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2024年11月24日日曜日

経営者としての過ちと後悔

 今日自転車に半年ぶりくらいに注油したせいか今家の中が油の臭いで充満してます。真冬じゃないから窓開ければどうにかなるけど。

経営シミュレーションゲームて昔のほうがええのいっぱいあったよな(ガハろぐ)

 話は本題ですが上のまとめ記事見て、自分もカイロソフトをはじめこの手の経営ゲーム好きだったので楽しく読んでました。ただこのまとめ記事の、以下のコピペが妙に印象に残りました。


186 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/09(水) 23:33:30 ID:g5FQzX2v
当時中1くらいだった俺は新テーマパークって遊園地経営ゲームをしていた
ゲームは3歳の頃からしていたくらいのオタだが所詮は中学生
初めての経営物が上手くいくわけもなく赤字決算が続いていた
このままでは俺の遊園地は赤字で潰れてしまう
どうしようと思ってた矢先に裏技の情報が舞い込んだ

その裏技は「お客さんが店に並んで会計をする瞬間に値段を上げればいくらでもぼったくれる」
という裏技だった
経営難の俺は早速その裏技を実行する事にした
ターゲットにした「若者(男)」がコーラショップに入った瞬間に俺は120円のコーラを9999円に値上げ
もちろんそのまま売れて普段のコーラ80杯分の値段で売った俺はホクホク顔

しかしそこで俺は気がついた
「この店の商品は高すぎる!」のマークを出しながら若者がパークをウロウロし始めたのだ
てっきり無一文になったらさっさと帰ると思っていた俺がその若者にチェックマークを付けて追跡すると
怒りのマークを外したけどお金が無いため何も出来ずうろうろする若者
無一文のためにアトラクションに乗れず目の前に置いてあるベンチに座ってひたすら眺めてる若者
ゲームショップを横切るも「お金が無いよ」のマークをだして名残惜しそうに通り過ぎる若者
彼がぼったくりコーラを持ってパークを去ったのは閉園時間だった

俺はその時この若者が俺のパークに来る事をどれだけ楽しみにしていたかという事を思い知らされ涙した
その日から様々な方法を試してお客さんに高い満足を得てもらいながら利益を出す方法を研究した
いつかパークが有名になってその若者がもう一度来園してくれた時に「この遊園地は最高だ」といってもらえるように夢見て…

今でも経営物のゲームをやる時はこの時の事を思い出して良い経営者になれるように努力している


 なんというか泣かせるコメントです( ;∀;)

 以前にもこのブログで書いていますが、後悔という言葉は基本ネガティブな意味で使われ、「公開のない人生」などとなければ無い方がいいような扱いすらされています。しかし私自身は後悔というのがあるかないかはその人の人間性を大きく左右するものだと思え、後悔の分だけ反省もあり、後悔という方向修正を繰り替えした分だけよりまっすぐな生き方ができるものだと考えています。

 そういう意味で上のコメント書いた人は、たかがゲームとはいえこの時の体験が何かしらいい方向に向かわせたのではないかと密かに感じ入り、やはり後悔はするべきものだと再確認したような気になりました。

 ちなみに自分はカイロソフトのゲーム会社運営ゲームで、販売するソフト名をすべて「淫らな~」という風にして、「淫らなテトリス」、「淫らなクエスト」みたいなゲームを次々と発売していました。後悔は全くありませんでした(´・ω・)

2024年11月23日土曜日

EVシフトの雇用への影響

 また仕事が忙しく神経がやられて買い物途中にふらふらしていたため、帰り際に前から気になっていたマッサージ屋によって頭部マッサージをしてもらいました。施術自体は満足してるし若干楽にはなったものの、右耳上にあるメガネのツケ外しでできたできものを何度もゴリゴリと圧迫されて途中で涙出そうになりました( ;∀;)

