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2024年9月19日木曜日

深圳の日本人学校生徒殺害事件と日本人学校が狙われる背景


 すでに各所で大きく報じられている通り、昨日中国の広東省深圳市で日本人学校に通う男児が暴漢に刺され、治療の甲斐なく亡くなられました。大人の身勝手な行動で殺害された男児自身はもとより、そのご家族のことを思うと自分も不憫でならず、さすがに今朝亡くなられたニュースを見た際は大きく気が落ち込みました。

 中国での日本人学校生徒を狙う事件は今年6月にも江蘇省蘇州市で起きており、当時も事件発生当初に中国メディアは黙殺し、日本の外務省が発表して約1日間経過してから報じる有様でした。今回の事件も同様に、昨夜遅くになってようやく刺傷事件が起きたと報じたものの、FNNの記事にある通り一部のネットメディアを除けば、中国では男児が亡くなったことはまだ報じられていません。報道規制がかかっていると断言してもよく、明日には報じるのかがまた見物でしょう。

 中国側は今回の事件は頭のおかしな人間による通り魔的犯行で、特別な意味はないと主張していますが、ならなんで6月にも蘇州で襲撃事件が起きたのだと誰もが思うでしょう。もっとも蘇州の事件も親子をかばって亡くなられた中国人女性について大きく称賛する報道がなされた後は全く続報がなく、犯人が何故凶行に及んだのか、日本人を狙ったのかについてなどの捜査情報は全く公開されていません。今回の事件も言うまでもなく同じ経過をたどるとみられ、まぁこれでは対策のしようがないというか難しいでしょう。

 私の目から見て。日本の報道では日本人で、弱い子供を狙ったのではないかとか、不況で市中国国内に社会不安が増しているなどの推測が多く出ています。後者に関しては確かにその通りで、リストラされた人間が街中でよく見られるようになり、商業施設では空きテナントが増え、社会の空気が殺伐としてきているのをこのブログで書いている通りはっきり感じます。
 一方、前者に関してはちょっと違うのではという見方を持っています。日本人が狙われるのは反日教育の静だなどと色々報じられ知恵ますが、それが根底にあるのは認めるものの、本質的にはもっと表層の浅い部分のデマによる影響が大きいのではと勝手に見ています。

 実際の犯人の動機はわからないためこれも私の憶測に過ぎないのですが、かねてから中国では中国国内の日本人学校は中国におけるスパイ拠点で、あそこに通う日本人は校内でスパイとしての訓練を受けているというデマがまことしやかに流されています。
 そんな馬鹿々々しいデマをまともに受ける奴なんているのかと言いたいのですが、実際この噂について「これって本当?」って聞いてくる中国人が多くいたりします。感覚的には「嘘っぽいけど案外マジかもしれない」くらいな感覚ですが、中にはガチで信じ込んでいる人も一定数いると断言できます。

 っていうか「子供があんな整然と列を作って並べたりできるはずがない」というのがスパイ学校である主張として使われたりもするのですが、比較対象が悪すぎるでしょう。

 もっともこれに関しては日本の孔子学院がスパイ拠点だと主要する日本人も多くいるため、どっちもどっちという風に思っていますが。私個人の見方を述べれば、少なくともスパイとして捜査機関に摘発される、確たる証拠がない限りは結論を出すべきじゃないといったところです。でもって怪しいと思うなら、人に頼らず自分で調べろよと言いたいです。

 話を戻すと、あくまで憶測ですが日本人学校が狙われるのは上記のデマも影響しているのではという懸念が少しあります。仮にその通りであれば、中国政府がお得意の言論弾圧でこのデマを封じ込めればいいだけの話なのですが、福島の処理水に関して中国政府自体がデマを流している現状からすると望むのは難しいでしょう。そもそもこの処理水で中国政府が喧伝するデマも、ヘイト感情を高めており、こっちの方が原因としてでかいかもしれません。

 6月の蘇州の事件が起きた時、私はこういう襲撃事件は今後も相次ぐと思いました。ただ襲撃対象は絶対数で多い日本人成人になると思っていたものの、わずか3ヶ月後に再び小学生が襲われるとは予想せず、その間隔の短さもあってさすがにショックを覚えました。
 その上で、中国政府自身が社会でヘイトを高めるデマをまき散らしていることもあり、今後も日本人を含む外国人の襲撃事件は増えていきますが、行き着く際は中国人高富裕層へのヘイトになるとも見ています。実際、そうした高富裕層への不満がなんか爆発する直前のような雰囲気を感じており、前回といい今回の事件の中国政府の消極的な態度を見るにつけ、多分鎮めることはできない気がします。

