラクターも歌舞伎っぽいのもいますが基本西洋名で、武器もドスを除けばファンタジーチックです。なのにシナリオのテーマは仏教で、ラスボスも「衆生無辺誓願殺」などと漢字いっぱいな仏教用語で攻撃してきます。
 っていうかゲームバランスはかなりおおざっぱで、終盤のボスはこっちが先に必殺技を食らわせるか、向こうが先にこちらをワンパンかましてくるかの二択でした。この辺はちょっと難ありで批判されても仕方ない気がします。

 話を戻すと前述の通りシナリオのテーマは仏教が大本となっており、ラスボス前の前座となるボスキャラも「四苦」と「八苦」というキャラでした。この四苦八苦ですが自分も今回初めて知りましたが単なる四字熟語ではなく実は仏教用語でその意味は臨済宗円覚寺の解説によると以下の通りらしいです。

①〔仏〕生・老・病・死の四苦に、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦を合わせたもの。人生の苦の総称

 この説明の通り、ゲームのラストバイブル2では上記の苦しみの種類がゲームイベントを通してプレイヤーに示されます。特に激烈なのは「病」で、ゲーム中の世界は不治の病が流行しており、感染して末期症状の患者には植物状態のようになる薬によって延々と寝かしつけたりしています。
 また薬が手に入らない人の中にはあまりの苦しみから自殺を選ぶ人もおり、あるイベントではそのような患者に敵キャラが安楽死を施すシーンすらあります。もちろん主人公たちは勝手なことはやめろとこの敵キャラを倒して安楽死を食い止めるのですが、その後助け出された患者は病の苦しみから結局自殺することとなります。このほか無理やり恋人を死に追いやられたパートナーの男性も夜を悲観して自殺するというイベントもあり、全編において陰鬱なストーリーが展開されます。

 多少ネタバレで話すと、このゲームのラスボスはそのような世の中の不条理や苦しみ続ける人たちを見て、「生きているからこそ苦しみがあり、悲しみが繰り返されるのだから、いっそ人類全員安楽死させる方が苦しみから解放させることとなる」として、人類絶滅を企図することとなります。これに対してやはり主人公らはそんなことさせないと抵抗するのですが、「お前らがやろうとすることは世の中で、人の苦しみを増やすだけだ」と向こうにも言われたりします。まぁこの辺はお約束か。

 ただこの辺の「生きているからこそ苦しみも生まれる」というのは、確かに一種の正しい見方だと思います。上記の四苦八苦の概念もまさにその点をついており、円覚寺の解説によると生きることそのものが苦であり、不完全であり、一時の幸福感は苦の裏返しでもあるという風に説明されています。これ自体に私も異論はなく、安楽死というのも一つの救済手段であるという風に感じます。

 まぁゲームでは最終的に人類絶滅を図るラスボスを倒して計画を食い止めるのですが、生き残った仲間の一人は実際にこれでよかったのかと戦後に自問しつつ、かつて生きろと言ってくれた者らの思いに応えるため今後も生き続け、世の中の多くの人の苦しみを少しでも減らしていくため努力すると言って幕を閉じます。落としどころとしては、まぁこんなもんでしょう。

 以上の流れを見て自分の中でポンと浮かんできたのが、地味に「進撃の巨人」でした。この作品の中では特異な能力を持つために世界中から迫害される民族について、迫害から守りつつ今いる人たちを救う手段として、今後この民族から子供が生まれないようにして民族全体でゆっくり安楽死する案が提唱されます。ちょっと観点は違うかもしれませんが、生まれながらに迫害という苦を追う民族に対し、民族そのものを消滅させることでその苦から解放するという見方では、上記のラストバイブル2のラスボスとも共通する箇所があると思います。

 ただ進撃の巨人でも、「子供は未来そのものであり、そんな手段は認められない」として主人公勢力は上記案に抵抗することとなります。もっともその中の一人は、「迫害する他民族を絶滅させればいいじゃん(・∀・)」って結論に至って実際に実行するわけなのですが。