 話は本題ですがあんまり触れられていないなと思うトピックとして、見出しに掲げたEVシフトによる雇用への影響があります。端的に言えば、EVにシフトするかしないかで言えば、しない方が雇用の維持にはプラスじゃないかと思います。
 これは何故かというと、従来の内燃機関車の方が部品点数が多いためです。部品点数が多い分、実際製造したり品質管理する作業員が必要となり、その分だけ雇用が増えます。逆にEVは部品点数が少ない分、完成車一台作るのに必要な作業者の数で言えば燃料車に比べ低くなるのではないかとみています。

 そうはいってもEVの方が販売価格は高いのだから、価格ベースで見たらその分だけ雇用吸収力もあるのではないかとも考えることができます。ただEVの場合、その付加価値の多くが電池やシステムといった中核構成部品が占め、これら中核部品に携わる人間に人件費が集中することとなって、結局雇用吸収力はやはり内燃車に負けるのではないかという気がします。

 その電池やシステムのように、EVシフトによって新たに生まれる雇用は確かに存在するものの、EVシフトによってそれまで内燃車に存在していた雇用、具体的にはエンジン回りや燃料供給システム部品に携わる人の雇用の方がより多く失われ、自動車業界全体の雇用維持能力が低下するのではないかというのが自分の見方です。

 仮に既存自動車産業が全く存在しない国や地域でEV事業を立ち上げるのならあまり影響はないですが、すでに内燃車のサプライチェーンが完備されている日本や中国でEVが台頭した場合、それ以前と比べて自動車業界の雇用数が減ることになるというわけです。もちろん世界的に内燃車が廃れてすべてEVに切り替えるような時代であれば内燃車の雇用もクソも何もなく、EV産業を育成して保持する方が雇用的にもプラスですが、内燃車とEVが併存する今の時代においては、EVシフトによって単純にそれ以前と比べ自動車業界の雇用が減り、経済的にもどうなのかなと思うわけです。

 でもって今まさに、上記のような状況が中国で起こっているように私は思っています。それ以前と比べて自動車業界の雇用が減り、失業者が増えているように見え、中国自身も近年は労働力不足が起きつつありますが、果たしてこの方針はどう転ぶのかと興味深くみています。
 そうした点を踏まえてみると、トヨタのハイブリッド戦略は雇用維持的にはすごくプラスだなと改めて評価しています。従来の雇用を維持しつつモーターなどを含むハイブリッドシステムの雇用も生み出しており、企業単体として見るより社会全体で見れば見るほどこの形態が如何に優れているかがわかってきます。

 反対にどっちつかずで今えらいことになっているのがVWで、中途半端にEVシフトして世界中でリストラを展開する羽目になっているように見えます。まぁここはそれ以前にクリーンディーゼルでこけてるけど。

2024年11月21日木曜日

北の富士勝昭の逝去について

 日本の急に気温が落ちたと聞いていますが上海でも先週まで11月にしてはやけに暑い日が続いてたいものの、一昨日くらいから急に気温が落ちて過ごしやすくなってきました。ただ気温の落差が大きいためかこのところだるくて体調も悪く、今日も朝から胃が痛くて仕事中は暴れだしそうでした。

 そんな気候のためかこのところ著名人の訃報も多かったのですが、昨日の大相撲解説者の北の富士勝昭の逝去報道は自分もショックを受けました。以前より体調が悪いと聞いていたし、元力士にしては長寿で大往生に間違いはないものの、あの痛快な解説がもう聞けないと思うと非常に寂しく感じます。
 中国行ってからは大相撲中継を見ることはほとんどなくなったものの、かつて日本でほぼ毎日見ていたころは親類よりもこの人の声を聴いていた気がします。ユーモアがありつつも取り組み内容を分かりやすく的確に解説し、また新人力士への叱咤激励なども非常にしっかり行われており、解説者としてはほかのスポーツを含めてもこの人が一番好きでした。

 個人的に覚えている発言としては横綱日馬富士の四股名が安馬だった頃、彼が趣味で描いた油絵が中継で紹介された際に「こりゃ安馬じゃなくてプロだね!」というダジャレを利かせたコメントが記憶に残っています。

