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2025年4月30日水曜日

めちゃブルー( ;∀;)

 先日書いたように連休前ながらコロナに感染し、体調は既に大分よくなりましたが今でも歩いてて気を抜くと意識が飛びそうな感覚があります。こんな状況だから物慰みにとばかりにまた趣味のマグカップをタオパオで注文したところ、今日届いたマグカップは自分の頼んだものとは形が少し異なる、同じシリーズの別バージョンのカップでした。

 早速写真送って「これ本当に俺頼んだの?」と売主に問い合わせたら、「交換するから返品して」と返してきました。若干要領得ない会話だったため「俺のミス、あなたのミス?」とさらに尋ねたら、「すいません、倉庫担当の出荷ミスでした」とここで謝られました。
 もし最初の段階ですぐに謝られたなら自分も交換を受け入れた気がしますが、この期に及んでは元々頼んでいた商品に対する関心も薄れ、ただでさえメンタルやられているこの状況で無駄に追い打ちかけてきたことへの反発もあり、「交換しなくていいから返金にさせて」といって、返品返金で処理することにしました。

 内心、間違って送られてきたマグカップをその場で叩き割ってその写真を売手に送り付けた上で、「もうこのゴミ叩き割ったから交換も返金も必要ない」と言おうかとすらしましたが、さすがに物への八つ当たりがひどすぎると思ってすんでのところで我慢しました。何気に今回、タオパオの返品サービスを初めて使いましたがわざわざ配達員が時間指定で集荷にまで来てくれるので、同僚も重宝してましたが確かに便利なサービスです。

 以上のような対応をしておきながらですが、素直に交換を受け入れればよかったのではないかと自分の偏狭さにまたメンタルやられ、そもそもこうなったのも最初に出荷品間違えた業者じゃないかと無駄にまた業者にヘイト向けたりと、メンタルが安定しません。物慰みとばかりに、また新たにマグカップ買う気力も起きないし。
 もっとも、すでにタオパオの中で検索して欲しいのが見つからなかっただけですが。「代打、北川」並みの最後の手段としてノリタケのカップを買う手もありますが。

 にしても悪い時に悪いことは重なるというか。明日はプラモでも作って心を落ち着かせたいと思います。

2025年4月29日火曜日

検索システムがおかしくなっているような?




 なんかたまったポイントでタダでもらえるというからいつも買ってる3G模型という店よりSu-35のタマゴヒコーキのキットを買って作りました。タダなんだから文句はいけないけど、パーツの整合性悪すぎてミサイル積めなかった。

 あとコロナは今日夕方に検査キット使ったら陰性判定になってました。と言ってもまだ体力戻らず歩いてても夢見心地ですが、前ほど背筋が痛まないで済むのでキーボード打つのも楽です。なんていうかコロナは自分にとって筋肉痛が一番きつい気がする。

 さて本題ですがこのところ去年のリーグ王者ながら今年は最下位を徘徊するソフトバンクが何故こうなったのか、甲斐選手一人いなくなっただけでこうも弱くなるのかについて記事書こうと、3連敗中であることを報じるニュース記事のリンクを得ようと検索しました。ところが「ソフトバンク 3連敗」で検索したところ、なんと「開幕三連敗」という1ヶ月前の記事しかヒットせず、今日出来立てほやほやの3連敗を報じる記事は一個もヒットしませんでした。
 ならばとばかりにYahooニュースに配信されている当該ニュースを報じるあるスポーツ紙の見出しをすべてそのまま検索かけたところ、これでもなおも1ヶ月前の開幕三連敗のニュースかソフトバンクのどうでもいい小久保監督のニュースしかヒットせず、「なんやねんお前コラ!」と検索システムに怒りぶつけていました。なおYahoo、Googleともに同じ結果で、ともにニュース検索しても同じでした。

 これに限らずこのところ、検索システムが年々使い勝手が悪くなってきている気がします。例えばこのブログの「陽月秘話」で検索してもトップページこそヒットするものの、個別の記事はまるで意図的にはじかれているかのように何一つヒットしません。かつては私のブログを引用しているほかのブログなどもヒットしたのですが、それらすらなくなっています。
 また自分が読んだ漫画作品についてほかの人はどう思っているのかレビュー記事を検索しても、どうでもいいあらすじだけ紹介して「ここでなら無料で読める」という広告に誘導する明らかな商業的意図を持ったページしかヒットせず、毎回ヒットする度に書いてる奴を刺し殺したくなります。これに限らず、完全に広告目的のサイトほど検索上位に来るため、まじめに情報を得ようとしても「詳細な情報はこちらまで」という案内とともにぼかされるサイトしか出ないため、肝心の情報が得られないことが多いです。

