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2025年5月18日日曜日

J-10C型のプラモ


 例によって中国の軍事力を研究するため、もとい中国生活の暇つぶしのため、先日の印パ紛争であのフランスのラファールを撃ち落としたといわれる中国の殲10ことJ-10のC型のプラモを入手し、その構造を分析するため今日組み立てました。
 このJ-10については以前に前バージョンのB型も作ってはいるのですが、面倒なキットでいまいちうまく作り切れなかった敗北感があり、前からJ-10はもう一回作ってみたいと思っていました。そこへ先日の戦果報告があり興味を持っている最中に作るべきだと思って今回購入しましたが、話題となっていたことからいつも買うプラモ屋でも注文が集中したのか、いつもは翌日に配送されるところを今回は三日くらいかかりました。それでも早い。

 今回のキットは中国メーカーのトランぺッター製のキットですが、正直ここのキットはあまり買っていません。何故かというと結構凝った作りしてるのと、他社と比べてバリが多くてライナーから切り離した後も何度もバリを取り除かなければならないからです。自分としてはそこまで組み立てにこだわる方じゃなく、簡単に組上がればいいと思うのでタミヤと韓国のアカデミーのキットを好むのですが、トランぺッターに関してはほかでは出されていない中国機を作るときしか購入しません。

胴体の内部構造

貼り合わせるとこんな感じ

 ただこのトランぺッターも悪いところばかりじゃなく、上の写真のように胴体内部のエアインテーク構造はほかのキットでもきちんと再現されています。エアインテークからどのようにエンジンにつながるのかは非常にわかりやすいし立体感を感じられ、このJ-10のキットでもその点は非常によくできてます。左右の胴体の貼り合わせ精度も良好だったし。

エアインテーク入口にある空気流入速度を調整する丸いでっぱりも再現


 そんな誉田でおこうして出来上がり、ミサイルなどは付けんのが面倒だったのと機体本体のプロポーションを堪能したかったため付けませんでしたが、上の写真の胴体下部にあるレーダー妨害装置はすぐ付けられるのと、今流行りの兵装のため敢えて付けました。


 前にも少し話しましたが、このJ-10は元々はイスラエルで開発が進められていた機体ですが、イスラエルがF-16を採用することとなって計画が放棄されたところ、中国が研修者ごと引き取って完成、運用することとなった機体です。
 経緯が経緯ですがこうして世に出ることとなったのは紛れもなく中国の努力の結果で、中国オリジナルの機体と言っても差し支えはないと思います。もっとも、中国政府は公式には上の経緯には触れず、自分たちが一から開発したんだと中国人すら真に受けない主張を展開していますが。

 なおこのほかに現在中国が運用している機体はロシアから輸入したフランカーシリーズのJ-11やJ-15、J-16、米国のF-22をパクったJ-20、F-35をパクったJ-35が主です。これらと比較するならJ-10の独自性は強く、またF-16を意識したオープンデルタ(前尾翼)な形状とあって私自身はこの機体が中国機の中では一番好きだったりします。


 以前に機体前方にある空中給油用プロープを美少女キャラの「アホ毛」に例える人がいましたが、非常に言い得て妙だと思います。その例ではラファールに使われており、落ち着いた佇まいの姉(ミラージュ2000)に対し活発なアホ毛妹キャラとして紹介されてました。
 このJ-10も上の写真のようにアホ毛が付いていますが、もし擬人化するならイスラエルでの経緯を踏まえ、元々は王位継承者として生まれるはずだったのが簒奪を受けて中国に亡命し、デカ女(フランカー)にいびられながらマーボー豆腐屋でこき使われる薄幸少女みたいなキャラになる気がします。ひっさつわざはマーボーファイヤー。


 前回のB型で一番失敗したのが主脚で、なんか変にはめ込みづらい上に固定の弱い形状してて、片方の足をきちんとまっすぐ立たせることができませんでした。伝統的にトランぺッターのキットはこの主脚が脆いのですが今回のC型も、っていうか恐らくB型の金型を少し整備しただけで基本的に同じキットなためか今回も主脚が弱く苦労しました。
 ただ頑張った甲斐あって今回は完璧に組み立てることができ、足回りは完璧に仕上げられました。