 やはり子供のころと比べると知っている著名人の数が増えていることもあり、その訃報を聞いて寂しく感じることが多くなりました。今までの訃報の中では水木しげるが一番ショックがでかく、次に政治解説者の三宅久之が来て、三番目に今回の北の富士勝昭が来そうです。
 それだけ訃報を見るほど自分も年食ったということですが、正直喧嘩っ早いからもっとずっと早く死ぬと思ってたのに思ってた以上に長生きしてしまって自分もなんか戸惑ってます。

 大坂の陣の前に浪人から参戦したものの多くは若く、あれが出世のラストチャンスだと考え、「死んでもいいから活躍させて」みたいな願掛けを近くの神社にたくさん奉納されていると聞きました。実際、あの時代は家柄で人生決まるところが大きかっただけに、二十代とかで一か八か戦で活躍するかに人生かかってたともいえます。その辺深く掘り下げると、早くに金稼いで残りの人生を細々と過ごしたいという若者のFire思想になんか近いように思え、自分もかつてはあっち側だったのかなどとちょっくら思ったりします。

 ちなみによくほかの人に「花園さんは残りの人生で何がしたいの?」と聞かれますが、「もうやりたいことある程度やったからほかの人に迷惑をかけず、そこそこのんびりと周りに感謝されることを心掛けながら余生を今過ごしている(´・ω・)」と答えると大抵変な顔されます。なんか年齢観がやっぱほかの人と違うのかもしれない。

2024年11月20日水曜日

中国で何故通り魔事件が相次ぐのか

 先日、会食の最中に同僚が中国へ赴任する前に狂犬病のワクチンを打ってなかったことをしきりに後悔する発言を繰り返していました。ただ本人にも言いましたが、さすがに全く国内発祥のない日本ほどとは言わないまでも、中国はインドと違って狂犬病の発症はそこまで多くないしそもそも野良犬自体が上海でみることもないため、狂犬病を心配する必要はほとんどありません。
 それにもかかわらず慰安からでもワクチンを打つべきかと言い続けたので若干皮肉を込めて、「今の中国だったら犬に噛まれるよりも人に刺される確率の方が高いよ」と言ったところ、誰も笑わず若干場がシーンとなってしまいました(;´・ω・)

 そんな感じでこのところ通り魔事件が相次ぐ中国ですが、本日も湖南省常徳市で小学校の校門付近に車が突っ込んだそうです。犯人はその場で取り押さえられ、被害者も何人でたかは報じられていませんが、「全員命の危険はない」と当局は言っています。逆を言えば、最低でも二人以上は怪我を負った人間はおり、その怪我の程度は軽傷ではなかったということを示唆しています。

 この今日の事件だけでなく、先週は珠江で何十人も轢き殺される事件が起きたかと思えば、一昨日も無錫で8人が殺傷される刃傷事件が起きるなど、マジで数日単位で何らかの通り魔事件が起きています。事件背景には中国の不景気に伴う社会不安が間違いなくあると断言できますが、これ以外にも「中国人だから」通り魔事件が頻発するという主張も見られます。
 この中国人「だから」通り魔事件が頻発するに関しては、私自身はあまりそうは思いません。日本国内でも過去に何度も通り魔事件が起きてるし、また中国は国土も広けりゃ人口も多く、通り魔みたいな頭のおかしい行動を犯す人間も出てくる回数は統計的に日本より多くなるのは確実です。なので中国人だからと言って通り魔を起こす確率が高いという気には私はなりません。

 ただ「中国だから」通り魔事件が頻発するという主張であれば、私も肯定できる面があると考えます。

 これは何故かというと、このところの中国政府の対応、特に事件後の報道を見ていて通り魔事件の発生を助長させていると思う節があるからです。具体的には知っての通り、事件が起きても本当かどうかわからないくらい詳細を隠した事実報道しかせず、犯人の動機や目的については完全にシャットアウトしていたりします。恐らく中国当局としては模倣犯が出たり、報道が広がって社会不安が起きたり、政府に批判が回ってこないようにするためこのような対応を取っているのだと思いますが、私はかえって逆効果を引き起こしている気がします。
 というのも「通り魔事件が起きた」とだけしか報じず、その後について何も触れなければこのような通り魔事件が頭にある輩に「ほかの人もやってるのだし俺も……」みたいな感情を持たせる可能性がある気がします。むしろちゃんと犯人の氏素性や動機などを報じ、このような犯罪は絶対に認められないしやる奴はクズだなどと批判した方が抑止効果が期待できるように私は思います。

