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2025年5月21日水曜日

日本はいっそアメ車に関税をかけてはどうか?

 本題と関係ないですが現在日本を旅行中の中国人の友人から、「梅田駅周辺って本当にきれいだね」と写真が送られてきました。以前にも書きましたがまじめに梅田周辺の再開発は目を見張るものがあり、再開発指揮した人はもっと表彰されてもいい気がします。
 言うまでもないですがこの友人に私は何も入れ知恵はしておらず、向こうからこうして話題に出してきたことに驚くとともに、外人の目から見てもそう見えるのかと感じました。

 話は本題ですが結論から言えば、米国が日本に輸出してくる自動車に対し日本は関税かけてみるのも手じゃないかと思うようになってきました。失うものは何もないのに、トランプ政権との交渉材料が増えるという夢のような手段となりうるからです。

 初めに前提として、日本は現在自動車に対して一切何も関税がなく、完全フリートレードを長年実施してきています。にもかかわらず米国のトランプ政権はただアメ車が性能的にも価格的にもカスなので売れないだけなのに、日本は様々な輸入規制を設けてアメ車を弾いているなどと言いがかりをつけて、すでに実施されている自動車関税を含めありとあらゆる貿易面での嫌がらせを続けています。

 今のところ日本は「そんなこと言わずに許してくださいよ(*^_^*)」とへりくだった態度で貿易交渉を行っていますが、先日の中国との関税競争で何も交渉材料がないにもかかわらずあっさり関税引き下げに応じたあたり、米国側も対抗関税に対して何も対抗手段がないということが見て取れました。であればこちらも対抗関税を設けて「そっちが引くなら俺も引く」的な強気な態度をとった方がいいのではと思うに至り、敢えてこれまで存在しなかった自動車関税を、アメ車限定にかけてみるのも手かと思うようになりました。

 そもそも前述の通りトランプ政権は日本には自動車輸入規制なんてほぼ何もないにもかかわらず、様々な規制を設けて妨害していると主張しています。この言を逆手に取り、日本がこれから新たにアメ車に関税をかけたとしても、「日本はアメ車に対する規制を強めた」と指摘すること論理的に不可能です。なんせ規制をかけていると言っていたのは、彼ら本人なのですし。
 仮に論理を無視してそのように主張してきたとしても、それ以前のフリートレードであった条件を比較して見せればいいだけでしょう。

 その上で現在すでに米国は自動車関税を日本を含むほぼすべての国に実施しており、これに対し対抗関税を日本がかけることはなんら問題はなく、正当な大義名分があります。なんならトランプ大統領が言っているように、ボンネットにボーリング球を落とす試験をアメ車限定で設けてもいいかもしれません。
 しかもこのアメ車に対する関税を設けたとしても、日本としては何も困ることがありません。唯一困るのはアメ車マニアな日本人だけで、日本の経済や産業にダメージを与えることは一切なく、米国に譲歩を促す交渉材料が増えるだけなのでいいこと尽くしです。

 もっとも、トランプ政権側の機嫌を損ねることは間違いなく、関税を設けたら色々嫌がらせをしてくる可能性は十分あり得ます。一番可能性があるのは在日米軍の撤退を示唆することですが、私の見立てでは示唆するだけで実行にはほぼ確実に移せないと思います。何故なら中国との交渉であっさり弱腰になったあたり、相手国が対抗してくる事態をトランプ政権は一切想定しておらず、殴りかかってくるくせに打たれ弱いという弱点をすでにさらしているからです。
 それこそ日本のもう一つの交渉材料である米国債売却を、日本もそれとなくちらつかせさえすれば、トランプ政権もそれほど強く脅しをかけることができなくなるという確信が自分にはあります。もっともそのようなことをしなくても、すでにトランプ政権への支持率は米国内でも激減しており、軍事方面で大きな決断をしようものなら猛反対を受ける可能性もあるだけに、在日米軍引き上げや思いやり予算の増額などもあまり強くは言えないでしょう。もし行ってきたとしても、中国との軍事同盟の可能性をメディアなりを通して示唆すれば途端に黙ると思います。