手前がB型、奥がC型

今度は手前がC型、奥がB型

 改めて昔作ったB型も引っ張り出して並べてみましたが、基本的にやはり同じ形状というかほぼ違いがありませんでした。強いて言えば、現物はそうでないのかもしれませんが胴体尾部の尾翼の付け根付近の胴体が、B型に比べC型の方がやや細くなっているような気がしました。それ以外はキットにおいてはほぼ同じで、エアインテークの形状もほとんど同一でした。
 実際、C型のバージョンアップは電子性能付近だと聞きます。今回の印パ紛争でもレーダー能力とミサイル性能が勝敗を分けたといわれ、ウクライナでの戦闘でも基本視界外(BVR)戦闘が繰り広げられていることから、もはや戦闘機に旋回能力や最高速度性能は求められず、優秀な兵装を使えるソフトウェアと、レーダーの捕捉、妨害能力の方がますます重要になってくるかもしれません。

 最後に今回昔作ったB型を引っ張り出して比較したところ、接合部とかが今と比べて荒く、今の自分がどれだけ組み立てるのがうまくなったのかを強く感じさせられる出来栄えでした。やっぱこういうのはドラテクと同じで、使ったガソリン代(プラモ代)の分だけテクニックが上がるものだと感じます。

2025年5月17日土曜日

現在連載中で自分が読んでる漫画


 本来は茶道具を入れる棚なんだけど、プラモ置くのにめっちゃよさそうと思って買っちゃいました。案の定( ・∀・)イイ!!

・竜送りのイサギ
 話は本題ですが現在連載中で自分が読んでる漫画を挙げていくと、以前にもブログに挙げた「竜送りのイサギ」というのがあります。これ、最初はめっちゃ面白くて自分も期待していたのですが、単行本が4巻に入るあたりからストーリーのテンポが急激に落ち、話数を重ねても全然進展しなくなってちょっとどうしようかと焦るくらい面白さがなくなってきています。
 この作者は前の連載でも全く同じことをやってて、序盤はサクサク話進んで内容も面白かったのに、中盤に入ったと思うあたりから急に鈍足で世界観説明ばかりの話が展開されるようになり、一気にトーンダウンしてました。なんか「竜送りのイサギ」でも同じ轍を踏むんじゃないかと心配してます。

・タワーダンジョン
 一方、世界観説明を極度に排しながらガンガン話を進めてくるのは、「シドニアの騎士」の作者が連載している「タワーダンジョン」だと思います。
 元々この作者の弐瓶勉氏について自分は信者と言っていいくらい「ブラム」の頃から贔屓にしてますが、前作の「人形の国」の投げっぱなしエンドはさすがに自分ですら許容できる終わり方ではなく、「タワーダンジョン」も最初は購入を躊躇していました。

 ただ改めて購入してみたところ、かつての弐瓶氏のようにベタでほぼ真っ黒に塗りたくられたページに予想もつかない展開ぶりから一気にはまり、残りの巻も一気買いして読むほどはまりました。特にヒロインのリリセンというキャラは不機嫌という感情をそのまま絵にしたようなエキセントリックなキャラで気に入っています。
 勝手な憶測ですが、「人形の国」で二瓶氏は極力ベタを避けてページをほとんど白色のまま表現をすることに挑戦していたのではないかと思います。しかし「ブラム」の頃から二瓶氏と言えばベタ、墨黒であり、黒い絵でこそ本領を発揮するような作家だと思え、そうした二瓶ブラックがこの「タワーダンジョン」では戻ってきてうれしく思ったりします。

・J⇔M ジェイエム
 今一番面白い漫画と聞かれたこの作品を挙げます。かつて散々はまった「ヒナまつり」の作者の新作ですが、実力は確かだけどハードボイルドに憧れる中年のおっさんと、教育虐待を受けながらも知能が異常に高い小学生女児が頭を打ち付けて、人格が入れ替わるというよくある単純な話です。なのに面白い。
 「ヒナまつり」同様、状況に状況がどんどん重なっていって面白くなっていく展開となっており、そもそもギャグセンスが明らかに高く、「百点以外はゴブリン」というセリフだけでなく、要所要所のツッコミのセリフ一つでもやたら笑わせられます。また殺し屋のおっさんが今度はお色気を武器にする女殺し屋とも人格が入れ替わってからはその無軌道な行動がさらに拍車がかかり、やたら冷徹な表情を女殺し屋の体で浮かべるようになって絵でも魅力が高いです。