 無論、このような現状なのは検索システムよりもこの手の商業サイトがSEO対策に手慣れていて検索でヒットしやすくしているためだとも考えられますが、それを考慮しても最近の検索システムは年々使い勝手が悪くなってきている気がします。ゲームでも攻略サイトと謳っておきながら「まだ情報はありません」としか書かれていないサイトが何故か上位に来るなど、以前ならありえないことでした。
 言い方悪いですが、なんかGoogleが昔の中国検索サイトの「百度」みたいになってきている気がします。逆に百度は前ほど広告ばかりじゃなくなり、中国国内の情報検索がしやすくなってきています。

 それこそもしこの時代に、多少不便であっても変な商業サイトを上位に挙げず、フラットな目線で検索してくれるシステムがあれば、私はそっちを優先します。恐らくほかにもこういう人はいるんじゃないかと思え、そういう意味ではGoogleの覇権を追い落とすチャンスタイムが来ているような気がします。自分じゃできないので無責任なこと言いますが、私のこのブログが松戸ネタ以外でもちゃんと検索上位に来るようなフラットな検索システムを、なるべく日本人の手できちんと作ってもらいたいものです。

2025年4月27日日曜日

俺、コロナσ(゚∀゚ )オレ

 先週から疲労感がすごく一昨日夜にものすごい悪寒がして昨日は体調を崩し、今日もあんま体調すぐれないのに、GWの連休日数を増やすため中国では今日日曜が何故か出勤日となっているため、自宅勤務をせざるを得ませんでした。まぁ仕事を適度にさぼりながら部屋とか掃除してたけど。

 それでもずっと体調が悪く、ビタミンとか取ったりたくさん寝たり対策してるのに風邪にしてはやけに治りが遅いと思ってコロナ期間中にやたらばらまかれた検査キットをを使ってみたところ、案の定コロナ陽性判定が出ました。これで先週の疲労感も納得がいきました。

 にしても久々にコロナかかりましたが、やっぱり風邪と比べると治りが遅いというか、風邪だと栄養取って寝てると徐々に改善してくる実感がありますがコロナだとそれがなく、しばらくたってから急に症状がましになる印象があります。でもってコロナだとわかるや同僚らに「コロナかかったから明日は出社せず、自宅勤務する」と羞恥しましたが、途中で関係ない人にもコロナかかったと伝えたりして、何となく無駄にアピールしたい気持ちがもたげていました。
 コロナ流行期、愛知県を中心にやたらと「俺、コロナ」と言っては無駄に混乱を作っていた人たちがいましたが、今になって彼らの無駄なアピール意欲が少しわかるようになりました。

2025年4月26日土曜日

日本版ルネサンスと「日本のダンテ」

 日本で「ルネサンス」というと、レオナルド・ダビンチを代表とする芸術家の作品や髭男爵の一発芸ばかり連想されますが、この言葉は実際には幅広い意味を持ち、芸術運動のみならず当時における文学や思想も内包しています。特に思想面においては、それまでの権威や格式に囚われた価値観からこの前ヒットしたアニメの「チ。」でも描かれたように、実証主義的な科学的価値観や合理主義も花開き、のちのフランス革命や産業革命にもつながっていきます。
 そんなルネサンスが始まったのは言うまでもなくイタリア半島ですが、これは教皇権の強いエリアではあったものの、当時のイタリア各都市国家は神聖ローマ帝国やフランスなどの圧迫も受け、思想や価値観で揺れ動いていたということが大きかったように思えます。

 このルネサンスは前述の通り、実証主義、合理的価値観への目覚めともいうべき動きですが、ふとこの前日本ではなぜ起きなかったのか、否、日本でも起きていたけど誰も気づいていないのではという考えがもたげました。結論から述べると私の考えは後者で、日本でもルネサンスのような実証主義が立ち起こっていたものの現代日本ではあまり注目されていないだけではという風に考えています。ではそれはいつ起きたのかというと江戸中期で、いわゆる蘭学ブームこそが日本版ルネサンスだったのではないかと考えています。