 こうした創作の中だけではなく仏教においても、「生きていくことは苦に満ちてはいるが、自殺や安楽死によって解放されるわけではない」という風に説かれているように思えます。あくまで自分の理解ですが、苦も楽もともに受け入れることで初めて生を理解する一歩が踏めるという風に解釈しており、苦は忌避すべきものではないと言っているように感じます。

 この辺、考えれば考えるほど追い付かなくなっていく面もありますが、かといって考えないとそれはそれでもったいない概念ではないかとも見ています。最初に私は、安楽死は苦の解放手段の一つと申しましたが、今回こうしてラストバイブル2のエンディングを見て進撃の巨人とか見た後だと、果たしてそうかなという疑問が少しもたげました。元々安楽死については肯定派なのですが、この辺に関してはもっと仏教関係者とも話してみたくなりました。

 どちらにしろ、現代社会は幸福について論じたり考えることを求めることが多いですが、苦についてももっと考えるべきかもしれません。大前提としては苦を否定してはならない、一方で安楽死のように苦を求めてもならないといったところじゃないかと思いますが、これらを踏まえて「苦とは何か」、「自分にとっての苦とはなんなのか」といった点や、避けるべき苦、受け入れるべき苦とは何なのかとかももっと考えてみた方がいいのかもしれません。

2024年8月11日日曜日

ロシアの戦略転換の背景

 3年目も一向に止むことなく続いているウクライナ戦争ですが、先日ウクライナ側が開戦前からロシア領だった地域に突如進軍して大きな話題となっています。これまで戦火はロシアが侵略してきたウクライナ領土とクリミア半島に限られており、これはロシア領への攻撃によってエスカレートすることを恐れた米国などが、武器支援の代わりにロシア領への攻撃は控えるよう指示していたためと言われています。
 しかし一向に停戦の兆しが見えないことから、昨年秋ごろよりはロシア領へのミサイル攻撃に関しては米英も承認したとされ、実際にウクライナも兵站を中心にロシア領へのミサイルやドローン攻撃は活発化させていきました。

 それがここにきてミサイルではなく兵隊によるロシア領への進軍が始まりました。端的に言えばタイミング的にも妙手だったと思え、これまで「ミサイル攻撃はあっても進軍はない」と油断し切っていたロシア軍の裏を大きくかき、戦闘が続けられている既存地域でウクライナにかかる圧力もこれで確実に薄まると言い切れます。
 無論、戦線が拡大することとなるためウクライナ側もその戦線を維持するため兵員の確保などがこれまで以上に重くなることは間違いないでしょうが、これまで攻められっぱなしだったのがある程度イニシアチブを握ることとなり、また殴られる覚悟のなかったロシア国民の厭戦気分を高めた上、今後の停戦交渉において領土交換という手段を手に入れられることからも、奪える領土は今のうちに奪っておくことがやはり最善手であるように思えます。


  そんなウクライナ戦争についてJBpressでおなじみの西村氏の評論ですが、この評論は非常にストンと納得のいくもので、ここ数ヶ月で読んだもの中では白眉でした。

 概要を私の方で簡単にまとめると、開戦直後にキーウ攻略に失敗したロシア軍は戦線を縮小し、戦力を突破可能な地域に絞って攻めるという方針に切り替えました。これ以降、ロシアは負けはしないものの勝ちもしない状態が続きましたが、バフムトでプリコジン率いるワグネルが損害を気にしない大量投入作戦で戦果を挙げると、これを戦訓とばかりにロシア軍は他の戦線でも効率を無視した大量投入作戦を導入したばかりか、一度は縮めた戦線を再び拡大させ兵員の犠牲が急拡大するようになったとの分析です。