 っていうかほかの人も書いてましたが、ギャグマンガ家だったからと言っては失礼ですが、意外にもアクションシーンの表現も優れているのには驚き、「このひとこんな絵も描けたんだ(;´・ω・)」と私も思いました。まぁ元々格闘漫画の「タフ」の作者のアシスタントだったんだし、出身的にそういう素養を持っていて当たり前なのですが、本当に意外でした。

2025年5月15日木曜日

札幌市暴行企業の優良企業認証取り消しのおかしな点

 先日に印パ衝突で活躍したというので中国製戦闘機のJ-10C型のプラモを頼んだけど、いつもなら翌日に到着するのに数日経ってもまだ来ないし、同時発注したEA-18Gはもう届いているあたり、かなり注文が来ているのだと思います。実際タオパオ上でも注文数かなり行ってたしなぁ(;´・ω・)
 前からも言っていますが、プラモ屋は戦争が起こると本当に儲かる商売だと思います。


 さてちょっと日が経ったニュースですが、北海道札幌市で社長が社員をボコボコに殴る動画が流出しました。こんな光景、尼崎辺りでは日常でニュースにもなることないのでしょうが、場所が札幌市だったことと、その会社が札幌市からSDGsなどの優良企業として複数の認証を受けていたことから大きな話題になりました。
 上記リンク先の記事にも書かれていますが報道を受けて当の建設会社は暴行の事実について妙な言い訳しつつも、札幌市に認証を辞退したとのことです。ただこんな会社を札幌市は何故優良企業として認定したのかという点で、色々批判が起きています。

 などというありきたりな内容だけならこんな風に自分も記事にしないのですが、先日書いた川崎ストーカー殺人事件のように、何故誰もこの点を突っ込まないのかと疑問に感じる箇所があります。もったいぶらずに言うと、札幌市は何故この会社が認証されていた優良企業認証を全て廃止しないのかという点です。

 表向きは誠実そうに見えても、裏では汚いことやってる人や会社なんて世の中いくらでもあります。そのためどれだけ時間と労力をかけてもその本質を見抜くことは難しく、優良企業と認証しながらも後になって実はとんでもない会社だとわかることは珍しくないし、そんな会社にお墨付きを与えてしまったとしてもそこまで恥じることでもないと思います。
 しかし、今回のケースというかこの会社に関しては叩けば埃がいくらでも出るというか、どっからどう見たってヤバい会社だとすぐわかる例です。ほかの報道によると、従業員に日本刀を突きつけて指か腕を切断するよう迫ったり、残業時間をごまかしたりなどと典型的なブラック企業ムーブを大量にかましています。正直、ちょっと調べればこの会社が問題ある会社だとすぐわかるレベルのようにしか見えません。

 にもかかわらず前述の通りに札幌市はよりによってこんな会社を複数の認証で優良企業としてお墨付きを与えていたということから、認証を担当した札幌市の公務員は見る目がないというか無能の極みな人物であるとしかこれまた言いようがありません。恐らく書類しか見なかったのだと思いますが、その書類審査も杜撰だったのではないかと思えてなりません。
 であれば、札幌市の認証には全く信用や保証がないと言わざるを得ず、この会社以外にもやばい会社が優良企業として認証されている可能性も高いと私は思います。少なくともこんな会社を認証しているという時点で札幌市の認証には価値がなく、最低限の恥を知っているのであれば、認証制度そのものを一旦廃止するのが普通の人の判断であると私は思います。

 ところが、札幌市への批判をする人はそこそこいますが、認証そのものの廃止についてまで言及する人は私が見る限り誰もいませんでした。自分の感覚がおかしいのかと最近ちょっと思えてきてもいるのですが、なんで廃止について誰も言及しないのかとその点が逆に不思議に思えてなりません。まぁ札幌ドームのくだりから言って、札幌市の職員は無能が多いというのは前から知ってますが。

 その上で、札幌市が今すぐやるべきだと思うことは、この会社を反社組織として認定することだと私は思います。正直、優良企業のリストなんて今回の例のようにその信用度を含め全く役に立たないですが、「この会社はヤバい」、「取引はやめた方がいい!」的に警告してくれる反社組織認定リストなんかは消費者保護的にもずっと役に立つ気がします。
 公共事業への入札禁止措置などは割とよく行われているし、国の一部省庁がやっている一部の法令違反を繰り返す企業の名称公開とかもあるっちゃありますが、もっと汎用的に、全国規模ですぐ閲覧できる反社認定企業リストをもっとみんなで作るべきだと思います。