 端的に言えばトランプ政権は存外打たれ弱い、その上ですでにレームダックに陥りつつあるとみています。このまま従順な態度で交渉し続けることも決して悪くはないですが、一発冷や水を浴びせるようにアメ車に関税かけるのはありなんじゃないかと思います。特に今中国が交渉で圧倒的優位に立っており、第一次トランプ政権で通用した半導体規制ももはや中国は克服しつつあり、この中国の攻勢に乗る形で日本も強気な交渉をすることはタイミング的にいい気がします。
 おまけに今、トランプ政権はハーバード大学にもケンカ売っており、ここで日本がトランプ政権を攻撃することで米国知識人の間でも「あの従順な日本ですら?」という印象を覚えるのではないかと思います。何気にこの数ヶ月で一番トランプ政権の失策だと思ったのがこのハーバード大攻撃で、だからこそ今日本が反撃のチャンスだとも感じました。

2025年5月19日月曜日

江藤農水大臣の米買ったことない発言を見て

 わざわざリンクをつけたりしませんが、ただでさえ米価高騰に歯止めがかからない点を批判されているにもかかわらず、地元講演会で支援者からもらっているので米なんて買ったことないと、地元支援者のみならず日本の全国民を敵に回す発言が江藤農水大臣から出てきました。石破総理を含む官邸はまだ彼を続投させようという姿勢を見せていますが、私の見方では長くはもたないし、この弁明している最中にも不用意な失言を重ね、顰蹙を買いつづけるだけでしょう。
 この点、安倍晋三だったらすぐに切っていたであろうと思います。私は彼のことをあまり評価していませんが、切るべき時の決断は比較的早く、その点のリスク管理は優れていたと覚えます。

 そもそも去年の時点で米価は高騰し始めていましたが、政府は新米が流通すれば価格は自然と落ち着くと言って一切対策をしませんでした。その後は語るまでもないですが米価はぐんぐんと高騰し続け、慌てて今年に入り備蓄米を流通したもののJAの活躍もあって全く流通せず、日本の米価はJAによって支えられているということを証明したに過ぎませんでした。
 っていうか単純に外食企業を含む発注量と価格を投げ入れる競争入札にしてすぐにドバっと配れば、全然状況は違ったでしょう。色々法規制を言い訳にしていますが、多分現行法でもこの競争入札は行えただろうし、法律がなくても会期中に緊急対策案として通すことはできたはずです。備蓄米が単純に流通しないのは江藤農相を含む現政権の失政によるものとしか思えません。

 っていうか支援者からもらった米が家に余っているというのなら、この江藤農相の家とJAをみんな江戸時代みたく打ちこわししてもいいと私は思います。それだけの事態でもあるしそんな事件が起きてもしょうがないくらいの失言です。そもそも日本人の米に対するこだわりは、同じ米文化の中国人と比べても桁外れに強く、天皇とお米を馬鹿にする発言は日本における最大のタブーも同然です。そのタブーを江藤農相は破ったも同然なのだから、攻撃されない方がおかしいとすら思えるレベルです。
 放火はさすがにだめだけど、この人の家の中にあるお米を全部ぶちまけるくらいはみんなやってもいいでしょう。それくらいの発言を、彼はしました。

 ただそもそも論を話すと、すべての日本国民を敵に回す発言をいけしゃあしゃあとやってのけるほどの無能が何故農水大臣をやっているのかって話です。それを言ったらこの人以前にもとんでもない失言をする人も多く、現役で自殺した人もいましたが、農水大臣にはなんかその手のヤバめな人が異常に多いです。それもそのはずというか基本的にこの役職は日本においてお飾りポストであり、農水行政に詳しいとか手腕に長けるからではなく、基本的に論功行賞、それも議員歴が長くそろそろ役職に就けないといけないけど無能だから就けるポストがない人にあげるポストであることが大きな原因だとはっきり言えます。

 ところがそんなお飾りポストながら、文字通りな大量の票田を左右するポストであるためその権力は意外に強大だったりします。元々農水省も広報は優秀だと思うけど行政能力的にはヤバめな組織で前からしょっちゅう不祥事や事件を繰り返しているだけに、力があるのに司令塔が無能というかなりおかしな構造が今の日本の農政です。
 今回の江藤農相の発言を受けて改めて思いましたが、上記のようにお飾りポストでトップに無能しか来ないから、日本の農政の混乱や失敗が延々と続いているのではないかという気がしてきました。仮にしかるべき知見と手腕を持つしっかりした人が農水大臣について、総理大臣らがしっかりとその権力を支えJAを解体すれば、改善箇所が多すぎる分、日本の農政は一気によくなるんじゃないかという妙な期待感すら持ち始めてきています。観光立国だってマイナス点が多かった分、力を入れたら一気に良くなったんだし。