2024年9月18日水曜日

「小悪魔教師サイコ」裁判の和解に触れて

売上7億円超の人気漫画『小悪魔教師サイコ』作画家・合田蛍冬氏が出版社を提訴した訴訟が和解 同一原作の後発漫画が出版されトラブルに 出版社は謝罪(ねとらぼ)

 本日、「小悪魔教師サイコ」という漫画の作画家と出版社、原作管理会社間の裁判が和解したとの上記報道が出ました。この漫画ですが実は自分は2週間前に購入して読んだばかりで、読むきっかけとなったのもこの裁判でした。

 2週間前、何故かふと「セクシー田中さん」事件のことを思い出し、この件ではドラマを制作してトラブルを引き起こした日テレがやり玉に挙がっていましたが、本来なら仲立ちを果たさなければならない出版社(出版社)も騒動を収めないどころか放置しており大概だったなと考えたところ、「そういえば、『小悪魔教師サイコ』でも漫画家と出版社でも揉めていたな」と思い出しました。せっかくだからこの騒動も追ってみるついでにと、件の漫画を手に取るに至ったわけです。

 その「小悪魔教師サイコ」という漫画作品ですが、一読して「ああこれは人気出て売れるわけだな」と感じました。動きのあるシーンのコマ割りとセンスのない表紙デザインはややどうかと思うものの、話のテンポはよくキャラクターの描き分けもできており、内容には惹かれるものがあって既刊3冊をすべて購入して読みました。
 個人的には、普段無表情で張り付いた笑顔しか見せないサイコパスの主人公が、脈絡なくスコップで思いきり他人の頭をぶん殴ったものの相手がまだ死んでなくて、「やべ、仕留めそこなったΣ(゚Д゚;≡;゚д゚)」という表情を浮かべるシーンが強く印象に残っています。

 話を戻しますがこの「小悪魔教師サイコ」の漫画はウェブコミックとして人気を得て売り上げもよかったそうですが、何故か原作者側は別の出版社とも漫画化契約を結び、同じ内容の漫画が同時期に連載されることとなりました。しかし後から始まった方は先行していた、今回裁判を起こした作画担当の合田蛍冬氏が描いた漫画のコマ割りをはじめ、原作にはなく独自に追加したシーンまでも模倣していました。
 これに対し合田氏は抗議するとともに、監修としてクレジットに名前を入れることなどを求めましたが却下され、それどころか原作者側が逆に合田氏に対して騒動を起こしたとして謝罪を求めるなどこじれていきました。

 そうした成り行きから合田氏の連載は休載に追い込まれることとなったのですが、間に立つべき出版社側は何故か原作者側に立ち、裁判を示唆するなどあることないことを合田氏に吹聴して余計に揉めさせるだけでした。また告知なく休載した件について合田氏が自身のブログで経緯を説明すると、出版社は自分たちが休載を告知していなかったにもかかわらず、合田氏にブログでの休載説明を削除した上で謝罪するようよう要求してきたそうです。

 こうした諸々の経緯もあって合田氏は出版社や原作者側へ騒動に関して謝罪し、この問題に真摯に対応するよう求めるため、賠償金がなんとわずか3円という裁判を起こすこととなりました。
 個人的な見方から言えば、この形式的な3円という賠償要求額といい、裁判経緯をしっかりブログで説明、公開しているあたり、合田氏は非常にしっかりしていて責任感もある人物であるという印象を受けます。なおその裁判経緯によると、出版社側はすぐわかる虚偽発言を繰り返した挙句、矛盾を指摘されるや嘘に嘘を重ねる始末だったそうで、少なくとも出版社の人間は無能だというのがこの裁判からはっきりわかりました。

 今回の報道によると、詳細は明らかにされていないものの、最終的に出版社、原作者は合田氏に対し謝罪することが決まったそうで、合田氏もこの結果に一定の納得感を得ていると述べています。私としても合田氏の肩を持っていたし、前述の「セクシー田中さん」の件で出版社側にもかねてから作家に対する問題行動が見受けられていただけに、こうした合田氏の行動がほかの理不尽を強いられている作家の励みになるのではないかと期待しており、今回の結果はいいものになったのではと思ってみています。