 江戸中期、具体的にはマツケンサンバでおなじみの八代徳川吉宗の時代に、それまでの鎖国政策の延長で禁止されていたオランダからの洋書などの輸入が医学をはじめとする実学に限り解禁されました。これをきっかけにオランダ語を通して西欧の進んだ技術を取り込もうとする蘭学ブームが起こり、その代表格はこれまた言うまでもない杉田玄白らによる解体新書でした。
 この解体新書が嚆矢となって蘭学もとい洋学が日本でも一気に広まり、オランダ語の辞典も出版されるなどそれまで長崎に限られていた蘭学の波が日本全国にも広がります。それに伴い実証主義的な価値観も強まり、現実を見据えロシアなどの侵略に危機意識を持つものや、より進んだ技術を取り込もうと開国を主張する者も現れていき、のちの明治維新へとつながっていきます。

 また体制側も、蘭学ブームによってやや軟化していったというか、江戸中期以降はかなり厳しい身分制が残っていた時代ながら、技能や知識を持つ者を採用するなど、合理的な方向へ舵を切っていきます。具体的には最上徳内、間宮林蔵、二宮尊徳などで、彼らは元々は平民でありながらたぐいまれな能力から直接武士に取り立てられて成果を挙げており、合理主義へと江戸時代の世の中が移り変わっていた証人であるように思えます。

 ここまで考えが回った段階で蘭学ブームがやはり日本版ルネサンスともいうべき流行で、巡り巡ってこれが幕藩体制を崩壊させる遠因になったということに確信が付いたのですが、その始まりというか最初の最初のきっかけは何だったのかが次は気になっていきました。
 前述の通り、全国に蘭学ブームを巻き起こした解体新書がそれにあたるといっても過言ではないと思いますが、私はそれ以上に、平賀源内の存在の方が大きかったのではと思うようになりました。一体何故かというと、初期の蘭学ブームにおいてはまさに彼が中心人物だったからです。

 平賀源内は杉田玄白や前野良沢といった当時の主要な蘭学関係者と交友があったのは周知のことですが、そのほかにも日本初の銅版画に成功する司馬江漢も元々彼の弟子でした。そもそも彼自体が長崎への遊学をきっかけに持ち前の好奇心から様々な西洋知識を取り込み、多くの洋書も入手するなど代表的蘭学者であり、時の老中である田沼意次とのパイプもあって、当時の江戸における蘭学サークルの中でも中心人物であったように見えます。

 特に解体新書に関して、その挿絵を描いた秋田藩士の小田野直武は源内の直弟子で、彼の推挙により挿絵を執筆しています。その小田野直武に源内は秋田藩へ鉱山開発指導へ赴いた際に出会っていますが、彼に洋画を教えていたらある日、「俺にも教えろよ(´・ω・)」と秋田藩主の佐竹義敦も自ら弟子入りを志願してきたと言われています。
 この時、佐竹義敦は一介の浪人に過ぎない源内に対し師匠としての礼儀を取り、また配下の一藩士に過ぎない小田野直武とも全く身分差がないかのように、肩を並べて指導を受けてたそうです。この身分なく交流する姿こそ、ルネサンス精神が最も濃い情景であるように私は思います。

 そもそも源内自身が、元々は最下級の高松藩士でしたが自らの研究時間を優先するあまり、その職を辞して浪人となっています。幕末であれば脱藩した人は珍しくないですが江戸中期においては非常に珍しく、如何に源内が当時において古臭い権威主義から脱却していたことをうかがわせるエピソードです。
 もっとも、後藤又兵衛よろしく奉公構(他藩への転職禁止措置)を食らうとは源内も思ってなかったようで、ほかの人にも話していないあたりかなりショックだったようです。

 話を戻すと、初期蘭学グループの中心にあり、尚且ついち早く合理主義に目覚めて身分差を打破するなど周囲の人間にも影響を与えた点から、平賀源内は日本版ルネサンスこと蘭学ブームの旗手とみてもいいのではと私は考えています。その上でよく平賀源内はその万能ぶりから「日本のダビンチ」に例えられることが多いですが、むしろその著作「神曲」にてルネサンスを牽引したダンテの方がより実像に近いように思え、「日本のダンテ」と呼ぶべきじゃないかと思うに至りました。

 割と何度も書いていますが、私はこの源内に対して昔から妙な親近感を覚えて止みません。私自身、比較的なんでもできるけど飽きっぽくて大成しない器用貧乏なところがあり、その点で源内に強いシンパシーを抱いていると思うのですが、今回こうして彼を「日本のダンテ」に例えた際、なにか源内に対する自分の思いに一区切りがついたように感じました。

2025年4月25日金曜日

「イース8」はそこまで評価されるゲームか?