 実際にここ数ヶ月のロシア軍の損害は、戦術の拙かった開戦当初よりもひどいと言われています。それでいて目立った戦果も挙げられず、ウクライナ側も防戦に苦しいものの、仮に限界があるとしたらロシアは自らその限界に近づくだけの始末となっています。
 そんな風にロシア軍を犠牲に駆り立てたのは西村氏によると今は亡きプリコジンですが、この分析を踏まえて生前のプリコジンの発言を振り返ると、彼自身はバフムト占領を機に停戦を考えていたのかもしれないと思いました。

 というのも誰がどう考えたってああした無秩序な突撃戦術は短期的な効果はあるものの長くは続かず、戦術の通りどこかで限界を迎えます。そうしたことをプリコジン自身も理解していたように思え、バフムト占領後は度々「ウクライナ軍は大した連中だ」などと自嘲めいた言葉も口にしていました。
 その後、彼は知っての通りにロシア国防部に反乱を起こしましたが、恐らくそれはもうあんな戦術は今後も使えるわけないし、これ以上は戦っても得るものがなく、停戦しなければかえってロシアがやられることになるという風に考えたのではないかと思う節があります。というのもプリコジンの乱のときに、「このままではロシアは滅びる」という言葉を何度も口にしており、それはロシアの戦術よりも、戦争継続能力について向けられていたように今となっては思うからです。

 実際に、あの北朝鮮に頭を下げるほど今のロシアの地位は低下しています。以前の記事にも書きましたが、ロシアは仮に今停戦したら戦争中以上の苦境に立たされる可能性が高く、これは停戦が遅れれれば遅れるほどより顕著となるきらいすらあります。普通に考えたって、現代において3年以上も1ヶ国で戦争を継続すること自体が経済的にあり得ず、このツケはロシア自身が払うこととなるでしょう。
 まぁウクライナに関しても同様で、だからこそ戦後の復興支援が本当に大事だと思うし、それがロシアに再戦をあきらめさせる上でも重要なってくるのですが。

 以上を踏まえて改めて西村氏の記事見出しを見ると、まさに今のロシアの現状はプリコジンの亡霊に悩まされている状態のように見えます。仮にあの時、もしかしたらプリコジンが考えていたかもしれないように適当なところで停戦しておけば、ロシアは戦後の破滅的状況をいくらか緩和できたかもしれません。
 それが今回のウクライナによるロシア領への進軍によって、戦略的にも外交的にも内政的にも、ロシアは以前に比べかなり弱い立場に落とされたという気がします。こういうのを見ていると、やはり民主主義でない国は一人の独裁者によって、払う必要のない犠牲を払って落ちていくものだと思えてきます。

2024年8月10日土曜日

中国の夏、ダニのいない夏

 北京の方は最高気温32度とかですが、上海はこの1週間は毎日39度で、多分実際には40度も行っている気がします。数年前と比べて明らかに気温が上がっており、先日日本出張から帰ってきた同僚も上海の方が暑いと申していました。
 今日自分はやや距離の離れたニトリとユニクロまで買い物に行くためそこそこ自転車に乗りましたが、熱中症対策に帽子を被ってはいたものの、現在やや頭痛を起こしています。マジで宇宙空間並みに野外活動が制限される状況で、さすがにこれほどの暑さはいい加減にしてほしいです。

 ただそんな中国の夏ですが、かつてと比べて劇的に改善している点があります。それは何かというと寝るときのダニ被害で、このブログでも散々書いたしJBpressでもわざわざ記事化するほど悩まされた問題でしたが、2年前にこの問題を抜本的に解決することができました。その解決策は何かというと、さっき出てきたニトリで買ったダニ対策ベッドマットです。