 そもそもの話、いくら原作を持っているからと言ってせっかく漫画版が人気出ているのにそれとは別に漫画作品を同時期に立ち上げるという道理が全く理解できません。「ひぐらしのなく頃に」や「うみねこのなく頃に」のように、独立しているエピソードごとに別の作画家を立てて漫画を同時連載するなら理解できますが、同じ原作で同時期に別の漫画が連載されるとあれば、もし自分が同じ立場だとあまりいい気分はしないでしょう。
 なおこのような同時並行連載形式だと人気な「薬屋のひとりごと」がありますが、あっちはあっちで片方の作画家が脱税で摘発されて、「脱税版」、「納税版」と区別されるようになって、これはこれで面白かったです。

 それらを踏まえると、初めに「ほかに漫画作品を立ち上げない」という条項を原作者との契約で盛り込んでいたにもかかわらずその契約権利を行使しなかった出版社が、無駄に自分のところの人気作品を失うというあほな行為をしたというのがこの裁判の帰結だと思います。本当にぶんか社はなにがしたかったのだろうか?

 その上で、自分もいた時に感じましたがメディア、コンテンツ業界はこの辺の契約や法務に関してザルもいいところで、こうしたトラブルは見えないところで無数にあると断言できます。日本がコンテンツ産業をもっと強化したいというのであれば、こうした業界の意識の低い契約習慣を改めさせる、または作家らを公的に法務面でサポートすることが強化につながるとすら考えています。
 幸い、この辺は漫画家組合がそれなりにサポートしているようですが、そうした動きをもっと広げることこそが、日本のコンテンツ業界では重要な気がします。一番よくないのは米国のように出版社が原作権利を強く持つことで、やはり作家ファーストで日本は行ってもらいたいものです。

2024年9月17日火曜日

ちょっと珍しい中国のFC-1のプラモ


 また自作プラモの話で申し訳ないのですが、ちょっと珍しいと思う機体なので紹介を兼ねてこうして記事化しようと思います。そのプラモというのも、FC(Fighter China)-1という、中国製でありながら中国では運用されていない戦闘機です。


 この戦闘機は中国とパキスタンの共同開発機で、現在はパキスタンで主に運用されています。みヤンマー国軍も買ったそうですが、あんまり稼働はしていないそうです。


 中国側は開発ベースは中国のJ(殲)-7で中国独自のオリジナル機体だと主張していますが、実際にはパキスタンがアフガニスタン戦争の後に米国からもらったF-16がベースだと言われています。実際、こうしてプラモで作ってみたところ、エアインテークの位置こそ胴体下部から脇に移っていますが、全体サイズといい主翼や尾翼の形状を見る限りだと、完全にF-16と共通しています。

パキスタンでは「Thander 04」とも呼ばれてるらしい

尾翼付け根に切り込みが入っているのはF-16そのまんま

 作ってみた感想としては、メーカーの小号手(トランぺッター)は伝統的に戦闘機脚部の設計が弱く脚が明らかに折れ曲がりやすいのですが、このキットはそういうこともなく、固定が成れてないとてこずりますが逆にきちんと接着出来たらゆるぎない強脚を見せてくれます。
 またエアインテークの組み立ては非常に面白く、胴体下部と上部の間にコックピットを含む胴体全部を差し込むような構造をしており、やや寸法合わせが難しかったですがこの辺の組み立ては本当に楽しかったです。機体そのものがF-16同様にベーシックな形状をしているので、作ってて楽しいキットでした。

 もっともコックピット周りは「こんな細かくする必要あんの?(;´・ω・)」と思うくらいやたら細かい部品が多く、組立も面倒で、ここにやたら時間がかかって嫌でした。コックピットなんて組み立てたらほとんど見ない箇所だから、もっと適当でもいいと思うのに。ここを乗り越えた後は基本スムーズでしたが、最後のデカールがやたら皺ができやすいデカールで、貼り付けるのに苦労しました。

 なおこの機体、中国も当初は導入を検討したものの、すでに運用していたJ-10の方が武装も多く運用実績もあるため、結局このFC-1は見送ったそうです。この判断は確かに懸命だと言えるのですが、FC-1を入れずとも中国は運用戦闘機種類が非常に多いです。
 具体的には、前述のJ-10とロシアのフランカーシリーズ(Su-27、Su-33、Su-35)が主ですが、このほかにも自称ステルス機のJ-20、J-35が入り、整備とか大丈夫なのと他人事ながら心配になってきます。

 なお日本は戦闘機ならF-15、F-35とF-2の3種類だけで、面白みはないけど現実的です。ぶっちゃけ新しい機体を英国と共同で開発するのもいいけど、F-15の最新版に取り換える方がもっと現実的なんじゃないのという気もしますが。F-15の最大の武器は拡張性だし、取り換えた機体もさらなるアップグレードで使いまわせる気がするし。