 またそれ以上に理解できないのは、被害者を悼む行為すら中国当局は規制し、一切報道させないという点です。各地で起きた通り魔事件の現場には花などを手向ける市民が後を絶たないそうですが、それら献花物を何故か中国当局は悉く撤去していると聞きます。これが実際そうなのかはさすがに国外メディアの報道で見るだけなので断定できませんが、少なくとも中国国内で、被害者を悼む報道はシャットアウトされているのは事実です。

 地味にこうした哀悼に関する報道こそが、この手の通り魔事件を抑止する最大の切り札だと私には思います。あの秋葉原通り魔事件の犯人も、事件を起こす直前にトラックで秋葉原に来た際、本当に実行すべきか悩んだと吐露しています。ほかの通り魔事件の犯人も大体似たようなことを話しており、大分頭がおかしくなっているとはいえ大量殺人につながる行為に対して躊躇するだけの理性は誰しもが持っており、実際に通り魔を計画をしながらも直前で引き返した人も相当数いるのではないと思います。

 ではそうした人たちに躊躇を引き起こさせるにはどうするべきか。それはやはりこうした事件の結果を見せることに尽き、事件の被害者に対し多くの人が悼み、犯人が憎まれる様を見せることになるでしょう。然るに中国当局は何を考えているのか、そうした抑止効果が最も期待できる部分をシャットアウトして、「通り魔事件が起きました」とだけしか言いません。
 深圳の日本人小学生刺殺事件の時に「どの国でもよくあること」と報道官は言いましたが、今の中国当局の対応を見ていると、まるで自らこれら通り魔事件を誘発させている様にすら見えてきます。

 その上で今後について予想すると、恐らくこれからクリスマスや春節を迎えるにつれて、世の中のハッピーな雰囲気が逆に心理的負担として感じ、通り魔事件を起こす人も増えていく気がします。中国当局も警戒して、春節前は駅などに大量の警官を配備することでしょう。
 でもって本格的に対策するのは共産党幹部の子弟が被害者となってからになると思います。逆を言えば、権力層が被害に遭うまではあまり本気で対策せず、おざなりというか助長させる対応を繰り返すのではと投げやりに見ています。ただもしガチで対策採るようになったら、通り魔予備軍を事前にピックアップして、対象人物を本格的に監視、制限してくるのではないかと考えています。
 具体的には、

・離婚歴がある
・借金がある
・無職
・前科がある
・通報されたことがある
・共産党員じゃない

 以上のような条件が複数当てはまる人物に対し、位置情報をリアルタイムで監視したり、行動に制限をつけたり、定期的なカウンセリングを強制してくるのではないかと自分は見ています。冗談みたいなことを言っているという自覚がありますが、冗談みたいなことを本気でやってくるのが中国なだけに、マジでこういうことも起きるような気がしています。まぁカウンセリングに関しては効果的だと思うし、日本でも条件当てはまる人には受けるよう勧めた方がいいかもしれないけど。

2024年11月18日月曜日

Vガンダムのゴッドワルドの最後のシーン解釈

 中国で相次ぐ通り魔事件について書こうと思ったけどなんか暗くなる内容で今は避けたいと思ったので、ひとつ前の記事に続いてまたVガンダムについて書きます。ってか前の記事ではルロイさんがコメント書いてくれたけど、F91とVガンダムは明らかにマーケティングの失敗で旧来ファンにも新規ファンにもどっちつかずな対応してしまって商業的にもファン層拡大的にも失敗してます。作品は決して悪くないのに、あのマーケティングの失敗でいまだに微妙な立ち位置となっているこの二作が不憫でなりません(´;ω;`)ウッ…
 ちなみにいとこの旦那はF91がマジ好きでした。でも子供からは「うちのおとんはグフ(カスタム)が好きなんやで」と言われてました。