 なんかネットで手放しで褒められていたので、先日日本ファルコムの名作シリーズの8作目である「イース8」を購入してクリアしました。実際遊んでみた感じとしては確かストーリーもよく操作性も楽しく、また探索の楽しみがあって面白いと感じましたが、正直言って手放しで褒められるかと言ったらそこまでではなく、ほかの人の評価を見ていてやや過大評価が多いような気がしました。

 具体的に自分が惜しいと思った点は、ボスキャラです。基本的にどのボスキャラもぽっと出のキャラクターで、クリアした後にどんなボスキャラがいたのかほぼ全く思い出せないほど印象が弱い奴ばっかで、これはRPGとしてかなり致命的な欠陥であるように思えます。

 唯一印象に残ったのはアーケルスというボスキャラで、こいつは主人公が無人島に遭難するきっかけとなった船の沈没を引き起こし、その無人島から脱出するにあたり必ず倒さなくてはならないというストーリー展開もあってキャラが立っていました。しかしそれ以外のボスキャラはラスボスを含め登場時に初めて「お前おったの?」と言いたくなるくらい前情報がなく、出てきても倒した後はそれきりなため、何の記憶にも残りません。マジでラスボスを含め。
 またそのボス戦も難易度ノーマルでの話ですが、基本的にゴリ押しが効いてしまうボスしかおらず、こっちのダメージを気にせず殴り続けるだけで倒せます。さすがにこれだと味気ないから攻撃パターン見切って優雅に倒そうとしたら、どのボスの攻撃もパターンを見ての回避が不能なものが多く、敵の攻撃に合わせてタイミングよくガードや飛び退きをしてフラッシュガードを得るしかないというのもやたら多かったです。そのため相手の動きに合わせて攻撃するよりも、こっちが殴り続けていて相手が攻撃しようとしてきたらガードボタンを押す、なんか単調な作業が多かったです。

 また先ほどストーリーがいいと褒めましたが、それは終盤を除いてです。言ってしまえばこのゲーム、いわゆるセカイ系作品で、たまたま遭難した無人島で地上の全人類の淘汰を行うか否かの儀式が始まってそれに主人公らが巻き込まれるという内容です。
 元々、この手のセカイ系が前から嫌いだし、なんで小さな無人島が全世界の運命左右すんだよというスケール感がおかしい話に何かついてこれませんでした。これならただ単に、儀式をどうにかしないと異常気象で世界がおかしくなるくらいでよかったんじゃないかなという気がします、個人的に。

 キャラクターに関しては全く文句なく、どのキャラもキャラが立ってたしヒロインのダーナも高評価なのはうなづけ、この点はほかの人の評価と完全に一致します。それだけに全体ストーリーはもっとどうにかならなかったのか、なんかもったいない気がしてなりません。
 特に先に触れたラスボスに関しては、マジで何の情報もなく「こいつと戦え」と言われて急に出てきた相手を殴るだけという展開はなんやねんとやっててマジで思いました。もう少し戦闘前に因縁をつけないものか、もしくはその存在を示唆するものとかを断片的に出さないものかと思えてなりません。ビジュアルも、そんな強そうでもなければ恐ろしさのかけらもなかったし、攻撃するタイミング限られるのがめんどくせーなとしか思えませんでした。

 以上のように内容をクサしていますが、全体としての評価は面白いということには間違いありません。自分はSteamで購入して遊びましたがセール時に購入して遊ぶ分にはいいんじゃないかと思います。にしても今回やってて思ったのは、RPGはやっぱりボス戦が重要で、特にラスボス戦が盛り上がらなければ全体評価も一気に下がり、終わり悪けりゃ全部だめになるってことでしょう。

2025年4月24日木曜日

トランプ関税で揺れる中国の現在

 今日はがっつりした歴史記事書こうと帰宅途中もずっと構文練ってましたが、このところ仕事で披露しているのか意識がはっきりせず、さっきも横になって20分くらい仮眠取ったのですぐかけるトランプ関税で揺れる中国の現状について軽く触れます。