 というより、反社をヤクザ団体だけに適用するのはもったいないというか、旧ビッグモーターのように社会に対し著しく不正行為を繰り返したり大きな損害を与えた企業は、当事者企業に改善を促す意味でも反社認定をどんどんやった方がいいと前から思います。認定から1年後くらいに申請があれば解除審査をやるとか、認定中は公共調達入札への参加は一切禁止にし、他の企業も下請けとして採用するのも禁止するなど、もっと規制をかけていいはずです。出ないとこういうブラック企業はのさばるだけだし。

 最後にこれ書いてて思ったけど、よく優良企業認証もらった会社は認証マークをホームページに貼り付けますが、反社認定企業も販社認定マークを必ずホームページの目立つ個所に掲載するよう義務付けたらめっちゃ楽しいと思う。っていうか中国なんかこの辺の企業の信用度をかなり細かく公的サイトが公開していますが、もっと日本の積極的に反社認定してった方がいいでしょう。

龍馬は何故脱藩したのか?

 昨日ようやく漫画の「風雲児たち」を幕末編を含めて読了しました。連載期間が40年超に及んだことから分量も膨大だったため時間がかかりましたが、作者のみなもと太郎が亡くなったことで高杉晋作が品川焼き討ちを仕掛ける微妙なタイミングでの幕切れとなっています。

 それでこの漫画を読んで自分もこれまで知らなかった事実を大いに学び、高野長英とかにも興味持ったりするなどかなり影響を受けているのですが、改めてこの本読んで気になったというか腑に落ちなくなったのが見出しに掲げている坂本龍馬の脱藩理由です。
 なお「風雲児たち」の中では恐らく作者のお気に入りなためか龍馬に関するページ数は多くなっています。ただお気に入りが過ぎているというか龍馬が出てくる下りはほかのページと比べ扱いが必要以上に大きく、且つ脚色も強くなされていて読んでて「なんじゃこりゃ?」というような違和感を強く覚える構成になっています。特に龍馬の評価がダダ下がりしている現在からすると、かえって史実から遠ざかる描き方のようにも見えました。

 話は戻しますが、坂本龍馬は桜田門外の変から2年後の1862年に土佐藩を脱藩して浪士となっているのですが、一体どんな理由で脱藩したのか、これまであまりその点について追及する解説をついぞ見たことがないということに気が付きました。これは「風雲児たち」でも同じで、龍馬に関するページ数は多いのに脱藩シーンについてはほとんど何も書かれておらず、この点に違和感を持ったことが自分が気になったきっかけでした。

 それで改めてこの点についてほかの人の主張なり解説を見てみようとネットで色々検索してみたのですが、元々フィクションというか脚色濃く語られることの多い人物なだけに、脱藩理由についても複数の説が展開されています。言い方を変えると、これという定説が定まっていないという印象を受けました。
 そんな展開されている説をいくつか挙げると以下の通りです。

1、藩を超えて日本という国単位での憂国意識に目覚めたから
 結論から言えばこれはあり得ない説だと思います。後の大政奉還の提唱などから龍馬は日本という国単位で物を考えていたと思われがちで、その延長からかこの脱藩も土佐藩という枠を超えて行動するため動きやすくなることを目的としたものだったとする説です。
 しかし、そもそも龍馬の脱藩は単独犯ではなくほかに同じ土佐藩士数人と一緒に行われており、またこの時点でそう言ったビジョンを彼が持っていたかとなると正直疑問です。これはほかの説にも言えることですが、自分が把握する限り龍馬自身が脱藩理由について自ら説明する文書などは残されておらず、仮に憂国意識からの脱藩であれば何かしらその考えを書き残したり、ほかの人に伝えていたのではと思うとやや不自然に感じます。