 話は本題ですが、Vガンダムの中盤で一番議論が起こるシーンと言えば、武人肌の敵キャラクターであるゴッドワルド・ハインの最後のシーンでしょう。主人公ウッソとの戦闘に敗れ乗機が動かなくなるや、このゴッドワルドはコックピットから飛び出してウッソのVガンダムに飛びつき、コックピットを無理やり開けようとしてきます。
 これに対しウッソは自らコックピットの扉を開けるやワイヤーガンでゴッドワルドを撃ち、その衝撃で破損した乗機の方へ吹き飛ばされたゴッドワルドはその爆発に巻き込まれて死ぬのですが、ワイヤーガンで撃たれた際にウッソに対し「やったなー小僧っ!」と憎らし気に吐き捨てるのが最後のセリフとなります。

 こうした跡形もなく吹き飛んだゴッドワルドをウッソは見送ったあと、何かに気づいたかのようなそぶり見せながら「ゴッドワルドさんが、誉めてくれた……」という言葉を洩らします。先ほどのゴッドワルドのセリフは負け惜しみというか悔しさをにじませたようなセリフでとてもウッソを誉めている様には聞こえず、「ウッソはニュータイプだから、死んで霊魂となったゴッドワルドの声を聴いたのでは?」という風な解釈がなされることが多いです。実際、私もそういう風に解釈してました。

 しかしかなり昔ですが、あるサイトでこのシーンについて異なる解釈をしている人がいました。それはどんな解釈かというと、この「誉めてくれた」というのはウッソの完全な妄想であり、ゴッドワルドは死後を含めてそんなことは言っていないというものでした。

 この解釈の根拠はというと、まず前述の通りゴッドワルドが死の間際に言ったセリフはウッソを誉めるような内容では決してないこと、そしてゴッドワルド自身が武人肌でやや戦闘狂な人間なため敵を誉めるようなタイプでないということ。そして何よりの根拠として、これ以降のウッソの行動がどんどん狂気じみてくるという理由を挙げていました。
 具体的にどうなるのかというと、敵から奪取した宇宙砲台のビッグキャノンを周りに操作できる人間がいないという理由から、ウッソ自身が引き金を引いて敵艦隊に放つようになります。この結果として数百人、下手すりゃ数千人単位が一撃で死んでおり、ウッソ自身も「これで戦争が終わるんだ」と自分に言い聞かせながらやってはいるものの、こうした大量虐殺的な行為をどんどん行うようになっていきます。

 Vガンダムのテーマ自体が「みんな狂ってるから何がおかしい行動なのか誰もわからなくなる」にあるのですが、確かに中盤以降、主人公のウッソはタガが外れたかのように敵兵を殺すことに躊躇がなくなります。まだZガンダムのカミーユの方が「ニュータイプなんで人殺しの道具でしかないもんな」と自嘲する辺り、理性を保っていたと感じるくらいです。まぁその後、カミーユは精神崩壊するのですが。

 こうしたウッソの中盤以降の行動の狂気化もあるだけに、先ほどのゴッドワルドが誉めてくれたというのは彼を手にかけたウッソが半ば自己弁護というか開き直る言い訳として無自覚に聞いた空耳だったのではというのが、自分が見た解釈に書かれてありました。今でもこの解釈は頭から離れず、実際のところはどうか議論の余地はあるものの、一考の価値があるものとして覚え続けていました。
 仮にそうだとすると、戦争は人をおかしくさせるというか、比較的まともそうな表情見せながらおかしくなっていくというのをうまく表現しているように見えます。おかしい人というと割と見た目からして北斗の拳に出てきそうなモヒカンの風貌がイメージされますが、実際は普通そうな見た目のままおかしくなっていることの方が多いでしょう。そういう意味ではこのシーンは、少年が本格的に殺人マシーンへと変わっていく過程を描いた秀逸なものとして評価できるように思えます。

2024年11月16日土曜日

Vガンダムがハブられる理由

 本題と関係ないけど昨日最終回を迎えた人気漫画の「推しの子」の最終回が炎上している件について、中国でも意図せずに記事を見つけるなど大きく報じられていることにビビりました(;´・ω・)