 結論から言うと、日常生活レベルではまだ何も大きな変化はありません。関税発動から間もないことから、影響が出るのは早くても来月、現実的には6月くらいなため当然と言えば当然です。
 ただこちらにある日系企業の間でも、今後のサプライチェーンをどうするかや中国の景気そのものへの不安が非常に強いです。対策を立てようにも朝三暮四なトランプ政権の動きから、立てた対策がすぐ使い物にならなくなる可能性も高いため、どこも動きが取れないような状態です。この辺は日本国内でも恐らく同じじゃないかと思いますが。

 唯一中国にとっていいことは、一連の関税問題で中国人の米国に対するヘイトが高まっているのと、不況の原因は米国のせいだという意識そらしが効いて、習近平政権への批判が弱まりつつあることです。多分もっと劇的に景気悪くなっても、中国政府そのものへの批判は下手すりゃ去年よりも小さくなる気がします。

 最後に本題と関係ないけどトランプ大統領が日本は車のボンネットにボーリング球を落とす試験をしているという、マジで痴呆を疑わせる発言をしていましたが、なんかこれに対するいろんな人の返しが効いてて詰まんないなと感じました。自分だったら、

「米国は軍艦の耐久試験に原爆を落とすじゃん。まぁ日本の戦艦はこれに二発耐えたけどね(´・ω・)」

 という感じで、クロスロード作戦を引用します。なんかこの手の政治トピックに対するユーモアが最近低い気がします。

2025年4月22日火曜日

耳にしなくなった「事なかれ主義」

 たまたまかもしれませんが、なんかこの10年くらい「事なかれ主義」という単語をほとんど全く見聞きした覚えがありません。ニュース検索すると使っている記事がヒットするためやはりただ見ていないだけなのでしょうが、それでも20年くらい前と比べるなら使用頻度が落ちている気がします。
 仮にそうだとしたら何故使われなくなってきているのか。推定のまま話を進めると過分にこの事なかれ主義が日本で一般化してきた、即ち誰もが当たり前に持つ感覚、思想となったため、誰も殊更に取り上げなくなったのではないかと考えています。

 そもそも何故こんなことを気にしだしたのかというと、漫画の「風雲児たち」で作者が、「学校でのいじめの最大原因はほかの生徒たちの無関心にある」と書いてあり、なんか妙に懐かしく聞こえたからです。自分の感覚では98年くらいまではこんな感じで「いじめを見て見ぬふり生徒がいじめを助長する」という意見が良く出されていた気がするのですが、この10年くらいはそれがまったくなくなり、どちらかというと教師や学校の指導不足が代わりに挙げられることが増えてきた気がします。でもってこの見て見ぬふりというか事なかれ主義について、誰も問題視しなくなったというのが一番最初にあれ?と感じたところでした。

 実際私も見ていて、今お日本人はあらゆる物事に対し主体性を持たない、下手すりゃ自分のことにすら他人事みたいな態度をとる人が多い気がします。なもんだから目の前で喧嘩とか起きても誰も仲裁する人もいなければ、お年寄りが困っていても助ける人はおらず、実際何度かそういう場面に出くわしましたがマジで誰も動こうとしないことによくドン引きします。

 なんでこうなったのか単純にセクハラとかの意識が広がったり、よく言うAEDを女性に使ったら訴えられたとかの話で警戒する人が増えたってのが間違いなく要因としてありますが、端的に言えば他人との距離感を掴めない、詰めない人が増えたというか多数派になったというのが、今の状況を表すのではないかと思います。単純に他人との衝突を避けようという意識が強くなりすぎて、接触そのものを根本的に断つ、避ける意識が先行し、物事に対してもとにかく係わらないようにするため何事にも事なかれな態度になっているというのが私の見立てです。

 こんなこと書くくらいだからこういう状況はよくないというのが私の意見で、やはりもっと自分もコミュニティの一員だと自覚して、少なくとも身の回りの社会や環境に対してもっとよく使用、貢献しようという意識を持って行動した方が本人にもメリットが多いのではないかと思います。
 そういえば今書いてて思い出したけど、学生時代に賃貸アパートの共用洗濯機を拭いていたら周りからやたら珍しがられてました。

 あんままとまりのないオチですが、先ほどのいじめ対策にもつながると思うだけに、もう少し参画意識というのを子供のうちから日本は育成すべきじゃないかと思います。