2、武市半平太とそりが合わなかった
 これは有力な説として語られることの多い説ですが、当時の土佐藩では重役は公武合体を指示していたのに対し、下位の若手藩士の間では公武合体などもってのほか、尊王攘夷(+倒幕)を徹底すべきという思想が強く、特に若手藩士の首魁で土佐勤皇党のトップであった武市半平太はかなり過激な思想を持って尊王攘夷を訴えていたそうです。
 この武市が龍馬の脱藩直前に企んでいたのが、土佐藩の重鎮である吉田東洋の暗殺でした。これ以降も武市は手下の岡田以蔵を使って関西地方で暗殺を繰り返すテロ活動に従事していますが、自分が所属する藩においてもこうした暗殺を平気で手段としていた当たりその過激さが際立っています。こうした武市の強硬路線に土佐勤皇党に入っていたとはいえ拒否感を示し、袂を分かつために脱藩したというのがこの説です。
 またこの説にはほかにも龍馬自身が吉田東洋の暗殺を指示された、または巻き込まれそうだったから逃げたという説も見られます。時期的には龍馬が脱藩したのが3月、吉田東洋の暗殺が4月と近くあり得ない説ではないと思うものの、これという根拠もなく、あんま声高に主張する説ではないなという気がします。

3、土佐藩の指示で隠密活動を行うため脱藩を装った
 これもその後の龍馬の行動的にこれはあり得ないのでいちいち解説しません。小説のネタとして使おうにも無理があるでしょう。

4、寺田屋事件のきっかけとなった京都蜂起(伏見義挙)に参加するため
 1862年のこの年、薩摩の島津久光が兵を挙げて京都に来ていました。これは武力を示しつつ天皇から勅をもらって、その勅を幕府に報じる形で薩摩藩が政治に参画し、幕府に改革を促すことが目的でした。この改革方針は基本的に公武合体路線で、久光に倒幕の意思はありませんでした。
 しかしこの久光の出兵について過激派浪士らは意図的に、「薩摩藩は朝廷から倒幕の勅を得て、そのまま倒幕するつもりだ」と吹聴し、久光の意思を無視してそのまま強引に蜂起して倒幕戦争を始めようとしていました。この首謀者はのちに新選組のもととなった浪士組を作る清河八郎だとされてますが、浪士組結成時も嘘八百並び立てて行っているあたり、やりかねない人間だなと私も感じます。

 ただこの清河らのデマはかなり効いて、当時京都には真に受けた過激派浪士が大量に集まり、久光の到着と号令とともに京都所司代を襲う計画を立てるなど、一斉蜂起する気満々でした。結果的にはこうした過激派の動きを問題視して未然に暴発を防ぐため、薩摩藩自らが蜂起首謀者らを粛清(寺田屋事件)したことで事なきを得るのですが、龍馬が脱藩したのはこの京都蜂起に参加するためだったのではという説を唱える人が多いです。
 というのも龍馬の前に脱藩した吉村虎太郎が脱藩の直前、使いで長州の久坂玄瑞に会った際にこの京都蜂起の計画を聞き、ほかの土佐勤皇党メンバーにも伝えていたそうです。吉村はまさにこの京都蜂起に参加するために脱藩しており、彼に続く形で土佐勤皇党からはその後も脱藩者が相次ぎ、これに続く形で龍馬も脱藩しているのですが、時期的にも状況的にも確かに龍馬も京都蜂起に参加するために脱藩したように私も思えます。

 もっとも、龍馬が京都に辿り着く前に寺田屋事件が起こって京都蜂起はおじゃんとなったわけですが、恐らく龍馬本人もこの時肩透かしを食らったような状態だったと思います。必死の決意で脱藩までしたのに蜂起そのものがなくなってしまい、土佐に戻ろうにも脱藩したので戻れないし、何か活動しようにも支援者もおらず、この時からしばらく彼の動静は見えなくなっています。最終的に行く宛てもなかったのか8月になって江戸に入り、かつて通った千葉道場に居候するようになるのですが、この点一つ取っても彼の脱藩には何かしら明確な目的がないように見え、それは京都蜂起が流れてしまったためというのなら得心が行きます。
 また同時に、彼が後に文書などで脱藩理由について一切触れなかったこともこれなら納得がいきます。まさか蜂起に参加しようと脱藩したら蜂起自体なくなってしまって放浪状態となったなんて、格好悪くて書き残すことなんてできないでしょう。仮に以上の通りなら、結構冴えない理由で龍馬は浪人になってしまったのだと思います。

2025年5月12日月曜日

千葉のマッドシティ~もり一(回転寿司店)