中国では中秋、日本では秋分

 今日は中国は中秋節なため祝日で、朝から「龍が如く7」をやり続けようと思ったら仕事入ってきたので怒りの休日残業となりました。てか連休明けにミーティングとか入れるなよ。

 話を戻すと、この中秋というのは日本でも「中秋の名月」という言葉で一般的に使われています。中国でもこの時期の月は名月とされ、月餅など丸いものを食べながら月を眺めるという文化があります。

 そんな中秋についてよく通っていて顔なじみになっているコンビニの店長に「日本でも中秋節は祝日なの?」と聞かれました。この時に改めて考えたのですが、日本では秋分の日を祝日としていますが、実質的に中秋も秋分も16番目の二十四節気を表す言葉で、意味的にも内容的にも同じです。なのになぜ日本と中国でこうも使い分けているのか、若干腑に落ちない気持ちを覚えました。

 あくまで好みの問題ですが、私としては中秋節の方が月を眺める文化習慣を表す言葉にもなっていることから、こっちの方がいいんじゃないかという気がします。何となく秋分だと春分の兄弟格で「昼と夜の時間が一緒な日」のようにしか受け取れず、何より「秋分の名月」とは誰も言わないことからも、文化的な習慣と結びつくうえでこの際「中秋の日」に名前を変えたっていいじゃんとかすら思います。

 なお今日はその件のコンビニで月餅買ってさっき食べましたが、これとは別に中秋の名月に見立て中国に売り込み、マジでかなり定着させることに成功した日本の秋月梨もお昼におやつ代わりに食べました。個人的に話はマッドシティ名産の幸水または豊水を好みますが、秋月梨もでかいだけあって食べ応えがあり、この時期に食べるのが割と楽しみでよく買ってたりします。

2024年9月15日日曜日

ゲームのムービーシーンにおけるカメラワーク

 今更ながら「龍が如く7」を遊んでいます。発売が2020年であることもさることながら、購入したのは去年のセール時ながらも何故かこれまでは他のゲームを優先して遊ぶことなく、なんか手持無沙汰な状態がふと訪れたので起動してみるとこれまた面白く、評判が高かっただけに非常に楽しんでいます。
 にしてもゲーミングパソコンじゃなくてもPS4クラスのゲームがパソコンで遊べるようになるとはいい時代になったもんだ。戦闘機ゲームのエースコンバットも今度動くか試す形で買ってみようかな。

 話を戻すとこの龍が如く7ですが、ストーリーをはじめとするゲーム内容の面白さ以上に、ムービーシーンにおけるカメラワークに驚かされました。具体的にどこがどうと言いづらいのですが単純に素晴らしく、どのムービーもちょっとしたカメラワークで各描写を強く印象付けるように作られており、どのムービーも早送りせず見入ってしまうほどです。
 どんなカメラワークがいくつか挙げると、左右に二人の人物の顔が映されていて、最初はしゃべり始めた片方にピントが合っているものの、もう片方がしゃべりだすとそちらにピントが移る。あと徐々にズームアウトしていって端の方に入り込んできた人物がおもむろに語りだすなど、こういう映画とかでは当たり前のカメラワークですが、ゲームだとこれまであまり目にしたことがありませんでした。

 カメラワーク一つでこれほどまでムービーが良くなると私は今まで感じたことはなく、ただ単に最近のゲームを遊んでいないだけかもしれませんが、かつて遊んだゲームのムービーでは印象を覚えたことは本当にありませんでした。思い起こすと、スクウェアエニックスやコーエーテクモのゲームはどれも美麗CGやムービーを売りにしていますが、改めて思い起こすとCGの素材ばかりに力を入れて、そのCGをどう映すかというカメラワークに関してははっきり言ってお粗末な水準だった気がします。
 基本的に顔面アップが多く、アクションするシーンも遠回しに映すだけで迫力がなく、終いには最近は減ったけど悪名高いQTEを入れてムービーなんか見られない状態にしたりといった感じです。

 そもそも龍が如くシリーズの元プロデューサーである名越氏自身はゲームではなく映画を学んでいたものの、就職にあぶれてゲーム業界に入ったという口なだけに、この方面のカメラワークがやっぱりこのシリーズが優れているのも当然かもしれません。ついでに書くと、龍が如くの製作前から柴田亜美氏の漫画(どきばぐ)ではまるでその未来を見越したかのように、本宮ひろし風のヤクザとして描かれていました。