 少なくともJAの解体というか対策は今回の備蓄米の混乱を見ていても喫緊だと思えます。そもそもJAが何でこんなおかしな組織なのかというとやはり独占組織であることが最大の原因のように思え、同じ機能を持つ農業団体をもう一つ作ることが手っ取り早い対策だと考えています。
 その名称ですがJAが全農というのだったら、プロレスみたく新農という組織が見ている人にもいいんじゃないかという腹案を持っています。志ある人に立ち上げてもらい、政府がお墨付き作ればすぐに良くなる気がするんですが。

2025年5月18日日曜日

J-10C型のプラモ


 例によって中国の軍事力を研究するため、もとい中国生活の暇つぶしのため、先日の印パ紛争であのフランスのラファールを撃ち落としたといわれる中国の殲10ことJ-10のC型のプラモを入手し、その構造を分析するため今日組み立てました。
 このJ-10については以前に前バージョンのB型も作ってはいるのですが、面倒なキットでいまいちうまく作り切れなかった敗北感があり、前からJ-10はもう一回作ってみたいと思っていました。そこへ先日の戦果報告があり興味を持っている最中に作るべきだと思って今回購入しましたが、話題となっていたことからいつも買うプラモ屋でも注文が集中したのか、いつもは翌日に配送されるところを今回は三日くらいかかりました。それでも早い。

 今回のキットは中国メーカーのトランぺッター製のキットですが、正直ここのキットはあまり買っていません。何故かというと結構凝った作りしてるのと、他社と比べてバリが多くてライナーから切り離した後も何度もバリを取り除かなければならないからです。自分としてはそこまで組み立てにこだわる方じゃなく、簡単に組上がればいいと思うのでタミヤと韓国のアカデミーのキットを好むのですが、トランぺッターに関してはほかでは出されていない中国機を作るときしか購入しません。

胴体の内部構造

貼り合わせるとこんな感じ

 ただこのトランぺッターも悪いところばかりじゃなく、上の写真のように胴体内部のエアインテーク構造はほかのキットでもきちんと再現されています。エアインテークからどのようにエンジンにつながるのかは非常にわかりやすいし立体感を感じられ、このJ-10のキットでもその点は非常によくできてます。左右の胴体の貼り合わせ精度も良好だったし。

エアインテーク入口にある空気流入速度を調整する丸いでっぱりも再現


 そんな誉田でおこうして出来上がり、ミサイルなどは付けんのが面倒だったのと機体本体のプロポーションを堪能したかったため付けませんでしたが、上の写真の胴体下部にあるレーダー妨害装置はすぐ付けられるのと、今流行りの兵装のため敢えて付けました。


 前にも少し話しましたが、このJ-10は元々はイスラエルで開発が進められていた機体ですが、イスラエルがF-16を採用することとなって計画が放棄されたところ、中国が研修者ごと引き取って完成、運用することとなった機体です。
 経緯が経緯ですがこうして世に出ることとなったのは紛れもなく中国の努力の結果で、中国オリジナルの機体と言っても差し支えはないと思います。もっとも、中国政府は公式には上の経緯には触れず、自分たちが一から開発したんだと中国人すら真に受けない主張を展開していますが。

 なおこのほかに現在中国が運用している機体はロシアから輸入したフランカーシリーズのJ-11やJ-15、J-16、米国のF-22をパクったJ-20、F-35をパクったJ-35が主です。これらと比較するならJ-10の独自性は強く、またF-16を意識したオープンデルタ(前尾翼)な形状とあって私自身はこの機体が中国機の中では一番好きだったりします。


 以前に機体前方にある空中給油用プロープを美少女キャラの「アホ毛」に例える人がいましたが、非常に言い得て妙だと思います。その例ではラファールに使われており、落ち着いた佇まいの姉(ミラージュ2000)に対し活発なアホ毛妹キャラとして紹介されてました。
 このJ-10も上の写真のようにアホ毛が付いていますが、もし擬人化するならイスラエルでの経緯を踏まえ、元々は王位継承者として生まれるはずだったのが簒奪を受けて中国に亡命し、デカ女(フランカー)にいびられながらマーボー豆腐屋でこき使われる薄幸少女みたいなキャラになる気がします。ひっさつわざはマーボーファイヤー。