 話は本題ですが、ガンダムのゲームとかでよく「宇宙世紀機体、大集合!」などというキャッチコピーが使われるものの、そこに本来宇宙世紀シリーズに入るVガンダムの機体は入ってこないことが多いです。また宇宙世紀シリーズから世界観を一新したGガンダム、ガンダムW、ガンダムXの三作を「平成三部作」と呼ぶことも多いのですが、放映年数でGガンダムに連なっているVガンダムはここでもハブられ、「平成四部作」とも誰も呼びません。
 以上の通り、テレビ放映されたガンダムシリーズとしてはVガンダムは異例なくらいにハブられることが多く、ゲーム化や外伝作品の制作も他のシリーズと比べると極端に少ない傾向がある気がします。かといって作品として評価や人気が低いというわけではなく、エキセントリックな女性キャラクターが多いこともありファン層も自分を含め根強いと思うし、エヴァの庵野監督もVガンダムがあったからこそエヴァは作れたと話すなど影響力も大きいです。

 では何故それにもかかわらずVガンダムはハブられるのか。一つの仮説として、テレビ放映時のマーケティングの失敗によりファンの年齢層が歪になったからではないかとみています。

 まず放映当時の90年代前半について触れると、この時代のガンダムといったら基本的にBB戦士などの二頭身なガンダムでした。Vガンダムが放映されるまではテレビ放映のアニメ作品が一時中断しており、新たな機体が出ることもなかったため、新規のプラモ作品が作りづらい時代にありました。そのため当時は過去作品に使われた機体や、それら機体を二頭身にした上でリデザインしたナイトガンダムや武者ガンダムが多く出され、逆に背の高いリアルな造形のプラモは完全に旧来ファン向けと割り切られ、新規ファン向けには作られませんでした。

 そこへきてようやく待望のテレビシリーズとしてVガンダムが始まったのですが、上記の通り当時の、少なくとも小学生世代にとってガンダムといったらSDガンダムだけだったのですが、実はVガンダム放映当時はSDガンダムのプラモや他メディアへのコラボはほぼ一切行われていませんでした。放映中はリアルな造形のプラモデルしか販売されず、放映終了間際になってようやくSDガンダムのプラモが発売されるようになりました。
 実際私も、かねてからSDガンダムはよく作っていたことから放映中のVガンダムも早く作りたいと願っていたものの、なかなかSDガンダムでのプラモが発売されず、えらくやきもきしたことを覚えています。あまりにも出ないものだからそれまであまり作ったこととのないV2のリアルモデルキットを作り、SD版では放映終了間際に出たV2アサルトバスターのみ作ったことを今でもはっきり覚えています。

 なおこうした傾向はプラモデルに限りませんでした。当時はゲームの「ザ・グレイトバトル」シリーズをはじめ仮面ライダーやウルトラマンなどほかの版権キャラとコラボさせた、二頭身キャラのゲームで遊ぶコンパチヒーローシリーズというものが展開されていました。もちろんガンダムもこれらシリーズに登場するのですが、何故かVガンダムは採用されることはなく、初代のガンダムかVガンダムより1世代前のキャラに当たるF91がコンパチヒーローシリーズに使われ、現代だけじゃなく当時からもゲームなどでハブられていました。

 一体何故当時の子供の間で最も流行っていたSDガンダムでVガンダムのキットは作られなかったのか。自分が過去に聞いた話では、これは明確なマーケティングの方針によるものだったそうです。
 具体的には、SDガンダムで育ったファン層をリアルな造形のプラモデルのファンへと昇華させるため、敢えてVガンダムはSD化させていなかったそうです。実際上記の通りそうと思える節が多く、この方針が確かにあったのではと私も考えています。