 ニトリの商品にはこれまでいくらか当たりはずれがありましたが、ことダニ対策に関しては大当たりで、過去の因縁を水に流してもいいくらいにとりにはマジで感謝しています。言うまでもなく中国はベッド文化なためベッド本隊とかにダニがいると天日干しにすることもできずダニと共生する羽目になり、夏場なんかはほぼ毎夜噛まれては上手く寝れない日が続いていました。
 しかも中国のダニは日本のダニと比べて明らかに強く、ダニ駆除用の薬品などの対策グッズをあらん限り試したものの効果が薄く、唯一効果があったのは地味にファブリーズでした。ほかのダニ除けスプレーかは逆に効果ありませんでした。

 そんな毎年のダニに苦しめられていた2年前の春、かねてよりニトリの店頭でダニに強いベッドマットが打っていたのを見ていたことから上海ロックダウン明けに注文して使ってみたところ、特にダニ対策グッズとか前述のファブリーズなども使ってなかったにもかかわらず、その年はほぼ全くダニに噛まれることがありませんでした。この傾向は買い替えをしなかった去年、今年も同様で、夜暑くてうなされはするけどダニによって眠れないということは一切なく、安眠を得られ続けています。
 逆を言えばダニ対策のベッドマットでこうして足とかをかまれることがなくなったということは、やはりこれまでの被害は他の変な虫とか皮膚の病気とかじゃなくダニが原因だったのでしょう。日本でもよくダニに悩まされたけど中国の比ではなく、アースマットとかも中国ではほとんど効きませんでした。

 こうした経験を踏まえ、ダニに悩まされている人にはマジでニトリのダニ対策ベッドマットがお勧めです。敷布団の人に対策は悩むところですが、寝具の素材一つで劇的に変わるので本当におすすめです。

2024年8月9日金曜日

至高のマウスはロジクールのM220/M221

 アニメの「しかのこのこのここしたんたん」見ていると、世話焼きな元ヤンって物凄いツッコミキャラの適正あるんだなという気がします。って過去の作品、ツッコミ役がそのこしたんってキャラしかいないため、放映中にこしたんが「ってか鹿せんべいってサックサクじゃん!?」などと延々とツッコミ続けているため、こしたんこと声優の藤田咲氏の独演会みたいになっている気がします。単位時間当たりのツッコミ回数では、「ボーボボ」のビュティに匹敵するのでは?

 話は本題ですが先々月から仕事の忙しさからストレスがたまってたのか、無性に買い物して散在したいという日々が続いていました。そこでECサイトのタオパオをずっと漁っていて、何故だかマウスを買いまくっていました。


 最初、周りが使い始めていたので前から気になっていた上のロジクールの「LIFT」のような縦型マウスを、「rapoo」というブランドので購入しました。何でrapooにしたのかというと、単純に安かったからです。
 で早速使ってみたわけですが、使ってみて初めて「あ、俺には合わないんだな」というのがわかりました。というのも私のマウスの使い方がやや特殊になってきたというか、実は手首を全く動かさないスタイルだったからです。

 具体的にどういうスタイルなのかというと、マウスを持つ時は肩から手首にかけて腕を一切動かすことなく、マウスをつまむかのように持っている指だけしか動かしません。その分、カーソルの移動速度もかなり速く設定しており、大学時代の友人なんか「なんだこのスピード、ついてこれない!?」などとガンダムっぽいセリフを口にしてました。
 このスタイルだと手首を一切動かさないので腕には一切負担がかからず、実際マウスを使ってて腕が痛くなることは自分には皆無です。多分、トラックボールマウスを使っている人に近い姿勢だと思え、ある意味一つの理想形である気がします。