 前回のB型で一番失敗したのが主脚で、なんか変にはめ込みづらい上に固定の弱い形状してて、片方の足をきちんとまっすぐ立たせることができませんでした。伝統的にトランぺッターのキットはこの主脚が脆いのですが今回のC型も、っていうか恐らくB型の金型を少し整備しただけで基本的に同じキットなためか今回も主脚が弱く苦労しました。
 ただ頑張った甲斐あって今回は完璧に組み立てることができ、足回りは完璧に仕上げられました。

手前がB型、奥がC型

今度は手前がC型、奥がB型

 改めて昔作ったB型も引っ張り出して並べてみましたが、基本的にやはり同じ形状というかほぼ違いがありませんでした。強いて言えば、現物はそうでないのかもしれませんが胴体尾部の尾翼の付け根付近の胴体が、B型に比べC型の方がやや細くなっているような気がしました。それ以外はキットにおいてはほぼ同じで、エアインテークの形状もほとんど同一でした。
 実際、C型のバージョンアップは電子性能付近だと聞きます。今回の印パ紛争でもレーダー能力とミサイル性能が勝敗を分けたといわれ、ウクライナでの戦闘でも基本視界外(BVR)戦闘が繰り広げられていることから、もはや戦闘機に旋回能力や最高速度性能は求められず、優秀な兵装を使えるソフトウェアと、レーダーの捕捉、妨害能力の方がますます重要になってくるかもしれません。

 最後に今回昔作ったB型を引っ張り出して比較したところ、接合部とかが今と比べて荒く、今の自分がどれだけ組み立てるのがうまくなったのかを強く感じさせられる出来栄えでした。やっぱこういうのはドラテクと同じで、使ったガソリン代(プラモ代)の分だけテクニックが上がるものだと感じます。

2025年5月17日土曜日

現在連載中で自分が読んでる漫画


 本来は茶道具を入れる棚なんだけど、プラモ置くのにめっちゃよさそうと思って買っちゃいました。案の定( ・∀・)イイ!!

・竜送りのイサギ
 話は本題ですが現在連載中で自分が読んでる漫画を挙げていくと、以前にもブログに挙げた「竜送りのイサギ」というのがあります。これ、最初はめっちゃ面白くて自分も期待していたのですが、単行本が4巻に入るあたりからストーリーのテンポが急激に落ち、話数を重ねても全然進展しなくなってちょっとどうしようかと焦るくらい面白さがなくなってきています。
 この作者は前の連載でも全く同じことをやってて、序盤はサクサク話進んで内容も面白かったのに、中盤に入ったと思うあたりから急に鈍足で世界観説明ばかりの話が展開されるようになり、一気にトーンダウンしてました。なんか「竜送りのイサギ」でも同じ轍を踏むんじゃないかと心配してます。

・タワーダンジョン
 一方、世界観説明を極度に排しながらガンガン話を進めてくるのは、「シドニアの騎士」の作者が連載している「タワーダンジョン」だと思います。
 元々この作者の弐瓶勉氏について自分は信者と言っていいくらい「ブラム」の頃から贔屓にしてますが、前作の「人形の国」の投げっぱなしエンドはさすがに自分ですら許容できる終わり方ではなく、「タワーダンジョン」も最初は購入を躊躇していました。

 ただ改めて購入してみたところ、かつての弐瓶氏のようにベタでほぼ真っ黒に塗りたくられたページに予想もつかない展開ぶりから一気にはまり、残りの巻も一気買いして読むほどはまりました。特にヒロインのリリセンというキャラは不機嫌という感情をそのまま絵にしたようなエキセントリックなキャラで気に入っています。
 勝手な憶測ですが、「人形の国」で二瓶氏は極力ベタを避けてページをほとんど白色のまま表現をすることに挑戦していたのではないかと思います。しかし「ブラム」の頃から二瓶氏と言えばベタ、墨黒であり、黒い絵でこそ本領を発揮するような作家だと思え、そうした二瓶ブラックがこの「タワーダンジョン」では戻ってきてうれしく思ったりします。