 本題と関係ないけど金曜夜に自転車乗ってたら突然前の電動バイクが急に方向転換して、慌ててブレーキを全力で握ったらドロップハンドルなため薬指と小指だけで握る形となり、ありえんくらいの力で握ることとなり「あ、やった」という言葉が頭に浮かびました。
 幸い、30㎝くらい後輪スリップしたけど衝突は免れましたが、案の定というか数時間後から右手の握力がなくなるというか筋肉の痛みがひどく、今はもうだいぶ落ち着いたけど一昨日なんかマジで物握れないくらい筋を痛めていました。頭文字D的に言えば、ブレーキの利きが悪くなった32みたいな感じでした。


 話は本題ですがなんかまた松戸について書こうと考えてネタになるところを必死で思い出したら、ここが浮かんできました。この「もり一」というお店は回転寿司屋なのですが、松戸駅からマジで目と鼻の先というか歩いて数十秒な位置にあり、休日ともなればいつも混んでいてすぐには席に着けないくらいの人気店です。

 この店ですが私が子供のころからずっとあり、自分の記憶でも松戸で映画を見た帰りによく親に連れてこられていた気がします。当時はまだ回転寿司屋が少なく、というより今みたいな回転寿司チェーンなんてほぼ存在せず、寿司を食べるとしたらローカルな回転寿司屋か小僧寿しくらいしか機会がありませんでした。
 なお小僧寿しに関しては疲れているときによく「小僧憎し」と見えることがあり、こう見えたら休まなきゃと思うバロメーターとして使っています。

 具体的にいつからこのもり一があったのかについては残念ながら把握してないですが、私の子供の頃の記憶から逆算するに、少なくとも40年くらいは営業しているのではないかと思います。あまりこの店を取り上げる人は多くないですが、松戸駅前のランドマークと言っていいお店じゃないかと思います。

 そんな松戸史的にも重要文化財なこのお店ですが、残念ながらある時期を境に私はピタリと訪れることがなくなりました。その理由は回転寿司チェーンがほかにもできてより家の近くのお店に通うようになったことが一番大きく、とくにうちの親父がかっぱ寿司が大好きなため、かっぱ寿司が家の近くにできてからはもうほぼここ一択になっています。
 次に、行こうと思っても人気が高すぎていつも入れないため、足が遠のいたってのもあります。そもそも自分の実家は松戸市内じゃなく隣の流山市にあるため、このお店にふらりと立ち寄るような距離でもなく、また松戸にそこまで頻繁に用があってくることもないため、ほかにも回転寿司屋で選択肢ができてきた今となってはなかなか足が運びづらくなったわけです。

 ただ成人してから一度は確実に言っています。具体的には2013年ごろで、この時はマジで髀肉之嘆をかこっていたというか日本社会がまともに自分を受け入れてくれずしょうもない会社で働いており、住居も松戸駅前に構えていました。松戸駅前に住んでて自然と店の前も通ることから子供の頃の記憶が蘇り、ある日混む時間帯の前にこの店に入って食事したのを覚えています。

 その後は松戸を離れたこともあってまた足が遠ざかったのですが、先の訪問からもう一度だけ訪れるチャンスが1回ありました。それは2014年の2月のことで、うちの親父と松戸出身の友人と三人で食事しようという話になり、せっかくだから親父も懐かしむだろうと思ってこのお店に行くこととしたのですが、その日は2月8日であったため、訪問することがかないませんでした。一体この日に何が起きたのかというと、詳細は次の記事にまとめてあります。


 詳細はマジで上の記事読んでもらいたいですが、その日に関東は大雪となり、電車もほとんど動かなくなったため中止となりました。っていうか自分はこの日、勤務先から帰宅する常磐線が途中でストップし、雪降る真夜中に車両からも追い出されて一晩超すというどえらい目にもあっています。っていうかマジでこの時のJRの対応はニュースにならなかったのがおかしいレベルだと思います。

 その後、この時の食事会の計画は再び立ち起こることなくそのまま消え失せてしまい、もり一に行くこともその後全くなくなりました。ただ松戸駅前を通るたびにこの店の前も通り、いつも繁盛しているのを見ると、それだけすごいお店なんだという気がいつもします。ここといい新松戸のレッドロブスターといい、なんか松戸は妙にしぶとい店が多いような。

2025年5月11日日曜日

川崎ストーカー殺人事件の論点

あまりにズサン…川崎ストーカー事件で20歳女性見殺しの神奈川県警を待ち受ける「最悪のシナリオ」(ダイヤモンド)