 そんな私のスタイルに対し前述の縦型マウスですが、この縦型マウスは手の平が真横に向くように握る形となっており、その分だけ手首の負担が下がると喧伝されてはいるのですが、私の場合は通常のマウスなら手首を動かさないのに対し、この縦型マウスだと持ち手の性格上、手首を動かさなくてはならなくなり、普段手首を一切動かさないため逆に腕が疲れる羽目になりました。
 また構造的に斜めを向いたクリックキーも若干押し辛く、特に自分はウェブサイトを見るときにニュースリンクなどをホイールボタンを押すことでまとめでタブに表示させ、記事を読んではタブを消して次のタブを見るというスタイルをしています。恐らくほかの人に比べホイールブタンを押す回数が極端に多く、マウス壊す時も大体ホイールボタンから壊れるのですが、この縦型マウスだとホイールがとにかく押し辛く、またいかにもすぐ壊れそうな雰囲気も感じ取ったため、結局すぐ使うことをやめてしまいました。


 なので仕切り直しとばかりに買ったのが、こちらのロジクールM331というマウスでした。こちら握りやすく左側面が内側にえぐれていて実際悪くなかったのですが、このえぐれた部分に溝が掘ってあり、ここに使ってるうちに垢がたまっていくのが若干汚らしく思いました。また先ほどの指でマウスを掴むマイスタイル上、左右対称の方がやはり指でつかみやすいため、M331もこの形ならではの良さもあるものの、もう一押し欲しいと思ってまた買いなおすこととしました。


 そんなわけで最終的に行き着いたというか、再び戻ってきたのがこちらの同じロジクールのM220(M221は包装が違うだけ)でした。というのもこのM220、以前にも使っていたからです。
 なおこのM220はクリック音のしないバージョンで、する方はM186でこちらも以前使っています。前は音する方がいいと思っていたけど、平常時ならまだしもイライラしているときはやはり気になると思って今はサイレントマウスばかり使っています。

 話を戻すとこのM220、非常にベーシックなマウスなのですが見ての通りさ有線対象で、下部の方が少し内側に入っていて握りやすい形となっています。ただそれ以上に特筆すべき点として、重量が異常に軽いという点です。ブラウザの「進む」、「戻る」ボタンもなく、完全に右と左のクリックとホイールだけの機能に絞っているためか、とにもかくにも軽くで指だけでマウスを動かす自分にとっては最高のパートナーだったりします。以前もかなり長く使ってホイールが壊れたため別のマウスを使ってたりしましたが、ほかのマウスを使えば使うほど逆にこのM220がどれだけ優れているのかを認識するばかりだったため、またこのマウスに戻ってきてしまいました。後悔はありません。


 ちなみに今まで使ったマウスブランドで言えば、まずバッファローは超クソというか欠陥品で、ちょっと放置するたびにスリープに入り、設定した感度がリセットされてカーソルの動きが変わるという史上最低のマウスでした。マジでここだけはお勧めしません。

 次にエレコムは可もなく不可もなくですが、値段の割にはそこまで高性能と思えず、だったらロジクールの同じ価格帯の方が上だという印象があります。デザインもそんな良くないし。

 マイクロソフトは地味にいいマウスが多く、耐久性もやたらいいのですがバリエーションがやや少なく、無線マウスも大体がブルートゥース対応していて重量もやや重いものが多い気がします。優先マウスとかなら割といいかもしれませんが。

 サンワサプライはいくつかデザインがいいのがありますが、そういうのに限ってびっくりするくらい塗装が剥げやすく、使ってるうちに左クリック部のみが白くなるイメージです。デザインがビビッと来るなら、値段も安いので選んでもいいかなとは思いますが。

 このほか最近日本でも浸透してきたUREENのマウスは、ごく普通のマウス過ぎて逆に面白みなかったです。また肝心要のホイール部がやや弱く、使ってるうちにすぐ反応が弱くなったのですぐに使うのやめてしまいました。マジでホイールボタンの耐久性はどこも重視してほしい。

 この点でロジクールのマウスはやはり耐久性は群を抜いており、またサンワサプライみたくハゲハゲになることが全くないです。ほかの人もロジクールばかりなのでなるべく被りたくはないのですが、耐久性と上述の軽さを追求するなら結局ここ一択になってしまいます。