・J⇔M ジェイエム
 今一番面白い漫画と聞かれたこの作品を挙げます。かつて散々はまった「ヒナまつり」の作者の新作ですが、実力は確かだけどハードボイルドに憧れる中年のおっさんと、教育虐待を受けながらも知能が異常に高い小学生女児が頭を打ち付けて、人格が入れ替わるというよくある単純な話です。なのに面白い。
 「ヒナまつり」同様、状況に状況がどんどん重なっていって面白くなっていく展開となっており、そもそもギャグセンスが明らかに高く、「百点以外はゴブリン」というセリフだけでなく、要所要所のツッコミのセリフ一つでもやたら笑わせられます。また殺し屋のおっさんが今度はお色気を武器にする女殺し屋とも人格が入れ替わってからはその無軌道な行動がさらに拍車がかかり、やたら冷徹な表情を女殺し屋の体で浮かべるようになって絵でも魅力が高いです。

 っていうかほかの人も書いてましたが、ギャグマンガ家だったからと言っては失礼ですが、意外にもアクションシーンの表現も優れているのには驚き、「このひとこんな絵も描けたんだ(;´・ω・)」と私も思いました。まぁ元々格闘漫画の「タフ」の作者のアシスタントだったんだし、出身的にそういう素養を持っていて当たり前なのですが、本当に意外でした。

2025年5月15日木曜日

札幌市暴行企業の優良企業認証取り消しのおかしな点

 先日に印パ衝突で活躍したというので中国製戦闘機のJ-10C型のプラモを頼んだけど、いつもなら翌日に到着するのに数日経ってもまだ来ないし、同時発注したEA-18Gはもう届いているあたり、かなり注文が来ているのだと思います。実際タオパオ上でも注文数かなり行ってたしなぁ(;´・ω・)
 前からも言っていますが、プラモ屋は戦争が起こると本当に儲かる商売だと思います。


 さてちょっと日が経ったニュースですが、北海道札幌市で社長が社員をボコボコに殴る動画が流出しました。こんな光景、尼崎辺りでは日常でニュースにもなることないのでしょうが、場所が札幌市だったことと、その会社が札幌市からSDGsなどの優良企業として複数の認証を受けていたことから大きな話題になりました。
 上記リンク先の記事にも書かれていますが報道を受けて当の建設会社は暴行の事実について妙な言い訳しつつも、札幌市に認証を辞退したとのことです。ただこんな会社を札幌市は何故優良企業として認定したのかという点で、色々批判が起きています。

 などというありきたりな内容だけならこんな風に自分も記事にしないのですが、先日書いた川崎ストーカー殺人事件のように、何故誰もこの点を突っ込まないのかと疑問に感じる箇所があります。もったいぶらずに言うと、札幌市は何故この会社が認証されていた優良企業認証を全て廃止しないのかという点です。

 表向きは誠実そうに見えても、裏では汚いことやってる人や会社なんて世の中いくらでもあります。そのためどれだけ時間と労力をかけてもその本質を見抜くことは難しく、優良企業と認証しながらも後になって実はとんでもない会社だとわかることは珍しくないし、そんな会社にお墨付きを与えてしまったとしてもそこまで恥じることでもないと思います。
 しかし、今回のケースというかこの会社に関しては叩けば埃がいくらでも出るというか、どっからどう見たってヤバい会社だとすぐわかる例です。ほかの報道によると、従業員に日本刀を突きつけて指か腕を切断するよう迫ったり、残業時間をごまかしたりなどと典型的なブラック企業ムーブを大量にかましています。正直、ちょっと調べればこの会社が問題ある会社だとすぐわかるレベルのようにしか見えません。

 にもかかわらず前述の通りに札幌市はよりによってこんな会社を複数の認証で優良企業としてお墨付きを与えていたということから、認証を担当した札幌市の公務員は見る目がないというか無能の極みな人物であるとしかこれまた言いようがありません。恐らく書類しか見なかったのだと思いますが、その書類審査も杜撰だったのではないかと思えてなりません。
 であれば、札幌市の認証には全く信用や保証がないと言わざるを得ず、この会社以外にもやばい会社が優良企業として認証されている可能性も高いと私は思います。少なくともこんな会社を認証しているという時点で札幌市の認証には価値がなく、最低限の恥を知っているのであれば、認証制度そのものを一旦廃止するのが普通の人の判断であると私は思います。

 ところが、札幌市への批判をする人はそこそこいますが、認証そのものの廃止についてまで言及する人は私が見る限り誰もいませんでした。自分の感覚がおかしいのかと最近ちょっと思えてきてもいるのですが、なんで廃止について誰も言及しないのかとその点が逆に不思議に思えてなりません。まぁ札幌ドームのくだりから言って、札幌市の職員は無能が多いというのは前から知ってますが。