 ただこの方針は成功したとは言い難いです。今もそうですがVガンダムに登場した機体の任期はそれほど高くなく、また当時を思い返してみてもリアル造形のプラモに移った子供は多くなく、SDガンダム自体が退潮的となったガンダムWの時代あたりでようやくファン層が転換したような気がします。むしろVガンダムでSD化キットの販売を出し渋ったことで、当時の小学生くらいのガンダムファン層にVガンダムがうまく浸透せず、またZガンダム以来の旧来ファンも思ったより入り込まず、ファン層がどっちつかずな作品になってしまったのではとみています。
 この結果、Vガンダムは確かに好きな人はいるっちゃいるけど、年齢層が余り固定されておらず、斑上にファン層が形成されてしまった感じがします。具体的には宇宙世紀シリーズファンの10%、当時小学生だった世代の10%、それ以外の層の10%というような感じで、Vガンダムとコラボした作品を作っても売り上げを立てづらい歪なファン層になっている気がします。

 私個人としては、以前にも書いたように「周り全体が狂っているから自分がおかしくなっていることにすら誰も気が付かない」ストーリーや、カテジナをはじめとするエキセントリックなキャラクターのオンパレード、あとシンプルイズベストを貫くV1のデザインなどでVガンダムのことが大好きですが、志を同じくするファンとはいまだ出会ったことがないです。それもこれも、上記の中途半端なマーケティングの失敗だと思うとなんか悔しさを覚えます。

2024年11月14日木曜日

年収103万円の壁議論の私見

 今一番ホットな政治話題といったら国民民主の玉木代表がぶち上げた、基礎控除と給与控除を掛け合わせた103万円という課税基準の引き上げでしょう。真面目に前の選挙でこの政策案をもっとアピールしていたら国民民主の議席数はもっと増えていたのではないかというくらいの盛り上がりようで、それもあってか先日の玉木代表の不倫報道もあまりダメージになっていない気がします。やはり不倫は文化だ。

 それでこの103万円の課税基準引き上げについてですが、私個人としても賛成です。賛成理由としては第一に、ようやくデフレから抜け出しつつあって物価も上昇傾向を見せており、課税基準も引き上げないと道理に合いません。またこの課税基準引き上げによって国内在住者の勤労意欲が高まれば、あちこちで問題化しつつある人手不足というか労働力問題も解決とまでいかずとも、ある程度の緩和を見込めます。

 もっとも政府としては税収が減ることを恐れており、実際に財務省はすぐに「こんだけ税収減るんだぞ」と頼んでもないのに試算してきました。ただあの試算については内心疑問視しており、というのも実際すでに年収が103万円を超えていながら複数の職場で働くなどしてごまかし、実際には申告していない人も少なくない気がするからです。単一の職場だったら源泉徴収とかで引っかかるでしょうが、複数のアルバイトを掛け持ちしている人ならこの辺どれだけ実際に納税しているかが疑問で、財務省の試算ほど税収が減るかといったらこちらもまた疑問です。

 ただ歳出が増える中で歳入が減ることに頭を悩ますのも理解できます。そこであえて折衷案を出すとしたら、この課税基準はこの際180万円(=15万×12ヶ月)くらいまで引き上げ、その分医療保険料を大きく引き上げてはどうかと考えています。こうすることでその用途を医療に絞り国民に納得してもらおうという話なのですが、そもそも今圧倒的に税源が足りないのはまさにこの分野なだけに、必要な分野に税金を集中させる意味でも悪くないかという気がします。

 そもそも最近はなんかめっきりメディアでも一切目にすることがなくなりましたが、日本の全歴史において最大の人口ボリュームゾーンに当たる1946~1948年生まれの団塊の世代が、今まさに後期高齢者層へ入ろうとしています。これは即ち、日本史上最も社会福祉費がかかる時代がの到来ともいえ、平均寿命から換算すると2035年くらいが医療費などのブースト期間になります。
 逆を言えばこの期間をやり過ごせば、人口減は続くものの医療支出のアンバランスさはやや解消される期待もあります。それだけにこの期間の医療費をどう埋めるかが問題で、今回の103万円議論と合わせて制度設計したらどうかなというのが個人的な意見です。

 まぁでもこれ、すでに年収が103万円以上の人からすれば医療費増税にしかならない可能性もあり、反発はきっと出るだろうなぁ。それでも労働力不足の解消を期待できるだけに、この政策は通してもらいたいものです。