 素人があんまこういうのに言及するのどうかなと思って特に触れずにいましたが、ちょっとネットの反応とか見て思うところがあるため、先日発覚した川崎ストーカー殺人事件の警察の責任問題について自分の意見を残すこととします。

 事件の詳細については割愛しますが、何故事件が起きたのかに関しては「川崎だから」で若干説明がつくような気がします。同義語として、「足立区だから」、「旭川だから」、「松戸だから」も含まれます。

 冗談はさておきこの事件に関しては被害者が行方不明となりながらも神奈川県警が積極的に捜査せず、遺体発見まで白骨化にも至る数ヶ月もかかったばかりか、犯人の海外逃亡まで許しております。こうした状況から発覚当初は神奈川県警への批判も多かったものの、その後の続報で加害者は被害者にかねてからストーカー行為を繰り返していたものの、両者は何度も復縁するなどして不規則な関係が続いており、神奈川県警は明確な接近禁止措置を採ることができなかったと報じられました。
 この続報を受け一部のネット意見を見ると、確かに面倒なカップルだということで神奈川県警も対策を採れなかったのでは、被害者にも落ち度があるのでは、事件性はないというか対応したくなかったのもわかるなどというものが出て、神奈川県警にそこまで責任があるのかという反論も出始めてきました。

 結論から述べると、この事件は行方不明前後で分けて考えるべきで、その上で遺体発見に遅れた神奈川県警の落ち度は火を見るより明らかだというのが自分の見方です。

 まず遺体発見前、というより被害者が行方不明になる前までの警察の対応に関しては、仮に報じられている通り被害者と加害者が復縁を繰り返していたとすれば、事件を未然に防げなかったとはいえ警察が接近阻止措置を断固採れなかったというには一理あり、その責任を一方的に追及できるかといったら議論の余地があります。
 しかし行方不明となって以降に関しては、本人とも直接連絡が取れず、またガラス窓を切ったこれ以上ないくらい明白な侵入の形跡がありながら捜査を徹底せず、遺体発見に数ヶ月も要したというのは理解の使用がありません。一部報道によると、ガラス破片が室内にあったことから自作自演と考えた担当刑事は事件性はないと主張し、「これで事件だったら刑事を辞める」とまで啖呵を切ったそうですが、自らが無能であることを声高に主張しているに過ぎないし、その報告を真に受けた上層部もちょっと頭がおかしいとしか言いようがありません。

 また私の考えとしては、自作自演だとしても本人確認がその後もずっと取れず行方不明が続いている時点で、事態は深刻だと捉えられないというのも一般人としても感覚がやばいとしか思えません。しかもこの間、犯人の親族からも犯人が殺害したかもしれないという証言が寄せられ、前述の通り犯人も海外逃亡していたにもかかわらず数ヶ月にもわたり捜査を放置するなんて日常生活もまともに送れるか疑わしいレベルです。
 少なくとも行方不明から一週間経過した時点ですぐに動いていれば、遺体発見がここまで遅れることはなかったでしょう。

 以上をまとめると、行方不明となるまでの神奈川県警の対応というか責任に関してはまだ議論の余地が感じられるものの、行方不明以降の対応は怠慢以外この上なく、帰国してきたからよかったものの現実に犯人の逃亡というほぼ最悪の結果まで許しており、無能な関係者の処分は間違いなく必要な案件だと私には思えます。
 この事件に関して神奈川県警は内部で検証を行うとすでに発表していますが、私に言わせればそもそも検証が必要かと思うくらいその失態、サボタージュが明白な案件で、検証を行うというその行為自体が理解できないものです。むしろ関係者の処分がすでに発表、実施されていなければおかしいというレベルの失態であり、最低でも行方不明時に現場検証すら行わなかった刑事は二度と刑事事件捜査をやらせてはならないレベルの大失態でしょう。

 ただそれ以上に、上記のように行方不明の発生前後で神奈川県k寧の責任に言及する記事や意見が、少なくとも私が見た限り世に出ていないということもまた結構信じられない事態だったりします。中には前述の通りに事件前の被害者の行動を見て神奈川県警に非はないという輩まで出る始末で、この記事のように前後で論点を分けて考えられない人がまったくいないという事態の方が自分には奇妙に感じてたりします。