 その上で、札幌市が今すぐやるべきだと思うことは、この会社を反社組織として認定することだと私は思います。正直、優良企業のリストなんて今回の例のようにその信用度を含め全く役に立たないですが、「この会社はヤバい」、「取引はやめた方がいい!」的に警告してくれる反社組織認定リストなんかは消費者保護的にもずっと役に立つ気がします。
 公共事業への入札禁止措置などは割とよく行われているし、国の一部省庁がやっている一部の法令違反を繰り返す企業の名称公開とかもあるっちゃありますが、もっと汎用的に、全国規模ですぐ閲覧できる反社認定企業リストをもっとみんなで作るべきだと思います。

 というより、反社をヤクザ団体だけに適用するのはもったいないというか、旧ビッグモーターのように社会に対し著しく不正行為を繰り返したり大きな損害を与えた企業は、当事者企業に改善を促す意味でも反社認定をどんどんやった方がいいと前から思います。認定から1年後くらいに申請があれば解除審査をやるとか、認定中は公共調達入札への参加は一切禁止にし、他の企業も下請けとして採用するのも禁止するなど、もっと規制をかけていいはずです。出ないとこういうブラック企業はのさばるだけだし。

 最後にこれ書いてて思ったけど、よく優良企業認証もらった会社は認証マークをホームページに貼り付けますが、反社認定企業も販社認定マークを必ずホームページの目立つ個所に掲載するよう義務付けたらめっちゃ楽しいと思う。っていうか中国なんかこの辺の企業の信用度をかなり細かく公的サイトが公開していますが、もっと日本の積極的に反社認定してった方がいいでしょう。

龍馬は何故脱藩したのか?

 昨日ようやく漫画の「風雲児たち」を幕末編を含めて読了しました。連載期間が40年超に及んだことから分量も膨大だったため時間がかかりましたが、作者のみなもと太郎が亡くなったことで高杉晋作が品川焼き討ちを仕掛ける微妙なタイミングでの幕切れとなっています。

 それでこの漫画を読んで自分もこれまで知らなかった事実を大いに学び、高野長英とかにも興味持ったりするなどかなり影響を受けているのですが、改めてこの本読んで気になったというか腑に落ちなくなったのが見出しに掲げている坂本龍馬の脱藩理由です。
 なお「風雲児たち」の中では恐らく作者のお気に入りなためか龍馬に関するページ数は多くなっています。ただお気に入りが過ぎているというか龍馬が出てくる下りはほかのページと比べ扱いが必要以上に大きく、且つ脚色も強くなされていて読んでて「なんじゃこりゃ?」というような違和感を強く覚える構成になっています。特に龍馬の評価がダダ下がりしている現在からすると、かえって史実から遠ざかる描き方のようにも見えました。

 話は戻しますが、坂本龍馬は桜田門外の変から2年後の1862年に土佐藩を脱藩して浪士となっているのですが、一体どんな理由で脱藩したのか、これまであまりその点について追及する解説をついぞ見たことがないということに気が付きました。これは「風雲児たち」でも同じで、龍馬に関するページ数は多いのに脱藩シーンについてはほとんど何も書かれておらず、この点に違和感を持ったことが自分が気になったきっかけでした。

 それで改めてこの点についてほかの人の主張なり解説を見てみようとネットで色々検索してみたのですが、元々フィクションというか脚色濃く語られることの多い人物なだけに、脱藩理由についても複数の説が展開されています。言い方を変えると、これという定説が定まっていないという印象を受けました。
 そんな展開されている説をいくつか挙げると以下の通りです。

1、藩を超えて日本という国単位での憂国意識に目覚めたから
 結論から言えばこれはあり得ない説だと思います。後の大政奉還の提唱などから龍馬は日本という国単位で物を考えていたと思われがちで、その延長からかこの脱藩も土佐藩という枠を超えて行動するため動きやすくなることを目的としたものだったとする説です。
 しかし、そもそも龍馬の脱藩は単独犯ではなくほかに同じ土佐藩士数人と一緒に行われており、またこの時点でそう言ったビジョンを彼が持っていたかとなると正直疑問です。これはほかの説にも言えることですが、自分が把握する限り龍馬自身が脱藩理由について自ら説明する文書などは残されておらず、仮に憂国意識からの脱藩であれば何かしらその考えを書き残したり、ほかの人に伝えていたのではと思うとやや不自然に感じます。