 さてそんなこんだで、無駄に買い込んだマウスをどう処分するかが目下の悩みです。定期的に会社の同僚に配ってたりしますが、バスケットに入れて「早い者勝ち!」とか書いて置いておこうかな。

2024年8月7日水曜日

このところの株価の乱高下について

 友人に、中国人のガンダム00のファンにもっていくガンプラ土産は何がいいかと聞かれ、何食わぬ顔で「アッシマーしかないですね(´・ω・)」と言いそうになりました。まぁ正直にダブルオーライザーを推薦しましたが、何気に00は一度も見たことがなく、今度映画版でも見てみようかな。

 話は本題ですがここで描くまでもなく日本の株価が先週末から乱高下を繰り返しています。現在特に株を保有していないのでまだ笑ってみていられますが、もし持ってたらリアルタイムで株価を追うくらい不安に駆られてたことでしょう。個人的には歴史的な値動きをリアルタイムで見られたこともあり得をしたなと思っていますが、この件について友人とかにもコメントを求められましたが、現在進行形なため応えづらいというのが本音です。

 そもそも今回の株価の激変は日銀の利上げ発表を受けたものと言われていますが、これも一つの要因でしょうが米国の経済指標の予想未達、また中東での新たな地政学的衝突懸念という要素が一度に重なってしまったものとみています。それ以上に、この半年間での日本の株価の劇的上昇ぶりに潜在的に利益確定を狙っていた層が膨れ上がっており、それが下落し始めた瞬間に一気に売り注文を出したことで拍車をかけたのかもしれません。
 それらを踏まえて言うと何か一つのミスとかそういうのではなく、タイミングが色々重なっただけの結果であり、少なくとも日本の経済がだめになったとかそういう風には捉えるべきじゃないかということだけは断言できます。まぁそもそも、日本にほとんど産業はなくなっているんですが。

 それらを踏まえて一部メディアに対する批判を述べると、週刊誌やタブロイド紙を中心に今回の乱高下を受け日銀や岸田総理を批判する声が見られますが、若干これは的外れである気がします。確かに日銀の利上げ方針発表が一つの契機になったでしょうが、前述の通りこれだけが要因ではなく、またそもそもこれまでのゼロ金利政策自体が異常であり、ここから脱却を図らなければならないことを考えると、あのタイミングでの利上げ発表自体は決しておかしなタイミングではなかった気がします。
 そもそも0.10%から0.25%への引き上げ自体が絶対値的に小さく、実体経済に与える影響も非常に限定的なだけに、これで大騒ぎするのもどうかと思います。さすがに、いきなり1%に引き上げるとかだったら批判が出るのもわかるけど。

 それどころか日銀の金利引き上げ発表以前は、円安の進行による生活費の高騰がやたら問題視されており、「円安を放置する岸田と植田は無能だ」、「輸出する大企業ばかり贔屓にしやがって」といった批判でも溢れていました。それが今回円安を誘導したらこっちはこっちで「株価を下げやがって」、「景気に水を差す」などと批判するしで、どっちに転んだって批判しかしない、お前は蓮舫かよと日本の報道や反応見ていて感じました。
 かねてから書いていますが、私としては今の岸田総理や植田総裁の経済政策は理に適っているように思え、さすがに意図的に株価の乱高下を狙ってやったならどうかと思いますが、そうでないなら要所要所の発言や行動はしっかりしているように思えます。さすがに今回の乱高下を受けて「金利調整には株価も考慮する」という発言が出ましたが、状況を鎮静化させるうえではこの発言を出すのも仕方ないと思うし、何もしないのと比べれば全然マシで、やはり植田総裁はまとまだと感じました。

 なお米国でも株価が大きく下がるやトランプ元大統領が「ハリスのせいだ」と言ってましたが、この人は悪いことがあると全部バイデン大統領かハリス氏のせいにして、いいことあれば「俺のおかげだ!」と言う、ジャイアニズムの権化みたいな気がしてきました。そのうち大谷選手が活躍しても「ワシが育てた」とか言いそうです。