2025年5月10日土曜日

映画「攻殻機動隊」を久々に見て

 先週、風呂屋に行ったら鍵番号が「1574」で、中国語で語呂合わせすると「要我去死(俺を死なせてくれ)」と読めるため嫌な気がしました。そしたら昨日行ったら今度は「1414」でこっちは「要死要死(死ね死ね)」と読め、あの風呂屋は自分を殺しにかかってきていると信じて疑いません(´・ω・)

 話は本題ですが週末何か見る映画がないかと近くの映画の上映プログラムを見たら、何故か30年前に公開された「攻殻機動隊」の映画が入っており、特に予定もないし久々に見てみようと予約しました。昨夜の予約時点で座席は自分の分しか埋まってないため自分一人のオンステージかと思いきや、現場に行ったら自分を含め観客は4人くらいいました。

 作品そのものの感想は過去にも色々考察しているので省きますが、今回改めてみた感想として公開から30年も経っていますが古臭さは感じず、かえってCG作画が一般的となった現代において淡い色彩の感じられる動画は新鮮に映りました。

 その動画について、たまたまですが見ていて「ああこれ、エースコンバット3だ」と思いながら見ていました。傑作戦闘機シミュレーターシリーズのエースコンバットにおいて鬼子ともいえるのがこの3なのですが、リリース当時はまだ興味がなく遊んでいなかったことからたまたま先週にネットの解説動画を見ていたのですが、この3で使われているアニメと攻殻機動隊には明確な共通点を覚えました。
 それもそのはずというか、どちらの作品もアニメを制作しているのはプロダクションIGで、製作時期も4年を挟んでいるだけです。具体的な共通点としては、ブラウン管を思わせる横線の入った画面や、コンピューター上のマッピングが淡い緑で表示される、あと中年男性の皺の描き方とかが互いに似通っていると思いました。

 もっとも似通っているのは映像だけでなく、ストーリー面も「人格を持ったAI」と「自分はヒトかAIか」という自己同一性に対する疑念というか不安を煽るテーマ性でも共通しています。ただこれは漫画の攻殻機動隊が先鞭をつけたのは間違いないですが、エースコンバット3に限らず90年代の作品の多くに見られる特徴で、エヴァンゲリオンとか私も大好きな「Serial experiments lain」でも見られます。この頃のオカルトや心理学ブームが背景にありますが、それ以上に冷戦終結と9.11までの狭間という特殊な時代性ゆえに流行したテーマだったんじゃないかと思います。
 面白いのはこの自己同一性のテーマが、00年代に入ると途端に消え失せてしまうという点です。有名作品で唯一近いテーマを取り扱っているのは漫画の「鋼の錬金術師」くらいですが、それ以外となるとマジで90年代の作品のようなテーマを扱う作品は見当たりません。20年代の現代においてはいわんやです。

 このテーマに関してはやはり攻殻機動隊と先ほどのSerial experiments lainが図抜けていたというか、当時しばらくは多くのフォロワーを生んでいたし、現在においてもカルト的人気を維持していると思います。Serial experiments lainのゲームは自分も発売日に買いましたが、ファンが製作する精神的続編の「//Signal.」も発売された買ってみる予定です。

 話を映画に戻すと、出演している声優はどれも蜀の五虎代将クラスのレジェンド声優ばかりですが、一聴して「声が若い(;゚Д゚)」と感じました。同じ声優とはいえ30年前と最近の声ではさすがに張りで違いがあるというか、大塚明夫氏も如何にも威勢のいい声を出しており、年月の経過というものを感じざるを得ませんでした。田中敦子については言わずもがな( ;∀;)
 なお声優に関してはもう一つ、ラストの少女の義体に移ったばかりの素子の声がかつて見たときも今回見たときも「なんか妙に耳に残る声してやがるな( ´ー`)y-~~」と思ってスタッフロールを見たら「坂本真綾」と書かれてあって、「お前おったん(;゚Д゚)」と劇場で声出そうになりました。当時、出演していることを全く知らなかったというか、本格的に売れ出すのはその後だしなぁ。

 最後にどうでもいい点ですが、この映画では街並みは香港をモデルに作られているのですが、表示される中国語の看板を中国の映画館で見ているという点で少し思ったのと、それら看板に対してもはや何の違和感や特殊感を覚えなくなった自分がもはや過去の自分じゃないんだねなどと感じてみていました。