 話をまとめると、ゲームのムービーと言うとCGの美麗さやキャラクターのかわいさばかり取り上げられがちですが、そうした素材を生かすも殺すもやはりカメラワーク次第というべきか、この方面に意識が薄いゲーム会社も少なくない気がします。そういう意味ではゲームクリエイターも映画とかの撮影方法をもっと学ぶべきなのかもしれません。

2024年9月14日土曜日

イスラム教の賢い税政策

 社会学を先行していたこともあり比較文化論的な話は前から好きなのですが、この手のもので特に良く読むのが宗教学者の島田裕巳氏の本です。私自身は「神はいない(でも妖怪は絶対に存在する)」という無神論者ですが、宗教やその価値観はオカルト趣味もあって昔から好んでおり、ちょうどこの辺を突くかのよう島田氏の本は感性をくすぐるので新刊が出たらよく買っています。
 てな感じでこの前買った「宗教戦争で世界を読む」ですが、この本では宗教が主導または宗教間で起きた戦争を取り上げてその原因や結果などについて書かれてあるのですが、個人的に一番面白いと思ったのはイスラム教の人頭税ことジズヤの話でした。

 知っての人には早いですが、かつてイスラム教は非イスラム教徒に対しては人頭税という税金を課していました。これだけ聞くとひどいことするなという感じがしますが、実際には当時のキリスト教圏ではキリスト教以外の活動や信仰を一切認めず、キリスト教内でも異端に指定されたら弾圧されるような状況の中、イスラム勢力圏では税金さえ払えば自由な信仰(当初はキリスト教とユダヤ教限定だったが後にこのほかの宗教にも拡大)を認めており、当時としてはむしろ他宗教に対し非常に寛容な態度だったそうです。
 それどころか、このジズヤはイスラム教国にとっては重要な財源でもあっただけに、払ってくれる他宗の教徒に対してはウェルカムな態度すら持ち合わせていたそうです。実際、キリスト教圏から追われたユダヤ教徒を「こっちにおいでよ(=゚ω゚)ノ」てな感じで迎え入れたこともあったそうです。まぁユダヤ人は金持ってそうだしね。

 こうした財源的な意味でも価値を持つジズヤですが、イスラム教圏の拡大においても大きな役割を果たしていました。というのも基本どの時代、どの国にもいるでしょうが、周りや親が信仰してたるから自分も何となく信仰を続けているだけのなんちゃって教徒は世の中溢れています。そうした人たちに対してもジズヤは課されるのですが、先にも述べた通りこれはイスラム教に改宗すれば払う必要はなくなります。
 このように、他宗の信仰心の薄い層に対し「税金払わなくて済むなら(´・ω・)」という感じでイスラム教に誘導させる効果もジズヤは持っていたそうです。でもってイスラム教は生活そのものが信仰というぐらいに戒律や作法が厳格な宗教で、一度はいるとなかなか抜け出せられない特徴を持ちます。そんなイスラム教の特徴と相まって、ジズヤの効果はウマイヤ朝やアッバース朝時代のイスラム教の急拡大を支えたと言われています。

 ただ、これまた先にも述べた通りジズヤは財源としても非常に重要な収入源でした。そのため一部地域では他宗の教徒が集団でイスラム教に改宗しようとしたら財源がなくなることを恐れた領主がそれを止めようとしたという、本末転倒な話もあったそうです。人間、やっぱりお金が大事。

2024年9月13日金曜日

あっさり中国で定年延長(;´・ω・)

 先日の記事で中国が定年延長を検討しているという報道を取り上げましたが、今日あっさりと定年延長が決まりました。段階的に引き上げるとはしているものの男性60歳、55/50歳を男性63歳、女性58/55歳へと引き上げる方針を打ち出しました。
 前の記事で私は、男性はともかく女性は男性同様に60歳まで引き上げるのではと書きましたが、あっさりその予想を外してかなり恥ずかしい思いしてます(;゚Д゚)

 何気に昨日、ちょうどこの定年延長の影響を受けそうな年頃の友人と会話した際にこの話題も出たのですが、その人の周りではどちらかというと早期リタイア志向が強い人が多く、定年延長については「やめてよ(´・ω・)」って感じの感想が多かったそうです。この辺でも自分の予想は外れているのかもしれない……。

 ただ前の記事にも書きましたが、この影響を一番受けるのは壮年層よりも若年層、中国の若者じゃないかと思います。壮年層が雇用され続けることで枠は小さくなり、来年以降はますます就職状況が悪化るのではないかとみています。失業者が増え続ける場合中国の社会不安も高まることとなり、その辺をやや危惧しています。