 ただ残念なことに、前述の通り円高でも円安でも見境なく批判する勢力がいることを考えると、日本もあまりトランプのことを笑えない気がします。にしても「もしトラ」から「もしハリ」という言葉まで生まれてきましたが、自分としても予見性というか何するかまだ予想しやすい意味でハリス氏の方に頑張ってもらいたいと思ってます。

2024年8月4日日曜日

石丸伸二氏に対する印象

 友人に「今、RPGゲームしている」とチャットを打ったところ、「RPG(ロケットランチャー)ゲームというのはあるのだろうか?」という疑問がもたげました。ある意味、バイオハザードはロケットランチャーゲームと呼んでもいい気はしますが。

 話は本題というか連日の激務(RPGゲーム)で右手首がやられているのでちゃっちゃとまとめると、先日の都知事選で大活躍した元安芸高田市長の石丸伸二氏にすちえ、相互リンク相手の潮風大使さんが、

「令和版宮台真司2号、あるいは令和版田中康夫2号の雰囲気がどことなく漂う」

 という風に評されていました。この意見について自分も同感であるものの、もう一人思い浮かぶ人間がいたりします。

 元々、都知事選の最中からその印象は抱いてはいたのですが、限られた報道ベースでしか見ていないのに偉そうに批評するのもどうかなと思ってしばらく様子を見ることにしていました。都知事選後の経過もある程度見たので勿体ぶらずに言うと、彼を見て想起したのはかつて首相も務めた橋本龍太郎です。

 さすがに令和のこの時代に橋本龍太郎と言ってすぐ「ああ、あのポマードね」とすぐいえる人はもはやそんな多くないと思います。時期的にはバブル崩壊してようやくかなり不況期にあると日本が辞任し始めたころの総理大臣で、自民党がいったん下野してから連立ながら初めて政権に復帰した時の総理大臣です。
 ちなみに現上皇が警備の目をくらまして銀座に遊びに行った銀ブラ事件で連れ添った橋本明のいとこでもあります。

 橋本龍太郎がどんな政治家だったかというと、端的に言えば政治家としての知識や頭脳は群を抜くという秀才で、誰一人彼に論戦で勝てなかったとも言われています。そのため多くのほかの政治家から政策について相談を受けていたのですがその際に、「そんなこともわからないんですか?(・∀・)」という一言と冷笑が必ずセットでついてきたそうです。
 要するに、政治知識に関しては格段の存在であったもの人が悪いというか他人に対し常に小馬鹿にした態度をとる人間だったようです。そのため多くの先輩政治家から、「あの性格さえなければ、もっと早くに総理も務めていただろう」という一致した評価を受けていました。逆を言えばそれだけ、政治家としての才能では群を抜いていたともいえるのですが。

 はっきり言ってスケールこそ違うため、ミニ橋龍のような印象を石丸氏には覚えました。私自身はたとえ人望がなくとも才あれば、理解者の横でなら政治家としても十分やっていけるとは思いますが、それはあくまでナンバー2止まりということとなります。実際橋本龍太郎も、総理には就いたものの在任中の評判はあまりよくなく、後の再選に出た際も小泉純一郎氏に負けそこからは日歯連事件もあって転落しており、トップを張る人材かと言えばそうではなかったとみています。
 逆を言えば石丸氏は今後より大きな地位を得たいのであれば、腹の中で何を思おうが勝手ですが、人前と口では相手を小ばかにする態度は控え、馬鹿な発言に対しても粗雑に扱わずしっかりと対話する態度を作らないといけないというのが課題になるでしょう。そもそも民主主義自体、愚かな大衆にもわかるように議論を尽くすというのが前提であるだけに、政治家としての必要義務だと思ってこの弱点をどう克服するかがカギになってくる気がします。