2、武市半平太とそりが合わなかった
 これは有力な説として語られることの多い説ですが、当時の土佐藩では重役は公武合体を指示していたのに対し、下位の若手藩士の間では公武合体などもってのほか、尊王攘夷(+倒幕)を徹底すべきという思想が強く、特に若手藩士の首魁で土佐勤皇党のトップであった武市半平太はかなり過激な思想を持って尊王攘夷を訴えていたそうです。
 この武市が龍馬の脱藩直前に企んでいたのが、土佐藩の重鎮である吉田東洋の暗殺でした。これ以降も武市は手下の岡田以蔵を使って関西地方で暗殺を繰り返すテロ活動に従事していますが、自分が所属する藩においてもこうした暗殺を平気で手段としていた当たりその過激さが際立っています。こうした武市の強硬路線に土佐勤皇党に入っていたとはいえ拒否感を示し、袂を分かつために脱藩したというのがこの説です。
 またこの説にはほかにも龍馬自身が吉田東洋の暗殺を指示された、または巻き込まれそうだったから逃げたという説も見られます。時期的には龍馬が脱藩したのが3月、吉田東洋の暗殺が4月と近くあり得ない説ではないと思うものの、これという根拠もなく、あんま声高に主張する説ではないなという気がします。

3、土佐藩の指示で隠密活動を行うため脱藩を装った
 これもその後の龍馬の行動的にこれはあり得ないのでいちいち解説しません。小説のネタとして使おうにも無理があるでしょう。

4、寺田屋事件のきっかけとなった京都蜂起(伏見義挙)に参加するため
 1862年のこの年、薩摩の島津久光が兵を挙げて京都に来ていました。これは武力を示しつつ天皇から勅をもらって、その勅を幕府に報じる形で薩摩藩が政治に参画し、幕府に改革を促すことが目的でした。この改革方針は基本的に公武合体路線で、久光に倒幕の意思はありませんでした。
 しかしこの久光の出兵について過激派浪士らは意図的に、「薩摩藩は朝廷から倒幕の勅を得て、そのまま倒幕するつもりだ」と吹聴し、久光の意思を無視してそのまま強引に蜂起して倒幕戦争を始めようとしていました。この首謀者はのちに新選組のもととなった浪士組を作る清河八郎だとされてますが、浪士組結成時も嘘八百並び立てて行っているあたり、やりかねない人間だなと私も感じます。

 ただこの清河らのデマはかなり効いて、当時京都には真に受けた過激派浪士が大量に集まり、久光の到着と号令とともに京都所司代を襲う計画を立てるなど、一斉蜂起する気満々でした。結果的にはこうした過激派の動きを問題視して未然に暴発を防ぐため、薩摩藩自らが蜂起首謀者らを粛清(寺田屋事件)したことで事なきを得るのですが、龍馬が脱藩したのはこの京都蜂起に参加するためだったのではという説を唱える人が多いです。
 というのも龍馬の前に脱藩した吉村虎太郎が脱藩の直前、使いで長州の久坂玄瑞に会った際にこの京都蜂起の計画を聞き、ほかの土佐勤皇党メンバーにも伝えていたそうです。吉村はまさにこの京都蜂起に参加するために脱藩しており、彼に続く形で土佐勤皇党からはその後も脱藩者が相次ぎ、これに続く形で龍馬も脱藩しているのですが、時期的にも状況的にも確かに龍馬も京都蜂起に参加するために脱藩したように私も思えます。

 もっとも、龍馬が京都に辿り着く前に寺田屋事件が起こって京都蜂起はおじゃんとなったわけですが、恐らく龍馬本人もこの時肩透かしを食らったような状態だったと思います。必死の決意で脱藩までしたのに蜂起そのものがなくなってしまい、土佐に戻ろうにも脱藩したので戻れないし、何か活動しようにも支援者もおらず、この時からしばらく彼の動静は見えなくなっています。最終的に行く宛てもなかったのか8月になって江戸に入り、かつて通った千葉道場に居候するようになるのですが、この点一つ取っても彼の脱藩には何かしら明確な目的がないように見え、それは京都蜂起が流れてしまったためというのなら得心が行きます。
 また同時に、彼が後に文書などで脱藩理由について一切触れなかったこともこれなら納得がいきます。まさか蜂起に参加しようと脱藩したら蜂起自体なくなってしまって放浪状態となったなんて、格好悪くて書き残すことなんてできないでしょう。仮に以上の通りなら、結構冴えない理由で龍馬は浪人になってしまったのだと思います。

2025年5月12日月曜日

千葉のマッドシティ~もり一(回転寿司店)

 本題と関係ないけど金曜夜に自転車乗ってたら突然前の電動バイクが急に方向転換して、慌ててブレーキを全力で握ったらドロップハンドルなため薬指と小指だけで握る形となり、ありえんくらいの力で握ることとなり「あ、やった」という言葉が頭に浮かびました。
 幸い、30㎝くらい後輪スリップしたけど衝突は免れましたが、案の定というか数時間後から右手の握力がなくなるというか筋肉の痛みがひどく、今はもうだいぶ落ち着いたけど一昨日なんかマジで物握れないくらい筋を痛めていました。頭文字D的に言えば、ブレーキの利きが悪くなった32みたいな感じでした。


 話は本題ですがなんかまた松戸について書こうと考えてネタになるところを必死で思い出したら、ここが浮かんできました。この「もり一」というお店は回転寿司屋なのですが、松戸駅からマジで目と鼻の先というか歩いて数十秒な位置にあり、休日ともなればいつも混んでいてすぐには席に着けないくらいの人気店です。

 この店ですが私が子供のころからずっとあり、自分の記憶でも松戸で映画を見た帰りによく親に連れてこられていた気がします。当時はまだ回転寿司屋が少なく、というより今みたいな回転寿司チェーンなんてほぼ存在せず、寿司を食べるとしたらローカルな回転寿司屋か小僧寿しくらいしか機会がありませんでした。
 なお小僧寿しに関しては疲れているときによく「小僧憎し」と見えることがあり、こう見えたら休まなきゃと思うバロメーターとして使っています。

 具体的にいつからこのもり一があったのかについては残念ながら把握してないですが、私の子供の頃の記憶から逆算するに、少なくとも40年くらいは営業しているのではないかと思います。あまりこの店を取り上げる人は多くないですが、松戸駅前のランドマークと言っていいお店じゃないかと思います。

 そんな松戸史的にも重要文化財なこのお店ですが、残念ながらある時期を境に私はピタリと訪れることがなくなりました。その理由は回転寿司チェーンがほかにもできてより家の近くのお店に通うようになったことが一番大きく、とくにうちの親父がかっぱ寿司が大好きなため、かっぱ寿司が家の近くにできてからはもうほぼここ一択になっています。
 次に、行こうと思っても人気が高すぎていつも入れないため、足が遠のいたってのもあります。そもそも自分の実家は松戸市内じゃなく隣の流山市にあるため、このお店にふらりと立ち寄るような距離でもなく、また松戸にそこまで頻繁に用があってくることもないため、ほかにも回転寿司屋で選択肢ができてきた今となってはなかなか足が運びづらくなったわけです。

 ただ成人してから一度は確実に言っています。具体的には2013年ごろで、この時はマジで髀肉之嘆をかこっていたというか日本社会がまともに自分を受け入れてくれずしょうもない会社で働いており、住居も松戸駅前に構えていました。松戸駅前に住んでて自然と店の前も通ることから子供の頃の記憶が蘇り、ある日混む時間帯の前にこの店に入って食事したのを覚えています。

 その後は松戸を離れたこともあってまた足が遠ざかったのですが、先の訪問からもう一度だけ訪れるチャンスが1回ありました。それは2014年の2月のことで、うちの親父と松戸出身の友人と三人で食事しようという話になり、せっかくだから親父も懐かしむだろうと思ってこのお店に行くこととしたのですが、その日は2月8日であったため、訪問することがかないませんでした。一体この日に何が起きたのかというと、詳細は次の記事にまとめてあります。


 詳細はマジで上の記事読んでもらいたいですが、その日に関東は大雪となり、電車もほとんど動かなくなったため中止となりました。っていうか自分はこの日、勤務先から帰宅する常磐線が途中でストップし、雪降る真夜中に車両からも追い出されて一晩超すというどえらい目にもあっています。っていうかマジでこの時のJRの対応はニュースにならなかったのがおかしいレベルだと思います。

 その後、この時の食事会の計画は再び立ち起こることなくそのまま消え失せてしまい、もり一に行くこともその後全くなくなりました。ただ松戸駅前を通るたびにこの店の前も通り、いつも繁盛しているのを見ると、それだけすごいお店なんだという気がいつもします。ここといい新松戸のレッドロブスターといい、なんか松戸は妙にしぶとい店が多いような。